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57年 -37-

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(1)

ぶヽ

14図

 

昭和57年度

 

平城京内発掘調査地一覧

 

※は未収録

 

未収録は巻末参照

―‑36‑―

(2)

昭 和 57年 度   平 城 京 内 発 掘 地 一 覧

  調 面 積 調 査 期 間 担 当 者

次 萎

141‑ 2 141‑19 141‑20 141‑15 141‑18 141‑33 141‑25 141‑ 5 144‑ 1 141‑17 141‑35 141‑28 141‑ 7 141‑31 145 141‑29 141‑ 9 148

14ユー23 141‑36 141‑37 141‑ 8 142 141‑14 i41‑ 4 t41‑26

147

141‑10 史外

41‑22 41‑ 1

41 ‑ 3

41‑ 6 41‑27

41‑32 41‑12 41‑21 41‑16

クト

1左京二条三坊十六坪 左京三条二坊七坪 左京三条三坊七坪 左京三条五坊四坪 左京四条二坊三坪 左京四条二坊十五坪 左京四条三坊十二 坪

左京四条 四坊九坪 左京九条三坊三坪

左京九条三坊十・ 十一坪

羅城門北方

左京九条大路 左京九条大路南辺 右京一条二坊六・ 十一坪 右京一条二坊三坪 右京三条一坊坊間路 右京三条三坊五坪

右京六条三坊十坪

☆右京六条四坊七・ 十坪 薬 師寺中門

薬師寺旧境 内 法華寺旧境 内 法華寺旧境 内 法華寺旧境 内 古法華寺旧境内 法華 寺旧境 内 東大寺西面大垣 西大寺旧境 内 西FIS寺旧境 内 元興 寺旧境 内

法隆寺旧境 内

法華 寺町H70‑21

法華寺町H36‑6

法華寺 町1095‑9

法華寺 町988‑2

法華寺 町中 ノ段988‑25

法幸寺町988‑28

法華寺 町988‑4

二条大路南3‑卜 193

法幸寺1中町五双 田

北魚屋西町 法華寺 町5番 二条大路南 ユ丁 目108‑1 大宮町6‑26

大宮町1‑64‑1,456 四条大路南1‑9

尼 ケ辻町田村川 三条桧町410‑1 三条宮前町3‑6

西九条 町4‑1‑9,1‑12,13 東九条町419‑1

大和郡 山市 奈良 市北之庄 町 大和郡 山市下三橋 西大寺栄 町2314‑1

二条町二丁目60の 1

二条大路南四丁 目5‑15

宝来 町 90‑4・ 91‑1

六条 西町 卜421‑27 六条 町

西 ノ京町 460 西 ノ京 町283‑1 法華寺町446‑1

法華寺町 870 法華東寺町 409 法幸寺 中町五双 田 法幸寺横笛堂跡地 手貝町53。雑 司町87・88 西大寺小坊町6‑7

西大寺本町勘定219 1

芝突抜町1

72

12 17

75 75 8 10 140 275

550 270 356 536

31Xl

250 61Xl

160 600 900 180 80 220

5Clll

90Э

l137 25 6265

996 57 670 24 110 6 11

667 17 230 5 96 113 156

82' 76‑712 82' 48‑412 82' 816‑822 82' 816‑822 82' 720‑722 82' 811‑812 83' 29 82' 118‑11 16 82' 510‑526 82' 624‑824 82' 728‑318 82' 311‑412 82' 123‑1210 32' 527‑6ユ2

83' 110‑127 82' 108‑119 82' 1213‑122J 82' 624‑710 83' 222‑330 32' 104‑1027 33' 315‑325 83' 322‑41 82' 614‑629 82' 415‑513 32' 712‑715 82' 610‑611 82' 1111‑124 83' 124‑316 82' 628‑630 821 823‑104 82' 916‑923 82' 47‑422 82' 426‑427 82' 518‑519 82' 1125 82' 72‑73 83' 127‑218 82' 71‑72 82' 913‑917

82' 726

82' 72‑73

岡本茂雄 木村光夫宅 黒文雄宅 川崎裕久宅 上方常孝宅 直地寅三宅 阿部博宅 野 呂共栄宅 奈良 市 塚本宗敬 杉本繁次郎宅 奈良女子大学 浅川組 武 田保宅 第百生命 大 同建設 山形病院 三和住宅 辻 マ ンシ ョン 白藤学園 植 田又治 奥野十二郎 県道城廻線 奈良 市都 市計画局 北和木材 紙谷昭義宅 河村正治 下垣内勝友 松 田喜一 喜多徳憲 財務局 奈良 市民生局 薬 師寺 増 田伊佐男宅 清水彦一宅 塚本宗敬宅 増 田有紀宅 中谷義雄宅 法華寺 東邦生命 岡本保 司宅 木下創介 宮本幸正宅 防災関連調査

千 田剛道

山本忠尚 工楽善通 工楽善通 工楽善通 工楽善通 加藤充彦 宮本長二郎 松村恵 司

上野邦一 深津芳樹 松井  立木  西 弘海 毛利光俊彦 立木  宮本長二郎 工楽善通 毛利光俊彦 金子裕之  郁夫 亀井伸雄 山本忠尚 山本忠尚 深澤芳樹 山岸常人 金子裕之

 郁夫 千 田剛道 本 中  千 田剛道 山岸常人 西 弘海 山本忠尚 内田昭人 千 田岡1道 亀井伸雄 今泉隆雄 上野邦一 工楽善通

☆印は本文末収録 未収録については巻末参照

‑37‑

(3)

左 京 一 条 二 坊・ 三 坊 の調 査   第 141‑13次

本 調査 は住 宅 建 設 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は コナ ベ古 墳 の 南

200mで

、 56年 度 の

131‑8次

調査 で 検 出 した木 取 山古 墳 の東 周 濠 推 定 地 に あ た り、 東 二 坊 大 路 関 係 の遺 構 の存 在 も予 想 され た。

調 査 地 は、 水 田床 上 の直 下 が 地 山 面

(バ

ラス混 り黄褐粘土

)で

あ り、

奈 良 時 代 及 び そ れ 以 降 の遺 構 面 は削 平 され て い る ら しい。 検 出 した遺 構 はす べ て 地 山面 か ら確 認 した。 主 な 遺 構 と して東 西 溝 と落 ち こみ が あ る。

東 西 溝

SD 01は

lm、  

深 さ0.5

mで

、 上 下

2層 (上

層 :灰 褐粘質 土

。下層 :灰 色砂

)の

堆 積 層 が 認 め ら れ 、

8世

紀 の上 器 が 出上 した。

落 ち こみ

SX 02は

、 深 さ

1.5mで

調 査 地 の 北 お よ び東 へ 広 が る。 落 ち こみ 内埋 土 に は

8世

紀 の上 器 を含む。

そ の他 、 調 査 地 南 端 に地 山 の低 い 高 ま り とそ れ に沿 う細 溝 を検 出 した。

細 清 内 に は遺 物 が な い。 削 平 前 の地 形 の起 伏 を留 め て い るか もしれない。

東 西 溝

SD 01溝

心 の 座 標 は

Y=―

17486.0の

位 置で

X=‑1450778で

15図 木取山古墳周辺調査地点

16図

 

左京一条二坊発掘遺構図

‑38‑

(4)

あ る。 この 数 値 か らす る と この溝 は、 左 京 一 条 二 坊 ―・ 二 坪 の坪 境 付 近 に あ た る。 この こ とか ら、 道 路 側 溝 の可 能 性 も考 慮 して調 査 を 進 め た が 、 北 12m、 南

9mの

間 に は対 に な る 溝 は存 在 しな い こ とが わ か り、 条 坊 との 関 連 は な お 明確 に しえ な か った。 一 方 、 落 ち こみ

SX 02は

、 埋 上 に は埴 輪 は全 くみ られ な い な ど、 昨 年 度 調 査 の木 取 山古 墳 南 周 濠

SD 2251

17図

 

東西溝SD 01出土土器 1/2 須恵器1,2 土師器3,4

古 墳 周 濠 で あ るか否 か は 即 断で の 状 況 と は 異 な る。 した が って 現 時 点 で は な お 、

き な い。 東 西 溝 との 関 連 も不 明 で あ る。

と こ ろで 、 この付 近 に お け る東 三 坊 大 路 の位 置 に は、 海 竜 王 寺 以 北 で は東 に寄 る説 もあ り、 この説 に も とづ け ば この落 ち こみ が 東 二 坊 大 路 の西 側 溝 で あ る可 能 性 も残 って い る。 ま た 、 先 の東 西 溝 も この説 に よれ ば 、 条 坊 の番 付 が 変 わ り、 左 京 一 条 二 坊 十 五・ 十 六 坪 付 近 とな る こ と も付 記 して お く。

左 京 一 条 三 坊 二 坪 の 調 査

 

141‑2次

住 宅 新 築 に伴 う事 前 調 査 。 対 象 地 は左 京 一 条 三 坊 二 坪 に位 置 し、 東 二 坊 大 路 を 海 竜 王 寺 東 限 線 の 北 延 長 上 に求 め るな らば 、 大 路 西 側 溝 に か か る可 能 性 が あ り、

また

56年

に発 見 された木 取 山古 墳 の東 裾 な い し周 濠 西 端 に あ た る と推 定 され た。

調 査 の結 果 、 発 掘 区 東 端 で 南 北 溝 1、 西 南 で 隅 丸 方 形 の上 壊

1を

検 出 した。南 北 溝 は西 半 分 を発 掘 した の み だ が 、 深 さ

1.lmあ

り上 下 の

2層

に分 れ る。 上 層 は ご く最 近 の 陶 磁 器 類 を含 む が 、下 層 か らは瓦 器 に伴 って石 製 五 輪 塔 お よ び地 蔵像 片 が 出上 した。 発 掘 区 西 寄 りか ら東 北 に 向 って地 山 が傾 斜 す る。 斜 面 上 に は厚 く 整 地 上 が 盛 られ 、 隅 丸 方 形 土 壊 も整 地 上 と同 質 の上 で 埋 め られ て い た。 この上 壊 埋 土 お よ び整 地 上 に は奈 良 時 代 の上 器・ 瓦 が 包 含 され て お り、 整 地 は奈 良 時 代 に 行 な わ れ た もの と判 断 で き る。 この地 山 の傾 斜 は あ るい は木 取 山古 墳 の 墳 丘 裾 部 の 名 残 りか も しれ ぬ。

‑39‑

(5)

左 京 一 条 二 坊 内 の 調 査

 

141‑19。 15次

1982年

度 に は表 記 条 坊 内で

5カ

所 の 発 掘 調 査 を お こな った。

 

法 幸 寺 旧境 内 の 北 方 に あ り、 通 称 一 条 通 りを北 へ 約

100m余

入 った と ころ に位 置 し、 いず れ も住 宅 の 改 築 や 新 築 に伴 な う もの で 、 小 面 積 の調 査 で あ る。

141‑19次

は十 五 坪 と十 六 坪 の坪 境 付 近 にあた り、何 らか の境 界 施 設 が 予 想 され た。 調 査 で は

3m× 6.5mの

南 北 トレ ンチ の ほ ぼ 中央 に、 幅 約

2mに

わ た る 東 西 方 向 の 瓦 堆 積 が あ った。 この 瓦 堆 積 の北 側 は 旧耕 作 上 下 約10 cmで茶 褐 色 粘 質 上 の平 坦 な地 山面 が あ り、 南 側 で は さ らに20 cm下 った と こ ろで 同様 の地 山面 とな る。 瓦 堆 積 下 に は、 北 寄 りに幅 約

lm、

深 さ20 cm程 の東 西 方 向 の溝 状 落 ち込 み が あ った。 今 回 の調 査 で は、 この溝 に側 した築 地 等 の有 無 は不 明 で あ った。

141‑15次

は二 坊 々 間 路 に東 接 した と こ ろ に あ た る。 現 地 表 面 下 約 60 cmで 中世 以 降 と思 わ れ る南 北 方 向 の小 溝 一 条 を検 出 した。 そ の下 部 に は厚 さ約40 cmの 黄 褐 色 粘 土 の 整 地 層 が 堆 積 して お り、 そ の下 面 で 拳 大 の礫 を敷 きつ め た遺 構 を検 出 した。 礫 面 で 奈 良 時 代 の上 器 片 が 出上 した こ とか ら、 同 時 代 の遺 構 とみ られ る。

18図

 

法華寺周辺調査地点

‑40‑一

(6)

4  左 京 二 条 二 坊 十 三 坪 の調 査   第 141‑5次

本 調 査 は宅 地 造 成 に伴 な う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は平 城 宮 東 院 の 南 東0.3 kmに 位 置 す る水 田で 、

 

平 城 京 の条 坊 で は左 京 二 条 二 坊 十 二 坪 の 西 南 部 に あ た る。 調 査 地 の南 端 付 近 に二 条 大 路 北 側 溝 の存 在 が 予 想 され た た め 、 調 査 地 南 寄 りに東 西

5m、

南 北

55mの

発 掘 区 を設 定 して 調 査 を行 な った。 調 査 地 の基 本 的 な層 序 は、 現 水 田耕 土 。床 上 下 に菰 川 の氾 濫 に よ る 灰 茶 褐 色 砂 層 が厚 く堆 積 し、 地 表 下 ■

2mで

奈 良 ・ 平 安 時代 の遺 物 を包 含 す る暗 灰 色 粘 土 層 に達 す る。 遺 構 は この層 直下 の灰 黄 褐 色 地 山面 で検 出 した。 検 出 した遺 構 に は掘 立 柱 建 物、

掘 立 柱 塀 、 溝 、 土 壊 の他 に、 多 数 の 中世 の耕 作 溝 が あ る。

掘 立 柱 建 物 は

6棟

を検 出 した が 、 す べ て 部 分 的 な検 出 に と どま り、 全 体 の規 模 を知 り得 る もの は な い。

SB 01・ 02・

05の 3棟

は いず れ も梁 行

2間

、桁 行

2間

以 上 の東 西 棟 建 物 の 東 妻 部 分 に あ た る。 柱 間 寸 法 は

SB 01が

梁 。桁 行 と も

7尺

等 間 、

SB 02が

梁 行

7尺

等 間 で 桁 行

6尺

SB 05が

果 行

8尺

等 間

SBOも

で 桁 行

6尺

で あ る。

SB 06は

梁 行

2間

、桁 行

2間

以 上 の東 西 sA08 棟 建 物 の 西 妻 部 分 で あ る。 一 辺

0.6m前

後 の方 形 掘 形 の 中 に 径 約20 cmの柱 根 が 遺 存 す る。梁 行 は

8尺

等 間で 、確 認 した桁 行

1間

分 が

7尺

の 規 模 を もつ 。 SB 03・

04は

東 西 棟 建 物 の 南 北 両 側 柱 列 の一 部 を確 認 した。

SB 03は

南 北 二 面 廂 付 東 西 棟 で

sB02 一 辺

lmに

近 い方 形 掘 形 を

6箇

検 出 した。 身 舎 の果 行 は20尺、 廂 の 出 な らび に柱 間 が 10尺 を測 る大 形 の建 物 で 、 十 三 坪 南 半 部 に お け る中 心 的 建 物 と考 え られ る。

掘 立 柱 塀 は

2条

を検 出 した。

SA 07は

東 西 方 向 の塀 で 、 1 間 分

(8尺 )を

確 認 した。 西 側 の柱 穴 に は柱 根 の周 囲 を拳 大

K20  N

il:│サ│

X‑145,950 SK18

SK17 SK16 SK15 SK14 SK13 SK12 SKll

SK10

= 引

= H

= 村

= B B 劃

20

S B

X‑145,990

Y‑17.608000

‑41‑

SB01

十二坪発掘遺構図

(7)

の礫 で 固 め た工 作 が み られ る。

SA 08は

南 北

4間

分 、東 西

1間

分 を確 認 した 12尺 等 間 の逆

L字

形 の塀 で あ る。 柱 穴 の形 状 、 振 れ か ら時 期 が 下 る遺 構 と考 え られ る。

溝 は

1条

を検 出 した。

SD 09は

0.6mの

素 掘 りの東 西 溝 で 、

 

埋 土 中 に少 量 な が ら奈 良 後 半 の上 器 と瓦 を含 む。 この溝 は、 本 調 査 地 の

2筆

東 の水 田で 昭 和 52年度 に行 な った第

131‑31次

調 査 で 検 出 した道 路 状 遺 構 の南 側 溝 の西 延 長 部 にあた る。

土 墳 は 12基 を数 え るが す べ て調 査 区 の 北 半 部 か ら集 中 して検 出 され た。

 SK 21

は、幅 1.3m、 長 さ

3m以

上 、 深 さ

0.5mの

上 壊 で 、他 と形 態 を異 に してい る。埋 没 途 上 に焚 火 が な され 埋 土 中位 に木 炭 。木 屑 層 が レ ンズ状 に堆 積 す る。

SK 10〜

20 は、 いず れ も径

1〜 1.8mの

不 整 円形 を呈 す る土 壊 で 、 深 さ は

0.7m前

後 。

 

埋 土 中 か ら曲 物 の側 板 片 を 出土 す る例 もあ り、 多 くは井 戸 と して使 用 され た可 能 性 が あ る。

SK 18・ 21か

ら接 合 す る緑 釉坑

(7)が

SK 15か

ら灰 釉 耳 皿

(8)が

SK 16か

らは 13世 紀 末 の上 師器

(2)が

出土 した。

調 査 で は発 掘 区 の 関係 か ら当初 予 測 した二 条 大 路 の北 側 溝 を検 出す る こ とはで きな か った が 、 数 期 にわ た る遺 構 を検 出 し、 十 三 坪 の土 地 利 用 状 況 の一 端 を 明 ら か にす る こ とが で き た。 中で も

SD 09は

十 三 坪 を南 北 に三 分 す る東 西 小 路 の南 側 溝 に相 当 し、 調 査 地 南 半 で 検 出 した大 形 建 物

SD 03の

存 在 と と もに、 奈 良 時 代 後 半 期 に1/2坪利 用 の 宅 地 割 を想 定 させ る もの とな って い る。 ま た 、 平 城 京 廃 都 後 も 宅 地 と して利 用 され た可 能 性 が あ り、 周 辺 地 域 の調 査 の進 展 が 待 たれ る。

3(\

D      20cm

第21図

 

土壌

 

出土土器 SK 10 1・ 3〜 6,SK 16 2 SK 18・ 21

一‑42‑一

7, SK 15 8

(8)

5  左 京 二 条 三 坊 十 六 坪 の調 査   141‑17次

当該 地 は平 城 京 左京 二条 三坊 十 六坪 の 中央 や や南 寄 りを 占めて お り、福 山敏 男

氏 等 に よ って 阿 閥寺 の存 在 が 推 測 され て

い た。 東 西 10m、 南 北

27mの

発 掘 区 を設 定 し、 調 査 した。

上 層 の状 況 は上 か ら旧耕 上 、 旧床 土 、 灰 砂 、 淡 褐 土 、 赤 褐 上 の順 で 、 黒色 粒 混 赤 褐 砂 地 山 、 あ るい は、 明黄 褐 細 砂 地 山 に至 る。 地 表 か らの 深 さ は、総 じて

0.7m

で あ る。 淡 褐 土 上 面 で 足 跡 を多 数 検 出 し た。 ヒ トと小 型 偶 蹄 類 の そ れ で あ るが 、 組 み合 わ せ や 方 向 性 な どの規 則 性 は認 め られ な い。 淡 褐 土 は瓦 器 を包 含 す るの で 中 世 以 降 の 所 産 で あ る。 赤 褐 土 面 に は縦 横 に走 る耕 作 溝 が あ る。 出土 遺 物 は、 ほ とん ど奈 良 時 代 の もの で 、 廃 都 直 後 に造 成 され た水 田 に伴 う可 能 性 もあ る。 奈 良 時 代 の 遺 構 は赤 褐 土 を 除 去 した段 階 で 検 出 した。 建 物 5。 掘 立 柱 塀2・ 土 壊

3で

あ り、 大 き く

2時

期 に区 分 で き る。

A期  

一 辺

1.2m四

方 の方 形 掘 形 を もつ

SB 2331(東

西

3間

以上

24m等

)が

る。 当十 六 坪 の 南 北

2分

割 線 は、 仮 に1 尺 を

0.296mに

換 算 す れ ば 、

SB 2331の

柱 筋 の 南 約

8尺

に位 置 す る。 東 西

2分

割 線 は

15'4r"西

に振 れ る た め 、

Y=‑17056

一︱

Y→

'05010m

‑43‑

第22図

 

左京二条三坊十六坪発掘遺構図

(9)

の あ た りを通 過 す る。 この換算 法 を用 い れ ば、

SB 2331は

当十 六 坪 の ほ ぼ 中央 に 位 置 す る。

B期  

南 北 塀

SA 2386(7間

以上

1.8m等

)と

そ れ に鍵 の手 状 に と りつ く東 西 塀

SA 2337(3間

以上

1.8m等

)が

設 け られ る。

 

二 つ の木 塀 に囲 まれ た 内側 に東 の 柱 筋 を合 わ せ た

2棟

の建 物

SB 2332(2間

以上 ×

1間

以上、柱間

24m)と SB 2333

(3間

×

1間

以上、

 1.5m等

)が

あ り、 外 側 に は建 物

SB 2334(3間

×

2間

以上 、

18m等

)と SB 2335(2間

×

3間

以上、南北

3.4m東

西

18m等

)が

建 つ。塀

SA 2336は

ほ ぼ 当坪 の東 西

2等

分 線 上 に の る。 塀 の 内外 に土 壊

SK 2339、

SK 2338、

SK 2340が

あ る。

遺 物 は主 に土 墳 、 耕 作 溝 、 包 含 層 か ら出土 した。 いず れ の上 壊 か らも奈 良 時代 前 半 の 上 師 器 、 須 恵 器 が 比 較 的 多 く出上 した。 これ に共 伴 して 、

SK 2338で

ベ ッ

コ ウ、

SK 2339で

軒 丸 瓦

6301(新 )型

式 、

SK 2334で

墨 書 土 器 を検 出 した。

 

ま た耕 作 溝 と包 含 層 か ら琥 珀 、「 小 君 」と箆 描 した須 恵 器 、緑 釉 波 文博 、 軒 丸 瓦 6311 型 式 と軒 平 瓦

6719A型

式 が 出土 して い る。

当 発 掘 区 と阿 閥 寺 との 関係 は い ま だ 明 瞭 で な い。 周 辺 の調 査 を含 め た今 後 の検 討 を ま ち た い。

須恵器 SK 2339 6〜 7,須 恵器 10 軒丸瓦6301(新)型 式 須恵器 H軒平瓦6719A型 式 12緑釉波文奪(12のみ縮尺1/2他1/4)

一‑44‑―

23図

 

十六坪出土遺物 S妥9:ユiを::

(10)

左京 三 条 二 坊 七 坪 の調 査   第 141‑35次

駐 車 場 建 設 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 当坪 内 で は西 隣 (第

103‑1次 )と

東 隣 (第

H8‑23次 )等

を調 査 して お り、 南 に は大 宮 通 りをへ だ て て 六 坪 の 宮 跡 庭 園 が 位 置 す る。 第

103‑1次

調 査 で は宮 跡 庭 園 へ の導 水 路 や 建 物 群 を検 出 して お り、

今 回 の調 査 で もそ の 関 連 遺 構 が 予 想 され 、 東 西 約

9m、

南 北

39mの

発 掘 区 を設 け 後 に一 部 拡 張 した。

層 序 は耕 土 、 床 上 の下 に厚 さ10 cm前後 の遺 物 包 含 層 が あ り、 更 に遺 構 検 出面 で あ る暗 黄 色 粘 質 上 の整 地 層 と黄 褐 色 シル ト質 地 山 が あ る。

検 出遺 構 は掘 立 柱 建 物10、 流 路

8以

上 、 塀 1、 井 戸 2、 土 壊

2な

どが あ る。 そ れ らは平 城 京 造 営 以 前

(A期 )と

奈 良 時 代

(B期 )に

大 別 され る。

A期

で は 自然

の流 路 が 数 条 あ る。 埋 土 は発 掘 区 北 部 で は暗 褐 粘 質 上 で あ るが 、 南 部 で は灰 色 砂 や バ ラス とな り、 磨 耗 した古 墳 時 代 の上 師器 片 、 流 木 な どを含 む 。

B期

は遺 構 配 置 お よ び切 り合 い か ら少 な くと も以 下 の

4期

の変 遷 が考 え られ る。

B‑1期  

自然 の流 路 が 残 り、 これ を切 って土 娯

(SKlの

が 掘 られ る。 埋 土 か ら平 城

I期

の上 師器 盤 1、「 □ 里 人 歳 歳 歳 歳 歳 歳 歳 」 と記 した木 簡 が 出土 した。

B‑2期  

流 路 を埋 め た て 整 地 を行 な う。 宮 跡 庭 園 へ の導 水 路

SD06Aを

掘 削 す る。

建 物 は

2棟

(SB 05、

13)で

あ る。

B‑3期  

建 物 は

4棟

(SB 01、 04、 07、

H)で

あ る。

 

発 掘 区 の南 で は土 壊 1、 井 戸

2が

切 り合 う。

SE 16の

枠 は

4本

の角 材 に柄 穴 を穿 ち横 桟 を向 か い合 わ せ で一 対 ず つ 入 れ 、桟 外 に縦 板 を交 互 に重 ねあわせ た もので 一 辺 約90 cmの正 方 形 で あ る。

SD 06 Bか

らは「 宮 」 と記 した 墨 書 土 器 が 出土 した。

B‑4期

建 物 は

4棟

(SB 03、 08、 12、

14)で

あ る。 井 戸 は埋 め られ そ の上 に

SD 09が

掘 られ

SD 06Cに

注 ぐ。

SD 06Cか

らは糸 切 底 の須 恵 器 が 出土 す る。

ま とめ

 

本 調 査 地 は平 城 京 造 営 以 前 は 自然 の 流 路 が 蛇 行 して い た が 、 造 営 に と も な って 整 地 され 、 新 た に宮 跡 庭 園 の 園 池 の 導 水 路

SD 06が

掘 削 され る。 旧水 路 上 に は建 物 が 建 ち並 び、 井 戸 も設 け られ た。 掘 立 柱 建 物 は奈 良 時 代 を通 じて10棟

‑45‑

(11)

あ り、

3期

の建 て 替 え が あ る。 建 物 は いず れ も柱 間 が

6〜 7尺

程 度 の小 規 模 な もの で 雑 舎 的 な建 物 で あ ろ う。 これ は本 調 査 地 が七 坪 内で も西 南 隅 に 近 い た め と考 え られ る。

1冷‑17840      Fコ ″Ю24図

 

左京三条二坊七坪発掘全体図

/ /       ヽ

仔 / イ / / 11 い

‑46‑―

第25図

 

第141‑35次発掘遺構図

(12)

左 京 三 条 三 坊 七 坪 の調 査   第 141‑28次

本 調 査 は ビル新 築 に先 立 つ 事 前 調 査 で 、 遺 存 地 割 か ら東 三 坊 々 間路 の存 在 が予 測 され た。 床 上 下 の青 灰 粘 質 土 面 で は上 層 遺 構 で あ る 巾約20 cmの南 北 溝

8条

。東

西 溝

1条

を検 出 した。 この層 は粘 土 と砂 の細 か い互 層 で 調 査 地 の 北 を流 れ る佐 保 川 の氾 濫 に よ る堆 積 と考 え られ る。 この層 の下 層 か ら奈 良時 代 の 遺 構 を検 出。 南 北 溝

SD 2335は

東 三 坊 々 間 路 西 側 溝 、 東 肩 は検 出 で きな か った が 、 巾

4m以

上、

中央 部 約

1.5mが

一 段 深 くな る。

 

南 北 塀

SA 2330は SD 2335の

西

3mに

あ る。 北 側 の柱 穴 は土 墳

SK 2332に

破 壊 され た の で あ ろ う。 遺 物 は

SD 2325の

溝 中央 か ら 木 簡 、 瓦 、 土 器 が 出土 。 瓦 は軒 丸 瓦

6012H(新

)が

あ る。 木 器 は曲 物 が 出土。

木 簡 は郷 里制 下 (霊亀六年〜天平十二年

)の

もの 。

・ 尾 張 国 仲 嶋郡 牧 沼 郷 新 居 里

。ロ マ広 嶋 白米 五斗 五 月一 日

SD 2325と

、 第

118‑23次

調 査 で 検 出 した東 二 坊 々 間 路 西 側 満 との心 心距離 は 朱 雀 大 路 の振 れ N15′41″

Wを

加 味 して 計 算 す る と

532.76mと

な る。 条 坊 計画 の一 坊 分

1800尺

で 除 す る と、

 1尺 0.296m弱

とな り、現 在 ま で の条 坊 調 査 に よ る成果 と合 致 し、

SD 2325を

東 三 坊 々 間 路 西 側 溝 と考 え る こ とが で き る。 この 場 合、 東 三 坊 々 間 路 と同 じ く、 巾

3丈

強 と推 定 され る。

東 三 坊 々 間 路 西 側 溝

 X=‑146,254.563 Y=‑17,791.583

IY‑17260

27図

 

左京三条三坊七坪発掘遺構図 第28図 SD 2325出土軒 丸瓦 1/3

‑47‑

(13)

左 京 (外 京

)三

条 五 坊 四 坪 の 調 査

 

141‑7次

奈 良 市 大 宮 町

1丁

64‑1,4,5,6番

地 所 在 の サカイヤ 地 所ttK所有 地 に お け る マ ン シ ョ ン建 設 の事 前 調 査 と して実 施 した もの で あ る。 当該 地 は平 城 京 の外 京 左 京 三 条 五 坊 四坪 の 東 北 部 に あ た り、 東 を 限 る南 北 の市 道 が 四坪・ 五 坪 間 の坪 境 小 路 に相 当 す る。

947だ

の敷 地 の南 半 部 に東 西 30m、 南 北

10mの

調 査 区 を設 定 して 調 査 を実 施 した。 調 査 区 の基 本 層 序 は、 現 地 表 か ら30〜60 cmが コ ー クス ガ ラに よ

る整 地 土 、 旧水 田耕 土 及 び床 土 (30 clll)、 黄 褐 色 粘 質 上 の遺 物 包 含 層 (1 0 clll)、

黄 灰 色 粘 土 地 山 層 の順 で あ り、 旧耕 上 下 約40 cmで黄 灰 色 粘 上 の地 山面 に達 す る。

地 山面 で 、 奈 良 時 代 に属 す る東 西

5間

の東 西 棟 の掘 立 柱 建 物

1(sB ol)と

上 壊 3

(SK 02〜

04)、

 

古 墳 時 代 の溝

1(SD 05)と

時 期 不 明 の東 西 溝

2(SD 06〜

07)

・ 土 壊

1(SK 08)等

の遺 構 を検 出 した。 建 物

SB 01は

、 土 壊

SK 02〜

04、

 

及 び包 含 層 出上 の上 器・ 瓦 片 か ら奈 良 時 代 前 半 期 に造 営 され た もの と考 え られ る。

桁 行

5間

で 、 総 長 8.5m。

 

柱 間 寸 法 は ■

7m等

間。異行柱間寸法 は

2.3mで

あ る。北 側 柱 列 東 第

1〜

4の

柱 穴 に は径18 cm前後 の柱 根 が 遺 存 して い る。 最 も保 存 状 態 の良 好 な東 第

3の

柱 根 に は樹 皮 の遺 存 が 認 め られ 、樹 種 鑑 定 の 結 果 、 シイ の木 で あ る こ とが 判 明 した。 平 城 京 内 の住 宅 建 築 の 用 材 と して は、 宮 殿・ 寺 院 建 築 の 場 合 と同 じ く針 葉 樹 の ヒノ キが 一 般 に用 い られ て お り、 広 葉 樹 の シイ の 黒 木 を柱 材

に用 い た

SB 01例

は注 目す べ き もの で あ る。

調 査 区 内 に は この

SB 01以

外 に建 物 遺 構 は な く、京 内 の他 の 部 分 に比 べ て 密 度

単    ̲1よ

359 が 低 く、 ま た そ の利 用 の 時 期 が 奈 良 時 代 の前 半 期 に片 寄 る こ とが 明 らか に な った。 外 京 の

│    

̲̲̲J   lPm l

第29図

 

左京三条五坊四坪発掘遺構図

14645也̲

利 用状 況 の一 端 を示 す もので あ ろ う。

A

‑48‑

(14)

左 京 四条 二 坊 三 坪 の調 査   第 141‑31次

調 査 地 の東 に は菰 川 が 南 流 し、 対 岸 に は推 定 田村 第 が 存 在 す る。 調 査 は三 坪 の 北 東 部 に東 西 約 25m、 南 北 約

10mの

トレ ンチ を設 定 し、

 1月

10日 か ら

1月

27日 ま で 実 施 した。

遺 構 は耕 土・ 床 上 直 下 の地 山 (黄灰褐色粘質土

)面

で 検 出 した。 主 な遺 構 に は、

掘 立 柱 建 物

9棟

(SB 01・ 02・ 07・ 10。

11012・

13・ 14)、 掘 立 柱 塀

2条 (SA 05 008)、

土 墳

1基 (SK 06)の

ほか 、 旧流 路 (SD 03 0 04・ 15な ど

)や

そ の 溜 りが い くつ か あ る。 旧流 路 や そ の溜 りは弥 生 時代 や古 墳 時代 後 期 に属 し、 そ の他 の遺 構 は奈 良 時 代 に属 す 。 奈 良 時 代 の遺 構 は大 き く

4期

に 区分 で き る。

A期  

発 掘 区 の ほ ぼ 中央 部 に あ る南 北 塀

SA 08(9尺

等間

)を

設 け、 そ の西 に東 西 棟

SB 12を

配 置 す る。

SB 12は 4間

以 上 ×

2間

で 、東 か ら

2間

日 と

4間

目を仕 切 る。 桁 行・ 梁 間 と も

8尺

等 間 で あ る。

日期

 SA 08を

廃 して東 西 棟

SB 01を

設 け、 そ の 南 西 に南 北 棟

SB 10を

配 置 す る。

SB 12は

この 時 期 に は廃 絶 して い る と考 え る。

SB 01は

床 束 が 残 る ことか ら床 張 りの建 物 が 、 桁 行

7間

に復 原 で き る。 南 に庇 が付 くか も しれ な い。 桁 行・ 果 間 と も

8尺

等 間 で あ る。

SB 10は

東 と西 に庇 が 付 く建 物 で 、 身 舎 の 北

1間

分 を仕 切 っ て い る。 桁 行 は 11尺 、 梁 間 は身 舎

8尺

等 間 、 庇

6尺

で あ る。

C tt SB 01を SB 02に

建 て替え、

SB 12の

位 置 に

SB 13を

建 て た 時 期 で あ る。

SB 02は 4間

以 上 ×

2間

で 、 南 に庇 が 付 くか も しれ な い。 柱 間 は桁 行 が

9尺

等 間、

異 間 が 9.5尺 等 間 で あ る。

 SB 13は 3間

以 上 ×

2間

で 、 桁 行

8尺

等 間 、 梁 間

9尺

等 間 で あ る。

D tt SB 13と

ほ ぼ 同 じ位 置 で

SB 14に

建 て替 え 、 東 辺 は

SB 02を

廃 して 総 柱 建 物

SB 07と

南 北 塀

SA 05(6尺

等間)を設 け た 時 期で あ る。

SB 14は 3間

以 上 ×2 間 で 、 桁 行・ 梁 間 と も

8尺

等 間 で あ る。

SB 07は 3間

×

2間

の南 北 棟 に復 原 で き

る。 桁 行 は

6尺

等 間 、 梁 間 は

7尺

等 間 で あ る。 ま た 、

SB 14の

南 で 検 出 した

2間

以 上 ×

2間

の小 規 模 な東 西 棟 建 物

SB ll(桁

5尺

等間、異間

3尺

等 間

)や

方 向の振

‑49‑

(15)

れ る南 北 棟 建 物

SB 09(果

9尺

等間

)も

この 時 期 に属 す 。

遺 物 は包 含 層 が 削 平 され て い る こ とか ら、 柱 穴 や 土 壊

SK 06か

ら奈 良 時 代 の上 師器 、 須 恵 器 小 片 が 少 量 出土 した に と どま る。 な お 、

SB 12の

柱 穴 か ら施 釉 陶 器 片 、

SB 09の

柱 抜 取 穴 か ら軒 丸 瓦

6348型

式 各

1点

が 出上 した。

ま とめ

 A〜 D期

の実 年 代 につ い て は、 出土 遺 物 が 少 な く決 め手 に欠 け るが 、

B

期 の

SB 01の

柱 痕 跡 か ら奈 良 時 代 中 頃 の上 器 、

C期

SB 02の

柱 穴 か ら奈 良 時 代 後 半 頃 の土 器 が 出土 して お り、

B期

か ら

C期

へ の移 行 年 代 を奈 良 時 代 中 頃 か ら後 半 ま で の 間 に置 く こ とが で き る。

A期

は奈 良 時 代 前 半 頃 、

D期

は奈 良 時 代 末 頃 に 比 定 で き よ う。

A期

の 南 北 塀

SA 08は

三 坪 の坪 東 端 か ら四分 の一 に位 置 す る。 この塀 が 宅 地 の 東 限 を示 す の か 、 宅 地 内 の一 区 画 な の か は今 後 の調 査 で 解 明 せ ざ るを え な い。

B期

の SB 01・

10は

、 そ の配 置 や 規 模 か らみ て 、 主 殿 と脇 殿 と考 え られ る。

SB 10の

桁 行 を

4間

とみ た場 合 で も、そ の 南 妻 は坪 北 端 か ら四分 の一 位 置 を こえ る。

この 時 期 の 宅 地 は少 な くと も三 坪 の北 東 四 分 の一 町 を 占め て い た こ と に な る。

C期

B期

を継 承 す るが 、 次 の

D期

は比 較 的 小 規 模 な建 物 が 建 ち な らび総 柱 の 倉 庫 風 建 物 が 加 わ るな ど様 相 が 変 わ る。 宅 地 内 の建 物 配 置 の変 化 な の か 、 宅 地 割

りそ の もの が 変 わ った の か 、 これ か らの調 査 で 明 らか に して い く必 要 が あ る。

30図

 

左京四条二坊三坪発掘遺構図 O O  O oO

‑50‑

(16)

10  左 京 四条 二 坊 十 五 坪

(田

村第推定地 )の 調 査   第 145次

本 調 査 は住 宅 地 造 成 工 事 に先 立 つ 事 前 調 査 で 、十 五 坪 内 の状 況 を把 握 す る 目的 で 行 な った。 ま た調 査 地 周 辺 は 、岸 俊 男 氏 に よ って、奈 良 時代 中 頃 に正 一位 太 師 (太政 大 臣

)に

まで 至 っ た藤 原 仲 麻 呂 の邸 宅 で あ る田村 第 に推 定 され て お り、 田 村 第 に関 連 す る遺 構 の存 否 の確 認 も、 その 目的 の 一 つ で あ った。

調 査 地 は南 流 す る佐 保 川 と菰 川 に狭 まれ た沖 積 地 で あ るが 、現 状 は ス ク ロ ール 化 した住 宅 地 とな り、水 田 。更 地 は ご く小 面 積 に な って しま って い る 。

  

 

検 出 した主 な遺 構 は建 物

4棟

・ 掘 立 塀

3条

・ 土 壊

6基

・ 溝 で あ る。遺 構 は切 り合 い関 係 か ら

3時

期 以 上 の変 遷 が 認 め られ る 。

A期  

掘 立 柱 建 物

SB 2220は

桁 行

5間

・ 異 間

2間

8尺

等 間 の 東 西 棟 。柱 は柱 根 が残 存 す る もの と、抜 取 られ た もの とが あ る。掘 立 柱 建 物

SB 2230は

桁 行

5間

10尺 等 間 の東 西 棟 。 北 の側 柱 筋 だ けを確 認 した。掘 立 柱 塀

SA 2240は

10尺 等 間 の 南 北 塀 で 、柱 抜 取 痕 が あ る。

SA 2240は SB 2220と

接 近 しす ぎ、 ま た

SB 2230と

も重 複 す る た め 、 これ らの 同 時 併 存 は考 え られ な い。

SB 2220と SB 2230も

配 置 関 係 か らみ る と併 存 は考 え が た い 。

A期

の 中で も

3回

の変 遷 が み とめ られ る。

B期  

礎 石 建 物

SB 2200は

、 桁 行

5間

以上 、果 間

4間

の 南 北 に廊 を もつ東 西 棟 建 物 。桁 行 は 12尺 等 間 、梁 間 は身 舎

9尺

等 間 、廊 の 出 は

8尺

で あ る。 南 側 柱 。入 側 柱 筋 は 巾約

1.5れ

の布 掘 地 業 を行 い 、他 は一 辺 約

15統

の方 形 の坪 掘 地 業 を行 っ て い る。 礎 石 は す べ て抜 き取 られ て お り抜 取 穴 に は礫 。瓦 埓 類 が 捨 て られていた。

礎 石 建 物 の布 掘 地 業 の類 例 と して 、 平 城 宮 の

SB 5300(第

37次 調 査

)を

あ げ る こ とが で き る。礎 石 建 物

SB 2210は

桁 行

5間

以 上 、異 間

3間

以 上 の少 な くと も東 廂 を もつ 南 北 棟 建 物 。 桁 行 12尺 等 間 、梁 間 は身 舎 、廂 と も10尺 で あ る。 すべ て の柱 位 置 に は 一辺 約

1.5η

の 方 形 の坪掘 地 業 が行 わ れ るが 、礎 石 はすべ て抜 取 られ て い る。建 物 の南側 に は 11尺 の 出で 掘 立 柱 の縁 が付 され る。柱 掘 形 は約

0,6η

の方 形 で 柱 根 を 残 す もの もあ る。 掘 立 柱 塀

SA 2225は 2間

の 南 北 塀 で

7尺

等 間 であ る。

SB 2210の

棟 通 りに位 置 す る た め 、 あ る い は

SB 2210と

関 連 す る もの か も しれ な

‑51‑

(17)

m

=」

31図

 

左京四条二坊十五坪発掘遺構図

い。

SB 2200と SB 2210は

南面 の柱 筋 を揃 え 、 建 物 の 間 隔 は柱 心 心 で

20尺

で あ1り 、 一 連 の建 物 と考 え る。 ま た、

SB 2200・ 2210の

地 業 は遺 構 検 出面 か ら30〜50 clL の深 さか ら行 わ れ て い る。

SK 2205か

らは径 が

大 の三 笠 山 安 山岩 3・ 溶 結 凝 灰 岩

1を

検 出 した が 、 これ らは

SB 2200ま

た は

SB 2210の

礎 石 であ ろう。

SB 2200

の北 側 に トレンチ を の ば し、建 物 の存 否 を さ ぐったが 、調 査 区 内 で は確 認 で きな か った。

C期  

掘 立 柱 塀

SA 2215は 9間

以 上 の 南 北 塀 で 、柱 間 は

8尺

等 間 で あ る。 掘 形 は 約

0.5れ

の方 形 で 柱 根 を 残 す もの もあ る。

古N

‑52‑

(18)

土 器・ 瓦 が 多 数 出上 して い る が 、大 多 数 が 、後 世 の溝 か らの 出上 で あ る。

 SB

2200の

南 側 柱 筋 の礎 石 抜 取 か ら軒 平 瓦

6670A(新

型 式

)が

出上 して い る。 文 様 構 成 か らみ て 平 城 宮 軒 瓦編 手 の Ⅲ期 に相 当 す る もの で あ ろ う。土 壊

SK 2206か

ら は 和 同 開弥 が 12枚 、重 な った状 況 で 出土 した 。

ま と め

岸 氏 の考 察 に よれ ば 、 田村 宮・ 藤 原 仲 麻 呂 の 田村 第 は左 京 四条 二坊 九 〜十 六 坪 で 、 坊 の東 半 を 占め る。 この地 域 で の調 査 は従 来 行 なわ れ て お らず 、本 調 査 が 初 め て で あ る。 田村 第 と本 調 査 の成 果 は い か に 関 わ る ので あ ろ うか。

今 回検 出 した

B期

の建 物

SB 2200、 2210は

京 内で は 例 を み な い大 規 模 な もの で あ り、

B期

の 時期 は 、建 物 が切 りこむ整地 土・ 溝 か ら出上 した土 器 、礎石 抜 取 か ら出上 した瓦 か らみ て奈 良 時 代 中 頃 と考 え る こ とが で き る。 次 に、 北方 の現奈 良 市 役 所 の調 査 で 検 出 した左 京 三 条 二 坊 十 坪 と十 五 坪 の坪 境 小 路 心 か ら、朱 雀 大 路 の 方 眼 北 に対 す るN15′ 41″

Wの

振 れ を加 味 して 今 調 査 地 近 くで の十・ 十 五 坪 の 坪 境 小 路 心 を推 定 す る と註

2の

よ うに な る。 小 路 溝 心 心 巾

6れ

と して 、 延 喜 左 右 京 式 京 程 条 に み られ る犬 走

3尺

・ 垣 基

5尺

・ 溝 巾 の半 分

1.5尺

と溝 心 心 巾 の半 分

32を

加 算 して み る と、 も し、

SB 2210に

西 廂 が 10尺 の 出 で 設 け られ て いれ ば、

側 柱 筋 は築 地 とほ ぼ接 す る こ と に な る。 西 廂 が な か った と して も軒 の 出 を

6尺

と して み る と、 建 物 と築 地 の軒 先 は ほ ぼ接 して しま う。 この よ うな情 況 は

B期

に お いて は 、十 。十 五 坪 間 の坪 境 小 路 は存 在 せ ず 、少 な くと も東 西 に接 す る十・ 十 五 坪 の

2坪

は 区 画 され ず 、 一連 の宅 地 で あ っ た可 能 性 が きわ め て 高 い。

平 城 京 の 宅地 の班 給 基 準 に つ いて は、 知 られ て お らず 、表

2に

示 した藤 原・ 難 波 京 の ものか ら類 推 せ ざ るを え ない 。

 1町

以 上 の 宅 地 は難 波 京 に 例 が な く、藤 原 京 の場 合 を準 用 す れ ば 、従 四位 下 以 上 とい う こ とに な る。 仮 に こ の宅 地 が

2町

以 上 に広 が る とす れ ば 、 今 調 査 地 は仲 麻 呂 の 田村 第 の一 部 とな る可 能 性 が 大 き い。

しか し、藤 原 南 家 。北 家 が 、居 住 地 の位 置 関係 か らの呼称 で あ る とす れ ば 、 この 地 を仲 麻 呂 の父 、 右 大 臣 武 智 麻 呂以 来 の南 家 の 宅 地 と考 え る こ と もで き る。 だが 、

‑53‑

(19)

武 智 麻 呂 は

3兄

弟 と ほ ぼ 時 を 同 じ く して 天 平

9年 (739)に

死 亡 して お り、 遺 物 か らみ た 年 代 観 よ りは若 干 さか の ぼ る の も事 実 で あ る 。 ま た 、 田 村 第 は 天 平 宝 字

8年 (764)の

仲 麻 呂 斬 死 以 後 も、 宝 亀

6年 (775)か

ら延 暦

3年 (784)ま

田 村 旧 宮 。田 村 後 宮 。田 村 第 な ど の 名 称 が 『 続 日本 紀 』 に あ らわ れ 、 そ こで 宴 会 が 行 な わ れ た記 事 が 認 め られ る。 仲 麻 呂 斬 死 以 後 も、 旧 田 村 第 は使 用 しつ づ け ら れ た の で あ ろ う。

こ の よ う に 、

B期

の 建 物 に は 上 述 の 二 つ の 可 能 性 が 考 え られ る の で あ る。 そ の い ず れ に して も、 最 低

2町

分 の 宅 地 と い う大 規 模 宅 地 内 に お け る機 能 分 化 を考 え ざ る を え な い で あ ろ う。 そ の よ う な 観 点 か らみ れ ば 、 今 調 査 地 は所 謂 「 コ の 字 」 配 置 を 想 起 させ る整 然 と した 配 置 の 大 規 模 な 礎 石 建 物 群 で あ る こ と か ら、 政 所 的 な 機 能 を有 して い た可 能 性 が あ ろ う。 家 令 職 員 令 に よ れ ば 、 二 位 の 家 政 機 関 は 小 司 に準 じた 規 模 を有 す る の で あ る (表

2)。

ち な み に 、 田 村 第 の 文 献 的 初 見 は 天 平 勝 宝

4年 (752)4月

の 大 仏 開 眼 会 の 際 で あ るが 、 そ の

2年

前 に仲 麻 呂 は従 二 位 に任 じ られ て い る。

岸俊男「藤原仲麻呂の田村第J『日本古代政治史研究』1966『藤原仲麻呂』1969

左京三条二坊十 。十五坪間小路心

    X=‑146,190580 Y=‑17,653825

左京四条二坊十 。十五坪間小路心 (推

)X=‑146,730   Y=‑17,651364

藤原京・難波京の宅地班給例

右大臣 (従二位)

直広弐 (従四位下)以上 大参 (正五位上)以上 勒 (正六位上)以下

上 中 下

4町 2町 1町 1町

t/2町 t/4町

家令職員令

藤原京の宅地 (持統 5年12月 ) 難波京 の宅地 (天平 6年9月)

下 下 下 以 以 以 町 町 町 1 斃

% 上 上 上 以 以 以 位 位 位 一五 五ハ

 

 

位 位 位 一位 一一一 一 二 正 従

1 大 。少

1

大 ・ 少 大 ・ 少

2

1

‑54‑

32図

 

十五坪出土軒平瓦

(20)

11 

左 京 四 条 三 坊 十 二 坪 の 調 査

 

141‑29次

マ ン シ ョン建 設 予定 地 の事 前 調 査 。調査 地 は表 記 の 場所 にあ た り、 幅

5‐

、 長 さ20η の東 西 トレ ンチ を設 定 した。 旧 水 田耕 作 土 上 に約

1.4れ

の盛 土 が あ り、耕 作 上 下 の床 土・ 遺 物 包 含 層 は と もに浅 く、 遺 構 面 は耕 作 面 下 約30 cllに検 出 した。

検 出 した主 な 遺 構 は 、 掘 立 柱 建 物

7棟

、溝

1条

、土 壊

1基

等 で あ る。

掘 立 柱 建 物 は

SB 01・

02・

03005007・ 08の 6棟

が 同 位 置 で 重 複 して お り、少 く と も

6期

の 改築 が認 め られ る。 これ ら

6棟

の うち 、

SB 03を

除 く

5棟

が 南 北 棟 で 、 柱 掘形 の大 き さか らみて 小 規 模 な建 物 と思 わ れ る。

SB 03の

柱 掘 形 は最 も大 き く、柱 根 を残 す 。 柱 根 に は下 端 部 で15伽厚 、 上 端 部 で5 clB厚の根 巻 粘 土 を施す。

SB 03と SB llは

北 側 の 柱筋 を一 致 させ た 同 時 期 の建 物 と推 定 され る。

SB 03の

坪 内 の 位 置 は、坪 を 四等 分 した東 北

4分

1町

の ほぼ 中央 に あ り、 した が って 、

SB 03を 1/4町

宅 地 の 主 屋 、

SB llを

副 屋 とす る配 置 が考 え られ る。

発 掘 区西 端 に検 出 した溝 状 遺 構

SX 10は

、幅1。9 η、深 さ0。

3阿

程 の溝 状 掘 込 み と、 固 く締 った埋 上 の状 況 か ら掘 込 地 業 と考 え られ る。

SX10と SA

09は

坪 内 を

4等

分 す る位 置 に あ る も の とすれば 、

1/8町

を 限 る塀 跡 とす る こ とが で き る。

出土 遺 物 は土 器 の 細 片 が 多 か ったが 、 す べ て奈 良 時 代 の もの で あ る。

桁行×梁間 間

柱間寸法 凩 桁行 果間

SB 01 ‑× 2   9 12 

南北楊

02 ‑× 2   8 10 

南】ヒ榜

03 4× (2)985 9 

東西朝

05 ‑× 2   ‑ 10 

南引ヒ榜 07  ‑×

 2    ‑  9  

南北梯

08 ‑× 2   9  95 

南北務

 

― ×

‑  10 ‑ 

南北朝

Y=‑017′150

Y=‑017,140

1

I

第33図

 

左京 四条三坊十二坪発掘遺構図

      5 rn

Clユ O ロ

‑55‑

(21)

12 

左 京 九 条 三 坊 三 坪 の 調 査

 

148次

調 査 地 は三 坪 の北 半 中 央 部 に あ た る。 調 査 地 の層 序 は、耕 土・ 床 上 下 に 中世 の 遺 物 を含 む 灰 褐 色 砂 質 土 (厚 さ30〜 40 clo)が あ り、 そ の下 は地 山 の灰 色 砂 や 黄 褐 色 粘 質 上 の遺 構 面 とな る 。 遺 構 面 は 西 と南 に向 って 次 第 に低 くな って い る。

検 出 した主 な遺 構 に は、 掘 立 柱 建 物

9棟 (SB 01・

02・ 06・ 07・ 09。 10・ 11・

14・

15)、

掘 立 柱 塀

1条 (SA 05)、

土 壊

2(SK 03・ 04)、

3条 (SD 08・

12・

13)が

あ る。 これ らは古 墳 時 代 と奈 良 時 代 と に区分 で き る。

古 墳 時 代 の遺 構

 

調 査 区 の南 端 部 で 検 出 した

SK 04は

不 整 形 な土 墳 で 、南 西 方 向 に流 れ 出 る溝 を伴 な う。 布 留 式 土 器 が 少 量 出上 した。

SK 03や

調 査 区 の西 端 中央 で 検 出 した総 柱 建 物

SB 07も

同 じ時 期 と考 え られ る。

SB 07は

桁 行

3間

2.2η 等 間 、 梁 間

2間

2.9η等間であ る。 SD 08・

13は SB 07の

北 と南 にある溝状遺構で ある。

奈 良 時 代 の 遺 構

 

大 き くは

A・ B両

期 に 区 分 で き る。

A期

に は、調 査 区 中央 部 で 検 出 した

5× 5間

の東 西 棟

SB 06と

、 これ に 中軸 線 を揃 え て 北 約 50尺 に位 置 す る

7× 2間

の東 西 棟

SB 10と

が あ る 。

SB 06は

桁 行 が

9尺

等 間 、 梁 間 が 身 舎

6尺

等 間 、 庇 10尺 等 間 で あ る。 身 舎 に は

2時

期 の床 束 が 残 り、床 の 張 り替 え を 行 った こ

とが わ か る。

SB 10は

桁 行

8尺

等 間 、 果 間

9尺

で あ る 。

この ほ か

SB 06の

北 約

2れ

に は

3× 3間

の総 柱 建 物

SB 09(桁

6尺

等 間 、 果 間 6・ 5・

6尺

)、 東 約

112と

西 約10η に は南 北 棟 と考 え られ る

SB 01(異

間9 尺

)や SB 15(異

7尺

等 間

)が

あ るが 、

SB 06と

は 近 接 しす ぎ て い た り、 柱 通

りが 揃 わ な か った りす る点 か ら一 時 期 の計 画 配 置 とみ るの に は 問 題 が残 る。 そ の 細 分 に つ いて は今 後 の課 題 と した い。 な お 、

SB 06の

西 に あ る南 北 溝

SD 12も

出 土 遺 物 か らみ て

A期

に属 す 可能 性 が あ るが 、性 格 は明 らか で な い。

B期

に は調 査 区 南 端 で 検 出 した

3× 2間

の総 柱 建物

SB 02(桁

8尺

等 間 、果 間

6尺

等 間)、 北 端 の

SB H(柱

7尺

)、 西 端 の南 北 棟

SB 14(柱

間13尺

)の

ほか に 南 北 塀 と思 わ れ る

SA 05(4間

分 検 出 、

7.5尺

等 間

)が

あ る。

遺物 は奈 良 時 代 の 遺 物 包 含 層 が 削 平 され た た め か 土 師 器・ 須 意 器 及 び 瓦 の小 片

‑56‑

(22)

が 少 量 出土 した に す ぎ な い 。 この うち に は軒 丸 瓦

6285Aが 1点

あ る。

ま とめ

 A期

SB 09の

柱 抜 取 穴 か ら奈 良 時代 中 頃 の上 器 、

B期

SB 02の

柱 穴 か ら奈 良 時 代 後 半 頃 の上 器 が 出上 して お り、

A期

は奈 良 時 代 前 半 、

B期

は奈 良 時

代 後 半 に比 定 で き る。 この うち

A期

SB 06・ 10を

南 北 に並 べ 、 しか も

SB 06を

ほ ぼ坪 の 中心 に位 置 させ て い る こ とか ら、 一 町 の 宅 地 を 占有 し、 建 物 を 整 然 と配 置 して い た こ とが推 測 され る。

B期

の建 物 は小 規 模 で ま とま りに欠 け 、様 相 が 一 変 す る。 三坪 の特 殊 事 情 な の か否 か 周 辺 の 調 査 を ま って解 明 す る必 要 が あ る。

第34図

 

左京九条三坊三坪発掘遺構図 O SB10

Cl

‑57‑

(23)

│   │   │

35図

 

発掘遺構図

13 

九 条 大 路 お よ び 京 南 辺 部 の 調 査

 

141‑8次

北 和 木 材 協 同 組 合 が計 画 した資 材 置場 造 成 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は羅 城 門跡 の東 方 約

250旬

に位 置 し、 平 城 京 九条 大 路 お よ び京 南 条 里 にか か わ る遺 構 の存 在 が 予 測 され たが 、検 出 した の は奈 良 時 代 の東 西 溝

1お

よび 古 墳 時代 の溝

1の

み で 、 京 南 辺 を 画 す る 施設 や京 南 条 里 に 関 す る遺 構 は発 見 で き な か っ た。

奈 良 時代 の東 西 溝 は発 掘 区 北 端 近 くで検 出 した もの で 、 幅約 6 旬 、深 さ0.5η内外 の浅 い

U字

形 を な す素 掘 り溝 で あ る。 位 置 的 に み て九 条 大 路 南 側 溝 の可 能性 も捨 て 切 れ な いが 、京 の外 濠 と して は 浅 過 ぎ よ う。 埋土 か ら若 子 の 瓦片 が 出土 して お り、奈 良 時代 の 溝 で あ る こ とに は間 違 い な いの だ が 。 この東 西 溝 の 下 層 に は 、 厚 くか つ 幅 広 く砂 と粘 上 が 瓦 層 を な し、 も と 自然 の 流 路 が あ っ た と 思 わ れ る。 西 壁 土 層 の観 察 に よ る と、 幅 約16η、 深 さ ■5‐ほどあ

るが 、 無遺 物 の ため年 代 は よ くわ か らな い。

発掘 区 の南 半 部 は、 古 墳 時 代 の流 路 に よ って 占め られ て い た。

複 雑 に曲 折 し、 各 所 で支 流 を 受 け入 れ て お り、 ど ち らの方 向 に流 れ て い た か は不 明で あ る。 埋 土 か ら古墳 時 代 の上 師器 (布留 式 の 古 い 段 階 の もの

)や

流 木 が 出土 した。 土 師 器 に は

S字

状 口縁 を も つ 小 形 丸 底 椀 、小 形 丸 底 壷 、小 形 器 台 、 円筒 形 の頸 部 か ら水 平 に 広 が り、 さ らに外 反 しな が ら立 ち あ が る複 合 口縁 を もつ壷 形 土 器 、 甕 な どが あ る。 流 木 は樹 種 鑑 定 の 結 果 、 コ ナ ラ亜 属 に属 す る樹 木 で あ る こ とが 判 明 した 。

‑58‑

(24)

14  右 京 一 条 二 坊 六・ 十 一 坪 の調 査   142次

商業 ビル 建 設 に伴 う事 前 調 査 。 調 査 地 は右 京 一 条 二 坊 六 坪 と十 一坪 に ま たが り、

二条 条 間路 南 側 溝 お よ び六・ 十 一坪 境 の坊 間路等 が予 想 され た。 ま た、敷 地 東側

│       │ に接 して 秋 篠 川 が 南 流 し、 東 部 は氾 濫 で 遺

構 が破 壊 され て い る可 能 性 が あ った。

   x,4S2,O

検 出 した主 な遺 構 は 、 奈 良 時 代 の 掘 立 柱 建 物 1、 井 戸 1、 南 北 道 路 お よ び両 側 溝 、 平 安 時代 頃 と思 わ れ る掘 立 柱 建 物

2以

上 と 小 柱 穴 群 多 数 、 旧 河 川

1な

どが あ る。調 査 区 北 半 で は 、 後 世 の削 平 の た め遺 構 は皆 無 で あ り、 条 間路 南 側 溝 は確 認 で き な か った。

掘 立 柱 建 物

SB 810は

桁 行

5間 (108れ

)、

梁 行

2間 (58η )の

南 北 棟 建 物 で 、柱間寸 法 は桁 行

7尺

等 間 、 果 行 10尺 等 間 の大 規 模 な もので あ る 。柱 掘 形 も方 0。7〜0,9ηと大 き

い。 南 北 溝

SD8Hは

発掘 区の ほ ぼ 中央 南 部

  260‑

で 約18孵検 出 した 。 以 北 は削 平 の ため痕 跡

を と ど め な い。 断 面

U字

形 を な す 素掘 りの

 Itわ

溝 で 、 南 端 で 幅 ■2れ、深 さ0.2れを測 る。 南 北 溝

SD 812は

西 南 トレンチで 一 部 分 を検 出 した。 幅 約0.7れ、深 さ0.lη の浅 い素 掘 りの

U字

溝 で あ る。

SD 811か

ら出土 した土 器 は 平 城 宮 土 器 編 年 Ⅲ〜

V期

の もので 、奈 良

1鮎

時 代 の 溝 で あ る こ とが確 実 で あ る こ と、

SD 811の

方 位 が ほ ぼ 国 上 方 眼 と一 致 す る こ と、

SD 812と

,亡心 距離 が 約 8.6η

3丈

に近 く、

第 36図

│   │

声 。 杓 °

°  │││。

‑59‑

右京一条二坊六・ 十一坪発掘遺構図

(25)

坊 間 路 と して おゝさわ しい こ と、 ま た第

103‑14次

調 査 で 判 明 して い る西 一 坊大 路 心 か ら

SD 811・ 812の

心 ま で の距 離 が 約

270印

で あ る こ とか ら、 両 溝 で 挟 まれ た 部 分 は西 二 坊 間 路

(SF 813)と

み な せ よ う。 路 面 幅 は約 7.6れ とな る。

SE 814は

西 南 トレ ンチ西 端 で検 出 した井 戸 で あ る。その東半部 を発掘 し得 ただ け な ので全 体 の規 模 は不 明 だ が 、 か な り大 きめ の掘 形 内 に

4隅

に杭 を打 ち縦 板 を 組 ん だ 井 戸 枠 を も った もの と思 わ れ る。 深 さ は現 地 表 か ら2.6η以上 あ る。 井 戸 枠

内埋 土 か ら奈 良 時代 後 半 の土 器 が 出土 して い る。

発 掘 区 の南

1/3ほ

どに は 、坊 間路 路 面 上 を含 め て 、多 数 の 柱 掘 形 や土 壊 が存 在 す る。 掘 形 の 中 に は柱 根 の遺 存 す る もの もあ るが 、 すべ て径20 cln以下 の小 形 の も ので 、建 物 と して ま とめ られ る のは分 布 の 北 部 に あ る

SB 816・ 817の 2棟

に過 ぎ な い 。 これ ら柱 穴 群 は京 廃 絶 後 の もので あ るが 、 瓦器 を含 む もの は少 な く、 大 部 分 は平 安 時 代 の 内 に お さ ま る もの と思 わ れ る。

出土 遺 物 に は 瓦 嬉 類 、土 器 類 な どが あ る。 軒 瓦 は

6点

あ り、軒 丸 瓦

3(6133型

式 2、

 6225C型

1)、

軒 平 瓦

3(6761型

式 2、

6663A型

1)で

、 西 隆 寺 創 建 瓦 で あ る

6761型

2点

の存 在 が 注 目 され る。他 は平 城 宮 所 同 瓦 の仲 間で あ る。 土 器 は多 量 に 出上 し、特 に SD 811、

SE 814か

らは 平 城 宮 土 器 編 年 Ⅲ 〜

V期

を 中心

と した もの みゞ出」Lし た。

 

ほか に 、

 SD 811か

ら土 馬 が

1点

 

ま た珂ヽ柱 ▲ 穴 か らは土 師 器 の ほ か 黒 色 土 器 や 瓦 器 が若 干 出土 した。

15  右 京 一 条 二 坊 三 坪 の調 査   第 141‑14次

駐 車 場 建 設 に伴 う事 前 調 査 。 当該 地 は右 京 一条 二坊 三坪 に あ た り、

一条 条 々 間 路 の存 在 が 予 想 され た。 発掘 区 は東 西

5印

、 南 北 27.5れ に 設 定 し、 条 間 路 の検 出 を 目指 した 。検 出遺構 は溝

4条

―土 墳

40基

が あ る。

SD 826・ 827は

一条 々間 路 南 側 溝 の推定 位 置 に あ るが 、 深 さが 僅 か 5c12と浅 い上 に遺 物 が な く、 南側 溝 と積 極 的 に 認定 で き な い。

SK 834は

古 墳 時 代 の上 壊 で 、

 

埋 土 か ら布 留 式 上 器 が少 量 出土 。 総

V'12'0

三坪遺構図

じて 遺 物 の 出 土 量 が 乏 しい た め 、各 遺 構 の 時期 を 明確 にで き な い 。第37図

‑60‑

(26)

16 

右 京 三 条 一 坊 八 坪 の 調 査

 

141‑4次

本 調 査 は 、住 宅 改築 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 当該 地 は右 京 三 条 一 坊 八 坪 お よ び 西 一坊 々 間 路 東 側 溝 推定 地 に あ た る。発 掘 面 積 の関 係 か ら、西 一 坊 々 間路 の検 出 を 目的 に 、東 西

8れ

、 南 北 3.5η の発 掘 区 を設 定 した 。 発 掘 区 には宅地造成 による 盛 上 が約

あ り、以 下 旧耕土 、床 上 、 お よ び 暗青 灰 粘 上 、青 灰 粘 土 と移 行 す る。

奈 良 時 代 の遺 構 は暗青 灰 粘 土 層 の上 面 で検 出 した 。

検 出遺 構 は 、 西 一 坊 々 間路 東 側 溝 と考 え る南 北 溝

SD 880と

、小 掘 形

3で

あ る。

SD 880は

幅 約 1.8η、 深 さ 0.7れ の素 掘 で 、溝 の両 肩 に は一 段 段 が つ く。 上 層 断 面 の観 察 に よ る と、

SD 880は

地 山 の青 灰 粘 土 層 を埋 め た青 灰 色 又 は灰色粘質 の整 地 層 を 切 りこん で い る。 護 岸 等 の 施設 は検 出 で き な か った。 溝 の埋 土 は 瓦片 を多 量 に含 む 。 堆 積 の状 況 か らみ て 、 急 激 に埋 没 した よ うで あ る 。

:を 医 控 イ

与 置 と 浜 :ち Y3‑A型

平 城 宮 南 面 西 門 (若犬 養 門

)の

中 軸 線 が西 一 坊 々 間 路 心 に 当 る と仮 定 す る

と、

SD 880と

坊 間 路 心 との距 離 は約

10.8mと

な り坊 間 路 の 幅 員 は溝 心 々で 約

21,7m(73尺 )に

復 原 で き る 。

W

64m一

75

63m一 1置

2褐色砂質土

3黄灰砂質土

4暗灰砂質土

5責灰砂質土

黒色砂質土(本質 多ン)

暗青灰粘質土 6

7 8 9

嗜青灰砂質土 卜 の上面が奈良時代 ■ 暗灰砂 側 の詢 望 青灰粘質土 キ地 山 暗 青 灰 粘 土 ナの遺構面     12灰 色粘±     15黒 褐 粘 土 ノ

39図

 

発掘区南壁土層東西断面図

浪 40     m

第38図右京三条一坊八坪発掘遺構図

10暗*占 13灰褐 粘 質 土 (西 一 坊 坊 問 路 東 側 濤)

‑61‑

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