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発掘調査 の成果

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Academic year: 2021

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(1)

発掘調査 の成果

(1)中

金 堂 院 回廊

回廊付近 には、昨年度 の調査 にお いて 中門束半下部 で発 見 した谷地形が、前庭部東北端 に向けての び て い る。 これは北方へ行 くに したが って徐 々 に浅 くな り、東面 回廊 北方お よび北面 回廊付近 ではバ ラス 混 じ りの地 山が現 れ る。本調査 区におけ る谷地形の最 深部 は南辺 の束面 回廊 西端付近 で、況地表面か ら 約

1.6mに

お よび、谷 を埋 め た整 地 上 を覆 う灰褐 色砂 質 土上 に東面 回廊 基垣 の版築 を地 して い る。この 基壇 版築土 には焼 土や炭 を含 まないため、創建 当初 の もの と解釈 した。 また、 この上 層 には、部分 的 に 後世 の基垣 改修 と考 え られ る土 層 も確 認 で きる。一 方、北面 回廊 の基垣 は地 山削 り出 しとす る。

礎 石 は 基垣 上 に16石残 り、他 の 17ヶ 所 で は 汚 れ た暗灰 色 の砂 質 土 を埋 土 とす る抜 取 穴 を検 出 した。

とこ ろが 遺 存 す る礎石 の うち数 ヶ所 に も同様 の埋 土 を もつ掘 り込 みが あ り、 これ は抜 き取 るの を途 中 でや め た痕 跡 と解 釈 した。礎 石 お よび抜取 穴 の周 囲 には一 辺 が約

14〜 20mの

方 形 を呈 す る据 付 穴 が あ り、 深皿状 の掘 り込 み最下部 に人頭大 の根石 を入れて礎石 を据 えて い る。据付 穴の埋 土 は数 層 に分 層 され るが、版築 とい うに は粗 く、礎 石 を安 定 させ る地 業 を施 して い る ら しい。礎石 は径 0.9〜

12mほ

どの 自然石 で、現状 では円形 の造 り出 しや 出柄 の加工 を施 した痕 跡 はみ られ ない。石質 はほ とん どが三 笠安 山岩 で、 中金 堂 に ちか い北面 回廊 西端 部 の

2石

は花 商岩 であ る。礎石 の据付 穴 は大部分 の箇所 で 1回 しか な く、 火 災 に よ る割 裂 な どに よって据 え替 えた礎 石 の ほか は、創建 当初 の まま使 用 して きた と考 えて よい。礎石上 面の標 高 は、本調査 区におけ る東面 回廊 南端部 で95,6m、 北面 回廊 西端部 で959

mで

あ り、 中金堂付が もっ とも高 い。

北 面 回廊

SC7510 

現 地 表下約10cmで遺構 検 出面 で あ る地 山に達 す る。標 高の最 も高 いの は 中金堂 に近 い西端部 で、約

955mで

あ る。 南北両側 の基壇 外装 は乳代 の排水 溝 に よって破壊 され て い るが、北側

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ヽ■く.(

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第4図

 

回廊 部分全景 (北西か ら)

(2)

E5   Y=

創 建 基 壇 土

整 地 ̲エ

マ :==こ

=等 =悉

第 5図

 

東面回廊基壇断面図 (X=‑146,4383付近の東西あぜを南からみる

 

縮尺

1:50 

ページ境一部重複)

には玉石組雨落溝

SD7516が

残 る。北面 回廊 は先述の ように複廊 であ り、本調査 では桁行2間ぶん (隅 部 を含 まず

)を

検 出 した。柱 間寸法 は桁行

4,16m(14尺

:奈良尺 :1尺=295mmほ ど。以下 同)、 梁行

3.55m(12尺

)。 なお、北面回廊 と東面 回廊の交差す る隅部分 の柱 間寸法 はすべて12尺である。一部 で棟 通 り地覆石の残がい と考 えられ る流紋岩質凝灰角 レキ岩 (二上 山〜 ドンズルボー産。以下、凝灰岩Aと 呼 称

)片

SX75■

を検 出した。また、基壇南辺部 には東西方向にな らぶ角板状の流紋岩質溶結疑灰岩 (奈 良市地獄谷周辺産。以下、凝灰岩Bと 呼称

)列

SX7518がある。据付埋土に焼土 を含む ことな どか ら、中 世の遺構 と考 えられ るが、位置的・高 さ的にみて基壇外装や敷石 とは考 えに くく、あるいは階段 に とも なう施設か もしれない。北雨落溝SD7516は、南北両側石・底石 とも人頭大の河原石 でつ くられ、溝幅は

45cm。 東行 して東面回廊の東雨落溝につなが るが、 さらに延長 して東僧房の西雨落溝に も連絡するよ

うである。西端部 には南側 に面 をそろえた花南岩石列

(SX7517)が

南側石列 を破壊 して並んでいたが、

これは近世以後 の遺構 であ る。 また、SD7516の据付溝 には瓦片や凝灰岩

A片

を含むので、創建 当初 は おそ ら く凝灰岩

A製

の雨落溝 だった と考 えられ る。 なお、 回廊礎石 か ら溝心 までの距離 は約

2.12mで

あ り、SD7516に ともな う回廊 の軒の出は

72尺

(親尺の

7尺

ヵ)とみ るこ とができる。また、回廊隅部 に は斜行溝SD7525があ り、埋土か ら12世紀の土師器が出土 した。この斜行 溝の性格 は不明だが、治承焼 失後の基壇改修 時におけ る排水溝 と考 えてお く。

第7図

 

北面 回廊 (東か ら)

第6図

 

回廊 部分全 景 (南か ら) 第8図

 

東面 回廊 棟通 りの地覆石 (南西 か ら)

(3)

Y=■5,172

Y‐‑15,170

Y=‐15,167

表土   改修 基 壇 土 H=

‑955m

‑950m

‑945m

回廊造営前の整地

(ア =‐==三 ==■t=字 ==市‐ ‐´

東面回廊SC7500 現地表下約25cmで 遺構検 出面である創建版築 の上面 に達す る。東側 の基垣外装・雨 落溝は現代 の排水溝によって大部分が破壊 されているものの、西側 には よ く残 る。東面回廊 は桁行7間 ぶん (隅部 を含 まず

)を

検 出 した。柱 間寸法 は桁行

3.77m(12.7尺

)、 梁行3.55m(12尺

)で

あ る。

棟 通 りに は幅23〜28cmほ どの凝 灰 岩A製地覆石 を

2列

に並べ てお り(SX7501)、 間仕 切 り最 下部 を 構成す る地覆 と地長押 を受 け るもの と考 え られ る。一方、回廊基垣西側 では基垣地覆石列SX7502と玉 石組雨落溝SD7503、 雨落溝外側 の玉石敷 きSX7504を検 出 した。SX7502は凝灰岩

B製

の切石 で、幅が18

26cm、 長 さ40〜60c14、 厚 さ約12cmを はか り、上 面 は平滑 に仕上 げて いて、羽 目石 をのせ る仕 口な どはみ られない。SD7503はSX7502を 東の側石 として溝底 に河原石 を

2石

ぶん敷 き、西の側石 にやや 大 きめの玉石 をな らべ た溝で、底 を

SX7502の

天端 よ りも約5 cmほ ど低 くす る。溝底の標高は南が低 いの で、雨水 は北か ら南に流れ た と考 えて よい。

SX7504は SD7503の

西側 に約90cna幅で玉石 を4〜

5石

漆 んならべ た石敷 きで、西端の石 は面 をそろえて見切 りとしている。 これ らは中門に とりつ く南面回廊の 調査成果 とほぼ同 じ状況であ り、断面の観察で も創建 当初 まで遡 り得ず、古 い時期 の改修 と考 えられ る。

ただ し、後述す るよ うにSX7504の下か ら足場SS7505の一つ を検 出 してい る。 これは玉石 敷 きをはず して足場 をたて、足場 を撤去後、再 び石 敷 きを修繕 した様相 を呈 してお り、他 の部分 で も表面的には わか らない改修 はあると考 えるべ きだろ う。 また、東面回廊東側の一部 で も疑灰岩

B製

の基壇地覆石列 SX7506と玉石組雨落溝SD7507を検 出 した。溝幅は42〜45cm。 雨落溝外側 には回廊 内にみ られたような 玉石敷 きはないが、溝 とほぼ同時期 の造作 とみ られ るバ ラス敷 きSX7508を検 出 した。以上か ら東面 回 廊の基垣の出は約

1.84m(6.2尺

)、 軒の出は

2.05m(7尺 )に

復原で きる。

足場SS7505。

7515 

抜取穴に濃赤色の焼土 を多量に含む。基壇上だけでな く雨落溝付近 に もあ り、玉石 敷 き

SX7504の

下か らも検 出 した。ほぼ10尺間隔で並 ぶ。東面 回廊 に ともな う足場 をSS7505と し、北面 回廊 に ともな う足場 をSS7515と した。

上器埋納坑SX7520 東面 回廊棟通 り外側 の

4本

の柱 で囲 まれたほぼ中央 にある小穴。土師器

2枚

が重 ね られた状態で出上 し、上師器の年代観か ら、嘉暦焼失後の再建時におけ る地鎮遺構 と考 えられ る。

第9図

 

東面 回廊 西側 の基壇周辺遺構 (北東 か ら) 東面 回廊 東側 の基壇周 辺遺構 (北か ら)

(4)

(2)中

金堂 前庭部

前庭部の旧地形は、中金堂院中軸線付近はほぼ平坦 な ものの、東面 回廊 に近づ くにつれ徐 々に地 山が 下が り、谷地形 となる◎遺構は中軸線付近においては地 山直上 にある凝灰岩

Aが

粉状 にまかれたような 整地土面で検 出 し、そのほかは地 山上 または谷地形 を埋めた整地上上面 で検 出 した。

仮設建物SB7530 前庭部やや 内部 に建つ桁行9問以上 ×梁行

2間

の掘立柱南北棟建物。柱 間寸法は桁 行方向が約19m、 梁行方向が約2.8m。 柱穴か ら12世紀の上師器皿小片が出上 した。

仮設建物

SB7531〜

7533 東面 回廊 に内接す る位 置に建 つ桁行 10間 以上 ×梁行

4間

の南北棟建物。

SB7531は

掘立柱建物 で、柱位 置 をほぼ同 じ くして掘立柱建物SB7532に 建 て替 える。 これ らの柱穴か らは12〜13世 紀の土師器皿が 出土 した。 また、 この

2棟

と柱位 置 を同 じ くす る礎石建物

SB7533が

こ の上層 に建つ。

SB7533の

礎石据付掘形か らは14世紀以降の瓦質土器が出土 している。以上

3棟

は、い ずれ も身合 の梁行が2間で東西2面に庇がつ く。柱間寸法は桁行方向が約2.8m、 梁行方向が約1.9m、

庇の出が約

21mで

ある。 これ らは南北に長 い土坑SK7570よ り新 しい。

仮設建物SB7534〜

7536 SB7531〜

7533と 重複す る位置に建つSB7534は、桁行

9間

以上 ×梁行4間 (身 合梁行

2聞

十東西

2面

)の掘 立柱 南北棟建 物。柱 間寸法 は桁行 方 向が2.0〜 2.7m、 梁行 方 向が 約

21m。

この建物の柱穴か らは14〜15世紀の上師器皿が出土 した。 さらにこれ らと重複す る位 置に建 つSB7535は 、桁行

7問

×梁行3間 (身合梁行 2間十西庇)の掘立柱南北棟建物 で、東庇がつ く可能性 もある。柱 間寸法は桁行 ・梁行 とも約

2.lmで

、西庇の出が約1,7m。 柱穴は小ぶ りでSB7530〜7535の うちでは、 もっ とも新 しい建物 と考 えられ る。SB7536は前庭部東端 にある桁行

6間

以上 ×梁行2間の 礎石建南北棟建物。桁行・梁行 ともに柱間寸法は約1.95m。 調査区の南外 で も礎石 とその間にある地覆 石状にならべ た丸瓦列 を観察で きる。SB7536は明治以降の土坑SK7562よ りも新 しい。

SB7530〜

7535は 、位 置的・規模的にみて も『春 日社寺 曼奈羅』(鎌倉時代。個人蔵 ;第12図

)に

10

11図

 

中金 堂前庭部全 景 (南西か ら)

(5)

(2)中

金 堂 前 庭 部

前庭 部 の 旧地 形 は、 中金堂 院 中軸線付近 はほぼ平坦 な ものの、東面 回廊 に近づ くにつ れ徐 々 に地 山が 下 が り、 谷地 形 とな る。遺構 は 中軸 線付近 にお いては地 山直上 にあ る凝灰 岩

Aが

粉状 に まか れ た よ うな 整 地 土面 で検 出 し、 そのほか は地 山上 または谷地形 を埋 め た整地上上面 で検 出 した。

仮 設建 物SB7530 前庭 部や や 内部 に建 つ 桁行9間以上 ×梁行2間の掘 立柱 南北棟 建物。柱 間寸法 は桁 行 方 向が約19m、 梁行 方 向が約 2.8m。 柱 穴か ら12世 紀 の土 師器皿小 片 が 出土 した。

仮 設 建 物

SB7531〜

7533 東 面 回廊 に 内接 す る位 置 に建 つ 桁行10問以 上 ×梁行

4間

の 南 北棟 建 物 。

SB7531は

掘 立柱 建 物 で、柱 位 置 をほぼ 同 じ くして掘 立柱 建 物SB7532に 建 て替 え る。 これ らの柱 穴か らは 12〜13世紀 の 土 師器 皿 が 出土 した。 また、 この

2棟

と柱位 置 を同 じ くす る礎 石建 物

SB7533が

こ の上 層 に建 つ。

SB7533の

礎 石 据付 掘 形 か らは14世 紀 以 降の瓦質 土器 が 出上 してい る。 以上

3棟

は、 い ず れ も身合 の梁行 が2間で東西

2面

に庇がつ く。柱 問寸法 は桁行 方 向が約2.8m、 梁行 方 向が約19m、

庇 の 出が約

2.lmで

あ る。 これ らは南北 に長 い土坑SK7570よ り新 しい。

仮 設建物SB7534〜

7536 SB7531〜

7533と重複 す る位 置に建 つSB7534は、桁行9間以上 ×梁行4間 (身 合 梁 行

2間

十東 西

2面

庇)の掘 立 柱 南 北棟 建 物 。 柱 間 寸 法 は桁 行 方 向 が20〜2.7m、 梁 行 方 向が 約

21m。

この建 物 の柱 穴か らは14〜 15世 紀 の土師器皿 が 出土 した。 さ らに これ ら と重複 す る位 置に建 つSB7535は 、桁行

7間

×梁行 3間 (身合 梁行 2間十西庇)の掘 立柱 南北棟 建 物 で、東 庇 がつ く可能性 もあ る。 柱 問 寸 法 は桁行 ・梁行 と も約

21mで

、 西庇 の 出が約

17m。

柱 穴 は小 ぶ りでSB7530〜7535の うちで は、 もっ と も新 しい建 物 と考 え られ る。SB7536は前庭部 東端 にあ る桁行6間以上 ×梁行2間の 礎石 建 南北棟建 物。桁行 ・梁行 ともに柱 間寸法 は約 1.95m◎ 調査 区の南外 で も礎石 とその間 にあ る地覆 石 状 にな らべ た九瓦列 を観察 で きる。SB7536は明治以降の土坑SK7562よ りも新 しい。

SB7530〜

7535は、位 置 的 ・規模 的 にみ て も 『春 日社 寺 曼奈 羅 』 (鎌倉 時代 。個 人蔵 ;第12図

)に

11図

 

中金堂前庭 部全 景 (南西か ら)

10

(6)

かれた中軸線 を挟んで対称の位置にある南北棟建物 にきわめて類似す る。 この絵図は どの ような場面 を 描いたのか不明だが、永承元年 (1046)火災後の復興記録 である『造興福寺記』には、事始の儀式の際、

東西回廊か ら約

2丈

(約

6m)は

なれた前庭部 に南北棟 の幅合 を建 てて造営関係の役人が座 る場所 とし ている。 さらに、治承

4年

(1180)や享保

2年

(1717)の火災後に も同様 の幌合 を建 てて儀式 をおこな っている (『興福寺伽藍地 曳之図』 :享14年『興福寺伽藍再建事始地曳井法会之記』所収 ;『 興福寺 南円堂修理工事報告書』1996よ り :第13図

)の

で、本調査 で検 出 したこれ らの建物 も、 このような幅合 の可能性が大 きい。 なお 『養和元年記』(治承焼失後の復興 を記す

)に

よれば、 この ような幅合 は「竹 柱葺板上覆慢」 とあ り、竹柱で建 て られ幌で覆われていた。

回廊 内側 では、上記の建物以外 に も幅合 となるような掘立柱穴や礎石があ り、火災後の復興の際には、

ほぼ毎 回同様 な建物 を建 てて儀 式 をお こなちていた と推察 され る。なお、『春 日社寺曼茶羅』に描かれ た回廊 内の建物 は、絵の成立年代 と土器の年代観か らみて、SB7533も しくはSB7534と み られ る。

石敷 き

SX7550 

調査 区北西部 (中金堂南

)に

ある玉石敷 きの舗装。南端 に見切 りとなる石 をな らべ てお り、 これ以上南には続かない。西方は調査 区外 にのび、東方は現代 の埋設管で破壊 されていて、 それ以 東では検 出で きない。 したがって東西の範囲は不明な ものの、読時点ではちょうど中金堂基垣 の前面だ けに存在す ると考 えてお く。断面観察 の結果、 この石敷 きは地 山直上の きれいな整地土上 につ くられた 部分 と、炭片や焼上 を含む汚れた上の上 につ くられた部分 とが各所 に存在 し、創建 当初 につ くられた もの が部分的に改修 を くり返 しなが ら存続 して きた もの と考 えられ る。参道部分 を石敷 きとす る例 は飛鳥地 方の寺院跡で検 出されているが、金堂前面のみ を石敷 きとす るのは珍 しく、回廊が中門 と中金堂に とり ついて閉 じる′くを考慮の うえ、今後 この石敷 きの意味や用途 な どを検討 しなければな らないだろう。

掘立柱東西塀

SA7540 

石 敷 き

SX7550の

lm南

に位 置す る柱 間約

1.5m(5尺

)の掘立柱東西塀。

SX7550東

端以東 には続かないため、 これ とほぼ同時期 の遺構 と考 えられ る。用途 は不明。

12図

 

『 春 日社 寺 曼奈羅』 の興福 寺部分 第13図

 

『興福 寺伽藍地曳之図』

(7)

燈籠 台石

SX7545 

中門 と中金 堂 を結 ぶ 中軸 線上 、石 敷 きSX7550の なか に あ る花 商岩製 の燈籠 台石 (第 14図)。 径 は約 1.4m。 磨 減 して い る ものの、八弁 の蓮弁状繰形 を もつ直径約95cmの 突 出部 が あ る。 その 中央 に は直径36cm、 深 さ50cmほ どの 円形 の穴 を穿 って いて、燈 籠 の年石 をこの穴 に さ して いた よ うだ。

台石 の周囲 には、幅25cm、 長 さ1.Om、 厚 さ12cmほ どの地覆石 状 に加工 した流紋 岩質 凝灰 岩 (奈良市地獄 谷 周辺産。 以下、凝 灰 岩Cと 呼 称

)を

六 角 形 に な らべ て い る (SX7546)。 この凝 灰 岩Cの据 付 穴埋 土 は焼土 を含 む汚れ た土 で、 台石 よ りもあ きらか に新 しい。一 方の燈籠 台石据付穴 は石 敷 きの下方 にのび、

拳 大 〜人頭 大 の河 原石 の ほか 、娩灰 岩

B塊

を も根石 として使 って い る。 この据付 穴 に切 られ て一部 きれ い な淡責灰粘質 土層が あ るので、 これ を当初 の据付 穴 とみて、現在 の台石 は平安 時代 頃に据 え替 えた も の と解 釈 した。 また、 台石 には蓮弁 の外側 に現状 とは まった く関係 の ない直線的 な段 差 が

4箇

所 残 存 し、 それ をつ な ぐと入角 形 に復 原 で きるの で、 もともとは石 を入角 形 に組 んで縁部 を固め、 さ らに竿石 も八角 形 をな していたのか もしれ ない。 しか し、蓮弁状 の装飾部分 と、竿石 をさ して安 定 させ る構造部 分 とが一体 化 して一石 でつ くる とい う手法 は、飛 ′亀寺・ 山 田寺 の調査 で検 出 した事例 とは異 な り、燈 籠 製作技術 の変遷 も含めて再検討 しなければ な らないだ ろ う。 なお、 この石 自体や装飾部分 の大 きさな ど か ら、建物 の礎石 に穴 を穿 ち、燈籠 台石 として再用 した可能性が あ るこ とも指摘 してお きたい。

この燈 籠 の南 には、 中世 頃 の上坑 が あ って(逆

L字

型 を した凝灰 岩

B塊

が廃棄 され て いた。 これ は 一 辺 が60cm、 厚 さ15cmほどの板 石 で、本 来 は 中央 に約 20cm角 の穴 をあけ た石 組 み の構 成部 材 と想 定 され る。 また、南北 に長 い焼土混 じりの土坑 が 中軸線 を挟 んで

2箇

所 に掘 られ て い る

(1対

SK7542)

が、燈籠 の据付 法 に関係す る ものだ ろ うか。一方、調査 区南端 の 中軸線上 に も拳 大 ほ どの石 を組 んだ小 燈 籠 の基礎 と考 え られ る遺構 が あ る (SX7555)。 これ は近世 の遺構 であ ろ う。

瓦 溜SK7560 調査 区西端 部 に あ る焼 土・ 炭 片 を多量 に含 む瓦溜 土坑 (第15図)で、創建期 の軒 瓦 の ほ か緑釉水波文 埓 (口絵)が出上 した。 遺物 の年 代観 か ら永承 焼失後 の塵芥処理用 上坑 であろ う。

この ほか に も前庭部 では、大土坑 (SK7564・ 7566〜

7569)や

斜行石組 み

(SX7565)な

どを検 出 した が 、早 くて も享保 焼失以後 であ り、大土坑 の 多 くは明治以後 の遺構 であ る。

14図

 

燈籠 台石 とその周辺遺構 (西か ら)15図

 

調査 区西端 にあ る瓦 溜SK7560(北か ら)

(8)

(3)東僧 房付近

東僧房

SB7590 

調査 区東北隅の壁際で東僧房の礎石 を

2石

検 出 した。北の礎石 は当初位置 を保つが、南 の礎看 は北面 回廊 北側柱筋 とそろえるものの、明治 ごろにほぼ当初位 置で据 えなお された痕跡がある。

基垣 はシル ト質の地 山削 り出 しで、現状 では基垣 の版築上 を確認 で きない。基壇南側 には幅32cm、 厚 さ15cmの 凝灰岩

A製

地覆石列

SX7591が

あ り、基壇 内側部分 には羽 目石 のの る仕 口を設け る。断面観 察の結果、この地覆石 は創建 当初 の もの とみ られ る。 また、礎石 か ら約

17m西

に凝灰岩

A製

の塊や小 片がつ まった南北方向の抜取溝状遺構

SD7595が

あ り、 これが基垣西辺部の位置にあたる可能性がある。

明治期築地SA7620。

7621 

明治21年 (1891)ごろ、奈良公 園におけ る興福寺の寺地が定め られた際に 設け られた築地塀。大石 で積 んだ基底部 と瓦のつ まった積 み土 を検 出 した。調査 区東端か ら西へ約5.2

mの

びたあ と、南 に折 れて約

4.Omで

切 れ る。それ以南 はつ くられ た直後 の明治28年 に取 り壊 され、

本調査 で検 出 した部分 も昭和36年 (1961)に 取 り壊 され、基底部 だけが残 った ものであ る (第17図)。

石組清

SD7623 

東僧房 の礎石か ら西へ

2.6mの

位 置にあ る巨大 な石 を側石 とす る南北溝。況地表直下 か ら掘 り込んでお り、享保焼失後につ くられた排水溝で、東僧房 とは共存 しない遺構 と考えられ る。

瓦溜

SK7611 

】ヒ面 回廊SC7510の北方 にある瓦廃棄土坑。奈良〜平安初期頃の瓦のみ出土す る。僧房 は 元慶

2年

(878)に焼失 してお り (『日本三代実録』)、 それに ともな う瓦廃棄土坑の可能性が高い。

大土坑

SK 7606 

東僧房 の南にある円形の大土坑。平安 中期 〜末期頃の瓦が出上 し、治承焼失後の廃棄 土坑 と考 えられ る。

このほか、調査 区南東隅付近 にある近世 の炭土坑

SK7599か

らも多量の瓦が出土 し、 さらにその下層 には土師器の細片 と焼土 を多量に含む土坑

SK7598が

ある。

14)回廊造営 以 前 の遺構

東西溝SD7600 北面 回廊北側柱筋のやや南 にあって地 山を掘 り込む素掘 りの東西溝。幅 は約60〜80cm、

深 さは部分的に異なるようで、深い ところでは遺構検 出面か ら30cmほ ど残 る。溝埋土には流水 に ともな うような層はな く、 しか も場所 ごとに埋土 も違 っていて人工的に埋め られたような様相 を呈 している。

断面観察の結果、回廊創建 当初の礎石据付穴 よ り古いことが判明 した。西方では中金堂 もしくは回廊の 基壇造成に ともな うと考 えられ る地 山削平に よって溝 も削 られていて残 らない。

東西溝SD7610 北面 回廊南側柱筋のやや北にあって地 山を掘 り込む素掘 りの東西溝。幅は約25〜40cm でご く浅 く、東 と西では地山 とともに削平 されて しまっている。 これ も回廊創建 当初 の礎石据付穴 よ り

も古い③これ ら

2条

の東西溝は、溝幅の違 いこそあれ平行 してお り、心心距離は約

5.94m(奈

良尺20尺)

をはか る。 この

2条

の溝の解釈 については21ペー ジ以下 を参照 されたい。

16図

 

東僧房付近 の遺構 (南西か ら)17図

 

明治期 築地SA7620。 7621(東か ら)

参照

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