• 検索結果がありません。

村上春樹『1 Q 8 4』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "村上春樹『1 Q 8 4』"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

村上春樹『1 Q 8 4』 1 を読み解く

―連想複合の文体論的解明―

塩 田  勉

The Enigma of Haruki Murakami’s 1Q84 –An Attempt at Stylistic Analysis–

Tsutomu SHIODA

Abstract

Haruki Murakami published the novel 1Q84 in May 2009. More than one million copies of this long−waited work by Murakami have been sold and a host of reviews have followed; however a number of enigmas remain unsolved. 1Q84 is the story of the Platonic love of Tengo and Aomame, who had been separated from each other when they were ten years old but continued to remember each other for twenty years and whose love is finally requited in an alternative world called “1Q84”. The core narrative is simple but numerous devices are deliber- ately employed rendering the story complex and mysterious, for example, the use of many references to philosophical, theoretical, literary or artistic works.

This article selects some of the most effective of those devices and attempts to clarify how they function to give the story its complexity and mystery and why.

The ways of mystification discussed are, firstly, an inventive use of the naming of characters that may be seen to be effective in several different ways and as contributing to dissolving semantic distinctions between Good and Evil, then, su- pernatural phenomena and objects, such as the “Little People”, or guru Fukada’s

“polysemical copulation”, and an intermingling and interlinking of seemingly antithetical and contradictory characters, such as Tengo and guru Fukuda, and Aomame and the Little People.

In conclusion, in the modern capitalist world, a story of such pure love is becoming an endangered species and can only be accepted as a living literary cre- ation if it is set in an hypothetical, alternative world like 1Q84.

(2)

1 どんなストーリーか

スポーツ・インストラクター青豆と作家志望で予備校講師天吾の語る章 が交互に織りなす純愛物語。小学生時代,天吾は,青豆をいじめから救う が,放課後の教室で,青豆は天吾の左手を堅く握り締め,黙って姿を消す。

離れ離れになった二人は,三十歳になるころ「1Q84」年の世界に迷い込み,

不思議な導きによって心が結び合っていたことを知る。

三十歳になるころ,青豆は,渋滞する高速道路の非常階段を駆け降りて いた。その刹那,ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』が響き,青豆は

「1Q84」年世界に踏み込む。

青豆は,女性に加害する男たちを始末する殺し屋である。老婦人の結社 に雇われ,少女たちの強姦魔とされる教団リーダー(深田保)の暗殺に赴く。

しかし,深田は噂とは異なる教養ある超能力者で,少女強姦もときどき襲 う心身麻痺状態の間に,儀式のように強制されたものだったことを青豆は 知る。深田は,青豆が天吾を愛していることを直知し,天吾が今でも青豆 を記憶していることを伝え,教団に命を狙われている天吾を救いたければ,

病に苦しむ自分を殺してほしい,そうすれば,リトル・ピープルなる集団 の力を削ぐことができる。だが自分が死ねば,教団は青豆の命を狙うだろ う。その危険を覚悟できるなら天吾の命は保証しよう,ともちかける。

青豆は,「1Q84」年世界に踏み込まなければ,天吾の気持ちを知りえなかっ たこと,自分が命を差し出すか天吾が死ぬかしかない巡り合わせが「1Q84」

世界の運命であることを悟り,望みどおり深田を永眠させる。セーフハウ スに逃れた後,青豆は高速道路の非常階段を捜しに出かけるが,もはや階 段は消え,戻る道は絶たれていた。それを確認した青豆は,天吾の名を呼 びながら,拳銃を口に突きたてて発射する。

他方,天吾は,父深田保に強姦された十七歳の美少女「ふかえり」こと 深田恵里子を,編集者小松の斡旋で知る。カルト教団で十歳までに経験し た秘密を記した『空気さなぎ』を天吾に修文させ,文学賞を獲得させるの が小松の狙いである。少女は,教団でリトル・ピープルなる小人たちと出 会い,空気から繭をつくるが,中から自分の分身が現れたとたん,邪悪な ものを感じて逃げ,以前から父親に教えられていた保護者戎えびすの野のもとに身 を寄せる。数年後,少女は,にリトル・ピープルの謎に迫るべく異次元の 通路に踏み込もうとするが,そこで『空気さなぎ』の物語は終わっている。

戎野は,ふかえりの経験談を記録させて公開し教団の秘密を暴こうとして

(3)

いた。『空気さなぎ』は受賞するが,作品が教団を支配するリトル・ピー プルの存在を暴露したため,天吾とふかえりも狙われ始める。

他方,天吾は修文を通じて目覚め自前の物語も書き始める。その過程で,

十歳の青豆が,誰もいない放課後の教室で,黙って天吾の手を握り,限り なく澄んだ目で見つめた瞬間の,人生における意味を徐々に悟りはじめる。

平行して,乳幼児のころ目撃した母の不倫の幻影に襲われながら,その意 味を反芻して理解を深め,その呪縛からも解き放たれ,代わりに青豆への 思いを深めていく。二つの月が存在する「1Q84」年世界に踏み込むことに よって,放課後の教室で起きたことの意味が分かりはじめると母の不倫の 幻影も退いてゆく。

ここでは論じないが,ふかえりは,世俗のエロスを超越した,生理もない,

言葉の抑揚もない,天女のような少女である。そのふかえりがリトル・ピー プルに狙われる天吾を護るために「オハライ」をすると称して天吾と交わ るが,少し前に「1Q84」年の公園で月を見上げていた天吾をマンションか ら発見して駆けつけながら会えなかった青豆は,天吾に抱かれたいという 想いを残したまま,自ら命を絶つ。その後,父親を見舞った天吾は,空のベッ ドに現れた空気さなぎの中に裸で眠る少女を見出し,それが思い続けてき た青豆だ,と気付いた刹那,青豆もさなぎも掻き消すように消えていく。

2 話をややこしくする仕掛け2

作中には,単純な純愛物語を膨らまして謎めかす工夫が縦横に張り巡ら されている。バッハの『平均律クラヴィーア曲集』(Ⅰ− 368)に基づく 語り手が章ごとに交替する構造,現実の「1984」年と,ありえた仮想世 界「1Q84」年とが,ねじれ,入れ替わり,虚実の界面を溶解させる手法,

謎に満ちた人物群の造形,『空気さなぎ』,『平家物語』(Ⅰ− 455 〜 457),

『サハリン島』(Ⅰ− 460 〜 470),『マタイ受難曲』(Ⅰ− 369 〜 370)な ど作中劇や引用,ユング(Ⅱ− 275 〜 276),フレイザー『金枝篇』(Ⅱ−

241),オーウェル(Ⅰ− 421,459, Ⅱ− 141, 157),『カラマーゾフの兄弟』(Ⅱ

− 244 〜 245),アリストテレス『ニーコマコス倫理学』(Ⅰ− 307),プラ トン(Ⅰ− 310),マクルーハン(Ⅰ− 517)など,物語を複雑化し神秘化 させる引用や言及に満ちている。それらを網羅的に扱う紙幅はないが,特 異な命名法,対立する人物間の,印象とは異なる近接・類似性,「リトル・

ピープル」,「多義的に交わる」(Ⅱ− 364)などのキーワードを手がかりに,

(4)

作品を解き明かすことが本論の目的である。

「暴力と性が,‥‥僕にとって大事な問題になってきている。この二つ は人の魂の奥に迫るための大事な扉と言っていい」(インタビュー)と春 樹は述べているから,本稿も作品にちりばめられたことばに畳み込まれた,

性的連想複合の文体論的分析が中心となる。

3 命名の表意性3

命名に注目してみよう。「天吾,テンゴ」は,イタリア語で,“tengo”,

すなわち“I keep”(保つ)を意味する(春樹はイタリアにも滞在している)。

さらに天吾は,青豆がよく口にする証人会の「お祈り」の「王国」,すな わち「デンゴク,天国」とも響き合う。それだけではない。天吾の敵(の はずの)教祖深田は「保,タモツ」という名をもち,それは,“tengo”と 同義である。天吾も保も何を保つかと言えば,後で論じるとおり,善悪の「均 衡」を保ち,物語の核心となる「勃起」を保つのである。事実,「さきがけ」

教団の「リーダー」で,青豆による殺害を甘受する深田保は,こう述べる。

「この世には絶対的な善もなければ,絶対的な悪もない」‥‥「善 悪とは‥‥常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。ひとつの善は次 の瞬間に悪に転換するかもしれない。‥‥重要なのは,動き回る善と 悪とのバランスを維持しておくことだ。‥‥均衡そのものが善なのだ。

わたしがバランスをとるために死んでいかなくてはならないというの も,その意味合いにおいてだ」

Ⅱ− 244 〜 245

他方,深田は,意志に関係なく体が硬直し,「数時間」「勃起が続」(Ⅱ

− 196)くときに,子種を求める巫女たちが交わりにくる,という。天吾 がふかえりと性交したときにも,「勃起はまだ持続していた」など(Ⅱ−

302),と「勃起」と「持続」ということばが反復されている。特殊な勃起 状態は,二つの月で象徴される「1984]と「1Q84」の世界,あるいは異な る時空との交渉を暗示する「多義的に交わる」行為と連関して現れ,そこ に「保=保つ」と「天吾= tengo, I keep」という名前が絡まってくる。

次に,アオマメ,アユミ,アザミ,エリコ,オオツカ,ウシカワ,エビ スノなどの名が全てア行音で始まる点に注目したい。ア行音は,作品のテー

(5)

マの「アイ,愛」,「エイエン,永遠」,(プラトン的な)「エロス」を表わ す字音である。

他方,周囲の人物は,タマル,タマキ,タモツなど,タ行音+マ行音で 始まり,テンゴもまたタ行音で始まっている。エビスノやウシカワは,そ れぞれタカユキ,トシハルと,やはりタ行音の名をもつが,初出を別にす ればと姓でしか呼ばれていない。

なお,姓の漢字表記は,深田,田丸,安田,川奈,牛河,中野,戎野,

小松など,「田」「川,河」「野」「松」とエコロジカルな意味合いを持つ漢 字が支配的である。それは,「さきがけ」の自然食信仰や,森の小人「リトル・

ピープル」の宗旨に繋がり,両者の特性が,立場を異にする多くの人物に 分有されていることを物語っている。

タ行とマ行音の結合は,「タマル,溜まる」,「タメル,貯める」,「タモツ,

保つ」,「タマ:玉・睾丸・弾丸」という意味連鎖をつくりだす。それらは,

性愛における持続,精液の貯蔵と放射(射精),拳銃弾の充填と発射など,

物語の急所に直結するイメージを形成する意義素である。さらに,「青豆,

アオマメ」と「大塚環,オオツカ・タマキ」のという名も,彼女たちの肉 体的特徴を表わしている。「青豆」は,青く未熟な陰核もしくは乳首の連 想を喚起するが,事実,青豆の乳房は,「配合を間違えて膨らみそこねた パン生地」(Ⅱ− 112)のようで,二十六歳まで処女だった(Ⅰ− 339)し,「青 豆さんのあそこ4 4 4ってかわいくってきれい」「新品同様って感じ」(Ⅰ− 347)

とあゆみが言うとおり,名は体を表わしている。

他方,大塚環は,「大塚,うずたかいやま」と「環,輪や楕円体の装飾具」

からなり,「お尻のきれいな膨らみ」(Ⅰ− 58),大きな「乳房」,「楕円形 に膨らんで」「オリーブの実を思わせる」「乳首」(Ⅰ− 60)など,「大塚」

と「環」の名にふさわしい肉体を持っている。「青豆」は熟しきれない肉体,

「大塚環」は成熟した女体を暗示する命名である。

さらに,「青豆」という名前には,彼女の運命に繋がる物語の DNA が 組み込まれている。「青豆」には,乳首,陰核,睾丸の連想があるが,青 豆には「タマ,睾丸」を蹴り上げる護身術の特技があったし(Ⅰ− 232),

豆鉄砲を思い出すまでもなく,豆は弾丸,そこから鉄砲(拳銃),さらに 陰茎に連想が繋がる。拳銃の弾を口中に発射して自殺を遂げる結末(Ⅱ−

472 〜 474)は,「アオマメ,青豆」という名前に潜む全幅の性的連想を開 花させて余りある。後で論じるように,青豆が拳銃を口内へ発射した刹那,

天吾はふかえりの体内に射精するが,実は,天吾が射精したのは,ふかえ

(6)

りに憑依した青豆の体内であったことが,注意深く読むと分かるように書 かれている。

射精の瞬間,天吾の「天」と青豆の「青」は合体して「天国」となり,青 豆が幼時から頭に刻みつけたキリスト教の「王国」が喚起される。作中で 言及されたプラトンは,人間が男女という二つの半身に引き裂かれたため,

合体して完全体に復帰しようとする,それがエロスだ,と考えたが,4テン ゴ→保つ→勃起→ペニスと,青豆→陰核という連想による男女の交合,「天」

と「青」との合一は,プラトン的エロスによる完全体への恢復を暗示して いる。

こんな姓に生まれていなかったら,私の人生は今とは違うかたちを とっていたかもしれない。たとえば佐藤だとか,田中だとか,鈴木だ とか,そんなありふれた名前だったら,私はもうすこしリラックスし た人生を送り,もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない。

あるいは。       Ⅰ− 13 〜 14

青豆の冒頭の述懐が只ならぬ意味合いを,やがて帯びてくるのも偶然で はない。

4 天吾と保の肖像

天吾は,文芸誌編集を手伝いながら作家をめざす予備校数学講師だが,

数学の神童だった。文武両道にたけ,人望もあり,大学を出るまで柔道選 手で,十人ほどのガールフレンドもあった。なんでも苦もなくこなせたが,

ものごとを極め,己の本質を突き詰めたことがなく,上司の小松のような 根性には欠け,なんとなく予備校講師をやりながら,なんとなく編集のバ イトをし,なんとなく作家になることを夢見ている若者である。四十歳の 人妻安田恭子と週一度セックスを楽しんでいるが愛しているわけでもない。

父親は東北の三男で,戦時中,満州に渡り,戦後は,NHK の集金人を しながら男手ひとつで天吾を育て上げた。妻は病死したことになっている が,天吾は,母親が乳首を父親以外の男に吸わせていた幻影にしばしば襲 われている。一歳半のときの原風景は,年上の恭子への受動的な性,実父 でないかもしれない父親の影の薄さ,母に見捨てられたことからくる寄る 辺なさの遠因となり,ここ一番という局面で力が抜け,曖昧な自己しか自

(7)

覚できない頼りないところのある天吾像を形づくっている。飛び抜けた知 性や身体能力,「神童」としての少年時代が,自分を突き詰める機会を奪っ たからである。

深田保は,教団「さきがけ」の教祖で,元学生運動の過激派,六,七十 年代の学生運動の毛沢東派政治集団が,宗教集団「さきがけ」と過激派政 治集団「あけぼの」とに分裂した際,双方にコミットしながら,観念左翼 に転向,政治集団には資金を与えて縁を切り,教団教祖に納まった。出所 不明の豊富な資金源と心霊能力をもつ謎の人物である。「あけぼの」は山 梨県のアジトで銃撃戦の末壊滅したが,「さきがけ」は,外見上は,自然 食品の栽培と販売で自給自足する密教系教団として生き残り,そこから逃 亡してくる強姦被害者少女たちや家族から,内部で腐敗と暴力が蔓延して いるのではないか疑われている。それを察知した,強姦や虐待の被害者を 救済する結社から,暗殺者青豆がストレッチングの専門家として,病気の 深田の元へ送り込まれる。

5 よく似る天吾と保

内田樹はこう指摘している。5「ムラカミ・ワールドでは『コスモロジカ ルに邪悪なもの』の侵入を『センチネル』(歩哨)の役を任じる主人公た ちがチームを組んで食い止めるという神話的な話型が繰り返される」。

そうだとすると「邪悪なもの」は「深田保・リーダー・リトル・ピープル」,

「センチネル」は「天吾・青豆・ふかえり」になるが,村上春樹は,道徳 名目を説く二分法には納まりきらない,善悪の境界を溶解させる人物造形 を行い,作品に謎に満ちた魅力を与え,複雑な現代社会を全的につかむ好 材料を提供した。単純な純愛物語は,一見,対抗する人物像の相互浸透に よって複雑化され,現代的リアリティを獲得するのはそのためである。

子供のころの天吾の特徴で反復されるのは,「身体が大きく」(Ⅰ− 44),

「大柄」で「力も強」く,「一目置」かれ(Ⅰ− 136),「成績は飛び抜けてよ」

く「運動も得意」(Ⅰ− 168,274)だったことである。教師になってからは,

「教え方が要を得て」,「どんな質問にも即座に答え」,「話術の才」があり,

「不特定多数の人々を前に」それが発揮された,とある(Ⅰ− 46)。

天吾の特徴を頭に置いて,深田を振り返ってみると,保は,「大男」「押 し出しがよく」(Ⅰ− 224),「巨漢」(Ⅱ− 186)である。青豆も,深田保を「大 きな男だった。‥‥力もありそうだった。(中略)石塀のように広い肩幅は,

(8)

経験を積んだ格闘技の選手」と描写している(Ⅱ− 190)。

 

戎野は,保を天吾と比べその類似性を明らかにしている。

「彼は生まれつきリーダーだった。イスラエル人を率いるモーゼの ように。頭が切れて,弁も立ち,判断力に優れている。カリスマ的な 要素も具わっていた。身体も大きい。‥‥ちょうど君くらいの体格だ」。

Ⅰ− 224  

天吾も深田も,高い知性,集団を引きつける弁舌と人望,引き締まった 巨体を有している。深田は,ドストエフスキーやフレイザーやユングを引 用し,天吾もチェーホフや『平均律』に言及する教養人である。二人はさ ながら親子か師弟のように似ている。

性格面だけではない。物語で果たす役割も,「聞くもの」という役割が 共通している。深田は,「王とは,人々の代表として〈声を聴くもの〉であっ た」(Ⅱ− 241)とフレイザーの『金枝篇』を引き,自分が「リトル・ピー プル」の「声を聴くもの」(Ⅱ− 243),「レシヴァ=受けいれるもの」(Ⅱ

− 276)だと語る。天吾は「ひとの話を聞くのが好き」(Ⅰ− 135)で,ふ かえりは,天吾を「レシヴァ」(Ⅱ− 455)だと定義づけている。「声を聴 くもの」は,〈シャーマン〉であるが,深田は集団の声を〈聴く〉宗教的シャー マン,天吾は「自分の中にある小さな泉のしたたりに‥‥耳を澄ま」せて

(Ⅰ− 356)〈聴く〉文学的シャーマンであろう。

保は,預言者として〈聴いた声〉から「システム」を構築し,天吾は,〈内 なる声〉から「物語」を紡ぎ出す。相似する両者は「対抗モーメント」と して拮抗しながら,物語全体としては,後で分析するとおり「多義的に交 わる」というキーワードを媒介にして,同じ女性と性的関係を結び,境界 線を曖昧にさせる。

対立するキャラクター間の潜在的類縁性は,青豆とその敵リトル・ピー プルとの間にも認められる。

6 リトル・ピープルとは?

「リトル・ピープル」とは,『空気さなぎ』に登場した小人たちで,死ん だ盲目の山羊の口から現れて六〇センチほどに膨らみ,集団で空気からさ

(9)

なぎをつくる。さなぎの中からは人物の分身が出てくる。人物の実体は「マ ザ」,分身は「ドウタ」と呼ばれる。彼らは,「パシヴァ」という預言者を 媒介にして現れ,自分たちの意図を「レシヴァ」という再話者をとおして 広め,「レシヴァ」を通じて,隠然たる権力を揮う。

リトル・ピープルの預言者となった深田はこう語る。「リトル・ピープ ル‥‥を正確に知るものは,おそらくどこにもいない」(Ⅱ− 241),「彼ら4 4 はただそこにいた4 4 4 4 4 4 4 4」(Ⅱ− 242),「善であるのか悪であるのか,‥‥わから ない。‥‥我々の理解や定義を超えたものだ。我々は大昔から彼らと共に 生きてきた」(Ⅱ− 276)。

人類の集合無意識に属し,一定の歴史・社会条件の下で起動する潜在的 な仕掛けだから,通常は意識化も言語化もされない。だが,紫外線や気圧 のように目に見えない力を揮う。その力を抑え,均衡をとるために,リトル・

ピープルの代弁者として命を捨てるのが深田であり,ふかえりの『空気さ なぎ』を公表して,リトル・ピープルの存在を暴露し影響力を削ごうとし ているのが天吾である。不思議なことに,保と天吾は同じ目的を分かち合っ ているのだ。暗殺を前に,深田は,こう青豆に説く。

もっとも重要なのは,善と悪の割合がバランスをとって維持されて いることだ。リトル・ピープル‥‥が力を使えば使うほど,その力に 対抗する力も自動的に高まっていく。そのようにして世界は微妙な均 衡を保っていく。‥‥1Q84 年の世界にあっても,‥‥反リトル・ピー プル的な力‥‥の対抗モーメントが,君をこの 1Q84 年に引き込むこ とになったのだろう。‥‥大事なのは,‥‥力がふるわれようとする 時,‥‥必ず補償作用が生まれるということだ。‥‥わたしがリトル・

ピープル‥‥の代理人になるのと‥‥同時に,‥‥娘が反リトル・ピー プル作用の代理人‥‥になった。そのようにして均衡が維持された。

Ⅱ− 274 〜 276

「リトル・ピープル」とは,一部の評者が指摘しているように,「『小さな(弱 い)父』たちの集合表象」(内田樹)とか「日本人」(三輪太郎)という固 定的実体概念ではなく,春樹の言葉が示唆するように,動き易く,消え易い,

神話素のような〈作用〉や〈力〉を指すのではなかろうか。

 

神話というのは歴史,あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれて

(10)

いて,ある状況で突然,力を発揮し始める。

   インタビュー

リトル・ピープルは,「森の奥」が「彼らの世界4 4 4 4 4」で(Ⅱ− 59),「森か ら離れるとその能力をうまく発揮できない」(Ⅱ− 267),「小さな体のくせ にとてつもなくたくさんの水を飲む。‥‥好むのは‥‥雨水,‥‥小川を 流れている水だ」(Ⅰ− 184),と説明されている。それは,自然崇拝など 人類が太古から慣れ親しんだ祖型をまとい,愛国的な自然の守り神や,原 始信仰の姿を借り,不安の時代に姿を現す,「狂信」という名のヴィール ス株のようなものである。

優れた文学的感性は,「狂信」の危うさを正確に捉えてきた。シュメー ルの『ギルガメシュ叙事詩』6の王は,森の神フンババを殺害するが自分も 死ぬ。エウリピデス『バッコスの信女』7の巫女たちは,山で無気味な狂態 を繰り広げる。メンケンが記録した「スコウプス裁判」当時のキリスト教 原理主義者たちは,深夜の森で狂気の集会を開く。8そうした先例は,ナ チの森林保護,タキトスが称えた森に住むゲルマン民族と自己同一化した ファシズムにまっすぐに繋がっている。9リトル・ピープルの素性は,こう した系譜に属する「狂信」という緑の衣(自然)をまとって,人間の欲望 に巣食う魔物である。

リトル・ピープルは,「邪悪なもの」として描かれている。十歳のふか えりは「そこには間違ったもの,正しくないもの」「大きく歪んだものが ある」と感じて逃げる(Ⅱ− 413)。青豆も「精神を‥‥蝕んでいく致死的 な病」「間違いなく何か健全ではないものが含まれている」(Ⅱ− 408),と 感じ取っている。

そういう人間の弱点に取り憑く邪悪が思い合わされるのは,「踊る小人」

10という短編である。若者の夢の中に現れた小人が,女を口説き落とせる ダンスを教えるから,お前の体に入らせろ,そうしたら上手に踊れるよう にしてやる,と誘惑する。若者は断るが,どんなことが起きても女をもの にするまで喋らない,と約束するなら体から出てやろう,と約束する。踊 りは上首尾にはこぶが,土壇場で思いを寄せる女は化物と化す。それをま やかしだと信じた若者は声を出さず,女をものにすることに成功する。し かし,小人を呑んで踊ったことが露見して警察に追われる羽目となり山野 に逃がれる。小人はまた体に入れてくれれば助けてやろうと誘うが,それ は「永劫に森の中で踊りつづける」ことを意味し,「僕にはどちらかを選

(11)

ぶことなんてできない」(以上,328),と,破滅を暗示する主人公のつぶ やきで物語は終わる。その作品の「小人の踊り」はこう描かれる。

‥‥小人の踊りは観客の心の中にある普段使われていなくて,そん なものがあることを本人さえ気づかなかったような感情を白日のもと に―まるで魚のはらわたを抜くみたいに―ひっぱり出すことができた のだ。       311

この一節は,インタビューにおける神話への言及や,『空気さなぎ』に よる秘密の暴露を形容した箇所とぴったり付合する。「地獄の釜の蓋」(Ⅰ

− 305),「パンドラの箱」(Ⅱ− 140,159),「岩の重し」(Ⅱ− 57)「特殊 な蛇口」(Ⅱ− 136),などを開けて,普段意識されない封印された「狂気」

のヴィールスを解き放つ力を,物語もしくは神話はもっている。

封印された「リトル・ピープル」という毒と人類が付き合うには,「地 獄の釜」や「パンドラの箱の蓋」「岩の重し」をバランスよく管理する必 要がある。蓋や重しが重すぎると,善のエネルギーまで窒息してしまう,

この消息を深田はユングを引いてこう説明する。「影は,我々人間が前向 きな存在であるのと同じくらい,よこしまな存在である。我々が善良で優 れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど,影は暗くよこしまで破壊 的になろうとする意思を明確にしていく」(Ⅱ− 276)。ニーチェの『悲劇 の誕生』11にあるように,生命や文化と呼ばれるものは,非合理と均衡を 保ちながら栄える。合理が生命を抑圧し息苦しくなるときに出現するのが

〈リトル・ピープル〉なのかも知れない。

7 リトル・ピープルは青豆に似る

青豆は,リトル・ピープルと不思議な類似性を示す。作品冒頭の描写に 注目しよう。

[青豆は]‥‥いったん目を離すともう,彼女がどんな顔をしてい たのか描写することができない。‥‥細部の特徴がどうしてか頭に残 らない。‥‥色やかたちを変えて背景の中に潜り込んでしまうこと,

‥‥子供の頃から彼女はそのようにして自分の身を護ってきたのだ。

Ⅰ− 26

(12)

リトル・ピープルの風采と比べていただきたい。

[リトル・ピープルは],‥‥いったん目をそらせたら,彼らがどん な服を着ていたか‥‥どんな顔をしていたか,まったく思い出せなく なってしまう。‥‥そして彼には匂いというものがない。

Ⅱ− 404 〜 405     

高速道路から慌てて下りた青豆も化粧室で「脇の下の汗の匂いをか」い でみるが,「匂いはない」(Ⅰ− 66)。同じような描写は,Ⅰ− 447 にもあ る。リトル・ピープルの「特徴のなさ」は,青豆の「大いなる無名性」(Ⅰ

− 26)に通底するだろう。

「大いなる無名性」は,天吾にも認められる。「人生の早い段階から天吾 は自分を目立たなくする方法を身につけた。‥‥自分の存在感をできるだ け薄めるように努めた」(Ⅰ− 451)。ディケンズの孤児が世間の強い風に 吹き飛ばされないための「算段」を頭にいれておくように,子供の天吾は,

青豆と同様,リトル・ピープル的「特徴のなさ」を,身を守るために身に つけた。リトル・ピープルの,弱者の知恵には,ニーチェのいう〈奴隷の 道徳〉のような油断のならないところがあるのだ。

8 「証人会」の少女

さらに,青豆は,我身の裡にリトル・ピープルを感じてもいる。

宿命的なまでに自分に近しいものを,彼らの[リトル・ピープル]ヴォ イスの中に青豆はなぜか聞き取ることができた。      Ⅱ− 408

リトル・ピープルが巣くう「さきがけ」は,青豆が育った「証人会」に 似たカルト宗団でもある。教団信者だった母親は,娘と「一緒に歩いて,

家を一軒一軒わり,『洪水の前』という小冊子を配り,‥‥教義を説明」

した(Ⅰ− 271)。他方,「NHK の集金人をしていた[天吾の]父親は,日 曜日になるとまだ小さかった天吾を集金につれてまわった」(Ⅰ− 165)。「天 吾は,父親に連れられて NHK 受信料の集金ルートをまわりながら,何度 かその少女と通りですれ違った。‥‥一瞬視線を交わすだけだった」(Ⅰ

− 271 〜 272)。青豆と天吾が不思議な絆で結ばれていくのは,二人の生い

(13)

立ちに共通点があったからである。「彼女[青豆]は,「教義上の理由」か らクリスマスの行事にも‥‥運動会にも参加しなかったし,校歌も国歌も 歌わなかった」し,「給食を食べる前に」「大きな声で」「お祈りを唱えな くてはならなかった」。「天上のお方さま。あなたの御名がどこまでも清め られ,あなたの王国が私たちにもたらされますように。‥‥アーメン」と。

その結果,青豆は,「ますます孤立」していった(以上,Ⅰ− 272)。

青豆は「証人会」から十歳のとき逃げだし,叔父の元に身を寄せたのだが,

「証人会」が植え付けた心性は,成人した青豆の心に生き続けた。

彼女は子供のころから,装飾のない簡素な生活に慣れていた。禁欲 と節制,‥‥家庭には余分なものはいっさいなかった。‥‥テレビ もなく,新聞もとらなかった。‥‥肉や魚が食卓に並ぶことは少な く,青豆は主に学校給食で成長に必要な栄養素を補給していた。‥‥

新しい服を買ってもらったことは一度もないし,‥‥サイズの合った 服や靴を身につけた記憶もない。‥‥しかし大人になって青豆が‥‥

もっとも落ち着けるのは,禁欲的な節制した生活を送っているときだ

‥‥った。彼女が何より求めているのは,‥‥ジャージの上下を着て,

‥‥一人だけの時間を送ることだった。       Ⅰ− 327 〜 328

カルトを否定したはずの青豆だが,装いはリトル・ピープルとそっくり に目立たなくなり,ストイックな生活によって研ぎすまされた神経は,身 体の急所を探り当てる「おそろしく勘の良い指先」(Ⅰ− 242)と几帳面な 性質を培い,青豆を優れたストレッチング治療士に育て上げた。その腕を 買われ,青豆は,女性に害を加えた男たちを抹殺する女仕掛け人となった。

そうなったきっかけは,親友環に暴力を揮って自殺に追いやった男を殺害 した過去にある(Ⅰ− 387)。親友の死と,育ちが育んだ正義感から,青豆 は,「私たちは正しいこと をした」(Ⅰ− 155,156)と「正しい偏見」(Ⅰ

− 394)を振りかざす暗殺結社代表の老婦人に与して暴力男の抹殺を引き 受けたののだが,同時に,青豆は,老婦人と「狂気に似た何かを共にする ことにな」り,それが「まったくの狂気」なのか否か,「境界線がどこに あるのか」「見きわめることができない」(Ⅰ− 394),と,「証人会」の育 てた正直さから感じている。そして,教祖の暗殺に赴くときも(Ⅰ− 66),

暗殺命令を遂行した直後(Ⅰ− 302)も,自殺する刹那(Ⅱ− 473)も,

捨てたはずの「証人会」の祈りのことばが,青豆の口から漏れずにはいない。

(14)

それほど「証人会」は青豆の心に焼き付いている。

青豆は,いわば,狂信の被害者でありながら,狂信者の手先としての暗 殺者になるという二重の生を生きている。『1Q84』は,少女時代,性的虐 待やカルトのトラウマを受けた青豆や深田恵里子(ふかえり),つばさ,

中野あゆみ,家庭内暴力やその他の暴力の犠牲者となった,老婦人の娘や 大塚環,佐恵子,(たぶん安田恭子も),それに「精神的なトラブルを抱え ている」「教団の子供たち」(Ⅰ− 488)など女性や児童被害者が圧倒的に 多い物語である。それにもかかわらず,深田の犯罪の善悪を問うよりは,

深田という超能力者の視点から,世間が犯罪と見なす行為が淡々と眺めら れている。同時に,深田やリトル・ピープルのもつ特性は,対抗する人物 にも分有され,安易に黒白がつけがたいように,善悪を分かちえない現実 の複雑で不透明な奥行きが浮かび上がるよう叙述がなされている。そうい う意味で,現代的な二生を生きることを運命づけられた青豆は,こう描写 される。

‥‥顔をしかめると,青豆の‥‥クールな顔立ちは,劇的なまでに 一変した。‥‥まるで‥‥仮面がはがれ落ちたみたいに,彼女はあっ という間にまったくの別人になった。‥‥それは大いなる無名性から 息を呑む深淵への,驚くべき跳躍だった。         Ⅰ− 26 あるいは,

私は同時に二つの場所にいる。‥‥これが殺人者の禅なのだ。

Ⅰ− 74

つまり,青豆は,夜叉と天使の顔を持って二つの生の要にいる,重要な 人物なのである。それは,闇の中で顔のない,深田についてもいえる。深 田は阿闍梨と悪鬼の顔を持つ化物である。深田も,現代の知識人と現代の 狂信者を結ぶ要にいる。二つの価値を平行して描くために,テロリスト青 豆や強姦者深田に共感をもたせるように描写がなされているから,評価が 分かれるかも知れない。現実のオウムの被害者たちは割り切れぬ思いをす るだろうし,ディジタル・ネイティヴ世代からは青豆のような素敵なテロ リストになりたい,と思う若者が現れても不思議ではない。春樹自身は,

「作家の役割とは,原理主義やある種の神話性に対する物語を立ち上げて

(15)

いくことだ」(インタビュー)と明言しているから,誤解のしようはない が,世論は,〈リトル・ピープル〉のように油断のならぬ勝手な働きをする。

そういう意味で,この作品には剣呑なところがある。

9 青豆の乳房

こうして分裂している青豆が,生きた個人としての面目に戻れるのは,

アスリートとして生まれた肉体,なかんずく乳房を通してである。青豆の 身体意識は,一貫して不満を抱いている乳房をとおして表現されている。

「1Q84」世界へ向かって非常階段を駆け降りるとき,亡友環の「美しい」「乳 首」が想起され,「彼女自身の乳首も‥‥硬くなり,ティンパニが複雑な 音型を描」(Ⅰ− 59)く。ティンパニのこんもりした形は,「一貫して,乳 房のかたちとサイズに不満をいだ」き(Ⅱ− 112),「もう少し乳房が大き ければいいのにと‥‥七万二千回くらい鏡の前で思った」(Ⅱ− 459),そ んな青豆にとって理想の形をした乳房の隠喩である。

同時に『シンフォニエッタ』は,老いらくの恋に落ちたヤナーチェック が「唐突な幸福感を全身に感じて」(Ⅰ− 201)作曲した曲で,青豆の純愛 意識を深化させ,天吾にもそれを認識させるモチーフで,「1Q84」世界の 扉を開く鍵ともなっている。青豆が『シンフォニエッタ』から霊感をえた ときも「念のためにシャツの上から両手で乳房をつかんでかたちを確かめ」

(Ⅰ− 199)るし,死を覚悟した青豆が確認する部位も乳房である。深田の 暗殺後,整形手術で別の姿に生まれ変わって隠遁する選択肢も示唆された 青豆は,乳房を確認しながらこう思う。

タンクトップの上から両方の乳房を手で触ってみた。いつもと同じ 乳房だ。配合を間違えて膨らみそこねたパン生地みたいなかたちをし ている。おまけに左右のサイズも微妙に違っている。彼女は首をふっ た。でも,かまわない。それが私なのだ4 4 4 4 4 4 4。         Ⅱ− 112

青豆が乳房の夢を見たときも「空には‥‥ふたつの月が並んで浮かんで いた。ひとつは昔ながらの大きな月で,もうひとつは新しい小振りな月だ」

(Ⅰ− 446)。サイズの不揃いな青豆の乳房は,「1Q84」の象徴である二つ の月と重なる。月が象徴する異界が天吾と青豆を結びつけたのである。先 の引用の先を青豆はこう続ける。

(16)

この乳房以外に何が残されるのだろう?

もちろん天吾の記憶が残る。彼の手の感触が残る。心の激しい震え が残る。彼に抱かれたいという渇望が残る。たとえ別の人間になった ところで,天吾に対する想いが私からもぎ取られることはない。

Ⅱ− 112 〜 113 10 多義的に交わる

乳房は,天吾にとっても重要な意味をもつ。天吾はふかえりの「つい目 がいってしまう」「胸のかたち」(Ⅰ− 88,373)や,安田恭子の「母親の乳 房に近い,かたちの良い大きな乳房」(Ⅰ− 493)にこだわっているだけで なく,母の「乳房」がトラウマ的幻影の中に何度も蘇るからである。

天吾の最初の記憶は一歳半のときのものだ。かれの母親はブラウス を脱ぎ,白いスリップの肩紐をはずし,父親ではない男に乳首を吸わ せていた。       Ⅰ− 30

この幻影は,「発作」(Ⅰ− 33)となって天吾を襲う。「同じ映像が,

‥‥リピート状態で自動反復される」(Ⅰ− 32),「これを見ろ,‥‥お前 はここよりほかには行けないのだ,‥‥そのメッセージが何度も何度も繰 り返される」(Ⅰ− 33,492)。天吾を苦しめる母親の姦通幻想は,天吾自 身によって様々な合理化や解釈がなされるが,天吾は,ある日,ガールフ レンドの恭子に,母親と同じ白いブラウスと白いスリップを着てもらい,

「肩紐をずらせ,その下にある乳首を吸」う。すると,「軽い立ちくらみ」

のようになり,天吾は「身を震わせて激しく射精」する。「もう出しちゃっ たの?」(Ⅰ− 312)と恭子が尋ねる。

実は,天吾は,このとき幻影の母親と「多義的に交わった」のである。「多 義的に交わる」とは,深田が青豆に言ったことばだ。

 

「そしてあなたは自分の娘をレイプした」

「交わった4 4 4 4」と彼は言った。「‥‥わたしが交わったのはあくまで観 念としての娘だ。交わるというのは多義的な言葉なのだ」  Ⅱ− 277 青豆は,保を暗殺したあと「少女たちと多義的に交わる4 4 4 4 4 4 4」(Ⅱ− 364)こ ということばをこう理解する。

(17)

‥‥複数のドウタたちがリトル・ピープルのためのパシヴァ=知覚 するものとなり,巫女の役割を果たすことになった。‥‥リーダーが 性的な関係を結んだのは少女たちの実マ ザ体ではなく,彼女たちの分ド ウ タ身で あると考えれば,「多義的に交わった」というリーダーの表現も腑に 落ちる       Ⅱ− 419

青豆が深田保に熟練のストレッチングをほどこしたとき,「二人はそれ ぞれに汗をかき,激しく息をついていた。まるで奇跡的なまでに深い性行 為を成し遂げた恋人たちのように」(Ⅱ− 233),とある。これこそ「観念的」

性行為であり,青豆と保も「多義的に交わった」,と解釈しても差し支え ないであろう。天吾と保の性格の相似性を考え合わせると,この想定を天 吾とふかえりの情交にまで拡大して考えてみることが可能となる。その前 に,放課後の教室で,青豆と天吾に起きたことを振り返らなければならな い。母親の幻影と対照をなすあの原風景を。

11 天吾の「左手」

「証人会」というカルト教団に属していたためいじめられた青豆を,勉 強もでき大柄で腕力のあった天吾がかばったことがあった。すると,

あるときその少女は天吾の手を握った。‥‥放課後‥‥の教室で,

‥‥ほかに誰もいなかった。彼女は何かを決断したように足早に教室 を横切り,天吾のところにやってきて,‥‥躊躇することなく天吾の 手を握った。そしてじっと彼の顔を見上げた。‥‥天吾は‥‥これま で見たこともないような透明な深みを見ることができた。その少女は 長いあいだ無言のまま彼の手を握りしめていた。とても強く,一瞬も 力を緩めることなく。それから彼女はさっと手を放し,‥‥小走りに 教室から出ていった。       Ⅰ− 275 〜 276

この場面は変奏され(Ⅰ− 340, Ⅱ− 86 〜 90, 384, 389),天吾の中で反 芻され,純化され,日に日に明瞭な輪郭を獲得し,やがて,天吾も自分が 純粋に思い続けてきたのが青豆だった,ことを思い知るにいたる。まるで プラトンの想起説のように。

この情景を天吾の記憶に灼き付けたのは,少女の一途な大胆さ,深く澄

(18)

んだ瞳,並外れた握力だった。握られた「左手」の感覚の記憶が定まるこ とは,青豆への純愛の完成を意味した。しかし,それはすぐには定まらな い。天吾が十六章で見るのは,その過渡期に現れる夢である。自分が「固 定されたピース」ではなく,「アメーバのように形を変え続け」,『シンフォ ニエッタ』のティンパニのパート譜が風に散る。すると「ふかえりが‥‥

彼の左手を握」ってくれて,「天吾はかたちを変えることをやめ」「楽譜は もう散らばらなく」なる(Ⅰ− 376)。

青豆の「豆」は英語で「ピース」,アオマメとアメーバはア音とメ音を共有,

青豆の偏平な乳房が憧れるイデアとしての乳房の形をした「ティンパニ」,

純愛を表わす曲の楽譜,愛の賛歌『シンフォニエッタ』,握られた「左手」,

これらをフロイトの説く「綴り字の化学」の文脈に入れると,純愛をめぐ る連想複合が立ち上がり,純愛が記憶の古層に定着していく筋道が見えて くる。定着した記憶は「左手」(Ⅱ− 86,389)に残った少女の指の感触を 媒介にして蘇る。「身体機能を左右する微妙なポイントを瞬時にみきわめ ることのできた」青豆の指は,天吾の心の急所まで探り当てていたのかも しれない。

「少しあとに精通があった[青豆もすぐに初潮を体験,Ⅰ− 402]。‥‥

少女に手を握られたことによって,何かがひっぱり出され‥‥たように

‥‥思えた」(Ⅱ− 87)天吾は,「中学校に進んでからも」「彼女のことを 考えながらマスターベーションをし」,そのとき「いつも左手を使った。

握られた感触がまだ残っている左手だ」。その後,女たちとセックスはし たが,「青豆に手を握られたときに感じたような激しい心の震えを,その 後二度と経験することはなかった」(Ⅱ− 90),と記されている。

青豆に「手を握り締められ」たあと,天吾は「父親‥‥の集金について まわることを拒否」し,「勃起と精通を経験した。それが天吾にとっての 人生のひとつの転機となった」。天吾はこう考える。「彼は長いあいだ左の 手のひらを広げて見つめていた。十歳の少女がこの手を握り,おれの内側 にあった何かを大きく変えてしまった。‥‥二人はそのとききわめて自然 なかたちでお互いを理解し合い,受け入れあったのだ。ほとんど奇跡的な までに,隅から隅まで」(Ⅱ− 384)。左手の記憶は魂の深所に繋がっている。

『空気さなぎ』を書き直すうちに,天吾は,「自らの内にある物語を自分 の作品としてかたちにしたい」と考え始め,「その新たな意欲の中には青 豆を求める気持ちも含まれている」(Ⅱ− 96)ことに心付いてゆく。やが て「びっくりするほど澄み渡っている」「少女の瞳」(Ⅱ− 389)が天吾と

(19)

ともに「月を見ていた」(Ⅱ− 391)こと,二人の運命が「1Q84」という 異次元を経由して結ばれていたことにも気付く。

そうしたある日,公園の滑り台から二つの月を見上げていた天吾は,母 の幻影にはもう襲われなくなった自分を見出す(Ⅱ− 428)。同時に,二つ の月を,今,青豆も見ているに違いないと確信する。「天吾は左手を堅く 握り締め」(Ⅱ− 430)る。その刹那,二つの月を眺めていた青豆が「それ は天吾だ」と「唐突に知る」(Ⅱ− 438)。「彼女にわかっていることはったっ たひとつしかない。今すぐここで彼のその太い腕に抱かれたいということ だ」(Ⅱ− 442)。戒律的な日常から解放され,我知らず女らしさが噴き出 たような青豆のことばは惻々と読む者の胸を打つ。善悪は知りがたい,し かし,「我愛す,ゆえに,我在り」という疑いえない真理を青豆は確認し,

エロスに導かれ,天吾と合体して男女に分列する前の完全体に復帰したい と願いながら死んでいく。

12 青豆と天吾の「多義的な交わり」

ふかえりこと深田絵里子は,「こちらにきてわたしをだいて」「オハライ をする」(Ⅱ− 294)と言う。しばらくすると天吾は勃起し,気がつくと全 裸のふかえりがまたがっている。「身体には感覚がない。身動きもできない。

しかしペニスには感覚はある。‥‥感覚というよりも,むしろ観念に近い かもしれない」(Ⅱ− 304)。

「テンゴくん」とふかえりは言った。彼女がそんな呼び方をするの は初めてのことだった。「テンゴくん」と彼女は繰り返した。‥‥ど うして急におれを名前で呼んだりするのだろうと天吾は不思議に思っ た。‥‥

それからふかえりは右手を伸ばし,天吾の左手を握った。強くしっ かりと‥‥小さな爪が彼の手のひらに食い込んだ。

気がつくと彼は十歳で,小学校の教室にいた。‥‥教室にいるのは 彼と少女の二人きりだ。‥‥少女は‥‥右手を伸ばして天吾の左手を 握りしめていた。彼女の瞳は天吾の目をじっとのぞき込んでいた。

(中略)

やがて少女は天吾の左手を握っていた右手を放し,何も言わず,振

(20)

り返ることもなく,足早に教室を出て行った。

次の瞬間,天吾は自分が射精していることを知った。激しい射精が ひとしきり続いた。

‥‥誰かに見られたら困ったことになる。でもそこはもう小学校の 教室ではなかった。気がついたとき,天吾はふかえりの中にいて,彼 女の子宮に向けて射精をしていた。‥‥

(中略)

‥‥彼の左の手には,少女の指の感触が鮮やかに残っていた。‥‥

青豆4 4,と天吾は思った。        Ⅱ− 304 〜 309

天吾は,ふかえりとの交わりを「感覚というよりも,‥‥観念に近い

‥‥感覚」(Ⅱ− 304)と形容する。他方,深田も「交わったのはあくまで 観念としての娘」,「交わると」は,「多義的な言葉なのだ」(Ⅱ− 277),と語っ ていた。ふかえりと交わった天吾は深い無力感に囚われ感覚もなく身動き すらできなかったが,少女たちと「多義的に交わった」深田も「筋肉の仮 死状態」と「勃起」が続き,「快感」も「性欲」もなく「石のように硬直し」

(Ⅱ− 196 〜 197)たままだった。

こうして比較すると天吾がふかえりを媒介にして,青豆と「多義的に交 わった」ことが明白となる。ふかえりが,突如,「テンゴくん」と呼び始 め,彼の「左手」を握り,「小さな性器に,彼の大人のペニスが入るとは とても思えなかった」にもかかわらず「気がついたとき,彼は既に隅から 隅までふかえりの中に入っていた」(Ⅱ− 303),という表現からもそれは 見て取れる。「隅から隅まで」というやや奇妙な言い方は,十歳の天吾と 青豆が手を握り合ったとき「ほとんど奇跡的なまでに,隅から隅まで」「理 解し合い,受け入れあった」(Ⅱ− 384),という箇所と符合し,ここが主 題の再現部であることが分かる。さらに「奇跡的なまでに」ということば も青豆と深田へのストレッチングのあと「奇跡的なまでに深い性行為を成 し遂げた恋人たち」さながら「汗をかき,激しく息をついていた」(Ⅱ−

233)あの場面にぴったり寄り添う。青豆,ふかえり,天吾,深田の四人は,

相手を変え「多義的に交わっている」ことはモチーフの反復から明らかで ある。

こうして,天吾は,娘を犯した保のように,恭子を媒介にして母親とも 関係し,ふかえりや青豆と交わり,『金枝篇』の王である深田さながら,

(21)

性的放縦に身を任せている。深田の「乱行」が,天吾により再演されてい るわけで,中上健次の『千年の愉楽』12に似た世界が限定的に現れ,深田 に対する一方的断罪の道を封じている。

13 作品が伝えるもの

オウム事件は現代社会における「倫理」とは何かという,大きな問題 をわれわれに突きつけた。オウムにかかわることは,両サイドの視点か ら現代の状況を洗い直すことでもあった。絶対に正しい意見,行動はこ れだと,社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ。

罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄 い。仮説の中に現実があり,現実の中に仮説がある。体制の中に反体 制があり,反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム 全体を小説にしたかった。13

春樹の証言は,この作品の執筆動機の一端を明かすが,天吾と保,リト ル・ピープルと青豆など,対抗する主要人物像を隔てる壁が驚くほど薄い 理由も明かしている。オウムをモデルにしたらしい「密教系の団体」(Ⅰ

− 418)「さきがけ」は,請来目録の中で空海が最澄に見せること拒み,両 者の決裂を招いたとされる禁断の経典「理趣経」14を想起させる。性の法 悦を「菩薩の境地」と説いたこの経典は,愛欲からの解脱を説く仏教が性 の法悦を肯定する二面性を見せ,深田と少女たちとの宗教的な「交わり」

を彷彿とさせるが,ここでは立ち入らない。しかし,次のような青豆の深 田に対する感想は,春樹の言葉に関わってくるであろう。

あの男がこれまでやってきたのは人倫にもとる行いだったかもしれ ない。しかし彼自身は多くの意味合いにおいて普通ではない人間だっ た。その普通でなさは,少なくとも部分的には,善悪の基準を超えた もののように思えた。そしてその命を絶つのもまた,普通ではないこ とだった。それはあとに奇妙な手応えを残していった。普通ではない4 4 4 4 4 4 手応えだ。

彼が残していったものは「約束」だった。約束の重みが,彼女の手 の中にしるし4 4 4として残されたのだ。‥‥このしるしが彼女の手から消

(22)

えることは,もうないかもしれない。       Ⅱ− 360

「約束」とは,青豆の「命と引き換えに」(Ⅱ− 290)天吾の命を救うと いう「約束」である。「手の中」の「しるし」とは,天吾の「左手」を握っ て伝えた思いである。約束が成就する保証は,実は,リーマン予想のよう な素数の法則さながら不可知に近い世界,別言すれば,超自然的な,宗教 的次元にしかない。深田は青豆にいう。「こうして 1Q84 年に運ばれて来た からこそ」「天吾くんが君のことをずっと思い続けてきたという事実を」「知 ることになった」(Ⅱ− 288),のだと。

青豆の一途な愛は,彼女が否定したはずの宗教的ドグマを信じる次元で のみ成就される。青豆には,リトル・ピープルや深田が持つテロリストの 底知れなさと,証人会が育んだ正直で例外を認めない鋭い気持ちの張りが 同居している。純愛には,天吾のガールフレンドとの充足した性生活や,

青豆が享受したゆきずりの男との性の饗宴とは根本的に異なる,ひどく危 険で,運命的で,非合理の,尋常ならざる毒がある。恋を狂気だと言い当 てたソクラテスは,ある意味で正しかったのかも知れない。純愛は,青豆 に見る正常と異常,善と悪との微妙なバランスの上にしか生きられない。

青豆が,かくも活き活きと描かれているのは,善と悪の働き具合が冴えて いるからである。そういった均衡を,青豆や深田が,死をもって維持しな ければならなかった点に,春樹に潜むある種の悲劇性に触れた思いがする。

純愛の生存条件を現代社会は,急速に喪いつつある。純愛は,もう「1Q84」

年という虚数のような舞台を設定しなければ,リアリティを獲得できない,

そんな存在する可能性が狭まりつつある絶滅危惧種に限りなく近づいてい る。

そうした状況をもたらすのは,前号で論じた労働の抽象化による万象の 交換可能性15という資本主義の原理や,認知的複雑性16を低める権威主義 の脅威であろうが,そうした経済的・政治的枠組みの中で生きることを強 いられる以上,現代の純愛は,万象の交換可能性や認知的複雑性の低下に,

かりそめにせよ逆らうことのできる非日常的な場,カルト的共同体やカリ スマ的権威主義を仮想的に無化できる非政治的次元,つまり『1Q84』世界 を想定しなければ,描きえなかったわけで,そこに複雑で謎めいた物語の 必然性が横たわっている,と考えられる。

(23)

謝辞

先行学説の文献調査は,文学研究科日本語・日本文化専攻博士課程の瀧 陽子さんに助けていただき,英文レジメは,ジェイムズ・フィーガンさん に直していただきました。厚くお礼申し上げます。

         

1 引用は,村上春樹『1Q84』全 2 巻(新潮社,2009.5.)の版による。ローマ数字で巻数を,

アラビア数字で頁数を示した。

2 「10 歳で出会って離れ離れになった 30 歳の男女が,互いを探し求める話にしよう,そんな 単純な話をできるだけ長く複雑にしてやろうと。」,『読売新聞』「村上春樹氏インタビュー」

(2009.6.18.)。以下「インタビュー」と略す。

3 名前の音韻と連想分析の方法は,フロイトの『夢判断』(人文書院,1978.8),247 − 254 頁 を参考にした。フロイトは,こうした名詞の分析を「綴り字の化学」(248)と呼んでいる。

4 プラトン,鈴木照雄訳『饗宴』『プラトン全集』第 5 巻,(岩波書店,1974.10.),50 − 55 頁。

エロスに導かれて互いに求め合う天吾と青豆は,二つに引き裂かれた〈アンドロギュノス〉

の譬えにぴったり当てはまる。

5 「空前の売れ行きを示す社会現象本『1Q84』BOOK1・2 村上春樹」『週刊文春』(文藝春秋社,

2009.6.18.),124 頁。ちなみに,この後に続く先行文献で,啓発されたものを列挙する。た だし,本稿と同じような指摘を行なっている文献は見当たらなかった。五十嵐英美「『1Q84』

バカ売れ 読まずに済ます村上春樹」(『サンデー毎日』 2009.6.21.,136 − 137 頁),小川洋子・

伊東武彦「村上春樹『1Q84』秘密作戦で 100 万部」,「小川洋子が読む『現世界への諦観と 希望』」(『AERA』,2009.6.22.,29 − 31 頁),村上春樹「僕の小説は混沌とした時代に求め られる」(『COURRiER japon』,2009.8.,17 − 19 頁),「危機が生じると僕の本が評価され 始める」と述べている。(18),佐倉統「村上春樹 1Q84 社会現象 になった七年ぶりの長編」

(『文藝春秋』,2009.8.382 − 383 頁),「村上春樹は,神なき現代の巫女」(383),福島伸一「村 上春樹『1Q84』現象を読み解く」(『中央公論』2009.8.,26 − 25 頁),加藤典洋「『桁違い』

の小説」(『文学界』「村上春樹『1Q84』を読み解く」特集号,2009.8.,216 − 219 頁)は「中 上健次の『千年の愉楽』,『奇蹟』に近い」,「こんな小さくちっぽけな場面の上に,二巻か らなること大部の小説の絢爛ともいえる世界が構築されている。そう思うと私は『胸が苦 しくなる』。感想を言いたくない,とはこのことである。」(218),と指摘,清水良典「〈父〉

の空位」(同上,220 − 223 頁),「〈父〉が空位の時代―,‥‥一九八四年ごろに一斉に世 界で顕現しはじめていたポスト近代社会とは,我々が自らの欲望の地下倉庫の蓋を開放し,

守るべき掟を葬った時代であった」(223),と述べる,沼野充義「読み終えたらもう 200Q 年の世界」(同上,224 − 227 頁)は,「列挙した謎の多くは宙に浮いたまま」(224),「神な き時代の『父殺し』の物語」(225),と指摘,藤井省三「『1Q84』の中の『阿Q』の影―魯 迅と村上春樹」(同上,228 − 230 頁),三輪太郎・田中和生「対談今夏の 3 大長編を読む―『許 されざる者』『骸骨ビルの庭』『1Q84』」(『毎日新聞』,2009.8.3.)では,三輪が「『空気さなぎ』

を KY の K,空気がドグマとして人を支配する日本の深部のシステムを描いたのではないか」

と指摘している。

6 月本昭男訳『ギルガメシュ叙事詩』(岩波書店,1996 1.),参照。

7 松平千秋訳『バッコスの信女』『ギリシア悲劇全集』第 4 巻,(人文書院,1960.7.)400 − 402 頁。

8 H.L.Mencken, “Yearning Mountaineers’Souls Need Reconversion Nightly, Mencken Finds”, (The Baltimore Evening Sun, July 13, 1925). メンケンは,「スコウプス裁判」のころ,

キリスト教香具師やぺてん師の溜まり場だった山中で,原理主義のオカルト的セクトが開 く,狂気の集会(入信の儀式)を,歴史に残る記事にした。

9 Simon Schama, Landscape and Memory, (New York;Alfred A.Knopf,1996), pp.75 − 134.

(24)

自然保護や森林 保護とナチズムとの関わりを歴史学者として掘り起こしている。

10 村上春樹「踊る小人」『村上春樹全作品 1979 〜 1989』 3(講談社,1990.9.),311 頁。

11 秋山英夫訳『悲劇の誕生』(岩波書店,1981)。

12 (河出書房新社,1992.10.),注 5 参照。

13 前出『読売新聞』「インタビュー」。

14 宮坂宥勝『「講説」理趣経:『理趣釈』併録』(四季社,2005.10.)。

15 拙稿「吉本ばなな『キッチン』と時代―万象が交換可能であるという感性の文学化―」

『Waseda Global Forum』,No.2,( 早稲田大学国際教養学部,2006.3.),79 − 88 頁,および「『資 本論』と『1973 年のピンボール』―マルクス・梶井・村上を繋ぐもの―」『Waseda Global Forum』,No.5, ( 早稲田大学国際教養学部,2008.3.),73 − 83 頁参照。

16 坂元章が唱えた権威主義を量る尺度。アドルノやハンナ・アーレントが行なったファシズ ムの分析では,複雑な状況を単純化して分かりやすくするレトリックに危険な権威主義の 芽を見出している。

参照

関連したドキュメント

While conducting an experiment regarding fetal move- ments as a result of Pulsed Wave Doppler (PWD) ultrasound, [8] we encountered the severe artifacts in the acquired image2.

The first significant density results were those of Weierstrass who proved in 1885 (when he was 70 years old!) the density of algebraic polynomials in the class of

Jin [21] proved by nonstandard methods the following beautiful property: If A and B are sets of natural numbers with positive upper Banach density, then the corresponding sumset A +

Krasnov applied these ideas to the black hole horizon and used the ensemble of quantum states of SU (2) Chern–Simons theory associated with the spin assignments of the punctures on

On the other hand, we need to separate the label 0 from the other labels in F > l -symmetry, since the simultaneous excutions of the final algorithms on objects in each

Given that we computed the M -triangle of the m-divisible non-crossing partitions poset for E 7 and E 8 and that the F -triangle of the generalised cluster complex has been computed

A coloring of the nonzero elements of a ring R (or more generally, a set of numbers S) is called minimal for a system L of linear homogeneous equations if it is free of

If the above mentioned goods, exempted from customs duty and internal tax, are offered for use other than the personal use of yourself or your family, within 2 years after the