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Tokyo Medical and Dental University OECD 1 PISA (Abitur) PISA Abitur O

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ドイツにおける教育問題の現状と課題

シンチンガー・エミ

2001年の年末から2002年の春にかけてドイツの教育界を、そしてドイツ社会全体を震撼させ た出来事が二つあった。OECD1の行なったPISA22000国際調査の結果が2001年12月の第1週に 発表されたことと、高等学校卒業試験並びに大学入学資格試験 (Abitur) の最中の2002年の4 月26日に19歳の少年がエアフルトのグーテンベルグ・ギムナジウムに侵入、銃を乱射して16人 を射殺し自殺するという事件が起こったことである。 PISAの結果は、ドイツの学校教育の現状について大きな疑問を投げかけることになったのだ が、エアフルトの事件は、ドイツ社会全体に様々な問題があり、学校教育だけを変えても何も 解決しないということを示唆することとなった。この二つの出来事に対する反響は実に多大で、 そこで巻き起こった議論は今も続いている。その経過であぶり出されてきた問題点と、その後 公にされた改革のための提案を整理してみたい。 1.エアフルト事件とそこから……3 2002年4月26日、エアフルトのグーテンベルグ・ギムナジウムではちょうどAbitur(高等学 校卒業試験)の真っ最中であった。成績が不十分であるということで試験の2ヶ月前に放校に なっていた19歳の少年が大型銃を持って校内に侵入し、教員11名、生徒2名、秘書と副校長、 そして警官1名を射殺し、自殺した。 この事件は、ドイツ社会に大きな衝撃を与えた。日刊紙『ビルト』は翌日《ドイツ最悪の 日》と書いているほどである。 この事件では主に以下の三つの側面が問題とされることになった。 ①少年が射撃協会の会員として、正式に武器を購入していたこと。この点については、政府も 野党も一致してすぐに大型銃の購入可能年齢を18歳からではなく21歳からに引き上げるべく 法律を改正した4 ②少年は恒常的に暴力的ビデオを見ており、銃撃者の目線で敵を撃ち殺傷するようなセルフ・ シューティング・ゲームと呼ばれるたぐいの、コンピューター・ゲームにも熱中していたこ とから、少年たちに対してはこの種のビデオやゲームの流通を禁止すべきではないかとの意 見が強まった。しかしこの事件では、当の少年がすでに成人とされる年齢5 に達しており、 未成年には入手できないビデオも問題なく入手できたこと、またドイツでは禁止されている ゲームをも多数所有していたことから、コンピューター・ゲーム類に関しては一国内での禁 止が意味をなさないことが露見してしまった。結局は暴力的な映像、ゲーム類をもっと厳し

1 Organization for Economic Cooperation and Development

2 Programme for International Student Assessment

3 事件の内容については、週刊誌 “Spiegel” の18号(2002年4月29日発行)と19号(2002年5月6日発行)での 特集記事を参考にした。 4 シリー内相は皮肉にも4月26日に武器法(Waffengesetz)の改正案を提出するところであった。この事件のた めに直ちにさらに厳しい条件が改正案に付け足され、6月4日に提案され9月4日に議会を通過し12月に発 効となった。その中で大型銃の購入は21歳以上に限定されている。 5 ドイツでは一般に18歳以上が成人と見なされている。

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く取り締まるべきだとの声がなおいっそう強まっただけであった。 ③学校教育に関しても、この事件は様々な、複雑な問題を提起することになった: a)少年は、11年生(日本の高校2年生にあたる)を留年したもののその後も成績が改善せ ず、このままでは Abitur を受験させることはできないとの理由から放校になったわけだが、 ドイツでは生徒が18歳になった時点で、本人が希望しなければ学校は成績等を両親に知らせ ることができないという法律があったため、その後両親には学校から何も連絡がいっていな かった。少年の父は、学校での面談の際に、どんなささいなことでも少年に問題があるとき にはすぐに連絡してくれるように教師たちに頼んでいたにもかかわらずである。少年は偽の 通知票を作って両親に見せていたため、事件当日まで家族は少年が放校になっていたことす ら知らなかった。両親は当日少年が受験のために学校に行っていると思っていたのである。 このことについて週刊誌『シュピーゲル』が4月30日から5月2日にかけて行なったアンケ ートでは79パーセントの回答者が、たとえ生徒が18歳以上でも、両親に成績を知らせないの は間違っていると答えている。(正しいと答えたのは17パーセントだけであった。)6 b)この事件が提起したもう一つの問題点は、エアフルト市のあるテューリンゲン州では、 高等学校卒業試験に合格しなかったギムナジウムの生徒には、どのような学業修了資格も与 えられてこなかったということである。 この問題はドイツにおける学校教育全体に関わるものであり、複雑なものでもあるので、 ここで詳しく見てみたいと思う。 2.ドイツにおける学校教育制度とその問題点 ドイツは16の州からなる連邦国家であり、各州には様々な自治の権利が与えられている。教 育は州の権限で行なわれており、連邦政府は提言はできるものの、教育についての決定権はも っていない。そのため詳しく見てみるとドイツ国内でも州ごとに教育制度に微妙な差が存在し ている。 ドイツでは基本的には満6歳になった時点で小学校 (Grundschule) に入学が許可される。小学 校は原則として4年であるが、州によっては6年としているところ、あるいは5年と6年を移 行期間としている州もある。小学校を終える時点で、子供の適性を見ながら進学する学校の種 類が決められる:基本的には a) 9年生までHauptschule (基幹学校)に通い、その後働きなが らさらに1年職業学校に通うコース、b) Realschule (実業学校)に10年生まで通い、その後事 務的な職業に就くコース、c) 13年生まで Gymnasium (高等学校)に通い、高校卒業試験並び に大学入学資格試験 (Abitur) を受験して、その後大学に進むコース、この3つの選択肢があ る。(ただしテューリンゲン州とザクセン州だけでは Gymnasium は12年までである。) 将来を決定することになるコースの選択がずいぶん早期に行なわれるような印象だが、生徒 が三種類の学校間で移動をすることは、成績などの条件をクリアすれば難しくはない。また6 0年代後半からは、教育の平等性を高めるということで、三種類の学校を統合した総合学校 (Gesamtschule) の制度を導入する州が多く存在した。総合学校では、コースの選び方によって、 三種類のどの学校の卒業資格も目指せるようになっている。 さて、Gymnasium では一定の成績を収めないと進級も卒業試験の受験もできないし、卒業 試験も2回までしか受験できない。つまり卒業できずに学校を去らねばならない者がいるわけ

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だが、ほとんどの州では11年生に進学できた時点で、実業学校卒業と同等の mittlere Reife とい う資格が与えられる。(いくつかの州では10年生から11年生の進学時に mittlere Reife 取得のた め の 試 験 が 行 な わ れ る 。) し か し テ ュ ー リ ン ゲ ン 州 だ け は 、 卒 業 試 験 に 合 格 し な い で Gymnasiumを去る生徒に何の資格も与えてこなかった。つまり小学校卒業後の7年間の Gymnasiumでの学業に対して何も認められないということになってしまうのである。 エアフルトの事件のあと、このことが少年を絶望させ、凶行へと駆り立てたのではないかと いう批判がなされ、テューリンゲン州はGymnasiumでの10年生の終わりにmittlere Reife 取得の ための試験を今後は導入することを決定した。 しかしこの小さな改革で、ドイツの学校教育の問題が解決したわけではない。そもそも2001 年12月に発表された Programme for International Student Assessment (PISA) の結果がドイツの学 校教育に対して深刻な現実を突きつけており、ドイツにおける教育問題についての取り組みは まだ始まったばかりなのである。 3.PISA の衝撃 PISAとは7 OECD加盟国の教育状況を調べるために定期的に行なわれている国際調査であり、 PISA2000はOECD加盟国28カ国の他にブラジル、リヒテンシュタイン、レットランド、ロシア 連邦が参加して2000年初夏に調査が行なわれた。それぞれの参加国で4500人から1万人の15歳 の生徒たちが読解能力 (Reading Literacy)、数学基礎能力 (Matematical Literacy) そして自然科学 基礎能力 (Scientific Literacy)を問う同一のテストを受け、また自分たちのおかれた家庭、社会、 学校の状況に関する質問にも答えた。それと同時に、生徒が試験を受けた学校の担当者たちも、 自分の学校についての質問に答えた。またPISA2000参加国の中で自国の教育状況について詳し く調べたいという国は、PISAの設問を利用して独自にもっと広範囲の調査をすることも許され た。 ドイツでは、219の学校の計5000人の生徒がこの国際調査に参加したが、州の間で教育制度 の違いによる格差があると考えられ、また学校の種類によっても格差があると考えられるので、 独自の国内調査として1466の学校の計5万人の15歳の生徒に対して試験が行なわれた8。(ドイ ツの国内調査に関しては2002年にその結果についての研究が出版されている9 国際調査の結果は、発表されるやいなやドイツ国内で大きな反響を巻き起こした。平均点の 国際比較で、ドイツが読解については参加32ヶ国中21位、数学と自然科学ではそれぞれ20位と いう結果がでたため、マスメディアがこぞって取り上げたのであった。2001年12月10日号の 『シュピーゲル』の表紙には、居眠りしたり、携帯をしたり、ぼんやりしたりしている生徒た ちの前で髪をかきむしる教師の漫画に《ドイツの生徒たちは馬鹿なのか?》という表題が踊っ ている。自分たちの国は思想家と詩人の国という自負のあるドイツ人にとって信じられない結 果だったのである10。いったいなぜこのような結果になったのかとの考察も行なわれた。様々

07 PISA 2000とその内容、結果については、ドイツPISA実行委員会が2001年12月に出版した PISA 2000

Basiskompetenzen von Schülerinnen und Schülern im Internationalen Vergleich, Deutsches PISA-Konsortium hrsg.,

Opladen, 2001(以下PISA 2000と略)による。

08 同上 15ページから19ページ参照。

09 PISA 2000−Die L¨ander der Bundesrepublik Deutschland im Vergleich, Deutsches PISA-Konsortium hrsg., Opladen, 2002.

10“Deutschland, das Land der Dichter und Denker, ist abgeh¨agt.”「ドイツ、詩人と思想家の国、はおいて行かれた。

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な日刊紙、週刊誌が特集を組み、急遽、政財界、教育界の有識者による教育問題についての論 文集11や、また教育学者によるPISA後の教育改革についての本12も出版され、『シュピーゲル』 は連続12週にわたって教育についての特集を組み、PISA2000のドイツ国内の調査結果が発表さ れ、ドイツ中がさながら教育改革熱に浮かされているまさにそのときにエアフルトの事件は起 こったのである。 4. 教育改革議論の争点 ①PISAの結果の中でまず問題とされたのは、読解力の試験でドイツの生徒たちの間に大きな開 きがあったことである。 ドイツは参加国中で一番、良くできた生徒とできなかった生徒の差が大きかったのであ る。 この試験の問題は、複雑さと理解の難易度に応じてⅠからⅤまでの5つのグループに分け られており、Ⅰの問題のレベルに達していないというグループも含めて、生徒はその試験結 果によって6つの内のどのグループに属するかがわかるようになっている。ドイツは最高の Ⅴのグループに属する学生が全体の8.8 パーセントに達しており、参加国平均の9.5に対して それほど劣っているわけではないが、最低のⅠのレベルにも達していないという学生が全体 の9.9 パーセント、ほぼ10パーセントもおり、これは参加国平均の6.0パーセントを大きく上 回っている。Ⅰ以下の学生の割合だけを見ると、ドイツは参加国中27位、下から5番目とい う結果なのだ。 読解力は社会生活を送るための重要な条件であり、読解力の高さと社会的地位の高い職業 に就いていることとの間には明確な関連性があることがOECDの行なった International Adult

Literacy Survey の結果にも現われている現在13、読解力のきわめて低い生徒が多いというこ とは危機的な状況といえよう。PISAでは試験をすると同時に学生たちの社会的、家庭的な背 景についても調査を行なっているので、この結果の背景も分析することが可能となる。読解 力Ⅰ以下のグループの3分の2は男子生徒である。このⅠ以下のグループの34パーセントは 特殊学校 (Sonderschule) の生徒であり、50パーセントは基幹学校 (Hauptschule) の生徒である。 残りの7パーセントが総合学校 (Gesamtschule)、5パーセントが職業学校 (Berufsschule)、4パ ーセントが実業学校 (Realschule) の生徒である。つまり学校の種類によって読解力の差がは っきりしている。また特徴的なのは、このグループの生徒の内47パーセントは自身も両親も ドイツ生まれで、母国語はドイツ語であると答えていることである。自身が外国生まれで親 も一人以上が外国生まれだと答えたのは37パーセント、残りの17パーセントは、自分はドイ ツ生まれだが両親のどちらか、あるいは両方が外国生まれだと答えている。つまり、これま で考えられていたような、「ドイツ語に問題があるのは外国からきた子供である」というよ うな単純な考え方だけでは通用しないということである。 では、母国語と読解力の問題に全く関連はないのであろうか?別の観点から見てみると関 連があるのがわかる。つまりドイツ語が母国語であると答えた生徒全体の中では、6パーセ ントだけがこのⅠ以下のグループに属しているのに対して、自身、そして親の一人以上が外 国生まれという生徒全体の中では25パーセントなのである。(自分はドイツ生まれだが両親

11 Nach dem PISA- Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, hrsg. Bernd Fahrholz u.a., Hamburg, 2002. 12 Nach PISA, Ewald Terhart, Hamburg, 2002.

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のどちらか、あるいは両方が外国生まれであると答えた生徒全体の中では14.3パーセントが Ⅰ以下のグループに属していた。)14 ドイツに住む外国人の割合は現在ほぼ9パーセントであり、EU平均の5.4パーセントを大き く上回っている。ベルリンの一部地域やルール地方の一部の地域では、新入生の75パーセン トが外国人であるという。その多くが入学時にはドイツ語を理解していないともいわれてい る15。このような状況では、外国人のためのドイツ語教育が非常に重要だということははっ きりしている。2000年から2001年の間にドイツの学校で教育を受けていた生徒の9.5パーセ ントは外国人であった。特殊学校では14.9パーセント、小学校では11.8パーセント、基幹学 校では17.3パーセント、総合学校では12パーセント、実業学校では6.4パーセント、高等学校 では3.9パーセントの生徒が外国人である16。こうしてみると明らかに、外国人であるという ことは難易度の高い学校へ行こうとするときにハンディ・キャップとなっている。 ドイツでは、過去の苦い経験から、違う文化に対して寛容でなければならないという意識 が強い。そこで、ドイツ国内に暮らす外国の人々に対しても、それぞれの宗教や生活習慣を 続けられるような配慮がなされている。日本人であれば、たとえばデュッセルドルフの一地 域に住めば、日本と同じようにドイツ語を使わずに暮らせることを知っているであろうし、 ベルリンやフランクフルトのいくつかの地域では、アラブ系の国にいるように全くドイツ語 を使わずに暮らすことが可能である。違う文化に対して寛容であることはもちろん非常に大 切なことであるが、様々な文化集団が孤立して存在し、その間のコミュニケーションが行な われないのであれば、それは真の意味の文化の多様性ということとは違うのではないか、と いう議論が最近起こりつつある17。様々な文化集団が一緒に暮らしていく際に、ただお互い に無関心でいてはいけない、という意識が少しずつ高まってきているのである。外国人の生 徒の中にドイツ語を覚えようとしない生徒がいるという問題も、ひいてはドイツ語ができな くてもドイツ国内の自国文化圏の中で生活していける、ということが一つの要因となってい る。 もちろん文化の違いということは言葉だけの問題ではない。生活習慣、社会的通念など違 いは実に多岐にわたるために、学ばねばならないことも実に多い。家庭内でそれらが学べな いのであれば、やはり学校で教え、練習していくしかない。そこで学校を学びの場としてだ けでなく、社会生活を練習する場としてとらえていこうという意見が多くなってきている。 学校を学びの場であると同時に社会生活の練習の場としてとらえるということは、外国人の 生徒にとってのみ重要なのではない。核家族化と共働きの影響によって、ドイツ人の子供た ちも家族と過ごす時間が極端に減ってきている。親が子供のために費やす時間も極端に減っ ているのだ。家族省が調べた数字では、6歳から12歳までの子供に対して親が1日に費やす 時間は平均すると世話一般と読み聞かせのために母親が45分、父親が16分、遊びやスポーツ や散歩などに母親が10分、父親が9分、勉強を見るために母親が10分、父親が2分、12歳か ら16歳の子供に対しては世話一般と読み聞かせのために母親が16分、父親が4分、勉強を見 14PISA 2000, S.117 Z.31- S.118 Z.34. 15Der Spiegel, Nr. 20, 13. Mai 2002, S.99. 16Der Spiegel, Nr. 50, 10. Dezember 2001, S.67.

17残念なことに昨年9月11日のテロ事件の首謀者たちがドイツで暮らしていたということがこの議論のきっか

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るために母親が4分、父親が2分しか費やしていない18。子供たちが平均的にテレビの前で 過ごす時間と比べてみれば、これがいかに短いかがわかるであろう。(PISA2000の調査では19 テストを受けたドイツの15歳児の1日にテレビを見る時間の平均は、1時間以下が9.7パー セント、1時間から3時間が47.5パーセント、3時間から5時間が24.6パーセント、5時間 以上も18.2パーセントいる。)このような状況であるにもかかわらず、ドイツの学校は現在 でも基本的に半日制である20(もちろん週休2日制である。)これは、学校は知識を学ぶ場 所であり、情操教育やしつけは家庭で行なわれるべきものという考え方に由来する制度であ るが、このような考え方が今日の現実からいかにかけ離れているかは、先ほどの親が子供に 費やす時間の統計を見るまでもなく明らかである。 ニーダーザクセン州の州知事ジグマー・ガブリエル21は、PISAの後に発表された論文の中22 で次のように述べている。 「私たちの社会の変化は子供たちと若者たちの経験を変えてしまった。社会的な(行 動の)練習の場が消失したために、マスメディアによる刺激が氾濫し、彼らの感情を貧 弱にしていることはすでに周知の事実である。また、都会でも田舎でも、ますます多く の児童が、遊びと想像力のための場を持たなくなっている。以前にはあったような健全 な地域社会や家族構成は、すでに存在せず、そのことによって社会性とコミュニケーシ ョン能力の衰退がひきおこされている。また感情世界のオリエンテーションを、子供た ちだけでなく私たち大人も同様に失ってしまっている。これらのことは私たちの民主的 な共同体を脅かし始めている。…〈新しいタイプの学校〉では、社会的な要素、道徳的 価値観に沿った要素、そしてコミュニケーションの要素が中心にならなければならな い。」23 彼は、そのためには、学校は4つの場としてとらえられるべきだと提唱している。1.能 力(開発)の場、2.生活と体験の場、3.成長の場、4.社会の中での方向感覚を養うた めのオリエンテーションの場である。そしてそのような場には時間が必要だとも主張してい る。彼は「未来の学校は全日制の学校になるだろう」24と断言している。もちろん彼だけで はない。 現在ドイツの家族省の大臣であるクリスティーネ・ベルクマン25も、学校を全日制にする ことと、幼稚園、保育園を増やすことが、同じ理由から非常に重要であると論じている。同 じ論文集の中で彼女は次のように述べている。 「ドイツでも幼稚園、保育園と全日制の学校を要求する声が高くなってきている。以 18 Spiegel Spezial, Nr.3, 2002, S.61. 19 PISA 2000, S.487. 20 ドイツでも特に私立学校では全日制が多いが、そもそも私立学校の数がきわめて少ない。また公立学校の中 にも全日制が全くないわけではない。一番多いのはベルリンで、ここでは公立学校の32パーセントが全日制 である。しかし、ドイツ全体では公立学校の約6パーセントだけが全日制で、全日制の公立学校がほとんど 無い州も多い。Spiegel Spezial, Nr.3, 2002, S.64 参照。 21 彼は大学では政治学、社会学とドイツ文学を専攻し、政治家になる以前は成人教育の仕事をしていた。

22 Nach dem PISA-Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, hrsg. Bernd Fahrholz u.a., Hamburg, 2002, S.28-35. 23 ebd. S.32, Z.6-27

24 ebd. S.34, Z.29-30

25 彼女は薬学を勉強して薬剤師として働いた後、旧東ドイツの薬剤研究所の情報部門で働いた。1991年から

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前は女性と家族のための政策としての理由で要求されていたのだが、今日では教育政策 という理由からその要求が強くなっている。… 家族の形は変わったのだ。今日では夫 婦の共働きがますます普通のことになっている。… 家庭と仕事とが両立可能であると いうことが、社会のどの層にとっても、そしてまた経済団体にとっても、将来を決定す るほどに重要な問題だと認識されている。… 将来の教育と人生のための基礎はすでに 早い時期に築かれる。学校に入るずっと以前から子供たちは知的好奇心を持ち、新しい ことを覚えることに貪欲である。… そこから小さな子供たちの一生涯続く学ぶことへ の喜びを引き出すことができる。ただし小さな子供たちが十分に奨励され、支援されれ ばである。幼稚園が教育に貢献すべきであることが1991年以来、児童援助法によって定 められているにもかかわらず、この国では早い時期から教育を行なうということに対し て相変わらず消極的である。… 伝統的にドイツでは、子供たちを最初の数年間慈しみ、 成長を促すのは、家庭の役割、特に母親の役割だったからだ。… (しかし)幼稚園の 時期によく奨励され支援された子供ほど言語能力が向上し、高度な学校へ進む割合が高 くなっている。… ドイツでは全日制の学校も、ヨーロッパの他の国々と比べると軽視 されている。ここでも研究によって、特に学年が低い子供たちにとって、そのことによ る能力のより良い発展が証明されているにもかかわらずである。全日制の導入はすべて の学校制度において学校教育改善の重要な要素となるであろう。… 全日制の学校を増 やすということは、家庭的な背景や出身に関係なくすべての児童に機会を均等に与える ための大切な一歩なのである。」26 では、なぜ、これほど重要と思われている全日制が全面的に導入されないのであろう。そ こには様々な問題が絡み合っている。上述したような各州の教育自治の問題ももちろんその 一つである。公立学校にしめる全日制の割合が、ベルリンでは37パーセントなのに対し、バ イエルン州では1パーセント以下というように州ごとに大きな開きがあることを見れば27それ は明らかである。もちろんこの違いは、上に述べたような教育、しつけ、家庭に関する考え 方の違いからきている。だが、軽視してはならないのは経済的な側面である。現在ドイツは 緊縮財政の中にある。EU規定を満たすためには、財政赤字を急速に縮小しなければならな いのだ。財政的に破綻に近い州も少なくない。全日制にしたほうがよいとわかってはいても、 これまでと同じやり方では実現は難しいだろう。そこで考え方を変えるということが必要に なってくる。リンダ・ライシュ28は、PISA の後に発表された別の本の中で次のように述べて いる29 「小さな人が、8歳か9歳までの間に社会的な行動を練習しなければ、学校はそれ以 降は何も変えることはできない。好奇心、独立心そして言語能力と知覚認知能力は早い うちに訓練されなければ後では遅すぎるのだ。… 機会の均等はずっと早くに無効にな っているのである。大学の学費は無料なのに30なぜ幼稚園に行くのにはお金が必要なの か?このことを論理的に私に説明できた人は誰もいない。《先に投資する方が、後にな

26Nach dem Pisa Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, S. 125−129. 27Spiegel Spezial, Nr.3, 2002, S.64参照。

28比較文学を専攻した後ベルリン自由大学の計画部、ベルリン議会の学術研究部門、ボンの社会民主党本部な

どに勤務、フランクフルト市の文化部長も勤めた。 29Nach PISA, Ewald Terhart, Hamburg, 2002.

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って修理するよりも良い》とマッキンゼーのユルゲン・クルーゲも言っている。彼は正 しい。経済学的にも、また人生的にも。… 幼稚園の、特に全日制の幼稚園の席はまだ まるで足りていない。非常に幼い子供の7パーセント分は保育所に席があるが、(最低 でも)30パーセント分は必要である。若い母親の80パーセントはもっと働きたいと思っ ているが、子供を預けられないのでできないでいる。フランス、ベルギー、スペインと スウェーデンでの女性の就業率がドイツよりもずっと高いのは理由があるのである。こ れらの国では教育施設が全日制であるということは当然のこととなっているのだ。… 小さな子供たちには私たちが考えているよりもっと可能性がある。彼らの興味や能力は 引き出してやらねばならないし、好奇心や自信は高めてやらねばならない。他の子供た ち(人たち)とのつきあい方はもっと練習されねばならないし、読むこと、書くこと、 計算することの喜びはもっと早いうちから教えられねばならない。そのためにはすばら しい教育を受けた多くの先生がいる全日制の幼稚園と学校がもっとたくさん必要であ る。… 教育政策の重点は早期教育と小学校に置かれなければならない。」31 ドイツが小学校教育を軽視していることが OECDの新しい発表にも現われていると、『シ ュピーゲル』の11月4日号でも報告されている32。1999年一年間にドイツが小学校の生徒一人 のために使った金額は、平均4000ユーロで、OECD加盟国の平均よりもずいぶん低いという のである。(ちなみにデンマーク、アメリカ、オーストリアなどは7000ユーロ支出している。) それに比べて高等学校 (Gymnasium)上級生には年間10100ユーロを支出しており、その格差 が問題となっている。この記事の中で、OECDの教育統計学者アンドレアス・シュライヒャ ーも「ドイツでは大学の学費については考えられてもいないのに、幼稚園の費用は個人が負 担しなければならないのはおかしい。」と論じている。ドイツにおける幼児、初等教育と高 度教育との間の格差は、はっきりと認識され、問題とされつつある。 ②次に多く論じられているのは、もっと学校に独自性、自主性を与えなければならないという 点である。ここでもまた『シュピーゲル』の11月4日号に先例となるような記事がある33 ヴィースバーデン市の改革モデル校であるヘレーネ・ランゲ学校では、州によって定められ ている授業計画には従わず全く自由な教育が行なわれているが、この学校の生徒たちが、 (ドイツ国内で行なわれた)PISA試験ではどの分野でも非常に高得点だったのである。この 学校の生徒の試験の平均点は読解では579点であり、国際比較で最高得点であったフィンラ ンドの546点よりも高く、ドイツの平均である484点を大きく上回っている。自然科学では 598点で、国際比較1位の韓国の552点を上回り、またドイツ平均の487点を大きく引き離して おり、数学でも国際比較1位の日本の557点には及ばなかったものの540点と、ドイツ平均490 点を大きく上回っている。変わった学校として近隣でも有名なこの学校がこのような好成績 になろうとは、予想もされていなかった。なぜなら、ヘッセン州の改革モデル校に指定され たことで、決められている教育内容に沿って授業を行なわなくても良いこの学校では、実に 自由な授業が行なわれてきたからである。最低でも週に4時間は、生徒たちが計画した授業 が行なわれていて、様々なプロジェクトや見学、ボランティア活動などが目白押しである。 勉強の成果は口頭発表の会や展覧会など何らかの形で発表される。特に力を入れているのは

31 Nach PISA, Ewald Terhart, Hamburg, 2002, S.11-13.. 32 Der Spiegel, Nr. 45, 4. November 2002, S. 72. 33 Der Spiegel, Nr. 45, 4. November 2002, S. 74-76.

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演劇で、何週間もかけて生徒たちがすべて準備し上演する。そのほかのことでも勉強したこ とはなるべく実践、体験してみるという授業が大半である。このような授業の進め方には膨 大な時間がかかるので、普通の学校で習う授業内容よりずいぶん少ない内容しか扱えない。 5年生、6年生は成績表も無いし、それ以降も留年はない。にもかかわらず(この学校は10 年までの総合学校なので)10年を終えて他のギムナジウムに移る生徒は、すばらしい成績だ というのである。もう一つの問題の資金不足、演劇や様々なプロジェクトはお金がかかるが、 そのための資金は生徒たちが校内の清掃を行なうことで、清掃費にかかる料金を市から払っ てもらいまかなっている。この学校の校長エンヤ・リーゲルは、記事の中でこの学校で教え たいのは、生徒たちが自発的に勉強すること、そして自分のしていることに責任を持つとい うことだと言っている。学校に必要なのはすべての面における、したがってもちろん経済的 な面でも、自立性、独自性だと彼女は言っている。そして他の学校との競争だと。できるな らば人事についても自由裁量が必要であると。(ドイツでは教師は公務員であるので、州か ら派遣されており、普通は学校が自由に教師を選ぶことはできないというのが現状である。) 学校にもっと自由と自主性が必要であるという意見は、他にも多くの人が主張している。ザ ールランド州知事ペーター・ミュラー34もその一人である。 「目的は、親と教師、学校と大学の教育に対しての自己責任を強化すること。… 教育 組織の自治。官僚的な強制を減らしてゆき、国が教育の舵取りをするのをやめること。 … 必要なのは学校の手に自分の学校の予算がゆだねられることと、人事の決定権がゆ だねられること、独自性、特徴を学校自身が決められること。同時に親のほうにも自分 の子供に一番適していると思われる学校を選ぶ権利が与えられねばならない。」35 彼は同じ論文の中で、すべての4歳児に幼稚園の席が用意されているようにすべきだ、学 校を全日制にすべきだ、という意見も述べている。自由民主党の党首ギド・ヴェスターヴェ レ36も同じ本の中で次のように述べている。 「ドイツの教育システムが早急に必要としているのは、教育現場がそれぞれの自己責 任で行動するための自由である。… 中期的に必要となってくるのは、教育現場に独自 性と自己責任をもたらすために文部相会議37から権力を移行することである。38 ④大学についても同じように自由を導入すべきだ、たとえばそのためには学費も導入すべきだ という意見を上記に引用した多くの人たちが述べている。ペーター・ミュラー、ギド・ヴェ スターヴェレ、そしてリンダ・ライシュもである。大学について大企業ベルテルスマンの役 員トーマス・ミッデルホフ39は次のように言っている、問題なのはドイツの大学に魅力のな いことで、多くの将来性のある研究者は外国へ流出してしまう。ドイツの大学は官僚的、事 務的にすぎて、はっきりした研究目標や専門の研究に関する援助が少なすぎる。そこでもっ 34法律と政治の勉強をし、国家試験の後は判事として、同時にザールブリュッケン大学の講師として働いてい た。

35Nach dem Pisa Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, S. 36-43.

36法学博士、2001年から自由民主党 (FDP) 党首。

37ドイツ内での教育についての最終決定権は、州の文部相たちが集まった文部相会議 (Kultusministerkonferenz)

にある。

38Nach dem Pisa Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, S. 74-80.

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と大学に自由を与えるべきだ。入学者選抜の権限は個々の大学に与えるべきだし、学費も積 極的に導入すべきだ。機会均等のためには(学生が将来返却する)融資の形の奨学金を増や せばよい、そしてもっと企業に大学のスポンサーになってもらえばよい。企業は良い研究者、 良い人材の育成に興味があるのだから。40 5.まとめ PISAのそしてエアフルト事件のあと行なわれた教育問題に関する様々な議論は、大きくは次 の点にまとめることができるだろう。 ①幼児教育、小学校教育に重点が置かれるべきである。そのためには、保育園、幼稚園 の数を増やすべきであるし、学校を全日制にすべきである。 ②学校にはもっと自由と独自性が認められるべきである。そのためには、様々な規制が 緩和されねばならず、様々な法律も改正されねばならない。連邦政府と16の州、そし て地方自治体が一つになって教育改革を進めて行かねばならない。 ③大学等にももっと自由と独自性が認められねばならない。入学許可の権限は各大学に 与え、自由に使える予算を確保するために学費の導入も考えねばならない。また、産 業界、経済界との連携ももっと活発にされるべきである。現在大学等に使っている予 算は、幼稚園や小学校のほうに回すべきである。 しかし、実は、ここまでこの拙論の中でふれてこなかったことも盛んに議論されている。そ れは教育の内容についてである。もちろん教育の枠組みと学校の条件の問題と同じように、い やそれ以上に教育の内容が重要であることは言うまでもない。内容の問題に言及することはし かし、この拙論の枠を大きく越えてしまうことになるだろう。そこで二・三の代表的な意見を あげておくにとどめたい。 21世紀は価値観について考え直す世紀だと提唱しているのは、農業・食品および消費者保護 省の次官のマティアス・ベルニンガー41である。教育機関には、社会的な価値観と規範を伝え るという重要な役割があり、この中には、民主的な考え方、人権意識、社会的な責任感などが 入っているのはもちろんだが、自然環境保護の意識、次世代に対する責任感なども含まれねば ならない、と。そして学校で勉強すべき重要なことは、判断能力と、衝突や対立を暴力を使わ ずに話し合いや妥協で解決していく社会的能力などである、と。これらの意識を育て能力を開 発するためにはとても時間がかかるのだから、そのためにこそ全日制の学校が重要なのだとい うのが彼の意見である。42 ドイツのこれまでの教育の内容も決して悪くはないのだから、良いところは認識して残すよ うにと注意を促しているのは、トーマス・ミッデルホフである。彼はドイツで会社に入ってく る若い人たちは良い教育を受けていて、特に科学的視野が広い点で優れていると言っている。 広い視野で様々な知識にふれてきた人たちは、考察能力が高いし、変化に対する対応も機敏で、 必要とされる新しい能力を開発することが容易である。つまりドイツは情報社会の最先端にあ

40 Nach dem Pisa Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, S. 82−87.

41 化学と政治学を専攻した後、1997年から2001年まで緑の党の大学問題担当であった。その後は政府の学術・

研究・技術開発委員会と財政委員会の委員であった。 42 Nach dem Pisa Schock, Plädoyers für eine Bildungsreform, S. 22−27.

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るための可能性を持っているというのである。 1989年から1991年まで内相を務めたヴォルフガング・ショイブレ43は、普遍的な教養教育、 フンボルトが理想としたような、職業訓練の対極にある人間教育の重要性を説いている。知識 が増えすぎ、また刻一刻と増えていて、すべてを知るということが不可能である現在、教育に 求められるのは、知識や経験をもとにして決断を下す能力を身につけることだ、と彼は説く。 そのためには情報を評価する能力が必要であり、読み、書き、計算する能力が不可欠なのだ。 また21世紀には、社会の中で平和に共存していくということがとても重要になり、価値観や道 徳観の教育も必要であると彼は言う。そのためには文化、文明のもたらしたものに目を向け、 歴史や文学を学び、倫理や政治について学ぶことが必要だというのが彼の意見である。44 PISAの結果とエアフルトの事件が契機となって、教育改革について多くの議論が交わされ、 様々な意見が、社会のいろいろな立場の人々からでてきたことは確かに喜ぶべきだが、本当の 改革は、連邦政府、州政府、地方自治体、教育機関、教育者、親たち、そして子供たちすべて が一つとなって押し進めていかなければ実現はできないだろう。教育改革の必要性は過去にも 数え切れないほど叫ばれてきて、結局はうやむやのうちに終わっている。先日、文部相会議 (Kultusministerkonferenz) がこれからは教育についてドイツ内で統一して改革していくと発表し た。問題点もその克服の妨げとなるものも見えてきている今日、この動きがかけ声だけに終わ らないことを祈りたい。 43法学博士、2000年からはキリスト教民主同盟 (CDU) の執行部の一員である。

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