【調査研究】
「内観法」における体験の変化の検討
- 内 観 法 、 フ ォ ー カ シ ン グ 、 内 観 フ ォ ー カ シ ン グ ー An investigation of the change in experiences occurring through Naikan method- Naikan method
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focusing and Naikan・focusing-1
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問題と目的
本論文の目的は、内観法で体験される現象を理 解するために、フォーカシングの考え方および実 践を、参照枠として用いることが有用であること を示すことである。 内観法での作業は、身近な他者との関係におけ る自分について、過去の記憶のうちの特に事実的 側面を思い出すことが中心であるといえる。もち ろん、事実の想起に伴って情緒的体験も引き起こ されるが、作業として求められることは、あくま でも事実的側面の想起が中心である。内観法での この作業が、本人に何らかの心理的体験をもたら すとされている。 この「心理的体験」は、どのようなものなので あろうか。どのように記述できるのであろうか。 内観法の標準的な手順は、一週間、内観研修所 において行う集中内観である。その体験について、 これまでさまざまな研究や実践報告がなされてい る。筆者の現在の関心は、内観者(内観をする本 人)の体験そのものを記述すること、および、体 験における変化というものを記述することである。 村瀬(1987)は、内観法の実践例や自身の体験 から、内観法における体験を、フォーカシングや 体験過程との関連から考察している。また、伊藤 (2001)は、内観法とフォーカシングを統合して、 「内観フォーカシング」というひとつの実践形態 の開発を試みている。 筆者は、集中内観、フォーカシング、そして伊 * 文教大学大学院人間科学研究科小 林 孝 雄 *
KOBA Y Asm
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Takao 藤 (2001)の開発した「内観フォーカシング」を それぞれ体験したことで、自身の集中内観の体験 を理解するために、フォーカシングの考え方、実 践の視点が有用なのではないか、と考えるように なっている。 本論では、まず内観法とフォーカシングそれぞ れにおける体験の変化について、筆者なりの考え を示す。その上で、「内観フォーカシングJ
の実 践例を提示し、体験の変化について考察したい。 また、実践形態としての「内観フォーカシングJ
の可能性についても触れる。2
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内観法、フォーカシング、「内観フオ ーカシング」の概略 (1)内観法 「内観法J
は、吉本伊信 (1916・1988)が創始 した自己修養法である。病気や症状の治療を直接 目指すものではないが、その改善に効果があるこ とが指摘されてきており、治療的効果を強調する 際には「内観療法J
と呼ばれることがある。本論 では、治療を特に目的とした営みの考察は行わな いので、「内観法」と呼ぶことにする。内観法の 標準的な形式は、一週間、内観研修所にて行う 「集中内観」である。そこで、内観をする人(
r
内 観者J
)
は、両親や配偶者などの身近な他者との 関係における自分について、実際にあった事実的 記憶を、 0歳から順に年齢を区切って「調べるJ
(思い返す)作業に従事する。調べる作業は、① していただいたこと、②して返したこと、③迷惑 をかけたこと、の3つの項目に沿って行われ、順 に2: 2 : 6の割合で調べることを求められる。-3
ーこの調べる作業を、半畳ほどのスペースに扉風を 立てた中で、朝から就寝まで行う。また、 1時間 半から 2時間に一度、「面接者」が訪れた際、調 べた内容を上記3つの項目ごとに、ごく簡潔に報 告する。以上の作業をすることが、自分の見方・ 生き方や、身近な他者についてのとらえ方を見直 すことにつながり、ときに、心理的問題の改善に つながることがあるという。(長山ら, 2006.) (2)フォーカシング フォーカシングは、ジエンドリン (Gendlin, E.T.)によって開発された、体験の理解や体験の し方に関する技法である (Gendlin,1978)。ジエ ンドリンがフォーカシングを開発したきっかけは、 効果的な心理療法に共通する要因を面接記録から 検討した際、クライアントがまだ言葉にならない あいまいな感じに触れながら話していると思える 箇所が記録にあることが、効果的面接の共通する 要因であると考えたことにある。そ亡で、感じに 触れることを直接目指すために開発された技法が フォーカシングである。フォーカシングには、身 体の感じに意識的に注意を向け、感じられた感覚 (フェルト・センス)にゆっくり触れる時間をと ることが、主要な部分として含まれる。フォーカ シングは内観法のように、特定のテーマを定める わけではない。テーマを定めてそのテーマについ ての感じに注意を向けてもよいし、今現在どんな 感じがしているだろうか、とテーマを定めずに身 体の感じを確かめることを行ってもよい。フォー カシングは、行う人(フォーカサー)が一人でも 行うことができるし、聞いてもらう人(リスナー やガイド)と共に行うこともできる。体験してい ることを、それが含む豊富な意味のままに体験す ることが、自己理解や心理的問題の改善につなが るとされている。 (3)内観フォーカシング 伊 藤 (2001)は、心理援助の一方法として内観 法が可能性を持つものの、集中内観を受けること が時間的な面から困難であることから、日常的に 取り組むことができる方法として、内観法とフォ ーカシングを組み合わせた「内観フォーカシング」 を開発している。その手順は、次のとおりである。 1回1時間のセッションを 3回実施することを標準 とする。自分を調べる作業は内観法に準じる。フ ォーカサーとリスナー(ガイド)の一対ーで行う。 ①していただいたこと、②して返したこと、③迷 惑をかけたこと、のそれぞれの項目について、一 つ一つ調べた後、その事柄を思い浮かべたときの 今の身体の感じを確かめる。その感じについてフ ォーカシングを行う。 伊藤 (2001)は、この内観フォーカシング実施 前後で、 STAIにより特性不安および状態不安を 測定したところ、状態不安の低減がみられたこと を報告している。
3
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筆 者 自 身 の 体 験 か ら 、 体 験 の 変 化 に つ いて考えたこと 筆者は、集中内観、フォーカシング、内観フォ ーカシングのそれぞれを体験する機会があった。 それらの体験から、体験の変化というものについ て現在考えていることを、心理学の概念にとらわ れず、やや日常的な表現を用いて整理してみたい。 (1)集中内観の体験から ①見える光景の変化 集中内観の最後の2日間、ひたすらに、 3項目 について調べる作業を続けていたところ、あると き、自分の何かが変化していることに気づいた。 変化していたことは、「世界の見え方J
とでも いえるのではないかと考えている。 ここでいう「世界」とは、次のように表現でき る。 (a)自分が見ている・思っている、今の家族や原 家族をはじめとする、自分を取り巻く人たち (b)その人たちとの関係の中にいる自分というも の (c)両親をはじめとする、人との関わりの記憶 集中内観を体験し、これらの「見え方J
r
光景J
の、色彩や雰囲気が、ずいぶんと変わっているこ とに気づいた。 例えば、その変化は次のように表現できるもの を含んでいる。否定的な側面、たとえば、不満、 恨み、してくれなかったこと、ばかりの記憶を照 らす照明があたっているかのように、それまでは、否定的な色合いで思い出されていたことがらが、 今度は、肯定的な側面、例えば、あたたかみ、感 謝、うれしさ、の記憶を照らす照明のスイッチが 入り、そのような側面も併せ持つことがらになっ た。 そしてまた、自分についても、これまで否定的 な色合いで、周りの人たちを見ていたこと、自分 自身も否定的な色合いを帯びた人間であったこと に、気づくことになった。 ②「私の世界
J
このような「世界の見え方J
の変化は、「私の 世界」の変化、すなわち「私」の変化ということ になろう。 「私が変化する」とは、臨床心理学の領域では、 例えば人格が変わる、人格が発達する、コンプレ ックスが解消される、認知が変化する、などと表 現されることになろう。 しかしながら、「私の人生」とは、自分や他人 や外界についていろいろな思いを抱き、これまで 生きてきた記憶がある色合いを帯びて自らの記憶 となっており、今後将来のことについてやはりあ る色合いを帯びた思いを抱く、ということがすべ て一体となったもののことであろう。したがって、 思いや記憶の色合いが変わることが、すなわち 「私」が変わることではないか。思っている主体 としての私は私のままで、思いの総体であるほう の「私」が変わるのであろう。 ③人生を編纂する 集中内観で、自分にとっての世界全体の基本的 な構成要素は変わっていないのに、色合いががら っと変わってしまったという体験をした。これは 一体どういうことなのだろうか。 変わる前に、私が抱いていた、恨みを帯ぴた記 憶や、不満と共に思い出される記憶群は、一体何 だったのだろうか。 過去のある体験は、ある特定の側面を照らす照 明によって照らされ、ある色合いを帯びさせられ て、記憶に留まる。そういう、膨大な体験が、 「いまJ
の地点における、「世界の見え方J
を決め ている。また、そういう、膨大な体験が、新しい 体験に当てる照明を決めている。 例えば、恨みによって編纂された人生では、新 しい体験は、恨みの色合いを帯びさせられて組み 込まれてしまうのだろう。 ④編纂しなおすこと ところで、「いま」の地点における、「世界の見 え方」は、不変ではない。新たな見え方から、人 生を編纂しなおすことが可能である。自分自身、 そう思えるようになっていることには、集中内観 の体験の影響が大きい。 集中内観における、「世界の見え方J
の変化と は、「してもらったことJ
r
して返したことJ
r
迷 惑をかけたこと」という3項目にそって、ひたす らに調べることによって、体験ひとつひとつに新 たな照明が当たりなおし、新しい色合いで人生が 編纂されなおされたということではないだろうか。 体験それ自体は、 100%恨み色に染めるしかない ものなど無く、自分が体験をある色に染めるので あろう。 ⑤内観法における体験の変化 内観法における体験の変化とは、次のように記 述することができるのではないか。今という時点 から過去の記憶を見る・思うとき、ある情緒的色 合いを帯ぴさせる見方・思い方が身に付いている ために、記憶はその見方・思い方によってある情 緒的色合いを帯びさせられる。それらの記憶から 世界は編纂されている。見方・思われ方が変わる ことによって、同じ記憶に帯びさせられる情緒的 色合いが変わる。結果、過去の記憶からなる世界 が別様に編纂される。すなわち世界が変化するこ とになる。 (2)フォーカシングの体験から ①体験の意味は「からだJ
が知っている フォーカシングの体験から学んだことは、私た ちは、瞬間瞬間、さまざまな体験をしている、と いうことである。そして、その体験について、す べてを気づくことができているわけではなく、注 意を向けることができた、ごくわずかな部分にし か気づいていないまま、日々を過ごしている、と いうことである。 しかし、気づいていないからといって、体験し ていないわけではなく、確かに体験している。そ の体験の流れは、からだに生じている、というの がフォーカシングや体験過程理論の考え方であり、 またパーソン中心心理学の考え方である。-5-瞬間瞬間の体験は、非常に豊富な意味を含んで いる。しかし、気づくことができることはごく一 部であり、また、その一部の体験が「ことばj に よって名づけられたときには、豊富な意味の多く は拾い上げられず、限られた側面に対応する意味 だけが、ことばとして私たちの気づきに残る。そ して、そのことばによって、豊富な意味を含んで いたはずの体験が、輪郭を与えられ固定される。 気づきに上る前、頭
C
f
あたまJ
)
で処理する前 の、「からだ」で感じられていた「生の」体験は、 非常に豊富な意味を含んでおり、しかも、その意 味とは、その瞬間瞬間に自分が体験していること がら(他者、他者とのかかわり、事物、事物との かかわりなど)の、自分にとっての意味を正確に 反映しているものであるという。 ②感じていることを、そのまま感じてみる いま、自分はどのようなことを体験しているの か、その意味をできるだけ正確にそのまま捉える ために、「からだ」の感じに、意識的に焦点を当 てるやり方が、フォーカシングである。 いま、本当に体験していることは何であるのか。 例えば、どうして最近なんとなく不機嫌なのか、 どうして昨日から気が重いのか、どうして人と接 するとひどく疲れるのか、といった疑問や、この 出来事を自分は本当はどう,思っているか、この事 柄について自分はいったいどういう選択をするの がいいのか、などの疑問を感じたとき、その疑問 についての答え(応え)を探してみるために、体 験していることのそのままの意味をとらえてみよ うとすること、とフォーカシングを位置づけるこ ともできる。 ③「いまJ
体験している体験のままに生きる 体験していることを、体験しているままに、全 体として感じること、を、フォーカシングは目指 しているのだと思うし、またそれを可能にする方 法でもあると思う。 このことは、「いま」を、存分に生きる、とい うことにもつながるのだと思う。体験の一部だけ に気づいている状態では、気づいていない多くの 体験の側面を実際には体験していながら、そして その影響も受けながら、しかしそれには気づいて いない、という状態である。 「からだ」が生きている体験と、「あたまJ
が 生きている体験が一致しておらず、「あたまJ
に 気づきとしてのぼってくる体験だけを気づいてい たのでは、「いま」を全体として生きているとは いえないのではないか。そのように、一部だけに しか気づいていない「いま」が持続することで生 きている「人生J
とは、どういうものになってし まっているのだろうか。 ④表象によって編纂された世界 気づきにのぼった体験の、そのまた一部の意味 が、概念やことばとして輪郭付けられ、ある「表 象」となる。表象によって編纂された世界は、体 験の一部をすくいあげて、ある意味づけをおこな った事柄から成る。 編纂された表象の世界を生きていると同時に、 私たちのからだは、しっかりと瞬間瞬間を体験し ている。その体験を、じかに、「生(なま)
J
に感 じてみるために、からだに意識を向けてみようと いう試みが、フォーカシングであると思う。 編纂の人生ではなく、体験している全体のまま に「いま」にあろうとすることが、フォーカシン グで目指されていると思う。 私たちは、豊富な体験のうちの、一部しか気づ くことができない。体験のうちのどれに気づき、 それをどう意味づけるか、そのやり方は、何か私 たちの生き様とでもいうものに関わっているので あろう。あるやり方が身についてしまっていると いうことには、いろいろな事情が関係している、 つまり、ゆえあってのことなのであろう。 しかし、私たちは、「いま」しか生きることが でない。その「いまJ
を、体験のまま、体験が含 んでいる意味のまま生きょうという試みが、フォ ーカシングなのではないか。 ⑤フォーカシングにおける体験の変化 フォーカシングにおける体験の変化とは、次の ように記述できるのではないか。いま体験してい る事柄のうち、ある事柄を気づきにのぼらせるの ぼらせ方が身に付いているために、体験はその気 づきへののぼらせ方によってある表象を形作る。 それらの表象から世界は編纂されている。気づき へののぼらせ方が変わることによって、同じ体験 から表象される事柄が変わる。結果、体験の表象 からなる世界が別様に編纂される。すなわち世界 が変化することになる。(3)内観とフォーカシング 内観にせよ、フォーカシングにせよ、記憶・体 験について、限られた色合い、限られた部分、限 られた表象から、編纂されている世界・人生を、 記憶・体験をそのまま、ありのままに見ょう、思 おう、生きょう、とすることによって編纂しなお すことになる、と表現できるのではないか。内観 は、「思う」、「記憶している j過去の編纂のし直 し、フォーカシングは、いま体験が表象として編 纂されつつある、その編纂の見直し、とでも表現 できるのではないか。そのように、現時点では考 えている。 自分が変わる、世界が変わる、ということは、 今における過去や現在の「見え方」が変わること、 「体験のし方」が変わることであり、それは、あ りのままの「過去(の記憶
)
J
や「いま j を生き るようになることによって可能になるのではない だろうか。4
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r
内観フォーカシング」の事例 以上の整理を踏まえ、内観とフォーカシングを 組み合わせた「内観フォーカシング」の記録を提 示し、体験の変化の視点から考察する。 (1)内観フォーカサー(実施者、 NF) 男性。 30代。集中内観の経験有 (5年前に 1回)。 フォーカシングの経験有(断続的に 5年以上 10年 未満の経験)。 (2)手順 面接室において一人で実施した。まず内観法に準 じ3項目について「調べるJ
時間を 15分とった。 その後、内観法における面接を想定した記録用紙 に、 3項目について調べた内容を簡潔に記録した。 その後、記録した内容についてフォーカシングを 45分行った。調べた3項目の報告およびフォーカ シングの内省を言葉にし、録音した。 (3) 1セッションの記録 録音の逐語記録と、筆者が逐語記録にみられる 発言についてその内容を解釈し、内容を表す短い ことぼなどを記したものを、表に示す。(表1) (4)事例に関する考察 ①セッションの流れについて 3項目の報告をした後 NFlからは、意識的に行 っている作業はフォーカシングであるといえる。 つまり、「いまのからだの感じを確かめる」こと を行っており、過去の記憶を想起することは意図 されていないはずである。しかしながら、過去の 出来事の記憶の想起を語っている部分が多く見ら れる (NF3、NF6、NF7、 NF9、 NF13、NFI5)。は じめの調べる時間は 15分と短かったが、調べた 内容についてのフォーカシングを行うことで、か らだの感じを基点として、調べた内容や他の関連 する記憶の想起を引き起こしたのであろう。 セッシヨン全体をとおして、「想起される記憶 を思っているJ
ことと、「いまのからだの感じに 触れている」ことが、かわるがわる行われている とでもいえるのではないか。 また、「作業への言及」という解釈のことばを 当てている箇所では、思い浮かぶ記憶と、からだ の感じの両方に、同時に注意を向けることが難し いことが言及されている (NF8、NF11)。このこ とは、「ある言己'憶を思っていること」と、「いまの からだの感じ」は、関連はするものの、十分にな じんで一体となっているのではない、ということ を示唆しているのではないか。仮にそのようにと らえると、この作業において、記憶に新たな感じ が結びつけられている可能性があるのではないか。 例えば、 NF7とNF18で、こみあげるような 「感じが生じているJ
こと、また NF2とNF9で、 記憶の想起にともなって新たな「思いが生じてい る」ことは、このことと関係しているのではない か。しかしながら、これはあくまで推測である。 ②体験の変化という視点から NF2で、想起された記憶について、「物足りな い・・・違うなあJ
とその当時,思った記憶、として はじめ思われていたのであるが、「今にして思う と、・・・くれたんだなあJ
という思いを帯ぴた記 憶に変化した、と表現できるのではないか。 また、 NF9で、想起された記憶について、もと もと帯びていた思いは語られていないので不明で あるが、このセッションにおいて、「ささやかな-7
一表1. 内観フォーカシング記録 No 逐語記録 内容の解釈 内観3項目 (思い出す時間15分弱、用紙に記録した後。) の報告 ただいまの時聞は、生まれてから6歳までの、母に対する、自分について調べさ せていただきました。していただいたことは、幼稚園のとき、自分が、せがん で、お弁当にスパゲッティを入れてくれと言ったんですが、それをすぐに作っ てくれたことです。して返したことは、特に思いつきませんでした。迷惑をか けたことは、幼稚園のとき、お腹が痛いといって、朝パスに乗れず、あとで母 に自転車で送ってもらったことです。 NFl (身体の感じに注意を向ける) いまの感じの確かめ 胸のあたり、に、うーん、苦しい、苦しい。そんな感じがあります。 NF2 (間) いまの感じの確かめ あと、お腹にも、ちょっと、うーん、痛い、お腹の右下のほうに、痛い感じ。 (問)それと、胸に、苦しい、苦しい、えーそんな感じがあります。 NF3 (問) 記憶の想起 えーと、いま、お弁当を作っている場面がちょっと思い出されて、えーと、幼 稚園で前に座っていた女の子が、お弁当箱にびっしり、今にして思うとナポリ タンですけど、スパゲッテイがびっしり入っていて、それがすごく、魅力的な 感じで、それを家に帰って、今度スパゲッテイ入れて、と言ったんですね。そ の、母がスパゲッティを朝、ゆでて妙めて、こうちっちゃく、アルミのカップ に、お弁当のおかずの一角にちょっと入れてくれて、当時の自分としては、女 の子のぴっしり詰まっているっていう見た目が魅力的だったんだけど、まあで も、実際作ってもらったのは、ちょっと入っているだけだったので、なんとな くこう、物足りないというか、違うなあと思ったんだけど、今にして思うと、 わざわざちょっとのために、スパゲッティをゆでて、妙めて、くれたんだなあ 思いが生じる というのが、その台所の場面とともに、これがその時の台所の場面なのかわか (fくれたんだなあJ) らないですけど、でもなんか、フライパンで妙めているのを横で見ている、と いう場面が思い浮かびましたね。 NF4 (間) いまの感じの確かめ 胸のあたりには、感じがありますね。なんかちょっと悲しいというか、悲しい 感じ、がしてきました。胸から、顔にかけて。うん、悲しい。(患を大きく吐く) NF5 (間) 作業への言及 ちょっとこう浮かぶイメージに気持ちを向けていいのか、この胸の感じに気持 (イメージとからだ ち向けていいのか、なんとなくちょっとこう、迷うというか、落ち着かない感 の感じの2つ、注意 じなんですけど、まあでもフォーカシングなので、身体の感じに注意を向けて を向けるもの治宝あ みょうかなあと思います。 る。) NF6 (問) 記憶の想起 うーん、依然として、台所で幼稚園のとき自分が、母を見ているという光景は いまの感じの確かめ うかびつつ、胸のあたりに、なんか感じがあります。 NF7 (問) 記憶の想起 ちょっと別の場面が思い浮かんで、えーと、多分休みの日に、父と母と私で、 本当にまだ私が小さい頃ですけど、どこかその、広場というか、公園ですね、 お弁当を持って、下にシートを敷いて食べている。本当のその場面というか、 感じが生じる 写真が残っていて、アルバムかなんかに入っているのを、その写真をなんとな (声を詰まらせたこ く思い出して、まあ、母も私も、にこにこして、天気も良くて。(声に詰まる) とについての解釈)
NF8 (間) えーと、いまちょっとこみ上げてきました。どういう感じがよくわからないん いまの感じの確かめ ですけど。胸のあたりにはやっぱり感じがあって、のどかな、胸からのどのあ 感じの描写 たり、えーと、なんかちょっとその写真を思い出すと涙が出てくる。なんなの かはよくわからないんですけど。いや、なんで泣くのかはよくわかんないんで 作業への言及 すけど、何かがこみ上げてきて、えーと、これをテープに残さなければいけな (話すことと感じに いので、なるべく話す、話している感じなんですけど、うーん、ちょっと、う 触れること、同時に んうん、話すとちょっと感じが遠のくというか。ちょっと感じに注意を向けて 行おうとしている。) みます。 NF9 (間) 記憶の想起 感じではないんですけど、小さい頃、幼稚園くらいまでの写真、アルバム、を なんとなく覚えているんですけど、まあなんか、すごくにこにこしている、母 思いが生じる も父も私も、にこにこしている、写真が思い浮かべられて、記憶に残っていて、 (rいたんだなあJ) ささやかながらも、楽しんでいたんだなあと。(声に詰まる) NFIO (問)えーと、胸からのどにかけて、依然として感じがあって、のどですね、の いまの感じの確かめ ど。胸からのどだな。苦しいにちょっと近い感じ、ですけど。 NFII (問)何か感じに気持ちを向けると、記憶っていうかイメージが、消えるという 作業への百及 か、どっちかになる、と言う感じなんだなあ、とそんなこともふと思い浮かん (記憶と感じ、どち だりしますね。 らか同時に同じだけ 注意を向けるのは難 しい。) NFI2 でも、胸からのどの感じ。お腹の痛い感じは、ま、あるにはありますね。ある いまの感じの確かめ にはある。 NFI3 お腹が痛いっていま百って、さっき、迷惑をかけたことで、お腹が痛いってい 記憶の想起 うのがあったなあっていうのを、思い浮かべて、えーと、お腹が痛いっていっ たとき、ちょっとまた別のこと思いだして、これも幼稚園の頃ですけど、お腹 が痛いってすごく、家にいるときに言って、近所の、近所のといっても、ちょ っと歩くところですけど、病院、医院に、つれていってもらったことがあった なあと思い出しましたね。診察室の場面が、記憶にのこっているというか、浮 かんできました。うーん。 NFI4 (間) いまの感じの確かめ 今度は、お腹、みぞおちのあたり、のど、みぞおち、お腹右下、に、感じがあ ります。えーと、のどの感じがすごく強くなってきてますね。 NFI5 (聞) 記憶の想起 えーとのどの感じに、そこにいるのはわかったよ、と認めてあげるみたいにし て、すこし感じてみると、やっぱり台所、幼稚園のときの台所にいる自分てい 過去の光景をいま見 うのが、思い出される、ていうか、その場面がまた、場面ていうか、視点、に ている いる感じになります。 NFI6 (間) 終わりの作業 えーと、時間的にはそろそろおわりにしなければならないので、このお腹、の ど、胸、の感じ、どうしょうかな。 NF17 (間) いまの感じの確かめ えーと、終わるのにどうしたらよさそうか、と、感じのほうに聞いてみたら、 忘れないでと、言われたような感じがして、うんわかったと、応えました。
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ーNF18 そういうとまたこみ上げてくる感じがあるんですが、幼稚園の台所の自分と共 感じが生じる に、この感じ、胸、のどの感じを覚えておこうかなあと思います。 (こみあげてくる) NF19 (間) 終わりの作業 はい、じゃあ、終わります。 -終了後に本人が文字で記録した感想 よみがえってくる記憶(場面)と、感じの、両方に同時に注意を向けること は難しかった。どちらかに注意を向けていた。「フォーカシング
J
だ、という意 識があったので、折に触れて感じに注意を向けていた。 記憶から感じ、感じから記憶、記憶(イメージ)から別の記憶、というよう に、思い浮かぶもの、注意が向くものが移っていった。しかし、全体的な感じ や雰囲気は、同じだったように思う。 こみ上げてくる感じがあったが、どういう感じなのかはよくわからなかった。 何か感情を表わす言葉では言い当てられない感じであった。よい感じ、すっき りする、という感じではなかった。あいまいで簡単には割り切れない感じゃ雰 囲気であった。どちらかというと、苦しい、悲しい、という類。 短時間であったが、感じゃ記憶が固まぐるしく出てきて驚いた。 集中内観のことを思い出すと、もっとゆっくり時間をかけてみたいという気 もする。しかし、日常的に行うとしたら、これはこれでいいのかもしれないと も思う。フォーカシングの作業を意識していたが、どちらかというと、内観を ゃった、という気がする。 がらも、楽しんでいたんだなあ」という思いが生 じており、新たな思いを帯びた記憶に変化した、 と表現できるのではないか。 仮にこのような表現の変化が生じているとする ならば、先に整理したような、内観法における変 化と類似した変化が生じていると考えることがで きるのではないか。 このような変化は、内観法の作業とフォーカシ ングを組み合わせたことで、短い時間で可能にな ったことではないだろうか。しかしながら、この こともあくまで推測である。 ただ、推測ではあるが、そのようにとらえるこ とは、本事例を理解する上で、無理がない視点で あると考える。5
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おわりに 本論では、内観法とフォーカシングにおける体 験の変化について、筆者なりの整理を行い、その 整理を踏まえて、内観フォーカシングの事例を示 し、整理したような体験の変化と類似したような 変化がみられるのではないか、という推測を示し た。内観法における「体験の変化」について明ら かにするために、この推測に関して引き続き検討 を行うことが有用ではないかと考えている。検討 を行うにあたっては、内観法での体験について、 フォーカシングの視点から検討を加えることが、 役に立つのではないかと考えている。 「内観フォーカシング」は、「体験の変化」に ついての理解やその実現のために、有用ではない かと考えている。その実施法については、今後検 討を重ねていきたい。 参考文献 Gendlin, E.T. (1978) : Focusing. New York: Bantam Books.村山正治・都留春夫・村瀬孝雄訳 (1982) フォーカシング.福村出版. 伊藤研一 (2001)フォーカシングと内観療法の統合使 用の試みJ人間科学研究(文教大学人間科学部紀要)、 23、67・76. 村瀬孝雄 (1987) 体験過程、内観、フォーカスイング. 人間性心理学研究、 5、111-118. (村瀬孝雄 (1996) 自己の心理学3 内観理論と文化関連性. 誠信書房.所収.) 長山恵一・清水康弘 (2006) 内観法実践の仕組みと 理論.日本評論社.付記 本研究の一部は、平成20年度科学研究費補助 金 萌芽研究「内観フォーカシングの開発に関す る研究