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パーリ学仏教文化学 (30) - 001天野 信「二帰依の商人と燃燈仏授記」

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[論文]

二帰依の商人と燃燈仏授記

天  野   信

The Two Merchants of the Two Refuges

and Dīpaṃkara Buddha’s Prediction

Amano, Shin

This paper’s purpose is to clarify the relationship between the narrative of the two merchants who take the two refuges and Dīpaṃkara Buddha’s prediction.

First is an analysis of the narrative of the two merchants who become the first upāsakas as it is linked with Dīpaṃkara Buddha’s prediction based on the Dharmaguptaka tradition. These descriptions are preserved in the

Dharmaguptaka-vinaya sifenlü (四分律) and the Fo benxing ji jing (仏本行集 経). Through a close examination of these descriptions, we can comprehend that the purpose of these descriptions is to explain the worship of Buddha’s hair and nails, and its merit for upāsakas. In addition, the various aspects of the evolution on this narrative are closely related to the stūpa cult.

In the Ta-t’ang-hsi-yü-chi (大唐西域記), Xuanzang (玄奘) recorded that the two merchants were from Northwestern India. Further, based on archeology evidence Dīpaṃkara Buddha’s prediction is also related to Northwestern India. Both these facts are closely related with the Dharmaguptaka school being of Northwestern India.

Thus, it can be concluded that the unique characteristic of Dīpaṃkara Buddha’s prediction in the Dharmaguptaka tradion is that it does not appear at the beginning of the Buddha’s biography.

キーワード: 二帰依の商人,燃燈仏授記,仏伝,法蔵部,仏塔,髪爪供養, 西北インド

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はじめに

 釈尊の成道後まもなくして,在家者である二人の商人が,釈尊に食物を提 供した後,仏と法に帰依し(二帰依),仏教史上,最初の優婆塞となったエ ピソードは,パーリ律をはじめ,多数の文献に伝承されている(1)  一方,燃燈仏授記とは,過去世において,釈尊が将来の成仏確定を,過去 仏である燃燈仏によって告げられるといった内容のエピソードである(2)。燃 燈仏授記は,ジャータカ註である Nidānakathā のように,仏伝テキストの冒 頭におかれる場合が多い(3)  上記二つのエピソードは,一見,関連性がないように思えるのだが,『四 分律』と『仏本行集経』では,この二つは接合され,一つのエピソードとし て伝承されている(4)。さらに『大唐西域記』にも,この二つのエピソードに ついて,重要な記述が存在する。  本稿では,『四分律』と『仏本行集経』にみられる伝承形式について検討 し,二帰依の商人のエピソードと燃燈仏授記とが結びついた理由を明確にす る。

1.二帰依の商人の故郷および髪爪供養

 二帰依の商人のエピソードが持つ本来の主題は,律蔵の受戒犍度において 最初の優婆塞が誕生する過程を描くことによって,釈尊が在家者から提供さ れる食物を受容する方法として,鉢を用いたことを示すことであったと思わ れる。その後,仏教の出家者たちは,在家者からの布施を,鉢によって受容 していくことになる。  このエピソードでもっとも古形のものは,パーリ律所載のものとされて いる(5)。その内容は,釈尊成道後,まもなくして,二人の商人(Tapussa, Bhallika)が,親族である神の指示に従い,釈尊に食物(麦菓子と蜜団子) を献上する。釈尊は,四天王より献上された石鉢を用いて食物を受け取る。 そのあと,二人の商人は,仏と法への帰依(この時点ではサンガが成立して

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いないため,仏と法への「二帰依」となる)を唱え,最初の優婆塞になった というものである。(Vinayapiṭaka, vol. 1, PTS, pp. 3‒4)  上記の如く,「二商人による食物の提供」「四天王による石鉢の献上」「二 商人の帰依(最初の優婆塞の誕生)」の三つが,このエピソードの基本要素 となる。  このエピソードは,釈尊成道直後の重要事蹟として,パーリ律以外の律蔵 受戒犍度部や,種々なる仏伝テキストにも収録されている。しかし,その内 容は,パーリ律が伝える内容とすべて一致するわけではなく,エピソードが 発展する過程で,上記三つの基本要素以外にも,付加されたと思われる内容 が,複数存在するようである(6)  本稿では,まず,二商人の旅程について着目したい。それについては,以 下に挙げる諸資料の記述が手がかりとなる。 【資料1】Vinayapiṭaka, vol. 1, PTS, pp. 3‒4

  tena kho pana samayena Tapussabhallikā vāṇijā Ukkalā taṃ desaṃ addhāna-maggapaṭipannā honti.

  この時,タプッサとバッリカという二人の商人はウッカラ[地方]より この地域に至る途上であった。

【資料2】Jātaka, vol. 1, PTS, p. 80

  Tasmiṃ samaye Tapassu-Bhallukā nāma dve vāṇijā pañcahi sakaṭasatehi Ukkalā janapadā Majjhimadesaṃ gacchantā…

  その時,タパッスとバッルカという二人の商人が五百台の荷車をとも なって,ウッカラ地方から中央地方へ行く途中であったが…

上記資料にあるウッカラとは,現在のインド南東部となるオリッサ地方とさ れている。彼らは,オリッサ地方から,成道の地であるブッダガヤーに至っ

た模様である(7)。また,彼らの故郷について言及するのが以下の資料となる。

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  Amhākaṃ pana Bhagavato kāle Pokkharavatī-nagare satthavāhassa puttā bhātaro hutvā nibbattā. Tesu jeṭṭho Tapusso-nāma, kaniṭṭho Bhalliyo nāma.   そして我々の世尊の時代には,[その両人は]ポッカラヴァティー都城 の隊商主の息子に兄弟となって生まれた。彼らのうちで兄はタプッサと いい,弟はバッリヤという。 ここで二人の故郷とされるポッカラヴァティーは,『大唐西域記』(大正 51,p. 881a)が伝える,ガンダーラの都であったプシカラーヴァティー (Puṣkarāvatī,布色羯邏伐底)に比定されている(8)。そして,二商人の故郷 についての情報は,以下に挙げる『大唐西域記』の記述が,最も詳細なもの となろう。 【資料4】『大唐西域記』巻1縛 国の条(T.51, p. 873a)   大城の西北五十餘里で提謂城に至る。城の北四十餘里に波利城がある。 城にはそれぞれ一窣堵波の高さが三丈に余るものがある。むかし如來が はじめて仏果を證し,菩提樹の下より起ち,鹿園にやってきた。おりし も二人の長者がおり,如来の威光にふれ,その持っている旅行のたくわ えのままに麨蜜をささげた。世尊は二人のために人間界と天上界との福 を説き,二人は第一番に五戒・十善を聞くことができたのである。法誨 を聞きおわり,供養するところのものをいただきたいむねお願いした。 如来は請われるままに頭髪と爪とを授けた。二人の長者はその本国に帰 ろうとして,供養礼拝する仕方をおたずねした。如来は,僧伽胝を四角 にたたんで下にしき,次に鬱多羅僧,その次に僧却崎とおき,さらに鉢 をふせ錫杖をたてた。このような順序で窣堵波をつくった。二人は命を 承り,それぞれ自分の城に帰り,聖旨のごとくしようとして,りっぱに 建立を行った。これがすなわち釈迦の教えにおける最初の窣堵波であ る。(9) 『大唐西域記』が伝える縛 (バルク)国とは,古代のバクトリアであり,

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バーミヤーンより北に位置する。上座部大寺派所伝の【資料3】が伝える場 所とは異なるようであるが,ともに西北インド出身であることは共通してい る(10)。このような記述から,定方晟氏は,二人はバクトリアとオリッサの 間を往復した商人であったという歴史的事実の可能性を示している。そし て,二人が釈尊と出会った場所となる成道の地ブッダガヤーは,バクトリア とオリッサの間に位置する(11)  次に注目したいのは,【資料4】にある二人が建立したという仏塔に関す る記述である。『大唐西域記』によれば,釈尊の髪と爪を供養礼拝するため, 二人の故郷であるバルクに仏塔が建立された模様である。これについては, 二帰依の商人のエピソードのなかで,二商人が優婆塞となったあと,釈尊の 髪や爪の供養について述べる複数の文献を参照する必要がある(12)。一例と して,Mahāvastu の内容を紹介しておこう(MV, Vol. 3, p. 310)(13)。優婆塞と なった二商人は,釈尊に対して,自分たちが供養することができる「舎利 (dhātu)」を求める。そこで釈尊は,自身の髪と爪を与え,髪塔および爪塔 を作るように命じる。そして,髪塔が作られたのは,ケーシャスターリンと いう町がある所であり,爪塔が作られたのは,ヴァールクシャという都城の ある所であることまで記されているのである。  次に Nidānakathā の記述を見てみよう。ここでは,釈尊の髪のみが二人に 与えられる。 【資料5】Jātaka, vol. 1, PTS, p. 81

  Atha tesaṃ ekaṃ no bhante paricāritabbaṭṭhānaṃ dethā ’ ti vadantānaṃ dakkhiṇahatthena attano sīsaṃ parāmasitvā kesadhātuyo adāsi. Te attano nagare tā dhātuyo anto pakkhipitvā cetiyaṃ patiṭṭhāpesuṃ.

  さて,彼ら[二人の商人]は,「尊師よ,わたしたちに,何か一つ崇め るべきものをお与え下さい」と言ったので,[世尊は]右手で自分の頭 に触り,髪舎利を授けた。彼らは自分たちの都で,その[髪]舎利を内 に納めた塔廟を建てた。

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在する。

【資料6】Paramatthadīpanī: Theragāthā-aṭṭhakathā, vol. 1, PTS, p. 50

  Taṃ sutvā te uḷāraṃ pīti-somanassaṃ paṭisaṃvedentā, ‘ āhāra-sampādanaṃ papañcan ’ ti maññamānā manthañ ca madhu-piṇḍañ ca Bhagavato datvā, dve-vācikasaraṇaṃ gantvā, kesa-dhātuyo labhitvā agamaṃsu. Te hi paṭhamā upāsakā ahesuṃ.   それを聞いて彼ら[二人の商人]は,大きな嬉しさと喜びをおぼえて, 「[通常の]食事をとることは[断食後の身に]障りになる」と考えて麦 菓子と蜜団子とを世尊に差し上げて[仏と法とに帰依する]二言の帰依 を行って,[世尊の]髪舎利を得て出かけて行った。なぜなら彼らは最 初の在家信者となったからである。 【資料5】【資料6】の内容から,上座部大寺派においても,註釈書には, 【資料4】で示した『大唐西域記』と関連する伝承が存在したことが確認で きる(14)。これと同様の傾向は,Mahāvastu などの北伝仏教の文献にも複数 見られるのであるが,一方で大きな相違点も存在する。『四分律』と『仏本 行集経』では,二帰依の商人の物語と燃燈仏授記とが接合され,一つのエピ ソードとして構成されているのである。これは,他の文献にはみられない特 徴である。このことについては,次章で詳しく述べることにしよう。各文献 が伝承する二帰依の商人のエピソードについて,「髪爪の供養」「造塔」「燃 燈仏授記」の有無で図式化すると以下のようになる。 髪爪の供養 造塔 燃燈仏授記 『四分律』 ○ × ○ 『摩訶僧祇律』 ○ ○ × 『仏本行集経』 ○ ○ ○ Mahāvastu ○ ○ × Nidānakathā ○※髪のみ ○ × 『大唐西域記』 ○ ○ ×

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 ここでは,『四分律』にのみ,「造塔」の記述がないことについて述べてお く。これについては,『四分律』を伝持した法蔵部が,仏塔に深く関与して いる部派であることを併せて考察する必要がある(15)  『四分律』巻52「雑揵度」における釈尊の髪塔に関わる記述に着目すると, 二帰依の商人の物語との関連性が見出せる。「雑揵度」では,舎利弗と目連 の舎利塔,釈尊の髪塔,過去仏である迦葉仏の塔についての規定が詳細に記 されている(T.22, pp. 956c‒958b)。  ここでの釈尊の髪塔について,その内容を簡略に述べると,瞿婆離という 名の王子が将軍となり,釈尊の髪を安置した小さな塔を征討のお守りとして 持っていくことの許可が与えられ,やがて帰国したのちに,釈尊の髪塔を建 てる。次いで比丘が釈尊の髪を奉納した塔を持ち歩くことが許可される。そ の後,優婆塞が釈尊在世時の塔である髪塔を建てる許可を求め,それが認め られる。そして,髪塔の建立方法,荘厳方法などの規則が記される。つまり 『四分律』では,「雑揵度」においてはじめて優婆塞が髪塔の建立者として認 定されることになるのである。「受戒揵度」に収録される最初の優婆塞であ る二帰依の商人のエピソードは,サンガ成立以前の時間設定となるため,サ ンガ成立後の「雑揵度」の記事よりも以前の出来事となる。他の文献と異な り,『四分律』における二帰依の商人のエピソードに造塔の記述がないのは, 同一文献内での整合性が図られたためと想定できる。上記の表だけを見る と,『四分律』では,仏塔には関心が払われていないようにみえるが,実際 には,その逆であるといえる。

2.燃燈仏授記の遺跡

 『四分律』「受戒揵度」所載の仏伝における燃燈仏授記は,仏伝の冒頭では なく,釈尊成道後の二帰依の商人のエピソードのなかに収録されている(16) このことについて,既に筆者は別稿にて,釈尊の髪爪供養とその功徳を優婆 塞に示す目的のため,二帰依の商人のエピソードに,燃燈仏授記が組み込ま れたことを指摘した(17)

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 『四分律』「受戒揵度」では,釈尊成道の後,二人の商人が釈尊に蜜麨を供 養し,二帰依を唱え最初の優婆塞となった後,燃燈仏授記が二人に対して釈 尊から語られる。以下,その内容を簡略に示しておこう。  優婆塞となった彼らは,故郷に帰るため,釈尊と離れることになる。その ため,二人は何に対して礼敬供養すればよいのかを釈尊に問う。それに対し て釈尊は自らの髪爪を与え,それを礼敬供養するように述べる。二人は髪 爪とは世間では賤しまれるものであるのに,何故供養の対象となるのかと いう疑念を抱く。それを知った釈尊が,髪爪供養により,はかり知れない 功徳があることを述べる。二人は髪爪供養によって何が体得できるのかを 釈尊に尋ねる。それに答える形で釈尊は燃燈仏授記を説示する設定となっ ている。そして,燃燈仏授記によって,釈尊の髪が過去世より多くの人に 畏敬,供養されてきたことを示す(18)。燃燈仏授記の説示が終了すると,髪 爪供養の功徳として「成無上道」が釈尊によって二商人に示される。(T.22, pp. 782a‒785c)  このように『四分律』では,釈尊の髪爪の供養とその功徳を優婆塞に示す 目的のため,燃燈仏授記が二帰依の商人のエピソードのなかで語られてお り,内容的に一貫性をもった構成となっているのである(19)  『四分律』「受戒揵度」には,パーリ律と同形の二帰依の商人のエピソード が,釈尊成道直後の記事として元々存在したのであろう。後にこのエピソー ドは,優婆塞による髪爪の供養とその功徳を示すものへと発展した。同一文 献内の「雑揵度」において,髪塔の建立者として優婆塞が認可されることと 併せて検討すると,この発展の背景には,法蔵部における仏塔崇拝が想定で きる。  一方で,法蔵部では,既に別の文献において燃燈仏授記が存在し(20),そ れを『四分律』が引用し,釈尊の髪が過去世より多くの人に畏敬,供養され てきたことを示す意図をもって二帰依の商人のエピソードに組み込み,現在 の形となった。以上の次第をもって『四分律』「受戒揵度」における燃燈仏 授記が,現在の形に編纂されたものと考えられる。つまり法蔵部では,二商

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人の物語と燃燈仏授記とが接合して,一つのエピソードとして確立されてい たことになる。  これと全く同じ伝承形式をもつのが,『仏本行集経』巻32所載の二帰依の 商人のエピソードとなる(T.3, pp. 801a‒803b)。ここでは,『四分律』と同様 に,二帰依の商人のエピソードと燃燈仏授記とが接合して,一つのエピソー ドとして構成されているのである(21)。『仏本行集経』巻32所載の二帰依の 商人のエピソードは,同経典の巻3∼巻4所載となる燃燈仏授記(T.3, pp. 664a‒669a)と同様,法蔵部の伝承と同系統であることは間違いない(22)  さて,法蔵部が,西北インドとの関わりが深い部派であることは周知のこ とであるが(23),燃燈仏との関連で着目したいのが,『大唐西域記』にある以 下の記述となる。 【資料7】『大唐西域記』巻2 那掲羅曷国の条(T51,p. 878c)   城の東方二里のところに窣堵波の三百余尺のものがある。無憂王(ア ショーカ王)が建てたものである。石を畳んで非常に高く,彫刻をして りっぱに作ってある。[むかし]釈迦菩薩が燃燈仏にお会いしたとき, 鹿皮の衣を地に敷き,髪の毛を敷きひろげて[燃燈仏の通路の]泥を掩 い,授記を得たところである。日月は[すでに]壊劫の長きを経たけれ ども,この遺跡は滅びることはなかった。時には斎日にあたり天より 種々の花を雨とふらし,群衆は心よりきそって供養を行なうこともあ る。その西の伽藍には少しく僧徒が居る。その南の小さな窣堵波はむか し[釈迦が髪の毛で]泥を掩った地であり,無憂王が大通りを避けて側 に建てたものである。城内に大きな窣堵波の基礎の跡がある。これを先 達たちの話に聞けば,むかしは仏の歯が収納されていて高くもあり広く もありりっぱなものであった,ということである。今はすでに歯はなく 唯基礎の跡が残っているだけである。その側に窣堵波の高さ三十余尺の ものがある。人々の言い伝えによれば何時のころからとも知らないとの ことで,空から下りてきてここに高く基礎したという。人間の造ったも のとも思われず,まことに霊瑞が多い。城の西南十余里に窣堵波があ

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る。[むかし]如来が中印度から虚空を凌いで遊行教化し,この国に遺 跡をのこした。人々はそのあとを慕ってこのありがたい塔を建てたので ある。その東,遠からざるところに窣堵波がある。釈迦菩薩がむかし燃 燈仏にお会いし,ここで花を買っ[て,燃燈仏に供養し]たところであ る。(24) 上記の『大唐西域記』が伝える「那掲羅曷(ナガラハーラ)」国とは,現在 のアフガニスタンのジェララバードとされており,燃燈仏授記の舞台の地で あることが記載されている。同様のことが,『法顕伝』にも記載されている (T.51, p. 858c)。これらのことから,この地と燃燈仏授記との関わりは深い と思われる(25)。さらに,ジェララバード近郊を含むガンダーラ地方からは, 燃燈仏授記を描いた多くの美術作品が発見されていることも留意しなければ ならない(26)。以上のことは,燃燈仏授記が西北インドにおいて,ひろく知 られたエピソードであったことを示すものとなる。このことは,法蔵部にお いて,二帰依の商人のエピソードと燃燈仏授記とが接合されたことにも関連 するであろう。

まとめ

 本稿で論じた内容をまとめれば,以下のようになろう。 ・二帰依の商人は西北インド出身であり,さらに故郷に仏塔(髪塔・爪塔) を建立したという伝承が,南北両方の伝承に見られる。 ・燃燈仏授記は,西北インドにその遺跡が存在したとする伝承や(『法顕伝』 『大唐西域記』),多数の美術作品が存在することから,同地方でひろく知 られていたと推測される。また,この地には燃燈仏授記のみを描く単独経 典が流布していた可能性がある。 ・西北インドに関連が深い法蔵部では,燃燈仏授記が,二商人の物語のなか に組み込まれ,一つのエピソードとして確立される(『四分律』『仏本行集 経』)。この編纂目的は,釈尊の髪爪の供養とその功徳を優婆塞に示すこと

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である。その内容は,同部派における在家者と仏塔の関わりを重視する姿 勢が影響しているのであろう。(cf. 『四分律』「雑揵度」における髪塔の記 述) ・仏伝テキストの冒頭エピソードとなる燃燈仏授記とは別の伝承形式が,法 蔵部には存在した。  さて,何故,仏塔に奉納するものとして,釈尊の髪や爪が,在家者に重宝 されたのであろうか。西北インド出身の商人などにとっては,移動の際,携 帯するのに便利であったのかもしれないが,「聖遺物」を塔に収める行為に ついては,より多角的な検討が必要である。仏陀観および仏塔信仰の展開を 明確にするうえでも重要な課題となるであろう。 注 ⑴ 二帰依の商人のエピソードを記載する文献については[雲井1988][定方2002] [村上・及川2013:99‒103]参照。なお,二商人が三帰依を唱える文献も複数ある。 ⑵ 燃燈(skt. Dīpaṃkara)仏については,「定光如来」など,種々なる漢訳があるが, 本稿では引用文を除いて「燃燈仏」と統一して表記する。燃燈仏授記を保存する文 献については,以下を参照。[赤沼1981][田賀1974:128‒169][Matsumura 2008] [Matsumura 2011] ⑶ [外薗1983]参照。 ⑷ 『四分律』仏陀耶舎,竺仏念等訳,T.22, No. 1428(410∼412年訳出),『仏本行集 経』闍那崛多訳,T.3,No. 190,(587‒592年訳出) ⑸ [平川2000:128‒132]参照。 ⑹ [定方2002]参照。ここでは二帰依の商人のエピソードを記載する十五種類の文 献について,その内容を整理・検討している。一方,二帰依の商人のエピソード は,ガンダーラの仏教美術作品に多く現れる「仏鉢」にも深く関わるようである。 詳細は[杉本瑞帆2013]参照。 ⑺ Mahāvastu 所載の二帰依の商人のエピソードにも,彼らがウッカラ地方を経由し ている記述がある。(MV, vol. 3, p. 303) ⑻ [赤沼編1967:523]参照。[水谷1971:90]によると,プシカラーヴァティー は,今のスワート河とカーブル河の接合点より少し上流のスワート河左岸にある Chārsadda (Chārsada) であり,アレクサンドロス大王進入時から法顕の訪印時にも

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ガンダーラの首都であったという。 ⑼ [水谷1971:41]所載の翻訳を使用した。 ⑽ [内記2016:6‒9]は,現在のペシャーワル盆地をさして「ガンダーラ地方」と 呼び,その周辺地域をまとめて呼ぶ場合,西北インドの用語を使用している。「ガ ンダーラ地方」の周辺地域とは,東南の「タキシラ地方」,北の「ウッディヤーナ 地方」,西の「ナガラハーラ地方」,さらに,西方のアフガニスタンのカーピシー地 方やバーミヤーン地方のことであり,これらの地域を総称する際,西北インドとし ている。(上記の「 」で表記した地方名は玄奘が用いた名称となる。)本稿で「西 北インド」の用語を用いる場合はこれに従う。 ⑾ [定方2002]参照。『仏本行集経』や Lalitavistara では二商人はインドの北方出身 であることを伝えている。 ⑿ 『四分律』巻31「受戒揵度」(T.22, pp. 781c‒785c,法蔵部帰属)では,二帰依の 商人のエピソードのなかで,釈尊の髪爪供養についての記述があるが,造塔の記 述はない。『摩訶僧祇律』巻29(T.22, p. 461b‒c,大衆部帰属),『仏本行集経』巻32 (T.3, pp. 801a‒803b),Mahāvastu(MV, vol. 3, pp. 303‒311,大衆部中説出世部帰属) には,釈尊の髪爪供養およびそのための造塔の記述が,二帰依の商人のエピソード のなかにある。Nidānakathā(上座部大寺派帰属)では髪のみについて,その供養 および造塔についての記述がある(Jātaka, vol. 1, PTS, pp. 80‒81)。[杉本卓洲1984: 250‒251]参照。 ⒀ [平岡2010:398‒399]参照。 ⒁ Nidānakathā の著者は不明とされる。成立年代はおそらく5,6世紀頃であろう。 詳細は[藤田1981:188‒213]参照。また Theragāthā の註釈書は,ダンマパーラの 著作と考えられている。彼はブッダゴーサ(5世紀前半)よりあとの人物である が,活動時期は明確ではない。[村上・及川2013]は6世紀の人物と推定する。 ⒂ 『四分律』における仏塔記述については[寺崎1994][杉本卓洲1995]参照。な お,律蔵の仏塔記述については[Bareau 1962][下田1997:90‒128]で詳細に検討 されている。 ⒃ 『四分律』「受戒揵度」仏伝(T.22, pp. 779a‒799b)の内容・構成は以下の通り。  1.釈迦族の系譜・菩薩(釈尊)誕生→2.菩薩の誕生時に相師バラモンが菩薩 の備える三十二相,仏陀となるか転輪聖王となるかについて述べる→3.生老病死 に厭離の心をいだいて出家→4.摩竭王䘞沙との会見(菩薩が備える相好が強調 されている内容)→5.二人の仙人(阿藍迦藍,鬱頭藍子)との出会いと別れ→ 6.六年苦行,五比丘の供侍,苦行の放棄,五比丘が去ること→7.成道(四禅三 明による)→8.二帰依の商人のエピソード(最初の優婆塞の物語,燃燈仏授記 を含む)→9.呵梨勒樹神の二帰依(諸神最初の帰依者)→10.鬱䧨羅村婆羅門

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とその婦人である蘇闍羅大將の娘の二帰依(最初の優婆夷),それ以外の鬱䧨羅村 婆羅門の男女の二帰依→11.文驎龍王の二帰依(畜生中で最初の二帰依者)→12. 梵天勧請,説法決意→13.優陀耶梵志との問答→14.五比丘への初転法輪,五比 丘の具足戒(善来具足)→15.良家の子息である耶輸伽の出家,釈尊からの説法, 具足戒(善来具足)→16.耶輸伽の父の三帰依,優婆塞となる→17.耶輸伽の母 と妻の三帰依,優婆夷となる→18.耶輸伽の友人四人出家,具足戒(善来具足) →19.耶輸伽の友人五十人出家,具足戒(善来具足)→20.さらに友人五十人出 家,具足戒(善来具足)→21.那羅陀梵志の具足戒(善来具足)および伊羅鉢龍 王の三帰依(畜生最初の三帰依)→22.魔波旬との問答→23.比丘たちの遊行お よび地方における三帰依具足の許可→24.鬱䧨羅劫波園にて五十人を教化,その 出家と具足戒(善来具足)→25.三迦葉とその弟子千人の帰依と具足戒(善来具 足)→26.三事教戒→27.摩竭王䘞沙の帰依および竹林精舎の寄進→28.優波提 舎,拘律陀とその弟子二百五十人の帰依,具足戒(善来具足)  上記8に保存されている燃燈仏授記の内容(T.22, pp. 782a‒785c)は以下の通り である。  ①過去久遠世,勝怨王の治世に,提閻浮婆提王の王子として定光菩薩が出生。七 歩歩行。「我天上世間に於いて最上最尊なり」の宣言。→②相師,菩薩を占相する。 在家であれば転輪王,出家すれば仏陀となるとあり。→③四乳母の奉仕,八,九歳 のとき種々なる学問・武芸を学ぶ。→④十五,十六歳のとき,父王が冬・夏・春に 応じた三時殿を設け,そこで不自由なく生活する。五欲の歓楽。→⑤四門出遊。首 陀會天が化作した老人,病人,死人,沙門に出会い,即日出家。即日成道し定光如 来となる。→⑥一大城化作,化城火照,諸人(六十六那由他の人,五十五億の声 聞)教化。→⑦定光如来の評判を聞いた勝怨王が,定光如来へ招請の使者派遣,定 光如来の受請,勝怨王のいる蓮華城に向かう。→⑧定光如来が蓮華城近郊の呵梨陀 山龍王宮に住止,十二年中三千大千刹土に放光。→⑨勝怨王が龍王宮へ往詣,定光 如来と会談。定光如来が蓮華城に入ることとなる。→⑩勝怨王は人民に蓮華城周辺 を荘厳させ,自身が定光如来を供養するという理由から,人民に対して香花の売買 を厳重に禁止する。→⑪その頃,蓮華城では祀施婆羅門が自身の後継者となるべき 優秀な人材を求めていた。自分の後継者に財産と娘である蘇羅婆提という女性をあ たえようと考えていた。その第一候補として十二醜という婆羅門がいた。→⑫一 方,雪山の南に珍宝という五百人の弟子を持つ高名な仙人がいた。その第一の弟子 に彌却という者がいた。彌却は師恩に報いるため,五百金銭を工面するため,遊行 し蓮華城に至った。→⑬彌却は祀施婆羅門の一門に出会い,彼らとの論議に勝利す る。彌却の能力に歓喜した祀施婆羅門は,財産と蘇羅婆提をあたえようと申し出

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る。彌却はこれを断り,五百金銭のみを受け取り,蓮華城に入城した。→⑭彌却は 定光如来の蓮華城への入城を聞き,供養の香花を求めたが,勝怨王の制により得る ことが出来なかった。しかし,彌却を慕う蘇羅婆提より蓮華の花を得る。→⑮彌却 は蘇羅婆提より得た蓮華の花により定光如来を供養。その後,定光如来による現泥 土,彌却の布髪,誓願,定光如来より成仏の授記。無数阿僧祇劫の後,悟って釈尊 となることが告げられる。→⑯現在との連結。祀施婆羅門=執杖釈子,蘇羅婆提= 瞿夷,十二醜=提婆,珍宝=彌勒菩薩,彌却=釈尊 ⒄ 詳細は,[拙稿2012a][拙稿2012b]参照。 ⒅ 燃燈仏授記における髪の供養および造塔については[宮崎2010:171‒168]参照。 『四分律』の他に,『仏本行経』『仏本行集経』Divyāvadāna 所載となる燃燈仏授記 の頭髪供養に関する記述が詳細に検討されている。他に[Strong 2004:55‒56]参 照。 ⒆ 関連事項として,『普曜経』Lalitavistara 等では,二商人に対して釈尊より未来成 仏の授記が描かれている。[田賀1974:98‒100]参照。 ⒇ 燃燈仏授記のみを記載する単独の経典がチベット訳で存在し,近年,その全容が 明らかとなっている。その内容は『四分律』『仏本行集経』所載の燃燈仏授記とも 共通点が多いようである。このような文献が,法蔵部の内部に存在した可能性は高 い。詳細については以下を参照。[静谷1975][Matsumura 2011][Matsumura 2012] 『仏本行集経』巻32所載の二帰依の商人のエピソードに収録されている燃燈仏授 記は,同様の構成をもつ『四分律』に比べると,簡略に描かれている。ここでの燃 燈仏授記について,以下にその全文を示しておく。  爾時,帝梨二商主等,從於佛邊受髮爪已 ,作如是念。此之髮爪,乃是身上所棄之 物。法非勝妙,不合尊重。無供養心 。爾時世尊,知彼一切商人心已,告彼等言,汝 等商主,莫作是念。我憶往昔,無量無邊不可 計劫,有一世尊出現於世。名曰然燈如 來 ,多陀阿伽度,阿羅呵,三藐三佛陀,善逝,世間 解,無上士,調御丈夫,天人 師,佛,世尊。我於彼 時,作一婆羅門摩那婆,具足解於四毘陀論。 我於爾時,見彼 世尊入於一城。城名蓮花。 我於彼時,以五莖青優鉢羅花,散彼佛上,即 便發於菩提 之心。時彼世尊,即授我記,汝摩 那婆,於未來世時節過數阿僧 劫,當得作 佛,號 釋迦牟尼,多陀阿伽度,阿羅呵,三藐三 佛陀。我時於彼世尊法中,捨離居家,剃除 鬚髮,而便出家。我出家後,一切諸天,取於 我髮,一髮即有十億諸天,作分將行, 而共供 養。從彼已來,我今得成阿耨多羅三藐三菩 提,以佛眼觀彼等衆生,無一衆生 各在佛邊 而不皆得證涅槃者。我於彼時,既未免脱貪 慾瞋癡,猶尚供養我之髮爪無量 衆生,千 萬億數,而得涅槃。況復今日盡諸一切煩惱 結惑貪慾恚癡,皆悉除滅。汝 等,何故不大尊 重我此清淨無染髮爪 。爾時商主及諸人等,聞於世尊説是往昔因 縁之 事,即於髮爪生希有心,生大尊重恭 敬之心,頭頂一心禮世尊足,圍遶三匝,却歩 而

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行。(T.3, p. 803a‒b) 『仏本行集経』における燃燈仏授記と二帰依の商人のエピソードについては,い ずれも『四分律』と親近性があることから法蔵部の伝承と同系統とみなしてよいで あろう。[宮崎2010:171 (note 35),168 (note 43)]参照。 [定方1996]参照。 [水谷1971:77‒78]所載の翻訳を使用した。 [定方1970][定方1998:317‒335][宮崎2012:106‒107]参照。 [モタメディ1978][安田1984][安田2010]参照。 略号および参考文献 PTS = Pali Text Society. T = 大正新脩大蔵経

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参照

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