東南 アジア研究 7巻 3号 1969年 12月
ジ ャ ク ン ・コ ミュ ニ テ ィの 社 会 秩 序
前 田 成
文*
Aut
ho
r
i
t
ya
T
L
dL
ea
d
e
r
s
hi
pa
mo
ngt
heJ
a
ku
n
(Orang Ⅱulu)ofMalaya
by
NarifumiM AET)A
マ レ-半 島 に居住 す る比較 的未開 な民族 は,北 部 よ り南 部 にかけ て分 布 す るネグ リ ト系 , ス ノイ (Senoi)系 , プ ロ ト ・マ レー系 の 3グル ー プに分 け られ る。 原住民 (OrangAsli)を全部 あわせ て も 5万 人前後 の少 数 民族 で あ る。南 部 に居住 す るプ ロ ト ・マ レ-系 のグル ープは, 氏 族 学上 ジ ャクソ(Jakun) と呼 ばれ る。 エ ソダ ウ (Endau)川流域 に住 む ジ ャク ソは,彼 ら自身 をオ ラ ン ・フル (OrangHul°) と呼ぶ (前 田1967:836)01)ォ ラ ン ・フル は経済 的 には焼畑耕 作 とジ ャングル の換金 産物 交 易 に依存 して生活 し (前 田 1969a), 社 会構造 上 の一 つの特徴 は 双 糸 制親族 組織 にあ る (前 田 1967a,1969)。 本稿 は, オ ラ ン ・フル の社 会構造 を権 威 ・従 属 関係 に焦 点 をあわせ て記述 ・分 析 す る ことを意 図 した。2) Ⅰ 家 族 内 の 権 威
オ ラ ン ・フル の最 小 のそ して最 も基本 的 な単位 は (sa-)kelamin で あ る (前 田 1967a)。 こ
の単位 は夫 婦 と未婚 の子女 か らな る 「核 家族 」 の形態 を取 る。 そ してだ い たい 1軒 の家 に居住 す る。 夫 婦 の間 は きわ めて平等 で あ る。 どち らかが威 を張 って他 を支配 す るとい うことは ない。 す で に前 田1969の論稿 で明 らか に した よ うに,姉 女房姫 ,夫 初婚妻再 婚 な どの事例 が 多 い ことに もこの事 実 を裏 書 きす る ものが あ る。夫 婦 は,家族 を指 す語 か ら も判 るよ うに,重 要 な社 会活 動 の単位 で あ るが,必 ず し も夫 婦 を強制 的 に1単位 として存 続 させ るメ カニズ ムは強 く働 か な い。 た とえば, 何 らかの葛藤 の解決 の際 に, 夫 婦 が各 々の血縁 親族 と結 びつ くこと3),個 人個 *京都大学東南アジア研究センタ-1) ェソダウのオラソ ・フルに関する報告は前田 1966,1967,1967a,19(i9,1969aを既に発表 している 2) 1965年8月よ り1966年4月まで東南アジア研究センター地域研究計画の一環 として行なわれた現地 調査に基づき,若干の点は1967年から69年 までの KualaLumpur滞在中の補充調査による0 3) In-laws-の忌避 ・尊敬は,これを緩和するための日常的な工夫である。 342
前 田 :ジ ャ クソ ・コ ミュニテ ィの社 会 秩 序 人 の財物 の所 有 が は っき りとして い る こ と, 離 婚 ・再 婚 が簡 単 に出来 る ことな どの現 象 の中 に 考 察 され る。 夫 婦 間 の情 緒 的 な一 体 感 の存 在 の有 無 は別 として も, 家 の 中で は妻 が 「船 長」
4
) で あ る と言 わ れ,家事 に関 す る こ とは妻 の権 限 の中 に あ り,夫 は 口出 しを しない。 生計 を支 えて い る夫 が 仕 事 の為 に移転 す る場 合 , 普通 は妻 が従 って行 く。 これ は必 ず し も夫 に従 うので は な く経済 的 な計 算 か らに よ る ことが 多い。夫 の仕 事 が経済 的 に良 くなけれ ば移転 を拒 否 した り, 離 婚 に走 った りす る。 男女 間 の分 業 はは っき りとしてい る。 (前田 1966:158) 夫 婦 はお互 い に個 人 名 あ るいは (子 供 が 生 まれ てか らは) テ ク ノエム を もって呼 び あい, 呼 称 ・示 称 (前田 1967:841脚 注参 照) と も何 らのわ け- だ てが ない。 マ レー人 の夫 婦 は, き rt うだ い問 に用 い られ る呼称 を もってお互 い を呼 ぶ の と対 照 的 で あ る。 夫 婦・の問 の ことは当事 者 達 に任 され,他 の者 が首 をつ っ こむ こ とは戒 め られ てい るO しか し 夫 が要 に物 理 的 な暴 行 を公 然 と加 え た時 には, 部落 の長 が夫 に対 して科料 (1例 で は32ドル ) を課 す。 離 婚 の際 には ムス 1)ム ・マ L,-人 の よ うに法制 上 男女 の 離婚請 求 権 を差 別 す る こ とは ないO特殊 な場 合 で あ るが ,妻 が2人 あ る場 合 も第 1妻 と第 2妻 との問 に フ 寸- マル な地 位 の 差 は ない O (前田1969:740-41) 子 供 の しつけ は社会 化 を考 え る上 に重 要 で あ るが, 小 さい時 は一般 に放 任 主義 が取 られ,吃 蛋 , 打 榔 す る ことはほ とん ど見 られ ない。 離乳 時 期 は次 の子 供 が 生 まれず ,差 しつか えの ない 限 り5- 6歳 まで の ば され るo 子 供 が十 分 大 き くな って, T の弟 妹 が乳 児 で あ る場 合で さえ, 時 た ま母 親 の胸 にすが る子 供 の例 もあ る。 母 乳 を補 うた め に, あ るいは乳 児養 子 の養 親 な どが カ ソ入 り練 乳 を使 うこ と もあ る。 この為哨 乳 ビンの ゴム製 乳首 を常 に 口に含 ませ る習慣 を もつ 子 供 もい る。授 乳 に際 して も定 期 的 にや る こ とは な く,泣 け ばや る とい う甘 い態 度 で あ る。 子 供 を積 極 的にい じめ る ことは もち ろん しないが,子 供 が むず か った りして も親 が お こる ことは め ったに な く,一 生 懸命 に何 とか してなだ め よ うとす る。 一 般 に乳 幼 児 の子守 りは母親 か,乳 児 の姉 が世 話 をす る。 男 の子 も10歳 前 後 くらい まで は子守 りを手伝 うが, 父 親 や兄 は普通 乳 児 とたわ む れ るか, あや す ぐらいの ことしか しない。 あや した り,寝 か しつけ た りす る為 に, サ ロンを畳 ん で天 井 か らぶ ら さげ , その中 に乳 児 を入 れ て ブラ ン コの よ うに揺 る buaiを使 う。 赤 ん坊 をあや す時 に性 器 を もて遊 ぶ こ とが 多 く,時 には そ れ に顔 を押 しつけ た りす る05- 6 歳 以 上 の子 供 は性 器 を見 せ るのは恥 ず か しい こ とだ と教 え られ る。 排湛 物 の処 理 も幼 児 期 は寛 大 に扱 われ る。 少 し成 長 す る と年 長 の子 供 に教 え られ て一 緒 に川 や畑 , しげ み な どで用 を足 して くるよ うに な る。 行儀 ・しつけ を特 に教 え る責任 に あ る人 は い な いが , や は り幼 児 期 には母 親 との接 触 が 多 いので,母 親 か らの注 意 のほ うが 多 く, 父 親 は甘 や か す傾 向が あ る。 少 年 期 に な る と父 親 の権 威 のほ うが子 供 に恐 れ られ て くる。 これ は男 の場4) Logan 1947:273;Skeat&Blagden1906:513・なおnakhodaとい うことば
は
Wilkinson(1932)によればペルシャ起源の語である。
東南 アジア研究 7巻3号 合 な どは仕 事 を習 った りす る都 合 に もよ るが , 父 親 は この頃 に な る とお どか しに暴 力行 為 の威 嚇 な どをす るか らで もあ ろ う。 しか し, 母 親 は子 供 が 大 き くな って もい ろい ろ と小 言 を言 う。5) 子 供 は大 人 の叱 責 か ら逃 れ る為 に,他 の もの に罪 を なす りつけ た り, 自分 は知 らない とい って 押 し通 す こ とが しば しば あ る. また大 人 が不 当 な扱 い をす る と, ふ くれ て (rajok)近 づ か な く な る。6)
マ レー人 の よ うに子 供 の 出生順 に よ る序列 名 (Senoi系 の Temi ar族 に もあ る- Benjamin
1968:Table2)な どは オ ラ ン ・フル には な い。 ぎ ょ うだ い問 は年 上/年 下 (bah/adek)の相 対
的 区 別 だ けが な され る。 兄姉 と弟 妹 との間 は,一 般 に個 人 名 よ りも親 族 呼称 が 好 まれ て使 わ れ る。 しか し, 弟 妹 (adek)が 兄姉 (bah)を呼ぶ 時 には個 人 名 も多 く使 わ れ る。 父 親 が亡 くな った時 は成 人 した長 男 あ るい は長 女 の婿 が父 親 代 りとな って弟 妹 の面 倒 を見 る こ とが期 待 され る。 前田1967aで す で に述 べ た よ うに, 夫婦 とそ の未 婚 の き ょ うだ い を含 む世 帯 の存 在 が , この規 範 を裏 づ け て い る。 しか し, き ょ うだ い間 に特 定 の上 下 関 係 , 服 従 意 識 は な い。父 親 代 りとな る著 は, 弟 妹 を支 配 下 にお くとい うので は な く, 保 護 す るだけ で あ る。 し つ け の上 か ら も,年 上 の き ょ うだ い に服 従 せ よ とは教 え られ ず , む しろ年 上 の者 に対 して弟 妹 の世 話 をす る義 務 が 強 調 され る。7) Ⅱ 親 族 間 の リー ダー シ ップ ぎ ょ うだ い間 の紐 帯 は HiparH (義 き ょ うだ い) 関 係 を通 じて親 族 関 係 の 中 に拡 大 して表 現 され る。 同時 に, ぎ ょ うだ い の子 供 に対 す る発 言 権 も, お じ (お ば) とお い (めい) の関係 と して捉 え られ る。 これ らに は家 族 関 係 か ら直接 派 生 して くる従 属 関 係 で は あ るが, す で に 「生 まれ た家 族 」 内の関 係 で は な く, そ の旧 メ ンバ ーが各 自構 成 す る新 し く出現 した家族 間 の関 係 とな る。 そ して この き ょ うだ い, お じ/お い関係 が核 親 族 の中心 とな る。 (前 田 1967参照) 家 族 集 団 を越 え た よ り大 き な親族 集 団 は独立 して存 在 しない。 自己 を中心 として, 自己 か ら 見 た血族 , 姻族 関 係 の者 達 が, 危 機 的 な状 況 と考 え られ る場 合 に,一 時 的 に親 族 の集 ま りを構 5) 子供A (13歳 くらい)が,部落に約1カ月ほ ど遊 びにきているバテンの妻の兄の子供B (同年輩) を泣かせたのに対 し,Aの父親は何 も言わず,母親が コ ミュニテ ィの秩序 を乱 してはいけない と,秩 女に しては珍 しく強い口調でAを叱 りつけ るとい う事例があるO また,バテンの養女であるC (12歳 くらい)が言いつけを聞かない とい う理由で,養母に髪 を短 く (イバ ンの様に) 刈 られた。耳が良 く 聞 こえるよ うにす るのだとい う養母の説 明である。 6) 子供の遊 びは,陣取 りに似た もの,鬼 ごっこ, こま回 し,風車, ゴム輪取 り,ままごと,糸 と り, 舟 ・家 ・車な どの模型作 りなどある。グループの協力を必要 とす るゲームではな く,個人 プレーによ るものがほ とん どである。遊 びは一種の流行で,子供の遊 びにあきると,大人の トランプをした り, 野生の熟 さない果実取 りな どをする。な ぐりあいのけんかを しているのを見 た ことはない。小 さい子 供はか らかわれた りす ると,木切れ をぶ っつけた り,相手 を追いかけ まわ した りす るうちに,木切れ があたった り, ころんだ りして一方が泣 き出 しけんかは収 まる。大人は止めることはあって も,一方 に加担 して干渉す ることはない〔 7) きょうだい も含 めて一般 に,自分よ り小 さい子供に対 しては寛大で,た とえ自分は何 もな く,小 さ な子供が菓子 を二つ持 っていて も,それを取 り上げ ることはない〔 344
前FFl:ジ ャ ク ソ ・コ ミュ ニ テ ィの 社 会 秩 序 成 す る ことは あ るO 問題 の 中心 とな る人物 か ら見 た核 親 族,親族 の集 ま りで あ るか ら, 中心 人 物 が 代 わ れ ば, この集 ま りの範 囲 も変 わ る,、 この集 ま りで特定 の親 族 が 特定 の権 威 を持 って, 他 の者 を指 導 してい くとい うこ とは フ ォ- - ライ ズ され て い ないO しか し, 一般 にお じの発 言 ・意 向 は, お い ・め い を拘 束 す る程 度 が強 い と言 われ るO 長 老制 は親族 間 で も見 られ ない。 い ちお う老 人 の意見 は尊 重 され るが , 決定 権 は な く,昔 は こ うで あ った とい う意見 として参考 に され る場 合 が 多 い(.と くに外 界 との交 流 が頻 繁 に な るに つれ, む しろ外 界 と接 触 を して外界 の事情 を良 く知 ってい る者 が親族 内 の指 導 的存 在 と してみ な され る。 上 述 の よ うに家族 ・親族 内 の従 属 関係 は,単系 制 社 会の よ うに厳 格 に規定 され てい
ない と言 え る。 それ で も上述 の ipar(き とうだ いの配 偶 者) 関 係, あ るいは mentuhCl (配 偶
者 の両 親 )/menantu(子 供 の配偶 者 ) 関 係 な どには従 属関係 が見 られ る「、 (詳 細 は前田 19()7参 照 。) ≠ 部 落 の 統 合 と 喜 藤 1. 地縁 集 団 と しての部 落 部 落 は 中心 とな る親族 に外 来 者 が加 わ って出 き上 が った地 縁 集 団 で あ り, オ ラ ン ・フル の単 位 地域 集 団 で あ る。 部落 の人 口は
5
0人 か ら150人 前 後 で あ る (前 田1967:36)。 まず親 部落 か ら 離 れ た数 家 族 が新 しい土 地 を開 拓 す る こ とに よ って新 部落 の端 緒 が 開 かれ る。 その新 部落 に外 来 者が集 ま って くれ ば新 しい部 落 としての存 在 を徐 々に確 立 して い くが,逆 に移住 家族 の一 部 が再 び離 れ てい った りす る と,新 部落 または他 の部 落 - と吸 収 され て解 消 してい くこ とに な る。 部落 形 成 の最 初 か ら指 導者 とな る中心 人物 が は っき りとあ り,他 の者 は指 導者 に服従 して つ い て い く。 そ して部落 の大 き さは, この指 導者 の 「世話」
(きだ1967) の 出来 る範 囲 で あ り, そ れ以 上 に な る と部落 内で分 裂 が起 こる可能 性 が 高 い (前 田196921,集落 形態 の項 参 照 )。 部 落 の成 員 は加 入 ・脱 退が 自由で あ るの で, 部 落 が一 定 の世 帯数 を保 って存 続 してい くため には, 生活 条件 な どの ほ か には指 導 者 の魅 力が大 き な ウ ェイ トを 占め るO 部落 - の加 入 ・脱 退 が 自由で あ る とい うのは, あ る世 帯 が指 導 者 のや り方 に不満 を もった りす る時 や, 生活 が 苦 し くな った時 や,他 部落 にい る親 郡 に誘 わ れ た時 な どに, その部落 を 自由 に離 れ て, 他 の部落 に 行 くこ とが で き る ことで あ る。 この際 , 離村 者 に対 しては,指 導 者 お よび部 落 民 か らの慰 留 の 説 得 が あ るだ ろ うし, 部落 を逃 げ て い った者 として 口頭 のサ ン クシ ョンは覚悟 せね ば な らない。 その上 , 新 し く参 加 した部落 で す ぐに フル ・メソ′ミ- としての待遇 を受 け る こ とは期待 で きな い。 新 し く入 って き た者 とい うひけ 目のほ か に, 焼 畑地 の割 当 てが次 の開墾 期 まで ない。 もっ と もあ る部落 か ら平 和 稗 に他所 - 移 住 した場 合 には, 移住 者 は 部落 で開墾 した 自己 の焼畑地 か らの収穫 を取 り得 るし, また新 しい部落 内で も,近 親 またはバ テ ンな どの焼 畑 地 を臨時 に使 用 す る。 焼 畑 にほ とん ど依存 して い ない 世帯 の場 合 には移 住 は もっ と簡 単 な もの に な る。 いず れ 345東南 アジア研究 7巻3号 に して も移 住 先 の部 落 に近 親 者 が 居 住 してい る こ とが大 きな条 件 で あ る。 この よ うに加 入 ・脱 退 の 自由 とい うの は,指 導 者 が直 接 部 落 民 の意思 に反 して引 き とめ る権 利 を もってい ない こ とで,移 動 の 自由が 無制 限 に認 め られ てい るわ け で は ない。逆 に部 落 か ら 特定 の者 を追 い出す の も, フ ォー マル な手段 は な く,陰 口 とか嫌 が らせ とか の イ ン フ ォー マル な方 法 で もって, 当 人 を居 づ ら くさせ る こ とに よ って果 た され る。 2.パ テゾ ) (部 落 の長 ) 部 落 の指 導 者 はbatinと呼 ばれ る。 バ テ ンの統 率 す る範 囲 は部 落 に限 られ る。部落 民 間 の紛 争 の決裁 ,諸 行事 の 日取 り決定 と遂 行 な ど部 落 民 の .)- ダ- としての役 割 が第 1にパ テ ソに課 せ られ る。 第
2
に外 部 に対 す る窓 口 と して の役 目を果 たす。 これ には(
1
)
他部 落 との関係 を処理 す る役 割,(2)マ レー人 , 中国人 な どの外 来 者 との交 渉,(3)政 府 の代表 としての役 割 , (4)部落 民 の意 思 を政 府 に伝 え る役 ,な どが あ る。SyedHusinAliは伝 統 的 な マ レ-人村 落 の村 長( peng-hulu)を (i)beingrepresentativeofthesultan,(ii)beingrepresentativeofthegovern-ment,(iii)beingleaderand spokesman ofhisalWkbuah (村 民) の三 つの役 割 を担 うもの
として規 定 してい る (1968:128-129)。 バ テ ンは マ レ-人 の プ ソ フル とそ の統 治規 模 ,任 命 方 法 , 各 々の社 会 に 占 め る地位 な ど異 な る面 も多 いが, 上 級 行政 機 関 と底 辺 との連結 老 ・連 絡 係 とい う点 で は極 め て類 似 した役 割 を持 ってい る。 まず部 落 民 の間 に紛 争 が起 こった場 合 のバ テ ンの役 割 と権 能 とを見 てみ たい。 紛 争 には 日常 些 細 な ことか ら殺 人 の よ うな刑 事 事 件 に関 わ る もの もで て くる。 1848年 に Endau川を漸 行 し た
J
・R・Loganは次 の よ うに当時 の オ ラ ン ・フル の慣 習法 を報 告 して い る0 財産 ・人身に対する罪は,彼 らが穏和であるので滅多に生 じないOすべての種類の罪は科料 を支払え ば償い得 る。科料はほ とん ど手の届かない貨幣ではな くて,たいてい粗末な陶器の皿 (pingan)でなさ れ る。姦通は事情によ り10ない し20枚の皿の科料が課され る。盗み も同様である。殺人はほ とん どない が,60枚の皿 〔の科料〕である。科料の半分はパテソにゆき,残 りの半分が被害者に渡 る。 もし違犯者 が皿 を手渡 さない場合には,被害者の奴隷になるO不平はバテンの所 に持ち込 まれ,彼は数人の長老 を 呼んで彼 らと相談す る。バテンは盗 まれた財に対 して責任 を負 うとみなされ る。 しか し盗みの告白また は直接の証拠がなければ盗人 を有罪 とす ることは出来ないo定期的な税 とい うものはバテンに対 して支 払われないO しか し贈物は しば しばなされ るO(Logan1847:274) 19世 紀 か ら 「ジ ャ クソ」 は穏 和 とい うよ り臆 病 な ので有 名 で あ る。9) ォ ラ ン ・フル につ いて も攻 撃 的 な態 度 を取 る こ とはほ とん どな く, ローガ ンの観 察 は正 しい よ うで あ る。 しか し殺 人 8) これまでの拙稿では 「パテ ィソ」 と書いてきたが,簡略化のために 「ィ」を省 く。 9) 例えば Abdullah1945:S。 人種系統は異なるがマラヤの山地住民であるSemai族に関する小冊子の副題は HA NonviolentPeopleofMalayaHである。(Dent礼n1968) 346
前冊 :ジャクソ.コミュニティの社会秩序
な どが ま った くな か ったので は な い証拠 に,Endau 川支流 の AnZIk Endau川 のバ テ ンは その 弟 に殺 され て奪位 され た とい う話 も伝 わ って い るL-, 現在 で は殺 人,傷 害 な どの刑 事事件 は - レ
- シ アの法 律 に よ って処理 され る。10)
慣 習法 (hadat)は, 日常 生活 で (部 落 民 あ るい は オ ラ ン ・フル に とって)criticalと考 え ら れ る situatinn にお い て部 落 民 の従 うべ き行 為 の規 範 の言 い伝 えで あ る。慣 習法 に逸 脱 す る者 は一般 に罰 を受 け る こ とを期待 され る。慣 習 法 に抵 触 す る事 件 が起 これ ば, ノミテ ンは関 係 者一 同 を集 め で 1),双 方 の言 い分 を十 分聴 取 した上 で, 慣 習法 に沿い なが ら裁 決 を下 す。現在 で は, ロ- ガ ンの時 代 と異 な り, 現金 に換 算 され る罰 金刑 で あ る。 しか し,慣 習法 を取 り扱 うバ テ ン の法 (hukllm)は部 落 ご とに違 うの で,部落 問 に またが る係 争 の時 は あ らか じめ該 当 の/ミテ ン の hukum とい うもの を問 い合 わ せ てお くC と ころが, この刑 を強 制 す る物 理 的 力は誰 に も付 与 され てい ない。 昔 は (ロ-ガ ン も上述 に報 告 してい る よ うに) 罰金 を支 払 わ な い者 は,奴隷 (ulnr)とな った とい う言 い伝 えで あ るが , 現在 は,社 会 的 な謎 責 ,心 理 的 な圧迫 (恥 ず か しさ m・llu)と超 自然 的 な応報 とが慣 習 法 の最 後 の拠 り所 で あ る。 Cooleyは Ambon で は,祖 先 に 対 す る敬意 が ア ダ ッ トのサ ン クシ コソの根本 的 な もので あ る としてい るが, オ ラ ン ・フルで は 当 ては ま らない。 バ テ ンに権威 を与 え てい る一 つ の源泉 は,政 府 か らの認 証 で あ るが ,後 に述 べ るよ うに政 府 の権威 そ の ものが彼 らに通 用 す る とは限 らず,また警 察 の 力 に して も, オ ラ ン・フル が critical と考 え る situationで は無 力で あ る場 合 もあ る。 あ る ケー スで,他 部落 の被告 の青年 が使 者 を 出 して も呼 びだ Lに応 じない ので, /ミテ ンは部落 の者 に警 察 に訴 え て も逮 捕 す る と宣 言 した。 しか し, この青年 は そ の,;テ ンの部落 の女性 に恋文 を2度送 った とい うだけ の罪 な ので あ る。 結 局 , そ の青年 は警 察 で は な く,彼 の u・aliの説 得 に よ ってノミテ ンの許 に出頭 して き たo 盗 み につい ては, オ ラ ン ・フル は絶 対 に しない と言 う。確 か にそ の コ ミュニテ ィの中 では, あ ま りに f・TtCe-tO-f,l′CCの関 係が 強 い ので, 盗 み は す ぐに発 覚 して しま うとい うことが 明 らかで あ る。 ただ彼 らが 部 落 の中 に手 くせ の悪 い人 間が い る と言 う裏 には,盗 み が ま った くない ので は ない こ とを示 して い る。 あ る青年 が町 (Keluang)の中 国人 の店 で盗 み を して捕 ま った (と い う喝 の) ニ ュー ス の シ ョ ックの大 き さは と もか くとして, 彼 が部落 に帰 って きて も, 部落 内 で は問題 にな らなか ったO 部落 外 で起 こった事 件 で あ る こ とが そ の理 由で あ るO そ の上, は っ き りとした (現行 犯 の)証拠 が なけ れ ば罰 せず とい う原 則 も, 部落 の人 が 面 と向か って そ の
青
年 に盗 み の こ とを問題 にす る ことを避 け させ てい るo 姦 通 ,近 親相 姦 ,結 婚 , 離 婚 ,性交 渉 ,相続 な どに関 す る慣 習 は,拙稿 「ジ ャク ソ(オ ラ ン・ フル ) の結 婚 と離 婚」 (1り69)に詳 述 したので省略 す る。 バ テ ンが介 入 す るのは,婚 姻締 結 の際 10) 同時に,死罪に値すると言われ ,:'き′ようだい相姦 も,実際に発生 したとして も慣習法 の定める死非 は適用できないことになる〔 ll) 場所はバテンの家か,集会所のある所はそこで行な う「 347東 南 ア ジ ア研 究 7巻3号 の仲 介 と認 証 , 離婚 の認証 ,離 婚 の財産 分割 ,慰謝 料 の監査 な どで あ り, その他 の罰金 すべ て バ テ ンを通 して受 授 され る。 夫 婦 の間 の ことは すべて夫婦 が解決 すべ き もの とされ てい るが, 第 Ⅰ節 で述 べ た よ うに,夫 が妻 に暴 力 をふ るった りした場 合 には罰金 が課 せ られ る。 逸脱 行為者 に対 す る制裁 は, バ テ ンが慣 習 法 に よって罰金 の額 を言 い渡 すだけで あ るが,メ テ ンは原告 ・被告 が共 に納 得 す る判 決 を下 さなけれ ば,判 決 が履 行 され なか った り,不 服が 出 た りす る。 この為 に,バ テ ンは常 に部落 民 の意 向を十分 に汲 み取 り, うる さ方 を うま くまるめ こめ る 「かけ ひ き」 と 「術 策」 とに長 け てい る ことが必要 で あ る。通常 あ る事 件 が起 こる と, まず イ ンフォーマル な形 で部落 民 の間で種 々意 見 が かわ され る。 当事 者達 の家 には それ ぞれ の 共 鳴者 達が集 まるのが常 で あ るか ら,/ミテ ンは双方 の家 に行 きあ らか じめその主張 を聞 く。 こ こでバ テ ンが 自分 の意見 を若 干 で も表 明 してお くと,/ミテ ンの意 向 として当事 者達 に考 慮 され るO 当事 者達 あ るいは村 の主要 な者 は,バ テ ンの家 を訪 ね て話 し合 い を続 け るO 次 に折 を見計 らって, バ テ ンは事 件 を公事 として, 当事者 お よび関係者一 同 を集 めて捌 きを行 な う (buka kes)。 この捌 きは当事者 か らの要請 と,バ テ ンの独 自の判 断 で開 かれ る。 ここで発 言 す るのは 原告 ・被告 とみ な され る本人達 よ りも,彼 らの親 族 の代表 達 が代 わ って主 張 す る ことが多 い。 両者 の言 い分 が 出 そ ろ った所 でバ テ ンの判 断 の開陳 が あ り, それが い ちお う認 め られ る と,判 決 が言 い渡 され る。 この判 決 は同時 に決定 で もあ り命令 で もあ る。 これ は部落 内では覆 す こと が で きない。 これ に対 す るには,不 服組 の逃散 か,バ テ ンの罷免 しか ない。 諸 行事 の 日取 り決定 と遂 行 に関 して, /ミテ ンの重要 な役割 は焼 畑地 の開墾場所 と日取 りの決 定 ,刈 り取 り開始 日の決定,部落 の疎 い な どが あ る。 共 同開墾 とか,労 働 力交換 の組織 な どはな く,各世 帯単位 で農作業 を行 な うことを原 則 とす る。 しか し,焼 畑 の際 と収穫 の際 は呪術 的 な意 味 も加 わ って,部落 い っせ い に行 なわれ る。 マ レー人一 般 に,家 を建 て る所 や開墾地 の蔽 い,全村 を大災害 や病気 か ら守 る祈 り,土地 ・河神 -の豊鏡 祈願 な どは,pawangの儀 礼的機能 の中 に数 え られ, パ ワン12)はい ちお う専 門職 として 他 の村 民 か ら区別 され るのが普通 で あ る(Husin1968:119)。 オ ラ ン・フル で もパ ワン(Logan は poy(-'lng とす る- 1844:275) とい う語 もあ り, と くに土 地 のかみ (jim bumi)を宥 め る の に力 の あ る呪術 師 で あ ると言 われ る。 これ は特 に病気 な どの治療 者 として の bomoh と対 照 させ た場 合 で あ るが,両者 の間 は質 的 に異 な る もので はな く連続 的 な もので あ る。一般 に/ミテ ンは このパ ワンで もあ ることを期待 され る。 厳 密 に言 えば,上記 に/ミテ ンの役割 としたのはパ ワン としての仕 事 が大部 分 なので あ る。 ただ そ の最 終的 な決定 はパ テ ソの手 にゆだね られ てい る。 パ ワンは あ くまで も超 自然 界 との コ ミュニ ケーシ ョンの媒 介者 で あ り, 現実 の世界 で はノミ テ ンが決定権 を有 す。 この ことは, バ テ ンが開墾地 のパ ワンで なか った り, またパ ワン と目さ
12) pawang,bomoh などについては別稿で取 り扱 うO 参考 として Husin1968:110;Downs1967: 169;Skeat1900;Wilkinson1932;Maxwel11907:224ff・な ど。
前田 :ジャクソ・コミュニティの社 会秩序
れ る者 が部 落 の 中 に複 数 い た りす る時 に重 要 で あ る。 しか し, 実際 は部 落 の中 に他 にパ ワンが
い て も調 査部 落 で は/ミテ ンがパ ワ ンの役 割 を果 た してい た。
部 落 の斤勘 、 (bela kampong)は マ レ-人 に も報 告 され て い るが (Djamour 1959:20-21;
Evans 1()23:27()-280),この 目は/ミテ ンの haribesar(大 きい 目,
即
ち祭 日) とされ ,毎年 1回悪 霊 か ら部 落 を守 り,繁 栄 と健 康 とを祈 る饗 応 が催 され る。 Cooleyの調 査 した Ambonの よ
うに実際 の清掃 が伴 うこ とは な い (Cooley 1()62:60-62)O 部 落 民 の結 束 を悪 霊 に ことよせ て
再 確認 す る集 ま りで,遠 くに仕 事 に 出か け て い る者 も必 ず呼 び返 され る。 要 用 の大 部分 は/;チ
ンが 負担 す るの で, そ の 日時 も/ミテ ンの都 合 で悪 意 的 に決 め られ る。
バ テ ン以外 の政 治 的 な役職 は現在 で は な い013'昔 はノミテ ンの上 に,Setia,jekerah(jurukerah),
ノミテ ンの下 にpema′ngkohとい う位 階 が あ った とい う。14)Skeatに よれ ば Besisi族 で は Batill
- Jinang- Jukrah- Penghulu- Panglim(-Lとい う順 で階続 が下 が り(Skeat良 Blagdel11()0(): ヰ()ヰ),Loganに よ る と Bermun請族 で は よ り階 層 化が み られ,Mintira (-Temuall)族 で は
Batin- Jinang- Jukra (Jorokra)が あ り, この下 に複 数 の Panglimaと Uluba′langが い た
とい う(1847:275)。 現在 で も Rompillの町 の近 くの政 府 設立 部落 に住 む ジ ャ ク ソの中 には,
Jurukeraとい うの を結 婚 な どの慣 習 を良 く知 ってい る者 の意 に用 い てい る。 た だ し,Roml)ill
川 の奥 地 で は/;テ ンだ け しか知 られ てい な いoTasek Beta(パ - ソ州 南部 の大潮 ) の酉 側 に
住
む Semelai族 で は, この階統 制 と似 た ものが あ るが, む しろバ テ ンの下 にあ る数 個 の集落 の 長 を区別 して呼 ん で い る と解釈 す べ きで,集 落 間 には何 らの上 下 関 係 が見 られ ない。 使 用 す る
名 前 もマ レー人 の影響 で変 化 す る と言 うo 上 記 の諸族 の階統 名 に して もbatin と jekerah と
を除 い ては - レ∼語 起 源 の役職 名 で あ る。
オ ラ ン ・フル の伝説 で は,昔 Raja Benua とい う (ジ ョホ ール の)スル タ ンの妹 が世 を捨 て
て ジ ャングル に移 り住 み, そ こで 男 の子 を養 子 と し, そ の子供 が成 人 してか ら, 彼 と結 婚 し
て, マデヅ(Madek)川上流 の Temehelとい う所 に住 ん で オ ラ ン ・フル を治 め た。 彼女 のい た
Kamapanで は千 人 も人が い た という 。 彼女 の墓 は ム リアム (Meliam)川の川岸 に あ る と言 わ
れ る。 この王 女 の子孫 (chuchu,chechet,uneng,piot)が マデ ッ
川
か らエ ソダ ウ川支流 の ム ソトゥロ ン川 に来 て住 み 始 め, 最 近 まで そ の節 ヰ (?) 世 代 の子孫 が 生 きてい た とい う。 (これ
は主 として Endauの Jorakのバ テ ンか らの informationで,Hervey 1881:12,MikluchoI
Maclay 1878:21()-220な どに もRaja BclluとLの話 は 出 て い る.)
現在 のバ テ ンは この liaja I3cnuaの子孫 で あ り, バ テ ンに なれ るのは本 当 は suku Bcnua
(I3enuaか ら一 系 の子 孫 ) あ るい は suku saka (- sakat?)batinの筋 の者 のみ で あ ると も言
13) 例外 として,最 も新 しく/Jj:,たバテンであ,/i T)et(-1部落のバテンは,補佐役 としてW(1kil(代理)
を 1人決 めてい る。
14) 例 えば,pakaituju(しめ し合わせによる結婚)の罰金は Seti乙t:25トル ;Jekerこ1:161/ル;tuha
(年寄 り):1Oトル ;ノミテン:L1ドル;1)Crilna。 (-LLnakbutLll):bトル と区別があ・Jたとい うC
東南アジア研究 7巻3号
われ る。 この Suku saka以外 の者がバ テ ンにな ると必ず失敗 して しま うと言 う。 バ テ ン職 が
前バ テ ンの男の子供 に継承 され るのは望 ましい とされ るが,必ず sukusakabatinの者でなけ
ればバ テ ンになれない とい うのではない。調査 4部落 の内,父一子関係 でバ テ ン職 を継承 した
のは TanjongTuan 音ri蕗のバ テ ン (Yusop)だけであ るo
バ テンの任命 は, もとのバ テ ンが死亡 したか,辞任 した後 に,部落 内で熟議 され る。 上述 の よ うな こ とは考 慮 され るが, あ くまで もバ テ ンとな る者 にみんなが従 え るか ど うかが重要 な点 で, む しろ他 の条件 はそれに付随 して考 え出 され る裏付 け にす ぎない とも言 え る。 陸 ダヤ ツ族 の部落長 (tuakampong)の条件 を Geddesは三 つに まとめてい る。 (1)前の(良 き)/;テ ンとの 血縁関係,(2)年齢- 結婚 して既 に数年経, しか も年寄 りすぎない者,(3)富- 財産 を蓄積 し た者。 (1)(2)の条件 はその ままオ ラン ・フルに もあては まる。 (3)に関 しては,陸 ダヤ ツの様 に 「良運」 は伝染性 の ものであ るとい う信念 はないが,一般 に他 の者 よ り生活 にゆ と りが あ ると 見 られ る者が妥 当だ とされ る。 この3条件 のほかに,呪術 師 として認 め られ,政治的 に うま く 立 ち回 り,説得 力 ・弁舌 力の あ るとい う条件が オラン ・フルでは重要 であ る。ノミテ ンはその表 章 として何か特種 な不可知物 を持 ってい ると言 われ るが (Skeat
皮
Blagden 1906:95),現在のエ ソダウ川では見 られない.青銅製 の どら (sentawa;マ レ-語 では gong)は祭 りの時 に使
われ,部落 に危急 な事態 が起 こった時 に合図す る為 にバ テ ンの家か部落の端 かにつ るされてい る。 Jorak 部落では と くに sentawa がバ テ ンの表章 だ とは考 え られていない。 オラ ン ・フルに言 わせ ると,バ テ ンとは曲が った事 を言 わない,筋 を通 す人で あ り,不正 な ことをバ テ ンがなす と罰 を受 けて死 ぬ こともあ るという 。 従 って/ミテ ンにな る者 は十分 な覚悟 を必要 とし,中にはバ テ ンにな ることを辞 退 す る者 もい る。 とにか く primusinterpares と して,部落民の意 向を伺 いなが ら,説得 と時 には カ リスマ的行動 に よって部落民 を従 わせ る必 要が あ るので,年長者が沢山 い ると支配 しに くい と, すべてのノミテ ンが 口にす る。 しか し,メ テ ンの特権 として罰金 の配分 な どに関 して一任 されていて,彼 自身の取分 もあ り,部落 内お よ び部落外か らの贈物 はバ テ ンに集 中す るので,富 の蓄積 も容易であ る。 とにか ぐ慣習法 の最終 責任者 としての特権 は大 き く (cf.Leach 1936:86), その地位 に対 す る誇 りも高 い。 バ テ ンは 自分 か らその地位 をお りることもで き るし, また部落民の不平が募 って地位 を去 ら ね はな らぬ よ うな場合 (jatoh 「落 ち る」 と言 う) も起 こ り得 る。逆 に賢 明なバ テ ンは自分 の主 張 を通 そ うとす る時 には,離職 とい う武器 を もって部落民 を説得 した りす る。退位 したバ テ ン
は batin tuba (seniororold headman) と呼ばれ るが,正式 な権 限は何 も持 たない。15)
15) 亡 くなった Peta部落のバテンは一度退位 してから,また望まれてバテンになった。Jorak部落の
ノミテンは彼を評 して,/iテ./の血統 (sukusakabatin)でないのにバテンになったから死んだのだ
と説明する。
前 田 :ジ ャ タ ン ・コ ミュ ニテ ィの社 会 秩序 3. 部落 内の葛 藤 バ テ ンは外部 に対 す るスポ ー クス マ ン として, す べての交 渉 を取 り行 な うので,外部 の者 は バ テ ンの力 を過 大評価 し, /ミテ ン さえ納 得 させれ ば オ ラ ン ・フル の部落 は動 かせ ると安 易 に考 え る。 しか し,上述 の よ うに/ミテ ンは常 に部落 民 の支持 を必 要 とし, 部落 の統 合 に苦心 す る。 まず潜在 的 な対立 が あ らわれ て くるの は,他 の家 を訪 ね て (juros)うわ さ話 を し始 めてか ら で あ る。(Roberts,1964:441) この うわ さ話 は部落 の イ ソフ;i--マル な意見調整 方法 として 自 分 の主張 す るこ とを相 手 に納 得 させ た り,情感 を述 べ た り, 自分 の味方 を増 やす為 に重要 で あ る。 この 口頭 で の言 い合 いが継続 して行 なわれ,敵対 万 に意 図的 に聞 こえ るよ うにな され る時 は緊 張が非常 に高 い と言 え る。 そ して この うわ さ話 の担 い手 は,主 として女性 で あ るo 結 婚 ・離婚 をめ ぐる親族 の思惑 に あ らわれ るよ うに,葛 藤 の一 つの原 因は経済 的 な もので あ る。 富 の蓄積 その ものは悪 い ことで は ないが, その蓄積 を隠匿 して 「ケチ
」
にふ るま うとね た み を買 うo 富 を大様 に分 か ち与 えれ ば,威光 とあ る程 度 の権 力 を得 るC バ テ ンは この後者 で あ る ことを期待 され る。 即 ち,良 き徴収老 ・受納 者 で あ ると同時 に, 良 き再 配分 者 で あ るべ きな ので あ る。 この観点 か らす ると, 部落 内の小 店経 営者 (前田 1969a:()8)は金 を不 当に儲 けす ぎ る こと にな る。 =働 かず に " 町 の小売 商 と同 じよ うに金 を得, しか もバ テ ン と違 い, その金 を他の者 に再 配分 す る ことが ない ので部落民 か ら悪 感情 を抱 かれ る。 その よ うな小 店が 中国人 に よ って 経 営 され てい る こと も, 決定 的 な要 因 ではないが,対立 を深 め る一 因 とな るo その上 Jorak部 落 の場 合,ノミテ ンの妻 のね たみが, その小店 経営 の 中 国人 の (オ ラ ン ・フル の) 妾 に向け られ, これ を契 機 としてバ テ ンの妻 につ くもの と, 後者 に つ くもの と二 つの グル ー プが 出来 て複雑 と な ってい る。 その間 には, ブ ラ ック ・マジ ックをす るとか,素行が ふ しだ らで あ る とか,金使 いが あ らい とい ううわ さ話が頻 々と して乱 れ飛 び,結 局 ,調査 期 間後,小店経営 の一家 はエ ソ ダ ウ川 か ら他 の地域 - と移 住 してい った。 オ ラ ン ・フル社 会外 と何 らかの関係 を持 つ75-ラ ン ・フル とそ うで な い者 の問 に も分 裂が見 ら れ る ことが あ る。 前者 は マ レー語 を上 手 に話 し, 中 国人, マ レー人 と うま くや っていけ る者 で あ る。 この極端 な形 は (エ ソダ ウ川流域 にはいなか ったが) マ レー語 しか話 さない オ ラ ン ・フ ル とな って あ らわれ て くるO 外 部 との接 触 が上 手で - ユ-ス源 を沢 山持 ってい る者 は,一万 で は相 談 事 な どで頼 られ るが, 他方 ね たみ と敵意 を も受 け る。 外界 との接 触 の度合が 明確 に あ らわれ るのは,部落 内での屠 任地 の選択 で あ る。Aycr(水)と Darat(奥 地 , あ るいは dalam)の相違 で あ る。Ayerの居 住地 とい うのは川沿 いの ことで,
Daratのほ うは川 を離れ た焼 畑地 に あ る家 /<の こ とで あ る。 この区別が 明確 に あ らわれ てい る
のは Jnrak 部落 で, 両者 の間 には外 部 の者 に対 す る態 度が慣 れ慣 れ しさ と, よそ よそ しさ と
で区別 され る。 両方 の居 住地 の間 には っき りと した敵対意識 な と とい うものは ない。 しか し分
東南 アジア研究 7巻 3号 裂 してい く可能性 は秘 めてい る。 現在 の集落 はすべ て川沿 い にあ るが, 昔 は川か ら
4.
5
マイル も内陸 に集落 を作 るほ ど, オ ラ ン ・フル は臆病 であ った とも言 う。 Ⅳ 部落 間の反 目と団結 Denai部落 のバ テ ンは, 「すべての部落 は同 じ仲 間で あ るが ,その.Lhは各 々違 うのだ。 だか らわれわれは一 つの国 を作 らないのだ」 と言 う。 一 つの川 に住んで い るとい う地縁意識 は強 い に もかかわ らず,部落 間の ライバ ル意識 は強 い。部落 間 の反 目の第 1は,バ テ ン間 の反 目に通 じる。他 の部落 のバ テ ンが部落統 治 に無能 で あ って,私 利私欲 を肥 や してい るだけだ とか,身 持 ちが悪 い,金 の ためな ら何 で もす る等 の中傷 を自部落 の者 に常 に宣伝 す る。 部落 その ものに ついて も,家 の配 置が乱雑 で あ るとか,敷地 が汚 い,蚊 が多 い,女が だ らしない等 と悪 口を言 う。 部落 間の反 目と言 われ るのは,部落民全体 の敵対関係 ではな く,/ミテ ンの部落維持 の為 の 「か らく り」 で あ り,部 落民 は 自分が現在 の部 落 に居 ることを正当化 す る為 に, その 「か ら く り」 を積極 的 に支持 す る。 他部 落 に対 す る批難 は他部 落 民 に面 と向か って言 われず に,バ テ ン 同志 の関係 は友好的です らあ る。 しか し,陰 口は親族 な どを通 じて相手 の耳 に も当然 入 り,敵 対感情 を高 め ることにな る。 現在 のエ ソダ ウ川流域 お よびその他 のオ ラ ン ・フル の領域 では,諸部落 を統轄 す る大首長 は な く, また部 落 の連合政府 とい うもの もない。 /ミテ ンは既述 の ご とく,部 落 内 にだけ権限 を持 ち,他部落 に関 しては無 力で あ る。 部 落 間 に またが る事件 は両部 落 のバ テ ンに よって協議 され て,処理 され る。部 落員の多 さ,外部 に対 す る交渉 の上手 さ,慣習法 に対 す る知識 の豊 富 さな どによ って, 自ず と各部落 のバ テ ンの間 に格 差が つけ られ ることは あ る。 1番 と言 われ るバ テ ンは,′ミテ ンの問で も指導的地位 を占め る。調査 4部 落 の問では, 1番が Jorak の Batin Jamil, 2番が Punan の Batin Ali, 3番
が Tanjong Tuan の BatinYusopで あ ると言 われ る。Peta の/ミテ ンは,バ テ ンにな ったば
か りで あ るので問題外 とい う所 で あ る。 この中で最 も長 くバ テ ン を勤 め てい るのは Aliで,
Yusopの父がバ テ ンで あ った時 か らで あ る。Jamilは Yusop の父 が/ミテ ンで あ った時, その
部 落 か ら分離 して出た もので あ る。 彼 の言動 は筋 が通 ってい て,政 府 に対 しオ ラ ン ・フルの要
求 をつ きつけ て,実行 させ る説得 力 を持 ち,部落民 に言 わせれば 「勇敢 な」 (berani)ので あ る。
同時 に,他部 落 のノミテ ンか らブ ラ ック ・マジ ックをす ると陰 口をH桐 、れ るほ ど,呪術師 として
の評判 も高 い。
パ テ ソ Jamilの養父 Jering は Yusop の父 (Puasa) の父 で,七 つの
川
16)を支配 してい たとい う。 Jamilは外部 の者 に この ことを強調 し, 自分 が エ ソダ ウ川 の総 ノミテ ン とな って も不都
16) Lengo,Kemapan.Emas,Kenchen,Pemango,Kemedah,Lalu(Le ngoの奥)の七つである。
前田 :ジャクソ ・コミュニティの社会秩序
合 で は な い こ とをほ の め か す。 Jamilは父 と言 う時 この Jering を指 すが ,Yusop の ほ うは , Jamilか ら見 れ ば お じ- お い の関 係 で あ るが , (実 際 の血 縁 を た ど って) 同世 代 の年 上 と して Jamilを扱 う.17)
19世 紀 の状 況 は若 干 異 な った よ うで あ る。
古代のべ ヌア王 (Raja Binua)の子孫であ る 13atin Onastiaが身分上および名 目の権威 の上で もっ とも高い。Simrong 【Semberong]川とAnak lndau川の合流点 よ り下流域 のエ ソダ ウ川 には Batin HambaRajaが住んでい る。 エ ソダ ウ川の支流であ る Linggo川は 13atin StiaRajaの下 にあ り, 彼は偉大 な執 行官で もあ って,BatinOnastiaとの関係は,マ レー人で言 えばジ ョホール州のTalnung一 gong 【Temenggong]とスルタンとの関係に似 てい る。Tanjong Bonko付近の Simrong川は Bati11 Stia Batiの下 にあ り,よ り上流の Gagau 付近 は Batin Jokra に属 し, さらに源流に近い地域は BatinDewaKosuna と13atin Bantaraとに属す。最後の二つを除いて, これ らすべてはパ- ソ [ジ ョホ-ルの誤 り〕領内にあ る。 ・.・・-各/ミテンは各 々の管轄区域 内では絶対的な権威 を有 してい る。 しか し困難 な事件や異常な事件があ ると,Onastiaを除 いた全ノミテン会議 にかけ る。 ベ ヌア族全体 に関わ る 事柄 も同様 にその会議 にかけ られ る。 彼 らの協議は しば しは非常 に長 び くと言われ, と くに古い慣習法 (hadat)の知識では間 に合わないよ うな新奇 な事件に対 してはそ うであ るC (Logan 1874:2731274) 地 域 ・河 川 の綴 り ・同定 な どで Loganの誤 って い る所 もあ るが , 彼 の挙 げ て い る各 /ミテ ン の 名 称 が慣 習 的 な称 号 で あ るの か , あ るい は 各 自が ま ち まち に マ レー風 に 自称 して い るの か不 明 で あ るの は残 念 で あ る。 Batin Onastia (ona
+
stiaか- Skeatは Anak Setia と解 して い る。 1906:513)の 意 味 は不 詳 で あ るが , そ の居 住 地 が Loganに よ って報 告 され て い ず , そ の 後 エ ソ ダ ウ川 を訪 れ た旅 行 家 達 も言 及 して い ず , 現 在 も使 用 され て い な い所 か らす れ ば, 若 干 疑 わ しい点 もあ り, ま た全 /ミテ ン会 議 に 彼 を除 外 す る とい うの も不 思 議 で あ る。 と もか くエ ソ ダ ウ ・ス ソブ ロ ン川 に6- 7人 の /ミテ ンが 各 々集 落 を作 り, バ テ ン間 に は何 らか の 上 下 関 係 が あ った よ うに見 られ る。 ま た, 前 述 の Semelaiの よ うに各 部 落 が 枝 村 的 な存 在 で あ っ た こ と も想 定 可 能 で あ る。 7人 の /ミテ ンの 名 が 挙 が っ て い るの と, Jorak部 落 の Jamilの養 父 が 七 つ の川 を支 配 下 に お い て い た こ と も関 連 が あ るか も しれ な い。 い ず れ に して も, フ ォー マル な支 配 - 服 従 関 係 は見 られ ず , イ ン フ ォー マル な影 響 , 助 言 , 干 渉 の 関 係 が , オ ラ ン ・フル の部 落 問 に は あ っ た し, 現 在 もあ る と考 え られ るO そ して部 落 間 の反 目 をの りこえ, 「オ ラ ン ・フル 」 と して の帰 属 意 識 が 外部 の者 と接 触 す る時 に強 く働 く。 そ の帰 属 意 識 は , 単 に血 縁 的 , 地 縁 的 な もの の ほ か に, 同 じ差 別 待 遇 を受 け る被 圧 迫 民族 で あ 17) バテンは部落の領域 に来 る外来者のチ ェックもす る。 Jorak部落の上流 に Tanjong Tuan部落が あ り,その上流 に Tanah Abangと呼ぶ丘があ るC この Tanah Abangの近 くに1人の老中国人が 畑 を作 り膝 を売 って生活 してい る。 JamilはTanah Abangも (昔 そ こに住んでいたので) 自分の受 持 ち区域 と考 え, この中国人の所 に盗人が入 った時 に も 「調査」にてかけてい る。 また同付近で中国 人 とマ レー人が木材伐採 に入 った時 も,自分の責任 だ とい うわけで,彼 らか.許可 を持 ってい るか どう か調べにい ってい る。 これ らは Yus()pに連絡 な く,独 自に行動 した ものてある0東南アジア研究 7巻3号 るとい う意識 によ って も支 え られ てい る。 Ⅴ 外部世界 との従属関係 外部 世界 とい うのは, オ ラン ・フル の作 る集 団外 の社会 とい う意味で あ る。歴史的 に見 ると, オ ラ ン ・フル と他 の人種 との接触 は古 くか らあ り,少 な くとも19世紀 には, マ レー人行商 人, 役人や西欧 人の旅行 ・探険家,若 干 の中国人 との交渉が あ った ことは確 かで あ る。 20世紀 に入 って もしば ら くは同 じよ うな状態が続 くが,山師 な どが増 えた。 オ ラン ・フル の記憶 に残 る重 要 な歴史的事件 は,(a)第2次大戦 中の 日本軍 のエ ソダ ウ川渡河 と Keluang- の進撃
,
(b)共産主義者 の蜂起時代,(C)Tanah Abangの麓 の Langkapでの鉱業, の三 つで あ る.必 ず しも絶
対年代 の比定 に役立 つわけではないが, この三 つの事件 はオ ラン ・フル を大量 に外部 の者 に接 触 させ た とい う点で重要 で あ る。 (1) gaamen(政府) Loganは, パ-ソとジ ョホールの境界はベヌア族の償土を縦断している。 アナッ ・エソダウ州全体 とシムロン 〔スソブロン
〕
川の下流域はパ-ソ領である。その他の川 (マデヅ川をも含めて)はジョホール領であ る。ブンダ-ラ 〔パ-ソ州〕 とトクムソゴソ 〔ジョホール州〕の権威は名 目上のものにすぎず,ベヌア 族の問題は完全に彼 ら自身の首長によって処理され,各々の首長は一定の地域の管轄権を有 している。 (Logan 1847:273) と述べ てい るO形 の上 ではパ- ン州のブ ンダ- ラ と, ジ ョホ-ル 州の トゥム ソゴソに下属 して い たが,部落- の接近 が容易で ないので放置 され ていた ことがわか る。 現在で も, もちろん各 州のスル タ ンの臣民 で あ ることには変 わ りないが,行政 上各 州の原住 民局 (Jabatan Orang Asli)の保護 の下 にあ り,/ミテ ソは (部落民 によって選 ばれ てか ら) 州知事
(
Me
nt
e
r
iBe
s
a
r
)
か らの認証 状 を もらい, ボ ケ ッ T・マネー として年 間4
0
マ ラヤ ・ドル を受 け取 る。法律上 はバ テ ンの改廃 も政府 によ ってな され る。18)部落 内の権 限 は, しか しなが ら, い っさい このバ テ ンに任 され,政府 の指定 す る地域 内で住 む限 り,原住民生活優 先 の保護 が加 え られ る(前 田1969a:90)。逆 に原住民 の国 に対 す る納税 の義務 な どは行 なわれ ていない。原住民局 の地 区担 当官 (PembantuOrangAsli)は,数個 の原住民部落 を監督 し,政府 (Gaa一
men) か らの連絡 を伝 え,部落民 か らの要 望 を政府 に伝 え る役 目を果 たす。 エ ソダ ウ川流域 の
ジ ョホール州側 の5部落 の担 当官 は,パ ダソ ・エ ソダ ウの町 に住 む マ レー人で あ る。担 当官 は
月 に1- 2回各部落 を巡 回す るほかに,上級役人の巡 回の案内,政府支給物 の運搬 ,行政上 の
18) The Aboriginal PeoplesOrdinance,1954・Federation of MalayaGovernment Gazetteof Feb.25,1954,Vol.ⅤⅠⅠ,Not5,KualaLumper,
前田 :ジャクソ・コミュニティの社会秩序 伝 達 な どの為 に時 に応 じて部 落 を訪 ね る。 彼 の接 触 す るの は /ミテ ンが 最 も多 く, 部 落 の情 報 は ほ とん どバ テ ンか ら入 手 す る。 一 般 部 落 民 は 好 ん で 彼 に接 触 す る こ とは な く, 尋 ね られ て も多 くを語 らず , バ テ ンに任 せ て し ま う。 例 え ば, 部 落 の者 の 中 に病 気 の者 が い るか ど うか直 接 尋 ね て も, /ミテ ン以 下 た い て い の者 が , 誰 も病 気 で な い と返 事 す る。 が , 実 際 に は 熱 病 に苦 しむ 者 が い るの で あ る。 この場 合 は病 人 が 部落 の呪 医 (bomoh) の治 療 を受 け て い るか らで あ る。 この種 の意 志 の疎 通 を欠 く こ とは常 に見 られ る。 政 府 の 役 人 に対 す るオ ラ ン ・フル の態 度 に は 「ふ てぶ て し さ」 さえ且 られ , 権 利 と して政 府 に要 求 す る所 さえ あ る。 これ は 力 の あ る者 に 無 力 な者 は 従 わ ね ば な らな い とい う思 想 で は な く, 持 て る者 が 持 た ざ る者 に与 え るの は 当 然 の こ とで あ る とい う哲 学 に根 差 して い よ う。 従 って, 持 て る者 に請 う(minta) こ とは 何 ら不 都 合 は な い の で あ る。19)持 て る者 と持 た ざ る老20)との対 比 が , 非 オ ラ ン ・フル とオ ラ ン ・フル との 関 係 に す りか え られ た時 , 外 部 か らオ ラ ン ・フル の 社 会 に来 た者 は非 常 に不 愉 快 な気 指 に させ られ る。 と ころが オ ラ ン ・フル 同志 で は 強 く経 済 的 な相 互 性 が 働 い て い るの で , ジ ャ ン クシ ョンの カテ ゴ リー に お け る物 は必 ず 対 価 物 との交 換 を 期 待 され , ネ クサ ス の領 域 の物 だ け が 長 期 間 の サ イ クル の交 換 を予 想 して, そ の場 で は 対 価 な しに要 求 し得 る (ジ ャ ン クシ ョン, ネ クサ ス に関 して は 前 田 196()a:91参 照 )。 非 オ ラ ン ・フ ル に対 して は , この ジ ャ ン ク シ ョ ンの領 域 の物 を対 価 ′よしに取 ろ う と す る の で あ って, オ ラ ン ・フル 内 の ネ クサ ス の交 換 活 動 とは 明確 に分 か たれ ね ば な らな い。 この よ うに, 保 護 と援 助 を与 え る政 府 代 表 もオ ラ ン ・フル の味 方 と して十 分 に認 識 され て い ず , 担 当官 も無理 に 部 落 の 内政 に は 口出 し を しない O 双 方 に まだ不 信 感 が あ る こ とは否 め な い. た だ, 政 府 の決 定 を 自部 落 に有 利 に持 って い く こ とは , /ミテ ンの威 光 を高 め る手 段 の一 つ と し て利 用 され る。 井 戸 ,学 校 ,ク リニ ックな どを 自部 落 に設 置 して も らっ た り,舷 外 エ ン ジ ン,や ぎ な ど を寄 贈 して も ら うな どで あ る。 ノミテ ンは担 当官 に,死 亡 ・出生 届 ,移 住 届 な ど をす るほ か に,政 府 許 可 の必 要 な 経 済 活 動 をす る際 の ラ イ セ ンス取 りを頼 ん だ りす る。 い わ ば ,オ ラ ン・フ ル と外 部 との公 的 な接 触 は ノミテ ン と担 当 官 との 間 の細 い パ イ プで結 ば れ て い るに す ぎない 。21) 19) 初期のフ ィール ド・ノ- トを くってみ ると, 「ガツガソとした物盗 りに も似 た態度
」
「砂糖 に集 ま ろア リ」 に大分悩 まされてい る。 ところが, いつの まにか 「搾取 され る恐れ」 をな くして しまって, 対等 につ きあ ってい る。一つにはオラン ・フル として認 めて くれたか らであろ うか。 マ レー人のむ ら で も同様の経験 をす る。 しか しマ レー人は最初 は仮面 をかぶ っていて,他人に物 を請 うな ど恥ずか し くて出来 るものか とい う麻 を してい るo しか し,い ったんその壁 をと り除 くと, どこまで もつけ こん で くる。 もちろん,なかには対等 のつ きあいを しだす老 もてて くるが,む ら全体が調査者 をマ レー人 として受け入れて くれ るのは極 めて困難 といえ る。 ZO) この2者 を不当利益者 と被搾取者 として説 明す る者 もあ,^J。一時共産 ゲ リラ活動が盛んな頃,共産 主義者 と行動 を共 に した者 もあるので,そのよ うな時 に得 た知識 か もしれない。 21) 政府の役人の命令は無視 され ることか多い。 例 えば,担 当官 が, ラジオ ・セ ッ トの贈物 を持 って き た州保護副官 と共 に Jorak 部落 を訪れたO 担 当官は学校建設のためのス レー トやセ メン ト,Tl,舟に積 んでいたので, 近 くにいた数人の若者に荷上げ を折 んだO これに対 し若 者達は `一m;11こLS :=い って 散 って しまい,そばにいた/ミテ ンも若者達に何 とも言わ,'L;か ったO保護Irf廿tl・:が帰 ,3時に左 -〕て (また (-)づ く) 355東南アジア研究 7巻3号 エ ソダ ウの町 の村 長 (penghulu)は オ ラ ン ・フル に対 して実 際 上 の関与 は い っ さい してい な い。 行政 上 は Mersingの Districtに入 るが, これ は エ ソダ ウの町 に出 てか らさ らに 40km も陸 路 を行 かね は な らぬ ので, バ テ ンが ポ ケ ッ ト ・マネ ー を取 りに行 く時 だ け関係 す る。 (2)tauke(華僑) 19世紀 の交 易権 に つい て Logan は次 の よ うに記 して い る。 政治に関 しては名 目上の権力 しか持たないマレー人の地域的な権威者は To'Jinangと呼ばれ,べヌア 族 との関係はマレ-人の交易独 占を維持 し規制するだけの ものである。バツ一 ・パ- ヅト川およびその 支流のべ ヌア族はボコ(Boko)の Bintaraあるいは MankiPimanggunの下にある。バ ツ一 ・パ-ヅ
トのマレー人村長 (penghulu)の管轄権は東 シムロン 〔ニスソプロ
ソ
〕州の GintingBatuにまで及ぶ が,水路交通が妨げ られているので, エソダウ川の To'Jinangがシムロン川のジ ョホール側の交易杏 も奪い取 っている。 (Logan 1847:274) Jinangあ るいは Jenang とい う称 号 は, 現 在 エ ソダ ウの マ レー人 の間 で は使 われ てい ない。 Penghuluに よ る交 易 な ど も存 在 しない。 政 府 の法 律 上 , オ ラ ン ・フル の生活 圏 に入 るに は原 住民 局 か らの許可 を必 要 とす るが , 交 易権 な どに特 に規 制 は ない。 マ レー人 に代 わ ってオ ラ ン ・フル を経済 的 に下 属 関係 にお い てい るの は,tauke と呼 ばれ る中 国人仲継 業 者 で あ る。 オ ラ ン ・フル の ほ うは,taukeに対 して従 属 して い る とは考 え てい ないが, 中 国人 のほ うは (マ レー人 , オ ラ ン ・フル に対 しては っき りとは言 わ な いが) オ ラ ン ・フル を一 種 の苦 力 として扱 ってい る (前 田 1969a参 照 )。 祭 りとか,結 婚 式 な どの費 用 も, 中 国人業 者 が財 源 を しめれ ば, 延 び延 び に な る。 さ らに業 者 に対 す る (帳面 上 の) 負債 に よ って, 半 ば強制 的 に働 かね は な ら ぬ こ と もあ る。 客 観 的 には オ ラ ソ ・フル は 中国人業 者 の労 働 者 で あ る0(3) Melayu(マ レー人)/Sakai(未 開 民)
一 般 的 に言 ってマ レー人 とオ ラ ン ・フ′レの間 の関 係 は, sakaiとい う語 に表 現 され るo sakai とは従属 者 とい う意 味 で, マ レー人 は奥 地 に住 む マ レー語 を話 さない原 住 民 を sakaiと蔑 称 し たわ けで あ る。 文 献 にサ カイ族 と見 られ る大部 分 は, どの部族 を指 してい るの か極 め て あ い ま いで あ り, 資料 としての信頼 性 も少 な い。 原 住 民局 は この よ うな蔑 視 的 名称 を避 け るた め, 蘇 住 民 を Orang asli(真 の人) と呼 び, 最 近 で は aboriginesとい う語 も公 式 記録 か ら排 除 しよ
(脚注21つづ き) セメン トなどがそのままだ ったので)バテンに荷上げを頼み,それでやっとバテンとその場にいた壮 年の 2-3人が しぶ しぶなが ら荷上げをした。 なお, 学校の建築に関 しては北部の原住民で訓練 を受 けた大工が部落に住み込んで仕事 をしていたが,これを手伝 う者は1人 もなか った。大工は給料をも らっているか らである。 また運動場作 りの為の串焼 き,地ならし,セ メン トにまぜ る砂運 びなどに至 るまで,すべて担当官 を通 して賃銀が支払われたので,オラン ・フルが仕事 をした。 356
前 田 :ジ ャクソ ・コ ミュニテ ィの社会秩序
うとしてい る。22)これは最近 に至 るまで原住民局 (Dept・oftheAboriginalAffairs,改正 して
Dept・ofOrangAsli)を Dept・ofSakaiと書 いて来 る手紙 が見受 け られ る所 か ら発 せ られ た
通達 で あ る。 一般 のマ レー人, 中国人, イ ン ド人 な どにはそれで もsakaiのほ うが通 じ易い。 過去 の従属 関係 は と もか く現在 のオ ラソ ・フルには, マ レー人 に従属 せね ばな らない とい う 意 識 はな く, む しろ反 抗的 です らあ るO マ レー人側 か らす ると宗教 も違 い,生活程度 も低 い と ころか ら,常 に蔑 視 す る傾 向が抜 け切 らない。 オ ラン ・フルが町 に出 る と, すべての者 に遠 慮 し,お どお ど した感 じを与 え る。 この為, マ レー人 とあ ま り変 わ らない体質 を持 ちなが ら, マ レー人 と交 わ らず, 自分 の部落 を出よ うとしないオラ ン ・フルが生 まれ たので あろ う。 しか し, 部落 内では マ V一人 を信頼 の出来 ない うそつ き と軽蔑 し, その宗教 で あ るイス ラム教 をばかげ た宗教 で あ る とけな し, - V一人 の礼拝 を模倣 しては笑 いの種 とす るo反 面,結 婚式 や若 者 の 服装 を見 ると, マ V-化 の傾 向が著 し く,現金 を持 つ とマ V一人 の してい る服装 ・装飾 な どを 手 に入れ よ うとす る。 そのモデル は中国人ではな く, マ レー人 なので あ る。 マ レー人 を通 した 近 代化 とマ レー人化 とを混 同 して受 け入れ てい るとい うほ かに,過去 におけ るマ レー人-の従 属 関係が優位模倣 とな って現 われ てい ると思 え る。 (4)guru(先生)
LabongとMentelongの両部落 には学校 が あ ったが, 他部落 か ら子供 だけ を教育 の為 に送 る ことは しないO これ は教育 に不熟 むなのではない。 字 を知 ってい る者 か らは誰 か らで も学 び とろ うとす る意欲 は,学校嫌 い な ど と言 え る ものでは ない。教育 を受 ければ,良 い待遇 を受 け る とい うことも知 ってい, またオ ラソ ・フルが きび しい生活 を強 い られ てい るのは教育 が ない か らで あ ると も思 ってい る。 それ に もかかわ らず子供 を手離 さない のは労働 力 としての年 少者 の貢献が大 きい ことを物語 る。部落 の人 の理 由づげは,子供 を寄宿 させ るのは不安 で,子供 に 対 す る愛着心 が それ を許 さない と言 う。 そ して政府 に対 し自分 達 の部落 に も学校 を建 て ること を希望 す る。政 府 としては,彼 らの部落が必ず し も一定 した もので ない上 に, 1部落 の人数 が 少 ないので, 比較 的人 の集 まった部落 にだけ学校 を建 て る。 これは少数部落 をで き るだけ な く して一 つの大部落 に統 合 しよ うとい う方針 と一致 す るわけで あ り, また原住民局 の貧 しい予算 か ら もそ うせ ざ るを得 ないので あろ う。 調査期 間中 に Jorak部落 に学 校が建 て られ,1966年 に開校式が あ った。 その生徒数 は1968 年 現在で25人 で あ る。教育 内容 は マ レー人小学校 の第 1年 級 と同 じで,制服, くつ,本 , ノー トなどの無料支給 を受 けてい る。
学校 の先生 (guru,che'gu)は Labong部落 同様 エ ソダウの町 のマ レー人 小 学 校 の先生が 2人,3カ月間ず つ交 替で教 えに くる。 その間,学校 のそばの宿舎 で寝起 きす る。一時的 にせ
22) TheStraitsTimes,June10,1967.
東南 アジア研究 7巻3号 よ部落 の居 住者 で あ り,子供達 の先 生 で あ るが, 部落 に融 け込 む所 まで は い ってい ない よ うで あ る。 部落 の人 が好 んで先 生 と話 さない のは,言葉 の問題 が大 きい。 従 って,先 生 の付 き合 う 範 囲 は部落 の ご く限 られ た人 とい うことにな る。 子供 達 を通 じて部落 の中 に入 りこむ ことは さ して難 事で は ない と思 われ るが,滞 在期 間が短 い ことと,彼 ら自身が希望 して僻 地教育 に来 た ので は な く,学校 の命令 で や ってきてい るので必 ず し も教育 に積 極的 では ない とい うこと, そ して彼 らはオ ラ ン ・フル の こ とば を習 うこ とな く, マ レー語 に固執 してい ること, な どが マ レ ー人教 師 の側 の障害 とな ってい る。 両方 か らの壁 に- だ て られ て,先 生 は etrangerS として生 活 してい ると言 うのが正 しいで あろ う。 Ⅵ ム ス リム ・マ レー人部 落 との比較 マ レー人 との差異 に関 しては若 干触 れ たが, む しろ19世 紀 の マ レー人社会 と現在 の オ ラ ン ・ フル の社会 とは類 似 点 のほ うが多 い。集落 形成 や離村 が簡 単 で あ る こと(Gullick1958:29,30, 43)や,村長 (penghulu)の特長 (ibid・:34)な どその まま現在 の オ ラ ン ・フル に もあ ては ま り 得 る。 これ は環 境 が塀 似 してい た ことが大 きな理 由で あ ろ うが, いわ ゆ るマ レ-人 とプ ロ ト . マ レー人 との社会構 造 の違 いは い ったい何 なのか,本質的 に共通 す る ものは何 か とい う疑 問 に われ われ を導 く。 この疑 問 に直接 答 え るには至 ってい ないが,解決 の為 の問題 点 を若 干 探 って お きたい。 まず慣 習法 と言 われ る もの についてみ ると,両 者 と も adat (hadat)と称 す る伝統 的 な規 則, 慣習 の体 系 を持 ってい る。 しか し この adatは, マ レ-人 の中で も村 が違 えば adat も違 うと 言 われ るよ うに, 細部 の点 で は土地 に よ って違 い, オ ラ ン ・フル とムス リム ・マ レー人 との間
にあ る程 度 の差異 が あ って も不 思議 は ない。 ("Lainlubok,lainikan-nya" とか Hlain desa,
lain adat"な ど。) ただマ レー人社会 で は政治 の近 代化 に伴 い adat を通 じて取 り扱 われ てい た ことが, 政府 の行政 機関 によ って行 なわれ るよ うにな って しまって, adatは力 の行使 とか 暴 力の統 制 な どに対 して究 極 的 なサ ン クシ ョンを持 た な くな った と言 われ る(Swift1965:7 8-79)。 現 在 のオ ラ ン ・フルは adat の面 で は ま った く彼 ら自身 の手 にゆだね られ てい る。 この 点 では マ レー人 よ り慣習法 の支配 が強 い と言 え るか もしれ ない。 しか し,罰金刑 を強 制 す る物 理 的手段 は何 も与 え られ てい ないのは, マ レー人 と同 じで あ る。
マ レー人 は adatのほか にイス ラム法 で あ るフ クム ・シ ャ 1)ア- (hukum shariah)を併 用
す る。 オ ラ ン ・フル もフ クム とい う語 は使 用 す るが, もち ろん宗教法 の一 部 では な く,hukum batinの よ うにバ テ ンが課 し得 る法 な どの意 味 に使 われ, しば しば hadat と混 同 され る。 マ レー人社会 で は イス ラム法 と慣習 法 との対立 が問題 に な る ことが多 い。 しか し, adatが近 代 政 治 の中 に組 み入 れ られ なか ったの に対 し, イス ラム法 は英 法 と同様 に正式 に認 め られ てい る 事実 も忘 れ ては な らない。 それ に もかか わ らず イス ラ ム法 に反 す る慣 習 も行 なわれ る。 例 えば, 358
前 田 :ジ ャ ク ソ ・コ ミュ ニテ ィの社 会 秩 序 婚姻 の儀 式 はイス ラム法 で は必要 とされ ないの に,盛 大 に挙 行 ざれ る。 クダー州のパ ダソ ・ラ ラ ンでは ア ダ ッ トとイス ラム法 とに よ る相続 が半 々に行 なわれ てい る(口羽 ほ か1965:19)O イ ス ラム法 と adat との混 合 は マ レ-人 のイス ラム受 容が,征 服 な どの よ うな劇的 な急変 を伴 っ たのでは な く,漸 次上層階 級 か ら浸透 してい った とい う歴 史23)と, マ レ-人 の adatへ の固執 の双 方 か ら理解 され るべ きで あ ろ う。 この よ うに栢湊 す る- レ-人 の アダ ッ ト (Cf・W instedt1961a:chap.6) を正確 に把握 す る為 に, イス ラムの影響 を直接 受 け てい ない プ ロ Tl・マ レ-人 の adatお よびその コ ミ1ーニテ ィにおけ る役割 は役 に立 つ と考 え られ る。 しか し,逆 にオ ラ ソ ・フルの場合 は マ レー人 か らの 影響 (ひい ては マ レー人 を通 じての イス ラムの影響) が ない とは断定 で きない。 この影響 され た部分 と adat に内在 してい たイス ラム的 な部分 とは区別が つけ られ ない とい う困難 さは依然 として残 る。 次 に従属構 造 の基盤 とな る集落 形態 に関 しては, まず kampong (kampung) とは何 かが問 われね ば な らない。 もと もと 「集 ま り」 を意 味 したよ うで (W ilkinson1937:kampongの項) オ ラ ン ・フル も 「人 の集 まってい る家屋 敷地」 を指 す こと も, それ らが集 まった 「集 落」 を指 す こ ともあ る。 マ レ-語 の辞 書 で は, 訴 か J 必
読 f
L
{
封 L.水 心 Yti
J 、Yi^'JJ
jL S 山
t
J
i
J
(Hj.Scbamsuldin1985) 〔家,店 , その他 の建物 の集 まってい る場 所 で,pekan (町) よ り小 さい。〕 と,一義 しか掲 げ てい ない。 これ は ジ ャワにおけ る desaJと同 じ意 味 で, 「む ら」 に あたろ う。マ レーシアでは周知 の ご と く行政 的 には,州が郡 (District;daerah,jajahan) にわかれ, そ
の下 に区 (mukim)が あ り, さ らにその mukim が kampong か ら成立 す る。
ところが,kam-pong の間 は一種 の連続分 布 で,社会 的 に も地理 的 に も境界線 を引 くことは極 めて難 しい。 (Cf・
Husin1968:104)主 な行政単位 は mukim で あ って, この mukim の長 (penghulu)は政府
か ら月給 を得,政府 の代表 で もあ る。 Kampong の長 は一般 に ketua (kampong) と呼 ばれ,
政府 か らは この penghulu を通 じて年 間わず かのポ ケ ッ ト・マネ ーを得 る。 Downsは クラ ン
タ ン州の Jeram で penghulu を フォ-マ′レな長 ,ketuakampong を, 非公式 な長 で イ ン フ
ォーマル な役 をにな ってい ると言 う (1967:133)。 この素描 は現代 の村 落 を簡単 化 した もので,
伝統 的 には集落 を構 成 す る種族 の違 い, 出身地 の違 いな どに よ って,独 自の階統 制 を持 つ とこ
ろ もあ った (cf・Husin1968)ことは言 うまで もない。
オ ラ ン ・フル の/ミテ ンは政府 との関係 では penghulu に似 てい るが,住民 との関係 か らすれ
ば,Downsの報 告 した クラ ンタ ンほ どイ ン フ ォー マルではないが, ほぼ ketuakampong に
相 当す る。 支配 下 に あ る世帯数 はそれで もマ レー人 kampong のほ うが は るか に多 い。 クダー
23) Fatimi1963参照。