• 検索結果がありません。

古事記における直叙様式 : □之・□者の用字につい て

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "古事記における直叙様式 : □之・□者の用字につい て"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

古事記における直叙様式 : □之・□者の用字につい て

原口, 裕

https://doi.org/10.15017/12271

出版情報:語文研究. 18, pp.17-29, 1964-08-31. 九州大学国語国文学会 バージョン:

権利関係:

(2)

古事記におけ る 直叙様式

i口︑之・□者の用字につい て一

 古事記で用いられた直接叙法の特徴ある形式として︑﹁沼・白︒

告・日・問・問賜・宣・請﹂などの動詞に﹁之﹂﹁者﹂の助字を痒って

いる例が数多く見えているのは周知のことである︒宣長は記伝に

﹁また云ノ字と互に写し誤れる庭多し︒詔之を謂云とも作ける類・

なり︒こは何れにても︑古語の方にあつからざれば︑訓マぬ例な      カケり﹂ ︵訓法の累︶︑﹁詔之の之ノ掌延拓本には云と作り︒それもよ

し﹂ ︵序文の例について︶と︑助字の用法を指摘するのみで︑さし

てこの用字に注意しなかった︒      ︵1︶ 以後︑諸家の注に︑助字の用法として詳しく説かれはしても︑こ

の形式を取りあげて特に論ずるものはなかったのであるが︑近時︑

古賀精一氏の精細なる研究によって︑特異な引用の形式であること      ハをソが指摘されている︒古賀氏によると︑﹁白・紹・告﹂などに﹁之﹂

﹁者﹂を添えた例は︑妙法薄華経・維摩詰番・勝三皇・合部金光明

経等の漢訳仏典にも︑漢書・後漢書等の中国の史書にも見えないも ので︑氏は︑古纂記独自の引用形式かも知れないと推定されてい︵3︶る︒ 古事記本望の行丈に見える紀載用語・様式︒用字の検討を通して︑本交成立の問題に及ぶ方法は︑依然として︑極めて有致な手段の一であるが︑そのためには︑用語︒帰宇の十分置る検討が不可.欠であることはいうまでもない︒以下︑小論においては︑この薩接叙法の口之・﹇者の用宇について︑若千の文献の例を調査し︑﹁独自な形武﹂とも言われる用字を通して︑古写記田丈六文化の言語的な背景について考えてみたい︒

 怪事記にみえる﹁之﹂を添えた会話引用例は︑その上接の動詞毎

に分類すると1表のように表示できる︒

 これによると︑その殆どが﹁召﹂ ﹁白﹂の語に集中して用いら

れており︑ ﹁告﹂の語の場合も含めて︑待遇関係を明示する動詞に

限って用いられている傾向が︑一見明らかに看取されるであろう

一七

(3)

語百一告再起墨婁童轡 計 上個

中 6

8一−=

pt

二・

21

︸− −一−一−一

6/

3

22

9

ITt

 15丁一2一−一−一−一−

44

(1表)

が︑この華実は︑古嘉紀における薩接叙法に用いられた動詞の語彙的

 の  の  の   なかたよりの当然の反映と見るべきもののようである︒因みに︑古      ︵4︾事記における会話引用の用例をその上磯の無調群毎に整理すると︑

 1 ﹁詔﹂群︵詔・紹一・誓言・謂一言b国々・紹之・撰者︶上

   35・中33ボ下羽

 2  ﹁白﹂群︵臼︒白1・白言・白−言・臼一云・臼一日・白之

   ・白−者︶上43・中40・下20

 3  ﹁告﹂群︵告・告1・選言・告一言・告−日・告之・告者︶

   上17・中1

 4 ﹁問﹂群︵間・間一・問言一・間一言・間一躍の翌日・問−

   臼︒問賜1・問賜之・問之︶上18・中18・下5

ム群群群群盛

暑鋪自鎗 ・言i・v・

請・・日上語

勢奏謂.之121

)ll・・歯 並・云語中・

2爽・16言

 1謂日・漏  云1)下之  )日上4)

 中)6, 上

 3上・ 15  ・4中 。  下・18 中

 5中・ 4   1下 

   15 下      2 10 98 765

そ「一「「・「

群藁屋謎一

右の如くでぢ日表のように衷示できる︒ 一八

go 22 33 35 1

20 40 43 2

103

P8一■輯臨  噛 魎

S1 5

 1■一

P8

@4

17 P8

34

一幅

@2

15 5

21

Q2

R9

415 618

12 U

5  4一一

678910

5

13

nO  9

2

■一噛.■一

.34gl 一73 一126 、5。1詳卜卿一一一一

(亙 表〉

即ち︑ ﹁認﹂ ﹁日﹂ ﹁告﹂等︑待遇関係を讃示する語の事例は︑      バリげ古賀氏も指摘されているように︑全体の六割に及んでいる︒しかも

一方︑﹁嘗己﹁﹁云﹂ ﹁日﹂ ﹁調﹂等漢語において﹁発話﹂を示す動

詞が︑蔵接叙法で会高文に上接する場合は︑助掌を伴わないのが車

来の用法であることはいうまでもない︒上代の知識人に︑モのよう

な・いわば正書法としての用字意識は当然期待しイ︑然るべきであろ

う・更に・付け加えるならば︑古寮紀において﹁日﹂の語のみは中

・下巻にその慕例を増し︑︐しかも︑純・︐準漢文体の認事に比較的集

中して現われる傾吻が注意.される︒

 記中︑会話文に上接する﹁日﹂の事例︵白−日・告i日・閥日︒

問−日・謂一日﹁語一日の例も含めて︶は︑

 1 上巻では︑雷雲里言の条︵海幸彦山幸彦2・山房宮訪問4・

   火照命服従4︶10・岐美二神結婚の条2︒大国主根国訪問の

   .条・御諸山神の条・天若日子の下立1

 2 中巻では︑沙本毘古王反逆の条9・秋山之浮氷壮夫春山之霞

(4)

   壮夫の条4・三輪山伝説の条3︑以下各説話に散見する︒ 3 下巻では︑目弱王乱の条3・ご冒呈大神の条3︑以下各説話

右の如巌蓬蓬が・上巻における三三司書にあたる雰

の文体が︑上巻の他の部分と異なっているのは顕著であり︑中巻︑沙

本命宵王反逆の条・三輪山伝説の条が純漢文に近い文体で紀されて・いるのは周知のことである︒又︑和文脈の多い選一記に全くその薯

例を見ないことも対礁的な事笑としてあげられよう︒その他でも︑準漢丈体で記された部分の多い大山守命反逆の条・天之日矛の条に冬二例の用例が見えることも面白い︒下巻においては︑適中的な説

譜の例はないが︑各天嵐紀に散在し︑しかも︑上・中巻に対して﹁詔﹂﹁臼﹂に対する﹁日﹂の割合が高いのは︑やはり︑その交体の反映

と見ることも可能であろう︒登場人物の関係を穿盤することも必

須であるが︑今仮に︑︸部の挿入的漢文説話ともいうべきものを措

くとすると︑古嘉紀における薗接叙法においては︑極めて当然のこ

とながら︑十分な注意をもって待遇関係が表記されている欝実の反       の   ゆ の映は︑・その動詞の語彙のかたよりにも容易に看取されるのである︒

同様な傾向をもつ文献の例を他に見ない程であって︑﹁暴統譜﹂

の中で説話が再構成され︑展開してゆく際の書紀原則を文体の上に

明示しているものと理解できる︒

 したがって︑前述の﹁之﹂を添えている動詞の種類が︑待遇関係

を表示する語に集中するのは︑古事記の文体が示す傾向の一端が・

ここにおいてもその姿を見せているものと考えられるのである︒

 さて︑﹁詔﹂﹁白﹂﹁告﹂の場合については︑既に︑古賀精一氏

の論に詳しい︒又︑﹁問電命﹂の   O爾問賜之︑汝等者誰︒ ︵須佐貞男命←足名工上二二詩八︑   以下古事記大成索引篇1の丁数による︶  O爾天豊間賜之︑三者誰子也︒︵四神天皇←意富多多泥古中   二ニオ七V

二例も﹁紹﹂﹁白﹂ ﹁臨巳の場合に準じて考えることができる︒

﹁問・講・言漏ご射乳﹂の語が﹁之﹂を伴っているものは各一例

で︑  0野臥鰯間之︑立者維也︒︵神武天豊←槁根津日子 中野ウ六︶

  ○爾隊商之︑今如レ此等教之大神者︑欲レ皇儲其御名脚︒ ︵建内

   宿禰←住古三神 中五一オ六︶

  ○先込レ言二漏之御子既製一︒ ︵中五三オ一︶

  O其綿津見大神講日之︑以二此鉤嗣給其兄時︑⁝ ︵海神←火事

   書意上五五ウ五︶

脊の協議︑前三者は一往他の例に准うて考えられる︒ただ﹁謹日之﹂

の例は特異な形である︒中国の文献を脅めて︑発譜を示す動關の

﹁日﹂が︑会語文に上接して︑﹁之﹂を俸っている例は︑先ず見出す

ことが論難であろう︒因みに︑玉本書紀同条の本文には﹁園慣し之

日︑以二煙寺一与二重兄一時﹂︑一の一書には﹁因教レ之日︑以レ鈎

与二汝兄一時﹂︑二の桶書には﹁因敦レ夏日︑以=此鈎一与一 汝兄一

時﹂︑三の一書には﹁因奉二敦之一日︑以レ此与二汝兄一時﹂とあっ

て︑その面体の上に戴く同様の口吻が窺われる︒しかしながら︑古

事記の例を直ちに﹁講急走﹂の襖写乃至誤伝とすることはできな

い︒古事記では﹁之しを代名詞とした﹁動詞+之+日﹂の形は皆無な

のである︒一方︑﹁講白之﹂の誤写である可能性は十分にあるが︑

一九

(5)

      ﹁其綿津見大神講日之︑以二此鉤一給レ臨時︑言尋者︵中略︶如レ此      ム惚惚鶴一云︑授二塩盈珠塩乾珠井而簡一︒﹂の﹁嬉し字による呼応

も参考になり︵臼一1云の呼応が上巻に見えてはいる︶︑同例の前

       む交に﹁故其父大神闘二其鯉夫﹁日︒﹂の例もあった︒むしろこの場

合は︑後述するように︑会話引用の動詞に﹁之﹂・を添える用法の拡

組したもので︑中国の文献にも.︑の類例を見る貴重な例として︑本

文のままに認めるべきものと思われる︒

 この会話引用で動詞の下に添えられた﹁之﹂は︑所謂指善性を失

って︑添えられた動詞の意昧を強調し︑停頓の語気を伝え︑又句の       へげ 形をも整える︑その助宇の機能に基づいて使用されていると思わ

れ︑記中︑       の  り  リ  ロ  ○畑島レ癖者蛇自静︒故平戸出之︒ ︵上二八ウ五︶      む  0今平=翫鷲原中凶日之. ︵上四七網鳥︶

         ○故泣愚之︵上五三ウ三︶         コ        ロ  O爾其惑伏御軍悉縣起之︒ ︵中三オ五︶

       の  り     む  0政既遠図参上侍之︒ ︵下一五ウ三︶

の如く︑終止部にも︑         り  0こ入二其山一之︑亦遇二生レ尾人一︒︵中四ウ一︶      り  ○明レ将レ打一一其土雲一︐之歌日︒︵中六ウ五︶       ロ  ○故笹下坐之︑到二玉藩論之清泉︸以息坐之時︑⁝⁝ ︵中四四

   ウこ

の如く︑中止都にも用いられた﹁之﹂の用法の転じたものと説かれ ︵7︸ている︒しかし︑古事紀で千数百回にわたって用いられた﹁之﹂の

用例中︑この種の﹁之﹂の例が十数例にすぎないことを思うと︑や 二〇

はり︑直接叙法で会話に上接する動詞︑殊に待遇鴎係を衰示する語

に﹁之﹂を添えたのは︑その用宰の意識的なものであることを思わ

せるのである︒

 今︑同様の用例を︑他の文献に求めると︑臼木書紀と日本霊異詑

に次のような例や見出す︒

 10是歳任那人蘇那掲叱軍事之︑欲露二富国鱒︒ ︵蕪仁二年︑巻

   六ノ一七六頁︑以下新訂増補国史穴系の画数による︶

  O時左右些細之︑倣国有二佳人一︒ ︵垂仁三十四蕪︑巻穴ノ一

  八八頁︶

  0左右奏言Z︑土管有二佳人噌︒︵景三四焦.︑巻七ノ西九九頁︶

  ○亦問之︑除二是神一墨型レ神宮︒ ︵神功摂政前︑巻九ノニ四二

  頁︶

  0亦嬰︑長与レ少敦尤焉︒ ︵心神四十年︑巻十ノニ八三頁︶

       ヒ  ○天皇令一一膳夫一以聞臼︑⁝⁝対言︑牡鹿也︒問之︑勢威鹿

  也︒︵仁徳三十八無︑巻十一ノ三〇六頁︶

 ○天皇相見問訊之︑日本国曝葬平安以不︒ ︵面明五僻︑爾杳博

  徳書︑巻二十六ノニ七〇頁︶

20道不・知老人以二大蟹一而逢︒問之︑誰老︑乞蟹免レ吾︒ ︵中

  八縁︶

 ○袈乞者間之︑所以者何︒ ︵中十五縁︶

  O前有二金宮一︒閥之︑何宮コ ︵中十六縁︶

 ○磐嶋問之︑何往人証︒︵中二十四縁︶

(6)

  O病者託日・我是遥遠︒無用不レ伏︒禅師莫レ強︒問之︑何故︒

   ︵下回縁︶

  ○於是船人大怪劉︑汝等︒︵下四縁︶

  O山人製・読レ経一音如レ常不レ止︒︵下川縁・真福寺本︶

  0時仲丸誓身・若我後世違二三三隅之者︑⁝⁝︵下三十八縁︶

  ○更還劇画︑欲念二御者一︒︵下九繰︒校本臼︒真福寺本﹁我更

   還白也﹂︒古典全需串﹁山︷還臼之﹂︶

  O︵聖武太上坐難︶訊剴︑朕子轟轟内親王⁝⁝︵下三十八縁︒

   真福寺車︐諮之︶

  O還上等劃︑詣二乎高脚浜一︒ ︵上寄事︶

 零異紀は︑変体略文でもあり︑上代の文献に準じて考えることが

できよう︒上宮紀逸丈・古嘉紀・播磨国風土制にのみ見える特殊な

る接続詞の﹁爾﹂が︑霊異記の上三緑・上脳室・巾二十七縁.中三

十縁で用いられていることもここで想起される︒﹁告之﹂の例は諸

本﹁告云﹂と翻字しぐ︑おり疑わしい.叉︑﹁問之﹂の例の整句をな

した簡略な轟又体が注意される︒

 しがして︑㍍の用例中︑日本轡紀ではい.・の前半にのみ用例が集中

しており・騨謂井紀の成立区分の分類に花に照応していることも興

瞭深いが︑ ︵巻六・巻七の文体に類似が見られることは︑小旛憲之         ハおり博十嵩指摘されている︒︶︑ここで甚だ示唆的なのは︑後半に見える

唯一の例である伊古博徳書のい︑曳れである︒伊吉博徳轡は︑芦︑の文中に

﹁日‡国天楽平安噛癖﹂﹁執嘉二等遍在以不﹂という﹁凶悪﹂型の

疑問文が見え︑﹁相﹂や﹁好在﹂の用語によって︑六朝以来の俗語文

的毒煙によるものであることが小胤憲之博士によって指摘されてい 物%これによると・霊異記の内容をも考え合せて・中国六朝小説類にその類例を求め得ることが考えられる︒ 国語と語順を等しくし︑古く漢文を借りて自国語の表記を行った朝鮮の古文野中︐前述の﹁之﹂の終止・中止用法は吏読にも︑先学こより︑  ○古人成劇東海欣支辺散劇︒︵甘山寺石仏光背詑︑七一九隼︶      ︵皿︶の如く・早くより注意されているが︑朝鮮金石総覧・三国遣霧︒三国史認を検して見るに︑薗接叙法に︑動詞が﹁之﹂﹁者﹂.を楴う例は全く見出すことができない︒一方︑漢訳仏典や史衡にも見出せないこの形式は︵世説新語にもないようである︶︑霞紀や霊異紀と同様の形式を︑六朝小説類に若千見出すことができる︒ 10臣嘗夜昼︒見一二童子脚︒青衣︒持二繕忌数寸一与レ臣︒匿   問之︒用レ此何為︒ ︵宗慧・上表臥病︒全宋文二十一︶  O簸レ山見二一小児翻︒問之︒孔子︒︵襲慶・鬼遣方序・全艦文   五十七︶  ○即勅外召二班父一︒須興至︒庭中間之︒菅壁画誠里社一︒⁝⁝   ︵二十巻本捜神詑巻四︶  ○遂起呼・盲信之︒先来者誰︒ ︵同右巻十九︶  O其人便往︒有頃還︒.留者聞之︒是何等名子阿︒︵同右︶  ○俄闘二往者還︸︒門内者問之︒見二才児一助當幾磯︒︵幽明録轡   古小説鉤沈三六三頁︶  ○忽有二一老公一︒卑賎レ直言︒因問之︒此城前名︒ ︵述異詑◎   同右三〇三頁︶  ○璃短不レ及二上層一︒取レ剣黙黙︒問之︒子何得也︒︵録聴診

一二

(7)

   ・伺右五ご八頁︶

  ○峯迎問之︒有乎︵芝葺伝・唐宋伝奇集︶

 2 其夜馬有レ人割習︒吾将レ祐レ汝︒︵二十巻本色神霊巻四︶

 3 中言撫レ琴而哩諸︒君是何人︒ ︵葡氏霊鬼窟・古小説鉤沈三

   一二頁︶

 4 雷孔章来訪レ華︒華以二書生一白之︒此必妖異︒ ︵張華・は書生

   の話をして﹁⁝⁝﹂と言うと︑八巻開戸神戸個計︶

 5 主上甚驚即喚一一三一學︒親自勘問q卿在レ路何因有二此妖惟一︒

   崇斎創建︒距實不レ知︒ ︵石山静蔵本金剛波若経集験甜・

   古典保存☆複製本七オ三︶

 これらの例中︑1の﹁問之﹂の﹁之﹂は指代性を持っていると思

われるものも多く一その判定の閑難なことはいうまでもない1

四字の整句をなすもの︑間接疑問句のものもあって︑その簡略な・文

体と共に先にあげた霊異配の例に符号し︑共通の性堵を示してい

る︒又︑文末に助字をとっている例は︑これを閥接引用句と見るこ    一11噌ともできまい︒宗慰の上喪文もその内容は小説のそれに類し︑鬼週

方は早く散逸した志望の害と伝えられていみ︒この﹁問之﹂の形

は︑時代が下った敦煤変文典︵太子成道経・八相変︶や︑口語的性格をその文体に示してい評救説麩害喩経︵病人轡型肉蝿・倒

濯喩︶などにも散在するもので︑形の上では︑書わば﹁日﹂字を省

略した形式で用いられ︑これら小説類の本文成立の隼代的考証は酉

く措くとして︑六朝以降の所謂俗語丈脈のスタイルの一端として味

えることができるであろう︒書紀や霊異紀の例が︑これらと同じ形

を示しているものもあ惹ことよりすると︑両者の間に︑用字上の共 ニニ

通的な基盤を考えることが可能であると思われる︒唐代以降愛用さ

れた類書﹁初学記﹂に次のような例が見える︒

  型置書日︒楚王十二風胡子幽︒令レ之二呉越一︒見二艶冶子千

  将一℃使レ之為二鉄剣三枚一︒ 一日竜泉︒二日太阿︒三日工市︒

  楚王酬馴矧︒何謂二竜泉太阿工市一︒風胡子対日⁝⁝︵下略︶⁝⁝

  ︵巻二十二剣第二︶この﹁問之﹂の﹁之﹂は四字句を成し︑指代性を持つものとは考え

られるが︑原典のこの部分は︑

  楚野臥二風胡子一︒而問・七日︒寡人聞呉有二干将一︒越一嵩欧冶

  子一︒此二人一世而生︒天τ木騨一一囎︒糟誠上通︒天下為島烈

  士一︒⁝⁝︵中略︶⁝畢﹁成︒風胡子奏一墨染王一︐楚王見二此

  三一酒精神一︒大悦二風胡子噌︒問之日︒此三三何物︒所・象其

  名馬レ何︒風胡子対日⁝⁝︵越絶轡巻十﹁︑四部叢刊所収明鍵

  柏堂刊本による︶

右の如くであって︑初学記に普通の︑原典の簡略化が行われており

(「?W要事並嬰文﹂大唐新語九︶︑問題と七ている﹁問本日﹂から

﹁問之﹂への一例をここにも見出せると思われる︒童幼の綴文の手

引たる本書の性格と︑その時代性が考えられる︒4の﹁臼之﹂は︑

古事記の如く待遇関係を表示する用法のそれではない︒この﹁之﹂

は指代性を持つことが考えられ︑・叉︑説話中の虫人公︑張華︑欝線

量は同鰍でもある︒しかし形としてはあげるに足る例であろう・但

し八巻本則神記の本文はその成立に僻賦性を欠く所がある︒俺にあ

げた霊異認の例も︑その意味では岡様で︑﹁白之﹂﹁詔之﹂の例が       ハめレ見える下巻の第三十八縁はその成立に疑義があって︒︐十分なる例証

とされない憾がある︒5字置云之﹂は甚だ特異な例である︒中国の

(8)

文献でも︑発話を示す﹁云﹂の語が更に助字﹁之﹂を伴って会話に

上接する形は︑管見によれば類例がない︒周知の如く︑唐孟献忠撰

する所の金剛浦郷経集願記ば︑日本霊異記の粉誰として用いられた

もので︑早くより将来していたことが知られている︒文辞の上で︑霊

異記と共通の性質を示すのは当然のことながら︑この金剛波門経集

験記に﹁云之﹂の例が見えることは︑孤例とはいえ︑前掲した古事

記の﹁認日之﹂の﹁之﹂の用法に全く照遇している点において貴重

な例と思われる・これは﹁之﹂の助字的機能の拡張的を用法として

使用されたもので︑共に︑六朝以降の俗語流スタイルの口吻をその

行丈にそのままに伝えるものではあるまいか︑大日車続蔵経に収め

る圃書の板本の水文には︑轟該箇所は﹁崇一答曇﹂と四字句になっているが︑後人のさかしらによるのかも知れない︒複製本に見る﹁云之﹂は︑亙に全く寧体を異にし︑﹁云﹂の術とも思えないからで

ある︒ 以上の例に明らかな如く︑古一日の﹁之﹂を伴う会話引用で﹁白

・周回・澗∵告・請・一周・認日﹂03嚇詞は︑用例としては︑轡紀︒

灘與記を通して︑六朝以降の俗藩・文脈へつながる可能性を持つようである︒個性的な用字でほあろが︑形としては﹁詔之﹂も古に準じ

て考え・12れよう. ﹁U之H﹂の⁝通常のスタイルが︑俗耳脈で﹁口H﹂

宇や欠いた形でも周いられ︑叉︑﹁之﹂字の指代馬が稀薄になっ

て︑句宋助学の﹁永しが一般に多用されてもゆく︑いわば同時代的

な言辮の流れが︑古事記筆録者の用字意識の背景として存在してい

たことを看禍するわけにはいかないであろう.と同時に︑その多数

の事例1それは内外の文献に類例や見ないlfや示している事実

によって︑異事記篭拙者の特出な筆致を知るべきである︒

 古事記において会話に上接する動詞が﹁者﹂を伴っている例は︑﹁紹﹂︵上2・中3︹細別者を含むU.・下3︶﹁臼﹂︵中1・下

1︶﹁告﹂ ︵上1︶﹁寛﹂ ︵中1︶の動罰に見え︑待遇関係を表示

している語に限っていて︑﹁之﹂の場合と全く等しい︒諸家によっ

て既に︑﹁之﹂字に準じて考えるべきものであることが指摘されて

いる︒ここでは︑古事紀以外の文献に︑全く類例を見出し難い事実

が問題となろう︒因みに︑紀中における﹁者﹂の停頓の語気.詞の用

法は︑提示の用法として︑

  O故阿治志卜書日子根神判念而飛去之時︑共俳恩讐高比売命

   思レ顕二其御名一意歌日︒︵上四一一ウ八︶

  0僕者将レ降雪東之間︑子駆出︒︵上四七三五︶

のような例も見えている︒右の二例は︑.今日まで例外なく自注

﹁ハ﹂と訓んできたものであるが︑いずれも連用修飾格に立つ名調

句で︑阿治志貴高日子根神.︒僕の籍は︑︾︑れそれの句中における主

繕であって︑この﹁渚﹂を﹁ハ﹂と勤めないのば肉明のことであ

る︒不誠のままで然るべく︑訓むとすれば︑日牢古典全轡本に前者

を﹁ノ﹂︑後者を﹁ガ﹂と亡んでいるのに準ずべきである︒ここ

で︑﹁者﹂の語気詞としての用法が︑不時の文事として︑上巻の国

語的文脈の中でも用いられていることが注意される︒

 こ.の﹁者﹂を直接叙法に用いた例は︑中国の・叉献を禽めて︑宵⁝畢

記以外の他の文献に︑その形が見えないようであるが︑敢えて臆測

することが許されるならば︑やはり中国の最密文脈の単字的背景が

二三

(9)

考えられる︒

 ﹁之﹂も﹁者﹂も︑その薄母は同じ照母に属する文字であるが︑

その母音の変化は︑上古音から中古音にかけて︑

  之−o←19←i

  者 短←.18−m

のように推定されている︒しかして︑中古における﹁之﹂と﹁者﹂

の相適について︑王力氏は次のように述べている︒

  之と者は同じく早薬に属しf︑いる︒口語と文語の読欝音の分離

 が始まってから︑﹁之﹂字の口無音は中古に至るや︑・文語の﹁者﹂

 の音と相混じてしまうようになったので︵齊調は僅かに異なる︶︑      ︵鎚︶ ﹁者﹂字を借りて表示が行われるようになった︒

これは︑﹁遣﹂の発蝕についての推定としイ︑述べられたものの一

部であるが︑中古語において︑口語的蓑現では・︑音声的な面でも

﹁之﹂﹁者﹂の交替が薄雲であったことを示している︒上代におけ

﹁之﹂﹁者﹂の相通︑就中︑古事記の藤接叙法における﹁之﹂﹁者﹂

の相通には︑助字の機能としての両者の共遍性も勿論であるが一

それは既に多く説かれてもいるf︑要には︑王力氏の述べるが如

き漢土における口語的な嚢現が︑その言語的な背景をなしていたも

のとも想像される︒

古事紀には︑い︑の尊属に関して︑上代の文献にはあまり見えない

いくつかの特殊な語法が存しているが︑モれらの語学的な検討は更

に‡文柑評に資することが予想される︒前述の﹁之﹂﹁者﹂を伴う 二四

直叙様式について一例をあげよう︒

 古事記において多用されている接続の助字﹁爾﹂は諸家に説があ

って・その出自が宋だ不明なことは周知の事実である︒上宮記逸文.

・播磨国風土記・日本霊異記にもその例が敬在し︑年代の決定に確

証を欠く憾はあるが︑古事記においては最も基‡的な用字であるζ

とはいうまでもない︒この﹁爾﹂が会話に上接する句に冠せられてい

るものは︑上巻五三・中巻三六・下巻一六を数えるが︑そのうち︑

□之・口者の引用形式と共存するものは上巻九︒中巻六・下巻一二

で︑口之・口者の用字が﹁於是﹂を冠している場合の例と箔︑の数を

相半ばする︒しかも︑

  0爾間賜之︑汝等者諸︒ ︵上二ごオ八︶

  ○爾答臼之︑亘理不炉得﹁白︒孝子八重言路主神降下レ白︵下

   略︶ ︵上四四オ六︶

  ○爾答白之︑僕子等二神随ゲ白︒僕臆面レ違︒︵下略︶ ︵上四

   五ウニ︶

  ○爾喚嬉野之︑汝者誰也︒︵中置ウ六︶

  ○爾天墨斑賜之︑偉者誰子也︒ ︵中二ニオ七︶

  ○爾天要望之︑吾殆見レ欺乎︒︵中二九ウ︸︶

  ○爾具請之︑今如レ此雷教之大神者︑欲レ知二其御名一︒ ︵紅斑

   剛オ六︶

  O爾言藩臼之︑恐随γ命易奉︒︵中五四オ九︶

  ○爾大日下口四拝白之︑下塗レ有二如ド此大命一︒︵下一一一一オ七︶

  ○爾令レ詔智︑汝不レ嫁γ夫︒今将レ難病︑還二坐臥一レ宮︒︵下

   二八オご︶

(10)

右の例に明らかな如く︑或いは主語を略し︑四・五字の句に撮する

ものが多く︑その形式の基沸的な用宇によるものであることを思わ

せるに足る︒又︑

  故爾伊邪那岐命瓦之︵下略︶ ︵上燗オ九︶

と﹁故爾﹂を冠した例も見える︒今︑詳細にわたることは避けざる

を得ないが︑紀中︑この﹁故爾﹂の語は︑上巻に二〇︑中巻に八とその所在を偏して衰われ︑しかも︑上巻では︑藻原中国平定より天孫

降臨の条にかけてての半数が集中し︑中巻は神武紀に集暫しイ︑六

例︑鍛竹記倭建命策伐の条に二例を見る︒即ち︑口調的スタイルを持

つ交野を主とする段平に偏在していろのである︒神武紀・景行記同

条の一部が︑中巻の他の部分に比して︑殊憂に国語文脈の文章を含

んでいるのは顕著な寮実であって︑﹁故爾﹂がそのスタイルの一端

を示す用語であることは疑えない︒このことは﹁於匙﹂ ﹁是丈﹂の所謂承上連詞で︑やはり﹁故﹂を上接している﹁故於是﹂ ﹁故是

以﹂の事例が︑上巻五︑中巻二︵神武記一︑仲筆記﹁故是以新羅国者定二御馬甘一︒百済国者常二渡屯家一﹂︶と偏在して︑その殆ど      ︵15︶が︑説明的︑挿入的な文輩より成っていることよりも諾われる︒同

様の例が︑上代の文献では宣命にのみ続出することもここで想起さ

れよう︒その意味では︑古事紀の基本的な用字を検するに当って︑

この﹁年強f日之﹂の形を蒋過する訳にはいかない︒したがっ

て︑神田秀上く氏が試みられた︑

  ○故爾伊州那岐命詔之︵下略︶

  ○爾問賜之︑汝等者誰︒︵傍線内は飛鳥層︑傍線外は白鳳層︶      ハめり右のような木理批評の方法の結果は︑﹁用字法﹂の上からは容易に

認めることが閑難となろう︒  薗接叙法で動詞が引用句の首罵に呼応している購例はあらためてあげるまでもないが︑口之・口者の形武に関しては︑首尾呼応の勢位に動詞を欠き﹁而﹂を伴って中止法として後続する形式︑﹁動詞+引用語旬+而﹂の場合も例になる︒この形式は上代の他の軽四に        ︵17鼎見えないものであるが︑口之・口者の引用を茅・の首位に置くものは  ○於ド是詔之︑上瀬二瀬速︑下瀬奢︵瀬︶弱而︑野馬二中瀬一軒   迦豆本而藤時︑︵上一ニゥ一︶

  

寢K到二七須賀甦畷.血日地藷之︑葉二月塾︑我御心

   須賀須賀斯而︑其地作レ宮坐︒︵上二四オ三︶

  ○於レ楽天豊門二其御子之建荒之情一而詔之︑四方有一⁝熊曽建二

   人一︒︵中略︶故取二其人簿一日遺︒︵中三八一三︶

  ○爾令・詔者︑汝不F嫁レ夫︒今将い喚而︑還二月於フ宮︒︵下

   二八睡眠︶

右の如くである︒記中︑同形式の引用を動詞毎に整理すると︑

  認〜而︵上2・中3︶︑日〜而︵中1・下3︶︑謂i云〜而

  ︵上1︶︑︐謂〜而︵中1︶︑云〜而︵中1︶︑言〜而︵中1︶

のように略示できるが︑この特殊な引用形式においても︑﹁詔之・

詔者﹂の語が﹁沼2而﹂の場倉に次いで見られることは注意されて

よい︒需わばこの碗形式は﹁詔﹂字において︑その基本型を示して

いるのである︒したがってここでも︑

○於・是謂之︑上瀬者瀬速︑下瀬者︵瀬︶藤棚︑初於二中瀬一塵

 迦豆伎而諜時︑

○爾到二士饗敵轟躍些而望︑吾劉此塾︑我御心須

 賀須賀斯而︑其地作レ宮坐︑ ︵傍線内は飛鳥層︑傍線外は白

一一

(11)

  魚層︶       ︑18︶右のような本文掛評の結果については︑艶︑の形式︑用字法の上から

も従うことができなくなる︒

 首尾呼応の形で︑殊に興味深いのは次の叫例である︒

  爾韓白之︑僕子等二紳随・白︒僕之不レ違︒︵中略︶即下重事代馬

  身為二神之御尾前一驚︑仕益者︑違尊者非也︒如ド此之白而︑乃

  隠山世︵上四玉ウ〜⁝四山パオ︶

﹁白之﹂の呼応が﹁如炉此之白菊﹂の語句によって代麗されている

形である︒記申︑所謂漢訳仏典のスタイルをとった﹁如ヒ此白︵動

詞︶而﹂の呼応は数多く殊更あげるまでもないが︑ここで注意され         るのは︑﹁如・此之白下﹂と﹁之﹂宇を添えている用字法について

である︒同じ例は他に︑

  ○爾伊邪那岐命詔︑然者国語レ汝行二麺是天兄御柱一驚為一一美神

  

@能麻具波些殿綾−如・此之期︑︵下略︶︵上三オニ︶

・髭男婁讐陽獄契御酒^鳴丘鷹纏御歌日.

   ︵中略︶如・此之歌幸行時︑︵中六三訂九︶

上巻と中巻に見えている︒従来この﹁之﹂について特に取りあげて

論じたものはないのであるが︑﹁如此﹂の語が動詞に上接して副詞      の︵カク︶に用いられる場合︑﹁如此之+動詞﹂と﹁之﹂を贈っ

た形は︑上代の文献では古事㍊を除いイ︑他に類例がないのである︒

中国の語法轡では︑早く馬氏丈通に︑ ﹁以黒蓋彼︑用力如此︑蓋

一統若下之難也﹂ ︵史秦楚之朝月序︶︑﹁示天下重器︑王者大統︑伝

天下定期之難也﹂︵史伯夷列伝y︑﹁破八郷敵︑如彼無難也︒︵中

略︶威儀寒寒︑如此之備也﹂ ︵漢飼奴伝︶の例をあげて説くところ        二六  ︵20︶があり︑叉︑上代の我が文献にも︑副詞が﹁之﹂を伴っている語例       ︵21︾は既に指摘されてもいて︑更吉窮記で﹁如此之+動詞﹂の例を見ることは当然考えられるのであるが︑馬氏文通の例は所謂静寧︵形容詞︶      ︵.22︶に冠した定型の常套句であって︑燭建忠の云う動字︵動詞︶について︑しかも古事記の如く中止法鮒に用いられているものは︑管見の及ぶ範囲では︑漢訳仏典︵維摩通経︑法華経︑合部金光明経︑金光明最勝王経︑金剛般若経︶漢書︑世説新語︑六朝小説類︵古小説鉤沈所収のもの等︶︑敦燥変文集などに見ることはできなかった︒古事記の場合ば︑芝之の﹁之﹂と同様︑六朝以降助宇を多用してゆく漁彼のスタイルの影響による︑ ﹁之﹂の介制の用法に手慣れた用字と解することができるが︑三例を数えることができるのは︑特定の筆録者の筆致を思わせるに十分である︵神田秀夫氏によれば岐美二神結婚の条の例は白鳳層であり︑大国主神国譲りの条の例は飛鳥簡というようなことになるが︶︒就中︑岐美二神結婚の条の引用旬申・に見える﹁然者﹂は︑上代の文献では古嚢紀︵九例︶︑出雲国風土記︵一例・嶋根郡・但し倉野本は﹁者しを欠き存疑のもの︶にのみ用いられた国語流表紀に基づいた接続詞であり︵日本霊異詑では下       ︵23︶廿蜀魂にご例ある︶︑漢語の﹁蝋引﹂が用いられていないのは︑古慕記で﹁則﹂字が用いられていないという統噌鮒な用字法の薯実を反映しているのである︒ここにも特定の筆録者の簗致を思わせるものがある︒︑叉︑中巻の例は古事記常套の﹁此之御世﹂の語で始まる帝紀的記事−新羅人渡来︑.百済国朝貢︑姦物将来一に︑帰化人伝承︵須難事埋の造酒歌︶︑.諺︵堅石避二酔人一︶を後続して一章

を成している段で︑筆録春の書癖が資料編集の際にたまたまその婆

(12)

を残したと解することが可能である︒ここに︑□之の引用と︑﹁如      む   り    リロ此此跳動調﹂の﹁之﹂の用例と︑共に両様に特定な用字の習習を知

るべきである︒

 ﹁之﹂の特殊な用法に関連しイ︑今一つ例をあげると︑﹁芸者也﹂

の指定の場倫がある︒

  於﹁是諮神三思金神答二白可一γ遣二艦名鳴女一時舳馴岡︑汝行間二

  天長日子一曲蔚︑汝所三以使二瀧原罪国一者︑言二趣和其国之荒

  撮神等一之者也︒何肇三十八館.一︑不二復奏一︒ ︵上四〇ウ︶

右の﹁之者也﹂の指定の用字法が繋止記独自のもので︑他の交献

においてその類例を見ないことは福聞良輔先生の早く御指摘になつ    ︵聾︶たところで︑﹁詔之﹂の引用形式を伴っている点を注意したい︒

 以上︑﹁之﹂﹁者﹂を律う蟻蜂様式の語法約詮索︑及びその形式

と特定の用字法を有する語との関係︑い.曳の分布について︑二一二触れ

イ︑みたが︑古山鍋寵における基本的な⁝幽妙︑用字の検討には以上の如

き手続が最小限不可欠であろう︒閃みに︑安萬侶はその精緻を尽く

した下交の中田︑︑

  於・是天駆詔之︑朕聞︑諸象之所・野帝紀及本辞︑既墾二正

  実一︑多加冠虚偽削︒

と.﹁詔之﹂の語を用いて四字句を成しているが︑これを本文の文辞

に影響され充偶然の平めのものと解せないことは前述したぎころで

明らかであろう︒十分に手慣れた特定の筆録者の簗致であるごと忍

示している︒旧交辞を舎み︑又︑記紀よりその文をなすことの多い

先代旧事本紀において﹁之﹂﹁者﹂を伴う直叙様式が一例も見当ら

ないことも参考になる︒︵概本霊異認下巻三十八縁の﹁白斑﹂﹁紹 之しもその成立にからんで再検討せねばならない︶︒ 古事記の本文批評において︑用語用字の糟学的検討の結果をi

就中︑その基本的にしてしかも特殊な形を示しているものの一整

理することはその資するところ少からぬものが考えられギ従来の研

究には︑この点において未だ闘題もあるように思われるが︑これに

層ついブ︑詳しくは稿を改めねばならない︒今は︑﹁之−﹃者﹂を伴う礁叙様式に︑神田蒋一郎博士︑小島慧之博士によって夙に指摘されてい

る六朝以降の俗語流漢文スタイルの反映が見られることを漁彼の用

例について検し︑古習紀誠文化の諺語藁囲鼠について記してみた︒

       ︵一九六四・五︒μ囚︶

①三矢重松博士﹁古事記に於ける特殊なる筆法の研究﹂六一・六一唖

 頁

 安藤正次馬﹁古事認行文の一研究﹂ ﹃聖典と古語﹄所収二八二・

 二八三頁

②﹁古票記における会話引用i白︑︐奏︑詔︑告の用宇法i﹂古

 事記館.報口昭和三十年噌月

③注②三二・三五・三九・四二・四四頁︒小働懲之博士は︑仏典の

  ﹁白⁝⁝言しなどの省略や応用かとされる.﹁上代臼軍交学と中

 国文脚ず 上﹂第四童・﹁古事紀の文学性﹂ 一一山ハ四頁

④上皮の動詞にまとめたのは便宜によるもので︑璽心するものはい

 ずれか一方に属した︒﹁白﹂﹁日﹂の異同例については主として

 古賀精二氏﹁古事記の﹃白﹄ ﹃日﹄両宇についてし国語国・文昭和.

 二十九年八月により︑校異の結果はすべて省略する︒上35は上巻

二七

(13)

 に三十五例見えることを示す︒

⑤注②四四頁

⑥福田良輔先生﹁書紀に見えてみる﹃之﹄字について﹂ ﹃古.代語文

 ノ!卜﹄所収一二九頁

⑦注①﹁古馨紀行交の一研究﹂二八二・二八三頁

⑥﹁上代日本交学と中国交学上﹂四五六︒四五七頁⑨﹁日本書紀の文章1一神代紀を中心としてi﹂国語国文昭和三 十五年五月︒一ご7二四頁︒注③四ご五・四二七頁

⑩鮎貝房之進氏﹁雑孜﹂第六輯上一端ウ

 小倉進平博士﹁郷歌及び礎読の研究﹂京城帝国夫学法交学部紀要 第一︑四四三頁

⑳呂叔湘氏﹁中国交法要略﹂二九四頁

⑬亭号醇氏﹁百喩経における﹃於﹄ ﹃鹸﹄ ﹃他﹄のつかいかた﹂中 国語学一一二号

⑱禽野惣司博士﹁日本霊異記について﹂﹁再び日本霊異認につい

 て﹂ ﹃古典と上代精神﹄.所収

⑭王力氏﹁漢語史稿﹂上冊七七頁︒同上中冊﹁比較近理的推測応該

 慰由指示代詞〃之〃字転変而来︒・〃之〃和〃者〃同属照母︒直面

 口語和文雷読音的分道揚鍍㌣.之宇毒口語音凝望中古︑和文言

 的.者音相混了︵欝昌盛異﹀︑就有人借者宇表示︒・但是.︑許

 多人覚得.者字並非車字︑所以叉写作遮﹂三ご0頁

⑬漢文で承上連詞に﹁故﹂を冠するのは︑四六交でも﹁朕永惟祖考遺

 士心︒思在鯉羅唱糧U四海︒率ふ山同等︒故妥救臓六師︒耀威梁益︒﹂ ︵陳留

 王︑策命蜀後睾︑全三国文←二︶の如きものはあるが︑﹁是認﹂

 ﹁於暴﹂の場合はなかなか見ることができない︒呂叔湘氏は﹁文 二八

 言又常常在後果小句用﹃是以﹄︑ ﹃要領﹄等詞語︑作用和﹃是

 故﹄.︑﹃以故﹄︑不用﹃故﹄字︑而用﹃暴﹄︑.﹃此﹄等価代表上面

 所説原因或理由﹂と説いている︒﹁中国文法要略﹂四〇三頁

⑯日本古典全書解説U五二頁︒同条本文

 ﹁古寡記の構造﹂九五〜噌〇三頁

⑰日本轡紀に︑

         の      の  髪河辺臣案p剣日︑雷神無レ犯譜人夫鼎︒當傷二我身﹄︒而仰待

  之︒︵推古廿六年戊寅︑巻和訓ノ二五入頁︶      の例が見えるが︑これは漢文の句法にならったもので︑﹁発日︑       終回ア以二天下之病一而利中一人上︒而卒授レ舜以二天下こ ︵史記

 五帝本紀︶などの例に同じい︒古事記の国語交脈に用いられたも

 のは︑嵐接叙法の首尾呼応における皇位の動座の省略と考えられ

 るものであり︑﹁而即︵乃︶⁝⁝﹂という後続の形をとったもの

 があることよりもそれは諾われる︒

 安藤正次氏﹁上代における直接叙法について﹂国語国交昭和十繍二

 年八月参照

⑱臼木古典全書同条本文

⑲倉野憲司博士校注の日本古典交学火系・岩波文庫の本文は﹁如p

 此歌幸行時﹂と﹁之﹂を欠くが︑諸本に異同なく︑同書の誤植で

 あろうか︒

⑳馬氏交通巻筆︑中華書図版章罵言校注本三唱五頁

⑳注⑥一.=ハ〜一二一頁︒注⑦二八六頁

⑱戦艦忠はこの例を﹁以介於黒字名字之閥﹂としてあげているが︑

 楊焼結の刊誤に﹁名字しは﹁宍粟﹂に作るべきことを言い︵注

(14)

 ⑳︶︑王力氏は﹁代字﹂を﹁状語﹂に訂すべきことを指摘してい

 て︵漢語史稿中冊三三五頁︶︑勿論それによるべきである︒

⑱平安以降の古文嘗では頻出する語であるが︑天平宝字四年三月丸

 部足人解.の

  警部足人頓々々々死罪々々謹解 申尊者御足下

   足人正身常御馬従陣詩思︑然有不令依生江臣古万呂御産業所

   他人使置足人安人等︑翻郡司取放雑役令駈早言無假︑加以

   阿支署城米綱丁直入︑由此京米不持参上馬働具注仁平︑読物

   部安人︑

   早々々々︑死罪々々︑謹解

         天平宝字四年三月十九H丸部足人愁状

       ︵大監本古交書廿五巻二六九頁︶

 の例が︑古文書では初出のものであろう︒国語流交体の文章の中

 で﹁然﹂と﹁然者﹂を逆・順に使いわけているのは︑古事記にお

 けると同様の用法で︑一︑の用字意識︑時代性に注目される

愈・野面良輔先生﹁古代語文ノート﹂一三〇︒二七七頁

附記 本稿は昭和三十六年五月二十一日九大国語国文学会総量にお

  いて発表したものを補筆改稿したものである︒

瀬古確著﹃太宰府圏の歌一万葉の国筑紫1﹄

 長年熊・本で万葉を講じておられる瀬古確博士の近著︒太宰府を中

心とした九州と万葉集の関係︑九州の万葉歌枕についての諸論をまとめてある︒内容は︑1﹁太宰府圏の歌﹂2﹁太宰府圏の歌︵其

の二︶一旅人と偲良一﹂3﹁夕居る雲−朽網山の歌に就いてi﹂4﹁﹃隼人の薩摩の迫門﹄の歌﹂5﹁﹃託麻野﹄の歌﹂

6﹁九州の万葉歌枕を訪ねて﹂ ︵一︶〜︵四︶の九章に︑和歌初句

索引・地名索引を附す︒

 1は︑太宰府圏の歌の特色を︑﹁ひな﹂における宮人の﹁みや

こ﹂㈲な風流の所出にあることを指摘し︑風土との関係を論じてい

る︒2は︑旅人における﹁みやこ﹂へ.の志向・﹁みやび﹂.の態度

を︑梅花敵三十二酋・員外思故郷歌凝塊・後追和梅歌四首の構成・

作歌に見︑連作の三法に及ぶ︒叉︑憶良の七夕歌十二首の連作︑

﹁世の中﹂の発想にみる特異性を対比させ︑両者の関係を論じでい

る︒3︑4は︑表題の歌についての吟味︒5は︑.阿蘇地方に現在で

も紫草が自生することを報告して︑託麻野肥後説を述べる︒6は水

島・糸島より唐津・太宰府・野坂の浦等の歌枕散歩である︒いずれ

も豊富な歌の引用があり︑その簡潔な丈体と共に︑九州万葉の研究

・案内として好個なる書である︒巻頭にあげる航空写真は貴重で︑

井上寿一画伯の水彩画と共に楽しい︒︵昭和三十九年四月五日︑南雲堂桜楓社刊︒B6判︑一=二頁︑七八O円︒︶ ︵原口 裕︶

二九

参照

関連したドキュメント

[r]

StAX を使うと 状態の保持が楽 読み飛ばしが簡単 XML のドキュメント生成が可能 Mustang では

(2) 図面(①、②に該当する道路を明示すること) 新築 改築道路 主な周辺道路 主な周辺道路 朝妻筑摩近江線

[r]

[r]

■第8分野─文化・教養関係

> PCI Subsystem Settings ■PCI Subsystem Settingsサブメニューへ > Trusted Computing* ■ Trusted Computeingサブメニューへ > CPU Configuration