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経済経営研究 Vol.34 No 年 9 月日本政策投資銀行設備投資研究所 企業の調達流動性に影響を与える要因について 田中茉莉子 ( 明海大学経済学部 ) 本論文は 筆者が日本政策投資銀行設備投資研究所嘱託職員および東京大学大学院経済学研究科附属日本経済国際共同研究センター (CIR

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シェア "経済経営研究 Vol.34 No 年 9 月日本政策投資銀行設備投資研究所 企業の調達流動性に影響を与える要因について 田中茉莉子 ( 明海大学経済学部 ) 本論文は 筆者が日本政策投資銀行設備投資研究所嘱託職員および東京大学大学院経済学研究科附属日本経済国際共同研究センター (CIR"

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経済経営研究

Vol.34 No.3 2013 年 9 月 日本政策投資銀行設備投資研究所

企業の調達流動性に影響を与える

要因について

田中茉莉子

(明海大学経済学部)

本論文は、筆者が日本政策投資銀行設備投資研究所嘱託職員および東京大学大学院経済学研究科附属日本 経済国際共同研究センター(CIRJE)在籍中に作成した論文を改訂したものである。 ご指導頂いた福田慎 一教授(東京大学)、 日本金融学会で討論者をお引き受け頂いた石原秀彦准教授(専修大学)、 実務の観 点からコメントを頂いた松嶋一重部長(日本政策投資銀行法務・コンプライアンス部)、 日本政策投資銀 行設備投資研究所主催の応用経済学ワークショップおよびフリートーキングの出席者、 明海大学ワークシ ョップの出席者に感謝する。 ただし、内容や意見は著者個人に属し、残された誤りはすべて著者が負うも のである。

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Determinants affecting firms’ funding liquidity

Economics Today, Vol.34, No.3, September, 2013 Mariko TANAKA

Faculty of Economics Meikai University

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iii

要 旨

投資プロジェクトを実行中の企業が、流動性ショック、すなわち突然の外生的な資金需 要に直面すると、資金を十分調達できずに社会的に価値のある事業の継続を断念すること がある。このため、企業は通常、流動性ショックの発生に備えて事前に流動性資産を保有 している。しかし、1997 年から 1998 年にかけて発生した日本の金融危機や 2007 年以降の 世界的金融危機で観察されたように、予想を超える大規模な流動性ショックが発生する場 合には、事前に蓄積した流動性資産の売却だけでは対応することができなくなり、企業は 事業の中止を余儀なくされる。本論文では、流動性ショック発生後の企業の追加的な資金 調達に影響を与える要因について整理・考察する。 本論文では、まず、流動性ショックに直面する企業の流動性需要を分析した、Holmström and Tirole(1998)を紹介することにより、企業のモラル・ハザードに基づく投資家と企業 の利害対立が存在すると、流動性ショックの発生時に企業が十分に資金調達できなくなる ことを明らかにする。次に、企業のモラル・ハザード以外の資本市場の要因が企業の資金 調達に影響を与えるメカニズムを分析した論文として、石原(2002)を紹介する。石原(2002) においては、過重債務問題に関する不完備契約が企業の流動性不足を発生させる要因であ ることを明らかにする。 従来の研究は、企業の資金調達に影響を与える要因が資本市場に内在する状況、つまり 資本市場における投資家の行動が企業の意思決定に影響を与える状況に着目してきた。し かし、企業にとって、企業に資本を供給する投資家だけではなく、労働力を供給する従業 員も、企業の意思決定に影響を与える重要なステークホルダーである。そこで、本稿の後 半では、企業の資金調達に影響を与える要因が労働市場に存在する状況について考察する。 特に、労働市場の制度的要因として、労働者に対する賃金の支払いが他の債権に対する支 払いよりも優先される傾向にあるという「労働債権の優先性」に着目した田中(2012)を 紹介する。そこでは、流動性ショック発生時に、多額の労働債権の存在が企業の資金調達 に影響を与える一つの重要な要因となり得ることが明らかにされる。その上で、労働者と 投資家との間の交渉力に基づく人件費の重い負担(レガシーコスト)が企業の資金不足を 悪化させる可能性があることを指摘する。 最後に、流動性ショックによって企業がプロジェクトの価値に見合う資金を調達できな くなる場合における政府の役割に言及する。今回の世界的金融危機では、金融市場の大混 乱で市場全体が流動性不足に陥り、企業が民間取引だけで流動性を確保することはできな くなった。そこで、最終的に、政府による救済や中央銀行による非伝統的金融政策が実施 された。このような政府による流動性供給の有効性は、政府が民間にはない徴税能力を備 えていることに由来している。本論文では、企業の資金調達に影響を与える要因が資本市

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場に内在する Holmström and Tirole(1998)のケースにおいても、労働市場に存在する田中 (2012)のケースにおいても、流動性ショック発生時の政府による流動性供給が企業の事 業継続に対して有効となることが確認される。

キーワード:流動性不足、市場流動性、貯蓄手段としての流動性、調達流動性、資本市場 と労働市場に関する要因、流動性供給

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目 次

1 イントロダクション ... 1 2 金融危機下の日本における流動性不足 ... 3 2.1 日本の金融危機(1997 年-1998 年) ... 4 2.1.1 市場流動性 ... 5 2.1.2 貯蓄手段としての流動性 ... 6 2.1.3 調達流動性 ... 6 2.2 世界的金融危機(2007 年夏以降) ... 7 2.2.1 市場流動性 ... 8 2.2.2 貯蓄手段としての流動性 ... 10 2.2.3 調達流動性 ... 11 3 流動性に関する先行研究 ... 12 3.1 市場流動性 ... 12 3.2 貯蓄手段としての流動性 ... 13 3.3 金融機関の調達流動性と市場流動性 ... 13 4 資本市場の要因が企業の調達流動性に影響を与える場合 ... 15

4.1 Holmström and Tirole(1998)の紹介 ... 16

4.2 石原(2002)の紹介 ... 17

4.3 Diamond and Dybvig(1983)との関係 ... 20

5 労働市場の要因が企業の調達流動性に影響を与える場合 ... 21 5.1 モデルの設定 ... 23 5.2 労働債権の優先性が存在しない場合(最適な経済) ... 25 5.3 労働債権の優先性が存在する場合 ... 25 6 中央銀行・政府による流動性供給 ... 26 6.1 市場流動性 ... 27 6.2 金融機関の調達流動性 ... 28 6.3 企業の調達流動性 ... 29 6.4 流動性供給の役割 ... 30 7 結論 ... 31 参考文献 ... 32

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1 イントロダクション

流動性は柔軟性や即時性という性質を表す概念であり、このような性質を備えた流動性 資産は、突然の外生的な資金需要、すなわち流動性ショックに対して低い取引コストで速 やかに換金でき、資金需要を確実にカバーできる資産を意味する(齊藤・柳川編、2002)。 流動性が適正水準であるならば、流動性は経済活動にとって問題とならないが、流動性が 適正水準を上回る場合には過剰流動性、下回る場合には流動性不足が問題となる。特に、 2007 年以降の世界的金融危機では、非流動性、すなわち流動性が極端に低下し、流動性資 産が不足する状態が問題となった。 Tirole(2011)は、世界的金融危機が深刻化する過程で短期金融市場や社債市場等市場の 凍結(market freezes)、資産の投げ売り(fire sales)、危機の伝播(contagion)、支払不 能(insolvencies)、そして救済(bailouts)といった、非流動性をめぐる様々な現象(Illiquidity and All Its Friends)が観察されたことを踏まえ、今回の世界的金融危機を「大規模な流動 性不足(massive illiquidity)」と特徴づけている。このような流動性の急速な低下は、齊 藤・柳川編(2002)のイントロダクションで指摘されているように、1987 年のブラックマ ンデー、1997 年の東アジア危機、1998 年のロシア危機やヘッジ・ファンド危機、そして 1997 年から 1998 年にかけて日本で発生した金融危機等においても発生し、金融市場の混 乱の一因となった。 流動性は様々な金融現象に深く関わっているため、それぞれの文脈を反映して多義的な 概念となっている。特に、流動性資産及び市場流動性は企業の調達流動性とは異なる流動 性概念である。このため、本論文では、流動性概念を「市場流動性」、「貯蓄手段としての 流動性」、そして「調達流動性」に大きく分類し、この分類に基づいて先行研究を整理した 上で、企業の調達流動性が低下するメカニズムを明らかにする。 石原(2013)は、銀行の要求払い預金による流動性供給と銀行取付の可能性を分析した Bryant・Diamond・Dybvig モデルを紹介する中で、多様な流動性概念が登場することを明 らかにしている。まず、最初期の時点では、「流動性需要」、すなわち、預金者が将来予想 される緊急の資金ニーズに備えて利用可能な貯蓄手段を確保しようとする動機が発生する。 銀行が存在しない場合、各消費者は、貨幣を保有するか、あるいは長期投資を行い、長期 投資を行った消費者が中間期に緊急の資金ニーズに直面すると、長期投資を債券化した長 期債券を他の消費者に売却することとなる。一方、銀行が存在する場合には、銀行が預金 者から集めた預金を貨幣と長期投資で運用し、預金者に対して要求払い預金を供給する。 したがって、このモデルでは、流動性需要を満たす貯蓄手段として、貨幣、長期債券、そ して要求払い預金という「流動性資産」が存在する。要求払い預金は、消費のタイミング の不確実性に対する最適な保険としての機能を備えている。しかし、銀行の支払い能力に 関して預金者の疑念が生じると、最終期に預金を引き出すはずの預金者が中間期に引き出 すため、銀行取付が発生する。このような取付の背景にある預金者の過大な割引率は、長 期債券の売却価格が低下することによって本来の価値との乖離が縮小する「市場流動性」 の低下や銀行が保有資産の割引現在価値に見合った資金を調達できなくなる「調達流動性」 の低さを反映したものと解釈される。なお、調達流動性には、以上のような流動性ショッ ク発生後の事後的な資金調達能力の他に、クレジットラインのように事前の契約で確保さ れるものが存在する。最後に、取付を防止する事後的な政策として、中央銀行による「流 動性供給」が挙げられている。「流動性供給」は、事前の流動性需要に対応した貯蓄手段と

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しての流動性資産の供給ではなく、金融機関の調達流動性に対応した支払い手段としての 貨幣の供給を意味するものである。 石原(2013)は、銀行による要求払い預金の供給とその脆弱性という観点から流動性概 念を整理した論文であるが、トレーダー(ディーラー、ヘッジ・ファンド、投資銀行等) の「市場流動性」と「調達流動性」の相互作用に焦点を当てた論文として、Brunnermeier and Pedersen(2009)が挙げられる。この論文では、「市場流動性」は債券の売買価格と ファンダメンタルズとの乖離、「調達流動性」はマージンやヘアカットで表される資本のシ ャドーコストと定義されている。調達流動性が低下すると、トレーダーがマージンの高い 債券への投資を控えるため、市場流動性が低下する。市場流動性の低下によって債券価格 のボラティリティが高まると、ボラティリティ上昇の原因が流動性ショックとファンダメ ンタルズのどちらであるかを特定できない金融業者がボラティリティに対する予想を上方 修正してマージンを上昇させる。マージンの上昇は、トレーダーの調達流動性をさらに低 下させるため、「マージンスパイラル」と呼ばれる流動性スパイラルが発生する。また、ト レーダーが顧客の需要ショックと負の相関関係にある多額の初期ポジションを保有してい る場合、市場流動性の低下はトレーダーのポジションに損失を発生させる。調達流動性の 低下によってトレーダーが債券を売却すると、債券価格の下落によって市場流動性がさら に低下するため、「ロススパイラル」と呼ばれる流動性スパイラルが発生する。このように、 市場流動性と調達流動性との間に相互依存関係が存在する場合には、2 種類の流動性スパイ ラルによって、流動性の急速な枯渇など非流動性に関する様々な現象が発生することが示 されている。 以上の研究は、いずれも銀行やトレーダーという金融部門の流動性を分析したものであ る。金融部門での流動性不足は、企業の資金調達を通じて、実物部門にも影響を与え得る。 例えば、今回の世界的金融危機のような流動性ショックの発生後には、企業が事業の割引 現在価値に見合った資金を調達できなくなる「企業の調達流動性」の低下が個別企業にと っても、社会的にも、深刻な問題になる可能性がある。そこで、本論文では、「企業の調達 流動性」、すなわち投資プロジェクトの割引現在価値と資金調達可能額との乖離に着目する。 投資プロジェクトを実行中に流動性ショックが発生し、追加的な資金調達が必要となる状 況であっても、企業が事業の割引現在価値に見合った資金を調達できるのであれば、事業 を常に継続できるため、流動性ショックの発生は問題とならない。しかし、現実には、割 引現在価値がプラスの社会的に望ましい事業であっても、流動性ショックが発生すると、 何らかの理由で調達流動性が低下し、追加的資金を十分調達できずに、事業の継続を断念 することがある。例えば、中村・福田(2008)は、1995 年度から 2004 年度までの日本経 済を対象として、収益性基準(最低支払利息を支払えるか否か)及び金融支援基準(金利 減免を受けているか否か、または新規貸出があるか否か)に基づいて「ゾンビ企業」と判 定された企業の大半が外的マクロ経済環境の急速な改善、リストラ、ガバナンスを通じて 健全企業に復活したことを明らかにしている。このことは、投資プロジェクトの割引現在 価値がプラスであっても、流動性ショックによって一時的に「ゾンビ」企業に分類される 企業が存在していたことを示唆している。 ただし、企業は通常、流動性ショックの発生に備えて流動性資産を保有しており、流動 性ショックが発生しても、ショックの規模が想定内であれば、企業は、事前に蓄積した流 動性資産を換金することによって、流動性不足を回避できるため、上記のような調達流動 性の問題は発生しないかもしれない。しかし、企業の資産の大半が非流動性資産、すなわ

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ち土地・建物など長期にわたり収益をもたらすものの、短期的に換金できない固定的な資 産である場合には、流動性ショックに伴う突然の資金需要に迅速に対応できなくなる。ま た、企業が保有する流動性資産の市場流動性が極端に低下し、流動性ショックの規模が企 業の事前予想以上に大きくなると、企業は、事前に蓄積した流動性資産を売却しても資金 需要を満たすことができなくなり、事業の中止を余儀なくされることとなる(Holmström and Tirole, 2011)。例えば、堀・安藤(2002)は、1970 年代から 2000 年までの日本の製 造業を対象とした時系列データを用いて、流動性資産が企業の設備投資や生産等の企業行 動に与える影響を分析し、売上高から流動性資産へ、流動性資産から設備投資へ、そして 設備投資から売上高へのGranger 因果性が存在することを実証的に明らかにしている。 本論文の構成は以下の通りである。第 2 節では、第 4 節以降の理論的な分析に先立ち、 1997 年から 1998 年にかけて発生した日本の金融危機と 2007 年以降の世界的金融危機下の 日本において、流動性の問題がどのように顕在化したのかを概観する。第 3 節では、企業 の調達流動性以外の流動性概念として、市場流動性、貯蓄手段としての流動性、そして金 融機関の調達流動性に関する先行研究を紹介する。 第4 節と第 5 節では、流動性ショックが企業の調達流動性に影響を与えるメカニズムを 資本市場と労働市場の両面から検討する。第 4 節では、資本市場に関する要因が企業の資 金調達に影響を与える状況を分析する。そこでは、企業のモラル・ハザードに基づく投資 家と企業家の利害対立に着目したHolmström and Tirole(1988)や過重債務問題に関する 不完備契約に着目した石原(2002)等の研究を紹介する。また、第 5 節では、労働市場の 要因によって企業の資金繰りが制約され得る状況について考察する。そこでは、「労働債権 の優先性」すなわち、労働者に対する賃金の支払いが他の債権に対する支払いよりも優先 される傾向にあるという労働市場の制度的要因が流動性ショック発生後に企業の資金繰り に与える影響を分析する。 なお、労働債権の優先性は、労働法の基本原則であり、重要な理念ではあるものの、制 度の運用上、必ずしも遵守されているわけではない。このため、第 5 節では、労働債権の 優先性の限界にも言及する。その一方で、例えば、JAL の再建に際して、退職者の年金カ ットが大きな争点となった事例が示唆するように、労働債権の保護は事業再生における重 要な課題と考えられる。そこで、法律による正規雇用者の保護が企業再生の大きな足かせ となっていることを明らかにした論文として山崎・瀬下(2013)を紹介する。また、労働 者と投資家との間の交渉力に基づく人件費の重い負担(レガシーコスト)が企業の資金不 足を悪化させる可能性があることを示したMonk(2008)を紹介する。 第 6 節では、世界的金融危機において、政府による救済や中央銀行による非伝統的金融 政策が実施されたことを踏まえて、資本市場に内在する要因と労働市場に関する要因が企 業の資金調達に影響を与える場合の中央銀行・政府の役割について考察する。最後に、第7 節で結論が示される。

2 金融危機下の日本における流動性不足

理論的分析に先立ち、本節では、1997 年から 1998 年にかけて進行した日本の金融危機 と2007 年 8 月のサブプライムショックに端を発する世界的金融危機という 2 つの金融危機 を対象として、日本における流動性不足を概観する。

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2.1 日本の金融危機(1997 年-1998 年) 本節では、小峰編(2011)に沿って、日本の金融危機の概要を紹介した上で、市場流動 性、貯蓄手段としての流動性、そして調達流動性の問題がどのように顕在化していたかを 明らかにする。 日本の金融危機では、北海道拓殖銀行や山一證券といった大規模金融仲介機関が破綻あ るいは廃業に追い込まれるとともに、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行という日本の 長期金融の担い手も破綻し、金融市場は大混乱に陥った。 無担保コール市場では、1997 年 11 月 3 日の三洋証券の破綻をきっかけとして、初めて デフォルトが発生した。三洋証券は、バブル期の積極経営とノンバンク子会社である三洋 ファイナンスがバブル期に行った不動産関連融資の不良債権化でバブル崩壊後、経営難に 陥っていた。1994 年 3 月 17 日には、メインバンクによる金利減免等からなる再建 9 ヵ年 計画が策定されたものの、不良債権処理は計画通りに進まず、救済策が見つからないまま、 1997 年 10 月 31 日に劣後ローンの延長期限が到来した。資金繰りに行き詰まった三洋証券 は、11 月 3 日に会社更生法の適用を申請し、その翌日にコール市場と債券レポ市場でデフ ォルトが発生した。三洋証券の破綻は、北海道拓殖銀行の破綻等多くの金融機関に影響を 与えた。 北海道拓殖銀行の破綻は、戦後初の都市銀行の破綻であった。同銀行は1989 年から 1990 年にかけて計画・策定された「たくぎん21 世紀ビジョン」において、特に「企業成長・不 動産開発支援(インキュベーター)」を中心的な営業戦略としていた。バブルが崩壊すると、 北海道拓殖銀行は多額の不良債権を抱えたが、カブトデコムとソフィアに対する延命のた めの資金投入や不良債権の「飛ばし」を行いながら融資を継続した。1997 年になると、銀 行株が軒並み安値を更新したことで、大口の機関投資家や一般利用者による預金の解約が 殺到した。三洋証券が破綻して、無担保コール市場が大混乱に陥ると、各金融機関のクレ ジットラインが急速に縮小し、コール市場での資金調達は困難となった。このため、北洋 銀行に対する営業譲渡が行われ、北海道拓殖銀行は1997 年 11 月 17 日に破綻した。 北海道拓殖銀行の破綻から1 週間後の 1997 年 11 月 24 日、山一證券が破綻した。山一證 券は、運用利回り保証、損失補てん、一任勘定で発生した損失の引き受け、そして買い戻 し保証付き株式の販売を行っており、これらが発覚すると、山一證券の株価は下落した。 さらに、主幹事として資金を提供していた北海道拓殖銀行が破綻し、資金繰りが悪化した。 三洋証券の破綻による無担保コール市場の大混乱や山一證券への信頼失墜によって、コー ル市場で資金を調達できなかったことに加えて、日本銀行からの特別融資が認められなか ったため、山一證券は、自主廃業を申請することとなった。 日本の長期金融の担い手であった日本長期信用銀行と日本債券信用銀行も、バブル期の 積極的融資がバブル崩壊後に不良債権化し、経営破綻に至った。日本長期信用銀行は、設 備投資資金等の長期資金の安定供給を目的として設立され、当初は鉄鋼、電力、石炭、海 運に融資を行っていたが、バブル末期には、流通、サービス、建設、不動産、住宅金融専 門会社を中心とする金融業・保険業向けの貸出シェアが高まっていた。バブル崩壊で多額 の不良債権が発生し、1998 年 3 月には、公的資金が注入された。6 月に経営危機が報じら れると、株価が急落して額面割れが発生し、政府主導の救済策が講じられることとなった。 最終的に、日本長期信用銀行は、1998 年 10 月 23 日に破綻して一時国有化された。 日本債券信用銀行は、不動産抵当貸付を中心とする日本不動産銀行を前身としており、

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バブル末期には、ノンバンクや不動産業に対する積極的な融資を行った。バブルが崩壊す ると、多額の不良債権が発生したため、保有株式の売却や債権買収機構等の活用で経営健 全化が図られた。1997 年 3 月に全支店の売却や奉加帳増資が行われ、1998 年 3 月には公 的資金が注入されたが、この間、不良債権処理は行われなかった。このため、1998 年 12 月に、日本債券信用銀行は一時国有化された。 以下では、日本の金融危機下での市場流動性、貯蓄手段としての流動性、そして調達流 動性について概観する。 2.1.1 市場流動性 日本の金融危機では、バブル期に積極的な不動産関連融資を行っていた複数の金融仲介 機関がバブル崩壊後に多額の不良債権を抱えて破綻すると共に、日本の投資家がバブル期 に積極的な海外投資を行っていたことで資金が海外に流出していたため、日本の金融市場 は資金不足の状態にあった。そこで、日本の金融機関は、海外の金融市場で資金調達を行 うこととなった。しかし、日本の会計が取得原価主義に基づいており、日本の値下がりし た不動産や株の含み損に対する海外の金融市場の評価が厳格化していた。このため、日本 の金融機関は市場金利にジャパン・プレミアムが上乗せされた、市場金利よりも高い金利 の支払いを要求されることとなった。 図1 は、日本銀行により公表されているジャパン・プレミアムのデータを 1997 年 1 月か ら2004 年 12 月までプロットしたものである。この図は、1997 年前半には 0.1%前後で推 移していたジャパン・プレミアムが1997 年 11 月には 0.7%近くまで急騰していることを示 している1 <図1 ジャパン・プレミアム> 前述の通り、1997 年 11 月 3 日の三洋証券の破綻を契機として、無担保コール市場では 初めてのデフォルトが発生した。さらに、ジャパン・プレミアムの発生で海外の金融市場 での資金調達も困難となり、コール市場は大混乱に陥った。コール市場で資金調達を行え なくなった北海道拓殖銀行が11 月 17 日に破綻し、その主幹事である山一證券も、11 月 24 1 ジャパン・プレミアムのデータは日本銀行ホームページ「更新停止/旧基準統計など」で 公開されているジャパン・プレミアム (2004 年 12 月まで)の時系列データを参照。

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日に自主廃業を余儀なくされることとなった。このように、大規模金融仲介機関が相次い で破綻したことを受けて、ジャパン・プレミアムは、11 月には 0.657%、12 月にはピーク の0.687%を記録した。 1998 年に入ると、財政政策や公的資金の投入により、ジャパン・プレミアムは一時的に 0.2%前後に低下したものの、1998 年 6 月には再び 0.375%へと急騰し、1998 年 10 月には 0.655%を記録した。しかし、1999 年 2 月にゼロ金利政策が導入されると、翌 3 月にはジ ャパン・プレミアムが0%に低下し、日本銀行によりデータの更新が停止される 2004 年 12 月まで0%前後の水準が維持された。したがって、ゼロ金利政策及び 2001 年 3 月に開始さ れた量的緩和政策によって、ジャパン・プレミアムが解消され、金融市場は正常化したと いえる。 2.1.2 貯蓄手段としての流動性 金融危機で市場が混乱している状況では、流動性ショックに備えて、企業は自ら流動性 資産を蓄積すると考えられる。図 2 は、日本銀行の主要企業短期経済観測調査に基づき、 1990 年 3 月期から 2006 年 12 月期までの日本企業の手元流動性比率の四半期データをプロ ットしたものである。ここでの手元流動性比率は、四半期末現金・預金残高と四半期末短 期所有有価証券残高の合計の、当該四半期末残高が属する年度の月平均売上高に対する割 合として計算されている。この図は、1997 年以降、企業の手元流動性比率が上昇している ことを示している。堀・安藤(2002)は、1997 年の金融危機以降、日本企業の手元流動性 比率が一時的に上昇したことを指摘し、この原因が流動性リスクに備えた予備的需要の増 加あるいはハイリスクのプロジェクトから流動性の高い資産への逃避にあるのではないか と推察している。2000 年 3 月期以降は、手元流動性比率が低下しており、ゼロ金利政策の 下で金融市場が安定化してきたことを反映していると解釈できる。 <図2 日本企業の手元流動性比率(1995 年-2006 年)> 2.1.3 調達流動性 日本の金融危機では、市場の流動性不足よりも、むしろ銀行の不良債権問題が深刻であ り、一部の非効率な大企業に追い貸しが行われる一方、中小企業向けを中心とする貸し渋 りも発生していた(福田, 2009)。図 3 は、日本銀行の短期経済観測調査に基づき、1995 年

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3 月期から 2006 年 12 月期までの銀行の貸出態度の四半期データをプロットしたものであ る。この図は、1997 年の金融危機直後、銀行の貸出態度が悪化したことを示している。 <図3 銀行の貸出態度(1995 年-2006 年)> 鯉渕・福田(2007)は、日本の金融危機で破綻し、類似の融資先を保有していた日本長 期信用銀行(長銀)と日本債券信用銀行(日債銀)の顧客企業に着目し、破綻後の両行の 経営戦略の相違が大企業及び中小企業の顧客企業の収益性に与えた影響を分析している。 同論文は、長銀が健全な企業のみに貸出を継続する「ショック療法」を採用したことによ り、顧客企業の短期的な倒産件数が劇的に増加した一方、日債銀は債務超過企業に対する 融資も継続する「ソフトな予算制約」を採用したことにより、顕著な倒産件数の増加が見 られなかったことを指摘している。また、不良債権問題を抱えた長銀がショック療法を行 ったことによって、存続した大企業の利益率を改善させた一方、中小企業の利益率にはプ ラスの影響をもたらさなかったことを明らかにしている。このため、銀行-企業間の安定 的な融資関係は、特に代替的な資金調達手段を利用できない中小企業が流動性ショック発 生後に事業を継続する上で重要な役割を果たしているといえる。したがって、図 3 が示す ような銀行の貸出態度の悪化による貸出市場の縮小は、流動性ショックに直面した企業、 特に中小企業が銀行からの融資によって調達流動性を確保することが困難な経済環境であ ったことを示唆している。 しかし、1998 年 12 月期以降になると、銀行の貸出態度に改善傾向が見られる。福田 (2009) は、1999 年 2 月からのゼロ金利政策が短期金融市場のリスク・プレミアムを縮小させたこ と、そして2001 年 3 月からの量的緩和政策が市場のリスク・プレミアムをほぼ取り除き、 流動性リスクや信用リスクを低下させる上で大きな役割を果たしたことを指摘している。 したがって、日本の金融危機においては、一時的に市場のリスク・プレミアムが高まり、 銀行の貸出態度が悪化したものの、1990 年代後半から 2000 年代初頭にかけて実施された、 信用緩和政策としての非伝統的金融政策により、金融システムが安定化し、銀行の貸出態 度が回復したといえる。ただし、福田(2009)は、2007 年以降の世界的金融危機と異なり、 日本の金融危機には不良債権問題という金融市場の構造的な問題が存在していたため、非 伝統的金融政策の効果は限定的であったと述べており、解釈には注意が必要である。 2.2 世界的金融危機(2007 年夏以降) 前節で紹介した日本の金融危機では、企業の調達流動性の低下を伴う銀行の不良債権問

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題が日本における主要な論点であった。一方、世界的金融危機では、欧米を中心とした金 融市場における市場流動性の低下が深刻な問題となっていた。そこで、本節では、植田(2010) の第5 節「危機の波及」及び林(2010)の第 2 節「世界金融危機の発生と拡大の経緯」に 沿って、市場流動性が枯渇する経緯を説明した上で、貯蓄手段としての流動性、そして調 達流動性の問題が日本でどのように顕在化していたかを明らかにする。 2.2.1 市場流動性 林(2010)は、サブプライム問題が顕在化した 2007 年 8 月以前を「正常期」、2007 年 8 月からリーマン・ブラザーズが破綻した2008 年 9 月中旬までを金融市場の「混乱期」、そ して2008 年 9 月中旬以降を「金融危機」の時期と分類している。 金融市場の「混乱期」は、BNP パリバ傘下の投資ファンドが償還凍結を発表したパリバ・ ショックを契機として始まるが、サブプライム・ローン問題はそれ以前から存在していた。 植田(2010)の第 5 節では、サブプライム・ローン関連の金融商品の値下がりによって金 融危機が発生し、波及していったプロセスを整理している22006 年末にアメリカの住宅価 格が下落に転じると、2007 年初めにはサブプライム・ローン関係の焦げ付きが増加し始め ると同時に、サブプライム関連の証券化商品の価格が下落した。このため、証券化商品に 投資していたファンドは打撃を受け、5 月には、UBS が傘下の投資ファンドを解散し、6 月には、ベアー・スターンズ傘下のヘッジ・ファンドが経営危機に陥った。7 月に入ると、 ABCP 市場の機能も急低下し、ドイツ IKB 産業銀行の関連コンデュイットが ABCP を借換 できずに、IKB からも流動性補完を受けられなくなる事態が発生した。そして、8 月にパリ バ・ショックが発生すると、金融市場全般でリスク・プレミアムが一気に上昇し、流動性 問題が深刻化した。 2008 年 1 月に、証券化商品への保証を行っていたモノライン保険会社のアムバックが格 下げされると、証券化商品や地方債へ格下げが波及し、CP 市場の主要な買い手である MMF が投資を控える懸念が高まったため、サブプライム関連の証券化商品の価格が一層下落し た。エージェンシー債の価格急落で 3 月にカーライル・キャピタルが経営危機に陥ると、 カーライル・キャピタルに融資を行うと共に、自らも大量のエージェンシー債を保有して いたベアー・スターンズが実質倒産し、JP モルガンに吸収合併された。また、エージェン シー債やエージェンシーMBS の価格下落によって、9 月には GSE2 社が公的管理下に置か れた。同月には、リーマン・ブラザーズが倒産し、金融市場の混乱が金融危機へと拡大し た。 林(2010)の第 2 節では、リーマン・ショック以降の金融市場の動向を整理している3 2008 年 9 月 15 日に、リーマン・ブラザーズが破綻すると共に、メリル・リンチのバンク・ オブ・アメリカによる買収が発表された。すると、金融機関の財務状態の健全性に対する 金融機関同士の不信感の高まりから、短期金融市場では、流動性不足やリスク・プレミア ムの高騰が発生した。9 月 16 日には、AIG が経営危機に陥り、FRB の緊急資金融資によっ て破綻を免れたものの、市場全体のカウンターパーティー・リスクに対する認識を強める 2世界的金融危機の発生・波及の背景や政策対応等については植田(2010)を参照。 3世界的金融危機において実施された、各国の金融システム安定化策や金融・財政政策の 詳細とそれらの効果については林(2010)を参照。

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こととなった。金融機関の信用リスクの上昇を反映して、リーマン・ショック後から投資 銀行の株価は急落し、アメリカの主要金融機関のCDS スプレッドも跳ね上がった。 カウンターパーティー・リスクや流動性リスクを表す指標として、LIBOR から短期国債 の金利を差し引いたTED スプレッドが挙げられる。図 4 は、FRB of St. Louis の Federal Reserve Economic Data に収録されている「3-Month London Interbank Offered Rate (LIBOR), based on U.S. Dollar」及び「3-Month Treasury Bill(Secondary Market Rate)」 に基づき、2007 年 1 月から 2011 年 12 月までの TED スプレッドの月次データをプロット したものである。 <図4 TED スプレッド(2007 年-2011 年)> この図は、まず、2007 年 8 月のパリバ・ショック発生直後、金融市場全般でリスク・プ レミアムが一気に上昇したことを反映して、TED スプレッドが約 0.5%から約 1.3%へと急 上昇していることを示している。その後も、2007 年末にかけて、流動性問題が深刻化する 中で、2%近くにまで上昇を続けている。いったん 1%台に低下するものの、2008 年 3 月に ベアー・スターンズが実質的に経営破綻し、JP モルガンに吸収合併されると、再び 1.5% まで上昇している。このように、金融市場の「混乱期」には、TED スプレッドは、1%から 2%の間で推移していた。しかし、2008 年 9 月にリーマン・ショックが発生し、金融市場 が「混乱期」から「金融危機」に転じると、8 月の段階で約 1%であった TED スプレッド は、9 月に約 2%、10 月には約 3.5%と急拡大した。 さらに、米国の家計が預金代わりに使っているMMF では取付が発生し、MMF から資金 調達をしていたホールセール・バンクの資金繰りが悪化しただけではなく、MMF からの資 金供給に依存していたCP 市場では、翌日物等極めて短い期間の CP を除く CP の新規発行 が困難となった。また、格付けの低い社債を中心に社債スプレッドも拡大した。したがっ て、アメリカの金融市場では、リーマン・ショックを契機として、金融機関の財務状態の 健全性に関する疑心暗鬼が流動性を枯渇させ、金融機関及び企業の資金調達に悪影響を与 えたといえる。 欧州の金融市場もサブプライム・ローン問題の直接的な影響を受けて混乱していたが、 リーマン・ショックが発生すると、金融危機は一層深刻化した。大手金融機関が経営不安 や資金繰りの悪化に直面し、欧州金融機関のCDS スプレッドの急上昇やユーロ建て及びポ ンド建てのLIBOR-OIS スプレッドの急拡大が観察された。そこで、例えば、ロイズ TSB によるHBOS の救済買収、ドイツ政府によるハイポ・リアル・エステートへの支援、フォ ルティスやデクシアへの公的資金の注入等が実施された。

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このような欧米を中心とした金融危機は、金融機関の活動のグローバル化と国際金融・ 資本市場の統合が進行する中で、新興国にも波及した。金融危機の深刻化によって欧米の 金融機関がリスク回避的になり、相対的にリスクの高い新興国の株式等の危険資産から先 進国の国債等の安全資産に投資先をシフトさせる「質への逃避」が発生した。また、欧米 の金融機関やヘッジ・ファンドは、高レバレッジを解消するために、新興国に保有する資 産の圧縮も行った。こうして、新興国では、「質への逃避」と「高レバレッジの解消」によ って株価や通貨が大幅に急落し、欧米を中心とした金融市場の混乱が世界的な金融危機へ と発展することとなった。 世界的金融危機は、信用収縮を通じて各国の実体経済を悪化させた。特に、震源地のア メリカでは、リーマン・ショック後の2008 年第 4 四半期及び 2009 年第 1 四半期の実質 GDP 成長率がそれぞれ-5.4%、-6.4%となり、戦後最大のマイナス成長を更新した。雇 用も2007 年末から 22 ヶ月間連続して減少し、戦後最長となった。失業率は、5%前後から 10.1%へと急上昇した。また、欧州では、ユーロ圏の 2009 年第 1 四半期の実質 GDP 成長 率が前期比年率-9.5%となり、過去最大の減少を記録した。イギリス、スペイン、アイル ランド等では、自国の住宅バブル崩壊の影響も加わった。さらに、中東欧諸国は、西欧の 金融機関からの借入が多い国を中心に、厳しい景気後退に直面した。このように、市場流 動性の低下が欧米諸国の実体経済に与えた影響は深刻であった。実体経済の悪化は、不良 債権の増加を通じて金融機関のバランスシートを毀損させ、金融危機をさらに深刻化させ る可能性がある。そこで、欧米諸国では、金融市場を安定化させるために、金融機関に対 する公的資本注入や流動性供給等の措置が次々と講じられることとなった。 2.2.2 貯蓄手段としての流動性 世界的に金融市場が混乱している状況では、企業は、流動性ショックに備えて、自ら流 動性資産を蓄積すると考えられる。図 5 は、日本銀行の主要企業短期経済観測調査に基づ き、2007 年 3 月期から 2011 年 12 月期までの日本企業の手元流動性比率の四半期データを プロットしたものである。 <図5 日本企業の手元流動性比率(2007 年-2011 年)> この図は、リーマン・ショックが発生した2008 年 9 月期以降、企業の手元流動性比率が 上昇していることを示している。図 2 で示された日本の金融危機下での手元流動性比率の

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推移と比較すると、世界的金融危機におけるピーク時の手元流動性比率は、日本の金融危 機発生時には及ばないものの、いずれのケースにおいても、流動性ショック発生直後から、 日本企業の手元流動性比率が急上昇している。したがって、日本の金融危機の場合と同様 に、世界的金融危機においても、日本企業による流動性リスクに備えた予備的需要の増加、 あるいはハイリスクのプロジェクトから流動性の高い資産への逃避が発生したのではない かと推察される。 2.2.3 調達流動性 図6 は、日本銀行の短期経済観測調査に基づき、2007 年 3 月期から 2011 年 12 月期まで の日本の銀行の貸出態度の四半期データをプロットしたものである。この図は、サブプラ イム・ローン問題に端を発する世界的金融危機が発生した2007 年後半から日本の銀行の貸 出態度が悪化傾向にあったこと、そして特に、リーマン・ショックの発生した2008 年 9 月 期以降、日本の銀行の貸出態度が急速に悪化したことを示している。 <図6 銀行の貸出態度(2007 年-2011 年)> 世界的金融危機では、欧米の金融機関が多額の損失を抱え、資本不足に直面した一方、 日本の金融機関に関しては、日本での金融危機の発生時とは異なり、財務状態は健全で、 サブプライム・ローン問題の直接的な影響を受けなかった。しかし、2007 年夏にサブプラ イム問題が顕在化して世界経済が減速すると、2008 年 2 月をピークに日本の景気も後退期 に転じた。さらに、9 月のリーマン・ショックを契機として世界同時不況が発生すると、日 本の実質GDP は戦後最大の下落を記録することとなった(福田・照山、2011)。 白川(2010)第 1 節では、リーマン・ショックが日本の内需に与えた影響について分析 している。日本は世界的金融危機の震源地ではないにもかかわらず、実質GDP の下落率は 先進国の中では最大であった。白川(2010)は、この最大の原因が純輸出にあると指摘し ている。2008 年春から 2009 年前半にかけての世界景気後退局面において、日本での純輸 出の実質 GDP 寄与度(年率換算ベース)は-4.0%ポイントである一方、内需寄与度(年 率換算ベース)は-4.4%ポイントであった。このため、白川(2010)は、外需ショックが 実質GDP 寄与度でみて同程度の内需の落ち込みを誘発したために、日本の景気後退が深刻 になったと述べている。しかし、2009 年 4-6 月期以降は、外需寄与度が+3.4%ポイント である一方、内需寄与度は-0.1%ポイントとなった。そこで、白川(2010)は、設備投資 関数の推計を行うことで、外需ショックの内需への波及効果の安定性を分析している。そ

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の結果、リーマン・ショック後の外需ショックの影響があまりにも深刻で、企業の設備投 資の調整が完了していなかったために、外需が急回復しても、内需寄与度がプラスとなら なかったことが判明した。したがって、日本経済では、外需ショックが内需に与える影響 は安定的であり、世界的金融危機は外需の急減を通じて、内需、特に企業設備投資に大き な打撃を与えたといえる。 内閣府(2009)は、2008 年半ばまでの原油価格の高騰等が企業の資金繰りを悪化させ、 リーマン・ショック後の実体経済の悪化の中で、銀行が貸出態度を厳格化させたと推察し ている。したがって、日本における貸出市場の縮小は、市場流動性の低下に伴う金融市場 の混乱によるものではなかったといえる。 ただし、比較的健全な日本の金融機関も短期金融市場での国際的な金融取引を通じて、 世界的金融危機の影響を間接的に受けた。Fukuda(2012)は、日本の金融危機と世界的金 融危機における、ドル建て及び円建ての TIBOR-LIBOR 間スプレッドの反応の相違を比 較することによって、流動性危機としての世界的金融危機が短期金融市場に与えた影響を 検証している。日本の金融危機においては、表示通貨にかかわらず TIBOR-LIBOR 間ス プレッドが大幅に上昇する「ジャパン・プレミアム」が観察された。しかし、世界的金融 危機では、円建てのTIBOR-LIBOR 間スプレッドが縮小する一方、ドル建ての TIBOR- LIBOR 間スプレッドが拡大するという表示通貨間の非対称性が確認された。同論文は、日 本銀行の潤沢な資金供給により円の流動性は高かったが、ドルの流動性は不足していたと いう解釈に基づき、推計を行っている。分析の結果、ドル建ての TIBOR-LIBOR 間スプ レッドの決定要因として、信用リスクと流動性リスクが有意となる一方、円建てのTIBOR -LIBOR 間スプレッドに関しては、信用リスクのみが有意となることを明らかにした。こ のため、同論文は、世界的金融危機においては、国際通貨としてのドルの流動性リスクを 低下させるために、各国の中央銀行が協調して流動性供給を実施することが有用であると 指摘している。

3.流動性に関する先行研究

本節では、本研究の主題である企業の調達流動性以外の流動性概念として、市場流動性、 貯蓄手段としての流動性、そして金融機関の調達流動性に関する研究を紹介する。 3.1 市場流動性

Kiyotaki and Moore(2012)は、株式と貨幣という流動性の異なる 2 種類の流動性資産 を考慮したモデルを構築することで、流動性ショック発生後の企業による流動性への逃避 (flight to liquidity)が実体経済に与える影響を分析している。モデルにおいて、企業家は 2 種類の流動性制約に直面している。第一の制約は、企業家が生産活動を継続することにコ ミットできないため、株式発行によって調達できる資金が投資プロジェクトに必要な資金 の一部に限定されるという借入制約である。そして、第二の制約は、企業家が保有してい る資産のうち、貨幣は全て売却可能であるが、株式は一部のみ売却可能であるという、再 売却制約(resaleability constraint)である。第二の制約は、貨幣が株式よりも流動的な資 産であることを反映している。株式市場で流動性ショックが発生し、売却可能な株式の割 合が低下すると、企業家の投資資金が減少する。また、株式の売却可能性の低下が予想さ

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れると、株式から貨幣への逃避により株価が下落し、より多くの投資資金が必要となる。 このため、株式市場での流動性ショックは、株式の売却可能性の低下と流動性への逃避を 通じて投資を減少させることとなる。 3.2 貯蓄手段としての流動性 流動性への逃避が発生すると、より流動性の高い流動性資産に対する需要が増加する。 現実に企業が保有する流動性資産としては、流動性ショックの発生時に価値が減少しない ような、現金、預金、国債、そして高格付けの社債等が挙げられる(堀・安藤、2002)。一 方、理論分析のフレームワークでは、流動性ショックの発生時に価値が損なわれない代表 的な資産として、貨幣が登場する。例えば、前述のKiyotaki and Moore(2012)の第二制 約では、貨幣が株式とは異なり全て売却可能であると仮定されている。 石原(2012)によるサーベイ論文は、価値貯蔵手段としての機能を備える貨幣は最も流 動性の高い流動性資産であるため、貨幣の範囲をマネーストック統計におけるM1 から M2、 M3 に拡張すると、貨幣を流動性資産と区別できなくなることを指摘している。貨幣は価値 貯蔵手段としての機能の他に、価値尺度と交換手段としての機能も備えた資産である。そ こで、同サーベイ論文は、価値貯蔵機能が交換手段機能の必要条件であることに着目し、 交換手段として用いられる現金及び要求払預金に貨幣の概念を限定している。また、石原 (2012)は、新古典派経済学とケインズ経済学における貨幣概念の相違に関しても解説し ている。すなわち、新古典派経済学の貨幣数量説では、交換手段としての貨幣が想定され ている一方、伝統的なケインズ経済学では、予備的動機や投機的動機を考慮しているため に、より広範囲の流動性資産が想定されていることを指摘している。 以上のように、貨幣が究極の流動性資産として他の流動性資産と区別されていることは、 貨幣が交換手段として流通していることに起因している。さらに、貨幣が一般的受容性を 持つ特殊な存在となった背景には、「貨幣が貨幣として流通しているのは、それが貨幣とし て流通しているからでしかない」(岩井、1998)という自己実現的な期待形成がある。 Kiyotaki and Wright(1989)や Iwai(1988, 1996) 等によって創始された貨幣のサーチ 理論で示されてきたように、物々交換経済に内在する、欲求の二重の一致の困難な分権的 経済では、貨幣が媒介として流通を開始すると、サーチコストが節約され、取引を行う経 済主体の間に信用が存在しなくても、取引が円滑に行われるようになる。このため、金融 危機下で金融取引に対する信用が失墜している状況では、流動性への逃避が発生し、企業 の手元流動性比率が高まることとなる。 3.3 金融機関の調達流動性と市場流動性

企業に融資を行う金融機関の取付を分析した代表的な研究としてDiamond and Dybvig (1983)が挙げられる。Diamond and Dybvig(1983)では、第 0 期に銀行が要求払預金 を発行して消費者から資金を調達し、長期の融資を行う 3 期モデルを構築している。モデ ルでは、銀行が融資するプロジェクトは、第0 期に開始して第 2 期に完了する長期のプロ ジェクトであり、第1 期にプロジェクトが中断された場合には、第 0 期の融資額のみが回 収可能であると仮定されている。また、消費者(預金者)のタイプに関して不確実性が存 在し、消費者の一部は第1 期に消費する短期の消費者となる一方、残りの消費者は第 1 期

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には消費せず、第 2 期にのみ消費する忍耐強い消費者となる状況が想定されている。消費 者のタイプは私的情報であると仮定されている。 モデルでは、相対的危険回避度が 1 より大きい場合、競争均衡における資源配分は最適 とはならない。しかし、銀行が要求払預金を発行すると、消費者が第 1 期に預金を引き出 すタイプになるというリスクに対して保険が提供されるため、最適な資源配分が達成され る。要求払預金には、このように事後的にタイプの異なる消費者の間で最適なリスクシェ アリングを実現させるというメリットが存在する一方、銀行取付が自己実現的に発生し得 るというデメリットも存在する。銀行取付が発生すると、本来継続されることが望ましい プロジェクトも第 1 期に中止され、競争均衡における資源配分すら実現できなくなる。そ こで、この論文は、銀行取付を防止するメカニズムとして、支払停止条項や預金保険制度 について検討している。

以上のように、Diamond and Dybvig(1983)は、消費者による要求払預金の引き出し を契機とした銀行取付を分析した論文であり、銀行のバランスシートにおける負債サイド に着目した研究であるといえる。一方、企業に対する融資、すなわち銀行の資産サイドも 考慮した研究としては、Diamond and Rajan(2005)が挙げられる。この論文では、銀行 が代替的な融資先を保有し、企業家により多くの融資を実施できる状況を分析している。 このとき、銀行は、自らの資産の流動性を低下させる一方、融資によって企業家のプロジ ェクトの流動性を高めることが可能となる。このように、Diamond and Rajan(2005)に おける銀行は、要求払預金を発行するだけではなく、長期のプロジェクトに対して資金を 供給する主体でもある。 前述のように、要求払預金は、銀行資産の流動性を高める点で有用であるが、同時に金 融危機を発生させる要因となり得る。融資先に生産活動の遅れが発生すると、それがプロ ジェクトの価値を毀損するものでなくても、経済全体の流動性と預金者の資金需要との間 のミスマッチによって、一部の銀行が破綻する可能性がある。また、銀行の破綻が予想さ れると、預金者が即座に預金を引き出すため、銀行は企業家に長期のプロジェクトを清算 させることによって貸出債権を回収しようとする。このとき、社会的に望ましいプロジェ クトも中止されるため、銀行の破綻の連鎖を通じて、経済全体の流動性不足が一層深刻化 することとなる。Diamond and Rajan(2005)では、このような企業家の生産活動の遅れ と銀行の破綻を予想した預金者による預金の引き出しによって、経済全体の流動性が枯渇 していく状況を分析している。 一部の銀行の破綻によって、破綻銀行から融資を受けていたプロジェクトが清算され、 経済全体の流動性が減少する場合、健全な銀行であっても、その長期のプロジェクトを清 算するだけでは預金者の資金需要に見合った流動性を確保できなくなることがある。この ように、経済全体の流動性不足が深刻な場合には、流動性供給や銀行に対する資本注入と いった政府による介入の余地が生じる。流動性供給は、流動性に対する超過需要を解消し、 金利を低下させることによって健全な銀行の破綻と銀行取付を回避させることができる。 一方、銀行に対する資本注入は、特定の銀行を救済することによって銀行の破綻の連鎖を 防止することができる。Diamond and Rajan(2005)は、政府の介入が流動性不足と銀行 の健全性の相互依存関係に与える影響を一般均衡モデルを用いて分析し、流動性不足の問 題が存在していない場合には、流動性供給が無効となる一方、流動性不足が発生している 場合には、流動性供給と銀行への資本注入を同時に実施することが効果的であることを明 らかにしている。ただし、健全性の低い銀行に対して資本注入を実施すると、流動性に対

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する超過需要が発生して市場利子率が上昇するため、より健全な銀行が破綻する可能性が ある。このため、同論文は、破綻に直面している銀行のうち、最も健全な銀行に対して資 本注入することが重要であると述べている。 リーマン・ショック後の世界的金融危機では、金融市場での流動性不足や世界同時不況 を受けて、欧米や日本の中央銀行が短期利子率をゼロに近い水準まで引き下げる超金融緩 和政策を実施した。中央銀行は利子率のゼロ制約に直面したため、各国経済は、実質的に ケインズの「流動性のワナ」、すなわち貨幣量を増加させても利子率が下落せず、民間投資 や国民所得が変化しない状態に陥った(福田・照山、2011)。このような「流動性のワナ」 が発生すると、伝統的な金融政策は無効となる。そこで、今回の金融危機では、中央銀行 による非伝統的な金融政策が実施された。福田・照山(2011)によると、非伝統的金融政 策は、「(1) 将来の金融政策ないし短期利子率についての予想のコントロール、(2) 中央銀行 のバランスシート規模の拡張、(3) 特定資産の購入」に分類される。特に、(3)は信用緩和政 策と呼ばれ、金融システムの安定化に寄与する政策であるとされている4

Gertler and Kiyotaki(2010)は、世界的金融危機において、インターバンク市場で信用 収縮が観察されたことを踏まえて、金融機関の自己資本を毀損させるタイプの流動性ショ ックが発生すると、金融危機がインターバンク市場の混乱を通じて、実体経済に波及する モデルを構築し、その上で、非伝統的金融政策の効果について分析している。モデルでは、 金融機関が自己資本、インターバンク市場での借入、そして預金によって蓄積した資産の 一部を私的利益に流用するという、エージェンシー問題が考慮されている。このとき、債 権者は、金融機関のモラル・ハザードを防止するために、金融機関に対して一定額以上の 自己資本を保持することを要求する。したがって、自己資本の少ない金融機関は借入制約 に直面することとなる。

Gertler and Kiyotaki(2010)では、流動性ショックが発生すると、金融機関は、自己資 本の減少に伴い、資産の圧縮を余儀なくされる。資産の投げ売りにより資産価格が低下す ると、金融機関の自己資本はレバレッジに比例してさらに減少する。信用市場の不完全性 により、金融機関がインターバンク市場でも借入制約に直面していると、自己資本の減少 した金融機関は、企業に対する貸出を抑制するため、企業の設備投資や生産活動の水準が 低下することとなる。このような状況において、民間の優良債券を担保とした金融機関に 対する連銀貸出、CP、政府機関債、MBS 等優良債券の買い入れ、そして金融機関に対する 公的資本注入という、一連の非伝統的な信用緩和政策が実施されると、インターバンク市 場でのスプレッドが縮小し、投資や生産活動の水準の低下が効果的に軽減されることが示 されている。

4.資本市場の要因が企業の調達流動性に影響を与える場合

前節では、市場流動性、貯蓄手段としての流動性、そして金融機関の調達流動性に関す る研究を説明した。また、今回の世界的金融危機を受けて注目されている、金融機関の調 達流動性と市場流動性の相互作用、そして金融システムを安定化させるための政策が金融 機関を通じて実体経済に与える影響についても紹介した。以上の研究において、企業は、 金融機関から融資を受ける受け身の存在として登場しているが、金融危機の実体経済への 4詳細は福田・照山(2011)を参照。

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波及について分析する場合には、企業の意思決定や企業の資金調達に関する流動性も重要 な論点であると考えられる。そこで、次節及びその次の節では、企業の調達流動性に影響 を与え得る要因について整理・考察することにする。企業が資本と労働を投入して生産活 動を行う経済主体であると捉えられることが多いため、本論文では、資本市場と労働市場 に関する要因が企業の調達流動性に影響を与える状況に限定して分析を進めることにする。 第4 節では資本市場に関する要因、第 5 節では労働市場に関する要因について検討する。 本節では、Holmström and Tirole(1998)と石原(2002)を紹介することによって、資 本市場に内在する要因が企業の調達流動性に影響を与え得ることを明らかにする。なお、 石原(2013)は、調達流動性という概念を「ショックに見舞われた後の事後的な資金調達 能力」と「事前の契約で確保されたもの」の 2 種類に分類している。この分類によると、 いずれの論文も、事前の契約で確保された調達流動性に関する研究であるといえる。

4.1 Holmström and Tirole(1998)の紹介

Holmström and Tirole(1998)は、企業が第 0 期に生産活動を開始し、第 1 期に流動性 ショックが発生した後、追加的な資金投入によってプロジェクトが継続されると、第 2 期 に生産活動が完了する 3 期間の動学モデルを構築している。モデルには企業(企業家)と 投資家という2 種類のリスク中立的な経済主体が登場する。企業は、第 0 期に自己資金 A を保有し、外部の投資家から資本Kを調達して生産活動を開始する。企業の生産関数は、規 模に関して収穫一定で、生産活動が成功するとRKのリターンが得られる一方、失敗すると 何も得られないとする。 第1 期に、流動性ショックが発生する。プロジェクトの継続には、資本 1 単位あたりだ けの追加的な資金投入が必要になる。第0 期には資本Kを投入しているため、追加的資金投 入額はρKとなる。追加的資金ρKが投入されると、プロジェクトが継続されて、第 2 期に生 産活動が完了する一方、追加的資金が投入されない場合には、第 1 期にプロジェクトが中 止されることとなる。流動性ショックの規模ρは密度関数fに従って分布すると仮定する。 モデルでは、プロジェクトが継続される場合に、モラル・ハザードが発生すると仮定され ている。すなわち、企業は、追加的な資金調達を行った後、プロジェクトの成功確率(高 水準・低水準)を自ら決定することができ、低水準の成功確率を選択すると、私的利益を 得ることができると仮定されている。高水準の成功確率をpH、低水準の成功確率をpLとし、 ∆p ≡ pH− pLとする。また、資本1 単位あたりの私的利益を B で表すとする。 投資プロジェクトを継続したときに得られる期待収益、pHRがプロジェクトの継続に伴う 費用ρ以上であるとき、プロジェクトの継続によりプロジェクトの正味現在価値は最大化さ れることとなる。つまり、pHR ≥ ρであるとき、プロジェクトの継続は社会的に望ましくな るといえる。この論文では、企業が高水準の成功確率を選択する場合は、プロジェクトの 正味現在価値がプラスとなる一方、低水準の成功確率を選択する場合には、マイナスにな ると仮定している。 第0 期に投資家と企業との間で、投資水準 I、プロジェクトの継続に関する状態依存的な 方針λ(ρ)、そしてプロジェクトが成功した場合の企業に対する分配額Rf(ρ)に関する契約を 締結する。最適契約は、投資家の参加条件と企業の誘因両立性条件の下で企業の純利益を 最大化するものとなる。論文では、最適化問題は以下のように定式化されている。 max I ∫ pHRf(ρ)λ(ρ)f(ρ)dρ − A

(23)

s.t. I ∫[pH{R − Rf(ρ)} − ρ] λ(ρ)f(ρ)dρ ≥ I − A, Rf(ρ)∆p ≥ B for every p. (1) 最適契約において、企業は投資 I を最大化する、企業に対する分配額Rf(ρ)を選択する。 このとき、企業は、企業家に対して、高水準の成功確率を選択する誘因を与えるために、 最低限の私的利益の確保を認めることとなる。したがって、最適契約における企業に対す る分配額は以下で表される。 Rf(ρ) =∆pB. (2) また、投資家に対する分配額、すなわち投資家が 1 単位のプロジェクトに投資する際に保 証されるリターン(date 1 pledgeable unit return)ρ0は以下で表される。

ρ0= pH[R − (∆pB)]. (3) 一方、1 単位の投資プロジェクトの継続によってもたらされる社会的価値(full social value)ρ1は以下で表される。 ρ1= pHR. (4) (3)式と(4)式より、ρ0< ρ1が成立している。この関係は、企業家に私的利益B を追求する 誘因が存在する場合、流動性ショックの発生時に投資家から調達可能な資金がプロジェク トの価値を下回り、企業がプロジェクトの継続に必要な追加的資金を調達できなくなるこ とを意味している。このため、企業は、流動性ショックの発生に備えて、事前に流動性資 産を蓄積することとなる。したがって、Holmström and Tirole(1998)においては、企業 のモラル・ハザードに基づく投資家と企業の利害対立が企業の調達流動性に影響を与える 要因であるといえる。

なお、投資家が資本市場で投資プロジェクトの価値に見合った資金を調達できない原因 としては、Holmström and Tirole(1998)が想定しているモラル・ハザードの問題以外に も、戦略的な債務不履行や人的資本の譲渡不可能性等が考えられる。例えば、Matsuyama (2008)は、流動性需要には着目していないが、何らかのエージェンシー問題の結果とし て発生する信用市場の不完全性がマクロ経済活動に与える影響を分析している。すなわち、 この論文は、信用市場の不完全性が存在する経済では、事業の生産性だけではなく、投資 資金を回収できる可能性も考慮した投資が行われるため、生産性の高い事業に資金が投入 されず、経済が非効率となることを示している。 4.2 石原(2002)の紹介 企業の流動性需要をモラル・ハザード以外の資本市場の不完全性の観点から分析した論 文として、石原(2002)が挙げられる。この論文は、企業の抱える既存債務が過大である ために、プロジェクトの継続に必要な追加的資金を企業が調達できなくなるという、「過重 債務」(debt overhang)の問題が企業の流動性需要を発生させる原因となることを明らか にしている。 石原(2002)は、企業が第 0 期に銀行から長期の融資を受けて投資プロジェクトを開始 し、第1 期に流動性ショックが発生した場合には追加的な資金を投入し、第 2 期に不確実 な収益が発生するという3 期間の動学モデルを構築している。第 1 期に必要となる追加投 資額Ĩは、経済状況に依存し、好況の場合には確率pg ∈ (0, 1)で 0、確率1 − pgで1 となる一

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