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現地研究
「台湾・台北」報告書
2012 年 6 月 23 日~26 日
1 Ⅰ.現地研究の目的 「台湾・台北の歴史・文化・社会・経済の理解」 Ⅱ.実施日時 2012 年 06 月 23 日(土)~26 日(火) 集合.成田空港 6 月 23 日(土)08:30 成田空港第 1 ターミナル4階南ウイング エバー航空チェックインカウンター 解散.成田空港 6 月 26 日(火)19:10 到着、解散 Ⅲ.行程 スケジュール 8:30 成田空港第1ターミナル4階南ウイング「エバー航空」 チェックイン カウンター前 10:30 成田空港発 BR195 13:05 桃園国際空港着【 法大大学 様 御一行 】※ガイド 熊綺琴 15時到着 ホテルチェックイン 15:30~18:00 台北駅周辺散策(各自) 夕食(各自) 9:00 ホテル出発 総統府(車窓)、二二八和平紀念館、中正紀念堂 昼食 忠烈祠 14:30~17:30 故宮博物院 18:00~20:00 士林夜市(夕食 各自) 剣潭駅周辺集合バスでホテルへ 朝食(ホテル) 9:00 ホテル出発 10:30~11:30 新竹市役所 連絡電話:03-5263425 龍 様 昼食 13:30~15:00 新竹サイエンスパーク ①新竹サイエンスパーク管理局の見学(スクラップを中心) ②「探索館」という展示センターの見学(新竹科学工業園区) 連絡電話:03-577-3311(2223)陳 様 16:30~18:00 台北101 18:30 ホテル 夕食(各自) 朝食(ホテル)のち自由行動 11:30 ホテル集合、専用車にて空港へ 14:50 桃園国際空港発 BR196 19:10 成田空港着 解散 6/23 (土) 6/24 (日) 6/25 (月) 6/26 (火)
2 Ⅳ.参加者 学生 20 人 + 教員 1 人 + 助手 1 人 =22 人 教員:伊藤達也(ITO TATSUYA) 補助員:盧 娜(RU NA) 学生: 数見卓樹 KAZUMI TAKAKI 3 年 男 根本卓也 NEMOTO TAKUYA 3 年 男 田村勇樹 TAMURA YUKI 3 年 男 岡 義祥 OKA YOSHITADA 3 年 男 瀬田哲平 SETA TEPPEI 3 年 男 平原直樹 HIRAHARA NAOKI 3 年 男 佐々木宥斗 SASAKI YUTO 2 年 男 稲村航平 INAMURA KOUHEI 2 年 男 赤崎 淳 AKASAKI JUN 2 年 男 山田遼太郎 YAMADA RYOTARO 2 年 男 大庭桃子 OBA MOMOKO 4 年 女 水落香織 MIZUOCHI KAORI 4 年 女 花井香澄 HANAI KAZUMI 3 年 女 福士実咲 FUKUSHI MISAKI 3 年 女 大橋礼菜 OHASHI REINA 3 年 女 土屋桃子 TSUCHIYA MOMOKO 3 年 女 村上万帆 MURAKAMI MAHO 3 年 女 蜂谷麻由 HACHIYA MAYU 2 年 女 安藤 愛 ANDO MANAMI 2 年 女 古川優希 FURUKAWA YUKI 2 年 女
3 Ⅴ.予習とレポートの課題 1.予習 台湾に関する文献を最低 1 冊(可能な限り複数)読んでくること 2.レポートの課題 テーマ・題名:台湾現地研究日記 原稿枚数:4,000 字程度 体 裁:A4 縦(横書き 40×35) 4 枚程度 パソコン使用が原則 写真、図表は歓迎するが、枚数には含まない。「~である」調で書くこと 締 切:7 月 27 日(金)17:00 ワードで作成し、添付で送付 [email protected] Ⅵ.参考文献 ・日中国交正常化 - 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)、服部 龍二、 2011 ・「親日」台湾の幻想 (扶桑社新書) 、酒井 亨、2010 ・台湾に生きている「日本」 (祥伝社新書 149) 、片倉 佳史、2009 ・台湾 したたかな隣人 (集英社新書) 、酒井 亨、2006 ・哈日族 -なぜ日本が好きなのか (光文社新書) 、酒井 亨、2004 ・台湾総統列伝―米中関係の裏面史 (中公新書ラクレ)、本田 善彦、2004 ・台湾―変容し躊躇するアイデンティティ (ちくま新書) 、若林 正丈、2001 ・知っていそうで知らない台湾―日本を嫌わない隣人たち (平凡社新書)、杉江 弘充、 2001 ・台湾の選択―両岸問題とアジアの未来 (平凡社新書) 、ト 照彦、2000 ・台湾革命 ―緊迫!台湾海峡の 21 世紀 (集英社新書) 、柳本 通彦、2000 ・街道をゆく (40) (朝日文芸文庫) 、司馬 遼太郎、1997 ・台湾―四百年の歴史と展望 (中公新書) 、伊藤 潔、1993
4 Ⅶ.
学生レポート
1.09b4229 水落香織 台湾現地研究日記 1. はじめに 今回の現地研究において、台湾の日常に触れ、特にコンビニやファーストフードなど 屋台など台湾独自に進化、発展していることに興味を持った。そこで台湾の喫茶店やカ フェ、コンビニ、屋台から台湾の食事情ついて考察することを今回の目的とする。 2. 喫茶店・カフェ 日本で見られるチェーン店ではスターバックスの他、ドトールなども出店していた。 特にスターバックスは、台北市のいたるところにあり、よくその姿を見かけた。雰囲気、 内装も日本と変わらずおしゃれな感じである。売店に置いてあるタンプラ―は台湾限定 のもので台北 101 の絵が書いてあった。多分、スターバックス全体で決められた規則に よるものと思われる。値段は、ドリップコーヒー(アイスコーヒー)が 1 杯約 90 元(約 270 円)で日本では 340 円で販売している。サイズは日本では、ショート・トール・グ ランデ・ベンティーの 4 種類揃えているが台湾では小・中・大の 3 種類でまた、オリジ ナルメニューとして日本で言う「抹茶クリームフラペチーノ」(トール・470 円)の上 に小豆がのった台湾オリジナルメニューがあり、中サイズが 150 元(約 450 円)で売られ ていた。ドリンクのメニュー数は日本より少なめで、値段は多少安い程度でさほど日本 と変わらなかった。メニューを自分の好みに変えることのできるカスタマイズを行って いる人は少なかったが、台湾の方は豆乳が好きなようで牛乳から豆乳に変更している人 は多くいた。また、台湾では元々コーヒーをそのまま飲む文化が無かったためにまだ、 台北など大都市以外でコーヒーを飲むと、砂糖とクリームがあらかじめ入ったものが出 てくる事があるので注意しなければいけない。 台北市内だけでも喫茶店の数は多く、日本のようにいたるところに自動販売機がない ため、皆喫茶店などを利用するのではないかと感じた。初日に行った西門町には日式(秋 葉原式)のメイド喫茶や漫画喫茶もあった。漫画喫茶はデパートの最上階にあり、利用 した限り日本の漫画喫茶と色々な面で異なっている印象を受けた。普通のレストランの ようにドリンクやパスタなどのフードを頼み何時間も漫画を読んだり、勉強したり、く つろげるスペースであった。1 時間~円のような料金設定ではなかったため、皆時間を 気にせずくつろいでいた。漫画の種類は 6~7 割は中国語訳された日本の漫画であり、 日本の漫画人気を肌で感じることができた。そこで注文した、ストロベリーシェイクの 元値は 175 元でセール中のため 100 元(300 円)であった。夜市などで売っている、ミル クティーなどは約 40 元(120 円)くらいで売られているので少し高めであり、店内の客5 の入りは 2 割程度で空いていた。しかし、味やスペース利用のことを考えると値段相応、 それ以上であり、日本にあったらぜひ行きたいそんな場所であった。他にもネコが大量 にたむろする「猫喫茶」などの看板も見受けられ、日本の文化が広く浸透している印象 を受けた。 サイズ自体が大きく日本で言う M サイズが S、L サイズが M という感じに1サイズ違 った。日本で言う S サイズというものは存在しない。気候が温暖なだけに水分摂取量も 多いのかと感じた。牛乳とフルーツなどをミックスしたフレーバー牛乳のようなものが 非常に豊富であり味、種類ともにクオリティーが高かった。そのため、台北牛乳大王な ど牛乳フルーツなどの加えた、フレーバー牛乳の店舗が非常に多く、台北市街でいたる とことにあった。 3. コンビニ まず、コンビニに入ると何ともいえないむっと鼻を突く臭いがした。これはおでんで はなく茶葉蛋というゆで卵の一種でウーロン茶の味付けたまごでだいたいレジの横に 鍋や炊飯ジャーに入って売っていた。烏龍茶で味付けし、臭いの元は紅茶と八角である。 おにぎりはご飯の種類の違うらしく(ガイドさんのお話参考)、水分が若干少ないよう で海苔がきちんとご飯に付かず海苔が1〜2割程度残った。味は日本と比べてさほど違 和感は無いが、日本みたいにふわっとではなく、ぎゅっと握り固めたという感じであっ た。また日本人の大半が愛してやまないだろうツナマヨネーズや明太子、鮭、筋子など の具材のものは全くない。中の具は牛肉のそぼろや「法式鶏排」という韓国式辛みチキ ンなど肉系の具材が主流だった。牛肉のそぼろのおにぎりの味は普通に美味しかった。 中国や韓国では「冷や飯」として敬遠されがちなおにぎりであるため、日本と比べコン ビニに売っているおにぎりの数は圧倒的に少ない。昼間はともかく、夜には、台北市内 のコンビニでも平均で 1~2 個しか置いていなかった。また夜遅くまで夜市も開いてお り温かいものを求め、そちらで皆食事をする人が多いからだと考えられる。 サンドイッチはおおよそ 35 元~75 元(115 円~215 円)が平均的な値段で日本のコン ビニものより 100 円~200 円くらい安く、あまり売れないようで平均で 3~4 個しかい 置いていない。具の量は非常に少なく、あるコンビニのハムサンドイッチの具は薄焼き 卵1枚とハム1枚だけであり、なぜか塗られているソースは甘い生クリームで何とも言 えぬ不思議な味がした。種類はこれまた、「日式豚排」(カツサンド)、「法式鶏排」 (韓国式辛みチキン)、ハムサンドなど、肉を使用したものが多く卵サンドやツナサン ド、ミックスサンド等の日本のコンビニの定番商品は店頭にはほとんど並んでいなかっ た。 弁当類も排鶏飯(ご飯の上に鶏肉をのせたもの)や新国民弁当と書かれているものな どが 1~2 種類ほどしかなく、充実していなかった。 コンビニで売っていた冷たいお茶には甘味料が入っている場合が多かった。お茶の名
6 産国と思えないほどギャップを感じた。「御茶園」という緑茶は甘くなく、日本人にも おすすめである。「無糖」と表示されているもの選んで買わなければいけない。加糖の 可能性の高さは表記無し>無糖>日式という順番だが、日式でも甘いことはあるので注 意は必要である。心配な時は、日本の商品も置いてあるので、少々値段は台湾製のもの より少々高いがそちらを買った方がよい。また、台湾の方は牛乳好きらしく、いろんな フレーバーの牛乳を売っていた。さらにそれにお茶が加えた商品も置いてあった。紫芋 牛乳茶、西瓜牛乳、マンゴー牛乳などが常備品であり、特にプリン牛乳とパパイヤ牛乳 は実際に飲んでみたが、非常に美味しかった。そして、ミルクティーは何種類も置いて あり、味ともにクオリティーが高かった。また、プラスチックの容器に入った 2 リット ルの牛乳が売っており、日本との牛乳の消費量の差を肌で感じた。水のペットボトルは 600ml が主流で、セブンイレブンの PB 商品が 600ml、台湾メーカー製のアップルソーダ は 630ml だった。 ホットスナックは肉まん、野菜まん、あんまんなどの部類のものは充実していたが、 フライドチキンなどの揚げ物類は全く置いていなかった。多分屋台で売っているためそ ちらで買うためであると考えられる。台湾は、屋台が充実している分日本のようにコン ビニに頼らなくても良い場合が多く、そのため飲み物類以外の品揃えが薄いような印象 を受けた。 4.ファーストフード 麦當労(マクドナルド)や摩斯漢堡(モスバーガー)、潛水艇三明治(サブウェイ)、 サイゼリアなど日本でもおなじみのファストフードの店が多々あった。ちなみに「三明 治」はサンドイッチという意味である。マクドナルドのハンバーガーは 30 元(90 円)、 フィッシュバーガーは 125 元(375 円)と日本と同じくらいかむしろ高かった。モスバー ガーの看板の色は日本ではほぼ緑に統一されているが台湾では赤色であった。また朝は、 店頭に店員が立ち、4 種類からなるサンドイッチとドリンクのセットが約 55 元(165 円) を販売していた。日本のモスバーガーではサンドイッチのセットはなく、ハンバーガー、 チーズ野菜バーガー等の商品とドリンクのセットを 270 円~390 円で販売しているので、 台湾の方が割安な印象を受けた。また、景徳基 (ケンタッキーフライドチキン)やミス タードーナツもあった。ケンタッキーのフライドチキンは見た限り大きさが日本のより かなり大きく、食べてはいないが店内に漂う匂いは日本と変わりなかったので味はほぼ 同じと考えられる。また、台湾オリジナルメニューもあった。そのほかにも、吉野家や らーめん花月なども出店していた。西門町にあったらーめん花月は、長蛇の列ができて おり非常に繁盛していた。 5.屋台 台湾の方は外食が好きらしく、朝は家で食べず屋台で食べる習慣があり、朝からお粥、
7 サンドイッチ、おにぎりなどの軽食などを売る屋台が駅や市場の周辺、商店街などで営 業していた。昼も同じような場所で屋台が出ていた。それだけに屋台は人々の生活に密 着した存在となっている印象を受けた。夕方以降から深夜にかけては夜市の屋台が登場 し、路面全体が歩行者天国に変わっていた。これらの屋台の中には、麺類、揚げ物、炒 め物、スープ、カットフルーツ、ジュースから日本のたこ焼き、黑輪(おでん)、どら焼 き、泡泡氷(かき氷)、刺身、寿司など多様な食品を提供するところもあれば、衣料品や 雑貨を売る店もあった。地元民だけでなく、海外からの観光客にも人気が高く、日本以 外にも中国からの観光客も多く見受けられた。 日本人だと分かってぼられる感じはなく、むしろ値引いてくれたり量をサービスして くれた。実際に行った台北駅の近くにある「寧夏夜市」で、ある屋台の店員のおじさん は気を良くし、サービスをしすぎて、合計の飲食代がってしまい計算できなくなってし まったほどである。寧夏夜市で 1 番美味しかったのはこのお店の「排肉飯」という豚の 角煮と筍を一緒に煮込んだものを白飯の上にかけたものであり、味は日本で食べる角煮 と変わらず、煮汁がご飯にしみて絶品で、値段は 45 元(135 円)で値段以上の価値を感 じた。この夜市は、食べ物の屋台中心で地元の人が中心に利用しているような印象を受 けた。北台湾最大規模の台北市士林地区の「士林夜市」は寧夏夜市と比べ、食べ物以外 にも衣料品、雑貨も充実しており、どちらかというと観光者や若者向けな印象を受けた。 地下街の美食市場内は、臭豆腐という豆腐を野菜などの酵素で発酵させた液に漬けた食 べ物の強烈な臭いが充満していた。また屋台で注意する点について、屋台で売っている 食べ物、特に揚げ物類などは非常に辛い場合が多いので、辛いものが苦手な場合は、あ らかじめ「ノースパイシー」と伝えておくこと必要である。八角やパクチーなどの癖の 強い香辛料も多く使用されている場合も多いため、苦手な方は注文する前に抜いてもら うように頼む必要がある。衛生状態があまりいいとは言えないので、おなかの弱い方は 自分の食べれる物をよく見極めて、食べたほうがよい。ということ学んだ。 6.まとめ 「日式」という文字が街の至る所に見られ、日本の文化が浸透しているという印象を 受けた。しかしそのように書いてあったとしても、全てが日本と一緒でなく台湾の文化 と融合し独自の発展を遂げていた点や屋台が発達しているために、コンビニの品揃えが 日本と少し異なっていた点が非常に興味深かった。今回は台北市を中心にしか実際に観 ることができなったが、今度台湾に行く機会があったならば、さらに別の地域の食文化 にも触れてみたい。 参考文献
・Starbucks Coffee Japan ホームページ ・Mc Donald`s Japan ホームページ ・光文社新書 「哈日族 なぜ日本が好きなのか」 酒井亨 ・ウィキペディア
8 2.10B4005 数見卓樹 台湾現地研究日記 1 日目 昨年の韓国に続いて海外現地研究の台湾だったが、成田空港への朝の集合時間が昨年 より早かった。さらに私にはお金がなく、本来成田エクスプレス 1 本で行けるところを、 鈍行の列車(乗り換え 2 回)で行かなければならなかった。出発前日に現地で行きたい ところをリストアップして必ず行こうと考えていたが、飛行機に乗る頃には目標がホテ ルでゆっくり寝ることになってしまっていた。 しかし機内で 20 分ほど寝ただけで回復し、無事に桃園国際空港に到着した。テンシ ョンが上がってきたところで、伊藤先生から台湾の喫煙に関する単純明快なルールを聞 かされることになった。そのルールは、公共の場所や商業施設等で室内であればすべて 禁煙というものである。単純で分かりやすいのだが、ホテルが禁煙というのは非常に苦 しい。 空港からホテルに行くまでのバスからの風景は、極めて日本に近いということを感じ た。現代の日本よりは古い建物が多く開発しているところも多いように思えたが、街並 みや建物が狭いところにも建っているあたりは日本にそっくりである。 ホテルは非常に綺麗で、ところどころに中国らしさが感じられる物が置いてあった。 日本にいたときにネットで見た口コミからはあまりいい印象を受けなかったが、想像し ていたよりも遥かに綺麗なホテルであった。ホテルにチェックインしたあとは、個人的 に日本を飛び立つ前から目的としていた九份(ジェンフェン)へ行きたいと思い、3 年 生のメンバーに声をかけてみると、思いの外全員が行きたいと言い出してしまった。み んなが九份までついてきてくれるのは嬉しかったが、距離があるので全員連れていくの は不可能である。 ホテルを出て九份へ行く前にコンビニへ行き台湾到着後初のビールを飲んだ。 TAIWAN-BEER と書かれた緑のラベルのビールは、米のような匂いがして、新潟特産こし ひかりビールのような味であった。その後少し街を歩いたが、バイクが大量に止められ ているせいで歩道の道幅が狭く、人通りも非常に多いためすぐにはぐれてしまった。そ のとき私を含めて 5 人だったのでこのメンバーで九份へ向かうことにした。 九份まで行くには、台北駅から電車で 40 分とバスで 20 分かかる。台北駅へ行き切符 を購入した。切符売り場でどうしたらいいか分からず少し迷ったが、漢字で書かれてい るので英語よりも意味はわかりやすく、すぐに買うことができた。平原君は切符売り場 であたふたしていたが、日本語がしゃべれる台湾人のおじいさんが話しかけてきてくれ たため、無事に切符を購入することができた。 ホームに向かい「自強号」という特急のような電車に乗ろうとしたが、駅員に止めら れた。自強号の切符を買ってちょうど来た電車に乗ることが出来そうだったのに乗れず、
9 たどり着けるのか不安になった。ちなみに後から分かったのだが乗ろうとしていた自強 号は九份の最寄りの駅に止まらない電車であった。駅員は優しく、かなり流暢な英語で そのことを説明してくれたが、流暢すぎてあまり理解できず結局 3 回ほど乗ろうとして 止められることになった。ようやく乗ることができた電車でも、案内は現地の言葉の車 内放送のみ。しかし台湾には優しい人が多く。私たちが辺りを見回しているとすぐに助 けてくれた。そしてどうにか九份の最寄駅である「瑞芳駅」に到着した。 瑞芳駅の周辺は、東京の郊外の小さな駅のような風景であった。3〜5 階建て程度の 建物が多く、アパートや飲食店が並んでいる。バスに乗ると私たちが日本人ということ に運転手が気づいたようで、バスに乗りながら九份までの車窓を案内してくれた。バス のスピードを緩めたりして、景色について説明してくれたりと、運転手は非常に親切で 気さくな人だった。現地の言葉だったので何を言っているかわからなかったが、15 元 の運賃でガイドをしてくれるのは非常に嬉しかった。九份へ向かって山を登ると山の向 こうには海が広がっており運転手が「ここが台北で 1 番の景色だ」と言っているのはな んとなく理解することができた。 そしてついに九份に到着。九份に着いて衝撃的だったのは人がものすごく多いことで ある。日本人が多く、台北の中心からやや離れていながらも観光地としては有名なよう だった。九份で有名なのは、「千と千尋の神隠し」の舞台になったという提灯だらけの 景色である。この場所は特に人が多く、来る人が皆写真を撮影していた。 九份は素晴らしい景色がありとても感動したが、それよりも九份に来るまでにたくさ んの人に助けられたことが印象的であった。台湾の人の優しさ、心のゆとりは日本の人 にはなかなか無いものである。 帰りはタクシーの運転手に「1000 元でホテルまで乗っけてあげるよ」と言われたの で乗ったが、後々考えると少しぼったくられていた。この時ばかりは海外であることを 忘れていた気がする。 九份の山から見た海の風景 九份の提灯
10 2 日目 2 日目は台北市内観光ということで、台北市の文化的・歴史的な施設を回った。この 日の行程は朝 9 時から中正記念堂、二二八和平公園、忠烈祠、故宮博物院、士林夜市で ある。 まず、バスの中からの見物のみだったが、台湾総督府を見た。台湾では日本の植民地 時代の総督府がそのまま残され、現在は中華民国総督府として使用されている。昨年行 った韓国も日本が占領していたため朝鮮総督府があったが、現在は撤去されている。ど ちらも元植民地の国(地域)だが、このあたりには国民感情の違いが現れていると考え られる。 その後バスが到着したのは、中正記念堂だ。この中正とは蒋介石の本名である。蒋介 石は中華民国の初代総統で、大陸支配を没した人物である。中正記念堂はその蒋介石の 死後、記念館として建設されたものである。内部には蒋介石の座像などがある。 中正記念堂を出て、次は二二八和平公園へ向かった。この公園がある場所は 1947 年 の二二八事件の際に中心地のひとつであった。その後の 1996 年に、二二八事件で犠牲 になった台湾住民への追悼の意を込め、二二八和平公園という名前に改称された。二二 八和平公園の中には二二八紀念館があり、二二八事件とその前後の歴史が記されている。 日本の支配についても最初に触れられており、常に支配されながら発展し、現在実質独 立している台湾の過去を知ることができる。 この日の昼食は、ニューヨークタイムズで世界のレストランランキングトップ 10 に 入ったことがあるという名店であった。席は食堂のような簡素なものだったが、出てく る食べ物は全てがものすごく美味しい。今まで食べたものの中で 1 番美味しいかもしれ ないほどだった。 次に向かったのは忠烈祠だ。国のために戦った兵士を祭っているもので、1969 年に 建てられた。建物は非常に美しく、まず大きな門に圧倒される。ここでの一番の見どこ ろは、衛兵交代である。それまで全く動きを見せなかった衛兵たちが、1時間ごとに揃 った動きで交代する姿から、周囲はそれまでよりも張り詰めた空気になる。 この日は目的地が多い。次に向かったのは故宮博物院であった。ここでは、アジアに 関連する様々な品物を所蔵している。ガイドさんの話では 1 年に 1 度だけ展示品が入れ 替わり、すべての所蔵品を見るためには 20 年かかるとのことであった。 故宮博物院を出ると、この日最後の目的地である士林夜市に到着した。士林夜市は台 北でも最大級の夜市で、夕方頃になると人で溢れかえる。地元の人が非常に多いが、日 本人観光客も多少居るため、小さな店でも簡単な日本語をしゃべれる人がいることが多 い。私は臭豆腐の臭いが苦手なのであまり歩く気にはならなかったが、様々な店が軒を 連ねており、誰でも楽しめる。
11 3 日目 3 日目は、新竹市政府表敬訪問、サイエンスパーク見学、台北 101 の順に回っていっ た。 まず新竹市の表敬訪問を行なった。新竹市政府の方々は我々学生相手にも真剣に対応 してくれた。発展中の市とあって開発も十分にすすめられている様子だった。現在は、 観光等様々な方向から地域を魅力的にしているようだ。新竹市については今後また行っ てみたいと思う。 次に向かったのは新竹サイエンスパークである。ハイテク産業の集積地として有名で、 台湾にあるサイエンスパークの中で最も早く出来た、最大の集積地になっている。バス で向かったが、高速道路のすぐ地区に作られており港や空港も近いとのことで、台湾経 済の発展に大きく貢献している。見学への対応も素晴らしく、非常に気持ちよくサイエ ンスパークについて知ることができた。 その後向かった台北 101 は台湾の発展の象徴としてふさわしいものだった。屋上に上 がれなかったことだけが残念である。 4 日目 最終日は特に行程はなく帰るだけである。台湾も楽しかったが日本の食事が恋しかっ たので、帰れることは正直嬉しいと思えた。フロントに集合すると、伊藤先生が現地の 旅行会社の方からパイナップルケーキを人数分頂いていた。お土産用のパイナップルケ ーキで決して安いものではないのに、いただけたのは非常に嬉しいと思えた。空港まで の道のりではガイドさんが国民から見た台湾の歴史を語ってくれたおかげで、もう一度 台湾の現在の立ち位置を考え直すことができた。経済的にも豊かで国民も大陸中国と違 ったことを考えているために独立が最も有効な道のように見えるが、そうはいかないと いうことなど、もっとも重要な話が聞けたと思う。 最後に台湾で助けていただいた方々に感謝を述べたい。交通機関などで様々な人に助 けてもらったおかげで、なんとか無事に帰ることができた。
12 3.10B4035 根本卓也 現地研究「台湾」レポート テーマ:台湾現地研究日記と筆者の体験をもとにした台湾と中国の比較 はじめに 筆者は 6 月 23 日から 26 日にかけて行われた台湾現地研究に参加した。他方、筆者は 以前在籍していた大学で中国東北部における八日間の海外研修である「中国遼寧省・河 北省の都市と文化遺産」(以下、中国巡検)という巡検に参加した経験がある。中国と台 湾は地理的な近さや歴史的経緯から文化面などで似ている面があると考えられるが、政 治的な立場は大きく違う。そこで、本レポートでは、今回の現地研究での体験と中国巡 検での体験を比較し、中国と台湾との間にある共通点や相違点を考える。第一章では台 湾現地研究で筆者が体験したことを述べ、第二章では中国巡検の詳細を述べて、第三章 で両者の比較をする。ただし、文字数の都合上、第一章では見学先に関する内容など他 の学生とほとんど変わらないような部分は省略した。 第一章 台湾現地研究体験報告 一日目 筆者は6時に家を発ち、成田空港について飛行機に乗り込み日本を後にした。飛行機 は桃園空港に着陸し、無事に台湾へ到着した。入国手続きが終わった後、空港でトイレ に入ったが、残念ながら TOTO などの日本メーカー製ではなかった。このトイレ休憩の 際、巡検参加者が皆トイレの外にスーツケースを置いていたが、男子の側はきちんと荷 物を見ている人が誰かしら立っていたものの、女子の側には誰も荷物を見張っていない ように思えた。いくら治安のいい台湾といえども、やはり人の出入りの多い空港では油 断をしてはならず、海外では荷物の管理に細心の注意を払うべきである。 その後、空港から出てバスに乗り込んでホテルのある台北市中心街へと向かった。ホ テルにチェックインした後は相部屋になった友人と台北市屈指の繁華街である西門へ 行き、ホテル近くの地下街で夕食をとった。 二日目 8 時過ぎにホテルで朝食をとった後、総統府や二二八平和祈念館などを訪れた。二二 八平和祈念館では台湾育ちの日本人で台湾の二二八事件を実際に見届けたというご老 人の話を聞くことが出来た。その後、故宮博物館を訪れ、士林夜市に行った。夜市の地 下街で夕食をとったが、連れの友人 3 名が大騒ぎして通行人の台湾人の注目を浴びてし まい非常に恥ずかしい思いをした。 三日目 9 時にホテルを出発し、新竹市政府で新竹市に関する話を伺った。いくつか質問した いことがあったが、表敬訪問であり時間もあまりなくすべて質問できたわけではなかっ
13 た。新竹のサイエンスパークでは日本の工業製品の中にも台湾製品が多く使われている ことを知り、台湾工業が躍進しつつあることを知った。台北 101 では台北市を一望でき たが、台北市でもよく整備されている市街地とそうでない市街地があることが展望台か らうかがえた。 四日目 午前中は自由行動であるものの、筆者はなれない気候や脂っこい台湾料理で体調があ まりよくなかったためホテルで安静にし、朝食は近所のスーパーで軽食を購入した。そ の後、ホテルを後にして桃園空港に行き日本への帰路に就いた。 第二章 中国巡検 概要 この巡検は国士舘大学文学部 史学地理学科 地理・環境専攻が 4~5 年に一度開催す る海外巡検の一つであり、法政大学の地理学科とは異なり単位には加算されないものの、 希望者が参加して海外の巡検先についての知識や理解を深めるものである。今回は「中 国遼寧省・河北省の都市と文化遺産」というテーマのもと、中国の歴史や文化に対して 理解を深めるのを目的として中国東北部を八日間で回り、大連・瀋陽・秦皇島・承徳・ 北京の 5 つの都市を訪れた。引率教員が文化地理学の教授ということもあって見学先は 主に中国の文化遺産で、日本人は滅多に訪れないが当然中国人は多くいるという場所を 巡った。筆者はこの巡検で、中国の歴史や文化の根底にあるものを垣間見ることが出来 たと同時に、中国現地に行くことで中国社会が孕む格差や都市問題なども間近に見るこ とが出来た。 一日目 2010 年 9 月 6 日月曜日、筆者を含む 4 名の学部生と 1 名の院生そして引率教員 1 名 の合計 6 名の参加者は、11 時 30 分に成田空港出発ロビーに集合し、13 時 20 分の便で 中国東北部の都市大連へと旅立った。16 時 35 分に大連空港に到着し、中国有数の貿易 港大連港を見学した。その後、中山広場を見学した。中山広場は日本統治時代の建物が 集中している地区を見ることができる公園で、周りにある日本統治時代の建物は現在主 に銀行などに使われている。中山広場を散策していた際、草むらの中に蓋が開いたまま 放置されているマンホールがあり、危険だと感じたと同時に中国の「おおらかさ」も実 感した。その後、最初の宿泊ホテルである渤海明珠酒店にチェックインしたが、夕食は ホテルでとらずに市内の有名レストラン「大地春餅店」でとった。 二日目 6 時 30 分という早さでホテル周辺や天津街、旧ロシア人街を散策した。天津街は高 層マンションが何棟も林立し、早朝で準備中ではあったもののショッピングモールのよ うな商店街があり、日本にあっても違和感のないレベルで都市が発達していることがう かがえた。旧ロシア人街では観光客は見当たらずに朝の散歩をする住民が多く見かけら
14 れ、露店も準備中であった。旧ロシア人街のメインストリートにあたる大通りは観光客 向けに煌びやかに整備されていたが、一歩裏道に入ると舗装もトイレすらもない悪臭た ちこめる低級住宅街が広がっていて、人目に付く場所のみ取り繕ってあることが分かっ た。先述の商店街と比較しても、中国社会に歴然と存在する日本では考えられないよう な格差を目の当たりにし、衝撃を覚えた。 その後、ホテルに戻ってホテルの最上階にあるレストランで食事をとり、大連市 100 周年を記念して造られた星海広場を見学した。その後、外国語大学に相当する大連外語 学院を訪れ、現地の学生 4 名と昼食を共にして交流を深めた。この大連外語学院の学生 は日本語を専攻していて、簡単な日本語なら話せていた。なぜ日本語を専攻しているの かと筆者が尋ねると、ほとんどの学生が日本の漫画やアニメに興味があって日本語を学 んでいると答えていて、日本のコンテンツ産業が世界でも広く受け入れられていること がうかがえた。他には、日本の伝統文化や日本食などへの関心が理由として挙げられて いた。また、星海広場から大連外語学院までタクシーで移動したが、その時の運転の粗 さには非常に驚かされた。その後、旅順市を見学し、中には当然入れないものの旅順軍 港を間近で見て、日露戦争の激戦地である二〇三景区を見学し、ホテルへと戻った。 三日目 2 泊した大連市を離れ、8 時の列車で瀋陽まで移動した。列車はボックス席形式で、 備え付けの消火器は日本のものと異なり緑色の塗装であった。12 時に瀋陽に到着し、 ホテルの金都飯店にチェックインした。日中は徒歩と交通機関を使って中国皇帝と皇后 の陵墓である北陵公園や清朝の離宮として造られた瀋陽故宮、瀋陽屈指の繁華街である 中街などを見学した。18 時 30 分に市内の人気店で夕食をとり、市内のスーパーを見学 し買物をした。スパーでは持ち物は万引き防止のためにすべて入口に設置されているカ ウンターに預けなければならならず、そこまでしなくてはならないほど中国では万引き が横行しているのかと考えさせられた。 四日目 日本の新幹線にあたる超高速鉄道に乗り 9 時に瀋陽を発ち、山海関に移動して有数の 城郭である天下第一関を見学した(図 1)。この関は壮大な城壁であるものの、各点にあ る関所内には土産品店が入っていて、関所の櫓に上るには入場料が必須であった。城の 中庭には筆者は利用しなかったがラクダや馬に乗れるサービスがあった。13 時に万里 の長城の東の果てであり海を臨む砦である老竜頭を見学した。海からの侵攻を意識して か複雑な造りになっていたが、海側にはジェットスキーなどのサービスがあり、ここで も観光地化されているようであった。その後秦皇島へ移動し、14 時 30 分にホテルの国 際飯店にチェックインし市内を見学した。 五日目 7 時 30 分に専用車で北載河へ移動し、屈指の高級ビーチである鴿子窩景区と老虎石 水上公園を見学し、承徳へと向かった。道中、少数民族の自治県を通過しトイレ休憩し
15 たが、この時水洗式ではなく垂れ流し式のトイレを使うことになり、ここでも中国社会 の格差を痛感した。その後、16 時に承徳に到着し、チベット仏教の様式で建立された 寺院である普陀宗乗之廟を見学し、ホテルの雲山飯店に移動して夕食した。 六日目 7 時 50 分から同じくチベット仏教の寺院である外八廟と今にも倒れそうな奇岩のあ る磬錘峰風景区(図 2)を巡った。その後、承徳市最大の見どころである避暑山荘を見学 した。ここは中国皇帝が離宮として建造したものであるが、公園は広く林や池が広がり 風光明媚な場所で、非常に気持ちのいい場所であり筆者ももう一度訪れたい場所だと感 じた。その後、18 時 30 分にホテルに戻って夕食をとった。 七日目 7 時 30 分に承徳を出発し、いわゆる「万里の長城」である金山嶺長城風景区へと到 着した。長城を散策しているとき、カタコトの日本語で話しかけ勝手についていては頼 みもしないのに長城を案内する老婆がいた。断片的な情報からどうやら内モンゴル出身 のようだったが、観光客を相手に土産物を売りつける出稼ぎ労働者だと見て取れた。筆 者は何も買わずに離れたが、ここでも中国の経済格差が影を落としているのだろうと感 じた。12 時 50 分に北京市につき、五つ星ホテルである京倫飯店にチェックインした。 最終日 14 時 30 分まで自由行動だったので筆者は中国国際貿易大厦など北京市内の高級ショ ッピングセンターを巡った。中国といえどもやはり高級ショッピングセンターであるの で、物価は日本の高級ブランド店と大差はなかった。中国の首都である北京ともなると 日本の銀座のような高級ブランド商店街と変わりはなく、中国経済の躍進を目の当たり にした。そして 17 時 25 分の便で日本へと出発し、21 時 50 分に羽田空港へ到着して解 散となった。 第三章 中国と台湾の比較 以下に筆者が中国巡検と台湾現地研究を体験して気が付いた点を列挙していく。 中国と台湾で大きく違いがあると実感した点は交通に関してである。特に信号を守る かどうかは大きく異なり、中国では信号は全く守られず車が歩道にまで走ってくる始末 だったが、台湾ではたまにスクーターが歩道を走るのが散見される以外は整然と自動車 が車道を走り信号も歩行者と自動車双方が守っていた。路面に関しても、中国は道の舗 装が剥げているところがいくつもありバスに乗っていると筆者でも宙に浮くくらいガ タガタと走っていたが、台湾では少なくとも大通りでは路面が整備されていた。また、 道路を走る自動車に関しては、具体的に数えていないものの台湾では日本メーカーの自 動車や二輪車が見られたのに対し、中国では北京市や大連市で見かけられたもののその 他では見かけることはまれであった。 筆者の持ち物に関しては、中国巡検では東北部の都市を転々と移動するために引率の
16 教授の指導で少し大きい程度のバッグを選び移動時の機動性を重視したのに対し、台湾 では3泊すべて同一のホテルに滞在するため機動性は重視せず土産物などを詰め込む ためにスーツケースを選んだ。 小売店に関しては、台湾と中国双方でケンタッキー・フライドチキンやスターバック ス・コーヒーなどの大手外資系のチェーン店を見ることが出来、海外の有名チェーン店 が進出するほどに中国や台湾の経済が成長しているとうかがえる。大連市にもコンビニ エンスストアはあり、レジに液晶のタッチパネルが導入されているなど日本と比べても 遜色ない設備だったが、アイスクリームの蓋が開いていたり、クッキーのような商品の パッケージに穴が開いているなど、台湾よりも商品の管理が甘いように見えた。台湾と 中国の双方でレジ袋は有料であった。スーパーについては中国では先述のように荷物を 預けるなど非常に厳重な警戒態勢だったが、台湾では日本のように普通に持ち込み可能 であり、治安や犯罪率の差が如実に出ていた。 中国と台湾で変わらなかった点でもっとも実感したのはトイレであった。北京の京倫 飯店は五つ星ホテルだが、それでもトイレにトイレットペーパーを捨てるためのごみ箱 が設置されていて、紙を流すと詰まる仕様だった。台北でもホテルや空港のトイレにま でごみ箱が設置されていて紙は流せない使用だった。また、水道水も蛇口から出る水は 直接飲めず、部屋にミネラルウォーターが備えられている点は変わらなかった。 台湾になく中国にある点として、天安門広場や避暑山荘のような広大な世界遺産は島 国の台湾になく大陸国家で歴史も深い中国特有のものだと感じた。 台湾にあり中国にない点として、日本人が安心して旅行できるという点である。台湾 現地研究では夜市など夜に雑踏へと訪れることが多かったのに犯罪に巻き込まれそう になるということが皆無であった。日本ほどと言えるかは議論の余地があるものの少な くとも中国よりは治安がいいといえる。日本語の通じる商店も多く、日本人にとって最 も歩きやすい国一つだといっても過言ではない。 あとがき 文末になるが、中国巡検に関する資料参考の許可や写真を提供していただいたことに ついて中国巡検の引率教員である国士舘大学の内田順文先生に深く感謝の意を表する。 参考文献 国士舘大学地理・環境専攻 HP 内 「中国遼寧省・河北省の都市と文化遺産」報告書 (http://bungakubu.kokushikan.ac.jp/chiri/HPphoto/201009China/newpage2.html)
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図 1 天下第一関とラクダ(中国巡検引率教員撮影)
18 4.10B4132 田村勇樹 台湾現地研究日記 去る 2012 年 6 月 23 日(土)から3泊4日の日程において,法政大学文学部地理学科 主催の現地研究に参加した。その行程を振り返りながら,4日間における見聞の記録を 本レポートにまとめることとしたい。 Ⅰ 1 日目:2012/6/23(Sat) (1) 集合まで 成田空港第 1 旅客ターミナル南ウイングエバー航空カウンターに 8:30 に集合であっ た。京成電鉄の誇る「スカイライナー」に押され気味となっている「成田エクスプレス」 を応援するため,当初は大宮 6:21 発の「成田エクスプレス 7 号」に乗車する予定であ った。しかしながら,大宮までの鉄道路線(JR 高崎線)が貨物列車の人身事故に伴う 運転見合わせおよび遅延のため,急きょ予定を変更し,京成上野から「スカイライナー 7 号」に乗車した(写真 1)。この列車は 2010 年 7 月 17 日に開業して話題となった「成田スカイ アクセス線(愛称)」を経由し,京成上野から成 田空港までをわずか 47 分で結んでいる。従来の 京成電鉄本線経由に比べ,距離・時間がともに 大幅に短縮されている(図 1)。北総線の印旛日 本医大駅から空港第 2 ビルまでを千葉ニュータ ウン内を通り延伸する形で開業した同線である が,新規開業した唯一の駅である成田湯川に停 車する列車が日中においても約 40 分に 1 本とい う程度であるため,千葉ニュータ ウンの発展に寄与しているか否か については明確でない。 成田空港(駅)には定刻 8:19 に 到着した後,改札・セキュリティ エリアを通過し,集合場所へ。出 発ロビー階に到着したときにちょ うど集合時刻となってしまい,僅 差での伊藤先生に「遅い」と言わ せてしまうこととなった。 写真 1 京成上野駅に停車中のスカ イライナー7 号(京成 AE 型) 図 1 成田スカイアクセス線概略図 (出典:Wikipedia)
19 (2) 成田国際空港~機内 搭乗した便は成田国際空港発桃園国際空港行きの BR(エバー航空)195 便,使用機材 は A330-200 であった。搭乗手続きおよび出 国審査を経て,搭乗ゲートへと向かう。その 途中,レートは良くないと言われていたが, どうしても現地に着いたときに当該国の通 貨を所持していないと気が済まない性分と いうこともあり,覚悟をした上で 1 万円分だ け両替をしてしまった。数時間後,確かにレ ートは良くないことが判明した。32 番ゲート に到着すると,機材はすでにブリッジに接続 されていた。搭乗開始を待って,機内へと入 る。エコノミークラスの座席は 2-4-2 の配列 であった。ほぼ定刻に離陸し,約 3 時間 30 分 の空の旅の始まりである。なお,冬季は上空 の偏西風が強まる影響で所要時間は約 4 時間 となる。 離陸して数分,座席ベルト着用サインが消 灯し機内サービスが始まった。驚いたのはト レーにハーゲンダッツアイスクリームが載っ ていたことである。成田-桃園線は複数の航空 会社(エバー航空,チャイナエアライン,デ ルタ航空,日本航空,全日空,キャセイパシフィック航空,ユナイテッド航空:順不同) が競合する路線であり,小さなことだがリピーター獲得に有利に働くかもしれないと感 じた。 (3) 桃園国際空港~宿舎到着 ほぼ定刻通りに桃園国際空港に到着した。 入国審査,預けた荷物のピックアップを済ま せ,追加で 2 万円を台湾元に両替した後に現 地ガイドの方と合流しバスへと向かう。2006 年に訪れたときの空港の光景がフラッシュバ ックし,どこか懐かしさを覚えた。桃園国際 空港は 1979 年の開港以来,バスを含めた自動 車以外のアクセス手段を持たない。現在,2013 写真 2 駐機中の BR195 便 写真 3 提供された機内食 写真 4 建設中の MRT 路線
20 年の開業を目指して MRT 路線の建設が行われている(写真 4)。この工事は日本の建設 会社 3 社が合同で入札したことで知られている。日本と中華民国台湾のつながりを改め て感じることができた。 空港を出発してから約 1 時間,台北市内にある宿舎に到着した。なお,今回の現地研 究において滞在した宿舎は「福君海悦大飯店(英名:フォーチュンハイアットホテル)」 である。 (4) 西門町 宿舎を出て,「台北の原宿」と言われている西門町の視察に出た。西門町は旧台北城 の西門の外側に位置するため,日本統治時代に現在の町名が付けられたという。さまざ まな店舗が立ち並び,衣類や雑貨をはじめとして, 欲しいものは何でも手に入るという印象であっ た。また,現地の若者がアベックやグループで連 れ立って歩いている姿も多く見かけた。このよう な光景を見ると,先進国の光景と何ら変わらない という印象を受ける。また,ここ西門町が確かに 「台北の原宿」なのだと感じることができた。宿 舎への帰りはひどいスコールに遭遇したため, タクシーを利用した。所要時間は約 10 分,運賃 は 100 元。初乗り 710 円の東京と比較すると,圧倒的な低運賃であった。 Ⅱ 2 日目:2012/6/24(Sun) (1) 台北市内観光 観光旅行ではないけれど,台北の社会経済を学ぶには史跡や名所を訪れて歴史を学ば なければならない。そこで 2 日目はさまざまな観光スポットを訪れた。 ① 台湾(中華民国)総統府 中華民国の元首である総統の官邸である。休 日であったため(平日の午前中は無料で内部見 学が可能とのこと)か,下車見学はせずに車窓 からの見学であった。 ② 中正紀念堂 2006 年にも訪れたが,中正が中華民国の初代 写真 5 西門町の光景 写真 7 台湾総統府
21 総統である蒋介石の本名であるということは知らなかった。この中正紀念堂は,1975 年に死去した蒋介石に対する哀悼の意を表すことを目的として建設された施設である。 総敷地面積はおよそ 25 万㎡であり,敷地内には「環境教育植物生態歩道」と題された 広場などもあり,複合的な施設となっている。併設されている展示室には,蒋介石にま つわる品が数多く展示されており,執務室の再現もされている。そこに掲げてある地図 には,現在の中華人民共和国の領土も含めた中国全土が描かれていることが大変印象的 であった。 ③ 二二八和平公園 1947 年 2 月 28 日に発生した二二八事件で犠牲となった台湾住民を追悼するために建 立された「二二八和平紀念碑」や,事件に関わる多くの資料が展示されている「台北二 二八和平紀念館」がある。また,この日も多くの地元の方々が運動や遊びを楽しむ姿が 見られた。都市のど真ん中にありながらも,多くの緑とふれあえる,憩いのスポットと なっているように見受けられた。 ≪二二八事件とは≫ 国民党支配下の台湾における,外省人と本省人(台湾人)との 衝突によって生じた大規模な流血事件。民主化が進む李登輝 体制下で真相究明のための再審査が行われ,1992 年 2 月には 膨大な調査報告書が作成されて李総統自ら遺族を弔った。47 年2 月 27 日,台北市内の夜市で,複数の警官がヤミたばこ密 売の女性を横暴に摘発しようとして市民との間に混乱が生じ, 警官の威嚇発砲が原因で1 人の市民が死亡,これに抗議する デモが翌28 日,台北,基隆を始め全国に拡大した。当時の行 写真 9 執務室内の地図 写真 8 蒋介石 写真 10 二二八和平公園の光景
22 政長官・陳儀らは抗議に立ち上がった市民を徹底的に弾圧したため,2 万人以上とされる死者が発生し, 外省人,特に国民党指導層への台湾民衆の心理的反発は決定的となった。事件後45 年にして台湾民衆の心 理的な傷がいやされたことは,台湾の将来にとっても重要な展開といえる。 (国 際教養大学学長・中嶋嶺雄氏の文章による) ④ 昼食 世界 10 大レストランの内の一つ,鼎泰豊(ディンタイフォン)での小龍包料理がこ の日の昼食であった。どのガイドブックを見ても行列 を覚悟する必要があると書かれていたが,早めの到着 であったため,あまり待ち時間はなかった。名物の小 龍包は皮を箸で破ってはじめにスープを味わい,続い て葱をのせて残りを楽しむという食べ方をすること を学んだ。それに加え,海老蒸し餃子や炒飯などをい ただき,非常に満足した昼食となった。また,富山県 滑川市のロータリークラブのツアーの方々と遭遇し, 恥かしながら「滑川」という地名を初めて聞くこととなった。 ⑤ 忠烈祠(ちゅうれつし) 衛兵交代の儀式で有名な忠烈祠を訪れた。ここは政 府が国家の祭典を行い,忠義の精神を表彰し,国のた めに殉難した烈士を追悼するところである。1945 年 第二次世界大戦終戦後,植民地時代の日本の神道信仰 の痕跡をなくすため名称を「護国神社」から「忠烈祠」 と改められた。現在の忠烈祠は1969 年に故宮の大和 殿を模して建設されたものである。 衛兵交代の儀式は 1 時間ごとに行われ,この衛 兵たちは陸・海・空軍から選び抜かれたエリート だそうである。交代時以外はじっと佇んでおり, 微動だにしない。本当に人間なのか,実は人形な のではないかと疑わしくもなるが,とめどなく滴 り落ちる汗を見て,確かに人間であることを確か められた。多くの観光客が衛兵や交代の儀式を見 届けていたところから,立派な観光資源になって 写真 11 鼎泰豊の小龍包 写真 12 忠烈祠の正面 写真 13 行進中の衛兵
23 いることが伺えた。日本の皇居などでも同様に観光資源として生かすことはできないも のであろうか。 ⑥ 国立故宮博物院 世界 4 大博物館のひとつに数えられる国 立故宮博物院。1925 年北京の紫禁城に創設 され,これが「故宮」の名の由来となって いる。1931 年,戦火を避けるため,故宮の 文物は中国国内を彼方此方移動すること を余儀なくされた。1949 年,国共内戦によ り,国民政府は総数約 60 万点の故宮の逸 品を台湾に運び,かつては桃園の楊梅や台 中の霧峰北溝などの地に置かれたことも あったが,1965 年に現在の台北士林外双渓 に移された。国立故宮博物院は台湾に根を下ろしておよそ 50 年余の歳月を経て,既に 現代化の博物館へと発展し,所蔵品の数は 68 万点を数え,中華文物を所蔵する世界屈 指の博物館となった。 (2)士林夜市 夜市が多くみられる台湾においても特に長い歴史を持つのが士林夜市である。雑貨や 食品を扱う店が数多く立ち並び,活気がある光景が随所に見られた(写真 15~18)。 写真 14 国立故宮博物院外観 写真 15 士林夜市の光景① 写真 16 士林夜市の光景②
24 数多くの店の中で,一際嗅覚を刺激したのが「臭豆腐」であった。臭豆腐とは,植物の 汁と石灰等を混合し,納豆菌と酪酸菌によって発酵させた漬け汁に豆腐をつけ込んだも のである。独特の臭いを持つが,今回の引率者の伊藤先生によれば「おいしい。また食 べたい。」とのことであり,調理法にもよるが味は決して悪いものではないと思われる。 Ⅲ 3 日目:2012/6/25(Mon) (1) 新竹市政府訪問 台北から高 速道路で 1 時 間ほど南下し たところに台 湾の中核市で あり,ビーフン が特産である新竹市がある。IT 関連の企業や工場が集中して いることなどから,「台湾のシリコンバレー」と言われている。 写真 20 新竹市政府 写真 17 士林夜市の光景③ 写真 18 士林夜市の光景④ 写真 19 臭豆腐料理 図 2 新竹市の位置 (出典:Wikipedia)
25 (2) 北緯 25 度 新竹市の緯度はおよそ北緯 25 度であり,北回帰線の近く といって良い。夏至からわずか 4 日しか経過していないこ の日,新竹市付近における南中高度は計算によればおよそ 89 度である。太陽はほぼ真上に位置しており,物体の影が ほぼ真下にできていることが印象的であった。 (3) 新竹サイエンスパーク訪問 台湾では科学技術の発展を目的として,域内数か所にサ イエンスパークの設置および企業の誘致を国家事業とし て行っている(写真 22)。新竹はその中でも古くから設置 されており,台湾の科学技術の発展の歴 史において重要な役割を果たし,現在に 至っている。国家の大事業として民間企 業を数多く誘致し,企業や従業員向けの サービスを国家が提供するという形は日 本には見られないしくみであろう。 (4) 台北101 2004 年に完成した,高さ 509.2 メートル,地上 101 階建ての超高層ビルが台北観光の新スポット となった「台北 101」である。企業のオフィスが 入居するほか,多くの商業施設や展望台があり, 台北におけるランドマークとして欠かすことので きない存在となっている。 写真 21 真下にできる影 写真 22 サイエンスパークの分布 写真 23 台北 101 外観
26 Ⅳ 4 日目:2012/6/26(Tue) 11 時 30 分,宿舎を後にして桃園国際空港へ。搭乗手続きおよび出国審査の後に C4 ゲートから BR196 便に搭乗した。機材は往路と同様,A330-200 である。時刻表上の所 要時間は 3 時間 20 分,偏西風の影響からか西行きの往路よりも短縮されている。そし てほぼ定刻通りに成田国際空港に到着し,解散となった。 Ⅴ おわりに 今回の現地研究に参加し,物事の細部や背景までも考察することによって現地の特色 や日本との違いを感じることができた。通常の海外旅行では味わうことのできない,非 常に貴重な体験となった。引率してくださった伊藤先生をはじめ,関係諸氏に感謝を申 し上げる次第である。 ■参考文献 亜洲奈 みづほ(2012)『現代台湾を知るための 60 章【第 2 版】』明石書店 ■参考ウェブサイト 台北ナビ http://www.taipeinavi.com/miru/43/ 地球の歩き方 http://www.arukikata.co.jp/city/TPE/spot.html Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/ 写真 24 展望台(地上 89 階)からの眺望 写真 25 駐機中の BR196 便
27 5.10B4136 福士実咲 台湾現地研究日記 はじめに 台湾の正式名称は中華民国であり、面積約 3 万 5000km2 (日本の九州くらい)。人口約 2322 万人、首都は台北、通貨単位は元である。民族構成は漢民族が約 98%、原住民は約 14 族であり、全人口の約 2%を占める。彼らは山地に居住している。宗教は仏教、道教、 キリスト教である。 また、台北の気候区分として北部は亜熱帯気候、南部熱帯気候なために、はっきりと した四季はなく、長い夏と短い冬がある。6 月から 9 月は台風シーズンで、湿気が多く 蒸し暑い。実際台湾を訪れて、突然土砂降りになったり、晴れたりなど不安定な気候で あった。 6/23~26 まで台北市内(総督府、二二八和平和祈念館、中正紀念堂、故宮博物院、台 北 101)と新竹市内(新竹市役所、サイエンスパーク)を見学した。今回の現地研究で は、台湾の歴史から現在に至るまでの発展や有名な観光スポットなど(もちろん台湾グ ルメであるマンゴーや小籠包も)、初めての台湾にしては、多くのことを学んだ。 ここからは日程ごとに台湾で学んだこと、また日本と違う点、驚いたことなど感じた ことをまとめていこうと思う。 6/23-旅の始まり この日は集合時間が早くて(集合時間に遅れたが・・・)一日中、目をこすっていたこ とが自分の中で印象が強い。23 日、台湾初日は 1 日自由行動であった。今思うと事前 にもっと計画を練ればよかったと後悔している。 桃園国際空港に到着してからホテルまでバス移動であったが、そのバスの中から景色 を見てみると、まだ開発途中の線路や、緑に赤字といった原色が多く使われている巨大 な看板、言葉には言い表せない特徴的な建物など面白い景色が見れた。 ホテルに到着してから、すぐに 4 年生の 2 人と伊藤先生と 3 年生でホテル周辺を散策 した。小さな商店街が多く、日本でいうところの恵比寿や目黒の商店街を思いださせる ような雰囲気のお店が多かった。また屋台も多く出されていて、横浜中華街でよく見ら れるエッグタルトなどがあった。中でも一番目に引いたものは、台湾の若者に人気とい われている“猪血糕”である。これは、その名の通り、「猪の血」(現地では、日本でい うところの“イノシシ”ではなく豚のこと)、ともち米を固め、甘辛ソースを塗り、ピ ーナッツ粉と薬草を混ぜたものである。見た目は黒く、匂いもなく、食感はクチャクチ ャとしていて結構な噛みごたえがある。
28 そしてその後、台北車站駅をプラプラしてから MRT という地下鉄を利用し、台湾の原 宿とも呼ばれる西門街に行って、若者向けのファッションやアニメなどが多くあった。 人も賑わっており、本当に原宿にいる感覚だった。その後に夕飯をすませ、マンゴーか き氷の有名店に行ったが、どちらの店の店員も日本人に対して丁寧にかつ優しく、また 拙い英語を一生懸命に汲み取ろうとする姿に感銘を受けた。 この日に乗った MRT だが、路線は 9 種類あり、切符の買い方も簡単で、行き先さえ分 かっていれば観光客でも迷わず買える。その仕組みも似ていて日本で言う Suica や PASUMO のように切符のコインをタッチして改札をくぐるのには驚いた。 もうひとつこの日に気付いたのはエスカレーターに乗る時は”右側”であること。私 は、仙台の出身で、仙台も右側なため、ちょっと地元に戻ってきた感覚だった。 1 日目から驚いたことや発見したことがたくさんあった。 6/24 -総督府、平和記念館、中正紀念堂、博物院、士林夜市 前日とは打って変わってこの日は観光メインの日だった。バスから総督府を見て、降 りてから中正紀念堂を訪れた。約 25 万㎡という、この広大な敷地には巨大な紀念堂と 世界に誇る文化の殿堂「国家戯劇院」などもある。 建物 1 階には蒋介石の関係資料が展示されているところもあった。また上の階に行く と、蒋介石のブロンズ像(約 6.3m)が安置されており、その左右には身動き一つしない 衛兵が監視をしている。最初見たときにおそらく誰もがその衛兵を銅像だと思うだろう。 だが近づいてみてみると呼吸もしているし汗もかいていたために驚いた。この勤務に就 くのは約 1 時間程で、なるべく瞬きもしてはいけないといわれている。 その後、台湾で最初の放送局である日本統治期の NHK 台北支局跡である、二二八和平
29 紀念館を訪れた。そこには二・二八事件に関する写真や資料の展示がある。 昼食をはさんだ後に、 忠 烈 祠 ヂョンレイツー と呼ばれる戦争で亡くなった英霊を祀る祠を訪れた。 ここは、中正紀念堂でもいた衛兵の交代式が有名で、毎日・毎時になると 5 人の隊列を 組んだ衛兵が大門から大殿に向かって行進を始め、その間周りの観光客たちも息をひそ めてしまうほどである。大殿に到着すると、殿内の位牌に敬礼し、銃を交換したりバト ンのように回す一連の儀式がある。彼らは、各軍から選ばれたエリートたちだそうで、 皆背が高く、顔もキリッとしていた。 その後、バスで故宮博物院へと移動し、多くの絵画や文献、陶器などを見学した。ど れも緻密にできていて、昔の人の技術の偉大さに感銘した。博物院を見学した後、士林 夜市に行って、お土産を買ったり、買い物などして過ごした。ここには多くの屋台が並 んでおり、中でも目を引いたのは”臭豆腐”と呼ばれるもので、挑戦することはなかっ たが、とにかく臭いがきつく辛かった。地下にも多くのお店が並んでいて食べようと思 ったが、食材がごみ箱の隣に置かれたりと、衛生面が気になってしまって何も食べれず 終わってしまった。 6/25 -新竹市政府、サイエンスパーク、台北 101 この日も朝から出発して新竹市政府へと向かった。台北市内からは約 1 時間かかる。 この新竹市についてだが、人口は 42 万人、面積は 104 km2 であり、台湾のシリコンバ レーと呼ばれている。 新竹市のシンボルは三枚の竹の葉で構成されているが、これは調和のとれた市を意味 している。人口が約 42 万人となっているが、実際は 65 万人である。これだけ人数が違 うのは、大学やサイエンスパークへ移ってきた流動人口だそうだ。 そして新竹市は、北部台湾で最古の都という歴史や伝統がある一方、キレイな都市と しても有名で、台湾で初めて海浜自動車道というのもつくられた。そして今では、それ らよりも科学技術が発展していることが有名である。また、風がとても強いためにビー フンが特産物であり、高等技術であるガラス産業も有名である。 人々は、”春は花見、夏は海辺、秋は食、冬は芸術鑑賞”といった感じで 1 年を過ご す。これは日本とほとんど変わらない。 新竹市政府ではこういった市内の特徴、人々の生活など概要を学び、その後サイエン スパークへと移動した。 サイエンスパークとは、台湾における質の高い優秀な人材を集め、高い技術を研究開 発、生産、労働、生活などを作り出し、台湾の産業の発展を促進することを目的とした 場所である。30 年前、その周辺は民家や茶畑であったが、今となっては開発が進み、 1980 年に最初のサイエンスパークがつくられた。総開発面積は、1342ha 以上、企業数 は 440 社以上、その従業員は計 13 万人超で、総生産額は 2.5 兆円を超えている。
30 そのパーク内には、1700 以上の社員寮があり、バイリンガル学校、レジャーセンタ ー、レクリエーションパークがあり、緑化運動にも力を入れている。 サイエンスパークは海外からも誘致しており、①交通の利便性②台北、国際空港まで 40 分、市内のサイエンスパークまで 15 分 といったメリットがある。人口増加に伴い インフラ整備が追いつかなくなるという問題が起きている。台湾内で 1 番増加が早く、 交通計画や交通整備、住宅地の建設を急いでいる。 実際にパーク内で作られた製品の数々を見たが、驚きの連発だった。今まで見たこと のないような科学技術に触れ、子供のように驚いたりして楽しかった。その後すぐに台 北 101 へと向かい、台湾市内を一望した。 終わりに 海外に行ったのはこの現地研究で 2 回目となる。以前はアメリカのモンタナ州という ところに 1 カ月弱滞在していた。そこでは、日本語がもちろん使えないが、時たま英語 も通じないことが多々あった。(発音が違うとかで・・・)アメリカ人(特にお店で働 いている人)は、当たりが強い人が多く、何度か心が折れそうになったことがあった。 だが台湾は、拙い英語と日本語で、伝えたいことを伝えられ、また相手も必死に内容 を聞き取ろうとしてくれる、その姿に驚いた。台湾人は、丁寧・親切な人が多いという 印象を持った。 一方、英語で話していることは分かるのに自分の言いたいこと・伝えたいことを英語 にするのに苦労した。もっと話したいことがあるのにそれを伝えられないもどかしいさ があった。日本に帰ってきて万国共通である英語をもっと勉強したいと思った。 私が働いているバイト先によく外人(特に中国人などのアジア系)が来るが、台湾人の ようにもっと丁寧に親切に接客できたらなとも思った。 今回の 3 泊 4 日の現地研究で、主要都市の台北市内だけでなく郊外の新竹市まで足を 運ぶことができた。新竹市内にサイエンスパークがつくられて、科学技術が大きな一歩 を踏み出したというプラスの面がある一方、急激な人口増加によってインフラ整備や住 宅建設を急速に進めなければならなく、また環境も変化していく可能性が十分にあるた
31 め、政策や一人一人の努力が必要になってくるであろう。 また台湾への観光客はほとんどが台北市内へと流れ、新竹市など郊外に訪れることは 少ないであろう。(実際に新竹政府を訪れた私たちにも驚いていたため)でも新竹市は 観光にも力を入れており、四季を通して様々なイベントが開催されていた。それをもっ と海外へ宣伝していけば、おそらく観光客が増えるのではないかなと思った。 この現地研究で台湾を訪れ、私にとって大きな経験となったし、勉強になったこと、 考えさせられることが多々あった。台湾の現状や、今抱えている問題、これからについ ても興味を持った。 この現地研究で、先生と同じく台湾がとても好きになったので、また必ず足を運びた いと思う。