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現代生活様式に対する批判的諸見解

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現代生活様式に対する批判的諸見解

成  瀬  龍  夫

1 アメリカ的生活様式の国際化と「大衆消費社会」論  第2次世界大戦以前においては,アメリカ的生産方式が,ヨーロッパ諸国で の独占資本の起死回生的な「産業合理化」運動の形態で導入されたのに対して, アメリカ的生活様式は,せいぜい伝統的なヨーロッパ文明に対する新興アメリ カ文明の挑戦とみなされたにすぎない。  しかし,第2次大戦後,資本主義各国の国民経済の復興と成長は,アメリカ 的な大量生産・大量消費体制の構築を基軸として展開された。すなわち,大量 生産・大量消費体制の構築は,戦後独占資本のもっとも基軸的な資本蓄積の体 制を創出していく意味をもった。この過程において,アメリカ的生活様式は, いまや特殊アメリカ的なものではなく,各国独占資本の戦後資本蓄積様式のも っとも基本的な要素の一つとして認識されるようになってきた。とりわけ, 1950年代の後半から,ヨーPッパ諸国や日本においては,「消費革命」や「新し い生活様式」「大衆消費社会」「ゆたかな社会」といった言葉が共通に使われる ようになってきた。これらの言葉は,いずれもアメリカ的生活様式を明確に念 頭においたものであり,その意味では,アメリカ的生活様式の別の言葉での表 現といってもよく,アメリカ的生活様式が現代資本主義の支配的な生活様式と なるに至ったことを示すものであった。  アメリカ的生活様式が現代資本主義の支配的な生活様式となるにつれて,そ れを社会主義国の生活様式や「福祉国家」に対置される,あるいはそれらを凌 駕する人類社会でもっとも高度な発達水準にある生活様式であるとする見解        つ (W.W.ロストウ)も登場した。ロストウやG.カト ・一ナなどのアメリカの経済 1)W.W. Rostow. The Stages of Economic Growth,1960.木村・久保・村上共訳

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 2  彦根論叢 第236号 学者,さらにD.リー’スマンをはじめとするアメリカの社会学二二の「大衆消 費社会」論は,アメリカ的生活様式を賛美する現代的イデオロギーとして,も っとも系統的に主張されてきたといえる。  しかし,アメリカ的生活様式が国際化し,現代資本主義の支配的な生活様式 となるにつれて,現現代資本主義に対する文明的批判や,現代資本主義の資本 蓄積構造に対する批判的認識の一環として,アメリカ的生活様式と「大衆消費 社会」論に対する批判的認識もまた展開されてきた。こうした現代の生活様式 や社会構造に対する批判的認識の発展は,およそ以下のような段階においてと ら、えられる。  第1段階:西ヨーPヅパにおける「産業合理化」運動の展開期  第2次大戦以前にあって,アメリカ的生活様式に対する最初の批判的認識 は,まずイタリアのA.グラムシに見出される。グララムシは,「産業合理化」 運動を通じて西ヨーPッパに輸入されたアメリカ的生産方式が,労働者の新し い労働様式と同時に新しい生活様式を随伴していることに注意をはらい,新し い生活様式の現代的な意義,その階級的性格などについての洞察をおこなった。  第2段階:第2次大戦後の国民経済復興期  第2次大戦後の西ヨーロッパ諸国の国民経済と国民生活の再建過程では,個 人的消費と集団的消費のいずれを優先するのかが再建政策上の一一大選択課題と なった。イギリスでは,G. D. H.コールなどが,この点にかかわって,個人 消費優朱のアメリ㍗的生活様式を批判した。  第3段階:大量生産・大量消費体制の国際的展開期 .1960,.70年代は,大量隼産・大量消費方式を基軸とする資本蓄積の展開のも とで,現代生活様式を美化する「大衆消費社会」論がはなばなしく喧伝された 時期であったが,この時期にはまた,現代の消費生活様式の一面性,浪費性, 非文化性を批判する見解も広範に展開されるようになった。そのなかで,1960 年代にはJ・K.ガルブレイスの「依存効果」「社会的アンバランス」論,1970 年代にはH.プレイ、ヴァマンの「普遍的市場」 「生活能力衰退」論などがとく   『経済成長の諸段階』ダイヤモンド社,1961,105ページ。

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に大きな理論的反響を呼び起こした点において注目される。そして1980年代に は,J・オコソナーによって個人主義的な消費生活様式を現代の資本蓄積のもっ とも基本的な危機要因のひとつとみなす議論が提起されるに至っている。 以下においては,いまあげた論者の見解を順に大観していくことにしよう。 巫 アメリカ的生活様式に対する批判    一グラムシとコールー  1) グラムシのアメリカニズム・フォード主義論  アメリカ的生活様式がその普遍的一般的性格のゆえに国際化し,現代資本主 義の支配的な生活様式としての地位を占めるであろう必然性を西ヨーロヅパ社 会においていち早く認識し,生活様式をめぐる社会諸階級のあいだのヘゲモニ ー,あるいは「アメリカの商標のつかない」生活様式の創出の問題を提起した のはイタリアのグラムシである。グラムシは,その論文「アメリカニズムとフ ォード主義」 (1934年,『獄中ノート』)において,アメリカニズムとフォード 主義がヨーロッパを席捲しつつあった当時の状況をふまえつつ,フォード主義 の本質とそのヨーPッパへの普及の意味とに対する包括的な考察を行なってい 2) る。 2)Opere Scelte di Antonio Gramsc1皿.山崎功監修・代久二編集『グラムシ選集3』  台臨出版社,1962。グラムシは,アメリカニズムとフォード主義がはらむ問題を次の  ように提起している。   「(1)現在の金権支配層と,工業生産を直接土台とする金融資本の新しい蓄積および  流通機構との交替。②性問題。(3)アメリカニズムは歴史的『画期』を形成しうるかど  うか,つまり,他の諸国で検証された,前世紀特有の『受動的革命』型の漸新的発展  と規定できるものか,または,『爆発』をひきおこすべぎ諸要因の分子的蓄積,すな  わちフランス型の変革をもっぱら表現するものか,という問題。(4>ヨーPッパの人口  構成の『合理化』の問題。(5)発展は産業と生産の世界の内部に出発点をもたねばなら  ないか,またはその外部から生じうるか(生産装置の必要な発展を外部から導く形式  的法律的足場を.慎重,堅固にきずくことによって),という問題。(6)フォード・シ  ステム化され,合理化された産業が支払う『高賃金』の問題。(7)利潤率の傾向的低落  の法則を克服すべく,産業がおこなうあいつく努力の過程の極点としてのフォード主  義。(8)国家的社会的装置による個々人への道徳的強制の増大の表現,およびこの種の  強制が規定する病的危機の表現としての精神分析学(その戦後の大流行)。(9)ロータ  リー・クラブとフリーメーソン。」 (同上,邦訳,16ページ。).

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 4  彦根論叢 第236号  グラムシによれば,フォード主義は,生産と労働の方法・組織としては,内 的必然によって生まれた合理性と一般性を有しており,それゆえに全産業全工 場的普及性をもつものであり,それとともにまた,「勤労者および人間の新し い型」,新たな「生産と労働のシステムに適合する労働者」の創出を必須とす るものであった。この新しい労働様式のもとでは,神経エネルギーの激しい消 耗にさらされる労働者の労働力を保全し労働適応を可能ならしめるための生活 水準の維持,そのためにとりわけ労働者の「一夫一婦制および両性間の安定」 を基本とする家族関係の強化やアルコール等の生活の道徳規律,教育の役割な どが重要となってくる。グラムシによれば,アメリカでフォードが行った「高 賃金」政策やフォード型の産業資本家達が行うようにな:つた労働者の私生活に 対するピ=一リタソ的な干渉,さらに国家による禁酒法の制定といった社会的 道徳強制装置の役割の増大は,新しい労働様式に労働者を適応せしめるための 新しい生活様式をつくり出そうとする資本家のヘゲモニーを示すものであっ た。グラムシは,このようにフォード主義の本質を労働様式と生活様式の一体 的な創出関係のもとにとらえ,資本家が自らの手で直接に,あるいはまた国家 介入によって労働者の新しい生活様式を創出しようとしていること,また,こ の新しい生活様式の創出をめぐって資本家階級と労働者階級とのあいだのヘゲ モニー争いが提起されていることを指摘した。  グラムシは,アメリカニズム・フォード主義に対して以上のような問題認識 に立ったうえで,ヨーロッパ文明に対するアメリカの「新文明」「新生活様式」 の影響の問題ヨーμッパの社会諸階級のそれに対する反応と態度を分析しつ つ,次のようにのべている。  「今日,アメリカの商標のもとに普及している『新文明』,『新生活様式』 は,ほとんどが最初の手さぐりの試みであり,今後形成される新しい基礎から うまれる『秩序』セこははじめからふさわしいものではないが,新しい基礎の形 成作業(なお破壊的,解体的な)からのずれを社会的に感じはじめている人々 の,皮相的,猿まね的なイニシアティブにはふさわしいものである。今日『ア メリカニズム』とよばれているものの大部分は,きたるべき新しい秩序によっ

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て粉砕されてしまう古い諸階層,すでに社会的恐慌,崩壊,絶望の荒波のえじ きとなっている古い諸階層の予防的な批判であり,再建の能力もなく変革の否 定的側面にしがみつく人々の無意識的な反動の試みである。再建は,新しい秩 序によって『断罪される』社会諸集団に期待することはできない。それが期待 されるめは,強制のもとに,犠牲に耐えながら,この新しい秩序の物質的土台 を創出しつつある社会諸集団の手によってである。これらの社会面集団は,今 日では『必然』であるものを『自由』に転化させるために,アメリカの商標の       3) つかない『独創的な』生活体系をみいだす『義務』がある。」  グラムシにおいては,まだ,アメリカ的生活様式の基盤となっている大量生 産・大量消費体制の特質は十分に問題にされてはいないが,大量生産体制を生 み出した新しい生産・労働方法が新しい内容と形式の生活様式を創出しつつあ ることが明確に洞察されている。  われわれは,グラムシからあらためて以下の点を確認しうる。  第1に,「科学的管理」やフォード・システムなど独占段階における新たな 生産・労働様式の登場は,資本の経営内における労務管理体制と国家の社会的 な労働力管理体制の成立を促したが,それらは,いずれも労働者の私生活過程 への広範な干渉と介入を含むものとして展開されるところとなった。このこと は,20世紀の独占資本主義が,19世紀のように安んじて「労働者の自己維持本 能と生殖本能とに任せておく」 (マルクス)時代ではありえず,資本家と国家 が労働者に特定の生活様式を強制することが必然となる時代にほかならないこ とを意味している。グラムシは,アメリカ的生活様式の歴史的な性格をまさに そうしたものとして把握している。  第2に,グラムシは,新しい労働様式への労働者の適合を可能とする生活様 式の形成が,資本と国家のヘゲモニーでなされるのか,それとも労働者階級の ヘゲモニーでな:されるのかという問題を提起したが,これは,いいかえるなら ぽ技術革新や労働様式の絶えざる変化と結びついている現代の生活様式は,生 3) 同上,邦訳,63ページ。

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 ,6 『.彦根論叢 第236号 活の具体的な形式,家族や地域における人間の相互関係や意識を絶えず打ちこ わし流動化させる特徴をもち,そのために社会諸階級の生活様式をめぐる価値 評価や改革のヘゲモニー争いが絶えず発生せざるをえないということを示して いる。グラムシはこのように,生活様式の創出や再編あるいは転換の問題が, 現代における社会諸階級のヘゲモニー・をめぐるもっとも重要な課題の1っにな らざるをえないことを提起しているのである。  2) コールの共同的生活様式論とアメリカ的生活様式批判  第2次大戦後のイギリスでは,国民生活の再建や「福祉国家」の制度的構築 過程でいかなる国民的生活様式と生活水準を形成していくのか,国民的消費に おいて集団的消費と個人的消費のいずれを優先的に選択するのか,さらにま た,それらとのかかわりで個人的消費のあり方,とりわけアメリカ的な個人的 消費生活様式をいかに評価するのかという問題が,しぼらくのあいだ社会経済 理論家達の重要な関心を集めた。たとえば,フェビアン社会主義者のコールは 地域における住民の共同的な生活様式の必要性を提起し,それとのかかわりで       4)アメリカ的生活様式の個人主義的一面性や浪費性を批判した。他方,それとは 反対に,イギリス労働党の理論家CR.A.クロスランドなどはアメリカ的消 費様式を全面的に肯定する立場にたって, 「福祉国家」による所得再分配とア        5)メリカ的個人消費を結びつける必要性を主張した。  ここでは,コールについて,その見解をみてみよう。  コールは,1947年にイギリスの地方官治体の大幅な改革構想を論じた著作の なかで,この構想の一環として家族生活様式の改革と地域生活様式の改革とを 結合した新しい「共同的生活様式」(‘communal way of Iiving’)の形成が必要 なことを提起した。コールによれば,戦後イギリスの社会立法による制度改革 は人々のあいだの社会的心理的不平等を減ずるものであっても,それ自体は必 4) ’G. D. H. Cole, Local and Regional Government, 1947. 5)C・A・R・Crosland, The Future of Socialism,1956。関嘉彦監訳「福祉国家の将来』  論争社,1961年,第11章を参照。

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ずしも共同的生活様式の創出を意味するものではなかった。共同的生活様式の 創出は.人々に労働節約的な住居を援助したりすべての主婦に家庭用の「機械 装置」(‘gadgetry’)の普及を援助し,家事労働の負担を軽減させ男女の性的平 等をもたらす生活様式を計画することによって可能となるものである。  ところが,このうち「機械」による生活問題の解決方法は「高価」であり, かつ資源「浪費的」である。コールは,「機械」による方式は,イギリスのよ うな食糧その他の生活手段を高度に海外輸入に依存している国には適当でない として,次のようにいっている。  「われわれは,ありがたいことに,『アメリカ的生活様式』を模倣したり, あるいはおなじr機械仕掛けの個人主義』の原理にもとずくその平等主義的な 変形を生産することはできない。われわれは,……われわれの生活様式のなか       のにより大規模な共同的な要素を導入しなければならない。」  コールは,共同的生活様式は家庭生活の質を低めるものでなく,むしろそれ をおおいに高めるものであるが,それには地域社会においてコミュニティ・レ ストランをはじめとする各種の共同的生活施設や,社会サービス専門家の配置 された福祉施設などがよく整備されていること,公共的活動と民間の自発的な        の 社会活動の協力が必要なことを強調する。また,家庭内においては,家族構成 員間での家事労働の平等分担による男女の性的平等化を強調し,「婦人のため の民主主義は性の不平等の上によりかかってきた家族生活様式の大規模な変化        8) を必要としている」とのべている。  コールは,以上のごとく,新たな共同的生活様式の必要性を説き,アメリカ 的生活様式による生活問題の解決方法に対しては否定的な見解を示した。しか し,コールのこのような見解は,アメリカ的生活様式を積極的に評価しそのイ ギリスへの導入を主張したクロスランドな:どとはきわめて対照的である。クロ スランドは,「福祉国家」による労働者階級の「中産階級化」論を展開したが, 6) G. D. H. Co1e, op. cite., p. 257.. 7) ibid・, p・ 258. 8) ibid・) P・ 259e

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 8 彦根論叢第236号

彼にとっては,「福祉国家」の所得再分配の限界を補足するものとして個人 消費水準を向上さ.せることが必要であり,そのモデルがアメリカ的消費生活様 式であった。彼にとっては,再分配による所得問題の改善だけでは国民の社会 的不平等意識や階級意識をなくすことはできず,それらを解消していくために は,「社会的平等に影響を及ぼす第2の要因」としての「生活のスタイル」と 「外見的な消費の形態!を考慮すべきであり,クロスランドにとっては,まさ にこの点で,アメリカ合衆国を先頭とする今日の「大量生産,大量分配,大量 信用経済」への移行は,国民のあいだの生活様式の平等化をもたらし,社会的       9) 不平等の除去を促進するものとみなされるものであった。しかし,コールにと っては,家事労働の機械化の必要は認めるものの,「高価」で「浪費的」なア メリカ的生活様式を導入することはイギリスの国民経済的見地からしても得策 とされなかった。  さて,以上のようなコールの共同的生活様式論とアメリカ的生活様式批判 は,とくに以下のような点においてその今日的意義が評価される。  第1に,コールの見解は,戦後の国民生活再建をめぐる「個人消費か集団消 費か」(A.ベヴァン)の議論とのかかわりでいえば,集団的消費優先論に属す るものであるが,おそらく彼ほど徹底して共同的消費の平等主義的性格と民主 主義的性格を重視し,それを具体的な家族と地域社会の共同的生活様式として 構想レた人物は他にいないといってよいであろう。この意味において,コール は単なる所得の「社会化」や共同消費の擁護論者ではなかった。とりわけ,コ ールが,その共同的生活様式を構想する際に,家庭内の家事労働負担の軽減と 男女の性的平等化を絶対的に重視したこと,また共同生活様式が家庭生活の質 を低めるものでなく,かえってそれを高めるべきものであることを強調してい ることは,第2次大戦後の資本主義諸国において社会保障や地域共同サービス を通じて展開された生活の「社会化」「共同化」の性格や限界をみるうえで重 要な点である。  第2に,戦後資本i義諸国の国民生活は,アメリカ的生活様式の普及によって  g)C.A. R. Crosland,邦訳.第13章を参照。

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個人消費水準は大きく上昇したが,同時に,コールが指摘したように,いちじ るしく「高価」で「浪費的」で「個人主義」的な構造を発展させてきた。アメ リカ的生活様式の普及を通じて,消費の画一化や平準化はひろがったが,しか し,真の生活の社会的平等性が発展してきたとはいえない。それは,人々の生 活の共同性を弱め個人主義を強めさせるものであるがゆえに,共同性に基礎を おく平等性を家庭内や地域社会で発展させることは困難,もしくは不可能であ るからである。したがって,「高価」で「浪費的」で「個人主義的」な生活様 式から脱却し,また真に生活の社会的平等性を展望しようとするならば,コー ルが追求した安価で節約的で真に隣人愛的な共同的生活様式の構想は,今日に おいても依然として参照的価値を失っていないといえよう。 皿 現代生活様式と「大衆消費社会」に対する批判   一ガルブレイス,ブレイヴァマン,オコンナ一一  1) ガルブレイスの「依存効果」「社会的アンバランス」論  アメリカ合衆国の経済学者のなかで,ガルブレイスは,現代の大量生産・大 量消費体制が噴出させている社会問題を直視し,それによってアメリカ的生活 様式の経済的な性格をもっとも批判的に考察してきた人物の1人であるといっ てよいであろう。彼の著名なrゆたかな社会』 (1958)は,一方において現代 社会における貧困の一般的存在を否定しながら,他方においては,現代的貧困 の基本特徴ともいえる消費の社会的アンバランスの構造や生活の質の一面性を いくつかの点にわたってあきらかにした。  ガルブレイスがまず第1に指摘しているのは,彼が「依存効果」(‘dependence effect’)と呼んだ消費者の欲望に対する生産者の支配である。現代社会では, 宣伝と販売術の発展によって生産者が財貨の生産と欲望の生産という二重の機 能を持つに至り, 「財貨に対する関心は消費者の自発的な必要から起こるので はなく,むしろ依存効果によって生産過程自体から生まれる。生産を増加さ        ユの せるためには欲望を有効にあやつらなけれぽならない」という状況となってい 10)」.K. Galbraith, The Affluent Society,1958。鈴木哲太郎訳『ゆたかな社会』岩

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 10 彦根論叢 第236号 る。こうした状況を背景に,一方では「全然くだらない物資の生産を誇りとし ていて,その反面最も重要で文化的なサービスの生産を遺憾」とするような, 生産物の有用性に対する合理的判断が社会的に欠如し,他方ではこうしたやり .方による欲望の造出が深刻な危険を社会的に内在させることになる。「今日の 欲望造出方法における直接的な危険は,それに関連した負債発生過程である。 消費者の需要は,消費者の借金する意思と能力とにますます依存するようにな        る。この負債発生過程には本質的に不安定な面がある。」  また,消費需要造出と消費者金融による深刻な問題について,インフレショ ソの慢性化とそれの人々に与える社会的差別的な影響もまた,彼の重視する現 代の深刻な社会的危険の一つである。  これらに加えて,ガルブレイスが強調したのは,いわゆる消費の「社会的バ ランス」(‘social balance’)の問題である。  「生産的な社会の最終的な問題は生産物それ自体である。このことは,一部 の物の供給は豊富だが,別の物の供給は貧弱であるという冷酷な傾向の中にあ らわれている。この不釣合いは,社会的不満と社会的不健康の原因になるほど まで押し進められている。豊富な分野と貧弱な分野との境界線は,私的に生 産・販売される財貨と公共的なサービスとの区別にほぼ等しい。前者が豊富で あることと後者が貧弱であることとは,驚くほどの対照をなしている。それば かりでなく,私的に生産される財貨が豊富なことは,公共的サービスの供給の 危機をもたらす大きな要因にもなっている。というのは,これらの二つの間の        バランスを保つことの重要性,緊急の必要性が見失われているからである。」  公共的分野の貧弱さを示す典型的な状況は,学校や警察,衛生施設の不備, 公園や遊園地の不足,空気のよごれや交通混雑など,都市における基本的な公 共サービスの不足や欠陥である。現代社会では,私的財貨の生産や消費とこう  波書店,1960年,146ページ。 11) 同上,邦訳,182ページ。 12)同上,邦訳,232−233ページ。

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した公共サービスとのあいだの正当な連関が失われている。自動車の消費が増 えると,街路や高速道路,交通整理,駐車場,警察やハイウェイパトロールの サービス,病院のサービスなどが必要になるのに,それらが追いついていかな い。私的財貨の大量消費のもとでますます増えていく廃棄物に対して,公共的 な清掃サービスや衛生サービスがそれらに比例して追いついていかない。その ために,道路の混雑や交通事故,空気の汚染,犯罪の増加などがますます深刻 になっていく。何故,こうしたアンバランスが社会的に生じるのか。ガルブレ イスは,公共サービスには,私的財貨の生産のような「依存効果」が存在しな いこと,さらにまた,公共的支出を非生産的な重荷とみなす社会的風潮の存在 や費用負担をめぐる社会的対立の激しさを指摘している。  ガルブレイスは,貧しさの一般的存在を否定して現代社会のゆたかさを強調 したことから,しばしば彼の議論は「資本主義絶賛論」とみなされてきたが, ガルブレイスが,現代資本主義の私的な富の一面的なゆたかさと社会的公共的 な富の貧しさとの対極的な不均衡関係を重視し,「ゆたかさ」の反面としての 新しい貧困化の形態や社会問題の特質を認識した点は評価されなければならな いであろう。  ガルブレイスの議論は,当時のイギリスやヨー一 Pッパからは「特殊アメリカ 的」「ヴェブレン的」な視点や方法によるものと批判されたが,これに対して ガルブレイスは,アメリカの状況はヨーロッパや日本に程度の差はあっても基 本的にあてはまる問題であるとのべていた。1960,70年代における西ヨー.ロッ パや日本の消費生活様式の変貌は,ガルブレイスがのべた「依存効果」「社会 的アンバランス」が決して「特殊アメリカ的」なものにとどまらなかったこと を事実一企業の大量広告宣伝による消費者欲望に対する管理や支配の強ま り,都市問題や公害問題の激化,公共サービスを立遅らせたり抑制したりする        13) 傾向の拡大など一によって示したといえる。 13)Ced「ic Sandfo「d, Social Economics,1977,77−78ページ。ガルブレイスの同書に対  する海外からの理論的反響とそれへのガルブレイス自身の反応については,「訳者あ  とがき」と『日本語版への序文』を参照。

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 12 彦根論叢 第236号  2) ブレイヴァマソの「普遍的市場」 「生活能力衰退」論  「資本主義的生産様式が,個人,家族,および社会の要求の総体をとらえ, それを市場に従属させることによって資本の要求に奉仕するようにつくりかえ るのは,独占時代になってからのことである。この発展を理解することなし に,新しい職業構造,それゆえまた現代の労働者階級を理解することは不可能   エの である。」  われわれは,現代生活様式に対する批判者のひとりとして,H.ブレィヴァマ ンを欠かすことはできない。ブレイヴァマンは,その著作r労働と独占資本』 (1974年)において,独占資本主義段階の生産様式のもとでは,労働過程にお ける資本の支配と管理の深まりによって労働者の労働能力の全面的衰退が引起 こされることを強調したが,同時にまた,現代の生産様式もとでは,労働者の 生活過程においても生活手段の全面的商品化によって生活の市場への全面的従 属が引起こされることをあきらかにした。  ブレイヴァマンが提起している中心的な概念と論点は,人間の生活手段の全 面的な商品化あるいは社会総体の商品化を意味する「普遍的市場」(‘universal market’)の概念と,「普遍的市場」のもとで引起こされる人間生活の市場への 全面的依存と従属,とりわけそれによって生じる人間の生活能力の衰退であ る。  彼の論点は,次のようにまとめられよう。  まず第1に,資本主義生産様式のもとでは,一般に,家庭用品の工業化と都 市化の進展によって住民の共同体的諸関係や家族の「自然的生活様式」が衰弱 化し,それらの代替物として市場関係が発展していく傾向をもつ。この発展過 程で,人聞の相互連関性の市場への従属と人間および社会生活の原子化が進行 していくことになる。  第2に,共同体多年関係や家族的生活の衰弱とともに,それらを補う新しい サービスと商品の生産部門が生みだされる。独占資本主義の時代においては, 14)H.Braverman, Labor and Monopoly Capital,!974。富沢賢治訳『労働と独占資   本』岩波書店,1978年,296ページ。

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商品形態が一切の財の生産とますます広範な領域のサービスの生産を征服し, またたえず新しい製品やサービスをつくりだす「プロダクト・サイクル」によ って,「普遍的市場」がっくりだされる。こうして,ありとあらゆる人間の生 活領域が資本によって企業化されていくにつれて,人びとはもはや市場に依存 する以外に生活方法はなくなってしまう。人びとは,市場を通じる以外に自分 自身ではなにもできなくなり,その結果,社会的家族的生活は一層衰退させら れることになる。  第3に,この「普遍的市場」は,人びとの生活能力の衰退に加えて,豊かな 「サービス経済」という喧伝と裏はらな生活の非人間的諸相をもつくりだす。  「社会生活と社会的連帯とを促進すべきはずの社会的サービスそのものが, 反対の効果をもつことになる。近代的な家庭用品・サービス産業の進展は,一 方で家事労働を軽減するとともに,同時に家庭生活の空しさを助長し,一方で 個人関係のめんどうな負担を取り除くとともに,他方で愛情を奪い去り,一方 でこみ入った社会生活をつくりだすとともに,他方でその社会生活から共同社        エら  会の最後の痕跡まで奪い去り,その代わりに現金関係だけを残している。」  また,こうした社会的家族的生活の衰退の結果として生じる隙間を埋めつく すかたちで発展する家庭用品・サービス産業は,家事から引き離された婦人が 新しい低賃金労働力層として大量に投じられる雇用領域を形成することにな る。  以上のように,ブレイヴァマンは,現代の生産様式のもとで,生活手段の全 面的商品化によって人間の社会的家族的生活の営みのすべてが資本の利潤生産 に結びつけられ,それによっていかに人間の社会的家族的生活の共同性が徹底 的に解体され,また人間の生活能力の全面的衰退と生活の非人間化が生じるに 至ったかを論じている。彼のこのような論点は,現代のアメリカ的生活様式に 対するもっとも本質的な批判的論点を構成しているといってよいであろう。  しかし,ブレイヴァマンの「普遍的市場」における人間の生活および生活能 15)同上,邦訳,307ページ。

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 14 彦根論叢第236号 力の衰退という論点は,彼の労働過程における労働および労働能力の衰退とい .うもうひとつの論点とともに,現代社会のなかでの労働者階級の状態を「出 口」のないきわめてペシミスチックな状態としてとらえるものとなっている。 ブレイヴァマンは,労働者の労働と生活が資本の蓄積様式に適合させられる過 程のみをみる視点に立っており,このために,たとえば学校教育のとらえ方も 児童に対する将来の労働者や消費者としての社会的適応訓練の制度化という側 面だけをとらえている。労働者階級の労働と生活における主体的な生活様式の 選択や改造への志向が生れたり成長「したりする契機や条件は考察されていな い。したがって,ブレイヴァマンの批判は,本質的であるにしてもやはり一面 的であるといわざるをえない。  3) オコンナーの個人主義的消費・蓄積方式に対する批判  オコンナーは,その著作r蓄積の危機』(1984年)において,大量消費を基盤 とした現代の労働者の労働力再生産を資本蓄積条件との関連で考察し,また, 現代の階級闘争のなかで,「労働者の労働」(‘workers’work’)のための闘争と あわせて「労働者の消費」(workers’consumption’)のための闘争の積極的意 義を検討している。  オコソナーの基本認識は,現代資本主義(とりわけ合衆国資本主義)のもと では,大量消費によって労働者の労働力再生産のための消費バスケットの規模 と価値内容が増大し,労働者の労働力価値のこうした増大によって,相対的剥 余価値が減少し,資本蓄積の危機が生み出されているという点にある。  オコンナーは,まず現代資本主義における大量消費の意義についてその二面 性を指摘する。大量:消費は,一面では,消費の削減によって労働者の生活標準 を切り下げたり広範かつ効果的に消費財の価値を低下させる機会が増大するこ とによって労働者に対する資本主義の武器となるが,他面では,労働力再生産 過程が資本の直接管理しえない相対的自立性をもつこと,あるいは労働組合や 労働者のさまざまな集団が消費バスケットを拡大する闘争を展開するようにな

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       ってくると,資本主義にとってのアキレス腱となる。  次に,オコンナーは,大量消費を形成している労働者階級やサラリーマン層 のさまざまなニーズが,現代ではますます全面的に商品形態で充足されるよう になっていることに注意を喚起し,こうしたニーズ充足過程の商品化(‘com皿一 Qdification’)のもつ意味を,以下のような点において指摘する。  第1に,すべてのニーズが商品形態で充足されるようになると,かつては区 別された労働力再生産費と賃金コストが一致するようになり,労働者階級の生 活標準は変わらなくても,労働者によって購入され賃金によってカバーされな ければならない使用価値量が増大する。その結果,資本の平均的な可変資本支 出が歴史的に増大するとともに,ニーズの商品化は,かつては危機のクッショ ン的役割を果たしてきた労働者の血縁的地域共同体的な諸関係を破壊すること        ユア  によって,「経済危機を創出」する傾向をもつに至った。  第2に,かつては非商品的形態によってなされ,労働力再生産過程との区別 が可能であった社会統制(階級や地位などの社会秩序の正統化やイデオロギ ー)の諸機構も商品化され,いまでは,「社会統制の再生産は,労働力の再生       ユさ  産から区別出来なくなってきた。」しかし,労働者階級のすべてのニーズが商 品に対するニーズのかたちをとることは,とりもなおさず「疎外されたニー ズ」,すなわち「疎外された労働」としての賃労働に対するニーズを意味する ものとなる。  ニーズのこうした疎外された充足形態のもとで営まれる労働力再生産は,い かなる文化的イデオロギー的特質をもつものであろうか。人間個々人の他人か らの分離を意味する商品化のもとでは,すべての人間にとって自己「社会的個 性」の確認や実現は商品消費を通じてでしかおこないえない。それゆえに,現 代資本主義のもとでは,労働者階級に対して,商品消費を通じての自己実現や 自己満足,自己の個性を商品消費によって発見させようとする逃避的な文化や ユ6) 」.0’connor, Accumlation Crisis,1984. p.!52。 17) ibid., pp. !62−163. 18) ibid・, p・ 164.

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 16  彦根論叢 第236号 イデオロギーが優勢になってくる。オコγナーは,労働者の「社会的個性」の        19) 形成におけるこうした商品物神性を指摘する。  さて,アメリカ合衆国は,オコンナーにいわせれぽ,「完全資本主義」がも っとも強く例証される国である。彼は,合衆国について,商品物神性にとらわ れた「超個人主義」(‘ultra−individualism’)あるいは「超個人主義的生活様式」 の発達とそのイデオロギー的幻想性の強さをとくに強調し,健康や食物,リフ レーションに対するアメリカ的な幻想,荒々しい個人主義意識の存在するアメ リカの一般的な精神状態,個人的な美や成功,名声に対するアメリカ的な夢が 合衆国の超個人主義を彩るとともに,「合衆国においては,他のどこよりも,       ヨの 幻想は……商品を通じて充足されてきた」とのべている。  オコンナーの主張の主な論点は,以上のごとく現代の資本蓄積の不可欠の要 素たる労働者のニーズ充足の全面的な商品化が労働力価値を上昇せしめ,相対 的剰余価値を減少させ,搾取率と利潤率の低下を引き起こし,現代資本主義の 蓄積の危機要因に転化するに至っているという点にある。それとともに,オコ ンナーのもうひとつの重要な論点は,現代の階級闘争における消費のための闘 争の位置づけである。彼は,労働のための闘争を「疎外された労働」の否定の 闘争と位置づけるとともに,消費のための闘争を「疎外されたニーズ」に対す る否定の闘争として位置づける。そして,消費のための闘争は,労働老階級が, 生産過程と生産物に対する社会的規制を発展させることを通じて現代の資本蓄 積のメカニズムに介入し,労働力再生産の社会的関係を主体的に再編成する過       21) 程であるとしてとらえている。 IV 概 括 一現代の生活様式と資本蓄積,階級闘争一  われわれは,以上においてグラムシ,コール,ガルブレイス,ブレィヴァマ ン,オコンナーの現代生活様式に対する問題認識をみてきた。そこで,あらた 19) ibid., pp. 166−167. 20) ibid,, p. 176. 21) ibid., pp. 179−187.

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めて各論者の視点や論点を整理してみよう。まず,現代生活様式の性格,本質 把握の視点は,以下の点にまとめられる。  第1は,生産・労働過程の「合理化」視点からの現代生活様式の本質把握で ある。アメリカ的生活様式は,テーラー・システム化やフォード・システム化 された産業の新しい生産・労働様式に適合する「勤労者および人間の新しい 型」を創出するための生活様式としてとらえられる(グラムシ)。  第2は,生活手段の商品化とそれにともなう貧困化の視点からの現代生活様 式に対する批判である。大量生産・大量消費体制のもとで生活手段の全面的な 商品化がすすみ,労働者生活の商品消費市場への全面的な従属と生活能力の衰 退(ブレイヴァマン),生活のイデオロギーや文化の商品物象化(オコンナー) が深まることになるQ  第3は1,消費の共同性の視点にもとずく現代生活様式の個人主義的傾向や共 同消費の不足による生活の貧困に対する批判である。生活手段の個人主義的な 所有と利用を特徴とするアメリカ的生活様式は「高価」で資源「浪費」的傾向 を有し(コール),生活手段の全面的商品化によって,社会的生活や家族的生 活における共同性や共同体的諸関係は解体される(ブレイヴァマン)。 また, 現代資本主義のもとでは,生産と消費の両面で,私的財が優先され,公共財が 立ち遅れる「社会的アンバランス」の傾向(ガルブレイス)が存在する。  さて,グラムシは,彼の論文のなかで,アメリカニズムとフォード主義の基 礎にあるものとして「工業生産を直接土台とする金融資本の新しい蓄積および 流通機構」を指摘し,アメリカ的生活様式の問題を現代資本主義の新しい蓄積 様式とそれにともなう階級闘争の新しい課題の問題として把握した。このよう に,生活様式を現代資本主義の資本蓄積と階級闘争の中心問題の1つとして位 置づけたところにグラムシの特筆すべき理論的功績があるといってよい。  そこで,次に,こうした現代の資本蓄積および階級闘争との問題とのかかわ りで各論老の論点に若干のコメントをしておこう。  まず第1に,すでにみたように,オコンナーは現代の生活様式を資本蓄積構 造の危機にかかわる問題としてとらえ,現代の大量消費=個人主義的消費生活

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 18 彦根論叢 第236号 様式が,労働者の労働力価値の増大→資本の相対的剰余価値の減少→搾取率・ 利潤率の低下,というメカニズムによって資本蓄積の危機要因となっているこ とを主張した。オコンナーにおいては,大量消費のもとでサラリーマン層など の労働老の消費バスケットのなかみがふくらみ,「高賃金」化し,その結果労 働力価値が増大することが彼の資本蓄積の危機に関する理論図式の支柱となっ ている。確かにオコンナーのいうように,現代資本主義は,企業のマーケティ ングや消費者信用制度を通じて労働者の消費欲望を刺激し,労働者に大量消費 を持続的に強制する限りでは,労働者の生計費を膨張させ,労働力の価値水準 を上昇させる側面をもっているといえるであろう。しかし,現代資本主義のも とでは,大量消費による生計費の膨張とそれをつぐなう追加所得の必要のため に,労働者本人の長時間労働の傾向や主婦の賃労働者化が絶えず引き起こされ ている。すなわち,現代の,アメリカ的生活様式のもとでは,労働者の長時間 労働による絶対的剰余価値の増大傾向や主婦の賃労働者化による労働力の価値 分割の拡大(したがって労働力の個別価値の縮小)の傾向も見いだされる。 したがって,現代の生活様式を資本蓄積の危機の把握の問題にまで高めたのは オコンナーの評価されるべき点であるが,必ずしも,オコンナーのいうように 労働力価値の増大による相対的剰余価値の縮小という関係だけで現代の蓄積の 危機の主要な:要因を論じることはできない。  むしろ,蓄積の危機とのかかわりでいえば,大量消費体制に立脚する現代の 生活様式は,資源エネルギーの浪費性,環境の破壊性,私的個人的消費と社会 的共同的消費のアンバランス,消費者信用などによる大衆の実質購買力を上回 った消費市場の拡張など,資本の蓄積構造や蓄積条件の不安定性と不健全性を ますます増幅していく性格を有していることが指摘されるであろう。  第2に,グラムシによる「アメリカの商標のつかない『独創的な』生活体系 を見いだす義務』」の提起やオコンナーによる「労働者の消費」のための闘争 の提起のごとく,現代の生活様式は現代の階級闘争に新たな課題を提起してい ることが指摘されてきた。提起されてきたのは,労働者生活における=一ズ 充足の形態を商品化による疎外された形態からいかに脱却させるか(オコンナ

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一),あるいは私的個人主義的消費優先の傾向に対していかに生活の共同性を 確保し(コーール),公共的消費の立ち遅れをいかに解消していくか,などの課 題である。オコンナーは,現代の消費者運動や環境保全運動などの社会運動形 態を生活ニーズの商品物象化を批判する.現代階級闘争の重要な構成部分として 評価し,とくに労働者が資本の生産過程と生産物に対する社会的規制を発展さ せることの重要性を強調している。オコンナーの指摘するごとく,現代生活様 式のもとで労働者は,商品物象化に対する批判意識を強めて資本の生産過程と 生産物を社会的に規制し,必要生活手段の質的改革を不断に追求していくこと がもとめられている。しかし,そうした運動は,それだけで必ずしも,現代の 労働者が巻き込まれている消費の私的個人主義的傾向を大きく変更させ,労働 者相互の生活の社会的共同性をつくりだしていくものではない。  他方,国家や自治体の提供する公共的消費を拡大する闘争は,労働者の生活 ニーズの非商品形態での充足と生活の共同性を再建する展望をもつものである が,しかしまた私的個人的消費とのあいだの社会的調整をぬきにして,公共的 消費の拡大だけを追求することにも限界がある。  以上のような点から,現代の生活様式をめぐる階級闘争は,共同主義と個人 主義,共同的生活と個人的生活とのあいだの調整,つまり社会的共同消費様式 の拡充を基礎に,それが私的個人的消費の質的改良と結びついて発展していく 展望をもつことが要請されているといえる。われわれは,その点で,コールの 「共面的生活様式!が,地域社会における共同的消費様式の必要性の強調だけ でなく,私的個人的な家族生活の質を高める内容としても構想されていたこと が想起される。  最:後に,われわれは,グラムシの提起した現代階級闘争における生活様式を めぐる社会的ヘゲモニーについても,ブレイヴァマンとの対比で触れておく必 要があろう。  すでにみたように,ブレイヴァマンは,現代生活様式のもとで労働者生活の 市場への全面的従属と労働者の生活能力の衰退を主張したが,その議論は,階 級闘争への課題提起や労働者の主体形成の展望を欠くものであった。しかし,

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 20 彦根論叢 第236号 グラムシは,現代の産業生活や都市社会生活の内容が,労働者に貧困化の苦痛 をおよぼしつつも,それらが決して固定的絶対的なものではなく,不断に変化 せざるをえない点に目をむけ,この変化が,社会諸階級の「ヘゲモニーの問題         を不断に新しい基礎のうえにおく」ことを指摘している。このグラムシのヘゲ モニーの視点こそ,生活様式の創出,再編成,転換をめぐる現代の階級闘争の 課題と労働者の主体形成を展望していく基本的視点といってよい。まさにこの 点が,グラムシとブレイヴァマンの最も対比されるべきところである。 22) 前掲,邦訳,36ページ。

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