Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2014-Jan. 2015] │ 4
一九六三年︑内科画廊開設前の旧宮田内科診療室で撮影されたハイレッド・
セン
ター
︵以下
H R C
︶による﹁第六次ミキサー計画﹂での高松次郎のポートレート﹇図1
﹈︒そこに
は当時
︑ ﹁ 紐﹂のシリーズで使用されていたおびただしい紐を全身にまとい︑顔の上部の
みがかろうじて確認できる高松が写し出されている︒この無数の紐に覆われた作家像に
象徴されるように︑高松はその存在自体が︑なるほどミステリーといえるかもしれない︒
とはいえ︑一九九八年に六十二歳で逝去した後も︑多くの人々を虜にしていることは
疑う余地がない︒二〇〇四年には没後初となる回顧展が開催され︑展覧会への出品が
今なお続いている︒また︑
著作集
である﹃世界拡大計画
﹄ ︑ ﹃
不在への問い
﹄ ︵
いずれも水声
社︑二
〇〇 三年
︶ ︑ 四千
点
におよぶほぼすべてのド
ローイングを
網 羅 した
﹃
Jiro Takamat s u : All
Dra w in gs
﹄
︵
大和
プレ
ス
︑
二〇〇九年
︶ ︑ 約十年間の
初期活動の足跡を追った
光田由里
の
評論
﹃高松次
郎
言葉
ともの
日本
の
現代美術
19 61 -7 2
﹄ ︵
水声 社︑二〇一一年︶の刊行など︑近年の高松に関する資料には枚挙
にい
とま
がな
い︒そのよう
な個別の作家研究にとどまらず︑一九六〇│七〇年代を中心とした戦後日本美術の動向
へ注目が集まる昨今にあっては︑高松はそれら国内外の展覧会において常に重要な場所
に配されることとなる︒
では数々の展覧会や刊行物によって︑着実に研究成果が積み重ねられていきながら︑
一方でなお高松を厚く覆うミステリーが存在するとすれば︑一体何に起因するのだろう
か︒そのような高松がもつ謎の一端は︑最近では﹁
ハイ
レッ
ド・
セン
ター
﹃
直接行動の軌
跡
﹄ ﹂ 展︵二〇一三│一四年︑
名古屋市美術館
・渋谷区立松濤美術館︑以下﹁
H R C
﹂展︶にて垣間みられたように思われる︒なぜなら︑約三〇〇点の膨大な記録写真・文献資料︑作品
によって充実した展観でありながら︑
H R
C
の不確かさこそが会場では意識されたからだ︒中原佑介が
﹁ ﹃
芸術﹄結社﹂と鋭く指摘したように︑一九六〇年の安保闘争での挫折
を色濃く反映した
H R C
は︑芸術に場を移した秘密結社としての集団であった︒高松が著したとされる
H R C
の解説文では︑ ﹁ 集合体としての厳密な組織の規定はな﹂﹇註
1
﹈いがゆえに︑活動に関わる人々は﹁匿名的存在﹂と定義されていた︒構成員のひとりとし
て高松も参加した活動である︑白衣を着用しサングラスとマスクで顔を隠した﹁首都圏
清掃整理促進運動﹂以外にも︑両手足が紐で結ばれた﹁ロプロジー﹂や︑新橋駅周辺でタ
イヤを転がすイヴェントでは顔をアイマスクで覆い︑行為者の匿名性が強調されていた︒
H R C
での制作主体の匿名性については︑一九六四年頃より制作が始められ︑同年の第八回シェル美術賞の佳作受賞を皮切りに︑その後高松の名を一躍国内に知らしめる
こととなった﹁影﹂のシリーズとの関連が指摘できる
︒ ﹁ 影﹂の契機として︑高松は﹁或る
晩どこかのビルの壁にでも通行人の影だけを非常にリアルに描いておく﹂﹇註
2
﹈という独自の制作手法について述べている︒この言及からは︑
H R C
の活動と同時期に開始された絵画制作との方法論としての共通点が︑第三者に特定されることなく行為が遂行
されるというその匿名性に見出されるだろう︒
H R C
に固定化した観念への疑念と揺さぶりと﹁白紙還元﹂﹇註
3
﹈の作用を見出し︑制作においては﹁作者としての自分を無にすること﹂﹇註
4
﹈を主張する高松は︑一九六四年に自身が描く行為を宙吊りとしながら描
かれた︽影の自画像︾﹇図
2
﹈のように︑描かれた影の対象のみならず︑作家自身の
存在
自体にもまた匿名性と﹁不在﹂を目論んでいた︒
高松は一九六八年から七二年まで多摩美術大学で専任講師を務めており︑関根伸
夫は
当時高松
の
助手
であった︒しかし﹁もの派﹂と呼ばれた
作家
らとの
直接的
な
関係
﹁
高松次郎ミ
ス テリ ー ズ
﹂
│ 高松次郎 ミ ス テ リ ー と い う
﹁紐 ﹂は 解 かれ る か
森 啓 輔
会期二〇一四年十二月二日│二〇一五年三月一日 会場美術館企画展ギャラリー﹇一階﹈
図1 「紐」に埋もれてバットを構える高松次郎「ハイ レッド・センター:『直接行動の軌跡』」展カタログより
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後記 展覧会の開催にあたり
19 61 -72
︑ ﹃ 高松次郎言葉ともの│
日本の現代美術﹄︵水声社︑二〇
一一
年
︶を刊行
され
た光田由里氏
高松次郎﹃単体﹄と﹃複合体﹄の間
│
境界に揺らぐ波Jiro Ta ka m at su Cr itica l A rch iv e vol . 4
︑ ﹃﹄ ︵ ユミコチバアソシエイツ︑二〇一二
年︶の著作がある森啓輔氏に︑それぞれプレビューをお願いしました︒光田氏の指摘通
り︑いま日本の美術関係者には︑これまで積み重ねてきた研究の蓄積をどう海外に発
信するか︑またそれによって国際的な美術動向の中に高松作品の位置づけをどのように
得るか︑という課題が課せられています︒そのため本展では︑カタログ︑会場の解説類
のほぼすべてを日英
バイ
リン
ガル
にし
てい
ます
︒ ﹁
言葉ともの﹂の双方が同等の重要さを
持つ高松のような作家にとって︑使用言語の壁をできるだけ超え
︑ ﹁ 言葉﹂の正確な理解
をうながすことが︑作品評価のため不可欠であると考えたからです︒また︑日本に﹁現代
美術﹂という枠組みが生まれた六〇年代のことを知らない人々が圧倒的に増えたいま︑
高松の作品を︑現在わたしたちが﹁現代美術﹂と呼ぶものにどうやって接続するか︑この
筋みちを示すことも︑美術館としての大切な役割だと考えます︒︵美術課長 蔵屋美香︶ という
事実以上
に︑
高松
の六〇
│七〇
年代
の
制作
を
特徴
づける
制作行為
の
匿名性
は︑
素材
を未
加工
のまま用いたもの派の
手法
と
親和性
をもっていた︒
理論的
にもの派を
主導
する
役割
を担っ
た
李禹煥
による︑
近代
における
表象作用
の
批判
︑像概念
の
否定
は︑物質をあるがまま提示すると
いう制作行為の無名性を示唆するものであった︒
高松ともの派の関係は︑直接的にはもの派に関わる数々の展覧会において︑さらには一
九六八年の﹁
トリ
ック
ス・
アン
ド・
ビジ
ョン
展│盗まれた眼
T& V
﹂ ︵ 以下展︶で中原とともに企画に携
わっ
た石子順造︑そして静岡のグループ﹁幻触﹂に焦点を充てたいくつかの展覧会
によって検証されることとなる﹇註
5
﹈︒一九七八年時点で
︑ ﹁
影﹂の作品を代表とする同時
代的な虚像の問題を集約した展覧会として︑峯村敏明が検証の必要性を唱えていた
T& V
展は︑近年ではマス・メディアの隆盛による同時代の過剰なイメージや
︑ ﹁
幻触﹂に与えた
高松の影響など︑社会状況を踏まえた多角的な側面から考察がなされている﹇註
6
﹈︒そ
の結果
︑ ﹁ ︽
見る︾ことの厚み
﹂ ︵
宮川淳︶という視覚における絵画の制度的な問い直しを通
じ︑ ﹁
影﹂のシリーズから
T& V
展︑もの派への
接近と続く高松の七〇年前後の活動に理論
的な言説が付与されることとなったのは︑近年の研究がもたらしたひとつの成果といえる︒
一方で
︑ ﹁
単体﹂
シリ
ーズ
や︽日本語の文字
︾ ︑ ︽
写真の写真︾など七〇年前後に多岐にわた
る展開をみせた高松の作品が︑もの派の動向に一元的に還元されることに疑問を呈される
べき
こと
も
周知の事実であろう︒一九七〇年の﹁第十回日本国際美術展人間と物質﹂に出
品された高松の︽
16
個の単体︾は︑樹皮に覆われた丸太の部分的な加工において︑もの派の影響を感じさせずにはおかない︒
しか
し︑当初﹁波間﹂
とい
うタ
イト
ルが
本作に用いられ
︑ ︽ 英
語の単語︾の文字の配列のごとく均等に並
べら
れた
丸太において︑むしろ波
とい
う不可視の
水平面が意識されたことは︑改めて匿名性=不在=不可視という概念が七〇年以後の遠心
的な空間へ向かう多様な活動をつなぐ鍵となることを要請しているといえる︒
かつ
て宮川
は﹁影﹂の作品
につ
いて
匿名と無名との差異を︑名を隠そうとする作者の存在において指摘
していた﹇註
7
﹈︒無名ではなく︑匿名としてあり続けようとした高松次郎︒そのミステリー の紐を解こうとするならば︑非決定的な未来に向けられ﹁不在﹂を志向した作家を眼差しながら︑私たちはその紐に手を取らなければなるまい︒︵ヴァンジ彫刻庭園美術館学芸員︶
註
1
﹁ハイレッド・センター
﹃
直接行動の軌跡
﹄ ﹂展カタログ
︑ ﹁ ハイレッド・センター﹂展実行委員会︑
二〇一三年︑四頁︒
2
﹁イン タビ ュー
不在がわれわれを駆る⁝⁝﹂﹃展望﹄一九六八年十一月号︑一九三頁︒
3
高松次郎﹁ ﹃ハ イレ ッド
・セ
ンタ
ー﹄と白紙還元
﹂ ﹃ 不在への問い﹄水声社︑二〇〇三年︑一二三頁︒
4
高松次郎﹁自分を無にすること﹂ ﹃ 不在への問い﹄水声社︑二〇〇三年︑二六四頁︒
5
﹁石子順造的世界│
美術発・マン ガ
経由・
キッ チュ
行﹂ ︵
二〇一一│一二年︑府中市美術館
︶ ︑ ﹁
グ
ループ﹃幻触﹄と石子順造
19 6 6 -1971 │
時代を先駆けた冒険者たちの記録│
﹂ ︵ 二〇一四年︑静
岡県立美術館︶など︒
6
針生一郎・東野芳明・中原佑介・峯村敏明・岡田隆彦﹁座談会現代日本美術はどう動いたか﹂ ﹃ 美
術手帖﹄一九七八年七月号増刊︑四〇│四五頁︒
7
宮川淳﹁画廊から高松次郎個展﹂ ﹃
美術手帖﹄一九六六年九月号︑一二〇│一二二頁︒
図2 高松次郎《影の自画像》1964年 徳島県近代美術館蔵
© The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates