香 川 大 学 経 済 論 叢 第74巻 第 4号 2002年 3月 157-182
ラデイカル・トーリーのマルサス像・
M.
サドラー『人口法則』の考察
柳 沢 哲 哉
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人道主義のラディカル・トーリーとして知られているマイケル・トマス・サ ドラー(
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年までトー (1) リーの下院議員として,カトリック解放や議会改革に反対した。わが国でも, リチヤード・オストラーやアシュリー卿とともに1
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時間労働運動の先頭に立っ たこと,あるいは工場労働者の苦境,とりわけ児童労働の悲惨な様子を訴えた, いわゆる「サドラー報告」を議会に提出したことが広く知られている。1
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年 工場法の成立がこうした人道主義の力学だけで説明できないことは今日の通説 になっているにせよ,サドラーが工場改革に果たした役割は依然として高く評 価されている。 工場改革に取り組んでいたのと同じ時期に,サドラーはマノレサス『人口論』 批判にも着手しており,その成果を『アイルランド論s(18
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年)と『人口法則』 (3)(
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年)として刊行した。『人口法則』はもともと6
篇構成の予定であったが,1
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年に第4
篇までを含む2
巻を刊行しただけで,続巻は出版されなかった。 それでも,両巻合わせて1
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ページを超える大著となっている。『人口法則』 (1) ダービーシャーの地方地主の家に生まれた。両親は国教会の信徒であったが,メソディ ストに共感しており,サドラーの宗教的信条もメソディストに近いとされている。議会活 動に従事する以前に,救貧税の出納を担当するなど救貧行政に携わっていた。 (2 ) サドラーの社会思想についてのほぼ唯一のモノグラフと言えるL
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[2000]はr
国 家の社会的役割の強調」がサドラーの議論の軸になっているとしながらも(p..37),工場法 成立に果たした役割はあまり大きくなかったと判断している。-158 香川大学経済論議 870 は第1篇から第 3篇までが主にマルサス批判になっており,第 4篇では,人口 増加率が人口密度に反比例するという,今日では「サドラー法則」 と呼ばれる 独自の人口法則が展開されている。『アイノレランド論』は『人口法則』に先行し て出版されたが,後者の準備中に, その「補巻」として執筆されたものである。 『アイルランド論』 は独自の人口法則によりながら, アイノレランドの貧困対策 として議論されていた移民計画を批判し,代わりに救貧法導入を正当化しよう とする試みであった。『アイノレランド論』はその刊行直後からマカロックらの激 しい反発を呼び起こし,翌々年に刊行された『人口法則』 も直ちに賛否両論を 巻き起こした。 この論争はサドラーを軸としたマルサス人口論争の再燃という ことができる。論争の中心は『エジンパラ・レビュー』のT..B..マコーリーによ るサドラー批判と,サドラー自身による反批判の応酬であったが,さらにスコッ トランド保守派の主張を代表する『ブラックウッズ・エジンパラ・マガジン』 (以下 BWMと略記)がサドラー擁護論を展開することで論争は拡大していっ " ,....。 当時の論争においてのみならず, 今日の人口論史においても, サドラ一人口 論には正反対の評価がある。 とはいえ, これまでの人口論史におけるサドラー 人口論のウェイトは必ずしも大きくはない。対象にしている場合も, もっぱら サドラ一法則に焦点、を当てて, それを荒唐無稽な生物学的人口法則として退け ょうとするか, それとも好意的に読み替えることで現代的な意義を見出すか, といういずれかであった。本稿はこのいずれかに与することが目的ではない。 狭義の人口論史の観点からサドラー法則そのものを重視するのではなく, サド ラーが法則を提示した背景を探りながら 1820年代末から30年代にかけてのマ ノレサスを巡る論争の中にサドラーを位置付け, その特徴を探ることが本稿の目 (3 ) 正式タイトノレは,lreland, iお evils,and theiγrem官dies being a n;βdation
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ラデイカル・トーリーのマルサス像: M サドラー『人口法則』の考察 ト 871 的である。 この時期について簡単にふれておきたい。 Bowleyによれば,生産性の上昇という現実を背景にして,人口問題に対する悲 観的態度から楽観的態度への変化が1830年代に顕著になりはじめたという (Bowley [1937J, p.125)。この指摘が正しいとすれば,サドラーの議論は人口問 題に対するその後の時代の変化を先取りしていることになる。 マルサス人口論争の観点から, しかし,他方で コベット」などの「古い反マル サス学派の最後と呼べるかもしれないJ(James[1979J,p..404)とするJamesの ような位置付けもある。残念ながら, Jamesは何をもって「古い」グループと するのかを明確にしているわけではないから, コールリッジ, サドラーを「ハズリット, は,
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その当否を判断することはでき というのは, サドラーが与えた影響は軽視できないであろう。 しかし, ない。 サドラー自身はB W Mに執筆してはいないものの, B W Mにおけるマノレサス批 判のいわばプロトタイプを提供したと言うことができるからである。例えば, BWM 派を代表するアーチボルト・アリソンは『人口原理~ (1840年)において マルサス批判を試みているが,その論点の多くはサドラーにまで遡ることがで きる。人口論争におけるサドラーの役割はこれまでほとんど指摘されてこな BWMにおける反マノレサスの潮流を形成することを通じて一定の影 カ〉ったカヨ, 響を与えてきたのである。それゆえ,本稿の作業は,サドラー自身の分析であ BWMにおけるマルサス像の分析という研究課題の一部をもなし ると同時に, (4) ている。 ポ リ テ イ カ ル ・ エ コ ノ ミ ー 批 判I
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サドラーはポリテイカノレ・エコノミー 『アイルランド論~ I序文」を中心に, 批判を展開している。マノレサス人口論とポリテイカル・エコノミーが不可分な (4) BWMにおける経済学の検討としてはFetter[1960]の先駆的研究やRashid[1978J があるが,わが閏ではあまり対象とされてこなかった。アリソンについては保護貿易論を 扱った服部[1995]がある。アリソンの人口論およびBWMのマルサスに対する大まかな スタンスについては柳沢[2001b]において概観しておいたが, BWMにおけるマルサス 像の本格的な分析は別稿で論じたい。i
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-160- 香川大学経済論叢 872 関係にあるものと見なしているの‘で,ここでポリテイカル・エコノミー批判を 概観しておくのが,サドラ一人口論を理解するのに都合がよいであろう。マlレ サス『人口論』とポリテイカル・エコノミーについては rこの学説〔マルサス 人口原理〕は現代のポリテイカル・エコノミーの体系から最も強力な支持を受 けており,その是認された土台となっているJ(Ire, p..xlviii)と述べている。今 日の観点からすればマルサスはポリテイカル・エコノミストの主流とは言えな いが,サドラーにとってマルサスはその代表的な論者に他ならなかった。こう した見方はサドラーに特有なものではない。商業社会を批判する論者の多くに とって, リカードウとマノレサスは批判すべきポリテイカル・エコノミストの一 員として同列の存在であって,両者の相違など些細な問題に他ならなかった。 明確な区分はできないが,ポリテイカノレ・エコノミー批判の主なポイントはお およそ, (1)抽象性批判, (2)市場批判, (3)需要重視論に分類できる。本節では(l) と(
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を検討する。最後の需要重視論は他のこつとは性質が異なるのでアイlレ ランド論』の背景とともに次節で言及したい。 II-l 抽象性批判 シーニアやJ
れS"ミルのように体系的な方法論をサドラーが展開しているわ けではない。しかし rサドラ一報告」にも見られるように,経験に基づかない 議論を退けようとする態度は一貫していた。こうした態度は,マルサス『人口 論』を含む当時のポリテイカノレ・エコノミーの方法に対する反発をも生み出す こととなった。マノレサスの級数命題について次のように述べている。 「これと逆の理論〔マノレサス人口原理〕は,その論証を厳密科学の上に置い ていると偽っている。しかし,それは最も間違ったものである。というの は,それが主張している増加の幾何級数は単なる抽象的な観念でしかなく, 決してこれまでも,そしてこれからも自然のいかなる種類の作用の中にも 存在しない。J(Ire, p.xxxv) 「それ〔マノレサス人口原理〕は抽象的な真理として表明されている。抽象的 な真理について人類のもっとも偉大な人物の一人が次のように言ってい873 Mラデイカル・トーリーのマルサス像:サドラー『人口法則』の考察 161 る。『人間の精神は極端な知識の偏りに対して非常に喜んでしまう』。それ ゆえ,ベーコンほどの権威がわれわれに注意しているように粗野な一般 化のもとでのそうした知識を信用すべきではない』。それが表明されている まさにその言葉は,幾何学や算術のものであり……疑念を抱かないように させるのに役立つ。一日。こうした理由が合わさって,…u ある学説が広まっ ているのである。J(Ire, p.. xlvii ) このようにポリテイカル・エコノミーは厳密科学の装いをとっているが,それ は説得力を持たせるレトリックの一種に他ならないと見ていた。ポリテイカ ノレ・エコノミーの実態は,経験的な基礎を欠く抽象的な理論に他ならず r暖昧 な定義と抽象的な議論」にうったえるばかりで(Ir
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,p..7),科学とはいえず,頭 骨学(craniology)のようなものにすぎないと批判している(Ire,p.. li)。これに 対して,自らの法則が収集可能な全データから帰納されたものであることを, ベーコンを引き合いに出しながら強調した。 「人口原理のスケッチは,それが帰納されたところの莫大な証拠や表ととも に公衆に提示されるであろう。それらは,特定の事例の単なる選択ではな しまたその目的のために捻じ曲げられたものでもなく,公正に,無差別 に(promiscuously),そして普遍的に,公衆がアクセスしうる人類のあらゆ る記録からとられたものであって,完全に結果を立証し,それら自体で新 たに展開される理論を形成する。J(Ire, pゎxxxiv) 「この(
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人口法奥山の〕手続き (proceeding)において,私は終始っき従っ てきた哲学に対する是認を表明する。それは計り知れないほど隔たってい るけれども,ベーコンのものである1 …ソ (Law1,p..xi) 現代のベーコン研究に照らすならば,ベーコンの科学的方法を単純に帰納法と することはできない。なぜ、ならば,時代によりベーコン像にはかなりの幅があ るからである。しかし,ここでサドラーが参照しているのは,事物の根拠を欠 いた抽象を批判する『大革新』の序言であり,1
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世紀に普及し今固まで流布し (5 ) この筒所にはr,レソーでさえもr一般的で抽象的な観念は人類が陥る最大の間違いの源 である』と見ていた」という注も付いている。874 すなわち経験からの一般化を擁護したベーコンということ リカードウの方法論に対するマルサスの こうしたサドラーの議論は, さて, マルサスこそ,経済学 批判を初梯させるであろう。改めて述べるまでもなく, が数学よりも「倫理学や政治学に似ている」ことを指摘した人物であり経済 学原理~ (1820)の「序説」では r未熟な一般化への傾向はまた,経済学のおも な論者たちのあるものをして,その理論を経験によって試してみることをいと わせているJ(Malthus[182u], p.10, 30頁)と, リカードウの過度の一般化を 批判していたからである。『人口論』初版で登場する級数命題は確かに数学の用 香川大学経済論叢 -162 缶郁 ﹄ 5 4 E E ン
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版以降,民族学的・統計学的資料 しばしば指摘されてきたように, マノレサス しカ〉し, が数多く利用されている。 とリカードウの方法論の相違は見かけほど大きくはない。マルサスがデータを 持ち出したのは,帰納のためというよりも原理を例証するために経験に訴えた という性格が強いのである。サドラーの自には, マノレサスが利用したデータは と映っていた。サドラーの方法態度 「その目的のために捻じ曲げられたもの」 をよく示している部分をあげておこう。 「アイルランド自体が私が主張している原理を完全に証明しているが,しか し,それを実証する (substantiate)ためには,私が引き合いに出してきた国 の中でもアイルランドは最も少ない統計的証拠しか備えていない。J(
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, p..xlv) こ こ で サ ド ラ ー が 言 わ ん と し て い る こ と は ア イJレランド論』で用いられた多 アイルランドに しかし, くのデータはサドラー法則の例証になってはいるが, (6 ) 科学方法論にどちらかといえば無頓着であったはずのサドラーが,まだ必ずしも一般 的とはなっていない19世紀的ベーコン像を権威として持ち出しているのは,知的な源泉 を探る上で興味深いポイントである。ベーコン像の変遷についてはYeo[1985]を参照さ れたい。 (7) 帰納主義者という従来のマルサス像に対して,佐々木[2001]は「マルサスの帰納法は, 発見の方法でなく,すでに得られている原理を経験的事実に照らして正当化する方法で あったJ(82頁)とクリアに整理している。マルサスのデータの利用方法はその理論構造と ともに再検討を要するが,別稿で検討したい。ラデイカル・トーリーのマルサス(象: 875 M サドラー『人口法則』の考察 -163ー は法則を導出できるだけのデータがない,ということである。つまり,理論に 適合するデータを示すだげでは,科学的法則の経験的基礎としては不十分であ るという考え方を表明しているのである。 帰納法により社会科学の経験的基礎を確立しようとするサドラーの議論は, 必ずしも目新しいものというわけではない。ポリテイカル・エコノミーの陣営 でも経験的基礎に関する反省はすでに始まっていた。例えば,帰納により法則 の基礎を確立すべきと主張した人物としてトレンズがいる。『富の生産論g(1
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年)において r" …論争に決着をつけるのに十分に広範な帰納のプロセスに よってその(ポリテイカノレ・エコノミー〕原理を確立するためには,リカード ウ氏の一般化の習慣は,マノレサス氏を特徴づける特定の現象を観察する技能と 結びつけられるべきであるJ
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とトレンズは述べている。 ここにはサドラーと同様に,経験的な基礎を問題にしようとする姿勢が表明さ れている。しかし, トレンズにとってもマルサスはリカードウと対極に位置す る帰納主義者に他ならなかった。こうした扱いと比較するならば,サドラーの 方がマルサスとリカードウの方法上の共通性を正しく見抜いていたことにな る。リチヤード・ジョーンズとともにケンブリッジ帰納主義を代表するヒュー エノレは,マルサスを自らの陣営に引き込もうと試みた。しかし,1
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年のマノレ サスのヒューエ/レ宛書簡からうかがえるように,マルサスはヒューエノレらとは 一線を聞して,むしろリカードウの方法を擁護する態度を示している。サドラー を方法的な観点から位置付けようとすれば,マノレサスよりもジョーンズらに近 い所に位置していることになる。リカードウ経済学の方法を批判したジョーン ズ『地代論』の刊行が1
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年 で あ る か ら ア イJレランド論』や『人口法則』 はそれよりも早く帰納主義の観点からポリテイカノレ・エコノミー批判を展開し ていたことになる。 この時期は,社会科学に統計が本格的に導入されはじめた時期でもある。統 計学史を書いたW
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サドラーは統計学者というより はむしろ社会改良家であるJ(
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頁)と評価され876 香川大学経済論叢 -164ー ており,熱狂時代の中心的な人物とは見なされてはいない。とはいえ,サドラー の統計的実証研究への傾斜は商務省統計局の設立(1832年)やロンドン統計協 会の設立(1834年)に先行しており,その質はともかくとして人口法則』を紐 おびただしい統計データが用いられており r熱狂時代」 の幕開けにふさわしい著作と言うことができる。マノレサス『人口論』が経験的 解けば分かるように, に反駁可能な構造になっているかどうかについては度外視するとして,少なく の核心であり, ともサドラーにとっては,級数命題こそがマルサス『人口論』 それは統計データにより容易に反駁可能なものであった。マJレサス『人口論』 サドラーも含めて一般的に しカ〉し, は初版と後続版とでは大きな相違がある。
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人口増加率が食料増 イメージされていたのは初版のクリアな議論,すなわち, そして食料が増加するにつれて人口増加率が上昇すること 加率を上回ること, この時期に統計を重視しようとした少なからぬ論 であった。興味深いことに, 者が,サドラ一同様にマルサス説に疑問をなげかけている。例えば,柳沢[2001b
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で指摘しておいたように, BWM派のアリソンはサドラーを踏襲して数多く の統計資料を用いながら,マJレサス批判を展開した。統計を用いたマルサス批 判の手法はBWM派だけに限られるわけではない。 u'Brienが指摘しているよ うに,統計研究に着手したマカロックは,マYレサスの人口原理が利用可能な証 拠と矛盾しているとして,古典派経済学の主流から離脱し,救貧法擁護論へと 車云向していく (U'BrIen [1970J, p引 97)。また,ジョーンズは吋也イ~~命』において, 「資力が比較的豊富な人口は明らかに窮乏している人口ほどには急速に増加し と一般に流布しているマルサス説に異を唱えている。注目 ないことが分かる」 すべきことにその理由として,困窮や罪悪や道徳的抑制のせいではなく rこれ らの事実は,偏見なき観察者にとっては,潤沢と洗練の増進中に作用する諸原 サドラー法 因の人聞社会の聞における存在と影響が,人間の物理的増加力の発揮を緩和す るのに役立iったJ(.Jones [1831J, p..xVII,上40頁)からであると, (9) 則を連想させる説明を行っている。 杉原 [1973J第4章がこの時期の統計的研究の発展を概観している。 ( 8)-165ー ラディカノレ・トーリーのマJレサス像: M サドラー『人口法則』の考察 877 すでに述べたように, 1830年代はマルサス人口原理の権威が揺らぎはじめた またその人口原理を蓄積論の一部に組み込んでいたリカードウ経 時 期 で あ れ こうした反省は,,J
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引ミルやシーニアあ 済学にも反省の目が向けられていた。 るいはジョーンズなどの方法論の再検討を生み出すことになったと言うことが サドラーを自覚的な方法論者であったとすることはできないし,社会 、できる。 しかし,社会科学の基礎付けという 科学の確立を意図していたわけでもない。 同時代の問題を事実上共有していたと言うことはできるであろう。サドラーが ポリテイカyレ・エコノミー批判のためであると同時に, データを重視したのは, こうした姿勢は,後のチャド 政府による政策を根拠づけるためでもあった。 ウィックなどにも共通している。p
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市 場 批 判 ポリテイカル・エコノミー批判の第二は,従来からなされてきた市場経済に ここに神学的な批 対する道徳的な観点からの批判を中心としたものであるが, 判および、政府の経済への介入という論点も含めておきたい。マルサス『人口論』 キリスト教陣営はマルサスに批判的なスタンスをとってい が登場した当初は, たが, JB サムナー『天地創造の記録~ (1816年)などをきっかけにして,次第 に聖職者の間でもマノレサスあるいはポリテイカル・エコノミーが肯定的に受け 入れられるようになっていた。彼らはインダストリーなどを酒養する一種の道 キリスト教の教義とポリティカ 徳的陶冶の場として市場を把握することで, ノレ・エコノミーが整合的であると主張した。とはいえ, ( 10) うした流れに反発する者も数多くいた。サドラーもその一人であり iわが宗教 キリスト教陣営にはそ (9 ) この箇所にジョーンズはわざわざ注を付してわれわれは人口が調密になるにつれて 女性の生殖力が減退するというサドラ一氏によって発明された自然法則のことを言って いるのだと考えられるべきではない」と注意を促している。ジョーンズにとってサドラー の生物学的人口法則は受け入れ難いものであったにちがいなし〉。とはいえ,あえて注を付 さねばならないほど,自らの見解がサドラーに近いことを自覚していたと言うことはで きょう。ジョーンズの人口抑制論については柳田 [1998J第8章を参照されたい。 (10) ,教会の中には常に,激しい呪いの言葉をもって彼らの議論を退げるグ砕ループがいた」 (Clark [1973J, p.295)とするClarkは,その「パイオニア」がサドラーであったと述べ ている。-166ー 香川大学経済論叢 878 の多くの弁護者までもが, 〔キリスト教の〕流れを邪悪な混合物でせわし なく汚すのに従事しているJ(Ire, p.xlvii), と苦々しく見ていた。『アイノレラン ド論』と『人口法則』の両著作は,極めて神学的な色彩が濃く r神」や「摂理」 という言葉が過剰なほど登場し, キリスト教陣営からのマルサスへの反撃とい う性格を持っていた。『人口法則』は次の言葉から始められている。 「人類の増加を規制する自然の法則, あるいはより理解しやすく言うなら ば,創造主 (theDeity)の法則は,もっとも重大な人間の探求のーっとして 見なされてきた。 それは単なる抽象科学の高度に興味本位の問題としてで はなく, もっとも実際的な重要性をもっ問題であれ必然的に普遍的な種 の利害と幸福を含む問題でもある。"…イ也の主題もそうであるが, この人 口原理は時折,全く異なり,敵対する見解において熟考されてきた。そこ では, (この原理の〕性質に関する見解が全く正反対の結果に導かれてき た。J(Lawl, p..3) 神は人口増加を肯定しているとか, 害悪や悲惨さを必然的なものとするのは神 に対する官潰である, といった批判のスタンスは, マJレサス 『人口論』初版が 登場した際に浴びせられた批判の再現でもある。マルサスは基本的には市場を 人口問題解決の場として見ていたと言うことができるが, サドラーは市場こそ 諸悪の根源であると非難する。市場における利己的な行動を是認するポリテイ カノレ・エコノミーに対しては rコモン・ゼンス,経験,人間性(humanity)に支 持されない基礎J(Lawl,p..9)の上に置かれているとして非難し, さらに,真の 国民経済の目的は,国民の価値を高め,人数を増やし,最高度の幸福を普及さ せることであるはずなのに r新しい学派の目的は,人聞を生気のある機械とし てす及しユ, そう見なすことであり, そしてもし可能であれば,生気のない機械で (11) Masonは「サドラーの回りには表面的には沢山の理神論者がいた。なぜならば,彼は 幅広く受け入れられるような言語と自然神学J,r自然J,r第二白原因』とは対照的な, 『インスパイアーされた書物〔聖書)J, r神(God)J,r直接的干渉』に依存しない議論を意 識的に用いた」と指摘している (Mason [1994J, p..271)0 r人口法則』には「神」や「聖寄」 も頻繁に登場するからこの指摘は若干割引く必要もあるが,サドラーの神学的特徴を考 える上で示唆的である。『人口法則』ではペイリーが何度も引用されていることからも分 かるように,議論の構図はデザイン論の流れにある。
-167 ラディカ/レ・トーリーのマルサス{象 M サドラー『人口法則』の考察 879 人聞を置きかえることJ(Law1, p..10)になっているとした。 「この学派の欲得づくめの学説は,徳そのものでさえ市場で売買可能な商品 このシステムの完成は になっているというところにまで到ってしまった。 種の凋落である。J(Ire, p..lii)
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サウジーやコールリッジをはじめとして数多くの論者が こうした批判は, その意味では確かに「古い」マルサス批判家という 行ってきたものでもある。 サドラーの議論はこれらの批判にとどまらない要素も含 しカ〉し, ことになる。 んでいた。 DNBでは「サドラーの見解はキリスト教社会主義の見解である」と も「キリスト教社会主義的傾向を持つトーリーJ(p 116)と述べている。「キリスト教社、会主義」という性格づけが妥当かどうかはお くとしても,同時代のいわゆるリカードウ派社会主義と類似した主張を行って いた。労働全収権まで主張することはなかったが,労働のみを価値の源泉とし 自由 て分配の不平等を批判した。例えば r資本」について次のように述べている。 Boner [1955J しており, S E -? 3 P } i l i f s p i l l s -R I e l -v t よh i そして 「彼ら〔ポリテイカノレ・エコノミスト〕は資本という主題について, 資本の定義について広く書いてきた。しかし,資本が何と呼ばれようとも, あるいはどう定義されようとも,資本こそ, 生産物に対する支配権を資本の所有者に与えるのだ, て結果的に人類は富一世界の資本を形成しているということを彼らは忘れ ているように思われる……ゎ。J(Ire, p..lii) そしてそれだけが人間労働の そし ということを, 富める者がますます富み,貧富の格差が増大していくというのがサドラーの市 場経済像であった。貧富の格差を救済する方策は,救貧法に求められた。救貧 法擁護論のメインは自然権にもとづくものであった。 この議論を正当化するた ブラックストーンなど様々な 論者を引き合いに出して r貧民は救済を受ける権利を事物の本'性の中に持って ペイリー, サドラーはプーフエンドルフ, めに, (12) リカードウ派社会主義が台頭していた時代であり,こうした発想の源泉がどこにあっ たのかは必ずしもはっきりしない。ただし人口法則』ではしばしばチャーノレズ・ホ-Jレ『文明の諸影響J(1821年)を引用しているので,ホールの影響が大きかったと推測され る。168- 香川大学経済論議 880 いるJ(Ire
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p..185),
あるいは「神は貧困を自らの特別の保護の下に置いたJ(Ire
, p..195)と主張した。貧民の生活資料へのアクセスを神の言葉や権利で擁護する 議論は, きわめて伝統的なスタイノレである。しかし,必ずしも 19世紀になって 滅んでしまったものではない。 Clarkは「ポリテイカル・エコノミーによって是 認されている(sanctioned)産業システムに対して, クリスチャニティーの制裁 (sanctions)に訴えた十字軍の始まり」とサドラーを評している (Clark [1973J, p..296)0Gordonは, この十字軍に共鳴したものとして, ジョーンズ, ヒューヱ /レ, ケンブリッジのカニンガム, オクスフォードのロイド, トインビーがいる としている (Gordon[1979J, p..87)。この指摘が正しいとすれば,自然権として の被救済権をキリスト教の枠組の中でサドラーが復活させたことになる。 救貧法擁護論はこのように自然権にもとづく権利論として語られていたわけ でトあるカ:t, それだけではなし政府の経済への介入の必要性を説くものとして も利用されていた。詳しくは次節で検討するとして,議論の概要を説明してお こう。慈悲深い神の摂理を前面に押し出したサドラーにとって,摂理にもとづ く人口法則は貧困の必然性とは無縁なものである。 しかし,人口法則が直ちに 生存資料と人口との均衡のとれたバランスを実現してくれるわけではない。ポ リテイカノレ・エコノミストは人々が生産者であり,同時に消費者であることを 忘れていると批判したサドラーは, さらに「その人数が何人であろうとも,適 切な規制の下で,生産者と消費者は互いに同じように必要としあうJ(Law1,p.. 11)ことを忘れていると付け加えている。相互の需要が「調和のとれた」社会を 実現させることを認めているが, そこには「適切な規制」 という条件が付いて サドラー法則は調和がとれた社会を実現するため それだけでは十分ではなく,政府による需要の維持 が必要となる。そのやり方の一つが所得再分配の役割を果たす救貧法であった。 いるのである。換言すれば, の必要条件とはなっても, こうして,権利論としてだけではなく,市場に対する政府の経済的役割を説明 する道具としても,救貧法が擁護されたのである。ラデイカル・トーリーのマルサス像: M サドラー『人口法則』の考察 i f t -6 4 L i T f s 881 -169ー 『アイルランド論』 Y E E A
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y -A 先の二つの論点とは性質を異にするが,需要重視論はリカードウら古典派経 済学の主流とは一線を画する議論であるという点でポリテイカル・エコノミー サドラー自身もそう判断していた。 「市場で売買される商品の供給は,需要によって規制されるJ(Law1,p..122)と いうのがサドラーの商品経済に対する基本認識であった。 この考え方は彼の人 口観とも密接に結びついていた。すなわち,需要が商品の供給を決定するので あるから,人口に応じて決まる食料に対する需要が食料生産を決定する, としユ う考え方である。 l i -s i l l i -i i h j 批判の一種ということができる。実際に, 「生産に先行する人口によって生み出される刺激は,…川l十分な生産の原因 であるだけではなし増加した豊かさを伝播させる原因でもある。J(Law1, pド122) 人口が生有資料を規制するという関係は,サドラーが何度も繰り返した彼の人 口観の基本であった。この人口観は,生存資料が人口を規制するという関係を 重視していたマルサス人口原理に対する批判にもなっていた。因果関係を逆に 捉えるマルサス人口原理は,生存資料の制約による貧困や飢餓などを必然化さ せてしまう。それゆえ I人口が生産に先行するというのは,単なる抽象的な知 識の問題ではなく,究極的な道徳的かつ実際的な問題であるJ(Law1,p.. 126)と 因果関係を逆転させる意義を強調したのである。人口が生産を刺激するという 議論の中には,需要に応じた生産が可能であるという前提が置かれている。こ れを説明するためにアイルランド論』ではジエイコブという人物の旅行記を 典拠にして,過剰生産が現実の経済問題になっているオランダの例を引き合い に出している。オラン夕、は最も人口密度が高く,決して肥沃な土地を持ってい マルサスの『人口論』から推測されるような人口に しかし, るわけではない。 対する食料不足が生じているわけではない。 そこで何らかの災厄(
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があるとするなら ば,過剰人口ではなく,過剰生産に由来するとわれわれは確信している。 「一般的に言うならば,OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
882 香川大学経済論叢 -17 0-この災厄は無知な人間が論じているように悪化するのではなく,真の人口 原理によって是正されるであろう害悪である。J(Ire, p..118) このように人口増加こそが過剰生産の解決策であるとサドラーは主張してい る。サドラーにとって,人口と生産のバランスは極めて重要な意味を持ってい このバランスは自動的に実現するのではな た。すでに示唆しておいたように, い。「適切な規制の下では」という条件をつけることで,救貧法をはじめとした 政策の必要性を導く論拠となっていた。 この議論をここで説明しておこう。マ ルサスはおおよそ賃金基金説的な枠組によりながら,下層階級が予防的抑制を 実行することで,賃金が上昇し生活水準が向上することに期待をかけていたと サドラーはこうした考え方には矛盾があると指摘する。 しカ〉し, 言える。
ililili--それは 「この主張はポリテイカ/レ・エコノミストに共通するものであるが, 自己矛盾を含んでいる。一般に推奨される方法を採用することによる労働 市場の縮小と,需要市場(themarket of demand)は正確に同じ比率で縮 小しないだろうか?J (Ire, p引86) サドラーはこれに続けて r貧民は彼らの全支出総額にとっては消費者である。 と述べている。つまり,既定の賃 金基金の分配分として賃金を見るのではなく,賃金を商品市場における総需要 このことをわれわれは忘れるべきではない」 の構成要因と見て,総需要から生産量が決定されるという視点を提示している のである。それゆえ r彼ら〔ポリテイカノレ・エコノミスト〕は労働市場につい て非常に多くのことを書いてきたが,一一しかし,人聞が相互に生産者でもあ れば消費者でもあることを彼らは知らないか, きたJ(Lawl, p..11)と明言しているのである。 そうでなくともしばしば忘れて もちろん,経済学に対する関心 の低かったサドラーが,有効需要の分析などを経済学的に十分説明しているわ けではない。しかし少なくとも,賃金基金説がポリテイカノレ・エコノミーのハー その発想、からは自由になっていたと言う ドコアであることを直感的に把握し, ことはできる。 アイルランドへの救貧法導入を支持する議論に 由来するものであった。サドラ一人口論のねらいを理解する上でも都合がよい こうした需要重視の議論は,171ー ラデイカル・トーリーのマルサス像 M サドラー『人口法則』の考察
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ここで『アイルランド論』の背景に言及しておきたい。『アイルランド論』 ので, の主要な目的はウィルモト・ホートンの植民計画を批判することにあった。1
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年にかけて植民地省次官を務めていたホートンは,教区あるいは政府 の財政的支援のもとにアイルランドの過剰人口をカナダに移民させることを提 この移民計画はアイルランドの貧困問題の解決のために提案され 案していた。 アイルランド人のイングランド流入がもた それに加えて, たものであったが, s -t f T 4 t b k 匹 、 S E r i f -i t t p h B 1 r f a r t t B o l o -t f l i a r L e e t -, ; t t z t f らしたイングランド地主の貧民救済費を軽減させるというねらいもあり, ホ一トンの計画は政 さら には英帝国強化という目的をも併せ持ったものであった。 府の財政的支援を受けながら1
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年に部分的に実行に移され,さらに議会 はホ一トンを議長とする移民に関する特別委員会の設置を承認した。1
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年 代 h J i t t a l i t a i になるとホ一トン計画はウェイクフィールドの組織的植民論へととって代わら れることになるが,r
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年代に入ってもっとも注目を集めた議論はホートン 日3) 計画をめぐるものであったJ(
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頁)と言われている。 その ホートン計画はポリティカノレ・エコノミーを理論的な支えにしていた。 ホ一トンの議論は索 ために,経済学者たちをも巻き込んだ論争を生み出した。 朴な賃金基金説に立脚していた。資本の増大を上回る人口の増大こそがアイル ランドの貧困の原因であり,移民により人口を減少させることがその唯一の解 ト マカロック, この計画を支持したのは, 決方法であるというものであった。 ホェートリーなどポリテイカル・エコノミーの陣営であり, シーニア, レンズ, 他方,それを批判したのはサドラーやコベットなどであった。しかし,ポリティ (13
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アイルランド移民については主にB
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を参照した。移民計画は大農地化を推 進する当時の土地政策と関連していた。アイルランドでは地主から借りた土地が,ミドル マンによって繰り返し転貸 (subletting)されることで細分化され,効率の悪い小農地と なって耕作されていた。これを防ぐために転貸禁止法が1
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年に制定され,さらに土地 を統合することで,効率の良い農業への転換が図られようとしていた。土地統合の際に問 題となるのが,土地を奪われる小農やコティエが発生することであった。それを救済する 政策の一つが移民であり,もう一つが救貧法の導入であった。救貧法の導入という提案に 対しては,それがアイルランド労働者の賃金を上昇させるか否かについて議会で議論が 行われている。ホートンは賃金基金説を利用して,賃金は上昇しないと主張している(
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。この議論はr
アイルランド論』刊行直後に行われているが,サ ドラーの影響によるものかどうかは不明である。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
T i l e -B l t t P R i v i -h l -1沼 香川大学経済論叢 884 カル・エコノミーの陣営が一枚岩であったわけではない。なぜならば,ホート ンの議論はマノレサス人口原理と抵触する要因を含んでいたからである。すなわ ち,移民により一時的に実質賃金が上昇したとしても,人口原理によればそれ は人口を増大させる刺激となってしまうからである。こうして,移民が生み出 した「空白」は,やがては増加する人口で埋められてしまうことになる。リカー ドウは議会においてホ一トン計画に反対してはいなかったし,ホ一トン宛書簡 でも支持を表明していた
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。しかし,その理由は, 救貧制度を維持するために費用をかけるぐらいならば移民の費用に回した方が ましであるとか,アイルランドに援助の態度を示すことが重要である,という ものであれ積極的な支持とは言い難いものであった。リカードウは「長期傾 向を好むことと相まって,移民問題については基本的にはマルサスと一致する ことに気づいていたJ(
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頁)のである。マルサスは『人 口論』第2版(1803)において,移民の効果は一時的なもので「非常に弱い緩和 剤J(p.387)にすぎないとしており,政府の支援による移民計画には否定的な見 解を表明していた。第5
版(
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で,労働需要が一時的に供給を下回った場合 には,移民が有効な政策であることを認めたが,あくまで短期的な効果にすぎ ないという立場であった。それゆえ,移民を有効な政策として積極的に評価す ることはなかったと言うことができる。事実,1
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年に行ったホ一トン委員会 での証言も計画を支持するものではなかった。 このように一方では,人口増加という理由からポリテイカル・エコノミーの 側でもホ一トン計画に批判が向けられ,他方では,反ポリテイカル・エコノミー の側にいるサドラーからは,移民がもたらす需要減少という理由で計画に批判 が向けられたのである。サドラーに言わせれば,供給制約がアイノレランド経済 の問題ではない。食料生産に対して人口は過剰なのか,と自問して,アイルラ ンドの輸出統計によりながら次のように回答している。 「アイルランドは,住民を養うのに十分な生産を行っていないどころか,彼 らが消費するよりもはるかに多く生産しているし,おそらく世界中の間じ 面積の他のいかなる国よりもより多くの食物を輸出している。J(
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ラデイカル・トーリーのマルサス像: 885 M サドラー『人口法則』の考察 173 ここからアイルランドの経済問題も供給ではなく,需要にこそ原因があると結 論づけている。それゆえ,人口を減らそうとする移民計画は全く間違った現状 ( 14) 認識にもとづいたものということになる。こうした批判は,需要を維持するた めの人口増加肯定論と合致していたばかりではなく,救貧法擁護論とも合致し ていた。アイルランドへの救貧法導入を擁護したサドラーは,-貧民を支えるた めの救貧税は,まず第一に労働者の支払いという形で支出されるJ(
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,p..87)こ とを指摘し,救貧給付が商品市場における総需要の構成要因となることに注意 を向けさせようとした。サドラーの議論を敷倍すれば,救貧給付が需要増大を もたらし,それが労働需要を増大させると考えていたことになる。ここでは富 者から下層階級への所得移転が消費需要を増大させるメカニズムが前提されて いる。需要増大のメカニズムは,J
引Mれケインズのような低所得層の高消費性向 から説明されたのではなく,主に不在地主のイングランドでの消費が労働者の アイルランド内での消費に転換することで説明されていた。このようにポリ テイカル・エコノミー批判として用いられた需要重視論は,人口増加肯定論と 救貧法擁護論に密接に結びついていたのである。 Lawesはサドラーの救貧法擁護論における所得再配分について「本質的には プロト・ケインジアンの原理」と評価した(Lawes[
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。需要による 供給の決定というマクロ経済学的な思考があるとの指摘は正しいにしても,経 済学的な説明が十分になされているとは言い難い。それゆえ,-プロト・ケイン ジアン」と呼ぶのは言い過ぎであろう。 Rashid[1978Jはデヴィッド・ロビン ソンに着目して BWMにおける「トーリー・マクロエコノミクス」の存在を指 (4) 同様の見解は,移民を行わずに国内で就労させれば,彼らが生み出す「他人の生産物に 対する需要によって国家全体が利益を得るだろう」とBWM(1828年5月号, p.617)にお いて論じたジョンストンなどにも見出すことができる。ジョンストンはこの記事におい て,供給能力は十分にあるのに,通貨の不足が生産と雇用の縮小をもたらしているという 認識も示している (p619)。 (15) 人口増加肯定論といっても人口増加を無条件で肯定するポピュレーショニストではな い。そもそもサドラ一法則が機能すれば人口は無制限に増大できない。後に見るように, サドラーは最適人口への収束を問題にしていたと解釈できる。人口と需要の関係や最適 人口などの考え方には, Jスチュアートとの類似性を見出すことも可能かもしれない。i
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--174- 香川大学経済論叢 886 摘しているが,サドラーをこの系譜に連なるものとして把握しておくのが妥当 である。 Lawesはサドラ}のマクロ経済学的視点をも「反マルサス」として簡 単に片付けているようであるが,やや問題がある。Lawesのみならず,サドラー 自身もそしてB W M派も,マノレサス『経済学原理』を視野には入れていない。 『経済学原理』と『人口論』の整合性を問題にする,いわゆる「二人のマルサ ス」論になぞらえるならば,サドラーもB W M派も事実上 I需要不足を問題に した『経済学原理』の世界を展開する代わりに人口論』の世界を退げていた」 (柳沢 [2001b], 213頁)ということができる。I
V
サドラー法則
すでに見たようにサドラーの議論では,人口増加に対して生存資料が制約と して機能しない。その理由の一つはサドラ一法則により人口増加それ自体が逓 減していくことに求められているが,もう一つの理由として収穫逓減の否定が 用いられている。マルサスの議論を「未耕作の土地がどうにもならない(incur -able)不毛J(Law1, p..94)なものという仮定に依存しているとするサドラーは, この仮定を全く間違ったものとして退ける。例えば,中央ヨーロッパは元来, もっとも不毛な土地の一つであったが,今やもっとも多産な土地となっている。 イングランドでも 13世紀にはlクオーターにも満たない小麦しか生産できな かった土地が,2
倍以上も生産できるようになった。したがって I…川"生産性 は土地の質によってではなく,永続的には人口密度によって支配される」 (Law1, p..95)ということになる。生存資料の生産は人間の努力によって決定さ れる。しかも I人類が増加するにつれて,彼らの結合したインダストリーの生 産物は人類の増加から計算される単なる算術的な増加をはるかに凌駕するであ ろうJ(Law1, p. 83)し,農業知識の増大によって耕作方法はますます改善され 自由 ていくであろうと主張した。 生存資料が人口増加に対する制約とはならないので,人口の調整要因として の積極的妨げの存在も否定される。マルサスが積極的妨げのひとつとしてあげ た戦争は,食料事情を改善するどころか悪化させてきたし,そもそも戦争の原t -1 i f b e z r k -t i p t s f L Y B R -175 因は不足する食料を巡る対立ではなく,野望や嫉妬や憎しみや圧政の産物に他 ならない。食料を巡る対立があったとしても,平和的で勤勉であれば十分に自 ラデイカル・トーリーのマルサス像: M.サドラー『人口法則』の考察 887 それを暴力で獲得しているにすぎないので 然が与えてくれたにもかかわらず, ある (Law1,p.. 160)。飢餓については,キリスト教国家ではもはや人口を規制す るようにはなっていないし(Law1,p..305),疫病もその威力を失っている。人口 に大きな影響を与えきた天然痘もワクチンの発見によって減少しているとした (Law1,印刷306-310)。積極的妨げの否定に続いて,予防的妨げが検討される。 道徳的抑制を含むあらゆる予防的妨げを否定的に扱っている点がサドラーの特 徴である。その理由の第一は,道徳的抑制も「必然的に悪徳,
の醜行(infamy)や苦難(suffering)をともなうJ(Law1, p..322)というものであ
その結果として これは道徳的抑制そのものの批判としては正鵠を得ていないが,実行可能 る。 性を疑問視した批判と言えるであろう。第二の理由は,貧民にとって妻は慰安 の仲間であり看護してくれるものとして必要であるというものであり,家族の 必要性の主張である。第三の理由は,結婚は神により祝福されたものであれ 独身はキリスト教の教義に反するというものであった。実行可能性の問題は別 サドラーのみな らずそれを神学的に退けようとするカルヴアン派の見解が依然として存在して いた。 この時期の論者の道徳的抑制の扱いは多様であり, にしても, 『人口論』に対する理論的な批判の多くは,級数命題の一 同時代のマJレサス (16) r結合したインダストリー」について,ここでは明示的に分業を持ち出しているわけで はないが, Eversleyが指摘するように分業のメリットを念頭に霞いていたと言えるであ ろう。「スミスの追随者ではないにしても,スミス以降の同時代人の多くのように,分業 の無限の可能性にとりつかれていたので,彼〔サドラー〕は人口密度から利益以外のもの を見ょうとはしなかったJ(Eversley [1959J, p. 195)と言-ってよいだろう。人口増加によ る分業の利益を見ていた同時代人として,例えばサムナーをあげることができる(柳沢 [2000J, p..94)
。
(17) この点についてはMasonが詳しい。スコットランドのカルヴァン主義者でサンデマン 派に属する「シンプレクスJ(履歴不明)は,道徳的抑制を「不道徳なもの」と見ていた。 同じくカルヴァン派のキヤー(William Keir)も道徳的抑制を悪魔の教えとしていた (Mason [1994J, pp..270-271)。メソディストの環境の中で育ってきたサドラーが,スコッ トランドのカルヴァン派に近い立場を表明しているのは不思議なことではない。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
-176 香川大学経済論叢 888 方あるいは両方を否定するというスタイルで終わっている場合が多かった。し かし,それにとどまらず積極的妨げと予防的妨げを否定したサドラーは,さら に独自のサドラー法則を提示していく。このように代替的な法則を対置させる ことでマルサスを批判しようとしたのは,ウェイランドやサドラーぐらいであ ろう。マノレサスの人口法則には「妨げがなければ」という条件が付いていたが, ウヱイランドもサドラーも人口の自然的な成長と観察された成長との区別を行 わなかった点で共通している。一方,ウェイランドが社会の発展段階による人 口増大の変化を問題にしたのに対して,サドラー法則はきわめて単純なスタイ ルをとっている。『アイノレランド論~ r序文」にある以下の命題が,サドラー法 則としてしばしば引用されてきたものである。 「どんな場合でも,人類の増加をこれまでも,そして今も規制している法則 は た だ 次 の よ う な も の で あ る 。 同 じ 環 境 の も と で は , 人 間 の 妊 娠 能 力 (fecundity)は所与の面積における人数と逆に変化する。 j(Ire, pドXX) 法則の要点を簡単にまとめれば,人口増加率は人口密度に反比例するというこ と に な る が 人 口 法 則 』 で は こ の 命 題 に2点の修正が施されている (Law2,p 352)0 r妊娠能力」は「多産力(prolificness)jに代えられ r所与の面積における 人数」が単に「人数」へと変更された。「多産力」への変更は語句上の変更であっ て内容的にはほとんど変化はないが,後者の変更はサドラー法則の内容上の修 正にもなっているので言及しておきたい。サドラーによれば,当初の予想、に反 して,多産力を規制しているのは人口当たりの面積だけではなく r多産力は空 間の質によって,あるいはその潜在的な生産によっても影響されるj(Law2,p.. 353)ことが判明したという。その説明として,山地よりも平野の方が,あるい は極寒地帯よりも温帯地帯の方が生産性が高いということを述べている。この (18) サドラーとマルサスの法則の対比はPoynterの指摘による。「マルサスの人口法則は, 現実の世界においては観察されえない,妨げがない場合の運動における傾向を仮定して いる点で,ニュートン力学と類似性があるJ(Poynter[1969J, p.148)。マルサスにとって は,潜在的な人口増加を顕在化させない文明社会における「妨げ」の方が重要であったと 言うことさえできる。サドラーもマルサスの人口増加の命題が条件付きであることに気 づいていた。論理的に言えば,データを直接,命題と対比させることで行ったマルサス批 判は十分なものとは言えないが,こうした批判の仕方はサドラーだけのものではない。
3 8 L E -F & F L 恥 E 動 物 t E E E L U E E 889 Mラデイカル・トーリーのマルサス像:サドラー『人口法則』の考察 -177 -説明だけを見るならば,同一地域の人口動態のみを問題にするのであれば,ほ とんど影響のない修正であるように思われるであろう。しかし,この修正はサ ドラー自身が自覚していたかどうかははっきりしないが,人口観の本質に関わ るものでもある。 前節で見たように r人口によって生み出される刺激」が生産を決定する,と いうのがサドラーの人口観の根幹であった。しかし人口法則』における法則 の修正は r潜在的な生産」を問題にすることで,生存資料による人口増加率の 規制という関係を含意していることになる。それゆえ,サドラーの体系全体に も深刻な影響を与えるはずである。ところが,この問題には詳しく言及するこ U9) となく,議論を続けている。というのは人口法則』第
4
篇における法則の証 明の大半が,人口増加率の逓減傾向をデータで確認するというやり方で済まさ れてしまったからである。言い方を変えれば,生存資料と人口との決定関係を 問題にしえない証明となっているのである。 法則の証明方法を9
種類列挙しているが,そのうち6
種類が様々な国,地域 の統計データによるものである (Law2,p..358)。サドラーが利用したセンサス は,イングランド,フランス,アイルランド,アメリカ合衆国,オランダであっ た。これらの国は文明化された国ばかりで,法則の証明としてはきわめて不十 分であると言わざるをえない。しかし,これらの国で人口が増加するにつれて 増加率が逓減傾向を示すこと,および同一圏内での人口調密な地域と希薄な地 域とを対比させ,後者の増加率が高いこと,これらをもって法則の証明と見な していた。 人口データによらない2種類の証明が,生理機能(physiology)による証明 と,動植物への応、用であった。この2
種類の証明から,サドラ一法則は「生物 学的人口法則」と分類され,しばしば噸笑の的とされてきた。しかし,ハズリッ (19) この修正に関わる「空間の質」を全く無視しているわげではない。第 4編第 7章(Law 2, pp.382-391)がその考察に当てられている。しかし,出生率と死亡率を問題にすること で,人口増加率としては法刻が貫徹するという説明になっていて,人口と生存資料との関 係そのものを明確にはしていなし〉。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
178- 香川大学経済論叢 890 トやプレイスが論じたセクシュアリティの歴史的変化という議論のバリエー ションと捉えるならば,さほど異様なアイディアというわけではない。生物学 的人口法則についても,奪イ多が多産力を低下させるといった議論は,サミュエ ノレ・リードの『人口論に関する一般的見解~ (1821年)にも見出されるし, Field によればサドラーの議論がダブりレデーとスペンサーに影響を与えたという (Field [1931],即日65-66)。とはいえ,サドラー自身も生理機能による説明が法 則の証明とは言えないことに気づいていた。 「人口法則は,その第一原因がどんなに神秘的であろうとも,……人間性の 中に存在してきたものとして見出されている生理学的な原理に訴えること によれ証明ではないにせよ,さらなる解説が可能である。……さらに動 物や植物の領域における類似によっても確証される。J(Law2, p..569) 生理機能による証明とされている第2巻第21章では,飽食が発生の障害となる という議論があるものの,その中心は貧困が増殖を促すという点におかれてい た。それゆえ,人口密度ではなく貧困と人口増加率の関係こそがサドラー法則 であるかのような印象さえ与えている。ヒポクラテスのみならずアダム・スミ スやロパートソンまで動員されているが,生理機能と人口とを結びつけた説明 にはなっていない。生理機能を持ち出した理由は,慈悲深い神の摂理が人間の 中にインプットされていることを示すことで,人口法則を神学的な議論と整合 させるためであった。 それではサドラ一法則の帰結を確認しておこう。長期的に見れば,人口増加 率が低下していく結果,ある人口水準に収束していくことになる。『アイルラン ド論~ r序文」に収束までの人口状態が簡潔にまとめられている。 「極端な困窮の場合を除けば,労働と欠乏の状態が人間の妊娠能力にとって もっとも適している。分散していて希薄な人口は常にそうした状態を意味 している。しかし,人類が狩猟から牧畜へと,さらに現在の農業段階へ, そして究極的には最高の文明状態に到るにつれて,労働は分割されるよう になり,たえず労働時間と強度は低下し,そして多くの人間はより知的な 探求に没頭できるように骨折り仕事から解放されるか,骨折り仕事とは全
t f a i l i s 5 引 f ! i b s i -17 9-ラディカfレ・トーリーのマyレサス像 M サドラー『人口法員リ』の考察 891 く無縁となる。同時に,生存手段は累進的に増大し,安楽と者
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多がよりー そして人 類の最大多数にとって到達可能な最高度の幸福をもたらすちょうどその時 に増加原理は停止するであろう。J(
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般的に普及する。あらゆる段階ごとに増加原理は縮小していき, たとえユートピ こうしたユートピア像はマルサスと対極にある。マルサスは, 人口原理を用いてユートピアは必然的に崩壊する運命 アが実現したとしても, これに対してサドラーは,独自の人口法則を対置させる にあることを論じた。 ここで描かれている人口の停 止状態は,LS
ミノレの蓄積の停止状態を佑梯させる。サドラーの場合にはミノレ と違って,利潤率の低下という経済メカニズムによるのではなく,人口それ自 ことで,正反対の体系を描き出したことになる。 その永続性を保証してくれることに 体のメカニズムがユートピアを実現させ, 4 t t i s -L s i l t P R なる。 しかし, このユートピアは自動的に実現するわけではない。実現させる ためには,勢力を増しつつあるポリテイカノレ・エコノミーのロジックに対して, 政府による下層階級の保護ないしは市場への介入が必要であることをサドラー サ しかるべき政策が実行されてはじめて, 。 曲 ドラ一流の人口法則が貫徹する体系となっていたのである。 さらに言えば, は説いたのである。むすびにかえて
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一方では,新たに台頭してきたクリスチャン・ サドラーのマノレサス批判は, ポリテイカノレ・エコノミーの陣営を非難し,過剰なほど神学用語を用いながら, 伝統的な道徳論を振りかざすものであった。それゆえ,James
が述べたように, 確かに,ハズリットやコベットなど「古い」反マノレサス・グループの最後と言 えるであろう。他方では,人口から生存資料へという人口観は需要重視の経済 論と結びつくことで,アリソンなどBWM派へと継承されていった。こうした (20) サドラーの議論には伝統的なパターナリストが行った反マルサスの議論と重なるとこ ろも多い。しかし,地主によるバターナJレな保護を説いていたわけではない。 Lawesは, 国家によるパタ}ナリズムのリバイパルとしてサドラーを把握している。国家によるパ ターナリズムの背景には,メソデイズムの浸透によって伝統的な地主・国教会による地域 支配体制の動揺があったことを付け加えておきたい。OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
180 香川大学経済論叢 892 点を見れば,時代遅れの議論という評価だけでは不十分でトあろう。 また,質は ともかくとして統計を重視するというスタイルも,後の統計全盛期に先駆けて いたということができょう。特に最後の点に関連して言えば,