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政治・メディア・政治漫画(8・完)

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治・メディア

画︵8・完︶

 木 正 治

1 問題の所在 H 政治シンボル論と政治漫画   ω 政 治 シ ンボル論の系譜    L﹁シカゴ学派﹂ーメリアムとラスウェルー    2M・エーデルマン  政治儀礼と政治言語    3シンボル操作研究の流れ    4,最近の政治シンボル研究    5H本の政治シンボル研究   ②隣接諸科学の政治シンポル研究 田 マス・コミュニケーション論と政治漫画  D﹁効果研究﹂の系譜ほ﹁現実の再構成﹂論と政治漫画   ③ 批判学派の理論と政治漫画

W

 結論と展望   ω 結 論   ② 課 題と展望−政治漫画の未来

以以以以

上上上上

以以以

上上上

第三巻第二号︶ 第四巻第三号︶ 第四巻第四号︶ 第 五 巻第一号︶ 第五巻第四号︶ 第六巻第三号︶ 第七巻第四号︶ ( 以 上 本号︶ 31

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北陸法學第9巻第1号(2001)

W

 結論と展望

ω

 結 論

  本論文︵ωから⑧まで全体をさす︶では、﹁政治漫画﹂と諸科学・領域との関係を、対象︵政治︶と掲載媒体︵新 聞メディア︶に限定して考察した。したがって、政治学、マス・コミュニケーション論、およびそれらの隣接諸領 域 に つ いて、﹁政治漫画﹂に関連する領域と﹁政治漫画﹂との関連を論じ、﹁政治漫画﹂の理論的・方法論的背景を 探ろうとした。  まず、政治学との関連を以下のような考えによって論述した。政治情報の凝集と、それに対する一定の感情の喚を生じさせる﹁政治漫画﹂にはシンボルとしての機能があると見ることができる。ここにおいて、政治学におけ るシンボル研究を﹁政治シンボル論﹂とみなすと、この研究は、﹁シカゴ学派﹂を端緒として、M・エーデルマンお よび現在の政治コミュニケーション研究に脈々と流れる研究群に相応する。この﹁政治シンボル論﹂においては、 エーデルマンの﹁政治儀礼﹂と﹁政治言語﹂の概念が特に﹁政治漫画﹂との接点を多く持つ。すなわち、﹁政治儀礼﹂ が 「 政 治 漫画﹂のシンボルを形成する外在的な要素の考察に、﹁政治言語﹂が﹁政治漫画﹂の内容を伝達するための (それによって読者を政治漫画の世界に引きずり込む説得をはかるための︶修辞技術と技術相互間のルール︵コミュ ニ ケーション・コード︶の考察にそれぞれ関与することが明らかになった。   「 政治シンボル論﹂の背景となる隣接諸科学のシンボル論として、社会学・人類学・社会心理学におけるシンボ ル 研 究 ( およびシンボルを扱った研究︶をあげ、﹁政治漫画﹂との関連を考察した。その中では特に、社会学におけ る﹁ドラマ論﹂と﹁政治漫画﹂との関係をとりあげ、分析手段としての状況の時系列的叙述のみならず、﹁政治漫画﹂ 32

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政治・メディアt政治漫画(8・完)(茨木) 自体を政治現象全体の流れを切り取って抽出されたものであることから、﹁政治漫画﹂それ自体の分析にも適用可能 であることを示そうとした。すなわち、K・バークの﹁ドラマティズム﹂を日本語文法の諸概念と組み合わせて、 「 政 治 漫画﹂の内容を把握しようとした従来の研究に、線、画面、コマ、フキダシなどの﹁形態的﹂要素を加味して、 一 枚 の 「 政 治 漫画﹂の中に見られる多様な﹁流れ﹂の把握をはかることが可能性として示唆された。   マ ス ・ コミュニケーション論と﹁政治漫画﹂との関連では、﹁効果研究﹂、﹁現実構成論﹂、﹁批判学派﹂の理論の三 つ の 領 域との接点が見出された。   「効果研究﹂においては、﹁議題設定機能﹂と﹁利用と満足の研究﹂に﹁政治漫画﹂研究を位置付けることができ た。﹁議題設定機能﹂においては、争点の顕出性の程度が受け手の認知や態度に影響するというこの機能の本質と、 「 政 治漫画﹂における﹁解説﹂と﹁評論﹂の機能がそれぞれ対応することが、ことに画像情報の属性と相侯って明ら か になった。他の文字情報︵記事・論説など︶との関係を探ることによって﹁︵文字では︶語られなかった部分﹂を どのように﹁語っている﹂のかを探ることの必要が示唆された。このことは、いわゆる﹁属性型議題設定﹂を考え る上でも﹁政治漫画﹂がその素材を提供することになり翻って﹁政治漫画﹂の内容の構造化を明らかにすることに もなりうることが示された。また、加えて、﹁地位付与﹂機能が、﹁政治漫画﹂の戯画としての働きと照応し、﹁認知﹂ から﹁態度﹂への効果の進展を促すことが予期された。   「利用と満足研究﹂においては、﹁政治漫画﹂の読者の要求の構造を把握する従来の研究のほかにも、﹁欲求不充 足﹂の問題を﹁政治漫画﹂の面白くなさから突き止めていくことや、﹁組織化された作品﹂としての﹁政治漫画﹂ ( 新聞社や社会全体の価値の反映を示す場合もある︶によってみたされる欲求とは﹁誰﹂のものなのか、当該集団に とってこのん増し区内欲求はそもそも画像に登場しないのではないかを問うことから、批判としての﹁政治漫画﹂ そのものの働きへの問いにつながることが見出された。 33

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北陸法學第9巻第1号(2001}   「 現 実 構成論﹂においては、﹁シンボリックな現実﹂から﹁主観的世界﹂を構成するための要素として﹁政治漫画﹂ をとらえ、いわゆる﹁送り手﹂の意識や構造を把握する﹁送り手﹂研究への道を開くことが示唆された。その際、 漫画家と編集者、新聞社との関係が、情報ソース︵政治家、官僚、政治的圧力団体、政治諸制度、読者以外の人々 など︶との関連をみるための指標となることにも言及できた。また、﹁送り手﹂内での﹁社会化﹂の問題が示唆され たが、﹁政治漫画﹂の内容の変化をどのように追うのかという点で課題となった。 「批判学派﹂の理論と﹁政治漫画﹂との関連は、社会的文脈を﹁政治漫画﹂からどのように引き出すかに関わってい る。上述したように、新聞内の文字情報のみならず、﹁政治漫画内的情報﹂︵キャプション、フクダシの言葉、状況 説明の言葉、など︶との関係から、内包される﹁支配イデオロギー﹂の程度を測ることになると推定されるがそれ はかなり困難である。むしろ、﹁政治漫画﹂と同程度の価値判断を含んだ投書・コラムから推測するほうがこうした 「イデオロギー﹂の内包状況が明らかになるのではないかと思われる。ここから、投書、﹁政治漫画﹂が表現ないし 表出する﹁市民﹂﹁国民﹂﹁人々﹂との内容、﹁無誤謬性﹂について考察する手掛かりが得られたのではないかと推測 した。

課 題

と展望   政治漫画の未来1

1﹁政治漫画﹂の課題   「漫画﹂は﹁萬画﹂に通じ﹁融通無碍が特色﹂︵夏目房之介、2001年日本漫画学会シンポジウム講演︶である 以上、様々な分野との連関が研究対象として、また理論的背景として考えられる。ここでは、﹁政治漫画﹂の﹁政治﹂ と﹁漫画﹂の双方に限定し対象領域の可能性を示唆し、理論研究ではマス・コミュニケーション論を中心に課題を 提 示する。 34

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政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木)   研 究 対象としての﹁政治漫画﹂が有する課題としては以下の三点がある。第一に、国際比較の問題である。欧米の﹁政治漫画﹂だけでなく、その他の地域、たとえばアジア諸国の﹁政治画﹂にも長い歴史があり、日本の﹁漫画﹂世界との交流がなされている。資料の収集、分析において依然として 問題はあり、﹁政治漫画﹂の形態や内容にも文化的差異が見られることが予想されるが、そうした困難を考慮しても、 「 政 治 漫画﹂の国際比較は意味のあることと考える。その理由として、国際情勢の理解・判断における情報の﹁質﹂ ないし情報理解の﹁質﹂︵リテラシー︶の向上は急務であり、西欧特に米国一辺倒の情報接触状況にある日本の一個 人ないし﹁市民﹂として、どのような情報を選択していくかが国際情勢の把握に不可欠とみなされるからである。 国際関係の情報に付着する﹁過剰な﹂﹁情緒﹂や﹁リアリズム﹂が﹁情報操作﹂の遠因となっていることは否定しが たい。こうした情報環境の偏在を相対化し、多様な視点の確立を目指すためにも情報源の多様化、メディア様式の 多様化が望まれ、その手掛かりとして﹁国際比較﹂が必要となるのである。しかしながら、前述したように情報の 収集と分析に未だ問題点を抱えており、課題の対象でもある。   第 二に、政策科学と﹁政治漫画﹂の関連の考察である。政策過程におけるメディアの役割については、十分な検 討をされているとはいえない。個別の争点・議題に関するメディアの考察はされてはいるが、総合的なものは見ら れ て いない。メディア組織自体が政策構築の大きな役目をはたすこともありうるとすれば、いわゆる﹁導管モデル﹂ (メディアは政策主体の情報を伝達し、それ自体が情報を構築することがないとする見解︶では限界がある。﹁アジ ェ ンダ構築機能﹂仮説︵コブ、エルダー︶などの精緻化がてがかりとなろう。その際﹁政治漫画﹂はいかなる役割 を果たすのであろうか。これは、新聞メディアが果たす機能とも関わってくるであろう。政策の設定、立案、決定、 実施、評価のいずれの場合にもメディアが関わるためには、情報の政策側の公開と透明化が求められるが、とくに策設定、立案におけるメディア自身の﹁アジェンダ構築﹂に視覚情報として﹁政治漫画﹂が関与することが可能 35

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北陸法學第9巻第1号(2001) であると思われる。そのためには、個別政策に関する﹁政治漫画﹂の﹁内容﹂の分析に、より精緻な下位争点の抽 出とその実証的裏付けの確保が求められる。  第三には、﹁政治漫画﹂の﹁漫﹂画の分析が行われる必要がある。本稿を含めて、﹁政治漫画﹂の﹁笑い﹂の部分 の 考察は、心理学の知見、教育学の知見があるにせよ、それらはあくまで﹁道具︵手段︶としての﹂﹁政治漫画﹂の 笑いの研究であった。さらに、﹁政治漫画﹂における、シンボルの情動喚起や意図の収敷といった諸機能も﹁笑い﹂ を媒介にしてきた。こうした点からみると、﹁政治漫画﹂に内在する﹁笑い﹂の考察はきわめて不十分であったとい わざるを得ない。また、素材となる政治現象においても、笑いの持つ政治性が経験的に︵感覚的︶には語られてい るが、体系的なものはない。後述するように、笑いと政治との関係を顧みることによって﹁政治漫画﹂に内在する 笑 い の 探 求 に つなげたい。   理論的背景としての研究における課題は次のようにまとめられる。 ①視覚メディア研究 ② 批判学派の理論の展開︰ジェンダー研究との関連 ③経験学派の拡張一効果研究と現実の構成論 ④政治コミュニケーション論 ⑤日常の権力と﹁笑い﹂   (②から④までは、それ以前にすでに言及した。⑤は後に述べる。したがって、ここでは①について言及する。︶ ①は、ゴンブリッチに代表されるような、ヴァールブルク︵ウォーバーグ︶学派のもつ、視覚形象に外形的な意 味を見出す﹁イコノグラフィー﹂︵図像学︶から歴史社会史的方法による象徴体系全体を把握する﹁イコノロジー﹂ (図像解釈学︶への転換をてがかりにして、﹁政治漫画﹂の象徴体系的把握の可能性を探ることを中心的課題とする。 36

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政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木) その際に、美術史、漫画史の流れを、複製メディア以降のものをふまえつつ考察を進めることになるが、これはか なり大がかりな研究となろう。加えて、画像メディアのひとつとして、新聞に掲載されている﹁写真﹂の分析から、 「 政治漫画﹂の分析と理論化の契機を得ることもできるだろう。

たとえば、視覚メディア研究者のコトル︵Oo︷=①︶によれば、情報伝達に内在する意味の確定と意味の多様性との 「 両義性﹂を視覚メディアの収容な特徴であると位置付け、過去の﹁画像﹂研究を、﹁現実歪曲作用﹂、﹁画像のシン ボ ル性﹂、﹁記号論的接近﹂、﹁認識論的接近﹂に分けている︵∩o[=O一⑩Oo。︶。社会の出来事をありのままに表す﹁現実 の鏡﹂説に疑問を呈する﹁現実歪曲作用﹂説は、﹁政治漫画﹂の表現技術としてのデフォルメ、戯画︵カリカチュア ー︶、絵画技法一般に言及した研究に対応する。さらに、﹁政治漫画﹂の製作過程ないし、漫画家と編集者、読者と の関係から構成される﹁作品﹂︵あるいは﹁商品﹂︶の認識の研究に関連させることができる。しかし、﹁現実歪曲﹂ の 概念の背景に、﹁あるべき現実11真実﹂というものがあるとすれば、それはあくまでも﹁現実の鏡﹂説の延長上に しかこの﹁歪曲﹂が因縁を位置付けることは出来ないという限界についても留意すべきである。

「画像のシンボル性﹂については、特定の画像から一定の出来事や概念を象徴化する視覚イメージの抽出を目的 とした研究群である。﹁記号論的接近﹂と組み合わせて、個別シンボルから記号体系全体の考察に敷街することがで きれば、前述した﹁イコノロジー﹂への道が開ける。﹁現実の歪曲﹂説も、﹁あるべき現実﹂が﹁多面的多様な相を 持つ現実﹂と読み替えることができれば、これら二つの研究群に含まれうる。﹁政治漫画﹂においては、特定のテー マ に関する﹁政治漫画﹂の分析から、包括的、抽象的なテーマへの拡張を解釈上おこなうことになる。いいかえれ ば、争点の属性から争点を導き出すことになる。こうした﹁抽象化﹂を行う理論的定式はまだない。しかしながら、 政策研究において時系列的に﹁対米外交政策﹂の変遷を追うことが出来るように、﹁政治漫画﹂においても特定の争 点をかなり長期にわたって時系列的に追求することから考察が可能になると思われる。 37

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北陸法學第9巻第1号(2001)

「 認 識 論的接近﹂とは、受け手の認知や知覚に画像が何らかの影響を及ぼすとみなす研究である。特に、情報の 権威や正当性を保証するための画像の役割を焦点にし、﹁信用するに足りる現実﹂を当該情報が表していることを裏 付けるものとして画像をみなすものである。共有される現実がいかに構成されるかを探ろうとする研究であり、そ の 意味で送り手側では、作者︵漫画家︶と編集者ないし新聞社全体の意向とのせめぎ合いをみることになる。他方、 受け手側では、統合体としての﹁読者﹂がどのように﹁政治漫画﹂を認知し、それが提示する現実を真実としてど の程度認知したかを明らかにしなくてならない こうしたことが直接無媒介に﹁実証﹂できるかどうか、そしてそ方法論的枠組みをどこに求めるべきかという問いの前に、表象された内容が、デフォルメされ、戯画化されてい ることを読者がどのくらい認識していることから始めなくてはならない。こうなると、﹁政治漫画﹂自体を切り取っ て 分 析対象とすることはできない。ここに﹁統合体﹂としての﹁新聞﹂メディアの理解と把握が求められることに なる。 38

2 政治批判の課題1﹁笑い﹂と政治1

「 政 治 漫画﹂の﹁漫﹂画の部分を考察するにあたり、まず、政治においての﹁笑い﹂の持つ意味を振り返ることにす る。﹁笑い﹂が政治と対極にあるというイメージから、政治的技術の一環としてとりあげられることはあったにせよ、 従 来 政 治学においてはまともに扱われてこなかった。政治的技術としての﹁笑い﹂の位置付けとしていわゆる﹁体 制の安全弁﹂や﹁体制批判﹂としての﹁笑い﹂の機能を考察するものがみられる。その中の一つとして神島二郎の 研 究 (神島、一九八二︶を紹介し、検討をすることによって﹁笑い﹂と政治との関連を考える。 政治批判の諸形式として、彼は以下の五つの行動ないし言説をあげている。  ①﹁殿す︵こわす︶﹂

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政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木)  ②﹁逃げる﹂  ③﹁笑い﹂  ④﹁黙る﹂  ⑤﹁参政権より藷︵いも︶を﹂﹁デモクラシーはでも暮らし︵暗しご

①は、器物破損による﹁腹癒せ﹂行為である。こうした代償行動によって批判的姿勢を表沙汰にし、政治的行為 者とその服従者︵﹁破壊行為者この間に相互の反省を促すものである。幕末期の二揆﹂や﹁打ちこわし﹂、諌言の償としての﹁自死﹂がそれにあたる。こうした﹁破壊︵的︶行動﹂は、政治的関係にかなりの個人的性質が内包 されている場合に効果がある。すなわち、﹁破壊﹂行動の象徴的意味を﹁共有﹂できる読み取りが相互に成立してい る必要がある。そうでないと、相手側の迅速な意味付けによって﹁破壊行動﹂が単なる﹁秩序の素乱﹂に還元され るおそれがある。ここに、こうした政治的行為を﹁解釈﹂し、﹁伝達﹂するものの重要性がある。

②は、当該政治的支配関係から、逃れ姿を隠す﹁隠遁﹂﹁亡命﹂がそれに該当する。重税に窮した農民が田畑を捨 て て一斉に逃げる、江戸期の﹁逃散﹂もそれである。政治的関係の規模によっては﹁逃げる﹂こともかなわない場 合があり、また、排除の結果﹁逃げ出す﹂こととの区別がつきにくいことがある。

④合議形態が﹁全会一致﹂の規則を採っている場合に有効である。﹁多数決原理﹂の乱用によって抵抗とするには、 「どのように黙るか﹂が問われることになった。﹁少数意見の尊重﹂原理に基づくとしても、その前提には﹁発話﹂ があるとすれば﹁沈黙﹂を抵抗ないし意思表明とすることは難しい。しかし、非言語コミュニケーションにまで政 治的行為を拡張することが出来れば、﹁沈黙﹂のもつ意味が再浮上する。﹁政治漫画﹂の可能性がここにある。いっ さい文字を使わずに、特定の政治的争点に対して異を唱えることを伝える作品は﹁政治漫画﹂の中において可能と なりうるからである。あるいは、﹁沈黙﹂までいかずとも、﹁寡黙﹂になることによって、饒舌な政治言語の働きを 39

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北陸法學第9巻第1号(2001) 相対化し、言語そのものの効果を尖鋭にさせることができよう︵すでに、詩歌の世界が実践している︶。ところで、 「沈黙﹂にも﹁沈黙させられる﹂ことによって一見同じ状態が生ずることがある。これは、明らかに似て非なるもの であり、支配状態の一環としてとらえられる。いわゆる、﹁排除﹂コミュニケーションとしての﹁沈黙﹂は、議論の 舞台に登場させてもらえない﹁第二次的権力﹂を通じて、被支配側が自己規制をしてしまい、自ら姐上にすらあげ ない﹁第三次的権力﹂状況に移行する危険をはらむ。支配形態の内面化の結果、﹁沈黙﹂が生じても抵抗にはなりえ ない。

⑤は一種の﹁脱政治化﹂︵○①Oo一三〇p二の問題である。もっとも、ここにおける﹁脱﹂とは、既存の権力政治からの 逸 脱 であり、既存の政治的価値よりも優先順位において﹁日常生活﹂の安定を希求するための抵抗である。﹁脱政治 化﹂を﹁無知蒙昧﹂とみなすのは、近代主義の所産である西洋政治学の﹁進歩主義﹂にもとつくものであり、支配 に対しての抵抗は知識・論理によって行うべきであるという﹁真面目主義﹂︵﹁イデオロギー偏重﹂︶であるとと、神 島は述べ、こうした﹁真面目主義﹂に対抗する形で戦後まもなく登場したのが⑤であるとする。しかしながら、こ うした﹁生活者の政治﹂は、市民運動の展開によって一応の発展はみたけれども、生活の視点から共有すべき政治 的態度や信念を形成させる枠組みを組み立てるには至っていない。そのため、高度経済成長による人々の生活水準 の 全 体的な底上げと、人々の関心の多様化にともなって、﹁生活者の政治﹂は﹁自分の藷を守る﹂ことに主眼を置く 「 生 活 保守主義﹂に転化した。これによって、経済成長の終焉とともに、﹁生活至上主義﹂ともいうべき政策への服 従がみられるようになったのは、昨今における内閣支持率の高さを見れば明らかである。とはいえ、神島の議論で 注目すべきは、支配ー抵抗、対立ー闘争による政治批判の枠を超えた政治批判としてこの﹁生活者の政治﹂をみてることにある。すなわち、旧来の価値やシステムを﹁脱構築﹂することの意味を、この批判様式に見出していた ことに他ならない。いわば多元主義やポスト・モダンの姿勢を﹁生活者の政治﹂に求めていたのである。 40

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政治・メディァ・政治漫画〔8・完)(茨木)   「 政 治 漫画﹂は、﹁政治常識﹂のほかに﹁文化的示唆﹂の修辞技法によって、政治情報を日常のできごとや人物に 置き換えて表現する。この点で、﹁生活者の視点﹂を従来から持っていたといえる。国政レベルの政治を日常生活に 置き換えて伝えることに、上述した﹁真面目さ﹂が脱色されて﹁不真面目さ﹂が登場する。ここに、﹁脱構築﹂の契 機があるといえるかもしれない。しかし、﹁文化的示唆﹂の技法は当然のことながら、読者のおかれている環境ない し行動様式が変化すればそれに応じて変わる。﹁生活者の政治﹂観が﹁生活保守主義﹂に転じているならば、古きよ き﹁生活者﹂のイメージでは﹁政治漫画﹂の内容を伝達することは難しくなる。加えて、政治情報そのものが様々 な形で﹁情報公開﹂され︵政党の党首や政治家がこぞってテレビに登場したり、政治家のイメージをテレビによっ て 植え付ける﹁テレ・ポリティックス﹂などはその良い例である︶、旧来から言われている﹁政治11技術﹂のイメー ジが日常化された形で伝わる時代においては、﹁政治漫画﹂による﹁政治の日常化﹂による﹁日常の政治学﹂の手法 では、対抗することが困難といわざるを得ない。  ③の﹁笑い﹂は、軽口、政治風刺、小話、狂歌、落書、替え歌などの形をとり、名誉や恥に訴えるものであると し、内部統合を目的とした﹁笑い﹂であり、それによって規律や倫理を徹底させるとしている。①で指摘したのと 同様、価値基準を共有する集団内で行われることに力点がある。そのため、﹁外集団﹂に対する抵抗にはなりえず、 大衆化した現代社会においては、こうした﹁笑い﹂は、他の要素︵政治的・経済的、社会的権力関係︶を背後に持 った﹁排斥﹂﹁峻別﹂の﹁笑い﹂となりうる。また、﹁内集団﹂における統合においても、権力関係で生ずる被支配 者への軋礫は存在するから、その軋蝶を転化させる﹁安全弁﹂機能を﹁笑い﹂は併せ持っていたとみられる。その 「安全弁﹂が﹁集団間﹂に作用するとき、集団ごとの﹁抑圧の移譲﹂が行われる。ここに嘲りへの転化をみることが できる。   体制批判としての﹁笑い﹂だけが、必ずしも政治と﹁笑い﹂の関係を一義的には規定せず、そうした﹁笑い﹂自 41

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北陸法學第9巻第1号(2001) 身が変容することは、次の坂本と阿部のそれぞれの研究から刺激された考察によっても明らかになる。   坂本孝治郎は、﹁行幸研究﹂のなかで、象徴的リーダーとフォロワーとの関係を考える概念として﹁コートシップ﹂ をとりあげ、﹁行幸﹂イベントにおける各集団間の﹁コートシップ﹂の関係構図を示した︵坂本、一九八八年 四六 頁ー五四頁︶。そこにおいて、イベントに反対の意思表示をする集団は、メディアによってイベントに包摂されるか、 「 厄 介者﹂のレッテルを貼られて排除されるかいずれかの結末を迎える。これを﹁政治漫画﹂ないし漫画一般におけ る政治批判の戯画化に援用すれば、商業主義や編集ー作者の合作としての﹁漫画作品﹂という現実を考慮すると、 自らを笑って政治問題を相対化するだけにはとどまらなくなる。すなわち、戯画や嘲笑が風刺の枠を超えると、政 治 批判そのものが戯画の対象になる。自らの批判に脆弱な批判勢力は、自己省察にとどまらず、自己否定を引き出 してしまい潰れてしまう。また、批判や戯画化の矛先を、強者や多数派から弱者・少数者に向けた﹁政治漫画﹂や 漫画も、漫画としての特徴をこうした戯画化によって食い潰してしまう。いずれの場合にも、政治批判としての役は保てず、政治行為者にとっては都合の良いことになる。﹁戯画化﹂機能の衰退は、描き手集団の、対象への隷属        という現象を生み出す。   阿 部潔は、権力のポスト・モダンを論ずるときに、批判の様式も変化する必要があることを指摘している︵阿部、 一 九 九 =。彼はマス・メディアの﹁批判学派﹂の中の﹁修正主義﹂の価値理念を﹁権力闘争としての文化多元性﹂ に おき、その限界を示した。効率と合理性を追求する機能主義を批判して、象徴表現などの多様性・差異性を重視る﹁ポスト・モダン﹂状況下では、権力それ自体が多様性・差異性を有しており、﹁修正主義﹂の批判や抵抗は意 味を失って、逆に現状の肯定に陥ると危惧した。﹁笑い﹂による権力批判が﹁ポスト・モダン﹂的批判を有するとい うことは、支配や権力が一元的であるという前提がある。ところが現代の権力はいわば﹁ソフトな管理﹂をおこな っ て おり、被支配側に自由な選択肢や、差異、多様性を見たところ提示している。こうした多様性は、豊かさがも 42

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たらしたものであり、選択肢は無限に存在するわけではないにもかかわらず、これらを所与のものとして扱いがち である。また、権力の多元性は進み、内閣総理大臣は権力の主体のひとつに過ぎない。﹁首のないファシズム﹂︵前 田、一九七八︶の前段階ともいえるこうした状況では、体制批判といった﹁笑い﹂だけでは、抵抗にはならない。 実はこのような認識は、﹁政治漫画﹂批判として一九五〇年代に、既にH・L・スミスによって直感的ではあったが 示 唆されていた︵エ゜⊂90c力∋一︷亘一q⊃m︰︶。だが、それに応じる研究はいまだになされていない。 政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木)

3﹁政治漫画﹂の展望1﹁政治漫画﹂に未来はあるか?1

  「 政治漫画﹂の課題は、マス・メディアとしての問題と、政治批判としての問題の二つに大別できる。そして、 マ ス ・ メディアとしての問題には、さらに以下の二つの点に分けられる。  第一に、マス・メディアとしての﹁政治漫画﹂を見直す必要がある。新聞漫画として﹁政治漫画﹂にはどのよう な要素が働いているのかを再検討すべきである。ハリソンが図示したような︵エo﹁ユ。りOP一⑩c。ご、﹁政治漫画﹂の作 品自体を構成するための構造︵﹁漫画家﹂﹁編集者﹂﹁原作者﹂﹁スポンサー﹂︵広告主︶、様々な媒体、﹁読者﹂︶だけ でなく、メディアとしての﹁政治漫画﹂をとらえるより広域な構造を提示することが求められる。それは、掲載さ れ て いる﹁新聞﹂メディアの他の要素との関連である。この点は、メドハストたちがレトリックのひとつとして提していた︵﹁配置﹂の問題︶が、記事、論説︵社説、コラム、投書  読者の意見の反映ととらえるか、﹁新聞﹂ の 意向の形を変えた表象とみるか意見の分かれるところではあるがー︶といった、﹁政治漫画外的情報﹂のうちの 文字情報や、写真や図表といった画像情報などと、どのような関係にあるかを各テーマごとに考察する必要がある。 そうすることによって、﹁新聞の盲腸﹂と椰揃されることを実証的に検証しなおし、﹁統合体﹂としての新聞メディ ア に 新しい﹁政治漫画﹂の役割を見つけ出すことが可能になるであろう。 43

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北陸法學第9巻第1号(2001)   第 二に、﹁作品﹂としての﹁政治漫画﹂の認識の確認がある。先のハリソンの図を持ち出すまでもなく、漫画家だ けで﹁作品﹂が形成されることはまず無い。情報源、モチーフ、においても﹁新聞社﹂の意向から全く独立してい るとは言いがたい。このことは、作品に多様な視点と広がりをあたえてくれる反面、外的要因︵内在化している可 能性もある︶に規定されて﹁作品﹂自体の自立性を損なう危険があるのは、前に上げたライフらの研究︵漫画家と 編集者との意識の研究︶に表われている︵凌零P巴四一﹂Oocご。彼らの研究によれば、漫画家自身は編集者とは自立 した関係であると思っている回答が多いが、編集者の回答は自立的な関係ではないとするものが多い。このような、 意識のズレが﹁政治漫画﹂特有のものなのか、雑誌の多コマ漫画も含めた全体的傾向なのかは即断を避けなければ ならない。しかし、作品それ自体を組織としての﹁作品﹂とみなし、メディア送り手研究の﹁意識と行動の研究﹂ の知見を、﹁政治漫画﹂にも適用すべき時期にきていることは確かである。  ところで前述したポスト・モダンの権力に﹁政治漫画﹂はどのように対抗したらよいだろうか。政治批判として の 「 政 治 漫画﹂の問題は、三つに分けることができる。  まず、差異の存在だけでそれを批判の拠り所とするのではなく、差異の内実事態を問うことが必要である。差異 に安住するその姿勢を検討するということは、﹁体制批判﹂のどこを行うのかを十分に検討することにつながる。こは、﹁笑い﹂をどのように峻別しその根拠は何かという問題の追及がその前提としてあると考えられる。﹁だれが、 だ れ にたいして、いつ、どのように﹂表現しているかを問うことに鋭敏になることが求められる。次に、﹁笑い﹂と﹁風刺﹂の問題を考えるにあたり、﹁政治漫画﹂の﹁解説﹂と﹁評論﹂の機能を検討することに よって解決の糸口が見出されるのではないかという点を指摘しておきたい。社会的現象を科学的に把握するために は、観察者として内容の理解と過程の分析を﹁客観的に﹂行うことが一般には求められるが、この観察者の位置を どのように設定するかは容易ではない。﹁政治漫画﹂の読者でありかつ観察・分析の主体であるためには、﹁異邦人 44

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政治・メディア・政治漫画(8・完}(茨木} の眼﹂︵佐藤、一九七三︶による、対象と﹁同化﹂すれども﹁吸収﹂はされないという姿勢が必要になる。ただし、判の対象者を﹁笑う﹂と同時に読者自身をも笑い飛ばす﹁笑い﹂の自己対象化を﹁笑い﹂に見出すことは、﹁笑い﹂ある種の目的ー手段の関係に載せられることになる。すると、これによって、情緒すら自らのものかどうかが不 確 かな状況を覚悟することになる。そうである以上、一度﹁政治漫画﹂の世界に埋没してそこから読み取れるもの を掬い出していくほかはない。   最 後に、﹁笑いたいときに笑いたい﹂という側面を﹁政治漫画﹂に残しておくためには、﹁政治漫画﹂の無定形な分、﹁笑い﹂のユーモアとしての部分に期待せざるを得ない。攻撃性の強調が前述までの議論であったとすれば、 ユーモアの側面を強調するなら、そこに含まれる﹁共有﹂の意識を用いてそれをもとに﹁共存﹂や﹁共在﹂の政治 をはかることが考えられる。価値・資源を互いにの差異を認めつつ﹁共存﹂や﹁共在﹂する。そのための﹁共存象 徴﹂として、﹁政治漫画﹂を位置付けることができるのではないか。   二 〇〇一年十一月に開催される﹁日本マンガ学会第一回総会・大会﹂︵京都精華大学︶において、九つの全体会、科会のうちニコマ漫画﹂をテーマにしたものは﹁漫画史はなぜ必要か﹂という分科会だけである。こうした、画の中心が連載漫画、多コマ漫画にあるという状況ではあるけれども、歴史的には連載漫画の祖である、一コマ 漫画において、﹁共存﹂の可能性を﹁笑い﹂と﹁風刺﹂に内在する﹁政治漫画﹂の役割を、内容と方法の再確認を通 じて今こそなされるべきであることを指摘し筆を置く。 囲 対象への隷属を﹁笑い﹂が生じさせてしまうことを示すものとして、﹁政治的冷笑主義﹂Go一三〇巴⇔×三Ωc。ヨ︶をあげることができる。  これは、政治情報を過度に選択的に接触・知覚・認識した結果、自分にとって好ましくない政治情報には接触せず、嘲笑し、全く﹁聞  く耳を持たない﹂態度をとるものである︵OoOOΦ=P巴巴﹂Φ⑩ご。﹁冷笑﹂が﹁笑い﹂に含まれるかどうかは議論のわかれるところで 45

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北陸法學第9巻第1号(2001) はあるが、ここでは﹁冷笑﹂の攻撃性に着目し﹁笑い﹂の一形態とみなす。そのとき、﹁冷笑﹂は他の見解を持つ人々に冷淡であり、 非協力的であり、﹁内集団﹂の情報のみを選択し、異質の他者への﹁嘲り﹂によって欲求が充足される。そこには﹁体制の安全弁﹂に もならない自己満足と後向きの姿勢しかない。さらに問題なのは、多数派の同調圧力によって容易に彼らへの﹁冷笑﹂を止め︵もとも と多数派への﹁冷笑﹂は、彼らへの依存姿勢の反映でもあるともいえる︶、従順な姿勢をとり、他の少数者への﹁冷笑﹂に抑圧が移譲 されるおそれがあることである。﹁冷笑主義﹂はカペラによれば、マス・メディアが属性として持っており、また受け手にそれを増幅 させるはたらきをメディアがしていると述べている︵二〇〇一年度秋季マス・コミュニケーション学会ワークショップでの発言︶。と ころが﹁九・=テロ事件﹂以降の合衆国のメディアにはそうした﹁冷笑主義﹂的態度は影をひそめたとも述べている。このような 「冷笑主義﹂における批判の脆弱性が、政治権力主体に利用され、対象の隷属化のみならず他者の排斥につながり、﹁体制維持の笑い﹂ の 働きを有すると考えられる。 46 引用・参考文献 阿部潔、一九九一 ﹁英国のカルチュラル・スタディズにおける﹁批判性﹂再考iポスト・モダンの批判的コミュニケーション理論 か?ー﹂︵﹃新聞学評論﹄第四〇号 二六一頁ー二七三頁︶。 ﹀△oコ㌘エこ臼ω゜ζ四コφ一Φoo杏“。.ζ①合①g口日①乙oo⇔芭08切写⊂90コo︷カ8=︷ざ、. Oo§sにミ8咋\oさ力oo助、6ひ一二ω︶°ωNω−ω鼻O° ﹀コσqテ∨一Φ㊤Φトミo句為8ヨ§、、和㊦Sミ9き頓ミ8S﹄c合句oooざ、的℃oc。§o号∋ミ○こ鼻︵ヵo巨①○σqm︶ ア ルチュセール、﹁、︵西川長夫訳︶一九七五、﹃国家とイデオロギー﹄︵福村出版︶。 留oゴ﹁①○戸廿m8﹁①え琴乙力“留己N二⑩べO℃o≦①﹁呂○τo<①ユS︵ro己o⊇○×﹁oa⊂巳く①﹃°・身℃8°。乙力︸ ロΦコ∂口≧°●廿﹂°口①N一Φ﹁二⑩へ9。.↓冨①σq雪巳㌣gりゆ三〇σq后コo二〇コo﹃日①日①゜。°リヨ8苗巴︷可oo一m<工゜りo=己o﹁ヨ巴δコゴ巳︹=コσq..° Oos§にミム恕∼oo功80恥、6章ωN⑦一−N﹃込゜ 面 ① コ コ ①戸≦°⊂]Φべρ..[∋一冨ごoコ①∋三σq已蔓oコ○○毒ヨΦ日Oo一一二8==○Ω≦○﹁ゆ=σqδコ①コム↓ゴ①○=Φ∋ヨo°力o︷U⊂σ一一〇 ヨo蚕=︷子..Sに∋o、o、勺o、ミ8逗一゜δΦ−一ωω゜

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北陸法學第9巻第1号(2001) oo o o × °力) (宮城音弥訳  ﹃人間﹄岩波書店 一九五三︶。

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北陸法學第9巻第1号(2001) 論﹄第三五号︶。 藤竹暁、一九六八、﹃現代マス・コミュニケーションの理論﹄︵日本放送出版協会︶。 ガ ルブレイス、︵山本七平訳︶、一九八三、﹃権力の解剖﹄︵日本経済新聞社︶。

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8﹁︷Nb﹂㊤﹃Pゴ⑳ミ⑩這、Φ§∼8。、。ミε、♪︵zΦ≦ぎ﹁写留。。㌣g。。。亘゜ ヴァン・ジェネップ、︵秋山さと子、弥永信美訳︶一九七七、﹃通過儀礼﹄思索社。 07昌①戸c・:一⑩㊤メ..﹁≡日σq日︷ゴ。宙゜㊦゜・5・⊇。c・Φ。。コ三Φ<ゆご;σQ⑩⊃ユ餌−°・Φ三コσq°..ヨ⊆ζ。○。ヨσ・。“p胡訂≦o°≦Φ四<㊦二①○。・°二 〇〇ss§∼。豊8知えO§。6己Q︵⊆≦﹁Φ⊃8閃ユσ2∋﹀‘。ω。。巨Φ。・︶もマω二ふ Ω①σm﹁<“一㊤切O..>68@°・子①OΦ゜・ざ﹀°・ε身o=Φ蚕mσq﹁eゴaぎ﹁°・“.、\oミ8、\§⇔§⊇①ミ本NωムωN° Ooス∋pP国﹂㊤切9ゴ㊦℃﹁⑩⑩句ミ賠、§o、切o、こo㊦≦wQ合×、∼静゜︵Zゆ≦<o﹁ズ Oo⊆σ一Φαo尾臼OoヨOpコペ一⊃Pγ︵石黒毅訳﹃行為と演 技﹄誠信書房 一九七四︶。 ○°江o.窒q﹄°↑°乙。ぎヨ゜⊃切二㊤09..ZΦ≦@co包8↓δコ℃。︷♂∋切﹀∋oコσq言乏巴︶。≡①夕..℃忘、SO⇔ミoコC§、8ミ゜おmムω9 Ω﹁p9﹁b°一㊤㊤曾..c力菖σ。ごa⑰。=二8∨..勺。ミ。恥、○§∋§\6S。ぷ﹂9qっ下㊤c。° =p=乙力ε巴二⑩゜。9雪。。o日竃⑩8q日σqw.日=餌F°力6︷。二8切゜︶もミミやミ&﹂①ト§丙§略︵丁。邑。⊇エ5・苔。・8︶u° 臣Fc力ε①﹁二㊤゜。P。ゴ①カ①合‘・。。<Φ蔓。↓..δΦ○言巴.、元mεヨ。=㌃ヵΦ言Φ。⋮a三ζ①05c力一⊂合の・・。ニコ2﹁⑩三。戸Φ︷ p二︵巴゜・°二〇ミs、p切o口Qマg亀S⑲ミ&S エ゜a■∋°p>°一㊤゜。ふて巳一=。巴。豊。。コ芭c・。°。日Φ三2︸①目m冨゜・合﹁日oq︹冨一㊤oO、⑰..S≒8、\§⑤§Φミ︹﹂︼一ω﹃二±° ぼ三゜。°p刃]○°。一゜ゴ⑩9、︹。。コ6§§§㍉△Soミ。SΦ智菜≒。a。⊇c力。σq①︸ エ 。目コmざ;力﹂Φ㊤曾..里Φ・=。⊃力。g−8﹁合器cりo。6冨6言ゴ①国α①巨き≦。・δコ8巳︸Φ国昌三6巴○。一⊂q子.、℃。==。巴 ひo§s§㌦o曳∼§三9一N一−一心O =一誘oコ㌔゜ζス一Φooρ.、↓ゴ①.°−o日×≦oユム.o﹃子①コoコく活≦①﹁o﹁己o日①﹁o⊃oヨΦ=①c力﹄﹁Φ①⊃o巨o乃一〇力o︷○Φ﹁σ⊃①﹁㊦↓巴゜.。乃↓日05σqc力oコ 2三く知まコg巴蚕‘・°、.9ss§\6豊8力霧巴、合\SωーホO° 庄誘。ご℃°忌゜°品゜。ご..On2田まコ巴。﹁oqΦ己N餌↓日8㌃コOヨ‘・=εぎ。巴∋。合言日∋p°。ω∋Φ△苗力①・。窪召三。≦。己巴一コ8σq﹁巴9 { 「昌①≦O号・.一コ三∋∋900P豆臼否一子刃゜乙り碧△①﹁シ力弍①這ひ090、℃OミOo、○§S§§ざ三⊂OえO⊇乙りoσqo︶°OP一ω−e° 50

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政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木) 石田佐恵子、一九九八、﹃有名性という文化装置﹄︵頸草書房︶。 石田雄、一九六一、﹃現代組織論﹄︵岩波書店︶。     、一九八三、﹃近代日本の政治文化と言語象徴﹄︵東京大学出版会︶。     、一九八九、﹃日本の政治と言葉︵上︶︵下︶﹄︵東京大学出版会︶。 梶原景昭、一九八四、﹁歴史と象徴﹂︵青木保編﹃現代のエスプリ別冊 現代の人類学 象徴人類学﹄至文堂︶二八頁−四一頁。 亀 ヶ 谷 雅彦、一九九四、﹁スキーマによる政治的認知﹂︵栗田宣義編﹃政治心理学リニューアル﹄学文社︶一五五頁ー一七四頁。 神島二郎、一九八二、﹃磁場の政治学 ー政治を動かすもの﹄︵岩波書店︶。 京極純一、一九六八、﹃政治意識の分析﹄︵東京大学出版会︶。     、一九六九、﹃現代民主政と政治学﹄︵岩波書店︶。     、一九八三、﹃日本の政治﹄︵東京大学出版会︶。 5コoqbもコαρ国゜﹁gσq二Φmω㌦.↓ゴΦ⊆三〇⊆㊦℃Φ﹁°・UΦo二<moごΦ一〇≦°り一〇P..>s⑳Σ6§⑦oo\o、o題8、カ㊦≦Φs﹂c。°ω−一N ⊂ ① o σq Φ﹁wc力゜×°﹂㊤鼻o。°勺ミ、o切obさ×ぎ恥コ①ミ×Qφ︵矢野・池上・貴志・近藤訳﹃シンボルの哲学﹄岩波書店  一九六〇︶。 ラスウェル、H.一九六八、﹁社会におけるコミュニケーションの構造と機能﹂︵W.シュラム編 学習院大学社会学研究室訳﹃新版 マ ス ・ コミュニケーション マス・メディアの総含的研究﹄ 東京創元社︶六六頁ー八一頁。 ⊂ ㊦ 四合゜国:一⑩o。N切o口這ムミミ○℃oδQスZm≦<o完︰○×♂﹁α⊂己くm﹁⑩身廿﹁①c力切︶. ← 尾∋①コcり゜oコ巳呂゜胡02こ○べ9葦①亀、助§恥o、⑩oひS∼、句恥、\S͡ZΦ≦<o笑 ○×合a⊂三くの誘=尾℃﹁Φ゜・c。︶頃︵清水博之訳﹃ドラマとして の 社会﹄新曜社 一九八↓︶。 前田康博、一九七八、﹁首のないファシズム﹂︵﹃世界﹄九月号ー第三九四号ー︶三五頁ー三八頁。 丸山真男、一九四七/一九九五a、﹁超国家主義の論理と心理﹂︵﹃丸山真男集﹄第三巻岩波書店に所収︶。     、一九五二/一九九五b、﹁政治の世界﹂︵﹃丸山真男集﹄第五巻岩波書店に所収︶。 忌。Oo∋σ。。江陣Oωゴ2﹂q。鳶“..↓コΦ。oq⑩⊃合−gり①三コσq︷⊂コ臼一8。↓∋。‘。’・∋m合p、.で⊂σ=。○豆ヨ§◎g§、SC9一ぶ﹂°。﹃° ζoOoヨσ゜。°ζ、2四=⑩Φ一こ⑩⑩全Ooo田∋℃o日ミカS﹂、oO℃S、§“͡[o≦沼コo㊦国ユσo⊂∋﹀°力゜。oo一讐①゜・∀λ大石 裕訳﹃ニュースメディア と世論﹄ 関西大学出版部︶。 51

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北陸法學第9巻第1号(2001) ζ呂o∋σ切≧°国沁Pcリコ2二8ω㌦.ゴ而Φ<oζ日コ。﹃。σq①コ合−°。①三編づ①゜。8﹁︸弓ξ⊃一尾−芸mく$召日︸Φ∋o完の旦080﹁ 己oo‘・“..eζs曳o、∩oss§∼o豊§鼻ω︵Nγ切o。ふ﹃° 忌。080コ。ごロ一Φ。。N..○力①至2Φ8切︷<の﹃g・⊂。。﹁。。芭呂巨α①‘。器8﹁﹁巴四︷Φ・・。;呂g・・日゜。G︷=︷⊆合・・日↑。三・。<≡φ.、s。ミ8﹂。、 ℃oミ∼6切心鼻①㊤NもNP      ︼      ∨ ζ。×8pカこ一ΦΦふ..ζ鴇ヶp−え①﹁σQ已∋Φコロ..日巨゜o。蔓゜。。pヵ゜ζ≧旦くm﹁碧ユカ゜ζ呆8旦9°・°三留∋ひo∼⑦聖q芯∼5的≧きミ恥、 ⑩巨せ二ZΦ≦<o完Oo8㊦﹁○りe2①日σ=切冨﹁の︶° ζ9Φoq﹄°碧○﹁ロコ①o冨で一q⊃°。一サ..↓ゴ①⊂°。m°。o註9呂↓剛。讐一〇易>O℃oo﹁。戸。.日一︺Z目ヨo臼×°c力oコOΦ﹁°・︵①○‘・シこ①えひ。90、 ℃o、ミ6巴60ss§\09§︵↑800□c力知σq。︶も⑰Φべ−Φ⑩゜ 忌。ρ5=b°一Φミ㌔.↓7Φ言言①コ8gα団る〇一゜。o﹃ζo°。°・Ooヨ∋已巳8ユop、.日﹄bξ蚕□ζ゜○ξ①≦↓。ゴoえ﹃≦○○=cD。o︷↓ ͡Φ△切゜γミぽ乙・Ooss§∼6豊§恥え⑩oo、ΦS︵国△≦oa>∋o亘opべPq⊃十 忌m合⊆﹁g・︷≧°雪△ζbm°。o⊂乙・P一qっc。r..カ〇三8巴Ooコooコ゜。pω閃コmδユ6巴﹁o﹁自﹀弓o×oコo∋×o︷○田〇三n9ω8ξ。・O 、 . hoss§、6豊§さき鴫恥9預心Q。︵ω︶二㊤Sト。ωΦ゜ ζ竺o≦°oσ]㊤㊤゜。㌦.⇔⊆穿Oo目∋⊂巳8ま房⋮国ユぎユ巴9コoo巳゜・誘一コOoヨヨ⊆己8二80<Φaユ<p..ひoss§㌦。豊§寄恥さ09

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日ヨ90。pOこ昏歪葺刃・乙力窒号﹁。。一⑩c。一蕊ミひ。9。、℃。ミ6巴○§§§∼8合三↑。コム。⊇ω。σq①︶° 岡義達、一九五三、﹁権力の循環と象徴の選択﹂︵﹃国家学会雑誌﹄第六六巻第二・一二号︶六一↓頁ー六三六頁。     、一九五八、﹁政党と政党政治﹂︵岡義武編﹃現代日本の政治過程﹄岩波書店︶六九頁ー 一〇九頁。     、↓九七四、﹁政治﹂︵﹃ブリタニカ国際百科事典﹄第一一巻平凡社︶。 岡田直之、一九九二、﹃マスコミ研究の視座と課題﹄︵東京大学出版会︶。 大石裕、藤田真文、一九九三、﹁政治コミュニケーションと文化﹂︵﹃マス・コミュニケーション研究﹄第42号︶一〇〇頁ー一一六頁。 大石裕、一九九八、﹃政治コミュニケーション研究﹄︵慶磨義塾大学出版会︶。 パノフスキー、E.︵浅野徹訳︶↓九八七、﹃イコノロジー研究﹄︵美術出版社︶。 プーランツァス、N.︵田中正人、柳内隆訳︶一九八四、﹃国家・権力・社会主義﹄︵ユニテ︶。 召﹃poΦ三三2釦二⑩c。9.。。⑩ゴ日三ゴ⑩日δユ三〇。﹁8。コ、ecs恥、ぴ§○§9曼oN︵Nごω∨c。‘ω゜。ω゜鼻切o°     ・一⑩。。メ..o①。巨コσq︹ゴ①=昌切。︷声・。市①日①○言ユ巴8﹁8。⊃一コσq“、。s。c∋さ§智§句ミ忠“①o﹃−Φ一〇 カ = Φざζ・≦昌○﹄≒・カ=。×﹂二≡切r.5cり。。δ一。σq8巴言o﹁8。ゴ∂○。ヨ≡己。豊。コ刃Φg・Φ2°ゴ“.・勺sこ60さミ§ ○⊂魎さ①、ミこ⑰鼻鼻切ムΦO カ。・Q①﹁μ口﹄・≦b①。ユコσq巴αoロ①﹁σ,日貸一Φ⑩μ..ゴ。。蚕。豆。ごσQ①a。6①三⊃。・﹃m°・8﹁。貫..s。にs①∼。sO§sミ§、°°云る︶遠 53

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北陸法學第9巻第1号(2001) Φoolooふ カ゜[ヨ釦pカニ⑩c。一這゜=再臣;着g=切5=日゜。°r。⊃σq︵8切シゴ。s。合8キ。こ。ミ§口㊦訂ミgきc︵で雪⊂∋写①・・。,︶も℃・・。c。㎝, ω心一“ 坂本孝治郎、一九八六、﹁強行採決と議長裁定  昭和五十六年度政府予算案をめぐって  ﹂︵日本政治学会編﹃年報政治学1985 現代日本の政治手続き﹄ 岩波書店︶四九頁ー八五頁。     、一九八七、﹁第一〇二回通常国会の審議日程経過iデータにみる審査状況  ﹂︵﹃学習院大学法学部研究年報﹄二二号︶一 一 一頁ー二二⊥ハ頁     、一九八八a、﹁国会における法案審査  そのデータ作成の試み  ﹂︵日本政治学会編﹃年報政治学1987 政治過程と議 会の機能﹄岩波書店︶一七五頁ー二〇四頁。     、一九八八b、﹁第一〇四回通常国会の研究一基本データにみる審査状況﹂︵﹃学習院大学法学部研究年報﹄二三号︶一五一頁− 二 三 〇頁。     、一九八八c、﹃象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社﹄︵平凡社︶。     、一九八九、﹃象徴天皇制へのパフォーマンス 昭和期の天皇行幸の変遷 ﹄︵山川出版社︶。 切畳;]㊤ωふあ亘σ。=切ヨ∨=日国゜カ﹀°c・竺σ・∋碧︵。○°︶穿§、8㊦§。こ言切・§、⑦6§60<・一一±zの≦<。﹁π§。∋≡餌コ︶ もPおNふΦ㎝゜︵σ︸ ω旦8ざ口7m蛋三。巴⊂ω㊦゜・。↓乙力§げ。ぎ≦。∋①⊇﹀コ国。⋮塁日=8。﹁。︷≡﹁目国αm言釦p。℃。、ミ8;§s§§合こ◎ 一 心〒一mト 佐藤毅、一九七三、﹁同化と異化﹂︵江藤文夫、鶴見俊輔、山本明 編﹃講座コミュニケーション6 コミュニケーションの典型﹄︵研 究社︶、五二頁i七二頁。 佐藤毅、一九九〇、﹃マスコミの受容理論﹄︵法政大学出版局︶。 佐藤卓巳、一九九四、﹁現代﹁視覚メディア史﹂研究とその方法論的課題−﹁社会主義イコノグラフィー﹂論争を例に  ﹂︵東京大 学 社 会情報研究所編﹃社会情報と情報環境﹄東京大学出版会︶四二一頁ー四四一頁。 乙。 ① < Φ ユp≦﹂﹄a﹄°≦°討コ蚕a﹄﹃°二Φおh§§§\§§⊇8、∼①曽9但旨︼ミ昌。号審鵠︵エ。。・旨。q・・=○⊂・。m︸ 54

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政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木) 清水幾太郎、一九五一、﹃社会心理学﹄︵岩波書店︶。 ○リ ゴ o Φ∋呉。﹁°⑰・巴qQり・カ①霧゜一8一己ミa、S轟S⑳§⑳・。⑩①略>8き句oこさ5胃⑲8∋恥鵠§Φq、。8ミ①ミ≒oコσ。∋碧︶“ 。り = σ 。 「∋自p>]⑩c。O.弓コ①≦塁ぎξa≦。・匡C一ご﹁①6。邑8碧○○。己。コ一∋°・㌔.一コ﹀°切ま①ヨ彗コgユ=°−O°ξ﹁。弓 (ゆ △cn°γOOSS切恥oq≦句にO∼OqS﹃⊂、9︵Z①≦くO﹁穴×°○°cり①⊂﹁︶OP=−。⊃∨° 乙リ ヨ芽∨﹁・エΦ弓S一〇mふ.↓=①刃⋮。・Φ呂q田=o;o=一臣;昌oo豆.留巳ミミ知豊①ミ≧田N⑩゜ 副田義也、一九八三、﹃マンガ文化﹄︵紀伊國屋書店︶。 Gり弓知⊆・・。・“↑°一⑩mP≧曳⊂s、和\讐;ミさ簗o這︵〇三8σqo∋プ㊦⊂己くΦ﹁‘・ξo﹃〇三60σqo℃田゜・‘・︶° 高畠通敏、一九七六、﹃政治学の道案内﹄三=書房︶。 高瀬淳一、一九八六、﹁現代政治学の発展における政治的象徴理論の存在と意義︵1︶ーメリアムの政治理論における文化人類学的 視座﹂︵﹃早稲田政治公法研究﹄第二〇号︶一頁−三三頁。     、一九八七、﹁現代政治学の発展における政治的象徴理論の存在と意義︵2︶  政治的象徴の分析から政治の象徴理論的分析 へ 」 ( 早稲田政治公法研究﹄第二二号︶一頁ー三四頁。 竹下俊郎、一九八一、﹁マス・メディアの議題設定機能ー研究の現状と課題﹂︵﹃新聞学評論﹄第三〇号︶二〇三頁ー二一八頁。     、一九八四、﹁議題設定機能の視角  マスコミ効果研究における理論と実証﹂︵放送学研究第三四号︶八一頁−一一六頁。     、↓九九〇、﹁マス・メディアと世論﹂︵﹃レヴァイアサン﹄第七号︶七五頁ー九六頁。     、一九九八a、﹃メディアの議題設定機能﹄︵学文社︶。     、一九九八b、﹁メディア効果理論に関する一考察  議題設定、プライミング、フレーミング﹂︵日本選挙学会一九九八年度大 会論文︶。 竹内郁郎、一九九〇、﹃マス・コミュニケーションの社会理論﹄︵東京大学出版会︶。 田中善一郎、↓九七三、﹁保守政治の支配過程︵一ご︵﹃国家学会雑誌﹄第八六巻第一一・一二号︶一頁−二九頁。      、 一九七四a、﹁保守政治の支配過程︵二ご︵﹃国家学会雑誌﹄第八七巻第=・↓二号︶六三頁ー九四頁。     、一九七四b﹁保守政治の支配過程︵三︶﹂︵﹃国家学会雑誌﹄第八七巻第七・八号︶一頁ー三三頁。      、 一 九七七、﹁保守政治の支配過程︵四゜完︶﹂︵﹃国家学会雑誌﹄第九〇巻第三・四号︶七五頁ー]八五頁。 55

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北陸法學第9巻第1号(2001)     、一九八一、﹃自民党体制の政治指導﹄︵第一法規︶。     、一九八六、﹃自民党のドラマツルギー﹄︵東京大学出版会︶ 弓⊂Oゴ∋POO]㊤∨0。こ㊤㊤吉ミ町ミb⑯≧町ミ9︵↓ゴΦ写m①力器ωcり︶°͡鶴木眞、桜内篤子訳  ﹃ニュース社会学﹄ 三嶺書房︶。 司ξ方︺°<°“一ΦccO㌦.勺⊂σ=6﹁色o己oコ゜。.日[三〇コoΦoコ日ΦコΦ乏゜力㌔。≧㊦ミ切℃①℃Φ、ヵm切①恥、oひ﹂o⊂ヨ恥、“N一〇−NS ↓⊂∋Φでく﹂㊤∨ふbS§恥勲△Φ﹂q9§9SΦS⇔さOaべ匂§Oo∼∼o鋤口亀Ooへoごc∋oさ切oo∼Φ弍“︵#ゴ①6些Oo﹁コo=⊂己くΦ﹁o。一蔓℃話ω切︶・︵梶原景 昭訳﹃象徴と社会﹄紀伊國屋書店 一九八一︶ <Φ﹁9ぴ゜臼﹁勺×p一㊤OO㌔o、吟\8﹂∩ミ日、Φ§亀∂、ミ6知、OΦ<o、oでs①ミニ廿ユコ8δ⊃C三く①﹁ψり一巨写の切。。︶・ 渡辺守雄、一九九三、﹁現代アメリカ政治学の一潮流  M・エーデルマンの象徴政治批判学を中心として﹂︵﹃思想﹄八二四号︶= 九頁ー一二七頁。 ≦Φ①<⑩﹁b:曳〇二一㊤c。一こ㊤o。c◎°ミ⑳qS﹄句mさq午句句ミo句き恥キ句巴亀句ミS、団、③6こoさひ切⊂⑳9ぎ馳鴇鉾①oqざ8、Φ。り︹λ℃﹁P①σq①﹃︶・︵竹下 俊郎訳  ﹃マスコミが世論を決めるーー大統領選挙とメディアの議題設定機能﹄ 動草書房︶。 ≦筈切≒°..巽Φ゜⇔‘。°=ゴ⑩言‘力゜・ζΦ言。三。∋∋匡。①まp.、日ρ↑えN①尾彗△国゜>8コ切8︵Φ巳・・し⊇・惑ミgg。へ句。s、 漂×oひo∼oQ“︿o;°︵﹀巳合切oコー≦Φ乙。汀尾︶]Oq⊃⊥ΦP ≦①尻゜り9づoq痴﹂㊤べ9..℃o=島o巴Φ呂82巴qOo一三8==⊂ψδP..SoにS巴o、℃o、ミ0.ωSωΦ⑩山c。や ≦三8b°一Φ切O。.↓ゴΦ.○巴①×Φ而O零.︸○器①ωε︹ぞぎ日①cり巴①⇔=oコo噛之㊦≦。力“..Soにs亀ぴヨ◎§、電ミ“ωc◎ω−ωq⊃9 ≦・ぎmく6°臼⊂ロm・汀で一Φc。“。“.×⑩8冨§。q。︷p.8;。q①且霧①三⊃。q﹁Φ。。Φ26戸.。eにヨ≧・りsO琵・§曾舞。。一ω−。。N∈ 山口勧、一九八四、﹁最近の説得コミュニケーション研究  送り手の信愚性の要因を中心として﹂︵水原泰介、辻村明編﹃コミュニケ ーションの社会心理学﹄東京大学出版会︶二九頁ー四二頁。 山川雄巳、一九八二、﹁政治学とサイバネティクス﹂︵日本政治学会編﹃年報政治学1980 政治学と隣接諸科学の間1その交渉と 課 題 1﹄岩波書店︶七七頁ー一〇九頁。 安川一、一九九四、﹁マンガの語られ方1“ヴィジュアル”をめぐる困惑﹂︵林進編﹃メディア社会の現在﹄学文社︶九三頁ー一〇九 頁。 四方田犬彦、一九九四、﹃漫画原論﹄︵筑摩書房︶。 56

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吉見俊哉、一九九二、﹃博覧会の政治学﹄︵中公新書︶。     、一九九四、﹁情報化社会の儀礼秩序  メディア・イベント研究序説  ﹂︵東京大学社会情報研究所編﹃社会情報と情報環境﹄ 東京大学出版会︶四四二頁ー四七〇頁。     、一九九八、﹁カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究﹂︵竹内郁郎、児島和人、橋元良明編﹃メディ ア・コミュニケーション論﹄北樹出版︶一七六頁ー一九四頁。 本研究にあたり、北陸大学から二〇〇〇︵平成↓二︶年度北陸大学特別研究助成を受けた。 政治・メディア・政治漫画(8・完)(茨木) 57

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