1.はじめに 高等学校数学の定期テスト(以下テストと記す)の結果 を分析すると、授業中には解けていたにもかかわらず、 解答欄が空欄になっている学習者がいる。これらの学習 者の課題は、わかりやすい説明をするだけでは解決せず、 授業の中で解答できる状態から、テストの時に解答でき る状態にするための対策が必要となる。つまり、説明方 法ではなく演習方法の部分に工夫することが必要となる。 しかしながら、教科書や一般的に使用されている問題 集等の教材には、解法を理解するために工夫されている ものは多いが、理解した解法をテストの時に使えるよう にするための工夫をした教材は見つからなかった1。そこ で、テストの時にも解答することができるようになる教 材を開発し、これを用いた教授方略を検討することが必 要となり、これが本研究の目的である。 なお、本研究は「構成法」を用いる。構成法は『教育 心理学新辞典』2(牛島・坂本・中野・波田野・依田(1969)) によれば、「すでに形成が可能であることが知られている 行動の形成要因の寄与率を比較研究する」代わりに、「特 定の行動がいかなる要因の組み合わせによって形成可能 となりうるかを要因の組み合わせによって実際に形成し てみることによって、未知の因果関係を見いだそうとす る方法」である。従って、構成法を用いる本研究では、 事前に判明している学習者に生じうる誤りを生じさせな いための教授方略を構成することで、その課題解決を達 成するための十分条件となる要因の組み合わせを明らか にしていくことになる。 2.拡大版ルレッグ=システムと思考 1)拡大版ルレッグ=システム 本研究を進めるに当たり、学習者の知識の状態を記述 す る た め の 記 述 体 系 と し て 、 ル レ ッ グ = シ ス テ ム (ruleg-system)を用いる。ルレッグ=システムは言語教 材のための記述体系で、エヴァンスら(1962)3が提唱した 記号体系であり、知識を法則である ru(rule)と、法則に 代入できる具体的知識である eg(example)にわける記号 体系である。エヴァンスら(1962)はこれらの記号を用い て教授方法についての考察を加えていた。 後に、ルレッグ=システムは細谷4によって、新たな記 号が導入され、より思考活動一般を記述することに適し た形に拡大されている。細谷のルレッグ=システムを、 エ ヴ ァ ン ス ら の ル レ ッ グ = シ ス テ ム と 区 別 し 工 藤 (2002)5では拡大版ルレッグ=システムと呼ぶ。本研究で は、思考活動一般をより複雑に記述することが可能にな った拡大版ルレッグ=システムを用いる。 2)記憶と思考 記憶には記銘・保持・想起の三段階がある6。知識とし てのru や eg は記銘したとしても、想起することができ なければ用いることができず、知識を獲得する際には想 起可能になるように学習しなければならない。 拡大版ルレッグ=システムは、知識の分類と状態のみ ならず、思考活動についても記述することが可能である。 工藤(2002)によれば、知識の体系は ru と eg の間の自発 的変換活動(ru→eg、eg→ru、eg→eg、ru→ru)の結果、 形成されたものであると考えられ、この変換過程そのも のが思考であると考えられる。本論文では、これに基づ き、思考をru と eg の間の変換活動として捉えることと する。これより、本論文では思考を、ru→eg 変換、eg →ru 変換、eg→eg 変換、ru→ru 変換7として表記する。
知識は再生的に想起するだけでは具体的なeg から eg を想起するだけの eg→eg 変換しか可能にならない。獲 得した知識はeg と ru が互いに変換活動を行えるように しなければならず、そのためには、それぞれの知識が繋 がりを持った知識構造を形成していることが必要である。 そのため、教授活動の目的は、ru や eg を記銘して想起 可能にするだけでなく、知識構造を変化させて変換活動 が可能になるようにしなければならない。 3)ru の種類と階層 変換活動を基準としてru を以下の4つに分類する。 ①言い換え型:eg→eg 変換を可能にする ru ②説明型 :ru→eg 変換を可能にする ru ③弁別型 :eg→ru 変換を可能にする ru ④予測型 :ru→ru 変換を可能にする ru 言い換え型の ru は、そのまま想起しているだけであ り厳密に言えばru ではない。しかし、ru を階層的に考 えるならば、言い換え型の ru を獲得しなければ説明型 のru は獲得できず、同様に弁別型と予測型に関しても、
eg→ru 変換を可能にする高等学校数学Ⅰの教材開発
キーワード:高等学校数学,ruleg-system,思考,教材,ルールの活用 所 属 教育システム専攻 氏 名 齊藤 啓亮前の段階のru の獲得が、次の段階の ru の獲得の必要条 件となっている。よって、この4つの分類によって ru を階層的にとらえることが可能となる。 本研究では、学習者の ru の獲得状況を、この4つの 分類を用いて記述し、段階的に ru を獲得していくよう な教授方略を検討する。 4)ru の階層による問題の記述 ここで、授業中には解答できるが、テストになると解 答できない学習者の状況をru の階層を用いて記述する。 これらの学習者は、授業中に解答できているので、そ こで用いるru を再生することと、ru を問題に適応する ことはできている。このため、eg→eg 変換と ru→eg 変 換は可能になっており、説明型の ru までは獲得してい るといえる。しかし、テストの時に解答できないという ことは、テストの問題という eg からそれに用いるべき ru を想起する eg→ru 変換が可能でないということであ り、弁別型のru は獲得できていないといえる。 ここで、本研究の目的は、eg→ru 変換が可能でない学 習者が、弁別型のru を獲得して eg→ru 変換が可能にな るような教材を開発し、それを用いた教授方略を検討す ることであると記述することができる。 3.高等学校数学の教材に関する課題 学習指導要領8によれば、高等学校数学の目標は「数学 的活動を通して、数学における基本的な概念や原理・法 則の体系的な理解を深め、事象を数学的に考察し表現す る能力を高め、創造性の基礎を培うとともに、数学のよ さを確認し、それらを積極的に活用して数学的論拠に基 づいて判断する態度を育てる」ことであり、教科書はこ の目標の実現を目指して編成されている。 この目標は、予測型のru まで獲得して ru と eg が相 互に変換活動ができるようにならなければ達成しない目 標であるといえる。しかしながら、教科書や市販されて いる問題集は、ru→eg 変換を反復するばかりで eg→ru 変換を行う回数は非常に少なく、eg→ru 変換が可能にな らない学習者が取り組むべき課題が見当たらない9。この ため、多くの場合、学習者はテストに向けて勉強すると きにもru→eg 変換ばかりを行い、テストで初めて eg→ ru 変換を行うということになる。これは、eg→ru 変換 が可能にならない学習者は、テストで正答することがで きないということはいうまでもなく、数学の目標を実現 することも不可能という状況になっている。 4.eg→ru 変換を可能にする教材 1)教材の条件 eg→ru 変換が可能になる教材を開発するにあたり、そ の教材の満たすべき条件を見ていく。 記憶は、反復によって強化されることが確認されてお り10、これは、ru の獲得にも有効であることが予想され る。また、eg→ru 変換を行うためには、その必要条件で あるeg→eg 変換と ru→eg 変換が可能になっていること が必要である。さらに、eg→ru 変換が可能にならない学 習者は、自分が解答できないという自信を持っている場 合もあり、そのことに対する配慮も必要である。 以上のことより、eg→ru 変換を可能にする教材は、説 明型までのru を獲得し、かつ、eg→ru 変換が可能であ るという必然性を感じる状態で、eg→ru 変換を反復でき るものでなければならないといえる。 2)「図形と計量」における教材の開発 この条件を満たす教材を、高等学校数学Ⅰの「図形と 計量」の分野の「正弦定理・余弦定理」の単元で開発し て、教授方略を検討する。 「正弦定理・余弦定理」は、「正弦定理や余弦定理につ いて理解し、それらを用いて三角形の辺の長さや角の大 きさを求める11」ということを目的とする単元である。 この目的を拡大判ルレッグ=システムを用いて記述す ると、まず、正弦定理・余弦定理の各 ru を記憶するた めに言い換え型のru を獲得し、その ru を用いて具体的 三角形の eg に適応して辺の長さや角の大きさを求めら れる ru→eg 変換を可能にする。さらに、具体的三角形 のeg から、正弦定理・余弦定理の ru を想起する eg→ru 変換を行うことができるようにすることであるといえる。 3)5段階の教授方略 教授方略は5つの段階で設定した。なお、同じ分野で 学習する三角形の面積の公式の ru も同時に獲得できる ような教授方略を開発した。 ・第1段階は、正弦定理・余弦定理・面積の公式の計算 で用いる三角比の値に関して、角度から三角比の値を 直接想起することが可能となるようなプリント教材 を開発してeg→eg 変換を可能にする。 ・第2段階は、各公式・定理の ru を記憶するための工 夫をして、言い換え型のru として獲得させる。 ・第3段階は、各公式・定理の ru を用いた具体的計算 を、それぞれの公式・定理ごとに反復するためのプリ ント教材を開発し、それぞれのru において ru→eg 変 換が可能になるようにする。 ・第4段階は、第3段階の問題をアトランダムに並べた プリント教材を用いて、難易度の低い eg→ru 変換を 行わせることで、eg→ru 変換を可能にする。 ・第5段階は、第4段階までで記銘した弁別型の ru を 忘却させないために、小テストを用いて想起を反復し て記憶を保持させる。
この教授方略の流れは、以下の図4-1 のようになって いる。なお、①∼⑤は本教授方略の各段階を示している。 図 4-1 5.教授方略の実施 1)対象者 本教授方略は、2007 年に福岡県立A高等学校1年生 80 名(発展クラス 30 名、標準クラス 30 名、基礎クラ ス20 名)を対象に行った。また、2010 年には福岡県立 B高等学校1年生85 名(発展 2 クラス 35 名、発展クラ ス32 名、基礎クラス 18 名)を対象に行った。特に、A 高等学校の学習者には eg→ru 変換が可能にならない学 習者が多く、基礎クラスの学習者においては、eg→eg 変 換すら可能にならない学習者も確認されている12。 2)5段階の教授方略の実施 教授活動を行ったところ、各段階での学習者の反応は 良好であり、スムーズに進行した。 ・第1段階は、時間制限をつけゲーム形式で三角比の値 を想起させたが、覚え直しの時間を設定することで、 記憶の修正がうまく進んだ学習者が多く見られた。 ・第2段階は、各公式・定理の記銘を先送りにする学習 者が確認できず、第3段階以降で公式を見ながら解答 していなかったことから、効果があったといえる。 ・第3段階は、計算で躓きそうな部分を事前に説明して いたこともあり順調に進んでいった。特に、集中力の ない学習者も順調に進めていたことから、問題を解け ること自体の喜びがあったようである。 ・第4段階が可能であるかどうかは不安であったが、何 の抵抗も示さずに全ての学習者が取り組んでいた。第 3段階までの効果が現れていたようである。 ・第5段階は、過去の授業記録を元に考えれば、この時 点で空欄の解答が多く確認されるはずであるが、空欄 の解答はほとんど生じなかった。 3)事後のテストの結果 2007 年のA高等学校の3学期期末考査の結果は、この 教授方略を用いた学習者の平均点が75.4 点で、全体の平 均点が63.5 点であった。まず、ここに一つの成果を得る ことができた。 2010 年の冬休み明け課題考査13における、本教授方略 を用いた学習者の誤答分析の結果を表5-1 にまとめてあ る。「空欄」は解答欄に何も記入していない解答、「ru の 判断ミス」別のru を用いてしまった間違い、「ru の想起 ミス」はru の形を間違えた間違い、「三角比値ミス」は 三角比の値を間違えた間違い、「計算ミス」は四則演算の 間違い、「その他のミス」は分母の有理化を忘れていた等 の間違いである。 表 5-1(表中の数値は間違いの箇所を示す) ここで、本研究の目的である eg→ru 変換が可能でな かった解答は、「空欄」と「ru の判断ミス」であること になる。なお、学習者ごとに見ると空欄が2 カ所ある学 習者が3 名、ru の判断ミスが 2 カ所ある学習者が 1 名い て、この二つの誤答は11 名で 15 カ所である。一つでも eg→ru 変換が可能にならなかった問題がある学習者は 13.6%であるが、問題の延べ数で見るならば 324 問の中 の15 カ所であり eg→ru 変換不可能率は 4.6%と低い割 合になる。さらに、eg→ru 変換が可能でなかった問題の 数は、最も多い学習者で2 問であり、全く可能でなかっ た学習者は 0 名である。これは、本教授方略が eg→ru 変換を可能にするという目的を達成したと考えることが できる結果であるといえる。 6.考察とまとめ 1)教授方略の実践について 第2 段階で躓く学習者が居なかったことから、第 1 段 階は目的を達成したといえる。また、第3 段階で止まっ てしまう学習者がいなかったことから、第2 段階の実践 は、目的を達成したといえる。さらに、第4 段階で解答 できたことから、第3 段階までの実践が目的を達成した といえる。ここにおいて、非常に限定された形ではある A eg→eg 変換(ru を介した想起) (三角比の表①、公式・定理の式②) B ru→eg 変換(ru がわかった状態) (同一問題の反復③) C eg→ru 変換(ru の限定のない状態) (定期テスト) Y eg→ru 変換(ru を限定した状態) (特別教材④、小テスト⑤) X eg→eg 変換(直接想起) (三角比の値①)
が、eg→ru 変換が可能となり、一応の目標を達成したこ とになる。さらに、定期テストの結果等の分析を持って しても、本教授方略の有効性は示されたといえる。 2)拡大版ルレッグ=システムによる記述について 本研究により、拡大版ルレッグ=システムが学習者の 課題分析、および教材開発に有効であることが示された。 今後は、他の分野における課題を記述することや、新た な視点による記述を検討していくことが必要となる。 なお、今回の教授方略により eg→ru 変換を可能にす ることができたが、eg→ru 変換は ru 同士の関係性が理 解できていなければ可能にならない変換である。そのた め、本教授方略によりru 同士の関係性を司る上位の ru を獲得させることができたといえる。これは、eg→ru 変 換の反復により、知識の構造化が促進されたことを意味 する結果であるといえる。 3)教授方略の理論について 図4-1 について詳しく見ていくと、通常の教材を用い た学習であれば、A、B、Cの流れで進むことになる。 ここで、前の段階から次の段階に進んだときに対応でき ない学習者が、eg→ru 変換まで到達できない学習者であ ると考えて、各段階の間にXとYを入れた。今回eg→ru 変換が可能になったことで、この考え方が有効であった と確認できた。 本研究の一番の工夫は、BからCに進む際にYを介し たことである。授業中には解答できるが定期テストにな ると解答できなかった学習者は、ru→eg 変換可能な状態 から eg→ru 変換を可能にすることができなかった訳で あるが、ru→rg 変換の反復のみで難易度の高い eg→ru 変換に挑んでいたので eg→ru 変換が可能でなかったと 考えた。この難易度の低い eg→ru 変換に当たる教材が 市販されている教材の中に存在しないことが、eg→ru 変 換が可能にならない学習者が存在することの原因である とするならば、本研究の理論において、この条件を満た す教材を開発することで、eg→ru 変換が可能になる学習 者を増加させることが可能であると考えられる。 4)今後の課題 本研究では、高等学校数学Ⅰの「図形と計量」の分野 で教材開発を行ったが、この分野は、用いるべき公式の 量が少なく、比較的 eg→ru 変換が可能になりやすい分 野であるといえる。そのため、この理論を別の分野で用 いるために必要な条件を検討していくことが、今後の課 題であるといえる。 また、本教授方略の図4-1 のBで行った ru→eg 変換 を可能にするための教材は、同様の目的を持った教材が 多く市販されている。そのため、本教授方略においては Bの教材をオリジナルで開発したが、この部分を市販さ れている教材で置き換えることも検討していく必要があ る。この部分を一般的な教材で置き換えることが可能で あれば、本研究で開発した難易度の低い eg→ru 変換を 行うYの教材を開発するだけで、本教授方略と同様の効 果が期待できるからである。 更に、数学の目標を達成するためには、ru→ru 変換が 可能とならなければならない。本研究では eg→ru 変換 を可能にする教材の開発を行ったが、eg→ru 変換の後に は、ru→ru 変換が可能になることが必要であり、そのよ うな教授方略の開発が今後の課題であるといえる。 7.注 1 本研究では 5 社 10 冊の教科書と、5 社 15 冊の問題集 を検討した。 2 牛島義友・坂本一郎・中野佐三・波田野完治・依田新 (1969)『教育心理学新辞典』,金子書房,p279
3 Evans, J.L., Homme, L.E. & Glaser, R. (1962). The
Ruleg System foe the Construction of Programmed Verbal Learning Sequences. Journal of Educational research,55,513-518 4 細谷純(2001)『教科学習の心理学』,東北大学出版会 5 工藤与志文(2002)『授業に学び授業を創る教育心理学 第2版』,宇野忍編,中央法規 6 下中邦彦(1981)『新版心理学事典』,平凡社 7 本研究では ru→eg(ルエグ)変換、eg→ru(エグル)変換、 eg→eg(エグエグ)変換、ru→ru(ルル)変換と読む。 8 文部科学省(平成 21 年 12 月告示)『高等学校学習指 導要領』,実教出版株式会社 9 前掲 1 10 前掲 6 11 前掲 8 12 齊藤の授業記録によれば、黒板に書いた公式を覚える ということをした際に、黒板から目をそらさずに記銘 して、いざ思い出すときに想起できなかったという学 習者が確認されている。 13 4 名の欠席者がいたため受験者総数は 81 名 8.主要参考文献 1)宇野忍編(2002),『授業に学び授業を創る教育心理学 第2版』,中央法規 2)細谷純(2001)『教科学習の心理学』,東北大学出版会 3)工藤与志文(2005)『概念的知識の適用可能性に及ぼす 知識操作水準の影響‐平行四辺形求積公式の場合‐』, 教育心理学研究、53,405-413 4)麻柄啓一(1994)『法則学習における「検証」法の効果 ‐帰納・演繹法批判‐』,教育心理学研究,42,244-252 5)工藤与志文(1989)『ルール学習におけるストラテジー と情報処理型の交互作用について』,東北教育心理学 研究,3,15-27