第三章 共和党保守派の反発の様相-対中 MFN から外交・内政全般まで
序 第 101 議会では、中国人留学生ビザ延長問題が主要な争点となったが、第 102 議会(1991~1992 年)においては、対中最恵国待遇(MFN)供与に際して、人権、 兵器拡散、貿易の各分野の改善を条件として付与する動きが見られるようになる。 「1991 年米中法案(H.R.2212)」、「1992 年米中法案(H.R.5318)」といった法案は、 そうした議会の意図を具現化したものであった。中国人留学生へのビザ更新問題 は米国の移民政策に関わるテーマであり、MFN 供与は貿易分野に属する問題で ある。それらの移民及び貿易の領域は、いずれも議会がブッシュ政権の対中政策 に対して直接的な影響力を与えることができる分野であった1。 しかし、議会による大統領の外交特権への浸食及び対中 MFN への条件付与の 法制化により米中関係に悪影響が及ぶことを回避したいブッシュ政権は、両法案 に拒否権を行使する。上の二法案はいずれも民主党の下院議員が提出した法案で あったが、ヘルムズ上院議員ら共和党内でも最も保守的傾向が強い議員は、第 101 議会における投票行動同様、それらの法案に賛成票を投じ、ブッシュ政権への反 意を示し続けていった。 また、第 101 議会、第 102 議会を通じ、対中非難決議やブッシュ政権に対中強 硬姿勢を求める法案を多数提出し、賛成票を投じ続けた共和党議員の大半は、概 して(特に社会的争点を巡り)保守的傾向の強い議員であった。さらに、それら 対中強硬姿勢を示し続けた共和党保守派議員は、ブッシュ政権が実施した穏健的 な経済、環境などの国内政策に対しても、徹底的に反発していたのである。同時 に、ニューライト系の保守主義運動家ら“内政における保守”も、ブッシュ政権 の対外政策に対し、揃って痛烈な批判を浴びせたのだった。 そのような対中強硬派議員のブッシュ政権の対中政策に対する反発、保守派の ブッシュ政権の内外政に対する批判は、何を原動力とするものだったのだろうか。 さらに、ブッシュ政権の内政に異議を唱えた保守派は、どのような対中姿勢を示 していたのだろうか。本章は、議員の投票行動及び公聴会における発言、内政保 守の言動等を通じて上に示した問いに対する答えを模索し、本稿の問題関心であ る「内政と外交の連関性」の所在を明らかにする上での手掛かりを模索するもの である。第一節 対中 MFN 供与を巡る議論と共和党保守派の反乱 第一項 1991 年米中法案(H.R. 2212) [下院:1991 年米中法案を支持した共和党議員] 1991 年初頭の湾岸戦争が一段落したことで議会の中国問題への関心が再び高 まる中、中国の人権状況が大きく改善された形跡も見られず、貿易・兵器拡散の 分野で米中間に新たな争点が浮上したことで、議会側の不満は強まっていく。そ うした状況下にあって、議会は行政府の対中政策の変更を求め、ブッシュ政権の 意図とは裏腹に、対中 MFN を標的にし始める2。議会側の意図は、5 月末の対中 最恵国待遇(MFN)更新期を前に、MFN に「人権侵害、不公正貿易及び兵器拡 散の分野での改善」という条件を付与することで、中国政府に圧力をかけること にあった。 上の目的に基づき、民主党のペロシ下院議員は 1991 年 5 月 2 日、150 人の下院 議員と共同で、人権、貿易、兵器拡散の各分野で改善が認められない限り、大統 領が 1992 年に対中 MFN 更新を行うことを禁止するとした「1991 年米中法案(H.R. 2212)」を下院歳入委員会に提出する。同法案の共同提出者は 150 人に達してお り(うち共和党議員は 29 名)、1989 年提出のペロシ法案と同様、共和党保守派か ら民主党リベラル派に至る超党派的連携が継続していることを示すものであっ た。この「奇妙な連合」を特徴付ける共同提出者には、共和党から、保守的傾向 の強いコックス、エドワーズ、ソロモン、ウルフ、ローラバッカー、中道寄りの ビーライター(Doug Bereuter, ネブラスカ州)、C・スミス、ウェルドン(Curt Weldon, ペンシルベニア州)、そして穏健的なギルマンが、民主党リベラル派からはボク サー、ラントスらが含まれていた3。特に、コックス、ソロモン、ウルフ、C・ス ミス、ギルマン他 6 名は、ペロシ法案の共同提出者でもあった。 他方、ブッシュ大統領は 5 月 27 日、母校のエール大学で対中 MFN 供与の一年 延長の方針を発表するとともに、その理由を以下のように説明している。 「(MFN の)批判者は、中国を非難するために、MFN を廃止するか、 広範囲にわたる条件を付与して危機にさらせと言う。(中国との)関係 を断絶し、孤立させろと言う。これは主義主張に関わる政策、、、、、、、、、、(a principled policy)であり、道徳的な事柄 、、、、、、
(a moral thing)であると我々 は聞かされてきた。しかし、こうした助言は新しいものではなく、賢 明ではない。米国の最善の利益、、、、、、、、(best interest)に則していない、、、、、、、からで ある。そして、つまるところ、それは高潔で最良の意図からくるもの、、、、、、、、、、、、、、、、、 であるにもかかわらず、道徳的ではない、、、、、、、、、、、、、、、、、、のである」
上のブッシュの説明は、若き日のスコウクロフト大統領補佐官が信奉したH・ モーゲンソーによる、「善良な動機が、それが生み出す政策の道徳的善と政治的 成功を請け負うわけではない」、「一見道義に適った行動でも、その政治的結果が 考慮されなければ政治的道義は存在し得ない」4との主張と重なるものである。さ らにブッシュは以下の通り説明を続けている。 「しかし、MFN 、、、 を更新し中国に関与し続けねばならない最も重要な理 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 由は経済でも戦略でもなく、道徳 、、、、、、、、、、、、、、、 である。自由と民主主義の理念を中 、、、、、、、、、、、、 国に広めるのは正当なこと 、、、、、、、、、、、、 である。(中略)我々が、中国国民との接触 を奨励し貿易を促進する政策を追求すれば、民主的変革のための雰囲 気を作り出す手助けをすることができる」 「この国の外交政策は常に、単なる米国益の表れ以上のもの、即ち米、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 国の理念の延長、、、、、、、(an extension of American ideals)であった。米国の政、、、、 策における道徳的側面、、、、、、、、、、(moral dimension)は、我々に対し、積極的で あり続け、世界に関与し続けるよう求めている。それは多くの場合、 より邪悪、、、、(evils)の少ない世界に道徳的な道筋を記す試み、、、、、、、、、、、、、、、、、、を意味する ものである。実際の世界は白と黒に二分されておらず、道徳的な絶対 的存在(moral absolutes)も極めて稀であり、過ちや困惑の可能性を膨 大に秘めている。しかし、それらは全て、我々が米国の理念を推進、、、、、、、、す る上で進んで引き受ける危険の一部にすぎない」5 この演説で興味深いのは、ブッシュが国益及び経済的観点から対中貿易の継続 の正当性を訴えつつ、「道徳」「理念」レトリックを多用している点であろう。冷 徹な国益至上主義に基づく説明のみでは、民主党はおろか党内保守派議員からの 反発を減ずることはできないとブッシュも認識していたものと推測される。しか し、こうしたブッシュの説明は、対中強硬派議員の前には通用しなかった。 5 月 29 日には、対中 MFN 供与の是非を巡り、下院外交委員会で公聴会が開か れている。同公聴会で最も厳しく中国を糾弾した共和党議員は、人権・国際寄稿 小委員会所属のC・スミスであった。スミスは 4 月に同僚のウルフ下院議員と共 に行った訪中で李鵬首相ら中国指導部と面会したことを明かし、その結果として 「懸念は一層深まった」との感想を述べている。さらにスミスは、中国当局によ るキリスト教聖職者への弾圧、収容所での強制労働による生産品の米国流入の疑 惑を指摘した上で、以下のように語っている。 「中国の強硬派は、過酷な『一人っ子』政策の履行、、、、、、、、、、、、、、のため、子供を持 つはずであった人々に対する強制的人工中絶や他の手段による嫌がら 、、、、、、、、、、、、、、、、、、
せ、、処罰、科料に相当程度依存して、家族に対する攻撃を継続、、、、、、、、、、、し、実 際にそうした攻撃に拍車をかけている。(中略)私は、これは世界史上、、、、 かつてない、女性の権利に対する最も攻撃的な侵害 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 であると考える」6 スミスが胎児の生命や家族の重要性に拘泥する背景には、彼が敬虔なカトリッ クであり、下院入りする前には「ニュージャージー生きる権利委員会(New Jersey Right to Life Committee)」の委員長を 20 代前半にして務めたほどの熱心な中絶反 対派であった点が、大きく影響している。ナショナル・ジャーナル年鑑の採点が 示すスミスの投票歴は彼が中道寄りの保守であることを示しており7、同じ中絶反 対派でもバプティストに属する宗教右派のヘルムズとは宗派も立場も異なる。し かし、中国での強制中絶の糾弾という形で内政上の思想を外交政策に反映させよ うとした点では、ヘルムズら保守派と一致していたといえよう。 また、同公聴会では、より穏健的なギルマンも、中国を孤立させないことが中 国の民主化につながるとのブッシュ政権の説明に異議を唱えた上で、以下のよう に述べ、歴代政権が中国の人権状況を放置してきたことを非難していた。 「我々は既に、文明国に対して我々が要求する倫理的・道徳的基準か、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ら、中国を隔離してきた、、、、、、、、、、、。長年にわたる道徳的・倫理的隔離は、中国、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 の共産主義指導層を大胆にさせてきた、、、、、、、、、、、、、、、、、のである」8 ギルマンは、C・スミスよりも格段に穏健的傾向が強く、特に社会的争点につ いてはリベラルに近い立場をとる。同時に、1973 年の下院入り以来、外交委員会 に籍を置き、台湾との緊密な関係の維持や中国の人権問題に強い関心を寄せてき た9。ギルマンは、穏健派でありながらブッシュ大統領とは異なる対中姿勢をとっ たことで、「進歩主義者」の立場を選んだことになる。 法案は結局、マイケル下院共和党院内総務が賛成票を投じないよう懸命に呼び 掛けていたにもかかわらず、大量の共和党議員が支持に回り、7 月 10 日に賛成 313 対反対 112 という拒否権を覆すに足る大差で可決されている。「MFN を取り 上げることは、中国の指導者を打ち負かすために、中国国民に対して外交的な絨 毯爆撃をするに等しい」というのが、「愛党主義者」マイケルの弁であった10。 [上院:1991 年米中法案への共和党保守派の同調] 上院では 7 月 23 日、ミッチェル民主党院内総務が 6 月 25 日に財政委員会に提 出したほぼ同内容の法案(S.1367)の代替として、修正案を付帯させた上で、ペ ロシ下院議員が提出した「1991 年米中法案(H.R. 2212)」を 55 対 44 で可決した。 なお、ミッチェル法案の共同提出者は 27 名で、うち共和党議員は保守派のワロ ップただ一人であった。
「1991 年米中法案」には、44 人の共和党上院議員のうち 37 人がブッシュの意 向通りに反対票を投じた上、ボーカス(Max Baucus, モンタナ州)ら 7 人の農業 州選出の民主党議員も反対に回ったことから、法案は可決されたとはいえ、投票 結果はブッシュの勝利を意味していた。さらに、賛成 55 票は、大統領拒否権を 覆す 67 票に遠く及ばないことから、ドール上院共和党院内総務も法案の法制化 の可能性はないとの見通しを示している11。 しかし、ここで注目すべきは、賛成票を投じた共和党議員の 6 人である。その うち 5 人はヘルムズ、ガーン、マック、B・スミス、ワロップら極めて保守色が 濃厚な議員であり、残りの一人も中道寄りながら対中 MFN 供与については反対 姿勢をとるダマートであった。さらに、上の 6 人の中で 1990 年 1 月にペロシ法 案に賛成票を投じたのは、ヘルムズとB・スミスのみであった。ただし、B・ス ミスは当時、下院議員として投票していることから、上院議員で一貫して民主党 議員の提出した主要対中政策関連法案を支持し続けたのはヘルムズただ一人と いうことになる。ただし、対中政策、ひいては外交政策に道徳を持ち込もうとす るのは、ヘルムズの専売特許ではない。この点についてワロップは、投票の直前 に行われた審議で、賛成票を投ずる理由を以下のように語っている。 「ある程度、ある時期において、我々は(対中貿易で得られる)単な、、 る経済的利益より先のことを思い描かねばならない、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。(中略)道徳的基、、、、 盤を欠く利潤追求は、明らかに間違ったもの、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、だ。(中略)もしも外交政、、、 策が本当に我々の理念の表れであるならば、いかにして我々は、我々、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 自身の社会を律する基本的な原理原則を促進せずにいられようか?、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」 上のワロップの発言は、前述の、5 月 27 日にブッシュが行った対中 MFN 供与 一年延長の発表の際に用いられた、理念主義的言説の信憑性に疑義を呈したもの であった。それと同時に、ワロップの発言は、彼がヘルムズと同様に、保守派の 「道徳」観念の外交政策への反映を試みた一人だったことを強調するものでもあ ったといえよう。 一方、ヘルムズは、「共産中国」による強制労働生産物の輸出、アルジェリア への核施設建設支援、パキスタンへのミサイル売却、チベット占領、ポル・ポト 派への支援、人権及び民主主義に関する国際的基準の違反を非難した上で、以下 の通り、法案を支持する理由について説明している。 「私は大統領と本件について話し合い、彼は『ジェシー(ヘルムズ) がこの件で賛成しないのは分かっているが・・・』と言いながら、赤い中 国への MFN 供与の正当性を主張した。そして私は反対した。彼が誠 実なのは分かっているが、私は彼が心から間違っていると信ずる、、、、、、、、、、、、、、、、、。そ
うした理由により、私はこの優れた多数党院内総務(ミッチェル)の 法案に賛成票を投じる」
ここであらためて注目しておきたいのが、ヘルムズが中国に対して用いている 呼称である。この公聴会に限らず、ヘルムズが繰り返し用いてきた「共産中国 (Communist China)」ないし「赤い中国(Red China)」との呼称は、ニクソンが 1971 年に対中関係改善プロセスの一環として使用を放棄した国交正常化以前の 蔑称であり、こうした点にも、ヘルムズの一貫した対中強硬姿勢を垣間見ること ができる。 またヘルムズは、「(対中 MFN 供与は)ネビル・チェンバレンのミュンヘン行 きを思い起こさせる。彼はアドルフ・ヒトラーと会談した後で、『ヒトラーは我々 が協力できる男だ』と言ったのだ」とも述べており、またもや「ミュンヘン宥和」 の隠喩を用いている。さらにヘルムズは、「MFN 更新拒否」は、「核保有国・中 国」に対する武力行使に代わる選択肢とまで言い切っている12。 [大統領拒否権行使と共和党議員の反応] その後、10 月 24 日に民主党のロステンカウスキ下院歳入委員長(Dan Rostenkowski, イリノイ州)が、上院の付帯した修正案に異議を唱えて両院協議 会の開催を上院に要求し、28 日に上院が両院協議会開催に応じるという展開を見 せたものの、11 月 26 日には下院で両院協議会報告書(conference report=最終法 案)13が、409 対 21 の圧倒的多数で可決された。 両院協議会報告書は翌 1992 年 2 月 25 日、上院でも 59 対 39 で可決されている。 この時、同報告書に賛成した共和党議員は 9 名に増加していた。前回の投票でも 賛成票を投じたヘルムズ、ガーン、マック、B・スミス、ワロップの保守派 5 人 に、同じく保守派のプレスラー、ロット、中道派のゴートン、穏健派のスペクタ ーの 4 人が加わったのである。投票に際し、ドール上院共和党院内総務は、特に 前回の投票で賛成票を投じたダマート及びガーン、1990 年 1 月にペロシ法案を支 持したコーエンの三議員に対して特に法案を支持しないよう働き掛けていた。ガ ーンは法案支持の態度を変えなかったものの、コーエン及びダマートはドールの 説得を受けて反対に回っている。ただし、ダマートは、中国の人権状況に改善が 見られなければ、再び MFN に条件を付与する法案に賛成票を投ずると警告して いたのだった14。 上院での可決を受け、ブッシュ大統領は 3 月 2 日、「1991 年米中法案」に拒否 権を行使する。ブッシュは記者会見で、拒否権行使の理由を以下の通り説明して いる。 「私の政権は、H.R.2212 の目的を共有している。人権の擁護、大量破
壊兵器拡散の統制、自由かつ公正な貿易は極めて重要な関心事である。 (しかし、)もし我々が中国の指導層に対し、、、、、、、、、、、、、、MFN 、、、 に最後通牒を付帯、、、、、、、、 した形で差し出したら、その結果は(中国と)西側との関係の衰弱と 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 さらなる抑圧をもたらすだけ、、、、、、、、、、、、、だ」 「米国の知的所有権を保護し、ミサイル関連技術輸出規制(MTCR) のガイドラインを順守し、4 月までに核拡散防止条約(NPT)に加盟 するとともに、人権に関する懸念について協議に応ずるとした最近の、、、 中国側による合意は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、私の政権の政策である包括的関与(comprehensive engagement)の明白な達成点 、、、、、、、 である」 「H.R.、、、、2212 、、、、 は中国の、、、、米国企業にとって厳しい障害となり、米国人労働、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 者を不利な立場に追いやり、この国の仕事を除去してしまう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、だろう。 条件付き MFN は、中国にあって西洋志向の近代化している一団に激 しいダメージを与え、香港を弱体化させ、民主主義と経済改革に反対 する者を強化することになるだろう」15 上のブッシュの発言は、ブッシュ政権の対中関与政策が成功しつつあると強調 するとともに、MFN への条件付与は中国当局の硬化をもたらす上に、米中両国 の経済に打撃を与える意味で逆効果と訴えるものである。しかし共和党保守派や 民主党側にすれば、中国当局の硬化を回避するための MFN 供与は「宥和」にほ かならならず、人権侵害が継続されている以上、ブッシュ政権の対中政策が成果 を収めているとの評価は受け入れ難いものであった。 ブッシュによる拒否権行使の発表は奏功せず、下院は 3 月 11 日、やはり圧倒 的多数の 357 対 61 で「1991 年米中法案」を可決し、大統領拒否権を覆すことに 成功する。ただし、この時もマイケル下院共和党院内総務は、ブッシュ政権を擁 護する「愛党主義者」の立場を崩さず、反対に回っている。 下院での投票から一週間後の 3 月 18 日、上院でも採決が行われたが、60 対 38 で大統領拒否権を覆すことには失敗した。下院では圧倒的多数で可決されたもの の、上院では拒否権を覆し得る 67 票に達しないというパターンは、1990 年 1 月 のペロシ法案の場合と同様のものであった。この投票で賛成に回った共和党議員 は、前回の両院協議会報告書への投票時と同様に 9 名であったが、初回の投票で 賛成しながら前回は反対に回ったダマートが再度賛成の立場に戻り、逆に過去二 回の投票で賛成してきたガーンが反対に回っていた。結局、三度にわたる「1991 年米中法案」への投票でいずれも賛成票を投じたのが、ヘルムズを筆頭に、マッ ク、B・スミス、ワロップという極めて保守的色彩が強い議員 4 名であった点は、 内政と外交との関連性を考える上で、非常に興味深い。
第二項 1992 年米中法案(H.R.5318) [1992 年米中法案を支持した共和党議員] 対中 MFN に条件を付与するとの議会側の試みは、1992 年にも続いて見られて いる。大統領が対中 MFN の一年延長を発表する 5 月末に展開される行政府と議 会との間の議論は、もはや年中行事の様相を呈するに至ったのである。 民主党のピーズ下院議員(Donald J. Pease, オハイオ州)が「1992 年米中法案 (H.R.5318)」を提出したのは、ブッシュ大統領が対中 MFN 一年延長の方針を議 会に通知した翌日の 1992 年 6 月 3 日のことであった。なお、このブッシュの MFN 延長の通知は、中国系住民が多いカリフォルニア州での大統領選予備選挙が終了 するのを待って行われたともいわれている16。 法案の内容は「大統領が議会に対し、中国が人権・ミサイル技術移転・不公正 貿易の全分野で改善が見られたと報告しない限り、1993 年 7 月 3 日から 12 ヶ月 間の大統領による対中 MFN 更新を認めない」とするものであった。同法案は、 過去のペロシ法案及び「1991 年米中法案」と同様、共和党保守派と民主党リベラ ル派の「共闘」の産物でもあった。共同提出者は 71 人と 1991 年米中法案の共同 提出者 150 人の半分にも満たないものの、その中には、民主党リベラルのペロシ、 ラントスら、共和党側ではソロモン、コックス、ウルフら保守派、中道的なC・ スミス、ウェルドン、そして穏健派のギルマンが含まれていた17。なお、上記共 和党の 6 議員が 1991 年米中法案の共同提出者でもあった点は、彼らの対中強硬 姿勢の一貫性を示す一要素として、留意しておく必要があろう。 「1992 年米中法案」は 7 月 21 日、下院で 339 対 62 の圧倒的多数で可決されて いるが、マイケル下院共和党院内幹事は、大統領を擁護する立場から、ここでも 反対票を投じている。なお、上院でも同様に、対中 MFN に条件を付与する旨の 上院版「1992 年米中法案(S.2808)」がミッチェル民主党上院院内総務によって 6 月 4 日に提出されていたが、同法案の共同提出者は 20 名で、前年にミッチェル が上院版の「1991 年米中法案(S.1367)」を提出した時と同様、共和党の共同提 出者は保守派のワロップのみであった。同法案は、8 月 4 日に下院版(H.R.5318) に合併されている。 下院版「1992 年米中法案(H.R.5318)」は、9 月 14 日に上院でも修正案を付与 した上で全員一致同意(Unanimous Consent)により可決された。全員一致同意に よる可決は、拒否権行使が覆されるか否か不明な状態でブッシュ大統領が法案を 受け取ることになることから、大統領選挙を秋に控えるブッシュには一層の政治 的圧力が掛かる形となった18。しかも今回は、これまでブッシュの立場を擁護し てきたドール上院共和党院内総務が 9 月 17 日に、中国政府が小麦の輸入再開に 応じない場合、対中 MFN 供与への条件付与に賛成する立場に転向するとの声明 を発していたのである。ドールの声明は、中国側が、米国が台湾に対して F-16
戦闘機を売却したことへの報復措置として、小麦の輸入を停止すると明言したこ とを受けたものであった。ドールの地元であるカンザス州は、これまで小麦の対 中輸出から多大な利益を得ており、一方の中国も、過去数年、米国産小麦のトッ プクラスの輸入国だった19。 [大統領拒否権行使と共和党議員の反応] これに対して、ブッシュ大統領は 9 月 28 日に、拒否権行使を下院に通告する。 ブッシュは下院への通知の中で、中国が MTCR のガイドライン順守を宣言し、 NPT に署名するなど、軍備管理の面で進展が見られたほか、知的所有権の保護及 び奴隷労働による生産品の輸出禁止で米中両国が合意に達したと評価しつつ、不 十分な人権状況の改善が「依然として我々の目標である」と位置付けている。そ の上でブッシュは、「MFN の取消ないし条件付与は、そうした目標を促進するも のではない。H.R.5318 、、、、、、、、 は実行不可能な制約を二国間貿易に課すもの 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 である」と断 じている。その理由は従来の主張通り、MFN への制約が中国の改革を阻害し、 米国民の雇用に損失をもたらすというものであった。また、「MFN は我々の中国 に対する影響力行使の手段である。包括的関与(comprehensive engagement)は、 そうした影響力を建設的な変化にしていくためのプロセスだ」として MFN 供与 延長の正当性を主張した上で、最後は「合衆国の経済及び外交上の利益を守るた、、、、、、、、、、、、、、、、、、 め、私は、、、、H.R.5318 、、、、、、、、 を承認せずに下院に差し戻す、、、、、、、、、、、、、」と結んでいる。ここでも、ブ ッシュは対中関与政策を正当化する根拠として、「国益」を強調していたのだった。 しかし、ペロシ法案(1990 年 1 月)の採決、「1991 年米中法案」の採決と同様、 下院では 9 月 30 日に、「1992 年米中法案」は 345 対 74 という大統領拒否権を覆 すに足る大差で可決された。前回投票に続き、「愛党主義者」の立場を崩さない マイケル下院共和党院内幹事は、反対に回っている。翌日の 10 月 1 日には上院 でも続いて採決が行われたが、賛成 59 対反対 40 で、やはり賛成多数にもかかわ らず大統領の拒否権を覆すに至らなかった。拒否権を覆すため賛成に回る可能性 を示唆していたドールも、最終的にはブッシュを支持する立場に戻り、反対票を 投じていた。他方、賛成票を投じた 59 人の上院議員中、共和党議員は 8 名であ り、その内訳は、ヘルムズ、マック、B・スミス、サーモンド、ワロップら保守 的傾向が非常に強い議員、中道的なダマート及びブラウン(Hank Brown, コロラ ド州)20、穏健派のスペクターらであった。その中で、サーモンドとブラウンを 除く 6 名は、「1991 年米中法案」でも大統領拒否権を覆すための賛成票を投じて いる数少ない共和党議員であり、さらにその中でペロシ法案にも賛成票を投じて いたのはヘルムズのみであった(B・スミスは下院議員として賛成)。この点は、 ヘルムズの対中強硬姿勢が堅固なものであり、一貫したものであることを如実に 物語っている。次項では、第 102 議会でのヘルムズの言動及び同時期におけるニ ューライトの対中政策に係る活動を検討する。
第三項 共和党保守派と対中 MFN [ヘルムズと対中 MFN] 第 101 議会に引き続き、ヘルムズは第 102 議会でも中国での強制労働による生 産品の対米輸出問題に精力的に取り組んでいた。ヘルムズは、1991 年 6 月 25 日 に奴隷労働による生産品の輸入禁止を求める法案(S.1366)を提出したほか21、 二日後の 27 日に上院外交委員会で開催された公聴会でも、中国の強制労働を通 じた不公正貿易、中国による知的所有権違反がもたらす及び貿易不均衡に対して ブッシュ政権が無策であると非難するとともに、MFN 供与自体に反対する主張 を以下のように展開した。 「我々が文明国に対して認めている貿易上の権利と同じものを中国に、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 与えるなどということに、弁護の余地はない、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。(中略)私は共産中国を、、、、、、、、、 野蛮国 、、、 (barbarian country)とみなしている 、、、、、、、 」 「( 、 MFN 、、、 継続は)理解し難い考え 、、、、、、、、、、、 だ。共産主義国家においては、権利 、、、、、、、、、、、、、、 と自由は国家の所有物、、、、、、、、、、である。そして、天安門事件以前の改革の時期、、、、、、、、、、、、、 と、天安門事件以降の抑圧の時期との、、、、、、、、、、、、、、、、、間には、何の差異もない。改革、、、、、、、、、、、、、、 も抑圧も、単に全体主義国家の行動にすぎず、共産中国の指導者が自、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 国民に対してそのようなことができるのは、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 MFN 、、、 による経済的恩恵の 、、、、、、、、、 ため、、である」 「我々には、中国に MFN を与ねばならない義務はない。(中略)赤い、、 中国に野蛮な行為を止めさせる唯一の道は、共産中国の指導者が必要、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 とする金銭を与えないこと、、、、、、、、、、、、だ」 「天安門広場(での出来事)を考えると、社交界で使うような言葉を、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 選ぶことはできない。中国人の少年が戦車に轢かれた光景が今でも目 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 に焼き付いている。、、、、、、、、、こうした(人権)状況に対して何かなされるまで は、中国に対するいかなる類の、、、、、、、、、、、、MFN 、、、 やその他の機嫌取りなど、私に、、、、、、、、、、、、、、 とって単に吐き気を催すもの、、、、、、、、、、、、、(repulsive)にすぎない」 また、この公聴会でヘルムズは、MFN 供与の是非を巡り、証人として呼ばれ たイーグルバーガー国務副長官及び米通商代表部(USTR)のウィリアムス次席 代表(S. Linn Williams)を激しく難詰してもいる。最後には、「米国が対中貿易 を停止しても、カナダや豪州がそれに取って代わり、利益をあげるだけだ」など と理詰めで応じるウィリアムスに対し、ヘルムズは挑発することを諦め、「我々、、
が中国、、、を必要とする以上に、中国が我々を必要としている、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、のだ(They need us more than we need them)。その点をよく考えた方がいい」と言い捨てている22。
中国の奴隷労働問題がヘルムズの道徳心及び地元ノースカロライナ州の利益 双方にとって受け入れ難いものである点については前章で論じた通りであるが、 第 102 議会でヘルムズは、“ブッシュ政権による対中 MFN 供与がもたらす非道徳 性”に非難の矛先を向けていた。その意味で、ヘルムズの対中 MFN 批判は、か つて彼が 1970 年代に展開した対ソ・デタント批判及び対中国交正常化プロセス 批判を想起させるものであった。ヘルムズが示した猛反発の対象が、いずれも共 和党穏健派の政権の下で、共産主義国家に対して進められてきた融和的な政策で あった点は、決して偶然ではないだろう。なお、ヘルムズは翌 1992 年 5 月 6 日 にも、「織物の対米輸出に関する犯罪行為に中国政府高官が関与していないと大 統 領 が 認 定 す る ま で 、 対 中 MFN 供 与 を 一 時 停 止 す る 」 と し た 修 正 案 (S.AMDT.1797)を提出している23。 [内政保守による対中 MFN 批判] 対中 MFN 供与に反対していたのは、当然ながら議会内の保守派ばかりではな い。かつてレーガンを熱烈に支持したニューライト活動家のフィリップス及びヴ ィゲリーは、1991 年 6 月 3 日に開かれた「共産主義に対する救済措置に反対する 納税者連合(Taxpayers Alliance against Bailout of Communism)」結成を告知する記 者会見に出席し、ブッシュ政権の融和的対中政策及び共産主義国家への寛大な姿 勢を痛烈に指弾している。なお、記者会見を主催したのは、保守的ビジネス・リ ーダー1,500 人から成る「合衆国ビジネス産業委員会(United States Business and Industrial Council)」の代表を務めるクリーガン(John P. Cregan)であった。
記者会見では、まずフィリップスが以下のように切り出し、新たな反共主義運 動の展開に向けた意気込みのほどについて語るともに、ブッシュ政権の“容共的” 姿勢を非難している。 「湾岸戦争の当初より、ブッシュ大統領は多くの保守主義者が批判的 なコメントの発信を止めたことに助けられてきた。目に見える集中的 な反対の不在を幸いとして、大統領は、赤い中国への、、、、、、、、、、、MFN 、、、 供与延長、、、、 などの政策を無慈悲、、、、、、、、、に実施していった、、、、、、、、。そうした政策に対する組織化 された草の根の反対もなく、議会の反共勢力も当てにできない 、、、、、、、、、、、、、、、 ことが 判明した」 「赤い中国への、、、、、、MFN 、、、 供与延長により、ブッシュ政権は奴隷労働の明、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 白な前科を無視し、北京に対して数十億ドルに及ぶ貿易上の優位を与、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 えてきた。今こそ、それらの政策に反対する者が行動を起こす時だ。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
それがゆえに、『共産主義に対する救済措置に反対する納税者連合』が 結成されたのである。今後数週間で、(中略)我々は、ジョージ・ブッ、、、、、、、、、、、 シュの冷酷かつ破壊的な政策について米国民に警告する活動を展開し 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ていく。ブッシュ、、、、、、、、氏は、国連安全保障理事会で、赤い中国とソ連の票、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 を必要とするような新世界秩序を求めている。中ソの票のために彼が 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 我々や世界中の人々に払わせようとしている代価は、あまりにも高い、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ものである、、、、、」 「ブッシュは 2 月 6 日のニューヨーク経済クラブ(Economic Club of New York)での演説で、彼が言うところの新世界秩序の中では 、、、、、、、、、、、、、、、、、 (中略)、 国連安保理で拒否権を保持する、彼が呼ぶところの中華人民共和国 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 (PRC)及びソ連の支持が必要だと言った。そして彼は、それこそ天、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 安門広場(での中国当局による武力行使)及びバルト、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、諸国等でのソ連、、、、、、、 による弾圧に対して、他の誰よりも寛大な態度を示してきた理由だと、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 も言っている。 、、、、、、、 (中略)例えそれが、共産主義者が我々の自由に関する ビジョンや我々自身の生存に対して敵対的な姿勢を放棄していない時 に、共産主義者を政権の座に留めておくことを意味するものであって も、彼は共産主義者の票を買うために、我々の税金を喜んで使ってい、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 る、のである」24 対 MFN 供与を「無慈悲」とするフィリップスのブッシュ批判は、かつてヘル ムズが、デタントや対中国交正常化プロセスを非道徳的と非難したロジックに共 通するものであるといってよい。またそこには、保守派に共通して見られる、「容 共か反共か」の二元論的世界観を垣間見ることもできる。 フィリップスに続いて、ヴィゲリーも以下のように述べ、ブッシュ政権の国内 政策から対中・対ソ政策までを批判している。 「ブッシュ大統領は、、、、、、、、、、(1990 年に)増税しないとの公約を破棄して以、、、、、、、、、、、、、、、 来、常に保守派の怒りと不満を掻き立ててきた。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ブッシュ大統領は独 力で、彼の友人のゴルバチョフとソ連形式の共産主義を救うという政 策に反対する、全ての保守主義者、納税者、少数民族団体、人権団体 を結束させた。ブッシュ大統領の下での米外交、、、、、、、、、、、、、、政策は、多国籍企業の、、、、、、、、、、 利益へと流れていった。、、、、、、、、、、、それが天安門広場から(モスクワの)赤の広 場へ、(当時独立の機運高まる)バルト諸国へ、中東へと流れようと、 米外交政策は、多国籍企業の利益になるという点で一貫性があった 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 」
ヴィゲリーによるブッシュ政権批判の対象は、フィリップスのそれより広範に
わたっており、もはや同政権を全面否定するに等しいものであった25。最後にヴ
ィゲリーは以下の問いかけを行い、発言を締め括っている。
「あなたはブッシュ大統領やゴルバチョフや天安門広場の屠殺者、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(the butchers of Tiananman Square)やバルト諸国の自由の戦士を屠殺した者
、、、、、、、、、、、、、、、、、、 の側に立つのか、それら自由の戦士や米国人の納税者の側に立つの、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 か? 、、 」26 そもそもヴィゲリー、フィリップスの両名には、1988 年大統領選挙戦の際、保 守派の支持獲得に向けた選挙運動を展開していたブッシュから、大半の保守派の 支持は既に獲得しているからヴィゲリーやフィリップスのような「過激派 (fringe)」の支持は無用と言われた経緯があった27。ヴィゲリーは、1990 年にも 「ブッシュは増税し、政府機関の予算を増大させ、ソ連を救済し、野蛮な中国の、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 独裁者らの、、、、、立場を強めることで、左翼の側に付いてきた、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」と非難しており、大統 領選挙戦が白熱化する 1992 年 8 月にも PBS テレビの『マクニール・レーラー』 に出演して「保守派は決してブッシュに満足したことはない。ブッシュは基本的、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 にレーガンのアジェンダを全て捨て去った。ブッシュはまるでネルソン・ロック、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 フェラーになったかのように統治し始め、保守派は行き先を失ってしまった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」と 不満を漏らしている28。 このように、内政を舞台とする保守運動家であるニューライトが、反共的思想 に基づき、議会の外で独自にブッシュ外交の“失政”を組織的に喧伝する動きを 見せていた点は、内政と外交の連関性を考える上で注目に値しよう。
第二節 共和党保守派の対中政策及び内政・外交全般への姿勢 第一項 共和党議員の対中姿勢とその背景 [対中政策関連法案への投票態度(上院)] 対中政策関連法案は、レーガン政権末期に中国の人権問題及びミサイル拡散問 題の浮上を受けて急増するが、1989 年 6 月の天安門事件以降は、増加の一途を辿 っていった。実際に、第 101 議会から第 102 議会にかけては、無数の対中政策関 連法案が提出されている。それらの法案全てを扱うことは不可能であることから、 本稿はそれらの法案の中でも特に議論を呼んだものとして、「中国移民緊急緩和 法案(H.R.2712=『ペロシ法案』)」、「1991 年米中法案(H.R.2122)」、「1992 年米 中法案(H.R.5318)」の三本を巡る議論及び立法過程に特に焦点を当てた。いず れの法案も、下院民主党のリベラル色の濃厚な議員が提出し、ブッシュ大統領の 拒否権行使を招いたものであり、共和党上院議員でそれらの法案を支持した者は、 いずれの場合も 10 人に満たない。しかし、それがゆえに、同一政党の大統領が 拒否権を行使した法案に、党内で少数派となりつつも賛成票を投じた共和党議員 の存在が際つものになったともいえる。 特にその中でも、上の三法案全てに対して、首尾一貫して大統領が拒否権を行 使した後にも賛成票を投じた共和党上院議員は、ヘルムズのみであった。なお、 B・スミスも、第 101 議会では下院議員としてペロシ法案の共同提出者に含まれ ており、第 102 議会では上院議員として 1991 年及び 1992 年の米中法案を一貫し て支持している。繰り返しになるが、ヘルムズ、B・スミスの両者とも、経済・ 社会・外交の全ての分野において極めて保守的傾向が強い議員であった点は、留 意しておくべきであろう。 また、第 102 議会で 1991 年及び 1992 年米中法案の双方を最終的に支持した上 院議員は、前述のヘルムズ及びB・スミスに加え、同じく保守派のマック、ワロ ップ、中道派のダマート、穏健派のスペクターであった。とりわけ、1991 年米中 法案への三度の投票に際して全て賛成票を投じたのが、ヘルムズ、B・スミス、 マック、ワロップの保守派 4 名だった点は、大変興味深い。以下では、対中強硬 姿勢と保守思想の連関性を模索するため、ヘルムズ以外の上記保守派三議員の背 景について簡単に概観しておく。 B・スミスは財政保守かつ中絶反対論者であり、自動小銃の規制にも反対する という完璧な内政保守であった29。 マックは、カーター政権の失政に多くの民主党支持者が失望した時期にあたる 1979 年に民主党から共和党に転籍した過去を持つ(南部の保守派によく見られる 傾向である)。サプライサイド経済の信奉者で、1990 年春にブッシュ大統領に対 して減税公約順守を求めた 19 人の保守派議員のうちの一人である。外交では熱
烈な親イスラエル派であるとともに、反キューバ派であった(マックはキューバ 系が多数居住するフロリダ州の選出)30。 ワロップは、レーガンが推進した戦略防衛構想(SDI)の上院における熱烈な 推進者であり、ヘルムズと同様に「レーガン・ドクトリン」の支持者であった上 に、内政でも強硬な減税論者として知られている31。 これらの点から読み取れる点は、党内で少数派となることを恐れず、大統領と 対立しつつも対中強硬姿勢を貫いた共和党上院議員は、いずれも内政保守であり、 強い反共イデオロギーを抱く外交「タカ派」であったということである。その点 では、ヘルムズと全く変わりはない。ただし、投票歴を検討したのみでは、「内 政と外交の連関性」を明確なものとにするには依然不十分ということになろう。 これについては、本節第二項で対中政策以外の政策領域に対する保守派全体の姿 勢について確認した後に、第三節で論ずることとしたい。 [対中政策関連法案への関与の度合い] 以上にみた投票歴に加え、各議員が主要提出者ないし共同提出者として対中政 策に関連する法案を提出した本数も、そうした法案ならびに対中政策そのものへ の関与ないし傾倒の度合いを示す指標となりうると考えられる。 例えば、第 101、102 両議会期中、主要提出者ないし共同提出者として対中政 策に関連する法案を 20 本以上提出した共和党議員は、上院ではヘルムズただ一 人であった(第 101 議会:主要 6 本・共同 6 本、第 102 議会:主要 4 本・共同 8 本=合計 24 本)。こうした指標は、ヘルムズの対中強硬姿勢が上院において際立 ったものであったことを示すものであるといえよう。無論、それらの法案全てが 可決された訳ではなく、ヘルムズが主要提出者ないし共同提出者として提出した 対中政策関連法案 24 本のうち可決されたのはその半分の 12 本であり、ヘルムズ が主要提出者として提出した 10 本のうち可決されたのは 4 本であった。第 101 議会において、提出された法案が可決される確率は 26.7%であり、第 102 議会に おいても 22.3%程度であったことから32、ヘルムズの提出した法案の可決率は決 して低いものではない。しかし、いずれにせよヘルムズは、法案が可決されるこ とよりも、法案を提出することにより自らの原理原則を主張することに重きを置 いていたように思われる。 他方、下院で「ペロシ法案(H.R.2712)」、「1991 年米中法案(H.R.2122)」、「1992 年米中法案(H.R.5318)」の三法案全ての共同提出者となり賛成票を投じた共和 党議員は 11 名いた。その顔ぶれは、対中強硬派として知られるコックス、ソロ モン、ウルフ、C・スミス、ギルマンに加え、バニング(Jim Bunning, ケンタッ キー州)、ミラー(John R. Miller, ワシントン州)、ポーター(John E. Porter, イリ ノイ州)、リッター(Don Ritter, ペンシルベニア州)、シフ(Steven Schiff, ニュー メキシコ州)、ウォルシュ(James T. Walsh, ニューヨーク州)というものであった。
C・スミス及びギルマンについては本章で既に触れたが、その他の議員の背景 は以下の通りである。 コックスは、全米でも保守的な風土で知られるカリフォルニア州オレンジ郡選 出の議員で、レーガン政権で大統領顧問室の上級スタッフを務めた経歴を持つ33、 「レーガン主義者」である。後に下院政策委員長として、1990 年代後半には共和 党多数議会の中で、党を挙げて対中強硬姿勢を示す中心人物となる。 ソロモンは激烈な反共主義者であり、中国に対する不信感を終始捨てることが なかった34。また、新人議員だった 1980 年大統領選挙の共和党予備選挙の際には、 ブッシュではなくレーガンへの党内の支持集めに尽力している35。 ウルフは、下院内における人権擁護の旗手の一人であり、後に民主党のラント スと共に、下院人権議員連盟(Congressional Human Rights Caucus)の共同議長を 務める。特に、中国及びチベットにおける人権侵害、宗教迫害への関心を呼び掛 けることに取り組み続けていった36。 また、ナショナル・ジャーナル誌の年鑑に従えば、バニング、リッターは保守 派、ポーター、シフ、ウォルシュは中道派、ミラーは穏健派に分類される37。 これらの点は、上院に比べ、下院で対中強硬姿勢を貫いた議員は多様な思想的 背景を有する者から成っていることを示すものといえよう。しかし、中でもコッ クス及びソロモンがレーガン信奉者であった点は、ブッシュ政権の対中政策に対 する保守派の反発の背景を理解する上で、見落とすべきではなかろう。事実、レ ーガン支持者の多くがブッシュ政権に対して総じて批判的であったことは、これ まで見てきた通りである。それでは、1988 年大統領選挙の際にブッシュを支持し、 1992 年大統領選挙を前にブッシュから離反した保守派(特にレーガン信奉者)は、 対中関係以外の分野において如何なる姿勢をとったのだろうか。 第二項 対中政策以外の分野における保守派の姿勢 本稿は対中政策を巡る共和党内の対立に焦点を当てたものであり、他の政策領 域をについて掘り下げることを目的とするものではない。しかし、それと同時に、 対中政策だけが保守派のブッシュに対する反発、幻滅を強めた唯一の要素ではな いことも事実である。また、本稿の問題関心である「内政と外政との連関性」を 論ずる上でも対中政策以外の外交政策、国内政策に対する保守派の反応を無視す ることはできないだろう。以下では、ブッシュ政権の対中政策に反意を示した共 和党保守派が、対中政策以外の分野でどのような姿勢を見せていたのか確認する。 なお、ブッシュ外交評については、「変化を嫌うという意味での保守」である ブッシュが、現状維持を最優先に位置付けたものであったとするものが一般的で ある38。米国への麻薬供給者であった上、米軍人を殺傷するという暴挙に及んだ パナマのノリエガ将軍(Manuel Noriega)や、クウェートを侵攻したイラク軍な
ど、現状を打破しようとした者に対してブッシュが断固とした姿勢で臨んだのは 事実であった。しかし同時に、既存の安定を脅かし得る変革に対しては、たとえ それが民主化や自由を求める勢力によるものであっても、これを積極的に支持す ることもなかったのである。 [軍事行動] 1989 年 12 月のパナマ侵攻に至る経緯では、ブッシュがパナマ国軍に対し、同 国の独裁者であるノリエガに対するクーデターを呼び掛けておきながら39、実際 にクーデターが発生した際には反乱軍からの応援要請を断り、反乱の首謀者を見 殺しするという一幕があった。この時、議会内でブッシュ政権の対応を率先して 糾弾したのがヘルムズ上院議員であり、彼はブッシュ政権を「キーストーン・コ ップス(1910 年代の喜劇映画に出てくる間抜けな警官)」に準えて酷評している。 ブッシュがパナマ侵攻を決意するのは、駐パナマ米軍士官及びその家族らがパナ マ軍当局により殺傷されるという事態を受けてからのことであった40。 また、1991 年初頭の湾岸戦争は、クウェートからのイラク軍追放という国連安 保理決議で定められた任務を果たした後、イラク軍への追撃を行わなかったため に、サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権の存続を許した。さらに同戦争直 後には、クルド人及びシーア派がフセイン体制に対して武装蜂起した際、ブッシ ュ政権は地域の安定を損なう恐れがあるとして人道援助以上の介入を避けたた め41、多数のイラク市民の虐殺を座視してしまう。こうした結果は、湾岸戦争で の多国籍軍の勝利にもかかわらず、保守派の一部から批判を招くこととなる。実 際に、ヘリテージ財団のフュールナー所長は、「我々は三日早く戦争を終えてし まった。そして、ジョージ・ブッシュがケネバンクポート(ブッシュ家の別荘が あるメーン州の保養地)に退いた後も、あの畜生(フセインを指す)はバグダッ ドにいるのだろう」と露骨に非難したのだった42。 [対ソ・対ロ政策] 共和党保守派は、ソ連のゴルバチョフ体制の維持に拘泥するブッシュ政権の姿 勢にも批判的であった。これについてヘルムズ上院議員は、1990 年 2 月の上院外 交委員会公聴会で、「我々は自由と安定との境界線上にいるが、無論、我々は自、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 由を選択せねばならない、、、、、、、、、、、」と述べ、ソ連からの独立を求めるソ連邦各共和国市民 の声よりもゴルバチョフ支持を優先するブッシュ政権の動きを牽制している43。 ヘルムズは 1990 年 3 月 21 日にも、当時ソ連から独立宣言撤回を突き付けられ ていたリトアニアを巡り、ブッシュ大統領に対して同国を国家承認して国交を樹 立するよう要求する修正案を提出している(56 対 36 で否決)44。一方、ゴルバ チョフを窮地に立たせることを回避したいブッシュは、翌 22 日の記者会見で不 介入の意思を表明するが、ソ連軍がリトアニアの共産党本部を占拠したのは、そ
の翌日のことであった45。こうしたブッシュの姿勢は、やはり保守派、特にニュ ーライトの非難を招くこととなる。ヘリテージ財団副所長のパインズ(Burton Yale Pines)が「これはもはや裏切りと呼べる段階ではない」と語れば、H・フィリッ プスは「ブッシュ政権は“ネルソン・ロックフェラー政権”になってしまうので、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 はないか、、、、との声が、保守派の声で高まっている」との懸念を示し、ウァイリック も「(会合で)ある発言者が立ち上がってブッシュのリトアニア政策を非難する と、彼は長い間、凄まじい大喝采を浴びた」と振り返っている。一方、一連の保 守派からの批判について、あるホワイトハウス高官は、ニューヨーク・タイムズ 紙に対して「リトアニアと中国の情勢悪化は、我々の外交政策に対する保守派の 批判を正当化する潜在性を持っている。(政府の外交政策は)共産主義の独裁者 に対する過剰な便宜供与として描かれるだろう」と認めるしかなかった46。 それでも、旧ソ連邦の安定を最優先に位置付けるブッシュの方針は変わること はなかった。ブッシュは 1991 年 8 月 1 日に独立の気運高まるウクライナの首都 キエフを訪問した際、ゴルバチョフへの配慮から「民族間の憎悪に根ざした自滅 的な民族主義(suicidal nationalism)を押し進める人々を、米国人は支援しないだ ろう」と述べ、ウクライナ人を失望させている。これに対し、やはり米国内の保 守派はブッシュに批判的な論陣を張るのだが、特にニューヨーク・タイムズ紙の 保守系コラムニストであるサファイアが、8 月 29 日付同紙でブッシュ演説を「キ エフでの臆病な演説(‘Chicken Kiev speech’)」と呼び酷評したことはよく知られ
ている47。また、前述のフュールナーも、「もし我々がゴルバチョフを支持し続け なければ、改革への道にもっと早く乗ることができただろう」と語り、ゴルバチ ョフ擁護に努めたブッシュ政権を非難した48。また、ノーキストは、ブッシュの ソ連・東欧に対する現状維持志向の政策が、共和党連合の有力な支持勢力であっ た東欧系移民組織の反感を買ってしまったと指摘する49。 さらに根本的なところで、ニューライトが、冷戦に勝利したのはブッシュだと は認めていなかった点は重要である。彼らは、レーガンがソ連に対して仕掛けた イデオロギー戦争こそが、冷戦の終わりを早めたと考えていたのである50。 これら外交分野でブッシュが保守派から買った不興が、外交が主要な争点とは ならなかった 1992 年大統領選挙に如何に影響を及ぼしたか特定することは困難 である51。しかし、確実にいえるのは、「外交大統領(foreign policy president)」と
呼ばれたブッシュにとって、本来得意分野であるはずの外交が少なくとも大統領 選挙では何の助けにならなかったということであろう52。 また、ヴィゲリーらニューライトの内政保守が、ブッシュ政権の対外政策を極 めて批判的に捉えている点は興味深い。ニューライトの立場からすれば、共産主 義と戦う世界の「自由の戦士」を支援したレーガン・ドクトリンなどとは対極に ある、自由を求める者に対するブッシュの冷淡な姿勢は、到底支持し得ないもの だったといえる。
[内政分野] 国内政治の分野では、保守派に歓迎されたブッシュ政権の政策を見つけるのは 困難であり、むしろ保守派の反発を招いた政策を列挙する方が容易であろう。 1990 年アメリカ障害者法制定、1990 年大気清浄法制定、減税公約破棄と増税、 1991 年公民権法制定、全米芸術基金(NEA)の擁護、大統領夫人の中絶容認発言 53、自動小銃規制の支持54などがそれである。一連の穏健な政策及び法律の成立は、 いずれも経済保守、社会保守、ニューライト、一部宗教右派、全米ライフル協会 (NRA)など、1988 年大統領選挙の際にはブッシュを支持した共和党の支持基盤 の離反を招くこととなった。 中でも、1990 年 10 月の「増税しない」公約の破棄は、単に経済保守の期待に 背くものではなく、共和党への裏切りと受け止められた。それというのも、増税 をしないとする公約は、ノーキストによれば「共和党の堅い結束の基礎となって いた最も中心的な原則」だったからである55。この時、議会でブッシュ批判の先 頭に立ったのがギングリッチであったが、共和党保守派に対して多大な影響力を 有するギングリッチの造反は、後にブッシュ本人が「本当に傷付いた」と明かし た通り、ブッシュにとって大きな打撃となるものであった56。実際に、1988 年大 統領選挙の時点ではブッシュ大統領と比較的良好な関係にあったヘリテージ財 団も、「増税しない」公約の破棄を機に、ブッシュへの反発を強めていった。ヘ リテージ財団の幻滅を端的に示すのが、フュールナー所長の「ジョージ・ブッシ ュは、彼がロナルド・レーガンではないことを示したのだ」との言葉であろう57。 また、ブッシュが民主党多数議会との予算合意に基づき増税に踏み切ったことは、 ブッシュ個人からの保守派の離反のみならず、1990 年中間選挙における共和党の 上下両院での議席減、大統領支持率の低下の要因ともなったとされる。 またヘルムズは、社会保守の立場から、NEA にも厳しい目を向けていた。その 理由は、ブッシュ政権発足直後の時期において、キリストを冒涜し、同性愛を描 く写真家二人に対して NEA が資金援助を提供したからであった。ブッシュ政権 は NEA を擁護する立場をとったが、これに対し、ヘルムズはダマートと共に 1989 年 5 月に上院で NEA を糾弾し、P・ロバートソン傘下のクリスチャン・コアリ ションも 20 万ドルを投じて、USA トゥデー紙に NEA を攻撃する広告を掲載させ た58。 [保守派の内政分野主要法案への投票態度] 第 101 議会及び第 102 議会における、1990 年アメリカ障害者法、大気清浄改正 法、1991 年公民権法への共和党保守派上院議員の投票態度には、幾つかの点で注 目すべき特色がある。これらはいずれも圧倒的多数で可決され、ブッシュ大統領 の署名を経て法制化されるに至ったものであるが、一連の法案に反対票を投じた
者の中には、中国移民緊急緩和法案、1991 年米中法案及び 1992 年米中法案に賛 同し、ブッシュ政権の対中政策に反発を示していた者も複数含まれているのであ る。 まず、職務能力のある障害者の採用を企業に義務付ける内容の「1990 年アメリ カ障害者法」については、1990 年 7 月に上院で 91 対 6 の圧倒的多数により可決 されている59。反対 6 票は全て共和党員であり、うち 5 人はヘルムズ、ガーン、 ハンフリー、シムズ、ワロップら極めて保守的な議員であった(残りの 1 票はや や中道寄りのボンド(Christopher S. Bond, ミズーリ州)である)。さらに、1989 年 9 月の一回目の投票で反対に回った 8 人の共和党議員の中には、上の 6 人に加 え、アームストロングとマクルーア(James McClure, アイダホ州)というニュー ライト系議員も含まれていたのである。アームストロングは、ペロシ法案に賛成 票を投じた 8 人の共和党議員の一人であった。ガーンも、1991 年米中法案の三度 にわたる投票で、うち二回は賛成票を投じている。なお、シムズは際立った対中 強硬姿勢こそ見せなかったものの、かつてヘルムズ、ハンフリーやワロップと並 び、レーガン・ドクトリンを熱烈に支持したニューライト系の保守派であった点 は、第一章でも触れた通りである60。 自ら「環境大統領」と名乗ったブッシュと環境保護庁(EPA)が積極的に取り 組んだ改正大気清浄法も、1990 年 10 月に上院で両院協議会報告書への投票が行 われ、89 対 10 の圧倒的多数で可決されている61。この時に反対票を投じた 10 名 のうち共和党員は 5 名で、その中には再びヘルムズ、ガーン、シムズ、マクルー アが含まれていた(残りの 1 名もニューライト系のハッチ(Orrin Hatch, ユタ州) であった)。なお、1990 年 4 月に行われた第一回投票では、ワロップも反対に回 っている。 また、人種や性別による職場差別を禁ずるとした 1991 年公民権法も、翌 1991 年 10 月にやはり 93 対 5 の圧倒的多数で可決されている62。ここでも反対者は全 て共和党員であり、その内訳は、人工中絶に反対するとともに公立学校での祈祷 及び戦略防衛構想(SDI)を支持するコーツ(Dan Coats, インディアナ州)63、対 中強硬姿勢を見せたヘルムズ、B・スミス、ワロップ、前二法案の採決でも反対 票を投じてきたシムズという非常に保守的傾向の強い議員で占められていた。 民主党議員が提出し、ブッシュが拒否権を行使した対中政策関連主要法案(ペ ロシ法案、1991 年米中法案及び 1992 年米中法案)の全ての投票において賛成票 を投じてきたヘルムズが、上に示した穏健的な内政三法案の全てにも反対票を投 じていた点は、内政と外交の連関性を考える上で、極めて示唆するところが大き い。また、ヘルムズに限らず、ワロップ、アームストロング、B・スミスなど、 対中政策関連主要法案への投票で対中強硬姿勢を見せていた議員も穏健的な内 政法案に反対票を投じていたことは、ヘルムズの例が単なる例外ではないことを 示すものであった(別表参照・章末に添付)。
次節では、上で検討した投票行動の側面での「内政と外交の連関性」から、内 政保守の思想と、外交「タカ派」ないし対中強硬姿勢とを結ぶ発想上の連関性に 踏み込んで、議論を展開する。
第三節 小 結 本章の前半部分で論じた、第 102 議会における対中政策を巡る共和党内の議論 は、第 101 議会と同様の傾向を示すものであった。第 102 議会に提出された「1991 年米中法案」及び「1992 年米中法案」は、いずれも第 101 議会のペロシ法案と同 様、民主党下院議員が提出したものであったが、ヘルムズ上院議員を中心とする 共和党内でも特に保守的傾向が強い議員は、やはりペロシ法案と同様にそれらの 法案を支持し、ブッシュ政権に抵抗を示したのである。一方のブッシュ政権も、 米中関係のさらなる悪化を恐れ、ペロシ法案の場合と同様に、両法案に拒否権を 行使している。 こうした議会を舞台とした共和党内の対立については、少なくとも二つの軸を 念頭に考察する必要があることが明らかになった。一つは思想的対立という軸で あり、もう一つは党及び大統領への忠誠度という軸である。ペロシ法案、1991 年 及び 1992 年米中法案は、いずれも上院で大統領拒否権を覆すに足る賛成票が得 られなかったために成立することはなかった。しかし、そのことにより、民主党 多数議会の中にあって民主党の法案に加担し、大統領の対中政策に真っ向から反 対した共和党保守派の一貫した対中強硬姿勢が、かえって強調されることとなっ たといえる。その象徴こそ、保守派の最右翼であるヘルムズであった。他方、ド ールら議会共和党の指導部は、「愛党主義者」の立場をとり、自らの保守的思想 よりも党及び大統領への忠誠を優先したのである。このことは、ヘルムズらが党 派性とは無縁のところで投票態度を決定したことを物語るものであった(図3)。 図3 対中政策を巡る議会共和党内「派閥」分布 リベラル 専 門 家 ブッシュ政権の 対中政策を支持 純粋主義者 対中強硬派 反共主義者 保 守 原理主義者(保守派) ヘルムズ、ワロップ B.スミス、ソロモン コックス、ウルフ ギングリッチ 愛党主義者 ドール シンプソン ルーガー マイケル 穏健主義者 スペクター(101) コーエン(102) 進歩主義者 コーエン(101) スペクター(102) ギルマン (中道派) ダマート(102) C.スミス (中道派) ダマート(101) 注:派閥名は全て序章の 図1に対応したもので ある。また、括弧内の数 字は議会期を指す。