宮 本 輝 ・ ﹃優 駿 ﹄
‑ ( 父 と 子 ) の 血 脈
父 が 死 に 、 何 年 か た っ て 、 私 は 「蛍 川 」 と い う 小
説 で 芥 川 賞 を 受 賞 し 作 家 生 活 に 入 っ た 。 父 が 生 き て
い た ら 、 ど ん な に 喜 ん で く れ た こ と だ ろ う と 思 い 、
風 呂 に つ か り な が ら ひ と し き り 泣 い た 。 そ の と き 、
い つ の 日 か 、 一 頭 の サ ラ ブ レ ッ ド を 主 人 公 に し た 小
説 を 書 こ う と 思 っ た の だ っ た 。
ダ‑ビー(﹃ 私 の 「優 駿 」 と
東京優駿﹄ )
﹃優 駿 ﹄ で は 、 (終 章 長 い 流 れ ) を 除 ‑ 全 十 章 の 車 ご
と に 、 一 人 の 視 点 人 物 が 据 え ら れ て い る 。 全 十 章 の そ れ
ぞ れ の 視 点 人 物 を 列 挙 し て み よ う 。 八第 } 章 誕 生 ) 渡 海
博 正 、 (第 二 章 ゴ ド ル フ ィ ン の 血 ) 和 具 平 八 郎 、 八第 三
尊 祈 り と 宝 石 ) 和 具 久 美 子 、 (第 四 牽 ピ ノ キ オ ) 多 田
時 夫 、 八第 玉 章 傷 ) 奈 良 五 郎 ' 八第 米 華 番 翠 色 の 道
)井 英
渡 海 博 正 、 八第 七 草 鎖 の 輪 ) 和 具 平 八 郎 、 八第 八 草 冬
の 鳥 ) 和 具 久 美 子 ' (第 九 章 ⁚ 春 雷 ) 多 田 時 夫 、 (第 十 章
黒 い 風 ) 奈 良 五 郎 。 博 正 、 平 八 郎 、 久 美 モ 多 田 、 奈 良
と い う 五 人 の 視 点 人 物 、 (終 章 ) 以 前 で は 、 彼 ら は 形 式 的
に は 対 等 の 視 点 人 物 で あ る 。 彼 ら を 二 度 ず つ 、 同 じ 順 序
で 配 列 す る こ と に よ っ て 、 (終 章 ) 以 前 の 全 十 章 を 構 成 し
て い る の だ か ら 。
し か し 、 大 団 円 と 言 う べ き (終 章 ) で は 、 彼 ら の 対 等
性 は 崩 れ る の で あ る 。 (終 章 ) で は 、 そ れ 以 前 の ' 一 入 の
視 点 人 物 で 一 章 を 通 す と い う 方 法 を 捨 て て 、 彼 ら を 全 て
視 点 人 物 と し て 登 場 さ せ て い る 。 博 正 1 平 八 郎 1 久 美 子
1 多 田 1 奈 良 1 久 美 子 1 平 八 郎 1 多 野 と い う 順 序 で 。 (第
1 章 ) 〜 (第 五 章 ) と 八第 大 草 ) 〜 (第 十 章 ) と 同 7 の 配
列 で 五 人 の 視 点 人 物 を 附 置 し て い る 点 で は 、 彼 ら の 対 等
性 は 保 た れ て い る と 貰 え る の で あ る が 、 (終 章 ) に は 、 そ
れ 以 前 の 対 等 性 を 打 ち 破 る 剰 余 が あ る こ と も 確 か な の で
あ る 。 博 正 1 平 八 郎 1 久 美 子 十 多 田 1 奈 良 と い う 相 似 形
か ら は み 出 る 、 久 美 子 、 平 八 郎 、 多 田 の 四 回 目 の 視 点 人
物 の 座 。 (終 章 ) に 至 っ て 、 久 美 子 、 平 八 郎 、 多 田 の 三 人
が 、 ﹃優 駿 ﹄ の 真 の 視 点 人 物 の 座 に せ り 出 し て い る の で あ
る 。 こ の 意 味 に お い て 、 ﹃優 駿 ﹄ の 主 要 な 視 点 人 物 は 、 平
八 郎 、 久 美 子 、 多 田 の 三 人 で あ る と 言 っ て よ い で あ ろ う
が 、 こ の 三 人 を こ の 作 品 の 主 人 公 と 言 い 換 え て は 間 違 い
な の で あ ろ う か 。
7 頭 の サ ラ ブ レ ッ ド に 己 れ の 人 生 の 夢 を 託 し た 幾
人 か の 人 々 の 物 語 で は あ る が 、 主 人 公 は あ く ま で も
物 言 わ ぬ 育 毛 の 裁 定 馬 だ と い う こ と に な る O
ダ‑ビ‑(﹃私 の 「優 駿 」 と
東京優駿﹄ )
l 頭 の 競 走 馬 を 中 心 に し て 、 そ れ を 取 り 巻 い て い
る 人 の そ れ ぞ れ の 人 生 を つ づ っ て 行 ‑ こ と で 、 サ ラ
ブ レ ッ ド と い う 生 き 物 の 不 思 議 な 美 し き と 哀 し さ を
あ ぶ り 出 せ た ら 、 小 説 は 成 功 し た と 考 え る つ も り で
あ る 。 (﹃ 「風 の 王 」 に 魅 せ ら れ て ﹄ )
こ
の 二 つ の エ ッ セ イ に お け る 発 言 に よ る と 、 人 よ り も 馬 そ の も の 、 「幾 人 か の 人 々 の 物 語 」 よ り も 「 サ ラ ブ レ ッ
ド と け う 生 き 物 の 不 思 議 な 美 し き と 哀 し さ 」 に 小 説 の 主
眼 が 置 か れ て い る か の よ う で あ る 。端 的 に 言 え ば 、 ﹃優 駿 ﹄
の 主 人 公 は オ ラ シ オ ン と い う こ と に な る の で あ る 。 オ ラ
シ オ ン と 名 付 け ら れ た サ ラ ブ レ ッ ド の 生 態 を 描 い た 動 物
記 ‑ ‑ 。 宮 本 は 真 意 を 伝 え て い る で あ ろ う か 。 ﹃優 駿 ﹄ の 成 立 に ﹃名 馬 廟 の 王 ﹄ の 読 書 体 験 が 不 可
欠 で あ っ た こ と は 周 知 の こ と で あ る が 、 先 の 二 つ の エ ッ
セ イ よ り お よ そ 四 年 前 に 書 か れ た ' ﹃名 馬 鳳 の 王 ﹄ に 言
及 し た エ ッ セ イ ・ ﹃拝 啓 ア ラ ビ ア 馬 ・ ゴ ド ル フ ィ ン 様 ﹄ に
お い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。
テ レ ビ で と き お り あ な た の 子 孫 の 走 っ て い る T ,ま を 眺 め な が ら 、 ア ラ ビ ア 馬 ゴ ド ル フ ケ ン で な く 、 ア
グ バ の 生 涯 に 不 思 議 な も の を 感 じ る よ う に 凍 り ま し た . ア グ バ は 、 そ の 後 ど ん な 人 生 を 歩 ん だ の か O あ
な た の 死 後 、 ひ と つ の 使 命 を 終 え iJ 物 言 え ぬ 青 年 は 、
新 し い 人 生 を ど う や っ て 生 き て 行 っ た の か 。 サ ラ ブ
レ ッ ド の 歴 史 の 影 に あ っ て 、 も っ と も 大 き な 役 目 を
果 た し た 無 名 の 青 年 は 、 胸 中 に い っ た い 何 を た ぎ ら
せ て 生 き た の か 。 (中 略 ) そ の 風 景 の 中 を 歩 い て 行 ‑
裸 足 の ア グ バ の 姿 が 、 長 く 影 を 落 と し つ づ け る の で
‑ 2‑
す 。 あ な た の 友 で あ り 育 て の 親 で あ っ た ア グ バ o 7
頭 の 馬 の 世 話 に 1 生 を 捧 げ 、 無 言 で 祖 国 へ 帰 っ て
行 っ た 痩 せ っ ぽ ち の モ ロ ッ コ 人 に 思 い を は せ て 、 あ
な た へ の 最 初 で 最 後 の 手 紙 を 潤 筆 さ せ て い た だ き ま
す 。 ﹃名 馬 風 の 王 ﹄ の 小 学 生 の 時 の 静 香 体 験 に お い て は
い ぎ 知 ら ず 、 芥 川 賞 受 賞 直 後 の 宮 本 の 関 心 が 向 け ら れ て
い る の は ' 馬 そ の も の よ り も 人 、 ア ラ ビ ア 馬 ゴ ド ル フ ィ
ン よ り も そ の 「世 話 に 一 生 を 捧 げ 」 た ア グ バ で あ る 。 「 サ
ラ ブ レ ッ ド と い う 生 き 物 の 不 思 議 な 美 し き と 哀 し さ 」 へ
の 感 銘 は 語 ら れ て は い な い 。 「 ア グ バ の 生 涯 に 不 思 議 な も
の 」 を 感 じ て い る の で あ る 。 ﹃拝 啓 ア ラ ビ ア 馬 ・ゴ ド ル フ ィ
ン 様 ﹄ 執 筆 時 の 宮 本 の な か に 、 ﹃優 駿 ﹄ の 作 品 世 界 は ま だ
腔 胎 し て い な か っ た で あ ろ う が 、 彼 の 関 心 が サ ラ ブ レ ッ
ド よ り も そ れ に 関 わ る 人 間 の ほ う に あ っ た こ と は 確 実 で
あ る と 思 わ れ る 。 ﹃優 駿 ﹄ に お い て も 、 官 本 の 関 心 の 的 が 人 間 に あ っ た
こ と は 、 (終 章 ) に 至 っ て ' 博 正 と 奈 良 が 主 要 な 視 点 人 物
の 座 か ら 降 り て い る こ と に よ っ て 裏 付 け ら れ る で あ ろ
う 。 オ ラ シ オ ン の 生 産 者 で あ る 博 正 と オ ラ シ オ ン の 騎 手
で あ る 奈 良 。 「 サ ラ ブ レ ッ ド と い う 生 き 物 の 不 思 議 な 美 し さ と 哀 し さ を あ ぶ り 出 」 す に は 、 博 正 と 奈 良 こ そ を 主 要
な 視 点 人 物 に す る の が 近 道 で あ ろ う 。
そ も そ も 、 宮 本 の 当 初 の 構 想 に 、 寮 長 は 視 点 人 物 と し
て 入 っ て い な か ら た の で は な か ろ う か . ﹃優 駿 ﹄ の (第 1
ダ‑ビ‑章 ) を 発 表 し た 後 の エ ッ セ イ ・ ﹃私 の 「優 駿 」 と
東京優駿﹄
に お i て ' 「私 は ﹃優 駿 ﹄ と い う 小 説 の 連 載 を 始 め た . (中
略 ) 予 定 と し て は 全 部 で 八 草 」 と 言 っ て い る . (第 1 章 )
を 博 正 一 人 を 視 点 人 物 に し て 描 い た 後 の 発 言 で あ る か
ら 、 博 正 1 平 八 郎 1 久 美 子 ‑ 多 田 と い う 視 点 人 物 の 組 み
合 わ せ を 二 回 繰 り 返 す こ と で 全 八 葦 の 作 品 世 界 を 構 成 す
る 企 図 だ っ た の で は な か ろ う か 。 「 サ ラ ブ レ ッ ド と い う 生
き 物 の 不 思 議 な 美 し き と 哀 し さ 」 の 身 近 に い る 奈 良 が 当
初 の 構 想 に 入 っ て い な い 小 説 .の 主 人 公 が オ ラ シ オ ン だ と
は 言 え な い で あ ろ う 。 ﹃優 駿 ﹄ の (終 章 ) に 至 っ て 、 主 要 な 視 点 人 物 の 座 に
せ り 出 し て き た 平 八 郎 、 久 美 子 、 多 田 が こ の 作 品 の 主 人
公 で あ る 。 先 に 引 用 し た ﹃私 の 「優 駿 」 と 東 京 優 駿 ﹄ の
一 節 は 、 「作 品 の 中 心 に 物 言 わ ぬ 育 毛 の 競 走 馬 が い る こ と
は 確 か だ が 、 主 人 公 は あ ‑ ま で も 1 頭 の サ ラ ブ レ ッ ド に
関 わ り を 持 っ た 人 々 で あ り 、 そ れ ら の 人 々 の 物 語 で あ
る 。 」 と 言 い 換 え る ほ う が 妥 当 で あ ろ う 。
奈良と並んでオラシオンの最も身近にいる博正が主人
公の座から外れていることは、﹃優駿﹄の主人公がオラシオンではないことを指し示しているだけではない。この
作品のテーマが暗示されているのであるO博正は確かに、﹃優駿﹄の最も重要なものを体現している重要人物では
ある。しかし、それでいて'博正は真の主人公には仕立
てられていないのである。﹃優駿﹄の小説的人物ではない、
と言い換えてもよい。何故であろうか。 あった。見渡す限り牧場だった.広大な夕焼抄の中
krうねうねと果てしなく牧場の起伏がつづいてい
る。博正が物心ついたときから、何ひとつ形を変え
ていない風景がそこにあるのだった。遠‑にベラリ
山が見え、数頭の馬が点のようになって赤‑光っていた。
*
北海道の静内にあるトカイファーム。そこには何があ
るのだろうかO
風の音なのか、牧場の横を流れるシベチャリ川の
せせらぎの音なのか判らぬ、遠くからとも近くから
とも判別出来ない静かな響きが、九頭の母馬を馬房
に入れ終わった渡海博正の耳に、急に大きく聞こえ
てきた。
振り返って夕陽を見ると、地平線の彼方の、ぼこiんと突き出た小さな山の轡に落ちていくところで 陽が落ちて、人も馬たちも姿を消し.てしまった牧
場には、まだおいそれと春を与えてはやらぬぞと
いったt.自然の大いなる噴き声のような寒風がうねっでいた。
自動車、電車、機械、‑‑の本音・。スピーカーかち,g
れ出る商店の宣伝、音楽、‑‑。それら都会から立ち昇
る騒音は人間の心を荒立て、疲弊させるもので心かない。
その㌻つな喧騒のまったくない、「風の音」と「シベチャ
リ川のせせらぎの音」しか流れない、静護と言う他ない
トカイファーム。建築物の巨大化、開発、‑‑で、街並
みも自然も日々その姿を変えてい‑現代日本の風景。都
会も周縁もその波を免れないのである。そのような現代
日本の中の真空地帯のようなトカイファーム。「博正が物
心ついたときから、何ひとつ形を変えていない風景」。し
かも、それは、箱庭的なせせこましい風景ではない。「地
平線の彼方」に夕陽が落ちてい‑広大な風景である。温
暖化してい‑都会と対庶的に、四月半ばだというのに、「寒風がうねって」いるのだ。「まだおいそれと春を与え
てはやらぬぞ」というかのようにO人間に自然の偉大な
力を教え'人間に耐える強さを与えるかのような雄々し
い風。人間の中の邪悪な心を浄化するかのような寒風。
トカイファームは、真の周縁性、真の自然の象徴として
設定されている空間である。祈りが自ずから発生する場
でもある。人間を謙虚にさせる場、人間の心を無私にさ
せる場と言い換えてもよい。
ふいに、自分が何に祈っているのかが判ったよう
な思いにとらわれたの・であった。それは、単なるシ
ベチャリ川という澄んだ流れにではない。水や大地
や風や空気や、それら大自然の不思議な源に祈って
いたのではないかと。
現代人が忘れ去っている営み、「大自然の不思議な源」
に二心に祈りを捧げるという精神的な営み。近代の科学
万能思想から自由な博正にして初めて出来る滞神的な営
みであろう。「人間の勘や知恵や企み」を遠‑では‑そ笑
んでいる「自然を支配する大いなる何者か」に心を向け る謙虚さ、無私の心を持っているのである。
このようなトカイファームの風景と風土が、渡海千
造・博正父子の人間性、人格を作り上げたこと㌦望冒ま
でもあるまい。しかし、渡海父子が、都会/トカイファー
ムの二項対立の意味に意識的であるわけではない。現代
日本の都会の対極性に価値を見出だしているふうもな
い。博正は、「都会風」(「華やかで洗練されたもの」)のもん前で、おのれの「いなか者」たることを卑下することも
あるのだ。渡海父子の周縁性に対する意識は'「(雪景色
を)たまに見るからきれいだと思うんですよ。鮭もたま
に食うからうめェんで‑、スジコも、毛蟹も、ジャガ芋も
トウモロコシも、たまに食うからうめェんです。あた
しゃ、もううんざりしてますよ。」と愚痴をこぼす北海道
のタクシーの運転手の意識からさして隔たったものでは
あるまい。都会/トカイファームの二項対立の意味に意
識的であり、トカイファームの意義を知悉しているのは、
平八郎、久美子、多田という三人の都会の住人なのであ
る。﹃優駿﹄の主人公たる所以である。自然を喪失してい
る都会人の眉然への希求が、この作品のひとつのテーマ
であを.
近代化の時間がその時を刻まないようなトカイファ
ー
ム。そこに生きる渡海千造・博正の父子が、高度経済成
長のもたらす毒を免れている人物であることは言うまで
もない。経済的発展のなかで、現代日本人が喪失していっ
たものを体現している人物として設定されているのだ。ひや「陽に灼けた嘘のつけない表情」をした千造。彼は実
直で、「遠慮勝ち」な人物であるが、その言動は「ユトモ
ラスで優しさに覆われて」もいるのである。博正の人格、
性格の全ては彼の顔に外面化されている。「純朴そうな
顔」、「ジャガ芋面の中の漉い眉や、心根のきれいなこと
を物語る澄んだ瞳」O博正は、現代日本の(都会の)「垢
抜けてはいても中身の薄い男」の対極的な若者として描
かれているのであり、姉の聖子が、「お前のいいところは、
長‑つき合ってみないと判らないのよ。男前でもないし、†J口がうまいわけでもないし‑‑。とにかく女の娘にひと
め惚れされることは絶対あり得ないんだから」と貰うと
お町の若者である。千造と博正は、現代の日本では'た
やす‑は見付けだすことの出来ない、心惹かれる人物で
あることは間違いない。しかし、﹃優駿﹄における千造・
博正父子の意味性は、(純朴)、(素朴)、(実直)といった
ものに止まるわけではない。この父子には、この作品の
最も重要な核が担わされているのである。 「日本一の牧場」である吉永ファームの息子たちが、
父・富永達也の仕事を継ぐことは当然な営みかも知れな
い。しかし、ーカイファームは、博正が、「この牧場(富
永ファーム)を見たら、うちなんか恥ずかし‑つて牧場
なんて言えやしねェ。痩せた草の生えてる幼稚園の遊び
場みてェなもんだよ.」と言うような、「食うのが精1杯
のちっぽけな牧場」に過ぎぬのである?周縁部の若者が
都会を志向する日本社会にあっては、博正がトカイ
ファームを継ぐことは'ありふれた既定の人生コ
ー
スとは言えぬのである。「ことのほか博正に好意を持ってくれ
ている」藤川老人、彼は(老賢人)的な存在と言ってよ
いのだが、おのれの馬産業の跡を継ぐ者に恵まれていな
いのだ。「息子が三人いるが、みな馬産業を嫌って、それ
ぞれ別の仕事で独立していたから、藤川牧場は、老人1
代で終わることになるのである。」博正の高校時代の友人
のなかにも'親の跡を継いで馬産業に携わることを嫌っ
て都会に出て行った者もいたのだ。
高校時代の友人の中には、東京の大学に進学した
者も多‑いたし、親のあと.を継いで馬の生産者にな、
るのを嫌い、.都会に就職していった者もいた。けれ
ども博正は、一度もそんな考えを抱いたことはな