著者 森 雅秀
著者別名 Mori, Masahide
雑誌名 仏教について教えてください : 講義によせられた
3000の質問と回答
巻 1
ページ 3‑50
発行年 2010‑03‑01
URL http://hdl.handle.net/2297/23973
2002 年度
I. 共通教育科目:密教美術の世界
1. パーラ朝期の密教美術
スライドを見て遺跡に行ってみたいと思いました。
ぜひ行ってみて下さい。
遺跡の時代区別をもう少しくわしく教えてほしい。
現在、発掘が進み、外国人も見ることのできるパ ーラ朝期の遺跡は、ビハール地方ではナーランダ ー、ボードガヤ、ヴィクラマシーラ、ヴァイシャ ーリー、バングラデシュではパハルプール、マイ ナマティ、オリッサ地方ではラトナギリ、ウダヤ ギリ、ラリタギリなどがあります。このうち、ボ ードガヤは釈迦が悟りを開いた場所で、早くから 聖跡として信仰されていました。ナーランダーは グプタ時代に建立された僧院で、授業でもふれた ように、僧院を増築することによって、規模を拡 大していきました。パーラ朝でも国家的事業とし て、僧院の増築があったようです。ヴィクラマシ ーラ寺院やパハルプールのソーマプラ寺院は、パ ーラ朝の初期に勅命で建立された大規模寺院です。
とくに、ヴィクラマシーラは、当時の密教の中心 的寺院の位置を占め、この寺院がムスリムによっ て破壊された 1203 年を、一般にインド密教滅亡 の年としています(『インド密教の仏たち』のコ ラム⑦「ヴィクラマシーラ寺院」参照)。オリッ サはパーラ朝ではなく、バウマカラという王朝の 時代に密教が栄えました。ラトナギリなどの僧院 は、ナーランダーやヴィクラマシーラなどに比べ て、規模はかなり小さいのですが、優れた作例が 多数出土しています。
密教以前の仏教遺跡とその時代については、次 の質問に対してあげた参考文献を参照して下さい。
一般的なインドの歴史を知るには、どんな本を読 んだらいいか教えてもらいたい。
一般向けのものとして、次のようなものがありま す。美術関係を中心に写真図版も楽しめるのは肥
塚・宮治の 2 冊(1999/2000)、歴史一般では山 崎 (1985)、 授 業 に 関 連 す る 古 代 ・ 中 世 は 山 崎
(1996)が読みやすいでしょう。
荒 松雄 1977 『ヒンドゥー教とイスラム教 -- -- 南アジア史における宗教と社会』(岩波新書)
岩波書店。
辛島 昇 1992 『南アジア 地域からの世界史 5』朝日新聞社。
辛島 昇 1996 『南アジアの歴史と文化』(放 送大学教材)放送大学教育振興会。
肥塚 隆 ・宮治昭 編 1999 『世界美 術大全 集 東洋編14 インド(2)』小学館。
肥塚 隆 ・宮治昭 編 2000 『世界美 術大全 集 東洋編13 インド(1)』小学館。
小西正捷 1981 『人間の世界歴史 8 多様の インド世界』三省堂。
近藤 治 1977 『インドの歴史 新書東洋史 6』
(講談社現代新書) 講談社。
立川武蔵 1992 『はじめてのインド哲学』(講 談社現代新書) 講談社。
中村平治 1997 『インド史への招待』吉川弘文 館。
宮治 昭 1981 『インド美術史』 吉川弘文館。
山 崎 元 一 1996 『 古 代 イ ン ド の 文 明 と 社 会 』
(世界の歴史第3巻)中央公論社。
山崎利男 1985 『悠久のインド ビジュアル版 世界の歴史 4』講談社。
山下博司 1997 『ヒンドゥー教とインド社会』
山川出版社。
シリーズ「アジア仏教史」 佼成出版社。
スクリーンが眩しかった
眩しくないところに移動して下さい。
仏伝図、ジャータカといった物語的な美術作品が
新鮮だった。日本では玉虫厨子があったかと思う のですが、他の作品はどんなものがありますか。
仏伝図としては、花祭りで使う誕生仏(右手で天、
左手で地を指している童子の太子)と、涅槃会の ための涅槃図が圧倒的に多いでしょう。涅槃関係 で「釈迦金棺出現図」という有名な作品もありま す(京博所蔵・国宝)。日本にも釈迦八相図と呼 ばれる作品がありますが、その内容はインドのも のとは異なり、降魔成道までの重要な 8 つの場面 が選ばれています。また涅槃八相という涅槃前後 のシーンのをまとめたものもあります。奈良時代 に唐から伝わった「絵因果経」という経典には、
『過去現在因果経』という経典と、そこに説かれ る釈迦の生涯のさまざまな場面が描かれています。
この他、禅宗が好む「出山釈迦図」や「釈迦苦行 像」などもあり、仏伝図はわが国でも比較的、作 例の多いジャンルです。
これに対し、ジャータカはインド美術では古代 以来、たいへん人気のあったテーマですが、わが 国ではほとんど作例を見ません。その中で、ご指 摘のいわゆる玉虫厨子は貴重な作例です。ジャー タカの中でも有名な「捨身飼虎」と「施身聞偈」
の説話にもとづいた絵が描かれています。
(参考文 献 田辺 三郎助 1986 『日本の美 術 243 釈迦如来像』至文堂)
試験はどういうところから出題されるのか。
答えられません。
スライドが先生に隠れて全然見えなくて残念だっ た。
こちらも気を付けますが、見えるところに移動し て下さい。
同じ仏像や壁画でも、その形態は無限大であり、
とても興味深かった。
ほんとにそうですね。
仏像や壁画は、専門の職人によって作られていた のか。
日本にも仏師という職業の人がいますが、インド
でも同じように、専門の職人がいたようです。た だし、その個人的な名前は残されていません。現 代的な意味での芸術家ではありませんから。今で もインドの町を歩いていると、ヒンドゥー教の神 像屋さんがあって、神様の像を並べています。仏 教が栄えていた時代でも、おそらく仏教専門の職 人はいなくて、注文主によって、仏教、ヒンドゥ ー教、あるいは民間信仰の神などを造り分けてい たようです。このような職人(工匠)のための専 用のマニュアルなども残されていますが、口伝と 実際の経験で、その伝統が伝えられてきました。
このようなジャンルの研究はあまり進んでいない のが実状です。
駄作とはどういうもののことを言うのか。
むずかしい質問です。見るものに感動を与えない 作品が駄作といってもあまり答えにならないでし ょう。写実性に乏しい、表現や技巧に稚拙さが目 立つ、オリジナリティーを感じさせない、精神性 や崇高さを持ち合わせない、などがその理由とし てあげられるでしょうか。逆に傑作とはいかなる ものか、芸術的価値の高い作品とは?、さらには、
人間にとって美とは何かということにもなります。
このようなことを哲学的に研究するのが美学で、
歴史的にするのが美術史という学問分野です。
くだらないことを聞いて申し訳ないのですが、密 教と仏教の違いは何なのでしょう。
全然、くだらないことではありません。授業では あえて密教の説明をしていませんので、当然疑問 に思うでしょう。インド仏教の歴史を簡単にまと めれば、釈迦の時代を含む初期仏教(あるいは原 始仏教)、部派仏教、大乗仏教、密教ということ になります。インド仏教の最終的な形態が密教で す。ただし、その時代も大乗仏教やいわゆる小乗 仏教もありますので、段階的に変化したというわ けではありません。また、密教の修行をすること が許されたのは、大乗仏教の修行階梯を終え、特 別な能力(とくに実践における能力)をそなえた ものだけといわれています。ある研究者は密教の 特徴として次の 5 点をあげています。①現世拒否
的態度の緩和 ②儀礼中心主義の復活 ③シンボ ルとその意味機能の重視 ④究極的なもの、ある いは「聖なるもの」に関する教説 ⑤究極的なも のを直証する実践(立川武蔵 1992 『はじめて のインド哲学』講談社、p.173-4)。よくわからな いと思いますが、同書や次のような文献を、まず 手始めに読んでみて下さい。
松長有慶 1991 『密教』(岩波新書) 岩波書 店。
立川武蔵・頼富本宏編「シリーズ密教」 春秋社。
森 雅秀 1997 『マンダラの密教儀礼』春秋社。
浮彫の作品の方がその他の形式のものより多いの はなぜですか。
これもむずかしい質問です。仏教美術発祥のバー ルフットやサーンチー、あるいは南インドのアマ ラヴァティーなどでは、ストゥーパの装飾として 仏教美術が用いられていました。建造物の表面を 飾るためのものなので、浮彫の方法をとるのが自 然だったのでしょう。ガンダーラやマトゥラーで は浮彫ではなく、背面まで掘った「丸彫り」の作 品も若干あります。丸彫りに比べ、浮彫の方が、
腕や頭部の欠損を気にしなくてもよいなどの技術 上、保存上の理由もあるようです。また、仏像を 安置した場合、その礼拝者が背後に回る必要がな ければ、裏側は平面の方が固定しやすいし、安定 するでしょう。このような技術上、実践上の理由 なども考えられますが、インドでは地域や時代に かかわらず、また仏教、ヒンドゥー教の違いも関 係なく、浮彫が好まれたのは確かなので、インド
の美的観念のひとつの特質とみなした方がいいか も知れません。
スライドを見る授業って言うのは、ノートを取ら ないものなので、映像としてしか記憶に残りませ ん。ノートは今後も取りませんか?あと、先生の 声はあまり大きくないので、眠くなりやすいです。
スライドを使うと照明を落とすので、ノートを取 りにくいと思いますが、配付資料にメモをするな どして、適宜、ノートを取って下さい。「ノート は今後も取りませんか」という質問は「板書をし ませんか」ということだと思いますが、そのまま ノートに写せるような板書は、これからもしない と思います。ただし、授業時間すべてをスライド にするのも退屈だと思いますので、適宜、工夫し ていきます。最後のご指摘は留意したいと思いま す。
写真がとてもきれいだなと毎回思います。
ありがとうございます。
日本の仏像もすばらしいけれど、インドの仏像の 方が細かい美しさが光っているし、技術が高い気 がした。
やはり密教の仏像はキレイだ。とくに仏様の顔が すごくきれいだと思う。
美しいものやきれいなものを見て、そう思えるの はいいことです。
2. 日本の密教美術の源流?
どうして似ていないところが出てくるのでしょう か
「似ていない」理由を考えるのは「似ている」理 由を考えるよりもむずかしいでしょう。「似てい る」ことは、たとえば図像を伝えた人物や文献な どを見つければ説明できますが、「似ていない」
ことはさまざまな要因が考えられるからです。前 者は物的証拠が、後者は状況証拠が必要と言うこ ともできます。
日本の密教は高野山が代表的とおっしゃいました が、私は小さい頃から書道の作品を高野山展に出
品していたので、密教寺院だと聞いて少し驚きま した。
密教美術は日本中のいたるところにありますが、
真言宗の総本山金剛峯寺があり、弘法大師信仰の 中心でもある高野山は、日本密教の中心のひとつ です。高野山には多くの寺院がありますが、霊宝 館という博物館(美術館)もあって、優れた密教 美術が収蔵・展示されています。ちなみに高野山 がある和歌山県は、国宝などの指定文化財所有数 で、都道府県別で 10 位以内にはいっています。
書道の高野山展も、その分野の人たちには有名で すね。
密教はもっとあやしいものだと思っていました。
一般の人が全然しらないような
「密教」という言葉のイメージは、必ずしもよい ものではないようですが、歴史的には大乗仏教以 前の仏教を「顕教」と呼び、これよりも優れた教 えで、しかも選ばれた者以外には秘密にされてい るという意図で付けられたものです。日本仏教独 自の用語で、インドではこれに相当するサンスク リット語などはありません。よくないイメージが あるのは、密教から都合のいい部分だけを借用し た新宗教やカルト宗教が、いろいろ社会問題を起 こしていることがあるでしょう。
変なこと言いますが、女性の仏像って胸が大きい ですね。みんなあれだけ極端に強調してあるんで すか。
当然な質問だと思います。日本の仏像で豊満な女 性像というのはあまり見ませんね。仏教の女尊を 含め、一般にインドの女神像は豊満な肉体表現を 取ります。胸だけではなく臀部が強調されたり、
逆に腰が極端にくびれています。身に付けている 服装も肌に密着したものが多く、体の線がさらに 強調されています。性的なイメージをふくめ女性 美をどのように表現するかも、文化的な背景に大 きく依存しています。有名なカジュラホの寺院装 飾などは、外国人の目にはエロティックにうつる ようですが、インド的な美意識からすれば、卑猥 感のようなものはほとんどありません。
マンダラの色彩や細々としたところが好きなので、
マンダラの回が楽しみです。
楽しみにしておいて下さい。
釈迦、観音、弥勒、文殊、金剛手、大日如来など はどのように見分ければよいのか。
今回の授業で取り上げます。
チベット系のグロテスクな画像が大好きです。
チベットの美術関係の本は日本でもよく出ていま すね。アメリカにあるHimalayan Artという団体 のホームページには、数百点の作品のデータベー スが公開されています。細部までよく分かって、
研究者にもとてもありがたいものです(アドレス はhttp://www.himalayanart.org)
今日見た仏像などは一般の人たちにも広く知られ ているのでしょうか。
宿題で読んでもらった小文(密教美術の世界)に も書きましたが、一般の日本人にとってのインド の仏像のイメージは、せいぜいガンダーラの釈迦 苦行像、サールナートの転法輪印仏坐像、アジャ ンターの蓮華手といったところでとまっているで しょう。インドの密教美術の世界はとても魅力的 なのですが 。
どの仏像もポーズが魅力的です。職人さんは何で こんなポーズを思いつくんだろう。センスがいい なぁと思います。
釈迦などの如来像は動きがほとんどありませんが、
菩薩や女尊、明王(忿怒尊)などは、それぞれ内 面の性格や機能と関連する「動き」が見られます。
伝統的に女性像は「三曲法」といって、身体の 2 箇所で「ひねり」を入れることもあります。イン ドは演劇や舞踏の理論も早くから発達しており、
演ずる人の性格や心情を表すために、それぞれ決 まったポーズがあったりします。図像を制作する 人たちも、このような演劇理論を知っていたこと もわかっています。
インドではなぜヒンドゥー教が仏教にとってかわ
ったのだろう。
仏教はインドで生まれた宗教ですが、インドから は 13 世紀頃でほぼ姿を消します。実際にはその 数百年前から衰退の道をたどっていたようです。
その要因はいろいろ考えられていますが(『イン ド密教の仏たち』では「イメージの戦略に失敗し たから」という新説?も出しています)、一番重 要なことは、仏教はインドにおいては非正統的な 宗教だったからでしょう。そのかわり、日本も含 めアジアの諸地域で、現在でも生き続ける一種の 普遍性を持っています。それぞれの民族や文化に 適合できる柔軟性をそなえていると言うこともで きます。
梵字に興味があるのですが、何かお薦めの文献が あれば教えて下さい。
サンスクリットを表す文字の「梵字」は、早くか ら日本に伝わり、「悉曇(しっだん)」とも呼ばれ ています。お墓の卒塔婆に書いてある文字として、
見 た こ と の あ る 人 も 多 い で し ょ う 。OPAC か
Webcat で「梵字」もしくは「悉曇」で検索して
みて下さい。たくさんありますよ。
マーリーチー立像の足元の猪には何か意味がある のですか。第 2 章に書いてあったかもしれないん ですが。本の 120 頁のムルガンの絵が他のものと 雰囲気が違うのがなぜなのかなと思いました。
マーリーチーについては 85 頁以下を読んで下さ い。ムルガンの写真は現在の絵師による作品だか らです。インドに行くと街角でこのような絵をた くさん売っていて、家やお店に飾るために買って 行きます。ヒンドゥー教の神様が中心ですが、偉 人や聖者などもあります(キリストもあります)。
独特の雰囲気があって、日本人にも隠れたファン がいるようです(文学部の比較文化の研究室には ドアに張ってあったりします)。
仏像は他の宗教の像と比べて、はるかに大きいも のが多いと思うのですが、(龍門や雲崗、日本の 奈良や鎌倉、バーミヤン)とか、なぜなのでしょ うか。
仏教の歴史の中で、仏がどのようにとらえられて きたかはとても重要な問題です。もともと仏と呼 びうるのは釈迦だけでしたが、かなりはやい段階 からそれ以外の仏の存在が経典などで言及されて います。このような仏の多様化は、過古仏や未来 仏といった時間的な広がりと、われわれの世界の 外に仏国土を設定して、そこにも仏たちがいると いう空間的な広がりを持つようになります。一方、
インドの神観念として、世界や宇宙が神から生み 出され、しかもその世界や宇宙が神そのものであ るという思想があります。仏教の仏にもこのよう な性格が与えられ、宇宙そのものに匹敵するよう な仏が現れます。時間的、空間的な広がりの中に 存在する無数の仏た ちを統括する ような「宇 宙 主」としての仏です。有名な奈良の大仏は、台座 の蓮弁に数多くの「世界図」が刻まれていますが、
大仏はこれらの無数の世界を法によって支配する 仏なのです。ほんとうは宇宙そのものかそれより も大きく作りたかったのです(もちろん無理です が)。
お釈迦様は一人しかいないのですよね。大日如来 や菩薩はいっぱいいるのですか。
上の回答を参照して下さい。今回の授業でも説明 するつもりです。
降三世明王。後左手にもっている長い矛の位置が 素晴らしい。後ろの輪の三点は炎をかたどったも のだろうか。あと、手に法輪や鈴を持っているが、
それは何を意味するのだろうか。
頭光の装飾はたしかに炎を表しています。ただし、
おそらくこれは後補(後から補ったもの)で、も ともとあったかどうかは分かりません。法輪は手 に持っていないようです。明王の持物は、その性 格のとおり、武器を持つことが多いのですが、仏 具の金剛杵と金剛鈴もしばしば持ちます。インド の降三世は胸の前の手にこれらを持っていますし、
左の上の手に輪(法輪と形は同じ)を持ちます。
この場合の輪は円盤状の武器です。仏の持物(じ もつ)は重要な図像上の情報ですが、その意味の 解釈はなかなかむずかしいところです。
密教美術の絵画でいつも不思議に思うことがあっ て、どうしてあんなに赤が多様に使われているの か?何か宗教的な意味があるのだろうか。
今回のスライドでは胎蔵界曼荼羅の中央部の蓮華 やそこに位置する仏の袈裟、肌の色、各尊の座で ある蓮台、光背などに赤が使われています。本来、
赤あるいは暖色で表すべきものもありますが、た しかに赤が支配的な作品も多くあります。経典な どの文献で仏の像を造る場合、厳密に色が規定さ れており、現在では彩色がほとんど遺されていな い彫刻も、制作当初は強烈な色彩で覆われていた と思います。持物と同じく色にも意味がある場合 もありますが、絵画や彫刻である以上、美的感覚 としての配色も、無関係ではありません。同じよ うなことはキリスト教でもあって、マリアのガウ ンは外側が緑、内側が赤で、それぞれ意味がある のですが、緑と赤は補色の関係でもあります。
日本人はあまり原色を使うことをしない傾向にあ ると思うんですが、密教美術は日本のものでもと てもカラフルです。これはやはりインドの流れを 汲んでのことなんでしょうか。
前半については前の回答を参照して下さい。イン ドの彫刻の場合、スライドで紹介しているように、
ほとんど彩色がありません。顔料なども残ってい ないので、はじめからしていなかったようです。
これに対し、絵画には鮮やかな色が塗られていま す。このような絵画作品が中国に伝えられ、日本 の密教美術に影響を与えた可能性は大きいと思い ます。
「羂索」は高校の時「けんじゃく」と読んだ気が するのですが、「けんさく」が正しいのですか。
仏教の用語は読み方がなかなかむずかしいですね。
「羂索」は一般には「けんじゃく」と読まれるこ とが多いのですが、これは慣用的な読み方で、真 言宗の伝統的では「けんさく」と読むようです。
ただし、宗派によって同じ用語を別の読み方をす ることが多いので、やっかいです。
ヒンドゥー教の神様たちと、密教の仏たちはとて も似ているように感じます。時代としてはどちら が先にイメージを図や像などで表すようになった のでしょうか。
密教仏の図像で興味深いのが、このヒンドゥー教 との類似性です。前後関係は単純には示せません が、密教仏の特徴である多面多臂や種々の装身具、
持物などは、ヒンドゥー教の神々が先行するよう です。ただし、仏教美術そのものも紀元前からの 歴史があり、ヒンドゥー教美術に影響を与えてい ます。共通するイメージと、その伝播の可能性は、
『インド密教の仏たち』の中の一貫したテーマの ひとつです。
浄土系の仏教には密教の影響といったものはない んですか。
あると思いますが、相対的には浄土教の影響によ る密教の変質の方が顕著です。ちなみに、平安時 代の仏教は密教と浄土教の他に法華信仰が重要で す。日本仏教については専門ではないので、また 調べておきます。
3. パンテオンの構造
奈良の大仏をはじめ仏像の大きさについて、その 意味が宇宙を支配するダルマの化身であり、世界 そのものであることを知って、見事に納得させら れた感じです。初めて大仏を見たときの印象はそ のようなものだったかもしれません。作った職人
のすばらしさを感じました。
すべての巨大な仏像が「宇宙主」であるわけでは ありませんが、中央 アジア、中国 、日本の「 大 仏」の多くが、仏教のコスモロジー(宇宙論)に 根ざしているのもたしかです。中国には大仏が身
に付けている衣に、さまざまな「世界」が描かれ たものもあります。奈良の大仏は現代のわれわれ が見ても大きさに圧倒されますが、巨大な建築物 などのなかったなら時代の人にはさぞかし大きな ものだったでしょう。創建当時の大仏殿は今より も大きかったそうです。ちなみに、タリバンが破 壊してしまったバーミヤンの大仏は、奈良の大仏 の約 3 倍もの高さがありました。今、奈良国立博 物館で「東大寺のすべて」という展覧会をやって いますので、機会があればご覧になるといいでし ょう(7月7日まで)。バーミヤーンの参考文献を 少しあげておきます。
前田耕作 1986 『巨像の風景 インド古道に 立つ大仏たち』(中公新書) 中央公論社。
樋口隆康 1980 『バーミヤーンの石窟』同朋社 出版。
宮治 昭 2002 『バーミヤーン 遙かなり:失 われた仏教美術の世界』NHK出版。
仏像の雰囲気(華やか~地味など)が変化するき っかけにはどのようなことがあるのですか。
「雰囲気」というのは作品全体から受ける印象と も言うことができますが、いろいろな要因がある と思います。作品を生みだした人々のもつ美意識、
民族性、風土などがまずあげられるでしょう。仏 像のような聖なる像である場合、その母胎となる 宗教のあり方、神秘的なものや霊的なものをどの ように表現するかという問題もかかわってきます。
特定の時代に固有の「雰囲気」があることが一般 に認められると、「時代様式」という用語でこれ を 表 し ま す 。 イ ン ド の 仏 像 で も 「 グ プ タ 様 式 」
「パーラ様式」というような使い方をします。日 本の仏教美術でも「白鳳」や「天平」などはよく 知られていますね。仏像制作者は日本でもインド でも、特定の伝統の中で制作にあたったはずです が、その中で独自のスタイルを生み出すことで、
あらたな時代様式を生み出すこともしばしば見ら れます。芸術家というのはそういうものなのでし ょう。
先生はとても楽しそうにお話になるから、授業自
体はとてもおもしろいのですが、おなかいっぱい の 3 時間目、暗い、静か、となると、どうしても 睡魔が すみません。よく仏教で何とか童子とか が菩薩のお供でくっついてきますよね。あれはい ったい何なんですか。
眠くなるのは仕方がないですね。途中でストレッ チの時間など入れるといいのでしょうね。私も大 学生の頃はよく講義中に眠っていました。学部の 専門の授業になると数人のことが多いので、さす がに減りましたが 。「童子」のうち、観音の脇 侍になる善財童子は『華厳経』という大乗経典に 登場する 人物で、 真理を 求めて 53 人の善知 識
(宗教的指導者)をたずね歩く求道の旅をします。
観音も善知識の一人に含まれます。善財童子は脇 に経典をかかえ、両手で合掌をする少年の姿で表 されます。文殊の脇侍には斧を手にした忿怒形の 男性像がおかれることがありますが、これはヤマ ーンタカ(大威徳明王)と考えられています。脇 侍は主尊よりも格下の「お付きの人」なので、菩 薩の場合、女尊や明王などになることが多いです。
このほか、日本の不動明王は二童子をしばしば従 えます。八大童子、三六童子という多くの数の場 合もあります。この場合も、明王の従者となりま す。
六臂観音坐像。身にまとっているものが、なぜ鹿 の皮だと分かるのかが気になった。
鹿の顔をして、角もついています。ただし、奈良 公園にいるような日本の鹿ではなく、山岳地帯に いる羚羊(アンテロープ?)のようなすがたです。
鹿皮を身に付けるのは、インドの場合、行者の特 徴で、瞑想をするときなどの敷物になるのです。
もともと、ヒンドゥー教の神シヴァが身に付けて いて、観音はこれを取り入れたと考えられていま す。
どう表現していいのか分からないけれども、人々 の想像力というのはすごいなと思った。何をモチ ーフにしてあのような仏たちを生み出していくの かなと重う。
ほ ん と う に 人 間 の 想 像 力 は 限 り が な い で す ね 。
『インド密教の仏たち』のはじめのところにも書 きましたが、想像力とはイメージを生み出す創造 力でもあります。人類は言葉や観念よりも先に、
イメージを表し、理解していたのかもしれません。
木村重信(1982)『ヴィーナス以前』(中公新書)
中央公論社はこのような原初的なイメージを扱っ た好著です。
手の位置や形が、違う仏でも似たような感じなの はどうしてなのですか。やっぱり手の位置ごとの 意味があるから何でしょうか。(ほかにも印につ いての質問がいくつかありました)
手の形は「印」とか「印契」と呼ばれ、サンスク リットでは mudrā と言います。これまで授業で 出てきたのは触地印(降魔印とも言います)、定 印、説法印(転法輪印)、与願印、施無畏印など ですが、他にもたくさんの種類があります。仏像 についての一般的な本を見ると、このような印の 絵が載っていて、その意味がまことしやかに解説 されています。正しいものももちろんありますが、
ひとつの印が必ずしもつねにひとつの意味を表し ているわけではないことと、同じ名称の印でも時 代や地域によって形が変化することもあることは、
念頭に置いておかなければなりません。なお密教 では僧侶も印を結びます。これは仏と同じ動作を する場合もありますが、儀礼などで、特定の行為 や心情を象徴的に表すこともあります。印につい ては資料を配付します。
今日の授業内容には入らないかもしれないけど、
前回の内容についての質問の女性美の表現に関す るものが、今日は一番印象に残った。インドの仏 像は背中が壁にくっついていて、日本のようにお 堂に安置するようなものはあまりないように思え た。
インドでも仏像は寺院に安置するのが基本でした が、寺院の形態や素材が日本のものとずいぶん異 なることが、仏像の形式にも関係してくるようで す。石窟寺院のような場合、仏像は壁に掘ること が基本になります。また、パーラ朝ではほとんど の寺院は石材でできていたので、石を刻んで作っ
た仏像もその一部に組み込まれることが多かった でしょう。寺院建築は仏像を理解するためにも重 要な要素となります。
「南無」と「アーメン」が似ているような気がし た。キリスト教との比較が興味深い。
「 南 無 」 は サ ン ス ク リ ッ ト で namo あ る い は
namas で、「帰依する」「礼拝する」の意味になり
ます。現在でもインドでは「こんにちは」の意味 で「ナマスカール」(帰依します)「ナマステー」
(貴方に帰依します)といいます。「アーメン」
については辞書の説明の受け売りですが、ヘブラ イ語で「確かに」という意味の言葉に由来し、祈 禱などの最後に唱えるのは「かくあらせたまえ」
という意味だそうです。仏教美術とキリスト教美 術は、同じ宗教美術という以上にいろいろ共通点 があり、おもしろい比較研究ができます。
ますます仏教って深いんだなぁと思いました。本 当にそう思います。チベット仏教って他の宗教と 何が違うのですか。ダライラマがわかるようなわ からないような
今年度は学部の授業でチベットの宗教と文化を取 り上げています(月 3 限)。チベット仏教やダラ イラマについても講義していますので、興味があ ればどうぞ(今からでは単位になりませんが)。
チベット仏教についてここで説明するのはたいへ んなので、参考文献をあげておきます。
田中公明 1993 『チベット密教』 春秋社。
松本栄一(写真)・奥山直司(文) 1996 『チ ベット マンダラの国』 小学館。
山 口 瑞 鳳 1987-1988 『 チ ベ ッ ト ( 上 ・ 下 )』
東京大学出版会。
菩薩って確認されているだけで何種類ぐらいある んでしょうか。それにしても、前回、インドの仏 像より日本の仏像の方に人気が集まったらしいで すけど、インドの仏像って全体的に古くて表面が 風化してて、見栄えが悪いじゃないですか。仕方 ないと思います。
菩薩の数を数えるのは無理だと思います。代表的
なものは観音、弥勒、文殊、普賢、金剛手などで すが、経典の中には無数の菩薩が現れます。これ は如来も同様で、経典では「ガンジス河の砂の数 ほど」というような表現が用いられます(いった い誰が数えるんでしょうね)。仏像との関係で興 味深いのは、このように大勢の仏や菩薩を経典で は説いているのに、実際に制作された種類はきわ めて限られていることです。名前を付けるのは簡 単ですが、それだけの種類のイメージを生み出す ことはほとんど不可能でしょう。イメージの画一 化の問題もここに由来します。
作品ランキングがおもしろかった。とくに日本の 仏が上位という結果が。
日本の仏像が印象深いという結果は、ある程度予 想はできましたし、当然とも思います。紹介して いる作品はどれも国宝や重文などで、すでに評価 が定まったものです。写真も出版物からとること が多いので、プロの手になり、上手ですね。むし ろ、これまで見たことのないインドの仏像にも、
意外にきれいなものが多いという印象を持っても らったことに意味があると思います。ちなみに、
私の場合も、おそらく日本の作品をあげたと思い ます。前々回であれば、金剛三昧院の五智如来か、
東寺の降三世明王あたりでしょうか。どちらも実 物を見たことがあるということも、大きいです。
奈良の大仏の台座にそんな小さな模様があるとは 知らなかった 。奈良県出身なのに 。結構見に 行ってたのになぁ。
大仏の蓮台はかなり高いところにあるため、一般 の観光客は近づくことができません。特別に申請 して、許可をもらうか、関係者が知り合いの場合、
可能になることもあります。ただし、この蓮台の 線刻は、制作当初のものがいくつか残っていて、
文化財的にもとても価値があるため、レプリカが 下の通路のところに置いてあります。ぜひ、次の 帰省の折にじっくり見て下さい。
どの仏像も同じような顔に見える。
そういう印象も大事です。今回はなぜ同じように
見えるようになるかをお話しする予定です。
写真では実際の大きさが分からなくて、どれも同 じ大きさのように思えてしまう。実際に自分の目 で見るのが一番だが。
そのとおりです。写真で知っている作品を実際に 見たとき、意外に小さいとか大きいと言うことは よくあります。できれば実物を見るのが一番です。
さらに仏像のような宗教的な作品は、それが置か れた「場」も重要な要素になります。もともと置 かれていた寺院で見るのと、博物館のガラスケー スの中で見るのとでは、その印象は大きく異なり ます。
仏教とヒンドゥー教、またはそれ以前のインドの 宗教の間で共通して登場し、崇拝される神々がよ く分からない。ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマン というの神々がそれぞれの宗派でどのような位置 を占めているのかを、整理して教えていただけた ら。
インドの宗教史、文化史を簡単に説明することは ここではむずかしいので、とりあえず参考文献を あげておきます。機会があれば授業の中でお話し しましょう。
上村勝彦 1981 『インド神話』 東京書籍。
立川武蔵 、石黒 淳、菱 田邦男 、島 岩 1980
『ヒンドゥーの神々』 せりか書房。
辻直四郎 1967 『インド文明の曙 ヴェーダ とウパニシャッド』(岩波新書) 岩波書店。
職人さんがまじめな信者でなかったら、このよう な作品は生まれてこないだろうし、変化もあまり ないと思いました。
先回のQ&Aでも書きましたが、これらの仏像を 作った工匠たちが必ずしも仏教徒であったわけで はないようです。同じ工房でヒンドゥー教と仏教、
あるいはジャイナ教の像が制作されたと思われる からです。ただし、芸術と信仰の問題は重要で、
作品の内面からにじみ出るような精神性や、見る ものを敬虔にさせる力などは、制作者が単なる職 人以上の存在であったと思わずにはいられません。
また、日本の密教関係の仏画の相当数は、僧侶の 手になるものです。優れた僧侶の条件のひとつと して、仏画を巧みに描くことがあげられます。
ボロブドゥールやアンコールワットなど、建物の 写真は見ないのです か。ヒンドゥ ー教との関 係 は?
東南アジアも密教が伝播した地域として重要なの ですが、今回の授業では残念ながら取り上げるこ とはむずかしいと思います。ただし、寺院建築な どの建造物については、マンダラや仏塔のところ で紹介したいと思います。ヒンドゥー教について は、東南アジアの場合、仏教以上にきわめて大き な影響力を持っていました。インドネシアの場合 はさらにそれにイスラム教があります。土着的な 民間信仰も含め、さまざまな宗教が重層的に存在 する興味深い地域です。
日本の仏像よりも立っているのが多い気がする。
紹介した作品に立像が多かったかもしれません。
全体の割合で言えば坐像の方が多いのですが、仏 の種類によって、立像の方が多いものもあります
(たとえば文殊や明王系の仏たち)。
質問の答えが返ってくるのはすごく嬉しいので、
機会があればメールもしてみたいです。
ぜひどうぞ。
仏陀の教えに密教的な要素はあるのですか。
基本的にすべての仏教の教えは、仏陀に由来する ことになっています。釈迦の言葉をどのように解 釈するか、新しく生み出した教義が釈迦の言葉と どのような整合性をもっているのかということが、
仏教徒にとってきわめて重要でした。
世界が大日如来なら私たちは何なんだろうと思う ととても興味深いです。
私たちも大日如来です。「そんなばかな」と思う でしょうが、密教はこの世界のすべては大日如来 のあらわれであると説明しますし、すでに密教よ りも前の時代、すなわち大乗仏教の時代に「本来、
われわれは如来である」と考えられることがあり ました。これを如来蔵思想といって、中国や日本 の仏教に大きな影響を与えました。チベットの中 にもこれを重視する宗派がいます。
実家で北日本新聞の夕刊を取っていたので、授業 で切り抜きのプリントをもらったときは、驚きま した。もとの切り抜きはスクラップブックに張っ て家に置いてあります。
それはとても嬉しいです。新聞というのは、やは りすごいですね。
サンスクリットって、昔の日本人にとって、どの ような言語だったのですか。
サンスクリットそのものは日本には奈良時代から から伝わっています。しかし、サンスクリットそ のものを理解できたものはまれでした。例外的に、
空海が中国で集中的に学んできたり、江戸時代に はサンスクリットの研究をした慈雲という僧侶が 出たりしました。ちなみに、日本語の五十音(あ いうえお、あかさたな )はサンスクリットの文 字の順序にならったものです。
仏などは「死ぬ」ことってあるのですか。
ありません。仏とは生死を超越したものであるか らです。ついでに言えば、地獄や極楽や輪廻は仏 教の専売特許のような感じがしますが、釈迦自身 は死後の世界があるかないかという質問には、答 えることを拒否しています。
なぜ仏像はほとんどのものが目を閉じているので しょうか。
如来像の場合、深い瞑想に入っていることを表し ます。ただし、同じ仏像でも菩薩や女尊はかなり はっきり目を開けていますし、明王になると、丸 く見開いています。人間が怒ったときと同じです。
仏のあの優しげでゆったりとした顔は、誰かモデ ルがいるのでしょうか。あれはインド人ですか。
仏像の表情に地域差があるのは当然ですが、それ がその地域の住人と一致しているとは限りません。
仏というのは一種の理想的な存在ですから、非現 実的な姿をすることも可能なのです。しかし、ガ ンダーラの仏とインド内部の仏との違いなどを見 ると、やはり、それぞれの民族の理想像というも のがあることも確かに感じられます。
龍華って何?
授業でもお話ししたように、弥勒の手にする龍華 は、この時代の弥勒のアトリビュートとなります。
釈迦が悟りを開いたのは菩提樹の木の下でしたが、
弥勒の場合、菩提樹のかわりに龍華樹の下で悟り を開くことがきまっています(経典にそう書いて あります)。弥勒が龍華をもつのはこのためです が、実在の樹木ではないため、その形態は様々で す。パーラの時代ではヒヤシンスのような花です。
なお樹木に対する信仰は現在でもインドではさか んですが、釈迦の時代よりも前から、民間信仰の ような形で存在したようです。釈迦が生まれたの が無憂樹、涅槃に入ったのが沙羅双樹のように、
釈迦の生涯の重要なできごとと樹木とは密接に結 びついています。弥勒にもこれが適用されていま す。
弥勒は仏になることが決定している菩薩になるん ですか。それとも 菩薩 弥勒 仏 こんなか んじですか。
そんなかんじでいいと思いますが、現時点ではま だ菩薩です。実際に像で表す場合、将来、仏にな ったときの姿で表現されることがあるということ
です。また、弥勒の功徳を説く経典は、その遠い 将来(五十六億七千万年後)のことを実に明瞭に 説明しています。ただし、確実に仏の姿で表され たものは日本にはかなりの作例がありますが、パ ーラ朝のの弥勒では確認されていません。
先生がインドの宗教美術に興味を持つようになっ たきっかけは何ですか。
はじめは仏教の文献を勉強していましたが、イン ドやネパールに行って実際に作品に接することが できるようになったのが、大きなきっかけになっ ています。インドや中央アジアの仏教美術の研究 で著名な宮治昭氏の授業に出たことや、指導教官 の立川武蔵氏が密教美術に関心を持っておられた ことも重要です。もともと美術作品や仏像を見る ことや、写真を撮ることがが好きだったことを理 由にあげるべきかもしれません。
参考までに聞いておきたいのですが、私は文化史 に興味があるのですが、金大でこの密教美術を専 門に学ぶことは可能ですか。
もちろん可能です。私の所属する文学部の比較文 化コースで専門的にできますので、いつでも歓迎 します(文学部でも人間学科以外の所属であれば 転学科が必要ですが)。ただし、文化史というの はきわめて広い領域を指し、文学部で扱う学問で、
何らかの形で歴史的な視点を含むものは、すべて 文化史と呼ぶことが出来ます。
4. 画一化するイメージ
ナーガに似たものがアンコールにあったような気 がするんですが。(ほかにも中国の龍についての 質問もありました)
アンコールはアンコールワットですね。たしかに あります。ナーガ信仰はインドだけではなく、東 南アジアやスリランカなどの上座部仏教圏(いわ ゆる小乗仏教)でも見られます。中国では龍と結
びつき、日本でも古くから信仰されています。龍 のような水の神は世界中で見られ、エリアーデな どの宗教学者がよく取り上げます。また、ナーガ や夜叉、羅刹、樹神などに対する信仰は仏教以前 からありますが、仏教はこのような民間信仰を巧 みに取り入れることで、信者を増やしていったの でしょう。
あんなに後付けをして破綻しないのですか。
明王に見られたヒンドゥー教の神との関係を指し ていると思いますが、そのとおり、破綻します。
その結果、インドからは仏教は姿を消すことにな ります。理由はそれだけではありませんが 。た だし、図像やイメージの持つ意味はしばしば「こ じつけ」めいたものがあります。しかし、それが
「権威」や「正統」となることがあるのもたしか です。
仏のイメージが共通性を帯びてくると言うけれど、
誰が最初のイメージを決めるのかと不思議に思っ た。日本の仏像の方がよりリアルに表現されてい るように思えた。
イメージを最初に決めた人はわかりません。画一 化するときに選ばれるイメージは、そのグループ の代表的な仏であったり(たとえば如来であれば 釈迦、菩薩であれば観音)、平均的というか最大 公約数的なイメージになることもあります(たと えば忿怒尊の場合など)。日本の仏像の方が写実 的な傾向にあるのはたしかですが、これはパーラ 朝の仏像が過度に形式的、装飾的になったためで、
それ以前のグプタ時代の仏像などは、きわめて写 実的です。時代によって何を重視するかはさまざ まです。
七福神は弁財天とか大黒天とかいますが、天部に 含まれる仏教の神様なんですか?神って言うと神 道系のように考えられるのですが。
七福神はインド、中国、日本の神々の寄せ集めで す。インド起源の神は弁財天、大黒天、毘沙門天、
中国起源は福禄寿、布袋、寿老人、日本が恵比寿 です。大黒天はインド起源ですが、その姿は大国 主の尊(因幡の白ウサギで有名)の影響があり、
インドの大黒(マハーカーラ)とは異なります。
七福神の研究もいろいろあります。
高校の時『仏像図典』をものすごくうれしそうに 読んでいる友人がいました。私には理解不能の趣 味かと思っていましたが、この授業のおかげで、
仏の世界に親しみがもてました。
仏像の世界は、けっこう「オタク」的なところが あり、知れば知るほどのめり込んでいきます。佐 和隆研の『仏像図典』は類書の中では最も信頼で きる名著で、これを読んでいたお友達は、なかな かよい選択眼をもっていたのでしょう。漫画家の みうらじゅんなども仏像の本をたくさん出してい ます。それなりにおもしろいようです。
仏教が異教徒を改宗しようとしたように、逆に仏 教徒が他の宗教に改宗することはあったんですか。
当時の力関係からすれば、仏教徒がヒンドゥー教 徒になった方が、その逆よりも圧倒的に多かった と思います。ヒンドゥー教徒にとって仏教はすで にライバルではなかったでしょう。仏教徒による ヒンドゥー教の神のイメージの借用は、仏教にと っては起死回生の策だったかもしれませんが、自 己のアイデンティティーを失う自殺行為とも言え ます。
明王グループの恐ろしさによって力ずくで改宗さ せられ、仏の慈悲にふれた異教徒の人々は、アメ とムチの効果で、仏教の虜になっただろうなと思 います。
前の回答も参照して下さい。インドには明王系の 作品がきわめて少なく、これは日本密教で不動明 王や愛染明王が数多く作られたことと、大きく異 なります。明王の像が一般の人の目に触れること はほとんどなかったようです。
・ターラー坐像の胸や足が触れられてつるつるに なっているのが印象に残りました。触っている人 たちに信仰心はあるのかと疑問に思います。そこ で疑問に思うこと自体、日本人の考え方なのかも しれませんが 。
・なぜ女尊の胸を触るのでしょうか。富の象徴だ からですか?(私は長野出身で、善光寺にも自分 のよくなりたいところを触ると御利益があるとい う僧の像がありました。)
インドの博物館はおおらかで、彫刻作品にふれる ことにそれほど神経質ではありません。現在、日 本のお寺で仏像に触ってもよいところは少ないで
しょうが、後の方の質問にもあるように、触るこ とによって病気平癒などの御利益(ごりやく)が あるところもあります。仏像などの聖なるものが 視覚的なものだけではなく、それ以外の感覚でも 体験できるような存在であることも、しばしば見 られます。単に拝むだけではないのですね。
金剛は何をするためのものですか。
金剛手が手にする金剛杵は、サンスクリットでは
Vajra(ヴァジュラ)といいます。本来、ヴェーダ
の代表的な神であるインドラ(帝釈天)の持ち物 で、敵を攻撃する武器です。インドラは雨をもた らす雷の神が起源とも考えられており、その武器 であるヴァジュラは稲光をかたどったとも言われ ています。造型表現としては、授業で紹介したガ ンダーラの金剛手がしばしば持っていますが、そ こではウサギの餅つきのときの「きね」のような 形をしています。密教の時代には金剛手や忿怒尊 の持物として広く見られるほか、仏具となり、僧 侶が手にするようになります。
金剛手はどのようにして下剋上したのですか。ボ ディーガードとしてちょこちょこ顔を出すうちに、
だんだんと人々の気を引くようになったからでし ょうか。関係ないのですが、萩尾望都の「百億の 昼と千億の夜」という漫画はおもしろいですよ。
シッダータとかが登場します。
まず前半の質問について。特定の仏の人気が時代 によって上下するのは、仏像やほとけの歴史を考 える上で、きわめて重要なことです。その中でも 金剛手はもっとも華麗な(?)変化をとげたほと けでしょう。授業では言い忘れましたが、ガンダ ーラとならびマトゥラーでも早くから金剛手は仏 の脇侍として登場します。そこではボディーガー ドとしてではなく、観音に相当する蓮華手と対に なって仏の横に置かれています。経典の中でも金 剛手は次第に重要な位置を占めるようになり、と くに密教になると地位の上昇は顕著です。その理 由はいろいろ考えられますが、根強いヤクシャ信 仰、持物の金剛杵の持つ力への信仰、「秘密を保 持するもの」という性格などがあげられます。ち
なみに、密教という語は日本や中国独自のもので、
インドでは「金剛乗」と呼ばれていました。少し 専門的になりますが、以下のような論文が金剛手 を扱っています。とくにはじめにあげた入澤氏の 論文がよくまとまっています。
入澤 崇 1986 「ヴァジュラパーニをめぐる諸
問題」『密教図像』第4号。
石黒 淳 1985 「金剛手の系譜」『密教美術大 観 第3巻』 朝日新聞社、pp. 181-191。
山野智慧 2000 「初期密教経 典にお ける金 剛 手」『密教学研究』32: 55-72。
山野智慧 2000 「『大宝積経』「 密迹金剛力 士 会」の一考察」『智山学報』50: 41-57。
後半の「百億の昼と千億の夜」はたしかにいい 作品ですね。私も雑誌連載中に読んでいましたし、
コミックスも持っています。光瀬龍の原作よりも、
萩尾望都の作品の方がよくまとまっていたような 気がします。主人公の阿修羅王のイメージは、マ ンガでは興福寺の阿修羅王像がモデルになってい て、萩尾望都のファンでも人気の高いキャラクタ ーでしょう(もっとも作者はナザレのイエス、つ まりキリストが気に入っていると、どこかに書い ていました)。萩尾望都はデビューからすでに 30 年以上たっているはずですが、今でも第一線で活 躍しているのはすごいですね。
密教の世界にも女性進出が起こったのはなぜです か。像を造った時代の時代背景と関係があるので しょうか。その時代、俗世でも女性進出があった とか
授業では省いてしまったのですが、密教の時代は インド全体で女神信仰が興隆してきた時代です。
ヒンドゥー教でもド ゥルガーやカ ーリーとい う
「大女神」が登場し、人気を集めています。女神 信仰はインドの基層文化のひとつと考えられ、た とえばインダス文明でも、多くの女神が信仰され ていたようです。これに対し、紀元前 1500 年頃 に北西インドから侵入し、インドにおいて支配的 な勢力となったアーリヤ人たちは、男神を中心と した神々の体系を有していました。中世インドの 女神信仰の興隆は、インド本来の女神信仰の復活
でもあったのです。当時の社会的な背景がこのよ うな復活と関係があったかはわかりませんが、当 時の女性の社会的な地位は決して高くはなかった でしょう。また、女神崇拝がさかんな文化で、必 ずしも女性の地位が高いわけではありませんし、
女神信仰を支えていたのが女性であったわけでも ありません。むしろ母系社会であるなどの別の社 会的要因を考える必要もあるでしょう。
最近の話のウェイトが重くなって、スライドをゆ っくり見られない。もう少しじっくり見たいです。
私もそう思って反省しています。PowerPoint で スライドを作るのも、けっこう手間がかかるので、
せっかくならゆっくり見てもらいたいと思ってい ます。
仏の頭のボコボコは髪だと思っていたのに、肉だ とは驚いた。頭蓋骨もボコボコになっているのだ ろうか。
私の説明が悪かった ようです。仏 頂(ぶっち ょ う)は肉髻(にっけい)ともいって、頭のやや後 ろの盛り上がったところです。髪の毛に相当する 多くの渦巻状のものは螺髪(らほつ)といいます。
こちらは髪の毛です 。いずれも仏 (狭い意味 で の)のみがもつ特徴で、このような特徴が 32 あ ることから三十二相と呼ばれます。日本でもイン ドでも、あるいはチベットでも仏像であれば同じ ような姿をしているのは、この三十二相を忠実に 表現しているためです(もちろん地域差はありま すが)。三十二相は仏像の誕生にも大きな役割を 果たしたことが、研究者によって指摘されていま す。
仏頂尊勝がおもしろかった。あの頭は髪型じゃな くて、もりあがっていたのだとはじめて知りまし た。たしかにあんなにボコって出ていたらすごい 力があるような気がします。
仏教徒による説明は、前の答えにもあるように、
仏頂は肉が盛り上がっているのですが、その起源 はガンダーラあたりの西アジアの貴人の髪型とい う説もあります。ちょんまげのようなものですね。
それがインドでは肉体の一部となったというので す。図像の起源や意味をさぐるのはたいへんです。
何かこの授業に影響されて、この前から手塚治虫 の「ブッダ」を集めています。やっぱりおもしろ いです。
手塚治虫もいいですね。代表作の「火の鳥」など に も 、 ど こ か 仏 教 的 な 雰 囲 気 が 感 じ ら れ ま す 。
「火の鳥」の「鳳凰編」は、信仰と芸術をテーマ にした作品で、仏像とは何かを考える上でも興味 深いです。
インドとかチベットの仏像ってなんとなくちんち くりんで、むくんでるような感じがするんですが。
たしかにそういう作品もありますね。でも、チベ ットの仏像は逆に異常に手足が長くて、やせてい るものや、パーラ朝でも後期になると、華奢な仏 像が主流になります。いずれにしても、自分なり にイメージをとらえるようになることは大事です し、好みが分かれるのも当然です。
インドでは仏教とヒンドゥー教で神々の間に交流 があるのに、日本ではそういうケースがないよう に思う。日本の天津神、国津神に外来の神仏と絡 んだ例はないのだろうか。
日本でも神道と仏教の間では、歴史的に見てさま ざまな影響がありました。神と仏の関係について も、本地垂迹説などはその代表的なものです。山 岳信仰や修験道とも仏教は交渉を持ちました。た だし、神々のイメージに関しては、仏教と日本土 着の神の間では、インドほど親密な関係はなかっ たようです。神道をはじめ日本の神々が、イコン として表されなかったこともその原因の一つでし ょう。
サンスクリット語には abc などの文字が使われて いたのですか。サンスクリット語の歴史を知りた い。
サンスクリットはインド系の文字で表記され、現 在ではデーヴァナーガーリーという書体を使いま す。インド系の文字とアルファベットは、文字の
系列としては別です。ただし、サンスクリットを ローマ字で表記することは、18 世紀から行われて います。日本語をローマ字で表記するのと同じこ とです。サンスクリットの歴史そのものは専門的 になるのでここでは述べませんが、ヨーロッパの 言語学はサンスクリットの研究から始まりました。
そのあたりのことは風間喜代三『言語学の誕生』
(岩波新書)に詳しいのでお読み下さい。
坐像の仏像は必ず台座があります。これはやはり 礼拝上、威厳みたいなものを示すためなんでしょ うか。また台座のない坐像の仏像はあるのですか。
パーラ朝期の仏坐像のほとんどは蓮華の台座の上 にのっています。立像でも同様の台座が現れるこ とがあります。蓮華の台座は日本の仏像でも一般 的で、蓮台(れんだい)と呼ばれます。如来坐像 の場合、蓮台の下にも基壇の部分があり、ここに 獅子などの動物が彫刻されていることがあります。
王や高貴な人物が座る玉座と同じです。百獣の王 といわれるように、獅子も王の象徴です。光背に も類似の装飾がほどこされていることがあります。
ハスの花が台座になる理由はいろいろ考えられま すが、インドではハスが生命やその源泉の象徴で あることがあげられ るでしょう。 仏伝のひと つ
「舎衛城の神変」で、釈迦やまわりの仏たちが、
地面から出現した巨大なハスに載っていることも、
関係するかもしれません。
板書の文字が小さくて見えづらいです。
おっしゃるとおりです。大講義室ということをつ い忘れてしまいました。私の板書はわかりづらい ので、なるべくプリントなどにしたいと思います。
シヴァ神は男ですか。
そうです。シヴァの妻がパールヴァティー、ある いはドゥルガーで、文殊と関係するカールティケ ーヤや、象頭の神ガネーシャなどはその子どもと いうことになっています。これらの神はもともと は個別に信仰されてきたのですが、中世のインド では家族を構成するようになります。
大きさによってかなり違うと思いますが、一作品 の制作時間はどれくらいなのですか。
わかりません。記録などにも残っていないでしょ う。あくまでも想像ですが、われわれが思うより もずっとはやいのではないかと思います。一人で こつこつと刻むというより、工房のようなところ で、複数の工匠が制作にあたっていたと思います。
質問のプリントを見ていて思ったのだが、インド 人の理想的な顔が日本人のようなしょうゆ顔であ るのはわかるけれど(逆の感じだから)、日本で 濃い顔の偶像が拝まれなかったのはなぜなのか、
逆に不思議に思った。
「しょうゆ顔」と「濃い顔」という表現が、私に は今ひとつ分かりませんが、日本でもインド風の 表情の作品も作られています。たとえば、はじめ の頃に紹介した向源寺の十一面観音(平安初期)
は、しばしば、ムンバイにあるエレファント島の シヴァ神の顔と似ているといわれます。またマン ダラの例としてよくお見せする西院本の両界曼荼 羅図(伝真言院曼荼羅ともいわれます)は、中央 アジアやインドの様式が顕著といわれます。
わずかな違いのみでは、それぞれを個々の仏、菩 薩等のグループとしては楽しめそうにない。
そのとおりですが、イメージが画一化することに も何らかの合理性があったはずです。そのことに ついては先回はふれられませんでしたが、今回、
お話ししたいと思います。
なぜ釈迦の前世だとかを、現世のわれわれが分か るのか。
もちろん、わかるわけがありません。釈迦の前世 の物語、すなわちジャータカは600とか700 とか あるのですが、当然それには題材があって、イン ドの民間説話が用いられているといわれます。逆 にジャータカはイソップ物語や日本の今昔物語の なかにも取り入れられています。ひとつひとつの ジャータカは、導入部、中心部、終結部の三つの 部分からなるのが一般的で、釈迦の前世の物語は 中心部です。導入部はそれが説かれた状況(つま
り現在の物語)、終結部は中心部の登場人物が現 在の誰にあたるかの種明かしです。主人公は釈迦、
主人公に妻がいればヤショーダラ(釈迦の妻)、
悪役は必ずデーヴァダッタという具合です。みん なそろって輪廻しているということです。インド は民話や説話の宝庫で、その分野の研究も昔から さかんです。
人気がないにもかかわらず作例の多いもの、また は人気があるにしてもかかわらず作例の少ないも のはあるのか。
ファン投票とかできないので、正確な人気はわか りませんが、作例数が人気を反映していると考え るのが自然でしょう。ただし、当時の仏教徒にも いろいろのレベルの人がいたはずで、僧院の中で 修行をしたり、文献を著すようないわゆるエリー トから、仏教とヒンドゥー教の区別も付かない、
一般の人までさまざまです。エリートが著述する 文献の中で頻出する仏や、高位に位置づけられる 仏に、必ずしも多くの作例があるわけではありま せん。極端な場合、経典の中でもっとも重要とさ れる仏であっても、1 点の作例も残されていない ものもあります。
仏教美術とキリスト教美術の共通性が言われてい ましたが、金儲けが目的のうさんくさい新興宗教 や、誰かが国を支配したりするために、自分に都 合よくゆがめた理屈などではなく、本当の宗教な ら、どの宗教も目指すところは一緒で、根本が一 緒だから文化上の違いこそあれ、似ているのは当 然というか、むしろその共通したところが普遍的 な真理なのではないでしょうか。仏教も最終的に は「仏教に執着しなくなること」が理想だと聞い たことがあります。
現代では男女平等が叫ばれていますが、厳密な ところでは男女の優劣はあるんじゃないかなとい う気がします。
仏たちのだるそうで魅力的なポーズを見ている と、ぴしっとした姿勢が非人間的で、嘘っぽく、
つまらないものに思えてきます。
長文のコメントありがとうございました。前半の
宗教についてのお考えは、たしかにそういうとこ ろもあるでしょうが、「本当の宗教」とか「普遍 的な真理」なんてないんだという人もいます。基 本的に宗教というのは非合理的、非科学的なもの なので、何を真実と考え、何を信ずるかはさまざ まです。また、宗教はきわめてデリケートなもの でもありますので、他人が信仰している対象を、
「間違っている」とか言うこともできないと考え た方がいいでしょう。もっとも、学問の分野でも 宗教学では、特定の宗教に価値を与えずに、相対 的な視点から研究するのですが、そうではなく、
信仰を基礎にした研究として神学(キリスト教の 場合)や、教学(仏教の場合)があります。イス ラム神学などもそうですね。
最近までは派手な仏像が好きだったが、今日はじ めて地味な作品も「美しい!」と思えたのがすご くうれしかった。毎回たくさんのスライドを見て いるおかげで、少し見る目がついたのかなと思う。
美術や芸術で重要なことは、やはり数多く体験す ることでしょう。今までは同じに見えていたもの や、気がつかなかったものが見えるようになるの は、一種の快感です。
尊像のそれぞれの役割、意味がよくわかりません。
何を調べればよいのでしょうか。
基本的な文献の紹介をしていませんでした。とり あえず次のようなものをあげておきます。
立川武蔵 1987 『曼荼羅の神々』 ありな書房。
佐和隆研 1962 『仏像図典』吉川弘文館。
頼富本宏 1984 『庶民のほと け 観音・ 地 蔵・不動』NHK出版。
頼富本宏 1985 『マンダラの仏たち』 東京美 術。
頼富本宏・下泉全暁 1994 『密教仏像図典 イ ンドと日本のほとけたち』人文書院。
仏像についての本は世の中に無数にありますが、
中には専門家から見てあまりにひどいものもあり ます。よいものを選ぶ目も必要です。
今では彫刻は彫刻刀だけど、当時は何で彫ってた