ピアノ演奏家を対象としたスポーツコンディショニング介入の影響
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第70巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 70, No.1. 令 和 元 年 8 月 August, 2019. ピアノ演奏家を対象としたスポーツコンディショニング介入の影響 寅嶋 静香・小山 優吾・深井 尚子・山田 亮 北海道教育大学岩見沢校芸術・スポーツ文化学科. Influence of a Sport Conditioning Intervention on Piano Players TORASHIMA Shizuka, KOYAMA Yugo, FUKAI Shoko and YAMADA Ryo Department of Arts and Sports, and Cultural Creative Studies, Iwamizawa Campus, Hokkaido University of Education. ABSTRACT Skilled athletes and musicians spend a huge amount of time practicing so that they can acquire more advanced skills. Therefore, training for “physical conditioning" among both musicians and athletes has been increasing in recent years(Ohtsuki, 1994). However, no existing study has examined the introduction of physical conditioning to musicians and assessed its effects. The purpose of this research is to examine the influence of a sport conditioning intervention on fitness levels and subjective symptoms in piano players. The participants included 10 students majoring in music at H University. Participants were introduced to sport conditioning, and training was conducted every day for a week; this included both general and customized training for all 10 participants. The following measurements were implemented before and after the intervention: ⑴ physical tests-9 tests, ⑵ subjective symptoms-answering questions about 25 subjective symptoms on a five-point scale, and ⑶ interviews with participants about their subjective health and performance. In the physical test, significant differences were recognized in “Sit-up” and “Thigh rear surface pliability” tests after the intervention (both p<.05). As for subjective symptoms, after intervention, the messages such as “the bad condition of the shoulder joint circumference has been improved” were received from the participants. Moreover, “subjective change in performance,” for example, in level of relaxation, was recognized. Furthermore, participants were informed by their trainers that “good changes” had been observed in posture during performances and content of performances. Based on this research, the introduction of sport conditioning to the participants is considered to have enhanced their mental and physical health. Moreover, the possibility of positive influence on piano performance was found during both subjective and objective performance evaluations (that is, by participants and trainers). Thus, this training seems to be effective for musicians’ practice and skills, even after a short period of time.. 121.
(3) TORASHIMA Shizuka, et al. Ⅰ.緒 言. して受容することを指摘している。例えば,スポー ツ競技では捻挫をはじめ,過度な練習によるダ. 熟練したスポーツ競技者と熟練した演奏家に. メージが多数にのぼることが報告されている(山. は,健康・スポーツ科学の視点から,2つの共通. 本,2004・2006)。一方,演奏家においてはスポー. 点が存在する(寅嶋ら,2017) 。それは「クオリ. ツのラケット種目と類似した腱鞘炎,ピアノ特有. ティの高い演奏・競技スキルを何度も反復でき. ともいわれるジストニアなどが指摘されている. る」こと,そして「タフな心身を持つ」という点. (Lee, et al,2005)。このように,どちらの分野. である。これらの背景には,幾度となく行われる. も身体的不調を抱えたままでは,練習・訓練を満. 反復練習・訓練があること(工藤,2013・寅嶋. 足に行なうことはできない。したがって,スポー. ら,2015) ,そして多関節を制御する,複雑な神. ツ競技者および演奏家は,熟練の過程で「繰り返. 経制御メカニズムを脳に有していることがある. し行なう反復練習」と「身体のコンディションの. (大築,1994) 。. 維持」を並行して行なう必要がある。. 例えば,ピアノ演奏の場合,指の動きが重要で. Bill(2010)は,スポーツ競技者において心身. ある。指を動かす関節は,指1本あたり3カ所で. の コ ン デ ィ シ ョ ン が 良 好 で あ る と, 最 高 の パ. あり,両手で28カ所にのぼる。これに左右の肩関. フォーマンス遂行につながると示唆した。また,. 節や肘関節,手首の関節を加えると上肢だけで34. Esther(2006)は,音楽家のコンディショニング. もの関節を同時制御する必要がある。さらに,リ. が良好であれば,心地よく,かつ,ぶれない演奏. ズムコントロールや情緒・抑揚を持たせることな. を奏でることが可能であると述べている。このよ. ども考慮すると,ピアノ演奏には大変複雑な随意. うに, 「コンディショニングは有効」という報告が,. 運動=人の基本的な運動メカニズムの遂行が求め. スポーツ・音楽各々の分野で確認されている。. られるのである(伊藤,1970) 。このことは,ピ. 山本(2014)は,スポーツ競技者へのコンディ. アノ以外の楽器演奏についても,同様にいえるだ. ショニングの介入が,姿勢や身体的不調の改善,. ろう。また,この随意運動を行なう際には,大脳. 体幹筋力の向上に寄与することを示唆した。さら. から動かしたい筋肉へ,運動神経を介して指令を. に,竹田(2018)は,コンディショニング介入に. 出すフィードフォワード作用,感覚器から大脳へ,. よる筋肉量の増加と瞬発力の増強を報告してい. 知覚神経を介して新たな情報を返還するフィード. る。また,コンディショニングによる最大筋力回. バック作用が瞬時に行われる(大築,1994・工. 復の報告(伊藤,2006)や,体脂肪減少の効果を. 藤,2013・寅嶋ら,2015)。この2つの作用が練. 齎す示唆(Carrasco,2018)等が明らかにされて. 習によって何度も反復されることで,神経-筋の. きた。このように,スポーツ競技者を対象とした. 協調性が強化され,その随意運動の「運動プログ. コンディショニング介入の推進や,実際の介入事. ラム」が小脳へ記憶される。スポーツや音楽にお. 例は少なくない。一方,神原(2004)は,演奏に. ける熟練者は,これを量産し,遂行可能な随意運. 求められる集中力を養うためにも,コンディショ. 動のスキルの幅を広げているのである。以上のこ. ンを整える重要性を指摘している。また,萩山. とから,楽器の演奏には随意運動の採用が不可欠. (2011)は,コンディショニング実践は,負担の. であり,その熟練度を高めるためには,膨大な量. 少ない身体の使い方を学習できる利点があるとし. の反復訓練や練習が必要であるといえる。. ている。さらに,Esther(2006)は,身体のコン. しかし,膨大な練習を行うためにはその内容に. ディションを整えることで「効率の良い身体の動. 耐えうるだけの身体が必要である。宮下ら(2006). き」を学び,「演奏後の疲労から速やかに回復す. は,身体を酷使する訓練や練習の反復には,身体. ることができる」点をあげている。このように,. にダメージを与えることもリスクマネジメントと. スポーツ競技者同様,演奏家に対し,コンディショ. 122.
(4) ピアノ演奏家へのコンディショニング介入の影響. ニング介入を推進する動きは増えている。しかし,. る主観的な自身の身体や精神の変容を感じたこと. 実際に音楽家へそれを介入し,その介入前後に体. があった場合に,回答を求めるという形式でイン. 力テスト等の評価法を用いてその影響を観察した. タビュー調査を行った。また,指導者には,介入. 報告は未だみられていない。. 前後の被験者らの演奏の様子や,身体技法等につ いて,各々コメントを得た後,その意味内容の類. Ⅱ.研究目的. 似点をもとに分類(寅嶋ら,2018)した。. 本研究の目的は,ピアノ演奏家を対象としたス. 3.スポーツコンディショニングの内容. ポーツコンディショニング介入による,行動体力. スポーツコンディショニングの内容は,被験者. の「機能面(筋持久力や柔軟性等)」と精神的健. 10名全員の共通のものと,各個人へ適応させたト. 康(自覚症調べ)に対する影響の有無を検討する. レーニング内容(2種目)を行った(図1)。. ことであった。そして,被験者ら及び演奏指導者 へインタビュー調査を行い,主観的健康観を含め たその介入の影響を調査することであった。. Ⅲ.研究方法 1.調査対象・期間 本研究の被験者は,H大学の音楽文化専攻鍵盤 楽器コースに所属する学生10名(男性2名,女性 8名)であり,都道府県やアジア大会での優勝経 験を有する者等を含む熟練したピアノ演奏家で あった。調査期間は2018年10月~11月であった。 2.調査内容. 図1−1 被験者全員に共通して介入した スポーツコンディショニング. 本研究は,1週間のスポーツコンディショニン グ介入の有無による比較検討を行う調査であっ た。 この介入における前後比較の検討指標として, 身体的体力の行動体力における機能面(猪飼, 1969)の体力テスト(日常体力テスト(藪下ら, 2014) ・柔軟性テスト(山本,2004);全9種目), および精神的健康(主観的健康観)を示す「自覚 症しらべ(日本産業衛生学会産業疲労研究会, 2002;25項目の自覚症状に関する問いを5件法で 回答;合計得点値が高い程,疲労感やだるさを感 じていると判定される.1点;まったくそう感じ ない→5点;強く(疲労などを)感じる=満点の 場合125点となる.8割前後の得点値を示した場 合, 医療機関への受診を勧められる)」を行った。 また,10名を対象に,介入前後において感じられ. 図1−2 被験者個人に介入した スポーツコンディショニング (個々人により種目数は異なる). 123.
(5) TORASHIMA Shizuka, et al. 4.分析方法. (±0.67)点から介入後3.0(±0.63)点へ,左脚. 本研究では,スポーツコンディショニング介入. が介入前2.5(±0.67)点から介入後2.9(±0.54). による影響の有無を前後比較において検討するた. 点へと有意に変化した。. め,対応のあるt検定を採用し,有意水準は5%. 他の測定項目(しゃがみ込みテスト,片脚立ち. 未 満 と し た。 統 計 解 析 はMicrosoft office Excel. 上がりテスト,片脚持続立ちテスト,長座体前屈. 2013を使用した。. テスト,バックスクラッチテスト,上体反らしテ スト,柔軟性テスト(大腿部前面) )では,平均. 5.倫理的配慮. 値の上昇は見受けられたものの,有意な差をもっ. 研究の目的・意義・方法・期間・研究協力者の. ての変容は確認されなかった。. 自由意志の尊重,匿名性の厳守,データ管理など について,介入前に説明した。また,研究協力の. 2.自覚症しらべ. 承諾は直接,被験者から得た。. 図2に,コンディショニング介入前後の自覚症 調べの得点を示した。被験者10名の得点平均値は,. Ⅳ.結 果 1.体力測定. 介入前42.5(±8.67)点から介入後36(±7.5)点 へと変化し,有意な減少を認める結果となった (p<0.001)。. 表1に,スポーツコンディショニング介入前後 における体力テストの測定値の平均値及び標準偏. 3.インタビュー調査. 差を示した。. 1)被験者 ⑴ 身体的側面に対して. 表1 介入前後における体力テストの測定値の変容. 表2−1に,コンディショニング介入前後にお ける被験者の主観的な「身体的側面」に関係する インタビュー結果を示した。 表2−1 介入前後における被験者の主観的な身体 的変容に関する回答. 有意な上昇が認められたのは,上体起こしと 大腿部後面の柔軟性テストであった。上体起こ. 被験者10名中5名より,「腰痛の解消」「肩こり. しでは,介入前17.9(±7.67)回から介入後19.4. の軽減」等のメッセージが得られた。この他にも. (±7.74) 回へと,5%水準で有意差が認められた。. 「運動が苦ではなくなった」,「足がスムーズに動. 大腿部後面の柔軟性テストでは,右脚が介入前2.5. くように」, 「体が柔らかい」等の回答が得られた。. 124.
(6) ピアノ演奏家へのコンディショニング介入の影響. ⑵ 精神的側面に対して 表2−2に,介入前後における被験者の主観的. 表2−3 介入前後における被験者の主観的な演奏 中・演奏後の感覚について. な「精神的側面」に関するインタビュー結果を示 した。被験者10名中4名から,「体を動かすのは 気持ちが良い」 ,「気分がスッキリした」,「嫌なこ とがあった時, 運動すると少し気分が晴れた」, 「活 気が出た」とのポジティブな回答が得られた。他 5名に関しては,特になし,あるいは精神的な側 面に対しての印象回答が得られなかった。 表2−2 介入前後における被験者の主観的な精神 的変容に関する回答 表3−1 介入前後の指導者からみた被験者の演奏 に関わる変容要素について⑴. 表3−2 介入前後の指導者からみた被験者の演奏 に関わる変容要素について⑵. ⑶ 演奏中・演奏後における感覚について 表2−3に,介入前後における被験者の主観的 な 「演奏中・演奏後の感覚」に関するインタビュー 結果を示した。被験者10名中6名から「脱力がで. Ⅴ.考 察. きた」 , 「演奏後の疲れが減った」,「腰への負担が. 本研究の目的は,ピアノ演奏家に対するスポー. 減った」等の回答が得られた。その他の4名から. ツコンディショニング介入が,行動体力の「機能. は「特になし」との回答であった。. 面(柔軟性や筋持久力等)」および「主観的健康 観(自覚症調べ)」に如何なる影響を及ぼすのか. 2)指導者. を調査することであった。さらに,この介入が演. 表3−1・3−2に,介入前後における被験者. 奏家に対し,如何なる影響が齎されるかを調査し,. のピアノ演奏に関わる変容要素について,指導者. スポーツと音楽の両分野における複合研究の一端. にインタビューを行った結果を示した。被験者10. を明らかにすることであった。. 名中6名において,指導者から良好なコメントが. 以下,順に明記する。. 得られた。特に,その中の4名に関して,具体的 な曲名とその印象に対するメッセージもあげられ. 1.体力テスト. ていた。. 本研究の被験者は,鍵盤楽器コースでピアノ演 奏を専門としている学生であったため,日々ス ポーツ活動に長時間・長期間従事していない。そ. 125.
(7) TORASHIMA Shizuka, et al. して,ピアノ演奏を何時間にも渡って行っていた. 節の屈曲動作が関与しており,柔軟性の向上には,. (平均練習時間4〜8時間;インタビュー調査よ. 継続的な運動が必要であるとの報告がある(坂上. り) 。そして,スポーツコンディショニング介入. ら,2001)。介入したスポーツコンディショニン. 後,上体起こしに関しては,介入前よりも有意な. グには,数種の股関節の屈曲動作に纏わる筋群の. 上昇を示した(17→19回へ) 。また,大腿部後面. ストレッチングが含まれていた(図1−1・1−. の柔軟性テストにおいても,有意差のある上昇へ. 2)。被験者は,それらのストレッチングを1週間,. 転じた。. 抜かりなく実施したものと推察された。. 上体起こし動作は,いわゆる背筋群・腹部の筋. ピアノ演奏遂行時,上肢の動作を伴う鍵盤の扱. 群・股関節周辺筋群すべてが関与してはじめて動. いの他に,下腿三頭筋を中心とした下肢の動作を. 作 遂 行 が な さ れ る と い う 動 作 で あ る(Peter,. 伴う「ペダルを踏む」という運動も関与する。演. 2009) 。本研究の被験者は,これらの筋群を動. 奏する曲目や,演奏者によるそれの解釈や表現方. 員するような,スポーツコンディショニング(図. 法により差は当然生じることが考えられるが,こ. 1−1・1−2)を,日々過不足なく実施してい. の運動を見逃すことはできないだろう(ナガイ,. たものと推察された。特に,股関節周辺筋群の中. 2017)。さらに,ピアノ演奏時のそもそもの姿勢は,. 心的な存在である,腸腰筋のスポーツコンディ. 股関節屈曲位を保持し続けるという特性を有して. ショニングとして,全員共通のプログラムの中に,. いる(Thomas,2006)。これらのことから,長. ストレッチング運動が組み込まれた(図1−1)。. 時間のピアノ演奏の遂行は,股関節屈曲筋群・足. この「片足を大きく前に出し,反対側の股関節周. 関節周辺筋群・下腿三頭筋へ負荷をかけ,下肢全. 辺筋群をダイナミックに伸展させる動作」は,い. 体に疲労を蓄積する可能性があるといえよう。. わゆるピアノ演奏時に座位姿勢が長時間継続され. 本研究では,股関節屈曲筋群および下腿三頭筋. る=腸腰筋が屈曲状態にある,という状況からの. へスポーツコンディショニング介入を行った(図. 「解放」を意味するといえよう。筋肉は,屈曲と. 1- 2)。この介入にて,筋の活性化が起こり,. 伸展をひとつのセットとして考えることが重要で. 上述の「負荷が軽減された」点につながったもの. あり(山本,2008) ,屈曲動作の継続のみでは,. と考えられた。加えて,ストレッチング介入によ. 筋群の成長・発達は成しえない。つまり,屈曲と. り,下肢筋群の筋緊張が和らいだものと考えられ. 伸展が両者存在することで,はじめて筋力向上や. た。. 柔軟性の向上に結びつくのである(池上,1990・. 以上より,下肢における筋力の向上と,筋緊張. 工藤,2013) 。また,篠原(2018)は,体幹筋力. 軽減により,柔軟性の向上を示唆する。. および股関節周辺筋群の筋力がこの体力テストに. ここで,この上昇の「左右差」について考えて. は大きく関与し,かつその筋群が相乗効果的に力. みたい。どちらの脚部も大腿部後面の柔軟性は向. 発揮をすることが,回数の向上につながると示し. 上したが,左右全く同等の得点ではなかった。. ている。. Banowetz(1989)及び岡田(2008)は,ピア. 以上より,今回のスポーツコンディショニング. ノペダルはピアノの構造上,右(ダンパーペダ. 介入により,普段のピアノ演奏時の股関節屈曲動. ル)・中央(ソステヌートペダル)・左(シフトペ. 作に伸展動作が加わり,筋の活性化が見込まれた. ダル)と3分割されたおり,一般的には右のペダ. ことが推察された。さらには,数種のこの介入の. ルが最も頻繁に用いられると述べている。このこ. 組み合わせが,体幹筋力および股関節周辺筋群の. とから,長時間ピアノと向き合うことが日常化し. 筋力の向上を促し,上体起こしの回数が有意に向. ている被験者には,下肢の筋力および筋持久力に. 上したものと示唆する。. おいて左右差が生じているものと推察された。こ. 続いて,大腿部後面の柔軟性テストでは,股関. の「ペダルを踏む」という動作を単一のものとし. 126.
(8) ピアノ演奏家へのコンディショニング介入の影響. て捉えた場合,下肢全体にそれほど大きな負荷は. の筋が引き伸ばされ,その刺激が知覚神経を通り,. かからない。しかし,被験者は平均して1日に4. のちに中枢まで達し,筋緊張を解く指令を中枢に. 時間,時にはおよそ8時間もピアノと向き合い続. 出させるメカニズムが背景にある(大築,1994)。. ける。たとえ数回この動作を行なうことが低負荷. 本研究における肩関節周辺筋群のストレッチン. であっても,長時間その動作を繰り返すことを考. グ介入により,この一連のメカニズムが促進され,. 慮すると,ピアノ演奏が下肢の筋力や筋持久力に. 肩こりによる痛みの軽減がみられたものと推察さ. 対して,何かしらの影響を及ぼすことが想像でき. れた。また,萩山(2011)は,演奏家が抱える肩. よう。. こりや腰痛などの多くは慢性障害であり,身体の. 以上より,長時間のピアノ演奏が,筋力および. 使い方に原因がある場合が多いと報告している。. 筋持久力という観点から,下肢において左右差を. 同時に,スポーツコンディショニングの実施によ. 生み出した可能性があると推察する。. り,負担がかからない身体の使い方が身につくこ とも報告している。これらより,本研究における. 2.主観的健康観:自覚症調べ及び主観的な心身 の変容―指導者の印象をあわせて―. この介入により,被験者が負担のかからない身体 の使い方を獲得し,抱える痛みがやや軽減した可. 本研究における自覚症調べでは,5件法にて選. 能性が考えられた。. 択された数字が得点化されるというテストであっ. ま た, 主 観 的 な 精 神 的 変 容 に 関 す る イ ン タ. たため, 「得点の数値が高いほど主観的な疲労感. ビュー調査(表2−2)では,「気分がスッキリ. 等が高い」という結果を示す。スポーツコンディ. した」「気分が晴れた」との回答が得られた。他. ショニング介入前後で,被験者10名全て数値が低. にも「活気がでた」という声もあがった。. 下し,平均値にて有意な減少が認められた。これ. 山本(2006・2008)は,ストレッチングを行う. は疲労感などが軽減されたことを意味するものと. ことで,血行促進がより助長されると示している。. とらえられよう。. 身体の疲労とは,いくつかの疲労物質が関与して. 永松(2012)は,スポーツコンディショニング. いる状態である(池上,1990)。ストレッチング. 運動介入後は,リラクゼーション効果があること. 介入により,数種の疲労物質が血中にのって還流. を明らかにしている。さらに,神原(2004)は,. 化されたため,このような主観的メッセージが得. スポーツコンディショニング介入は,主観的疲労. られたのではなかろうか。また,血行の促進から,. 感を軽減させると報告した。. 脳への酸素供給が促されたことも,上述のような. これらより,本研究における被験者によるス. 回答を得られた一要因といえよう。. ポーツコンディショニングの実施が,リラクゼー. 本研究の被験者は,著名なコンクールでの受賞. ション効果を齎し,精神的健康に対して良好な影. 経験を有する者を含む熟練者らであった。そのた. 響を与えたものと推察された。また,スポーツコ. め,長時間に渡るピアノの演奏を日常的に行い,. ンディショニング介入前後における主観的な身体. 週に1度,指導者による90分間の指導を受けてい. 的変容に関するインタビュー調査によって,4名. る。これらのことから,高いレベルでの理想の演. から「肩こりによる痛みの軽減」という回答が得. 奏遂行を求め,心身共に疲労しているということ. られた(表2−1)。これには,ストレッチング. が容易に想像できよう。さらには,指導者の前で. に は 筋 の 緊 張 を 和 ら げ る 効 果 が あ る( 山 本,. 演奏披露を行うプレッシャーも,少なからず存在. 2008・2014)ことが関連しているだろう.筋緊張. するだろう。. 状態は,脳や脊髄などの中枢からその筋肉に対し. 以上のような精神的な疲労や緊張を抱えている. て「緊張させよ」という指令の表出である(伊藤,. ピアノ演奏家から,「スポーツコンディショニン. 1970) 。ストレッチング動作を行うと,その対象. グ介入によって気分が改善」という回答が得られ. 127.
(9) TORASHIMA Shizuka, et al. たことは,スポーツと音楽の両分野における融合. では,上体起こしおよび大腿部後面柔軟性テスト. 研究の進展の一助になるものと推察する。さらに,. において数値の上昇が見られた。このことから,. 介入前後における,主観的な演奏中および演奏後. スポーツコンディショニングによる「行動体力」. の感覚の変容についてのインタビュー調査では. の機能の要素が向上し,自在な身体のコントロー. (表2−3) , 「普段より脱力できた」,「力むこと. ルが可能になったのではないかと推察された。ま. が減った」 , 「楽に腕を動かせるように…」など,. た,被験者の指導者から「介入前の自覚症調べの. 演奏時の身体の使い方に関する回答が得られた。. 点数の高さとピアノ演奏の技量が比例している」. 加えて, 「腰への負担が減った」,「演奏後の疲れ. とのメッセージが得られた。Furuyaら(2008)は,. が減った」というような,身体への負担や疲労の. ピアノの熟練者ほど全身に負担のかからない弾き. 減少を意味する回答も得られた。これらは,上述. 方をしていることを報告している。本研究の被験. のような,スポーツコンディショニングの介入が. 者は,著名なコンクール等での実績を持つ熟練者. 齎した「負担のかからない身体の使い方の獲得」. 達であり,日々ピアノと長時間向き合い続けてい. や「疲労の回復」などによるものだと示唆する。. るといえる。これらのことから,「体への負担を. 本研究におけるスポーツコンディショニング介. 抑えながら弾いているはずの熟練者が,より強い. 入は,1週間であり,1回あたり15分程度で完了. 疲労感を感じている」ということが分かる。これ. するスタイルの,簡易的な内容が多数あった。そ. は,本研究の被験者が想像を絶する程の練習量を. れゆえ,被験者も特に大きな課題を課せられたと. こなしていたことの裏付けであろう。. 感じることなく,取り組むことができたものと思. 以上より,本研究の被験者は真の熟練者であり,. われた。また,主観的ではあるものの,演奏中お. スポーツコンディショニング介入によって良好な. よび演奏後の感覚の変容という被験者の良好な回. 心身の状態へと導かれたことは,知見集約に貢献. 答を聞くことができたのは,1週間の取り組みを. できるものと示唆する。. いかに丁寧に実施してもらえたかが想像できよう。 一方で,被験者の指導者からみた,スポーツコ ンディショニング介入前後における演奏の変容に. Ⅵ.総 括. ついて,10名中6名にて良好な回答が得られた. 本研究の目的は,音楽家に対するスポーツコン. (表2−3) 。さらに,表3−1・3−2では指. ディショニング介入が,行動体力の「機能面(柔. 導者からも良好な変容を認めるコメントが獲得さ. 軟性や筋持久力など)」および「主観的健康観」. れていた。. に如何なる影響を及ぼすのかを調査することで. 表3−1の指導者からみた被験者(E・G)の. あった。さらに,この介入が音楽家にとって如何. 評価では,は,両者ともにスポーツコンディショ. なる影響を与えるかを調査し,スポーツと音楽の. ニング介入後の上体起こし回数が増加していた。. 両分野における複合研究の一端を明らかにするこ. この結果から,体幹筋力の向上に伴い,身体の縦. とであった。被験者はH大学の鍵盤楽器コースの. 軸(重心)が安定したものと推察された。また,. 学生(熟練者)10名であった。被験者の体力測定. 表3−2における被験者(C)は,体力要素につ. および自覚症調べの結果をもとに,1週間のコン. いて大きな向上は見られなかったものの,主観的. ディショニングのプログラム作成と介入を行い,. な変容として「肩こりの症状が軽減された」との. その前後における影響を調査した。その結果,上. 声をあげていた。このことから,スポーツコン. 体起こし・大腿部後面柔軟性テスト・自覚症調べ. ディショニング介入により,身体的疲労の軽減や. において有意差が確認された。さらに,被験者か. 負担のかからない身体の使い方の獲得が実現され. らは心身の良好な変容を認める回答が得られ,さ. た可能性があるといえよう。さらに,被験者(F). らに被験者の指導者から,介入後,「ピアノ演奏. 128.
(10) ピアノ演奏家へのコンディショニング介入の影響. が様々な形で良好な印象を与えている」との示唆 が得られた。 これらより,ピアノ演奏家に対するスポーツコ ンディショントレーニングの介入が有効である可. ⑾ 神原泰三(2004) 『みるみる演奏が楽になる5つのエ クササイズ』 ,音楽之友社,12-14,東京. ⑿ 工藤和俊(2013)スキルの発達と才能教育,体育の 科学63,187-190. ⒀ Lee S, Hanks K.B, Schwartz J(2005)Pianist's. 能性が推察された。このことは,スポーツと音楽. rehabilitation: three cases. Medical problems of. が全く別のものであると捉えられがちであるとい. performing artists. 20 ⑴,35-39.. う現状に, 一石を投じるものとなるかもしれない。 また,スポーツと音楽分野における複合研究の発 展の一助となる可能性が考えられた。. ⒁ 宮下 充正, (2006)『才能教育論―身体活動能力の 開発』 ,放送大学教育振興会,102-104,126-127, 東京. ⒂ 日本産業衛生産業疲労研究会自覚症しらべ,. . <http://square.umin.ac.jp/of/service.html> (アクセス:2019年1月9日). ⒃ ナガイカヤノ(2017) 『演奏者のためのはじめてのボ. Ⅶ.謝 辞. ディ・マッピング―演奏もカラダも生まれ変わる―』 ,. 本研究に関して,鍵盤楽器コースの学生の皆様. グス,55-58,東京.. に深く御礼申し上げます。そして,コンディショ ニング介入に際しご助言を下さいました健康運動 指導士・理学療法士の皆様へ御礼申し上げます。. ヤマハミュージックエンタテインメントホールディン ⒄ 永松俊哉(2012) 『運動とメンタルヘルス―心の健康 に運動はどう関わるか―』 ,杏林書院,2-7,東京. ⒅ 大 築 立 志(1994) 『巧みの科学』 , 朝 倉 書 店,212222,東京. ⒆ 岡田暁生(2008)ピアニストになりたい―19世紀も. Ⅷ.参考文献 ⑴ Banowetz, J(1989)『ピアノペダルの技法』,音楽之 友社,p.21-23,105-108,127,東京. ⑵ Bill F(中村千秋訳)(2010)『スポーツコンディショ ニングハンドブック―パフォーマンスを高めるため に―』,大修館書店,p.12-18,48-55,120-127,東京. ⑶ Carrasco, L.(2018)女性の体脂肪減少にスプリント トレーニングが及ぼす効果,Strength and Conditioning J.⑺,56-63. ⑷ Esther S, R.(2006)『音楽家のための身体コンディ ショニング〜ベストな状態で臨むために』,音楽之友 社,59-61,東京. ⑸ Furuya S, Kinoshita H(2008)Expertise-dependent modulation of muscular and non-muscular torques in multi-joint arm movements during piano keystroke. Neuroscience.1(156),390-402. ⑹ 萩山悟史(2011)『演奏者のカラダストレッチ「りき み」を取る,演奏が変わる』,ヤマハミュージックメディ ア,9,72-74,東京. ⑺ 池上晴夫(1990)『運動処方―理論と実際―』,朝倉 書店,69-72,東京. ⑻ 伊藤貴史(2006)等速性運動による高齢者の体幹筋 力測定プロトコルの作成,理学療法学37,139. ⑼ 伊藤正男(1970)『ニューロンの生理学』,岩波書店, 64-67,東京. ⑽ 猪飼道夫(1969)『運動生理学入門(12版)』,杏林書 院,143-149,東京.. う一つの音楽史―,春秋社,22-28,東京. ⒇ Peter B(2009)『臨床スポーツ医学』,医学映像教育 センター,168-177,東京. 坂上昇,大倉三洋(2001)ストレッチングの筋疲労 回復に関する研究,高知リハビリテーション学院紀要 2 ⑴,1-7. 篠原邦彦(2018) 『ストレングス&コンディショニン グ』 , ベースボールマガジン社,38-44,東京. 竹田大介(2018)超高齢女性におけるパーソナルト レーニングが筋肉量に及ぼす影響についての一事例, Strength and conditioning J.25 ⑹,14-20. 寅嶋静香, 越山賢一(2015)音楽遂行スキル向上に纏 わるスポーツ・コーチング科学からのアプローチ〜芸 術とスポーツ文化の融合を目指して〜『芸術・スポー ツ文化研究1』,北海道教育大学岩見沢校芸術文化学研 究編集部会,大学教育出版,178-182,岡山. 寅嶋静香,山田亮(2017)健康・スポーツ科学から みた楽器演奏・スポーツパフォーマンスの共通視点〜 脱力と出力〜,『芸術・スポーツ文化研究3』,北海道 教育大学岩見沢校芸術文化学研究編集部会,大学教育 出版,268-274,岡山. 寅嶋静香,田口夏美,秋山いずみ,森田憲輝(2018) 単回の健康講座が心身に及ぼす影響―子育て早期にあ る女性を対象とした実証的研究―,北海道体育学研究 53,15-26. Thomas M(古屋普一訳) (2006) 『ピアニストなら だれでも知っておきたい「からだ」のこと』,春秋社, 3-9,東京.. 129.
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