日本保険学会の創立75周年,真におめでとうございます。
それを記念する全国大会の場で講演をさせていただくというのは,きわめ て光栄なことであると同時に非常に緊張いたしております。拙い話ではあり ますが,小 時間ほどお付き合い下さい。
. はじめに
日本における金融グローバル化の起点は,1984年の日米・円ドル委員会お よびその翌年のプラザ合意の頃ではないかと考えています。ただし,金融の グローバル化は,19世紀末から第 次世界大戦までの時期にも,国際金本位 制の下でかなり進展していたといえます。例えば,日露戦争の軍費調達のた めの日本国債が高橋是清の尽力でロンドンやニューヨークで起債されたとい う話は,有名です。また,東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険会 社)は1879年の創業ですが,創業年に釜山,香港,上海で営業を開始し,翌 1880年からはニューヨーク,パリ,ロンドンでも営業を始めています。この 時期の動きは,第一次の金融グローバル化と呼ぶことができるでしょう。
けれども,この第一次の金融グローバル化の動きは,第 次大戦と共に終 了し,世界経済はブロック化してしまいます。そして,第 次世界大戦後も,
ブレトンウッズ体制の下,長らく国際資本移動は厳格に規制されていました。
そうした状況に変化が起こるのが1980年代以降であり,80年代半ばから現在
*平成27年10月25日の日本保険学会全国大会(慶應義塾大学)記念講演による。
/ 平成28年 月 日原稿受領。
金融グローバル化の30年
回顧と展望
池 尾 和 人
に直接につながる金融グローバル化,即ち,第二次の金融グローバル化の動 きが本格化していくとみることができます。こうしたとらえ方が正しいとす れば,本年(2015年)は(第二次)金融グローバル化が始まってちょうど30 年目にあたることになります。本講演では,この金融グローバル化の30年を 10年ずつ つの時期に区分して振り返るとともに,その今後を展望したいと 思っています。
その前提として,グローバル化(globalization)の意味について少々確認 しておきたいと思います。というのは,グローバル化が進行すると,国境が なくなってボーダーレスな世界になっていくと主張される方がときどきおら れるからです。しかし,私の理解では,グローバル化が進展しても,主権国 家がなくなったわけではなく,いまなおボーダー(国境)は厳として存在し ているわけです。換言すると,ボーダーは厳として存在しているという意味 でボーダーレスになっているわけではないのですが,そのボーダーを乗り越 える経済主体の能力が高まっているという現象として,グローバル化を理解 すべきだと考えます。
壁の高さは同じでも,それを乗り越える能力が経済主体の側で増大してい る現象がグローバル化だと理解しますと,その壁の内側から外側へ出ていく という方向でのグローバル化と,外側から内側に入ってくるという方向での グローバル化の両面が考えられることになります。すなわち,グローバル化 には,In‑Out の面と Out‑In の面の両方があるといえます。In‑Out の面は,
本邦の金融機関が海外へ進出していくという話であるのに対して,Out‑In の面は日本のマーケットに海外の金融機関が参入してくる,あるいは東京市 場が国際化していくという話だといえます。
本講演では,既述のように,金融グローバル化の30年を10年ずつの つの 時期に分けて議論していきたいと思いますが,その際にいま申し上げた In‑
Out の面 と Out‑In の面 ,およびそれらに加えて 金融制度あるいは規 制の変化 という合計 つの側面に着目する形で論じていくことにしたいと 思います。最初が1985年から95年までの10年間,次に95年から2005年までの
10年間,最後に2005年から2015年までの10年間について,それぞれ話を進め ていきたいと思います。
. 1985−1995年
⑴ 積極的海外進出から撤退へ
最初の時期は1985年以降の10年間ですが,言うまでもなく,80年代の後半 はバブル経済の生成の時期に当たるわけです。当時,プラザ合意以後は急激 に円高が進行したこともあり,日本は 資産大国化 したということが非常 にいわれました。確かにドル建てで換算すると,日本の保有資産額が急に 倍になったような状況になったわけです。そうした豊富な資金量を背景にし て,本邦の金融機関は積極的に海外に進出していきます。その結果,例えば 日本の生命保険会社については,ご案内のように,規模からいえば世界最大 級の機関投資家ということで ザ・セイホ という言い方がされるようにな りました。
しかしながら,いまから振り返ると,この時期においては 規模は力だ という発想が日本の金融関係者には非常に強く,国際競争力を過信していた のではないかと思われます。金融自由化の以前は,金利,料率,手数料等々 が規制されていたので,利ざやのようなものが一定の値に固定されていたわ けです。その固定されている利ざやに規模をかけたものが収益なので,規模 の大小が収益を決めるという時代がずっと続いていたということもあり,規 模が大きいことが力だという発想が根強く定着していました。
その発想のままで海外へ出ていった面が非常に強く,特段の態勢整備も行 わないままに資産運用のみならず,海外の金融機関の買収や出資を実行した わけです。そして,結果的には,うまくいかずに失敗したということが率直 なところだと思います。失敗したのは,バブルが崩壊したからだけではなく て,競争力を支える経営体制や人材養成の面できわめて不十分だったことが 非常に大きいと思います。これは,もちろん後知恵による評価です。
例えば,東京海上がヒューストン・ジェネラルというアメリカの会社を買
収したことがありました。買収したのは1980年ですから,いま申し上げてい る時期に先立って買収を実施しましたが,結局1998年に売却する結果になっ ています。今日このような講演をしなければいけないので,少し損保の方や 生保の方にヒアリングをしてきました。東京海上の方にヒアリングをしたと ころ,ヒューストン・ジェネラル社の買収に関する反省としておっしゃって いたことは,次の 点です。すなわち,
① 明確な目的や戦略的意義がないままに,性急に買収を進めてしまった。
② 十分な Due Diligence を行わず,売り手,あるいは投資銀行の情報の みに依存して買ってしまった。
③ 買った後,モニタリングなど実効性を伴ったガバナンス体制が不完全 だった。
きっちりと過去の経験を総括され,それを教訓として,現在はこの辺りの ところの体制づくりを着々と進められているわけですが,逆にいうと,当時 はそうしたことができていなかったわけです。個社の問題ではなく,当時は,
本邦の金融機関全般に共通してそのようなことだったと想像されます。これ が,最初の10年の In‑Out の面の話です。
⑵ 東京国際金融センター化の物語
Out‑In の面では, 東京市場の国際化 というテーマがこの30年間ずっと あるわけです。80年代後半の時点では,国際資本取引が自由化されるととも に,金融取引が24時間途切れることなく行われるような時代になってきまし た。すると, 24時間取引という時代になると,国際金融センターが つ要 ることになる。ロンドンとニューヨークだけではカバーし切れないので,東 京が存在するアジア太平洋の時間帯に国際金融センターが必要になる。 と 言われるようになりました。そして,それだけの理由で,東京が国際金融セ ンター化するという議論が行われるようになりました。
バブルの時期で,日本全体がユーフォリア(陶酔状態)に陥り,気が大き くなっていたということかもしれませんが,国際金融センターになるために
は,どのような制度的,物理的なインフラが必要なのか,そういったことに ついては全く十分に検討されないまま,東京が金融センター化するという話 だけが流通するようになったという感じがします。例えば,国際金融センタ ーになるためには,物理的なインフラでいうと,空港が近くになければいけ ないということがあるわけです。当時の国際空港は成田空港で,羽田空港は 国際空港にはしないという方針下にあり,いま以上に成田に行くのは不便だ ったわけです。
年に 度とか,ましてや一生に一回海外旅行をするのであれば,都心から
〜 時間かけて成田に行っても構わないわけです。しかし,国際金融ビジ ネスの世界で,そんなことはしていられないわけですから,空港が近くにな いというだけでも,国際金融センターとしては失格だというところがあった と思います。ところが,そういうことは全然議論せずに,とにかく三極化す るのだから東京は金融センターになるのだといわれていました。
国際金融センターになるのだから,どんどん海外から企業などが進出して きて,オフィスビルに対する需要がますます増える,それゆえ東京の地価は 上がってしかるべきなのだという,バブルを正当化する 物語 として,こ の種の話は流通したということだったと思います。残念ながら,東京が国際 金融センターになるということは実現しませんでしたし,現在もなお未実現 のままだといわざるを得ません。
⑶ 挫折した金融制度改革
つ目の観点として制度面ですが,ご案内のように日本の金融システムは,
銀行を中心とした間接金融体制を基本としてきたわけです。このような体制 は,先進国に追いつくまでのキャッチアップ過程では有効に機能してきたと 考えられます。しかしながら,80年代に日本経済は,最終的に開発途上段階 を脱して先進国化し,成熟化してきました。その結果,成熟化した日本経済 と金融システムのあり方が適合性を失ってきた,経済の実態と制度の間に齟 齬が生じてきたわけです。したがって,新たな日本経済の発展段階に見合う
ように金融システムの基本的なあり方を見直していく必要があり,そのこと が金融制度改革の本当の課題だったといえます。
私は,そのことを現代化,モダニゼーションという表現を用いて申し上げ てきました。すなわち,日本の金融システムを現代化する,モダナイズする 必要があるという主張をしてきました。ところが,そうした課題に応えるよ うなものとしては,実際の金融制度改革の議論は進まなかったわけです。実 際の金融制度改革の議論というのは,業態間の水争いのような話に矮小化さ れてしまいました。金融制度改革というのは,銀証問題(銀行と証券の縄張 り争い)だとされてしまいました。
その結果,議論は延々と続いたのですが,90年の時点でまとまった金融制 度改革の案はきわめて中途半端なものにしかなりませんでした。業態別子会 社方式で相互参入することは認めるけれども,銀行がつくった証券子会社に は当面は株式関係の業務はさせないとか,非常に中途半端なものでした。80 年代半ばから 〜 年間も議論に時間を費消してしまったのに,日本の金融 システムの現代化はほとんど進展することなく,その間にますます経済の実 態と制度の乖離は深まってしまったわけです。
残念ながら,このような形で最初の10年間は終わってしまったと思います。
. 1995−2005年
⑴ 金融ビッグバンと保険制度改革
それで次の10年間に入るわけですが,話の都合で,まず制度面の話から引 き続き述べたいと思います。96年になって,改めて金融制度改革を行うとい う機運が突如盛り上がりました,これには政治経済学的な側面を含めていろ いろな背景があったと思います。その詳細は私もよく存じませんが,とにか く,いわゆる 日本版ビッグバン が当時の橋本龍太郎総理の指示によって 実施されることになりました。
この日本版ビッグバンの実施によって,日本の金融制度に関してはかなり の整備が進んで,先ほど申し上げた意味のモダニゼーションは制度面では随
分進んだと思います。しかし不良債権問題が実は根深く存在していたという こともあり,当時の金融関係者,とくに銀行の方々にとっては,金融システ ム改革どころではないということもあったかもしれません。そうした面もあ ってか,法制度等に関しての整備はかなり進んだけれども,日本の金融シス テムの基本構造はなかなか変化しないままにとどまっている感じがします。
私は,金融ビッグバンというのは,先ほど申し上げた80年代の金融制度改 革が挫折した後に行われた敗者復活戦だという捉え方をしています。ご苦労 された方々には厳しい言い方になってしまいますし,当時は非常に大胆な改 革だというように見られていたわけですけれども,本当は80年代の金融制度 改革の中で実現しておかなければいけなかったことを10年遅れで実現したに すぎないといえます。実際には不良債権問題も深刻化している中で,制度整 備のための法案づくりに当時の大蔵省の銀行局・証券局が底力を見せたのは,
さすがだと思います。あれだけのことをよくやったという感じは確かにする のですが,それほど大きな構造の変化にはつながらなかったと思います。
保険業界に関しては,ご案内のように1996年に保険業法が大きく改正され ました。この56年ぶりの大改正に関連しては,ライフネットの出口会長が,
当時は日本生命の大蔵省担当(MOF 担)として活躍されていたというよう な裏話もあるのですが,本日,ご本人が目の前におられるので差し支えると いうことで,詳細は省略させていただきます。
それはさておき,保険業法改正の結果として生損保の相互参入が実現され たわけですが,今日結果をみますと,相互参入の実績については大きく差が ついているという感じが,正直にいってするわけです。損保会社の生保子会 社は,それなりにシェアを確保するに至っている,それなりどころではなく て大きく成功している例も少なくない。これに対して,生保がつくった損保 子会社には,現在そのような成功例はほとんどないということです。
もちろん生保業界は逆ざや問題を抱えて,ハンディキャップがあったとい うことも大きかったと思います。しかし,取り組みの真剣さの違いもあった のではないか。伝聞では,損保業界は生保子会社をつくるに当たってエース
級の人材を投入して取り組んだのに対して,生保業界は損保子会社を余剰人 員対策的にみていたというぐらいの,取り組みの差があった。その背景には,
生損保とも人口減による国内市場規模の収縮が予想されていたのですが,ま だまだ生保市場は相対的に lucrative(収益的)であったのではないかと思 います。逆にいうと,損保の方が背水の陣だったわけです。
⑵ 不良債権問題,逆ざや問題
この時期に In‑Out,内から外へ出ていくという話はほとんどなくて,外 から内に入ってくるという話がほとんどです。それは銀行業界でいえば不良 債権問題を抱えていたし,生保業界は逆ざや問題を抱えていたということで,
外へ出ていくどころではなかったということがあるからです。そうした中で,
中堅生保 社が破綻したわけですが,破たん会社を買収するとか,破たんま でいかなくても経営困難に陥った会社を買収する形で,保険業界への外資の 国内進出がこの時期に非常に進んだということがあると思います。
私は本職が銀行論ですので,銀行を研究している立場からすると,保険分 野での外資の進出は興味深い現象です。それはどうしてかというと,銀行業 界では,証券もそうですが,リテール分野への外資の参入はほとんどないか らです。唯一の例外だったシティバンクも,リテール部門を売却して撤退す るということになりました。ホールセール分野への進出はありますが,リテ ール分野への進出はないのです。
どうしてかというと,端的にいって,日本は非常に低収益のマーケットだ からです。例えば,HSBC(香港上海銀行などからなる金融グループ)は,
非常に多国籍化している銀行グループで,いろいろなところに進出しており,
かつ日本が重要な市場だということも認めているのですが,日本のリテー ル・マーケットには進出していません。なぜならば,HSBC が設定している 収益基準を満たすことが見込めないと判断しているからです。逆にいうと,
保険業においてはリテール分野に外資が非常に進出してきているというのは,
保険のマーケットにはまだまだ超過収益(rent)が貯まっているのかなとみ
えます。
ここで不良債権問題や逆ざや問題自体について,これ以上わざわざお話し する必要はないと思いますので,参考文献(池尾和人編 不良債権と金融危 機 バブル/デフレ期の日本経済と経済政策 ,内閣府社会経済研究所,
2009年)を挙げさせていただいていますので,必要に応じて参照していただ ければと思います。会場に植村(信保)さんが来られていますが,生保に関 連した部分については植村さんが書かれていますから参考にしていただけれ ばと思います。
⑶ 東京市場の地位低下
先ほど申し上げた日本版ビッグバンのスローガンは, フリー・フェア・
グローバル でした。スローガンの つにグローバルを掲げて,東京をニュ ーヨーク,ロンドンに並ぶ国際金融センターにするというのを日本版ビッグ バンの目的の つにしていたわけです。
しかしながら実績はどうだったかと申し上げますと,City of London が 2007年から国際金融センター・インデックス(Global Financial Centres In- dex)というものを毎年発表するようになっています。2005年ではなくて 2007年ですが,いまとりあげている真ん中の時期が終了した時点での東京市 場の評価は,2007年の最初に発表されたランキングに示されていると思いま す。ランキングは, 位ロンドン, 位ニューヨーク, 位香港, 位シン ガポールで,この つは常連で 位から 位の間にずっと来ています。とこ ろが,2007年の段階で東京は 位でした。
日本版ビッグバンで国際金融センターにすると言っていたが,2005年頃の 東京は 位でしかなかったのです。ただし,先日発表された最新のランキン グでは 位につけています。これは,後で申し上げたいと思いますが,リー マン・ショックなどの影響でライバルがこけたからということが大きいと思 います。それにせよ,むしろ現在のほうがランキングは上がっている形にな っています。実際上,アジア太平洋の時間帯における国際金融センターの座
が香港,シンガポールに占められていて,残念ながら,東京はそれに次ぐ市 場でしかないということが現状だと思います。少なくとも東京市場の国際化 に関しては,日本版ビッグバンは著しい成果を上げたとはいえないわけです。
. 2005−2015年
⑴ 停滞する金融システム改革
以上で真ん中の時期の話を終わりまして,最後の10年間に入りたいと思い ます。
また,最初は制度面の話からしたいと思いますが,制度面ではあまり見る べき進展は,残念ながらなかったという感じがしています。ビッグバンが終 わったが,先ほど言いましたように,2007年の時点で東京市場はランキング 的にはかなり下位にしか評価されていないという現状がありました。
当時も日本の金融資本市場の国際競争力を強化しなければいけないという 問題意識は当然あったわけで,2007年に金融審議会の下に わが国金融資本 市場の国際化に関するスタディーグループ というものが設置されました。
実はこのスタディーグループのチェアは,私がやっていました。その場での 議論を踏まえて,2007年の終わりに金融庁が 金融資本市場競争力強化プラ ン を発表したのですが,正直にいってあまりインパクトはありませんでし た。しかも2008年になってリーマン・ショックが発生したということで,議 論を取り巻く事情が大きく変わってしまいました。
2007年に議論をしていたときには,ロンドン,ニューヨークがお手本だと いうことで,ロンドン,ニューヨークのようにすればいいという議論がまだ 大手を振っていたわけです。でも先般の金融危機以後は,ロンドン,ニュー ヨークのまねをすればいいという,そういうナイーブな議論ではさすがに通 用しなくなりました。そうしたところで,大きく状況が変わりました。その 後,2010年の夏ぐらいから,また金融資本市場の国際競争力の議論をしよう かということになったのですが,直後に民主党政権が発足しました。
あまり悪口を言うのもあれですけれども,民主党政権は連立を組んでいた
国民新党に金融担当大臣を任せるということでやっていたわけです。民主党 の経済政策における感覚というものが,そのことから読み取れる気がします。
端的にいって,金融の重要性をどこまで理解しているのだろうという思いが あります。それで,結局,具体的な取り組みはこの間行われないままに時間 が過ぎたという感じがしています。
2012年に安倍政権が発足した直後に, 金融・資本市場活性化有識者会議 が設置されて,提言が出されました。提言だけを読むと,言葉では,先ほど 申し上げた日本版ビッグバンを超えるような改革をするということが書いて あるのですが,全然そういうことに,世の中のムードにしてもなっていない 感じです。安倍政権自体の関心の重点も,金融システム全体のあり方という よりは,GPIF 改革やコーポレートガバナンス改革のほうにあって,日本の 金融システムをどうしていくべきかについての議論は停滞しているというか,
少なくとも公式な場ではあまり真剣に考えられていないのが,残念ながら現 状ではないかと思います。
参考のために,コーポレートガバナンス改革についても経緯だけに触れま す。実はこれについても,私が個人的に関わっているところが多いので,経 緯だけを報告します。
既述のように,日本の金融資本市場の国際競争力を強化するための議論を する目的でつくられたスタディーグループがあって,2007年に報告書をまと めたわけです。そのスタディーグループで,2008年から2009年にかけてコー ポレートガバナンス関係の議論をすることになりました。いろいろな政治状 況や何かがあって,コーポレートガバナンスの問題を政策論議として取り上 げる必要性が発生したのだと思います。
取り上げる必要性が発生した時点で,新たなワーキンググループなりスタ ディーグループを立ち上げてもよかったはずだと思うのですが,金融庁がさ ぼったとはいいませんが,出来合いのグループがあるから,これを使えばい いということになったようです。経済産業省にも 企業統治研究会 という ものが設置されて,そことスタディーグループの両方で独立社外取締役の選
任を義務化するべきではないかという議論をしました。
当時は日本を代表するような優良企業,即ちトヨタやキヤノン,新日鐵と いった,むしろ日本の中でもパフォーマンスのいい企業が,社外取締役を全 く任用していなかったという事実があったわけです。それゆえ,日本を代表 する優良企業は,社外取締役を選任しなくてもそのような高いパフォーマン スを挙げているわけだから,社外取締役の選任を義務付けることは必要ない だろうという議論がまだまだ支配的でした。そうした事情もあって,結果的 には,独立役員を必ず任用する,ただし独立役員ですから取締役ではなくて も監査役でもいいという形で,そのときは議論が決着しました。
その後,安倍内閣が発足したのですが,安部内閣はコーポレートガバナン ス改革に非常に熱心な政権だという面があります。2013年の最初の成長戦略
(日本再興戦略)に スチュワードシップ・コードを策定する ということ がうたわれて,実際に策定されました。そして,日本再興戦略改定2014では コーポレートガバナンス・コードを策定する ということがうたわれまし た。それを受けて,金融庁と東京証券取引所を事務局として コーポレート ガバナンス・コードの策定に関する有識者会議 が設置されました。
その有識者会議でコーポレートガバナンス・コードの原案を策定し,それ に基づいて東京証券取引所が,2015年 月からその内容を上場ルールの一環 として上場会社に適用を開始しています。さらに,日本再興戦略改定2015で は,その後のフォローアップをするようにということが指示されましたので,
それを受けて2015年 月から, つのコードに関するフォローアップ会議が 設置されています。有識者会議のチェアは私がやり,フォローアップ会議の チェアもそれに引き続いて私がやっています。
⑵ 米欧金融危機の影響
次に In‑Out の面にかかわることになると思いますが,アメリカとヨーロ ッパでの金融危機がこの間に大きな出来事としてあったわけです。グローバ ル金融危機という言い方もよくされますが,実際には日本は金融危機に巻き
込まれず,危機はもっぱらアメリカとヨーロッパで起こりました。そのため に,今般の金融危機は,本邦の金融機関が再び海外に本格的に進出するチャ ンスになった面があります。よく言われますが,危機の 危 は危ういだが,
機 の方はチャンスを意味しているわけです。
顕著な例としては,野村ホールディングスがリーマン・ブラザースの欧州 部門等を買収した,三菱 UFJ がモルガン・スタンレーに出資をした等があ ります。これらが現時点でうまくいっているのかどうかということについて は評価が分かれると思いますが,真ん中の10年間を経て,再び本格的な海外 進出ということになってきているわけです。これらの例以外にも,アジアな どで,資金繰りが難しくなった欧米の金融機関から日本の銀行が貸出債権を 買い取るという形で,再び海外進出がかなり進んできているといえます。
関連して,今般の金融危機を受けて,国際的に金融規制が見直されること になり,資本規制が強化されています。この後のシンポジウムでもご報告が あると思いますが,今月初めには保険会社に対する資本規制についての最終 報告書が出されています。 メガバンクに関しては,いわゆる G‑SIFI(グ ローバルに,システミックに重要な金融機関)に指定されています。証券会 社や保険会社については,まだ日本で G‑SIFI に指定された金融機関はあり ませんが,海外 M & A などを進めていくと,指定される金融機関が出てく る可能性はあると思います。ただし,三菱 UFJ の方などに聞くと,G‑SIFI に指定されるといいことはない,指定されないに越したことはないとおっし ゃっています。というのも,G‑SIFI に指定されると,資本規制に関しても 大変な基準をクリアしなければいけないからです。
Out‑In の面では,先ほども述べましたが,安倍政権は発足して最初に,
金融・資本市場活性化有識者会議を立ち上げて, 東京をアジアナンバーワ ン市場にする ということを政策課題として位置づけています。日本版ビッ グバンで当時の橋本政権が 東京をロンドン,ニューヨークに並ぶ国際金融 センターにする といったのに比較すると,少しトーンダウンしているとい うか,より現実的になっていると言うべきかもしれません。
そうだとしても,アジアナンバーワン市場にするといっているわけで,安 倍政権の発足直後の2013,14年ぐらいはそれなりに活発な動きが見られまし た。しかし,その後の持続力についてはやや懸念しています。アジアナンバ ーワン市場構想のこれまでにない特徴というのは,東京の再開発という話と 結び付いているところだと思います。東京金融シティ構想とか,そういう形 で,東京という都市の再開発,金融センター化,物理的インフラの面をよう やく本格的に取り上げている。そこのところは,高く評価できます。それゆ え,しっかりと議論とか実際の取り組みが持続的に進んでいくことをぜひ期 待したいと思います。
⑶ 海外 M & A の波
ここに来て日本の金融機関の海外事業というか,海外展開は新しい局面を 迎えているのではないかという気がします。
銀行に関していいますと,三菱 UFJ フィナンシャルグループは,従来か らアメリカに子会社としてユニオンバンクという現地の銀行を所持していた わけですが,そのユニオンバンクと現地の三菱東京 UFJ 銀行の支店を統合 して一体運営することにしました。タイのアユタヤ銀行とタイの三菱東京 UFJ 銀行の支店も統合して運営することにしました。これが成功するかし ないかというのは,日本の金融機関の海外事業が本当に新しい段階に入った といえるか否かの試金石になるという意味で,注目すべきことだと思います。
保険会社に関しては,従来から非常に積極的に海外展開をしていた東京海 上ホールディングスと MS & AD は,さらに大型の海外 M & A を実施するよ うになっています。生命保険会社に関しても,立て続けに買収の話が出てい ます。後のパネルにもパネリストとして所属の方が参加されるようですが,
第一生命が非常に先行した動きをして,それに刺激される形で動いていると いう感じです。ただし,刺激されて動くのはいいのですが,きちんとした準 備と蓄積がどれだけあるのかということが問われるところだと思います。
ということで,最後のテーマとしては,保険事業における海外 M & A の
波ということを取り上げたいと思います。
海外進出といっても,進出先は北米と欧州の先進国のマーケットと,アジ アを中心とした新興国のマーケットに大別されます。先進国のマーケットは 生保でいうと約 割,損保では 割の規模を占めていますので,売り上げ,
保険料収入を即時に上げたいということであれば,先進国市場は非常に魅力 的であるということになります。それに対して,アジアを中心とした新興国 市場というのは,いまだ規模という面では小さい。しかし,年率が 桁で高 成長している国も多く見られますので,成長性という意味においては当然期 待できます。もっとも,多くの新興国では外資規制が残っていたりする,あ るいは法制度面での整備が不足しているといった問題があります。それゆえ,
第一生命がベトナムでやっている事業などの例外はありますが,一般的には なかなかマジョリティを取って経営するということが難しい。
こういう市場特性の違いを踏まえて,どういう海外事業ポートフォリオを 築いていくかということが各社にとっての大きな課題になっているというこ とだと思います。また,アジアの新興市場については,既に海外の大手保険 会社が早くから進出しているということがあります。それゆえ,日本の保険 会社が出ていく場合,現地の会社と競争する,あるいは提携するということ だけではなく,既に現地に進出している海外の大手保険会社とどう競り合っ ていくかということが問題になります。
具体的には,イギリス,フランス,ドイツ,アメリカ,カナダの保険会社 の存在感が非常に大きい。さらに,M & A の波が起きているということで,
非常に買収価格も高騰して,なかなかいい物件が出てこない形になってきて います。そうした中で,競争はなかなか厳しいのではないかという思いを禁 じえません。非常に厳しい競争が予想される中で,最も問われるべきことは,
日本の保険会社には競争上どのような優位(アドバンテージ)と強み(コン ピテンツ)があるのかということです。
逆の言い方をすると,日本の保険会社が海外に出て行くことによって,現 地のユーザーにどんな価値を提供することができるのか。自分の都合だけで
出ていくのではなくて,出て行って成功するためには,出て行った先に,日 本の保険会社だからこそ提供できる新たな価値を提供してはじめて意義があ るということになると思います。そのためにも,どのような優位と強みがあ るかは深く検討していただきたいと願っています。非常に正確性が高いとか,
日本の製造業の方々が築いてきた 日本 というブランド自体が強みだとか,
いろいろとあるかとは考えられますが,優位と強みを明確化することが重要 だと思います。
それで海外の企業を買収するというのはいいのですが,買収した後,適切 にコントロールしていけるのかどうかということが,より大きな課題になる と思います。日本の大手損害保険会社,中でも東京海上ホールディングスと MS & AD は,保険業界だけにとどまらず日本の銀行・証券を含む金融機関 の中でも最も海外進出に先進的な位置にあると思います。それを支えている のは,海外 M & A に関わる態勢整備や人材育成の面での積極的な努力だと 思います。余談になりますが,MS & AD の柄澤会長は,私より学年が つ 上の大学の同窓で在学中に存じ上げていましたが,(失礼ながら,そのとき の印象とは異なり)この面でも非常にリーダーシップのある経営をされてい ると思います。
東京海上ホールディングスでは,過去の反省等も踏まえて海外保険会社の 買収方針が策定されています。それは,
① 経営の健全性が高いこと(価値観を共有できる優秀な経営陣が存在)
② 強固なビジネスモデルを持つこと
③ 高い成長性を持つ優良な会社であること
の 点からなるもので,この 買収 原則 のすべてに合致した会社のみを 検討対象にするとされています。海外 M & A にあたっては,こうした明確 なポリシーを定めることは不可欠だと考えられます。
ただし,この原則の 番目の経営の健全性が高く,優秀な経営陣がいなけ ればいけないということは,裏返してみますと,買収後も経営は既存の経営 陣に基本的に委託することを想定しているとも解釈できます。海外の経営困
難に陥っている会社を安く買い叩いてきて,それをリストラし再建して価値 を高めるというような荒業をやる経営能力は,率直に言って私は,日本の金 融機関にはないと考えています。それゆえ,買収後も経営それ自体は被買収 会社の経営陣に引き続き担ってもらうという形が一般的にならざるを得ない。
そうであるがゆえに,そこで任せ切りにならない経営管理体制をどこまで 確立できるかということが非常に重要になると考えます。過剰に介入するの も問題ですが,海外の業務については現地に任せ切りということでは,ある 日突然損失が出ていることに気が付くといったことになりかねない。そうし た事態を回避するためにも,しっかりとコントロールしていく必要があり,
そのための経営管理体制と,その担い手である人材をどれだけ,この20年間 ぐらいの間に準備してきているのか。そうした蓄積の程度が,これから本当 に問われるのだろうと思います。
海外 M & A をするという話が続々と新聞で報道されているわけです。失 礼な言い方ですけれども,それをやるとおっしゃっている会社のすべてが,
全部いま申し上げたような態勢整備と人材養成を,この20年間しっかりやっ て来て,きちんとそれができる状況になっているかという問題があると思い ます。たぶん個社ごとにかなり違うのではないか,へたをすると80年代後半 から90年代前半にかけての出来事を繰り返してしまうような結果になりかね ない会社も出てこないとは限らないと懸念しています。逆にその時期の失敗 をきちんと教訓として,その上でいろいろな準備を整えてきた会社について は,それなりの成果を上げていく公算が高いと期待しています。
できればすべての会社に成功していただきたいと思いますが,実際にはこ れからどうなるのか。これは傍観者的にいうと,見どころ,見ものだという 感じがするわけです。ということで,ほぼ時間ですので非常に雑ぱくでした が,私の話は以上とさせていただきます。
ご静聴,どうもありがとうございました。(拍手)
(筆者は慶應義塾大学経済学部教授)