― 一 憲 法 学 習 の 問 題 点 と し て ―一
社会科教育教室細 (―
)は
じ め
に
憲法学 習 における問題点 の一つ と して,
日本 国憲法の基本 的性格を如何 に把握す るか とい うこと が ある。 この ことにつ いては,高
等学校学習指導要領社会科編 は「 日本 国憲法の基本 的性格を帝国 憲法 な どの比較 において 理解 す る」 と して い るが,
中学校学習指導要領社会 科編 では「基本 的性 格」 とい う言葉 はな く,「
憲法 の基本 的原則を理解 させ る」 と して いる。 これは,憲
法 の基本 的性格 の理解 の為 には,そ
の基本 的原則 の理解 が必要であること,中
学校 で は基本 的性格 について は,問
題 があ るのでそれ までは要求 しな い ことと した ことが考 え られ る。 し か し,そ
の基本的性格 の前提 と して基本 的原則 の理解 が必要 な ことは,同
時 にまた基本 的原則 に基 本 的性格 が,影
響 を与 え ることとで あ り,こ
の両者は,い
わ ば相 関関係で,密
接不可分 の関係 にあ る といえよ う。 したが って,中
学校 において も,憲
法 の基本 的原則 の理解 のため には,そ
の基本 的 性格 が検討せ られな くてはな らない と考 え る。 か くして,憲
法 の基本 的原則 が,憲
法 の基本 的性格を作 り出 して いることは,確
かで あ るが,基
本 的性格 はそれのみでな く,
日本 国憲法 それ 自身が抱括的に有 して いる性格 が考 え られなければな らない。 そ こには民主憲法,平
和憲法,民
定憲法,硬
性憲法等 の性 格 が考 え られ る。 しか し,こ
の 憲 法 の基本 的性格 の一つ と して の民定憲法 とい うことにつ いて筆者 は非常に問題を感 じるものであ る。 な るほど,憲
法 の前文 の冒頭 には「 日本 国民 は…。・。…… ここに主権 が国民 に 存 す る ことを宣言 し,こ
の憲法を確定す る」 と,明
言 して いる。 これは 日本 国憲法 の制定者 が国民主権主義 による国 民 で ある ことを明確 に したもので あ るといえよ う。 したがって, この憲法の規定 の上 か らは,わ
が 国の憲法 は民定憲法で あ り,
しか も現在 はそれが通説 と して,中
学,高
校 で一般 にそのよ うに取扱 われてい る。 しか し筆者 は, これは間違 いであろ うと考 え るもの である。 確 かに,
日本 国憲法を民主憲法 として特徴づけるためにも,ま
た 日本 国憲法の名誉 のためにも, 日本 国憲法を民定憲法 とす るのがよい ことは当然であ り,筆
者 も今 迄,で
きるだ けそのよ うに考 え たい とい う希望 的発想か ら,民
定憲法 と しての基本的性格 を肯定す るよ うに努力 して きたので あ る が,今
日で は,ど
う して も,こ
の基本 的性格を肯定 し得 な くな ったのである。 す なわ ち,そ
れは,
日本 国憲法の法源を「 日本 国民 の意思」 に見 い出す ことが不可能 になったか らで ある。 ここでい う「法源」(Rechtsquelle)の
意味であるが,
一般 には法 の内容を認識す る ための材料 と しての「 法 の存在形式」をい うのであるが,法
の妥 当根拠 とい う意味 も有 している。 筆者 は「法 の妥 当根拠」 とい う意味で,
これを使用す ることにす る。す なわ ち,
日本 国憲法 が妥 当 な もの と して存在 し,正
当視 され る一― したがって国民 によ って守 られ,ま
た国民 を拘束す る一― 哲 ■ 1 1 1 ゼ ■ 1 ■ l g J哲:日本国憲法の法源 根拠 は何 か
,と
い うことである。近代民主 国家 においては,そ
れ は当然国民 の意恩 とせ られなけれ ば な らない。 しか るに,わ
が国の憲法 の制定経過 と制定手続 を子細 に検討すれば,国
民 の意思 との関係 が極 め て稀薄 な ことが判切す るので ある。 したが って,そ
こに憲法の法源は国民 の意思であ るといい得 な い多 くの問題点 が存す るのである。'
か くして,
日本 国憲法 の法源 と しての「 国民 の意思」を否定す る筆者 と しては,そ
れ に代 るに「 時効」(PreSCription)を
もって しよ うとす るものであ る。憲法の法源 が時効 とい うよ うな説 は, 今 迄公式 には誰 も表 明 されていない と思 うが,誠
に国の最高法規である憲法の法源 が時効 などとい うの は,大
変残念 な悲 しむべ き説 と考 える。 しか し,事
実 を直視す るな らば,そ
のよ うに考 え ざる を 得 ないのではあるまいか,
これ らの点 について以下若千 の考察を加 えてみ たい。 (二)
日本 国 憲 法制 定 過程 にお け る国民 の意 思
日本 国憲法が敗戦 の所産であ り,占
領 とい う特殊 な事情 の下 において,か
つ,物
心 ともに,い
ち じる しく混乱 した国民生活 の環境 の真 っただ中において制定 された とい うことは明 らかであ る。 こ の憲法 の制定 が一 国の憲法制定 のあ るべ き姿か ら見 れば きわめて異 常な形 において行 なわれた もの で あるとい うことがで きよ う。 またその制定手続 を明治憲法の 改正手続 と して 行 った とい うこと も,旧
憲法 との法的連続性を保たせ しめ るため とはいえ,大
きな矛盾 を包合す るもであ る。 また こ の憲法 の制定 が,章
時のわが国をめ ぐる微妙 な,
しか も峻厳 な国際情勢の中において行 なわれた も の であること,す
なわち,昭
和20年 末 か ら昭和21年 頭初 の時期 にお け る あ わただ しい一連 ので き ど とは,憲
法制定手続 と してはきわめて異常な ものであ るが,そ
のよ うな手続 きが採 られ ざるをえ な か った事情 は,当
時の国際政治 の背景 を考慮 の上,充
分検討せ られ なけれ ばな らないだ らう。 このよ うに,こ
の憲法 の制定過程,制
定手続 は,特
殊,異
常,複
雑 で あ り,か
つ矛盾を持 った も の であるが,こ
れ らの制定過程 の うち,「
日本 国民 の意思」 と特 に関係のあ る事項 について検討を 加 え,
日本 国憲法 と日本 国民 の意思 (自由意思)と
の関係 の稀薄であ ることを以下項 目別 に指摘 し てみたい。 1・ 憲法改正問題の契機 と国民の意思 日本 国憲法制定 の直接 の起源ない し動機 は,
日本 の敗戦,「
無条件 降伏」 によるポ ッダム宣言 の 受諾 であ るといい得 るであ らう。 この ことは,後
述 の松本 国務相案,す
なわ ち「 憲法改正要綱」 に は憲法改正 の根本精神がポ ッダム宣言第十項「民主主義的傾向の復 活強化 に対す る一切 の障凝を除 去 すべ し。言論及思想の 自由述 に基本的人権 の尊重 は確立せ らるべ し」の 目的を達成 しよ うと した ことにある旨,明
らかに してい ることか らもうかがえ るところであ る(※ 1) このポ ッダム宣言 の草案 はアメ リカの陸軍長官スチム ソン(H.L.Stimson)1こ
よ って書 かれた といわれてい るが(※2)こ の宣言 の 受諾 に 当っては,「 天皇制」 「 国体 護持」 の問題 で,可
成 り紆余 注 (※1)憲
法調査会 :「 憲法制定の経過に関す る小委員会報告書」1964,P,251参照 (※2)H.L.Stimsonは
満州事変勃発当時のアメ リカの国務長官であ り、終始 日本の大陸政策に反対 して きた人物であ り, 日本における「 軍国主義的勢力」 (militaristic influence)の 除去 といぶ ことが彼の念願 の 一 つ で あ った とい わ れ て い る
H.L Sti mson:The Far‐
Eastern Crisis,1936参照曲折を重 ね てい る。 す なわ ち 8月 10日 に政府 は「 帝 国政府 は1945年 7月26日『 ポ ッダ ム』 において 米
,英 ,支
,三
国政府首脳者 に依 り発表せ られ雨後 ソ連政府 の参加を見 た る共 同宣言 に挙 げ られた る条件を右宣言 は天 皇の国家統治の大権を変更す るの 要 求 を 包合 し居 らざることの 了解 の 下 に(ヽVith the■
lnderstdnding that the sdid Declaration does not comprise any demdnd
which prejudices the prerogratives of His MaieSty as a sovereign ruler)妥
舗をす」,「 帝 国政府 は右 了解 に して誤 りな きを信 じ本件 に関す る明確 な る意向が速 か に表 示せ られ ることを 切 望す」 ることを連合 国側 に申 し入れてい る。 しか し連合 国側 の これ に対 す る回答 は「 降伏 の時 よ り天皇及 び 日本 国政府 の国家統治の権限は降伏条項 の実飽 の為其 の必要 と認む る措置 を執 る連合軍 最高司令官
(the supreme Commander for the Allied POwers)の
制 限の下 に(SubieCt tO) 置 か るるもの とす」 ること,お
よび「 最終 的の 日本 国の政府 の形態 (The ultimate form of go‐vernment of Japan)は
ポツダム宣言 に遵 ひ 日本国民 の 自由に表明せ る意思 によ り決定せ られ る べ きもの とす」 ること,な
お「連合 国軍隊はポツダム宣言 に掲 げ られた る諸 目的が完遂せ らるるま で 日本国内に留 まる」べ きことを示 した もので,天
皇 の大権 に関す る日本側 の解 了事項 に対 しては 直接 に答 えた もので はな く(※3)従って「天皇 の大権 」「天皇制」 について は多 くの疑問を残 したま ゝ終観 を迎 えたのである。 た ゞスチ ム ソ ンは個人 的見解 と しては,い
まの皇室の下 における立憲君主制 を排除す るものでな い ことを明 らかに してい る。欲4)しか し,ポ
ッダ ム宣言では この点 に触れ られていないが,ポ
ツダ ム宣言 の起車 に有力 な影響 を与えた と見 られ る元駐 日大使 のグル ーOC,Gre→
は,
日本 に対 し降伏を呼 びかけるについて,「
も し日本 国民 が欲す るな らば,無
条件降伏 は現皇統 の廃棄 を意味 す るもので ない」 ことを明 らかにす ることが最 も効果的であ り,そ
れ によって 日本 の降伏 を早め る ことがで きると確信 し,か
\る意味の宣言案を トルーマ ン(H.S.Truman)大
統領 に提 出 してい る。 この宣言案 は,そ
の内容や表現,形
式 もポ ツダ ム宣言 と共通点 の多い ことが指摘せ られ るが, この中に次 のよ うな文言 のあるのは注 目を要す る点 である。すなわち「 このことは,も
しか ゝる政 府 が 日本 にお ける侵略的軍 国主義の将来 の発展を不可能 な らしめ るよ うな平和政策を追求 す る純粋 な決意を有す ることを平和愛好 諸国に確信 させ るな らば,現
在 の皇統 の下 にお ける立憲君主制 を合 み得 るもの とす る(ThiS may include a cOnstituitonal inOnarchy under the present dy‐
nasty if the peace‐loving nations can be convinced of the genuine determination of
such a government tO f01lo、 v pOlicies Of peace which will render impossible the fut‐
ure dovelopment of aggress
e miltiarism in Japan)」 (※5)と 述べ られている。 この宣言案につ いてはステ ィム ソン
(H.Lo Stimson)陸
軍 長官 も原則 的 に賛意を示 しステ ィム ソ ンが大統領 あて に「 対 日計画案」(PROPOSED PROGRAM FOR JAPAN)を
提 出 し, この案 が結局 ポツ ダ ム宣言 の基礎 にな ってい るが,そ
の内容 は さきのグルーの案 とほとん ど一致 し,天
皇制 に関す る 言 及 につ いて も同様で あった。すなわちその第十二項後段 には「 この ことは,も
しか ゝる政府 が再 び侵略を意図せ ざることを世界 に完全 に満足せ しめる限 りにおいては,現
在 の皇統 の下 におけ る立(※
5)佐
藤 達 夫 :日 本 国憲法 成 立 史,1962p.16参
照(※
4)H.L.StinsOn&M.Bundy:On Act
e Service in Pe2ce and lrar,1947.p.623参照(※5)J.C,Grew i Turbulent Erd.A DiPIomatic Record of Forty Years,1904-1945.2 vols.
1952,P.34前掲 :日 本 国憲 法制 立 史 P.58よ り引用
,な
お,そ
の宣 言案 の表題 はDRAFT PROCLAM―
ATION BY THE HEADS OF STATE Uo S,―
U.K―
(U,S.S.R)― CHINAと
な らてヤヽる。哲:日本国憲法の法源
憲 君主制 を合 み得 るもの とす る」
(ThiS may include a constitntional monarchy under the
present dynasty if it be shown to the complete satisfaction of the world that such
a government、
vill學ever again aspire to aggression)儀
6)と 言ュさオ化てとヽた。このステ ィム ソンの宣言案を修正 した ものが合衆国代表 団車稿
(U
ted States Delegation
Working Paper)案
とな ったが,こ
の案 の第12項後段 は,
国務省 の修正意見 に もとづ いて前 出 グ ル …の案 の とお りに改め られてい る。 このよ うにい くらかの表現 の変化はあ ったにせ よ,と
にか く この段階 まで の宣言案では,天
皇制 に関す る言及 がなされていた。 ところが,そ
のあ との最終案,す なわ ちポッダ ム会談 においてチ ャーテル に手渡 された合衆 国代表団提 出案
(PrOpOSal by the
United States Delegation)で
は,こ
の第12項 後段 がな くな ってい るので ある。その削除の理 由は必ず しも明確 ではないが
,「
天 皇制 」 の存廃 についてアメ リカ国内でいろいろ の意見 があ り,そ
のために起 こりそ うな紛糾 を避 けてあえて「 天皇制」の ことには言及 しなか った といわれてい る。(※γ) いずれ に して も,戦
後 の 日本 は軍 国主義や超 国家主 義 をJF除 して西 欧的 な意味 におけ る民主主義 の復活強化を基調 とすべ きもので あることが,ポ
ッダム宣言 によ り強 く要請 され ることにな った。 この ことは当然,占
領 当初 において,
日本 の憲法改正問題 が論議せ られ ることにな り,そ
の際, 「天 皇制」 の存廃 が アメ リカばか りでな く連合 国 において も 日本側 において も重大 な問題 にな った わ けで,憲
法 改正 もこの ことを中軸 と して発展 してい った といえよ う。 か くして,ポ
ツダム宣言 の受諾 は,戦
後,わ
が国の憲法改正 の動因 となったのであるが,こ
のポ ッダム宣言 の性格 につ いては,「
ポツダ ム宣言 は,い
わば無条件降伏の条件 を 日本 に提示す ること に よ って 日本 に降伏 の機会を与えよ うとい う意図に基づいた ものであ り,同
時 に対 日戦 後処理政策 の基本 目的を最終的 に確立 した もの」 とみ ることが出来 る。要す るに,連
合 国が一方的 に提示 した 降伏条件 を 日本 が何 ら他 の選択 の可能性を認め られ ることな くそのま 積に承諾す るとい う形を無条 件 降伏 とい うとす れ ば,
日本 の降伏 は無条件降伏で あった と云 うことになる。 しか し,ポ
ッダム宣言 には「 無条件降伏」の語 はた ゞ一箇所で,第
45項 に「吾箸 は 日本 国政府 が 直 に全 日本軍 隊の無条件降伏を宣言 し且右行動 に於 ける同政府 の………」 と示 されているのみで あ って,こ
の文面 か らは「 無条件 降伏」の対象 は「 日本 国軍 隊」であって「 日本 国」ではないとも読 み取れ るので あ り,こ
の面 か らは「 日本 国の無条件降伏」 と云 うことは考え られないことにな る。 さ らに「 無条件降伏」の解釈 につ いては,ポ
ツダム宣言 は 日本 国の降伏 の条件 を具体的に提示 した もので あ ると考 えれば,ポ
ッダム宣言 は契約的性質 の降伏を想定 した もの とも取 りうるので,こ
の 面 か らは,ポ
ツダム宣言 の条項 は法的意味を もち,連
合 国 と 日本 とは権利義務 の関係で結 びつ け ら れ ることにな る。 したが ってまた 占領 中の 日本 国憲法の改正 に対 して,連
合 国は,そ
れ が ポ ツダ ム 宣言 の諸条項 に合致す ることを要求す る権利をもち,
日本 には同条項 に従 って憲法を改正す る義務 が あ ると解せ られ ることにな る。 か Iる 見地か らはポツダム宣言 の受諾 は「 条件付 き降伏」 と見 る こ とが出来 る。 た ゞポツダ ム宣言 の受諾を「 無条件降伏」 とみ るか「 条件付 き降伏」 とみ るかは,少
な くとも同 宣言 と 日本 国憲法制定 につ いての国民 の意思 との関連 につ いては,さ
ほ ど 差違 い は な いもの と思 う。 (※6)前
掲:日本国憲法成立史,p.59参
照 (※7)H.ハ
イ ンリック・ 麻 田貞雄訳「 日米外交 とグルー」P.547D参 照 細 川す なわ ち
,「
無条件 降伏」であれば,占
領軍 の「完全 なる征服的併合」であ り,占
領軍 司令官 と してのマ ッカーサーの権 限は絶対無制限であ り,連
合 国の 日本 占領 は,
日本 国の全面支配を 目的 と す る絶対 的軍事独裁制で あ り,か
杖る絶対 的軍事独裁制 の制定 が,憲
法改正 の起 源 で あ るな らば, その起源 に 日本 国民 の意思 が入 り込 む余地 は絶対 に微塵 も無 い ことは明 らかである。 さ らに「条件 付 き降伏」 とみれ ば,そ
の条件 はポツダ ム宣言 によって「一方的」 に「条件づけ られ」 日本 は同宣 言 の示す ところに従 って憲法改正 を義務づ け られ ることにな るので あるか ら,
これ また国民 の意思 の入 り込 む余地 は無 い ことになる。(※ 8) いずれ に して も,憲
法改正 の動 因,契
機 が,
日本 国民 の意思 と全 く関係 の無 い ところで他律的に 始 め られた とい うことは,
日本 国憲法 の基本 的性格 を形成す るものであ り,同
時 に重要 な問題点 と 考 えるもので あ る。2,日
本 占領管理 と国民の意思 連合 国の 日本 占領管理 の当初 の時期 においては,い
まだ憲法改正問題 は具体的な形 における進展 は見せていないが,こ
の 占領管理 の方式 と様 態は,の
ちの憲法改正 の過程 につ いて重要 な環境をな す もので あ るか ら,
この点 につ いて若子 の検討を加 えてお く。 まず 日本管理 の方式 につ いては,ア
メ リカ政府 の構想 は,次
の よ うな基本的方針であ った とされ て いる。すなわ ち Rl)日 本 の 占領 につ いては共 同管理方式を とるが,
しか し,ア
メ リカがあ くまで 指導権を確保す ること。 そのためにはアメ リカ軍最高 司令官 の権 限を大 き くす ること。121できれば ソブ ィエ トの芥入を制限す ること。 また 日本本土 には ソブ ィエ ト軍 を駐留せ しめない こと。13)日本 の 占領管理 は,
ドイッの場合 とはちが って間接管理を原則 とす ること。」(※。)と
な ってお り,占
領 管理 におけるアメ リカ政府 の優位 を 確 保 しょうと して い ることが うか ゞわれ る。 この点 について は,ア
メ リカ政府部 内の部局 間極東地委員会 (Inter…D
isional Area Committee on the Far
East)の
政 策決定で次 のよ うな ことが掲 げ られてい る。「 作戦 の終 了および 日本 の無条件降伏後 , 実行可能 な範囲で対 日戦 争 に積極 的 に参加 した諸国の代表 を加 えて,
日本 に対す る共 同の事実 占領 と軍政 にあた ること。 た ゞし,連
合 国の対 日管理 におけるアメ リカ的性格 を支配 的 とす るために, 藷 畳たよ之代表 あれ検tよ,° とあ支誼占注落 を善 じな卜浪圭 とチ 之とと」 (傍点争者)(※10)さ らに国 務・ 陸・ 海調整委員会 の政策決定「 日本 の敗北後 における本土 占領軍 の国家的構成」datiOnal
Composition Of Forces TO occupy Japan Proper in the Post‐ Defeat PeriOの
の 中にも,アメ リカは
,
日本本上 の占領 当局 において統制的発言権(cOntr01ling voice)を
行 使すべ きこと がのべ られてお り,ア
メ リカが 日本 の 占領管理 に優位 に立 ち,強
い発言権 を持 とうとした姿勢 を示 してい る。 か くして,
日本 の 占領管理 につ いては,ア
メ リカの姿勢方針 が,占
領 管理 の方 向に大 きな影響を (※8)た
ゞポツダム宣言の内容は,明
確には 日本の憲法改正を要求 していない との見方 も出来 る。 しか し明 治憲法を 日本がそのま 【固守 しょうとした場合に,そ
れが連合国によって許されたかと云えば,決
してそ う ではないと思 う。 日本を取 り囲む国際的および国内的状況がそれを許さなか ったとみてよい。 したが って, 明示的にポツダム宣言は 日本の憲法改正を要求 していないとい っても,そ
の必然の帰結 として憲法改正は, さけ得なか った と考えるのが妥当であ らう。 (※9)前
掲:日本国憲法成立央,P,58
(※10)土屋正三:日本の新憲法 と種東委員会,ソファレンス48号参照哲:日本国憲法の法源
与 え るところで あ るが
,「
降伏後 にお け るア メ リカ初 期 の対 日方針」 (United states lnitialPost‐
Surrender Policy for Japan)1ま
SWNCC(※
11)の極東分科会で立案 され関係当局 の協議 の上
,三
省 長官 の承認を経て,大
統領 の承認をえた ものであ り,そ
の内容は大統領 の承認 に先 だ ち, マ ッカーサー履高司令官 に通達 されてい る。 その内容 は,ひ
ろ く軍事,政
治 お よび経済 の各部野 に わた って基本 的政策 を きめた ものであ り,
これ によ って,ポ
ツダム宣言後は じめて,
日本管理 の具 体 的方針 が明 らか に された とい うことがで きよ う。 この「 アメ リカの初期 の対 日方針」 の第一部究極 の 目的(Ultimate ObiectiVes)の
項 の 中で, 次 の よ うに述 べ られて い る「lAl日本 がふ た ゞびアメ リカの脅威 とな り,ま
たは世界 の平和 と安全 の 脅威 とな らない ことを確実 にす ること。(B)他の諸国家 の権利を尊重 し,国
際連合憲章 の理想 と原則 に示 されたアメ リカの 目的を支持すべ き平和 的で責任 あ る政府を究極 において樹立す ること。 (the eventual establishment)・ ………・・」(※12)この文面か ら推測 しうるよ うに,ア
メ リカの占領管理 ―一 ひいては連合国の 占領管理 も一― は,そ
の 目的が,単
な る軍事上 の必要をみたすだけの ことに 止 ま らず,
日本 の民主化 ない しは非軍事化 とい う将来 にわた っての大 きな政治 目的を達成す るにあ った とみ ることがで きよ う。 日本 の 占領 が「 管理」 ない しは「 占領管理」 とい うことばで表現 され ていたの も,そ
うい う事実を示す ものであ ると考 え られ る。 この ことは第二次大戦 の連合国の戦争 目的・ 戦後処理政策が,敵
国 に対 す る無 条件 降伏(UncOnditional Surrender)を
戦 争政策 と し て掲 げ るとともに,軍
国主 義 の打 倒 に重点 を置 いて,そ
の政治体制 の変革 。国家 の改造 を標榜 して いたの と同 じ路線 に立つ もの と思 われ る。 従 って,
日本 占領管理政策 につ いての,ア
メ リカの「初期対 日方針」 も,ポ
ツダム宣言 同様 に, 直接 日本 の憲 法改正 を明示 した もので はないが,
しか しこの文書 が明治憲法の改正 の必要 はない も の と していた とは解 されず,む
しろ,連
合 国,特
にアメ リカは,
日本管理政策 は当然 に明治憲法の 改正 を包合 し,
これを予想す るもので あ った と解すべ きものである。 この ことはボー トン (H.Borton)の
い う「 日本 占領史 の特徴 は,根
本 的 にちが った文化的背景を もった征服者 が,被
征 服者 の基本 的な価値,観
念 お よび制度(fundamental values,concepts,and institutions)を
変革 しょうとしたその企ての歴史であ った」(※13)と述 べ てい るが,
この言葉 は 日本 の 占領管理 の性格を 特徴 的 に表 わ した もの といえ よ う。 か くして,
日本 占領管理 の性格を以上 のよ うな もの と して把握す るか ぎ り,
日本 の政治の方 向性 は,占
領管理政策 の基本 的方 針 に反 す る ことを得 ず,従
って また,
この方針 に従 って憲法改工 が必 然 の結果 と して生ず ることにな るので あ り,
この面か らは,憲
法 の基本 的 内容 もアメ リカの「対 日 方針」 の線 に従 って他律的 に決 まることにな った と考 え ざるを得 ないのではあ るまいか。従 って, 日本 占領章初 において,す
で に憲法 の基本 的内容 につ いての方 向づけが,
日本 国民 の好 まざるとに か ゝわ らず他律的,港
在 的 に決定せ られていた とも考 え得 るのであ る。わが国憲 法の基本的 内容の 方 向づ けが,国
民 の意思 とは全 く無 関係 に形成 されていた ことは,
これ またわが国憲法の重大な特 性 と考 え ざるを得 ないのであ る。注 (※11)S ta te―War―Navy Coordinating Commiateeの略称
注 (※12)こ の究極 目的を達成する為の主要措置として 倒 日本の主権の及ぶ地域の限定,“)日本の完全な武装
解除
,非
軍事化および軍国主義の一掃,(C)基本的人権の尊重,民
主主義的,代
議的組織 の形成 の奨励等が示 されている。注 (※
15)H.BOrtOn:The Far East,1942-1946P.307,
日本国憲法成立史,p.lo4に
て引用3.
憲法改正の示唆 と国民 の意思 連合 国の 日本管理 は憲法改正問題 をは らみなが ら開始 されたが,そ
れが東久週宮 内閣の末 期 にお いて,マ
ッカーサ ーの近衛公 に対す る憲法改正 につ いての示唆 によって初 めて具 体化 の動 きを示す ことになる。 す なわ ち,昭
和20年3月17日 に東久適宮稔彦工 を首班 とす る内閣が成立 したのであ るが,こ
の よ うに皇族 が総理大臣 となるのは内閣制度は じま って以来 の ことで,こ
の異例は,軍
の 内部 にまだ不 穏 の空気 の あ った当時 と して,陸
海 空軍 の完 全武装解 除 と進駐軍 の受入 れを円滑 に行 な うため に, 必 要 な措置であ った といわれ るが,そ
うゆ うことか らも,
この内閣の性格 は当面 の終戦事務 の処理 にあった とい うことがで きよ う。 この東久週宮 内閣の時期 においては,当
時 の 日本 側 の事情 と して新 聞論調 な どにおいて も,憲
法 改正問題 はほ とん どとりあげ られてお らず,
また消極的な態度 が示 されてい る。 特 に政府 と して は,こ
の時期 において は,占
領政策 その ものを十分 に適確 に予 測す ることがで きず,憲
法改正問題 については何 らかの方針を決定す るまで にはいた っていない。(※ 14) す なわ ち,降
伏文書 において「 ポツダム宣言 の条項を誠実 に履行す ること」 が正式 に約束 された 以上,そ
こに示 されてい る日本 の非軍事化,民
主主 義の強化,基
本 的人権 の確立 な どの要請 を実現 す るにつ いて,明
治憲法をそのま 【に しておいてい 杖か ど うか,と
い うことが,問
題 と して 当然 に 浮 か びあが って くるべ きはずであ ったのに,
この問題 は,東
久迩 内閣 と してはつ い に取 りあ げ られ る ことな くして終 ってい るのであ る。 これは ポツダ ム宣言や,
アメ リカの対 日方針 の文面 におい て,憲
法改正 の要求 が明言 されて いなか った とい うことにもあ るで あ らうが,そ
れ に関連 していえ ることは,当
時 の政府首脳部 には,特
に憲法を改正 しな くて も,明
治憲法 の運用を改善す ることに よ ってその要請 を実現で きるのではないか,
とい う意識が潜在 していた とみ られ ることであ る。 さ らに一方 において,政
府 は占領軍 か らつ ぎつ ぎと発せ られ る指令 の処理,あ
るい は国民生活安定 の ための処置など終戦 に伴 う目前 の事務 に忙殺 されて,憲
法問題 につ いて,ふ
か く考慮 をめ ぐらす余 裕 もなか った ことが指摘 されてい る。(※15)こ の ことは東久遍総理大臣が 9月48日の外人記者 との会 見 で「現在政府 は憲法修正を考慮 してゐ るか」 とい う質問 に対 し「我 々は連 日マ ッカーサ ー司令部 の要求 に追われ,
これ が完遂 に金力を挙 げてゐ るので,ま
だ 内政面 に関 していかな る改革 を行 な う べ きかを考え る時間的余裕 がない」(※16)と答 えて い るのは,か
ゝる事情を示す もの といえよ う。 以上 の如 く,東
久週 内閣 が憲法改正 につ いて積極 的でなか った ことは明 らかであ るが,一
方,一
般 国民 の側 と して も,当
時 は敗戦 とい う大 きな衝撃 による虚脱状 態 と,衣
食住全般 にわ た る深 刻 な 生 活不安 のなかにあ って,憲
法問題 ど ころで はな く,
日々の生活 に追われていた とい うのが事情 の よ うである。 しか るに,当
事 の 占領軍総司令部側の態度 と しては,前
述 のよ うに,
日本 占領管理 の 目標達成 の た めには,憲
法 のす みやかな改正 の必要のあ ること,そ
して その必要 について 日本政府 の注意 を喚 起 す る必要があるとい う態度を示 してい る。 か くして,昭
和20年10月 4日 マ ッカーサ ーが当時の国務大臣近衛公 に対 し憲法改正 の必要 を示唆 (※14)前掲 :小委員会報告書:p。 120参照 (※15)前掲 :小委員会報告書,P.122∼
p.129参照 (※16)前提:日本国憲法成立史,P・ 155参照 注 注 注細 川 哲:日本国憲法の法源 した ことには じま り
,10月
8日 の アチ ソン大使 の改正要点 12項 目の指示 とな り,こ
れ によ り近衛公 が佐 々木惣一博士 とともに内大臣府 において,憲
法改正調 査 に着手 してい るのである。 これ らの経過で分 る如 く,憲
法改正問題 が現実 に展開せ られ る端緒 において も,そ
れ は全 く,ア
メ リカの意思 によ り開始せ られた ものであ り,そ
こに全 く日本 国民 の意思 との関係を見い出す こと は出来 ないので あ る。 (政府首脳 です ら憲法改正 問題 を考慮 して いなか ったので あ るか ら章然 の こ と)し
か も,ア
チ ソン大使 が,近
衛公 との会談 において12項 目にわた っての憲法改正要点を指示 し てい る ことは,
日本 国民 の意息 どころか,
日本国の主体性す ら隅に押 しや られた感を受 けるもので あ り,こ
れ また 日本 国憲法成立過程 における,
したが って 日本 国憲法 の重大 な る問題 と して注 目す べ き点 と考え るものであ る。4.松
本案 の拒否 と国民の意思 東久週 宮 内閣 につづ いて幣原 内閣 が昭和20年10月 9日 に成立 し た の で あ るが,そ
の 2日 後 の11 日,マ
ッカーサ ーは幣原首相 に対 して「 憲法 の 自由主義化」を合 む 日本社会組織 の改革 について指 令 を してい る。 その要 旨は次 の如 き もので あ る。す なわ ち「 マ ッカーサー司令官の新首相 に対す る 見解―一 ポツダ ム宣言 の達成 によ って 日本 国民が数世紀 に亘 って隷属 させ られて来 た伝統 的社会秩 序 は匡正 され るで あ らう。 この ことが 憲 法 の 自 由 主義化 を包合す ることは当然である。(ThiS
will unquestionably involve a hberalization of the Constitution.)人 民 はその精 神を奴隷 的状態 に置いた 日常生活 に対す る官憲的機密審間か ら解放 され
,思
想 の 自由,言
論 の 自由および宗 教 の 自由を抑圧せ ん とす るあ らゆ る形態 の統制か ら解 放 されね ばな らぬ。如 何 な る名称 の政府 の下 で あれ,能
率増進を装 い,あ
るい はか 嶺る要求 の下 に大衆 を強制す ることを停止せねばな らぬ。 これ らの要求 の履行 において,な
らびにそれ によ って企 図せ られた諾 目的を達成す るために,余
は貴下 が 日本 の社会秩序 において速 かに次の如 き諸改革を開始 しこれを達成す ることを期待す る。1,選
挙権賦 与 に よ る 日本婦人 の解 放2,労
働組合 化促進5,よ
り自由主 義的教育を行 な うための諸学校 の開放 Φpening)
4.秘
密 の検察 お よびその濫用 が国民 を絶 え ざる恐怖 にさ ら して きた諸制度 の廃止5.生
産 お よび貿易手段 の収益 および所有を広汎 に分配す るが ごとき方法の発達 によ り独 断的産 業支配 が改善 され るよ う日本 の経済的機構が民主主義化せ られなければな らない」(※ 17) この指示 の5項
目は,前
述 の「 アメ リカ初期の対 日方針」 に合 まれてい る政策 の うち,と
くに重 要 な ものを挙 げた もの と認 め られ るが,憲
法改正 につ いて は命令 が ま しい言葉 を避 け,婉
曲な表 現 を とっている。 しか し,
これは,
のちの憲法改正車案要綱 の発表 の ときのマ ッカーサーの声明で は,こ
の指示 につ いて,「
この憲法 は, 5ケ
月前 に余 が内閣 に対 して発 した最初 の指令 (initialdirection)以
来 ……」 とい うい \方 を してい るところか ら,
この指示 は,
単 な る示唆程 度 の もの でな く,指
命 と解 す るのが妥 当で あ らう。 こ ゝに も憲法制定過程 におけ る他律性 が,明
確 に よみ と れ るので あ る。 幣原 内閣 と して は,こ
のマ ッカーサーの指令 にもとづいて 内閣 に松本蒸治 国務相を委員長 とす る 「憲法 問題調査会 」を設 け,憲
法調査 の仕事 が内閣 においてす 【め られ ることにな る。 注 (※17)前掲:日本国憲法成立史,P,246引
用この委員会 は
,勅
令 によ らず閣議 了解 と して決定 された非公 式 な もので あ り,別
にその組織,権
限 な どにつ いて明文 で定 めた ものはな く,当
時発表 された松本 国務 大 臣 の談話 によ ると「 それは必 ず しも憲法改正 を 目的 とす るもので はな く,調
査 の 目的は,改
正 の要否 および改正 の必要があると すれ ばその諸点 を明 らか にす るにあ る。 そ して,も
し,改
正案 の作成 を必要 とす る時期 が来 た場合 には,多
少 な りともその役 に立 ち得 るよ うに したい」(※18)とぃ ぅことであ って,調
査会 の呼 び名 と して改正 とい うことをいた っていないの も,こ
のよ うな趣 旨か らで あ らう。 しか し,憲
法調査会 の 出発 はそ うで あ って も,明
治憲法の逐条 の検討 が進 め られ る過程 で,各
委 員 の改正試案 の提 出 とい うよ うな ことともあいま って,調
査委員会 と しての改正案 を指 向す る方 向 になってい る。す なわち,敗
戦 後 の新事 態 に対応す るため幣原 内閣 の下 に召集せ られ た第89臨 時議 会 において,松
本 国務相 は憲法改正 について,つ
ぎのよ うな私 案 を提 出 してい る。 松本 四原則 とい われ るものである。1.天
皇が統活権を総惰せ られ るとい う基本原則 には,な
ん らの変更 も加 えない こと。 この こと は,お
そ らくわが国の識者 のほ とん ど全 部 が一致 してい るところで あ らう。2.議
会 の議決 を要す る事項 の範 囲を拡充 す ること。 その結 果 と して,大
権事項 を あ る程 度削減 す ること。5,国
務 大臣 の責 任 を国務 の全般 にわた るものた ら しめ憲法上天 皇輔弼 の責 任 を持 た ない もの ゝ 介在す る余地 なか ら しめ る こと。 同時 に国務大 臣は議会 に対 して責 任 を負 うものた ら しめ ること。4.人
民 の 自由および権利 の保護 を拡大す ること。すなわ ち,議
会 と無 関係 な立 法 によって 自由 と権利を侵害 しえないよ うにす る●と。 また 自由と権利の侵害 に対す る救済方法を完全な もの とす ること。(Y10)この松本 国務相 ののべた四原則 は,政
府 が憲法改正 について言 明 した最 初 の考 え方で あ り,ま
た当時 における憲法問題調 査委員会 の調査の動 向を示す もの と して注 目され る。 た ゞ松本 委員 (松本 国務大 臣)の
態度 につ いて,松
本 委員 は近衛公 の場合 とは異 な り,そ
の調査 にあたって 総 司令部 の意 向は何 ら参考 にす る必要 はない,と
い う態度を堅持 した といわれ る。 この ことについ て は当時近衛公 に協力 した東京大学名誉教授高木八尺博士 によれば,同
博士 が松本 国務大 臣 に対 し て総司令部側の意 向を参考 にす る必要があ ることを勧告 したが,同
大 臣 は この意見 を退 けた といわ れ る。 しか し後 に松本国務大臣の述べた ところによれば,同
大 臣 も,ポ
ツダム宣言 および 8月11日 付連合国回答 に「 日本 国民 の 自由に表 明せ る意思…」云 々とい う文字があ る以上,憲
法改正 は全 く 日本側の 自主 的な考え方 によって行 ない うるはずであると考えていたのだ と述懐 し,
しか し今 にな ってみ るとその考 え方 は い さ 積か法律 的形式 的 にす ぎた考 え方 で あ ったか も しれない とも述懐 して い るが(・Fワ。)こ れは,後
に松本案 (憲法改正案)が
マ ッカーサーによ り拒否 され るに至 った ことをみ て も,憲
法改正 におけ る 日本側 の 自主性 や主体性 は総司令部 において は形式 的には ともか く,実
質 的 には余 り考慮 しなか ったので はあ るまいか。 松本 国務大臣 は憲法問題調査委員会 におけ る論議を参照 しなが ら,み
ず か ら「 憲法改正私案」を 起草 したが,
この改正私 案を骨子 と して,宮
尺俊義委員が要綱化 した ものが,の
ちに「 甲案」 とい われ るもので あ り,そ
れ が,さ
らに松本 国務大臣によ って筆 が加え られ, 2月
8日 総司令部 に提 出 された。 これが「憲法改正要綱」 といわれ るものである。 この「 甲案」 とは別 に,同
委員会 の小 委 (※18)前掲:日本国憲法成立史,p.252参
照 (※19)前 掲 :小委員会報告書p.215∼ P.214参照 (※20)日 本評論社 :憲 法調査会報告期,1964,p.59参
照 注 注 注哲:日本国憲法の法源 員会 は改正案を起草 したが
,
これが「 乙案」 とよばれ るものであった。 この両案 は,い
ず れ も明治 憲 法 の一部改正を意図 した ものであ り,
天皇 の基本 的地位 について も,
男U段 の変更 を加 えてお ら ず,皇
室典範 の性格 の変更 にも触れていない。 また,そ
のほかの改正点 において も共通す るところ が多い。 したが って,
この両案 のあいだには根本的な差異 はな く,同
時 にまた両案 とも,結
局 にお いて さきの「 松本四原則」の範 囲を出るものではなか った。 もっとも甲案 の方 は,
さきに松本委員 長 が調査委員会で,で
きるだ け小範 囲の改正 にと ゞめた とい ってい るとお り,乙
案 に くらべ ると, さ らに改正点 が少な く,
したが って現状維持 的な性格 が濃 い といえ る。 これ に対 して 乙案 の方 は, い くらか革新的な面 を もってい る。 そのほか,乙
案 で は条文 によってABCな
どの代案が併記 され て い るのが特色であ る。 この憲法問題調査委員会 の案 (ことに松本案)は ,の
ちのマ ッカーサ ー車案 に しらべ ると,き
わ め て現状維持 的であ り,
と くに天皇 に対す る態度 においてそ うであった。 しか しこのよ うな態度 も,当
時 の社会 的環境 に照 してみ ると,必
ず しも一般 国民感情か らそれほどはずれた ものではなか った といわれ る。要す るに,松
本 委員 その他,憲
法問題 調査委員会 における主 流 的な考 え方 は,ポ
ツダム宣言および 8月11日 のバ ー ンズ回答 について「 日本 国民 の 自由意思Jを
幅 ひ ろ く解 し,
これ と当時 の国民感情 に対す る関係者 の認識を結 びつ けた上 に立 った もの と見 ることがで き,
この点か らは,松
本案 はむ しろ国民感情,国
民意思 をかな り尊重 し,
日本政府 の 自主性 の上 に立 った改正案 と云 うことが出来 るであ らう。 しか るに,総
司令部 と して は,
この「 憲法改正要綱」 に満足せず,松
本 案 を拒否 して,昭
和21年 2月 15日,い
わゆ る「 マ ッカーサー草案」を 日本政府 に提示 して,こ
の案 の原則 に立 って,新
しい 改 正案をつ くるよ うに指示 してい る。 これはマ クネ リーの云 う如 く「 松本案 は,
日本憲法 の理論的 基 礎を少 しも民主化 していなか った (did nOt in the slightest democratize)」 の批判 にみ られ よ うに,総
司令部 が「 松本案 の内容 が 日本 の民主化 のために不充分である」 と判 断 したか らであ る と されている(※ 21) この松本案 に対す る総司令部側の評価 は極 めて悪 く,「
改正案 は,明
治憲法 の最 もおだやかな修 正 にす ぎず,
日本国家の基本 的な性格 はそのま ゝ変わ らず残 されてい る」 とか,「
提 案 された改正 案 は,最
も保守的な民間車案 よ りも,さ
らにず っとお くれた もので あ る。意 図 され た ところは,明
治憲法 の字句 を 自由主義化す ることによって,総
司令 官(SCAP)の
容認 しうる もの に し,実
際 の 憲 法 は,従
来 どお り漠然 と して弾力性 のあ る形で,支
配層 が適 当に適用 し,解
釈 で きるよ うに して お くことであ った ことは,ま
った く明瞭である」 とか,「
松本 国務相 は極端 な反 動家で委員会 の討 議 に鉄 のサ イハ イを振 っていた」 とか,「
委員会 では保守的憲法唱導者 と進歩 的憲法 の唱導者 との 間 に明 らかに意見 の対立 があった。 しか し全体的に委員会 は極端 な保守主義者で あ る松本博士 の意 見 に支配 されていった」 とか(※22)のべ てい るが,
これは事実 とちがってい る と い えよ う。すなわ ち,松
本案 は当時 と しては,可
成 り進歩 的な案であ り,前
述 の松本 四原則な るもの も,第
一 をのぞ いて,や
は り進歩 的な内容の もの と考 え られ るのであ り,特
に第四の原則 は車進 な考 え方であ る。 注 (※21)前掲:小委員会報告書,p.257参
照 (※妨)毎
日新 聞社外信部訳「 日本におけるマ ッカーサー」P.75参照 のほか,松
本案に対 す る評価,
批半」につい ては CiVil Historical Sectionで 書いているHiStOry of tNonmilitary Activities of the Occup―
ation of Japan 1945 through Dec。 1951,Vol. III, Political zlnd Legal‐ Part 3; Constitutional Re―
VISiOn
しか るに
,総
司令部 が このよ うに不 当に悪 く評価 を下 したのは,あ
るいはのちに 日本政府 に提示せ られ る総司令部案 を正 当化 し,そ
の実現 を追 る為 の口実 にす ぎなか ったのではないか とさえ考 え ら れ るので あ る。│
さ らに,天
皇 の問題 については,松
本案 が,現
状 維持 的 にな らざるを得 なか ったのは立法 的 には 当然の ことで,明
治憲法 を「 改正」 とい う形で修正す る限 りは,改
正 には「停止」や「 廃止」 と違 い,修
正 におのずか ら限界 があ り,
したがって明治憲法 の基本的原則であ る「 天皇の性格」 を憲法 改正手続 に よ り改正す るのは不可能で,改
正憲法 を明治憲法 との法 的関連性,連
続性 を保 たせ しめ る必要 のあ る改正 とい う限界 内での明治憲法 の修正 を意 図す るな ら,の
ちに出 され る総 司令部案 の よ うな ものはでて こないはずであ り,松
本案 の方 が,法
的 に正 しい憲法改正 の方 向で あ った とい う べ きであ らう。 いずれに して も,
日本政府の松本委員会 が,ポ
ツダ ム宣言 の「 自由に表 明せ る意思」を善 意 に額 面 通 りに解釈 して,
日本政府 としての主体性 を堅持 して一般 の国民感情 も考慮 の上,民
主 化 の情勢 に対応 しょうと して作成 した松本案を,占
領軍総司令部が一方 的に拒否 した とい う事実 は,わ
が国 憲 法 の成 立過程 にお け る重大 な る瑕庇欠 陥 と云 わね ばな らず,極
言すれば,一
人汚点 と云 って も過 言 で はないので はなか らうか。5.総
司令部の憲法草案の作成 と国民の意思 前述 の総司令部 に よ る松本案 の拒否 に よ って,憲
法改正 の方 向づ けは,完
全 に 日本政府 の手 をは なれて総司令部 に移 った とい ゝ得 ると思 うので あ るが,総
司令部 が,松
本案 を拒否 した理 由 は,要
約 すれば,「
憲法改正 に対す るアメ リカ政府 の方針 」 か ら考 えて,
とうて い,受
け入 れ られ ない と い う判断を した為 と考 え られ る。す なわ ち,当
時 すで に総 司令部 には,
日本 の憲法改正 に対す るア メ リカ政府の方針 を示 したいわゆ るSWNCC-288(国
務・ 陸軍・ 海軍三省調整委員会文書288号)が
送付 されてお り,総
司令部 は このSWNCC-288に
照 らして松本案 が到底承認 しえな い もの で あると考 えたのであ った し,ま
た総司令部 が,い
わゆ るマ ッカーサー車案をみずか ら起車す るに あた って もこの文書 が,最
も重要 な指針 とされたのであ る。従 って,
この文書 の内容が,わ
が国憲 法 に重大 な影響を与え ることになるのであるが,
この文書 の主要 論 点 は 天皇制に関す るもので あ る。(Ⅲ23)すなわ ち,そ
の「結論」の部分で,天
皇制をいかにすべ きかは 日本 国民 の 自由に表 明 され た意思 によ って決せ らるべ きもの とされてい るが,
しか し,、現在 の形態のま ゝで天皇制を維持す る ことは,
この文書 の一般 的な 目的に合致 しない と考 え られ ると し,天
皇制を廃止す るか,あ
るいは よ り民主主義的な方 向において改革を加 えた上 で維持す るか,が
奨励支持 されなけれ ばな らない, とい ゝ,そ
して もしも日本 国民 が天皇制を維持す る場合 には,そ
の民主的な天皇制の保 障のために 必要 な規定 を設 けなけれ ばな らな い と して,そ
れ らの要点 を あげてい るので あ る。 次 に憲法改正 その ものに対 す るアメ リカ政府 の基本 的立場 は,
この文書 によると,「
憲法 改正 が 必要 で あ り,総
司令官 は 日本政府 に対 して,そ
れ を要求 しうるのであ るが,そ
の要求 が『 強制Jな
い し『命令』 としてな され ることは,そ
の結果 た る憲法改正 そのものを失敗せ しめ る危 険性 があ る と し,
したが って 日本 国民が,憲
法改正 を容易 に受 諾 で きる方法 を とるべ きで あ り,総
司令部 の『 命 令』 は『 最後 の手段』 と しての場合 に限 られなければな らない」 とす る趣 旨を明 ら か に してい (※25)前掲 :小委員会報告書p.250∼261参照哲:日本国憲法の法源 る。 次 に
,
この文書 の内容 に関連 して,
日本非武装化政策 が憲法改正 に関す るアメ リカ政府 の基本方 針 において,ど
の よ うに取 り扱 われていたか とい う問題 で あ るが, SWNCC-228に
は,後
の 日 本 国憲法第九条 の起源 とな るべ き 日本非武装化 の項 目は少 な くとも直接 には存在せず,か
え って「 国務大 臣 はすべ て文 民 でな ければな らない とす る ことによ って,軍
部 を政府 に従 属 させ る措置 を と る ことが望 ま しい」 とか「天皇 は軍事 に関す るい っさいの機能をは く奪 され る」(※24)等々の文言 が あ り,む
しろ軍 隊 の存在 を認 め,た
ゞその統制 のために必要な制度が設 け られな ければな らない こ とを指示 してい るかのよ うな表現 が見 られ るのであって,
この点 か らみて, SWNCC-288は
日 本 の非武 装化 を予想 した もので はな く,
したがって第九条 は,マ
ッカーサ ーの独 自の方針 に基 づい て起案 された ものであ るとす る見解 が有力 に主張 され る(※25)_方
,
しか し,
これ に対 して,同
文書 は 当然 に 日本 の永久非武装化 の方針 を包合す るものであ り,第
九条 の起源 はアメ リカの不動 の方針 に よ るものであ った と見 ることも出来 るのである。 いずれに して も,
このSWNCC-288の
文書 がマ ッカーサ ー草案起革 に当 っての重要 な指針 と な っているので あるが,
これに もとず いて,い
わゆ るマ ッカーサ ー三原則(※26)を作成 し,総
司令部 案 を作 ることにな るので あ る。 た ゞ,
この起案 の過程 において,
日本側の民間草案 の一つで あった憲法研究会案 が,マ
ッカーサ ー車案の起案者 によ って相 当の程度 に参照 された事実 があ るとされてい る(※27)しか し,
この ことに つ いては,当
時,同
研究会 の メ ンバ ーで あ った鈴木安 蔵教授 は「 その ことを過大評価す ることは正 当でない」(※つ8)と述 べ てお られ るところか らも同研究 会案 も他 の参考資料 と同 じ意味において参考 資 料 とされ たにす ぎず,総
司令部案 の作成 にあた り特 に寄与 した とい うべ き性質 の もので はない。 とい うべ きであ らう。従 って,こ
の面 か ら総司令部案 に国民 の意思 が関係 してい ると見 るのは間違 いであ ると思 う。 次 に,
マ ッカーサーが,松
本 案 を拒否す るとともに急 いで憲 法草案 の起草 を ホイ ッ トエ イ (C.Whitney)民
政局 長 に命 じ,そ
れを 日本政府 に渡す とい う処置 を とるに至 ったのは,極
東委員会 (Far Eastern Commisson)(※
つ9)イこよ り,
日本 の憲法改正 に関す る最高司令官の権限が制約 され ることとな ることを予想 し
, 2月
26日 に発足す ることを予定 されていた同委員会 の発足 の前 に,憲
法 改正 の既成事実 を作 り,そ
の主導権 を,に
ぎってお こうと した結果 で あ った と解 され る。(※30)この極東委員会は
,東
京 にあ るアメ リカ,イ
ギ リス,中
国,
ソ連 の四ケ国で構成せ られた対 日理事会 体1lied COuncil of Japan)に
命 令 を伝達 し,
あ る意 味ではマ ッカーサーを監督で きる立場 に あ ったか ら,
日本 の憲法改正 について も政策決定 がで きる ことにな る。 そ うな るとアメ リカ政府 の 希 望す る憲法 改正 は きわめて困難 で あ るので,マ
ッカーサ ーは,そ
の制約か ら脱す るために,み
ず 注 (※24)前掲 :憲 法調査会報告書,p.40参
照(※
25)前
掲 :憲法調査会報告書,p,40
(※
201.
天皇の地位 (at the head of the state)2. 戦争放棄 5。 日本の封建制度の廃上の三つの原 則をあげているが,な
お予算についても英国制度にな らうべきとしている。 (※27)前掲 :小委員会報告書,p.295∼
514参照 (※28)前掲 :憲 法調査会報告書,P,42参
照なお,鈴
木氏は当時,静
岡大学教授 (※29)同委員会は,1945末のモスコー外相会議において決定をみたもので, 最初 ソ連,
イギ リス,
アメ リ カ,中
国,フランス,オ
ランダ,カナダ,オ
ース トラリア,ニ
ュージーラン ド,イ ン ド,フ ィリピンの11ケ 国が参加 し,あ
とで ビルマ,パ
キスタンが加わ っている。 (※50)前
掲 :小 委員会報告書,P・ 272 細川 12か らの権限によ って急 いで憲法改正 に着手す ることになった といわれてい る。(※ al) 以上 の こと ゝ関連 して
,
憲法改正 に関す るマ ッカーサーの権限 その ものが問題 にな る。 す なわ ち,特
に 4月50日,
マ ッカーサ ーは,
折 か ら来 日 していた極東諮 問 委員会 の委員 との 内談 におい て,い
まや憲法改正 の権限 は極東委員会 の手 に とりあげ られた とい う趣 旨を語 り,か
つ,同
時に憲 法改正問題 は,
日本 国民 がみず か ら行 な うべ きものであ り,総
司令部 は何 らのはた らきか けに出て はい けない とい う趣 旨を述 べてい る。(※32)しか るに委員の離 日後,マ
ッカーサ ーは,急
き ょマ ッカ ーサー草案の起案 を命ず るので あって,
この間の経緯 はいわば劇的 な急変 の一場面 である。 したが って,マ
ッカーサ ーの行動ない し措置 は,越
権 ない し,脱
法行 為 で あ る とす る考 え方 もあ るが,(※33)法的には,と
もか くと して,政
治 的,道
義的には問題 の あ る行 動 と云 うべ きで あ らう。 いずれにせ よ,
このマ ッカーサ ーの措置 によ り,極
東委員会 の活勃 開始前 に,憲
法改正 の重要 な 段階 についての既成事実 が作 り上 げ られた ことは否定で きない事実 で あ る。 た ゞ,
このマ ッカーサーの措置 は,連
合 国 の うちに ソ連,オ
ース トラ リア,フ
ィリピン,ニ
ュー ジ ラン ド等 に強い天皇制廃止論(X34)がぁ り,
これ らの国が,極
東委員会 において共和制 を主 張す る で あ らうことを予想 して,そ
れ にいわば先 手 を打 とうと したのがマ ッカーサーの急 いだ理 由であっ た と解 されている。 この点か らは,マ
ッカーサー の措置は 日本 のために,主
と して 日本 に天皇制を存続 せ しめ るため に,柾
東委員会 をだ し抜 いて,既
成事実 を作 らうと した もので,そ
の動機 は善意であ り「 日本 のた め」 とも考え られ る。 のちに,
このマ ッカーサー原案 を もとに作成 された 日本政府 の憲法改正草案 が議会の審議 にか け られ るに際 して,マ
ッカーサーは,「
今議会 に提 出 された政府車案 は 日本人 に よ る文書で あ り,
日本国民 のための ものであ る」(※35)とぃ ぅ声 明を発表 してい るが,「
日本 国民 の ための もの」 とい う点 につ いては,以
上 の経 過 を考えればあ る程度云 い うるか も知れないが,(※36) 「 日本人 によ る」 とい う点 につ いては,そ
もそ も原案 が総司令部か ら出て いるとい う面 か ら考えれ ば,事
実 と相 達 した声 明 と云 わ ざるを得 ないので あ る。 次 に総司令部案 を 日本政府 に交付す るに当 っての総司令部 の態度,姿
勢 を問題 に しなけれ ばな ら ない。 この場合,特
に重要 な問題 は,い
わゆ る「 天皇 の身体 の保障」 の問題 である。す なわ ち,交
付 の際 の会談 において ホ イ ッ トエ ーが,
日本側 に対 して,
この総司令部案 を 日本政府 が受諾 しない な らば,天
皇 の身体 を保障す ることはで きない と言 明 した とい うことで あ る。 この ことは,
日本側資料 と してはいわゆ る松本手記(※87)にあ るのみで あ るが,そ
れ は,
日本側 に 対す る圧力 と してで あ った のか,そ
れ とも,国
際情勢 の緊迫性 を強調 した ものであ ったのか につい 注 (※51)この 間 の 事 情 はC.A.Willoughby&J.Chamberlain:MacArthur 1941-1951,1954が
詳 し い 。 (※52)前掲 :小 委員会報告書,P。 282-295参 照 (※55)憲法無効論の理由の一つ として大石義雄委員,
神川彦松委員 (憲法調査会委員)等
によって云われ る。 (※54)21年 1月21日,フ ィリッピンは天皇戦犯 としての裁判要請,21年5月29日ソ連天皇を戦犯 として指名 を要求,西
独の学者 レーヴェンシュタイ ンは「 近代国家 と君主制」とい う本の中で「 現代において君主 と軍 事制度が密接にむすびついておる場合は,君
主制はもはや敗戦後まで生 きのびえない」と云 っている。 (※55)鮎,H国彦編:マッカーサー書簡集,P,49
(※56)天皇制存置は天皇の地位を利用 して左翼思想や,社
会主義運動を押 えて日本の戦後の治安を維持 し, 日本統治を しょうとしたアメ リカのためでもあ った。 (※57)松本国務大臣がホイ ッ ドユーと会談後に会談の内容を略記 した手記 のこと。哲:日本国憲法の法源 て は
,ア
メ リカ側 の真意 は明確ではないに して も,少
な くともそれを受取 る側 の松本 国務大臣をは じめ関係者 の シ ョックは相 当に大 きか った ことが想像せ られ るのである。特 に,松
本 国務 大 臣が ホ イ ッ トエーの ことばを,
も し先方 の案 をのまなければ,天
皇 の身分 にも危害 が及ぶ おそれがあ ると 解釈 されて,
これを受 け取 られた とす るな らば,そ
れは強 い「押 しつけ」で あった とい kう るので あ り,さ
らに極言すれば,た
とえ ホイ ッ トニ ーの真意 が,当
時 の冷厳 な国際情勢 を率 直かつ客観的 に述 べよ うと した もので あったにせ よ,受
け取 る側 と して は,一
種 の脅迫 です らあ った と云 い うる のではなか らうか。(※ 38) さ らに,総
司令部案 に強 い衝撃 を受 けた 日本政府 は,昭
和21年 2月 18日松本国務大 臣を して,さ
きに提 出 した松本案 の趣 旨を重ねて説 明 し,総
司令部 の再考 を求 め るため「 憲法改正案説 明補充」 を提 出 しいるのである。 しか し総司令部 は これを も拒否 しているのである。 これ らの交付 の経過か ら考えて,
これを「 押 しつけ」 と云 わな くて,一
体 何 と云 い うるで あ らう か。 こ ゝにおいては,
日本政府 の主体性 も,
国民 の意思 も微塵 も見 い出す ことはで きないので あ る。8.帝
国議 会の審議 と国民の意思 以上 の経過か ら分か るごと く,総
司令部案 は,
日米対等 の立場で合作 された もので もな く,
日本 の 自主性 において作成 された ものでない ことは明 白である。 のちに,
この原案 に対 して若子 の修正 が行 なわれたが,そ
れは原案の基本 的性格 を変 るものではなか ったのである。 この原案 の審議 の経 過 をみ ると, 日本側 は,総
司令部原案 にもとづいて,新
た に憲法革案 を起草す ることにな り,松
本 国務大 臣を 中心 に,佐
藤達夫法制局第一部長,入
江俊 郎法制局 次長 の協力 をえて,極
秘 の うちに,起
草 の仕事 をす ゝめ,昭
和21年 3月 2日 にい ちお うの成案 を怒 り, 5月
4日,こ
れを総司令部 に提 出 した。か くして,翌
5日 の夕刻,車
案 が成立 し,
日本政府 は,
これを総司令部 と関係 な く,
日本政府案 と し て 5月 る日発表す ることにな った。 これが「 憲法改正車案要綱」 といわれ るもので あ る。 この要綱 は 5月 7日,各
新 聞にい っせ い に発表 され,国
民 に大 きな反響をよんだ。 この突然 の発表 とその「 急進 的」 内容 に国民 は戸迷 った感 じであ ったが,ま
もな くそれが総司令部 の原案 をそのま ゝ総訳 し た もので あるとい う噂が流れ,原
案起車者 が 日本政府 で ない 旨の事実 が明 らか とな り,そ
の「急進 的J内
容 につ いて も合点 がい ったが,
しか し,
占領下 の言 論統制 を考慮 して,そ
れ を堂 々と公言す る人 は余 り無か った とい うことで ある(※3つ) さ らに,
主要新 聞論調 は,
だ いたい において,
この要綱 に同調的 態度を示 していた と云われ る が,こ
れ も,当
時 の国内世論 に関 して,そ
れが 占領当局 の統制下 にあ った とい う情況 は注意 しなけ れ ばな らず,特
に当時 占領軍 当局 による新 聞等 の事前検閲が行 なわれていた ことを思 えば,言
論 の 発表 につ いて,国
民 の 自由な意思 の表 明は困難であ った と考え られ るのであ る。 一方,翼
賛議会 の延長であ った衆議院 は昭和20年12月 18日 解散 とな り,翌
21年1月22日 に総選挙 が行 なわれ るはずであったが,
この期 国の発表 を とりやめ るよ う総司令部か ら指示 があ り,そ
の翌 注 (※58)幣原 内閣,特
に松本国務大臣が「 天皇制の保持」「 天皇の保護」を第一 目標 として考えていたことを 思えば,このように云 っても過言ではなか らう。 (※59)中村菊男 :戦後 日本政治体制の方向づけ(慶応大学法学研究会 :法学研名 第42巻)P.16参
照 細 川1月 4日 に「公 職追放令」 が発令があったので あ る。 これは好 ま しか らざる人物の公職か らの排除 を意味す るものであ り