ビジネスケース:しまなみ海道の観光資源化
中尾 光
*1藤井⼤児
*2Business Case: Tourism Campaigning Process of the Shimanami Kaido
Expressway over the Setouchi Inner Sea in Japan
Hikari Nakao
*1and Daiji Fujii
*2Abstract - The Shimanami Kaido Expressway was visioned as a national project in the early 1970s after
two tragic maritime accidents in the Setouchi Inner Sea. Since the express way connecting several islands between Hiroshima and Ehime prefecture was placed in use in 1999, it has always been a valuable means of transportation for islanders and commuters to date. In addition, with the proactive efforts made by local governments, such as Imabari City, Onomichi City, let alone with the central and prefectural governments, it has come to be acknowledged to be a sanctuary for sport cyclists. Eventually, it attracts attentions from all over Japan as a successful benchmark for both businesspeople as well as policy makers who are interested in destination management practices as part of promotion policies of reginal economies. This eventual success, however, had not been envisioned as such for a long time since the commencement of its public usage. It would rather seem that the plan had taken on its shape after a long period of many twists and turns. Furthermore, while local governments have been closely cooperating with different types of stakeholders including the actual islanders to promote the development plans, their ways of thinking are still far from unanimous. The purpose of this article is to provide business and policy students with materials that draw lessons for viewing lengthy socio-economic processes like this case which eventually converted a nation-level, large-scale infrastructure development plan into an area-specific destination management project.
Keywords : しまなみ海道, 観光資源, サイクリング,DMO 1. はじめに しまなみ海道は1999 年に開通し,現在まで島⺠,市⺠の貴重 な移動⼿段となってきた.また⾏政の積極的な取り組み,今治市 と尾道市,愛媛県と広島県などの地⽅⾃治体間の協⼒や⺠間投 資などもあり,今では「サイクリストの聖地」とも⾔われる観光 地となっている[1].⽇本全国からも,地⽅における観光資源開発 の成功事例として注⽬を集めているところである.ただし当初 からサイクリングを中核とした観光資源化を⽬指したわけでは なく,多くの紆余曲折の歴史があった.また今治市,尾道市とい った地⽅⾃治体,加えて本州四国連絡⾼速道路株式会社やそこ に住む⼈々など,それぞれが協⼒してしまなみ海道の観光資源 化を進めている中で,⽴場によってその捉え⽅も様々である.本 稿はビジネスケースとして,しまなみ海道の観光地化までの過 程,そして今ある現状をより鮮明に描き,地⽅の観光資源開発に 向けた教訓を引き出す素材提供を⽬的とする. 2. しまなみ海道の概要 しまなみ海道は尾道から向島,因島,⽣⼝島,⼤三島,伯⽅島, ⼤島を通り,今治まで伸びる59.4km の⾼速道路であり,新尾道 ⼤橋,因島⼤橋,⽣⼝橋,多々羅⼤橋,⼤三島橋,伯⽅・⼤島⼤ 橋,来島海峡第⼀⼤橋,来島海峡第⼆⼤橋,来島海峡第三⼤橋と いった9本の橋で構成されている.サイクリング・コースには各 *1: 日本放送協会長崎放送局放送部 *2: 岡山大学大学院ヘルスシステム統合科学研究科 *1: Japan Broadcasting Corporation
*2: Graduate School of Interdisciplinary Science and Engineering in Health Systems, Okayama University
島内を巡るルートが加わり,全⻑約70km となっている.正式名 称は⻄瀬⼾⾃動⾞道であるが,1996 年に⼀般公募により決まっ た愛称であるしまなみ海道が広く知られている.また⾼速道路 であるにもかかわらず,⾃転⾞道や歩道などが設置されている ことが最⼤の特徴であり,この⾃転⾞道を利⽤したサイクリン グ事業が近年世界的に注⽬されている. しまなみ海道建設のきっかけは,2つの海難事故である[2].1 つ⽬は 1945 年 11 ⽉6⽇伯⽅島の⽊浦港沖で発⽣した第⼗東予 丸沈没事故である.荒天の中沈没し,死者と⾏⽅不明を合わせる と397 名にものぼる悲惨な事故となった.事故発⽣時には210 ⼈ の定員の3倍以上の乗客を乗せており,復元⼒が働かず転覆し たと⾔われている.このように定員を超える乗客を乗せての運 航はこの当時よく⾏われていた.2つ⽬が1957 年に起きた第五 北川丸沈没事故である.この事故は第⼗東予丸沈没事故とは違 い,運⾏時の天候は良好であったが,舵を甲板員⾒習に任せた結 果,操縦を誤り,暗礁に座礁し沈没,死者と⾏⽅不明者113 名を 出す事故となった.このような2つの海難事故がきっかけとな り,地元で架橋運動が盛んになっていった.また地元愛媛県から 選ばれた越智伊平衆議院議員が選挙公約にしまなみ海道の架橋 を掲げており,その実現に尽⼒した.現在のしまなみ海道のルー トは⽐較的架橋効果が低いとされていたが,建設にかかる費⽤ や,技術的な難易度が低いことも助けとなった.1970 年には本 州四国を結ぶ橋を設置することを⽬的とした本州四国連絡橋公 団(現在の本州四国連絡⾼速道路株式会社)が設⽴され,架橋へ と動き出すこととなった.この組織は,国が事業費を全額出資す ることは困難であることから,⺠間からも資⾦を集めるための ものであり,現在も橋を渡る⾞両等から料⾦を徴収している. しまなみ海道の7つの橋のうち⼤三島橋,因島⼤橋は,当初 1973 年11 ⽉25 ⽇着⼯予定であったが, オイルショックによる 総需要抑制策の影響で無期限延期となった.本来であれば,⻄瀬 ⼾⾃動⾞道,瀬⼾中央⾃動⾞道,神⼾淡路鳴⾨⾃動⾞道の3ルー ト同時着⼯を予定していた.その後の起⼯は⼤三島橋が1975 年 12 ⽉21 ⽇と最も早かったものの,全線開通は瀬⼾中央⾃動⾞道 が 1988 年,神⼾淡路鳴⾨⾃動⾞道が 1998 年,⻄瀬⼾⾃動⾞道 が1999 年と,しまなみ海道が最も遅かった. 当初掲げられたしまなみ海道の⽬的は,瀬⼾⼤橋,明⽯海峡⼤ 橋といった他の本四連絡橋とは全く違うものであった.瀬⼾中 央⾃動⾞道や神⼾淡路鳴⾨⾃動⾞道はマクロ的に経済を動かす, 物流や⼈の流れとなる⽬的で設置された.例えばその設計を⾒ れば分かる通り,前2者は⾼規格幹線道路の⼀部であり,双⽅と もに鉄道の運⾏も検討されていた.構造上鉄道利⽤が難しいと された明⽯⼤橋に代わり,瀬⼾⼤橋は約2兆円(⾼速道路部6400 億円,鉄道部4900 億円)を投じ,四国新幹線の開通も想定した 巨⼤国家プロジェクトであった.経由する島嶼部への⼀般⾞両 の出⼊りは想定されていない.他⽅,⻄瀬⼾⾃動⾞道は島⺠の移 動や市⺠の健康増進を⽬的として造られており,海上橋と島々 の⼀般道を交互に⾛⾏する⽅式となっており,建設費⽤も低く, 必然的に通⾏料も低廉である1.以上の違いは,県境を跨ぐ移動 1 今治市産業部観光課サイクルシティ推進室 中⽥尚雄⽒インタビュー, 2019-11-07, 今治市役所にて. の交通量の違いに現れる.本州四国連絡⾼速道路株式会社によ れば,令和元年実績(計56,867 台)のうち,鳴⾨⼤橋(兵庫・徳 島間)・瀬⼾⼤橋(岡⼭・⾹川間)・多々羅⼤橋(広島・愛媛間) で45%,40%,14%という差がある[3].しかし島嶼部に住み,尾 道市・今治市に通勤や買い物等で移動する交通量(例えば新尾道 ⼤橋・来島海峡⼤橋)は,瀬⼾⼤橋の年間 23,002 台に⽐較して それぞれ16,845台・12,167台と⼤きく⾒劣りする数値ではない. このような地域限定的な設計思想を有するしまなみ海道であ るけれども.今治市等への取材によれば,もしもオイルショック の発⽣がなければ⼀本の橋で本州四国間を結んでいた可能性も あったという2.確かに複数の短い橋を架ける現在の形は建設費 ⽤が⽐較的低く抑えられ,技術的障壁が低い.オイルショックの 発⽣によって構想期間が⻑期化し,それ故にバブル経済の崩壊 によって建設費⽤の抑制が求められたと考えられる. 3. サイクリング事業に⾄るまでの歴史 しまなみ海道は悲惨な海難事故から架橋運動が始まり,島⺠ の移動や市⺠の健康増進といった,地域に住む⼈々の利便性を 最優先に設置された.しかし現在では⽇本全国,また世界からも サイクリストが集まる聖地とも⾔える場所となっている.この サイクリング事業によって⼀躍世界的観光地となるまで,その 試⾏錯誤の歴史を⾒ていく. 現在ではしまなみ海道=サイクリング・コースというイメージ が浸透しているが,架橋当初はサイクリングによる観光資源化 という切り⼝を⾒出せてはいなかった.むしろ,観光という視点 も皆無とは⾔えないまでも,ほとんど⽋如していたと⾔えよう. 『瀬⼾内海⼤橋完成記念イベントしまなみ海道’99 公式記録集』 の愛媛県版の冒頭には,「瀬⼾内しまなみ海道は,30 万⼈の⼈々 が⽣活する地域を結ぶ地域振興橋である」との記載があるよう に,資料全体を通して観光という⽂字は現れない[4].これは島 ⺠・市⺠の移動,そして体育振興や健康増進のために架橋された というしまなみ海道本来の⽬的に沿ったものと⾔える.⾃転⾞ による橋の活⽤は当初より想定されていたため,レンタサイク ルは開通当時から導⼊されていたが,観光客の利⽤を狙ったも のではない.例えば今治市の場合,その現在の所管は観光課であ るが,当時は教育委員会体育振興課であり,導⼊されている⾞種 も「ママチャリ」がその⼤半を占めていた. しまなみ街道が開通してまもなく,関与する地⽅⾃治体はそ れぞれの観光政策に苦慮することとなった.しまなみ海道沿い の島々は,それ以前からもある程度の観光客が訪れる場所であ ったが,しまなみ海道を設置して本州四国が接続したことによ って,定期船による海上航路が続々と廃⽌されることとなり,島 ⺠のみならず観光客からも不満の声が上がった.しまなみ海道 は⾼速道路であるため通⾏料⾦が⾼く,島⺠は買い物や病院な どに⾏くために⼤きな負担を強いられることとなった.また島 内には美術館等の観光できる施設はあるものの,島内バスは1 時間に1本しか運⾏されておらず,⾃由に移動できる⼿段はタ 2 中⽥⽒インタビュー.
クシーに限られていた.今でこそ⾃転⾞を活⽤して,島巡りをス ムーズに⾏えているものの,当初そうした想定はされていなか ったという.さらに,前述の『瀬⼾内海⼤橋完成記念イベントし まなみ海道’99 公式記録集』には,ファッションタウン推進協議 会なるものが記載されている[3].このファッションタウン推進 協議会は平成8年5⽉に設⽴され,産業,市⺠団体,⾏政等で構 成される団体で「ファッションをテーマとした架橋時代のまち づくりについて今後3年以内で構想を策定」とあり,今治を国際 ファッション都市にするというスローガンも掲げられている. 平成9年にはファッションタウン・シンポジウム,平成11 年に はファッションタウン・サミットなど,まるで今のサイクリング 事業をファッションに置き換えたようなイベントも⾏われてお り,今治市は伝統の今治タオルからファッションを連想し,事業 化に乗り出したことがうかがえる.尾道市は観光都市としての ⼟壌があったものの,今治市はタオル,造船業などの産業都市, しまなみ海道沿線の島々は農業,漁業などの⼀次産業によって ⽣活してきた⼈々だったため,観光地としての⼟壌がなく,試⾏ 錯誤の政策が続いたのである. 開通当初には観光⾊の薄かったしまなみ海道だったが,開通 から 10 年が経った際に開催された,しまなみ海道 10 周年記念 事業の愛媛県実⾏委員会記録集の冒頭を⾒ると,「『瀬⼾内しま なみ海道』の存在を改めてPR し,新たな魅⼒を創造するための 記念事業を実施することにより,観光まちづくりを通した地域 の活性化を図る」という⽂⾔がある[5].また事業⽬的には,将来 的に持続可能な地域振興に加え,観光交流の活性化が記載され ており,開通当初よりも観光を重視し,それに焦点が当たり始め ていることがわかる.ただ,このしまなみ海道10 周年記念事業 のテーマは「花とアートでつなぐ⼈・島・未来」となっており, 依然としてサイクリングが中⼼ではない.観光の重要性を認識 しつつも試⾏錯誤している様⼦が,この10 周年記念事業から⾒ て取れる. しまなみ海道開通10 周年の翌年である平成22 年12 ⽉,中村 時広愛媛県知事が就任すると,サイクリングによる観光地化が 動き始める.今治市に台湾の⼤⼿⾃転⾞メーカー・ジャイアント 社の契約プロライダーが在住しており,劉 ⾦標会⻑のしまなみ 海道⾛破が実現した.これをきっかけとして中村知事がジャイ アント本社を訪問し,劉会⻑と⾯会した.⻘野 勝愛媛県議会議 員(⾃⺠党)も,平成23 年愛媛県議会(第325 回定例会)で「現 地での限られた時間の中で,精⼒的にさまざまな分野の⽅々と ⾯会し,交流を深められましたが,とりわけ世界最⼤の⾃転⾞メ ーカーであるジャイアント社,劉会⻑との⾯会では,ジャイアン ト社が東レ愛媛⼯場で製造された炭素繊維を⾃転⾞の素材とし て使⽤している縁もあって,今後の交流促進に向け好感触を得 られた」などと述べている[5]. 中村知事にとって,台湾の⾃転⾞⽂化の牽引役として台湾の 国内経済にも影響を与える劉会⻑を訪れることは,しまなみ海 道を台湾のサイクリストにアピールし,交流を深めることが1 つの⽬的であった3.ところがこの出来事をきっかけに,中村知 3 中⽥⽒インタビュー.愛媛県企画振興部⾃転⾞新⽂化推進課 河上芳⼀ ⽒インタビュー, 2019-12-04, 愛媛県庁にて. 事の⾃転⾞への認識も⼤きく転換される.⽇本では⾃転⾞とい うと通勤,通学の⼿段という位置付けであり,サイクリングとい う⽂化がなかなか醸成されていなかった.それに対して,世界で はスポーツとしてのアクティブな⾃転⾞⽂化がある.そのため 劉会⻑のしまなみ海道訪問を⼀過性のものにするのではなく, サイクリング⽂化をその⼟地に根付かせるというなら⽀援する との提案もあり,これをきっかけに中村知事が⾃転⾞を強く推 し進める政策を打ち出し始めた.中村知事の就任,さらに⼤⼿⾃ 転⾞メーカーとの関わりが現在のサイクリングによる観光,そ して愛媛県全体の⾃転⾞⽂化の推進を加速させていったのであ る. 中村知事は平成25 年に「愛媛マルゴト⾃転⾞道」を打ち出し, 菅 良⼆今治市⻑とともにしまなみ海道をサイクリストの聖地 にしていこうと動き出す.また平成19 年に就任した平⾕祐宏尾 道市⻑も,就任初年に⾃転⾞⽤品メーカー・シマノを訪ねて協⼒ を取り付けるなど精⼒的で,さらにマウンテンバイク愛好家で もある湯崎英彦広島県知事も加わり連携が加速し,県境を越え ての協⼒態勢がますます緊密になっていった.ただしあくまで 活動の中⼼は愛媛県と今治市であり,広島県側とは若⼲の温度 差があるという.愛媛県は新たな観光資源を求めていたという 経緯もあり,しまなみ海道などを活かしたサイクリング事業は 政策的優先順位が⾼かった.他⽅,広島県や尾道市は既存の観光 資源が豊富で,サイクリングはその中の⼀事業に過ぎなかった とされる. また中村知事はサイクリング事業を観光⾯のみならず,愛媛 県全体の⽂化として根付かせていこうという「⾃転⾞新⽂化」と いう構想を打ち出した4.これはジャイアント社劉会⻑の考えに よるもので,観光資源としてサイクリング事業を⼀時的に⾏う のではなく,その⼟地に⽂化として⾃転⾞を定着させるという ものである.交流⼈⼝の拡⼤による地域活性化のみならず,乗る ことで得られる「健康」や趣味を通じた「⽣きがい」,仲間との 繋がりによる「友情づくり」という⽬的をもつ構想である.その 活動の⼀環として県内の公⽴⾼校にヘルメットを無料配布し, 校則を改定させるなどして定着を図った.こうした⼤胆な政策 の結果,現在制服を着た⾼校⽣達がヘルメットをかぶって颯爽 と⾃転⾞通学している様⼦を全県で⾒ることができる. 愛媛県は⾃転⾞新⽂化推進課などの⾃転⾞事業にのみ集中し た課を設⽴させるなど,他の⾃治体には例を⾒ないほど,⾃転⾞ に精⼒を注いでいる(広島県での所管は商⼯労働局観光課).平 成26 年には2年前成⽴した⾃転⾞活⽤推進法に依拠して愛媛県 ⾃転⾞新⽂化推進計画を作成し,「県⺠みんながつくり・育てる サイクリングパラダイス」「交流⼈⼝の拡⼤による地域活性化」 「歩⾏者・⾃転⾞にやさしいまちづくり」「シェア・ザ・ロード の精神に基づく⾃転⾞の安全利⽤」「サイクルスポーツの振興」 を掲げて具体的施策を4ヵ年計画で実施している. また先述の通り,台湾との交流促進もまた⼤きな動機となっ ている.愛媛県議会の議事録によれば,中村知事は愛媛県がしま なみ海道をサイクリストの聖地として推し進める以前から,台 4 中⽥⽒インタビューおよび河上⽒インタビュー.
湾との交流促進を⽬指していた. 観光,経済,⽂化,スポーツなど,多岐にわたる分野で台湾と のきずなをさらに深化させていきたいと考えております.交流 に当たりましては,豊かな⾃然,⽂化や⼭海の幸など,本県のす ぐれた観光資源が台湾の⽅々にも感動を持って味わっていただ けるものと考えており,特に関⼼の⾼い道後温泉や,台湾は世界 ⼀の⾃転⾞メーカーもございますし,サイクリングブームでご ざいます.しまなみ海道のサイクリング体験などの魅⼒ある素 材を強くアピールしているところでございます.[6] 中村知事は就任以前の松⼭市⻑時代より,愛媛県の松⼭空港 と漢字表記が同⼀の松⼭空港(しょうざんくうこう)が台湾ある ことを知ると,この2つの空港間の国際線の実現を進めようと 模索していた.今でこそ台湾以外の国,地域からも観光客が訪れ るしまなみ海道ではあるが,その始まりは台湾との交流⽬的で あったともいえる. 4. しまなみ海道観光地化の環境要因 ここまで,しまなみ海道の架橋,そして試⾏錯誤を経てサイク リング事業が⽴ち上がるまでの歴史を⾒てきた.ここからはし まなみ海道のサイクリング事業の⽴ち上がりに寄与したと考え られる環境要因を,⽴地環境,⾏政の取り組み,官⺠協働に⼤き く分けて整理する. 4.1 しまなみ海道の⽴地環境 しまなみ海道最⼤の魅⼒であり,成功要因と⾔えるのは海の 上を⾃転⾞で⾛ることができるという他には類を⾒ない特徴で ある.平成 24 年6⽉6⽇には,アメリカ CNN(Cable News Network)においてしまなみ海道が世界7⼤サイクリング・コー スに選出されるなど,世界的な評価も⾼い.アジアにおいてこの コースに選定されているのは,しまなみ海道と台湾の⽇⽉潭サ イクリング・コースの2つのみである.その他にも平成25 年2 ⽉には,フランスのミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにお いて1つ星を獲得,平成 28 年には Lonely Planet 社の発表した EPIC BIKE RIDES OF THE WORLD において,世界で魅⼒的な 50 のサイクリング・コースにも選ばれている.近年,年間100 万 ⼈の観光客を誇る瀬⼾内国際芸術祭も,令和元年には同じく Lonely Planet 社の Web サイトで BEST IN ASIA PACIFIC の第2 位として選ばれている.四国や瀬⼾内の島々の注⽬度は世界的 にも⾼く,しまなみ海道の⼈気との相乗効果が期待される.また 今治市観光課サイクルシティ推進室が強調するのは,世界基準 でナンバーワン,オンリーワンであるかどうかという点であっ た5.滋賀県にある琵琶湖の周りを⾃転⾞で⾛ることのできる「ビ ワイチ」は⽇本で⼀番⼤きな湖の周囲を⾛るサイクリング・コー スだが,世界的に⾒れば,それを上回る⼤きさの湖の周囲を回る ことのできるサイクリング・コースはすでに存在している.しま 5 中⽥⽒インタビュー. なみ海道にはそのような世界基準の強みが備わるのである. ⾃転⾞道は同じ本州四国連絡⾼速道路株式会社の管轄である 瀬⼾⼤橋や,明⽯海峡⼤橋には存在しないものであり,地域振興 橋として架橋されたしまなみ海道固有のものである.この⾃転 ⾞道の存在が⼤規模な追加投資なしにしまなみ海道をサイクリ ストの聖地として観光地化させた⼤きな要因となっている.た だし先にも述べたように,今治市教育委員会が設置したレンタ サイクルのほとんどがママチャリであったことからもわかるよ うに,⾃転⾞道は観光資源化を意図して設置されたものではな く,むしろ偶然の産物として観光資源化されていったと⾔って も良いだろう. 観光地としての強い魅⼒に加え,しまなみ海道の特殊な⽴地 環境がある.しまなみ海道は広島県と愛媛県の県間を繋いでは いるが,今治市と尾道市はそれぞれの県の主要都市ではない.ま た本州四国それぞれの⾼速道路とも直接繋がっていない.その ため他の⼆本の橋と⽐べても,物流ルートや⼈の流れの中⼼に なっていない.したがってサイクリング⼤会などのイベントの 際には,⾼速道路を封鎖するという他地域には真似できないこ とが可能になっているという側⾯がある.また,島⺠の移動⼿段 という地域密着の架橋⽬的のため,しまなみ海道は島を個々に 経由する道となっている.そのため,サイクリング⼤会などのイ ベント開催が地域の活性化に寄与する余地が⼤きく,イベント 開催に対する地域住⺠の理解が得られやすい側⾯がある.もし, 瀬⼾中央⾃動⾞道のような⼀本の橋であれば,その下にある 島々の活性化への寄与を期待することは,構造的に難しかった だろう. 4.2 ⾏政の取り組み 平成の⼤合併以前,しまなみ海道沿いの島々はそれぞれ所属 ⾃治体が分かれており,島内で2つに⾃治体が分かれていると ころもあった.しかし平成の⼤合併を契機に,多々羅⼤橋より愛 媛県側の⼤三島,伯⽅島,⼤島が今治市,反対の⽣⼝島,因島, 向島が尾道市となったことで⾏政がまとまり,観光地として連 携し易い環境が整備された.また今治市と尾道市がもとより姉 妹都市となっていたことも,無関係ではなかろう.尾道市と今治 市とは,連絡船の航路があったことから⼈々の往来があり,しま なみ海道架橋の機運の盛り上がりの中で,昭和 43 年7⽉ 15 ⽇ に姉妹都市の提携が結ばれていた.この古くから続く姉妹都市 での交流から⼀体感が⽣まれ,両⾃治体をまたぐ組織である瀬 ⼾内しまなみ海道振興協議会(現在の⼀般社団法⼈しまなみジ ャパン)が設⽴され,サイクリング事業という1つの⽬標に向か うことが可能となった.今治市⻑・尾道市⻑を正副理事⻑として 擁し,⺠間事業者と協働しながら⽇本版 D M O(Destination Management/Marketing Organization)としてエリア全体の⼀貫した マーケティング戦略を実施する体制も整いつつある.さらにし まなみ街道の開通によって両市の交流はますます盛んになり, 現在では,郷⼟芸能団体による祭りの相互派遣,少年スポーツの 交流などを⾏っている.ただし現在のしまなみ海道に対する関 ⼼度は,今治市の⽅が相対的に⾼いと⾔える.その理由として,
尾道市は⼭陽新幹線の停⾞駅があり,市街地の観光業が好調で あり,また市内の空き家活⽤事業に現在注⼒していると⾔われ ている6. しまなみ海道の推奨ルート上には,⽩線の外側にブルーライ ンという⻘い線が整備されている.しまなみ海道を象徴する⾊ 「しまなみブルー」が採⽤されている.このブルーラインは,サ イクリストが迷わずにしまなみ海道でのサイクリングを楽しめ るようにすることが⽬的(ノーマップ,ノーストップでのサイク リング)で,魅⼒向上に⼤きく貢献している. 実際にしまなみ海道を⾛ると,ブルーラインがあるからこそ 道が分かれる際に,いちいち地図を調べることなくスムーズに サイクリングを楽しむことができた.それに加えてサイクリス トには左側通⾏の原則を注意喚起し,また⼀般ドライバーに対 しては⾃転⾞への注意喚起を促す効果もある.これによって歩 ⾏者・⾃転⾞・⾃動⾞の接触事故防⽌などを狙っている.また技 術的には,路⾯の濡れた⾬の⽇でも⾃転⾞が滑りにくい溶融式 滑り⽌め塗装でブルーラインを敷設している.さらにロードバ イク,クロスバイクのサイクリストはサドルが⾼く,⽬線が下に 向き易いことに配慮し,⽅向表⽰,距離表⽰をブルーライン上に 記載し,距離標も⾃転⾞に乗った状態で⽬の⾼さにくるものを 設置している. ルートの選定には,景観の良さも重要である.⼤三島⼀周ルー トでは,常に海が左⼿に⾒えるよう時計回りのルートでブルー ラインを敷設することで,サイクリストが⼼地よく⾛れる環境 づくりを徹底している.旧来の⾏政の観光政策のような地域の ⾒て回ってもらいたいスポットを観光客に回らせるルート選び ではなく,サイクリスト⽬線を徹底している. このブルーライン整備にかかる事業費⽤であるが,地域活⼒ 基盤創造交付⾦という国⼟交通省による交付⾦が平成 21 年度, 平成 22 年度事業費の 55 パーセントを補助している7.この地域 活⼒基盤創造交付⾦は「地⽅公共団体が⾏う道路を中⼼に関連 する他のインフラ整備やソフト事業も対象とした,社会資本の 整備その他の取組を⽀援することにより,地域の活⼒の基盤を 創造することを⽬的とする」というものである.当該年度に設置 されたブルーラインは尾道と今治を繋ぐメインルートであり, 国道,県道(ブルーライン 42.7km,距離標 62 枚,⽅向標⽰ 34 枚)は県の負担,市道部分(ブルーライン 8,6km,距離標9枚, ⽅向標⽰4枚)は市の負担となっている. 4.3 ⺠間企業との協働 しまなみ海道においては,⺠間企業の提供するサービスもま た充実している.その中でも観光客の快適なサイクリングを⽀ えているのは,⼿荷物の当⽇配送サービス「しまなみ海道⼿ぶら サイクリング」サービスである.このサービスは佐川急便株式会 社が実施主体となって⾏っている.このサービスが開始された 経緯には,荷物の当⽇配送のニーズがサイクリストにあるにも かかわらず,しまなみ海道は広島県と愛媛県の県境をまたぐエ 6 中⽥⽒インタビュー. 7 中⽥⽒インタビューおよび河上⽒インタビュー. 8 中⽥⽒インタビュー. リアであり,当⽇中に荷物を配送するルートが配送業社になか ったためである.今治市からの提案により,佐川急便株式会社に 当⽇配送サービスの実施を打診し,平成27 年5〜7⽉の試験運 ⽤期間を経て,サービスが開始された.こうしてサイクリストは ⾃らの荷物を背負うことなく⾝軽でサイクリングを楽しむこと ができる環境が整った.またサイクル・トレイン(春・秋限定) やサイクル・シップなど,⾃転⾞を列⾞や船に乗せて移動できる サービスも存在し,移動の利便性の向上に努めている.また既存 のホテル事業者らも駐輪スペースの確保や居室内への⾃転⾞の 持ち込みを可能にするなどのサービスを開始し,年々増加する 宿泊者へ対応している. これらの事業は,決して⺠間企業が⾃ら⼿を挙げたわけでは ない8.しかし⾏政による呼び掛けに応え,サイクリストが⼼地 よく過ごせる環境づくりに取り組むことで利⽤者を増やし,そ の結果近年では他県などからの企業の進出事例も出始めている. 愛媛県を含む四国には四国⼋⼗⼋ヶ所お遍路巡りの⽂化があ る.お遍路とは約 1200 年前に弘法⼤師が修⾏した 88 の霊場を たどる巡礼のことで,その魅⼒の1つには,地元の⼈の笑顔や温 かいもてなしである「お接待」があり,四国遍路ならではの⾵習 になっている.そしてそのお接待の⽂化がしまなみ海道の沿線 の島である⼤島に存在する.⼤島には伊予⼤島准四国霊場,通称 島四国⼋⼗⼋ヶ所があり,⼤島の中だけで88 の霊場がある.こ の島四国⼋⼗⼋ヶ所は今から約 200 年前,1807 年(⽂化4年) に島⺠である医師⽑利⽞得,修験者⾦剛院⽞空,庄屋の池⽥重太 の3⼈の努⼒により開創された.そんな島四国⼋⼗⼋ヶ所にも 旅⼈をもてなす⽂化が根付いている.その⼟壌にお遍路と同じ くスロー・ツーリズムであるサイクル・ツーリズムがマッチし, 地域住⺠と旅⾏者の良好な交流が⾏われている9. 実際に,サイクリストの休憩所として⾃治体が島⺠に依頼し て設置してもらう「サイクル・オアシス」を通してサイクリスト をもてなすことが⽣きがいになっている島⺠もおり,旅⾏者と 地域住⺠両⽅にとって良い観光地の形が⽣まれている10.⾏政側 がサイクル・オアシスの設置を依頼する際に,当初「お接待のよ うなもの」として⼗数件から始まったものだが,今では島⺠側か ら設置しても良いという形で⼿が挙がり,その数が増えている. 愛媛・広島両県および今治・尾道両市,両県のスポンサー企業か ら構成されるしまなみ海道⾃転⾞道利⽤促進協議会の主導の下, サイクル・オアシスは平成31 年2⽉時点で,尾道市に107 箇所 (陸地部36,向島13,因島25,⽣⼝島27,御調5,海上(サイ クルシップラズリ)1),今治市に70 箇所(陸地部33,⼤島12, 伯⽅島5,⼤三島19,関前1)が整備されている. 4.4 現在の課題 しまなみ海道はサイクリングの聖地として観光地化を果たし, 今では年間約30 万⼈が訪れる観光地となった.ただ,今後も議 論すべき課題が残っている.ここでは来訪者数などの近年の動 向,⾃転⾞通⾏料⾦の無料化の実施について⾒ていく. 9 中⽥⽒インタビュー. 10 中⽥⽒インタビュー.
しまなみ海道はもとより国単独の事業として設置されたので はなく,架橋の際には⺠間から資⾦を集め,現在でも橋を渡る通 ⾏者などから料⾦を徴収している.そのため,現在も⾃動⾞は通 ⾏料を⽀払っている.それに対して,⾃転⾞は「サイクリング・ フリー」と銘打ち,平成26 年7⽉19 ⽇から平成32 年3⽉31 ⽇ までの期間限定で通⾏料⾦の無料化を実施している.通常の⾃ 転⾞の通⾏料⾦は 50 円から 200 円と⼤きな⾦額ではないため, 無料化をすることで⼈を呼び寄せるというよりも,サイクリン グ中の⽀払いの⼿間を省くというサイクリスト⽬線のキャンペ ーンである.この無料化の実現のため,しまなみ海道⾃転⾞道利 ⽤促進協議会はコース上に協賛企業名の⼊ったセーフティマッ ト,⽀援型⾃動販売機の設置などで収益を得て,費⽤を補填して いる.また実際に通⾏料⾦の徴収所に⾏くと,通⾏料⾦を⼊れる 箱が設置されているだけで,通⾏料⾦を⼊れないと道を通れな いような仕組みが存在するわけではない.このため,通⾏者から の料⾦の徴収がこの無料化以前に厳格に⾏われていたかどうか も不明である.また現⾦のみでの⽀払いしか対応していない. 県と台湾との交流事業など,サイクリング事業を促進する時 代背景があったことは先に触れた.しまなみ海道のレンタサイ クル利⽤台数の推移(図1)を⾒ても,愛媛県のレンタサイクル の利⽤者の⽅が,広島県側と⽐較して平成24 年頃まで多かった ことがわかる[7].尾道市との取材でも,サイクリング事業に関し てみれば,今治市や愛媛県に引っ張られる形でここまで来たと の印象を残した11.ところがその後,しまなみ海道が有名になる につれ,広島県側のレンタサイクルの利⽤者が増え,平成26 年 にはその数が逆転するに⾄った.これには3つの要因があると 考えられる[8,9].第⼀に,これが最⼤の理由であるが,広島県が 本州にあり,愛媛県よりもアクセスが良いためである.また広島 県がもとより外国⼈観光客に⼈気があり,集客⼒を近年ますま す強めている.第⼆に,今現在のレンタサイクルの設置台数であ る.当初は広島県のレンタサイクルの設置台数は愛媛県よりも 少なかったが,現在は広島県の⽅が多く,逆転している.という 11 尾道市産業部観光課主事 川本惇央⽒インタビュー,2019-02-19, 尾 道市役所にて. のは,尾道市から今治市⽅向が公式の推奨ルートとなっている ことが挙げられる.しまなみ海道には,新尾道⼤橋から来島海峡 ⼤橋まで9つの橋が架かっているが,その中で全⻑が4,105m と 最も⻑く,世界初の3連つり橋である来島海峡⼤橋がサイクリ ングの名所になっている.そして尾道市から今治市へ向かうル ートの場合,この来島海峡⼤橋が最後に現れるため,来訪者の満 ⾜度を⾼めることができる.それ故に広島県側のレンタサイク ルの貸出実績が増える仕組みである.ちなみにレンタサイクル の貸出実績の図を観ると,平成30 年度は久しぶりに前年度の貸 出実績を下回る結果となっている.ただしこれは平成30 年4⽉ の松⼭刑務所⼤井造船作業場からの受刑者脱⾛事件の影響と, 愛媛広島両県にも甚⼤な被害をもたらした⻄⽇本豪⾬の影響が 考えられる. 5. おわりに 以上では,しまなみ街道が建設されて以来,観光地としての地 位を確⽴していく紆余曲折を,その構想のきっかけ,試⾏錯誤の 過程,外部環境や⾏政の取り組み,官⺠協働の⾯から整理した. これらに依拠して,どのような教訓を引き出せるかを考えるた めに,ディスカッション・ポイントを挙げる. 第⼀に本四連絡橋のうち,明⽯海峡⼤橋や瀬⼾⼤橋が⾼規格 幹線道路の⼀部として構想・建設され,それに対してしまなみ海 道は島⺠⽣活に密着したものであることが,結果的には政策的 裾野の広がりに差を⽣んでいることである.ここで⾔う裾野の 広がりとは,財政⽀出と経済的リターンの多寡を⽐べる費⽤対 成果の問題ばかりではなく,その質的な差異を⾔っている. 今⽇的な政策的含意として,国による財政⽀出が必ずしも⼤ きな経済的リターンを⽣むとは限らないのはもちろんのこと, 規模が⼤きいが故に融通の利かない公共事業は,地域創⽣の⼿ 段としてますます正当化しにくい時代となっている. 例えば神⼾淡路鳴⾨⾃動⾞道・瀬⼾中央⾃動⾞道の2ルート は⼤きな通⾏量を誇るけれども,そのストロー効果が架橋によ る経済効果を相殺してしまっているという.戦略研究学会(2020 年11 ⽉28 ⽇)でのフロアからの指摘によれば,明⽯海峡⼤橋と ⼤鳴⾨橋に挟まれた淡路島を地元では⾃嘲気味に「⼤きな橋桁」 と呼び,架橋による経済効果よりも⼈⼝流出の懸念が叫ばれて いるという(対2000 年⽐で2割減).倉敷市でも「倉敷市観光振 興アクションプラン(平成 16 年)」によると,観光客数が 1991 年のピーク時 968 万⼈から 66%まで低下しており,架橋効果や チボリ公園開園の効果が薄れたとされる[10].さらに「『⾏ってみ たい』と思う⼈は多いけれど,実際に来訪した経験者からの評価 が未経験者に⽐べて⾼くない」との⾃⼰評価を下している.また 倉敷観光の⽬⽟である美観地区の旅館経営者は,「瀬⼾⼤橋に限 ったことではなく,以前は倉敷に宿泊したツアー客が,現在では その⽇のうちに次の⽬的地に移動してしまう」と嘆く12.他⽅で これまで観光資源が乏しく,ビジネス客を中⼼としていた今治 市市街地では宿泊業が活性化し,交通インフラでも新サービス 12 株式会社吉井代表取締役 永井圭⼦⽒インタビュー,2021-02-01, 岡 ⼭⼤学にて. 図1 しまなみ海道レンタルサイクル利⽤実績[1]
の提供が増えている.島嶼部でも簡易宿所の進出が⾒られる. 経済構造の質的変化を導き出すためには,単に⾏政主導の変 ⾰イニシアティヴばかりではなく,経済活動の担い⼿達が積極 的にその変⾰プロセスに関与する必要がある.その過程では公 共インフラの持つ意味が柔軟に解釈し直される,いわゆるブリ コラージュ(bricolage, 器⽤仕事)が⾏われる[11].例えばしまな み海道の場合には,島⺠の⽣活⽤道路という位置付けに対し,さ らにサイクリスト向け観光資源という意味が新たなに付加され た.他でも国道整備の⼀環で⾏われる道の駅について,国による 道路整備事業の⾒直しと共に,ドライバーの休憩所という元来 の機能の⾒直しが⾏われている.すなわち観光拠点,地域の⾃治 拠点,災害時の避難場所という地域住⺠へのサービス提供が謳 われるようになってきている [12]. ただし国主導で巨額の公共投資が⾏われ,複雑な⾏政システ ムによって緻密に統制され,構造的にも改変が利きにくい場合 には,ブリコラージュの余地が⼩さいと考えられる.公共インフ ラなど公的資産の会計処理について,極端に⾔えば,道路はいっ たん建設すればずっと道路として共⽤可能であり,国ないし地 ⽅の恒久的資産として捉えられるため13,新しい⽤途開発という 発想は乏しいと⾔える[13].また⾏政は多岐に渡る⽬的に対して 予算を振り分けるので,単なる保守・修繕のための予算確保であ っても多⼤な⼿間がかかる.まして地域資源の再開発という⽬ 的が追加されれば多分に政治的イシューとなり,財源問題も絡 んでさらに議論は複雑化する.こうして追加的投資が構造的に 採られにくくなるのであれば,国主導で低規格・⼩規模で構想・ 建設された部分に,地⽅独⾃のアイデア・予算を追加的に投⼊す ることで,⼀定程度その姿を柔軟に変更できる公共インフラの あり⽅も考えられる. もちろんブルーライン整備に⾒られる通り,もとより国から 全額補助があるわけではなく,県道・市道部分はそれぞれの所管 による負担が求められてはいる.しかしここで論じたいのは,単 なる負担の按分というに留まらず,公共インフラの付加価値を いかに⾼めるかという視点が必要という点である.そのアイデ アは地⽅の⾃治体と地域住⺠の対話を通じて構想されるべきも のだし,⾃治体の苦しい懐事情の下では予算捻出も困難かも知 れない.しかし少なくとも,恒久的資産としてその価値が固定的 とみなされるより,追加的投資によってその付加価値が増⼤す るという,⺠間ディベロッパーに近い街づくりが可能となると すれば,⾃治体による住⺠対話や予算捻出の労苦も,経済振興に よる税収増や⼈⼝増による地⽅交付税の増額という形で報いら れる可能性がある.国としても,公共投資がより世論に受け⼊れ られるためにその費⽤対効果が底上げされるならば,それは歓 迎すべきことである. 第⼆に,歴史的経緯,外部環境や⾏政の取り組みという外⽣的 要因に加えて,先述の住⺠対話を通じた街づくりの過程で作⽤ 13 基本的に年度会計が⾏われ,また資産という概念も乏しいため,減価 償却という考え⽅が積極的に採られていない.もちろん路⾯も使⽤によ り減耗するし,橋梁も⾵⾬のため錆びる.⾃然災害によって復旧が必要 になることもある.そこで保守・修繕のための利⽤料・⼿数料の計算 や,⾏政の予算編成の参考資料として耐⽤年数が定められてはいるが, したと考えられる個々のステークホルダー達のイニシアティヴ である. 愛媛県の資料を⾒ても,当初から観光地としてしまなみ海道 を積極的に開発する計画はなかった.しかし知事の交代と新た な政策⽴案,今治市職員の独⾃の働きかけ,今治市や島嶼部の地 域住⺠の適応⾏動,県内外の企業による新サービスの開発など 多様なステークホルダーの相互作⽤を経て「サイクリングの聖 地」というコンセプトが芽⽣え,次第に具現化されていった. これまで国策として地⽅創⽣を強調する時代背景にあって, 地域資源の1つとして既存の公共インフラを活⽤して集客の⽬ ⽟に育てるという発想が芽⽣えたのは,ごく⾃然の流れではあ った.そして地域資源の構成要素が,単に物⾒⾼い⾃然の景観や 構築物だけではなく,それを取り巻くサービス事業者や地域の 有形無形の⽀援を含むことは⾔うまでもない.そこで観光業界 の発展の⻘写真とそれを⽀える財政⽀援に加え,地域のステー クホルダーの意⾒を取りまとめる⾏政の役割が⾮常に⼤きいと 共に,そこに参画する事業者や地域住⺠の参画意欲や進取の気 性なども⽋かすことができない.例えば官⺠共同による⽇本版 DMO の設⽴は,何もこの地域に限られた試みではない. しかしながらこのケースに関する限り,必ずしも中央集権的 なリーダーシップが特に機能したわけではなかった.というの は,愛媛県の着想の公式的説明は中村知事の就任が起点となる ことがしばしばだけれども,筆者が今治市観光課職員へのイン タビューから受けた印象としては,⾃転⾞活⽤への着想はそれ 以前からもあったし,今治市教育委員会でも体育振興としてレ ンタサイクルを設置していた.他⽅で「島地のお爺ちゃん・お婆 ちゃん」は農業・漁業をこれまで⽣業としており,観光地として 芸予諸島を盛り上げようという草の根的な運動もなかった.む しろ,観光客が増加して⾼速で⾛り抜ける⾃転⾞に恐怖すらし ていたとも⾔われる.また今治市の市街地でも,観光業を活性化 しようとする気運が特に盛り上がることもなかったという.む しろ個々のステークホルダーがそれぞれの⽴場から⾒える景⾊ が輻輳しつつ,全体として「サイクリストの聖地」ができあがっ ていったと⾒られるのである. このような地域ぐるみの⼤きな活動が組織化(organizing)され ていく過程を分析するならば,それに適した概念セットが必要 になる.例えばBakhtin によるポリフォニー論を社会変⾰の⽂脈 に適⽤することができそうである.ポリフォニーとは今⽇多声 性・声の複数性とも訳され,その理論的視座としては社会的空間 を劇場の舞台とみなし,そこに参加する⾏為主体の声が対話と なって響き合い,社会的現実としての⼤きな物語を紡ぎ出すと いう⽴場だと考えられる14. こうした発想は,すでに先進的な精神医療の現場で受け継が れている.医療者や患者ばかりではなく,家族や知⼈・友⼈など も含む社会的ネットワーク内の対話を重視するオープン・ダイ 共⽤による収益が課税対象でもないため,減価償却とは根本的に異なる 概念である. 14 訳語や定義は,『⽂化⼈類学研究』第 4 巻特集「<声>の複数性」の それを参考に,筆者独⾃に⾏なった.
アローグは,フィンランドにおいて統合失調症など従来は投薬 治療や施設収容などが必要とされた精神医療において効果があ るとされ,緩やかなエビデンスも提出されつつある[14].注⽬さ れるのは,患者の⼼を蝕む原因として⼼の声の輻輳性,およびそ の気持ちと社会的現実との葛藤が考えられる点である.私⾒で は,対話はこうした⼼の声の輻輳性を解きほぐし,それまで⾃分 ⾃⾝の内部で消耗するしかなかった気⼒が他者へ向けられるき っかけとなると考えられる. しまなみ海道の事例に準えてみると,まずしまなみ海道の中 興の祖とも⾔えるステークホルダーが複数いた.知事や県,市や その職員,企業や⼀般市⺠のそれぞれの⽴場では,背負っている 社会的役割期待,責任や権限とそれに伴う資源,組み込まれた社 会的ネットワークなどが異なるために,固有の世界観や問題意 識を有する.⾃⼰や他者に対するイメージも,必ずしも⼀致する わけではない.直接・間接の対話を通じて絡み付いた⼼の声の輻 輳性はまた,対話を通じてしか解きほぐすしかない. また今治市⺠や芸予諸島の住⼈から⾒れば「サイクリストの 聖地」というコンセプトは降って湧いたような話だった.今治市 はもとより産業都市であり,またこれまで第⼀次産業が経済基 盤であり,かつ⾼齢化が進んだ島嶼部は⽂化的に保守的な⼟地 柄だった.それらが次第に歓迎ムードへと転換し,観光業の遂⾏ 能⼒を拡充してきたわけである.もちろん地⽅⾃治において知 事の権限は⼤きく,それ故に台湾の⼤⼿⾃転⾞メーカーとの知 ⼰も得た.「⾃転⾞新⽂化」構想を全県で実施したこと,特に⾃ 転⾞道の松⼭市への延伸などによりしまなみ海道の観光資源と しての価値を増⼤させた.他⽅で知事が政財界のリーダー達を 巻き込んで⾃転⾞新⽂化の定着を図ろうとしたとしても,⼀般 市⺠への浸透には更なる努⼒が必要であった.今治市職員の細 やかな⽀援や官⺠協働の⽇本版 DMO 設⽴があったとは⾔え, 特に島嶼部の住⺠達にとって訪れる⽣活の⼤きな変化を理解す るには,⼀⼯夫必要である. ポリフォニー論と同様に,例えば Goffman のドラマツルギー 論も,社会的空間を1つの劇場とみなすものであったけれども, 個々の⾏為者が社会秩序の形成・維持にいかに貢献するかを説 明するもので,社会変⾰という視点は相対的に弱かった[15].む しろ⾏為者は社会から求められる役割期待を巧妙に演じること が眼⽬となる.しかし社会変⾰を実現するならば,そうした役割 期待の編み⽬から逸脱することが求められるが,そこには何か しらの動機づけが必要になる.上述のオープン・ダイアローグの 説明にある通り,対話によって⼼の声の輻輳性が解きほぐされ, 個⼈の⼼の内部で消耗気味だった気⼒が外部に向かうとすれば, それは⼤きな社会的ムーブメントの弾みとなり得る.産業都市 の住⺠として,また島地の⾼齢者として従来の社会秩序に閉じ られた⼈々の演技はより⼤きな物語の構築に解き放たれ,県外・ 海外からのサイクリスト達に向き合う気⼒となる.これが社会 ⾰新のダイナミズムに対して「⼼理的エネルギー」の供給源とな ると考えられるのである[16]. 以上の論点に限ったものではないが,地⽅創⽣が時代のキー ワードとなっている今⽇,この事例が1つのベンチマークとな る資格は⼗分にあり,その教訓が開かれた議論に供されること で⼈々の学びが促進されるとすれば,筆者らにとって望外の喜 びである. 参考⽂献 [1] 待兼⾳⼆郎「しまなみ海道が『サイクリストの聖地』になった理 由」『ダイヤモンドオンライン』2017-02-23. https://diamond.jp/ articles/amp/118998?display=b, 参照⽇ 2019-12-17. [2] 本州四国⾼速連絡道路株式会社『しまなみ海道』https://www.jb-honshi.co.jp/shimanami/, 参照⽇ 2019-12-17. [3] 本州四国連絡⾼速道路株式会社「データライブラリー・交通量」 https://www.jb-honshi.co.jp/corp_index/company/data/traffic.html,参照 ⽇ 2021-01-30. [4] 広島県『瀬⼾内海⼤橋完成記念イベントしまなみ海道’99 公式記 録集』1999. [5] 愛媛県『しまなみ海道 10 周年記念事業愛媛県実⾏委員会記録集』 2009. [6] 愛媛県議会「平成 23 年第 324 回・第 325 回定例会議事録」https:// www.kensakusystem.jp/ehime/. [7] 尾道市産業観光部「サイクリングを活⽤した観光振興の取り組 みについて」⼊⼿⽇ 2019-02-19. [8] 愛媛県今治市「サイクリング施策紹介資料」⼊⼿⽇ 2019-11-07. [9] しまなみ海道⾃転⾞道利⽤促進協議会広島事業本部 https:// shimanamiriyouh.wixsite.com/shimanamiriyouh,参照⽇ 2019-12-17. [10] 岡⼭県倉敷市「倉敷市観光振興アクションプラン 観光都市『く らしき』の復活を⽬指して!〜滞在型観光推進に向けた感動体 感のまち「くらしき」づくり〜」https://www.city.kurashiki.okayama. jp/secure/93185/actionplan.pdf, 参照⽇ 2021-02-06. [11] ⽯井淳蔵『マーケティングの神話』岩波書店, 2004. [12] 国⼟交通省「道の駅案内」https://www.mlit.go.jp/road/Michi-no-Eki/third_stage_index.html, 参照⽇ 2021-02-06. [13] ジャパンシステム株式会社「公共施設マネジメントの現状と課 題について」https://www.japan-systems.co.jp/column/public_ organization/detail/public_organization_detail_1660.html, 参照⽇ 2021 -02-06. [14] ⻫藤 環『オープンダイアローグがひらく精神医療』⽇本評論社, 2019. [15] 藤井⼤児『技術的イノベーションのマネジメント:パラダイム⾰ 新のメカニズムと戦略』中央経済社,2017. [16] 伊丹敬之・加護野忠雄『ゼミナール経営学』⽇本経済新聞出版社, 2003.