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東南アジア開発論の問題点

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東南アジア開発論の問題点

前  川  忠  良

は し が き

1 いわゆる「帝国主義論」の限界について 2 社会学的視角の導入

3 国家論的視角の導入 4 合理主義と非合理主義の統一 5 東南アジアに於ける民族問題

は  し  が  き

 われわれは東南アジア諸国の現実を見るとき、そこに単に資本の論理によっては解決し 得ない障害を見出す。それは同時に、資本の論理のみによっては分析し得ないことを意 味し、われわれはそこに社会学的視角の導入が必要なことを感ずる。

 社会学的視角とは何か。一言でいえば、東南アジアに填ては、それは民族の問題として あらわれる。具体的には、民族の、宗教、国家、資本との対応関係を見ることである。人 類の歴史、具体的には民族の歴史に於て、宗教と国家権力と資本とは三つの主要な支配形 態としてあらわれた。

 われわれは東南アジア諸国を問題とする時、それは帝国主義論の対象としてとらえるだ ろう。または後進国開発理論であるかも知れない。その場合宗教、乃至政治権力としての 国家は上部構造として、経済的土台に規定されるものとして捨象されるとすれば、われわ れは異論を唱えざるを得ない。宗教は上部構造的性格をもつことは明らかであり、政治は 経済の集中的表現であろう。しかし、宗教にも、国家権力にも、経済に対する相対的独自 性を持つことを忘れてはならない。

 われわれは、マルクスの「ドイツ・イデオロギー」を再び想い起すことが必要である。

そこでとらえられた人間の歴史に於ける、食欲と性欲の基本的な二つの契機は、更に第三 の契機としての人間的欲望の増大として、経済的発展のみならず、性欲に基盤をおく人間 愛の問題としてとりあげられる必要があろう。マルクスは「資本論」に於ては性欲を捨象 したが、人間社会生活に隔て食欲とともに性欲にも広義の土台としての性格をもつことを 否定したわけではないだろう。民族の生活習慣、言語、宗教等、全体として文化生活様式

として理解されるものは、基本的には、性欲に基く人間集団の社会的形態としての民族の

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論理が底流していると理解されるのである。

 われわれは、民族の三つの疎外された社会的形態として逆の立場からいえば、民族に対 する三つの社会的支配形態としての、宗教と国家と、資本とを分析し、更にそれらの総括 に於て民族の問題をとりあげよう。

1.所謂「帝国主義論」の限界について

 後進国の問題はわが国のマルクス経済理論学界に於て殆んど関心を持たれない。アメリ カ、ドイツ、イギリス、日本等の独占資本乃至は、帝国主義の分析については、多くのマ ルクス学者が名を連ねても、後進国についての分析は僅かに帝国主義論に関わる限りに於 てとりあげられにとどまる。

 従って、われわれは先づ、帝国主義論は経済学に撃ては如何なる位置づけがさるべきか を考えてみることも必要であろう。レーニンによれば帝国主義とは、資本主義の最高の発 展段階であり、現代独占資本主義は、寄生的な、腐敗しつ、ある、死滅しつ\ある資本主 義であると規定される。

 産業資本主義の発展は、資本相互間の競争の結果、資本の集中、集積を呼び起し、必然 的に独占資本主義を招来する。しかしながら、独占資本は具体的には金融寡頭支配として あらわれ、半平な過剰資本を生み出し、国内市場の狭隆昌は必然的に国際市場にそのはけ 口を求めざるを得なくなる。従って、後進国、植民地に対する資本輸出は不可避の問題と なる。すなわち、帝国主義論は発展段階論の対象としてあらわれるものとされる。

 また一方では、「帝国主義論」は「資本論」との関係に於て、どう位置づけられるべき かという問題としてあらわれる。

 すなわち、マルクスの「資本論」は資本主義の運動法則を明らかにするものであった が、マルクスの膨大な体系は彼によっては、遂に完成され得なかった。マルクスの意図し たプランの中、「資本論」に於ては、先づ資本一般が明らかにされたにすぎないといわ れ、また、「資本論」そのものも、エンゲルスによって、一応の完結を見たものの、なお 多くの宿題が残されていると理解されている。

 しかしながら、それはレーニンの「帝国主義」や、ヒ1ルファーデングの「金融資本論」

によって更に発展されたとし、「資本論」はマルクスが十九世紀半ばの資本主義の発展毅 階によって歴史的に規制されたのに対し、レーニンの「帝国主義論」は二十世紀に於ける 現代独占資本主義の基本的な経済法則を明らかにしたものとする。いわば、「資本論」の 論理展開に嘗て明らかにされた弁証法が、開かれた体系として、上向の過程に於て「帝国 主義論」により具体的な、現実的な、従ってまた、現代的な諸法則が明らかにされたと

する。

 われわれは、マルクス「資本論」と、レーニン「帝国主義論」の関係については幾つか

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の立論を試みることが出来るだろう。われわれはこの両者の関係を決して無縁なものであ るど考えることが出来ないのは当然である。しかし同時に、それが極めて密接な関係とし で乱かつ「資本論」の発展として「帝国主義論」が理解されればされる程われわれは現代 マルクス学界がとりあげる帝国主義論が、乃至は世界経済論が、後進国問題を如何にとり あげているかを問題にせざるを得ない。本稿との関係に於てより厳密に云えば、後進国問 題としてとりあげる立場ではなくて、東南アジア諸国経済論を如何にとりあげているかと いう問題なのである。

 マルクス経済学界に於ては、後進国問題としてよりも、むしろ「帝国主義論」としてと りあげる方が一般的である。しかしながら、「後進国問題」としてであろうと、「帝国主 義論」の立場であろうと、両者は極めて似通った立場として理解せざるを得ない。

後進国問題は主として、近代経済学界に於て重要な課題としてとりあげられているが、む しろそこに締ては既に、後進国開発理論についての批判や反省が行われていることは事実 であるが、マルクス学界に於てはどうであろうか。

 こ\で先づ問題にしょうとすることは、マルクス学界に於ける帝国主義論的発想につい てである。「後進国問題」という立場と、「帝国主義論」という立場は、資本肯定の立場 であろうと、資本批判の立場であろうと、基本的には極めて似通った立場であるとするこ とには、理解され難い面があるであろう。そこで論蓮を先取りして、問題点を明らかにす れば、次の通りである。

 すなわち、「帝国主義論」は、帝国主義そのものを批判の対象とするにとどまるのに対 し、後進国開発理論は、資本の、乃至は西欧先進資本主義国の立場から、後進諸国がその        も 対象となっているにすぎない。そこには、後進国の立場、厳密にいえば、東南ア諸国の立

場から、すなわち、彼ら自身の問題としてとりあげていないことに於ては、マルクス経済 学界も近代経済学的な後進国開発論と大同少異であるといわねばならない。

 換言すれば、資本の運動をその対象として、または先進資本主義国の論理としてしか、

東南アジア諸国がとらえられていないという意味に於てである。

 マルクスの「資本論」は、資本主義の運動法則を明らかにする論理展開を含んだところ の、「資本」の概念規定であった。従って、その編別構成は、「資本の生産過程」、「資 本の流通過程」、「資本主義生産の総過程」の三編から成立っている。かつ、人間の関係 が物の関係として、客観的な商品の運動、乃至発展過程として理解される。それはより具 体的な上向の過程に於て、資本主義生産として、また資本主義社会に於ける、資本家、労 働者、土地所有者の三階級として理解される。しかしながら、そこに貫く社会法則は、あ

くまでも価値法則であり、資本の法則であり、「帝国主義論」に於ては独占資本の法則が 明らかにされた。その意味に於ては現代マルクス主義経済学界に於ける、帝国主義論も、

独占資本の法則を明らかにするにとゴまっているといえよう。

 もちろん、東南ア諸国が国際独占資本の論理、乃至はそれぞれの東南ア諸国の資本の諭

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理に無関係である筈はない。帝国主義主義段階における世界は、東南ア諸国であろうと国 際独占資本の論理によって規定されることは否定し得ない。その意味では、資本を分析の 対象とし、論理の対象にすることに反対するわけではない。しかし、われわれが資本の論 理を、従ってまた帝国主義の論理を客観的に明らかにすることのみで事足れりとするなら ば、東南アジア諸国の問題を正しく解明することにはなり得ないであろう。それは、その 限りに予て、資本の論理の対象としてのみ東南ア諸国があらわれるにすぎないからであ

る。東南アジアの分析は、彼ら自らの主体的な立場に曾て、換言すれば、帝国主義に対応 する彼ら自身の立場に曾てとらえなければならないだろう。

 かくの如き批判に対しは、当然幾つの反論が予想されうる。例えば、社会科学は、客観 的な諸法則を明らかにするにとどまり、その限りに於て帝国主義論を研究することは、帝 国主義を批判することであり、社会科学が本来社会批判の学であるという意味に於て、そ れは本来的なマルクス主義の立場であるとする考えであろう。

 またも一つの反論にしては東南アジア諸国に対し、何らかのプラスとなり得る具体的な 政策を展開すべきだというならば、それは、社会科学に期待する範囲を逸脱するのみなら ず、東南ア諸国が資本主義体制である限りに於て、東南アジア諸国に対する何らかの政策 は、たとえ進歩的なスタイルをとろうと、そこに帝国主義の進出の道を拓くものとしか現 われ得ないだろうという、基本的な立場が主張されるであろう。すなわち、帝国主義の論 理を白日のもとにあばき出すことは、資本主義崩壊の、従って社会主義社会の到来の必然 性を明らかにするにすぎないのであり、それは資本主義体制の否定なくして何らの成果も 期待することは出来ないという思想が根底にあるからであろう。

 しかし、その考えを東南ア諸国にそのま\あてはめることは必ずしも正しくないし、東 南ア諸国には帝国主義に対する抵抗の姿勢は幾つかの国に於て見られることだからであ

る。

 われわれが、「帝国主義論」的立場について批判するのは、政治的イデオロギーに立っ て主張するわけではなく、東南ア諸国民自らの立場に於て問題をとりあげることを主張す るに他ならない。

 マルクスが資本主義の運動法則を明らかにするために、「資本論」に於て展開した論理 は、資本の論理の形態をとったにも拘らず、資本主義の発展が必然的に社会内矛盾を激化 することを明らかにすることを意図したものであった。

 「資本論」の論理構造の根幹には、分業と蓄積の増大が、資本主義の再生産過程に予て、

資本主義的矛盾の拡大再生産という形態に於てあらわれざるを得ないことを明らかにし た。それは、人間の関係が物の関係としてあらわれるという物神性の必然的帰結であり、

特別剰余価値獲得への資本の衝動は、諸資本間の競争によって促進され、資本と労働力と

の斗争関係を内包せざるを得ないことにある。従って、資本主義は資本家間の競争と、労

資間の斗争とを動因として展開される。その結果は、一方に資本の集中、集積の展開とと

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もに、他方に労働予備軍を内包した労働者階級の増大としてあらわれざるを得ない。従っ て、マルクスは、資本主義を資本の運動として理解するだけではなく、資本と労働との矛 盾として、三大階級間の矛盾の激化としてとらえたのである。

 その意味では、マルクス主義の社会科学的な立場は、労働者階級の立場に立つという政 治的イデオロギーの立場では必ずしもない。

 われわれは東南アジアの解放、従って真の意味では東南アジアに於ける社会主義の実現 の立場に立たねばならないという意味ではない。われわれは、「資本論」の正しい意味で の発展としては、単に、「帝国主義論」として、国際独占資本の論理を明らかにするにと どまってはならないだろうということである。従って、東南アジアの問題については、国 際独占資本の帝国主義的侵略に対する東南アジア諸国の対応関係として、その矛盾を明ら かにすることでなければならない。それは単に国際独占資本乃至は帝国主義の資本の側か らみた矛盾を明らかにすることではなくして、東南ア諸国の立場からの矛盾も明らかにし なければならないことを意味する。

 資本主義社会の分析が、単に資本と労働力との矛盾として理解されるのではなくして、

資本家階級と労働者ないしは、労働者階級との矛盾として理解されねばなちないというこ とである。      、  マルクスは資本論に於て、第24章本源的蓄積についで、第25章に於て近代植民地論を展

開しており、単に世界市場という形で問題にしていないことは、注意すべきである。

 その意味では、より具体的には資本による後進国の搾取が主たる問題ではなく、東南ア 諸国民の生活内容や、生活水準の向上という視点に於て問題にされねばならないだろう。

それは、東南ア諸国が資本主義体制内の国であるとか、社会主義国にならなけれならない という問題ではなく、それら政治的イデオロギーの問題は、それらの国々の国民が決定す

る問題である。

 国際経済論に於ても、価値側面に重てのみ従ってまた貨幣的な、資本め次元に於てのみ 論ぜられるべきではなく、従ってそれぞれの国々に於ける商品の価値体系の相異によって 使用価値視点の導入が、必要とされることは当然である。      、

2 社会学的視角の導入

 経済決定論的な、従ってまた現代に於ては、資本の論理的な、帝国主義論乃至は後進国 開発論の問題点を指摘して来たが、アジア的な、彼ら自身の住民の立場からの発展理論は 如何に形成さるべきであろうか。その解答は資本の論理から彼らに押しけらるべき性格の

ものでなく、彼ら自身が決定すべき内容と、その可能性を多く含んでいる。

 従って、われわれは彼ら自身如何なる状態にあるかを明らかにすることなくして、また

彼らが如何なる希望を持っているかを問うことなくして、資本の立場を押しつけ、乃至は

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資本の運動を単に批判するにとどまることは誤りである。われわれは先づ彼らが如何なる 状態にあるかを明らかにすることから出発しなければならない。彼らが抱いている問題点 は決して経済的な問題だけではない。彼らの生活に於て、経済の問題は基本的に重要であ ることは当然であったとしても、その解決の方法は単に資本の論理によらねばならぬ理由 はなにもない。資本の論理がかえって彼等の生活を破壊する結果になるならば、それは単 に先進資本主義国の立場からする後進国開発にすぎないからである。

 従って、先づ彼らの状態が如何にあるかを明らかにするためには、社会学的手法が導入 されることが必要であろう。

 現在社会学は時代のはながたとして、それぞれの専門分野に分化発展しつ〜ある。しか し、こ\ではそれらをとりあげるつもりもないし、それぞれ分化された諸理論が社会科学 的な統一理論としてねり上げられているとは到底考えられない。こ、ではあくまでも、マ ルクスを、特に「ドイツ・イデオロギー」を拠りどころとして、東南アジア諸国の分析に 社会学的視角を導入する。

 そのことは、当然に入類の歴史を、また現在の社会を欲望の視角から把握することを意 味する。それはより具体的には、生産力の発展と愛の発展とを、全人間的なものとその疎 外形態に於て把握することである。社会学的視角の導入の基本的な要因は、人間的な愛と その疎外に他ならない。それは社会的形態としては、或いは民族問題として、或いは宗 教の一つの要因として、或いは永い歴史的過程につちかわれた生活慣習としてあらわれ

る。

 マックス・ウエーバーは、経済学を宗教との関係に於て理解しようと試み「資本主義に 於けるプロテスタンチズムの精神」として位置づける。それはマルクスを越えようとす る、より具体的な社会えの接近の試みであったろうが、所詮それもマルクスの掌の中の模 索にすぎなかったかも知れない。あたかもサルトルが実存主義について告白したように。

 われわれは「ドイツ・イデオロギー」段階に於て社会科学の全体系の構想は与えられて いると理解する。

 人類は原始共同体的家族社会から、三つの社会秩序の形態が、食欲と性欲と、より発展 した欲望充足のための人間の実践という三つの基本的動因に基いて、人間を疎外した形態 に於てあらわれて来る。それは宗教であり、愛に基づく家族制度の破壊による精神的支配 体制として。また実践の社会集団的表現、すなわち、国家による暴力的支配体制として。

それは経済財であり、発展して資本による支配として。

 これらは歴史的には、宗教、暴力機構、資本の順序に於て、最も指導的な支配力の転移

過程として理解されると同時に、それらは時には相互に対立し、時には相互に癒着し、時

にはそれらの併存の形に於て、人々を支配して来た。現在に於ても、それらは精神的宗教

体制、権力的統治機構、商品乃至資本主義的経済機構として、重要かつ基本的な社会構成

をなしている。

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 従ってわれわれは日本の国民をとらえようとする時、三つの異った表現を用いることが 出来る。それは日本民族という表現であり、日本の国家という表現であり、.日本の社会 と いう表現である。この三つの表現は個々別々にはそれぞれいろいろな概念規定が行われて いる澄ろう。しかし、この三つの用語を併列してみる時、言葉のニュアンスの相異は明 白である。「民族」には血族的な集団として、「国家」はその集団の権力機構として、

「社会」はその生産様式としてのニュアンスに以てである。それは人間社会集団の三つの 側面を暗示している。

 宗教、権力、資本という用語と、民族、国家、社会という用語は、根源的には対応する ニュアンスをもっている。しかし、宗教と民族とは異った概念内容をもつのは当然である し、またその規定は様々でありうるだろう。

 われわれは民族を家族、氏族、部族、という一連の血のつながりの発展として理解す る。それはあくまでも、マルクスの性欲に由来し、食欲と並んで端緒的な契機であり、そ れは社会の土台の構成の根源をなす。

 しかしながら、セルクスは歴史科学としての社会科学の対象としては、性欲を抽象す る。かつ、イデオロギー諸形態が究極に於て、経済的な諸関係としての土台に規定される ものとし、歴史としての社会科学の本質は経済学に他ならないことを明らかにし、経済学 の研究、に没頭するこ・ととなる。「資本論」は将に「ドイツ・イデオロギー」からの抽象と して人類の歴史を構成する経済関係を明らかにしょうとしたものであった。

 われわれは現代資本主義が永い人類の歴史の過程に於て、人間の自我の確立に基く私有 財産制度の発展とともに、商品生産の発生、発展の結果であることを知る。その資本主義 化の道はそれぞれの国々に捨て、自然条件や生活習慣等め相異から、その歩みにはそれぞ れの差異が生じたことは事実である。その資本主義発展の格差については、マルクスはア

ジア的土地所有形態としてとりあげた。

 西欧諸国は商品生産の発展はその歴史が永く、先づイギリスに於ける産業革命を契機と して資本主義化の道をたどった。資本主義制度は物質的生産の急激な拡大を可能するもの であって、世界に於て西欧諸国は資本主義貫文明の先進国としてあらわれ、十七世紀以降 またたく間に世界をその支配下においた。西欧諸国はそれ以外の国々を、未開国乃至は野 蛮国としてとらえたが、それらの国々に於ては、物質的生活に於てこそ西欧諸国とは劣っ ていたとはいえ、豊かな平和な生活を楽しんでいたところが多かったのである。西欧資本 主義は暴力と宗教を尖兵として世界に進出し、各民族、各地方の平和な生活を破壊し商品 の価値法則乃至は資本の論理を強要し、それに従はない、乃至は資本の論理展開に不必要 な住民は次々に抹殺されていった。白人による帝国主義はそれら原住民を理解しようとせ ず、また彼らを人間として扱はなかったことは、血なまぐさい植民地史として一般に衆知 のことである。

 フォイエルバッハは「キリスト教の本質」によって、宗教は所詮イデオロギー形態であ

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り、人間と宗教の関係は、人間によって作られた宗教が逆に、人間を支配していることを 明らかにする。しかし、われわれは宗教の本質が明らかになったとしても事態は何らの変 化もないことを知る。現在に断ても東南アジア諸国では、回教が、印度教がぐまた仏教が 信仰され、社会的にも重要な役割を果していることは事実である。われわれは宗教力弐現実 に機能している役割を先づ考察する必要があろう。

 宗教とは何かという問に対して、様々な答が用意されるだろう。われわれは乱原始的宗 教と宗教としての宗教、換言すれば、教義としての宗教とを区別する6宗教が本来血族的 紐帯を基盤として、「その生活の上に発生した限り、個人主義とは寧ろ無雑であり、一定の 共同体的な秩序維持の倫理を内包していた。それは生活と密着し、物質的生産と子孫繁栄

としての生誕とを基盤とした場合が多い。原始的宗教は、山の神、海の神、田の神であり、

性神でありr、発展して氏の神となった。その限りに於て、宗教は人間欲望の肯定、乃至、

否定の精神作用であり、対応の表現である。人々は生活欲望の実現不可能に対し、願望し、

祈念するが、またその実現に際して歓喜し、感謝する。また彼らのタブーは。集団の、乃 至他部族との関係における利害調和め手段として、一種の生活の知慧としてあらわれた。

死に対する観念もまた同様であった。科学の未発達の段階に出ては、血族愛の普遍化とし て、宗教は神霊的な秩序体制としてあらわれる。

 一般に宗教が発生する基盤は、自然的な、または社会的理由による人間の欲望木充足に あり、従ってその発生は本来反体制的である場合が多い。キリストの受難も、宗教に対す る政治権力の抑圧であった。

 しかし、宗教が上部構造としてのイデオロギー形態であるかぎり、社会の経済的変化、

発展に対応し、原始的家族共同体の崩壊とともに、血族愛に基く家族社会の紐帯は、宗教 乃至何らかの社会的規範にとって代られねばならない。        .  ・  かくて宗教は次第に形式化し、教義化し、全人間としての家族人を疎外した階級的な支 配形態として、宗教としての宗教が形成されて来る。キリストは「われよりも父や母を愛 する者はわたしの弟子に適しない。」といひ、山上の垂訓で「隣…人愛の掟」を主張する。

そこには家族破壊の個人主義的ヒュ伍々ニズムがあり、愛は神と人との関係としてあらわ れ氏族的社会の崩壊という時代を反映する。

 宗教は教会制度化し、教義が整備されるに従い、次第に、人民支配の権力機構に転化 し、民族を越え、国家を越えてその勢力範囲を拡大していく。かくて諸宗教導の墨型は、

教義と武力をもつて展開された。キリスト教にせよ、回教にせよ、他の宗教を打滅ぼしつ

、、より強大な宗教に統一してゆく。特にキリスト教は、その非寛容な、排他的特徴が宗 教戦争等の激しい形となってあらわれた。

 そのため宗教は時には国家権i力と、時には経済的な力としての資本と結びつく。しか し、宗教が民族的限界を打破り、国境を越えて布及していく独自な力を持ち得ても、なお 社会生活を基盤としている限り、社会の経済的発展の影響をうけざるを得ない。

 従って、未だローマ法王が絶対的な権威を封建領主に対して振うことが出来、また資本

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字対して利子禁止令をもって圧迫し、教義に反する自然科学者に対しては、死刑をもって 弾圧した時代もあった。

 しかし、農業を主たる経済基盤とする封建社会に於ては、宗教はなお農業的な生活基盤 の上に形成されるが、商品経済の発展、資本主義の発展は必然的に宗教の衷革を呼び起さ ざるを得ない。それは教義の解釈の変化にとどまる場合もあれば、より新しい宗教の発生 を見る場合もありうる。

 ルネッサンスはイタリや都市市民のイデオロギーの表現として、反封建的、反カトリシ ズムを背景とし、商業資本の指導による自由な市民の人間性が唱いあげられる。そこに は、フローレンスの銀行王メヂチ家の平静があり、市民を代表する国家と中世を支配した 教会とは次第に分離され初める。かくて、両者の妥協乃至斗争の中に、社会的秩序の両輪

とレての役割を果し、時には分業的支配体制を明確にしはじめる。

 商品経済の発展、資本主義経済の発展が、自然科学の発展によっ裏付けられる限り、宗 教が社会に占ある地位は減少し初ある。従って、キリスト教が次第に形式化し、その教義 解釈は次第に資本の論理との矛盾を解消する方向に転ずる。商品権産乃至資本の論理 は、物質的生産に於ける合理主義の追求を要求した。キリスト教に於てはルターに代表さ れるプロテスタンチズムとして資本主義に照応する形に於てあらわれて来る。プロテスタ ンチズムもキリスト教を合理主義化した限り、資本主義との積極的共存体制を確立するか 乃至は資本の下僕に転落する。歴史の変遷につれてカトリシズムもまた決してその例外で

はなった。

 われわれはキリスト教が、西欧商品経済の発展に決して無縁な存在ではなく、むしろ両 者の関係が極めて密接であったと理解する。西欧近代国家の植民地獲得の歴史は、武力と 資本とキリスト教との三者連合のもとでの侵略の歴吏であった。そして現代に於ても、宗 教の社会に占める地位は決して少くない。それがいわゆる後進国であればある程、宗教の 影響は大きいのである。

 次に、血縁、地縁に基くと見られる生活慣習と、言語をみてみよう。われわれは一定の 生活慣習の中で生活している。それは社会の発展とともに変化してゆく性格をもつが、同 時に、地域社会や夫婦親子の家族関係を通して、生活慣習は歴史の一定の成果として継承 されて来る場合が多い。それらは、いろいろの複雑な要因が作用している反面、単なる伝 承にすぎない場合も極めて多い。例えば、挨拶の仕方一つを見ても、地域の相異や民族の 相異によって多種多様である。それは科学の対象としては極めて些細な問題にすぎない が、現実に簸ては民族や宗教の差異を内包したものとして、われわれの理解をたすける役 割を果す。われわれは皮膚の色では見わけられない場合でも、そのわっかなしぐさの中 に、地域や民族の相異を発見することが出来るのである。

 またその意味では言語は極めて重要であある。言語は本来生活と密着した一つの手段に

すぎない。しかしそれが意識の交通手段である限り、本質的にイデオロギー形態である。

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それはスターリンの云う如く決して単なる社会現象ではない。

 マレーシヤに於ても、マラヤ語の公用語決定について紛争をよび、インドに於ては二 百種にあまる言語が使用され、インド十七州は言語別た形成されたものであり、言語問題

を背景として、そのま、政治問題化する。

 言語は歴史的には多数の地方土語として発生し、部族語、民族語の差異として存在し、

それが主として個人の幼年;期の家族内に於て伝承されるために、語族の分布は民族の分布 と極めて相似的である。しかし、地方土語は、経済的、政治的、乃至は宗教的な支配力に よって、中央語に統一されて来る。かって、帝国主義諸国は植民地住民に対して、帝国主 義国の言語を強要した。またキリスト教は同時に英語を初めとする欧州語教育を極あて重 要な課題とするごそれは言語が単なる手段でも、社会現象でもなく、イデオロギーそのも のの荷い手であるからである。英語はアングロサクソン民族の経済的発展に伴って、最早 資本主義社会の共通語の地位を占めた。それは英語が言語として最も優秀であるからでは

決してない。

       

 しかし他方、同一言語が他地域に拡大するにつれて、地域住民の生活に従って変化し、

方言を形成し初める。英語は米国に曾ては米語となるだろう。

 かくの如き、統一と拡散、一般化と特殊化の傾向は、常に相矛盾する運動を繰返しつ

\、次第に統一えの歩みをたどる。宗教の運動も、極めて類似的であることは既に説明し たところである。

 これら、宗教、生活慣習、言語等は、政治や経済の運動と対応する反面、それらに規定 されない独自の機能を果し、資本の運動に多様な反応を展開する。

3国家論的視角の導入

 マルクスは「資本論」の次元に於ては、国家は捨象される。しかしながら、マルクスの

「資本論」の体系プランに於ては、後半の体系として国家論の導入が予定されていた。

マルクス主義経済学界に於ては、国際経済論に於ても、国家論の視角は極めて稀薄である が、近代経済理論としての「後進国開発論」も国家論の下学の傾向がある。

 帝国主義論が国際独占資本の運動法則を明らかにしたが、その論理貫徹が何らの矛盾も なく行われる運命にあるならば、東南ア諸国民の真の発展は希むべくもなく、何らの指針 も与え得ないであろう。

 マルクス経済学が後進国問題を、国際通貨の次元に集約してとりあげるならば、既に前

提に於て誤りがあることを指摘せざるを得ない。一国の国際収支はその国の経済力の国際

的地位についてバロメーターと理解されうるとしても、それは後進国が商品乃至資本の論

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理が完徹し、支配的であるとする前提に立っているごとが必要である。東南ア諸国に於て は、多少の差はあれ、国家資本主義的な、乃至は修正資本主義的混合経済的立場に立っ て、国家権力をもつて国際独占資本の論理の切断に努力している。またそめ可能性も多分 に国家権力が持ち得るという意味に於ては、かっての植民地時代とは異った様相を呈する のである。         ・

 われわれは、ここに国家と民族の問題を考察する必要がある。

 国家は権力的統治機構として、地理的な一定地域を確保する。それは一般に、家族か ら、氏族、部族と増大発展し、一定地域に拡大分散して来た民族の血族的紐帯を基盤iとし て形成されて来たが、それは民族内階級の発生に伴うマつの支配機構でもあり、また軍事 力の差異によって一民族の他民族支配、または優勢な民族の少数民族の包含等、武力的乃 至は平和的な方法によって一国家を形成した。

 従って民族と国家の関係は、一民族が多数国家に分割された場合も、多数民族によって 一国家が形成された場合もある。国家乃至民族の運動は、一方特殊化えの分化の傾向を抱 きつ\、諸民族の交流乃至諸国家間の土建はぐ一般により大きな単位への融合、統合の過 程をたどる傾向にある。

 国家と民族はその過程で相互に関連しあいつ\、国家の形態でそれに内包された諸民族 が混血によって融合する場合もあれば、多数国家に分散された民族の統一によって一国家 が形成される場合もあるのである。

 しかしながら、諸民族の血の意識は、皮膚やその他肉体上の民族の差異をするどく嗅ぎ わげ、血の純潔えの郷愁は簡単には除去され得ない。国家を衷失しながらユダヤ人は資本

と宗教をその支えとして血の純血を四千年にわたって守りつゴけた。混血度が高い欧州人 はかえって逆に、純血に対するあこがれは強い傾向があるが、歴史に於ける混血は諸民族 間の愛の融和では必ずしもなかった。それが個人的にはたとえ愛の表現であったとして も、社会的には殆んど異民族支配者による暴力を根源とした場合が多い。それは男性が支 配者国籍の場合が殆んどであることから証明出来る。混血はその限り民族をこえた人間的 な愛の結果ではなく、従ってそれは堕落した奴隷の意識に対する軽べつや、憎悪の根源と なった場合が多い。

 一般に国家と民族とは完全に融和された形に於て存在する場合は殆んどない。日本のよ うな一民族、(もちろん日本民族が幾つかの民族の混血の永い歴史によって形成されたこ とを否定するものではないが、)一国家という状態は決して一般的ではなく、国家と民族 とは対立の側面を強く包含する場合が多いのである。

 異種民族が同一国家を形成する場合、優勢な民族が他民族を支配し、資本主義社会に経

ては、被支配民族は最も劣悪な条件の労働者の地位に甘んじねばならない。資本主義に於

ける階級関係は民族の相異によって構成される場合がある。従って、異民族間斗争は単に

経済的斗争のみならず、直接に政治斗争としてあらわれる。アメリカでは皮膚の色によっ

(12)

て階層が生れ、南ア連邦ではアパルト・ヘイト政策が強行され、ローデシヤでは白人永久 支配国家が確立されようとする。

 かくて発生する民族暴動は、国家否定の論理であるが、逆に国家間の戦争が、同一民族 の斗争としてあらわれる場合がある。

 国際間の交流乃至滲透は基本的には、三つの典型として理解することが出来る。すなわ ち、武力を背景とした国家による他国の侵略であり、民族そのものの侵入乃至移動であ り、(華僑と、白人のアメリカを初めとする世界的流動、)資本による帝国主義的な侵 出である。それらは、相互に協力しあう場合もあれば、単独に実行される場合もありう る。但し、単にイデオロギーにすぎない宗教は前三者と全く関係なく国際的な拡張は可能 である。しかし、現代に於ては、宗教は、権力や資本との癒着なくしては極めて弱い力し か持ち得ない。

 われわれは国際独占資本による価値法則の貫徹には、東南ア諸国に於て、種々の社会的 障害があることを指摘した。すなわち、社会学的な対象としての民族、宗教、言語その他 の日常的生活慣習等である。かっての植民地時代に於ける帝国主義の政策は、原料として の資源や、生産物の収奪であり、その限りその方法は直接的であり、帝国主義資本と原地 労働力との、または原地権力支配者との関係に於てであった。換言すれば、原料や生産物 の直接的収奪にか\わる限りに於て後進国民族に対し資本は関心をもちさえすればよかっ た。生産手段としての土地獲得は、地主化の形態で充分目的は達成することは出来だし、

また資本め論理の代りに力の論理によって支配された社会体制を利用することで充分であ ったし、価値法則の貫徹は必ずしも必要ではなかうた。そこでは不等価値:交換が一般的で あったし、原始蓄積過程は植民地に関する限り、一般的であり、日常的であり、永久的で あり得た。そこでは教育め代りに宗教が、賃金の代りに生活資料としての物で充分であ

った。

礎って西欧資本主義国が求めたものは、資源や生産物運搬のための道路や交通手段であ り、植民地政策はかくの如き社会資本の創出のための租税政策であり、通貨政策であり、

それは土地収奪と必要な労働力の創出の手段であった。その限り、一般的な近代化は必ず しも必要でなかったのである。

 レーニンは帝国主義論に於て、帝国主義を資本主義の社会的矛盾の激化と腐敗の段階で

あり、死滅の段階であるとしたが、植民地政策は、腐敗の表現であったとしても、必ずし

も、末期的症状ではなかった。先進資本主義国の内部矛盾は、植民地や後進国に転化さ

れ、社会内矛盾は資本と労働の関係に於てでなく、先進国白人種:と後進民族の支配服従の

関係としてあらわれた。そして、先進資本主養諸国間の競争によって、一方では生産力の

昂揚をはかりつ\、他方ではそれによって惹き起される先進国内内部矛盾を植民地人民に

押しつけた。植民地民族は、温存された封建体制の中に、個人の自意識を眠らせ、矛盾解決

のための民族的エネルギーは、宗教えの逃避、民族間斗争にすりかえられ、それは、民族

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意識め結合による物質的力とはなり得なかった。ま允かくめ如き民族運動が起ったとして も、力によって徹底的に弾圧せられた。

 そして、その状態のもとで、現在に於ても先進国の社会科学者は、国際資本間競争にの み目を奪われ、7先進国は後進国の支配、被支配の関係を見落していた。それは一国資本主 義の分析の場合に於ても、 単に資本間競争のみが関心の対象となって\資本・と労動との斗 争の関係が見落されるのと同様である。実は先進諸国に於ける資本と労働の斗争関係の解 決そのものが、後進国民族iめ犠牲に於て行われたことを見のがしたのである。それはあた かも自国内め平和と繁栄には関心があうても、他国を犠牲にすることには何らの矛盾も感

じなかったわが国戦前インテリ平和論者の限界でもあった。

 もちろん、レーニンは「帝国主義論」の著者であるばかりでなく、翻れた民族理論家であ り、民族や植民地問題に関する論文が多いこζとは忘れてはならないだろう。たゴ稼が民 族を積極的に位置づけるよりも、むしろ、国際的な労働者の連帯を重視しことは、戦略的

な意味に於ては理解されるだろうが、問題はなお残されていたといえる。しかし、彼がわ が国の植民地、従属国論を欠如した「帝国主義論」者とは異ることを想起すべきであろう。

 第二次大戦後、東南ア諸国は白人帝国主義にまる数百年の植民地支配から解放されギ次 々に独立国を形成じて来た。しかじそれは決して民族の次元に於て独立が実現され1ヒわサ ではない。かつての帝国主義諸国による植民地分割戦争によって、その武力抗争の結果、、

地理的政治的分割を基準として行われ、その後数百年の歴史はそれぞれ特異な植民地文化 を形成し、比島の如く極めて西欧化された場合:も見られる。従って植民地の独享も、旧帝 国主義諸国との関係に於て実現され、一国内に多数民族が内包されている場合も、一民族 が複数国家に分割されている場合もある6また、そ.の独立も、旧支配国に種々の面で従属

している場合もある。

 しかし、民族問題を内包しつ、も、独立国家の成立は急務であったし、国家主権の独立 めもとに、直接的な国際独占資本を排除する導を獲得することも出来るのである。経済発 展のおくれは国際競争の中に於ては 国家の育成政策なくしてはとり戻すことも出来ない し、多数の貧しい国民を擁し、複雑な社会構成に対応するためには、社会主義的な政策が 多くとりあげられている。

 そこに東南アジアに於ける後進国国家の重要な役割を無視するこ.とが出来ないととも に、民族問題の根本的な解決が鈍まれることになる。

4 合理主義と非合理主義の統一

一般に物質的生産の発展があるか、ないかによって、文明であるか、未開であるかヵ弐判

断され、開発とは資本主義化であるとする論理が、極めて当然のこと\して前提されてい

る。人間の生活は決して物質的生産がすべてではない。むしろより重要なものは、人間の

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人間らしい生活である。生産力が発展し、生活が豊かになる.ことは凹ましいことには違い ないが、それがすべてではない。物質的な生活は劣っていても、人々は幸福になることも 出来れば、また時には物質的なもめを拒否してでも、精神的なそれを求める場合がある。

現代資本社会内に於てさえ、物質的な幸福を意識的に排除しよとする人々を時に見ること が出来る。物質文明の発展は欧州から米国に移り、象徴的な形で花開いた。戦後わが国は 米国の経済体制の中に組込まれることによって、今や驚異の進歩を享受しつ㌧あるといわ れる。しかし、他方、フランスの元大統領ドゴールは、月本をエコノミック・アニマル と、一方では羨望をもって、他方では軽蔑をこめて表現する。また、日本経済の高度成長 のかげに日本国民の多くの人々が過密都市や公害に悩まされ、急激な経済発展は農村他方 に過疎現象を引起し、家庭破壊の悲劇が都市、農村を含めて頻発する。

 また西欧諸国乃至米国は、アジア民族を理解し難いという。物質的な恩恵に対して、ア ジアの諸民族の中には必ずしも歓迎しない現象を方々に於て見出したからである。それは アジアに於ては、西欧の如く、物質文明中心のかたよった価値基準によらなかったためか も知れない。         こ

 アジアの後進諸国に絶て、資本主義生産が全面的に発展しなかっだことについては、い ろいろ理由をあげることが出来るだろう。しかし、それは何も、アジアが野蛮であること の理由にもならないし、より人間的な社会である場合もあろう。そこでは、人間社会の結 びつきが、物質的な生産と矛盾しない形で円満に統一されて来た一と考えることも出来る。

従って、後進諸国の物質的生産に資本主義の法則を押しつけるために、その生活一般を破 壊する結果になるならば、生産力の発展は何ら歓迎すべきごとではないだろう。

 われわれは、西欧キリスト教が家族破壊の個人主義的イデオロギーを基本的に内包し、

かつ商品生産の発展に伴う資本の要求に応じて、キリスト教そのものが次第に変華をとげ て来たことを見た。と同時に、西欧哲学の流れは一貫して合理主義の追求としてあらわ れ、キリスト教哲学の流れの中に、人間と神の関係として発展して来た。西欧哲学が中世 スコラ哲学の唯名論の崩壊から、ルネッサンスを経て、デカルトから、ヘーゲル、フォイ エルバッハに至る永い過程は、自然科学の発達を裏づけた合理主義の追求の過程であっ た。デカルトは神学にかえるに、自然科学と精神科学とを結びつけた合理主義哲学に他な

らなかった。それは更に、唯物論に干ては、人間と自然の関係として自然科学の発展を 見、歓念論は自我の確立過程としてのヒューマニズムが、神と人間との関係に於て追求さ れた。自然及び社会に対する合理主義の追求は、資本の自然及び社会に対する要求に答え るものであった。ルソーの合理主義的自然主義、ベンサムの功利論、モンテスキューの法 の精神等の一連の哲学体系が形成されて来る。

 ウェーバーが資本主義を「プロテスタンチズムの精神」に於て把握したことは正しかっ

たが、それは決して資本主義批判の立場に於てではなく、むしろ積極的支持の意図に於て

であったし、従って彼が打ち出した理解社会学は人間関係を合理主義に於て把握したもの

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であった。彼は原因と結果との合理主義的な相関関係を幾つかの典型に定式化する。また 目的と手段とを合理的な関係に於て理解しようとする。経済学では、人間は物の需要、供 給の関係に於てあらわれ、人間の精神の複雑さは単なる平均値として数式化される。社会 学ではむしろ現実に密着し、マルクス的な基本的規定においてとらえることをせず、逆に 諸々の要因を無規定的にもち込んだ。それは科学としての必然性の認識を放棄し、現象の 諸関係を忠実にたどろうとしたのであった。、

 また、マルクスの「アジア的土地所有形態」という問題意識は、実はそのアジア的社会 構造を全面的にとらえよ うとするのではなくして、アジア的物質的生産の停滞の原因を批 判的に明らかにしたものであった。

 その限りでは、マックス・ウェーバーも、マルクスも西欧的な合理主義の価値尺度に立 つことは否定出来ない。      L

 西欧哲学やキリスト教が自然を人間と対立するものとして・とらえたのに対し、アジアの 哲学は人間を自然との融和の関係に於てとらえた。それは、アジアの自然科学の発展を阻 害した面も否定し得ないだろう。しかし、近代西欧哲学が、神の代りに理性を祭壇に据え たが、それは人と人との関係において生れた和を中心とした理性ではなぐして、それぞれ の理念と理念との対立、個人と個人との権利義務関係としてあらわれた。それをもって近 代化であるものと理解し、アダム・スミスでは、経済入の欲望の自由な追求が、全体的に は予定調和としてあら;われると主張した。

 人間の欲望の増大、分業の発展に伴う社会構成の複雑化は、他方社会的合理主義の追求 を必然的に要求す尋ことζなる・その限り物質的生産の増大は・今理主義によつ1(支えら れるが、それは人間の本来的物質的欲望の積極的な自己肯定の論理展開に他ならない。そ

の限りに於て、物質的生産に於ける合珪主義は人間の物質的発展を保証する。

 しかし、他方性欲の入間的発展とは何か。食欲、性欲が動物的次元に於て見られ、動物 と区別される人間的次元えの発展は、食欲に立てはいわゆる生産の発展であるのに対し て、性欲に於ては愛として理解される。愛の発展とは実は動物的次元に於ける性欲の自己 否定に他ならない。それは非合理主義の世界である。人間関係を凡て合理主義的に理解

し、かつそれを発展としてみることは、実は愛の論理を否定することに他ならない。その 意味では、食欲と性欲との人間的発展には、基本的に矛盾する要因を含んでいる。入間社 会を合理主義に於て・とらえようとすることは、実はエコノミック・アニマルという誠に適 切な比擬に忠実な道を拓くことに他ならないだろう。われわれは、西欧合理主義文明特に アメリカ文明の中に、エコノミック・アニマルの傾向を見ることが出来る。

 少くともアジア諸国に於ける文明は、物質文明であるよりも、精神文明の発展を見るこ とが出来る。精神文明の発展は、西欧諸民族の繭藤の中で生れず、アジア的な民族共同体 の思想の中に温存されたのではなかったろうか。マレーに於けるK:ampong(村落)の語源 が家:族の分離したものK:ampuengにあるのも意味があろう。アジアでは人と人との関係か

ら発生する相互扶助や、西欧的権利意識に対する謙譲の美徳として尊ばれる傾向にもあろ

(16)

う。従って、西洋文化を神との関係に於ける罪の文化であるのに対し、−日本の文化を人と の関係に於ける恥の文化としてとらえられる場合がある。キリスト教では愛は神のそれで あり、アジアでは愛は生きた人間の愛としてあちわれる。

 われわれはこ\で再びマルクスに立ち戻る必要があろう。マルクスもまた疎外を人間と 自然、乃至は人間労働と生産物との関係に於てとらえた。しかし、その前提には私的所有 という論理があった。私的所有とは必ずしも経済的な論理に限られるものではない。その 背景には法的権力がそれを保証し、かつ社会的な慣習が複雑に入り交って歴史的に成立し たものであった。マルクスは経済学に於て私的所有という用語によってそれをとらえた。・

しかし、私的所有とは共同体的、家族的所有の破壊から生れる。マルクスは、「アジアに 於ける土地所有形態」の分析から出発し、私的所有以前を捨象して論理の出発点.として据 えたのである。従ってマルクスはその心誤な構想の中に、全人間的な疎外の論理を内包し ていたと理解することが出来ると判断する。

 かくてマルクスは西欧合理主義の精神を、資本主義の物質的構造に於て、すなわち人間 疎外の形態に於てとぎすまされた論理構造を提供した。

 マルクスの歴史観は、人類の歴史とは実は生産力の発展にすぎなかったし、それは競争 と階級斗争とによって獲得せられたものであることを明らかにした。しかしそれは、商品 経済の発展という形態に於て、実は生産力の発展は人間の自己疎外の発展であることをそ の思想の根底に据えていたのであり、彼は生産力の発展を明らかにすることは、必ずしも それを推賞するものではなかった。むしろ、商品物神、資本物神によって、生産力の発展 が商品のベールによって蔽いかくされ、人間の自己疎外が全く意識されていないこ.とを指 摘し、その実体を白日のもとにさらしたものであった。そこには人間の疎外からの回復が 意図されていたのである。

 生産力の発展、すなわち人間社会の発展とする誤った考え方は逆にマルクス主義者の多 くが陥っている事実である。商品生産の発展は、実は矛盾の増大であり、かつ重要なこと は資本主義もまた人類前史にすぎないことを指摘していることである。それは一つの必然 の過程としてとらえられているとしても、今後のアジア諸国民がこの愚かな道を歩かねば ならぬ理由は何もない。われわれは自然の法則を利用することによって目的を達しうるよ うに、理想の人間社会の実現のための実践の可能性を否定する必要は決してない。その解 決えの指針は、決して経済主義的な手法では生み出,し得ないのである。

 羽仁五郎の「都市の論理」の発想もその意味では極めて西欧的である。共同体的家族破

壊の論理は、歴史的発展の事実に照応した主張としてあらわれる。それは俗流マルクス主

義者が生産力の発展が歴史の必然であるが故に、進歩的であるとする単純な価値判断をそ

の根拠におくのと同様であろう。人間疎外を経済主義的な理解に於てとらえる結果であ

り、それらの問題の中に現実の社会主義社会の形態として、西欧的経済主義的ソ連と、ア

ジア的人間革命論的中国との相異を見ることが出来るのではなかろうか。

(17)

 われわれはエンゲルスの「家族、私有財産、国家の起源」を想起しよう。そこには、家族、

私有財産、国家の問題が、歴史的な具体的な形態に於てとらえられており、それは明らか に、「資本論」の次元とは異った分析方法が展開されている。いわば、マルクスが「資本論」の 具体化として計画レていた社会学的次元の問題が現われているが、資本主義生産に於ける 価値法則のような抽象度の高い論理次元まで高められていない。それをわれわれは、或る程 度抽象化しようと試みることは必ずしも、マルクスの主旨を損うことにはならないだろう。

 「ドィッ・イデオロギー」と「資本論」と、「家族、私有財産、国家の起源」とは、マ ルクス、エンゲルスの共同著作の一の流れの中に位置している。それはこの二人の思想の 発展の過程であり、認識の序列であり、分析の方法なのである。従って、この三つ著作は 下向、上向の過程としても理解される。「ドイツ・イデオロギー」毅階の現実の社会学的 混沌から、歴史科学としての「資本論」に診て経済法則を解明し、再び上向の過程をたど って、「家族」「私有財産」「国家」の概念に到達する。もちろん、それが一貫した出来 上った体系下のもとに展開されているということは出来ない。特に、エンゲルスの著作部 分は、マルクスの思想をどれだけ忠実に表現し得ているか疑問があるからである。われわ れは、この三つの著作の系列から、暗示を得るにすぎないかも知れないが、暗示は一つの 試みを誘うに充分な内容をもっている。

 われわれは、「家族、私有財産、国家」の表現の中に、性と食と秩序との社会的契機を 見る。また、資本主義社会の経済的な原基形態としてとらえた商品は、貨幣、資本として 発展しながら、同時にそれは、商品物神、貨幣物神、資本物神えの発展過程としてとらえ られた。われわれは同時に、人間集団史として人類史をとらえる時、現代社会の原基形態 としての家族を見、その商品生産の発展に伴う、家族疎外の歴史的発展過程として、私有 財産の形:態に於ける疎外された生産、疎外された秩序形態として国家を見る。

 かつて、原始共同体社会に於ては、大家族制が支配的形態であり,、そこでは一:族が社会 を形成し、生産を行い、一定の秩序体制のもとに存在していた。家庭は性の、従って種の 再生産の場であり、また生の、従って衣食住の構成員個体の再生産の場であり、かつ一つ

の秩序ある体制として存続したのである。そこでは、家族すなわち民族が同時に国家であ り、社会であった。経済学は食の問題を抽象し、その対象とする。しかし、食欲としての 経済は必ずしも、性として家族や秩序としての国家を全面的に規定するものではない。食

と性との二つの契機は、社会体制の発展にともなって、拡大再生産されて来た。それは決 して、経済的諸関係が性や暴力機構を一元的に規定するものでないことを示している。た ゴ商品生産の発展の中に於ては、それらが疎外の形態としてあらわれたのである。

 マルクスが商品を資本主義社会の原基形態としてとらえたと同時に、それは資本の歴史

的端緒としてとらえる。同様に、われわれは、現代社会の原基形態として家族を見ると同

様に、家族はまた現代社会の歴史的端緒であったと理解する。経済学では、経済人とし

て、個人に託て社会の単位をとらえる。しかしながら現実は経済単位も家族という単位に

(18)

於て存在するし、マルクスの労働力商品の価値は、家族の養育費を含んでとらえられている。

マルクズは明ちかに、労働力商品として、価値単位を個人の形態に於てとらえる場合、経 済学の対象から性欲を捨象し、そを経済的な養育費に於て、家族を表現したのであった。

 「家族、私有財産、国家の起源」には、社会の端緒的な家族から、商品経済の発展のも とに、社会の発展が疎外の形態に於て行われたことを示している。それは、疎外からの回 復とは家族的なものへの復帰であること暗示している。

 われわれは、人間的次元に於ける食欲の合理主義的発展と、動物的次元を越える性欲の 非合理主義忠愛の発展とは、本来相矛盾する性格をもつことを主張した。しかし同時に、

われわれは家族の中に、生産と愛との合理主義と非合理主義の統一を見ることが出来る。

そこに経済的には合理主義的生産と非合理主義的分配を見る。マルクスは資本主義を合理 主義的価値法則のもとに、かつ人間疎外の形態に於て批判的に見るとともに、空想社会 主義に対しては、生産に関する非合理主義的社会の非現実性を批判するが、「家族、私有 財産、国家の起源」の構想の中に、従って、端緒としての家族のなかに、合理主義と非合 理主義の統一された共産主義的社会形態の暗示を見ることが出来るのではなかろうか。そ こに、入間疎外からの回復の、国家否定の論理め帰結を見ることが出来ると考えられる。

 合理主義必ずしも進歩ではない。アジアの社会に於ける非合理主義的な側面は、単なる,

封建遺制ではなく、それなりの存在意義が主張されることも必要であろう。

   5 東南アジアに於ける民族問題

 われわれは現実の東南アジア諸国に返て、単に資本の論理が貫徹し得ない一面を、社会 学的に、また国家論的な視角に於て指摘して来た。もちろん、宗教や国家やその他イデオ ロギー諸形態は、その多少の程度の差はあれ、資本主義的経済関係に規定される側面を持 っていることは否定しない。しかし、血のつながりとしての民族意識ま、経済関係に対し て椙対的独自な運動を展開する。「われわれが資本の運動に対して、人間として批判し、対 決する面があるように、国家の社会体制に対して、民族として批判し、対決することが起 るのもまた当然である。むしろ、家族的原始共産社会の血族的特質の直系としての民族 は、そめ端緒的な性格の故に集団としての国家乃至社会に対して、本質的な性格をもつも のである。人類の歴史に立て現在に至るまで、民族は決して完全に止揚された形態に於 て、国家や資本主義社会が形成されたものではなく、資本主義化の不充分な後進国に於て は、むしろ民族間対立を利用し、諸民族を差別し、分割統治という形に於て、植民地化さ れた場合が多い。このことが民族問題が常に東南ア諸国の大きな社会問題として、乃至は 政治問題としてあらわれる理由である。

 東南アジアに於ける民族問題は幾つかの類形にわかつことが出来るだろう。

 ←)白人による少数支配の問題

 口 民族統合の問題

(19)

 (三)複合民族国家の問題  四 少数民族の問題

 ㈲ …華僑問題等      

 民族と・国家の地域分布的矛盾、民族的精神構造と社会体制の矛盾、民族と民族の矛盾、

それは階級的な、乃至職業的な、又は宗教的な矛盾とみることも出来る。

 本年五月マレーシや連邦首都クアランプニルに起った人種暴動は、マレーシヤがラーマ ン首相のもとに多民族融和共存政策の優等生として自他共に許されていたため、その暴動 の激しさは、先進資本主義大国並びに、他の東南ア諸国に大きな衝動を与えた。たしかに マレーシャ連邦は、民族融和をスローガンとしながらも、マラヤ人優先政策が採られて来 たことは事実であり、マラヤ人の政治権i力の掌握のたあに、憲法規定そめ他にマラヤ人の 特権をうたい、他民族の反感を内包していた。首相の:地位丸公務員、軍人心すべてマラヤ 人に優先であり、公用語も英語及びマラヤ語とした。.多民族語の存在が五二国家建設の障 害となり、何らかの統一語が必要ぞあることは当然であり、また華僑の経済力が強大で、

マラヤ大め経済的地位が相対的に低いことも、政治的に特別な配慮がされた理由かも知れ ないが、ラーマン首相がなおイギリス等の経済支配を脱却していないことに問題があるこ

とを証明したものであった。

 民族自決の論理は、病家否定め論理につながる場合があり、民族主義の立場は無国籍の 国際独占資本乃至資本一般の論理に対立する。それは 家族の論理と権力の論理または家族 の論理と資本の論理の対立であり、人間め論理と権力や物質主義の論理との対立である。

それはまた非合理の愛の論理と、合理主義の論理との対立であろう。それは東洋と西欧の 対立でもあるうる。

 民族主義はそれが民族という特殊性の強調である限り、それは無限に個の次元まで拡大 されうる。それは必然的に民族間馬争、部族間、氏族間土争をも内包しうるだろう。それ はむしろ歴史と逆行する性格をもつが、天北の歴史に於て、現在まで民族の止揚は行われ なかったことは事実である。

 ユダヤ民族は国家を失っても、その団結は堅く維持されて来た。華僑の流出もまた、そ の先々でチャイナ・タウンを形成しつ\発展し、かつ本国との紐帯は決して断たれなかっ

た。司

サれは民族意識が=般的ヒ訟一マニズムに対して、特殊的な民族的エゴイズムとして あらわれたのではなくして、むしろ、国家権力や、国際独占資本の圧力に対して、自衛の ための共同体的相互扶助意識としてあらわれたのであった。ユダヤ民族に対するキリスト 教徒め庄迫や迫害に対する同族組織や、スペイン、オランダ、イギリス等の東南ア諸国に 進出した華僑に対する圧迫や、奴蒜として世界各地に送り出された支那人苦力の自衛のた めの民族団休として、出身別の幣や、同族雨姓氏団体があらわれたのである。

 特定民族による国家権力の独占や、資本による他民族支配は、被支配民族の反抗を呼ぶ

のは当然である。

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