85
この小論では、アンリ・フォシヨンの美術と美術史をめぐる試論『かた ちの生命』における思索のエッセンスを読み解き、この作品をそれが生ま れた文脈の中に置き直してみたい。この書がフォシヨンにとって唯一のま とまった方法論的著作であることを考えればなおさら、彼がこの試論を著 わすことによって解決しなければならなかった課題を探ることが重要であ ると考えられるからである
1
)。アンリ・フォシヨン(
1881 ‑ 1943
)は、ディジョンで版画家ヴィクトー ルを父として生まれた。知的存在としての彼の顕著な特徴は、その関心の 幅広さと多面性である。生涯を捧げたのはむろん美術史研究という分野で あったが、同時に彼は社会党の活動家であり、多くの劇評をものした批評 家でもあった。歴史と文化全般にわたる彼の関心は、その美術史研究のテ クストにも往々にして感じ取ることができる。一方美術史家としてのフォシヨンを特徴づける点として、メチエの重視 をあげることができる。版画家を父に持ち、その父との交流を持った芸術 家たちを身近に感じて過ごした経験とおそらく無縁ではないこの特質は、
『かたちの生命』の思想にも濃い影を落としている。この点は後に確認し
1
)Henri Focillon, Vie des formes, Paris, 1934.
このテクストはその後「手を讃 えて」を加えた増補版が刊行され、現在に至っている。Henri Focillon, Vie des formes, Édition nouvelle suivie de l’“Éloge de la main”, Paris, 1939.
本 稿では、このテクストから引用する際には、すべて次の拙訳を用いる。フォ シヨン、アンリ(阿部成樹訳)『かたちの生命』ちくま学芸文庫、2004
年。アンリ・フォシヨン『かたちの生命』
──その思索のエッセンスとコンテクスト──
阿 部 成 樹
86
たい。フォシヨンの美術史家としてのキャリアの中でこうした自己形成を 反映していると思われるのは、版画というジャンルへの深い愛着であり、
それを体現するいくつかの著作である(『北斎』『ピラネージ』『版画の巨 匠たち』など)
2
)。美術史家フォシヨンの今ひとつの特徴は、その視野の広さである。彼の 視線は空間的にはヨーロッパを越えてアジアに向かい(『北斎』『仏教芸 術』)
3
)、「美術」のジャンルを越えて民衆芸術を包含し、時代的には中世と 近代というかけ離れた時期の西洋美術にかんして大部な著作を残している のである。こうした視野の広がりもまた、小著である『かたちの生命』の テクストに、凸面鏡に映った世界のミニチュアのように反映されている。さて、そのふたつの大作に見られるフォシヨンの考察の特質を確認して おきたい。近代絵画をあつかった
2
巻本、『19
世紀絵画』(1927 ‑ 28
)を 特徴づけるのは、そのパノラマ的な視野の広がりと構成である4
)。フォシ ヨンは19
世紀をひとつの完結した世界と見ながら、その世界をイベリア 半島からロシア・東欧に至るまで俯瞰的に眺め渡す。基本的な外枠は、古 典主義、ロマン主義といった潮流の交代という歴史的枠組みによって与え られているものの、その実質的な叙述はむしろ空間的なカタログ化に見え る。読者はちょうど博物館の展示室を経巡るように、この大作を横断して2
)Hokousaî, Paris, 1914 ; Giovanni-Battista Piranesi, Paris, 1918 ; Maîtres de l’estampe : peintres graveurs, Paris, 1930.
なお父ヴィクトールとの関わり や版画への傾倒については、以下の拙論も参照されたい。阿部成樹「アン リ・フォシヨンにおける手と手仕事をめぐって」『紀要 言語・文学・文化』中央大学文学部、
120
号、2017
年、65 ‑ 91
頁。3
)Henri Focillon, L’art bouddhique, Paris, 1921.
4
)Henri Focillon, La peinture au XIXe siècle : Le retour à l’antique - Le
romantisme, Pairs, 1927 ; La peinture au XIXe et XXe siècles : Du réalisme
à nos jours, Paris, 1928.
これらの書物は、タイトルを『19
世紀絵画La
peinture au XIXe siècle
』と統一された上で、1991
年にフラマリオン社から 復刻されている。本論ではこれに倣い、この2
巻本を『19
世紀絵画』と表記 する。復刻版には原著との異動はほとんどないが、アンリ・ロワレットによ る有益な紹介が第1
巻に収録されているほか、参考図版の画家別索引が新た に付されている。一方、原著の扉と献辞は収録されていない。87
行く感覚にとらわれる。ここには、ソルボンヌに移る以前、リヨン時代に 経験した美術館勤務の影響があるのかもしれない。時間の縦糸に沿って美 術の変遷の物語を追うよりも、その同時代的多様性を比較を通じて明瞭に することが目指されているように思える。
ほぼ
10
年後の1938
年、ソルボンヌで中世美術を講じてすでに14
年ほ ど経っていたフォシヨンは、その集大成たる書物、すなわち『西欧の芸術 ロマネスクとゴシックの中世』を刊行する5
)。近代絵画史から中世美術史 へと研究対象を大きく変更したことが、リヨンにおける美術館兼務から、ソルボンヌの中世美術講座の教授に異動したという外的な事情につきるも のなのかどうかは、つまびらかにしない。だが結果としてこのことは、フ ォシヨンの思索に変化と深まりをもたらすことになったように見える。
19
世紀美術と中世美術、このふたつの分野のまず目につく大きな違い とは、作者性の有無である。作家名と作品を切り離すことのできない近代 美術に対して、フォシヨンが取り上げる中世美術作品の大多数は、最終章 で扱われる中世末期の絵画を除けば、ほとんど作者名を持たない。その結 果、近代絵画史の場合以上にいわば純粋に、作品のかたちが美術史記述の 中心的な主題となる。それは、かたちとしての作品が主体として振る舞う ひとつの世界の記述となるであろう。中世美術へと研究対象をシフトした ことが、フォシヨンをより深いかたちの思索へと導いたのか、あるいはそ うした思索を深めるために中世美術の世界が選ばれたのか、その事情は今 のところ私には明らかにできないが、いずれにせよ言えることは、中世美 術の世界が結果としてかたちをめぐるフォシヨンの思想を育む苗床として 適していたということであり、裏返せば中世美術研究への転回は、彼の思 索の成熟の上で必然的なものであっただろうということである。5
)Henri Focillon, Art d’Occident : Le Moyen Age roman et gothique, Paris, 1938
;フォシヨン、アンリ(神沢栄三、長谷川太郎、高田勇、加藤邦男訳)『西欧の芸術
1
ロマネスク(上下)』鹿島出版会、1976
年;フォシヨン、ア ンリ(神沢栄三、長谷川太郎、高田勇、加藤邦男訳)『西欧の芸術2
ゴシッ ク(上下)』鹿島出版会、1976
年。88
さて『西欧の芸術』はしかし、単にかたちの世界にのみ沈潜した作品で はない。かたちの世界のかたわらに──なぜ「背後に」と言うのが適切で ないかは、後に明らかになる──常に中世ヨーロッパ世界が意識されてい るからである。フォシヨンは『
19
世紀絵画』の場合のように、まずは中 世美術の多様性をありのままに捉えようとする。だがその多様性を記述す る枠組みは、『19
世紀絵画』よりも柔軟である。『19
世紀絵画』のもっと も基本的な枠組みをなしていた様式的・通時的分類は、「ロマネスク」と「ゴシック」という大分類を残しつつ後退している。つまり、ふたつの大 様式の内部に存在する下位の様式はほとんど章立ての中に姿を現さないの である。また、『
19
世紀絵画』において下位分類の役割を果たしていた国 境と地域の枠組みもまた、ほとんど用いられていない。それに代わって叙 述の骨組みをなしているのは、おおむね時間軸に沿って捉えられた、中世 美術のさまざまな特質である。結果として『西欧の芸術』は、『19
世紀絵 画』を構築していたあの博物館の展示室のような画然とした構成を放棄し て、時空間に随伴する美術の変遷そのものを追跡するスタイルを取ってい るのである。そうした中で各地域の中世美術の多様なありさまが眺められるわけだ が、その多様性の記述と表裏をなしているのは、中世美術、あるいはそれ を通して見出される中世ヨーロッパ世界そのものの一体性である。この一 体性はさまざまな印象的な言辞によって強調されているのだが、こうした 観点はひとりフォシヨンだけのものではなかった。この時代、いくつかの 重要な中世文化研究、中世史研究が、その中世への旅を通じてひとつの世 界としてのヨーロッパ像の再構築を志向していたからである。文化史の分 野で言えばヘッカー(『西欧の父ウェルギリウス』)
6
)やクルツィウス(『ヨ ーロッパ文学とラテン中世』)7
)の文学史、歴史学で言えばピレンヌ(『ム6
)Theodor Haecker, Vergil, Vater des Abendlandes, München, 1931.
7
)Ernst Robert Curtius, Europäische Literatur und lateinisches Mittelalter,
Bern, 1954 (1948) ;
クルツィウス、エルンスト・ローベルト(南大路振一、89
ハンマドとシャルルマーニュ』)
8
)、ブロック(『封建社会』)9
)によって唱導 された比較史の試みが、それにあたるだろう。文化と歴史を国境によって 分断せず、個性と多様性を吟味しつつも一体性を確かめること。それは第 一次大戦の教訓によって背後から支えられた普遍主義(反民族主義)の振 る舞いでもあったのであり、フォシヨンもまたその一翼を担っていたので ある。この姿勢の重みを知るには、次の大戦へと急速に傾斜して行くこの 時期、民族主義的文化論が猛威を振るっていたことをも思い起こす必要が あるだろう。『西欧の芸術』において今ひとつ目を引くのは、歴史、すなわち時間的 次元のより積極的な導入である。『
19
世紀絵画』においては所与の分節的 枠組みでしかなかった歴史的時間は、この書においてはより自由でダイナ ミックなものとなっている。つまり、美術の各ジャンルにおけるかたちの 不均一な歩みが複線的に捉えられているからである。この重層化された時 間には、フォシヨンの歴史意識の深まりが感じられる。このように、近代絵画から中世美術へと主題を変えながら、同時にフォ シヨンは美術とその歴史についての思索を大きく転回させたのである。し たがって、中世美術研究の集大成である『西欧の芸術』を準備する中で、
フォシヨンの念頭には美術作品の歴史を捉えるにあたって省察しなければ ならない、いくつかの課題があったはずである。それは、次の
3
点にま とめることができよう。まず、歴史を生きる主体としてのかたちのあり方を特徴づけること。あ とで見るようにフォシヨンは、かたちを歴史の単なる産物ではなく、それ
岸本通夫、中村善也訳)『ヨーロッパ文学とラテン中世』みすず書房、
1971
年。8
)Henri Pirenne, Mahomet et Charlemagne, Paris et Bruxelles, 1937 ;
ピレン ヌ、アンリ(中村宏・佐々木克巳訳)『ヨーロッパ世界の誕生 マホメット とシャルルマーニュ』創文社、1960
年。9
)Marc Bloch, La Société féodale, Bibliothèque synthèse historique «Collection
L
ʼEvolution de l
ʼHumanité», tome XXXIV et tome XXXIV bis, Paris, 1939 ‑
40 ;
ブロック、マルク(堀米庸三監訳)『封建社会』岩波書店、1995
年。
90
自身が主体的に歴史を切り開いて行く存在として捉える。とすれば、それ を単に時間の中で一回的なもの、相互に孤立した物質的所産と考えるわけ にはいかない。そうした物質的所産に秘められた、作品同士を結びつける 様相に注目しなければならない。だがそれは、図式化された形体、すなわ ち図像や、一定の要件によって定義された様式を作品から抽象することで あるべきでもない。その場合、素材の中に具体化された作品の一回性、個 性を見失い、物質として具現した作品を意味の器として従属的な地位に置 くことになりかねないからである。素材という物質に支えられ、それと切 り離すことができない「かたち」を問題にする理由がここに生じる。孤立 した「もの」への還元と、図式への従属をふたつながらに避けながら、か たちのあり方を注意深く考察しなければならない。そこから生み出される 美術史とは、作品の年表上への配列ではなく、また図像あるいは様式に基 づく分類でもあり得ないだろう。
第二の課題は、個別に創造される作品を、「影響関係」という不自由で 間口の狭い関連づけからは自由な手法で、時間の連なりの中に続いて行く いくつかの系統のもとに結びつける論理を見出すことであった。言葉を換 えれば、それは美術の歴史を押し進める動因を説明することでもある。そ れを考える中でフォシヨンが援用したのが生命というアナロジーであり、
ダーウィンを中心とする進化論の思考ではなかっただろうか。言うまでも なく生物は、個体にせよ種にせよ、創造説の言うように別個に創造される ことはなく、すべてが時間の中で他の個体、他の種との連なりにおいて存 在しているのである。
第三の課題は、上のように考えられたかたちとその歴史の、自立性を確 保することである。ただしその自立性とは、他の要素と何の関わりも持た ずに宙吊りにされているかのような、空虚な自立性ではないであろう。美 術とその作品が人間、その精神、技法、社会といった要素と何の関連も持 たないなどと考えることは、美術史家としての豊富な経験を持つフォシヨ ンにとって不可能であったはずである。彼が考える美術史の自立性とは、
91
それが自動的・機械的に繁茂して行くということではなく(フォシヨンの 主張はしばしばそのようなものと受け取られるのだが)、他の要素との関 係性の中にありながら、しかも他の何かを受動的に反映するだけであった り、一方的に統制を受けたりするということがないようなあり方として考 察されることだろう。端的に言えば、美術の歴史から決定論を排除するの である。それによって、かたちに文化的民族主義──国境による分断の思 想──が影を落とすのを避けることもできる。さらに、空間を越えジャン ルをまたぐフォシヨンの探索は、こうした意味での自立性という前提なく してあり得ないことも明らかである。その前提を確立するために、美術を めぐる関係性(かたちと精神、かたちと社会といった諸問題である)とは 具体的にいかなるもので、なぜその中でかたちの歴史は自立していられる のかが問われなければならない。
『かたちの生命』は、こうした課題と取り組む中から生まれた試論では ないだろうか。以下ではそうした視点から、この小著の思索を読み解いて みたい。
a.
かたちという存在先にも触れたように、美術作品が歴史的時間を主体的に生きる存在であ るとするならば、それを単なる物質的所産と受け止めるわけにはいかな い。その場合作品は、機会に応じて作られ、個々ばらばらに存在し、補作 によってつなぎ合わされたり、収集家の陳列室で隣り合ったりすることは あっても、相互の歴史的つながりの相の下に見られているわけではないか らである。
一方、様式論や図像学が対象とするような、具体的な作品から抽象され た図式もまた、歴史の主体とは言えない。それらは結局のところ、他の何 か、例えば「精神史」や「視覚形式の歴史」、「技術史」の反映としての従 属的な地位に置かれざるを得ないのである。
かたちはまた、それが解釈に対して開かれており、新たな意味を産出し
92
続けるという意味でも、図像ではない。図像の基本的性格とは、それがひ とつの特権的な意味と結びつけられる点にあるからである。だが図像へと 蒸留される以前のかたちが、解釈者が属する時代的・文化的あるいはその 他のコンテクストに応じてさまざまな意味を生じ得ることは明らかであろ う。かたちは記号と異なり、多様な読解を必然的に生み出す。とすればか たちは精神活動の単なる産物ではなく、精神の働きを生み出すものでもあ るということになる。この点は、前述の第三の課題とも関連するだろう。
また、意味の産出というかたちの活動性は、生命のアナロジーとも親和性 を持つことを指摘しておきたい。
こうしたフォシヨンの立場は、かたちと意味の一対一対応を前提とする 図像学が依拠する記号論的見方、あるいはその解釈ゲームに対する批判と 取ることができる。『かたちの生命』が刊行された
1934
年は、イコノロ ジーの唱道者であるパノフスキーによる『イコノロジー研究』刊行(1939
年)の5
年前にあたる。整備途上の図像解釈学に対するフォシヨンの反 応と考えるのも、あながち見当外れではないだろう。一方美術作品の様式もまた、図式的に、つまりいくつかの形態的要素か ら定式化される表現の特質──ちょうどヴェルフリンが考えたような──
ではない。フォシヨンによれば様式は、形態的要素と同時にそれらを結び つける統語論的な特徴によっても区別されるのであり、またそれらの特徴 は所与のパッケージとして与えられるのではなく、試行錯誤の結果生成す る歴史的形成物である。このことも後に再度見ることにしよう。
さてかたちをそこから抽象される図式と同一視することを拒否するとす れば、それはかたちの具体性、つまりかたちにおける素材の重要性に着目 することでもある。フォシヨンに言わせれば、かたちと素材とは不可分で ある。素材はそもそも、作家が手をつける以前の生の状態においてすで に、その堅さ、色彩、肌理などにおいてかたちである。素材のかたちは技 法によって変容を被りつつ、作品のあり方に参画する。それゆえ、ある作 品を他の素材で再現すること(例えば絵画の版画化)は、必然的にひとつ
93
の翻訳である。「かたちは常に受肉そのもの」
10
)である。とすると、かたちは、技法(手、道具)と素材とが出会う場に生まれる ということになる。この技法とは、決して固定した手順ではない。それは むしろ果てしない試行の連続である。技法と変化は切り離すことができな い。なぜなら、技法は素材に変化をもたらすと同時に、その実験的性格に よって自らも常に変容するから。かくして、フォシヨンの言う技法の構成 要素として、自由(創造的自由)と歴史(歴史的時間)が姿を現す。固定 的手順を離れるためには自由が必要であり、試行錯誤は常に時間の中で展 開されるからである。あらゆる作品の背後には、自由に展開された試行錯 誤の経緯が存在する。つまり作品は自由に育まれ、時間の中で生成する。
素材については、さらにつけ加えるべきことがふたつある。そのひとつ は、空間もまた作品の素材であるということだ。空間は単なる抽象的な
「場」ではなく、装飾文様に典型的に見るように、かたちが空間を作り出 し、その運動によって切り開いていくのである。空間がかたちの変容を可 能にする条件であり、同時にかたちが空間を切り開くという意味で、空間 はかたちの運動の相関者である。
空間は作品を受けとめ、包む。つまり空間と作品とは一体である。建築 について言えば、特に外観において堅固な部材が充実した空間的特質を持 つのと同時に、内部空間もまたひとつの部材として建築の一部をなしてい る。他方彫刻の表面は、その内的な充実と作品を包み込む周囲の空間とが 接する界面であり、不連続面である──海水面が、水と大気の界面である ことをイメージしよう。このように空間は作品の実質的な構成要素であ り、その意味でかたちの素材である。このようなかたちと空間の関連づけ は、生物と彼を取り囲む環境との関連を思わせないでもない。
いまひとつは、かたちは精神において思い描かれる際にも、それが図式 ではなくかたちとして思い描かれる以上、素材とともに想起されていると
10
) 拙訳110
頁。94
いうことである。フォシヨンは、作曲家が旋律を思い浮かべるときのこと を想像するよう促す。彼は常に、具体的な楽器の音色によって旋律を思い 描くのではなかろうか。同様に芸術家がかたちを思い浮かべるとき、それ は素材を備えた姿で思い浮かべられる、とフォシヨンは言う。水彩画家は 水彩で、銅版画家はインクによって、常にかたちを思い描くだろう。つま りかたちとは、素材を欠いた「像」ではないのである。
さてかたちが図式ではなく、素材に受肉された具体的なものであるとす れば、それは静止した堅固な対象なのだろうか。フォシヨンは、それを否 定する。彼によれば、作品の静止は見かけ上のものであり、「実際には、
芸術作品は変化から生れ出て、新たな変化を準備する」
11
)。そうした変容 の契機は、例えば絵画の場合であれば習作から完成作に至るまでの試行錯 誤が生み出すかたちのヴァリエーションの中に見出すことができるし、ま たフォシヨンがしばしば参照する装飾文様は、たとえイスラムの厳格な幾 何学文様でさえ、果てしない運動と変容の視覚化にほかならないのであ る。また北斎やラファエロが、人体というひとつの対象から無限に多様な かたちを引き出すとき、そこにもフォシヨンは変容の作用を見出す。そし て建築ですら、光の作用によって刻々と表情を変えるがゆえに、やはり変 容を秘めている。つまり、制作と受容のふたつの局面の中に、かたちの変 化と運動とが織り込まれているのである。このように「かたちは 変 容 の原理に従っており、この原理がかたち をいつまでも若返らせる」
12
)。こうしてフォシヨンは、かたちの多様性──それは一点の作品の中にも秘められているし、習作と完成作のあいだに も、あるいは別個に制作された種々の作品のあいだにも感知できるのだが
──から、かたちの生命というひとつの主体の活動を浮かび上がらせるの である。
以上の考察から、かたちという存在の独自のあり方が見えてくる。かた
11
) 拙訳21
頁。12
) 拙訳20
頁。95
ちは素材を欠くことのできないある具体的なものであり、その姿と多様性 からは、刻々と変容を遂げるある活動性が感じられる。そしてかたちを生 み出す制作もまた、試行錯誤の連続なのであり、結局かたちも制作も、時 間的継起の中で自由を前提として、連鎖の中で展開しているということが 分かる。
b.
かたちの歴史、その動因としての生命さて、おおよそ以上のような視点でかたちを捉えて初めて、生命とのア ナロジーが意味を持つ。フォシヨンが生命のいかなる属性に注目して、そ れをかたちのあり方に重ね合わせているのか確認しておこう。
フォシヨンは、「時間におけるかたち」と題された章の冒頭で、「かたち の生命について語ること、それは必然的に継起という観念を呼び起こすこ とである」
13
)と言う。つまり彼は、生命の時間的継続という特質に着目し ている。そして生命が個体に宿りつつも、時を通じて受け継がれていくも のであることは言うまでもない。フォシヨンはまずこの生命の時間性を捉 えて、美術作品のかたちのあり方と重ね合わせているように見える。先に見たように、フォシヨンはひとつひとつの作品が試行錯誤の中で生 成してくる点に注意を促していた。だが同時にフォシヨンは、様式もまた さまざまな試みの結果として生まれ、多様化すると考え、それゆえに彼は 様式を「種」にたとえているのである。
図像学やイコノロジーにフォシヨンの美術史を対置するとき、その立場 は様式史(様式論)と呼ばれがちである。しかしながら、フォシヨンは様 式に関しても、図式的な捉え方はしない。周知のようにヴェルフリンは、
ルネサンスとバロックというふたつの様式を
5
対の概念によって定式化 しようと試みた。フォシヨンによれば、様式とは特定の形態的要素によっ て定義できるような図式ではなく、それらの要素の統語論的な特質が重要13
) 拙訳158
頁。96
だという(例えばギリシア建築におけるオーダーに見るように)。だが、
様式を生み出し変遷させるものが素材と技法に大きな関連を持つ試行錯 誤、実験的探究と見る点が、それ以上に重要であろう。このような見方に 基づいてフォシヨンは、様式、ひいては美術作品のかたちが、何らかの背 景的条件(例えばヴェルフリンの言う「視覚形式」)の関数なのではなく、
またそれゆえにある方向、ある段階へと単線的に移り変わっていくもので もないことを指摘する。つまりある様式に見られる一貫した特徴は、所与 のものではなく、実験を通じて生成する可変的なものであり、歴史的産物 ということになる。
このように、かたちも様式も時間の中で生成し展開している点で生命と 重ね合わせることが可能であるが、同時にそれが絶え間なく変化する点、
そしてその変化が決まったコースをたどるのではなく、時に偶然の参画を 許容しつつ自由な冒険に向けて開かれていると捉える点で、フォシヨンが 語るかたちの活動は、進化論が再構成しようとする生命史と似た構造を持 っている。
生命現象はひとつであると同時に、その表現型は多様を極めている。そ してその多様性は、一体である生命が時間の流れの中で休みなく生み出し ているのである。つまり生命は本質を一にしながら、形態において絶え間 ない変化のさなかにある。そのメカニズムを論理的に解き明かしたのが、
周知のようにダーウィニズムを始めとする進化論である。ダーウィニズム は、系統分岐というロジックを用いることによって、現在の時点で空間内 に展開している生物の多様性を、ひとつの系統樹という時間的構造の中に 置き換えることに成功した。その結果、変化のない母体と考えられていた 自然に歴史が導入されることになった。そしてまた自然選択という考え は、変異という進化の内的原因と、環境という外的原因とのバランスを取 ることによって、進化を内的な必然性によってコースが決められた、いわ ば不自由な物語から救い出すことに成功したのである。こうしてダーウィ ニズムは、多様性が初めから存在したと考える創造説の静止した自然観か
97
らも、そして内的な原因で生命が進化するという目的論的神秘主義から も、生命を解放したのである。
フォシヨンもまた、一点の作品の制作、あるいはひとつの様式の生成過 程において、過誤や退行、失敗をも含むさまざまな冒険的試みと、素材や 偶然、そして社会の働きに注意を促し、それによって美術の歴史を法則 性、受動性から解放しようとする。そこには、ダーウィニズムにおける自 然選択──内的な変異と外的な環境との相互作用による進化──の考え方 との近似が見て取れる。さらにまた、フォシヨンはかたちが変容と再生と いう活動性の相の下に連鎖していると見た。その変容とはつまり、かたち が果てしない多様性へと開かれていることを指すが、ダーウィン進化論が 捉える生命の活動もまた、系統分岐による無限に多様な表現型の産出とし て語られるのである。実際フォシヨンは制作という試行錯誤の過程で、あ るかたちがさまざまな 異 作 へと枝分かれしていくことに注目を促してい る。様式もまた同然であり、模索と各地域に固有の環境との相互作用が、
ひとつの様式の中に多彩な「方言」を生み出す。こうしてかたちの生命史 は、ルネサンスの次にバロックが来るというように一斉に交代していく単 線的なものではなく、むしろ新たな実験と環境によって次々に多様化し、
複線化していくものとして語られているのだが、このような語り方そのも のが、ダーウィニズムをはじめとする進化論のロジックに比較可能と思わ れるのである。あるいはむしろ、ダーウィニズムの論理がフォシヨンの眼 と思考を開かせたのかも知れない。
フォシヨンは、本質的に同一の存在である美術という活動と、その自由 で多様な現れを両立させる論理を、進化論の中に見出したのではないだろ うか。そのように考えるとき、この試論の名高い暗喩的表現──「かたち の生命」──は、単なる詩的な言い回しではなく、まったく論理的な理由 で選びとられたものと考えられるのである。
98 c. かたちの歴史、その自立性
さてしかし、かたちのあり方、その歴史性を生命の歴史と同じ構造で捉 えることは、ふたつの危険性を持っている。そのひとつは、こうした論理 が生物学的決定論と解されかねないことである。この点は、『かたちの生 命』が刊行された
1934
年という日付を想起するなら、深刻な問題である。事実、文化を「血」と結びつける文化的民族主義が大きな影響力を持って いたこの時代において、こうした誤読をこうむるおそれは十分にありえた と言えよう。
すでに『西欧の芸術』に即して見たように、フォシヨンは国境や民族と いう枠組みを超えた次元で美術の歴史を見ようとした美術史家である。そ してその立場は、『かたちの生命』においても随所で繰り返されている。
芸術家は、ある民族の一員であるとともに、その枠組みを超えた別種の集 団(「精神的 血 族 」)に属しているとされるし
14
)、民族とその特質なるも のもまた、固定的な土台や枠組みではなく、歴史の中で生成変化する与件 に過ぎないと指摘されている15
)。こうした主張は、かたちの根拠を実際の 生体に求めたり、かたちの特質が生物学的与件によって決定されると考え たりすることへの拒否と受け取ることができるだろう。このような拒否 は、やはり文化を歴史的生成と相互交流の面から捉える当時の比較史(先 に見たピレンヌ、ブロックなど)や、文化人類学の一部(文化圏説、ボア ズ学派)、デュルケムやモースの社会学などにも共有されていたと思われ る。文化は、有機体を超えたもの、「超有機体」(クローバー)と考えなけ ればならない16
)。だが、フォシヨンは生物学的決定論のみを拒否したわけではない。彼
14
) 例えば『かたちの生命』153
頁末尾以下を参照。15
) 例えば『かたちの生命』165
頁以下を参照。16
)Alfred Kroeber,
ʻThe Superorganic
ʼ, American Anthropologist, XIX, 1917 (reprinted in : Alfred Kroeber, ed., The Nature of Culture, Chicago, 1952, pp.
22 ‑ 51).
この点については、以下の拙論も参照されたい。阿部成樹「フォシヨンとクローバー:美術史と人類学のもうひとつの接点について」『日仏美 術学会会報』、
29
号、2009
年、61 ‑ 75
頁。99
は、すべての決定論を退ける。それによってかたちの歴史を自立したもの と考えるのだが、先にも述べたように、その自立性とは真空にひとり立つ 自立性ではなく、自動機械のごとき空虚な自立性でもない。関係性の中に あって自立を保つ自立性である。だが、「かたちの生命」という暗喩は、
ときとして美術史をあたかも自然の歩みのごとくに捉えたものと解されか ねない。これがこの試論の暗喩がはらむ、ふたつめの危険である。
だがここまで見てきた通り、フォシヨンの言うかたちの生命史は、決し て決定論的自動現象ではない。つまり、人間の与り知らぬところで勝手に 成長していくと考えられているわけでは全くない。すでに見たように、
個々の作品の制作も、様式という「種」の誕生も、人間の創造的な試行錯 誤によって生まれ、常に新たな冒険に向けて開かれているとされるからで ある。ここにもまた、個々の個体のさまざまな変異と、種という存在の絶 え間ない変容が互いに支持し合う関係に置かれる、ダーウィニズムの論理 を見て取れるかもしれない。個体は常に種に属しているが、だからといっ てそれぞれの変異が規制されているわけではなく、むしろその変異の中か ら種の変容の方向性が生まれてくるのだから、種と個体とは相互に支持し あう関係に置かれているのだが、フォシヨンの言う様式と作品の関係性も それに似ている。
1
点の作品は、自らが属する様式に照らして必ず何らか の〈不純物〉をはらんでいるが、それらの中から新たな様式を生み出す芽 が生じるのである。さてフォシヨンによれば、精神は所与の素材としてのかたちを利用し て、自らの出来合いの内容をそこに盛り込むわけではない。そうではな く、精神が何かを明瞭に意識するとき、つまり語るべき内容を自ら知る過 程が、そのままかたちを生成する過程である。「かたちはいつでも、行為 を願うことではなく、行為そのものである」
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)。つまりリーグルが考えた ように、かたちの生成作用から、〈かたちを生み出す能力〉を抽象するこ17
) 『かたちの生命』135
頁。100
とはできないというのである。次のような場合を考えてみてはどうだろうか。一編の詩をものす以前 に、〈詩を書く能力〉が人に備わっていると考えられるだろうか。そうで はなく、もともとあったのは、言語の運用能力や感受性といった、より広 い意味での能力であろう。もし〈詩を書く能力〉が存在するとしたら、そ れは実際に詩をものしている間だけのことであろう。結局フォシヨンは、
かたちの生命が人間の特定の精神的能力に従属しているわけではないとい うことを説いているのだ。
この点を美術史方法論の歴史に置き直してみれば、フォシヨンの立脚点 がさらに明らかになる。同時代のドイツ=オーストリアの美術史家たちも また、美術史の自立性を担保しようと試み、その根拠を「芸術意志」(リ ーグル)、「視覚形式」(ヴェルフリン)、精神史(ドヴォルシャック)ある いは心理学的背景(ヴォリンガー)といった精神的、心理的特質に求め た。だがこうした方向性は、結局美術史を精神史の反映とすることになる し、またかたちの歴史の果てしない多様化、複線性を説明することができ ず、単線的・斉一的な歴史となってしまうおそれがある。これらはいずれ も、フォシヨンの見るかたちの歴史像とは相容れない。フォシヨンにとっ てかたちが人間の精神的所産であることは間違いないが、かたちのあり方 からいって、それが精神的背景や精神的能力によって全面的に決定される ということはあり得なかった。なぜならかたちは、具体的な素材を相手に 創造的試行を続けるという精神活動から生まれてくるのだから、そこに規 定的・法則的なものが入り込む余地はないのである。それどころか上に見 たように、かたちは新たな意味を産出し続けて、むしろ精神に活動を促す ものでもあるのだ。
かたちの歴史の今ひとつの自立性、つまり他の歴史的生成物との関係性 を見ておこう。フォシヨンによれば、歴史はある広がりを持った現在の積 み重なりであるという。つまり現在というひとつの時間的地点には、実は 多様な現在が含まれているということである。その多様性は、歴史によっ
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て生成されると同時に歴史を切り開く主体の多様性に由来する。言うまで もなくかたちはそのひとつであるが、自然や各種の社会集団(ここで言う
「社会」が必ずしも国家単位の人間集団の謂ではないことには注意が必要 である)、あるいは政治、経済、習俗といった人間活動の各領域などもま た、それぞれの歴史をそれぞれの速度で生きている。たとえば都市と農村 というふたつの社会、あるいは経済と習俗といったふたつの活動領域が、
全く異なる速度で変転することは明らかであろう。このように重層的な構 造を持つ歴史は、その各層がそれぞれの内的な論理で展開するとともに、
各層の間の相互作用によっても歩む速度を変えている。フォシヨンの考え る歴史的時間とは、整然と流れる一本の大河のごとき歴史像からは最も遠 いものである。その歴史は複数の、異なる速度で歩む流れがもつれ合いな がら進むダイナミックな姿を呈している。
こうした多層的歴史の中に、民族がある。民族は、その生物学的特徴を 含めて歴史的経緯の中で生成変化を遂げるものであり、それゆえ「民族的 特質」なるものも固定的な要素ではない。そうした特質とは、本来人間が 普遍的に持つさまざまな側面のひとつが、時の作用の中で顕在化したもの である。例えばフォシヨンは、当時よく引き合いに出された「地中海的特 質」と「北方的特質」というふたつの「民族性」について、それは異なる 時間、異なる歴史がもたらす相違であると考える。つまり人間が普遍的に 持つふたつの「状態」が、異なる歴史的経緯の中でそれぞれ顕在化したも のだというのである
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)。民族主義が想定するような、固定的な人間の類型 など決して存在しない。それは交流、協調、文化等の働きによる変化に向 けて開かれている。こうして「生物学的宿命」19
)は否定される。さらにフォシヨンは、民族以外にふたつの要素を取り上げて、それらの 歴史性を論じている。それは自然環境と社会環境であるが、建築に典型的 に見られるように、これらの環境はかたちと密接に関連を持ち、切り離す
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) 『かたちの生命』167
頁以下。19
) 『かたちの生命』169
頁。102
ことはできない。建築は自然環境に適応したかたちを取るし、ロマネス ク、ゴシックといった各様式の建築を育むに適した社会環境というものが あったことは確かだ。だが、フォシヨンによれば、だからと言って社会環 境によってオジーヴのような具体的なかたちそのものを説明することはで きない。むしろそうしたゴシック建築のかたちの方が、その時代の社会に 新たな生の条件をもたらし、社会を変容させるのである。同様に、ヴァ ン・ダイクの肖像画は英国上流階級に自己イメージの模範を与え、その社 会に目に見える変化をもたらした。かたちと社会との関係は、あくまで相 互に影響を与え合うものとして捉えられる。
このような関係性は、自然環境との間にも考えることができる。アドリ ア海のラグーナに抱かれたヴェネツィア派の画家たちが好んでアルプスの 山容を描くように、かたちは自然環境に対する自立性を発揮することがで きる。「つまり、画家が自分の環境を脱出して、他のそれを選ぶというこ とがあるのだ。新たな環境を選ぶと、彼はその姿を変容させ、再創造し、
普遍的で人間的な価値を与えるのである」
20
)。したがって、かたちは他の歴史の各層(民族、社会、自然など)と深い 相互作用的なつながりを持ちながら、自らの歴史を歩む。「芸術作品は、
時代を映し、同時に時代を超える」
21
)。つまり、美術はいわゆる「時代背 景」の関数ではない。といって、それから切り離されて孤高の道を歩むわ けでもないのである。そして時に他の歴史の流れとの一致点(フォシヨンが「時機
moment
」と呼ぶもの)22
)に出会うこともあれば、新たな地平を開く独自の新たな創造的局面(フォシヨンが「事件
événement
」と呼ぶも の)23
)を迎えることもある。20
) 『かたちの生命』178
頁。21
) 『かたちの生命』183
頁。22
) 同箇所。23
) 『かたちの生命』186
頁。103
以上たどって来たフォシヨンの考察をまとめよう。美術は、素材を得て 具現される個別の作品という具体的な存在から切り離すことはできない。
個体とは別個に「生命そのもの」がどこにも存在しないのと同然である。
だがそのことが生命の一体性を損なわないのと同じように、かたちの多様 な現れはまた、美術という人間活動の唯一性と両立するのである。時間の 中で、周囲を取り巻く環境との関係を持ちながら、自由な試みによって自 らの姿を変化させていくかたちという存在を捉えることが、『かたちの生 命』の目的であっただろう。そしてその姿勢は、最終的には人間の普遍性 に依拠するがゆえに、戦間期にあっては単なる夢想や文学的遊戯ではあり 得なかった。それはそのまま、美術史家を異国の土に帰すことになった彼 の政治的信条と一体となった思索だったのである。