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韓国の撃の形態 と地域的特徴

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(1)

韓国の撃の形態 と地域的特徴

金 光彦

1.名称

rジェンギ (翠)Jの古語は武器を意味す る 「ジャムギ」である (この言葉 は19世紀の中葉 まで使用 され た)0 『朝鮮王朝実録』 にも 「戦争に勝 った後、敵国の宮閲をジェンギジル (ジェンギを使用)す る」 とい う くだ りが何度 も登場 している。戦争が終わ った後には武器 を溶か して農具 を作 った。三国統一 を成 し遂 げた シル ラ (新羅)のムンム (文武)王 (661‑681年)がのこ した 「兵杖器で農 具を作れ (鋳兵曳為農器)」と の遺詔がその ことを示す良い例である。北東部 (成鏡道)地方の別名 である rノンジェンギ」 もr農業 を行

うジェンギ」とい う意味であ り、兵仕器 と対 をなす言葉である。 「ジェンギ」が単に翠 を意味す るよ うになっ たのは18世紀以降のことであるO

率は最 も重要な農具であった。若者 たちは翠 を うま く操 ることができて初 めて結婚す ることができ、作男 に対す る報酬 もその腕前に応 じて決 め られ た。 ジェンギは様々な道具の代名詞であった。木でできた ものを ジェンギ、石でできた ものを トル (石) ジェンギ、鎌や斧の よ うに刃が付いているものをナル (刀) ジェン ギ と呼んだo今 も漁師たちは海 に網 を下ろす ときに rジェンギを入れ る」 と言 う表現 を使 っている。

ムダン (BZ;女)は、ジェンギを空の七星が与 えて下 さった ものだ と信 じているO この 「神霊な」器具で犯 人 を捜 し出 した。物 を無 くした時はジェンギを立てて黒豆 を撒 く。 これで犯人の顔 に黒い斑点が表れ る とい

うのである。 ジェンギの3箇所 に牛の糞を塗 りつければ1週間後には犯 人が現れ る と考 えていた。

家にある翠の数が、その家の経 済力を測 る物差 しで もあった。準 を持 っていない家が多かった と言 うこと の表れで もある。例 えば、15世紀中期 の高級官僚であったハ ・ウイジ (河緯地)の農場で も、ジェンギよ り も小 さい 「ク」 と呼ばれ る農 具や鍬が使われていた。 ジェンギを持たない人々は牛 とともに人か ら借 りて 使用 し、労働 力をその代償 として提供 していた (ジェンギは1日分、牛は3日分の労働 に換算 された)Oジェ

ンギを売って急場 を しの ぐための金 を用意す ることもあったO

中東部 (江原道)・Llコ部 (京畿道北部)・中西部 (黄海道)ではジェンギを 「ヨンジャン」 とも呼ぶ。本来 は道具を指す名詞 であるが、男性器の意味 も持つ。「夫の ヨンジャンが立派で妻が喜ぶ」とい う言 い方がそれ である。 ジェンギの把手を 「ジャブジ ョッ」 (手で とる男根の意)、ニ頭牽 きのジェンギの翠韓の中央部分 に 差 し込まれた短 い棒 を 「ホラビジ ョッJ(「ホラビ」は男や もめ、「ジ ョ」は男根)、翠身の上端 を 「ジャブ ジ」、小 さな男の子の性器 を 「ジャムジ」、ジェンギ 自体 を 「ジャブンゴ」 と呼ぶの も、 この流れである。

準 を使 って耕す と言 う意味の rジェンギジル」 とい う言葉 を 「性行為」に、「種」 とい う意味の 「シ」を 「精 液」の意味になぞ らえた朝鮮時代の歌 も少 な くない。撃身 を 「ス ッカラク (匙の意)」、翠‑ らか ら落 ちる土 を 「パ ップ (飯 の意)」 と呼び、ジェンギで一 口に耕す広 さを耕作面積 の単位 (ハルガ リ ・イ トウル ガ リ) と 表現 した ところに も、豊年 を祈願す る思いが込 められている。

(2)

れ た平野部 で も使用 され たO「ボを扱 えて こそ寅の農夫」とい う言葉 もある。率先 (幅50cm)は大 きく重 く、

土台 となる木の右側 に長 めの耳 (クイ)が付 いているもの もある

(

「タ イボ」 とい う別名 もある)。 この耳は 耕土を遠 くに放掬ル た り細か く砕 く役割 をす るO接の長 さは250cm前後で、地形によって前の方 に空け られ た2・3個 の穴で調節す る。

rボJは2頭 の牛で牽 くよ うになっているo琴柱 を榛の上に抜いて、撃身の上部の問に棒 を挟んで力を受 け止めるよ うに した。轍 と琴柱が交差す る上部に トッパ ン (翠評) を設けるの もこ うした理 由か らである。

一般的にジェンギ (17kg前後) よ りもはるかに重 く (30kg前後)、牛車に載せて運ぶ。 中部以南で準 をジェ ンギ と通称 しているよ うに、申 ・北部ではボ (またはボ ヨンジャン) を準の代名詞の よ うに使用 している。

(2)ク ッチェンイは 「タンヌン (掻 く) ジェンギ」 を短縮 した言葉 である

「(ジェンギで耕 した土地 を)掻 いて うねを作 った り畑の草取 りをす る」とい う意味である。rク ッジェンイで地面 を代掻 きす るJとい う言葉 はこれ を指 している。 中部 (京畿道 ・忠清適)に分布 し、一頭の牛で牽 くo耕土が両側 に落ちるために じゃ がい も畑 な どに適 している。率先の端は丸 くなってお り、翠‑ らはつけない。

(3)ホルチ ェンイは本来 「ホルチ ジェンギ」であった と思われ るC 「剥が して掻 き混ぜ るジェンギ」 とい う意 味である。実際 に、ホルチ ェンイは ク ッチ ェンイの別名で もある。 中部以南 (忠清道 ・慶 尚道)に分布 し、

形態や機能においてはク ッチェンイ と差がない。甘藷な どの農作物 を収穫す るのに使用 され る。

北 ・北東部で使用 され る 「フチ」の語源 も 「ホルチ」であると思われ る。 (クッチ ェンイやホルチ ェンイ と 同様 に)穀物 に土盛 りし、排水路を作 る際にも使用 され る0 17世紀末〜 18世紀初めの 『山林経済』には胡翠 として記述 されてお り、18世紀末の 『千一録』 には漢字の音 をあてて 「後痔J と記 されている。

(4)ジェンギは中部以南での通称である。

(5)カデギは東北部特有の起耕具である (図 1)。琴‑ らがないかわ りに準身の中ほ どの左右に差 し込まれた 棒に長 さ60‑80cmのサル (桟 ・ブンサル)2‑4本が差 し込まれている。 (これはボの耳を連想 させ る)ブン サル は うねを高 く (30‑40cm)盛 り上げる他 に、土 を砕 く役割 も果たすo Lたがって、豆や麦を蒔いた後で

さらに土を被せ る必要がない0

人が牽 く人力翠 もあ り、牛一頭牽 きの独牛琴 とこ頭牽きの双年率があるO北部では双年率 を多 く使用 して いるQ 中東部の山間地帯のカデギ (独牛翠お よび人力率)には桟が付いていない。

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(3)

図1 棒 と桟で‑ ら替わ りとしたカデギ

(チ ョン シギ ョン原)

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図3 平安北道 出土の長床翠

図2 長床翠

(金光彦 撮影)

図4 無床準

(上図 F朝鮮遺物図鑑古朝鮮 ・扶余 ・辰国鴬』) (金光彦 根影) (下図 『韓国農機具図鑑j)

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図5 北に双牛翠 、南に独牛肇

(チ ョン シギ ョン原図)

3.

形態による区分

翠身の形態 によって長床準類 ・無床撃類 ・短床翠類に分 け られ る。 この うち長床率類が最初に使用 された と見 られ る (図2)。翠床が広 く平 らな長床撃は水分の蒸発をある程度防 ぎ、安全性 も比較的高い。 この うち 翠‑ らのついたものは深耕 が可能である。西部の平野地帯で使用 された。

北部 (平安北道捷州郡倣儀里)の泥炭層か ら、翠身 と準床 が一体に削 りだ された長床翠が出土 した (図3)。 窄身 (長 さ100cm)の上部に把手用の穴が、翠床 (長 さ80cm)の中心部に琴柱 を打 ち込んだ穴があるD 翠床 の前方にも饗先 を固定す るための二つの穴が見える。耕土は翠床の左側 に耕転 され る。

翠身 に接 を差 し込む穴が見 られ ないのは疑問であるが、二つの可能性が考 え られ るO‑つは、中国東 北部 の撃丈のよ うに曲がった韓 を翠身 に差 し込む方法である。翠床の後部の二つの穴 と翠身か ら翠床 に続 く部 位 の外側 が内側 にす こ し曲がっていることとも関係 があると思われ る. も う一つの可能性 は、南部にお ける よ うに、畢身 と韓 との間にかすがいを打ちこんだ り縄 を巻いて固定す る方法である こ うした点や、その大 き さを考 え合わせ る と人力準である と思われ る。 北朝鮮では紀元前7‑ 8世紀の もの と言われ ているが、三 国時代 (紀元後3‑ 6世紀)の遺物である可能性 もある

+ + + 1 7 6

(4)

ことも欠点である。 しか し操縦 は容易である。20世紀初頭 に 日本か ら、いわゆる改良型が入 って きた (1935 年に180,194台、 1940年に344,836台)。率先 を鉄で連結 し、琴柱 を鉄 にかえてお り、椋 と翠身 を鉄片で連 結 したものである。普及 した当時は洋翠 とも呼ばれたこの種類は全国に広が り、今 日に至 って主流の地位 を 確保 している。

4.

牽引者 を主体 とす る区分

翠 を牽 く主体によって家畜翠 と人力牽 とに分け られ る0年一頭で牽 くものが 「ホ リ」 (独牛挙)、二頭で左 右か ら牽 くものがギ ョリ (双年率)である。独牛肇は一 日に600‑700坪の田を10‑13cmの深 さで耕起す る

ことができるC率先は短 く細長 い (京畿道は狭 く小 さい)D

双牛率は中北部地域で使用 され る (図 5)O (後 ろか ら見た とき))7の強い牛を右側 に、若い牛を内側 に配 す る。耕 土が内側 に耕転 され ること、また、柔 らかい土を踏 まなけれ ばな らない ことか ら、右側 の牛に負担 がかか るのである。率先 は厚 く長 く、端は丸 くなっているo椋の長 さは1.5‑2mで、左右両端 に短い股木 (長 さ 50cm)を差 し込んで牛が外れないよ うに している (内側 は縄で これ にか えている)。 中国西南部でのよ う に、長い股木 の両側 についている縄 を牛の鼻輪 に結んで歩調 を合わせ る方法 も使 われ る。一 日に1200‑ 1600 坪の土地を13‑20cmの深 さで耕起す ることができる。

ギ ョリを使 うためには他の家の協力が必要であるO正月の前に親戚や近所 の家 と約束 をす るOこ うした 「ギ ヨリが取 り持つ親戚」関係 は長 く続 く。普段 は労働力を分け合い、慶 弔時にも助 け合 う。 18世紀末の 『課農 小抄』に 「牛3頭 をつな ぐ (連駕三牛)」 との記述があるが、詳細については不明であるO済州道では内陸也 方 とは異な り弱い牛 を前に、力の強い牛 を後に縦列につな ぐ。

人 力翠 (無床琴)は、牛の数の不足を補 うために考 え出 された0 15世紀 中葉の 『衿陽雑録』に 「農家百戸 の うち牛 はわずか 10戸に しかない。 (中略)9人で翠 を牽いて も牛一頭 に及ばない」 と記述 されている。 ソ ウル近郊です らそ うい う状況であ り、山間僻地ではなお さらである。 1845年には流行 り病 で全国の牛がほぼ 全滅 した。 しか し牛が入れ ないよ うな傾斜地や とうもろこし畑、あるいは うねが狭 い畑 な どではむ しろこち

らの方が便利であるO牽 く方法は4種類 であるO

(1)琴柱の下部 に連結 された縄 を肩にかける方法、 (2)縄 をチゲ (背負梯子)に結び付 けてそれ を背負 って 牽 く方法 (図6)、 (3)琴柱の上端 に連結 された縄 を肩 に結ぶ方法、 (4)榛の端の縄 を肩 に結ぶ方法な どであ る。 このほか、中東部の山間ではU字型の榛 を使用す る (双掠準)。夫婦の場合は妻が前で牽き夫が後 ろで操 る。牽 く方は力だけで よいが操縦には技術が必要だか らである。人力率 は東北お よび中東部で多 く使用 され る。

(5)

図6 人力率 をチゲ (背負梯子)で牽 く (金光彦 撮影)

5.把手による区分

翠 は 、(1)把 手が特 にない もの、 (2)一つあ る もの、 (3)二つ ある もの、 (4)四つあるものな ど4つの類 型があ る。

(1)は準身の上端 をやや細 く しただけの ものである。これ を左 手で握 り、右手 に手綱 を持 って翠 を操縦す る。

持 ち上げて移動 させた りす る時 は、中部以南の地方では翠身 の中間後部につ け られ た把手 を掴 んで動かす。

ク ッチ ェンイは この類型 が多い。

(2)は翠身 の一方 (向か って左側)の穴に棒状把手 (長 さ 50‑60cm) をななめに挿 し込むo Lか し、主 とな る把手は前述の もの と同様 に撃身の上端であ り、 これ は補助 の役割 を果 たす に過 ぎない。手綱 の縄 を巻いて 握 った右 手で棒状把 手を掴 む。 東北及び北西部 (平安道西武) に分布 し、中北部 (江原道北部) で も見 られ

るO

(3)には 2種類が あるO‑つは準身 の中間の穴に 30‑40cmの横棒 を挿 して両手で掴 む ものである. クッチ ェ ンイ類 に よく見 られ るO も う一つは畢 身の上端 のLP問に穴のあいた棒 (長 さ 25‑35cm) を打 ち込んだ もので ある 中部お よび中北部 (京畿道 ・黄海道 ・平安追 ・江原道南部) に分布 している。

(4)は把手 を上下 2箇所 に並べて差 し込んだ ものである (この場合 、下の もののほ うが長い)。耕起の時 には 琴身の上部 を、向か って右側 の肩 にあてて押 してゆ く。耕 土 を左側 に耕転 させ る ときには上の把手 を右手で、

下の ものを左 手で掴 む。 中南部 (忠晴北道 ・慶 尚来た道) の山間部に分布 している。

6.

筆先の角度調節法による区分

地 面を耕 起す る深 さを率先 の地面に対す る角度で調節す る方法は、 (1)特定の方法がない もの、 (2)按 に 率評 を入れ る方法、 (3)韓 の上部 に設 け られてい る2、3箇所 の穴に くさびを打ち込む方法の三つがある。

(1) は翠先 の角度 を手 で調節す るO 深耕 を行 わないカデ ギや ク ッチ ェンイな どがほ とん どで この形 であるo これ らは翠柱 と韓 が交差す る上部に短 い棒 を打 ち込んで韓 が上向 きになるのを防 ぐ。

(2)は椋 と撃身が交差す る部分 に、前が高 く後 ろが低い撃評 を置 く方法である。これ を紬 こ押せ ば深 くな り、

後 ろに引けば低 くなる。翠柱 に くさびのた めの穴 を2、3箇所設 けてお けば調節が容易 になる。評 は弱 い韓 を保護す る役 目も果 たすo ボ類 に この形 が多いO

(3)は琴柱 に空 けた3、 4箇所 の穴 を利用す る方法であ るO深 く耕起す るには棒 を一番 上の穴に、浅 く耕 起 す るには下の穴 に入れ て率先の角度 を調節す るO

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(6)

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鮭 二」

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(金弘道 「仕園風俗図画帖」国立中央博 物館 )

図7 率先が2枚の肇

(金俊根 F金俊根風俗図帖』)

8.南北の撃の形態的な違い

翠は北部の ものの方がはるかに多様性 を持 っている (ほかの農具について も同様)o雑穀栽培であった こと、

また、自然環境 のためである (15世紀、北部において水 田が最 も多か った黄海道です ら全耕地面積の17%に 過 ぎなかった)。特に東北地方は年間の平均気温が8度前後で降雨量が700… とい う自然条件のため、草地に よる被害や冷害が繰 り返 された。柄が長 く刃が広いホ ミ (草刈 な どに使用 され るもの) を使用 したの もその ためである。歳時風俗 もまた畑作 を中心 とす る中部以北の端午文化圏 と、水稲作が中心の中部以南の中秋文 化圏に大別できる。

前述の理 由よ りもさらに大きな理 由は、農家においてそれぞれが 自前で翠 を作 り使用 していた ことにある。

個性や こだわ りが反映 されたのである。15ほ どある各部分の名称の うち 10あま りは、限 られた地域 (郡程 磨)でのみ共通で、地域が変われば名称 自体が違 って くるの も同様の脈絡か らである (背負梯子 をは じめ と す る10余程の重要な農機 具に関 して も同 じよ うな現象が見 られ る)0

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図 1 棒 と桟で‑ ら替わ りとしたカデギ ( チ ョン シギ ョン原 図 ) ‑ ̲ 」【 図 3 平安北道 出土の長床翠 図 2 長床翠(金光彦 撮影)図4無床準 ( 上図 F朝鮮遺物図鑑古朝鮮 ・扶余 ・辰国鴬』) ( 金光彦 根影) ( 下図 『韓国農機具図鑑 j ) t i T l ・図5 北に双牛翠 、南に独牛肇(チ ョンシギ ョン原図) 3

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