数学教育研究 ,第
9号 ,上越教育大学
,1994年
,pp.33‑42「メタ知識」の意味
1.緒論
' なぜ数学を学べ ない生徒が多 いのか‑ 。こ れは数学教育上かな り古 く、最 も基本 的な問 題であ る。この間題 に対す るこれ までの対処 の仕方 と して、例えば、カ リキュラム上では、
現代化の反省 と しての内容の軽減、また、実 際に教 師が指導す る場面では、よ り丁寧 な説 明、よ り簡単 な内容‑ の置 き換えな どが挙 げ られ る。す なわ ち、この間題 に対 して これ ま で講 じられた対処の仕方 には、カ リキ ュラム 上で も、実際の指導上 で も、主 に知識 の程度 の問題 に向け られ る傾 向があ ることは否定で きない事実 で あ る。
知識 は適切 な文脈 に置かれた ときには じめ て学習 され る。い くら簡単な内容で も、生徒 たちは、自分 に関係 のない もの と考えれば学 はないであ ろ う し、逆 に、自分 に関係 のある こと、あるいは、興 味のあることと考えれ ば、
多少数学 的に難 しい内容であって も学習す る であろ う
O文脈 には、か よ うな役 割一 学 習 者の既有 の知識や興味 ・関心 に内容を結 びつ けるとい う役 割‑ が あ る
。最近、特 に、小学校 において、問題解決的 な概念 の導入が多 く見受 け られ るよ うにな っ てきたが、学年が進むにつれて この傾 向は減 少す るよ うに思 われ る。これ は、知識 に対す る文脈 の重要性 の認識の程度 の反映であると も考え られ る。
知識 に対す る文脈の重要性 は、言語 は文脈 とともに理解 され るとい う言語学での常識 に 通 じる認識であ り、あま り目新 しい ことでは ないか も しれない。 しか し、この常識の重要
岩崎 浩
性が、少 な くとも日本 の数学教育 において十 分 に基礎づ け られて こなか った ことに、つ ま り、なぜ、問題解決の文脈 で概念 を指導す る ことが大切であるのかが十分 に考え尽 くされ て こなか った ことに
1つの原 因が あるとも考 え られ る。
1969
年 に、 ア メ リカ の 教 育 学 者 ス ミス ( S血 t h,B. 0・ ) は、教育一般 の立場か ら、一 般 の大衆へ の学 問志 向 ( 知 識 中心)の教育 を 批判 し、教材 を生徒 のニ ーズに応 じて指導す るためには当該 の知識だ けでな く、それ につ いての知識 、す なわ ち、 「知識 につ いての知 識 ( kno wl e dgeaboutkno wl e dge ) 」 が必要で あると主張 した 【 Smi t h, B・ 0.
,1969】 。 これ は、
その知識 を詳細 に知 って い ることと、その知 識を教師が どのよ うに捉えているかは別であ るとい う主張であ る。この主 張 は、前者 の知 識 に対 して、後者を知識 につ いての知識 と し て、些か暗黙的な性格を もつ後者 に、知識の 地位 を与え ることで顕在化 し、教 師が教材構 成、授業実践 において 当該知識を調整す る上 で果たす暗黙的認識の役割の重要性を明確 に 指摘 した もの と して注 目され る。
さ らに、旧西 ドイ ツの
IDMの研究者 た ち は、 この区別 に着 目 し、「知識 につ いての知 識」の概念を精微化 し、「メタ知識 ( Me t a wi s ‑ s e n) 」 とい う用語を導入 した。なかで もオ ッ チ ( Ot t e , M・ ) とプ ロ ンメ ( Br o… e
,氏. ) は、
メタ知識 を概念習得上 の 問題へ と関連づ け、
次 のよ うに述べ て い る。
人は知識と知識についての知識 ( メ
タ知識)を常に同時に獲得する
。【Otte,
M・/Br omme
,R・
,1978,S.1671ここには、「常に同時に獲得す る」 と ドイツ 語の現在形が用い られてお り、それは
1つの 法則を表現 した ものであると考え ることがで きる。【 平林 , 1 99 0言06 頁】よ り明確 に
いえば、
知識はメタ知識 とともに獲得 されねばな らな いとい うことである。
すなわ ち、教師が学 問的な知識だけを問題 に し、メタ知識を問題 に しなければ、子 ども たちは適切な学習がで きない とまでいってい るのである 。
このように、メタ知識 は冒頭で述べた学習 上の問題を基礎づけるためのキー概念である
と考え られ る。
一方 、メタ知識 は さま ざまな文脈 で論 じ られて い る。例 え ば、オ ッテ ( Ot t e, M. ) ら は、概念習得 の問題 の文脈 にお いて 「科学 的概念の論理的位置づ けのための知識 ( Wi s ‑ S e I I 芝 um l o gi s c he n St at us de s t he or e t i s ‑ c he nBe gr i 庁S )[ Ot t e / Br ome,1 97 8,S. 1 91 トま
た、同 じ様な表現であるが、シュープ リング ( Sc hubr i ng, G. )は、数学史 の新 しい意義 に言 及 しなか ら、「 知識の論理 的位 置づ けにつ い ての知識 ( Wi s s e n
dberde n l o g is c he nSt at us de sWi s s
ens ) [ S c h u
br
ing, 1 97 8 , S . 21 7 ト ある いは、知識の本質 ( N
at ur )と表現 して いる。
また、カイテル ( Ke i t e l , C. )らは、教 師教育 の文脈 で、教 師の持つべ きメタ知 識 と して
「 知識の成立 と有効性 につ いての知識 」[ Ke i ‑ t e l /Ot t e,1 97 9,S. 1 7 0] と表 現す る。ゼ ‑ガ
‑ ( Se e ge r , F. )らも教師教育の文脈 で、「知識 の、投入可能性 ( Ei ns at z m6gl i c hk e i t e n) 、応 用 ( Anwe ndung) 、意義 ( Be de ut ung) 、有効範 囲 ( Tr a gwe i t e) 、陳述力 ( Aus s a ge kr af t ) につ いての位置づ け ( Or i e nt i e r ung e n)
」を挙 げて いる [ Se e ge r / St e i nbr i ng,1 986,S・ 1 3 1 。
しか し、メタ知識に関わ る主張は主 に理念 的な レベルでのみ述べ られ るので具体性に欠 ける。つ ま り、 これ らには、具体 的に、メタ 知識 とは何で、それが どのよ うな場面で、ど のような役割を果たすのか ということが明確
ではな く、 したが って、数学教育 の実践に反 映 させ るには抽象的す ぎるとい うことが指摘 で きる。
本稿の 目的は、メタ知識 とは何を意味す る のかを具体 的に明 らかにす ることである。こ れには、メタ知識が どのよ うな経緯で問題 に されてきたのか とい う歴史的背景 ともに、メ タ知識 によって何 らかの新 しい可能性、ある いは見通 しを示す こ とを も含 んで い るで あ ろ う。
以下で、メタ知識の思想を歴史的な経緯 に そって再構成す る。次いで、メタ知識 の一つ の例を提 出 し、検討 を加え る。
2.
メタ知識 の歴史 的背景
2.‑1
「知識 につ いての知識」 の台頭 前述 したよ うに、メタ知識 の起源 は、アメ リカの教育学者 ス ミス ( Sm i t h,1 969) の知識 と知識 についての知識の区別 に求めることが で き る [ I DM,1 981 】 。 ドイ ツの I DM( 数学教 育学研究所)のメ ンバ ーの
1人 で ある シュー プ リング [ Sc hubr i ng,1 991 】に よる と、 これ は 、1 9 6 0 年代 のア メ リカのカ リキ ュラム改 革に関す る議論に由来 しているとい うことで ある。もう少 し正確 にい うと、大規模なカ リ キ ュラムプ ロジェク ト、と りわ け、数学 プ ロ ジェク トの失敗 の結果であ り、その主た る原 因は、その根底 にあ るパ ラダイ ムにある。
そのカ リキュラムの教材開発の仮定は、専 門科学の専門家をプロジェク トに入れるこ とで十分であ り、それゆえに、できるだけ 事実にそ くして展開された教材を作成する ことで十分であるということであった。生 徒は、その教材によって‑ 教師の内容に 関す る役 目の排除の下に、直接達せ られる べきであった。教師は、授業の計画者及び 組織者 としてのみ考慮されていた。いわゆ る、教師を通さないカ リキュラム、教師の 質や教師の知識に依存 しない教育改革に伴 う 「 耐教師」カ リキュラムのパラタイ ムが
・ うまくい くはずであった。
このパラダイムの失敗は、次のことを示 し
た。すなわち、教師を避けては通れないと い うこと、そ して、教師は、教育改革の主 役であるということである。その際、次の ことも明 らかである。すなわち、教育改革 は、単に、古い内容を新 しく変えることに よっては行われえないということ、そ して、
知識についての教師の理解
(dasVer h
益.ltnis desLehrerszum Wissen)、知識についての 教師の見方
(seineAuffassungendberdas Wissen)が中心的問題であるとい うことで ある。つま り :教師教育は、素材に関 して ではな く、専門化 (:内容的な知識を職業上 の行為知識
(beruflichem Handlungswissen)に結びつけること)のさらなる発展 という 意味で改善されねばな らない。したがって、
カ リキュラム改革の主要な結論は、知識と一 緒に仲介 される知識についての見方が、教 師の行為に中心的に影響を及ぼす というこ とである。〔
Schubring,1991,S17]ここで 出て くる知識 につ いての教 師の見方 と いうのか、ス ミスのい う 「 知識 につ いての知 識」 に関連す る。
「知識 につ いての知識」とい う言 葉 は、哲 学的 問題 を連 想 させ るが 、実 はそ うで はな い。その根底 にある思 想 は、彼 の著書 のタイ トル r実世界 のための教 師
Jか らもわか るよ うに、非常 に現実的な問題意識 と深 く関係 し てい る。
郊外地域 (
suburbia)の子どもたちを教える ために、教師は、スラブの子 どもを教える ときに要求されるのと、本質的に同 じ教材 が必要である。子 どもがどこの出身であろ うと、あるいは、どんな環境であろうと、一 個人は、技術社会や都会で、そ して科学的 な知識、社会的そして政治的な理解、多様な 技能や社会的技術を要求す る社会で、どの よ うに暮 らしていけばよいかを学ばなけれ ばな らない。 一少な くとも学習 し続ける必要 がある。裕福な子どもたちを相手に してい る教師(
teachersofthea冊uent)は、貧 しい 子 どもたちを相手にしている教師
(teachers ofpoor)ほど広範な経験、知識を必要としな い。‑ ンデ ィのある子 どもたちを相手に し ている教師
(teachel・SOfthedisadvalltaged)が準備する教材を詳 しく述べれば、全ての
教師が準備す る必要のある教材を指摘する ことになる。【
Smith,1969,p.1111この引用か らは、ハ ンデ ィのある子 どもたち を相手 に している教師の知識の量的な豊か さ が強調 されて いるかにみえ る。 しか し、それ は結果的な ことで あって、教師の知識 の質の 重要性が強調 されて い る とみた方 が、「知識 につ いての知識 」の必要性 を説 くス ミスの主 張は首尾一貫す ると思われ る。「 知識 について の知識 」は、教 師が学 問的な知識 を、その本 質 を保 って子 どものニーズ等 に合 うように指 導す るために、その知識 を コ ン トロールす る 知識 を指 して い る と考 え られ るか らである
。経験 的にわれわれ は、本 当にわか っている 人、その本質 をつかんで いる人の話は、首尾 一貫 していて分か りやす い と思 うことがある で あろ う。その理 由は、その人が相手に応 じ て、その内容 ( 知識 )を コ ン トロール してい るか らであると考え ることがで きる。その と き、その人 は、その内容以外 にい ったい何 を 知 ってい るのであろうか。おそ ら く、このよ うな問題意識 に対す るス ミスの回答が 「 知識 につ いての知識 」で あ った と考 え られ る。
重要 な ことは、この よ うな知識 は、ある特 定の子 どもを相手 に してい る教師 にのみ必要 で あ るので はな く、全ての教 師に必要である と述べ て い る点で あ る。
ス ミスが、教師に必要 な知識 と して挙げて い る ものは、学 問的背景 ( 数学教 師の場合 は 数学、教育学、教授学、心理学 の基本 的な知 請) 、教材的内容 ( 教師の行為 の中に直接含 ま れ る もの) 、 とい うよ うにま とめて表現で き る 【 拙稿
,19921が、氏 は、 これ らとは区別 し て 「知識につ いての知識」を位置づ け、その 重要性 を次 の よ うに述べ て い る。
ようや く最近になって次のことが認められ
てきた。すなわち、教師の教授活動におい
て、教師に影響を及ぼ しうる別の種類の知
識が存在するということである。その知識
は、教科内容について考えたり、教科内容
を論理的に操作する助けとして必要である。
【Smith,1969,p・1251
2. ‑3 知識 についての知識か らメタ知識へ アメ リカの大規模 なカ リキュラムプ ロジェ ク トの失敗 とい う歴史的反省か ら生 まれた認 識、「 教 師の知識 につ いての見方」が教 師の 教授行為 に中心的に影響 を及ぼす とい うこと の認識は、教師教育 に とって重要な第一歩で あった。と りわけ、「 知識についての知識」と してのその特徴づ けは、教師の行為を調整 し ているか ような暗黙的な知識の存在 を指摘す るだけではな く、それを教師教育の顕在的な 対象に しようとい う試みであった とい う意味 で評価で きる
。しか し、ス ミスは、知識の社会 的意義 を、
その必要性の説明、つ ま り、なぜ生徒 た ちは これ らの知 識を学 ば な けれ ばな らないかの 説明に しか定義 していない とシュープ リング は指摘 している
【Schubring,1991,S.8]。つ ま り、 シュ‑プ リングによれ ば、ス ミスは、知 識の社会的重要性 : 「 教材の関連性や応用 につ いての知識」については十分 に認識 していた が、なぜ生徒 た ちは これ らの知識 ( 例 えば、
数学 )を学ばな‑ ければな らないか とい う生徒 の質問に対す るその知識の正 当化 しか してい ない とい うことで ある。
ス ミスは、教育学一般の立場か ら、教師の
「知識 につ いて の知識 」を述べ て い るので、
教材 の本質 的な部分 に関わ るこ と以外 の こ とも、「知識につ いての知識」 と して位置づ けている。例えば、教材 と生徒のニーズ との 関係、教材の社会的 「中立」の程度 ( その教 材が社会の特殊性に関係 な くどの程度子 ども た ちに通用す るか)な どは、教 師が どのよ う な子 どもたちを相手 にす るかによって決まる ことである。
勿論、これ らの見方 は大切であるが、それ は、子 どもを一番 よ く知 って いる各教師に委 ね るよ り他 はない。「知識 につ いての知 識 」 を教師に必要不可欠な知識の
1つ と して、よ
り一般的に論 じるのであれば、む しろ、教材 を子 どものニーズに関係 させ るための、よ り 根源にある認識はいったい何か とい うことの 方が本質的である。これは教材 の本質 に関わ る. シュープ リングを含 めて、 ドイ ツ
IDMの研究者 た ち も、「 知識 につ いての知識」の よ り重要な部分 は、教材 と直接関わる部分で あるとみている。このような認識が、ス ミス か ら、つ ま り、教育学、教授学一般の議論か ら出て くるのは難 しか ったであろ う
。なぜな ら、教材 その ものに関わ るか らである。
それでは、それは一体何を指 しているので あろ うか。 .シュープ リング は言 う。
教師は、仲介 しようと思 っている概念や理 論を単に詳細に知るだけではな く、科学的 概念の本質についてのなにか、あるいは、理 論的対象 としての概念の性格のこともなに か知るべきである。[
Schubring,1991,S.8]氏 は、 これが 「メタ知識 ( 知識 についての知 識)が仲介 され るべ き唯一の科学‑ 理論的立場 であ る ( 括弧 内挿入筆者
)」[Schubring,1991,S・8]
と述べて いる。つ ま り、この立場が 「 知 識 につ いての知識」を科学一 理論 的に取 り上 げて い くための唯一 の立 場 で あ る とい うこ
・ tであるo換言すれ ば、「知識 につ いての知 識」の このよ うな認識論的な側面だけが数学 教育学 にとって本質的であ るとい うことであ る。「教 師は知識を抽象的に知識 と して教え ない し、知識 は社会的重要性 を もっている」
【Schubring,1991,S・8]
とい うのがその理 由で ある。
ス ミスの 「 知識 についての知識」' は、この よ うに
IDMの研究者 たちによ って認識論的 な立場か ら見直 され、数学教育学の専門用語
「メタ知識」 と して導入 され る。緒言で述べ たよ うに、 この立場 は
、IDMの研究者 オ ッ テ ら
(Otte,
M.,
Bromme,
氏.,1978)の 「人 は知識 と知識 につ いての知識 ( メタ知識)杏 常 に同時に獲得す る。【
Otte/Bro‑ e,1978,
S.167】とい う言葉に集約す ることがで きるよ
うに思われ る。既に述べたよ うに、この言葉
は、知識はメタ知識 とともに獲得 されねばな らない とい う認識論的な位 置づ けと、教師が 知識だけではな く、メタ知識 も考慮 しなけれ ば、子 どもたちは適切 な学習がで きないとい う教授学的位 置づ け とを もっている。
要約すれば、教師が知識を コン トロールす るために必要であると して意識 されてきた暗 黙的な知識 と しての 「知識 につ いての知識」
の認識論的な部分、つ ま り、数学教育学の対 象 と して重要な位置を 占め るメタ知識は、教 師のみな らず、実は、学習者 に とって も、程 度の差 こそあれ、本質 的に、持つべ き知識で あるとい うことであ る。
3. メ タ知識 の例 による検討
これ までの考察 によって、メタ知識の歴史 的背景 とと もにメタ知識の存在 の重要性 と、
そのい くつかの性質 がある程度明 らかになっ てきた。 しか し、まだ、メタ知識の存在を具 体的に示す ことが、前節での 1 つの帰結であ るメタ知識の認識論的側面か らの位置づけの 問題 とと もに残 されている。
これ らの ことは、メタ知識の例を提 出す る ことと、その例を通 して上述のオ ッテ らの教 授学的忠告 :「 人 は知識 と知識 につ いての知 識 ( メタ知識)を常 に同時に獲得 す る」の意 味を明 らかにす ることによって解決 されなけ ればな らない。
この解決の本質的な部分は
、IDMの研究者 たちによって既 になされている (
IDM,1981) 0
したが って、ここでは、
1つの例を通 して民 らの解決を検討す ることが中心 とな らねばな らない。
IDM
の研究者た ちは、次 に挙 げ る著者 と 読者 との コ ミュニケー ションの問題 に対す る
1つの回答を提示す る中で、メタ知識の認識 論的側面か らの位置づ げ、すなわ ち、メタ知 識が新 しい概念の認識に とって必要不可欠で あるとい うことを論 じている
。そこでは、知 識 とメタ知識の関係がテクス トとコンテクス
トの関係に対比 されて論 じられ るが、それぞ れの関係、例えば、コンテ クス トとメタ知識 の関係が明確ではない。これ らの ことは、こ こでの例 による検討によって明 らかに され る べ き問題 である。
あるテクス トが著者によって導入された専 門用語や概念を含み、そ して、それに応 じ て、あらか じめその意味について著者と読 者との間の合意が成立 していないときに、こ のテクス トを読者が理解できるということ はどのように可能であるのか。定理は、自 分で 自分 自身を解明 しない。定理はどのよ うに理解すべきであるかということについ て述べない。 もしそうなら、学習者が新 し い定理を獲得するということは、どのよう に捉えられるのか 。[ I DM
,1981,5.249‑250.】以下、この間題を、上述の 目的のために、例 によ り検討す るために、テ クス トと してユー ク リッ ド原論 、特 に、次 の定義 ( 第 5 巻,定 義
5)を取 り上 げ ることにす る。【 中村
,1956,
37‑38
見
1970,93頁 ・ ]
[ 定義 A] 第
1の量と第
3の量の同数倍が第2の量と第
4の量の同数倍に対 して、何倍さ れようと、同順にとられたとき、それぞれ 共に大きいか、共に等 しいか、または共に小 さいとき、第 1の量は第
2の量に対 して第
3の量は第
4の量に対すると同 じ比にあると いわれる。[ ユークリッド原論
,1985,93頁】
この定義はエー ドクソスによるものであると いわれている。この定義 は現代表記を用いれ ば次のよ うに表現で きる。
[ 定義
A′】量の比a:bとC・
.dとが相等 しいとは、次の条件が成 り立つ ことをい
う 。すな わち、任意の整数人
,〃に対 して、
入
a>FLbならば 入
C>FLd Aa‑FLbな らば
Ac‑FLd 入a<FLbなら
ば 入C<FLd人は、この定義を どのよ うに理解す るであろ
うか。確かに、この定義 には、この定義 自身
を どのよ うに理解すべ きか とい うことは述べ
られて いない.われわれ はまず、 [ 定義
jl′]の 3 つの関係式が何を表 して いるかを知 る必 要が あるであろ う。そ して、少 な くとも、そ れが正 しい ことを知 る必要が あ るで あろ う。
この 3 つの関係 式が比の相等関係を表 して いることは、定義の記述 か ら明 らかで あ る。
しか し、それを信 じるだ けでは、知識 と して 知 った ことにはな らないであろ う。正 しい こ とが確認 されねばな らない。 これ は、人があ ることを知 ってい るとき、それが信念で ある か知識であるかを区別す る 1 つの決定的なメ ル クマールである.知識 と して知 ることを期 待す るな らば、ここで は、この 3 つの関係式 が比の相等関係を正 しく表現 して いるか どう かを確か め る必要 が あ る。
素朴 な比 の相 等関係 の定義
1が既知 で あ る とすれば、今の場合 には、この関係 と上述の 3 つの関係式 とが同値であ ることが確 かめ ら れねばな らない。この ことは次 の よ うに示 さ れ るol 白石 ,1 9 43,1 7 0 ‑1 76 真 参照】
A :B = C :D
⇔ ∀p, q : 整数
pA主
qB
ー
PC主qDを証明す る。
(=⇒ )A,B
が通約可能であ るか ら、]x
>0;A
=
mX,B=
nx,(m,nは整数)とかけ る。A :B ‑ C :Dゆえ、
jy>
0;C = my,D‑ nyである
。∀p,q;pA
主
qBー
PC主
qDとすれば
、p(mx)主
q(nx),(pm)x主(
qn) x 故 に
pm < qn> である。 したが って、 (pm)y主
(qn)y,p(my)主 q(ny)
故 に
pCミqD (辛‑)A,Bが通約可能であ るか ら
、]x >0,・A
=
mx, B =nx,(m,nは整数)とかけ る
。今 、C の
1/m を yとすれば、 C
=my
である。このとき、E =
nyとすれば、
A:B =C :E....・............・(i)
12
つの量
a.bが、同一の量xの整数倍になってい るとき、すなわち
、( l=
mX,b=
丁は (m,nは正の整 数)となる量Cが存在するとき
、a,bは、通約できる 量と呼ばれ
、a:b=
m・.nが定義されるOここでは このようにして定められる比の相等関係の定義を素朴 な比の相等関係の定義と呼ぶことにする。
D = E
を示せばよい。 D ≠ E と仮定 して矛 盾を導 く。D, E のどちらを大きいとして も 一般性を失わない
。D >Eとする.D‑E >0ゆえ、
jq. . 整数;
q(D‑E)> C すなわち、
qD ‑qE>C
である。C を
2倍、3 倍、‑・
としていけば、結局、qEよりも大きくなる.
今 、C を
p倍 したときに、初めて
qEよりも 大き くなったとする。
pC>qE ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ I ( 2)
qD‑qE= Cとすれば、e> C である。p の
とり方により
、qE>(p‑1)C=
pC‑C で ある。この不等式の左辺に
e、右辺に C を加 えて も不等式の向きは変わらない
。qE+e>(pC‑C)
+
C,qE+
(qD ‑qE)>
pCであ るか ら、
qD>pC ・・・・・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ . ・ ・ ・ ( 3 ) ( 1 )より
、C :E ‑Jl:Bであるか ら
、pC >qE一一 pA > qB
が成 り立つ.今 、( 2 ) よ
‑ り
、pC >qEだか ら、
pA
>
qB・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 4) となる。したがって 、( 3) , ( 4) により
、pA>qBとpC<qDを同時に満たす整数p,q
が 存在す ることとな り、仮定に矛盾す る。ゆ えに、E = D、つまり、A :B = C :Dで ある。
この定義 は、例 えば、任意の
2つの正方形の 一辺 と対角線 との比が等 しいことを証明す る のに、実 に うま く使え るが、ここでは紙 面の 都合 で省 略す る 〔 例 えば、 白石 ,1 9 43,1 75 ‑ 6 真 参照】 。
以上 で、上述 の 3 つの関係式が、比の相等 関係 を表 して い る こ と と、 それ が正 しい こ と、 さらに、問題 に適用で きることを知 った であろ う。 しか し、まだ、釈然 と しないで あ ろ う。なぜ な ら、これ らの考察 が、 この定義 によって もた らされ うる何 らかの新 しい認識 や可能性 を示 唆 していないか らで あ る
。オ ッテ らは、科 学 理 論学 者 ビブ ラーを 引用 して
..===̲■■ 昌つo
「その概念のどういうところが、その概念
自身によって定義 され、他の概念によって
では定義されないのか
」という概念の定義
を兄いだす ことは重要である。そうでなけ
れば、人は、おそ らく、新 しいことを獲得 す る資格を失 うであろう
。【Otte/Bromme,
1978,5.164】新 しい概念が獲得 され るときには、その概念 によって、今 までで きなか った どの よ うな こ とか可能 にな るのかや、少 な くとも、その見 通 しが示 されな ければな らない。この場合 に は、なぜ この よ うな複雑 な定義が必要であ っ たの か 、 この よ うに定 義 す る ことで今 まで できなか った どのよ うな ことが可能であるの か、あ るいは、その見通 しが示 されね ばな ら ない とい うこ とで あ る。
これは、人が新 しく定義 しよ うとす るとき の信念 と目標 に関わ ってい る。そ して、それ は、読者が、この定義 の記述 ( テ クス ト)に対 して コ ンテ クス トをつ け ることと関連 す る。
コンテ クス トは認識主体 の信念や 目標 と深 く 関係 す る
【Cobb,1986,これ に関わ る詳 しい 議論 は 拙稿
,1993を参照】か らで あ る。 ここ で、認識主体 とは、このテ クス トを読んでい る読者 であ る。 したが って、読者が コ ンテ ク ス トをつ けることは、読者 自身が信念や 目標 を持つ ことを意味 してい る.一方、エ ー ドク
ソスの定義 は、それ 自体 歴史 的背景 を背負 っ ているので、読者が、この定義を理解す るた めには、少 な くとも、エー ドクソスの信念や 目標 と両立 しうるコ ンテ クス トを構成す る必 要が あ るで あろ う。 ヒースは言 う。
エー ドクソスが比の定義を考えついたのは、
彼 自身の天才的な能力であったか もしれな いか、それにいた らしめた歴史的いきさつ というのは歴としてあったはずである
。ピ タゴラス学派は数諭と量諭を並行 していた。
ビラゴラス学派の比例諭は数諭的には基礎 づ けられていたが、量諭的には基礎づけら れていなか った。 ビラゴラスの定理には比 例か使われていた。しか し、この比例は、無 理塵を含んでいたため、量諭的に基礎づけ られていない ビラゴラスの証明は不当なも の となる。無理量に対 しては共的量の存在 が仮定できないからである。したがって、こ の危機を救 うためには、共的量の存在を仮
定 しない比の定義か必要であった。【 ヒース,
1959,p.81】これ は、エー ドクソスが新 しい比の定義を考 案す るにいた る歴史 的 コ ンテ クス トであ る。
この ことが示唆 しているよ うに、エー ドクソ スの 目標 は、「量 aと b
,Cと dが通約不 可能 な場合 にその比の相等を単 に整数 のみを用 い て厳密 に定義す ること」恒 石
,1943,170真】
で あ った。
この よ うな コンテ クス トと両立 しうるコン テ クス トを作 り上 げた上で、 もう一度、 [ 定 義 A′ ] を眺めてみ ると、次 のよ うな認識 に到 達す る ことがで きる。
[ 認識
1]エー ドクソスの比の相等関係の定義 は、
2つの量の間に共通の尺度 ( 通約量)が ない場合にも、比というものを考えること ができるように、比の値か ら直接定義され ずに、比の相等関係 と同値な関係式によっ て間接的に定義された比の相等関係の定義 である。
この認識 は、エー ドクソスの定義 によって もた らされ る新 しい可能性や見通 しを示唆 し ているよ うに思われ る。ここで注意すべ きこ とは、 この [ 認識
1]は、定義 それ 自体、あ るいはテ クス トそれ 自体が語 っているもので はない とい うことである。実 は、後で示 され るが、 これが メタ知識で あ る。われわれ は、
これ によって、上述 したエー ドクソスの比の 相等関係の意味す るところとその正 しさ ( 知 識)を、それによって もた らされ る新 しい可 能性 や見 通 しとと もに獲得 で き る ことにな る。 「人 は知識 と知識 につ いて の知識 ( メタ 知識)を常 に同時に接待 す る
O」とは この こ とを意味 して い る。
人は、理解すべ く提示 されたテクス トに対 して、 しば しば、あるコンテクス トを取 り 込まなければな らない。すなわち、提示さ れた理論は、それを包括する ( 内容豊かな) 参照領域の考慮な しには理解できないとい
うことである。知識はメタ知識な しでは獲
得 されないのである 。【 T DM,1 粥 1 , S. 2 5 0 】
一方、 [ 認識
1]を知識 とい うには十分で はないか もしれない。正 しい とい うことが確 認 されていない とい う意味で、まだ直観的な 認識であるか らである。この認識が正 しいと い うことをよ り確実な もの とす るためには反 省的思考が必要である。反省的に思考す るに は、それを照 らす参照領域が必要である
。以 下、 これを試みる。 まず、
[ 陳述
α]A:β=C:刀 [ 陳述 β】]x, y;
A=m
3:, B=nx, C = my, D=
nyl 陳述 7 】
∀p,q. ・正の整数, ・
pAミ
qBならば
pCミ
qDとす る。 [ 陳述
α]≠[ 陳述 β]は、比の 相等関係の素朴な定義である。また、
A,βが 通約可能で あ るとい う条件 の下で [ 陳述
7]は、 〔 陳述 β]必要十分条件 で あることが示 されているので
、A,βが通約可能であるとい う条件 の下では、次 のよ うに表現で きる。
[ 陳述
α]≠[ 陳述 β]
≠[ 陳述
7]この表現 か ら [ 陳述
α]は、 【 陳述
7】に よって も定義で きることが示唆 され る。確か に [ 陳述
7]は、
A,βが通約可能で あるとい う条件がなければ、 [ 陳述 β]の必要条件 に す ぎない。 しか し、
A,βが通約可能であると い う条件があれば、 [ 陳述 β]と [ 陳述
7]は 同値関係で あ り、かつ、 [ 陳述
7】の関係式 は通約量の存在 とは無関係である。 したが っ て、どのようにすれば通約不可能な量に対 し て も比の相等関係を整数のみを用いて定義で きるか とい う問題を解決す るためには、 [ 陳 述 7]を比の相等関係を表現す るよ り本質 的 な性質であるとみ ること、つ ま り、 [ 陳述
7]を比の相等関係の定義にす ることが最 も都合 のよい方法であるといえ る。これがいわゆる 通約量が存在す る場合か ら存在 しない場合へ の拡 張であることは明かで ある。すなわ ち、
少な くとも、通約量が存在す る場合には [ 陳 述 β]による比の相等関係の定義か ら導かれ る全ての定理が、 [ 陳述
7]による比の相等
関係の定義か ら導かれ ることを [ 陳述 7]と [ 陳述 β]との 同値 関係 が保 証 してい るか ら である。
したが って、エー ドクソスの比 の定義 は、
逆思考 的に、比 の相等関係 の 1 つ の性質 ( 必 賓条件)であ る [ 陳述
7]を逆 に定義 に仕立 てた とい うことになる。われわれは、次 の認 識 に達す ることがで きる。.
[ 認識
2】エー ドクソスの比の相等関係の定義 は、通約量の存在を前提とする素朴な比の 相等関係の定義か ら導かれる通約量の存在 とは無関係な関係 ([ 陳述
7日 を比の相等 関係のより本質的な性質 とみて、これを逆 に比の相等関係の定義とし、内包を縮小 ( 実 際、通約量が存在 しなければな らないとい う条件が捨象された)して、その外延を拡張 ( 有理量を含んだままにして無理量にも適用 可能とする)することを意図した、素朴な比 の相等関係の定義の拡張である。
[ 認識
2]が メタ知識である。 [ 認識
1]とはそ の正当化が含 まれているか否かが異なるに過 ぎない。注意すべ きは、これ らは同時に、定 義の拡張の方法を含んでいるとい うことであ る。それは、エー ドクソスによる定義の拡張 を説明す るときに用 い られ た論理 「 概念 ( 定 義)を、それ よ り導かれ る、よ り本質的な性質 によって定義 し直す ことで、その外延 を拡張 す る」である。これは、説明のために用い ら れた とい う意味では参照領域で あるが、 [ 認 識
2]と同時に出来上が った とみたほ うが正 確であろ う。なぜな ら、われわれは、このよ うな論理を知 らな くて も人間の合理的思考の 助 けによ って この認識 に至 ったか らで ある
。このよ うに参照領域 とメタ知識の関係 は、参 照領域を人 間の合理的思考一般 と考えれば、
それによる正 当化 の結果であるメタ知識 とは 区別 され る。一方、参照領域を人 間の合理的 思考の具体的な結果、つ ま り、今の場合 には、
説明に用い られた論理、これを逆思考の論理
と表現すれば、この逆思考の論理 は、概念に
適用 された時 には じめて意 味を もつ もので
あ り、それ 自体 は意味を持たない。 したが っ
て、 [ 認識
2]との 関係 において は じめて意 味を もつ。つ ま り、逆思考 の論理 はメタ知識 の もっと も本 質 的 な部分 で あ り、「エー ドク ソスの定義 は逆思 考 である
」とい うのか、こ の場合、この場合 もっとも簡 単な上述の メタ 知識 の表現 で あ る。
逆思考 は、デデ キ ン トが切断によって実数 を定義す る とき、また、カ ン トルが無 限集合 の相等性 を定義す るときに もみ られ る。学校 数学では三角比の定義の拡 張 において典型的 にみ られ る 〔 拙稿
,19叫 。このよ うに、メ タ知識 は、数学的概念の性 格であ り、あ る特 定 の コ ンテ クス トか ら生 ま れるが、多 くの領 域 を統一す る機能 を もって いる.つ ま り、 そ の概念 ( 定 義)を一般 的 に 理解 させ る機 能 を もって い る。
4.
結語
メタ知識 の思想 をその歴史的経緯 にそって 再構 成 し、 そ の意 味 と と もにその重要性 を
「 人 は知識 と知識 につ いて の知識 ( メタ知識) を常に同時に獲得 す る」とい うことに具体 的 な解釈 を与え ることで明 らか に して きた。こ の解釈 において具体 的に検討 されたメタ知識 の意味にかかわ る主要な結果 は以下 のよ うに まとめ られ る。
1 .知識はメタ知責は ともに獲得される。
2 . メタ知識は、その概念がどのように生まれ るか、それによって今までできなかったどの ようなことができるかを示唆する。( メタ知 識は概念の成立及び有効性を他の概念 との 関係によって位置づけるための知識である) 3 . メタ知識は、その知識が置かれている特定
のコンテクス トとの関係か ら生まれる
。4.
しか しなが ら、その概念を一般的に理解 さ せ る横能を も つ 。
ここでの結果 は次 の ことを示唆 してい る。す なわ ち、 コ ンテ クス トは、概念獲得 において 有用で あるとい う程度の ものではない とい う ことで ある。む しろ、コンテ クス トは、概念 獲得 においては、本質的であ るとい うことで ある。つ ま り、全 ての理論 的概念 は問題解決
的 に ( 問題 解決 の状位 で)指導 す ることが望 ま しい とい うのではな く、問題解決的に指導 しな ければな らない とい うことを示唆 してい る。その前 に、おそ ら く、問題解 決的な導入 とは何か とい うことも問い直 さねばな らない で あろ う。
メタ知識 の認識論的、教授学的重要性 はあ る程度述べて きたっ もりで あ る。最後 に、教 育 的重 要性 につ いて述べ て本 稿 を 閉 じる こ と とす る. これ は メ リン オ ル セ ン 【 Me l l i n
‑01 s e n,S.
,1987】か ら示唆 された ことである 2。
以下 は、ヘ レン・ ケラーの教師であるサ リバ ンがケ ラー夫妻 にあてた手紙 の一部である。
今朝 とて も大切なことが起 こったので、あ なたにどうして も一筆書きたいのです。ヘ レンは、彼女の教育で大事な第二歩を歩み 出 しました。彼女はすべての物は名前を持っ ていることと、指文字が 自分が知 りたいす べてのことへの手がか Uになるということ を学んだのです。‑・【 アン・サ リバ ン
,1973,34
真】
引用の中の強調文字 は、ヘ レン・ ケラーが 「 水
」
とい う言葉を獲得 した ときに、それ と同時 に得 た認識 で あ る。 これ は、言葉一意 味の関 係か らは生 じない知識で ある。つ ま り、これ らの関係 を外か らみては じめて認識で きる知 識であ り、水 とい う言葉が実体 と しての水を 表す とい うこと以上 の ものを含んでいる。そ れは、水 とい う言葉 、一般 に、言葉が もつ コ ミュニケー ションの道具 と しての機能、その 機能 の重要性の認識を意 味 していると考え ら れ るで あろ う。そ して、この知識 を獲得す る ことの教育的重要性 は、彼女のその前後での 態度の著 しい変化 か ら理解 で き るで あろ う。
メ リンー オルセ ンは、「 知識 の横能性」と表 現 してい る。 これ は、その知識を獲得す るこ
2
メ リンー オルセン自身 もメタ知識
(metaknowト edge)という用語を用いているが
[Mellin‑01sen,S.,
1987,1991ト ここでは取り上げない。氏のそれは、ベ
イ トソンの学習とメタ学習の区別に由来するものであ
る。本稿で述べたメタ知識との関連は今後の課題とし
てお く。
とで、今 までで きなか った どの よ うな ことが 可能 となるのか、とい うことを示唆 している。
数学 に関連 していえば、よ り一般 的に数学の 知識の機能 といえ るであろ う。数学の知識一 般が もっている機能 は、個 々の概念 ももって いる機能で もある。水 に対す るヘ レンの メタ 知識が彼 女の言葉 に対す る世界観 を変 えた よ うに、ある概念 に対す るメタ知識が数学 に対 す る世界観、すなわ ち、数学観 を変え ること
もあるで あろ う。
メタ知識 と数学観 との このよ うな関連を明 らかにす ることは今 後 の課題 で あ る。
参考文献
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