キ
ャ
ロ
ラ
イ
ン
王
妃
事
件
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ー イ ギ リ ス王 室 と 民 衆 ・ 世 論 1古
賀
秀
男
キ ャロ ヲィ ン王妃 事 件 を ど うとら え るか は じ め に 一 八 二〇 年 は、 一 月 に即 位 し た 夫 ジ ョ ー ジ 四世 か ら 長 ら く 排 斥 さ れ 、 ' 離 婚 を 迫 ら れ て いる キ ャ ロ ラ イ ン王妃 を擁 護 す る運 動 が 、 中 流 階 級 と 下 層 民 衆 の改 革 派 、急 進 派 を中 心 に女 性 を含 む 広 範 な国 民 大 衆 を 結 集 し て熱 狂 的 に燃 え 上 が っ た と き で あ り、 本 来 は 王室 内 の私 的 な 事 柄 であ っ た も のが 、 国 を あげ て の 一 大 政 治 的 、 社 会 的 事 件 と な っ たと き であ る。 こ の出 来 事 に ﹁ キ ャ ロ ラ イ ン王妃 事 件 ﹂ ( O 償 ① o 口 O 霞 9貯o Q 崩 蝕 吋 ) と いう 呼 称 を 最 初 に用 い た の は G ・ M ・ ト レヴ ェリ ア ンと さ れ て い るが 、 肖 キ ャ ロラ イ ン王 妃 運 動 ﹂ ( ◎ 器 Φ 口 O 爰o }首 o ⇔ α登 陣雷 甑 o け ) ② と す べ き と いう 主 張 も あ る。 同 時代 の 急 進 派 の評 論 家 ウ ィツ ア ム ・ヘ イ ズ リ ット は、 そ の状 況 を ﹁ 大衆 の 感 情 を こ れ ほど 徹 底 し て興 奮 さ せ た こと は今 ま で に覚 え が な い 。 そ れ は 国民 の 心 の 中 に突 然 根 っ こを 突 遂 込 み、 王 国 内 のあ ら ゆ る 住 宅 や 小住 居 に 入 り込 み占 拠 し た。 ⋮ 商 売 憶そ っ ち のけ にな り 、人 々 は 楽 し む こ と を忘 れ、 彼 ら の食 事 さ え 二 の次 にな っ て、 王 妃 の裁 判 ︹貴 族院 によ る︺ の 結 果 が ど う な る か と い う 宅乏 だ け 七 か考 え な く な 汐 た。 ⋮ ⋮ そ れ は国 内 の 津 塘浦 々 ま で広 が り 、 王 国 全体 に 野 火 のよ う に広 が っ た。 大 衆 の心 は電 撃 的 興 奮 に包 ま れ た﹂ と記 録 し、 王妃 派 の 論 客 ウ ィリ ア ム ・コベ ット は ﹁ し ば し の 間 、 イ ング ラ ンド のあ ら ゆ る会 話 と文 章 を牛 耳 っ たし と述 べ た。 父 ジ ョージ 三 世 と は対 照 的 に、浪 費 家 、遊 び人 で多 大 の 借 金 を議 会 に肩 代 わ り さ せ、 女 性 関 係 も 賑 々し か っ た ジ ョ 1 ジ 四世 ( 皇 太 子 、 摂 政 ) は、 過 去 を 清 算 す る ぺ く 従 兄妹 のキ ャ ロ ラ イ ンを 正式 な妃 に選 ん だ 。 翌 一 七 九 六 年 一 月 王 女 シ ャー ロ ッ ト が 生 ま れ た後 夫 妻 は別 居 し、 キ ャ ロライ ン は王 室 から 遠 ざ け ら れ 、失 意 の 彼 女 は 一 八 一 四年 に大 陸 へ 移 っ た。 一 八 二〇 年 、 王 妃 の地 位 を 求 め て 大陸 か ら帰 国 し た 同妃 に 対 し て、 国 王 は頑 な に拒 否 し 、 不 貞 を 理 由 に 貴 族 院 によ る 裁 判 を 通 し て法 的 な離 婚 を推 し進 め、 王 室 から 緋 除 し よ う と し た 。 王 妃 を 支 持 す る動 き は、 こ こ に親 王 妃 運 動 ( 鷲 o -O 爰9貯 o 鋤 σq 搾 鉾一 8 )と し て 、 ﹁ 虐 げ ら れ てき た 王妃 ﹂ ( 言冒 器幽、 ρ ρ o o 昌 ) を擁 護 す る形 で激 発 し た の で あ る。 急 進 派 の コ ベ ットや ト マス ・ ウ ー ラ ーが 自 ら の雑 誌 で論 陣 を 張 り、 帰 国 し た 王妃 を歓 迎 す る群 衆 は ﹁ 王 妃 万 歳﹂ な ど の シ ュ プ レ ヒ コ L ル で迎 必、 王妃 を支 持 す る 一 般 民 衆 や 女 性 た ち の署 名 も 各 地 から 続 々 寄 せ ら れ た。 ま た有 力 政 治 家 で はウ ィ ッ ブ 派 の法 律 家 ブ ル ー ム 、卿 や X43ト マ ス ・ デ ン マンが 王 妃 の法 律 顧 問 と し て 活 躍 し 、 ロンド ン 市 長 ・ 庶 民 院 議 員 マシ ュ i ・ ウ ッ ド も 熱 烈 な 支 持 者 であ り 、 国 民 の圧倒 的 多 数 が 王妃 支 持 であ っ た。 だ が キ ャ ロライ ン自 身 も 大 陸 で の スキ ャ ン ダ ル が 墫 に な り、 ジ ョー ジ、 キ ャ ロライ ン の両 者 を揶 揄 し た 風刺 画も 数 多 く 出 回 り、 世 論 を かき 立 てた 。 そ れ で はな ぜ 、親 王妃 運動 が これ ほ ど 国 民 的 関 心 と支 持 を引 き つけ 、 政 治 改 革 や急 進 主 義 の 要 求 と も結 び つ き 、 一 大 政 治 的 、 社 会 的 事 件 と な っ た のだ ろう か 。 そ れ は ナポ レオ ン 戦 争 終 結 後 の不況 と失 業 苦 に よ る社 会 不 安 を 背 景 にし て高 揚 し 、 ﹁ ピ ー タ ー ル1 の 虐 殺 ﹂ ( 一 八 一 九 年 八月 ) を も引 き起 こし た 一 連 の 政 治 改 革 ・ 議 会 改 革 運 動 の潮 流 の延 長 上 に位 置 す るも の であ ろう か 。 こ の 出 来 事 は ﹁ 歴 史 家 を悩 ま せ﹂ て おり 、 そ れ を ﹁ 政 治 的 に 読 み解 ⑥ く のは難 し い﹂ と指 摘 さ れ て い る。 イ ング ラ ンド 労働 者 階級 の形 成 史 を 追求 し た エ ド ワー ド ・ ト ム プ スン は、 ﹁ わ れ わ れ は王 妃 を 支持 す る ば かげ た行 動 に つい て探 求 す る 必要 は な い﹂ と 言 い切 り 、 ﹁ そ れ は 急 進 主 義 運動 ( 同時 に親 国 王派 の運 動 ) のあ ら ゆ る弱 点 を最 も 大 規 模 に さ ら け出 し た。 ( 急 進 主 義 の観 点 か ら見 た) こ の出 来 事 の栄 誉 は、 そ れ が古 い腐 敗 し た体 制 を最 も 滑 稽 な防 御 的 姿 勢 に追 い込 んだ こと であ ⑦ っ た﹂ と述 べ 、ブ ルー ムら の影 響 が 大 き い こ の運 動 は、 一 八 二〇年 代 の 中 流 階 級 功 利 主義 者 や ウ イ ッ グ の新 世 代 が 主 導 す る 新 し い運動 の前 兆 を なす 、 と と らえ た。 し か し後 に な っ て、 ロ ンド ン の 船 大 工 ジ ョ ン ・ ガ スト や靴 職 人 ベ ン ボ ウ ら急 進 派 の職 人 や 労 働 者 が 、 キ ャ ロライ ンを急 進 主義 の ヒ ロイ ンと み て熱 心 に支 持 し た状 況 を 実 証 的 に明 ら か ⑧ に し たプ ロザ ロー の研 究 に注 目 し、 最 初 の見 解 を 修 正 し た。 さ ら に近 年 で は後 述 す る よ う に、 政 治 史 、 -政 治 運 動 史 な い し民 衆急 進 主 義 史的 な 枠 組 み では なく 、 脱 階 級 的 民 衆 史 から と ら え るポ ピ ュ リ ズ ム史 的解 釈 な い し ﹁ 世 論 ﹂ の役 割 を重 視 す る見 解 、 運 動 が高 揚 し た有 力 な 理由 を こ の 事 件 の ド ラ マ 性 に求 め る見 方 、 さ ら に親 王 妃 運動 が性 の 二 重 規 範 に批 判 を向 け た こと を 重 視 す る女 性 史 の 視 点 、 あ る い は王族 の 男 女 関 係 にも 堅 実 な中 流 階 級 的 モ ラ ルを 要 求 し た 運動 と と ら え る見 解 、 な ど も 出 さ れ て い る。 こう した 研 究 の進 展 ・ 展 開 に、近 年 におけ る女 性 史 研 究 の盛 行 と ﹁ チ ャー ルズ ・ ダ イ ア ナ妃 事件 ﹂ が少 な か ら ぬ影 響 を 与 え て い る。 本 来 は 王室 内 の夫 婦 間 の ト ラブ ル にす ぎ な いも のが 、 なぜ 朝 野 を揺 る が せ た大 騒動 にな っ た の か。 本 稿 で はまず こ の ﹁ 事 件 ﹂ の 概 要 に触 れ ( 事 件 の 詳 細 な考 証 は他 に譲 る) 、 最 近 四半 世 紀 の 間 に 大 き な進 展 を み せ て い る キ ャ 只ライ ン王 妃 事 件 の研 究 を検 証 し な が ら、 こ の 事 件 を ど う と ら え る べき かを 考 え てみ た い 。 一 キ ャ ロ ラ イ ン王 妃 事 件 O 不 幸 な 結 婚 こ の ﹁ 事 件 ﹂ は キ ャ ロ ラ イ ン と ジ ョ ー ジ と の 不 幸 な 結 婚 に端 を 発 し た 。 キ ャ ロ ラ イ ン ・ ア メ リ ア ・ エ リ ザ ベ ス ( O錠 o 躍 口 Φ b旨 o 目 斡 巨 同鑓 び 。 爵 ) は 一 七 六 八 年 五 月 一 七 日 、 ブ ラ ウ ン シ ュヴ ァイ ク 臓 ウ ォ ル フ ェ ンブ ッテ ル の カ ー ル ・ウ ィ ル ヘ ル ム ・フ ェ ル デ ィ ナ ン ド 公 と ア ウ グ ス タ 公 妃 の次 女 と し て 生 ま れ 、 ハ ン ノ ー フ ァ ー (ハ ノ 1 ヴ ァー ) の東 四 〇 キ ロ ほ ど の 小 公 国 ブ ラ ウ ン シ ュ ヴ ァイ ク で育 っ た 。 母 ア ウ グ ス タ 妃 は ジ ョー ジ 三 世 の 一 歳 上 の 姉 、 キ ャ ロ ラ イ ン と 夫 ジ ョ ー ジ 四 世 ⑨ は従 兄 妹 で あ った 。 1444
キ ャロ ライ ン王 妃 事 件 を ど うとら え るか キ ャ ロ ラ イ ンは武 人 の父 と家 庭 的 な母 の も と で か な り厳 格 に育 てら れ た。 同 地 に 滞 在 し た フラ ン ス 人 .ハロン僧 正 に よ る と、 一 = 歳 の彼 女 は ﹁ 素 朴 に、自 分 は喜 ん で普 通 の商 店 主 の娘 の境 遇 に変 わ り た い思 い 込 ん で い る。 ⋮ ⋮服 装 や容 姿 は い つ も 盛 装 し て い るが 、 ダ ン ス を 踊 る こ と は ま っ たく 許 さ れ て い な い﹂ と い う、 自 由 を求 め る心 情 が 鬱 積 し た箱 入 り娘 で あ っ た。 私 教 師 の伯 爵 夫 人 のも と、 フ ラ ン ス語 、 ドイ ツ 語 を 学 び 、古 典 文 学 、 シ ェ ー ク スピ ア、 詩 、 小 説 、 備 忘 録 、 歴 史 書 を 広 く読 み 、 ピ ア ノ も た し な ん だ。 活 発 な生 き 生 き し た目 の持 ち主 であ り 、 九 四年 八 月 に 縁 談 が ま と ま る と、 二 六歳 の彼 女 は直 ち に英 語 の特 訓 を始 め た。 ジ ョ ー ジ は キ ャ ロライ ンと は 六歳 違 い の 一 七 六 二年 八月 = 一日 生 ま れ 、 少 年 時 代 か ら 勤勉 と は ほ ど遠 く 、 宗 教 心 も 薄 く 、 快 楽 を 求 め る傾 向 が み ら れ た。 一 六 歳 か ら歳 上 の 女 性 に熱 を上 げ 、 女 優 メ ア リ ・ロ ビ ン ス ン夫 人 に は時期 が 来 れば 二万 ポ ンド を渡 す とさ え 約 束 し た。 シ ャ ー ロ ット王 妃 と の堅 実 な 生 活 を守 っ てき た 父 ジ ョー ジ 三世 は激 怒 し た が 、 自 ら 息 子 の金 銭 の 始 末 を つけ た。 成 人 し た皇 太 子 は、 ウ ィンザ ー の居 室 のほ か、 ペ ル ・ メ ル通 り 南側 の 祖 母 の旧宅 力 ー ルト ン ・ ハ ウ ス ( O ⇔ N 一件 O 凵P ¢O 口 oo O ) に 居 を与 え ら れ、 以後 こ の邸 宅 の増 築 、 調 度 品 や 庭 園 の整 備 に膨 大 な 資 金 を つ ぎ 込 ん だ。 ダ ン デ ィで派 手 好 みな 生 活 は 一 層 高 じ 、 年 六 万 二千 ポ ンド の 下 付 金 で は足 りず 、 二 一 歳 です で に 一 六万 千 ポ ンド の借 金 が あ っ た。 議 会 は こ の 額 の 返 済 支 出 を しぶ しぶ 承 認 し た。 後 にジ ョ1ジ が ﹁ 真 の 最 愛 の 妻 ﹂ と語 っ た マリ ア ・ フ ィ ヅツ ハ ーバ ー ト夫 人 は 六歳 年 長 、 古 いカ ト リ ヅ ク教 徒 の 男 爵 の孫 にあ たり 、 一 七 歳 から 二度 の短 い 結 婚 で夫 と 死 別 、 二人 が出 会 っ た とき は、 二度 目 の 夫 ト マス ・ フ ィ ッツ ハ ーバ ー ト が残 し た年 間 二千 ポ ン ド の遺 産 で不 自 由 な い暮 ら し を し て い た。 見 事 な金 髪 の 気 品 を た たえ た女 性 であ っ た が 、 王 室 結婚 法 では 王位 継 承権 者 の結 婚 に は 国 王 の 同意 が 必 要 であ り 、 ま た カ ト リ ッ ク教 徒 と の 結 婚 は認 め ら れ な か っ た。 し か し 二人 は 八 五 年 一二月 一 五 日 、 ジ ョ ー ジ の 依 頼 を受 け た牧 師 補 ジ ョン ・ バ ー ト と マ リ ア の叔 父 の立 ち 会 い の も と 、 マリ ア の自 宅 で ひそ か に結 婚 式 を 挙 げ た 。 二人 の こと は た ち ま ち噂 に な り、 ピ ット首 相 ら政 界 首 脳 に悩 み の種 を ま き 、 ま た 二人 の 風 刺 画 も 流 布 し た。 ジ ョー ジ の派 手 な生 活 は変 わ ら ず 、ブ ライ ト ンに展 示 館 付 き 邸 宅 ( 幻o 団 巴 ℃ 勉 鼠崇 o 口 ) を 構 え 、 一 時 は 二人 で 住 ん だ。 一 七 八 七 -八 八年 に 国 王 を襲 っ た病 魔 は 二人 の生 活 に転 機 をも た ら し た 。 ジ ョ ー ジ を は じ め 王 子 た ち( 計 七名 ) はす べ て公 式 に は未 婚 であ り 、 皇 太 子 は フ ィ ッツ ハ ーバ 1 ト を捨 て、 ふさ わ し い妃 を選 ぶ決 断 を 迫 ら れ た 。 彼 は これ ま で の 生 活 を清 算 し、 キ ャ ロラ イ ン と の結 婚 を 父 に申 し 出 た。 ジ ョ ー ジ と キ ャ 冐ラ イ ン は お互 い肖 像 画 を 見 ただ け だ っ た 。 国 王 はも ち ろ ん賛 成 し た。 同 年 一 一 月 末 に は使 節 の外 交 官 マー ム ズ ベ リ 卿 が 、 キ ャ ロライ ンを 皇 太 子 妃 と し て 迎 え る た め 、 ブ ラウ ン シ ュ ヴ ァ イ クを 訪 れ た 。 双 方 から の贈 り物 も交 換 さ れ た が 、 皇 太 子 の歳 上 の 愛 人 で家 政 を取 り仕 切 っ て い た ジ ャージ ー伯 爵 夫 人 の噂 も伝 わ っ た。 キ ャ ロライ ン 一 行 は九 四年 = 一月 三〇 日 に婚 嫁 へ 故 郷 を 旅 立 っ た。 出発 前 に、 ジ ャー ジ ー夫 人 を ﹁ 放 蕩 者 で最 悪 の最 も 危 険 な 女 性﹂ と 書 いた 匿名 の手 紙 が届 き 、 父公 爵 は マー ムズ ベ リ卿 にイ ギ リ ス で の父 親 代 わ り を 頼 ん だ 。 戦 時 下 で 遅 れ、 よ う やく 三月 二 四 日朝 、 祝 砲 と ど ろ 145
く 賑 々 し い見 送 り を受 け て ハン ノ ー フ ァ を 出発 し た。 迎 え の 英 軍 艦 ジ ュ ピ タ ー号 で シ ュ タ ーデ を 出発 し 、 四 月 四 日 テ ム ズ 河 口に到 着 、 翌 日 正 午 過 ぎ 一 行 は王 室 ヨ ット でグ リ ー ニ チ に 上 陸 し、 海 軍 救 護 所 の長 官 を は じ め住 民 ら 多 数 の歓 迎 を受 け た。 こ こま では皇 太 子 妃 の 嫁 入 り に ふさ わ し い旅 であ っ た 。 だ が 一 時 間 ほ ど待 た さ れ た 王室 か ら の出 迎 え は皇 太 子 の愛 人 ジ ャージ ー夫 人 ら であ り 、 そ の 馬 車 で セ ント ・ ジ ェ イ ムズ 宮 殿 に入 つた。 キ ャ ロライ ンが姿 を見 せ る と、 集 ま っ て い た群 衆 ⑪ が 歓 迎 の声 を あ げ た。 や が て皇 太 子 と キ ャ ロライ ン は はじ め て対 面 し た。 キ ャ ロライ ン は 皇 太 子 の前 で膝 まず いて挨 拶 し よ う と し た。 皇 太 子 は彼 女 を 抱 き 起 こ し、 一 言 か 二言 言 葉 を かけ た が 、 す ぐ に 振 り 向 いて 彼 女 から 遠 く 離 れ 、 マー ムズ ベリ卿 に ﹁ 今 日 は体 調 が良 く な い、 ブ ラ ンデ ィ を 一 杯 も っ て来 てく れ な い か ﹂ と 言 い 、 や が て部 屋 か ら出 て行 っ た 。 キ ャ ロラ イ ン は 取 り 残 さ れ 、 マー ムズ ベ リ に フラ ン ス 語 で ﹁ 皇 太 子 は い つも こ んな 風 な の です か、 と て も 太 っ て お ら れ、 肖 像 画 にあ る よう な 美 男 で はあ り ま せ んね﹂ と 語 っ た。 ﹃ タ イ ムズ﹄ は キ ャ ロラ イ ンの容 姿 に つ い て、 中 背 より や や 低 く愛 ら し い 感 じ の 人 で 、 愛 想 が 良 く 善 良 そ う に 見 え る。 表 情 豊 か な 眼、 整 っ た 髪 、 象 牙 のよ う に 白 い 歯 、 良 い肌 の色 、 美 し い手 と 腕 の持 ち 主 であ り 、確 か にま こと に 美 人 と 言え よう 。 ま た 上 唇 など 確 か に父 国 王 と似 た と こ ろが あ る 、 と歓 迎 す る描 写 を し た。 二人 の婚 礼 は 四月 八日 夕 刻 、 セ ン ト ・ ジ ェ イ ムズ宮 殿 の王室 教 会 で カ ンタ ベ リ大 主 教 の司 式 のも と 伝統 に沿 っ て行 わ れ た。 ﹃ タ イ ム ズ ﹄ に よ る と、 教 会 の中 で侍 女 のジ ャ ージ 夫人 が権 限 をも ち過 ぎ て い ると 感 じ た キ ャ ロライ ンが 、 夫 人 に手 出 し を し な いよ う要 求 し た。 列 席 者 た ち は皆 、 キ ャ ロライ ン の立 ち居 振 る舞 い の 礼 儀 正 しさ に注 目 し た 、 U 46 ⑫ -と いう。 皇 太 子 は初 夜 に は 酔 い 潰 れ て寝 て し ま い、 わ ず か 三日 後 に、 フ ィ ッ ツ ハーバ ー ト の家 に 行 く 馬 車 を用 意 す る よう 指 示 し て止 め ら れ た。 あ る 日 の夕 食 後 、皇 太 子 が ジ ャー ジ ー夫 人 が 注 ぐ グ ラ ス で酩 酊 し て し ま い、 キ ャ ロライ ン は 客 人 のパ イプ を借 り て蔑 む よ う に夫 に吹 き つけ た こと も。 こ の ﹁ 皇 太 子 の 不 良 仲 間 ︹ ジ ャージ ー夫 人 ︺ は⋮ ⋮ い つも飲 ん だ く れ て み だ ら で、 ソ フ ァ ー の上 にブ ー ツ のま ま いび き を か いて 眠 っ た﹂ と いう。 こ のよ う な新 婚 生 活 は実 家 の両 親 を 心 配 さ せ 、母 親 は 弟 ジ ョ 1 ジ 三世 に 娘 が 私 的 、 公 的 の両 面 で つつが な く 務 め を 果 た す よ う 指 導 を 頼 ん で いる。 一 方 、祝 賀 行 事 も 行 われ た。 婚 礼 の数 日 後 に は夫 妻 でウ ィンザ ー を 訪 問 し 、 四 月 一 六 日 の 午 後 、 セン ト ・ ジ ェ イ ムズ 宮 殿 にお いて 国 王 夫 妻 を はじ めす べ て の 王 族 、 有 力 貴 族 と そ の夫 人 、 政官 界 の 有 力 者 、 カ ン タベ リ大 主教 ほ か教 会 の有 力 者 、 外 国 の大 公使 、多 数 の 貴 婦 人 が出 席 し た壮 大 な結 婚 祝 賀 会 が 行 われ た。 ロンド ン市 によ る祝 賀 行事 も行 わ れ た。 キ ャ ロライ ンは 五月 に、 皇 太 子 の邸 から 義 理 の妹 エ リ ザ ベ ス 宛 に ﹁ 私 は こ の国 に 来 て十 分 満 足 し幸 せ にし て いま す。 ⋮ ⋮ も う乗 馬 は しま せん が 、皇 太 子 が オ ープ ン馬 車 で外 に連 れ て 行 っ て く だ さ い ま す﹂ と 幸 せそ う な手 紙 を書 い た。 こ の手 紙 は皇 太 子 が 書 かせ た も のと も みら れ て いる が、 す で に キ ャ ロライ ン は懐 妊 し て いた 。 議 会 はキ ャ ⑬ ロライ ン に年額 五千 ポ ンド を支 出 す る こと を 決 めた 。 皇 太 子 と キ ャ ロライ ンは 六月 中 旬 か ら 一 一 月 末 の間 ブ ライ ト ン の別 荘 パヴ ィリ オ ン で 過 ご し た。 ジ ャコ ジ 1夫 人 、 チ ョー モンデ リ 夫 人 が
キ ャロ ラ イ ン王 妃事 件 を ど うと らえ るか 圃 行 し た。 . 皇 太 子 は母 宛 に、 彼 女 は こ こが 大変 気 に入 っ て い る、 身 重 に とも な う不 調 の と き を 除 い て 彼 女 は心身 と も に 最 も 良 い状 態 な の で、 完 全 に仲 良 く し て いけ るよ う に 思 う 、 と書 き 送 っ て い る。 し か し キ ャ ロライ ン はド イ ッ の 友 人 宛 に、 不満 を書 き 、 ジ ャー ジ ー夫 人 は嫌 い、 夫 は彼 女 に はお 手上 げ の 状 態 で す 、 と書 い て い た。 し かも 滞 在 中 に、 夫 や 王 妃 への不 満 も 綴 っ た 実 家 宛 のキ ャ ロ ラ イ ン の 手 紙 を ジ ャー ジ ⋮夫 人 が 開 封 し、 英 王 室 の 人 々 に見 せ て し ま う と い う事 件 が 起 こ っ た。 非 難 は ジ ャージ ー夫 人 に 集 中 し 、 同情 は身 重 のキ ャ ロライ ン に寄 せら れ た。 彼 女 の飾 ら な い闊達 な人 柄 は王室 の 望 む妃 像 と は 一 致 しな か っ たが 、 ジ ョージ 三世 は彼 女 の 快 活 さ が気 に入 り、 国 王 は王 室 内 で 唯 一 人 の理 解 者 であ っ た。 一 七 九 六年 一 月 七 日朝 九 時 過ぎ 、 キ ャ ロラ イ ンは カ ー ルト ン ・ハ ゥ スで女 子 を 出 産 した 。 ロンド ン 塔 か ら は 祝 砲 が打 ち上 げ られ 、 翌 臼 は お祝 い の人 々 の馬 車 で周 辺 は 終 日混 雑 し た。 女 児 は 二人 の祖 母 の名 を 取 っ て シ ャー ロ ヅト ・ オ ー ガ ス タと命 名 さ れ た。 誕 生 の 数 日後 、 皇 太 子 は飲 み過 ぎ の せ い か死 期 が迫 っ た と錯 覚 し 、 三千 語 も の 遺 書 を書 い た。 そ の中 で ﹁ 皇 太 子妃 と 言 わ れ て いる女 性 に 一シリ ング を残 す 、 マ リ ア ・ フ ィ ッツ ハ ーバ ー ト にわ が 全 財 産 を 与 え る﹂ 、 キ ャ ロラ イ ンに は子 供 の養 育 に い っ さ い か かわ ら せ な い、 と記 し た。 皇 太 子 の本 心 が 吐 露 さ れ たも の であ っ た。 ま も な く皇 太子 は ま た ジ ャー ジ ー夫 人 を邸 ⑭ に招 き 入 れ た 。 ⇔ キ ャ ロ ラ イ ン 王 妃 事 件 の展 開 シ ャ ー ロ ッ ト は す く す く と 育 っ て い た が 、 皇太子夫妻 の 間 は 冷 めて い っ た。 皇 太子 は自 分 似 の 娘 は か わ いが っ たが 、 キ ャ ロライ ンと は顔 を合 わ せ る のを避 け 、 夏 期 に はブ ライ ト ン に住 み 、 妃 の こと は顧 み な か っ た。 キ ャ ロラ イ ンは娘 と 一 緒 に別 の場 所 で暮 ら し た い と 考 え た が 、皇 太 子 は 認 め な か っ た。 キ ャ ロライ ン は九 八 年 初 め から グ リ ー ニ チ 地 区 の ブ ラ ッ ク ヒー スに面 し た モン タ ーギ ュ ・ハ ウ ス に 移 り 住 ん だ。 ・大 法官 サ ー ロー、 ハ ミ ルト ン公 夫 妻 な ど の高 官 から 近 隣 の人 々ま で 多 く の 訪 問 者 が あ り酒 や が て数 人 の孤 児 を 養 育 す る ホ ー ムも 開 設 し て彼 女 はよ う やく 生 気 を取 り戻 し た。 孤 児 の 一 人 ウ ィリ ア ム ・ オ ー ス テ ィン 少 年 を か わ いが り、 後 に養 子 にす る。 た だ シ ャー ロ ット は皇 太 子 の手 元 に 置 か れ、 簡 単 に は会 え なく な っ た。 一 方 皇 太 子 はジ ャージ ー夫人 が妨 害 す る な か で フ ィ ッツ ハ ーバ 1 トと の より を 戻 し た。 ロー マ 教 皇 は教 会 の法 によ り彼 女 を皇 太 子 の公 式 の妻 と 認 定 した が 、 事 態 は 変 わ ら な か っ た。 後 にキ ャ ロラ イ ンは自 分 の不 幸 は フ ィ ッツ ハ ーバ ー ト の夫 と結 婚 し た こと で す 、 と語 っ て い る。 皇 太 子 は キ ャ ロライ ン を 徹 底 し て避 け 、彼 女 の 家 を訪 ね た者 は カ ー ルト ン ・ ハ ウ スに入 れ な い こと に した 。 娘 シ ャー ロ ッ ト は別 の 家 で育 て られ た。 一 八〇 五年 、 一 つ の 事 件 が モ ンタ ーギ ュ ・ハ ウ ス の 隣 人 ダ グ ラ ス 海 軍 大 佐 夫 妻 に よ っ て 起 こさ れ た。 半 年 あ ま り の 軍 務 の あ とダ グ ラ ス が 訪 ね た とき 、 キ ャ ロライ ンが 会 う のを断 っ た のがき っ かけ だ っ た。 ダ グ ラ ス 夫 妻 は オ ー ス テ ィン少 年 を キ ャ ロライ ン の 隠 し子 だ と皇 太 子 に 告 げ た のであ る。 皇 太 子 は こ の問 題 を 重視 し 、 グ レ ンヴ ィ ル 首 相 にキ ャ ロラ イ ン の 行 為 を調 査 す るよ う 要 求 し た。 国 王 も こ の 申 し出 を受 け 入 れ 、 一 八〇 六年 五 月末 、 首 相 、 大 法 官 アー スカ イ ン、 スペ ンサ ー 卿 、 主席 裁 判 官 エレンバ ラ卿 の 四名 から な る内 密 の王 立 委 員 会 が 設 置 卿
さ れ た。 委 員 会 は モン タ ーギ ュ ・ ハ ウ ス の召 し使 い、雇 い 人 あ る い は 医 師 など 多 数 の証 人 を招 き 調 査 し たが 、 少年 は ソ フ ィア ・ オ ー ステ ィ ン が 一 八〇 二年 七 月 一 一 日 に生 んだ 子 供 と 認 めら れ た 。 七 月 一 四 日、 委 員 会 は ﹁ 当 の子 供 が 妃 殿 下 の子 供 であ ると 信 ず るべ き根 拠 はな い ﹂ と国 王 に報 告 し た。 キ ャ ロライ ンが こ の ﹁ 細 心 の調査 ﹂ ( 自 o 躍 o 讐o ぎ ・ < $江 σq 舞δ⇒ ) の目的 を知 っ て驚 い た の は、 八月 の こと であ っ た 。 耐 え 切 れ なく な っ た彼 女 は自 分 を支 持 す る意 見 を まと め て出 版 し、 一 部 は 流 布 し た。 皇 太子 の 評 判 は 一 段 と下 が り、 キ ャ ロライ ン は多 く の同 情 者 を得 た。 間 も なく 首 相 に な る スペ ンサ ー ・ パ ー シヴ ァル も 彼 女 の支 持 者 であ っ た。 皇 太 子 は キ ャ ロラ イ ンと の離 別 を考 え 始 め る。 一 八 一一 年 父 三世 の 健 康 は悪 化 し、 皇 太子 は摂 政 に就 任 す る。 大 陸 の戦 争 が 一 層 深 刻 にな っ て い た 一 二年 五月 、 キ ャ ロラ イ ン の理 解 者 パ ー シヴ ァルが 議 会 内 で 暗 殺 さ れ 、 後継 首 相 は保 守 派 のリ ヴ ァ プ ー ルに な っ た 。 摂 政 はキ ャ ロライ ンを離 別 し 国外 へ 追 放 し よ う と考 え る よ う にな り 、 彼 女 の非 と な る事 実 、情 報 を提 供 し た 者 に 謝 金 を出 す 計 画 を 立 て、 私 的 な 新 聞 で妻 の行 状 を 書 き 立 て た 。 一 方 ウ イ ッ グ派 の ブ ルー ムは彼 女 と シ ャー ロ ット に対 す る摂 政 のひ ど い仕 打 ち を 非 難 す る原 稿 を書 き 、 キ ャ ロライ ン の 名 前 で摂 政 と首 相 宛 て に送 り、 ﹃ モ ー ニング ・ ク ロ ニ ク ル ﹄ にも 掲 載 さ れ た。 摂 政 は これ に対 抗 し 、 活 発 な 娘 に成 長 し人 気 を集 め て い た シ ャー ロ ットを 王 位 継 承 者 から 外 そ う と 企 て 、 大 法 官 によ り抑 え ら れ た。 こ の 問 題 は庶 民 院 でも 論 議 さ れ 、 先 のダ グ ラ ス 事 件 や摂 政 夫 妻 の 往 復 書 簡 など 過 去 に さ か の ぼ っ て 事 実 が 公 表 さ れ 、論 議 さ れ た。 キ ャ ロラ イ ンは自 ら の 立 場 を 甫 ゲ ① 切 o o 犀 . にま と め で 相 次 い で 出 版 し、 そ れが ベ スト セラ ーと なり 、 多 く の市 民 が 支 持 に 動き姶 めや 戦争 終結 後 の 西 年 六貝 。 シア 皇帝 プ ・ イ セン 王 ら 娼 1 が ロンド ン に集 ま り 、摂 政 が 主催 す る祝 勝 会 が行 わ れ たが 、 キ ャ ロラ イ ンも シ ャ ー ロ ッ トも 招 か な か っ た。 一 四 年 八 月 八 日 、 四 六歳 のキ ャ ロライ ン はイ ギ リ スを離 れ大 陸 へ 旅 立 っ た。 摂 政 と 政 府 は 彼 女 を遠 ざ け る た め年 額 三 万 五千 ポ ンド を出 す こ と に し た。 同 行 者 は レデ ィ ・ シ ャ ー ロ ッ ト ・ リ ンゼ イ 櫞 か武 官 や 医 師 、 養 子 に し た オ ー ス テ ィンら 十 数名 。 故 郷 の ブ ラ ウ ン シ ュ ヴ ァ イ ク ( 両 親 はす で に他 界 ) を へてイ タ リ ア へ 向 か い、 、・・ ラ ノ でイギ リ スか ら の 付 き 添 い と分 かれ 、 召 し 使 い、武 官 も イ タ リ ア 人 を雇 っ た。 オ ー スト リ ア の将 軍 の推 薦 によ り イ タ リ ア軍 人 バ ル ト ロモ ・ ベ ルガ ミ ( ペ ルガ ミ ゆ 巴 夢 o ご旨o 切 o 門 σq g B同 o H 蛸 o お ⇔ 日 博 ) を雇 い、 ﹁ 聖 キ ャ ロライ ン 騎 士団 ﹂ と命 名 し て パ レ ス テ ィナ巡 礼 や ウ ィー ン への旅 を し た 後 、 一 七年 に は コ モ 湖 畔 に落 ち着 い た。 こう した 行 動 に つ いて キ ャ ロライ ンは気 が違 っ た、 あ る い は逆 に勇 気 あ る行 動 と いう 者 が あ っ た。 摂 政 の 忠 実 な法 律 顧 問 ジ ョ ン ・ リ ー チ は 一 行 の行 状 に つい て ス パイ や 従 者 の 情 報 を 入手 し、 摂 政 に報 告 し た。 離 婚 の 口実 を 得 た い 一 心 の摂 政 の 要 請 を受 け た首 相 は、 委 員 会 ( ミ ラ ノ委 員 会 ) を 発 足 さ せ た。 一 九年 、 委 員 を ミ ラ ノ に派 遣 し、 証 人 喚 問 を行 い、 資 料 を ﹁ 緑 の袋 ﹂ に入 れ て 持 ち 帰 り 、 七 月 に ﹁ ミ ラ ノ 報 告 ﹂ を提 出 し た。 こ の報 告 を検 討 し た委 員 会 は、 妃 殿 下 の不貞 に よ る罪 は十 分 立証 され る と は思 われ るが 、 証 人 の大 多 数 が 身 分 の 低 い 外 国人 で あ る た め、 そ の証 言 をも っ て妃 殿 下 の罪 を 認 定 す る の は法 的 に 困 難 、 と結 論 づ け た。 摂 政 は引 き 下 が らざ る を得 な か っ た。 ブ ル ー ム は 離 婚 な ど の 措 置 を取 らず 、 終 身 年 金 を保 証 す る形 で国 外 に留 ま っ て も ら う提 案 を し て い た。
キ ャ ロ ライツ 王 妃 事 件 を ど う とら え るか こ の 間 に父 摂 政 に代 わ る期 待 の星 と な っ て いた 王 位継 承権 者 シ ャー ロ ヅ トが 、 一 七 年 = 月 、 男 児 を 死 産 した 翌 朝 二 二歳 で他 界 し た。 キ ャ ロライ ン が 離 英 す る前 に摂 政 は オ レンジ ( オ ラ ニ エ ) 公 の嗣 子 を 招 き 、 娘 と の 縁 談 を進 め て い たが 、 結 婚 後 は オ ラ ンダ に住 む こと が 相 手 の希 望 だ っ た。 摂 政 に は 娘 を遠 ざ け る考 え が あ り、 キ ャ ロライ ン は娘 の将 来 を懸 念 す る。 シ ャー ロ ッ ト は父 が 激 怒 す るな か で こ の縁 談 を 断 り 、 一 六年 にザ ク ス ・コ ーブ ルク家 の レオ ポ ルド ( の ち ベ ル ギ ー王 ) と結 婚 し国 内 に住 ん で いた。 多 く の国民 は ﹁ イ ング ラ ンド の姫 君 ﹂ が 幸 せ を つか んだ と 歓 迎 し 、 懐 妊 を 慶 ん で いた矢 先 の こ と だ っ た 。 新 聞 、 雑 誌 は こ とご とく 彼 女 の死 を 悼 み、 詩 人 た ち は 追 悼 の詩 を 書 い た。 多 く の国 民 は キ ャ ロライ ン の不幸 と合 わ せ て シ ャー ロ ット の 死 を ⑱ 悼 んだ の であ っ た。 二〇 年 一 月 国 王 は他 界 し、摂 政 はジ ョ ー ジ 四世 と し て即 位 し た。 ロ ー マに滞 在 し て い た キ ャ ロライ ン は、 シ ャ ー ロ ッ ト も なき 今 、 王妃 の 地 位 を要 求 し て帰 国 す る考 え を 固 め る。首 相 や 政 界有 力 者 、 あ る いは ブ ルー ムで さ え 王妃 の地 位 と終 身 年 金 を 保 証 し て国外 に 留 ま ら せ よ う と し、 ブ ルー ムら は カ レ ー に渡 り キ ャ ロライ ンを 説得 す る が、 応 じ な か っ た。 王 妃 の帰 国 の足 取 り は ﹃ タイ ムズ ﹄ に日 々 報 じ ら れ、 六月 五 日 ド ー ヴ ァ に上 陸 し た。 街 頭 に出 た 群 衆 は彼 女 を 大歓 迎 し 、彼 女 が進 む 先 々 で群 衆 の興 奮 は高 ま っ た 。 六日 グ リ ー ニチを へ て ロンド ン に到 着 、 市 長 ウ ヅ ド はじ め市 民 の大 歓 迎 を受 け た。 王妃 の 住 居 の 用 意 が な い こと が 明 ら か にな り 、群 衆 は政府 当 局 者 の邸 に 押 し かけ 、 明 か り を つ け さ せ シ ュ プ レ ヒ コー ル を あ げ た。 群 衆 の 街 頭 デ モは連 日 つ づ い た 。 王 妃 は 最 初 は市 長 、市 上 級 議 員 の 自 宅 など を点 々 と し、 支 持 す る 群 衆 が 群 が っ た が 、 八 月 に テ ムズ 河 畔 ハ マー ス ミ ス のブ ラ ンデ ン ブ ル ⑲ ク ・ハ ウ ス に落 ち 着 いた 。 強 硬 な 国 王 はリ ヴ ァ プ ー ル 首 相 と は かり 、 一 五名 の秘密 委員 会 を 設 け 、 準 備 し てき た キ ャ ロライ ン から 王 妃 の特 権 を い っ さ い 剥 奪 し 、 国 王 と の結 婚 を 解 消 す る刑 罰 法案 ( じd 崑 。 h霊 ぎ ⇔ 巳 男 。 鬘 ξ )を 早 急 に成 立 さ せよ う と し た。 法 案 は庶 民 院 では 反対 が強 く審 議 し な い こと にな り 、貴 族 院 が審 議 の 舞 台 と な っ た。 ﹁ 王 妃 の裁 判﹂ は本人 も 出席 し 八月 一 七 日 に開 廷 した 。 ﹁ 裁 判﹂ が始 ま ると 王 妃 支 持 の運 動 は 一 段 と活 発 に な り、 街 頭 デ モ、 集 会 、 反 対 派 の邸 への襲 撃 な ど に加 え て、 多 く の 請 願 書 が 政 府 、 議 会 に持 ち込 まれ た。 ﹃ タイ ムズ ﹄ ほ か多 く の 新 聞 、 急 進 派 雑 誌 が 王 ﹂妃支 持 の論陣 を 張 り 、 記 事 を掲 載 し た 。 ﹁ 首 都 の 既 婚 婦 人 ﹂ に よ る請 願 書 に は 一 七 六五 二 名 の署名 が あ り 、 ノ ッ テ ィ ンガ ム ( 七 八〇 〇 名 ) 、 地 方 の 小 都 市 セン ト ・ ア イ ヴズ 、 ト ル ア ロ ウ ほ か全 国 各 地 か ら請 願 書 が 届 い た。 王 妃 が 出 席 し た 初 日 は早朝 から群 衆 が街 頭 に集 ま り、 ﹁ わ れ わ れ に は王 妃 が 必 要﹂ ﹁ 王 妃 万 歳﹂ な ど と 叫 び 、 ロンド ンは 王妃 支 持 一 色 の様 相 を呈 し た。 ﹁ 裁 判 ﹂ で は告 発 ( 国 王 ) 側 二 六 名 、 王 妃 側 三 二 名 の 証 人 を喚 問 し た。 王妃 と ベ ルガ ミ と の親 密 な 関 係 を 立 証 しよ う と す る告 発側 は、証 人 の 大 部 分 を イ タ リ ア か ら招 い た。 七 月 に こ の証 人 た ち が 到 着 し た と き 、激 し い抗 議 デ モに見 舞 われ た。 告 発 側 の法 務 長 官 ギ フ ォ ード ら 、 弁 護 側 の ブ ルー ム 、 デ ン マン ら の激 し い論 戦 が 続 い た。 ﹃ タイ ムズ ﹄ は詳 細 な討 議 記 事 を載 せ、 急 進 派 の諸 誌 紙 は王 妃 支 持 の論 陣 を 張 り 、 風 刺 画 や風 刺 雑 誌 が 流 布 し、 支 持 派 の民 衆 は街 頭 を 練 り 歩 き 、 新 聞 を 待 つ地方 の 人 々 は か たず を の ん で成 り 行 き を注 視 し た。 イ タ リ ア人 証 149
人 の何 人 か は微 妙 な こ と に な る と病 覚 え で い ま せ んL . ( 2 0 昌 寓 同 労憎 8 a o > と答 え た。 当 初 は圧倒 的 に 国 王側 が 多 か っ た貴 族 院 も 審 議 が 進 む に つ れ て動 揺 が 起 こ り 、 二 一 月. 六 日 の 第 二読 会 で法 案賛 成 = 一 三、 反 対 九 五 ( 二 八票 差 ) 、 同 一 〇 日 の 第 三読 会 で は 一 〇 八 対 九 九 ( 九 票 差 ) と な り、 首 相 は庶 民 院 を見 越 し て成 立 の見 込 み な し と 判 断 ⑳ し廃 案 にし た。 こ の 結 末 は王 妃 支 持 者 を興 奮 の絶 頂 に押 し上 げ た 。 キ ャ ロライ ンは民 衆 ・ 改 革 派 か ら圧 倒 的 支 持 を 受 け た が 、 夫 の戴 冠 式 ( 二 一 年 七月 一 九 日) にも 招 かれ ず 、 公 式 の王 妃 の地 位 は認 め ら れ な か っ た。 一 二 年 三月 初 め に 五万 ポ ンド の終 身 年 金 を 受 け 入 れ 、支 持 運 動 も 鎮 静 し、 同 年 八月 八 日、 失 意 のう ち に 五 三歳 の 波 乱 の生 涯 を終 え た。 一 四 日、 彼 女 の 遺 体 を本 人 の希 望 によ り ブ ラウ ン シ ュ ヴ ァ イ ク へ 護 送す る葬 送 行 進 が 市 中 を通 過 す ると き 、 ロンド ン の民 衆 急 進 派 に よ る最 後 の 大 規 模 な支 持 行 動 が 行 われ 、 市 街 地 を 通 るよ う 順 路 を変 え さ せ た。 途 中 警 備 の 軍 隊 と 二回 衝 突 し、 軍 隊 の発 砲 によ り 二人 ( 家 具 職 人 と煉 瓦積 み 工) が 死 亡 す る事 態 と な っ た。 犠 牲 者 は出 し た が 、 勝 利 は 民 衆 側 にあ っ た。 民 衆 急 進 派 は同 二 八日 、 こ の 二人 の大 規 模 な 公 葬 を行 い、 七∼ 八万 人 が 参 加 し た。 こう し て キ ャ ロライ ン王妃 事件 は ⑳ 幕 を閉 じ た。 ニ キ ャ ロラ イ ン王 妃 事 件 を ど う と ら え る か イギ リ ス 大 衆 を ﹁ 電 撃 的 興 奮 ﹂ に巻 き 込 んだ キ ャ ロライ ン事 件 は、 おび た だ し い数 の書 物 、 覚 書 、 パ ン フ レ ット、 雑 誌 と 新 聞 ・ 雑 誌 記 事 、 膨 大 な量 の 議 会 討 議 記 録 、 風 刺 画 ( ポ ルノグ ラ フ ィ ックな も のを ⑫ 含 む) と風 刺 画 入 り冊 子 な ど を 遺 した 。 そ の後 一 九 世 紀中 に、 関 係 者 の 日誌 、 覚 書 、 自 伝 な いし 自伝 的覚 書 が公 刊 さ れ 、事 実 関 係 と興 奮 状 蜘 態 が 一 層 明 ら か にな っ た。 一 方 で王妃 の 寝 室 係 を務 め た レ デ ィ1 ・ シ ャー ロ ット ・ ベリ の ﹃ 日 記 に 基 づ いた ジ ョー ジ四 世 治 下 のイ ギ リ スの 王 室 ﹄ ( 初 版 一 八 三 八年 ) のよ う に 、 そ の 反 キ ャ ロライ ン的 叙 述 が セ ン セ ー シ ョソを巻 き起 こし 、そ の 信 憑 性 を めぐ っ て激 論 が 交 わ さ れ た ㊧ こと も あ っ た 。 二 〇 世 紀 に入 っ て歴 史 家 に よ るジ ョ﹂ジ 四 世 、 キ ャ ロ 、 ライ ン王 妃 の 伝 記 や書 簡 集 、 あ る い は フ ィ ッツ ハーバ ー ト夫 人 の 伝 記 ⑳ も 公 刊 さ れ た。 関 係 資 料 の 公 刊 が 進 む と と も に、 二〇 世 紀 初 頭 か ら キ ャ ロライ ン の 伝 記 、 評 伝 が イギ リ ス 、 イ タ リ ァ で公 刊 さ れ 、 世紀 後 半 ⑮ にも 相 次 い で 上 梓 さ れ た。 とく に近 年 で ば ﹁ チ ャー ルズ ・ ダ 千 ア ナ 妃 事 件﹂ と 重 ね合 わ せ て関 心 が よ みが え り 、 フ レイ ザ ー によ る伝 記 ﹃ 手 に負 え な い王妃 i キ ャ 虐 ラ イ ン 王 妃 の生 涯 ﹄ のよ う な 生 涯 を 追 つた 労 ㊧ 作 も 公 刊 さ れ た。 キ 卑 ロライ ン に 焦 点 を合 わ せ た評 伝 朗 研 究 は、 イ タリ ア の研 究 者 ク レ リ チ によ る評 伝 のよ う に、 シ ャー ロ ットを 私 生 児 と ま で言 い切 っ て ⑳ ﹁ み だ ら な﹂ キ ャ ロ ラ イ ンを印 象 づ け たも の も あ っ た が 、 全 体 と し て は同 時 代 のイ ギ リ ス 人 の 多 数 派 と同 様 に親 キ ャ ロライ ン的 であ る。 ド キ ュメ ン タリ ・ タ ッ チ の スミ ス 著 ﹃ 裁 判 に かけ ら れ た 王 妃 ー キ ャ ロラ イ ン王 妃 事件 ﹄ は、 一 八 二 〇 ∼ 一 = 年 に焦 点 を 合 わ せ、 事 件 の実 像 を 浮 き彫 り にし よ う と し て い る。 ま た こ の事 件 は大 量 の風 刺 画 や ポ ル ノ ま が い の風刺 漫 画 を生 み出 し た。 そ れ ら の 一 部 を 解 説 付 き で収 録 し た ⑳ リ ックウ ッ ド の 書 物 、 マ ッ カ ル マ ン の 研 究 ほ かも 注 目 さ れ てよ い。 そ れ で はキ ャ ロ ラ イ ン 事 件 をど う と ら え る か。 評 伝 のほ か に近年 活 発 に進 め ら れ て いる研 究 は こ の 問 題 に焦 点 を 合 わ せ、 いく つ か の新 し
キ ャ ロラ イ ン王 妃事 件 を ど うと らえ るか い見 解 を 打 ち出 した σ急 進 主 義 史 ・ 労働 史 の視 点 か ら は顧 み ら れ な が っ た こ の事 件 を 最 初 にと ら え 直 し た プ ロ ザ ロ ー は、次 の よ う に 述 べ る。 キ ャ ロライ ンはす で に 一 八 二 二 ∼ 一 四年 か ら 、き わ め て 不人 気 な 摂 政 ジ ョージ " ﹁ ペ ル ・ メ ル の豚﹂ と 対置 し て、 人 気 絶 頂 の娘 シ ャー ロ ットと 合 わ せ て熱 烈 に 支 持 さ れ て い た が、 二〇 年 に大 陸 か ら帰 国 す ると 、 各 地 で民 衆 が熱 狂 的 に 彼 女 を支 持 し、 当 初 は国 王 への忠 誠 を の ぞ か せた 彼 女 も 、 王 妃 と し て の地 位 は認 め な い と い う国 王 の主 張 が 繰 り 返 さ れ る と 、民 衆 の 支 持 を求 め る よ う に な っ た。 彼 女 は ﹁ 急 進 派 の 王 妃 ﹂ と な り 、 市 長 ウ ッ ド ら ウ ィ ヅ グ改 革 派 だ け で なく 、 ガ スト、 ベ ンボ ウ ら 労 働 者 、職 人 層 も 王妃 を支 援 す る集 会 を組 織 し た。 多 く の職 種 の職 人 、 労働 者 が加 わ っ た こ の運 動 は、 政 治 改 革 の要 求 や 政 治 不 満 を 単 純 にそ ら し た も の で は な か っ た。 一 二 年 八月 の王 妃 の葬 送 の際 に、 大 衆 行動 に よ っ て市 街 地 を通 る よう 葬 列 の順 路 を 変 更 さ せた のも 彼 ら の政治 行 動 で あ っ た。 し か し彼 ら は他 人 が 設 け た舞 台 で 演 じ て い た に 過 ぎ ず 、 ウ イ ッ グが 彼 女 を見 捨 て ると シ ンボ ルを失 い、 運動 はた ち ま ち衰 退 す る と いう 弱 点 を も っ て いた 、 と 。 プ ロ ザ ロ ー は急 進 派 の 職 人 や労 働 者 た ちが キ ャ ロライ ン支 持 に動 いた 理由 と そ の正当 性 を明 ら か に し、 こ の事 件 を 避 け てき た そ れ ま で の 労 働 史 を転 換 さ せ る こ と ㊧ に な っ た。 と は いえ 、 こ の事 件 は労働 史上 に のみ位 置 づ け られ るも の で は なく 、 ま た ロンド ン史 の枠 にと ど ま る も の で も な い。 こ の事 件 の評 価 に新 た な展 開 を 示 し た のは、 ど う し て国 民 的 な 政 治 的 ・ 社 会 的 大 事 件 と な っ た のか を解 明 し よ う と し た ラ カ ー に よ る初 の 本 格 的 専 論 であ る 。 ラカ ー は 運 動 の 高 揚 を 二 つの側 面 、 す な わ ち キ ャ ロライ ンを急 進 派 の シ ンボ ル 、 親 キ ャ ロライ ン運 動 を 高 揚 し た 急 進 主 義 運動 ど と ら え る視 点 と、 事 件 が 演 劇 的 ・メ ロ ド ラ マ 的 に、 ﹁ 美 化じ さ れ た こ とが 、 運 動 に大 き な 弾 み を 与 え 国 民 的 運 動 にな っ た と いう視 点 の 、 両 面 から とら え るべ き と す る。 そ の ユ ニー クさ は後 者 にあ る。 前 者 に つい て は、 ﹁ 虐 げ ら れ てき た 王 妃﹂ へ の 熱 烈 な 支 持 は、 有 力 貴 族 、 貴 族 院 の多 数 派 が 国 王 側 に つけば つく だ け 、親 キ ャ ロ ラ イ ン ー-急 進 的 政 治 改 革 ・ 国 民 の立 憲 的 権 利 の 擁 護 と い う 性 格 を 明確 に し た。 キ ャ ロライ ン に 対 す る 不条 理 な 告 発 は ﹁ 古 い腐 敗 し た 体 制﹂ ( ○缸 O o 疑巷 臨 o 口 )の 復 活 に ほ か な ら な い。 急 進 派 の象 徴 的 存 在 だ っ た老 ジ ョン ・ カ ー ト ライ ト は 、 王妃 を救 う こ とが でき れ ば 政 治 的 迫 害 から 自 分 も 、 さ ら に国 制 そ の も の も 救 わ れ るだ ろ う、 と 述 べ た し、 保 守 派 の 雑 誌 ﹃ ロ イ ヤ リ スト﹄ は キ ャ ロラ イ ン を ﹁ フ ラ ン ス 革 命 の指 導 者﹂ と ま で言 っ た 。彼 女 の も と に は数 知 れ ぬ支 援 ・ 激 励 が 各 地 から 寄 せら れ た が 、 そ の 支 援 に 対 し て、 彼 女 自 身 ﹁ 私 が 地 位 を 失 え ば 、 あ な た が た ⑳ も自 由 を失 う よ う に な る で し ょう﹂ と 答 え た 。 ﹁ 潔 白 な 王妃 ﹂ と ﹁ 不 品 行 で贅 沢 三昧 の浪 費 家 の国 王﹂ と いう 対 比 の 中 で キ ャ ロラ イ ンを 支 持 す る運 動 は、 ド ラ マ 化 、美 化 さ れ やす か っ た。 キ ャ ロライ ンが貴 族 院 の ﹁ 裁 判﹂ に 引 き 出 さ れ る と 、 不幸 な結 婚 を し た悲 劇 の王 妃 のド ラ マは ク ライ マ ック スを 迎 え 、数 知 れ ぬ新 聞 、 雑 誌 が 王妃 弁 護 の論 陣 を 張 り 、 大 部 分 の 庶 民 、女 性 は国 が仕 立 て た ド ラ マを凝 視 し、 冤 罪 を 負 わ さ れ た 悲 劇 の主人 公 に 熱 烈 な声 援 を送 っ た。 事 態 は ﹁ チ ャー ルズ 一 世 のと き 以 来 の 災 厄 が 近づ いて いるし と憂 え られ たほ ど だ っ た 。 ﹁ 悲 劇﹂ は 人 気 と期 待 を集 め て い た 王女 シ ャー ロ ット の 死産 ・死去 の と き か ら 、 ﹁ 国 主 催 の 演 劇 ー 離 婚 ﹂ ( ω 欝8 ↓ げ o 象比 o 巴 。・ ー 日げ o U 署o H o o ) と し て開 幕 し て い た。 ﹁ 裁 判 ﹂ 中 に は 151
数 知 れ ぬ 風刺 画 、 パ ン フ レ ヅ ト や新 聞 が 津 々浦 々 に ま で流 布 し、 人 々 は こ のド ラ マ に 熱 中 し て酔 いしれ 、 キ ャ ロライ ン擁 護 の請 願 署 名 を 政 府 ・ 貴 族 院 に送 り つけ 、 イ タ リ ア 人 証 人 た ち に反 発 し、 彼 ら に似 せて つく っ た 人 形 を焼 き 払 っ た り し た。 親 キ ャ ロラ イ ン運 動 の熱 狂 の秘 密 を解 く 鍵 はそ のド ラ マ 性 にあ る。 ラ カ ー の行 き 届 いた 論述 と見 解 はそ の 後 の 研 究 に大 き な刺 激 と 影 響 を与 え た。 タ マ ラ ・ハント の 論 文 も ラ カ ー の 後 半 の論 述 の延 長 上 にあ り 、 風 刺 画 を 軸 に 親 キ ャ ロライ ン の 熱 狂 と そ の 変 化 を跡 づ け 、 こ の事 件 を ﹁ イ ギ リ ス文 化 史上 の重要 な出 来 事 ﹂ と み なす 。 ジ ョー ジ の愛 人 た ちと の ふざ け た 行為 が 国 を 危機 にお と し め る図 、 寝 取 られ 男 のシ ン ボ ルであ る角 を 取 り 合 う ジ ョージ ( ラ カ ー の論 文 にも掲 載 ) 、 シ ン ボ ル の角 を つけ て闊 歩 す るジ ョージ の 愛 人 の 夫 の 図 な ど の 風 刺 画 を 示 し つ つ、 ジ ョージ ら 王 族 が い か に不 品行 、 不道 徳 かが 暴 かれ た結 果 、 中 流 階 級 は シ ャ リヴ ァ リ 行動 にも訴 え 、親 キ ャ ロラ イ ン 運 動 に熱 狂 し た と 述 べ て い る。 し かし ﹁ 裁判 ﹂ が挫 折 し キ ャ ロラ イ ン が 迫 害 から 放 免 さ れ ると 、 彼 女 は理 想 の 庶 民 の 妻 、 あ る い は理想 の王妃 であ る のか、 と いう 反 省 に駆 ら れ 、 キ ャ ロライ ン 熱 は 急 速 に 冷 め た点 も 指 摘 し て い ⑫ る。 一 方 、 女 性 を私 的領 域 に 押 し留 め よ う とす る中 流 階 級 的 な家 族 イデ オ ロ ギ ー ・ 家 族 観 の 視 点 から キ ャ ロライ ン 事 件 を と らえ るデ イ ヴ ィ ド ブと ホ ー ル は次 のよ う に主 張 す る。 キ ャ 鷲ライ ンを支 持 し た大 衆 は、 歓 楽 に明 け 暮 れ 道 徳 も退 廃 し た ジ ョ1ジ と は正 反対 の 、 中 流 階 級 が 理 想 と す る君 主像 を求 め て お り、 王女 シ ャー ロ ット はそ の 理 想 を 実 現 し 得 る人物 と し て期 待 を寄 せ た。 一 八 二 〇 年 に は、 貴 族 的 な 道 徳 規 範 や 性 の 二重 規 範 を拒 否 し 、 よ り厳 格 な性 慣 行 を擁 護 す る代弁 者 と み てキ ャ ロライ ンを 熱 狂 的 に 支 持 し た。 改 革 派 や進 歩 派 が 彼 女 を支 持 し た こ と は事 実 だ が 、支 持 者 す べ て が過 激 な急 進 派 であ っ た わけ で はな く 、 ﹁ 尊 敬 され う る中 流 層 を含 む す べ て の人 々が 王 妃 側 に つ い た﹂ 。 こ の 事 件 を 通 じ て、 世 論 は ﹁ 国 王 一 家 は ま さ しく 家 族 でな け れば な ら な い。 王 と 王妃 は国 民 の た め の父 や 母 であ るべ き だ と し ても 、彼 ら自 身 の 家 庭 の 父 であ り 母 で な け れば な ら な い ﹂ と 宣 言 し た。 キ ャ ロ ラ イ ン 王妃 事 件 は結 婚 と 性 行 動 に対 す る公 衆 の 態 度 を定 立 さ せ る重 要 な契 機 と な り、 イギ リ ス 女 性 の潔 白 性 への信念 と女 性 が美 徳 と名 誉 を表 す と いう 立場 を定 着 さ せ た。 中 流 階 級 の 求 め る、 女 性 に は純 潔 、 男 性 に は 騎 士道 にか な っ た節 制 を 旨 と し た家 庭 的 王室 像 は、 ヴ ィク ト リ ア女 王 に ょ っ て実 現 す る。 こ のよう な中 流 階 級 と 結 合 さ せ る 見 解 に 反対 す る ア ナ ・ ク ラ ー ク は、 性 関 係 の枠 にと ら われ な い ロ ンド ンの平 民 層 ( 嘗o ぴ o 貯昌 ω ) を 軸 に し て、 メ ロ ド ラ マ や 茶 番 が ど のよ う に し て政 治 化 した の かを 改 め て 検 証 し、 論 争 の 再 解 釈 を 企 て る。 ロンド ン の商 店 主 、 小 商 人 、 職 人 、 針 子 、 召 し使 い、 賃 労 働 者 、 兵 士 、 船 員 ら 平 民 層 にと っ て 、 こ の事件 は ま っ たく 違 っ た意 味 を も っ て いた 。 カ ルフ ー ンが 平 民 層 のキ ャ ロラ イ ン 支 持 を ﹁ 伝 統 的 な 家 族 の 価 値 観﹂ を守 る た め 、 と み る の はあ ま り の に も 単 純 す ぎ る。 彼 ら の中 に は キ ャ ロライ ンを ﹁ 危機 に瀕 し た 純 潔 の 象 徴 ﹂ と み るも の も い たが 、 他 の多 く の者 は性 の自 由 を 認 め重 婚 や 同 棲 を受 け 入 れ、 結 婚 前 の 妊 娠 も 日常 的 に受 け 入 れ て い た の で、 キ ャ ロ ライ ン の 貞 操 に つい て は何 ら 問 題 に し て い な か っ た。 性 生 活 はす べ て の 女 性 の 健 康 に と っ て必 要 事 と 確 信 し て いた急 進 派 の 仕 立 て職 人 フラ 152
キ ャ ロ ライ ン王 妃事 件 を ど う とらえ るか ン シ ス ・ プ レ イ ス は、 夫 から 冷 た い仕 打 ち を受 け た彼 女 が他 の 男 な い し美 男 子 と結 び つ く の は何 ら 問 題 で はな いと 述 べ た。 レイ ・ハント の ﹃ エ グザ ミ ナ ー﹄ 、 リ チ ャード ・ カ ー ライ ル の ﹃ リ パブ リ カ ン﹄ も ほ ぼ 同 様 な主 張 を打 ち出 した 。 ベ ンボ ウ に よ る 風 刺 画 ﹁ 毛 布 の 上 の 舞 踏 ﹂ は、 ロ ン ド ン の下 層 中 流 階 級 の女 性 た ち が 支 え も つ 毛 布 の 上 で ほ う り 上 げ ら れ るジ ョージ を 描 いて お り 、妻 への 虐 待 者 に対 す る伝 統 的 な女 性 側 の復 讐 を 表 し て いた 。 王 妃 支 持 に は国 王 と貴 族 院 に 敢 然 と抗 議 す る挑 戦 的 な 妻 を 讃 え る声 も 加 わ っ て お り 、 こ の事件 は性 の二重 規 範 批 判 の 舞 台 を つ く っ た だ け でな く 、積 極 的 に 発 言 し行 動 す る女 性 の 政 治 参 加 の 可 能 性 をも 拓 い た。 急 進 派 の ロンド ン の女 性 た ち は 王妃 支 援 の 代 表 団 を送 り 、 署 名 を し た 。 各 地 の 無 名 の女 性 た ち は 、 王妃 の 運 命 を自 ら のも のと 重 ね 合 わ せ、 積 極 的 に行 動 し た。 ベ ンボ ウ の 大 型 ビ ラ ﹁ 王妃 の 性 格 ﹂ で は、 彼 女 のイ エルサ レ ム へ の巡 礼 を ﹁ 勇 敢 な冒 険 ﹂ と し て讃 え た。 キ ャ ロライ ン王 妃 事 件 は、 や が て新 し い真 面 目 な 労 働 者 階 級 の 政 治 運 動 へ 移 行 す る前 の、 ﹁ 枠 を 超 え た 手 に 負 え な い 平 ⑳ 民 急 進 主義 の 最 後 のな はば な し い突 発 ﹂ であ っ た 。親 キ ャ ロ ラ イ ン 派 の 中 にあ る攻 撃 的 な 平 民 的 急 進 主 義 の存 在 を 浮 き彫 り にし た ク ラ ー ク の 見 解 は ユ ニ ー ク であ るが 、 そ れ は国 王 側 の頑 な な キ ャ ロ ラ イ ン 排 除 の 強 行 への 反 発 でも あ っ た。 近 年 の 歴 史 家 た ちが 反 キ ャ ロライ ン運 動 を 無 視 し て いる と し て 、 国 王側 の 対 抗 策 を検 証 す る のは フ ルチ ャー であ る。 以 前 から の ﹃ ク ー リ エ ﹄ ﹃ ニ ュ ー ・ タ イ ム ズ ﹄ ﹃ モー ニング ・ ポ ス ト﹄ に加 え て 、 ﹃ ジ ョ ン ・ ブ ル ﹄ ﹃ ビ ー コン ﹄ な ど の王 党 派 新 聞 が 登 場 し 、 キ ャ ロライ ンと そ の 支 持 者 た ち を攻 撃 し た。 そ の論 点 ・ 主 張 は、 事 件 はあ く ま で王 と 王妃 の 間 の 純 粋 な家 庭 内 の 問 題 であ る、 女 性 に は謙 虚 さ が 必 要 で 礼 儀 作 法 を重 んず べき だ 、 王 妃 と そ の追 随 者 た ち を 何 と か飼 い馴 ら そ う と す る、 親 キ ャ ロライ ン派 に対 抗 し て国 王 と プ ロテ ス タ ン ト国 制 を尊 敬 す べき 存 在 と し て積 極 的 に提 示 し 、 か つ親 キ ャ ロライ ン派 を 親 国 王 派 へ 転 向 さ せ よう と す る、 と いう も の であ っ た 。 フ ル チ ャ ー の議 論 は不 十 分 なも のだ が 、 こ の対 急 進 派 策 は後 のカ ト リ ック 解 放 運 動 への対策 の予 行 と し て役 立 っ た 、述 べ て いる 。 親 キ ャ ロライ ン運 動 と 中 流 階 級 と を結 び つけ る デ イ ヴ ィ ド フ、 ホ ー ルら の顕 著 な 傾 向 に対 し 、 ウ ォ ー ル マン はジ ェンダ ー 、階 級 、政 治 の 三者 が 交 錯 し た こ の事 件 は中 流 階 級 のみ と 結 合 し て は いな い、 と し て 批 判 す る。 キ ャ ロライ ン支 持 層 は地 主階 級 か ら急 進 的 労働 者階 級 ま で 階 層 を越 え て全 国 に広 が っ て お り 、 な か でも職 人 層 が 重要 な役 割 を担 っ た。 こ の運 動 の過 程 で中 流 階級 ( ヨ達巳 o o 冨ω 9 ヨ罷臼①霽 口 閃 ) と い う 用 語 が よ く 使 わ れ た が 、 そ れ は反 王 妃側 に立 つ国 王 や貴 族院 と い う 上 流 社 会 ( ぼ αQ げ 奠 o 巳 奠) に対 峙 す るも のと し て使 わ れ た 。親 キ ャ ロ ライ ン運 動 に加 わ っ た 女 性 た ち は、 家 族 と いう私 的領 域 の 中 で 女 性 を 守 るた めだ け でな く 、 女 性 の公 共圏 で の 活 動 、政 治 運動 を支 持 す る 立 場 に立 っ て いた 。 そ れ ゆ え に親 キ ャ ロライ ン運 動 を 押 し進 め た のは 、 特 定 の階 級 の力 で は な く 、 階 級 を 越 え 女性 の 力 も結 集 し た ﹁ 世 論﹂ ( 謹 窪ざ 。 且巳 o ロ ) であ っ た 、 と す る。 ﹁ 世 論 ﹂ と いう 用 語 は親 キ ャ ロラ イ ン 運 動 で しば しば 使 わ れ て おり 、 ラ カ ーも そ れ に注 目 し て い る ⑰ が 、 ウ ォー ル マン によ っ て改 め て 強 調 さ れ た の であ る。 最 後 に、 以 上 述 べ てき た こ の事 件 に つい て の解 釈 ・ 見 解 を めぐ る研 究 史 上 の 変 遷 ・ 転 回 を 、 広 く 近 年 の民 衆 政 治 史 研 究 にみ ら れ る脱 階 級 瑠
的 な転 回傾 ・鳳 の 凝 縮 例 と み る ロ ハ ン ・ ︾ ック ウ ィリ ア ム の見 解 に注 目 し た い。 彼 は 一 九 世 紀 の民 衆 政 治 史 全 体 を 視 野 に入 れ な が ら 、階 級 と 階 級 意 識 を歴 史 を動 かす キ ー概 念 と み て 民 衆 政 治 史 を 分 析 す る E ・ P ・ ト ム プ スンら の解 釈 を ﹁ 古 い分 析 ﹂ ( o 崔 き 亀 誘 δ )と呼 び 、近 年 台 頭 し て い る ﹁ 階 級 ﹂を キ ー概 念 から 外 し、 代 わ っ て民 衆 ( ℃ 。 o 覧。 ) 、 国 民 ( 昌 餌 貫 O P ) 及 び ナ シ ョナ リズ ム、 ジ ェンダ ー 、人 間 性 など を軸 に し て歴 史 を と らえ るポ ピ ュ リズ ム的 解 釈 を ﹁ 新 し い分 析 ﹂ な い し修 正 主 義 と呼 ぶ 。 これ は ﹁ ポ ピ ュ リ ス ト的転 回﹂ ( ℃ o ℃ 巳 陣。・ 酔葺 蕁 ) と も い わ れ るが 、 こ の 解 釈 は歴 史 を動 かす 力 と し て ﹁ 世 論 ﹂ に注 目 さ せ、 女 性 ・ ジ ェンダ ー への目 を開 か せ る な ど、 歴 史 像 を豊 か にす る の に貢 献 した 。 マ ックウ ィ リ ア ム は 次 のよ う に 結 ん で い る。 ﹁ キ ャ ロライ ン王 妃 事 件 に関 す る文献 は、民 衆 政 治 ︹運 動 ︺ に つい て、 ジ ェンダ ーや ナ シ ョナ ル ・ アイ デ ンテ ィテ ィ を組 み込 んだ 新 し い思 考 方 法 を 生 み 出 す 機 会 を 例 示 し て いる。 資 本 主 義 的 生 産 様 式 によ っ て つ く り だ さ れ た階 級 や 不 平等 は、叙 述 か ら消 え失 せ る こ と はな いが 、 し かし わ れ わ れ は 階 級 社会 の 本 質 は理 解 す べき だ と し ても 、 社 会 関 係 が ほ か の 要 因 によ っ て いか に 変 わ る か に つい て探 求 しな け れ ば な ら な い。 ポ スト修 正 主 義 の目的 は政 治 ︹運 動 ︺ の 社 会 史 ( 9 ω O 鼠巴 ぼ。 ・ 8藁 O {娼 9屮 膏 ω) を ⑱ 提 示 す る こ と であ ろう 。 し お わ り に キ ャ ロ ラ イ ン 王 妃 事 件 は 、 ダ ン デ ィ ・ 派 手 な 遊 び 人 で す で に フ ィ ッ ツ ハー バ ー ト 夫 人 と ﹁ 結 婚 ﹂ し て お り 、 愛 人 ジ ャ ー ジ ー 夫 人 も 侍 ら せ て い た 皇 太 子 ジ ョ ー ジ と キ ャ ロラ イ ン の 不 幸 な 結 婚 か ら 始 ま った 。 キ ヤ ロライ ン は確 か に 庶 民 的感 性 の 持 ち 主 で あ り、 率 直 、 闊 達 で王 室 向 54 1 き で はな か っ た かも知 れ な いが 、 ﹁ 母 は悪 い の です 。 し か しも し父 が こう ま でひ ど く悪 い こ と を し な か っ た な らば 、 母 は これ ほ ど悪 く はな ⑲ ら な か っ た でし ょう﹂ と い う娘 シ ャー ロ ヅトが 私 教 師 に語 っ た 言葉 は 真 実 を語 っ て い る。 事 件 は 一 七 九 五∼ 九 六 年 の 結 婚 と シ ャー ロ ッ ト の 誕 生 の 時 期 か ら の不 和 ・ いさ か い、 一 八〇 五 ∼ 六年 の 秘 密 委 員 会 によ る妻 の 私 生 児 を暴 こう と す る ﹁ 細 心 の 調 査 ﹂ 、 = ゴ 年 の 妻 側 の 訴 え が 議 会 、 新 聞 で大 き な 関 心 を 呼 び 、過 去 の 事 件 の 経 緯 が 庶 民 院 で公 表 さ れ 、 白 熱 化 し た論 議 、 一 八 ∼ 一 九年 のキ ャ ロラ イ ン の 大 陸 で の行 状 を 告 発 す る ミ ラ ノ委員 会 、 二 〇 年 の 帰 国 後 の王妃 に不 貞 の罪 で離 婚 を 迫 る国 王 の意 を 受 け た貴 族 院 の ﹁ 裁 判﹂ 、 と いう キ ャ ロライ ン に対 す る 苛 酷 な 度 重 な る ﹁ 虐 待 ﹂ の 形 で 展 開 した 。 そ れ ゆ え に王 室 内 の私 的 な 男 女 関 係 が庶 民 ・ 大 衆 によ っ て初 め て問 題 にさ れ 、 二〇 年 に はそ れ が 大 衆 運 動 と し て激 発 し、 国 民 的 大 事 件 と な っ た の であ る 。 親 キ ャ ロライ ン 派 は、 公 的 人 物 で はウ イ ッ グ系 議 員 の 多 数 、改 革 派 議 員 、 ロンド ン 市 長 など 、 一 般 市 民 で は急 進 主 義 者 、 商 店 主 、店 員 、 職 人 、 労 働 者 、 多 数 の女 性 、 青 年 層 ・ 学 生 、 詩 人 バ イ ロンな ど知 識 人 で あ り 、中 下 層 階 級 が 多 か っ たが 、 良 識 あ る上 流 階 級 も 含 ま れ て い た。 彼 ら は 皇 太 子 ジ ョージ を ﹁ 古 い腐 敗 し た 体 制﹂ ( ○ 匡 O o 議巷 ぼ o 口 ) の シ ンボ ル 、 キ ャ ロライ ンを ﹁ 急 進 派 の シ ンボ ル ﹂ と さ え 見 な し た。 運 動 が急 進 主義 的 性 格 を も っ た の は こ のた め であ り 、 一 七 六〇 年 代 のウ ィ ルク ス 派 の 運 動 から 始 ま り 、 フ ラ ン ス革命 期 を へ て ナ ポ レオ ン 戦 争 後 に高 揚 す る急 進 主 義 運 動 の歴 史 の 一 齣 と 位 置 づ け ら れ る こ と が多 い の も 同 じ理 由 に よ る。 ま た 弱 い立 場 の王 妃 を支 援 す る と い う庶 民 ・ 民
キ ャ ロ ライ ン王 妃 事 件 を ど う とらえ るか 衆 の生 得 の 価 値 観 を も表 し て お り 、急 進 主義 の 歴 史 過 程 か ち逸 脱 し た も のと は言 え な い。 し か し そ れ は 王族 男 女 の スキ ャ ン ダ ルに基 づ く 国 主 催 の舞 台 で演 じ た も の であ り 、舞 台 の 消 減 と とも に そ の 熱 演 も あ っ け な く 閉 幕 し た 。 そ れ ゆ え に 階 級 闘 争 の 性 格 は薄 く 、 一 八 一 九 年 に弾 圧 を 受 け た民 衆急 進 主義 の エ ネ ルギ ー と中 流 階 級 改 革 派 ・ 功 利 主 義 者 、 知 識 人 、 及 び多 く の女性 の要 求 と 運動 が広 範 に結 集 し た、 階 級 を 越 え た ﹁ 世 論 ﹂ の力 を 示 し た も の であ っ た。 ト こ の運 動 で は群 衆 行動 にも請 願署 名 活 動 にも 数 多 の女 性 が 参 加 し、 性 関 係 の 二重 規 範 を 問 題 にし 、 父 のジ ョ ー ジ 三世 夫 妻 を まき モ デ ルに し て、 王 族 の男 女 関 係 に つ いて も中 流 階 級 的 モラ ルを要 求 し た。 彼 女 ら にと つ て王 妃 を 擁 護 す る こと は 自 ら の立 場 と重 ね合 わ せ、 自 己主 張 す る こと でも あ っ た 。 ま た 職 人 ・ 労働 者急 進 派 に は夫 に酷 い仕 打 ち を さ れ た妻 の 性 的 自 由 を 主 張 す る と い っ た 、性 モラ ル の 攻 撃 的 な革 新 を 説 く 動 き も あ り 、 さ ら に公 共 圏 にお け る 女 性 の 活 動 を讃 え る 平民 的 急 進 主 義 も 含 ま れ て いた 。 夫 ジ ョ ー ジ や キ ャ ロ ラ イ ンを扱 っ た風 刺 画 や ビ ラが大 量 に流 布 し 、 事 態 が ド ラ マ 化 さ れ 、 シ ャリ ヴ ァ リ行 動 に弾 み を つ け 、 国 王 と 貴 族 院 によ る 王 妃弾 劾 の企 て が進 む に つ れ て興 奮 は頂 点 に達 した の であ る。 ジ ョ ー ジ の 世 代 の王族 の 乱 れ と 王室 の地 位 低 下 ⑳ の危 機 的 状 況 は、 、 早 死 にし た期 待 の シ ャー ロ ッ ト に代 わ っ て、 や が て ﹁ 家 族 の中 の国 王 ﹂ のイ メ ージ を定 着 さ せ る ヴ ィク ト リ ア女 王 への道 を拓 く こと にな っ た 。 ﹁ われ われ ﹂ あ る い は ﹁ イ ング ラ ンド には 王妃 が 必要 ﹂ と い う訴 え や ﹁ 裁 判 ﹂ " に招 かれ た イ タ リ ア 証 人 への反発 と 反対 デ モ が 物 語 る よう に、 親 王 妃 派 は民 衆 的 ナ シ ョナリ ズ ム によ っ ても 支 え られ て い た。 こ の事 件 を めぐ る研 究 史 の変 遷 ・ 転 回 を、 近 年 の脱 階 級 的 な転 回 傾 向 の凝 縮 例 と み る マ ヅ ク ウ ィリ ア ム の見 解 は興 味 を ひく が 、 そ れ より も こ の事 件 が 労 働 者 ・ 民 衆 運 動 と 中 流 階 級 的 運 動 が 結 び 合 う 結 節 点 に 位 置 し て い た こと に 注 目す べき であ り 、 ま た 王室 と 社 会 ・ 民衆 、 ジ ェ ンダ i ・ 女 性 史 、民 衆 文 化 、 ナ シ ョナリ ズ ム の 視 点 をも 合 わ せ て と ら え な け れ ば な ら な い。 註 ① ρ ζ . 炉 Φ ぎ 一 旨 P 卑 ミ 臨 輹 論o こ § き 延 ≦ ミ 鳶 § 暮 9 ミ ミ 遷 L 鷁 や 1 這 ミ ℃ り o 旨 山 o P μ ㊤ 卜δ 卜Ω 噂や μ リ ド ② H o 驀 騨 睾 閏巳 警 g ..↓ぽ ピo 醤 房 け 閑Φ 磬 g の 。 仲 o 爵 。 Og 窪 Oβ 。 3 鵠 g 諺σ q 冨 凱 o 器 ..℃§ § § 匙 ミ 。 尊 ミ S 恥 ミ ミ 免 防 ︹ 蕊 恥 ︺ "ぎ 尸Q 。 心 ー 企 お ㊤ 9 も や 蔭 Q。 H ー 心 ◎。 卜。 ° フ ル チ ャ ー の ほ か 後 出 の D ・ト ムプ ス ンも ⇔ σq 剛 鍵臨o 昌 と し て い る 。 ③ ≦ 田 鑓 日 頃 甓 譯 計 ..Oo ヨ 蓐 8 コ ⇔ 8 の .、"づ ρ 鱒 ω L 。。 "。 。。 噛貯 § 偽 9 書 ミ 馬 き 、 謬 鳥 丶 § ミ 昌 ミ き 趣 ミ ひ & °び 鴇 鋭 菊﹄ 厨 剛 同霞 鋤 民 諺讐 o 鷁 O圏 o < 9 這 く o 同 の ` 巨o 昌 鮎 o P μ 8 斜 ぐ o 尸 bo 矯 歹 毓 餅 ④ 優 れ た 本 格 的 研 究 の 筆 者 ラ カ ー の 次 の 論 文 を 参 照 。 ↓° ミ ゜ り 呂 器 葺 ..日 冨 O g Φ ⇒ O臂 o 団器 諺 中 巴 H " 男o 圏 凶鶴 o の 霧 霞 酔貯 匪 ① H ① 団σq 昌 o 出 08 茜 Φ H < 、、矯き ミ 醤 ミ 馬 § § § § 誉 鼕 く 9° 罐 ー Q。 噂冨 ◎。 卜。 ° ⑤ キ ャ ロ ラ イ ン は ﹁ ブ ラ ン ズ ウ ィ ク の キ ャ ロ ラ イ ン 、 虐 げ ら れ て き た 王 妃 こ こ に 眠 る ﹂ と 棺 に 書 く よ う 遺 言 を 書 い た 。 匂 ゜ 乞 団 σq 露 ぎ σq 巴 O ( ⑫ 参 照 ) 、 や 。。 O 伊 メ ル ヴ ィ ル ( ⑨ 参 照 ) は こ れ を 書 名 に 採 用 。 ー ⑥ U o 3 帥 ξ ↓ぎ ヨ 嶺 o p ..O器 霧 ≦ 。 8 はρ 費 ① ζ o 苳 N 。 ξ ⇔ & O⑦ & 鶏 、"糟 ド ㊤ ◎。 P ぎ 售 # p Oミ 匙§ 丶 象 Ω 認鯵 9 隷 § 、 § 駄 冬 、 噛 § u目 o 民 o P 届 り 。。 ° 古 賀 訳 ﹁ ヴ ィク ト リ ア女 王 -君 主制 と 女 性 ( ジ ェン ダ ー) ﹂ ﹃ 歴史 学研 究 ﹄ 六 三 五号 、 , 一 九 九 二 年 。 同 様 な 意 見 は マ ヅ カ ル マ ン も 述 べ て い る。 H⇔ ぎ 竃 。 O 効 ぎ き せ沁 " 黛 ミ S § 丶 §ミ N卸 キ § 書 営 肉 馬 § Nミ 丶§ ミ 丶$ § 駄 ㌻ § ミ 愚 ひ § § 卜 § § 斜 凶 罍 亠 象 食 o 躄 蓬 儀 σq ° 弘 り c。 °。 ℃ o 擁 葺 傷 莇
paper ed. 1993, p.162. C) E. P. Thompson, The Making of the English Working Class, London, 1963, revised 1968, pp. 778-779. 0 ditto., "The Very Type of the 'Respectable Artisan', New Society, 48 (May 3, 1979), pp. 275-277. I. J. Prothero, Artisans and Politics in the Early Nineteenth-century London, John Gast and his Times, Folkestone, Kent, 1979, pp. 132-155. K*.MtiV' iSteZifol c, \--,11Vii,-),&.6.:>8.W zsd-e-M611-4""c, ..1;ro° Flora Fraser, The Unruly Queen, The Life of Queen Caroline, London, 1996. Lewis Melville, An injured Queen, Caroline of Brunswick, 2 vols. London, 1912. W. Dodgson Bowman, The Divorce Case of Queen Caroline, An Account of the Reign of George IV and the King's Relation with other Women, London, 1930. Roger Fulford, The Trial of Queen Caroline, London, 1967. John Ste-venson, "The Queen Caroline affair", in London in the Age of Reform, ed. J. Stevenson, Oxford, 1977. E. A. Smith and Ernest Anthony, Queen on Trial, the Affair of Queen Caroline, Dover, 1993. Christopher Hibbert, George IV, Prince of Wales 1762-1811, London, 1972. ditto, George IV, Regent and King 1811-1830, London, 1973. E. A. Smith, George IV, Yale U. P., 1999. J. B. Priestley, The Prince of Pleasure and his Regency 1811-20, London, 1969. goa re Linda Colley, Britons, the Forging the Nation 1707-1837, Yale U. P., 1992. 'Es NtaillN-*A'r 7-\ eM-Ij *4-1-LEILicl<tti-3M4' 110001-° at PEREil-Hifils= -K4 1Q 1 thAilare'e'2',/ 4s&J' nitISM=M A301:' 1 m° ollmiia Wic. • r4r "t" a IN \-•j rixiogv< tii---<-1*(140.ti-IM 1 01-P1' 1 }-11 w° ® 1 KeEfiqkcii-<.c,e2vWFsillgt--WitH-1,Q° •The Times [T3, 19 January, 9, 13 March, 6 April 1795, p. 2. The Annual Register CAR], 1795, Chronicle, pp. 13-14. Lewis Melville, pp. 33-34. g T, 9 April 1795, p. 2. AR, 1795, pp. 15-16. g F. Fraser, pp. 64-69. ® T, 8, 9, 11, 12, 17 January 1796, p. 2. Fraser, pp. 74-75. MEL) -/1-1Arthur Aspinall, ed., The Correspondence of George, Prince of Wales, 1770-1812, 8 vols. London, 1963-71, vol. 3, p. 132. g Hansard's Parliamentary Debates CHPDJ, 1st series, vol. 24 (1813), 1117-1121. W. Dodgson Bowman, pp. 125-32. ® HPD, op. cit., 982-985, 1106-1155, vol. 25 (1813), 116-125, 142-200, 207-227, 269-284. g W. D. Bowman, pp. 180-184, Fraser, p. 252 ff. g L. Melville, pp. 305-311. g T, 6, 7, 13, 17 June 1820. ri 4( tvc^ 1 — QQ.Adtii,-)../..47,-) 4,.-!`" cf. Cobbett's Weekly Political Register, 10 June 1820. g HPD, new series, vol. 1 (1820), 886-902, vol. 2, 210-216, 612 ff. vol. 3, 783 ff., vol. 4 (1821), 65. The Black Dwarf, vol. V, no. 21, Nov. 1820, pp. 717-724. g T, 8, 9, 13, 15, 16 Aug. 1821. I. Prothero, pp. 132-155. J. Nightingale (ew), p. 288 ff. *•T\ IN' v'h ."=•00111c-' evw:Ra 41,4 1 1111‹.41:u Aie-ti-uti-Hrglint 11A-61,o-;-,0441:H5-64 AJ-2',-kr- 1 10-11 1 41- g Z C-)4Q!Q° Q e 42° Joseph Nightingale, ed., Memoirs of her late Majesty, Queen Caroline, 3 vols. London 1820-21, a new edition by Christopher Hibbert, Memoirs of the Public Life of Queen Caroline, London Folio Society, 1978.t2-11-.J. Cobbett's Weekly Political Register (1802-35), T. J. Wooler Q The Black Dwarf (1817-24), Leigh Hunt Q The Examiner (1808-25) 110 H-1144eatailoM A.\-- a ,,,Q44,2.1tolate I <1 io*e;g245-N1 (HPD, tu,:izI5'116P ix)