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上海歴史研 究所所 蔵宗方小太郎 資料 について

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上海歴史研 究所所 蔵宗方小太郎 資料 について

大 里 浩 秋

は じめ に

筆 者 は2002年 春 か ら1年 間,在 外 研 究 の機 会 を得 て 上 海 に滞 在 した 。 そ こで 何 をす るか を 考 え て す ぐに思 い つ い た い くつ か の テ ー マ の 中 に,上 海 社 会 科 学 院 歴 史 研 究 所(以 下,歴 史 研 究 所 と略 称)に 通 って 宗 方 小 太 郎 資 料 を読 む とい うこ とが あ っ た。 そ こ で,上 海 に発 つ前 に宗 方 氏 本 人 に あ い さつ を して お か ね ば とい う気 に な っ て,直 前 で は あ っ た が 熊 本 市 小 峰 墓 地 にあ る彼 の 墓 に 出 か け た 。 広 い敷 地 を見 回 して限 られ た 時 間 で さが しだ せ るか と一 瞬 不 安 に な っ た が,管 理 人 か ら複 数 の 有 名 人 の墓 の 位 置 を書 き こん で あ る見 取 り図 を も ら っ た お か げ で,す ぐに 目的 地 に着 くこ と が で き た 。宗 方 の 墓 は こ ち ら,と 書 い た矢 印 の す ぐ先 に, 彼 の 墓 と記 念 碑 が 整 然 とは い え な い並 び方 で 建 っ て い た 。記 念 碑 は 特 大 で は ない まで も な か な か に 立 派 な もの で,「 宗 方 小 太 郎 君 之 碑 」 の 文 字 は, 清 朝 復 辟 な どで宗 方 と関 わ りが あ っ た 鄭 孝 胃 が揮 毫 した こ とが わ か っ た。 と こ ろが,台 座 の 四 方 に 刻 ん だ碑 文 が 長 年 の 石 の汚 れ の た め に判 読 不 能 の 状 態 に な っ て い た 。 残 念 に思 い な が らそ の場 を離 れ,上 海 に行 っ て 歴 史 研 究 所 で見 て い た宗 方 資 料 の 中 に,こ の碑 文 が は っ き り うつ っ た 写 真 が あ っ て,さ っそ く コ ピ ー を と らせ て も ら っ た。 そ れ は 以 下 の よ うな 文 で あ る 。(旧 字 体 を新 字 体 に 改 め, 句 読 点 を加 え た)

君 通 称 小 太 郎 号 北 平,宇 土 之 人 也 。 君 天 資 俊 適,夙 有 四 方 之 志 。 弱 冠 就 藩 儒 草 野 石 瀬 修 学,最 好 読 史 。 後 見 知 於 佐 佐 克 堂,明 治 十 七 年 清 仏 開 戦,乃 随 克 堂 航 干 上 海 。 弁 髪 修 語 欲 以 有 所 為 。 二 十 年 変 装 擬 清 人 歴 遊 北 方 九 省,如 夫 東 三 省 雨 節,旅 行 最 極 報 難 。

云 君 與 荒 尾 東 方 斎 相 善 。 二 十 三 年 東 方 斎 在 上 海 開 辮 日清 貿 易 研 究 所,君 助 之 致 力 者 不 勘 。 二 十 六 年 畢 業 於 研 究 所 者 一 百 三 十 余 名, 研 究 所 亦 即 時 解 散 。 於 是 君 回 東 京,歴 問 朝 野 名 流 披 渥 対 清 策,西 郷 海 相 最 傾 聴 君 之 言 。 二 十 七 年 征 清 之 役 興,君 亦 万 死 入 威 海 衛, 報 告 敵 艦 隊 之 出動 有 殊 勲 。 旋 経 上 海 還 広 島 大 本 営,明 治 天 皇 以 功 破 格 賜 謁 。 君 感 激 不 措,語 知 友 日,小 太 郎 畢 生 之 願 足 侯 。 二 十 九 年 君 在 漢 口,経 営 漢 字 新 聞 漢 報 。 三 十 一 年 近 衛 霞 山 與 同 志 者 創 立 東 亜 同 文 会,君 與 有 力 焉 。 三 十 三 年 拳 匪 之 乱 後,君 有 所 感 断 髪 。 三 十 七 八 年 日露 之 役,君 奔 走 南 北 視 察 形 勢 有 所 貢 献 。 四 十 三 年 君 漫 遊 欧 米,帰 後 在 上 海 設 立 東 方 通 信 社 。 大 正 十 二 年 一 月 君 在 上 海 罹 病,二 月 三 日終 濫 焉 逝 世 。 春 秋 六 十 。 病 革 報 達 天 聴,特 旨叙 従 五 位 賜 勲 三 等 。 配 内 田 氏 由 紀 子 。 君 逝 既 数 年,友 人 胃 謀 樹 一 碑 於 墓 畔

,勒 君 略 歴 垂 之 不 朽,以 表 追 慕 之 沈 。

昭和 二 年 丁 卯 秋

友 人 井 出 三 郎 撰 並 書

墓 所 で は とて も読 み 取 れ なか っ た 文 を上 海 で写 真 を通 じて わ か っ た うれ し さか ら,思 わ ず 全 文 を 引 用 して しま っ た 。 が,こ の 文 を使 っ て 宗 方 の経 歴 を紹 介 す る た め に は,か な りの程 度 に補 充 の説 明 が 必 要 で あ る 。 そ の こ と を承 知 の上 で,そ の た め の準 備 が で きて い な い筆 者 と して は,宗 方 の経 歴 を綴 る 仕 事 を 今 後 の 課 題 と し て 残 した い と思

う。

と こ ろで,筆 者 が 宗 方 の こ とを調 べ て み よ う と 思 っ た き っ か け は,筆 者 の 同 郷(秋 田 県 鹿 角 市 毛

(2)

馬 内)で あ る石 川伍 一 の 関係 資 料 を 調 べ て い る際 に,石 川 の 親 友 と して 彼 の 名 が しば しば 登 場 した た め で あ っ た*1。 元 治 元(1864)年 生 まれ の 宗 方 は,慶 応2(1866)年 生 まれ の 石 川 とは ほ ぼ 同 年 代 で あ り,宗 方 が 中 国 に 渡 っ た の が 明 治17年,

石 川 は翌18年 で あ る。 そ して18年 中 に2人 は 上 海 で 意 気 投 合 して,以 後,漢 口の 楽 善 堂 の 活 動 で も顔 を 合 わせ て い る し,海 軍 の 情 報 収 集 活 動 に従 事 して い る点 で も共 通 して い る。 石 川 は 日清 戦 争 勃 発 時 に 天 津 で 逮 捕 処 刑 され,一 方 の宗 方 は逮 捕 の 網 を く ぐ り抜 け て生 きの び,以 後30年 近 く も 中 国 の情 報 収 集 を継 続 しつ つ,日 中 関係 の さ ま ざ ま な局 面 に立 ち合 って い く。 志 半 ば で倒 れ た南 部 出 身 の 石 川 と,多 くの 同郷 と共 に 中 国 に進 出 し長 く現 地 に 滞 在 した熊 本 出 身 の 宗 方 の 生 き ざ ま を比 較 して,明 治 か ら大 正 に か け て興 亜 を叫 ん だ青 年 た ち の行 動 を と ら え直 して み た い と思 った の で あ る。

筆 者 の 知 る 限 り,宗 方 の経 歴 を ま とめ た もの と して あ げ られ る の は,東 亜 同 文 会 編 の 『対 支 回顧 録 』 下 巻*2列 伝 に載 っ た 「宗 方 小 太郎 」 と,馬 正 宝 『評 伝 宗 方 小 太 郎 』*:3であ る。 前 者 は,誰 の 筆 に な るか は不 明 な が ら,昭 和10年 代 ます ます 日 本 が 中 国 へ の 軍 事 攻 勢 を強 め る 中 で,か つ て 中 国 へ の進 出 の 土 台 を築 い た功 績 者 と して宗 方 を称 え る立 場 で 書 い て い るの は 明 白で あ り,宗 方 の 日記 や 漢 詩 を 随 処 に引 用 しつ つ,そ の 立 場 を補 強 して い る の で あ る。 この 文 が 書 か れ たあ と,宗 方 の 弟 子 で あ る波 多 博 が,彼 の伝 記 や 資 料 を 一 緒 に載 せ た 本 を作 るべ く,知 人 か ら宗 方 回 顧 の文 を多 数 集 め,宗 方 の 文 章 や 写 真 な ど もた く さん準 備 して い た が,敗 戦 間 際 の 上 海 で の 編 集 作 業 とあ っ てみ れ ば,思 っ た よ う に は は か ど らず に頓 挫 す る とい う 一 幕 が あ っ た。 も し も この 本(『 宗 方 北 平 先 生 全 伝 』 とい う題 名 が 用 意 され て い た よ うで あ る)が 予 定 通 りに出 版 され て い た ら,そ の 後 の 宗 方 研 究

に と っ て益 す る と ころ が 大 で あ っ た で あ ろ う。

次 に後 者 で あ る が,著 者 が 歴 史 研 究 所 に勤 務 し て い た 際 に,所 蔵 の 宗 方 資 料 の 整 理 に あ た っ て い た 関 係 で,そ の 資 料 を読 み つ つ 分 析 を進 め,日 本 に留 学 して か らは さ ら に 日本 にあ る 関係 資 料 を調 べ て,つ い には 一 冊 の伝 記 に ま とめ た もの で あ る。

この 本 の 強 み は,な ん とい って もつ い 最 近 まで 門 外 不 出 だ った 歴 史研 究 所 の 資 料 を利 用 して い る こ とで あ り,加 え て 日本 での 資 料 調 査 も丁 寧 に行 っ て,経 歴 の 不 明 な部 分 を か な り明 らか に して い る 点 で あ る 。 しか し,前 者 に お け る宗 方 の 日記 の つ まみ 食 い 的 利 用 とは 異 な る もの の,宗 方 の 行 動 を 否定 的 に と ら え よ う とす る 余 りに,そ れ らの 資 料 を そ の た め の 補 強 材 料 に使 っ て い る嫌 い が あ り,

日記 そ の他 の 宗 方 の 資 料 が,当 時 の 日中 関 係 を把 え る上 で の豊 富 な 内容 を潜 在 的 に具 え て い る とい う側 面 を軽 視 して い る,あ る い は そ うい う側 面 に 気 が つ い て い ない と思 え る利 用 の 仕 方 を して い る 点 は,も っ た い な い こ とで あ る 。 そ う指 摘 した上 で筆 者 と して は,宗 方 資 料 を そ の よ うな つ も りで 読 み 始 め たい と考 え て い る。

と こ ろ で,な ぜ 宗 方 資 料 が歴 史 研 究 所 に所 蔵 さ れ て い る か は も っ と早 くに説 明 す べ きで あ っ た 。 そ れ は,上 に もふ れ た が,昭 和14年 頃 に弟 子 の 波 多 が 伝 記 編 集 の 作 業 を進 め る べ く,宗 方 の 遺 族 か ら多 量 の 資 料 を借 り受 け て 当 時 の 彼 の 活 動 拠 点 で あ る上 海 に持 ち込 ん だ もの を,敗 戦 後 日本 に引 き上 げ る 際 に上 海 当 局 に没 収 され,そ の 後 そ の 資 料 が 蘇 州 の 古 本 屋 に並 んで い た の を,歴 史研 究 所 の 関 係 者 が購 入 して,そ こ の所 蔵 と な っ て 今 に至 っ て い る か らで あ り,そ の 間 の事 情 は 凋 正宝 「中 国残 留 の 宗 方 小 太 郎 文 書 に つ い て 」寧4で知 る こ と が で きる。 他 方,弟 子 が 借 り出 さず に遺 族 の 手 に 残 っ て い た 資 料 は,戦 後 しば ら く して 国 会 図 書 館 憲 政 資 料 室(以 下,国 会 図 書 館 と略 称)に 保 管 さ れ る こ と に な り,そ の 大 部 分 は 整 理 され た 上 で 神 谷 正 男 編 「宗 方 小 太 郎 文 書 』 正 ・続*5と して 公 刊

され て い る。

さて,筆 者 は 上 海 滞 在 中,歴 史研 究 所 所 長 熊 月 之 先 生 や2002年 に本 学 で 半 年 間研 究 員 だ った 陳 祖 恩 先 生,図 書館 職 員 の 方 々 の協 力 を得 て,宗 方 資 料 を読 む こ とが で き,資 料 の 一 部 を コ ピー す る こ とが で きた 。 以 下 に,そ の際 に 得 た資 料 に基 づ い て,日 記,報 告 類 を 中 心 と して 歴 史 研 究所 所 蔵 分 の 宗 方 資 料 の 目録 を作 り,さ ら に は,ほ ん の 一 時 期 の で は あ る が,日 記 を書 きお こ して紹 介 す る こ とに した い 。

(3)

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34.置h***

石 川伍 一・の経 歴 を紹 介 した もの と して,拙 文 「石 川伍 一 の こ と」(『人 文 研 究 』 第135集,1999年)

と 「湖 南 と伍 一」(『湖南 』20号,2000年)が あ る。

原 本 は 昭和11年(1936)年 刊 。 再 刊 本 は 明 治 百 年 史 叢 書 中 の 一 冊 と して 昭和43年(1967)年 に 出た 。 原 書 房 。

1997年,熊 本 出版 文 化 会館 。

『評伝 宗 方小 太 郎 』 所 収 。

「正 」 は 昭 和50(1974)年,「 続 」 は 昭 和52 (1976)年 の 発 行 。 明 治 百 年 史 叢 書,原 書 房 。 1.歴 史 研 究 所 所 蔵 の 宗 方 資 料 の 概 略

歴 史研 究 所 所 蔵 の 宗 方 小 太 郎 関 連 資 料 に つ い て は,上 述 の 「中 国残 留 の 宗 方 小 太 郎 文 書 につ い て 」 で 紹 介 され て い て,大 い に参 考 に な るが,歴 史研 究 所 で 編 集 した,全 部 で18冊 に綴 じた ま と ま り に従 っ て 説 明 し よ う と して い るの で,執 筆 の 年代 が 前 後 した り,宗 方 本 人 の もの とそ うで な い もの が 混 じっ て い た り して一 つ ま り編 集 の不 適 切 さ を その ま ま反 映 して い る とい う こ とだ が,わ か り に く さが 多 分 に残 る もの で あ り,ま た,特 に 日記 につ い て は 簡 単 に す ぎる説 明 に な っ て い る と こ ろ が あ っ て,こ れ か ら 日記 を 活用 し よ う とす る 者 に は 不 便 な 整 理 の 仕 方 に な っ て い る 。 そ こ で 今 は, 日記,お よ び 日記 に次 い で 資 料 が 多量 に保 存 され て い る報 告 類 を,判 明 す る 限 りで 時 間順 に並 べ 目 録 の 形 で紹 介 す る 。 さ らに,日 記 や 報 告 以 外 の 資 料 につ い て は,筆 者 の チ ェ ッ クが い まだ 不 充 分 で

あ るた め に,そ の一 部 を紹 介 す る に留 め る 。

(1)宗 方 の 日記 お よ び紀 行 文

こ こで は,宗 方 の 日記 と紀 行 文 を一 緒 に して, 時 間 の 順 に並 べ る こ と にす る 。 彼 は紀 行 文 を 日記 と並 行 して書 い て い る場 合 もあ るが,紀 行 文 を書 い て い る時 に は 日記 を書 い て い な い 方 が 多 く,ま た紀 行 文 の 中 に 日記 的 な要 素 を含 め て い る こ と も あ っ て,一 括 して 扱 っ た 方 が 便 利 だ か らで あ る 。 以 下,そ れ ら を並 べ る にあ た っ て 前 提 とす べ き説

明 を2,3加 え て お きた い 。

a.宗 方 が 日記 を書 き始 め た の は い つ か は 断 定 は で き な い も の の,そ れ 以 前 に な くて 明 治20 (1887)年 初 か らの 記 録 は 散 見 す る の で,少 な く と もそ の 年 か ら は 日記 あ るい は紀 行 文 の 形 で 書 き つ ぐ よ う にな っ た と考 え る こ とが で き る。た だ し,

明 治20年 初 か ら同 年4月 まで の 部 分 が,今 数 日 分 の み 見 る こ とが で き る の は,昭 和10年 代 に彼 の 伝 記 を作 る準 備 で 原 稿 用 紙 に そ の 数 日分 を書 き 写 した の が 残 っ て い る た め で あ り,原 件 は そ の 後 行 方 不 明 に な った の で は な い か と思 わ れ る。

b.日 記 は,亡 くな る直 前 の 大 正12(1923)年 1月 ま で ほ ぼ 毎 日書 い て い る と い っ て よ い 程 だ が,時 に は書 け な い 事 情 が あ っ た の か,あ る い は 書 い た け れ ど も紛 失 して し ま っ た の か で,短 くて 数 日間,長 くて数 ヶ月 間,欠 落 して い る こ とが あ る。 そ こで,数 日間 の 場 合 は と もか く,長 い期 間 の 場 合 は そ の 旨注 記 す る こ と に した 。 ま た,国 会 図 書 館 に所 蔵 され て い る もの は その 欠 落 部 分 の全 て で は な い が か な りを補 う もの な の で,歴 史 研 究 所 所 蔵 の もの を並 べ た あ と に,参 考 まで に ま とめ て 記 す こ とにす る 。

C.日 記 を書 くの に使 っ た 用 紙 は,縦 線 が 入 っ た もの も入 っ て い な い もの も あ るが,B4程 度 の 大 き さで あ る点 は 一 定 して お り,そ れ に 日付 ご と に縦 書 き に毛 筆 で ぎ っ し り書 い て あ る。 旅 の 移 動 で も同 様 の 紙 を持 参 して 書 き継 い だ と思 わ れ る が,調 査 に集 中 した時 は 別 に メモ書 き を して お き, ど こか 腰 を落 ちつ け る場 所 に 着 い て か ら,普 段 使 う用 紙 に書 き写 した こ と は 日記 の とこ ろ ど こ ろ に あ る,○ ○ 紀 行 を作 る,と い う表 現 か ら知 る こ と が で き る。 宗 方 は 自 ら 日記 を 一定 期 間 ご と に 一 ま と ま りに して 「○ ○ 日誌 」 あ る い は た だ 「日誌 」 とか 「日乗 」 と題 して 綴 じ,紀 行 文 に は全 て 「○

○ 紀 行 」 と名前 をつ け て 綴 じて,保 存 を期 した も の と考 え られ る。 歴 史研 究 所 で も,そ の 綴 じ方 の

ま ま に ほ ぼ 時 間 の 順 に 整 理 して所 蔵 して お り,原 件 は 『日記 』 第1冊 か ら第8冊 まで に,原 稿 用 紙 に適 宜 書 き写 した 日記 は 第9冊 に収 め て い る。 こ こ で は,「 ○ ○ 日誌 」 と題 した もの の み そ の 名 を 記 し,そ の 日記 な い し紀 行 文 を書 い た 期 間 に滞 在 した 地 名 を つ け 加 え た(地 名 は,宗 方 自 らが,表 紙 に書 い て い る もの も一 部 あ る が,そ れ以 外 は歴 史 研 究 所 が 整 理 す る 際 に表 紙 に メモ 書 きに した も の が あ るの で そ れ を利 用 し,欠 落 が あ る と こ ろ は 大 里 が 補 っ た)。 さ ら に,歴 史 研 究 所 の 編 集 に従 い,各 日記,紀 行 文 が 収 ま っ て い る冊 数 を記 した。

目録 中 に 『日記 』 第9冊 とか,B16『 北 支 那 漫 遊

(4)

記 」 と か 記 し て い る の は,そ の 例 で あ る 。

○ 明 治20(1887)年1月3日,2月11日,19 日,4月9日,10日,12月1日

… 以 上 『日 記 』 第9冊 所 収 。

○ 明 治20年4月10日 一12月11日 「北 支 那 漫 遊 記 」 江 蘇 省,山 東 省,直 隷 省,盛 京 省, 山 西 省,河 南 省,湖 北 省,…B16r北 支 那 漫 遊 記 』 所 収 。

○ 明 治21(1888)年5月18日 … 『日記 』 第9 冊 所 収 。

○ 明 治21年5月19日 一12月31日 「往 返 日 記 」 上 海,漢 口,熊 本,上 海,天 津,北 京 。

○ 明 治22(1889)年1月1日 一 明 治23 (1890)年1月1日 一1月24日 「燕 京 日 誌 」,北 京 。

○ 明 治23年1月25日 一30日 北 京 か ら 漢 口 に 向 け て 陸 路 移 動 中,湖 北 裏 陽 で27日 間 の 記 録 を 紛 出 し た と の こ と わ り が あ り, そ の う ち の6日 分 だ け を あ と か ら 思 い 出 し て 書 き 加 え た も の 。

○ 明 治24(1891)年4月18日 一10月15日 上 海 。

○ 明 治24年10月16日 一 明 治25(1892)年4 月30日 上 海 。

○ 明 治25年5月1日 一8月31日 上 海 。

○ 明 治25年9月1日 一12月31日 上 海, 熊 本 。

○ 明 治26(1893)年1月1日 一5月31日 上 海,熊 本,東 京 。

○ 明 治26年6月1日 一12月31日 東 京, 熊 本,上 海,漢 口,上 海 。

※ こ の 最 後 に 「眠 江 四 日 記 」,ll月10日 一 14日,を 付 す 。

※ 続 い て,「 武 漢 聞 見 随 録 」(表 に,26年 11月 よ り12月15日 ま で,27年3月 よ

り,と の メ モ 書 きが あ る)を 付 す 。

… 以 上 は 『日記 』 第1冊 所 収

○ 明 治27(1894)年1月1日 一6月26日 上 海,漢 口 。

○ 明 治28(1895)年1月1日 一3月8日 広 島 。

○ 明 治28年3月8日(続 き)‑22日 広

島 。

○ 明 治28年9月1日 一12月31日 西 京

(マ マ),東 京,熊 本,東 京,熊 本,上 海 。

○ 明 治29(1896)年1月1日 一8月31日 上 海,漢 口,上 海 。

○ 明 治29年9月1日 一 明 治30年(1897)年 1月31日 漢 口 。

※但 し,明 治29年10月18日 一11月3日 は 欠,そ の 時 期 に 対 応 す る 記 録 は 「梁 胡 二 氏 と の 応 待 始 末 」 で あ る 。 河 南,漢 口 。 (2)を 参 照 の こ と 。

○ 明 治30年2月1日 一6月27日 上 海,熊 本 。

○ 明 治30年6月28日 一10月17日 熊 本, 東 京 。

○ 明 治30年10月18日 一 明 治31(1898)年 10月16日 台 湾,熊 本,上 海,芝   ,膠 州,即 墨,上 海,漢 口,上 海,漢 口,上 海, 薫莫 口,貢n本 。

※ な お,明 治30年12月22日 一28日 の こ と は 「青 島 紀 行 」 に も 書 か れ て い る 。(2) を 参 照 の こ と。

○ 明 治31年10月17日 一12月31日 東 京 。

○ 明 治32(1899)年1月1日 一12月31日 熊 本,東 京,熊 本,上 海,蘇 州,上 海,漢 ロ,上 海,東 京,熊 本,上 海,湖 南 。

※ そ の う し ろ に,「 瀟 湘 乏 磋i日記 」,同 年12 月2日 一 翌 年1月11日,を 付 す 。

… 以 上 は 『日 記 』 第2冊 所 収

○ 明 治33(1900)年1月1日 一12月31日 湖 南,漢 口,上 海,芝   ,天 津,芝   ,上 海,漢 ロ,上 海,熊 本,上 海,漢 口 。

○ 明 治34(1901)年1月1日 一12月31日 漢 口,上 海,熊 本,上 海,漢 口,上 海 。

※ そ の あ と に,「 蘇 州 湖 州 杭 州 三 府 舟 遊 日 誌 」,同 年4月3日 一9日,を 付 す 。

※ 続 い て,「 杭 州 遊 日 誌 」,同 年5月18 日 一24日,を 付 す 。

○ 明 治35(1902)年1月1日 一12月31日 上 海,漢 口,大 冶,漢 口,上 海,熊 本,東 京,京 都,熊 本 。

○ 明 治36(1903)年1月1日 一12月31日

(5)

熊 本,上 海,漢 口,上 海,芝   ,大 東 溝, 安 東 県,九 連 城,韓 国 義 州,鴨 緑 江,龍 厳 里,芝   ,青 泥 窪,旅 順,芝   ,青 泥,奉 天,遼 陽,牛 荘,山 海 関,天 津,北 京,天 津,芝   ,長 崎,熊 本,東 京,京 都,熊 本, 上 海,熊 本 。

○ 明 治37(1904)年1月1日 一12月31日

「甲 辰 日誌 」 熊 本,日 奈 久,東 京,熊 本,東 京,熊 本,東 京,熊 本,上 海 。

… 以 上 は 『日 記 』 第3冊 所 収

○ 明 治38(1905)年1月1日 一12月31日 上 海,熊 本,福 岡,東 京,熊 本,上 海 。

○ 明 治39(1906)年1月1日 一12月31日 上 海,熊 本,上 海,熊 本,東 京,上 海 。

○ 明 治40(1907)年1月1日 一12月31日 上 海,漢 口,上 海,熊 本,上 海 。

※ 但 し,2月9日 一28日 は 欠,3月1日 一 11日 は 一 部 簡 単 に記 す の み 。

○ 明 治41(1908)年1月1日 一12月31日 上 海,漢 口,上 海,熊 本,上 海 。

○ 明 治42(1909)年1月1日 一12月31日

※ 但 し,10月17日 一11月30日 は 欠,そ の 時 期 を 除 い て 滞 在 し た 場 所 は,上 海, 大 連 ・上 海 。

※ う し ろ に,「 北 清 遊 記 」 同 年10月17 日 一11月30日,を 付 す 。 大 連,旅 順, 奉 天,撫 順,営 口,天 津,北 京,漢 口,

… 以 上 は 『日 記 』 第4冊 所 収

○ 明 治43(1910)年1月1日 一3月26日 上 海,熊 本,東 京 。

○ 明 治43年3月27日 一7月26日 「欧 米 鴻 爪 記 」 一,二,三 太 平 洋,布 畦,米 国, 大 西 洋,英 吉 利,仏 蘭 西,伊 太 利,瑞 西, 独 逸,露 国,満 州,日 本 。

○ 明 治43年7月27日 一12月31日 熊 本, 広 島,上 海,天 津,北 京,漢 口,上 海 。

○ 明 治44(1911)年1月1日 一7月14日 上 海,熊 本,蘇 州,上 海 。

○ 明 治44年7月15日 一12月31日 熊 本, 東 京,熊 本,上 海,漢 口,上 海 。

… 以 上 は 『日記 」 第5冊 所 収

○ 明 治45(1912)年1月1日 一8月31日 上

海,熊 本 。

○ 明 治45年9月1日 一 大 正2(1913)年5月 9日 熊 本,上 海,杭 州,熊 本,朝 鮮,天 津,北 京 。

○ 大 正2年5月10日 一12月31日 北 京, 天 津,済 南,青 島,済 南,泰 安,曲 阜,充 州,南 京,上 海,南 京,鎮 江,上 海,熊 本 。

○ 大 正3(1914)年1月1日 一8月31日 熊 本,上 海,杭 州,普 陀,寧 波,三 都 湊,羅 源 湾,福 州,慶 門,香 港,広 東,馬 公,上 海,熊 本,東 京,京 都,大 阪,熊 本,鹿 児

島 。

○ 大 正3年9月1日 一 大 正4(1915)年8月 25日 上 海,熊 本,東 京,熊 本,上 海,杭 州,上 海,熊 本,東 京 。

… 以 上 は 『日記 』 第6冊 所 収

○ 大 正4年8月26日 一 大 正5(1916)年12 月31日 日光,白 河,仙 台,松 島,水 戸, 東 京,上 海,熊 本,東 京,京 都,芦 屋,東 京,上 海 。

○ 大 正6(1917)年1月1日 一 大 正7(1918) 年7月31日 上 海,杭 州,東 京,熊 本, 東 京,上 海,杭 州,南 京,東 京,上 海 。

○ 大 正7年8月1日 一 大 正9(1920)年8月 31日 上 海,東 京,上 海,東 京,上 海 。

… 以 上 は 『日 記 』 第7冊 所 収

○ 大 正9年9月1日 一 大 正10(1921)年8月 16日 上 海,東 京,熊 本,東 京 。

○ 大 正10年8月17日 一 大 正11(1922)年12 月31日 東 京,上 海,東 京,上 海 。

○ 大 正12(1923)年1月1日 一15日 上 海 。

… 以 上 は 『日記 』 第8冊 所 収

国 会 図 書 館 所 蔵 分 は 次 の 通 り。

○ 明 治21(1888)年4月17日 一5月9日 「江 蘇 小 遊 記 」,鎮 江,常 州,蘇 州 。

○ 明 治23(1890)年3月3日 一7月31日 漢 ロ,上 海,長 崎,東 京 。

○ 明 治28(1895)年3月23日 一5月7日 「fSi 湖 島 従 軍 日 記 」。

○ 明 治28年5月9日 一9月1日 「台 湾 従 軍 日記 」。

(6)

こ れ らは,い ず れ も小 型 の手 帳 に書 か れ た もの で,そ の点 で 歴 史 研 究 所 所 蔵 の 日記 とは 趣 を異 に して い る。 急 ぎ手 帳 に記 した もの を,そ の 後 定 型 の用 紙 に書 き写 す 余 裕 が 無 か っ た とい う こ とか も 知 れ な い 。

(2)報 告 書,論 考

こ こ で は,宗 方 の 報 告 書,論 考 を可 能 な 限 り時 間 の 順 に並 べ る。 可 能 な限 り とは,執 筆 時 間 を書 い て い ない2,3の 文 章 につ い て,想 定 で きる 限 りで 並 べ て み た とい う意 味 で あ る。 とこ ろ で,報 告 書 と は,海 軍 軍 令 部 宛 に ナ ンバ ー を つ け て 提 出

した,い わ ば 正 規 の 報 告 書(と い っ て も,定 期 的 な もの で は な く,報 告 の 形 式 が 一 定 して い る わ け で も な い)と,「 臨 時 」 あ る い は 「号 外 」 と銘 打 っ た 報 告 書 の こ とで あ る 。 報 告 の 第1号 は 明 治 28(1895)年12月24日 付 で あ り,最 後 の 第628 号 は 大 正12(1923)年1月12日 付 で あ る が,そ の うち,国 会 図 書 館 所 蔵 分 は466篇(他 に臨 時 報 告 が3篇,号 外 報 告 が57篇),歴 史研 究所 所 蔵 分 は84篇(他 に 臨 時 報 告 が1篇)で,数 か らす る と国 会 図 書 館 分 が 圧 倒 的 に多 い。 しか し,内 容 を 抜 き に して数 だ け で 資 料 の 価 値 は計 れ な い の で, 少 数 と は い え,歴 史 研 究 所 分 を無 視 す る わ け に は

い か ない 。 そ こ に所 蔵 され て い る原 稿 の種 類 と し て は,原 件 とカ ー ボ ン紙 に よ る複 写 原 稿 と伝 記 作 成 の た め に原 稿 用 紙 に書 き写 した もの と の3種 が 入 り混 じっ て お り,そ の た め に,両 所 に だ ぶ っ て い る 報 告 も少 数 なが らあ るの で,今 は 歴 史研 究 所 にの み あ る報 告66篇(臨 時 報 告1篇 を含 む)を 並 べ る こ と に した 。

一 方論 考 とは,そ の 時 々の 情 勢 を論 評 した もの や調 査 記 録 を 含 ん で い る が,「 報 告 」 とは 名 乗 っ て い な い 分,そ の 提 出先 が 海 軍 で あ る か ど うか 判 然 と しない 文 章 一 般 を指 して い る 。 こ う した性 格 の文 章 は国 会 図書 館 分 に もあ る に は あ るが,そ こ に は執 筆 が 中華 民 国 成 立 前 後(明 治 末 か ら大 正 に か け て)の 文 章 が 多 いの に対 し,歴 史 研 究 所 分 は それ よ り も早 い 時 期,明 治20〜30年 代 に書 か れ た もの が 多 い の は,宗 方 の 初 期 の 中 国 認 識 を知 る 上 で 貴 重 で あ る。

○ 「濯 遊 聞 見 録 」,明 治20(1887)年1月3日

〜2月 中 旬 。

※ そ の 後 の 一 連 の 報 告 の 原 形 を な す と考 え られ る 。

○ 題 名 不 明(中 国 の 危 機 に対 処 して,早 期 に 蜂 起 す る必 要 を訴 え て い る 。 漢 文 で 書 か れ て い る 。)

※内 容 か ら,初 期 の もの と推 定 。

○ 「長 江 の波 瀾 」,明 治24(1891)年6月17 日。

○ 「教 育 私 言」

○ 題 名 不 明(運 河 につ い て,北 京 か ら各 省 都 まで の距 離 につ い て 書 い た もの)

※上 記2篇 は,日 清 貿 易 商 会 名 の あ る用 紙 を使 っ て お り,明 治24〜5年 と推 定 。

○○

0

「対 支 管 見 」,明 治26(1893)年 。

「清 国 大 勢 の 傾 向 」,明 治26年(1893)年 10月 。

「対 清 遍 言 」,明 治28年(1895)年1月21 日 。

○ 題 名 不 明(荒 尾 精 死 去 を悼 む 文 章)明 治29 (1896)年11月 。

0 0

0 O

0 0

0 0

「張 之 洞 に つ い て 」 報 告 第16号,明 治29 (1896)年 。

「梁 胡 二 氏 応 対 始 末 」 報 告 第17号,明 治 29年11月18日 。

※ 同 年10月17日 一11月4日,漢 口,河 南,漢 口 と 移 動 し た 際 の 行 動 を 記 し て い る 。

「中 国 大 勢 の 観 測 」,明 治30(1897)年9月 2日 。

「青 島 紀 行 」 臨 時 報 告3‑2,明 治31 (1898)年1月3日 。

※ 明 治30年12月22日 一28日 の 行 動 を 記 して い る 。

「清 国 人 心 の 傾 向 」 報 告 第26号,明 治31 年 。

「膠 州 湾 事 件 の 落 着 に 関 す る 総 理 衙 門 の 上 奏 文 摘 要 」 報 告 第27号,明 治31年3月1

日 。

「英 国 の 要 求,津 鎮 鉄 道,独 逸 の 再 要 求, 他 」 報 告 第28号,明 治31年 。

「清 国 の 防 軍 の 区 処 」 報 告 第29号,明 治

(7)

31年 。

○ 「皇 嗣 冊 立 」 報 告 第49号,明 治33(1900) 年2月5日 。

○ 「山 東 の 義 和 団 」 報 告 第56号,明 治33年 4月2日 。

○ 「立 嗣 余 響,北 京 政 府 部 内 の 露 国 党 」 報 告 第57号,明 治33年4月1日 。

○ 「河 南,山 西 の 鉱 山 開 掘 」 報 告 第58号, 明 治33年4月2日 。

○ 「芦 漢 鉄 道,李 乗 衙 」 報 告 第59号,明 治 33年4月2日 。

○ 「義 和 団,四 川 遡 航 の 英 艦,他 」 報 告 第60 号,明 治33年4月14日 。

○ 「義 和 団 事 件 」 報 告 第66号,明 治33年6 月8日 。

○ 「四 川 遡 航 の 英 艦 」 報 告 第67号,明 治33 年7月17日 。

○ 「北 清 事 件,盛 京 省 の 不 穏,他 」 報 告 第75 号,明 治33年7月17日 。

○ 「劉 坤 一,張 之 洞 等 の 態 度 と 南 方 の 形 勢, 日 本 の 出 兵 に 対 す る 南 京 官 吏 の 誤 解,他 」 報 告 第77号,明 治33年7月17日 。

○ 「清 国 将 来 の 運 命 」 報 告 第100号,明 治34 (1901)年 。

○ 「両 宮 回 攣 の 件 」 報 告 第106号,明 治34 年11月1日 。

○ 「清 国 の 政 況 」 報 告 第107号,明 治34年 11月23日 。

○ 「和 局 後 の 政 治 」 報 告 第129号,明 治35 (1902)年6月14日 。

○ 「清 国 盛 京 省 大 東 溝 の 材 木 業 」,「 鴨 緑 江 沿 岸 聞 見 雑 録 」,明 治36(1903)年6月14日 。

※ う し ろ に,青 泥 窪,遼 陽 州,奉 天 府,旅 順 口 に 関 す る 報 告 を 付 す 。

○ 「清 国 の 政 況 各 大 官 の 系 統,皇 帝 皇 太 后 の 関 係 」 報 告 第183号,明 治39(1906)年6 月 。

○ 「衰 世 凱 勢 力 の 失 墜 」 報 告 第186号,明 治 40(1907)年1月23日 。

○ 「満 漢 の 勢 力 比 較 」 報 告 第189号,明 治40 年3月5日 。

○ 「四 鎮 総 統 衙 門 」 報 告 第190号,明 治40

年3月5日 。

○ 「衰 世 凱 の 勢 力 」 報 告 第210号,明 治40 年9月3日 。

○ 「第 二 辰 丸 事 件 と 広 東 人 」 報 告 第282号, 明 治41(1908)年3月9日 。

○ 「第 二 辰 丸 事 件 の 解 決 に 対 し 自 治 会 の 運 動 」 報 告 第283号,明 治41年3月19日 。

○ 「辰 丸 事 件 の 余 響 」 報 告 第284号,明 治41 年3月27日 。

○ 「衰 世 凱 の 勢 力 と 北 京 政 況 一 斑 」 報 告 第 291号,明 治41年9月 。

○ 「皇 帝 崩 御 後 の 政 局 」 報 告 第297号,明 治 41年11月15日 。

○ 「張 之 洞 の 逝 去 と 北 京 の 政 局 」 報 告 第316 号,明 治42(1909)年10月8日 。

○ 「資 政 院 に 対 す る 卑 見 」 報 告 第323号,明 治43(1910)年10月 。

○ 「資 政 院 議 事 状 況 並 に 所 感 」 報 告 第324号, 明 治43年10月8日 。

○ 「国 会 速 開 運 動 」 報 告 第342号,明 治43 年12月22日 。

○ 「資 政 院 に お け る 弾 劾 案 の 影 響 」 報 告 第 343号,明 治43年12月26日 。

○ 「資 政 院 の 終 局 」 報 告 第344号,明 治44 (1911)年1月10日 。

○ 「清 国 の 政 況 並 に 将 来 の 変 局 」,明 治44年 1月30日 。

○ 「新 政 施 行 の 困 難 」 報 告 第350号,明 治44 年3月24日 。

○ 「憲 法 制 定 委 員,資 政 院 副 総 裁 の 更 迭 」 報 告 第351号,明 治44年3月24日 。

○ 「鉄 道 国 有 に 対 す る 反 動,他 」 報 告 第354 号,明 治44年5月21日 。

○ 「清 国 現 下 の 政 況 」 報 告 第356号,明 治44 年6月29日 。

○ 「四 川 変 乱 の 概 況 」 報 告 第357号,明 治44 年9月25日 。

○ 表 題 な し,明 治44年10月 。

○ 「清 国 変 乱 に 対 す る 卑 見 」 報 告 第358号, 明 治44年11月12日 。

○ 「叛 徒 の 仮 政 府 」 報 告 第359号,明 治44 年11月17日 。

(8)

○ 「講 和 談 判 に 就 行 」 報 告 第365号,明 治44 年12月15日 。

O「 革 命 党 の 内 訂 と 匪 乱 」 報 告 第366号,明 治44年12月15日 。

○ 「新 政 府 の 組 織 と其 発 表 期 」 報 告 第367号, 明 治44年12月15日 。

○ 「支 那 時 局 観 」 報 告 第371号,明 治45 (1912)年2月7日 。

○ 「中 国 政 治 状 況 に つ い て 」 講 演 原 稿,明 治 45年 。

○ 「孫 逸 仙 と の 問 答 」 報 告 第385号,明 治45 年10月11日 。

○ 「支 那 の 政 況 」,大 正2(1913)年5月25 日 。

○ 「支 那 の 革 命 」 講 演 原 稿,大 正3(1914)年 2月21日 。

○ 「欧 州 戦 乱 と 日 支 両 国 の 関 係j報 告 第416 号,大 正3年8月29日 。

○ 「排 日 運 動 に 対 す る 所 感 」 報 告 第439号, 大 正4(1915)年6月29日 。

○ 「支 那 の 動 乱 」 報 告449号,大 正5(1916) 年1月20日 。

○ 「宣 統 復 辟 の 運 動 」 報 告470号,大 正6 (1917)年4月4日 。

○ 「宣 統 復 辟 に 対 す る 管 見 」 報 告 第472号, 大 正6年4月10日 。

○ 「孫 文 と の 問 答 」 報 告 第478号,大 正6年 6月3日 。

○ 「支 那 時 局 概 観 」 報 告492号,大 正7 (1918)年3月30日 。

○ 「政 局 の 紛 糾 と復 辟 の 謡 言 」 報 告 第501号, 大 正7年8月29日 。

○ 「総 統 改 選 と 時 局 の 関 係 」 報 告 第502号, 大 正7年9月16日 。

○ 「南 北 妥 協 の 難 関 」 報 告 第507号,大 正7 年11月11日 。

○ 「排 日運 動 の 趨 勢 」 報 告 第510号,大 正8 (1919)年4月25日 。

○ 「排 日 運 動 に 対 す る 所 感 」 報 告 第529号, 大 正8年9月5日 。

○ 「支 那 人 心 の 悪 化 」 報 告 第539号,大 正8 年11月25日 。

○ 「支 那 各 派 の 連 絡 系 統 と 現 下 の 形 勢 」 報 告 第574号,大 正9(1920)年10月27日 。

○ 「政 局 大 観 」 報 告 第579号,大 正9年12 月18日 。

○ 「支 那 政 局 解 剖 略 説 」 報 告 第583号,大 正 10(1921)年3月11日 。

○ 「支 那 政 局 概 観 」 報 告590号,大 正10年9 月22日 。

○ 「支 那 政 局 の 大 勢 」 報 告 第625号,大 正11 (1922)年11月24日 。

他 に,未 確 認 の 文 章 が 数 篇 あ る 。

(3>そ の他

日記 と紀 行 文,報 告 書 と論 考 につ い て は,す で に(1)と(2)で 詳 し く見 て きた 通 りだが,そ れ以 外 の 資 料 につ い て は 未確 認 の もの が 多 い の で,今

は確 認 で きた 限 りで コ メ ン トし,並 べ て い く。

a.宗 方 の 手 紙

こ こ に並 べ る 以 外 に も友 人 宛 の 手 紙 が い く つ か あ る の は,総 じ て 大 正 期 が 多 い 。 他 に,海 軍 あ る い は 吉 田 大 佐 宛 の 報 告 が 手 紙 の 形 で 数 通 残 さ れ て い る 。

○ 佐 々,牧 宛,明 治20(1887)年12月 。

○ 熊 谷 直 亮 宛 「狂 夫 之 言 」,明 治21(1888)年 10月 。

○ 白 岩 龍 平 宛,明 治24年 頃 。

○ 海 軍 軍 令 部 宛(孫 の 来 日 に つ い て),明 治 45(1912)年10月11日 。

○ 宛 先 不 明(広 東 独 立 に つ い て),大 正5 (1916)年4月8日 。

○ 吉 田 大 人 宛(排 日 運 動 の 状 況,他),大 正8 (1919)年7月12日 。

b.宗 方 宛 手 紙

国 会 図 書 館 に 多 数 あ る の に 比 べ て 少 し しか な い が,漢 口 楽 善 堂 時 期 の 同 志 が 明 治20年 代 に 書 い た 手 紙 は,貴 重 な 証 言 と な ろ う。

○ 広 岡 安 太,明 治20(1887)年 春 。

○ 荒 尾 精,明 治21(1888)年6月 。

○ 浦 敬 一,明 治22(1889)年1月4日 。

○ 石 川 伍 一,□ □ 年9月12日 。

(9)

○ 佐 々 友 房,明 治29(1896)年1月28日 。

c.宗 方 の 詩稿

明 治20年 代 か ら大 正 初 年 まで に読 ん だ 漢 詩 を, 年 代 ご とに1〜11ま で に分 け て 一 巻 に綴 じて あ る。 日記 と対 照 し なが らそ の 時 々の 感慨 を知 る 際 に貴 重 で あ る。

d.伝 記 作 成 の た めの 諸 資料

弟 子 の 波 多 博 が 始 め た 宗 方 の 伝 記 編 集 作 業 が, か な りの と こ ろ ま で 進行 した こ と を うか が わせ る に足 る よ う な多 量 の原 稿 類 が あ る。 そ の う ち,宗 方 の 日記,紀 行 文,報 告 文,論 考 の 一部 を書 き写

した もの は,原 件 が 見 当 た らな い もの に つ い て は と くに貴 重 で あ り,そ れ に該 当す る もの は(1)と (2)に 入 れ て あ る。

○ 各 界 人 士 が 書 い た 宗 方 回想 文 。

○ 熊 本 で の 青 年期 か ら晩 年 まで の写 真 。

○ 宗 方 お よ び 熊 本 の 人 士 の 活 躍 を 回 顧 した, 九 州 日 日 新 聞 記 事 の 切 り抜 き 。 発 行 年 未 確 認 。

2,明 治21年 の 日 記

今 後 宗 方 資 料 の 丹 念 に 分 析 す る に あ た っ て,ま ず は そ の1篇1篇 の 内 容 を読 み 解 く必 要 が あ るの

は言 う ま で もな い こ とで あ る。 幸 い,宗 方 の 書 く 字 は くず した字 が 少 な い の で そ の 分 読 み や す い の で あ る が,そ れ で も所 々 は 判 読 不 能 の 字 が 出 て く

る 。 そ こで 筆 者 が どの 程 度 に判 読 で き て い る か, 試 み に歴 史 研 究 所 に保 存 され て い る 多 量 の資 料 の 中 か ら,日 記 の ご く一 部,原 件 と して 今 読 む こ と の で きる 一番 古 い 時 期 で あ る 明 治21年5月19日 か らの部 分 を書 きお こ して紹 介 す る こ と にす る。

す で に1で 触 れ た こ とだ が,そ の 部 分 は 明 治 21年5月19日 か ら12月31日 まで が一 ま と ま り

に な っ て い て,こ の 一 ま と ま りに宗 方 本 人 が の ち に付 け た と覚 し き表 紙 に は,毛 筆 で 「明 治 二 十 一 年 五 月 十 九 日起 往 返 日記 上 海 漢 口 熊 本 天 津 北 京 間 の往 返 日誌」 と書 か れ て い る。但 し こ こで は, 7月1日 に長 崎 経 由熊 本 に帰 着 して8月20日 に 再 び長 崎 経 由 で 上 海 に も どる ま で の 約50日 間 を

割 愛 した 。 限 られ た 紙 数 ゆ え,中 国 で の 動 きだ け で も見 て お こ う と考 えた ため で あ る。

こ の 日記 を読 ん で い やお う な く気 づ か され る の は,上 海 で連 日た くさ んの 人 間 と会 っ て い る こ と で あ る 。 そ の 大 部 分 は 同郷 熊 本 出 身 者 で あ るが そ うで は な い 者 もお り,楽 善 堂 支 店 に行 っ て 店 主 の 岸 田 吟 香 と頻 繁 に交 流 して い る様 子 も見 て と れ る 。 浦 敬 一 の 手 紙 に促 され て 漢 口 に行 くと,当 地 の 楽 善 堂 支店 に起 居 してい る 荒尾 精,浦 敬 一 等 と 何 や ら相 談 してお り,浦 た ち3人 が任 務 を帯 び て 新彊 に旅 立 つ の を見 送 って い る 。 日本 か ら上 海 に も ど る と,岸 田 と北 京行 きに つ い て相 談 し,天 津 経 由 で 北 京 に 着 く と,こ こで も大 勢 の 日本 人 に会 う と共 に,楽 善 堂 支 店 を開 くた め に奔 走 して つ い に 開 店 に こ ぎつ け て い る。 半 年 程 度 の 記 録 を読 む だ け で は何 ほ どの こ と もい え な い け れ ど も,中 国 各地 で どん な 日本 人 と往 来 して い るか を知 る の は 興 味 の あ る こ とで あ り,特 に こ の 年 の こ と と して は,各 地 で荒 尾 や 岸 田 と連 絡 をつ け なが ら楽 善 堂 に 関 わ る動 きを 示 して い る の は,今 後 こ の件 の事 実 関係 を究 め る 上 で 誠 に有 効 な情 報 を提 供 す る も の だ とい える で あ ろ う。

な お,書 きお こす に あ た っ て は,原 文 の片 仮 名 を平 仮 名 に,漢 字 の 旧体 字 を新 体 字 に改 め る と共 に,適 宜句 読 点 を加 え た他,便 宜 上2箇 所 に 「 」 部 分 を加 えて い る。 ま た,判 読 不 能 な文 字 は口 で 示 した 。 さ らに,漢 字 や仮 名 の 使 い 方 に 間違 い が あ る と思 わ れ る箇 所 もそ の まま に した 。

「五 月 」

十 九 日 朝,井 手,河 原 二 子 と城 内 を 出 で 仏 界 税 関 礪 頭 の 傍 に至 り,品 川 久 太 郎 の 英 国 行 を 送 る 。 此 便 に て 邦 人 別 に五 人 あ り。 皆 欧 州 に 赴 く者 な り。 帰 途 楽 善 堂 に抵 り小 談 。 河 原 と 共 に 梅 徳 里 に帰 り吃 飯 。 出 で て 小 浜 を 訪 う,在 らず 。 去 りて 本 願 寺 に抵 り小 談 。 浦 東 に 赴 き河 嶋 口 を訪 い,暮 時 楽 善 堂 に抵

り吉 田 清 揚 を誘 て 城 内 に 到 る 。 城 門 関 す 。 待 つ 少 時,就 開 く。f 公館 に 抵 り宿 す 。 二 十 日 陰 天 小 雨 。 日 曜 日。 中 飯 後 井 手 と 出

で て 楽 善 堂 に 赴 き吉 田 を 訪 う 。 予 は 終 に止 宿 す 。 美 少 某 を得 て為 さず 。 夜 姫 田 某 来 る 。

(10)

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宗 方 日 記,明 治21年5月19日 か ら の1ペ ー ジ 分

二 十 一 日 雨 天 。 朝 上 車 楽 善 堂 を 辞 し,本 願 寺 に 抵 り衣 裳 を 換 着 し,小 浜 に 至 り立 談, 梅 徳 里 に 帰 る 。 吃 飯 後 本 願 寺 に 抵 り,暮 時 帰 寓 。 沈 寓 に移 りて よ り宿 夜 は 今 日 を 始 と す 。

二 十 二 日 快 晴 。 朝 小 浜 為 五 郎 を 訪 う 。 邦 山 子 在 り。 中 飯 後 小 浜 と 出 で て 郵 局 に 抵 り, 浦 東 に遊 び,中 山,河 嶋 等 を訪 い 酒 を飲 み, 四 時 帰 寓 す 。

二 十 三 日 快 晴 。 終 日在 家 。 江 南 製 造 局 決 算 報 告 を謄 写 す 。

二 十 四 日 快 晴 。 午 前 井 手,河 原 二 子 来 訪 。 河 原 氏 は 明 日 を以 て 漢 口 に 赴 く と云 。 古 館 要 造 来 り,近 日 芝   道 台 の 子 某 来 濾 の 筈 な る を 以 て,之 を 一 旗 亭 に招 餐 せ ん とす,願

くば 足 下 通 弁 の 労 を 取 らん 事 を と。 予 之 を 絶 つ 。 下 午 河 原,井 手 と共 に 寓 を 出 で,途 中 二 子 と別 れ,予 は 本 願 寺 に抵 り,奥 村 を 誘 て 城 内 に 抵 り,井 手 等 の 帰 る を 待 ち南 門 壁 上 に 登 り遊 覧 久 之 帰 。 焉 公 館 河 原 の 出 発

は,船 の 都 合 に よ り明 後 日 に 延 び た り。 漢 口浦 敬 一,前 田 寅 二 子 に与 う る書 状 を托 す 。 二 十 五 日 好 晴 。 小 午 城 内 よ り帰 寓 。 夜 月 に 歩 し て虹 口 に 至 り小 浜 を 訪 う,在 らず 。 本 願 寺 に抵 り奥 邑 生 を訪 い 小 談,帰 寓 す 。 二 十 六 日 好 天 。 終 日在 家 。 晩 餐 後 出 で て 楽

善 堂 に 抵 る 。 河 原 子 将 に 行 ん と す 。 井 手, 小 浜,吉 田,緒 方,片 山 諸 子 と送 りて 葦 利 輪 船 に抵 り,九 時 諸 子 と本 願 寺 に帰 る 焉 。 二 十 七 日 陰 晴 無 常 。 朝 本 願 寺 よ り帰 り長 江

紀 行 を 作 る 。 哺 井 手,緒 方,片 山,吉 田, 小 浜 諸 子 来 る 。 井 手 浦 東 の 運 動 会 に て 手 を 折 り し と云 う。 小 談 。 諸 子 と出 て,途 中 予 は 小 浜 と 共 に 牧 野 大 尉 の 処 に抵 る 。 招 餐 に 応 ず る な り。 邦 山小 佐 亦 来 る 。 飲 嘆 夜 更 に 至 り,予 は 小 浜 の 処 に宿 す 。

二 十 八 日 好 晴 。 朝 小 浜 よ り帰 り,紀 行 を 作 る 。 下 午 出 去 本 願 寺 に抵 り,哺 帰 寓 す 。 夜 教 師 と古 今 人 物 を 論 ず 。 予 之 に 謂 て 曰 く, 貴 国 人 何 ぞ 歴 史 を 読 ま ざ る 。 曰 く,経 書 を 上 と為 す,歴 史 の 如 き は 益 き少 し読 ま ざ る も可 な り。 予 曰 く,文 天 祥,岳 飛 忠 臣 な る 哉 。 曰 く,宋 時 の 忠 臣 に し て我 朝 の 忠 臣 に 非 ず 。 予 曰 く,忠 臣 た る は 一 な り,心 を 正 に 存 し涯 分 を 尽 す,忠 臣 な り。 予 戯 れ に 知 ら ざ る 為 して 之 に 問 て 曰 く,君 等 著 る 所 の 衣 服 は 明 朝 の 製 か 。 曰 く,清 朝 也 。 然 ら ば 満 洲 の 衣 冠 か 。 曰 く,然 り。 日,是 即 漢 人 の 北 狭 と為 す 者 の 衣 也 と 。 彼 苦 笑 す 。 彼 又 日,諺 日,黄 水 一 清 出 聖 人 と。 数 年 前 黄 水 一 清r国 人 皆 曰 く,必 ず 聖 人 有 りて 出 ん と 。 予 笑 日,現 黄 河 決 潰 河 南 北 之 十 余 郡 逆 浪 洪 波 の 中 に 漂 没 し,餓 浮 道 に 載 ち号 叫 天 に 聞

く,是 尚 聖 人 を 出 す の 兆 か 。 彼 又 黙 然,曰 く,水 清 出聖 の 談 信 ず 可 か らず と為 す 。 二 十 九 日 好 天 。 終 日在 家,紀 行 を作 る 。 下

午 北 御 門 松 二 郎 来 る 。 昨 日 の 薩 摩 丸 よ り来 港 し,漢 口 楽 善 堂 に 赴 く と 云 う。 小 浜,吉 田 亦 来 る 。 吉 田 は 今 夕 よ り商 用 の 為 北 京 に 赴 く と云 う。 酒 を酌 ん で 共 に 飲 む 。 哺 時 出 去,東 和 洋 行 に 抵 り,去 りて 楽 善 堂 書 房 に 抵 り吉 田 の 行 を 送 る 。 頗 る 酔 を極 む 。 十 時

(11)

小 浜 等 は 北 御 門 の 寓 東 和 洋 行 に抵 り,予 は 終 に宿 す 。

三 十 日 好 天 。 朝 東 和 洋 行 よ り帰 り,長 江 紀 行 を 了 り邦 山 を 訪 い,小 浜 と共 に東 和 に抵 り北 御 門 松 二 を 訪 い 小 談,共 に 出 で て 岸 田 吟 香 を 訪 い 小 談,去 りて 城 内 に 赴 き井 手 三 郎 を 叩 き,哺 時 東 和 洋 行 に帰 り酒 を飲 み 十 時 に 至 る 。 秋 山 純,呉 某 等 亦 来 る 。 外 に 一 書 生 某,北 門 生 と 同 船 南 京 に抵 り内 地 を旅 行 せ ん と云 う。 予 其 の 語 言 通 ぜ ず 異 装 を以 て 独 り内 地 に 入 る の 無 益 た る を説 き,反 覆 之 に諭 し,同 人 を して 鎮 江 に抵 り決 す る所 あ ら しむ 。 二 人 を 送 りて 恰 和 の 福 和 号 に抵 る 。 北 門 子 台 中 寒 冷 船 価 以 外 に 一 文 を 余 さ ず 。 故 に 予 知 人 に就 き蝿 頭 を借 りて 之 に贈 る 。 十 一 時 半 小 浜 の 処 に至 り宿 す 。

三 十 一 日 好 天 。 小 午 小 浜 氏 を 出 で 本 願 寺 に 抵 り,熊 谷 直 亮,古 川,浅 山 知 定,内 藤 儀 十 郎 諸 氏 に与 う る の 書 状 を 出 す 。 其 前,朝 邦 山 子 に 抵 る 。 予 が 帰 国 の 旅 費 二 十 円 及 び

日本 衣 等 を饅 せ ら る 。 暮 時 帰 寓 。 夜 去 りて 小 浜 を 訪 う,在 ら ず 。 奥 村 を訪 う,又 在 ら ず 。

六 月 一 日 好 天 。

午 前 出 去 小 浜 の 処 に 至 り小 談 。 去 りて 鈴 木 に 至 り楓 橋 の 写 真 を 取 り,小 浜 の 処 に 帰 り, 下 午 牧,小 浜 二 子 と邦 山 子 の 寧 波 に 帰 る を 送 り,太 古 礪 頭 の 宜 昌 輪 船 に至 る 。 北 海 道 の 官 吏 赤 壁 某 も 同 船 せ り。 四 時 開 船 一 別, 去 て 城 内 に抵 り井 手 等 を訪 い,終 に宿 す 。 二 日 陰 天 。 下 午 雨 。 午 前 小 浜 亦 来 る 。 予 は

止 りて 中 飯 し,下 午 城 を 出 で 小 浜 に 抵 り小 談 。 降 雨 を以 て 上 車,梅 徳 里 に帰 る。

三 日 好 天 。 日曜 日 。 下 午 出 去 小 浜 に 抵 る, 在 らず 。 奥 邑 を 訪 う。 樋 口 忠 一 も亦 来 る 。 虹 口 西 花 路 の 当 舗 失 火,行 て見 る 。 帰 途 小 浜 の 処 に 立 寄 り洗 操,帰 寓 す 。 夜 胃痛 。 四 日 好 天 。 運 河 紀 行 を作 る 。 夜 出 去 楽 善 堂

に抵 り秋 山 を 訪 う,在 らず 。 小 浜 を 訪 う, 又 在 らず 。 終 に本 願 寺 に抵 り宿 す 。

五 日 好 天 。 朝 本 願 寺 よ り帰 り,運 河 紀 行 を

作 りて 之 を終 わ り,下 午 携 え て 牧 氏 に抵 り, 之 を 寧 波 邦 山 氏 に 転 致 せ ん こ と を托 し,隣 邦 兵 備 略 を借 り小 談 。 去 りて 本 願 寺 に 到 る。

奥 邑 在 らず 。 帰 途 又 た 小 浜 に 抵 り小 談,帰 寓 。 夜 出 去 楽 善 堂 に抵 り秋 山 を訪 う,在 ら ず 。 去 りて 城 内 に 抵 り井 手 等 を訪 い,終 に 宿 す 。

六 日 陰 天 。 下 午 井 手,緒 方 二 子 と 出 で て, 小 浜 を 訪 い,共 に 出 で て 本 願 寺 に到 り,哺 時 井 手,緒 方 二 子 と予 の 寓 に 帰 り晩 餐 す 。 初 更 諸 子 帰 去 。 此 日安 楽 平 次 の 書 状 寧 波 よ

り到 了 。

七 日 細 雨 森 々 。 下 午 出 去 小 浜 氏 に至 る 。 漢 口 の 芳 原 某 来 る 。 今 日安 慶 号 よ り来 着 せ し と云 う 。 浦 敬 一 の 書 状 到 る 。 事 業 上 予 に 会 して 計 画 す べ き事 有 れ ば,急 速 来 漢 を促 す 。 蓋 し浦,北 御 門 等 本 日十 四 日 を以 て 北 漢 に 遊 ば ん とす 。 故 に 其 未 だ 漢 口 を発 せ ざ る前 に 予 の 来 漢 を 望 む に 切 な る を以 て,明 日 の 安 慶 号 に て 出 発 に 決 す 。 蓋 し我 本 月 十 五 日 を以 て 帰 国 に 決 せ し に,今 又 た 西 行 せ ざ る を 得 ざ る の 場 合 と 為 り,事 頗 る 紛 雑 せ り。

大 屋 半 一 の 書 亦 到 る 。 同 人 は 藤 嶋 と共 に近 日北 方 に 向 い た り と云 う。 小 浜 の 処 に て 吃 飯,上 車 楽 善 堂 に抵 り芳 原 を訪 い,書 坊 に 赴 き秋 山 を 叩 き小 談 。 去 りて 同 芳 茶 館 に赴

き吃 茶,上 車 本 願 寺 に 到 り宿 す 。

八 日 陰 晴 無 常 。 朝 藍 子 を購 ひ小 浜 に 抵 り小 談 。 小 午 帰 寓 。 夕 城 内 よ り井 手,片 山,緒 方 等 と本 願 寺 に抵 り,八 時 予 は 諸 子 に 分 れ, 太 古 礪 頭 の 安 慶 輪 船 に抵 り投 ず 。

九 日 六 時 呉 瀬 口 を 出 ず 。 大 霧 江 を蔽 う。 夜 十 時 鎮 江 着 。

十 日 朝 南 京 を過 ぐ。

十 一 日 江 上 。

十 二 日 午 前 九 時 漢 口 に達 し上 岸 。 楽 善 堂 に 抵 る,下 午 荒 尾 子 に会 す 。 予 に 嘱 す る に 直 隷,山 東,山 西,遼 東 の 経 略 を 以 て す 。 予 問 難 協 議,時 を 移 し清 暦 七 月 下 旬 天 津 に 赴 くこ と に決 す 。 浦,北 御 門 三 子 来 る 。 十 七 日伊 梨 に 赴 く事 に付 き諸 事 協 議 を遂 げ た り。

下 午 荒 尾,浦,北 御 門,河 原 諸 子 と共 に撮

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影 す 。 十 三 日 微 雨 。

十 四 日 前 日写 真 の 不 出 来 を 以 て 下 午 又 た 諸 子 と 赴 き再 写 す 。 此 日北 部 四 省 経 略 の 考 案

を作 る。

十 五 日 好 天 。 夜 浦 口 は 領 事 館 よ り離 盃 に招 か れ 赴 け り。 大 屋 半 一 郎 に 甘 粛 蘭 州 に 送 る の 書 状 を作 る。 北 遊 の 諸 子 に托 す る な り。

十 六 日

十 七 日 三 子 の 北 征 を 送 る の 詩 一 章 を 作 る 。 夜 送 別 の 宴 を 開 き痛 飲 快 談 絶 世 の 快 を極 め, 再 会 の 復 た期 す 能 わ ざ る を以 て 座 客 為 に 悲 喜 。

十 八 日 好 天 。 下 午 浦 敬 一,北 御 門 松 二 郎, 河 原 角 の 三 子 を漢 水 に 送 る 。 風 瀟 々 た らず 水 寒 か らず と 難 も,殆 ん ど 人 を して 易 水 の 感 に堪 え ざ ら し む 。 哺 時 船 頭 別 を序 して 帰

る。 嵯 々,再 会 復 た期 す 可 か ら ざ る也 。 十 九 日 朝 吉 嶋 徳 三 及 び 天 津 太 倉 組 の 人 某 来

漢,楽 善 堂 に投 宿 す 。 夜 荒 尾 子 と大 智 門 を 出 で 月 に歩 して城 外 に散 歩 し,十 一 時 帰 る 。 二 十 日 夜 前 田,井 深 二 子 と 江 干 に 散 歩

し,胞 馬 場 に 至 り月 を賞 す 。 二 十 一 日 好 天 。 終 日在 家 。

二 十 二 日 微 量 。 今 夕 を 以 て 将 に上 海 に 帰 ら ん と す 。 夜 酒 を飲 み 井 深,前 田 諸 子 に托 し て 荷 物 を船 上 に 送 り,予 は 荒 尾 子 と 共 に 町 田 領 事 を 我 領 事 館 に訪 う。 洋 酒 を 饗 せ ら る 。 九 時 元 和 輪 船 に搭 ず 。 荒 尾,前 田,井 深 三 子 送 来 船 上 諸 事 を 暢 談 して 別 る 。 十 時 半 開 船 。 此 便 吉 嶋 徳 三 及 び 天 津 太 倉 洋 行 の 某 も 同 船 す 。 彼 等 は上 等 に座 せ り。 夜 雨 。 二 十 三 日 早 天 黄 州 府 を 過 ぎ,十 時 九 江 に 達

す 。 此 日晴 雨無 常 。

二 十 四 日 雨 。 蕪 湖,南 京 を過 ぎ,哺 時 鎮 江 府 に 達 す 。 囲 山 館 の 前 を 過 ぎ る 。 頃 暮 色 初 て 冥 合 す 。 曾 文 正 の 家 書 一 冊 を 読 了 る 。 二 十 五 日 雨 罪 々 。 十 一 時 船 上 海 の 恰 和 礪 頭

に達 す 。 挑 夫 を 雇 て 上 岸,本 願 寺 に 抵 る 。 全 身 浴 す る が 如 し。 小 浜 君 来 訪 。 邦 山 氏 の 田 代 屋 に在 る を 聞 き行 て 訪 う。 談 話 少 時 に して 帰 る 。 牧 氏 を 訪 う 。 晩 餐 を 饗 せ ら る 。

夜 小 浜 氏 に宿 す 。

二 十 六 日 朝 楽 善 堂 に 抵 り岸 田 吟 香 を 訪 い, 漢 口 よ り托 さ れ た る 洋 銀 二 百 元 を 面 交 し, 天 津 に支 店 新 開 云 々 の 事 を 商 量 し,約 を 定 て 帰 る。 同 薬 房 に て 小 浜 氏 に 会 し,共 に 城 内 に 赴 き,井 手 等 を訪 う。 哺 時 緒 方,片 山 二 子 と 出 城,本 願 寺 に 抵 り,城 内 に 抵 り宿 す 。

二 十 七 日 朝 城 内 よ り帰 り小 浜 氏 に 抵 る 。 七 里 某 在 り,共 に 浦 東 に 赴 き 河 嶋 浪 速 等 を 訪 い,三 更 渡 江 小 浜 氏 に 帰 り宿 す 。 此 日 漢 口 荒 尾,前 田,井 深 諸 子 に 書 状 を送 る 。 岸 田 と商 量 の 事 及 び 荒 間 奇 答 を書 送 す 。

二 十 八 日 雨 。 朝 邦 山 氏 を 叩 く。 昨 夕 寧 波 に 赴 け り と云 う 。 又 た 小 浜 氏 に帰 り牧 氏 を 訪 う。 駒 午 沈 少 坪 と共 に 同 人 の 寓 に抵 り小 談, 吃 飯 。 明 日帰 国 を以 て 別 を 告 ぐ,茶 資 二 元 を給 す 。 吃 飯 後 小 浜 氏 に 帰 り,本 願 寺 よ り 荷 物 を移 す 。 井 手J奥 村,緒 方,片 山 諸 子 亦 来 る 。 洗 操 弁 髪 を 解 き 日本 衣 に 換 え,諸

子 と城 内 に 抵 る 。 酒 を 飲 み 詩 を賦 す 。 夜 井 手 発 病 。

二 十 九 日 朝 諸 子 と 出 城 。 予 は 楽 善 堂 に 抵 り 秋 山 純 を 訪 い 辞 別 す 。 計 ら ず 小 山 松 渓 に 会 す 。 昨 年 の 十 二 月 杭 州 に て 面 会 せ し人 也 。 薬 房 に至 り岸 田 吟 香 を 訪 い 辞 別 す 。 領 事 館 に抵 り佐 藤 伝 吉 及 び 山 田 広 三 を 訪 い 辞 別 。 牧 氏 に到 り中 餐 す 。 又 た 日 本 酒 数 瓶 を 饅 せ ら る。 同 氏 は 陸 軍 大 尉 を 以 て 此 に 駐 す る者 也 。 一 時 行 李 を送 りて 東 京 丸 に 抵 る 。 牧 大 尉,二 口 書 記,山 田,井 手,小 浜,河 嶋 浪 速,七 里 某,重 野 紹 一 郎,秋 山 純,奥 村 金, 緒 方 二 三,片 山 敏 彦,石 井,為 成,外 二 三 子 来 送 す 。 此 日北 川 宅 に て 荒 賀 直 順 子 の 来 潅 し漢 口 に 赴 き し を 聞 き,書 を 作 り井 手 の 漢 口 行 に 托 して 之 を転 致 す 。 蓋 し荒 賀 氏 の 来 濾 せ し頃 は 予 の 漢 口 を発 せ し時 に て,途

中 揚 子 江 上 に て 行 違 に な りた る な り。 二 時 半 開 船 上 海 を辞 し去 る 。 小 倉 錫 太(福 州 よ

り帰 る 者)外 二 三 の 邦 人 と 同船 す 。

六 月 三 十 日 是 日風 穏 か 波 海 面 平 滑 也 。 哺 時 西 北 遥 に朝 鮮 の 済 州 島 を望 む 。 相 距 る十 里

(13)

余(舟 人 二 十 里 余 と云 う)。

(以 下,7〜8月 の 日 本,主 に 熊 本 滞 在 中 の 日 記 は 割 愛)

「八 月」

二 十 日 早 起,海 水 初 て 渾 る,大 陸 に 近 き を 知 る 。 波 涛 亦 随 て 穏 か に 塩 水 を行 くが 如 し。

小 午 寧 波 の 諸 島 を望 む 。 十 時 半 頃 船 初 て呉 松 口 に 入 る 。 一 時 上 海 に 着 す 。 一 同 東 和 洋 行 に搭 ず 。 奥 村 金,緒 方 二 三 訪 来 る 。 夜 佐 野 と邦 山 子 を 田 代 屋 に 訪 う,在 らず 。 去 て 公 園 に抵 り西 人 奏 す る 所 の 楽 を 聞 き一 同 客 店 に帰 る 。 是 日漢 ロ に 着 濾 を報 じ,急 に金 十 円 を送 らん 事 を乞 う。

二 十 一 日 朝 楽 善 堂 に抵 り岸 田 吟 香 翁 を 訪 い, 北 京 行 の 事 を 照 料 し,午 時 辞 帰 す 。 下 午 山 田,松 田,佐 野,岡 村 諸 子 と邦 山 子 を 訪 う, 在 り焉 。 小 談 帰 寓 。 夜 独 り邦 山 氏 を 訪 い 諸 事 を談 じ て 帰 る 。 邦 山 に 抵 る の 途 次 山 田 珠 一,岡 村 正 夫 と片 山 敏 彦 の 病 を訪 う。

二 十 二 日 朝 一 行 と城 内 に 入 り,1 公 館,湖 心 亭,城 陛 廟 等 を巡 覧 し,帰 途 同 芳 茶 店 に 山 田,岡 村,佐 野,松 田 諸 子 と投 ず 。 緒 方, 永 原 等 も亦 後 れ到 る 。 哺 時小 浜 為 五 郎 来 る 。 夜 山 田,岡 村,松 田,佐 野 と小 浜 を 訪 う 。 小 談 出 で 本 願 寺 に抵 る,在 らず 。 緒 方 口 を

訪 い小 談,帰 寓 す 。

二 十 三 日 小 午 七 里 某 来 訪 。 曰 く,近 に掘 井 工 夫 を 率 て 台 湾 に 航 し,劉 銘 伝 の 処 に 到 る と。 予 其 行 を壮 な り とす 。 中 食 後 沈 文 藻 を 梅 徳 里 に 訪 う 。 小 談,帰 寓 。 佐 野 と出 で て 牧 五 郎 子 を 訪 う,小 談 。 去 て 本 願 寺 に抵 り 松 江 賢 哲 を 訪 い 談 。 移 時 帰 。 沈 文 藻 来 訪, 共 に 出 で 邦 山 子 を 訪 う。 同 子 明 日 よ り支 那 語 を 学 ぶ を 以 て 之 を 紹 介 す る 也 。 且 つ 邦 山 氏 に 山 鹿 団 扇 の 見 本 を 送 り,寧 波 に 販 路 を 開 か ん 事 を 托 す 。 夜 家 信 一 封 及 び 鎮 江 伊 達 姓 に 寄 す る の 信 一 封 を 認 む 。 伊 達 に は 鎮 江 に書 生 の 寄 宿 所 を覚 め 来 ら ん事 を托 す る也 。 二 十 四 日 未 審 。 此 日下 午 諸 子 と共 に 申 園 に

遊 び,帰 途 日本 墓 所 を見 て 帰 る。

二 十 五 日 朝 東 和 洋 行 を 出 で 岡 村,松 田,佐 野,山 田 四 子 と天 撞 路 古 賀 清 一 方 に 移 転 す 。

一 ケ 月 の 食 料 を五 円 と定 む 。

二 十 六 日 是 日山 田,岡 村,松 田,緒 方 諸 子 行 て 徐 家 匪 に遊 ぶ 。 予 行 くこ と を 得 ず 。 是 日村 瀬 藍 水 来 訪 。 画 人,本 年 四 月 蘇 州 の 遊 次 知 る 所 の 人 也 。 本 夕 よ り南 京 に 赴 く と云

う。

二 十 七 日 未 審 。

二 十 八 日 夜 緒 方,小 浜,永 原,糸 川,鐘 江, 奥 村 諸 子 を訪 い,会 食 す 。

二 十 九 日 是 夜 山 田 珠 一,松 田 満 雄,緒 方 二 三,三 子 を 恰 和 洋 行 の 元 和 輪 船 に送 る 。 山, 松 二 子 は 漢 口 に 赴 き,緒 方 子 は鎮 江 に 赴 く 者 な り。 十 一 時 三 子 に 別 を告 て帰 る。 荒 尾, 井 深,前 田,荒 賀,井 手 諸 々 書 状 を 送 る 。

山 田 口 の 漢 口 に托 す る也 。

三 十 日 下 午 小 浜 来 る 。 予 は 上 車 岸 田 翁 を 訪 い 小 談 。 帰 途 沈 少 坪 を訪 い 帰 寓 。 佐 野 と 邦 山氏 に抵 り小 談 去 て 浦 東 に遊 ぶ 。 岡 村 正 夫, 永 原 純 二,鐘 ヶ江 源,小 浜 為 等 の 諸 子 在 り, 酒 を 出 す 。 三 更 岡,小,佐 三 子 と帰 る。

三 十 一 日 下 午 本 願 寺 に抵 り松 江 賢 哲 を 訪 い, 熊 本 よ り托 さ れ た る 新 聞 題 字 の 事 を依 托 す 。 佐 々,浅 山 両 氏 及 び 古 川,熊 谷,津 野,脇

山,財 津 志 満 記 諸 君 に 与 う る 書 状 三 封 と 家 大 人 及 び 矢 嶋 篤 政 に 与 う る 書 状 一 封 を,岡 村 正 夫 子 の 帰 国 に托 す 。 同 子 は 明 早 の 西 京 丸 に て 帰 国 す る 者 也 。 夜 十 時 佐 野,永 原, 奥 村,鐘 江,小 浜 諸 子 と送 りて,船 に 到 る 。 是 日 漢 口 荒 賀 子 の 書 到 る 。 来 月 よ り陸 路 四 川 を 経 て 天 津 に我 支 店 を援 く と云 う。

九 月 部

初 一 日 朝 大 雨 。 小 午 牧 五 郎 氏 を訪 い 鎮 江 よ り蘇 州 迄 の 路 引 を贈 る 。 下 午 牧 子 来 り北 京 に在 る 青 山,天 津 の 予 氏 に与 ふ る 書 状 を托 す 。 本 願 寺 に抵 り荷 物 を 掌 り来 り行 李 を整 理 す 。 下 午 緒 方 二 三 子 鎮 江 よ り帰 来,彼 地 留 学 の 都 合 口 布 か らず と云 う。 塵 時 楽 善 堂 よ り漢 口 荒 尾 氏 の 書 状 を 送 り来 る 。 夜 岸 田 翁 を訪 う。 荒 尾 子 よ り送 致 の 金 十 円 を 受 取

(14)

る 。 帰 りて 牧 氏 を訪 う,在 ら ず 。 本 夜 よ り 南 京 に赴 け りと云 う。

初 二 日 下 午 岸 田 を訪 い 北 京 行 の 事 を 照 量 し 議 し了 て 帰 る 。 夜 沈 文 藻 を訪 い,今 回 同 行

の 永 原,糸 川,鐘 ヶ江 三 子 及 び 緒 方,片 山 二 子 を 同 人 宅 に 同 居 し語 学 を修 め ん 事 を 商 量 す 。 月 謝 食 料 共 一 ケ月 四 円 五 十 銭 と定 む 。 帰 りて 小 浜 を訪 い 小 談 。 此 日熊 本 佐 々 先 生 及 び 岡 本 源 次,両 氏 に 与 う る の 書 状 を認 む 。 山 田 珠 一 の 帰 国 に 托 す る 也 。 外 に 漢 口 荒 尾 精 氏 に寄 す る 第 二 号 信 を 認 む 。 熊 本 の 景 況 及 び 北 京 行 の 事 と佐 々,津 田 両 人 の 事 を記 報 す 。 又 た 別 に 山 田 珠 一 に一 封 を遺 す 。 初 三 日 予,佐 野 成 章 と本 日 を 以 て 将 に北 上

せ ん とす 。 十 一 時 沈 文 藻 宅 に抵 り,転 じて 岸 田 翁 を 訪 う 。 山 内 舘 氏 只 今 漢 口 よ り来 着 して 在 焉 。 岸 田 洋 饒 を 饗 せ ら る 。 外 に 山 内 と同 道 長 谷 川 某 も 来 れ り。 此 両 氏 は 上 海 に 在 りて 岸 田 の 本 店 を叩 く と 云 う。 下 午 山 内 と 帰 寓,沈 少 坪 来 る 。 佐 野 氏 に 托 して 船 票 を 買 う 。 室 付 き に て 煙 台 に 抵 る,十 二 円 也 。 哺 時 佐 野 氏 と邦 山 淳 子 を 訪 う。 小 浜 為 五 郎,安 楽 平 治 二 氏 在 焉 。 邦 山 氏 晩 餐 を 饗 せ ら る 。 談 話,移 時 帰 途 本 願 寺 に 抵 り松 江 賢 哲 を訪 て 辞 別 し,直 に 去 て 緒 方 氏 等 を 叩 く。 酒 肴 を 具 して 以 て 待 つ 。 一 盃 を 傾 け 辞 て 寓 所 に 帰 り,行 李 を 整 え 運 搬 を 佐 野 氏 に 托 し,予 は 去 て 楽 善 堂 に抵 り岸 田 翁 を訪 う。

翁,塩 田 公 使,中 嶋 交 際 宮 等 に 与 う る の 転 書 を托 す 。 且 つ 茶 食 を 饒 せ ら る 。 十 時 楽 善 堂 を 辞 し,山 内,長 谷 川 二 子 と太 古 礪 頭 の 重 慶 号 に 抵 る 。 邦 山 淳,小 浜 為,安 楽 平, 緒 方 二,片 山 敏,永 原 純,糸 川 直,鐘 ヶ 江 源,奥 村 金,中 村 雄 諸 子 来 り送 ら る 。 邦 山 少 佐 別 に 臨 て 曰 く,同 氏 寧 波 の 支 店 を 我 党 の 手 に引 譲 ら ん と云 う 。 予 大 に之 を 喜 ぶ 。 十 一 時 送 来 の 諸 君 去 る 。

四 日 午 前 八 時 開船 。 海 波 平 漫 。 五 日 風 波 平 穏 。

六 日 早 起,船 已 に 成 山 角 を 過 ぐ。 浜 海 の 諸 山 鋸 歯 の 如 く怒 濤 の 如 く,向 沙 一 帯 山 脚 を 装 い 水 光 色 と相 映 掩 し,風 趣 佳 絶 人 を して

快 呼 せ しむ 。

九 日 此 朝,日 本 船 敦 賀 丸 仁 川 よ り入 港 す 。 予 輩 之 に 搭 じて 将 に 天 津 に 航 せ ん と し,行 李 を 整 頓 す 。 中 飯 後 林 領 事 を 訪 い 辞 行 す 。 偶 々 世 良 田海 軍 少 佐(亮),林 海 軍 大 尉,某 海 軍 大 佐,敦 賀 丸 事 務 長 在 焉 。 世 良 田,林 等 の 諸 子 は,帝 国 軍 艦 に 乗 込 み 朝 鮮 に 抵 り 今 日帰 来 せ し者 也 。 二 時 半 船 に投 ず 。 白須, 木 脇 等 の 諸 氏 送 り来 る 。 予,佐 野 成 章,林

昌雄,上 原 某,世 良 田 諸 氏 と同 船 せ り。 三 時 開 船,風 波 平 滑,左 方 芝   島 絶 壁 如 削 風 色 絶 佳,始 皇 登 之 望 海 之 処 有 碑,僅 か に 基

」止 を存 す と云 う。 日暮 登 州 沖 を過 ぐ。 渤 海 の 群 島 螺 浮 星 羅,船 画 図 の 裡 を行 く。 夜 に 入 りて 満 天 如 拭 星 斗 燗 然,顧 う に,予 昨 年 前 月 一 葉 の 扁 舟 此 の 波 を 渡 る 者 両 度,而 し て 今 日 又 た 飛 輪 此 を 過 ぐ。 我 遊 実 に 方 無 き 者 。

十 日 好 晴 。 九 時 船 大 枯 沖 に 達 す 。 芝   よ り 此 に至 る 十 八 時 間 を費 せ り。 凡 そ 輪 船 南 来 天 津 に 入 る 者,必 ず 此 に 来 りて 錨 泊 し,船 貨 を 別 船 に 移 し船 脚 を 軽 め 進 潮 を 待 て,徐 に 大 枯 口 に 入 る を常 とす 。 若 し潮 時 の 都 合 或 は 天 候 の 如 何 に よ り て は,二 三 昼 夜 も空 く此 に錨 泊 す る事 あ り と云 う。 下 午 六 時 潮 に乗 じて 船 を 開 く。 錨 泊 時 間 凡 そ 十 時 間 許, 招 商 局 の 海 定 も同 時 に 入 ロ す 。 我 船 の 未 だ 大 枯 沖 を 発 せ ざ る 時,天 津 税 関 の 官 吏 来 り 船 荷 を捜 索 す 。 予}楽 善 堂 の 薬 箱 三 個 と伝 雲 竜 の 書 箱 一 個 を携 う。 税 金 未 納 を 以 て 共 に税 吏 の 掌 し去 る所 と為 る 。 夜 白 河 に 泊 す 。 十 一 日 大 枯 よ り此 に至 る,両 岸 平 荘 一 山 を 見 ず 。 海 面 を口 ぐ,僅 か に四 ヒー トと云 う。

民 屋 は 凡 て 泥 造 に し て 倭 小 見 る に 堪 え ず 。 白 河 屈 折 最 も多 く,俗 に 七 十 二 湾 有 り と云 う。 我 船 河 岸 に欄 着 し て 動 か ざ る 者 前 後 三 回,若 し新 入 の 船 舶 は 必 ず 大 枯 に 在 りて 導 水 者 を雇 う。 大 枯,天 津 の 往 復 八 十 両 と云 う。 午 前 十 時 船 天 津 に 着 す 。 佐 野 と三 井 物 産 会 社 支 店 に 投 宿 す 。 佐 々 木 祐 司 氏 に 面 す 。 病 を以 て 鉢 に 在 り。 中 餐 後 我 領 事 館 に 至 り

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