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The Crisis of National Identity and esovereign-democracy' in Russia HAKAMADA, Aoyamagakuin Shigeki University Abstract After the collapse of the Sovie

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Academic year: 2021

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【特 集 論 文 】 ロ シ ア ・東 欧 研 究 第36号2007年

ロシ ア に お け る国 家 ア イ デ ン テ ィテ ィの 危 機 と 「

主 権 民 主 主 義 」 論 争

(青山学院大学)

The Crisis of National Identity and•eSovereign-Democracy' in Russia

HAKAMADA, Shigeki Aoyamagakuin University

Abstract

After the collapse of the Soviet Union, one of the most serious problems for today's Russia is how to establish stability and identity as a nation.

There are two reasons this problem is especially serious in Russia. First, because of historical, social psychological and other reasons, Russian society has trouble creat-ing autonomous public order. The present writer calls this aspect of Russian society a •e sand-society', which means a society where stable order and a market economy are

difficult to establish without some measure of authoritarianism. The high rate of sup-port for President Putin reflects, not stability, but a public fear of instability. Second, Russia, in spite of the social characteristics mentioned above, is trying to keep up the appearance of an advanced G8 nation with a civil society based on the rule of law and democratic values. It was in order to cope with this dilemma and to justify his government that Vladislav Surkov set forth his •eSovereign-Democracy' theory of Neo-Slavophilism.

There is a strong distrust towards the Western world behind this theory, which insists on Russian individuality and is inimical to interventions or •eexportation of democracy' by the West, as in the cases of the collapse of governments in Georgia and Ukraine. This theory above all justifies the great power of the Russian State, emphasizes Russian individuality or peculiarity and affirms people's demands for order, stability, and especially a strong leader.

This theory is based on the ideas of Ivan Il'in, who was a Russianist religious thinker condemned for being a reactionary and deported from Soviet Union in 1922. Il'in describes Russian culture as synthetic, intuitive, and organic, while characterizing Western culture as analytic, materialistic, and logical. Surkov's theory retains the basic tenets of Slavophilism, which set Plato above Aristotle and was closely related to German Romanticism and mysticism, while making no deeper interpretation of its roots.

Keywords: sand-society, Vladislav Surkov, Sovereign-Democracy, Ivan I1'in, Slavophilism

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Surkov points out three features of Russian political culture•\•ecentralization', •eidealization', and•epersonification'.•eCentralization' means that strong centralized pow-er guarantees stability.•eIdealization' means that the Russians feel uncomfortable without an ideal or a mission such as •ethe Third Rome' or•ethe Third International'. •e Personification' means that, in Russia, a person (leader) is considered more important

than institutions.

The problem of establishing identity in Russia is the problem of stabilizing a 'sand -society'

. Considering these three features in relation to this problem, there are two requirements for stabilizing the 'sand-society'. One is a •emold' or a•eframework' to give sand a form, and the other is•ecement' to fix it. Of the three features in Surkov's •esovereign-democracy' theory,•ecentralization', and•epersonification' are the•emold' or •e framework', while•eidealization', and•epersonification' make up the•ecement'. Against

this Neo-Slavophilism or 'sovereign-democracy', so-called modern, Westernizers,dem-ocrats,reformists and social democrats-are criticizing Surkov. Curiously, therefore, the controversy between Slavophiles and Westernizers that occurred 150 years ago is now repeating itself. One Russian political scientist describes this phenomenon as a deja vu and says it means that the problems dating back to the middle of the 19th century have not yet been solved.

1 ロシ ア に お け る ア イ デ ン テ ィテ ィ危機 と直面 す る ジ レン マ 序 に代 え て ロシ ア の最 も深 刻 な 問題 あ るい は 緊要 な課 題 は,ソ 連 邦 崩壊 後 の ロシ ア の 国家 と して の ア イ デ ンテ ィ テ ィの確 立 の 問 題 で あ ろ う。 国 家 と して の ア イデ ンテ ィ テ ィの確 立 とは,「 ロシ ア 国 家 の 政 治 的,経 済 的,社 会 的 な形 態 の確 立 」,あ る い は ロ シ ア の諸 条 件 を 前 提 と した 「安 定 し た秩 序 」の構 築 で あ る。 この 問題 が ロシ ア で特 に深 刻 な ジ レ ンマ とな って い る理 由 は2つ あ る。 第1に,ロ シ ア社 会 が 歴 史 的,自 然 的,社 会 心 理 的 そ の他 の原 因 で,自 律 的 な社 会 秩 序,安 定 した 国家 規 律 の確 立 し に くい 社 会 で あ る とい うこ とで あ る。 別 の 言 葉 で い え ば,市 民 社 会 が成 熟 して い な い とい うこ とで あ り,筆 者 の 表 現 を 使 う と,「砂 社 会」 とい う こ とで もあ る(1)。 つ ま り,社 会 を安 定 さ せ るた め に は,何 らか の 政 治 的 に硬 い枠 組 み が 型 枠 と して 必 要 で あ り, か つ て は ツ ァ ー リの 専 制 体 制 や ソ連 の 共 産 党 独裁 体 制 が そ の 役 割 を 果 た した。 また,砂 を 固 め て 安 定 させ る た め に は セ メ ン トも必 要 で,そ の役 割 を は た した の が ロ シ ア正 教 や 共 産 主 義 イデ オ ロギ ー で あ った 。 た だ,「 砂 社 会 」 論 とい って も,筆 者 は ロシ ア 社 会 の 特 性 を宿 命 論 的 に と ら えて い るの で は ない 。 同 じ よ うな諸 条 件 が あ れ ば,ロ シ ア以 外 に も 「砂 社 会 」 あ り得 る し,ま た ロ シ ア も,時 代 を 大 き く とれ ば,社 会 体 質 は 当然 変 化 す る,と 考 え て い る。 た だ, 20年,30年 で は 社 会 の 基 本 的 な性 格 は 大 き く変 わ ら な い と見 て い る の で あ る。 この 点 で は, 「ロシ アが 目覚 め る の は今 生 ま れ て い る孫 の世 代,つ ま り2035-2040年 よ り前 で は な い だ ろ う。 我'々は 今 後 数 十 年 間,民 主 主 義 の 理 念 が 実 現 す る こ とは 期 待 で きな い 。 社 会 の 振 り子 が,さ ら に悪 い 方 向 に振 れ るの を 防 ぐこ とす ら で き な い か も しれ ない 」(2)とい う悲 観 的 な ロシ アの 学 者 に,残 念 なが ら 同 意 せ ざ る を 得 な い の で あ る。 プー チ ン政 権 の 下 で ロ シ ア は 一 定 の安 定 を (1) 袴 田 茂 樹r沈 み ゆ く大 国 ロ シ ア と 日 本 の 世 紀 末 か ら 』 新 潮 選 書 ,1996年,219-228ペ ー ジ 。 (2) СергейцнреЛЬ,Наполпутсвбоды<<HE3ABнМАЯГАЗEТА>>2008.1.23.

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ロシア にお け る国家 ア イデ ジテ ィテ ィの危機 と 「主権 民主 主義 」論 争 5 得 た が,市 民 社 会 の 確 立 つ ま り自律 的 な 秩 序 の確 立 か らは ほ ど遠 い 。 国 民 は ソ連 邦 の 崩 壊 と そ れ に続 く90年 代 の混 乱 と無 秩 序 を,屈 辱 体 験,あ るい は恐 怖 の 体 験 とし て心 理 的 に 深 く刻 ん で い る。 プー チ ン大 統 領 に 対 す る 高 い 支 持 率 お よ び プ ー チ ン続 投 へ の強 い 要 望 も,ロ シ ア の 政 治 や 社 会 の安 定 性 の表 れ とい う よ りも,む し ろ逆 に無 秩 序 へ の 恐 怖 心 や 不 安 感 の表 れ と 見 るべ きで あ る。 第2に,ロ シ ア社 会 は 自律 的 な秩 序 が きわ め て薄 弱 な 「砂 社 会 」 で あ りなが ら,市 民 社 会 的 な秩 序 と民 主 主 義 体 制 が 成 立 し てい る先 進 国 の 体 面 を 保 と うと し てい る こ とで あ る。 つ ま り共 産 主 義 体 制,権 威 主 義 体 制,独 裁 体 制,宗 教 国 家 な ど,砂 社 会 に秩 序 を もた らす か も しれ ない 諸 制 度 は,先 進 国 の 体 面 上 否 定 して い る こ とだ 。 一 党 独 裁 の ソ連 体 制 崩 壊 後 の ロ シ ア にお い て は,民 主 主 義 国 あ る い はG8サ ミッ ト(主 要 国 首 脳 会 議)の 一 員 と して人 権,民 主 主 義,自 由 な ど 「普 遍 的 価 値 」 を 受 け 入 れ た 先 進 民 主 主 義 国 の 一 員 の ポー ズ を 貫 か ざ るを 得 なか った 。 この2点 は 両 立 が 難 しい とい う意 味 で ロ シ ア は深 刻 な ジ レ ンマ を 抱 えて い る と言 え る。 ペ レ ス トロ イカ 時 代 以 来,先 進 国 あ るい は そ れ を 目指 す ポー ズ,つ ま り民 主 化 や 市 場 化 の ポー ズ は 保 持 され た が,当 然 の こ とな が ら本 物 の 先 進 国 にな る こ とは で き なか った 。 ロ シ ア人 の 意 識 で は,む しろ 民 主 化路 線 は 混 乱 を もた ら した と見 られ て い る。 最 近 話 題 に な った 「主 権 民 主 主 義 (сувереннаядемоkрация)」あ る い は そ れ に 先 行 し た 「統 制 さ れ た 民 主 主 義(управляемая )」 は,政 権 の 自己 正 当化 の論 理 で あ るが,同 時 に この ジ レ ンマ に 対 処 す るた め の 一 つ の理 論 的 な 弁 明 で あ る 。 あ るい は,こ の ジ レ ンマ の 状 況 の 中 で,ロ シ ア的 な ア イ デ ンテ ィ テ ィ を確 立 せ ん とす る一・つ の 方 策 で もあ る。 た だ,居 直 りの 姿 勢 で民 主 主 義 を否 定 し な い 限 り,民 主 主義 に どの よ うな形 容 詞 を つ け よ うと も,ジ レ ンマ の 解 消 に は な らず,む し ろ 自己 欺 瞞 に 陥 って しま う。 この 問題 に つ い て,も う少 し詳 し く述 べ た い 。 2国 民的原体験 と しての ソ連邦崩壊 と屈辱の90年 代 第1の 点 で あ るが,こ こで は 学 術 用 語 で は ない が,「 国 民 的 原 体 験 」 とい う語 を 使 っ て 説 明 した い。 原 体 験 とい う場 合,通 常 は 幼 少 時 の経 験 で,そ の 後 の 思 想 や 心 理 に 強 い 影 響 を 及 ぼ す もの を 指 す 。 本 稿 で は,あ る国 民 の 思想,心 理(感 情),行 動 に一 定 期 間 強 い 影 響 を及 ぼ す 国 民 共 通 の 強 い 体 験 を,「 国 民 的 原 体 験 」 と定 義 す る こ と にす る。 第2次 大 戦 後 の ソ連 に お い て は 「大 祖 国 戦 争 」 と し て戦 わ れ た この 大 戦 が,ソ 連 国 民 の 「国民 的 原 体 験 」 で あ った 。2千 万 以 上 の 国民 が 犠 牲 に な った この 戦 争 は 強 烈 な経 験 と な り,戦 後 の ソ連 国 民 に深 い 影 響 を与 え た。 筆 者 の 経 験 か ら見 て も,1960-70年 代 の ソ連 人 の 思想,心 理,行 動 は,こ の戦 争 経 験 抜 き に は説 明 が 困難 な もの が少 な くな か った。 一.例を挙 げ る と,当 時 の ソ連 国 民 は 独特 の 強 い 平和 志 向,安 定 志 向 の心 理 を有 して い た が,こ れ は 「平 和 主義 」 とい った一・定 の価 値 観 や 理 念 に基 づ くもの で は な く,「 あ の 時 の苦 痛 と混 乱 だ け は真 っ平 だ 」 とい う本 能 的,肉 体 的 とさ え 言 え る もの で あ った 。 「停 滞 の 時 代 」 と呼 ば れ た ブ レジ ネ フ 時 代 後 の ペ レス トロ イ カ の時 代 に,一 次 的 で は あれ 多 くの ソ連 国民 が変 革 を 望 み新 体 制 に希 望 を託 した の とは対 照 的 で あ る。 今 日の ロシ ア 国民 の ほ とん どは 第2次 大 戦 の経 験 は もは や な い。 今 の ロシ ア 国民 の 「国民 的 原 体 験:」と言 え る の は,ソ 連 邦 の崩 壊 とそ れ に続 く屈 辱 の1990年 代 で あ る。 ソ連 邦 崩 壊 時 お よび そ の後 の政 治 的,経 済 的,社 会 的 な混 乱 と無 政 府 状 態 は,今 日の ロシ ア 国民 の心 に 強烈 な 印象 を刻 み 込 んだ 。 国家 の瓦 解 は ま った く予 想 外 の こ とで,こ の事 態 は そ の後 も国家 崩 壊 の強

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迫 観 念 を 生 んだ 。 また 国 内 的 に は,学 校 教 師 や 大 学 教 師 ま でが,わ ず か な 収 入 を 求 め て 道 路 ・ 庭 の 掃 除 夫(婦)の 副 業 を した り,街 頭 や 市 場 に立 って 物 売 りを した り し な け れ ば な らな く な った。 企 業 の 民 有 化 は 国 有 財 産 の 略 奪 とな り,マ フ ィ ア経 済 が 蔓 延 り,犯 罪 や 汚 職 ・腐 敗 が 広 が り,社 会 の 基 本 的 な 秩 序 が 失わ れ た。 国 際 的 に は 先 進 国 の 支援 を仰 ぐ途 上 国 並 み の 状 況 に 陥 り,米 国 と覇 を 競 った超 大 国 ソ連 国 民 の プ ラ イ ドは 深 く傷 つ い た 。 プー チ ン政 権 の 時 代 に,国 際 的 な エ ネ ル ギ ー 価 格 の 上 昇 で ロシ ア経 済 が 上 向 き,社 会 や 生 活 に も多 少 の 安 定 が 生 ま れ た 。 この状 況 の 中 に お け る ロシ ア 国 民 の意 識,心 理,行 動 は,90年 代 の 「原 体 験 」 の リア クシ ョン と して 理 解 す る と,多 くの こ とが 説 明 し易 くな る。 今 日の ロ シ ア の プ ー チ ンへ の 支持 率 は,大 統 領 の任 期 を2期(8年)終 え よ うとい う現 在 で も,7割 以 上 とい う状 況 に あ る。 これ は ロシ ア社 会 が 安 定 し先 進 国 に近 づ い て い る こ とを 示 し て い るの で は な い 。 む しろ,こ の 数 字 は ロシ ア人 の 無 秩 序 や 不 安 定 へ の 本 能 的 と も言 え る恐 怖 心 を 示 す もの で あ る。 あ るい は,同 じ こ とで あ るが,こ れ は ロシ ア人 の 「強 い 指 導 者 」 を 求 め る心 理 の 表 れ で もあ る。 つ ま り,プ ー チ ン大 統 領 へ の この 支 持 率 の 高 さ は,決 して ロ シ ア社 会 の 安 定 性 を 示 す もの で は な く,実 際 は そ の 逆 で,ロ シ ア社 会 の 不 安 定 性 を,少 な く とも不 安 定 に 対 す る恐 怖 や 強 迫 観 念 を 示 す もの な の だ 。 この こ とは,欧 米 や 日本 な ど,歴 史 的 に比 較 的 安 定 した 市 民 社 会 が 形 成 され てい る国 にお い て,最 高 指 導 者 の 任 期8年 目で,支 持 率 が7,8割 とい う高 さ は通 常 考 え られ ない とい うこ と を 考 えて も分 る。 先 進 民 主 主 義 国 に お い て,支 持 率 は しば しば 大 き く落 ち 込 む が,し か しそ の こ とは必 ず し も社 会 の 不 安 定 性 を示 す もの で は な い。 む し ろ,社 会 が 安 定 して い るか ら こそ, 人 々は 安 心 して 指 導 者 や 与 党 を 批 判 す る し,そ の 結 果 最 高 指 導 者 の 支 持 率 は任 期 が 数 年 も経 て ば し ば しぼ20ー70,30%台 に落 ち る。 これ はむ しろ,社 会 が 安 定 して い る,あ るい は民 主 主 義 制 度 が 正 常 に機 能 して い る証 拠 で もあ る。 B・ ゾ リキ ン は,1990年 代 以 後,ロ シ ア に と っ て最 も大 き な また 現 実 的 な 脅 威 は,経 済 危 機,犯 罪,汚 職,不 平 等 な どの 社 会 問 題 の 拡 大 で も な く,ま さ に近 代 国 家 の 崩 壊 あ るい は分 解 で あ っ た,と 述 べ て い る。 彼 は そ れ を,「 最 も深 刻 な ウ ェ ス トフ ァ リア体 制 の危 機,す なわ ち 主 権 国 家 の 危 機 」 と も述 べ てい る(3)。 また,ロ シ アの 社 会 学 者B・ ド ゥ ビン は,長 年 の 調 査 に よ る と,ロ シ ア国 民 はた とえ経 済 的 に以 前 よ り安 定 し て も,そ の 安 定 が 続 く とい う確 信 を 有 し てい ない とい う。 そ の 理 由 は,食 料 品 の 価 格 は週 に幾 度 も値 上 が りす る し,人 々 は常 に強 い 強 迫 観 念(恐 怖 心)に か られ てい るか ら,と い うの で あ る。 世 論 調 査 に よ る と,国 民 の4分 の3が 常 に,近 親 者 や 自分 自身 が 暴 力 や テ ロに遭 うか も しれ ない とい う不 安 を 抱 い てい る し,他 民 族(カ フ カス 人 な ど)に 対 す る攻 撃 的 な感 情 も,そ こか ら来 てい る,と 説 明 して い る(4)。 ロシ ア科 学 ア カ デ ミー 欧 州 研 究 所 の 八 フ ル マ ン は,不 安 定 化 へ の恐 怖 心 は,ロ シ ア の 社 会 や 政 権 に お い て は 妄 想 的(маниаkалb-ный)旬 な性 格 さ え帯 び てい る,と い う。 ま た,ロ シ ア で は 何 か の 危 機 を 避 け よ う とす る神 経 質 な ア プ ロー チが,か え っ てそ の 危 機 を 生 む とい う こ とが 少 な くない とも述 べ,ソ 連 邦 の崩 壊 も そ の一 例 と し て い る(5)。さ ら に彼 は,ロ シ アの 支 配 者 は,エ カ テ リー ナII世 か ら ソ連 の 指 導 (3) „r

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ロシ アにお け る国家 ア イデ ンテ ィテ ィの危機 と 「主 権民 主主 義」 論争 7 者,そ して プー チ ン に至 る まで,不 安 定 化 や統 制 を 失 う こ とへ の パ ニ ック的 な恐 怖 心 を 抱 き, 中央 集権 を 強化 し よ うと して きた,と も述 べ る(6)。 この よ うな社 会 的,あ るい は社 会 心理 的 状 況 ゆ え に,ロ シ ア に お け るほ とん どの世 論 調査 で は,社 会 の どの 層 に お い て も,国 民 の 大 部 分 は た とえ 憲 法 に反 して で も,あ るい は 憲 法 を変 え て で も,プ ー チ ンが 第3期 を務 め る こ とに賛 成 して い る(7)。プ ー チ ン政 権 の下 で90年 代 の 無 政 府 状 況 を あ る程 度脱 却 した の は 事 実 で あ る。 した が って,以 前 と比 較 す る と安 定 して い る今 日の 状 況 が 変 わ る こ とを,何 よ りも恐 れ て い るの だ 。 今 の ロシ ア国 民 の 心 理 に と って,た とえ そ れ が 改 善 の た め の 改 革 で あ って も,現 状 の 「変化 」 はす べ て 「混 乱」 を意 味 す る。 それ ゆ え, 誰 か 別 の 指 導 者 が 現 れ て 改 革 が 実 行 され る よ りも,今 の 状 況 が,そ して プー チ ン政 策 が 続 くこ とを 祈 る よ うな気 持 ち で願 って い るの で あ る。 以 下 に紹 介 す る 「プ ー チ ン支 持 イ ニ シ ア チ ブ ・ グ ル ー プ 会 議 」 の 下 院 選 挙 に 向 け て の ロシ ア 国 民 へ の ア ピー ル(ОБрашениекгражданам РосииСоветаинисиативнихгруппврроппержикуВВПутинаТверъ,2007.11.15)で は,ロ シ ア は安 定 した,国 民 は恐 怖 か ら解 放 され た と述 べ て い る。 しか しそ の 言 葉 と裏 腹 に,こ の ア ピー ル に は明 らか に強 い 不 安 感,あ るい は よ うや く手 に した 安 定 を 守 りた い とい う必 死 の思 い が 表 れ てお り,ロ シ ア社 会 の 安 定 性 よ りはむ し ろそ の 脆 弱 性 を感 じ させ る。 「最近 の8年 間 に我 々 は,90年 代 の不 安 定 と社 会 的,政 治 的 激 動 か ら解 放 さ れ た 。 政 府 は基 本 的 秩 序 を確 立 し,国 家 崩 壊 の危 機 を克 服 し,国 外 か ら の圧 力 を排 し,カ フ カ ス にお け る 国際 テ ロの攻 撃 を撃 退 し,オ リガ ル キ(新 興 財 閥)の 支 配 か ら解 放 した 。 ロシ ア は世 界 の指 導 的 な大 国 の ひ とつ とな り,我 々 国民 は再 びわ が 国へ の誇 りの気 持 ち を抱 くよ うに な った 。 自分 自身 や 近 親 者 の安 全 へ の 恐 怖 心 は な くな り,長 い 間 忘 れ て い た 安 定 性 と明 日へ の 確 信 が 蘇二った 。 国民 の――人 一 人 が,安 定 した 生 活 に対 す る 明確 か つ 確 固 と した保 証 を受 け る必 要 が あ る。 そ の た め に我 々 は 全 国 民 に 団結 を,ま た12月2日 の選 挙 で はわ れ らの 指 導 者 フ ラ ジ ミル ・プ ー チ ン を支 持 す る よ う訴 え る。」(8) 改革 派 のE・ ヤ ー シ ン元経 済 相 は,次 の よ うに 「安 定 」 の矛 盾 を指 摘 す る。 ロシ ア の政 治 体 制 も経 済 構 造 も抜 本 的 な 改革 が必 要 だ 。 しか し,オ ィル マ ネ ー が続 く限 り,生 活 は何 とか安 定 す るの で皆 は満 足 す る。 そ して 国民 が基 本 的 に満 足 して い る限 り,国 が 直面 して い る深 刻 な 問 題 は無 視 さ れ続 け,す べ て は これ ま で通 りとな る。 改革 の 実行(注,腐 敗,汚 職 構 造 や 利権 構 造 に メス が 入 り,現 在 の安 定 は壊 さ れ る)に は,大 きな政 治 的 リス クが伴 うが,オ イル マ ネ ー が 入 って くる間 は,そ の よ うな リス キ ー な 改 革 を 実行 す る必然 性 は な い。 した が って,皆 が 改 革 を避 け て い る(9)。 一般 の ロシ ア国 民 は,改 革 を 恐 れ て い るだ け で は な い。 彼 らの 大 部 分 は,い わ ゆ る民 主 派 や リベ ラル 派 に 対 して も,市 場 化 や オ リガ ル キ に対 して もネ ガ チ ブな イ メー ジを 有 して い る。 そ れ は,ソ 連 邦 の 崩 壊,90年 代 の 混 乱,つ ま り ロシ ア 国 民 の ネ ガ チ ブ な 「原 体 験 」 は す べ て, (6) <<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>> ,2008.2.7. (7) СергейВаддмовичцирель,Нбполпутиотсвободы<<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>>,2008.1.23. (8) <<НЕЗАВИСНСНМАЯГАЗЕТА>> ,2007.11.19. (9) ЕвгенийЯсин,<<НЕЗАИМАЯГБЗАТБ>>,2007.12.12. 2006年10月 に 筆 者 が モ ス ク ワ の 国 際 大 学 で 講 演 し た 時,次 の よ うに ス ト レ ー トに 述 べ た 。「資 源 の 上 に 胡 坐 を か い て い る 経 済 の 脆 弱 さ,つ ま りオ ラ ン ダ 病 に つ い て は ロ シ ア の 指 導 者 は 皆 頭 で は 理 解 し て い る 。 し か し,構 造 改 革 の た め の 真 剣 な 取 り組 み は ほ と ん ど 見 ら れ な い 。 皆 さ ん が 真 剣 に 取 り組 む た め に は,残 念 な が ら,石 油 価 格 の 下 落 な ど で 再 び 経 済 危 機 を 経 験 す る こ と が 必 要 な の で は な い か 。」 翌 日 の ロ シ ア の マ ス メ デ ィ ア は,袴 田 教 授 は ロ シ ア の 経 済 危 機 を 望 ん で い る,と 報 じ た 。

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彼 ら の意 識 の 中 で は民 主 化 や 市 場 化,オ リガ ル キ と結 びつ い て い るか らだ 。 政 権 側 も90年 代 の カ オ ス と混 乱 を 意 図 的 に強 調 し て,プ ー チ ン路 線 の意 義 と成 果 を 宣 伝 した 。2008年2月8 日 の プ ー チ ン国 家 評 議 会 で の 演 説 で も,90年 代 の ロシ アが カ オ ス だ った と繰 り返 し強 調 し, 世 界 第7位 の 経 済 大 国 と な り,強 国 と し て国 際 舞 台 に復 帰 した 自 ら の実 績 を誇 っ た(10)。た だ, 2007年 の下 院 選 挙 で 民 主 派 と言 わ れ た グ ル ー プ が 全 滅 し た の は,単 に政 権 の 弾 圧 や この よ う な プ ロパ ガ ンダ に よ るだ け で は な い。 そ れ は,「 原 体 験 」 へ の ロシ ア 国 民 の 自然 な リア ク シ ョ ンで も あ った 。 つ ま り,90年 代 の 「原 体 験 」 に怯 え て い る ロシ ア 国 民 は,民 主主義や 自由 よ りも,そ して 変 革 よ りも,ま ず 秩 序 と安 定,そ して そ れ を 与 え て くれ る強 い 指 導 者 を 求 め て い る の だ。 権 威 主 義 体 制 は,ロ シ ア国 民 の 心 理 的 な 要 求 で さえ あ る。 しか も この 心 理 は,歴 史 的 に み る と,ロ シ ア の どの 時 代 に も,そ れ ぞ れ の 時 代 の さ ま ざ ま な 「原 体 験 」 へ の対 応 と して,一 時 の例 外 的 な 時期 を 除 い て,ロ シ ア 史 を 通 じほ とん どの 時 代 に存 在 して い た。 そ れ は筆 者 の い う 「砂 社 会」 に応 じた深 層心 理 で もあ る か らだ。 例 外 的 な 時 期 とは,国 民 の 一 定 層 が 変 革 に 期待 を寄 せ た 時 期 の こ とで,20世 紀 で 言 えば1905年 の 第1次 ロシ ア革 命,1917年 の 十 月 革 命,ペ レ ス トロ イ カ の時 期 な どで ,こ れ ら例外期 には大 きな混 乱 が 生 じ て お り,そ の反 動 と し て そ の 後 に は 安 定 と秩 序,強 い指 導 者 を 求 め る保 守 的 心 理 は よ り強 くな っ てい る。「大 祖 国戦 争 」 も,外 か ら強 い られ た もの で は あ る が,安 定 や 秩 序 に安 住 で き ない 時 期,好 む と好 ま ざ る とに 拘 わ らず,国 民 が 一 丸 とな っ て戦 わ ざ る を得 な い 時 期 で あ った 。 前 述 の フ ル マ ン も,ロ シ ア の専 制 体 制 を も た ら した 指 導 者 や 権 力 の絶 対 化 を 求 め る深 層 心 理 につ い て,歴 史 的 な視 点 か ら次 の よ うに指 摘 す る。 ロシ ア に民 主 主 義 が 根 付 くた め に は,そ して ロシア国民 自身が 自ら政権 を選ぶ ためには,国 民 の深 層 心 理 の変 革 が 必 要 で あ る。 権 力 を絶 対 化 あ るい は神 聖 化 す る心 理 を変 革 す る必 要 が あ る。 つ ま り,権 力 の 不 分 割 とか 終 身 権 力 とい った 古 代 的,君 主 制 的 な 意 識 を 改 め る 必 要 が あ る。20世 紀 の ロ シ ア は,新 た な体 制 を 築 い て,こ の 深 層 心 理 に 深 く根 付 い た 伝 統 を 弱 め よ う と した 。 人 民 権 力 の社 会 主 義 や ペ レス ト ロイ カ とそ れ に続 く民 主 化 の時 代 で あ る。 しか し,権 力 を絶 対 化 す る心 理(注,皇 帝 崇 拝 や 専 制 志 向 の心 理)が あ ま りに も深 く根 付 い てい る の で, や が て そ ち らの 方 が 表 に這 い 出 し て,そ れ と矛 盾 す る公 式 的 な新 体 制 を 自 ら の論 理 に従 わ せ て し ま うの だ 。 こ うして,結 局 ソ ビエ ト政 権 の 理 念 も,共 産 党 綱 領 も,民 主 主 義 的 な憲 法 も,同 じ専 制 体 制 を カ ム フ ラー ジ ュす るた め の 化 粧 玄 関 と な っ て し ま った 。 ロ シ ア国 民 の 一部 はそ の マ イナ ス を 知 って お り,何 とか そ こか ら抜 け 出そ うと何 回 も努 力 も し て きた 。 しか し,そ れ は 極 め て 困 難 な 業 で あ り,一 定 期 間 禁 酒 した アル コー ル 依 存 症 の 人 間 が,ま た 酒 びん に手 を 出す よ うに,ロ シ ア人 は 結 局 毎 回,元 の 体 制 に 返 って し ま うの だ(11)。 3民 主主義 と市場経済一その建前 と実体 最 初 に述 べ た 第2の 問題 点 に つ い て 少 し述 べ た い。 これ まで述 べ た よ うに,ロ シ ア社 会 は 自 律 的 な秩 序 を 欠 い た 「砂 社 会」 で あ りな が ら,政 権 は民 主 主 義 的 な 先進 国 の体 面 を 保 と うと し て きた。 ペ レス トロ イカ 時代 に政 治 の表 舞 台 に 出 た民 主 派,改 革 派 や エ リツ ィ ン時 代 の 多 くの (10)『 日 本 経 済 新 聞 』2008年2月9日 。 (11)<<ИЕЗАВМИСИМАЯГАЗЕТА>> ,2008.1.14.

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ロ シ ア に お け る 国 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 危 機 と 「主 権 民 主 主 義 」 論 争 9 政 治 家 や 知識 人 た ち が,単 な る偽 善 で は な く,ロ シ アに 欧 米 や 日本 の 先進 諸 国 と同 じ よ うな 民 主 主 義 市場 経 済 を樹 立 し よ うと本 気 に な った こ と,ま た そ の 可 能 性 を 信 じた こ とは 事 実 で あ る。 そ の 結果,国 民 の 生 活 や 意 識 に お い て ソ連 時 代 には 考 え られ ない よ うな大 き な変 化 が 生 ま れ,改 革 の 成 果 と呼 べ る もの が 少 な くない こ と も事 実 だ 。 しか し,望 ん だ こ と,期 待 した こ と と比 べ る と,生 み 出 され た もの はあ ま りに グ ロ テス クで,民 主 主 義 や 正 常 な市 場 経 済 と はほ ど 遠 い もの で あ った 。1999年12,月31日 に,エ リツ ィン大 統 領 が 辞 任 の言 葉 とし て 「改 革 は思 っ た よ りも は るか に困 難 で あ った,我 々 は あ ま りに も ナ イー ブで あ った 」 と告 白 し混 乱 を もた ら した こ とを 国 民 に詫 びた が,こ の 言 葉 は事 態 を正 確 に表 し てい る。 プー チ ン時 代 にお い て も,民 主 化,市 場 化 路 線 を公 式 的 に否 定 した こ とは ない 。 民 主 主 義 に 対 置 され る 「権 威 主 義 」 の ター ム は,プ ー チ ン政 権 下 で も常 に否 定 的 な意 味 で 使 わ れ 批 判 され た 。 しか し,も は や こ こで詳 し く説 明す る必 要 は な い が,2007年 の 下 院 選 挙,2008年 の 大 統 領 選 挙 が 示 し てい る よ うに,選 挙 も民 主 主 義 も,ま った く実 体 を失 い 単 な る飾 り物 に な っ てい る。 フ ル マ ン も,「 民 主 主 義 体 制 下 に お い て は,選 挙 の結 果 は 予 測 で き な い。 しか し,ロ シ ア の大 統 領 選 挙 は,す で に結 果 は予 め 分 か っ て い る。 法 律 家 メ ドベ ジ ェ フ は法 秩 序 を 強 調 す る が,そ の こ と 自体 も はや 無 意 味 だ」 と述 べ る(12)。2007年12月,ロ シ ア の下 院 選 挙 と 同 じ 日 に実 施 され た ベ ネ ズ エ ラ の憲 法 改正 の 国民 投 票 で,独 裁 者 チ ャベ ス大 統 領 が49%対51%の 僅 差 に も拘 わ らず 潔 く敗 北 を認 め た こ とは,ロ シ ア で は大 きな驚 き を もっ て見 られ た。 これ につ い て,ロ シ ア の社 会 運 動 「オー タ ナ チ ブАльтернавы」の指 導 者A・ ブズ ガ リン教 授 は,「 民 主 主 義 国 とい え ど も,当 局 が 選 挙 結 果 に僅 か1010さ え も水 増 し しな い とい う国 が あ るだ ろ う か。 これ に比 ベ ロシ ア 当 局 は 今 回 の下 院選 挙 で も,民 主 主義 が単 な る無 花果 の葉 に過 ぎな い こ とを示 した」 と述 べ て い る(13)。ち な み に,ロ シ アの 民 主 主 義 の 偽 善 性 を 批 判 す る この人 物 も, どの 民 主 主 義 国 で も政 権 は 必 ず 得 票 数 を 操 作 す るは ず だ と信 じ込 ん で い る。 これ は,ロ シ ア 人 の 政 治 に 対 す る心 理 を示 す 典 型 的 な例 で もあ る。 経 済政 策 に お い て も,プ ー チ ン時 代 に は,少 な くと も政 策 の 次 元 で は,市 場 派 が 政 権 に 留 ま り,「改 革 路 線 」 が 維 持 さ れ た 。A・ イ ラ リオ ノ ブ の よ うな ラ デ ィカ ル な 自由市 場 経 済 の 信 奉 者 が,2005年 末 ま で プー チ ンの 経 済 顧 問 と し て留 ま って い た の も不 思 議 で は あ る。 政 権 内 で も,イ ー ゴ リ ・セ チ ン大 統 領 府 副 長 官 や ビ ク トル ・ズ プ コ フ首 相 な ど強 硬 保 守 派 が 重 要 な企 業 の 国 家 管 理 や 国 家 に よ る経 済 統 制 を 強 化 す る路 線 を 推 進 し よ うと して きた の に対 して,プ ー チ ン は大 統 領 後 継 者 の 候 補 と して,国 家 統 制 強 化 に は批 判 的 で 経 済 政 策 で は 「リベ ラル 派 」 と見 られ てい る ド ミ ト リ ・メ ドベ ジ ェ フ第 一 副 首 相 を 指 名 した 。 そ し て プー チ ン 自身 も,公 式 的 に は 国家 資 本 主 義 や 経 済 へ の 国 家 の 直 接 介 入 を 批 判 し,「 国家 は リアル ・セ ク タ ー に も っ と留 意 す べ きだ が,し か し国 家 が 直 接 介 入 す べ きで は ない 」 と述 べ てい る。 つ ま り,国 家 は イ ン フ ラ な どの諸 条 件 を整 備 す る のが 役 割 で あ り,国 営 企 業 の創 設 が 自己 目的 で は ない,と し てい る の で あ る。 さ ら に,「 我 々 は 現 在 の 国営 企 業 を 永 久 に維 持 し よ うと は考 え て い な い。 我 々 は 国家 資 本 主 義 を創 ろ う と してい る の で は ない 。 それ は我 々 の路 線 で は な い。 しか し,い くつ か の分 野 は,国 家 の支 援 な く して復 興 す る こ とは で きな い」 と も述 べ て い る(14)。 しか し この市 場 政 策 とは異 な り,実 際 に は プ ー チ ン は,石 油 大 手 の ユ コス を解 体 し,サ ハ リ (12)《НЕЗАВИМАЯГАЗЕТА>> ,2008.2.7. (13) АлеусандрВэузгалин ,<<НЕАВИМАГАЗЕТА>>,2007.12.21. (14) <<МОСНВСИОВСТИ>> ,2007.12.14-20.

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袴 田 茂 樹 ン2事 件 に み ら れ る よ うに ,外 国資 本 の エ ネ ル ギ ー ・プ ロジ ェ ク トに強 引 に割 り込 み,こ れ ま で の 武 器 輸 出 企 業 ロ ス オ ボ ロ ン エ ク ス ポ ル ト(Рособороитехниk)や関 連 分 野 を 統 合 し た 巨 大 国 営 企 業 ロ ス テ フ ノ ロ ギ ー(Российсkиетехиологии)を創 設 し た(2007年9月)。 ま た,ガ ス プ ロ ム そ の 他 戦 略 的 に 重 要 な 企 業 の ト ッ プ に 密 接 な 関 係 の あ る 人 物 や シ ラ ビ キ を 送 り込 ん で き た 。 プ ー チ ン は 辞 任 ま で に 「ク レ ム リ ン 企 業КорпорацияКремль」を完 成 し よ う と し て い る の だ,と も 報 じ ら れ て い る(15)。A・ コ ノ バ ロ フ 戦 略 評 価 研 究 所 長 は,プ ー チ ン 自 ら は 大 統 領 を 辞 任 し,経 済 は 国 家 が 支 配 し な い と い うの で あ れ ば,「 で は な ぜ,数 多 く の 国 営 企 業 を 作 り,そ の ト ッ プ に,有 能 と は 言 え な い が 個 人 的 に 忠 誠 を 尽 くす 人 た ち を 据 え て,巨 大 な 国 家 資 金 を つ ぎ 込 む の か 」 と問 い か け て い る(16)。 こ の プ ー チ ン の 政 策 や 理 念 と現 実 と の 乖 離 に つ い て,M・ デ リ ャ ギ ン(グ ロー バ ル 化 問 題 研 究 所)は,プ ー チ ン の 経 済 政 策 は リベ ラ ル だ が,ロ シ ア で は リベ ラ ル な 経 済 は あ り得 な い と し て,次 の よ うに 述 べ る 。「た し か に,プ ー チ ン は,国 家 資 本 主 義 を 否 定 し た 。 彼 は 利 口 な(狡 猾 な)人 物 な の で,彼 の 言 葉 で は な く現 実 を 直 視 す る 必 要 が あ る 。 わ が 国 で は リベ ラ ル な 経 済 政 策 が 実 施 さ れ て い る 。 し か し,そ れ は リベ ラ ル な 経 済 と は 何 の 関 係 も な い 。 とい うの は,わ が 国 の 独 占 ・腐 敗 状 態(そ れ を 促 進 し た の は リベ ラ ル な 経 済 政 策 で あ る が)に お い て は,リ ベ ラ ル な 経済 な ど あ り得 な い か ら だ 。」(17) 結 局 プ ー チ ン 時 代 の ロ シ ア は,90年 代 の 最 悪 の 混 乱 は 何 と か 脱 却 し た が,国 家 の 形 態 と し て は 民 主 主 義 も 市 場 経 済 も 定 着 し て い な い 。 市 民 社 会 的 な 秩 序(自 律 的 秩 序)の 確 立 か ら も 程 遠 い 。 「砂 社 会 」 の 本 質 的 な 問 題 は,依 然 と し て 残 っ て い る の で あ る 。 ロ シ ア の 場 合,し か し, 政 治 的 に 公 然 と は 権 威 主 義 を 受 け 入 れ て は お らず,経 済 的 に も 市 場 化 の 看 板 を 降 ろ し て い な い 。 欧 米 か ら 完 全 に 孤 立 す る こ と を 恐 れ,先 進 国 の 一 員,G8の メ ン バ ー と し て の 体 面 は 何 と か 保 と う と し て い る か ら で あ る 。 政 治 学 者E・ パ イ ン も 「ロ シ ア の 指 導 層 は,ヨ ー ロ ッパ や 米 国 に 受 け 入 れ ら れ た い と い う熱 烈 な 欲 望 を 持 っ て い る。 こ の 欲 望 は,ロ シ ア 文 化 が ヨ ー ロ ッ パ 志 向,あ る い は 西 欧 中 心 主 義(западиоеитричньй)の性 格 を 有 し て い る か ら だ 。 こ の 点 で, 東 洋 の 国(中 国)と ロ シ ア は 異 な る 」 と述 べ て い る(18)。 し た が っ て,ソ 連 邦 か ら 独 立 し たCIS諸 国 の 中 で も,ロ シ ア で は 建 前 と 現 実 の 乖 離 が よ り 深 刻 で あ る 。 換 言 す れ ば,国 家 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ危 機 が よ り深 刻 で あ る 。 こ の ロ シ ア と比 べ る と,バ ル ト諸 国 は 民 主 化 の 道 を 明 確 に し て い る 。 中 央 ア ジ ア 諸 国 は,事 実 上,権 威 主 義 に 居 直 っ て い る 。 グ ル ジ ア や ウ ク ラ イ ナ は,自 ら の 道 を 模 索 中 で あ る 。 「ひ と り ロ シ ア だ け は,ペ レ ス ト ロ イ カ 時 代 お よ び そ の 後 に 獲 得 した 民 主 主 義 の 要 素 の 大 部 分 を 失 い な が ら も,民 主 主 義 国 の 振 り を し て い る 。 ロ シ ア に よ う や く生 ま れ た 選 挙 制 度 が 完 全 に 崩 壊 し た 状 況 で, 『主 権 民 主 主 義 』 を 唱 え て も,言 葉 で 満 足 す る 人 は 別 と し て,真 の 民 主 主 義 を 求 め て い る 人 々 を 納 得 さ せ る こ と は で き な い 。」(19) (15) <<НЕЗАВИСИАЯГАЗЕТА>> ,2007.11.8. (16)АлександрКоновалоф ,<<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>>,2008.1.22. (17) MHxaH皿 八e朋rHH ,<<MOCK:OBCHEHOBOCTH>〉,2007.12.14-20. (18) ЭмильПаин ,<<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>>,2008.2.1. (19) СергейПирель ,Иаполпутиотсвбоды<<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТ>>,2008.1.23.

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ロ シ ア に お け る 国 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 危 機 と 「主 権 民 主 主 義 」 論 争 11 4主 権 民主主 義の政治的 な位置 づけ こ の 状 況 の 中 で,深 刻 な ジ レ ン マ,に 何 と か 折 り合 い を つ け よ う と し て,あ る い は 辻 褄 を 合 せ よ う と し て 生 ま れ た の が,こ こ で 否 定 的 言 及 さ れ て い る ロ シ ア 主 義 的 あ る い は ネ オ ・ス ラ ブ 主 義 的 な「主 権 民 主 主 義 」 の 理 念 で あ る 。 こ の 主 権 民 主 主 義 を 唱 え た の は ウ ラ ジ ス ラ フ ・ス ル コ フ 大 統 領 府 副 長 官 で あ り,彼 は2005年 に こ の 理 念 を 打 ち 出 し た 。 ロ シ ア の 独 自 性 を 主 張 す る こ の 理 念 の 背 後 に は,欧 米 な ど西 側 世 界 へ の 強 い 不 信 感 が あ る 。「主 権 民 主 主 義 」 に は,グ ル ジ ア,ウ ク ラ イ ナ,キ ル ギ ス な ど で 続 い た 政 権 崩 壊 の 背 後 に 欧 米 の 干 渉 や 陰 謀 が あ る と疑 い,米 国 に よ る 「民 主 主 義 の 輸 出 」 に 危 機 意 識 を 強 め た ロ シ ア が,内 政 干 渉 は さ せ な い と の 決 意 を 滲 ま せ た 概 念 で も あ る。 こ の 理 論 で は,何 よ り も ロ シ ア の 国 家 の 強 大 化 と 国 家 統 制 を 正 当 化 し,ロ シ ア の 独 自性 あ る い は 特 殊 性 を 強 調 し,先 に 述 べ た 秩 序 と安 定,そ し て 制 度 よ り も強 い 指 導 者 に 頼 る 心 理 を 肯 ん じ る。 つ ま り今 の ロ シ ア 指 導 部 の シ ラ ビ キ に 近 い 政 治 的 立 場 に 少 し 思 想 的,哲 学 的 な 格 好 を つ け よ う と い うの が ス ル コ フ の 試 み だ 。 し た が っ て19世 紀 の ス ラ ブ 主 義 と 比 べ る と現 実 政 治 の 要 請 と い う側 面 が よ り強 い の で,「 政 治 的 ス ラ ブ 主 義 」 と言 っ て も よ い 。 ス ル コ フ が こ の 理 念 を ま と ま っ た 形 で 述 べ た の は,2006年2月 の 統 一 ロ シ ア で の 党 会 議 で の 講 演 で あ る(20)。 こ の こ と に よ っ て,ス ル コ フ は,大 統 領 府 の イ デ オ ロー グ で あ る と と も に, 与 党 統 一.ロ シ ア の イ デ オ ロ ー グ と も な っ た 。 与 党 で あ る 統 一 ロ シ ア は,単 に 権 力 の 吸 引 力 に よ っ て 形 成 さ れ た だ け の 権 力 党 で,独 自 の 理 念 や 政 策 は 有 し て い な い 。 こ の 点 で,共 産 党 や 右 派 勢 力 同 盟,ヤ ブ ロ コ と も 異 な る 。 そ こ で,こ の 統 一.ロシ ア は 政 党 と し て 理 論 的 に も ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 確 立 す る 必 要 が あ っ た 。 こ う し て,大 統 領 府 の イ デ オ ロ ー グ は,そ の ま ま 政 権 党 の イ デ オ ロ ー グ と な っ た の で あ る 。 統 一.ロ シ ア の 指 導 者B・ グ ル ィ ズ ロ フ は,主 権 民 主 主 義 は 次 の よ う な 党 の 立 場 に 一 致 す る と い う。 党 の 目 的 は 「強 力 な 国 家 」 の 建 設 で あ る 。90年 代 に ロ シ ア は 自 ら の 政 治 を 放 棄 し て 一 方 的 に 西 側 に 譲 歩 し,他 国 の 経験:を 無 思 慮 に 模 倣 し,国 家 機 関 は 事 実 上 外 国 に よ っ て 占 め ら れ た 。80年 代 か ら90年 代 に か け て,世 界 で は 自 由 主 義 と 小 さ い 政 府 が も て は や さ れ た が,今 党 は,路 線 の 右,左 と は 関 係 な く,た と え 軍 事 費 の 負 担 は 増 え て も,競 争 に 負 け な い 強 力 な 国 家 を 建 設 す る こ と を も っ ぱ ら 目 的 と し て い る(21)。 ス ル コ フ の 見 解 で,世 間 か ら よ り注 目 さ れ た の は,2007年6月 に ロ シ ア 科 学 ア カ デ ミー 幹 部 会 で 行 わ れ た 「哲 学 」 講 演 「ロ シ ア の 政 治 文 化 一 ユ ー ト ピ ア か ら の 視 点 」 で あ る(22)。 主 権 民 主 主 義 の 内 容 に 関 し て は,2006年2月 と 比 べ る と か な り の 変 化 が 見 ら れ る。 ロ シ ア の 独 自 性 を 強 調 す る ネ オ ・ス ラ ブ 主 義 的 傾 向 が よ り強 ま っ て お り,ロ シ ア の ス ラ ブ 派 の 思 想 家 た ち, 特 に ロ シ ア 文 化 の 特 殊 性 と そ の 全 人 類 的 な 使 命 を 強 調 し,ソ 連 時 代 に は 反 動 的 な 宗 教 思 想 家 と し て 無 視 さ れ て き た ス ラ ブ 主 義 者 の イ ワ ン ・イ リ イ ン(1882-1954)の 思 想 に よ り大 き く依 拠 し て い る 。 ち な み に,指 導 的 政 治 家 が 科 学 ア カ デ ミー 幹 部 会 で 哲 学 に つ い て 講 演 す る の は,ス タ ー リン 時 代 に イ デ オ ロ ギ ー,文 化 を 担 当 し たA・ ジ ダ ノ ブ 共 産 党 政 治 局 員(1896-1948)以 (20) Владислав ,Суркоэтополитиическийсинонмконкрентспособиости РЯО СУВЕРЕИИУЮДЕМОКРАТИЮО ,Москва2007,cстр.33-61. (21) ъорисгрызов ,<<НЕЗАИСИМБЯГАЗЕТА>>,2007.7.20. (22) Русскаяполитийческаякулра .Вагпадизутопии(Постоянныйад,ресдокумеита http//;www. edinros.ru/news.html?id=121456).

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袴 田 茂 樹 来 の こ と だ 。 こ の 理 念 を め ぐ っ て,ロ シ ア で は 様 々 な 議 論 が 生 ま れ,と く に く<НЕЗАВИСИ-АЯГАЗЕТА>>は 政 治 学 者,政 治 家,評 論 家 な ど の 賛 否 両 論 を2007年6月 以 来 今 日(2008 年2月)に 至 る ま で 幾 度 も 掲 載 し,2008年2月 に 単 行 本 と し て 出 版 し た 。 こ の よ う な 本 格 的 な 政 治 イ デ オ ロ ギ ー の 議 論 も,近 年 の ロ シ ア で は 例 の な い こ とだ 。 こ の 主 権 民 主 主 義 の 理 念 の 今 日の ロ シ ア に お け る 政 治 的 位 置 づ け で あ る が,ス ル コ フ の 政 治 的 影 響 力 に 関 し て は2008年1月 の あ る 調 査 に よ る ロ シ ア の 指 導 的 な 政 治 家100名 の 中 で は, プ ー チ ン 大 統 領,メ ド ベ ジ ェ フ 第 一 副 首 相 に 次 い で3位 の 指 導 者 と な っ て い る(23)。 プ ー チ ン は メ ドベ ジ ェ フ を 後 継 者 に 指 名 し た が,こ れ は 指 導 部 の 中 の イ ー ゴ リ ・セ チ ン 大 統 領 府 副 長 官 や セ ル ゲ イ ・イ ワ ノ ブ 第1副 首 相 な ど シ ラ ビ キ と メ ドベ ジ ェ フ や ア レ ク セ ィ ・ク ド リ ン 財 務 相 な ど や や リベ ラ ル な グ ル ー プ の バ ラ ン ス を 取 る た め とみ ら れ る 。 シ ラ ビ キ の 間 で 内 紛 が 起 き て い る こ と も,無 関 係 で は な い だ ろ う。 ス ル コ フ の 思 想 は,こ の2つ の 傾 向 の 中 で は,シ ラ ビ キ に よ り近 い 。 政 治 学 者Э ・パ イ ン は,ス ル コ フ の こ と を 新 た な ジ ダ ノ ブ,イ ワ ン ・イ リ イ ン を 新 た な マ ル ク ス と 呼 び,や や 皮 肉 を こ め て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「ク レ ム リ ン の 主 要 な イ デ オ ロ ギ ー ・ ド ク ト リ ン 『主 権 民 主 主 義 』 の 理 論 的 な 柱 は,独 自 の 道 お よ び 独 自 の ユ ー ラ シ ア 的 あ る い は ロ シ ア 的 な 文 明 の 理 念 で あ る 。 わ れ わ れ が ロ シ ア 人,ロ シ ア 国 民 で あ る こ と は,神 の 定 め に よ る 。 こ れ は,ス ル コ フ の 科 学 ア カ デ ミー 幹 部 会 講 演 の 内 容 だ 。 こ の 講 演 に お い て,わ が 新 た な ジ ダ ノ ブ は,新 た な マ ル ク ス で あ る 哲 学 者 イ ワ ン ・イ リ イ ン に 依 拠 し て,文 化 が 政 治 体 制(поитическийстрой)の永 遠 の 特 徴 を 規 定 す る と述 べ て い る。」(24) 2007年 に 大 論 争 の 末 に 国 定 教 科 書 と し て 採 択 さ れ た 学 校 用 の 歴 史 教 科 書 で は,プ ー チ ン 時 代 の ロ シ ア の 章 は 「主 権 民 主 主 義 の 時 代 」 と な っ て い る 。 そ し て ス ル コ フ は,主 権 民 主 主 義 は プ ー チ ン路 線 を 説 明 し た も の と 規 定 し て い る 。 た だ,ス ル コ フ の こ の 主 張 に 対 し て,プ ー チ ン 自 身 は 一 定 の 距 離 を 置 き,今 日 の 議 論 か ら 超 越 し た 立 場 に 立 と う と し て い る。 プ ー チ ン は 2007年9月 の ヴ ァ ル ダ ィ 会 議 及 び そ の 時 の 筆 者 と の 個 人 的 な 話 し 合 い の と き に,主 権 民 主 主 義 に 関 し て 次 の よ うに 述 べ た 。 「こ れ は 議 論 の 余 地 の あ る 問 題 だ 。 主 権 と民 主 主 義 は 別 の 次 元 の 問 題 で あ る 。 た だ,双 方 の 領 域 に ま た が る 問 題 も あ る の で,こ の よ うな 理 念 も あ り得 る し,議 論 が な さ れ る こ と 自 体 は 結 構 な こ と で あ る。 た だ,自 ら議 論 に 介 入 す る つ も りは な い 。 主 権 に 関 し て 言 え ば,今 の 世 界 で ま と も な 主 権 国 家 と 言 え る 国 は 数 え る ほ ど し か な い 。 中 国,イ ン ド,ロ シ ア そ の 他 数 力 国 で あ る 。」(25) 後 述 の よ うに プ ー チ ン政 権 の ご意 見 番 と も 言 うべ き プ リマ コ フ 元 首 相 は,か な り詳 細 に こ の 理 念 を 批 判 し て い る。 ま た,以 下 に 述 べ る よ うに,メ ドベ ジ ェ フ 第 一 副 首 相 も 幾 度 も 批 判 的 に 言 及 し て お り,こ の 理 念 に 賛 成 し て い な い 。 ロ シ ア に お け る 主 権 民 主 主 義 に 関 す る 議 論 は 理 論 的 な も の で も学 術 的 な も の で も な い 。 ス ル コ フ 自身 が 政 権 の 中 枢 に い て,権 力 闘 争 の 真 っ た だ 中 に 立 っ て い る 。 し た が っ て,こ の 理 念 を め ぐ る 議 論 に は 当 然 権 力 闘 争 や 政 治 的 思 惑 が 強 くか らみ,純 粋 に 理 論 的 な も の で は あ り え な い 。 と くに2007年12月 に メ ドベ ジ ェ フ が 大 統 領 の 後 (23) 政 治 学 者,政 策 専 門 家,政 治 家 な ど23人 に 対 す る ア ン ケ ー トを 集 計 し た も の 。23人 の 名 前 は 公 表 さ れ て い る 。<<ИЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>>,2008.1.14. (24) ЭмильПани,<<ИЕЗАВМСИМАЯГАЗЕТА》,2008.2.1. (25) ヴ ァ ル ダ イ 会 議 は ,プ ー チ ン 大 統 領 と 国 外 の 専 門 家 が 自 由 に 意 見 交 換 す る 懇 談 会 。2007年9月 の 会 議 で は,筆 者 は 主 権 民 主 主 義 に 対 す る プ ー チ ン の 考 え を 尋 ね た 。

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ロ シ ア に お け る 国 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 危 機 と 「主 権 民 主 主 義 」 論 争 13 継 者 に指 名 され た た あ,そ の後 議 論 は一 層 微 妙 な性 格 を帯 び る こ とに な った 。 メ ドベ ジ ェフ は 大 統 領 指 名 以 前 に,ス ル コフ の理 念 を幾 度 か 批 判 してい るが,そ れ らを要 約 す る と次 の よ うに な る。 「主 権 民 主 主 義 」 よ りも 「真 の 民 主 主 義 」 と述 べ た 方 が は るか に 正 しい 。 あ る い は 全 き主 権 の も とで の,単 な る 「民 主 主 義 」 の 方 が 正 しい。 法 律 家 と して言 え ば,「 民 主 主 義 」 に何 らか の形 容 詞 を つ け る と奇 妙 な感 じが す る。 そ うす る と,通 常 とは異 な る,何 か 別 の民 主 主 義 とい う こ とに な るか らだ 。 今 日わ れ わ れ が 建 設 してい る の は新 しい 制 度 で あ り,そ れ は余 計 な形 容 詞 の付 か な い,効 率 的 かつ 市 場 経 済 に 立 脚 す る,完 全 な る(поноцеииая)民主 主 義 に基 くも の で あ る。 この 文 脈 で は 「主 権 的 」 は 「国 家 的государственныйдарственный」あ るい は 「ナ シ ョナ ル な 」 とい う意 味 に な り,す で に 「主 権 経済 」 とい う概 念 さ え生 ま れ て い る。 「主 権 経済 」 とは,国 家(統 制)経 済 の こ とで あ り,我 々は 国家 経 済 の理 念 の信 奉 者 で は な い(26)。 この よ うに次 期 大 統 領 に ほ ぼ確 定 した 人 物 が,主 権 民 主 主 義 を批 判 して い る の で,昨 年 採 択 され た ぼか りの 国定 歴 史 教 科 書 も微 妙 な状 況 に置 か れ てい る。 現 代 を主 権 民 主 主 義 の時 代 と し た 章 は早 速 書 き換 え られ る可 能 性 が あ る とも報 じられ てい る(27)。 5ス ル コ フの 「主 権 民 主 主 義 」 の 内容 と意 義 次 に,ス ル コ フ の 科 学 ア カ デ ミー で の 講 演 を 中 心 に,2007年6月 時 点 で の 主 権 民 主 主 義 理 念 の 具 体 的 内 容 に 触 れ た い 。 こ の 時 点 と い うの は,前 述 の よ うに2006年2月 の 統 一 ロ シ ア で の 講 演 と 科 学 ア カ デ ミー の 講 演 に お い て は,力 点 が 異 な っ て い る か ら だ 。2006年 に は 欧 州 の 一 員 と し て の ロ シ ア とい う側 面 を 強 調 し て い た が,2007年6月 の 講 演 で は 「ロ シ ア 民 主 主 義 の 新 し い 建 物 は,ナ シ ョ ナ ル な 国 家 性 の 歴 史 的 基 礎 の 上 に 構 築 さ れ る 。 そ の 主 な 特 徴 は,わ が 国 の 歴 史 お よ び ナ シ ョ ナ ル な 自 意 識 と文 化 の 基 本 概 念 と鋳 型 構 造 に よ っ て 規 定 さ れ る 。 新 た な 政 治 制 度 は,ヨ ー ロ ッパ 文 明 か ら,し か も そ の 特 殊 ロ シ ア 的 な 理 解 の 中 か ら生 ま れ る 」 と ロ シ ア の 特 殊 性 に 力 点 を 置 い て い る 。 そ し て,こ れ を ロ シ ア の 思 想 家 と 次 の よ う に 結 び 付 け て い る 。 イ ワ ン ・イ リ ィ ン は,ロ シ ア 文 化 と は 全 体 の 直 観(созерцаниепелого)であ る と 述 べ た 。 ニ コ ラ イ ・ベ ル ジ ャー エ フ は,ロ シ ア に 偉 大 な 独 特 の 文 化 が あ る とす れ ば,そ れ は 宗 教 的 ・総 合 的 で あ っ て,分 析 的 ・細 分 的 な も の で は な い と し た 。 エ ヴ ゲ ニ イ ・ ト ル ベ ッ コ イ 公 爵 は,ロ シ ア 人 の 認 識 の 特 徴 は 政 界 を 宗 教 的 直 観 に よ り有 機 的 全 体 と し て と ら え る 。 これ に 対 し て 西 欧 哲 学 で は 分 析 的 理 性 に よ っ て 世 界 を 細 分 化 す る 。 つ ま り,西 欧 の 文 化 認 識 が 分 析 的,実 利 的,論 理 的 で あ る の に 対 し て,ロ シ ア の 文 化 認 識 は 総 合 的(холистическое),直感 的,有 機 的 だ と 述 べ て い る 。 彼 は ま た ロ シ ア 文 化 を 「宿 命 」 と見 て お り,ロ シ ア 人 は 現 在 も 未 来 も ロ シ ア 人 で しか あ り え な い,と 述 べ る 。 こ の よ う な 考 え は,ス ラ ブ 派 の 基 本 的 な 思 想 そ の ま ま で,こ こ に は ス ル コ フ の オ リ ジ ナ リ テ ィ は 何 も な い 。 ア リス ト テ レス よ り プ ラ ト ン を 重 視 す る,ま た ド イ ッ の ロ マ ン 主 義 や 神 秘 主 義 と も 密 接 に 結 び つ い た ス ラ ブ 主 義 は,深 い 哲 学 に も な り得 る し,権 威 主 義 体 制 擁 護 の 政 治 思 想 と も な り得 る 。 特 に 注 目 さ れ る の は,ス ル コ フ が 特 別 に 重 視 す る イ ワ ン ・イ リ イ ン が,近 年 (26) СRОСУВЕРЕРННУЮДЕМОКРАТИЮДЕМОКРАТИ ,Москва2007,cTp.217-219.(ЭкспрертN(ЭКСпертNо242006.7.24よ り), 《НОВОЕРЕМЯ>>,2007.12.17.стр.17-18. (27) АлеканрКоновалоф ,<<НЕЗАВИСИМАЯГАЯГАЗЕТА>>,2008.1.22.

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袴 田 茂 樹 の ロシ ア で 「再 発 見 」 さ れ た こ とだ 。 彼 は宗 教 哲 学 者 で モ ス ク ワ大 学 教 授 だ っ た が,1922追 放 され1954年 にス イ ス で死 亡 して い る。 ソ連 時 代 は 反 動 的 思 想 家 と して ま った く無 視 され て い た が,現 在 の ロシ アで は政 権 に よ っ て祭 壇 に まつ り上 げ られ 高 く評 価 され てお り,テ レ ビ番 組 も作 られ,書 店 には 彼 の 著 書 が た くさん 並 ん で い る。 彼 は ロ シ ア正 教 を 深 く信 奉 す るス ラ ブ 主 義 で あ る と と もに,国 家 の 権 威 や 軍 事 力 を重 視 す る 国 家 主 義 者 で も あ る。 ま た 彼 の論 文 集 『国家 エ リー トの教 育 につ い て』 に お い て,「 す べ て の 国 家 は指 導 層 に よ っ て組 織 され,常 に少 数 者 が 統 治 し てい る。 多 数 者 は統 治 す るの で は な く,エ リー トを 選 別 し,彼 ら に一 般 的 な指 示 を 与 え る。 した が って 国 家 の 運 命 は 指 導 層 の 質 に よ っ て決 ま る」 とい う,独 特 の エ リー ト統 治 論 を 展 開 して い る(28)。2007年 に 出版 され た 『なぜ 我 々は ロシ アを 信 じる か』 に お い て イ リイ ン は 「ロシ ア人 は神 の 恵 み と し て,宇 宙 の 歴 史 で 唯 一 無 二 の 個 性 を 与 え られ てお り,他 民 族 か ら この ロ シ アを 守 るの は,神 の 指 令 で あ る」 と述 べ てい る(29)。 ス ル コ フ は,ロ シ ア政 治 文 化 の 特 徴 と し て,次 の3点 を 挙 げ る。 1)「 政 治 機 能 の 中 央 集 権 化 」(централзациявластаныхфункций 2)「 政 治 闘 争 の 理 念 化 」(идеализаяцелейполическойборьбы) 3)「 政 治 制 度 の 人 格 化 」(перснификацяпоитическихинстуов) 第1の 中 央 集 権 で あ るが,こ れ は プー チ ンの 「垂 直 権 力 」 強 化 路 線 に対 応 し てい る。 ス ル コ フ は,中 央 集 権 が 社 会 の 安 定 化 と経済 発 展 を もた ら し てい る とし,国 民 の 大 部 分 に とっ て,強 力 な中 央 集 権 の 存 在 が,領 土 保 全 や 精 神 的,社 会 的 安 定 性(完 全 性)の 保 障 とみ な さ れ て い る, と述 べ る。 ロ シ ア憲 法 の 保 障 す る三 権 分 立 は,ロ シ ア人 は実 体 の ない 建 前 と見 てい る。 ス ル コ フ も中 央 集 権 の シ ン ボル で あ る大 統 領 が 三 権 分 立 の バ ラ ンサ ー で,バ ラ ンス の 崩 壊 と分 権 化 は 常 に ロ シ アの 民 主 主 義 を 弱 体 化 す る とし て,事 実 上 三 権 分 立 を 否 定 し てい る。 第2の 理 念 化 に理 念 性 は ロシ ア の役 割 あ る い は 存 在 理 由 に関 す る も の で,「 第 三 の ロー マ 」 とか 「第 三 イ ン ター ナ シ ョナル 」 とい った 何 らか の 理 念 や 使 命 が ない と,ロ シ ア人 は何 か 不 完 全 な気 持 ち で 落 ち着 か ない とい う意 味 だ 。 実 際 に は,ロ シ アの 政 治 家 も実 務 家 も強 烈 な権 力 志 向の リア リズ ム とバ ザ ー ル 主 義 的 な プ ラ グ マ チズ ム に貫 か れ,そ の 行 動 はお よそ 理 念 的 原 則 と は ほ ど遠 い 。 しか し プ ラ グ マチ ス トの ソ連 党 官 僚 が マル クス 主 義 の 理 念 を利 用 した よ うに,ス ル コフ も由緒 正 しい ロ シ ア 思想 に よ る イ デ オ ロギ ー 的 正 統 化 を 図 って い る。 した が って,「 奇 妙 な こ と に プ ラ グマ チ ス トの ス ル コ フが 依 拠 す る の は も っ ぱ ら ロ シ ア の 宗 教 思 想 家(の 理 念 性)で あ る」 と政 治 学 者 ゲ オル ギー ・ボ フ トも皮 肉 っ てい る(30)。 第3の 「人 格 化(ペ ル ソ ニ フ ィカ ー チ ヤ)」 で あ るが,ロ シ ア で は 「個 人(ペ ル ソ ン,リ ー チ ノス チ)は 同時 に制 度 で あ る」 とし て,実 際 の 制 度 よ りも皇 帝 や 指 導 者 な ど人 物 が よ り重 要 な意 味 を 持 つ とい う。 強 い 指 導 者 つ ま り個 人 が,社 会 の 非 効 率,相 互 信 頼 や 自律 性 の 欠 如 を 補 っ てい る,と い う考 えで あ る。 こ うし て個 人 崇 拝 も ロシ ア文 化 とし て肯 定 され る。 ス ル コフ は,「 主 権 民 主 主 義 」 が 人 格 化 され る とい うの は,そ れ が プ ー チ ン大 統 領 の路 線 を表 わ す か ら だ,と さ え 述 べ る。 民 主 党 中央 委 員 会 議 長 で,2008年 の大 統 領 選 挙 に 立 候 補 したA・ ボ ク ダ ノ ブ は,こ こ まで 言 っ て し ま え ば,次 の 大 統 領 選 挙 も,大 統 領 制 そ の も の も無 意 味 に な っ て し (28) ИванИльии ,ОВОСПИТАНИНАЦИОИАЛЬОЙЭЛИЫМосква2001,cTp.16.書 か れ た の は 1950年 で あ る 。 (29) ИваиИлъин,ПОЧЕМУМЫВЕРИМРОССИЮ,Москва2007,cTp.5-10.書 か れ た の は1942年 頃 と 推 定 さ れ て い る 。 (30) Георгийбохт ,<<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>>,2007.7.22.

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ロシア にお け る国家 ア イデ ンテ ィテ ィの危機 と 「主権 民主 主義 」論 争 15 ま うで は ない か,と 批 判 す る(31)。 ロシ アの ア イ デ ン テ ィテ ィ確 立 の問 題 は,筆 者 の 言 葉 で 言 え ば 「砂 社 会 」 を 安 定 させ る問 題 で あ る。 ま た,ス ル コ フ の主 権 民 主 主 義 論 は,政 権 の 自己 正 当化 の論 理 で あ る と同 時 に,「 砂 社 会 」を 安 定 させ る ひ とつ の 方 策 で もあ る。 そ の 問 題 との 関連 で,こ の3つ の特 徴 を考 え る と, 次 の こ とが 言 え る。 「砂 社 会 」 の 安 定 の た め に は,2つ の 要 素 が 必 要 で あ る。 ひ とつ は砂 に形 を 与 え る型 枠 で あ り,他 の ひ とつ はそ れ を 固 め るセ メ ン トで あ る。 ス ル コフの 主 権 民 主 主 義 論 の3要 素 にお い て,型 枠 の役 割 を は た す の が1),3)で あ り,ま た セ メ ン トの役 割 を は た す の が,2),3)と 言 い うる だ ろ う。 つ ま り,1)の 中 央 集 権 は,崩 壊 した ソ連 体 制 とい う強 権 的 な 「型 枠 」に代 わ る も ので あ る。3)の 強 力 な指 導 者 も,個 人 崇 拝 とい うセ メ ン トで あ る と と もに, 砂 社 会 の ロシ ア に と って 秩 序 を 与 え る 「型 枠 」 の 重 要 な要 素 で あ る。 砂 社 会 を 固 め るセ メ ン トで あ るが,か つ て は ロ シ ア正 教 や 共 産 主 義 の イ デ オ ロギ ー が そ の 役 割 を はた した 。 ス ル コフ の 主権 民 主 主 義 論 全 体 が,ま さ に そ れ らに 代 わ る2)の 理 念 を 提 示 し よ うとす る試 み で あ る。 この セ メ ン トの 模 索 にお い て,彼 はス ラ ブ主 義 の 思 想 家 や 忘 れ 去 られ て い た イ ワ ン ・イ リィ ンを 再 発 見 した とい うわ けで あ る。 ロ シ ア人 の 精 神 にお い て は ツ ァー リ 信 仰 が 重 要 な役 割 を 果 た した。3)の 「人 格 化 」 の 主 張 も,こ の信 仰 の 現 代 版 とも言 え る。 ス ル コ フは ゴー ゴ リの 「わ れ わ れ は 代 議 制 を 作 れ なか った 。 どん な 会 合 で も,そ の 場 を 仕 切 る者 が い ない と,カ オ ス に な っ て しま う」 とい う言 葉 を 引用 し て,「 議 会 制 度 よ りも,強 い指 導 者 を 」 とい う理 念 を 擁護 して い る。 6今 日の 「スラブ派」 「西欧派」論争一 むすびに代えて ス ル コ フは,ス ラ ブ派 の 思 想 を 政 権 の 正 当 化 に持 ち 出 して きた 。 これ に 対 して,民 主 派,改 革 派 や社 会 民 主 主 義派 が 現 代 の 西 欧 派 と して ス ル コ フを 批 判 して い る。 した が って 奇 妙 な こ と に,今 ロ シ アで は,150年 前 「ス ラ ブ派 」 と 「西 欧派 」 の論 争 が 瓜 二 つ の形 で 繰 り返 さ れ て い るの で あ る。A・ ボ ク ダ ノ ブ は,ま る で デ ジ ャ ヴだ,こ の こ とは 結 局 一 世 紀 半 前 か らの 問 題 が 今 も解決 さ れ て い な い こ とを 意 味 す る,と も述 べ て い る(32)。 興 味深 い の は,政 治 的 に は プー チ ン大 統 領 や 統 一 ロシ アに 比較 的近 い 立 場 に あ り,思 想 的 に は,元 共 産 主 義者 で 今 は 社 会 民 主 主 義 的 な 思 想傾 向 を 有 し,今 も政 財 界 に 隠然 た る影 響…力 を 有 して い る プ リマ コ フ元 首 相 が,ス ル コ フに よ る ロシ ア の特 殊 性 の 強 調 や 彼 の 「主 権 民 主 主 義 」 の概 念 を批 判 して い る こ とで あ る(33)。 プ リマ コ フは,ス ル コ フの 「ロシ アの政 治 文 化 」 とい う概 念 を 認 め る。 た だ,彼 は ロシ アに お け る諸 現 象 の 原 因 を,ナ シ ョナ ル な特 殊 性 に 求 め るの を否 定す る。 も しそ うす れ ば,全 体 主 義 も権 威 主 義 も民 族 的 な特 性 と して 正 当化 さ れ る,と い うのだ 。 ま た,か つ て 「全 人 類 的価 値 」 を 「階 級 的 視 点」 か ら蔑 ん だ ロシ ア 人 が,今 度 は 「民族 的視 点」 か らそ れ を蔑 む の か,と の 疑 問 も呈 して い る。 主 権 民 主 主 義 の概 念 は学 術 用 語 と して も疑 問 で あ り,「 で は反 対 概 念 と して 非主 権 的民 主 主義 な る もの が 存在 す るの か 」 と問 い か け て い る。 さ らに主 権 が絶 対 的 な も の で な い とい うこ とは,欧 州統 合 や 国連 の 憲 章,活 動 が示 して い る と もい う。 中央 集権 に つ い (31) Андрейбогдаов ,<<НЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТАrA3>>,2007.8.10. (32)<<НЕЗАИСИМАЯГАЗЕТА>> ,2007.8.10. (33)<<ИЕЗАВИСИМАЯГАЗЕТА>> ,2007.8.24.

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て も,経 済 に お い て は 分 権 化 こ そ が,ロ シ ア の よ う な 広 大 な 国 家 の 発 展 に は 不 可 欠 で あ る と も い う。 タ タ ル ス タ ン の シ ャ イ ミエ フ 大 統 領 な ど,独 自 の 権 限 分 割 条 約 を 獲 得 し て い る 強 力 な 地 方 指 導 者 な ど に 配 慮 し た 言 葉 だ ろ う。 事 実,筆 者 は2007年9月 に シ ャ イ ミ エ フ 大 統 領 お よ び ノ・キ モ フ 大 統 領 顧 問 と会 談 を す る 機 会 が あ っ た が,彼 ら は プ リ マ コ フ 発 言 に 注 目 し,ハ キ モ フ は ス ル コ フ を 厳 し く批 判 し た 。 最 後 に プ リ マ コ フ は,政 治 制 度 よ り も 「人 格 性 」 とい う理 念 に つ い て も,国 家 権 力 の イ デ オ ロ ギ ー を 一 個 人 に 結 び つ け る こ と は 出 来 な い と強 く批 判 し た 。 経 験 的 に,ソ 連 や 中 近 東 に お け る 独 裁 や 個 人 崇 拝 の マ イ ナ ス 面 を 熟 知 し て い る か ら だ ろ う。 プ リ マ コ フ は ソ 連 的 な 国 家 主 義 者 の メ ン タ リ テ ィ を 有 し て い る が,世 界 経 済 国 際 関 係 研 究 所 (IMEMO)の 所 長,外 務 大 臣,首 相 と し て の 国 際 的 な 経 験 か ら し て も,ロ シ ア 民 族 主 義 を 正 面 に 出 す こ と に は 抵 抗 が あ る だ ろ う。 国 家 主 義 者 の 彼 が 国 家 に 優 越 す る 価 値 と し て 民 主 主 義 や 人 権 と い う 「全 人 類 的 価 値 」 を 信 じ て い る わ け で は な い 。 た だ,孤 立 主 義 的 な あ る い は エ ス ニ ッ ク な ロ シ ア 的 民 族 主 義 に 対 す る 不 信 感 は 強 く も っ て い る 。 プ ー チ ン 自身 は,内 心 で は プ リ マ コ フ の 論 に 共 感 も 有 し て い る だ ろ う。 ス ル コ フ の 政 治 論 に 対 し て 厳 し い 批 判 を 述 べ て い る の は,今 日 の 「西 欧 派 」 と も言 うべ き リ ベ ラ ル な 民 主 派 で あ る 。 「右 派 勢 力 同 盟 」 の 指 導 者 ニ キ ー タ ・ベ ー ル ィ フ は 次 の よ う に ス ル コ フ を 批 判 す る 。 ロ シ ア の 特 殊 性 は 先 進 国 か ら 遅 れ て い る とい う こ と に す ぎ な い 。 ま た,ロ シ ア に 肯 定 的 な 独 自 性 が あ る と し て も,そ れ を 発 揮 で き る の は 欧 州 の 一 員 と し て で あ り,欧 州 と い う オ ー ケ ス ト ラ な し に,ロ シ ア とい う楽 器 の 独 自 性 も あ り得 な い,と 。 ま た,リ ベ ラ リズ ム は 欧 米 の 思 想 で は な く ロ シ ア の 思 想 伝 統 で も あ る,と も 主 張 し,ス ル コ フ が 挙 げ た トル ベ ッ コ イ は リベ ラ ル な 思 想 家 だ とい う。 そ し て,ピ ョ ー ト ル ・ス トル ー ベ の 「リベ ラ リズ ム こ そ 真 の 愛 国 主 義 で あ る 」 と い う言 葉 を 論 文 の 結 び の 言 葉 と し て い る(34)。 『独 立 新 聞 』 の 編 集 長K・ レ ム チ ュ コ フ は,ス ル コ フ が ロ シ ア の 特 性 と し て 強 調 す る 全 体 性 や 政 治 制 度 の 人 格 化 は,ソ 連 体 制,と りわ け ス タ ー リ ン 体 制 に 合 致 した も の だ と厳 し く批 判 す る 。 ま た,ス ル コ フ も 欧 米 文 化 と の 接 近 の 必 要 性 に つ い て も 述 べ る が,西 側 の 知 的 成 果 の 入 手 な く し て 経 済 の イ ノ ベ ー シ ョ ン も 不 可 能 と の 理 由 か ら で,あ ま り に 功 利 主 義 的 だ と も批 判 す る 。 レ ム チ ュ コ フ は,ロ シ ア と 欧 米 の 間 で の 経 済 的 観 点 以 外 の 価 値 の 共 有 を 主 張 し て い る の だ(35)。 以 上,リ ベ ラ ル な 観 点 か ら の 批 判 を 簡 単 に 紹 介 し た 。 興 味 深 い の は,今 日 の ロ シ ア の イ デ オ ロ ギ ー 論 争 に お い て,今 日 の 「ス ラ ブ 派 」 「西 欧 派 」 の 立 場 の 異 な る 者 た ち が ,同 一 の権 威 あ る ロ シ ア 思 想 家 を,そ れ ぞ れ 都 合 の よ い 形 で 引 用 し て い る こ と だ 。 ま た,「 西 欧 派 」 も 世 界 の 思 想 家 の 言 葉 で は な く,ロ シ ア の 思 想 家 を 引 用 し,ロ シ ア 思 想 の 伝 統 や 愛 国 主 義 を 強 調 し て い る 。 今 の ロ シ ア で は,リ ベ ラ リ ズ ム の 主 張 そ の も の も,ナ シ ョ ナ リズ ム の タ ー ム を 利 用 せ ざ る を 得 な い 状 況 に な っ て い る 。 筆 者 は リ ベ ラ ル 派 の 主 張 そ の も の よ り も,む し ろ こ の 側 面 に よ り 多 く の 関 心 を 向 け た 。 (34) Иикитабелых ,《ИЕЗАВИМАЯГАЗЕТА>>,2007.7.20. (35)<<ИЕАВИСИМАЯГАЗЕТА>> ,2007.7.22.

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