支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 -おかゆの会7年のあゆみから-その2
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(2) 釧路論集 -北海道教育大学釧路校研究紀要-第44号(平成24年度) Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.44(2012):27-40. 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 -おかゆの会 7年のあゆみから-その2 北 川 和 博1・二 宮 信 一2 1 2. 帯広市立啓西小学校. 北海道教育大学釧路校地域学校教育専攻. Birth and developing process of regional association that supports it each other (2) Kazuhiro KITAGAWA1 and Shinichi NINOMIYA2 1 2. Keisei Elementary School in Obihiro, Hokkaido. Kushiro Campus, Hokkaido University of Education. 要 旨 「おかゆの会」は、子どもの居場所・活動拠点づくり」を目的として、保護者、教育関係者、教育委員会のスタッフな どの協働によって2003年4月に幕別町に設立された地域の任意団体であり、「障がい」のある子どもたちや「不登校」 「ひ きこもり」の子どもたちの活動拠点として活動している。その7年の歩みから本会の発展過程を分析し、発展するための 条件を分析した。 会の発展を支えたのは、①役員、会員間のフォーマルな関係だけではなくインフォーマルな関係が重要であったこと、 それもフォーマルな会議におけるインフォーマルな状況の創出がそれをささえたことであり、また、そのような姿勢が、 会員が主体的に会に参画する枠組みとなっていき、「クリスマス会」「まっく・もっく」等の活動の他、地域の関係する人 たちとの出会いから、 「おかゆの会」単独ではできないような様々な活動を生み出していくこととなり、「ひまわり祭への 参加」 「ふれあい広場への参加」 「ダンスチームの結成」などになっていった。②行政が、町と町民の協働の町づくりとい う観点から、パートナーとして対等に関われる町民を育てていく姿勢があったことなどを抽出することができた。いずれ も、自らを学ぶ主体として捉え、 「自己教育主体形成」へと成長していく姿であった。. 確立していった2003年から2006年までの4年間を実践確立. 1.はじめに 1). において、住民自身が主体となって. 期、会員同士の信頼関係を基盤に会自体が自立した活動へ. ヴォランタリーアソシエーション型組織を誕生・発展させ. 動き出した2007年から2009年までの3年間を実践拡張期と. ていくための条件について、事例として幕別町「おかゆの. いう2期の時代に分け詳しく分析を行った。. 筆者は先の論文. 会」について検証を行った。その検証によって「おかゆの 会」の誕生には、誕生以前に保護者や関係者のそれぞれの. 2.実践確立期(2003~2006年). 個人的な学びのサイクル、協同の学びのサイクル、そして. (1)時代背景. 具体的な地域実践を求めた「多声の空間」での学びのサイ. この時期の時代背景としては、福祉分野では2003年4月. クルが存在していた事をあきらかにした。そしてお互いが. に始まった支援費制度が2005年には障害者自立支援法へと. 合流していく背景には、保護者も関係者も鈴木の自己教育. 変わった。教育分野では、特殊教育から特別支援教育への. 2). の「意識化」と「自己意識化」の過程を経て「理. 本格実施の2007年に向けて動きが加速していった時期でも. 性形成」の段階に到達していた事が前提になっていたこと. あった。このようにこの時期は障害児・者を取り巻く社会. を導き出した。本稿では、このような背景と前提の中で誕. 情勢が大きく変化を遂げようとしていた。その事は地域に. 生した「おかゆの会」がその後7年間どのような発展を遂. おける障害児・者を取り巻く環境に大きな影響を与えてい. げていったかを検証していくことにする。. くことになった。. 検証に当たって、おかゆの会が誕生してから、関係者・. (2)活動に生まれた創発的構造. 保護者そして教育委員会が課題を共有し協働による活動が. 設立1年目は、会の活動については全て初めての取り組. 活動. - 27 -.
(3) 北 川 和 博・二 宮 信 一 みであったため、役員会・企画委員会・会報編集会議等、. このように「食」を囲むことで、通常の役員会では出て. 入念な打ち合わせが行われていた。しかし1年間の活動を. こない「会話」が生まれ、フォーマルな中にインフォーマ. 通してその進め方におおよその目途が付いてきたことか. ルな打ち解けた関係性も生じ、設計的構造のみの役員会で. ら、2年目以降、月1回の役員会を定例とし、それまで行っ. は発展しないような会話も挟みながら会議が進行している. てきた企画委員会や編集委員会は行わなくなっている。特. 事が考えられる。創発的構造が加わる事で、そこでは何気. 徴的なのは、その役員会の時に保護者が毎回夕食を作り、. ないつぶやきや一言が取り上げられその事が基点となり、. 出席者が夕食を囲みながら話し合いを行うようになって. 新たな発想が生みだされていく事も数多くあった。このよ. いったことである。この食を囲んでの役員会が始まった背. うに「創発的構造」は、会の活動の柔軟性・発展性・独自. 景には、①「まっく・ざ・まっく研究所」に食事を作る備. 性を生みだしている背景として位置づける事ができる。. 品が備わっていた事②かつて親の会等の活動で大勢の食事. 組織の活動で、設計的構造を持つ活動と創発的構造を持. を作る経験が保護者の中にあった事があげられる。. つ活動が別の場や機会に設定される事は想定されるが、 「お. この食を囲んだ役員会は現在も継続されているが、 「食」. かゆの会」の場合、一つの活動そのものの中に設計的構. を囲みながら話し合うことで、役員会に様々な効果を生み. 造と創発的構造が行き来する事が特徴としてあげられる。. だしていると考えられる。通常役員会はフォーマルな営み. これは設立のために合流していく過程で生じた「多声の空. であるが、この「食」を囲む事でそこにインフォーマルな. 間」が活動方針を「決定」していく時に、会員の対象を限. 営みも存在していくようになる。その事が役員同士の関係. 定しなかった事や、 「居場所・活動拠点づくり」という人. を近づけ話し合いがよりスムーズに進行し柔軟な考えの中. と人のつながりや関係性を重視した活動や方向性だけがあ. で計画が立てられていく背景になっていった。. り、明確な目標をあえて持たなかったという点も創発的構. フリッチョフ・カプラは、人の組織には「設計された構. 造を生み出す背景にあると筆者は考える。そしてこの時点. 造」と「創発する構造」があることを区別し、その両方を. で「多声の空間」が「創発構造を持つ空間」へと移行した. 必要とするとした。そして「設計」の方向へ偏りすぎたシ. と捉える事ができる。. ステムは過度に硬直したものとなり、状況の変化に適応で. やがて役員会の中で「できることからはじめよう」 「ゆっ. きなくなる。一方、 「創発」の方向へ偏りすぎると、組織. くり、楽しく、自分から」という合い言葉が生みだされて. はものやサービスを効果的に生み出す能力を失うこととな. いったのであるが、これは創発的構造をもっていた会だか. るとし、組織にとっての挑戦課題は、設計的構造と創発的. らこそ導かれていった合い言葉であったと考える。. 構造との創造的バランスを見いだすことにあるとしてい. この「食」を囲むという行為は、役員会だけではなく学. る。この2種類の構造特徴を示したのが表1である。3). 生とのミーティングや学習会、 「子ども広場」や「まっく・ もっく」のおやつの時間、総会や忘年会などの懇親会でも. 表1 組織における2種類の構造. 見られる。 「食」を囲むという行為を会の活動の中に取り. 特徴 設計的構造. 入れることで、その場に集う人を引き寄せ、関係を深める という効果を生みだしている。この創発的構造が創り出す. ・フォーマル ・公式文書 ・使命 ・目標と戦略 ・体制. 雰囲気が更に自由な発想と柔軟な思考を導き、会の独自性 と創造性を持った活動を展開し、会の居場所機能やエンパ. ・インフォーマル ・協働 ・友情 創発的構造 ・口コミ ・暗黙のスキル ・知識源. ワメント機能を生みだしていく背景の一つになっていった ものと考える。. 山住勝広「ノットワーキング」新曜社、2008 年 p39 より. (3)大人の「居場所」「学び」そして「主体形成」へ 多くの大人たちがこの時期おかゆの会に抱いていた思い. この2つの構造に照らして「おかゆの会」の役員会を検. をインタビューの中で次のように述べている。. 証していくと、1年目は役員会以外にも企画委員会・会報 編集会議が存在し、会自体に設計的構造が色濃くあった. 「当事者というか、だけじゃなくて、大人の人、スタッフ. が、2年目以降はそれらを無くしている事から、会の中の. でも、関係者でも、ありのままの姿でいいっていう、こと. 信頼関係やインフォーマルな関係性が育っていったと考え. もある。いたいと思える理由だと思うんです。」(Cさん). る事が出来る。 その2年目以降の役員会は、 まず役員となっ ている保護者や関係者が招集され、毎回各自に「役員会レ. 「そのままでもいいんだっていう安堵感みたいな。なんて. ジメ」や「資料」が用意される。そして事務局長である筆. いうか。ここに落ち着いて、周りを長い目でみると、いろ. 者もしくは事務局次長であるG氏がレジメに添って会を進. いろな人がいたんだっていうことが分かってくる。自分だ. 行し「子ども広場」の内容検討や当面の課題について話し. けじゃなくて。スタッフとか、関係者として来ている人た. 合うという設計的構造がある。そこに「食」を囲むという. ちだって、 いろいろな悩みを、 もっていることが分かって。 」. 活動が加わることで、インフォーマルな関係性が生じ創発. (Cさん). 的構造も持ちながら会議が進行していったと考えられる。. 「私は、子どもと一緒に動きたいタイプだし、そういう. - 28 -.
(4) 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 子どもたちとの、中でのつながりは一番、自分らしくいら れるっていうのかな、いままでは、きっと我慢じゃないけ れど、自分を出そうとするのが、きっとなかったの。よく みられるっていうんじゃないけれど、そういうのがあった. 表2 学習会の内容一覧 学 習 内 容 地域活動及び支援費について 2003. 1 講師 足寄町 佐々木浩治氏 年月. 10. 子どもの居場所について 講師 高橋渉氏 (札幌学院大額 教授). 12. 伊藤則博氏(北海道教育大学旭川校 教授)を 囲んで. 2004. 8. 跡部敏之氏(星槎国際高等学校 校長)を囲ん で. かなって、今はつらかったら、つらいっていえるし、もう だめだって。 」 (Aさん) 「波長が合うっていうか、 同じにおいがするっていうか。 あの場の雰囲気だよね、みんな、ほんわかしているという か、ぎすぎす感がないというか」 (Dさん). ジョブコーチについて 10 講師 片平修氏(十勝障害者職業・生活支援セ ンター). 「やっぱり余白だとか伸びしろだとかっていう遊びの部 分、余分な部分がとっても一杯ある会、なぜなら子どもま. 2005. 2 明石洋子氏(川崎市)を囲んで. でみんな巻き込んじゃっているじゃないですか。それは凄. 地域で暮らしていくために 講師 菅原悟さん(開西病院 博愛会). く動きやすいんですよね。親としては。まして人の家の子. 5. も自分の家の子もっていう昔のそれこそご近所さんってい. ジョブコーチについて 6 講師片平修氏(十勝障害者職業・生活支援セン ター). うような」 (Fさん) これらの発言に見られるように、 この頃の 「おかゆの会」. 11 堀口貞子氏(釧路市 小児科医)を囲んで. には、住田が居場所の条件としてあげる主観的条件4) と しての自己受容感、自己肯定感、安心感、居心地の良さ、. 12. 安らぎを、集う保護者自身が感じているがわかる。. 12 田中康雄氏(北海道大学 教授)を囲んで. その事は、悩み・孤立してきた保護者たちもまた、あり のままの自分を受け止めてもらえる居場所を求めていたと 考える事ができる。. 村山雅子氏(札幌市 ウレシパ作業所)を囲ん で. 2006. 2 明石洋子氏(川崎市)を囲んで. また、この時期の会の活動で特徴的な事として、協同で. 8 川辺勝氏(釧路市 釧根地区懇話会)を囲んで. 学びの機会を多く作り出している事である。そのきっかけ となったのは、設立1年目の2003年7月に「足寄町ふれあ い10周年」へ「おかゆの会」役員13名が参加したことであ. ①関係者たちの学びと変容. る。これから活動を始めようとしている「おかゆの会」に. 最初は傍観者的にいた教育委員会のIさんも、おかゆの. とっては、とても貴重な学びの機会であった。この会には. 会で地域の保護者や関係者と出会い、共に活動していく中. 全道各地で地域活動推進者が大勢参加しており、自分の地. で次第におかゆの会に引き込まれていく。その事について. 域事情しかしらなかった会の参加者はとても刺激を受け. 次のように述べている。. た。このように「おかゆの会」として参加していく事が参 加した会員同士の連帯意識を深め、鈴木5) が指摘してい. 「私のおかゆの会の時間は、本音を求めて、本物の大人. る「地域をつくる学び」の中心をなす「自分たちに必要な. を求めていたのだと感じています。」. ものを現実的に、協同して創造する」 (現代の理性形成) ために具体的な活動を学ぶ機会となり、やがて次の段階で. 「おかゆにあることですよね。本物なんですよ。おかゆ. ある「何のために何をどのように学習するかをみずからの. がね。」. ものにしていく」 (自己教育主体形成)へと導かれ保護者 と関係者が協働で様々な活動を生みだす力を引き出してい. このように当初は傍観者的な存在だったIさんも、おか. くきっかけにもなっていったと考えられる。. ゆの会での出会いと活動を通して自分の求めていた「本物. また表2に示すように設立2年目から4年目にかけての. の大人」を発見する事につながっている。Iさんのいう 「本. 時期が数多くの学習会を会として企画していることからも. 物の大人」とは、障害や不登校の子ども・青年たちの保護. 確認でき、研修会へ参加する側から会自体が地域の課題解. 者たちが、おかゆの会にいたるまでのそれぞれの道のりか. 決のために企画する側へ変化している事がわかる。. ら「我が子の豊かな地域生活の実現」に向かっている姿や、 その実現に向けて共に活動している関係者の姿から「理性 形成」の段階にきている大人たちの姿すなわち「なりゆき まかせの客体」ではなく「自らの歴史を作る主体となって いる姿」を見い出したと考えることができる。. - 29 -.
(5) 北 川 和 博・二 宮 信 一 また、Gさんはこの時期のおかゆの会での学びを次のよ. た支援費制度が2005年には障害者自立支援法へと変わって. うに述べている。. いく中で、保護者たちが2006年NPO法人設立へと動いた 事は特筆すべき事である。BさんはNPO法人設立に向かっ. 「おかゆの会の活動が、自分たちの学びになっている。. ていった時の事を講演やインタビューの中で次のように述. それは大きい。それは継続の力になるんだよね。見返りと. べている。. いう表現ではないけど、学び。ただ行って楽しかっただけ では、なかなか、パワーにならないというかね。学生たち. 「私たちは、いつも誰かやってくれないかと、他人任せ. にしても、学びがあるんだよね。 」. でした。幕別本町にデイサービスの事業所を立ち上げたい という人があらわれましたが、私たちが本当に望むものが. 「最初のときも、楽しい時間と空間の提供っていったの. できるのか?本当に子供たちに必要なものを作れるのは親. は、楽しいの中身が、発展したというのかね。そこから、. の私たちではと、思い始めました。そして気持ちが少しず. 学び合いになってきているんだよね。ただ単に楽しいじゃ. つ出来るのではと傾いてきた時、障害者自立支援法が成立. なくて学び合い、 なんかその、 どっちかが一方的に学んで、. し、法人格が無ければ作業所は補助金がもらえず、運営で. どちらかが一方的に学びを与えている関係ではなくて、. きなくなるとなりました。(中略). きっと、それがあるから学び合い」. 運営委員長から、今の運営委員会で、法人格を取得する. . ことは無理であり、この先は本当にひまわりを必要とする. Gさんの発言から、この時期の「おかゆの会」には活動. 保護者が運営するべきとのお話しを聞きました。その言葉. 自体そのものに「学び」の要素があった事が考えられる。. が、後押しになり、再びあいねぎの会のメンバーに思いを. そしてこの学び自体が地域の人の「ために」と活動してい. 伝え、みんなの気持ちも一つになり、法人格の取得に踏み. る関係者自身をエンパワメントしていったと考えられる。. 切りました。」. 鈴木は、この「エンパワメント」に関して「現実的な環. 「私たちがNPOを取得するにあたっても、おかゆの会の. 境や社会関係を変革し創造していくこと」 「そのために必. 存在は欠かすことが出来ません。この4年間で、いろいろ. 要な力量を形成すること」が含まれていることから、 「主. な方と知り合うことで、ネットワークが広がり、 「ここの. 体的力量形成」と訳し位置づけている。そして、このエン. ところはあの人に聞いてみよう。 」 「ここはあの人が詳し. パワメントの概念は、 「社会的不利益を受けてきた人だけ. い」とサポートをしてくれる人がたくさん出来ました。何. に限定されるものではなく、そうした人々のためにボラン. もわからない私たちには心強いことでした。」. ティア活動をしている人々が活動をとおしてみずから勇気 づけられるようになること、そもそも自己を発見し見直す. 「はじめはあいねぎ会で、じゃ、みんなでがんばろうよ、. ためにそうした活動に参加している場合が多い」6)と指摘. でもどうにもならない、親たちの力ではどうにもならな. している。. い、っておかゆができて、また人任せで、おかゆがどうに. ここで指摘されている事は、IさんやGさんの発言から. かしてくれるよって、わたしたちの中では、ちょっと思っ. も、 「おかゆの会」 の活動は、 関係者自身の学びの場となり、. ていた。すごいスタッフもそろっているし、そしたら、わ. 活動に参加していくことでエンパワメントされていったと. たしたちはついていけば、また、きっとどうにかしてくれ. 確認することができる。. るよって人任せ状態。本当にいいのかなあって、すごい1. ②保護者たちの学び. 年近く悩んできたんですよ。」. 保護者は「あいねぎの会」から「おかゆの会」の活動を 通して共有してきた地域課題の解決に向けて具体的な動き. これらのBさんの発言からも、今までは福祉サービスを. をしている。会の代表を務めているEさんは協同の学びの. 受けてきた側が、サービスの提供者になるという福祉の客. 中で得たものとして次のように語っている。. 体から主体へと転換していく様子がわかる。その主体へと 導いていった背景として支援費制度が障害者自立支援法へ. 「色々な研修会にみんなで一緒に行って、色々な地域の. と変わる時に、幕別町に唯一存在していた「ひまわりの. 動きを知らないと、って、自分も地域に対して動きを起こ. 家」が法人格が無いため存続できないという危機的な状況. さなければならないと、俺も目覚めたのさ。 」. があった事は確かである。しかしその危機的状況を乗り切 るためには、Bさんはじめ「あいねぎの会」のメンバーに. この発言は「おかゆの会」における協同の学びの機会が. とって、それまでの期間に着実に関係者とのつながりを広. 日常生活において「なりゆきまかせの客体」となっている. げ、そして地域課題解決のための協同の学びを経過してい. ような無意識な状態から、 「自らの歴史を作る主体」へと. た事が大きい。. 導かれていった事を物語っている。これはEさんに限らず. この保護者たちの一連の動きの中に、鈴木がいう「エン. 会の役員で中核を担っている「あいねぎの会」の保護者た. パワメント」すなわち「主体的力量形成」の過程がを読み. ちも同様の感覚をもっていた。そして2003年4月に始まっ. 取ることができる。保護者たちは「あいねぎの会」から「お. - 30 -.
(6) 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 かゆの会」の活動という一連の流れの中で「現実的な環境. けるエンパワメントモデル」である。. や社会関係を変革し創造していく力」を着実に身につけて 図2 おかゆの会のエンパワメントモデル. いったのである。 ③協働が生み出した「エンパワメント環境」 武田はエンパワメントには①個人、②環境、③個人と環 境の相互作用の3つの概念が含まれ、この3つの要素を基 本とした、 「個人因子強化モデル」 「環境因子強化モデル」、 、 「相互関係強化モデル」という図1のような3つのモデル を提示し、 「相互強化モデル」の進化した形として個人・ 環境ともに強化されながら、個人と環境の相互作用を強化 する「調整」が進むことによって接点がより増加するモデ ルを示した。7)ここで示す個人とは「個人の持つパワー」、 環境とは「環境の受け入れ状況」 、その接点が増加するこ とは「エンパワメントが進行」することを示す。 図1 エンパワメントの類型モデル. 網の目の部分のエンパワメントの接点が増大していく事 で、「おかゆの会」自体が「居場所機能」と「エンパワメ ント機能」を兼ね備えた環境へと進行していった。 そして、この集う大人たちが創り出した「居場所機能」 と「エンパワメント機能」を兼ね備えたおかゆの会の環境 が、子どもたちや青年たちにも自己受容感、自己肯定感、 安心感、居心地の良さという感覚的意味(主観的条件)を 提供していく事につながり、やがて子どもたち・青年たち の居場所として根付いていったと筆者は考える。 (4)子どもたち・青年たちの成長 子ども・青年たちにも「居場所感覚」を与え、活動を通 してエンパワメントされ次なる歩を始めた姿を会報や5周 年記念誌に会員が寄せた文章の中に読み取ることが出来 る。 「12月に不登校になった娘でしたが、「おかゆの会」の行 事だけは、ほとんど参加しました。私たちはここで息抜き 武田康晴、「エンパワメントアプローチの実践に関する一. をし、元気をもらい、笑うことを思い出しました。11月. 考察Ⅰ」、華頂短期大学研究紀要第51号、華頂短期大学、. からは私一人で学校へ行く娘の姿を玄関で見送っていま. 2006年、図1~図5より引用. 8) す。」. このモデルを参考に、おかゆの会のエンパワメント機能. 「木曜日の放課後の数時間は小学4年生の娘にとって特. が強化されていく経過を考察していくと、①個人が居場所. 別な時間で、この日は早々に学校を飛び出して、 「まっく・. の空間的条件を備えた環境に接近していくベクトルがまず. ざ・まっく」に伺います。はじめは娘一人の参加でしたが、. あり、その環境が集う人たちの関係性によって「居場所機. 今では私も一緒に参加させてもらっています。まっく・もっ. 能」を生み出し環境自体が強化されていった。②強化され. くでの娘は自分のしたいことを次々に見つけ、親を頼るこ. 充実していく環境も又、個人に対して強化していくような. となく自由に行動しています。家では何をするにも「おか. ベクトルが作用し始めていった。③やがて①と②が循環し. あさん」の娘なのに、ここでは別人みたいです。娘の大好. ながら、お互いが強化され、エンパワメントの進行接点が. きなおやつ作りをさせてもらえるのも魅力のようです。こ. 増大していった。と考える事ができる。その動きを武田の. こでは、親以上に頼りになる大人の方がまわりにいて時に. モデル図を参考にして作成したのが図2「おかゆの会にお. 厳しく、でもとってもやさしく接してくださる為でしょう. - 31 -.
(7) 北 川 和 博・二 宮 信 一 か、娘は安心しきって楽しんでいます。まっくもっくの空. (5)教育委員会の支援. 間では大人も子どももお互いを尊重し合って心地よく過ご. おかゆの会の活動が軌道にのるまで後方から支えたのが. せるようです。 」9). 幕別町教育委員会である。2008年に小川恭子が、設立時の 教育委員会のスタンスや支援内容について報告している。12). 「一昨年の冬、障害がわかり、不登校になった娘と私を. 設立時の教育委員会のスタンスと支援方法をまとめると次. 気づかい、おかゆの会を紹介してくれた人がいました。多. のようになる。. 少のおっくうさと不安にかられながらMさん親子と「まっ. ・教育委員会の職員が「おかゆの会」の会員となり、会議. く・ざ・まっく研究所」のドアを始めてくぐったのが昨年. や行事には参加し会からの要望は、自分の意見は挟まずそ. の4月12日。2回3回とまっくの回数を重ねる度、家とデ. のまま教育委員会に報告する。. パートを往復する私たちの生活は少しずつ外の世界へと広. ・教育委員会として「おかゆの会」への予算付けはしない. がり、3才児程度と診断された娘は「まっく・ざ・まっく」. が、建物は幕別町百年記念ホールの付属施設なので、光熱. の中では一人で行動する10歳の娘に変身して私を驚かせま. 費や建物の改修については百年ホールの材料費として支出. した。 例えは悪いのですが、 おかゆの会の関係者の方々は、. する。. 一人一人が海に浮かぶ“うき”のように思えます。一つ一. ・校長会や教頭会に賛同を呼びかけたり、各種助成金の情. つがつながっていて、その下の網の中の小さな海で、子ど. 報提供をし間接的に財政的な支援をしていく。. もたちは(私も)自由に泳いでいます。波の荒い時、輪の. ・百年記念ホールの学習室や調理室の利用、その他の関係. 形はくずれ、でもいつのまにか元に戻り、やがて成長した. 施設の利用については教育委員会を通して申請する事で無. 子どもたちは外の海へと泳ぎ出します。大海の中のこの小. 償とする。. さな海は子どもたちが、いつでも戻れる故郷の海だと思い. ・建物の管理(鍵の管理や暖房など)は、おかゆの会に任. 10). ます。 」. せる。 また小川幸裕は、この時期の教育委員会の姿勢を分析. これらの文章からも大人が創り出した「まっく・ざ・まっ. し、教育委員会が意識したのは当事者との対等な関係を築. く研究所」を拠点としたおかゆの会の活動は、子どもたち. けるよう出来るだけ発言を控える姿勢を保つ一方で、「な. や青年たちに「居場所感覚」を与えていっていることがわ. んでも言って欲しい」という姿勢を示し、賛同会員を募る. かる。. 声がけや、要望があれば応えていく態度を伝える努力を. 荻原は子ども・若者の居場所の条件・意味について、①. 13) 行っていたと指摘している。. 居場所は「自分」という存在感と共にある。②居場所は自. このように「おかゆの会」の設立と会の活動を開始する. 分と他者との相互承認という関わりにおいて生まれる。③. にあたって教育委員会が全面的に支援する姿勢を持ってい. 居場所は生きられた身体としての自分が、他者・事柄・物. たことがわかる。これは、2000年に施行された「幕別町ま. へと相互浸透的に伸び広がっていくことで生まれる。④同. ちづくり町民参加条例」の基本理念に「町民参加の推進は. 時にそれは世界(他者・事柄・物)の中での自分のポジショ. 町民の持つ豊かな社会経験と創造的な活動を通して、町民. ンの獲得であるとともに、人生の方向性を生む。11)として. と町が協働して町民福祉の向上と自主・自立のまちづくり. いる。. の実現を図る」とあるように、行政の側に町民との協働と. 先の論文1) で「まっく・ざ・まっく研究所とその周辺. いうスタンスがすでにあり、従来のトップダウン的な関係. 環境」は、物理的空間的条件として自由さと柔軟さを十分. を排し対等なパートナーシップ関係を築く事を意識しなが. 兼ね備え居場所として根付く可能性があることを指摘した. ら役員会に参加していた事が考えられる。. が、そこに集う大人たちが協働で創り出した空間が、子ど. (6)学生サークル「こめつ部」の誕生. も・青年たちにとって「居場所感覚」を提供し、それぞれ. おかゆの会の活動を支えてきている事の一つに、帯広大. の「居場所」として根付いていったことがわかる。このこ. 谷短期大学の学生サークル「こめつ部」の存在がある。そ. とは荻原が指摘する子ども・青年たちにとっての居場所の. のこめつ部がこの時期に誕生し活動を開始している。. 条件を①から順に満たしていった過程としてとらえる事も. 「こめつ部」は、2004年1月に誕生したのであるが、そ. できる。そしてその過程の中でそれぞれをエンパワメント. の背景には、おかゆの会の設立段階から役員として話し合. し、次なる成長へのきっかけや機会になっていったと考え. いに参加していた当時帯広大谷短期大学で講師をしていた. る事が出来る。 . OG氏の存在が大きい。. このように、 この時期に会に生まれた 「居場所機能」や「エ. 氏は会設立の準備段階から勤務していた短大の学生に声. ンパワメント機能」が会員同士が「育ち合う」 「学び合う」. をかけボランティアとして参加を募っていた。その声に応. という関係性へと進化させ、設立当初掲げていた会の理念. じて会が設立する準備段階の中で行った「クリスマス会」. であった「子ども・青年たちの居場所・活動拠点づくり」. や「子ども広場」に学生ボランティアとして数名が参加す. から「みんなが育ち合い、学びあう会」に発展し、会の方. るようになり、会が設立した1年目には5名の学生が会の. 向性が更に明確になっていったのである。. 活動を支えてくれた。そして会設立2年目にその学生達が. - 32 -.
(8) 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 図3-3 活動3年目の状況. サークル「こめつ部」を結成し活動を全面的にバックアッ プする体制を作っていったのである。その後毎年新しい学 生が加入し会の活動を支える存在となっている。学生は会 の役員会にも毎回2~3名参加し、会の活動計画から積極 的に会の運営に携わるようになり、これまでにも学生企画 として動物園見学やミニ運動会も実施されている。 (7)拡張していった活動 この時期の会の活動状況を年度ごとに示したの図3-1 から図3-4である。 このように図で示し概観していく と、その年ごとに会員の増加や支援状況、外部とのつなが りによって活動内容が変遷していく状況がわかる。 おかゆの会の発展過程では、おかゆの会という組織を中 心にしながら、その年の会の状況や会員の増加や要望に合 わせて、柔軟に活動内容が生まれたり、無くなっている状 況や、外部団体とのつながりや会の活動を支える関係機関. 図3-4 活動4年目の状況. との接点も年を追う毎に増えていっている。その外部や関 係機関との接点、会員同士のつながりが増えるにしたがっ て、会独自では実現できない活動も可能となり、活動内容 も多岐にわたるようになっている状況が確認できる。 図3-1 活動1年目の状況. 山住が「新しい実践は合併と増殖の過程をたどるととも に、反省的に評価される。このように拡張的学習は螺旋的 に進行する」14)と指摘しているように、会が誕生していく 過程の中で、確認する事ができた個人の学びから協同の学 びそして「多声の空間」での学びのサイクルの拡張が、そ 図3-2 活動2年目の状況. のままそのメンバーが会の役員へと移行する事により、会 の具体的実践にも継承されさらに螺旋的に拡張していった と言える。 そしておかゆの会の活動が「食」を囲むという行為をきっ かけに、会員同士の関係を更に近づけインフォーマルな関 係の中で「多声の空間」から「創発的構造」を会の活動 自体にもたらしていく経過をたどったわけであるが、この 創発する学習の形態としてエンゲストロームは、「『アメー バー状』や『野火』と表現できるような集合的活動におけ る拡張的学習」と表現し、それをノットワーキングと名づ 15) けた。. この「アメーバー状」 「野火」と表現されるような拡張 的学習の新たな形態は、「『学び』『遊び』『交流』『仕事』 といった活動がハイブリットに融合し、活動の対象がオー バーラップしていく中で、学習が網の目状につながってい. - 33 -.
(9) 北 川 和 博・二 宮 信 一 くこと。すなわち、越境する拡張的学習が、そこに生起し. は「おかゆの会」のような関係機関との関係を築き地域に. てくる。 」と述べている。. 根ざした活動を目指している民間団体にとっては大きな転. この状況は「おかゆの会」の活動が、教育委員会の全面. 機となると考えられる。このような節目に今までの活動を. 的な理解と関係機関そして学生ボランティアの支えという. 見直し、次の新たな活動へとシフトしていくのか、そのま. 背景を持ちながら安定した展開を可能にした事で、年を追. ま従来の活動を踏襲していくのかが大きな分かれ道となる. う毎に様々な要素の活動をしていることや、それらの活動. と考えられる。 「おかゆの会」にとって5年目という節目. 自体が会の状況や必要性に応じて生じたり、組み合わさっ. は、財政的にも活動的にも会として「自己決定、自己責任」. たり、消えたりしていくこと、そして外部との接点の中で. できる自立した運営へとシフトしなければならない時期と. 活動が生じていく状況があり、それはノットワーキングと. なっていたことがわかる。. して捉える事ができる。. (3)5年という節目. こうしてこの誕生から4年間の活動の中で、大人の創り. ①5周年記念イベント. 出した「多声の空間」が「創発的な空間」へ移行し、協働. この5年という節目に行ったのが5周年記念事業であ. による活動・学びがハイブリットに進行していく中で、会. る。その計画と準備は5年目の活動となった2007年4月か. に「居場所機能」と「エンパワメント機能」をもたらし、. ら役員会で話題にしながら取り組みを始めている。この5. その原動力が会にノットワーキング的な活動を可能にして. 周年事業として「地域シンポジウムの開催」と「5周年記. いったと考える事ができる。. 念誌の発行」を大きな柱として計画している 「地域シンポジウム」は、「おかゆの会 5年のあゆみ. 3.実践拡張期 (2007年-2009年). と未来を語る会」と題し2008年2月23日に幕別町百年記. (1)時代背景. 念ホールの大ホールで行われている。又、5周年記念誌に. この時期の時代背景としては、福祉分野では障害者自立. は、代表や幕別町教育長の寄稿文をはじめ、 「ゆかりのあ. 支援法の規制緩和によって、各地域にNPO団体等の民間. る方々」、「スタッフ」、「大谷短期大学こめつ部」、「会員」. による各種サービス機関が増加していき、かねて各地域の. それぞれからのメッセージ、そして「5周年記念シンポジ. 課題でもあった障害のある子ども・青年たちの放課後や余. ウムの報告」、「おかゆの会5年のあしあと」という内容で. 暇活動における各種サービスが充実していった。教育分野. 構成され2009年3月に発行されている。この5年という節. では2007年から全国一斉に特別支援教育が本格実施され、. 目に行った一連の活動は、それまでの歩みの総括的な要素. 各地域や各学校での具体的な取り組みや、 「子どもを中心」. と会を自立した活動へと導くきっかけとなったと捉えるこ. に据えた校内や地域内での連携体制の強化を求められる時. とが出来る。. 代になっていった。このようにこの時期は人と人とのつな. ②行政の中で引き継がれた「思い」. がりの重要性が指摘され、その質が問われていく時代へと. 設立当初から全面的に理解と支援をしていたS氏は2005. 移行していった。. 年に教育委員会をすでに退職していたのであるが、その後. (2)財政的な自立. を引き継いだ2人の教育長も「おかゆの会」の活動を理解. 会の活動も設立から5年になる時には、幕別町の校長. し全面的に支援してきた経緯がある。S氏の「真の協働の. 会・教頭会からの賛同の呼びかけを止め2006年度からは、. 町作り」という理念がその後に続く教育長にも「おかゆの. 会員の年会費、賛同会員からの賛同会費、そして赤い羽根. 会」を全面的な理解と支援という形で継承され、町民主体. 共同募金からの助成を主な収入源として会の運営を行うよ. の活を誕生過程から共に創り上げ、支え、自立を促していっ. うになっていった。その大きな理由として、①会の活動に. た。そして「対等なパートナーシップ」を築いていくため. 見合う財政的な目途と基盤が成立していた事、②会の活動. の行政的な手立てとして1998年に制定し施行されていた. も5年が経過し当初活動に加わっていた教育委員会のT氏. 「幕別町まっく・ざ・まっく研究所要綱」を、会が5周年. やU氏が人事異動で違う部署へ移っていた事、③筆者を含. の節目を迎えた2008年に『幕別町子ども交流施設まっく・. め会の中心的な役割を担ってきた教員たちが役員としては. ざ・まっく要綱』へと変更したことは特筆すべき事である。. 残っていたが全て他町村へ異動した事、④賛同していた校. この変更理由が要綱の行政決定書の中で、次のように述. 長・教頭が人事異動で他町村へ異動していたため会の趣旨. べられている。. が伝わらなくなっていった事、があげられる。. 「スマイルパーク内の旧松田邸は、現在、百年記念ホー. この人事異動が会自体に「関係機関の人の入れ替わりや. ルの付属施設(行政財産)として位置づけているが、実際. 先生方が地域から離れていく中このまま会を持続できるの. の活用上は、まっく・ざ・まっく研究所として、スクール. か」という危機意識を芽生えさせ、それまでの外部からの. カウンセラーによる学習支援(相談)の場として、また、. 財政的な支援に依存せずに対等なパートナーシップとして. (行政財産の目的外使用の形態で)町内のおかゆの会の活. の関係、すなわち自主的・自立的な運営と地域づくりの一. 動拠点(子どもの居場所作り等)として活用している。百. 端を担う主体としての自覚を持った活動へ一歩踏み出した. 年ホールは、平成20年度から特定非営利活動法人まくべつ. といえる。このように人事異動などによる人の入れ替わり. 町民芸術劇場を指定管理者として管理運営を委ねるが、当. - 34 -.
(10) 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 該建物の管理を含めないことから、百年記念ホールの付属. 祭」と「ふれあい広場」への参加は「おかゆの会」の活動. 施設としての位置づけを見直すこととする。. の一部として位置付いていく事になった。特に「ふれあい. 今後においても、子どもの居場所作りなど、おかゆの会. 広場」には実行委員の中に「おかゆの会」も加わり活動主. の活動の場として位置づけたいと考えているが、現時点で. 体として飲食の部の一部を任されるようになっている。こ. 発達障害支援センター等の公の施設と位置づけるほどには. のように活動2年目移行から、地域の外部団体や組織との. 機が熟しているとはいい難いことから、普通財産と位置づ. 接点が出始め、地域に「おかゆの会」の名前が少しずつ浸. けることとし、本来ではないが、実際の利用が教育活動の. 透し、幕別という地域の中での活動を更に根付かせていく. 用に供することが多く想定されることから、管理を教育委. 事につながっていったと考えられる。. 員会学校教育課が担任することとする。. (5)ダンスチームの活動. 平成20年度以降も教育委員会の利用として、スクールカ. おかゆの会の「ダンスチーム」は、2008年にダンス教室. ウンセラーによる学習支援(相談)や生涯学習での活用を. の主宰者との接点から生まれた活動である。この活動は会. 継続するが、行政以外の利用の位置づけを明確にするため. に独自の流れを創り出していることや、お互いの目的意識. に、幕別町子ども交流施設まっく・ざ・まっく要綱を制定. は違うものの現在も持続し続けていることから、地域のつ. し、おかゆの会などの民間利用を明文化する。周囲との社. ながりとその持続性の条件を考察していくための事例とし. 会的関係を形成することが困難な幼児児童生徒等及び不登. て詳しく検証した。. 校の児童生徒の居場所づくりや交流を通じて、その自立や. ①つながりの経緯. 社会参加を支援するために行う民間団体の利用にあっては. ダンスチーム結成の以前の会の状況として、会員の中に. 費用負担を求めないものとし、 『おかゆの会』をはじめ、. 高等養護学校を卒業し地域に戻り「ひまわりの家」へ通所. 民間団体の活動を側面的に支援するものである。 」. する青年たちが増えていく中、余暇の過ごし方の課題が役 員会で話題となっていた。特に日常的に体を動かす機会が. このように、幕別町百年記念ホールが2003年に導入され. 少なくなっていくため、ダンス等の体を動かすような活動. た指定管理者制度によって2008年から管理運営が幕別町教. の話題も出始めていた頃だった。. 育委員会から特定非営利活動法人まくべつ町民芸術劇場へ. 一方当時DZ氏は北海道の医療系大学を卒業後、塾の. 移されることをきっかけに従来の「まっく・ざ・まっく研. 講師を務めながら2002年からヒップホップダンス教室. 究所要綱」から「幕別町子ども交流施設まっく・ざ・まっ. 「DANCE STUDIO FUSION」を始め、その教室のイベ. く要綱」へと変更することへつながったことがわかる。そ. ントとして毎年「FUTURE LIVE」を企画開催し、その. の内容も「おかゆの会」のこれまでの活動を行政的に認め. 3回目の実施を控えていた時期であった。当時の事につい. 今後も支えていく内容となっている。その起案年月日を見. てDZ氏はインタビューの中で次のように述べている。. ると2008年2月13日となっており、おかゆの会の5周年記. 「フューチャーライブのボリューム2の時に、こうやっ. 念イベント「おかゆの会 5年の歩みと未来を語る会」 (2. て身障者の子達を招待するのに、行政のバックアップがあ. 月23日開催)を10日後に控えていた日付となっている。5. るわけでもないし、どこからかお金がつくわけでもない. 年を節目に会の活動を全面的に支援し続けてきた教育委員. し、僕はやりたいなあっていう思いだけで、カラオケボッ. 会が、 町と町民の協働の成果として「おかゆの会」を認め、. クスで朝まで働いていたんですよ。それでどうしても自分. 今後は対等なパートナーとして位置づけ更なる会の活動を. がここまでしていてもやりたいんだっていう思いを自分の. 行政的に支援できる条件を明確にこの要綱に示したと考え. 生徒達も含めてみんなに伝える必要があるなあっていうの. られる。. を凄く思ったし、僕自身はなんかこう色々な場所に実習し. (4)地域の団体とのつながり . にいくきっかけが学生の時にあったので、あの実習の経. 地域の外部組織・団体とのつながりは、設立の2年目か. 験の中で、すごい自分の中でこれ『人生がんばんなきゃ. ら徐々に出始めていた。特に、2004年からは幕別町心身障. ダメだぞっ』って思わされるきっかけが凄く一杯あったん. 害者小規模通所授産施設「ひまわりの家」 (2005年からは、. です。 『ちょっとやそっとの事でこけている場合じゃない. NPO法人幕別町手をつなぐ親の会 幕別町地域活動支援セ. ぞこれは』と思って、だからそういう部分の気持ちが自分. ンター「ひまわりの家」へ移行)が主催する「ひまわり祭」、. の中で感じ取って、しっかり思える気持ちがあったので、. 2005年からは幕別町社会福祉協議会が主催する「ふれあい. そこから帯広に戻ってきてスタジオ作っていて、ただ一般. 広場」へ、会の「子ども広場」の一環として参加するよう. の人たちにダンスを教えていたりとかって事では、とても. になっていった。その背景としては、幕別町に一つしかな. じゃないけれど自分のやりたいことにはマッチしていかな. い障害者の作業施設である「ひまわりの家」へ、会の中心. いぞと、それよりむしろじゃあ僕がやるスタジオだった. を担っている保護者の子どもたちの多くが利用していった. ら、どんな人たちにも来てもらえるスタジオを作れたらい. 事、地域に理解を広げるためにも外部団体や組織との接点. いなあとか、どんな人たちも参加できる、どんな人たちも. をつくり地域団体の一つとして協力していきたいという意. みんな見に来れるしっていうようなどちらかというとダン. 向が強くなっていった事があげられる。その後「ひまわり. スをやりたいなと思う子どもたちとか、大人の人たちも含. - 35 -.
(11) 北 川 和 博・二 宮 信 一 めてなんですけれどどういう人たちでも受け入れられるス. 青年とその家族、そして関係者が「おかゆの会」として簡. タジオを作っていけたらいいなあっていう風なことを凄く. 易のチームを結成し12月のFUTURE LIVEに向けて6回の. 思っていたんですよ」. 練習を行い、当日800名の観客を前に踊っている。 この当時のDZ氏の思いとして次のような事を語ってい. 「おかゆの会という存在を聞いた時に、ここでまた自分. る。. が役に立てることが出来るのであれば、是非自分も勉強さ. 「たまたま幕別イコール『おかゆの会』で、僕の中では. せてもらえたらいいなというのが凄くあって」. これだけは最後あとづけで、一番最初に身障者を招待しよ うと思った時点から、最終的にステージに上げるというシ. インタビューの中で明らかなように、DZ氏はスタジオ. ナリオは出来上がっていたんですよ。だからそれをこう例. 設立時や「FUTURE LIVE」の構想の中に「障害者や親. えば『おかゆの会』だけに限らず、やりたいなあっていう. のない子ども」との接点を作り出そうとしているのがわか. 子があれば、当然巻き込んでやれたらいいなあっていうの. る。その背景は彼自身が大学時代の学びや実習先での「障. がすごく思ってはいたんですよ。だから最初に招待して興. 害児・者や親のいない子どもたち」との出会いから「人生. 味をもってもらう人たちを少しでも増やしてく、その中で. がんばんなきゃだめだぞ」 「ちょっとやそっとじゃこけて. 必ず踊りたいなっていう人たちが一人でも二人でも出てく. いる場合じゃないぞ」という自己教育活動の「意識化」や. るはずじゃないかなっていうのはすごく思っていたんで. 「自己意識化」という状況が芽生えていた事がわかる。こ. す。一人でも二人でもいればその子達のこう少し希望を. の時点でDZ氏のいう「しっかり思える気持ち」となり、. 叶えてあげるのにかかわりを持てていけるようになればい. その気持ちを実現するために帯広でダンススクールを立ち. いなあっていうふうにすごく思ってたんです。たまたま招. 上げる時に、「どういう人たちでも受け入れられるスタジ. 待して今度『おかゆの会』をじゃあ一発ボーンと出してみ. オづくり」を目指して動き出している。彼の言う「どうい. ようという実験的な部分から、出してみたらレッスンの持. う人たちでも」というのは、障害児者や親のない子どもた. 続性に繋がってっていう部分があってですね、すごく僕に. ちも含めていると考えられ、彼にとってこのスタジオづく. とってありがたいなと思うんです。」. りが「自己意識化」や「理性形成」段階に入っていると考 える事が出来る。. こ の よ う に「 お か ゆ の 会 」 を 招 待 し た 時 点 か ら、. このようなDZ氏の「障害児や親のない子」への思いに. FUTURE LIVEへの参加という流れは、DZ氏の描く構想・. つながる経過があったからこそ「おかゆの会」との接点が. 企画の中にあった事がわかる。その構想・企画にうまく乗. 作られ、2005年12月、第3回目FUTURE LIVE公演に招. る事が出来たのが「おかゆの会」のFUTURE LIVEへの. 待されていくことにつながっていくのであった。この第3. 参加だったのである。 そしてFUTURE LIVEへの参加と. 回目のFUTURE LIVEには、おかゆの会の青年たちとそ. いう大きな出来事が、 「おかゆの会」の側にこの場限りに. の家族や関係者34名が招待されている。. したくはないという強い思いを形成させ、その後も月1回. この招待がきっかけとなりDZ氏との接点が生まれて. のダンス練習を持続させ本格的な「ダンスサークル」結成. いったのであるが、招待された3ヶ月後の2006年3月の子. へつながっていったのである。参加しているメンバーは、. ども広場「卒業・進級を祝う会」には、DZ氏を招待しダ. 青年期を迎えた会員とその保護者そして関係者が中心と. ンスの披露と会員と一緒に踊る機会を設けている事からも. なっているが、数名会員の小学生や中学生とその家族が参. 「おかゆの会」の側も更なる接点を作り出そうとしていた. 加することもある。. 事が考えられる。. そして、2009年1月の第5回のFUTURE LIVEへの参. ②ダンスチームの結成 . 加も果たしている。また、このダンスサークルの活動が、. 2007年12月にDZ氏の企画による第4回目のFUTURE. 他地域の団体の目にとまり様々な地域のイベントに呼ばれ. LIVEが、幕別町の百年記念ホールを会場に開催される事. ダンスを披露する機会も出てくるようになった。. が決定された。DZ氏は以前から構想してい障害をもつ子. ③ダンスチームがもたらした事. ども・青年たちとダンスをするという事の具体的な実現と. この活動は特に作業所に通所している青年達にとって、. して「おかゆの会」に一緒に踊る事を打診している。その. 余暇活動の1つとして重要な機能を果たしている。従来で. 要請に対し「おかゆの会」は会員に声をかけ2007年10月に. あれば休日外に出て活動をする場合、家族や親類と一緒で. 第1回目のDZ氏を招いての練習日が設定された。その場. あるか、何らかのサービスの1つとして民間の事業所で設. に集ったのは、会の呼びかけによってダンスに興味のある. 定されたサービスを利用する場合が多いのであるが、「お. 子ども・青年たちと保護者そして関係者達である。保護者. かゆの会」の活動は会員になっていることで、家族と一緒. と関係者は、当初付き添いもしくは見学程度の考えで集っ. に踊りを楽しむという事や、その成果を発表する場とし. たわけであるが、練習が終了する頃には集った人たちほぼ. てFUTURE LIVEや他団体に披露する場が与えられてい. 全てが踊りに加わる事になっていった。この1回目の練習. る。また、FUTURE LIVE終了後には、打ち上げと称し. を契機にFUTURE LIVE参加への気運が高まり、子ども・. てDZ氏を囲んでの飲み会も設定される。. - 36 -.
(12) 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 また、この活動は、今まで接点を持ってきた外部団体と. DZ氏が述べているように、学生時代の経験の中で芽生. の活動と違って「ヒップホップダンス」という興味や関心. えていた「障害のある人や親のいない子」への意識が、自. に差が生じる可能性や、主に練習日が夜に設定されること. ら設立したダンス教室のライブへの招待という形から「お. 等から、会員全体に参加を募るというよりも「おかゆの. かゆの会」のダンスチームでの活動へつながることで実現. 会」の中で活動を始めようとする有志の会員が中心となっ. し、やがてその事が「自分の地域に対する役割」を認識す. て参加を募るという新しい運営方法を導き出すきっかけに. るにまで至っている。. もなっている。このように「おかゆの会」にとってこの「ダ. この事はDZ氏にとっておかゆの会のダンスチームでの. ンスサークル」の活動は、会単独ではなし得なかった活動. 活動は、鈴木のいう自己教育活動の「必要な者を現実的に、. を可能にし更に会の活動や今後の手法や展開方法に大きな. 協同して創造する」 理性形成の場となっている事がわかる。. 示唆を与える活動となっている。このことは、外部との接. このように、おかゆの会とDZ氏の関係は、「子どもの居. 点を通して一つの境界を越え新たな活動を生み出したと考. 場所づくり」と「ヒップホップ(レゲエ)文化に対する関. える事が出来る。 . 心と興味を喚起させる」というお互いに向かっていく方向. また、この活動はDZ氏にとっても「おかゆの会」の. や目的は一致しているとはいえないが、お互いにとって 「新. FUTURE LIVE参加やダンスサークルでの活動に関係し. たな活動や活力を生み出す場」と場として重なり合ってい. ていく中で、自分自身の活動に影響を与える場となってい. ると考える事が出来る。その事が、お互いの活動にとって. る。. 響き合うような関係性が作られ、活動の持続へとつながっ. 「僕が何かできる範囲で枠の中だけになってしまうんで. ていると筆者は考える。. すけれど、今僕が出来ることを、子どもたちと関わりの中. 山住はノットワーキングの「ノット結び目」という言. で、僕も子どもたちと関わっていてじゃあ一方的にしてあ. 葉が指し示すのは、 「行為者や活動システムの間が弱くし. げているだけかというと僕自身も違うエネルギーをもらっ. か結びついていないにもかかわらず、それらの協働のパ. て、受け取っているんですよ。だからそのキャッチボール. フォーマンスが、急遽、脈打ち始め、分散・共有される。. が僕の中では何かすごく心地よい部分で、何かそういう部. それは、行為者や活動システムが即興的に響き合うような. 分を通して僕も成長できたらいいなあっていう部分と、子. 16) つながりを創発するのだ。 」 と述べているように、おか. どもたちに本当にいい人生を送れたなと思える部分をどっ. ゆの会とDZ氏が「ダンスチーム」という結び目を作り、. かの気持ちの小さな部分の役に立てる活動を僕自身ができ. お互い響き合う関係の中で活動が持続していると考える事. たらいいなあってすごく思います。 」. ができる。そして、結びつく為には、お互いが主体的に「自 分たちの必要なものを現実的に協同して創造する」という. 「何て言うんでしょうね。僕今まで言ったこと無いんで. 意識がなければ、その後の持続につながる事は難しいと考. すけれど、ぼくあのおかゆの会にもらったバンダナを、か. える。. ならず僕全国大会とかバトルに出る時に必ず僕腰にまいて. (6)ノットワークする活動. 出るんですよ。何か僕自身が今ダンススタジオフュージョ. 会が5年目を迎えた2007年から2009年の3年間の年度ご. ンでレッスンをする時も、どんな時もなんでしょうね。今. との活動状況を示したのが図4-1から図4-3である。. 僕がこうやっておかゆの会とかって、あっ君とかに教えて いるダンスというのが、僕の中のダンスライフの生命線に なっている。へんな話。その今僕が自分のダンス活動をこ うやってみのり豊になっていっているというのは、何か自 分がダンスを通して出会った時に、自分がダンスという世 界の中で与えられている使命があるような気がするんです よ。そう思った時に、僕は決してこう芸能人の横とかにつ いて踊るっていう役割を与えられるために生まれてきたの ではなく、僕自身がダンスを通してこう地域の中に関わっ ていかなきゃならない役割が与えられていると思うんです よね。だからその役割がおかゆの会とかに携わっていきな がらダンスを教えていくっていう事が、僕のダンサーとし ての与えられている使命のような気がするんですよ。だか ら何て言うんでしょうね。絶対にはずせない部分って言っ たら変なんですけれど、僕が普通に大きな舞台で踊る時も おかしくなってくるんじゃないかなと思うんです。何て言 うんですかね。 」. - 37 -. 図4-1 活動5年目の状況.
(13) 北 川 和 博・二 宮 信 一 再度現れるというような「アメーバー」や「野火」という. 図4-2 活動6年目の状況. ようなノットワーキング的な活動状況が更に進行していっ た事がわかる。 そして新たな外部とのつながりが増える事でその触手を 伸ばすように更に拡張し、ダンスチームのように新しく生 み出された活動が、新たな会の運営方法を導き出し活動の 幅を広げるに至ったのである。 このように会は誕生から7年が経過してきたのである が、 5年を節目におかゆの会として自立した活動を目指し、 新たな外部との接点を作り出しながら活動を展開し始め、 今後の展望の可能性を開いていっている。 4.7年間の発展過程総括 おかゆの会が誕生し発展していく過程を検証してきた が、設立前に話し合いと「設立趣意書」作成過程に生まれ た「多声の空間」での拡張的学習サイクルが、そのまま会. 図4-3 活動7年目の状況. の活動にも継承され、さらに拡張していく過程を確認する ことが出来た。おかゆの会が発展していく全体像を示した のが表3である。 表3 おかゆの会発展過程. このように活動の流れを概観していくと、5年目を節目 として、それまでの活動を一度総括した事が、6年目以降 の新たな外部との接点をつくり出し、会として自立した活 動を可能にしていったと考えられる。 このことはこれまでの活動の積み重ねが、会として条件 さえ整えば外部の団体と共に新たな活動を生み出す事が出 来るための力量形成にもつながっていた事を意味すると考 えられる。 また、5年目以降の活動の状況として特徴的なのは、そ れまではどの事業にも参加していた会員も、それぞれの ニーズに基づき活動を選びながら参加している事である。 そのためその都度集まる会員の顔ぶれが変わっていくとい う事が起き始めた。このような経過が続くと会の活動が分 散しバラバラになっていく可能性があったわけであるが、 これまでの活動を通して会の内部で築き上げてきた信頼関 係があるため、お互い安心して活動を展開できていると. (1)おかゆの会が創り出した環境の変化. 考える事が出来る。おかゆの会という母体を中心にしなが. おかゆの会の設立に向けた話し合いの過程で、保護者・. ら、外へと活動が広がっていったのである。. 関係者・教育委員会それぞれの立場と職種を越えた「多声. このように「おかゆの会」の活動自体が活動ごとに、そ. の空間」を創り出し、その「多声の空間」での拡張的学習. の場その場で編制を変えたり、生まれては消え、別の形で. サイクルが、おかゆの会が誕生した後も更に拡大していく. - 38 -.
(14) 支え合う地域アソシエーションの誕生と発展過程 ことになったのであるが、この「多声の空間」における. いう大きな節目があり地方分権を意識した「町と町民の協. 「決定」が、その後の会に柔軟な対応を可能にしていった. 働の町づくり」の推進していた。その中で「人づくり」や. 背景につながっている。その柔軟性が、育まれつつあった. 「人と人のつながり」の要となる教育委員会もまた「町と. 信頼関係を更に進展させ、 「創発的構造をもつ空間」へと. 町民の協働」の取り組みを意識していた事や、 「まっく・ざ・. 変化していった。これは役員会の中で「食」を囲む行為を. まっく研究所」という子どもたちや青年たちの居場所とな. 起点としていたわけであるが、この「食」を囲むという行. る条件を満たしている空いた空間を提供できる状況にあっ. 為は、他の活動にも波及し集う人たちの関係性を深める事. た事が大きいと考える。 ま た 当 時 教 育 委 員 会 が 抱 え て い た「 不 登 校 やLD・. につがっていることがわかる。 そしてこの会自体に 「創発的構造」 がもたらされた事が、. ADHDへの具体的対応」「学校5日制への対応」という地. 会の環境自体が集う大人たちにとって居場所となり、更に. 域課題に対し、保護者と関係者がすでに、協同の学びの時. 学びの要素も加わることでエンパワメントの場にもなって. 期を経ていた事で、 「具体的な地域課題」や「具体的な取. いった。この大人が創り出した「居場所機能」と「エンパ. り組み」についても共通の理解に立てる状況が生まれたと. ワメント機能」と「まっく・ざ・まっく研究所」という空. 考える事が出来る。これらの条件があった事で、お互いの. 間的条件が、子ども・青年たちにとっての「居場所」にな. 境界を越える事が可能にし、「まっく・ざ・まっく研究所」. り根づいていった事が子どもたちや青年たちの成長から検. という場の活用を巡って3者による話し合いの場が創られ. 証された。 やがてそれは会員相互が 「育ち合い」 「学び合う」. ていった。. という気づきにつながり、 「みんなの居場所づくり」とし. このように設立時、教育委員会に可能な限り会の要望を. て会の活動は進んでいく事になったのである。. 聞き入れる姿勢があり、会の活動が軌道に乗るように背後. この「創発的構造」は、山住が、組織が集合体としてい. から全面的に支援している姿がある。S氏は小川恭子の聞. かに創造的であるか、またポテンシャルをどう高めていく. き取りに対して、今後の行政支援のあり方について次のよ. か、にとって決め手となる17) と指摘しているように、お. うに述べている。. かゆの会にとってこの構造を持つ事が、エンゲストローム のいう「ノットワーキング」という「アメーバー」や「野火」. 「今の行政職員は、前例を踏襲していればまず間違いが. と表現できるような拡張的学習サイクルへと導いていった. なく、管理的になり守りに入ってしまいがちである。しか. と考える事が出来る。そしてこのノットワーキングという. し、現在のように財政難の状況を乗り切るには、公設民営. 活動形態は、会の活動と学びが拡張していく中で、会員の. のように場所や建物を民間に提供し、お金をかけないで地. 必要に応じて誕生したり、消えたり、またはお互いの活動. 域住民の活動を支援していくことが必要になってくる。お. が融合したりしながら進行していく事も明らかになった。. 金がなければ知恵を出せという考え方が重要。管理的に考. 5年目を契機に会は自立の方向へ向かっていく段階とな. えると何かしようという案があってもすぐ無理だというこ. り、外部との接点を模索し始めているわけであるが、 「ダ. とになってしまう。先々を考えて何にでも使える器を用意. ンスチーム」 の誕生とその後の発展から、 外部とつながり、. しておくことが今後必要になってくる。特に福祉事業など. 更に活動を持続していくためには、 お互いが鈴木のいう「理. は利益の上がるものではなく、利益の上がらない事業をど. 性形成」 の段階に来ていた事が大きな決め手となっていた。. 18) うして行くかが今後の行政の課題だと思う」. お互いが「理性形成」段階に来ている事で、 「ダンスチー ム」の事例が示すように向かっていく目的は違っていて. この発言は、地方分権時代の行政の在り方を具体的に示. も、 「自分たちの必要なものを現実的に協同して創造する」. 唆したものであるが、教育長として「まちづくり」を意識. という共通の土俵に立つことを可能にし、お互いが響き合. しながら住民主体の活動を支えていこうという姿勢があ. うような関係の中で活動が展開されていた。会にとってこ. り、このような理念を持った姿勢とリーダーシップがあっ. の活動は、その手法や展開方法に示唆を与え今後の会の可. たからこそ、設立からスムーズに活動が進行していったと. 能性を示したと考える事ができる。. 考えられる。また、 「先々を考えて使える器を残しておく」. . という視点も、町と町民が協働として「新しい公共空間」. (2)会の誕生と発展を支えた教育委員会の存在. を創り出す場として行政が既存の公共空間の空き空間の利. 会の発展にとって大きな支えになっていたのが、理性形. 用を視野に入れていた事を示しており、取り壊す予定の民. 成の段階に到達していた保護者と関係者を結びつけるきっ. 家を「まっく・ざ・まっく研究所」としてすでに活動して. かけを作り、おかゆの会の誕生過程から活動が軌道にのる. きた事からもS氏が町と町民の協働による「新たな公共空. までを支えて来た教育委員会の存在である。. 間」への意識は高かったと言える。. ここに幕別町という町の特殊性があると筆者は考える。. この事からも教育行政の側に「おかゆの会」は設立当初. 本来であれば、まだ誕生もしていない会に対し、行政が全. から「新しい公共」 、地域の主体と行政の「協働」の具現. 面的に理解と支援をしていくという事は想定しにくいが、. 化と位置づけながら支援していた事がわかる。. 幕別町の場合、近年になって「開基百年」 ・ 「町村合併」と. このように、幕別町教育委員会は、住民主体の活動を背. - 39 -.
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