﹁近代﹂は﹁歴史﹂と相容れない。近代とは︿普遍﹀の思想であり、それは本質的に歴史的︿個別﹀を拒絶する。 法の世界において、︿普遍﹀を標傍するのは自然法ばかりではない。ローマ法もまた、普遍的帝国の普通法として、 個別的な部族法を追放したり併呑しながら浸透していった。 一九世紀初頭のドイツでは、啓蒙主義的な近代自然法論を批判して歴史法学が登場した。啓蒙主義とは汎理性主義 のことであるが、それは古いドイツからみれば政治的暴力にほかならなかった。皇帝ナポレオンに率いられたフラン ス国民軍が神聖ローマ帝国を解体したとき、ドイツ人はようやく民族主義に目覚めた。歴史法学は、反フランス的Ⅱ
サヴィニーとグリムの歴史法学
l ︿ 法 の 科 学 ﹀ と ︿ 法 の 詩 学 ﹀ I 一キーワード”歴史法学、普遍、個別、法の科学、法の詩学 一天①瞳夛﹃。︻Qい”ず厨庁CR月煙一一口己⑰で﹃ロQ①。○少匡。﹄ぐ①門切四一詳鴛口画﹃弄月ロ一四コ汗雰の○一の己の①○︷︸煙乏︶己。①め亘。︷一四勇武 ◆ − 0 9 0 0 Ⅱ 0 9 Ⅱ Ⅱ Ⅱ Ⅱ i I 0 6 6 9 6 j 8 0 0 り l j l O l り り ’ l l l 9 l l l l l ウ l l 6 0 6 ← , 0 ’ 0 o 6 0 Ⅱ 6 0 1 0 1 0 Ⅱ モ ダ ン プ レ Ⅱ ポ ス ト モ ダ ン |近代としてのローマ法と前Ⅱ後近代としてのゲルマン法堅
田
サヴィニーとグリムの歴史法学(堅田 剛) 反自然法的な法学として出発した。 歴史法学の創始者は、フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーである。そのきっかけは、一八一四年の法典論 争であった。ハイデルベルク大学のティボーが﹃ドイツ一般民法典の必要性について﹂を書いて、ドイツの諸領邦に 共通する。般﹂民法を提唱したのに対して、ベルリン大学にいたサヴィニーは、﹁立法と法学に対する現代の使命 について﹂を発表して、法典の編纂を時期尚早とし、ドイツに﹁固有﹂の法学の樹立を主張した。サヴィニーは、法 典編纂反対と法学樹立の論拠として、法の歴史性を提示したのであった。 サヴィニーの主張は、法典編纂反対論としては説得力をもった。ティボーのいう一般民法典は、要するに自然法的 法典のことであり、それはナポレオン法典と二重映しに見えたためである。このかぎりでは、法は民族に固有のもの であるとのサヴィ’−1の立場のほうが、解放直後のドイツでは受け入れられやすかった。ただし、サヴィニーは民法 典編纂そのものに反対したのではなく、ドイツ独自の民法学を確立することを優先し、その成果をもってドイツ独自 の民法典を編纂するべきだと考えていた。 ドイツ独自の、と言ったが、サヴィニーの時代は、神聖ローマ帝国解体以後、国民国家的統一以前の、つまり現実 としての国家がいまだ存在しない空白の時代であった。法典を編纂しようにも立法権力がないし、法学とはいっても 肝心の制定法を欠いていた。サヴィニーは、立法の前提たる法学の前提として、法の原型をローマ法に求めた。ロー マ法への遡及、それが法の歴史的研究の実態であった。 法典論争を機に、サヴィニーは﹃歴史法学雑誌﹂を刊行した。この雑誌の寄稿者たちが、歴史法学派と呼ばれる。 歴史法学派である以上、法の歴史的研究を重視する点では同じであるが、この学派は当初よりロマニステンとゲルマ ニステンに分かれていた。前者はローマ法をもとにドイツ法学の体系化を目指し、後者はゲルマン法によってドイツ 民族の個別性を確認しようとした。 105
論説・コメント ともに法の歴史的研究を標傍しながら、その対象として、サヴィニーはローマ法を選び、グリムはゲルマン法を選 んだ。神聖ローマ帝国なる観念的な国家が一方ではローマ法を継受し他方ではゲルマン法を保持したこともあって、 ドイツにはローマ法とゲルマン法が併存していたから、いずれもドイシ古来の法ではあるにちがいない。しかしその 基本的性質は大きく異なっており、ローマ法は個人主義的な法であるが、ゲルマン法は団体主義的な法である。 モ ダ ン ﹁近代﹂の指標として個人主義を挙げるとすれば、古代ローマ法も中世ローマ法も近代法である。サヴィニーの歴 史法学は、古代・中世のローマ法を整理して、現代ローマ法を提示する試みであった。サヴィニーは、法学の領域に 新たなく普遍﹀を持ち込んだ。ドイツ発信ではあるが、普遍的に通用しうる近代民法学を樹立したのである。だがグ リムは、ゲルマン法の団体主義的性格のうちに早くも﹁近代﹂を超える可能性を見出した。ゲルマン法はたしかに プ レ モ ダ ン ポ ス ト モ ダ ﹁前近代﹂の法ではあるけれども、グリムは﹁近代﹂を否認することによって、むしろ﹁後近代﹂的な、もう一つの リ 新たなく普遍﹀を持一 ム は 、 ゲ ル マ ン 法 プ レ モ ダ ン ﹁前近代﹂の法では坐 歴史法学を提示する。 伝える恰好の手がかりとなる。 政治的共同体であるよりは、ロ 論は継承しなかった。 を異にしている。グ、 グ リ ム は 、 ド イ ツ ︵ ドイツの サヴィニーはロマニステンの領袖であったが、ゲルマ’一ステンの代表としてはグリムがいた。ここにいうグリムと は、童話集の編者として知られるグリム兄弟の兄のほう、ヤーコプ・グリムのことである。グリムはサヴィニーの愛 弟子であり、彼らのあいだには生涯にわたる交流があった。 しかしグリムの歴史法学は、一貫してゲルマン法にこだわることによって、恩師サヴィニーのそれとは大いに様相 を異にしている。グリムは歴史法学の出発点となったロマン主義的心情をサヴィニーと共有したが、師の学問的方法 民族的共同体性に固執した。グリムにとって、﹁ドイツ﹂とは﹁ゲルマン﹂にほかならない。 であるよりは、民族的共同体としての同一性のほうが問題であった。ゲルマン法こそは、民族の歴史を
サヴィニーとグリムの歴史法学(堅田剛) サヴィニーの﹁立法と法学に対する現代の使命について﹂は、歴史法学の綱領論文と呼ばれる。その主旨は、立法 に法学を優先させること、すなわち、自然法的法典を斥けて実定法的法学を樹立することにあった。自然法とは、時 間と空間を選ばない、歴史を超越した法であり、実定法とは、特定の時間と空間に支配される、歴史的な法のことで ある。サヴィニーは、超歴史的・自然法の︿普遍﹀性に歴史的・実定法の︿個別﹀性を対置した。 綱領論文の中で、最も知られた個所は次の一節である。そこには、歴史法学の歴史法学たる所以がよく現れている。 ﹁そもそも文書に記された歴史をみるかぎり、市民の法は、民族の言語や習俗や国制と同様に、すでにして民族に 固有な一定の性質を有している。そうした諸現象は、けっして別個の存在であるのではない。我々の目には別々の 現象として現れたとしても、本性上は不可分に結合した、一民族のそれぞれの活力ないし活動そのものなのである。 それらの諸現象を全体に結びつけるのは、民族の共同の確信、つまり、偶然的または窓意的に生成したものに関す るあらゆる思考を排斥するところの、内的必然性に由来する共通の感情なのである。﹂ ここには民族主義や有機体論や感情論など、近代主義とは相容れない要素が散見される。この意味でサヴィニーの 歴史主義に﹁反近代性﹂を認めることは容易であろう。サヴィ’−−によれば、法は言語・習俗・国制とともに、民族 的共同性の発現にほかならない。言語が民族に固有のものであるように、法も民族に固有の現象である。だとすれば、 フランス語をドイツ人に押し付けるわけにはいかないように、ナポレオン法典のようなフランス生まれの法をドイツ 人に押し付けるわけにはいかない。ナポレオン法典が自然法的法典として世界的︿普遍﹀性を有するとしても、民族 的︿個別﹀性を乗り越えるわけにはいかないのである。 とはいえ、﹁市民の法﹂︵g愚の昌呂の⑳需のgなる言い方には、むしろ﹁近代性﹂を認めるべきであろう。市民とは、 ||歴史法学の﹁近代性﹂と﹁反近代性﹂ 107
論説・コメント 市民の法か民族の法かという問題は、﹁法曹法﹂色目⑰蔚昌R三︶か﹁民衆法﹂言○房閏①ngかの選択であり、歴史 法学派内部のロマニステンとゲルマニステンの対立に関わっている。 サヴィニーの綱領論文の最初の読者は、愛弟子のグリムであった。同論文の執筆当時、サヴィニーはベルリン大学 の看板教授であったが、グリムは母国ヘッセン大公国の外交団の一員としてウィーンに滞在していた。ウィーン会議 に参加するためである。解放戦争に勝利して、反ナポレオン意識とドイツ民族主義の最も昂揚した時期に、サヴィニ ーの論文は書かれた。綱領論文は単なる学術論文ではなく、むしろ政治的意味を強くもった文書であった。 サヴィニーは、綱領論文の試し刷りをグリムに送って意見を求めた。これに対してグリムは、一八一四年一○月二 九日付で詳細な返事を書いた。論文送付に対する儀礼的な礼状ではなく、師の論文の頁数を挙げながら逐一自身の考 えを述べた、書評とも呼ぶべき手紙である。その中でグリムはサヴィニーの考えに全面的に賛成だと述べながら、実 際には、サヴィニーの歴史法学とはかなり異なった独自の見解を記している。以下に代表的な一節のみを引用する。 g 皇 巴 で あ っ た 。 自然法的諸権利の主体であり、共同体的束縛から自立して自律的に行為しうる個人を意味するからだ。中世の自由都 市にも市民はいたし、古代ローマの共和制を支えたのも市民であるだろう。しかし、市民革命後の時代にナポレオン 法典を意識しながら用いるからには、市民の法とはすぐれて近代市民の法であるはずだ。 いうまでもないが、市民の法とは民法のことである。サヴィニーは私法学者であるのだから、問題をことさらに複 雑にする必要はないのかもしれない。だが、サヴィニーが市民の法とは言いながら民族︵民衆︶の法とは言わなかっ たことには、留意しておきたい。民法が市民の法であるとしても、一九世紀前半のドイツに実体としての市民はいま だ育っていない。民法を制定すべき国家権力も姿を見せていない。サヴィニーのいう民法は、法学者︵法曹︶の頭の 中で観念的に構想されるしかない。その際、彼が模範としたのは、近代フランスならぬ古代ローマの市民法言の
サヴィニーとグリムの歴史法学(堅田 剛) ﹁法律”書かれざる慣習﹂の個所を手がかりに読み解いてみたい。グリムは﹁法律﹂︵の①の①gと﹁慣習﹂︵の①葛。旨︲ 胃己を対比的に並べている。前者は書かれた規範としての成文法であり、後者は書かれざる規範としての不文法で ある。グリムによれば、民族の歴史そのものである慣習法は成文化することができず、成文法は歴史を喪失した中途 半端な理性にすぎない。書く、というのは単に文字化することではなくて、国家権力によって条文化して法律を制定 することである。﹁書かれた理性﹂︵﹃豊○mn号gとは、ナポレオン法典の別称でもあったが、グリムは法典編纂そ 歴史主義の立場から法典編纂に反対するかぎりでは、グリムもサヴィニーも同様である。しかし、サヴィニーは法 と言語を類比的に理解したに留まるけれども、グリムはさらに徹底して、法と言語を同一化している。グリムは翌一
八一五年に、﹁法の内なるポエジー﹄と題する論文を﹁歴史法学雑誌﹄に寄稿した。グリムのいうポエジー
弓○の里①︶とは、詩歌や文学というよりも、言語そのものである。 グリムの歴史法学は、民族の慣習にこだわることで、サヴィニーよりもさらに﹁反近代﹂的である。だが、グリム における法と言語の同一化は、﹁近代﹂を拒絶するがゆえに、近代を超克する可能性を秘めている。 のものに反対しているのである。 ﹁法やポエジーを創造しようとすることなどは無意味ですし、同様に、人間が半端な理性でもって大地に繁茂する ように新鮮かつ穏和に広がる法を発見することもできません。空虚な作り事や誤魔化しは、文法学者や詩人の場合 であってさえ、虚栄や無駄にほかなりません。歴史や民俗伝承︵Ⅱ法律”書かれざる慣習︶そのものは、個々人の生 活記録︵Ⅱ回りくどく語られた奇妙な実務上の法律事件に対して︶であり、他の何よりも生気と真実をともなっていま す。しかし詩や小説は、詩人がみずから経験したことを書き、真に心で感じたように感じるときに、そのまま成功す。しかし詩 するのです。﹂ 1()9論説・コメント サヴィニーとグリムによる二つの歴史法学を比較するために、ほぼ同時期に書かれた﹁立法と法学に対する現代の 使命について﹄と﹁法の内なるポエジー﹂を素材に検討してみる。全面的な比較は困難なので、それぞれの法的言語 観を中心に考察する。自然法的な法典編纂論については反対論の立場で共通しているので、法と言語の問題をつうじ て、彼らの法学像を描くべく努めたい。 サヴィニーとグリムの歴史法学について、その学問的性格を端的に表現するためには、︿法の科学﹀と︿法の詩学﹀ という対比が有効である。サヴィニーのいう﹁法学﹂完①呂厨昌切め①ロ胃冨達は、カントの用語を継承したものである が、単に法を先験的に認識するに留まらず、法を純粋論理的に体系化するという傾向が強い。サヴィニーの歴史法学 、 、 ポ エ ジ ー の延長線上には、概念法学や純粋法学がある。|方、グリムの歴史法学は、法の中に詩を、詩の中に法を見出しつつ、 これをあえて未整理のままに提示するというものであった。学問的論理性を近代の指標とするならば、サヴィニーは ﹁近代﹂的であり、グリムは﹁反近代﹂的であるとしてもいい。 サヴィニーは、﹃立法と法学に対する現代の使命について﹂の中で、三角形の比哺を用いて、あるべき法学の学問 的性格につき論じている。サヴィニーにとっての法学の完全性とは、こうである。 ﹁しかしながら、︹法典の完全性とは︺別の種類の完全性があるのであって、それは幾何学の術語によって明らかに されるようなものである。すなわち、いずれの三角形にも一定の規定があって、これらの結合からただちに残余の すべての規定が必然性をもって導き出される。こうした規定によって、たとえば二辺と爽角によって、三角形が与 えられるのである。これと似たような仕方で、我々の法のいずれの部分も、それによって残余が与えられるような 単位をもっている。これらを指導原理と呼ぶことができる。これらの指導原理を感取すること、そしてそれらから 三法典の完全性・法学の完全性
学 、 、 , ︲ . I ← . . 法 史 I は 、 完 ︿ 歴 の て い る 。 皿 ム 列 纂 が 着 手 ﹄ と で は な く 、 一 一 イ ヴ に な っ た 。 サ (堅田剛) 代﹂の指標となった。 ところが、サヴィニーはそれとは別の完全性を求める。法典の完全性ならぬ﹁法学の完全性﹂︵ぐ○房愚ご忌鳴昌号局 宛①。胃の乱のの9月冨邑である。サヴィニーが求めるのは、幾何学的論理に準じた法学的論理である。二辺と爽角によ って三角形の他の一辺が導き出されるように、法的概念や法的命題の論理的関係から、法的推論を可能にする上位の 指導原理を見出すこと、これこそが法学の学問的営為なのである。 サヴィニーは、﹁立法﹂よりも﹁法学﹂を優先した。換言すれば、自然法的法典の完全性には否定的であり、歴史 法学の完全性には肯定的であった。法典の編纂そのものに反対したのなら、それはそれでいい。けれども、サヴィニ ーは、完全な法学の向こうに、やはり完全な法典を夢見ていたのではなかったろうか。歴史法学のその後はそうなっ ている。サヴィニーの歴史法学は、プフタのパンデクテン法学として完成し、ヴィントシャイトによって民法典の編 纂が着手された。そしてさらにその後には、たとえ法典の欠鉄が露わになったとしても、ただちに法典を改正するの ではなく、法解釈の技術を総動員して、欠訣を塞ぐ、あるいは欠鋏そのものを肯んじない、永遠に正しい法学が主流 出発して、すべての法的概念や法的命題の内的連関ならびに類縁性を認識することは、まことに我々の学問の最も 困難な課題に属する。そもそもそうしたことこそが、我々の研究に学問的性質を与えるものなのである。﹂ ﹁法典の完全性﹂言○房威口会得昌号的の①の①目gg的︶とは、法典にあらゆる法的解決策が包含されている状態にほか ならない。それが可能なのは、神的存在か、またはこれに取って代わった人間的理性が、法を定立した場合のみであ る。自然法的法典は、まさにこの意味での完全性を標傍した。ナポレオン法典もプロイセン一般ラント法典もオース トリア一般民法典もそうであったし、ベンサムが構想したのも﹁完壁な法典﹂であった。法典化は、こうして﹁近 法典の完全性と法学の完全性が別のものでありうるのは、いまだ法典も法学も整備されていない時代だけである。 111
論説・コメント 歴史法学が登場した一九世紀初頭のドイツがそうであった。法学が完成しその成果として法典が制定されれば、法典 の完全性と法学の完全性は相互補完的にもたれ合うことになるだろう。サヴィ’−−の歴史法学は法典の編纂にまでは 到達しなかった。だが法学の完全性を追求することで、法典の完全性を呼び込んだとはいえるであろう。 法学の完全性を保障するのは、法的概念の論理である。サヴィニーは、幾何学の術語になぞらえて、法的概念相互 の内的連関を論じる。また数学的論理を引き合いに出しながら、ローマの法学者たちは﹁概念によって計算する﹂ ︵自国胃①邑国の喝蚤①弓﹃R言g︶と称賛している。幾何学や数学は記号や公理など人工的言語で記述されるから、その 枠内では普遍的に正しい。しかし法学は自然言語で語らざるをえないから、その正しさは相対的なものに留まる。サ ヴィニーは、幾何学ないし数学と法学との間の境界を越えようとしたわけではないが、法的言語たる法的概念の精度 を可能なかぎり高めようとした。サヴィニー法学は、概念法学への道を選んだのである。 ローマ法学者としてのサヴィニーは、﹁パンデクテンの現代的慣用﹂なる標語のもと、パンデクテンつまりローマ の学説法を素材に、法的概念の純粋化を志向した。ローマ法の現代的慣用は、さしあたりはパンデクテンの翻訳によ っておこなわれる。しかし、ラテン語による学術用語をドイツ語に翻訳することは容易ではない。サヴィ’−−は、フ ランス語は同じラテン系の言語であるから翻訳も比較的容易だが、ドイツ語は法学的言語として未発達であることを 嘆いている。自前の法学を樹立しようにも、ドイツ語による法的概念が未整備であること、これこそがサヴィニー法 学の最大の困難であったのかもしれない。 ところで、サヴィニー法学は歴史法学であったはずだ。けれども、法学の概念法学化を標傍することと、法の歴史 的研究とは基本的には相容れない。法的概念を純粋化するべく、中世から古代のローマ法へと時間的に遡ることで、 かろうじて法の歴史的研究を自称しえたとしても、これももっぱら現代ローマ法の体系化のためであった。 サヴィニーの歴史法学が実態として非歴史的な法学であったことは、そもそも論争相手のティボーからも指摘され
田 ノ ノ ー 〃 ノ ー 堅 詞とは、た、 華ことであ一 歴 妙一般にみ二 列言語が日雪 と 一一一評価する。 労 グ リ ム ︵ サ グリムの 剛) グリムの歴史法学は、サヴィニーの歴史法学とは大いに様相を異にしている。歴史法学のあり方をめぐる師弟問の 相違は、すでに引用したグリムの手紙にもみられたが、﹁法の内なるポエジー﹄においていっそう明らかになる。そ れは、法的言語観の相違、つまり法的概念と法的象徴の違いとして要約できるだろう。 サヴィニーの﹁法的概念﹂昂①、三号の冒邑とは、ローマ法的法曹法の言語であって、︿法の科学﹀のことばである。 論理性や体系性を重視するあまり、かえって歴史を超越した非歴史的な法学への志向を強くもっていた。これに対し て、グリムの﹁法的象徴﹂角①呂厨望日9−︶は、ゲルマン法的民衆法の言語であって、いわば︿法の詩学﹀のことば である。論理性や体系性には欠けるけれども、歴史と密着した真の意味での歴史法学であろうとした。 グリムは目前の﹁近代﹂に抵抗して、ゲルマンの慣習法を研究し、法的象徴の豊穣な世界を再発見した。法的象徴 とは、たとえば﹁外套﹂﹁指輪﹂﹁鍵﹂といった、ごく普通の日常的な用語であるが、同時に法的意味をもつことばの ことである。これらのことばは、それぞれ庇護、契約、契約の締結といった法的意味をもつ。こうしたことは慣習法 一般にみられる現象ではあるけれど、グリムは﹁前近代﹂的なゲルマン法こそ法的象徴の宝庫と考えた。また、法的 言語が日常用語で表されるかぎり、﹁近代﹂法においても象徴性はつきまとうであろうが、グリムはそれを積極的に 的概念の論理学ではあっても、当初から、ドイッそのものの歴史を超越していたのである。 ていた◎サヴィニーは﹁立法﹂に反対する点でこそ法の歴史性を主張したが、これに優先されるべき﹁法学﹂は、法 ︿法の詩学﹀の概要を示すために、サヴィニーの場合とは異なるけれども、やはり三角形の比哺を提示し てみたい。それはく歴史﹀と︿法﹀と︿言語﹀を頂点とする三角形である。︿歴史﹀と︿法﹀は慣習法によって、ま 四︿法の科学﹀と︿法の詩学﹀ 113
論説・コメント 歴史学と法学と言語学には、民族性以外にも共通点がある。それは必ずしも厳密性を必要としない、ということだ。 グリムのいう﹁厳密な学問﹂とは、命題の厳密な証明を目的とするものであって、数学や化学や物理学のことである。 これに対して﹁厳密でない学問﹂とは、誤謬が許容される学問であって、これには歴史学や言語学とともに法学が含 、 、 まれる。これは端的にサヴィニー法学への根本的批判であるだろう。サヴィニーは歴史法学を名乗りながらも、実際 には歴史性を超越したところで、完全な、つまり厳密な法学を構築しようとした。グリムは法の歴史性にこだわりな しようとしたのである。 ﹁三つの学問﹂とは、歴史学と法学と言語学のことであるが、いずれもゲルマニステンの立場からゲルマンの民族 的同一性にこだわる学問である。グリムは、ゲルマニステン大会を契機に、この三つの学問を統合しようとした。 ︿歴史﹀と︿法﹀と︿言語﹀の三角形については前に紹介したけれども、グリムはこれをゲルマニステン全体に拡張 講演である。 で囲まれた空間こそが﹁民族﹂であり、それは直接的にはゲルマン民族ということになる。 たく歴史﹀と︿言語﹀は伝説によって、そして︿法﹀と︿言語﹀は法的象徴によって結びつけられる。この三つの辺 サヴィニーの︿法の科学﹀はともかくも学問に徹しようとしたが、グリムの︿法の詩学﹀は民族主義の風潮のもと、 きわめて政治的な意味をもっていた。歴史法学派の主流は、サヴィニー率いるロマニステンであったが、グリムは法 学者以外の人脈を頼って、一八四六年にフランクフルトでゲルマニステン大会を主宰した。これは学者の集会ではあ るものの単なる学術大会ではなく、ドイツの統一を射程に入れた政治集会の趣を呈していた。実際、二年後のフラン クフルト国民議会の準備議会的な役割も果たしている。 グリムはゲルマニステン大会の議長として、基調講演をおこなった。すなわち、﹁本大会に結集した三つの学問の 相互関連および結合について﹂﹁厳密でない学問の価値について﹂﹁ゲルマ’一ストという名称について﹂という標題の
サヴイニ とグリムの歴史法学(堅田 剛) ﹁近代﹂は永遠ではない。歴史主義は、普遍にみえる﹁近代﹂を相対化する。サヴィニーとグリムの時代の﹁近代﹂ とは、フランス発の自然法論であった。サヴィニーは自然法的法典を批判したものの、彼の法学は完全性を標傍する あまり、隠れた自然法論になってしまった。グリムは個別的慣習法の立場に固執して、法典の完全性も法学の完全性 も否定した。グリムの歴史法学は、その意味で徹底した﹁反近代﹂である。 しかしながら、﹁近代﹂の永遠性が揺らぐとき、グリムの歴史主義はそれを超克して、﹁近代﹂以後の新たな世界を 垣間見せる。﹁近代﹂の押し付けを否定することで、グリムの歴史主義はかえって﹁近代﹂以後の相対主義的な展望 を拓いたのであった。 がら、数学的厳密性を追求しないことに、むしろ法学の存在意義を認めていた。 グリムは、歴史学と法学と言語学を統合した新しい学問を、﹁ゲルマ’一スティク﹂︵oの﹃日画昌の鼻︶と名付けた。歴 史法学派の反主流であったゲルマニステンは、法学の枠を越えて歴史学や言語学へと研究対象領域を拡大したのであ る。サヴィニーによって提示された法の民族性は、グリムによって批判的に継承された。 サヴィニーの歴史法学は、法典の完全性に法学の完全性を対置して、新たな﹁近代﹂を創出した。グリムの歴史法 学は、民族の個別性に固執した﹁反近代﹂的なものであった。けれども、この﹁反近代﹂性こそが、国民国家として のドイツを創った。歴史法学の時代、﹁近代﹂とはフランス的普遍にほかならなかったが、グリムはこれにドイツ的 個別を対置した。 115