志毘臣物
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(2) 82. Lぽかき. や. ムじま. Lま. もとほ. E大君の・王子の.柴垣︑八節結り 結り廻し. おふを. Lぴ. あま. L. おけO. 焼けむ柴垣. あLた. 鮪突く鮪. 切れむ柴垣. まか. 心恋しけむ. 5らこ据. 共があれば. かが あか. 鮪突く海人よ. とうたひき︒爾に王子︑亦歌日ひた童ひしく︑. F大魚よし. 尭胆よ. みかど. ども. あLた. みかど. まゐおもむ. かど. つど. い拍. 肚か. の. とうたひたまひき︒如此歌ひて︑闘ひ明して︑各退りき︒明くる旦之時︑意郡命︑衰那命二柱議りて云りたまひし 肚か. かた. いくさ. ±く. く︑﹁凡そ朝廷の人等は︑旦は朝廷に参赴き︑昼伐志毘の門に集へり︒亦今は志毘必ず寝つらむ︒亦其の門に人無. けむ︒故︑今に非ざれば謀るべきこと難げむ︒﹂とのりたまひて︑即ち軍を興して志毘臣の家を囲みて︑乃ち殺し たまひき︒. 方法的に. 右に掲げた﹁却麗酸物語﹂と称する記事は︑﹃古事記﹄下巻顕宗即位前の条に記された︑原文︵大系本による︶に. Lて鐘か三百三十丸字に遇ぎない短い物語である︒内歌謡は︑六首百六十八字である︒ちなみに︑同じ下巻仁徳の. 多様で複. 条の﹁女鳥王物語﹂は︑後日課を含めて四百七十五字であるのをみれば︑如何に短くまたその劇的構成も単純注も. のであるかが推察できるであろう︒だがその物語的溝成の素朴さに比Lて︑この物語の内包する間題は 雑である︒. なかでも﹃日本書紀﹄武烈即位前の条に記される﹁影媛物語﹂と称される︑記と同じくヘグリノシビを主要登場. 人物とし︑ほとんど同一の構成をもつ一編との比較の間に浮かぶさまざまな間題が何よりも大きなものといえるで. あろう︒確かに両者は発生的に共通しており︑したがって︑両老の成立の先後関係・それに伴う文学史的形態展開. の様相・両老の伝承経路の相違・その意図的差異・両老の歌謡整序等︑いずれも重要かつ困難なテーマでないもの.
(3) 83. はない︒従釆﹁志毘臣物語﹂が論究の対象として敢り上げられたのは︑ほとんど︑このような﹁影媛物語﹂との比. 較においてであった︒そして︑﹁志毘臣物語﹂より﹁影媛物語﹂は︑長く︑歌謡の数も多く︵六首と九首︶︑筋立も. 複雑で︑表現も細都にわたり︑登場人物も多く︑かつ主人公が影媛という女性であることで哀切を極めている等の. 点で︑文学的魅力に澄れており︑そのためか︑取り上げられる機会も多い︒そして︑その場合前老は︑後老の性格. を照らす此較の材料として敢り上げられているに過ぎない︒独立した一個の対象として扱われることは少ない︒. しかし︑後者と比べて研究対象としての魅力の薄いと思われがちな前者も︑﹃古事記﹄という書に対する見方を. 変えて︑その視点から把え直してみるとまた別種の複薙な多様かつ重要な問題を内包していることが浮かび上がっ てくるであろう︒. 今︑本論では︑﹃古事記﹄を次のように考えるところにその出発点を置−﹂うとしている︒すなわち︑﹃古事記﹄と. は︑古代王権の宗教的呪術的超越性を︑その霊威の秘蹟によって開示しようとするものである︒その秘蹟とは︑王. 権の霊威をケの空問と時間に分配することで︑ミクロからマクロに至る全てのケの窒間を同心門的同一構造︵入れ. 子式︶を保有する単一の聖なる祭儀的空間︑ハレの空間に整合し︑繰り返しの不可能なケの時間を永遠に始原に回. 帰し再生する聖なる祭儀的時間︑ハレの時間に組みかえることなのである︒そうしで︑王権はケの空閻と時間を所 有し︑そこに君臨するのである︒. 右のような見方に立てぱ︑記下巻の物語の末尾近くに位置づけられたこの物語も︑当然記全体の神話的構造の中. でしかるべぎ意味を負うものと考えねばならないだろう︒そこで浮上してくる︑なぜ下巻なのか︑なぜ顕宗即位前. なのか︑なぜ最後の謙殺物語なのか︑なぜ登場人物はシビとオフヲという魚の名を持つのか︑なぜ歌垣が場面とL. て用いられたのか等︑いずれの間題も全て︑王権の霊威の構造と密着しているとしなければならないであろう︒換.
(4) 言すれば・どのように﹁志毘臣物語﹂は王権の意図に添って構造化されているのかということである︒. こうした間題は︑古代王.権の構造が古代人の幻想領域に属するものである以上︑同じく幻想の所産たる﹁物語﹂. の本質にも直接的に関るものであり︑その重要栓は︑前述の成立の先後関係.原伝承着やその経路の間題等にいさ. さかも劣るものではない︒むしろ︑そうした問題への考究の出発点も−ご﹂に置かれるべきであろう︒文学の本質的. 在り方を抜きにしては︑成立も伝承も文学とは無関係の事実考証に堕ちる︒. ﹁志毘臣物語﹂に焦点を合わせて王構の構造との関係において−﹂れを分析しようとした論は︑三谷邦明﹁歌垣の. 歌︵清寧記︶﹂︵﹃記紀歌謡﹄古代の文学−早大出版51・4︶以外には︑寡聞にして知らない︒ω三谷論は︑日常性の逆. 転・破壌恒よって定立強化されるものとLて約束されたハレの次元である共同体的祝祭︑歌垣の論理を露鰯すると. ころに︑巨大な悪として趨越性を獲得Lた古代王権の英雄性を認め︑その悪と対比されて明確化されるシビノオ︑︑︑. の善への同情が﹁影媛物語﹂の哀悼歌謡を生み出したとする史的見解にも展開しており︑この記紀め比較に古代歌. 謡物語の発生と解体︑さらには王権の近代的変貌をも読みとろうとした積極的な論考である︒﹁志毘臣物語﹂と王. 権の構造とに関するこの見解は︑今日その基本線において広く承認きれるべきものであるが︑極度に抽象化された. 王権の構造論を前提として臨んだため︑﹃古事記﹄の総体的構造の中における﹁志毘臣物語﹂の有機的構造を具体的. 本論は・三谷論の指摘を一つの基本線として踏まえながら︑可能な限りにおいてそれを補う方向で筆を進めたい︒. に分析し得たかった憾みがある︒. ただし︑本論では三谷論が言及したような文学史的展望への論の展開は試みない︒それは︑本論を﹃古事記﹄穣造. 論の一環として隈定Lたかった故である︒また︑﹁影媛物語﹂は︑あくまでも﹁志毘臣物語﹂の構造を一面から照射. する光源としてのみ扱うつもりである︒もちろん︑独立した物語としての原型.成立.伝承等の間題には︑いっさ.
(5) 85. い触れない︒. ニ. ヲケノスメラミコト物語の構造. ツビ物語はヘグリノオミシビの王権による誌殺を語るもので︑シビの謙殺を命じたのは︑歌垣におけるツビの対. 立老であり︑この話に続いてその即位が語られているヲケノミコト︵後の顕宗天皇︶である︒記中・下巻が皇位ア. マツヒツギの継承を軸に語られるものであれば︑この物語も当然その軸上に有機的に位置づげられたものと考えね. ばならない︒この前後の都分を通じての皇位継承の主役はヲケであって︑そのヲケノスメラ︑・;ト物語︵仮にそう. お.唯肚つせの. 呼ぶ︑以後ヲケ物語とする︶中に包含されたシビ物語も︑その中の一部として機能するものであるはずである︒ いちOべのおL瞳の ヲケ物語は︑雄略即位前の条とこの条とに二分されている︒前者では︑ヲケの父である市辺之忍歯王︵履中天皇. の子︶が従兄弟の大長谷自重子︵雄略天皇︶に謀殺され︑ヲケと兄オケの二少年が難を避けて途中食料を奪われるよ. 先L邊みOいらつめ. いいとよの. うな苦難に遇いながら播磨国に逃げのび︑地方豪族の家に馬飼牛飼に身をやつして隠れたことが語られる︒雄略. つのさLの. みごともち. 中まべのむらじをたて. 記・漬寧記に続く後老では︑清寧の死後皇位継承の適格者がなく︑Lばらく市辺之忍歯王の妹忍海郎女︵飯豊王︶. が高木の角刺宮に君臨していたが︑その間に播磨国の宰 ︵後の国司︶として赴任した山都遵小楯が二少年を発見 胆ひむろう担げ し都へともなうということが語られる︒ヲタテは二人が隠れた豪族の新室宴に臨み︑彼らに舞いを所望した︒オケ. ︒. の次にヲケが舞う際に歌った歌の中で︑彼は自分たちの身分を明かした︒ヲタテは驚いて二人を敬い︑都へ駅使を をぱ 送り︑︸﹂れを知らせた︒嬢オシヌミノイラツメは喜んで二王子を迎え︑彼らを皇位艦承老に据えたというのである︒ そして︑シビ物語が続く︒. 記では二分されているが︑紀では﹁影媛物語﹂を除いて大略同一の筋書きで顕宗即位前紀として一続きに記載さ.
(6) 86. れていることを考えれぼ︑受難と復活とに二分されていても記でも一続きのものと認識されていたと思われる︒二. 分したのは︑受簸の時期と帰還の時期が隔っているためその時間的隔りにそれぞれ応う都分に位置づけた仁﹂とと受. 難の原困︵雄略による皇位継承対抗者イチノベノオツハの謀殺︶に結びつけたためであろう︒紀で顕宗即位前にひ. あな偲の. とまとめとたしえたのは︑編年体という紀の記述形式が逆にそれを可能にしたのではないか︒つまり^受難の時期. を﹁穴穂天皇の三年の十月﹂と明記することで︑その事件の期目を過去に遡って結びつけ得るという機能を果たL. ︐. ているのである︒したがって二分する必要はない︒記は二分することで︑受難と帰還の間に長い苦難の潜伏の期問. を想像させているといえよう︒. ヲケ物語の詳細な検討︵充分に値いするであろう︶は別の機会に譲るとして︑この物語の骨子は︑ほぼ次のよう. にまとめることができるであろう︒ω父王の被殺←②二王子の逃走←③途次の苦難←④異境での潜伏←㈲資種とし. ての名告り←⑥帰京←ω歌垣の妻寛ぎ←⑧悪の謙殺←⑨邸位︒この骨子は︑記の物語構成の奥型に属するものと考. えられ︑したがって前章で述べたように︑記が王権の宗教的呪術的超越性の開示のための構造を内包するという観. 点に立てば︑この物語のこのような骨子はやはり一つの神話的意味をもつものと考えるべきであろう︒その神話的 巳 意味とは︑ω父神の死←②子神の流離←③試練←ω他界での籠もり←⑤子神の復活←⑥現世への来臨←⑦成年←⑧ 浄化←⑨君臨とすることができる︒これは︑一連の死と再生の祭儀的遇程である︒. そうすると︑このような神話的意味を負う物語の主人公とされているヲケは︑神武.応神.仁徳.雄略などの王. 権の継承上重大な神話的意味を負わされた天皇たちに匹敵するものといえる︒ちなみに︑彼ら同様ヲケも弟である︒. 天皇が死と再生の儀礼を繰り返し執行することでこの地上に豊穣をもたらす穀霊の資格を身につけ︑その霊を更. 新するナ﹂とで︑超越的霊威を身につけてきたことは︑これまでの諸研究の明らかにするところである︒天皇の死と.
(7) 87. 再生の儀礼は新嘗祭・大嘗祭であり︑その基本的構造が一致していることでその事実をすでに確認済みといえよ. う︒回その儀礼溝造に幻想の基盤を置き︑その遇程を模した王の死と再生の物語は︑それらの王に聖性を付与し︑. 王権の聖性継承の秘蹟を開示するものである︒神話はその聖性の始原を示すものであった︒. ヲケ物語も︑前記諸天皇たちの物語と同じぐ︑王の死と再生の物語で︑ヲケはこのようにして︑記下巻樟尾を飾 る天皇の聖性継承を示す主人公として位置づけられているのである︒. 簡単に下巻の構造を検討してみると︑仁徳は中巻冒頭の神武と同様の機能を果たLて下巻冒頭に位置して中・下. 巻の二つの時代︵上つ代と下つ代︶を継ぐ聖帝となっている︒仁徳をめぐるもろもろ物語も彼に聖性を付与し︑天. 皇の聖なる超越性を語り︑その近代性の始原を開示する︒㈲仁徳記が天津日継などの王権に関るハレの次元の祭祀. 的霊的諸力の統合の秘蹟を開示するものと考えれば︑雄略記は天皇霊の対人的外的発現の強い威力︑すたわちケの. まよおo. つ. ぷ. ら. 韮. 硅. み. 次元におげる超越性を語るものといえようか︒そのことを最も端的に示Lているのが︑却位前の雄略による前記の. イノベノオシハの諜殺と目弱王・都夫良意富美の訣殺であろう︒前者では︑雄略自身の意志で彼自身直接手を下し. て皇位継承の対立者を殺害した︒後着においては︑彼自身軍を率いて矛をとって王権の反逆老を謙殺Lている︒−﹂. れは︑記中巻の天皇たちには︑見かけない特徴で︑王の権威の下巻という新しい時代における新しい様相を星示す. るものである︵ただし︑神武には初代天皇としての規範性があり︑同様な要素が見られるが︑下巻とは異なる︒詳. ■. .. 細は省く︶︒中巻と下巻の間にはこれに類Lた違いを設定し︑両者の時代相の新旧を表現しようとしている︒中巻. における神に穀される天皇︵伸哀︶と下巻における人に殺される天皇︵安康︶の相違などは︑−﹂の一例である︒. ヲケ物語は︑下巻最後そして記最後の天皇物語であり︑下巻冒頭の仁徳・雄略と一体となって下巻を区画構成し. 新しき王権の様相を開示するという有機的関連性左持ち︑さらには人の代の冒頭花ある中巻眉頭の神武とも応じ人.
(8) 88. 代を区画するものであらねばならない︒そのために︑ヲケ物語は前述のように穀霊としての死と再生の構造をもち︑. 同時に︑下巻に相応しい位相性を付与されているのである︒シビ物語は︑そうしたヲケ物語の中で大略二つの役割 を負っている︒. 一に︑歌垣における妻争いは︑ヲケが少年とLての苦難の確伏期を脱Lて成年に達Lたことを象徴している︒穀 ま 霊が成長し豊穣を生み出す資格を身につけるという神語的意味をもっている︒妻寛ぎ︵妻争い︶が成年式儀礼の一. 環であり︑その最終的遇程であることは︑オホクニヌシ︑の黄泉国訪問講その他多くの民俗的伝承の分析によって確. 認されている︒ωまた︑歌垣︵かがひ︶への参加も︑成年に達した男女の成員の資格を得るためとその公認のため. の行事であったことも﹃常陸国風土記﹄の記事その他で充分推測される︒王の物語においては︑妻寛ぎは豊穣を生. み出す聖婚である︒前掲諸天皇の物語もみた聖婚講を具えている︒それは︑シビ物語がヲケ物語に繕合させられて いる理由を照射している︒. 二に︑歌垣においてシビに侮辱されたヲケが兄オケと語らって︑天皇家の権威に匹敵するケの勢威を誇る平群氏. を自ら軍を興Lて︑滅ぽすことは︑前述の雄略と同様に下巻という近き代に天皇が新たに身に付けたケの次元にお. つくo. ける超越的威力を示すものである︒それ故に︑ここでばシビが主人公でなげれぱならないのであって︑影媛であっ てはならないのである︒. 三 ヘグリの周辺的構造 北けうらoすくね. 平群氏についての伝えは︑記では孝元天皇の系譜の条に︑建内宿彌の子平群都久宿爾を祖とするとあるのが初出. である︒他にはこのシビ物語のみである︒今平群氏について云々したのは︑その氏族的盛衰の史実を検して︑シビ.
(9) 89. 物語の事実と記載の原因を想定しようとするのではない︒シビ物語の穣造論として注意すべき点は︑氏ではなく︑ ヘグリという地名の負う王権の空間におけるその構造的意味である︒ なかつくに. 王権の落臨するこの地上の中心は︑王権の所在地たる犬和であることは︑初代君主神武の東遷によって明らかで. ある︒王権空間としてのこの地上︑中国は︑天孫降臨神話や神武東遷伝承でも語られるように︑王権の中心地大和. とそれを敢りまく周辺たる諸国という構造に整序されており︑中央たる大和はまたそれ自身を︑飛鳥という皇居の. 地である平地を中心︵ケ︶として︑その周辺たる葛城・吉野・泊瀬などの山地︵ハレ︶によって成り立っている︒. 周辺はケたる中央に聖なる超常的諸力︵善・悪ともに含有する︶を送り込んだり︑引き受けたりするハレの空間1−. 他界として機能する︒つまり︑中国はマクロからミクロに至るあらゆるレベルの空聞において︑王権の霊威によっ て︑入れ子式の祭儀的空間として整序され聖化されているのである︒㈲ 書のくにの. みや?﹄. 5づひ二. 平群も︑大和というミクロの空間においては︑蔦城と同様周辺を構成するものではないだろうか︒そこで前掲の. キまLたかげひ め. 姶祖伝承に立ち戻ってみる︒建内宿爾は︑孝元天皇の子であり︑その母は木国︵紀の国︶造の祖である宇豆比古の 妹山下影日売であると伝える︒. 紀の国は︑オホナムヂの根国訪問静では︑スサノヲの君臨する根の国へ赴く前にまず訪れるところである︒また︑. ・. ■. 垂仁記のホムチワケ伝承でも︑ホムチワケが出雲へ赴く際にまず紀の国の方へ赴くことになっている︒紀の国は︑. ●. ■. 垂直的にはこの地上の負なる諸力の淵源である根の国︵それ故にスサノヲが君臨する︶に直結し︑水平的にも負な. る出雲︵天孫降臨以前の地上の王オホクニヌシの本拠地︶に直結した領域であり︑正なる大和の周辺の象徴たる負 の国とLての構造的位置をもつ︒熊野という補武天皇遍歴の辺土も紀の国の内である︒. ウヅヒコもカゲヒメもその紀の国の国津神の霊威を負う始祖たるヒメヒコであることは︑その名が示している︒.
(10) 90. いつ したがって︑ヵゲヒメの孝元天皇への入輿は国魂を斎く巫女としての魂ふりであり︑その子タケウチノスクネも王 ■ 権の正統に列することのできない負なる霊魂を負う老として構造化されているはずである︒景行・応神・仁徳記に. ■. ●. よ. な躰ひと. わたって登場する彼の役割は︑王権の正統たるこれらの王たちを超常的な諸力の発揮によって補佐することであっ. い硅の. た︒負に淵源する霊の力が正を補強する︒﹁世の長人﹂︵記歌謡71︑大系本による︶と呼ばれている彼の超常的な長 ながえのそつぴ−﹂. 寿も紀の国の負の霊力によるものであろう︒. .. とおつおや. そのタヶウチノスクネの子が︑葛城の長江曾都毘古︵仁徳皇后磐之姫の父︶であり︑平群氏の祖平群都久宿爾で ■ あると記されているのである︒葛城は︑平地である飛鳥に対して葛城・金剛の山麓に位置し︑負の犬神オホクニヌ す邑みま シの子神アヂスキタカヒコネやコトシロヌシが皇孫たる天皇の近き守り神として鎮座する︵﹃出雲国造神賀詞﹄に. よる︶大和というミクロの王権空間における周辺をなす負の領域である︒㈹その負性は︑葛城氏の遠祖タケウチノ ● スクネによって負の周辺紀の国から大和という空聞のうちに移されたものなのである︒それは神武によって辺境日. 向から王権の正蛙が中央夫和へもたらされたのと︑全く同一の構造原理をもつものである︒葛域馬は紀の禺に由来. する祖タケゥチノスクネの霊威を受げ継いで王家の藩屏として存在する︒紀の国と葛城・タケウチノスクネと葛城 氏はこのように構造化されていると考えられる︒. 平群氏も葛城氏と同祖であり︑平群も葛城と同様に大和の平野の周辺をなす丘陵である︒しかも︑両地とも大和. 壮たみこも. L. う. づ. の日没する西方に位置することは︑マクロのレベルでの出雲とともに大きな意味があろう︒記歌謡31・91には︑. くまか. ﹁畳薦平群の山﹂と呼ばれている︒. これらの歌謡には︑同地の﹁立ち栄ゆる葉広熊白濤﹂︵記9ユ︶という寿歌的素材が歌われ︑またその葉を﹁髪奉. に挿せ﹂︵記31︶と植物による魂ふりの呪術的行為が歌われている︒一﹂のことから︑その地では古代におげる豊穣.
(11) 91. 息災の予祝儀礼としての春の山遊びの類が行なわれていたと考えられている︒ωそして︑そのような予祝儀礼が執. 行される山は︑非日常の次元︑他界を意味する神聖なる山でもある︒このことを考え合わせれば︑平群と平群氏も ■ 葛城と葛城氏の組合せと同じく︑ミクロの王権空間大和において負たる周辺の構造を有するものということができ. るであろう︒平群の山︵今の矢田丘陵︶と生駒山系の間の谷は︑古代においては︑長屋王の墓・行基の墓などが営 まれた墳墓の地でもあった︒. みやけ. つぶらoお僅み. 記雄略即位前の条には︑その蔦城氏の減亡が物語化されている︒雄略の兄安康を斬殺した目弱王は庇護を求めて つぷらお橿み からひ地 都夫良意富美の家に逃げ込んだ︒ツブラオホミは︑マヨワを追って攻めてきた雄略に娘詞良比売とともに蔦城︵割. たo. やつこ. み. こ. 注による︶の五つの屯宅を副えて奉る−﹂とを申し出ている︒雄略紀には︑﹁葛城円大臣﹂とあるので︑ツブラば葛. 5. ことあ. 城氏の首長とみてよい︒ツブラは︑ マヨワに臣節を立て︑﹁已れを特みて︑随の家に入り坐しし王子は︑死にても. 棄てじ︒﹂と言挙げして低抗し︑家宅とともに焼き減ぽされる︒かくしてタケウチノスクネ・ソツピコ以来の名門. 豪族葛城氏は滅びて葛城の屯倉は天皇家のものとたる︒雄略記には︑雄略が葛城の威力ある土地の大神;口主と通. 交する記事がある︒これは︑祭祀権をも収奪し︑名実ともに葛城を併合したことを語るものであろう︒ ■ 反逆老を擁して王権に刃向った悪は︑︑ミクロの王権空間に抱え・﹂んだ周辺の負を負う者として︑ミクロの王権空. 間を浄化するために払われるのである︒ヲケ物語の中に組み込まれたシビ物語に語られる平群氏の討滅も葛域氏の. 滅亡と対になって︑右のような意味を負うものと考えられる︒それを遂行したヲケは︑雄略と対をなす威力ある天. 皇として下巻を締め繰る︒それ故に︑ヲケの雄略陵破壊の物語が登場するのでもあろう︒ ■ 天皇一族のうちの反逆老の討減は︑中・下巻を通して語られ︑それぞれの反逆老の負う負の意味に多様性は見ら ■ れるものの︑王権が神代以来永遠にその超越性の一面として自ら担い続けなければならない負︵王権的字宙の浄化.
(12) 92. のため︶を負う霊威を示すものであった︒㈱王権はその正性︵穀霊としての豊穣保証︶を確保するために︑無限に︑. その中心においてこの世の悪を引き受げてそれを放射L続げるのである︒それとともに︑王権は自らの祭儀的霊能. さ. 珪かつくに. をもって︑この世のあらゆる悪を祓い続けなければならない︒それ故に皇族以外の地方豪族や中央豪族の反逆と討 減が語られる︒. 神代におげるオホクニヌシの国避りは︑神の代の垂直的な空聞構造の上において︑まず−﹂の地上中国のレベルの. ●. くまそ. 負が祓われたのである︒神武による大和征伐は意味的には神代に属する︒中巻においては︑ヤマトタケルによる人. のであったようである︒それは︑中巻におげる物部氏の遠祖ニギハヤヒノミコトの神武への服属に呼応するもので. ネは︑紀には︑﹁物部夫前宿爾﹂とあり︑神代以来と伝承される伴造系氏族である︸﹂とが知られる︒思うに︑そ ■ うした有史以前より続く家柄の伴造の臣従の在り方︑というより申央豪族として継承する正なる霊の顕現を語るも. ともoみやつ巳. し出した大前小前宿彌の臣の子としての忠誠を尽す在り方と対照化されたものとみられる︒オホマヘヲマヘノスク. おほまへをまへ. この構造性は︑一方に安康即位前の条の軽皇子の近親相姦事件の際に︑逃げ込んだカルノミコを捕えて安康にさ. ろう︒. て統一的に構造化されており︑シビ物語に語られる平群氏の減亡もその一環として機能されているとみるぺきであ. の穀神の来臨によってもたらされる・﹂とと照応するものであろう︒周辺豪族の討滅は︑・﹂のように︑記全体を通し. 浄化は︑かくの如くマクロからミクロヘ及んでくるが︑それは︑王権の聖たる正性がマクロ空間から︑ミクロ空間へ. 辺の負をなす葛城と平群︵これもいずれも西方に位置すること前述︶の討減が語られるのである︒王権による空間. ■. 次に下巻においては︑雄略と顕宗︵ヲケ︶による︑大和という水平的空間レベルの中央における︑ミクロの空間の周. の代の水平的なマクロの空間のレベルにおける周辺の負を在すいずれも西方に属する熊襲と出雲の征伐が語られる︒. ●.
(13) 93. あろう︒. 四魚の名の構造性. シビの名は︑何に由来するのだろうか︒ヘグリノシビなる人物は実在であったと考えてしまえば︑それで万事終. りなのだが︑たといそうであっても︑それを超えたある穣造的意図があるように恩われる︒. シビ物語・影媛物語の歌垣の歌謡で全く同一なのは︑前掲本文Dのみである︒−﹂の歌垣の一清景を叙した︑おそ. らく軽い都楡をこめた歌謡が︑一連の歌謡の中核とみなされたのではないか︒そこに︑﹁遊び来る鮪が端手に妻立. てり見ゆ﹂とある︒その表現するところが︑歌垣における対抗老が強引に女をおのれの傍らに引きつげた様子に相. 応しいと観じたのであろう︒シビの名が王子ヲケの名になる可能性はない︒その理由は後述するが︑そうであれば︑. シビはその対抗者の名になるのが︑物語の結構の上で最も自然である︒そうしたわけで︑主人公がシビとなった可. 能性がある︒魚の名のシビが主人公の名となれば︑それに配される女性の名も魚の名が採られることになる︒﹃記 おムを 伝﹄の指摘の如く︑本文Fの歌謡に︑﹁大魚よ﹂﹂とあるのによって︑大魚と名付げたものであろう︒. 魚の名を持つ複数の登場人物による魚の演技を伴ったかもLれない歌謡劇を原型として想定したのは前述の三谷. 論だが︑側そうした原型的存在却記の物語として存在理由には移項しない︒魚の名の複数の登場人物を持つ物語が 畠とりのおほきみ. 必要とされた理由があると考えねばならないだろう︒魚の名による歌謡劇と言われると直ちに想起されるのが︑鳥. の名による鳥の演技を伴った歌謡劇とつとに指摘されている︑仁徳記の女鳥王物語である︒女鳥王物語は︑オホサ. ザキノスメラミコト︵仁徳︶・ハヤブサワケノミコ・メトリノオホキミという三人の天皇一族の異母兄妹を登場人物. とする︒二羽の雄鳥が一羽の雌鳥を争うという妻争いのパターンによるものであり︑妻争いという点では︑シビ物.
(14) 94. 語と一致する︒また︑天皇・皇太予の王権の正統を継ぐ老が対立者を殺す点も同じであるが︑その対立老がメトリ. 物語は皇子でありシビ物語では臣下である点と︑ことわるまでもないが前者では皇族の対立老と女は鳥の名を持ち︑ ● 後老では臣下のそれは魚の名を持つ点である︒ついでに︑前老では︑反逆の主導権を握る考がメトリという女であ ■ るが︑ω後者ではシビという男で︑オフヲという女はいろどりにすぎない︒. 下巻では︑初めて王権の正統を継ぐ老へ正面から妻争いを挑んだ異端の老の謙薮が語られるが︑それがこの二つ. の物語である︒仁徳記は下巻冒頭の︑顕宗記は下巻最後の物語である︒それらの点を考え合せるとこの両老は︑皇 ●. 族︵鳥の名︶と臣下︵魚の名︶の王権の正統を継ぐ者への妻争いという形における反逆とその討減︑つまり王権内. 部の負の祓いと周辺におけるそれという意味を分けもつ対の物語ということになろう︒前者は皇族間のそれ故に下 巻冒頭に︑後老は臣下とそれであるために後に位置づけられたのであろう︒. 鳥あるいは鳥の名を持つ者は天津神の系列に属し︑魚あるいは魚の名を持つ老が国津神の系列に属するというの. ●. ●. は︑﹃古事記﹄の神話的構造論理であるらLい︒本源的に鳥は天に所属し︑魚は地と水平の水1−海に所属する︒故に︑. はた. ひろもの. さもの. あめみま. み. け. 鳥は王権の正統に奉仕する正なる存在であり︑魚は負の範醸に属するものである︒神代においては︑この論理によ 壮旨出 って鳥と魚の王権への奉仕の始源が語られる︒オホクニヌシのもとに高天原から使者として向う鳴女という名の あめoとoムねの. やたがらす. つ垣ポ. 薙・天鳥船神があり︑そして︑アメノウズメが全ての﹁鰭の広物︑鮨の狭物﹂を呼び集めて天孫への忠誠︑御食の やひろ 魚となることを誓約させたという話がある︒海神の娘トヨタマビメも八尋わにであった︒中巻では︑神武東征にお. ける天津神より遣わされた八悶烏・亀の背に乗った国津神サヲネツヒコ︑ホムチワケのあぎとひした白鳥.角鹿の い る か イザサワケノ大神がホムダノ皇子︵応神︶に奉った入鹿魚たどがある︒前二老は中巻でも神武即位前にあたり︑神. 代と同じく神的霊威を負う鳥や魚類を御する神そのものであるが︑後二者は神霊の潟依ではあっても︑あくまでも.
(15) 95. 動物としての鳥・魚そのものとLてしか存在しない︒その点が前二者との違いであり︑中巻の時代を象徴するよう に機能している︒. 下巻では︑見たように鳥も焦も動物そのものとしては王権に直接に奉仕しない︒両老は人の名となり︑人となっ ● たときは王権への忠誠を忘却し身を滅す︒そして︑身を滅すことで負を負い祓われて浄化を果たし︑王権への逆説. 的奉仕を遂行するのである︒人の代も下り︑近き代に至ると鳥と魚の奉仕も様変りしなければたらない︒そのよう. な語りによって王権の君臨する近き代の様相を象徴的に表現したのである︒メトリ物語とシビ物語は︑下巻におげ ● る鳥と魚を形代としての負の祓いによる浄化を意味するものとさえいえよう︒シビの名は蔑称という論もあるが︑. 右に見たようにω記全体の神話的構造論理によって魚の名とたったと考えられる︒その構造論理によったために︑ ま とり 紀と違って記では相手の女も﹁大魚﹂という名になり︑﹁真鳥﹂という名をもつシビの父親も登場しないのである︒. 五 ハレを超えるハレ. か が ひ 周知の如く︑古代における﹁歌垣︵擢歌会︶﹂とは︑﹃万葉集﹄﹃常陸因・肥前国風土記﹄などの文献や後世の民俗. 行事﹁春山入り﹂等の資料から︑春の農耕開始・秋の収穫の際に︑ある一定の場所で神を祭り︑共同体の全員の無. 病息災・繁栄・豊穣を予祝したり祝ったりするための農耕儀礼と推測されている︒国見・花見・若菜摘み・共同欽. くにひと. −﹂と︷ざ. つどひ. つまどひ. たから. 食・歌舞・性の解放等がその中に含まれている︒歌垣は︑特に男女が舞いつつ歌の掛け合いをする点に重きを置い 5らな た呼び名のようである︒その歌の掛け合いの勝敗によって豊作も占われたらしいし︑男女の結合も決められた︒ むすめ. ﹃常陸国風土記﹄筑波郡の筑波岳の擢歌会についての記事に︑﹁俗の諺にいはく︑筑波峯の会に鰐の財を得ざ. れば︑児女とせずといへり︒﹂とあって︑未婚の娘がその機会に結婚の約束の証しを手に入れて婿を見つけてくる.
(16) 96. ことが︑重要な呪術的ともいえる意味があったらしいことが知られる︒未婚の男女が歌の功徳によって非日常のハ. レの場で新たな繕合を得るのは︑やはり目常性の破壊超克であり︑その霊力によって豊作が実現されるはずであっ. た︒その聖たる結合が日常を再生する霊的力をもたらす故に奨励され︑逆に不首尾が厳Lく罰せられたのである︒. そLて︑未婚男女の場合は︑ハレの場での関係が祝福されるべき関係としてケの次元において公認される︒ あ. まじ. 一方性の解放による目常的性関係の破壌には︑﹃万葉集﹄巻九・一七五九番﹁筑波嶺に登りて擢歌会をする日に. 作る歌一首﹂の題をもつ虫麿歌集所出歌に︑﹁人妻に吾も交はらむあが妻に他杢言問へ﹂とあるのによっても明ら. かなように︑日常のレベルでは厳しく戒められている姦通と見なされる性の結合があった︒ハレの場における非日. 常的性関係こそ豊饒を保証するものであれば︑むLろこれが奨励されるのは当然であろう︒. ハレの時空では︑日常︵ケ︶とは異なる新たな創造︑日常性の破壌を意味する行為がなされるのは︑ケと峻別す. ることでハレの呪的活力を強化し︑その儀礼的目的の実現を図ろうとする故であるが︑歌垣での歌謡の表現にも︑. その論理は適用される︒歌の掛げ合いで勝負するため︑そこには非日常的た誇張︑どぎついからかい︑露骨な悪口. がふんだんに盛り込まれ︑相手を言い負かそうとする︒煩墳な例を挙げるのはこの際遠慮するが︑古代歌謡にも多. くの例が指摘されている︒⑫したがって︑歌垣の歌謡におげる︑そうLた公然たる悪口雑言に托した反権力的言動. さえもハレの時空故に許されねばならないし︑それ故に﹁反秩序的な権力の下落を通じて︑目常生活を支える秩序. の活力の復活が計られたと考えることは無理がないであろう︒﹂㈹ということが承認されるだろう︒. さて︑シビ物語をそうした歌垣というハレの時空における論理にてらしてみると︑まずシピの行動と言動は全て. これに従って非の打ちどころがない︒歌垣の場で未だ相手の定まっていない未婚の娘に言い寄るのは︑当然のこと. である︒競争老がいれぱ︑歌の掛げ合いを挑み︑勝てば娘をわがものとすることができる︒彼はそのルールに従お.
(17) 97. うとしているのみである︒ただその競争相手がこの場合︑次期皇位継承有資格者であったのだが︑それは歌垣のハ. レの性格にてらせば無関係であるはずであった︒ハレの次元は︑日常の次元の関係は否定されている︒この際︑そ. の娘にヲケが﹁婚はむとしたまふ﹂というのは︑紀のように歌垣以前のことと解する必要もあるまい︒たといそう. であっても︑歌垣には姦通罪は適応されない︒娘に対して︑臣下シビも皇子ヲケも平等であるのが︑歌垣のしきた りである︒シビの無礼は成り立たたい︒. しかし︑﹁婚はむとしたまふ﹂という叙述の重みがこ−﹂できいてくる︒前述のメトリ物語でも︑天皇が求婚した. 女を寝取ったところに反逆が成立している︒天皇の宗教的呪術的霊威を構成Lている一半には︑広範な領域の国魂. をそれに斎く諸豪族の首長の姉妹・娘に着けて奉献させるという服属儀礼が存在したことは今さら云々する必要は. あるまい︒天皇の求婚した女は︑そうした巫女としての意味を付与される︒その女を横取りしようとするのは︑天. 皇の神聖な宗教的権能への犯しであり︑その犯しには厳しい報いがあることは︑記紀の多くの物語の伝えるところ. でもある︒シビの無礼︑悪はここにある︒王権の超越性を支える神聖な宗教的呪術的意志の発動たるヲケの求婚を. 妨げたので︑その罪は最も重く死に値いするわげである︒シビは歌垣の論理に従ったまでである︒共同体の繁栄に. つながった民俗としてのハレの論理によった善なるシビが王権のハレの論理では悪に逆転するのである︒それは︑ 王権のハレの論理が民俗とLてのハレの論理に優先したということだ︒. 古代王権の論理が古代の民俗祭祀の論理に支えられ︑それを敷術することで成り立っていることは︑その宮廷祭. 儀が農村におげる農耕儀礼の肥大化であることによってすでに解明されており︑蜘大局的には疑問の余地がない︒. 薪嘗祭とその特殊化された大嘗祭が農村における新嘗を基盤にしていることなど︑顕薯な例であろう︒王権伝承も. また︑民間伝承のパターソと構造をなぞることで成り立っている︒天孫降臨神話などは︑風土記響に散見する他界.
(18) から現世に来臨する神の伝承を基盤とLていることも確認される︒したがって︑古代王権は︑おのれのハレの論理. と民俗のハレの論理とを両立させることで︑存続可能であったし︑その伝承の普遍性︑換一一一目すれぱ呪縛性も有効で ある︒. ところがその限りでは︑王権の権威はあくまでも相対的である︒多数のキ︑ミの存在によって相対化されたオホギ. ミにすぎない︒王権の絶対化を希求する王権は︑おのれのハレの論理以外の類似のそれの存在を否定する︒それは. 政か的間題とからんでいたはずである︒たとえば︑鉦明望国歌︵万葉巻一・二︶にみられるように︑天皇はその一. 身において農耕的漁業的豊穣を保証する国見を執行するようになる︒国見儀礼の統合が意図されている︒そうなる. と︑首長たちは︑それぞれにおいて豊穣を保証する必要度が希薄になってくる︒彼らにそれを必要としなくなった. 制度は︑おそらく大化の改新による公地公民であろう︒それが決定的であったろう︒そのとき王のみが国土豊穣儀. 礼を執行すればよい︒王権はそのようにして次第にハレの祭祀を一手に収奪し集約しおのれのハレの論理を唯一絶. 対化していったにちがいない︒それが王権の新たな冠絶する趨越性の獲得でもあった︒. し. き. あがた邊L. 記下巻は︑そうした歴史的段階の時期を象徴的に先取りしたものではないか︒すでにその一例として︑仁徳にお. げる王の機能の在り様は説いたのでそれに譲るが︑㈲他に雄略の条に︑雄略が河内に出かけた際︑志幾の大県主の. 家を見て︑その堅︒鮎を上げ天皇の宮殿に似せて造築された様に怒り︑その家を焼かせようとしたことなども一例と. いえるだろう︒神杜建築様のハレの様式は︑現人神である天皇だけのものなのである︒近き代の新Lき王権はおの. れのハレの論理に低触する他のハレの論理︑おのれのハレの論理に構造化し得ない固有のハレの論理を容認しない のである︒. シビ物語における王権の論理の優越も︑こうした下巻の様相に適うものである︒そのことを語るために︑ヲケ物.
(19) 99. 語の中に歌垣にからんだ妻争い謹が組み込まれたのである︒その仕組みの故に︑歌垣の論理に従えぱ善と認定され. るべきシビの行為が悪に逆転するのであった︒善である悪を語らねばならなかったのである︒それぱ新しき王権の. 論理が生み出した仕掛けなのである︒三谷論の説く如く︑たしかにヲケは歌垣の論理を尺度とすれぼ大悪人であろ. う︒Lかし︑歌垣の論理を超える王権の論理が︑﹁婚はむとしたまふ﹂という表現を通じて呈示されている以上︑. ここでは彼は新しき王権の穣造が要求した新Lき論理を体現した善なる英雄的天皇像である︒大悪人故をもって彼. ハレを解体するケ. が英雄となるのではない︒前述のようにヲケ物語全体の構造を通して彼は英雄的天皇たり得ているのである︒. 六. ひるがえって考えてみるに︑王権のハレの論理が歌垣のハレの論理を超える以上︑ヲケは歌垣の場に立つ必要は. なさそうである︒しかし︑ヲケは立った︒王権のハレの論理は︑民俗のハレの論理を否定するものではない︒両者. は通底していなければならぬ︒彼が歌垣の場に立つという物語の設定は︑王権の超越性の開示のために必要なので ある︒. 歌垣の場に立った以上ヲケはシビと歌をもって争わねばならないが︑王権の論理の優越がシビとの対等の争いを. 拒否させずにはおかない︒対筆に争っては︑王権の論理と歌垣の論理が等価となる︒守部以来︑記紀のこの物語に. おける歌謡の配列には何らかの錯簡があるとして︑これらの歌謡を問答の意が通じ易いように並べかえるという試. みがなされている︒㈹シビ物語においても︑問答相応じているのは︑冒頭のA・Bのみである︸﹂とから︑−﹂うした. 疑閲と解決の試みが当然と恩われる節がある︒だがもし︑前述のように歌垣において対等に争うことが王権の優越. 性を損なうものであるならば︑まともに勝負することはないだろう︒ヲケの答歌は全てシビの歌い掛けに対する肩.
(20) 100. すかし︑はぐらかしである︒特にD・FはC・Eに対して全く応じてはいない︒一方的にシビヘのからかいに終始. しているのは︑そこに原因があるだろう︒ヲケのはぐらかしによって︑シビのヲケヘの悪口もまた一方的にエスカ. レートする︒同時にそれは無視されることによって︑歌垣の論理からはずれ浮き上がって︑日常的な次元での悪口. に転化したのではないか︒そのようなものに転化させるのが王権の仕掛げなのでぱたいか︒. 前章で見たように︑歌垣における権力・体制への悪口は︑ケの次元におけるそれとは異たり︑逆に日常でのそれ. に活力をもたらすものとして許容されたものであった︒呪的論理火よって記号の逆転が認められていたのである︒ .. ■. ところが︑歌垣においてシピが歌に托Lた王権への悪口は︑そのままケの次元における王権への悪口︑誹謹に横す べりしたのである︒記号の逆転はなく︑負がそのまま負とされた︒. 前述のように︑シビを悪とさせる力の一端は︑ハレを超えようとする王権のハレの論理の作用であった︒その上. さらに︑王権は︑ケの次元において獲得した超越的権威︑言い換えればケの権威をも︑民俗のハレの次元にまかり. 通らせようとするのであゑ王権はハレの超越性のみならずケの超越性をも合わせもつ︒実はそこに︑新しい王権. の両義性が存したのであるが︑その二つの超越性をもって︑民俗のレベルにおげるハレとケの二元世界を躁願し︑. そのことでおのれの両義的超越性を開示しようとするのである︒視点を変えれば︑王権にとっては王権のハレ以外. は全てケであるかのようである︒ここに︑王権によるハレの収奪がうかがえよう︒おそらく︑ケにおける趨越的権 威の保持が︑ハレにおげる超越性の維持に不可欠であったのではなかろうか︒. ﹁凡そ朝廷の人等は︑旦は朝廷に参赴き︑昼は志毘の門に集へり﹂とヲケ・オケが言ったことによって︑シビの. 歌垣における悪口︑すなわち皇子と対等の態度をとったその拠り所が︑日常の次元における天皇家と対等の権勢に. あることを示していると考えられる︒ケの次元に権勢を誇っての無礼と受けとるのである︒それが王権の論理たの.
(21) である︒ハレの行動をケの論理で裁断する︒それが王権の力なのである︒そのためにシビは謙殺されねばならない︒. そして︑シビは寝込みを襲われて死ぬ︒だまし討ち︑不意討ちも王権的力の発現であった︒神武・雄路・ヤマト. タケルらは︑そのような行動によって超越的霊威を獲得し︑それによって前二着は即位し︑後老は成年になった︒ ヶにおける力の獲得であった︒ヲケもシビとの争いを通遇して即位するわけである︒. 彼らにたぱかられ︑不意討ちにあう者たち︑ツチグモヤソタケル・イチノベオシハ.イヅモタケルらは︑たしか ● に王権秩序の地平におげる周辺的負を負う悪であった︒そして︑彼らはみな祝祭的ハレの場において︑殺薮される︒. 負も重層している︒. ●. のとして王権的地平から払われる︒彼らは古代におげる前近代という負を負う︒㈹シビの周辺的負には︑そうした. ●. ︵ケを破壊し超越性を獲得するのがハレであった︶王権の出現によって︑彼らは王権の近代を理解しない過去のも. 彼らは︑民俗的ハレの論理を信じて疑わなかった︒ところが︑逆にそのハレを破壊することで超越性を獲得する. 101. い. が︑オシハのことばをそのように受け取らせたものであろうが︑オシハは︑狩という聖なる祝祭的な場において自. オシハは履中の子で皇位継承右資格老とLては雄略と対等であろう︒そうした王権内部のケの勢力的拮抗の危機感. るのかよくわからないが︑おそらく︑早く出てこいというのを︑だまし討ちの陥葬に誘うものととったのであろう︒. ふべし︒﹂というように︑受げ取られることによって︑討たれる︒オシハの−﹂とばのどこが︑﹁うたて物言ふ﹂に当. 曙げぬ︒狩庭に幸でますべし︒﹂ということばを︑﹁うたて物言う皇子ぞ︒故︑慎しみたまふべ﹂︒亦御身を堅めたま. あ. タケル︑ヤマトタケルにおけるイヅそタケルは︑強引なハレそのものを無視する理不尽た力によって討たれた︒し き かし︑イチノベオシハは︑雄略の狩の場への出立をうながした︑﹁未だ覚め坐さざるか︒早く白すべし︒夜は既に. だが︑中巻における不意討ちと下巻におげるそれとは少Lく位相を異にしているようである︒神武におけるヤソ. ■.
(22) 102. 分と獲物を競う主人役の雄略の狩におけるファイトをうながしただけであろう︒相手をそうして誘うのも︑狩り場. の儀礼に適っていたのではないか︒このように︑中巻と違うのはハレの言動・行為に対するハレ性を認めないケの. 次元の論理によるケのものとする解釈が述べられていることである︒中巻にはケの力によるハレの躁願に示される. 王権の超越性が述べられている︒ハレはハレとして破壊される︑むしろハレだからだまし討ちが可能なのだが︑下. 近き代の王権の時空−. 巻には王権のケの超越性が王権以外のハレの論理を解体させる力が示されている︒中巻において示された暴力の論 理的裏づげにもなるものであろう︒. 七 むすびに. ヲケ物語は︑﹃古事記﹄下巻の樟尾を飾る︑近き代における王権の超越的霊威を語る天皇の死と再生譲であった︒. それは︑記全体の天皇謹の構造の有機的結尾として機能Lていた︒シピ物語は︑その一環として次期君主が即位を ■ 前にしてケの次元におげる周辺的負を払い空聞の浄化を執行し︑その行為によって霊性を獲得する成年式におげる. 試練謹的な意味を負うものであった︒そして︑歌垣の場は︑民俗的ハレの場で公認された対等の男としての妻争い. が否定されることで︑王権のハレが民俗的ハレを超越することが示されるために︑設定された︒さらにそこでは︑. ついでに王権のケの次元におげる超越的な力を発揮する不意討ちと︑そのケの趨越的な力が民衆のハレを意味的に. 解体し無効にしてLまうことが語られていた︒このことで︑下巻に語られるべき王権の近代の新しい神聖なる超越. 性の位相性が示されるのである︒その位相性によって︑王権はケの時間をもおのれの歴史とするのである︒. 王権は宗教的呪術的密儀を執行することで︑その超越的霊威を獲得し︑その霊威でもって﹁今﹂の窒閻を覆い整. 序して︑王権の聖なる空間と化した︒そして︑その儀礼を繰り返し執行することで﹁今﹂を積み重ねてケの時間を.
(23) 103. ハレの始源に回帰させてきた︒蝸その秘蹟の語りが神話であり︑神話的語りのパターンであった︒それが王権の空. 間支配の記号であった︒㈲しかし︑ケの時間はケの次元に厳として存在する︒王権は︑天皇が神でありながらケに. 落臨するため人の形姿をもっていることでも判明する如く︑ケの次元の時空に存在しなげればならない︒繰り返さ. れない歴史的時間にも在り続けることの秘蹟を語るために︑パターソを貫きながらそこに位相性を設げたのであっ. た︒勘シビ物語の下巻の物語としての位相性は︑こうして設定されていた︒それは︑五章で推測したように︑ハレ. においてもその宗教的権能の絶対的趨越性を保持し︑ケにおいてもその政治的権能の絶体的超越性をあわせ獲得L. 七﹂と. まつリごと. ようとした王権の新しい時代を乗り切ろうとする要請にまさに見合ったものと考えられる︒律令期の天皇は︑持統. たかみくら. をすくに. 前紀の皇后が﹁言︑政事に及びて︵天武天皇を︶砒げ補ふ所多し﹂という記事や奈良朝の宣命で明らかなように︑. ﹁天つ目嗣の高御座﹂にあるという宗教的機能と﹁食国天の下の政事﹂を執るという政治的権能の二つが一身に集. 中した存在であった︒そこに律令制の神砥官・太政官という二つの官制の頂点に君臨した天皇の両義性が示されて. いるといえよう︒記下巻の天皇たちの物語は︑そのことと多く照応しており︑律令期の天皇の在り様の意味を象徴. ⑤に同じ︒. 都倉﹁古代王権の国土とその継承Ol﹃古事記﹄の構造に関連して1﹂﹃早稲田商学﹄二九二号︒. 山折哲嬢﹁目本神話におげる成年式儀礼﹂﹃講座目本の神話7目本神話と祭祀﹄有精堂︒. 都倉﹁読む﹃応神記・仁徳記﹄﹂﹃日本文学﹄八二年三月︒. 西郷信綱・安永寿麺・岡田精司・山折哲雄・古橋信孝らの諸論考︒. 関りにおいて把えようとしている︒. 古橋信孝﹁古代詩論の方法試論・その2﹂﹃文学史研究2﹄は︑﹁志毘臣物語﹂ではなく︑﹁影媛物語﹂ を王権の構造との. 的神話的に開示する構造をもつものと考えられる︒凶 注ω. (6)(5)(4)(3)(2).
(24) 104. 西郷信綱・山口昌男・盲橋信泰の諸論考︒都倉①﹁倭建命﹂﹃高等学校国語科教育研究議座7﹄有繕堂︑﹁景行天皇と倭建. 土橋寛﹃古代歌謡全注釈古事記編﹄二二九頁︑その他︒. 都倉﹁古代王権の国土とその継承H﹂﹃早稲田商学﹄二八六号と㈲に同じ︒. 西郷信繍﹁犬嘗祭の構造﹂﹃古事記研究﹄. 岡田繕司﹁夫化前代の服属儀礼と新嘗﹂﹃古代王権の祭祀と神話﹄. ⑧の①②③④に同じ︒. 橘守都﹃稜威言別﹄︑ωの三七六頁︒. ③に同じ︒. 三品彰英・堀一郎・西郷信綱・岡田精司・松前健らの諸論考︒. ⑨に同じ︒. 土橋寛の諸著作︒. 中西進﹁古事記抄−潜寧記以後−﹂﹃論集上代文学第七冊﹄笠問書院︒. ⑧の②に同じ︒. 三谷邦明﹁歌垣の歌︵清寧記︶﹂﹃古代の文学−記紀歌謡﹄早犬出版部︒. 本毘売物語論﹂﹃日本文学﹄七九年九月④﹁スサノヲとヤマトタケル﹂﹃早稲田商挙﹄二九〇号︒. 命﹂﹃講座目本の神話6古代の英雄﹄有精堂②﹁女鳥王物語論﹂﹃日本文挙研究資料叢書古事記・日本書紀皿﹄有精堂③﹁沙. (8)(7). ⑱⑰㈱鯛⑭(1今⑫(1⑩(1◎(9〕 ③に同じ︒. ⑧の④に同じ︒. ⑳⑳⑲.
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