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平安前期物語の ﹁爪弾き﹂

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Academic year: 2021

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162(13)

︻要旨︼

られてきた︒﹁爪弾き﹂は声に出さないののしりであり︑相手に対する攻撃 いる︒そのような中︑﹁爪弾き﹂に関しては身体表現の用語として位置づけ 飲酒に関する表現や結婚のありように注目した論など︑さまざまになされて ﹁いじめ﹂の構造を説いた論︑落窪の君の縫う行為の重要性に着目した論︑ ﹃落窪物語﹄の先行研究には︑徹底した現実主義を指摘した論をはじめ︑ られていることが窺える︒ 上のことから︑他の作品に比べ﹃落窪物語﹄には︑﹁爪弾き﹂が数多く用い の寝覚﹄︑﹃狭衣物語﹄︑﹃大鏡﹄︑﹃宇治拾遺物語﹄に一例ずつ見出だせる︒以 物語﹄に五例︑﹃源氏物語﹄に四例︑﹃土佐日記﹄︑﹃蜻蛉日記﹄︑﹃枕草子﹄︑﹃夜 平安文学作品において﹁爪弾き﹂の用例は︑﹃落窪物語﹄に七例︑﹃うつほ 味する動作としても描かれる︒ 不満・嫌悪・排斥などの気持の時にするしぐさ﹂である︒時に︑魔除けを意 る︒﹁爪弾き﹂とは︑﹁親指の腹に︑人さし指または中指を当ててはじくこと︒ さらに︑繰り返し登場する手の表現に﹁爪弾︵つまはじ︶き﹂が挙げられ 君の手の動きが描かれることとも関連している︒ かれる特徴的な表現である︒このような手の表現は︑衣を縫うという落窪の と﹁手がらみ﹂は︑他の平安文学作品には見られない﹃落窪物語﹄のみに描 その激しい気性が表象されている︒とりわけ︑継母に用いられる﹁もみ手﹂    継子いじめとして名高い﹃落窪物語﹄には︑継母の荒々しい行為に︑

平安前期物語の ﹁爪弾き﹂

     ︱﹃落窪物語﹄ を中心に︱

‘Filliping’ in the early tales of the Heian period: centring on The Tale of Oc hikubo

鈴   木   貴   子

SUZUKI T akak o

を秘めている︒そのしぐさは︑注目するに足る人物の心の声を捉えた身体表現といえる︒本稿では︑﹃落窪物語﹄の﹁爪弾き﹂を中心に考察する︒そして︑平安前期物語や﹃源氏物語﹄と比較することにより︑﹃落窪物語﹄の﹁爪弾き﹂に秘められた独自のありようを明らかにしていきたい︒

はじめに

 

継 子 い じ め と し て 名 高 い ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に は︑ 継 母 の 荒 々 し い 行 為 に︑ その激しい気性が表象されている︒落窪の君を物置のような部屋に幽閉 す る 場 面 で は︑ 乱 暴 に 追 い 立 て る 継 母 の よ う す が ﹁ 衣 の 肩 を 引 き 立 て て 立ちたまへば﹂ ︑﹁物も散らしながら︑逃ぐるものからむるやうに﹂ ︵巻之 一 ︱ 一 〇 二 ︶ と 記 述 さ れ る

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︒ そ の 傾 向 は︑ 継 母 が 道 頼 の 復 讐 に 遭 う 場 面において顕著に見られるのである︒ 継母は︑ 道頼を忌々しく思いながらも︑ 自ら手を出すことができない︒ そ の い ら だ ち は︑

  ﹁も

み 手 ﹂ や ﹁ 手 が ら み ﹂︵ 巻 之 二 ︱ 一 七 九 ︶ と い う 手 の

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し ぐ さ に も 窺 え る

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︒ と り わ け ﹁ も み 手 ﹂ と ﹁ 手 が ら み ﹂ は︑ 他 の 平 安 文 学作品には見られない ﹃落窪物語﹄ のみに描かれる特徴的な表現である︒ このような手の表現は︑衣を縫うという落窪の君の手の動きが描かれる こととも関連している︒ さらに︑繰り返し登場する手の表現に ﹁爪弾 ︵つまはじ︶ き﹂ が挙げら れ る

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︒﹁ 爪 弾 き ﹂ と は︑ ﹁ 親 指 の 腹 に︑ 人 さ し 指 ま た は 中 指 を 当 て て は じ くこと︒不満 ・ 嫌悪 ・ 排斥などの気持の時にするしぐさ﹂ である

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︒時に︑ 魔除けを意味する動作としても描かれる

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︒ 平 安 文 学 作 品 に お い て ﹁ 爪 弾 き ﹂ の 用 例 は︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に 七 例︑ ﹃ う つ ほ物語﹄ に五例︑ ﹃源氏物語﹄ に四例︑ ﹃土佐日記﹄ ︑﹃蜻蛉日記﹄ ︑﹃枕草子﹄ ︑ ﹃ 夜 の 寝 覚 ﹄︑﹃ 狭 衣 物 語 ﹄︑

に秘められた独自のありようを明らかにしていきたい︒ 前 期 物 語 や ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ と 比 較 す る こ と に よ り︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ 本 稿 で は︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 中 心 に 考 察 す る︒ そ し て︑ 平 安 心の声を捉えた身体表現といえる︒ 相手に対する攻撃を秘めている︒そのしぐさは︑注目するに足る人物の

 

と し て 位 置 づ け ら れ て き た ︒﹁ 爪 弾 き ﹂ は 声 に 出 さ な い の の し り で あ り︑

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に な さ れ て い る ︒ そ の よ う な 中︑ ﹁ 爪 弾 き ﹂ に 関 し て は 身 体 表 現 の 用 語

7

た論︑飲酒に関する表現や結婚のありように注目した論など︑さまざま め︑ ﹁いじめ﹂ の構造を説いた論︑落窪の君の縫う行為の重要性に着目し ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ の 先 行 研 究 に は︑ 徹 底 し た 現 実 主 義 を 指 摘 し た 論 を は じ 多く用いられていることが窺える︒

 

る ︒ 以 上 の こ と か ら︑ 他 の 作 品 に 比 べ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に は︑ ﹁ 爪 弾 き ﹂ が 数

6   ﹃大

鏡 ﹄︑﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ に 一 例 ず つ 見 出 だ せ 総数で七例ある 一﹃落窪物語﹄にみる中納言の﹁爪弾き﹂と﹁老い﹂

﹃落窪物語﹄ の ﹁爪弾き﹂ のうち︑継子いじめの場面に 見られる一例を除く六例が︑ 継母に対する道頼の復讐に際して描かれる︒ ﹁ 爪 弾 き ﹂ が 用 い ら れ る 人 物 の 内 わ け は︑ 中 納 言 に 三 例︑ 越 前 守 に 二 例︑ 帯刀に一例︑中納言家の供人たちに一例とすべて男性に用いられる︒中 で も︑ 年 長 者 で あ る 中 納 言 に 最 も 多 く 描 か れ て い る こ と が 読 み 取 ら れ︑ 興味深い︒それでは︑どのような場面に描かれているのだろうか︒具体 例を挙げて検討していきたい︒ くはしく申したまひてければ︑老いたまへるほどよりは︑爪弾をい と力々しうしたまひて︑ ﹁いといふかひなきことをもしたるかな︒ ⁝﹂

 

︵巻之一︱一〇〇︶ 中納言は︑継母の巧妙な嘘を見破ることができない︒落窪の君が帯刀と 密 通 し て い る と い う 継 母 の 言 葉 に︑ 中 納 言 は い ら だ ち︑ 爪 弾 き を す る︒ こ こ で︑ 中 納 言 が 力 強 く 爪 弾 き を す る さ ま が︑ ﹁ 老 い た ま へ る ほ ど よ り は︑爪弾をいと力々しうしたまひて﹂と記述されていることに注目した い︒身分の低い帯刀と通じたという落窪の君に︑自らの娘と思うだけに 苦々しい思いを禁じ得ない中納言の姿が窺える︒ 物語は︑ 中納言の ﹁老い﹂ を強調させた上で︑ 指に力を込める ﹁爪弾き﹂ を敢えて描くことによって︑噛み合わない身体としぐさを浮き彫りにし ようとしたのではないか︒そこには︑継母を疑いもせず︑ただ操られる がままに我が子を貶める発言を繰り返す中納言の愚かさ︑滑稽さが象徴 されているのである︒ こ の 後︑ 中 納 言 は 落 窪 の 君 を 幽 閉 す る と い う 継 母 の 提 案 に 賛 同 す る︒ ﹁ 老 い ﹂ に 加 え︑ 怒 り に 任 せ る よ う に︑ 自 ら の 言 葉 に 興 奮 し て い く よ う

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日本女子大学紀要 人間社会学部 第30号 Japan Women’s University Journal vol.30(2019)

し ぐ さ に も 窺 え る

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︒ と り わ け ﹁ も み 手 ﹂ と ﹁ 手 が ら み ﹂ は︑ 他 の 平 安 文 学作品には見られない ﹃落窪物語﹄ のみに描かれる特徴的な表現である︒ このような手の表現は︑衣を縫うという落窪の君の手の動きが描かれる こととも関連している︒ さらに︑繰り返し登場する手の表現に ﹁爪弾 ︵つまはじ︶ き﹂ が挙げら れ る

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︒﹁ 爪 弾 き ﹂ と は︑ ﹁ 親 指 の 腹 に︑ 人 さ し 指 ま た は 中 指 を 当 て て は じ くこと︒不満 ・ 嫌悪 ・ 排斥などの気持の時にするしぐさ﹂ である

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︒時に︑ 魔除けを意味する動作としても描かれる

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︒ 平 安 文 学 作 品 に お い て ﹁ 爪 弾 き ﹂ の 用 例 は︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に 七 例︑ ﹃ う つ ほ物語﹄ に五例︑ ﹃源氏物語﹄ に四例︑ ﹃土佐日記﹄ ︑﹃蜻蛉日記﹄ ︑﹃枕草子﹄ ︑ ﹃ 夜 の 寝 覚 ﹄︑﹃ 狭 衣 物 語 ﹄︑

に秘められた独自のありようを明らかにしていきたい︒ 前 期 物 語 や ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ と 比 較 す る こ と に よ り︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ 本 稿 で は︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 中 心 に 考 察 す る︒ そ し て︑ 平 安 心の声を捉えた身体表現といえる︒ 相手に対する攻撃を秘めている︒そのしぐさは︑注目するに足る人物の

 

と し て 位 置 づ け ら れ て き た ︒﹁ 爪 弾 き ﹂ は 声 に 出 さ な い の の し り で あ り︑

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に な さ れ て い る ︒ そ の よ う な 中︑ ﹁ 爪 弾 き ﹂ に 関 し て は 身 体 表 現 の 用 語

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た論︑飲酒に関する表現や結婚のありように注目した論など︑さまざま め︑ ﹁いじめ﹂ の構造を説いた論︑落窪の君の縫う行為の重要性に着目し ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ の 先 行 研 究 に は︑ 徹 底 し た 現 実 主 義 を 指 摘 し た 論 を は じ 多く用いられていることが窺える︒

 

る ︒ 以 上 の こ と か ら︑ 他 の 作 品 に 比 べ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に は︑ ﹁ 爪 弾 き ﹂ が 数

6   ﹃大

鏡 ﹄︑﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ に 一 例 ず つ 見 出 だ せ 総数で七例ある 一﹃落窪物語﹄にみる中納言の﹁爪弾き﹂と﹁老い﹂

﹃落窪物語﹄ の ﹁爪弾き﹂ のうち︑継子いじめの場面に 見られる一例を除く六例が︑ 継母に対する道頼の復讐に際して描かれる︒ ﹁ 爪 弾 き ﹂ が 用 い ら れ る 人 物 の 内 わ け は︑ 中 納 言 に 三 例︑ 越 前 守 に 二 例︑ 帯刀に一例︑中納言家の供人たちに一例とすべて男性に用いられる︒中 で も︑ 年 長 者 で あ る 中 納 言 に 最 も 多 く 描 か れ て い る こ と が 読 み 取 ら れ︑ 興味深い︒それでは︑どのような場面に描かれているのだろうか︒具体 例を挙げて検討していきたい︒ くはしく申したまひてければ︑老いたまへるほどよりは︑爪弾をい と力々しうしたまひて︑ ﹁いといふかひなきことをもしたるかな︒ ⁝﹂

 

︵巻之一︱一〇〇︶ 中納言は︑継母の巧妙な嘘を見破ることができない︒落窪の君が帯刀と 密 通 し て い る と い う 継 母 の 言 葉 に︑ 中 納 言 は い ら だ ち︑ 爪 弾 き を す る︒ こ こ で︑ 中 納 言 が 力 強 く 爪 弾 き を す る さ ま が︑ ﹁ 老 い た ま へ る ほ ど よ り は︑爪弾をいと力々しうしたまひて﹂と記述されていることに注目した い︒身分の低い帯刀と通じたという落窪の君に︑自らの娘と思うだけに 苦々しい思いを禁じ得ない中納言の姿が窺える︒ 物語は︑ 中納言の ﹁老い﹂ を強調させた上で︑ 指に力を込める ﹁爪弾き﹂ を敢えて描くことによって︑噛み合わない身体としぐさを浮き彫りにし ようとしたのではないか︒そこには︑継母を疑いもせず︑ただ操られる がままに我が子を貶める発言を繰り返す中納言の愚かさ︑滑稽さが象徴 されているのである︒ こ の 後︑ 中 納 言 は 落 窪 の 君 を 幽 閉 す る と い う 継 母 の 提 案 に 賛 同 す る︒ ﹁ 老 い ﹂ に 加 え︑ 怒 り に 任 せ る よ う に︑ 自 ら の 言 葉 に 興 奮 し て い く よ う

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平安前期物語の「爪弾き」―『落窪物語』を中心に―

に言葉を連ねるようすは︑ ﹁物なくれそ︒しをり殺してよ﹄ と︑老いほけ て︑物のおぼえぬままにのたまへば﹂ ︵巻之一︱一〇一︶ と描かれる︒こ う し て︑ 年 齢 を 重 ね た 身 体 を 凌 ぐ 力 で 行 わ れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 境 に︑ 中 納 言の発言はさらに過激なもの

  へと変化するのである︒讒言の成功を密か

に喜ぶ継母とは対照的に︑落窪の君は実の父から疎外され︑心身ともに 追い詰められることとなる︒落窪の君の不幸が︑より際立つ構造となっ ているものと考えられる︒ ま た︑ 中 納 言 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は 落 窪 の 君 が 道 頼 に 引 き 取 ら れ︑ 幸 せ を 得 た後にも登場する︒道頼は継母から数々の仕打ちを受けてきた落窪の君 を思い︑復讐を企てる︒その一つが︑継母の娘の四の君を自分の身代わ り に し て︑ 面 白 の 駒 ︵ 兵 部 の 少 輔 ︶ と 結 婚 さ せ る と い う も の で あ っ た︒ 面白の駒は顔が白く馬面で︑鼻が大きく滑稽な人物であり︑皆から笑い 者にされていた︒四の君の結婚相手が実は面白の駒であったことは︑露 顕において初めて明らかになる︒一同は驚愕するが︑同時に蔵人の少将 を中心に盛大な笑いが湧き起こるのであり︑面白の駒は身内からも笑い 者にされるのである︒ 北 の 方 聞 き て︑ さ ら に 物 も お ぼ え ず︑ あ き れ 惑 ふ︒ お と ど は︑ ﹁ 老 いの上に︑いみじき恥見つる世かな﹂と︑爪弾をし︑入りて居たま へり︒

 

  ︵巻之二︱一六一︶

面白の駒の登場に継母は呆れかえり︑中納言は世間に恥をさらしたこと に爪弾きする︒この場面でも︑中納言の﹁爪弾き﹂と﹁老い﹂がセット で用いられていることに注目したい︒ ﹁老いの上に﹂との記述から︑ ﹁老 い﹂を自覚する中納言が追い打ちをかけられるように恥をさらすことと なった衝撃と嘆きが窺える︒ だ が︑ こ こ で の ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ ﹁ 老 い ﹂ を 跳 ね 返 し て い く よ う な 力 強 さは影を潜め︑むしろ中納言の身体に吸収され負荷となっていくありよ うが見て取られる︒せめてもの爪弾きでわずかに抵抗しつつ︑自らの無 力感をかみしめる色合いが濃い︒ このように︑落窪の君に対して向けられていた中納言の ﹁爪弾き﹂ は︑ 後 に 面 白 の 駒 が 婿 と な っ て し ま っ た こ と を 嘆 く 中 納 言 家 の 恥 と し て の ﹁ 爪 弾 き ﹂ へ と︑ よ り 深 化 す る︒ 我 が 子 と は い え 落 窪 の 君 を 疎 外 す る 側 にいた中納言が︑今度は他者から笑い者にされ︑傷つき︑自らに対して 爪弾きをするのであり︑事態が深刻化しているようすが読み取られるの である︒ 道頼は反省のない継母を懲らしめるべく︑復讐を企てようとする︒三 の君や四の君︑継母が忍び清水詣に訪れる際︑偶然にも忍び向かう道頼 一行と時を同じくする道すがら︑道頼の仕掛けた争いが車争いに発展す る︒そして寺での籠りの場所争い︑帰路での口争いに続くのである︒帰 邸した継母から清水詣での顛末を聞いた中納言は嘆き︑間接的に恥をか く︒この場面にも︑中納言の ﹁爪弾き﹂ と ﹁老い﹂ は描かれる︒ 中納言︑ ﹁我は老い癈 ひて︑ おぼえもなく成り行く︒ かの君は︑ ただ今︑ 大臣になりぬべき勢ひなれば︑いといたうしがたし︒さべうこそあ らめ︒名だたしく︑わが妻子どもとて︑さる恥を見︑笑はれけむこ とよ﹂とて︑爪弾をして︑また嘆きたまふ︒

 

︵巻之二︱一七九︶ 清水詣での顛末が意図的な嫌がらせであったことを知るにつけても︑怒 りが募るばかりの継母は︑ ﹁もまれたまへば﹂ ︵巻之二︱一七九︶と︑自 然ともみ手をしてしまい︑中納言に報復したい思いを吐き出す︒だが中 納 言 は︑ ﹁ 老 い ﹂ に 伴 い 周 囲 か ら の 信 頼 も な く し て い く 自 分 に 対 し︑ 若 く大臣にもなりそうな威勢の道頼に仕返しをすることは難しいとの認識 を語る︒その結果として︑自らの不運と世間の評判を憂い︑恥をかき笑

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に這い上がった継母も肘をつき損ない︑ 大声で泣く︒ 継母は娘たちによっ て静かにするよう制せられ︑もはや体裁を繕うことすら困難な状況に立 たされたありようが窺える︒ 物語は爪弾きをする人物として︑ 供人たちを新たに登場させることで︑ 中 納 言 家 に 仕 え る 下 層 の 人 々 の 悲 哀 を も 描 き 出 そ う と し た の で は な い か︒継母一行が人々から笑われれば笑われるほどに︑中納言家に仕える 人々もまた笑いの対象となり︑肩身の狭さを痛感する︒供人たちは︑こ の よ う な 主 人 を 持 っ た 恥 ず か し さ を 思 い 知 り︑ 爪 弾 き を す る の で あ る︒ 衰退の一途を辿る中納言家の数々の問題が︑一家を支える周縁の人々に まで影響を及ぼしているさまが読み取られるといえよう︒ こうして︑継母をむやみに信じた中納言は間接的に恥をかくことによ り︑愚かさと弱々しさを露呈する︒その波紋はやがて︑中納言家全体を 取り巻く問題へと拡大していくのである︒面白の駒を迎えるに至った時 点ではまだ︑中納言によって辛うじて世間体は保たれていたと考えられ る︒面白の駒が世間の笑い者であろうと︑四の君が面白の駒のような者 にまで見捨てられたなどと噂されることを恐れた中納言は︑面白の駒を 婿として受け止めようとする︒娘の不幸よりも世間体の方を優先してし まう中納言の姿には︑全ては前世の因縁によるものとする当時の思考の ありようが映し出されるのである︒ 中 納 言 の 最 初 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 継 母 の 言 葉 を 信 じ た 上 で の︑ 身 分 の 低 い男との密通という容認できない男女関係への怒りの表明であった︒と ころが︑物語の展開に伴い︑世間から笑われる恥に対して用いられる自 嘲的なしぐさへと変化していく︒中納言家の内部崩壊は︑道頼の復讐に より爪弾きの場面が繰り返されていくことで加速していく︒道行く身分 の卑しい見物の庶民からの視線が決定打となり︑屋形を繋いでいた縄を われる身の上であることを嘆くのである︒ ここに︑権勢を誇る道頼に対し︑落ちぶれていく一方の立場にある自 己を客観視できる中納言の冷静なまなざしが読み取られる︒この中納言 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ 怒 り を ぶ つ け る 矛 先 を 失 っ た 悲 嘆 が 象 徴 さ れ て い る の で は な い か︒ こ の よ う に︑ 中 納 言 に 用 い ら れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 共 通 し て ﹁老い﹂ の語とセットになって描かれるのである︒ 次 に︑ 複 数 の 人 物 に よ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 考 察 し て お き た い︒ 道 頼 の 容 赦 な い 復 讐 は 続 き︑ 継 母 を は じ め 中 納 言 家 に さ ら な る 追 い 打 ち を か け る︒ 賀茂祭の見物の車争いでは典薬助が徴ぜられるのみならず︑継母一行の 車が壊され︑人々から笑いの対象とされるのである︒そのような中︑継 母一行の供人たちによる ﹁爪弾き﹂ は描かれる︒

 

北の方よりはじめて︑乗りたる人︑ ﹁物も見じ︒帰りなむ﹂ ︑牛かけ て︑うちはやして︑追ひ惑ひて帰れば︑いさかひしけるほどに︑一 の車のとこしばりを︑ふつふつと切りてければ︑大路なかに︑はく と引き落としつ︒下﨟の︿物見む﹀とわななき騒ぎ笑ふこと限りな し︒車の男ども︑ 足をそらにて︑ 惑ひ倒れて︑ えふともかかげず︒ ﹁出 でたまふまじきにやありけむ﹂ ﹁かくいみじき恥の限りを見ること﹂ と︑爪弾をしつつ惑ふ︒乗りたる人の心地︑ただ思ひやらむ︒皆泣 きにけり︒

 

  ︵巻之二︱二〇七︶

見物から引き上げようとした継母一行だが︑大路の中央で車の屋形を落 とすという非常事態に見舞われる︒それも︑継母たちの乗る車の屋形と 車軸とを結び付ける縄を切り離しておいた︑復讐の一つであった︒身分 の卑しい人たちが大騒ぎをして笑うようすに︑継母一行の車の供人たち は爪弾きをし︑とまどい迷う︒ 継母の娘をはじめ車にいた人たちは皆泣き︑落とされた車の屋形の中

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158(17)

平安前期物語の「爪弾き」―『落窪物語』を中心に―

断たれた継母一行の車もろとも崩壊に至るのだといえよう︒

二   ﹃落窪物語﹄の﹁爪弾き﹂にみる母への抗議

継母の言葉を鵜呑みにしていた中納言とは対照的に︑実の母の発言に 対しても異議を唱える人物に︑帯刀が挙げられる︒蔵人の少将の家来で ある帯刀は︑道頼の乳兄弟であり︑あこぎの結婚相手でもあった︒あこ ぎは三の君に仕えながらも落窪の君に味方していた人物である︒ 帯刀の母は道頼の乳母であり︑道頼から右大臣の姫君との縁談を断る よう依頼されていた︒にもかかわらず︑道頼の将来によかれと思い︑勝 手に縁談を推し進めていたのであった︒その事実が明らかになる場面に おいて︑帯刀の ﹁爪弾き﹂ は描かれる︒ いと頼もしげなるけしきにて立ちたまふめるを︑帯刀つくづくと聞 き て︑ 爪 弾 を は た は た と し て︑ ﹁ な で ふ︑ か か る こ と 申 し た ま ふ︒ 君と申しながらも︑ ︿恥づかしげにおはす﹀とは見たてまつらずや︒ ただ今の御仲は︑人放ちげにもあらぬものを︒⁝﹂

 

︵巻之二︱一九一︶ 乳母は道頼に︑かつて落窪の間に押し込められていた落窪の君を大切に するのは不思議であると言う︒そして︑父母が健在で大事にされている 娘と結婚する方が望ましいと主張するのである︒落窪の君を軽んじるよ うな乳母の発言に︑道頼は興奮のあまり顔を赤くしながら反論し︑情け ないと苦言を呈する︒帯刀は二人のやりとりに︑爪弾きをぱちぱちとす ることで︑母への非難を露わにするのである︒

 

帯刀は爪弾きをした後︑母の意見を真っ向から否定する︒そして︑養 い君である道頼の出世に利益を得ようとするのかと問い︑罪深く情けな い旨を切々と説く︒乳母としては︑全ては道頼の将来を案じるがゆえの 発言であった︒とはいえ︑幼い頃から馴れ親しむ乳母に︑愛する女君の 存在を認めてもらえない道頼の辛さは計り知れない︒帯刀は道頼の心の 傷を思いやると同時に︑貶められた落窪の君の尊厳までをも守ろうとす る か の よ う に 憤 る︒ 帯 刀 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は 道 頼 に 加 勢 し︑ 目 先 の 利 益 を 重 視しようとする母を糾弾するのである︒ 帯刀は道頼やあこぎを通して︑決して温かな心を失うことのなかった 落窪の君の人となりをよく聞き知っていた︒そうであるがゆえに︑帯刀 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は 道 頼 の 内 面 を 代 弁 す る よ う に な さ れ る︒ そ し て︑ そ の し ぐさに端を発した歯に衣着せぬ発言は︑道頼との揺るぎない絆をより鮮 明に読者に知らしめるものとして作用するのである︒まさに︑道頼との 厚い信頼に裏打ちされた︑ 忠誠を貫く意思表示といえよう︒結果として︑ 道 頼 と 右 大 臣 の 姫 君 と の 縁 談 は 中 止 と な る︒ 帯 刀 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 道 頼 の危機を救う役割をも果たしているのだと考えられる︒ 一 方︑ 子 が 親 の 過 ち を 指 摘 す る 場 面 に 描 か れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ 中 納 言家の継母腹の長子︑越前守の用例が挙げられる︒任国ばかりにいた越 前守は︑継子いじめの実態を知らずにいた︒当時の三郎君は︑継母が落 窪の君に今までいかに過酷ないじめをしてきたか︑越前守に語るのであ る︒ ﹁ い か ば か り か︑ う た て あ り し こ と ﹂ と て︑ か た は し よ り つ ぶ つ ぶ と 語 り て︑ ﹁ い か に あ こ ぎ な ど 言 ひ つ ら む︒ 見 え た て ま つ ら む に つ け て こ そ︑ 恥 づ か し け れ ﹂ と 言 へ ば︑ 越 前 守︑ 爪 弾 を し て︑ ﹁ あ な いみじ︒おのれは国にのみ侍りて知らざりけり︒あさましきわざを こそはしたまひけれ︒この衛門督は︑思ひ置きたまひて︑かく恥を 見するやうにはしたまふなりけり︒我らをいかに見たまふらむ︒す

(6)

べて交じらひもせずやあらまし﹂と恥ぢ惑へば︑

  ︵巻之三︱二三六︶

三郎君は幼い頃︑継母に虐げられる落窪の君のことを気の毒に思い︑落 窪 の 君 を 助 け よ う と す る あ こ ぎ の 依 頼 を 快 く 引 き 受 け て い た︒ 継 母 の 数々の仕打ちを間近で見てきた三郎君は︑いわばいじめの生き証人であ る︒弟の三郎君からそれを聞かされた越前守は︑衛門督︵道頼︶という 権力者の恨みを買っても仕方ない母のふるまいへの嫌悪を露わにし︑爪 弾きをする︒ 継母は︑こうして身内からも爪弾きをされるに至るのである︒三郎君 の話を通して母へのいらだちを募らせる越前守は︑かつて中納言が継母 の言葉に落窪の君への違和感を募らせていたことと類似する︒また︑乳 母と道頼の言葉に︑乳母である母へのいらだちを覚えた帯刀のありよう とも似通うのである︒ このように︑ ﹁爪弾き﹂ は他者に見せる行為という点で共通しているこ とがわかる︒物語は︑権力者に擦り寄ろうとする人物を描き出すのであ る︒また︑越前守には ﹁爪弾き﹂ の用例がもう一例見られる︒ 北 の 方︑ こ の 家 は い と 惜 し か り つ る に︑ い と う れ し く の た ま へ ど︑ なほ︿我はと︑ 領じかへらるると見る﹀と思ふに︑ いとねたければ︑ ﹁落窪の君のかくしたまふか︒いであなうれしのことや﹂と言ふに︑ 越前守︑ ただ腹立ちに腹立ちて︑ 爪弾をして︑ ﹁現心にはおはせぬか︒ さ き ざ き い と ほ し く 恥 づ か し き こ と の あ り け る に︑ 面 痛 き 心 地 す︒ 人の言ふべきことか︒ まろらを ︿いたづらになしたまはむ﹀ とや︒ ︿も のし﹀と思しけるほどは︑いかばかりの恥をか見︑懲ぜられたまひ し︒ひきかへて︑ かくねんごろに顧みたまふ御徳をだに︑ かつ見で︑ かくのたまふ︒

 

︵巻之四︱二九三︶ 落窪の君からあり余るほどの温情を受けてもなお︑懲りることなく皮肉 を言う継母に︑越前守はひどく立腹し︑爪弾きをする︒この場面での越 前守の﹁爪弾き﹂は︑継母と直接話しをする中で生じた感情の発露とし て の し ぐ さ で あ る︒ そ こ に は︑ 改 心 の 見 ら れ な い 継 母 の 強 情 な さ ま に︑ 実の子からも困ったものと扱われ︑孤立していく姿が浮き彫りとなる︒ 権力者に身を寄せたいところがある越前守は︑継母の一貫した怒りの 態度に︑いらだちを隠せない︒権力者にどのように擦り寄るか︑擦り寄 ら な い か と い う こ と は︑ 中 納 言 家 の 今 後 を 左 右 す る 重 要 な 事 柄 で あ る︒ ﹁ た だ 腹 立 ち に 腹 立 ち て ﹂ と の 記 述 か ら は︑ 身 内 で あ る が ゆ え に 余 計 に 腹を立てる越前守のようすが窺える︒自分自身にも被害が及ぶ問題であ り︑継母の現状を過敏に受け止める越前守の姿勢が読み取られよう︒ 権力者に追従する子どもたちに対し︑継母の貫き方は継母ならではの 感情で一貫している︒権力など関係ないとする感情的な継母は︑決して ぶれることはない︒外側の男たちの論理に回収されることのない継母の 存在こそ︑重要といえるのではないか︒ 以 上 の こ と か ら︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に お け る ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 全 て 男 性 に 用 い られる点で共通している︒継母が落窪の君を排除しようともくろみ︑中 納 言 に 嘘 を 吹 き 込 む こ と か ら 始 発 す る ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ つ い に 継 母 の も と に 帰 結 す る こ と と な る︒ 物 語 は︑ 最 後 に ﹁ 爪 弾 き ﹂ の 対 象 と な る 人 物 が 継母となるよう︑意図的に配置したのだと考えられる︒ こうして︑落窪の君を陥れようとした継母が︑ついには実の子どもた ちからもいらだたれ︑ 疎まれていくありようが描かれる︒ ﹃落窪物語﹄ は︑ 選 び 抜 か れ た 場 面 に 用 い ら れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 通 し て︑ 一 筋 縄 で は い か な い家族︑夫婦の関係を照らし出そうとしたのだといえよう︒

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平安前期物語の「爪弾き」―『落窪物語』を中心に―

三   ﹃うつほ物語﹄にみる﹁笑い﹂と﹁爪弾き﹂

次 に︑ 同 時 代 の 作 品 で あ る ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ に 総 数 で 五 例 見 ら れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 考 察 し て お き た い︒ ﹁ 爪 弾 き ﹂ が 用 い ら れ る 人 物 の 内 わ け は︑ 徳 町︑ 三 春 高 基︑ 藤 原 季 英︑ 源 正 頼︑ 民 部 卿 ︵ 実 正 ︶ に 一 例 ず つ と な る︒ 中でも︑三奇人の一人である三春高基と︑妻の徳町が夫婦それぞれに用 いられているところは︑興味深い︒それでは︑どのような場面に描かれ ているのだろうか︒ 三 春 高 基 の 吝 嗇 を 意 識 し た 過 剰 な 生 活 ぶ り は 人 々 か ら 陰 口 を 言 わ れ︑ 笑いの対象とされる始末であった︒だが︑高基は世間の悪評を気にも留 めない︒政務の面では非常に優れていたことから大臣にまで昇進し︑裕 福な商い女の徳町を妻に迎えることとなる︒ 高基は︑ 粗末な車や装束で出歩き︑ 小さな女の童ばかりを使っていた︒ そのような夫に対し︑常識のある徳町は︑新たに使用人を雇うよう進言 する︒その提案を受け入れ雇ってみたものの︑使用人から昼食におかず がなかったとの不満を告げられる︒すると高基は︑ 出費がかさみ︑ かえっ て大きな損をしてしまったと憂い︑放心するのである︒夫の愚かさに呆 れた徳町は︑哀れみとともに非難の思いを込め︑笑いながら爪弾きをす る︒ ﹁くちをしう︑ 物の費えあることを数ふれば︑ 多くの損なり︒悔しく︑ 人の言を聞きて︑ わが世に知らぬ言を聞くこと﹂とのたまふ︒徳町︑ いとほしきこと限りなし︒おとど︑ ﹁男ども︑ 酒買ひて︑ 肴請ふぞや︒ か け て 聞 け ば︑ 心 地 こ そ 惑 へ ﹂︒ 市 女︑ う ち 笑 ひ て︑ 爪 弾 き を し て 聞こゆ︒

 

︵藤原の君︱八七︶ ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ に お い て 女 性 に 用 い ら れ る 唯 一 の 用 例 で あ る と 同 時 に︑ 最初に登場する ﹁爪弾き﹂ である点も特徴的である︒また︑ ﹁爪弾き﹂ が﹁笑 い﹂とともに描かれているところに注目したい︒ 徳 町 は 商 人 で︑ は る か に 下 層 な 人 物 で あ る︒ に も か か わ ら ず 富 裕 で︑ 自 分 の 実 力 に 自 信 を 持 っ て い る︒ こ の 場 面 で の ﹁ 笑 い ﹂ は︑ 冷 や や か な 皮肉を込めた軽蔑の表情ともいえる︑憤りや嘲りといった感情を抑制す べ く 辛 う じ て 作 り 出 さ れ た 型 と し て の ﹁ 笑 い ﹂ と い え る の で は な い か︒ そして︑言語化することを放棄しながらも完全には抑制できずに燻る内 面 の い ら だ ち が︑ ﹁ 笑 い ﹂ の 直 後 に 描 か れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ に 表 出 さ れ た も の と考えられる︒ ﹁笑い﹂ と化すことのできなかった︑忍耐の限度を越えた 夫 へ の い ら だ ち を 静 め る べ く ﹁ 爪 弾 き ﹂ は 描 か れ る の で あ る︒ 高 基 が 身 内であるからこそのいらだちといえよう︒ 人 々 の ﹁ 笑 い ﹂ の 対 象 で あ る 高 基 は︑ 妻 と な っ た 徳 町 の 現 実 的 な 提 案 も排除することで愛想を尽かされる︒そして︑さらに笑われる存在とな るのである︒過剰な吝嗇の道を究める高基は︑かくして源正頼の娘のあ て宮との結婚を望む人物へと変貌を遂げていく︒ あて宮を望む場面に︑高基の ﹁爪弾き﹂ は描かれる︒ あて宮は︑ただ今︑春宮に︑切に聞こえ給ふを︑ ﹁いかがはせまし﹂ となむ思ほしわづらふ﹄ とぞのたまはせし﹂ ︒おとど︑ 爪弾きをして︑ ﹁ 幸 ひ な き 君 に も い ま す が な る か な︒ そ の 坊 の 君 は︑ い か に い ま す なる君ぞ︒⁝﹂

 

︵祭の使︱二二四︶ 高基は︑あて宮付きの女房である宮内の君を招き︑あて宮を望み︑そこ で初めて東宮があて宮に求婚していることを知る︒そして爪弾きをした 後で︑東宮の悪口を言うのである︒あて宮への思いから東宮に競争心を 抱き︑不快感を露わにするその言動は︑自己中心的なありようを際立た せる︒身分の低い妻に笑われ︑爪弾きされた高基が分不相応にも︑あて

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宮を所望することの滑稽さが読み取られよう

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︒ こ の よ う に あ て 宮 に 関 連 し た ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ こ の 他 に 源 正 頼 と 民 部 卿 ︵実正︶ の用例に見られる︒ 二例とも︑ 東宮の寵愛を一身に受ける藤壺 ︵あ て 宮 ︶ に 嫉 妬 す る が ゆ え の 東 宮 の 妃 の 発 言 を︑ 身 内 の 男 性 が 苦 々 し く 思 うしぐさに用いられるのである

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︒ 次 に︑ 徳 町 と 同 様 に︑ 不 条 理 な 現 実 に 鬱 憤 を 募 ら せ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 考 察していきたい︒藤原季英は実力がありながらも後見がない為に︑不遇 な日々を余儀なくされていた︒ある時︑季英は学者たちの詩作に加わる べく︑破れた衣に冠︑後ろの方が擦りきれた草履というひどい身なりの まま︑皆の列に入り込む︒末の者にまで大笑いされながらも︑忠遠の諫 めに救われ︑詩作に臨むのである︒結果として︑季英の詩は読まれず仕 舞いにされるが︑それでも自分の詩を声を振り立て読誦していると︑美 しくよく通る声が正頼の耳に留まる︒そしてついに苦学が報われ︑見出 だされるに至るのである︒ 博士たちは︑高い能力を備えながらも後見のない季英を長きにわたり 意図的に蔑ろにしてきた︒ところが︑正頼から季英を登用しなかった理 由を問われると︑博士たちは季英の実力は認めていたとした上で︑性格 に要因があったとする趣旨の偽りの返答をする︒適当な理由を連ねる博 士たちに︑季英は悔しさや怒りを込め︑爪弾きをするのである︒ ﹁ 季 英︑ ま こ と に 悟 り 侍 る 者 な り︒ さ れ ど︑ し が 魂 定 ま ら ず し て︑ 朝廷に仕うまつるべくもあらず︒これまかり出でたらば︑公私妨げ と あ る べ き に よ り て︑ え せ ず 侍 る な り ﹂ と 申 す︒ 季 英︑ 爪 を 弾 き︑ 天を仰ぎて候ふ︒

 

︵祭の使︱二三二︶ 不条理な現実に耐え抜いた月日が︑ 季英の渾身の思いとともに﹁爪弾き﹂ となって表出されるのだと考えられる︒そして︑季英の言い尽くせぬ思 いを汲んだ忠遠が︑正頼に勧学院の内部の腐敗︵任官登用の実態︶を進 言するのである︒ 季英の努力が報われるまでには長い時間を要した︒権力の中枢にいる 人物は︑季英の学才を知りながらも笑うことで疎外し︑保身に回る︒そ れは︑真に優秀な人物の登用によって今ある秩序を解体されまいと身構 え る が ゆ え の 行 為 で あ っ た︒ 周 囲 の 攻 撃 的 な ﹁ 笑 い ﹂ や 偽 り の 言 葉 に 屈 することのなかった季英は︑反論する代わりに爪弾きをすることによっ て︑辛うじて耐え忍んだのだと考えられる︒ 周囲に迎合することのない季英は︑不遇の日々を貫く辛抱強さに特徴 づけられる︒ その辛抱強い季英が敢えてした ﹁爪弾き﹂ は︑ 声を振り立て︑ 自作の詩を読誦し抜く姿と通底するものがあるのではないか︒ そこには︑ 己の閉じた世界を︑話し言葉以外の手段を用いて発信していくありよう が 窺 え る の だ︒ 不 遇 の 中 に 描 か れ る 季 英 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ 社 会 の 中 で 陽の目を見ない人物のありようが象徴されている︒社会の矛盾に押し潰 されそうになりながら︑頭を挙げていく姿勢がくっきりと刻印されてい るのだといえる︒ 以 上 の こ と か ら︑ ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 身 分 が 低 い 人 や 奇 人 変人︑風変わりな学者に用いられていることがわかる︒そこには共通し て 社 会 に 認 め て も ら い た い と 願 い な が ら も 認 め ら れ な い 思 い を 抱 え た︑ 個性的な人物に焦点があてられ︑そのような極端な存在を笑いながら共 感をこめて描き出そうとする姿勢が見える︒ ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ は︑ そ れ ぞ れ の 階 層 の 人 が そ れ ぞ れ の 思 い か ら 政 治 の あ り 方 を 正 そ う と す る そ の 憤 懣 を 描 き 出 す︒ そ し て︑ 不 遇 に 対 す る ﹁ 爪 弾き﹂ は︑あて宮に吸収されていくのである︒

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日本女子大学紀要 人間社会学部 第30号 Japan Women’s University Journal vol.30(2019)

宮を所望することの滑稽さが読み取られよう

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︒ こ の よ う に あ て 宮 に 関 連 し た ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ こ の 他 に 源 正 頼 と 民 部 卿 ︵実正︶ の用例に見られる︒ 二例とも︑ 東宮の寵愛を一身に受ける藤壺 ︵あ て 宮 ︶ に 嫉 妬 す る が ゆ え の 東 宮 の 妃 の 発 言 を︑ 身 内 の 男 性 が 苦 々 し く 思 うしぐさに用いられるのである

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︒ 次 に︑ 徳 町 と 同 様 に︑ 不 条 理 な 現 実 に 鬱 憤 を 募 ら せ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 考 察していきたい︒藤原季英は実力がありながらも後見がない為に︑不遇 な日々を余儀なくされていた︒ある時︑季英は学者たちの詩作に加わる べく︑破れた衣に冠︑後ろの方が擦りきれた草履というひどい身なりの まま︑皆の列に入り込む︒末の者にまで大笑いされながらも︑忠遠の諫 めに救われ︑詩作に臨むのである︒結果として︑季英の詩は読まれず仕 舞いにされるが︑それでも自分の詩を声を振り立て読誦していると︑美 しくよく通る声が正頼の耳に留まる︒そしてついに苦学が報われ︑見出 だされるに至るのである︒ 博士たちは︑高い能力を備えながらも後見のない季英を長きにわたり 意図的に蔑ろにしてきた︒ところが︑正頼から季英を登用しなかった理 由を問われると︑博士たちは季英の実力は認めていたとした上で︑性格 に要因があったとする趣旨の偽りの返答をする︒適当な理由を連ねる博 士たちに︑季英は悔しさや怒りを込め︑爪弾きをするのである︒ ﹁ 季 英︑ ま こ と に 悟 り 侍 る 者 な り︒ さ れ ど︑ し が 魂 定 ま ら ず し て︑ 朝廷に仕うまつるべくもあらず︒これまかり出でたらば︑公私妨げ と あ る べ き に よ り て︑ え せ ず 侍 る な り ﹂ と 申 す︒ 季 英︑ 爪 を 弾 き︑ 天を仰ぎて候ふ︒

 

︵祭の使︱二三二︶ 不条理な現実に耐え抜いた月日が︑ 季英の渾身の思いとともに﹁爪弾き﹂ となって表出されるのだと考えられる︒そして︑季英の言い尽くせぬ思 いを汲んだ忠遠が︑正頼に勧学院の内部の腐敗︵任官登用の実態︶を進 言するのである︒ 季英の努力が報われるまでには長い時間を要した︒権力の中枢にいる 人物は︑季英の学才を知りながらも笑うことで疎外し︑保身に回る︒そ れは︑真に優秀な人物の登用によって今ある秩序を解体されまいと身構 え る が ゆ え の 行 為 で あ っ た︒ 周 囲 の 攻 撃 的 な ﹁ 笑 い ﹂ や 偽 り の 言 葉 に 屈 することのなかった季英は︑反論する代わりに爪弾きをすることによっ て︑辛うじて耐え忍んだのだと考えられる︒ 周囲に迎合することのない季英は︑不遇の日々を貫く辛抱強さに特徴 づけられる︒ その辛抱強い季英が敢えてした ﹁爪弾き﹂ は︑ 声を振り立て︑ 自作の詩を読誦し抜く姿と通底するものがあるのではないか︒ そこには︑ 己の閉じた世界を︑話し言葉以外の手段を用いて発信していくありよう が 窺 え る の だ︒ 不 遇 の 中 に 描 か れ る 季 英 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ 社 会 の 中 で 陽の目を見ない人物のありようが象徴されている︒社会の矛盾に押し潰 されそうになりながら︑頭を挙げていく姿勢がくっきりと刻印されてい るのだといえる︒ 以 上 の こ と か ら︑ ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 身 分 が 低 い 人 や 奇 人 変人︑風変わりな学者に用いられていることがわかる︒そこには共通し て 社 会 に 認 め て も ら い た い と 願 い な が ら も 認 め ら れ な い 思 い を 抱 え た︑ 個性的な人物に焦点があてられ︑そのような極端な存在を笑いながら共 感をこめて描き出そうとする姿勢が見える︒ ﹃ う つ ほ 物 語 ﹄ は︑ そ れ ぞ れ の 階 層 の 人 が そ れ ぞ れ の 思 い か ら 政 治 の あ り 方 を 正 そ う と す る そ の 憤 懣 を 描 き 出 す︒ そ し て︑ 不 遇 に 対 す る ﹁ 爪 弾き﹂ は︑あて宮に吸収されていくのである︒

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平安前期物語の「爪弾き」―『落窪物語』を中心に―

四  

   ﹃源氏物語﹄にみる﹁爪弾き﹂

﹃ 源 氏 物 語 ﹄ に 総 数 で 四 例 見 ら れ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ と 同 様 に 全 て 男 性 に 描 か れ る︒ そ し て ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ の 用 例 の う ち︑ ﹁ 笑 い ﹂ の 後 に描かれる一例を除く全てが︑思いがけない事態に腹立たしさを募らせ る 男 性 の し ぐ さ に 用 い ら れ る 点 で 共 通 し て い る

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︒ 中 で も︑ 三 例 の う ち の二例が光源氏に用いられているところは︑興味深い︒ それでは︑どのような場面に描かれているのだろうか︒ ﹃源氏物語﹄ に 見 ら れ る︑ 女 性 の 行 動 に 腹 を 立 て る 男 性 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ を︑ 具 体 例 を 挙 げ ながら考察していきたい︒ 空 蟬 と の 逢 瀬 を 忘 れ ら れ な い 光 源 氏 は︑ 空 蟬 の 弟 で あ る 小 君 を 介 し︑ 再び空蟬のもとへと忍び入る︒だが︑人のけはいに気付いた空蟬は単衣 だけを身に纏い︑すべるようにその場を逃れ出る︒結局︑光源氏は心な らずもその場に寝ていた軒端荻と一夜をともにする︒そして翌朝︑空蟬 が残していった薄衣を手に取り︑部屋を出るのである︒ 小君︑御車のしりにて︑二条院におはしましぬ︒ありさまのたまひ て︑ ﹁ 幼 か り け り ﹂ と あ は め た ま ひ て︑ か の 人 の 心 を 爪 は じ き を し つつ恨みたまふ︒

 

  ︵空蟬一︱一二八︶

二条院に到着した光源氏は︑小君の計画が幼稚であったことを責め︑素 早く逃れ出た空蟬の心を恨み︑爪弾きする︒空蟬のつれない行動による 想定外の事態であったにもかかわらず︑小君に苦言を呈し責任転嫁して いく︑大人げない光源氏のようすが垣間見られるのである︒ 光 源 氏 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ 自 分 を 拒 む 女 性 の 心 強 さ が 引 き 起 こ し た︑ 思いも寄らぬ結果を受け止めきれない内面のいらだちが表出されている のだと考えられる︒その結果︑手に入れることのできなかった空蟬の存 在と引き換えに︑彼女の残した衣を手に入れるのである

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︒ ま た︑ も う 一 例 見 ら れ る 光 源 氏 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 柏 木 と 女 三 の 宮 の 密 通を知るという︑物語において非常に重要な場面に描かれる︒ ︿ 女 御︑ 更 衣 と い へ ど︑ と あ る 筋 か か る 方 に つ け て か た ほ な る 人 も あり︑心ばせかならず重からぬうちまじりて︑思はずなることもあ れど︑おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは︑さてもまじらふやう もあらむに︑ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし︑かくばかりま たなきさまにもてなしきこえて︑内々の心ざし引く方よりも︑いつ くしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて︑かかること はさらにたぐひあらじ︑ ﹀と爪はじきせられたまふ︒

 

︵若菜下四︱二五四︶ 柏 木 が 女 三 の 宮 に 送 っ た 手 紙 を 発 見 し た 光 源 氏 は︑ 密 通 の 事 実 を 知 る

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︒ そして︑人目につかないところで何度も手紙を読み返しては︑女三の宮 に寄せる柏木の思いに心打たれながらも︑思案に暮れるのである︒柏木 ほどの人物が思慮に欠けた︑あからさまな手紙を記したことを蔑むと同 時に︑光源氏は密通の結果の女三の宮の懐妊であることを思い知らされ る︒そして︑一人やり場のない思いに駆られるのである︒ ︿   ﹀ 内 に あ る よ う に︑ 光 源 氏 の 極 め て 長 い 心 内 語 が 記 述 さ れ た 直 後 に︑ ﹁爪弾き﹂ が描かれている点も示唆的である︒光源氏が思いを巡らせ た 後 の し ぐ さ で あ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ に は︑ 柏 木 と 女 三 の 宮 に 対 す る 心 外 な 思 い と い ら だ ち が 巣 く っ て い る︒ 濁 流 の よ う に 押 し 寄 せ る 感 情 の 荒 波 に︑ じっと耐えることを余儀なくされた光源氏の鬱屈とした思いが込められ ているのではないか︒ だが一方で︑柏木と女三の宮の許されない関係は︑かつての自分を彷 彿 と さ せ る 因 果 応 報 と も い え る 出 来 事 で あ っ た︒ 藤 壺 と の 密 通 の 末 に︑

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子までなした罪を抱えながら生きてきた光源氏は︑二人の密通の証拠を 突き付けられ︑ 改めて自分の罪深さを自覚させられ︑ たじろぐしかない︒ ﹁ 爪 弾 き ﹂ と い う し ぐ さ は︑ 平 静 を 装 う 光 源 氏 に と っ て︑ 言 葉 に な ら な い思いの表明であり自らに立ち戻る思いの確認であった︒物語は光源氏 の 長 い 心 内 語 を 締 め く く る べ く︑ あ え て ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 描 き 出 す︒ そ れ は 同時に︑黙っていることがもたらした険しい人生の始まりを告げるもの として作用するのである︒ これまで検討してきた側では必ず︑爪弾きをする人物を見ている人が 描 か れ て い た︒ 他 に 及 ぼ す 効 果 が 重 要 で あ っ た の で あ る︒ し か し︑ ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ の こ の 場 面 で は 誰 も 見 て い な い と こ ろ で︑ 爪 弾 き を せ ざ る を 得 ない光源氏の姿が映し出される︒光源氏は柏木を非難しようとしている の で は な く︑ 悔 し い 思 い が ﹁ 爪 弾 き ﹂ と い う し ぐ さ と な っ て 表 れ た の だ と考えられる︒ここに︑傷つけられた体面を一人で受け止める光源氏の 孤独が浮き彫りとなる︒ こ の よ う に︑ 光 源 氏 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は

は︑もののけの為に病みやつれていたのであった︒とはいえ︑その常軌 方によって突然︑鬚黒は火取の灰を浴びせかけられるのである︒北の方 黒は玉鬘のもとを訪れるべく用意を調えていた︒ところが︑鬚黒の北の 次 に︑ 男 性 に 描 か れ る も う 一 例 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ を 考 察 し て お き た い︒ 鬚 の姿が読み取られるのだといえよう︒ か︑むしろそのしぐさを境に自虐的な鬱屈に捉え続けられていく光源氏 に 陰 を 落 と し 続 け る の で あ る︒ ﹁ 爪 弾 き ﹂ に よ っ て 鬱 憤 が 晴 れ る ど こ ろ えよう︒ 裏に刻まれる︒そして︑柏木と女三の宮の密通の事実は︑光源氏の生涯 公にはできない問題を抱え持つ人々のありようを提示しているのだとい れ出た空蟬は︑彼女の残した衣とともに芯の強い女性として光源氏の脳 語﹄ の親子関係に起因する ﹁爪弾き﹂ とは異なり︑ より複雑に絡み合った︑ 通と関わるように描かれる点で共通している︒また︑自分のもとから逃 れ て い る こ と が 明 ら か と な る︒ こ れ は 継 子 い じ め を 主 題 と し た ﹃ 落 窪 物

  想

定 外 の 出 来 事 に 際 し 登 場 し︑ 密 以 上 の こ と か ら︑ ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ の ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 男 女 の 関 係 を 軸 に 描 か も払い切れない悶々とした思いを抱かせるのである︒ もしくは身体に降りかかるモノの存在は︑ ﹁爪弾き﹂ をする人物に払って いうモノを通して描かれているところも特徴的である︒ 自分が手にする︑ 物 事 が 運 ば な い 事 態 へ の い ら だ ち が ﹁ 爪 弾 き ﹂ に 伴 い︑ 衣︑ 手 紙︑ 灰 と る 点 で︑ 光 源 氏 の ﹁ 爪 弾 き ﹂ と 同 様 と い え る︒ こ の よ う に︑ 思 い 通 り に この鬚黒の用例は︑想定外の出来事や女性との関係に際し使われてい うに目や鼻にも入り込み︑鬚黒の心を縛るのだと考えられる︒ せる心地がする︒鬚黒に降りかかる灰は北の方の未練や執念をのせるよ れた鬚黒は︑つい先ほどまで感じていた北の方へのいじらしさも消え失 火取の灰によって全身が灰だらけとなり︑玉鬘へのはやる思いをくじか  

 

らねど︑ ︵真木柱三︱三六六︶ りやと爪はじきせられ︑疎ましうなりて︑あはれと思ひつる心も残 心違ひとはいひながら︑なほめづらしう見知らぬ人の御ありさまな を逸した行動に鬚黒は気味の悪さを募らせ︑爪弾きをする︒

おわりに 稿 を 閉 じ る に あ た り︑ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に 描 か れ る 継 母 の ﹁ 手 を 打 つ ﹂ し ぐ さに関して触れておきたい︒中納言は落窪の君の亡き母が所有していた 三条邸を修復し︑御殿を造営した︒そのことを耳にした道頼は︑中納言

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平安前期物語の「爪弾き」―『落窪物語』を中心に―

が 引 っ 越 し を す る 前 に 急 遽︑ 三 条 邸 へ の 引 っ 越 し を 行 う︒ と い う の も︑ 肝心の地券は落窪の君が所持していたからであった︒その為︑地券のな い中納言はなす術もない︒中納言は︑せめて既に三条邸に運び込んだ荷 物 の 調 度 だ け で も 戻 し て 欲 し い と の 使 い を 遣 る も の の︑ 邸 に す ら 入 れ て も ら え な い︒ そ の よ う な 状 況 で あ る こ と を 知 っ た 継 母 は︑ ﹁ 手 を 打 ち︑ ねたがる﹂ ︵巻之三︱二二八︶ と手を打って悔しがるのである

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︒ 感情を曝け出す継母のありようは︑ 絶望し︑ 抜け殻と化した中納言が︑ ぼ ん や り と 空 を 見 上 げ る よ う す と は 対 照 的 で あ る︒ 継 母 の ﹁ 手 を 打 つ ﹂ し ぐ さ に は︑ 怒 り に 震 え る 継 母 の 躍 動 感 溢 れ る 身 体 が 体 現 さ れ て い る︒ この後に︑道頼の妻が落窪の君であったことが明かされていることから も︑継母の怒りが頂点に達した瞬間を捉えたしぐさといえよう︒ ﹁ 爪 弾 き ﹂ は 片 手 で 行 わ れ る も の で あ る︒ 一 方 ﹁ 手 を 打 つ ﹂ し ぐ さ は︑ 両 手 に 込 め ら れ た 渾 身 の 力 の 衝 突 に よ っ て 生 じ る 音 を 捉 え た も の で あ る︒このように︑ より大胆な身体表現が一例のみ描かれていることから︑ 継母の最大級の怒りが表象されているのだと考えられる︒ 言 葉 と 沈 黙 の あ わ い に 突 如 と し て 出 現 す る ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ リ ズ ミ カ ル な音とともに私たち読者の想像力に働きかけ︑ 聴覚を刺激する︒同時に︑ 人物の苦々しい表情をも想起させるのであり︑そこには文字という媒体 を越えた︑臨場感溢れるテキストが立ち現れるのだと考えられる︒物語 は︑ 感 情 の 高 揚 の 発 露 で あ る ﹁ 爪 弾 き ﹂ と い う 瞬 時 の 動 作 を 捉 え る こ と で︑場面をより立体的に描き出そうとしたのではないか︒ ﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に お い て 深 刻 な 中 に も ど こ か コ ミ カ ル な 要 素 を 併 せ 持 つ ﹁ 爪 弾 き ﹂ は︑ 落 窪 の 君 を 疎 外 し よ う と 企 ん だ 継 母 本 人 が︑ 最 終 的 に 孤 立 し て い く さ ま を 浮 き 彫 り に す る︒ 翻 っ て ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ で は︑ 思 う に 任 せ ぬ 男 女 関 係 の 機 微 を 映 し 出 す も の と し て 描 か れ る の で あ る

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  ︒

こ の よ 遺物語﹄ ︵小学館︶による︒ ﹃ 枕 草 子 ﹄︑ ﹃ 源 氏 物 語 ﹄︑ ﹃ 夜 の 寝 覚 ﹄︑ ﹃ 狭 衣 物 語 ﹄︑ ﹃ 大 鏡 ﹄︑ ﹃ 宇 治 拾 *本文は︑ 新編日本古典文学全集﹃土佐日記﹄ ︑﹃蜻蛉日記﹄ ︑﹃落窪物語﹄ ︑ いえよう︒ ることで︑人物の言葉にならない感情を丁寧に掬い取ろうとしたのだと う に︑ 物 語 は 選 び 抜 か れ た 場 面 に ﹁ 爪 弾 き ﹂ の し ぐ さ を 効 果 的 に 配 置 す

  

また︑ ﹃うつほ物語﹄の本文は︑室城秀之﹃うつほ物語 全﹄ ︵おう ふう一九九五年初版   二〇〇一年改訂︶による︒

 註

  ︵  人に気付かれぬよう細心の注意を払い︑行動するあこぎのようすが窺える︒ た頃を見計らった上で︑衣などを脱ぎ︑袴を引き上げ行動する︒衣ずれの音など︑ 記述される︒また︑あこぎは落窪の君が幽閉された部屋を訪れる際︑人が寝静まっ 思ひ静めて︑うち散らしたまへる物ども︑取りしたたむ﹂︵巻之一︱一〇三︶と しようと努める︒そのさまは︑﹁目くるる心地して︑足ずりして泣かるる心地を︑ 1︶  感情を露わにする継母とは対照的に︑あこぎは気持ちを切り替え︑冷静に対処

  ︵  がらみ﹂をする継母が描かれる︒ と判断する︒この場面に︑生き霊になって取り憑いてやりたいと悔しがり︑﹁手 妹と蔵人の少将を結婚させる為のものであり︑面白の駒もわざと押しつけたのだ た継母はいらだち︑死ぬほどに思い悩む︒そして︑今までの嫌がらせは︑道頼が 2︶  三の君の婿であった蔵人の少将が︑道頼の妹の中の君と結婚したとの噂を聞い

  ︵  3︶  撥ではなく︑音を立てずに爪で弾く﹁爪弾︵つまび︶き﹂は除く︒

  ︵ 4︶  岩波﹃古語辞典﹄︒    ︵ ぐさに︑中指を人さし指に絡ませる︑﹁エンガチョ﹂がある︒これらは︑子ども と小指を絡ませ合い︑約束を交わす﹁指切り﹂がある︒また︑自らの身を守るし 5︶  しぐさによるまじないとしては︑﹁指切りげんまん﹂と唱えながら互いに小指

(12)

の遊びなどに見られる︒現状維持の為に予め災厄を防いだり︑既に身に降りかかってしまった災厄を取り除く為に︑除災のまじないなどが行われる︒まじないに関しては︑﹃図解案内  日本の民族﹄福田アジオ・内山大介・小林光一郎・鈴木英恵・萩谷良太・吉村風  編︵吉川弘文館 二〇一二年一月︶︒

   また︑爪に関しては︑﹁夜︑爪を切ってはいけない﹂という禁忌がある︒これは︑もし夜に爪を切れば︑﹁親の死に目に会えない﹂という俗信である︒柳田国男は︑俗信が重要な意味を持つことに注目し︑昔の人が何をもって幸福と感じていたかを明らかにしようとする︒

  年三月︶︒     の涙と比較して︱﹂︵﹃日本女子大学紀要﹄人間社会学部第二九号二〇一九 弾き﹂に関する考察は︑鈴木貴子﹁﹃大鏡﹄の鼻をかむ語り手たち︱﹃栄花物語﹄ と描かれる︒ここでは︑禍を除く為のまじないとして用いられる︒﹃大鏡﹄の﹁爪 言い︑爪弾きをする場面が﹁弾指はたはたとす﹂︵﹁道長︵雑々物語︶﹂︱三七四︶   ﹃大鏡﹄では︑殺生戒を破った出来事に感銘を受けた重木が罪を得ることだと

  ︵ られる︒ 返歌のないことに気をもみ︑ひそかに非難を表す爪弾きをする中宮職の役人が見 ﹃枕草子﹄には︑﹁爪はじきをしありくが︑いとほしければ﹂︵第八六段︱一七二︶と︑ ものも言はで︑しばしありて立ちぬ﹂︵下巻︵天延二年四月︶︱三三六︶と描かれる︒ が︑沈黙する作者にいらだちを募らせ︑爪弾きをするさまが︑﹁爪はじきうちして︑ が見られる︒また︑﹃蜻蛉日記﹄には︑養女と逢いたいと願う右馬頭遠度︵兼家の弟︶ ︵﹃土佐日記﹄︱三九︶と︑一日中風がやまず︑爪弾きをして寝てしまったようす の﹁爪弾き﹂が描かれる︒﹃土佐日記﹄には︑﹁日一日︑風やまず︒爪はじきして寝ぬ﹂ 6︶  ﹃土佐日記﹄︑﹃蜻蛉日記﹄︑﹃枕草子﹄︑﹃宇治拾遺物語﹄には︑いずれも不満ゆえ

 

みじく腹立ちて︑母をせため︑爪弾きをして︑いたくのたまひければ﹂︵巻第三 の将来を案じ︑母を責め立て爪弾きをし︑憤懣を口にする︒そのようすが︑﹁い た︒そこに︑女との噂の多い豊蔭なる男を通わせていることを聞きつけた父が娘 であることを︑姫君の乳母と母は承知していたものの︑父には知らせていなかっ た大蔵丞豊蔭と名のる色好みの男の話に描かれる︒男の正体が藤原大臣家の若殿   ﹃宇治拾遺物語﹄において﹁爪弾き﹂は︑高貴な身分の姫君のもとに通い始め  ︱一四三︶と描かれる︒

  ︵  ︵笠間書院二〇一一年三月︶︒  年九月︶︒﹃落窪物語﹄の笑いと涙に関しては︑鈴木貴子﹃涙から読み解く源氏物語﹄  道頼と落窪の君の結婚を中心に︱﹂︵﹃国語と国文学﹄第九四巻第九号二〇一七  ︵﹃物語研究﹄第九号二〇〇九年三月︶︑青島麻子﹁﹃落窪物語﹄における婚儀︱ 二〇一〇年一〇月︶︑石井香織﹁﹃落窪物語﹄における飲酒表現︱﹁酔ひ﹂の力学︱﹂  畑恵里子﹃王朝継子物語と力︱落窪物語からの視座︱﹄︵新典社研究叢書二一二   方洋一﹁いじめの構造︱落窪物語論︱﹂︵﹃青山語文﹄第二〇号一九九〇年三月︶︑  受あるいは表現と構造︱﹂︵﹃物語文学の方法Ⅰ﹄有精堂一九八九年三月︶︑土   典社研究叢書三一一九八九年一〇月︶︑三谷邦明﹁落窪物語の方法︱読者と享 7︶  日向一雅﹁落窪物語論︱現実主義の文学意識︱﹂︵﹃源氏物語の王権と流離﹄新

  ︵  い試みとして評価できるが︑個別の用例への詳細な検討はない︒ に︑﹁爪弾き︵つまはじきす︶﹂の項目がある︒しぐさから物語を読もうとする早  8︶  糸井通浩・神尾暢子編﹃王朝物語のしぐさとことば﹄︵清文堂二〇〇八年四月︶

  ︵  ができずに破滅する三春高基の﹁老い﹂の生きがたさを論じている︒  第六八巻第五号二〇一九年五月︶は︑妻に逃げられ︑あて宮も手に入れること 9︶  西本香子﹁〝老い〟と対象喪失︱﹃うつほ物語﹄三春高基の場合︱﹂︵﹃日本文学﹄

  ︵ いとよく聞こし召す︒ 烏にも呉れて︑籠め据ゑたらましものを﹂と言ひ︑立ち給ひつるを︑宮は︑ ﹃らうたし﹄と思ひし者をしも出だし立てて︑かかる耳を聞くこと︒なほ︑犬・ おとど︑爪弾きをして︑﹁女子持ちたらむ人は︑よき犬・乞丐なりけり︒中に︑ 10︶  源正頼と民部卿︵実正︶の﹁爪弾き﹂は︑それぞれ次のように描かれる︒

 

︵蔵開・下︱五九三︶

 

源正頼は︑藤壺が懐妊したので退出させようと思い︑一族を連れて迎えに参内した︒しかし︑正頼の強引なやり方に機嫌を損ねた東宮は︑藤壺の退出を許さない︒嵯峨の院の小宮の下仕えや童が︑娘である藤壺の悪口を言い合っているようすを耳にした正頼は爪弾きをし︑いっそのこと犬や烏に大事にしてもらった方がましだと︑不快感を露わにするのである︒

 

 東宮は︑正頼の発言を耳にすることとなる︒愛情を大切にする感情的な東宮の行為に︑政治的な正頼が翻弄され︑屈辱を受けるようすが︑正頼の﹁爪弾き﹂に

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