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「生物多様性科学国際計画」ことはじめ(覚書)

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(1)日本生態学会誌 (Japanese Journal of Ecology) 71:17-27(2021). 学術情報. 「生物多様性科学国際計画」ことはじめ(覚書) 川那部 浩哉* 京都大学・琵琶湖博物館 Memoranda on “An International Programme of Biodiversity Science (DIVERSITAS)” Hiroya Kawanabe* Kyoto University and Lake Biwa Museum 要旨:生物学的多様性条約に関連して、国際生物科学連合が中心になって組織した「生物多様性科学国際計画 (DIVERSITAS)」に関し、その出発直後から関係した川那部が、個人的感想を含めてその初期の状況を記述した。 キーワード:国際生物科学連合、国際共同研究. めて書き付けておくのも、あるいは必要かもしれないと. はじめに. 考えてみた。.  国際的研究を進めていくことは、日本の生態学研究者.  私のあと、この国際計画の科学委員会委員をお願いし、. にとって、今では当たりまえのことになっている。いや、. 多くの仕事を進めて頂いた中静透さん(森林総合研究所). 過去を振り返っても、1964-74 年に田宮博さん(東大応用. や、この国際計画に関してさまざまに助けて下さってき. 微生物研(現在の定量生命科学研):当時、以下同様)・. た、和田英太郎さん(海洋開発研究機構)・湯本貴和さん. 門司正三さん(東大理)などよって行なわれた「国際生. (京大霊長類研究所)は、ご多忙にもかかわらず、この草 稿に丁寧に目を通して下さり、いくつかの誤りを正し、. 物学事業計画(International Biological Programme: IBP)」 以来、多くの国際計画に参加して、業績を挙げてきている。. さまざまなご教示を頂いた。ここにあつく御礼申し上げ. ま た、「 地 球 圏 − 生 物 圏 国 際 研 究 計 画(International. る。また、編集委員会の方々にも、たいへんお世話にな. Geosphere-Biosphere Programme: IGBP)」にも、大島康行. った。深く感謝するところである。. さん(早稲田大)や広瀬忠樹さん(東北大理)が参加し、 これまた多くの業績が出ている。これらの中で、1991 年. 国際生物科学連合副総裁からの要請 (1991). に発足した「生物多様性科学国際計画(An International 」につい Programme of Biodiversity Science: DIVERSITAS) て、私は、そのほとんど最初から思いがけず参加するこ.  それは、1991 年 11 月のことだったと記憶する。当時. とを余儀なくされ、中心課題を論議し、かつ、その一部. 国 際 生 物 科 学 連 合(International Union of Biological. を引き受けることになった。. Sciences: IUBS)の副総裁だった岡田節人さん(基礎生物.  先に、国際生態学会議開催のいきさつについて一文を. 研)から、一通の手紙と一冊の本とが舞い込んだ。 「自分. 書いた(川那部 2016)あと、多くのかたからご意見を頂き、. よりは川那部のほうがいくらか本職に近いと思うから、. その中には「生物多様性科学国際計画」に関与した経過も、. この本を 15 分ほど眺めて、感想を至急述べて欲しい。何. 記しておいたほうが良いのではないか、とのご意見もあ. らかの提案があれば、なおのこと好都合だ」というのが. った。それから 4 年経った今、先と同じく、偏っている. そ の 骨 子 で、 手 紙 に 付 さ れ て い た の は、 ソ ル ブ リ ヒ. ことは承知のうえで、私の覚えていることを、感想を含. (Solbrig, Otto)さん編の『遺伝子から生態系まで:生物 多様性研究計画案(From Genes to Ecosystems: A Research. 2020 年 8 月 17 日受付、2020 年 9 月 21 日受理 *e-mail: [email protected]. Agenda for Biodiversity.)』(Solbrig 1991)という、120 ペ 17.

(2) 川那部浩哉 Development: UNCED)」、いわゆる「地球サミット」にお い て、「生物 学的 多様性条 約(Convention of Biological Diversity: CBD)」が調印され、周知の通りそれ以後、日 本はもちろん、世界中で広く用いられるようになったわ けだ。  読者の中には、あるいは「種数多様度」あるいは「群 集多様度」という用語を、昔から聞いているという人も あるかもしれない、確かに『岩波生物学辞典第 2 版』(山 田ほか 1977)にも、「種数多様度」の項目があり、「ある 群集の中の種の豊富さと各種の個体数の均等度を総合し たもので、それを表現するためにいろいろの<多様度指 数>が提案されている」とある。. 「生態系から遺伝子へ」の提案 (1991 ∼ 92). 図 1.『遺伝子から生態系まで:生物多様性の研究予定(From Genes to Ecosystems: A Research Agenda for Biological Diversity)』(Solbrig, O. 編).  ソルブリヒさん編集のこの本はなかなか善くできてい るものだが、ぱらぱらと読んでみると、気になることが. ージばかりの赤表紙の本だった(図 1)。. あった。「遺伝子から生態系まで」というその題の意味す.  この本、じつはその数か月前にも、どこかから届いて. るところはもちろん、「生物多様性なるものは、古典的に. いた。ただその時は、それこそ 1 ∼ 2 分間ページを繰っ. 考えられてきたような種レベルの多様性だけではなく、. ただけで、あたりに放り出しておいたものである。しか. 遺伝子レベルの多様性も生態系レベルの多様性もすべて. し今回は、敬愛する先輩の岡田さんからの要請だから、. が重要であり、それらはすべて研究されなければならな. とにかく読み出してみた。15 分では到底済まなかったが、. い」ということである。しかし、その「研究案」として. 翌々日ぐらいだったかに、短い返事を書いて出した。. 記されている具体的内容は、言葉どおり「遺伝子のほう から生態系のほうをみる」方向にほとんど限られていた。 もちろんこれは重要であるが、しかし、種のレベルにせ. 「生物(学的)多様性」という用語. よ遺伝子のレベルにせよ、多様性が生まれそれが維持さ.  「生物学的多様性(Biological Diversity) 」、略して「生物. れるには、それを作り上げ保ってきた生物間のさまざま. 多様性(Biodiversity)」とは、比較的新しい用語である。. な関係、すなわち共存を促進している相互作用の連鎖の. 例えば『岩波生物学辞典』には、その第 4 版(山田ほか. 総体が、ある意味でむしろ前提条件になっていること、. 1996)にもこの語は記されておらず、第 5 版(巌佐ほか. そして、今後生物多様性を保全していくには、生物間の. 2013)で初めて現れる。なお『岩波理化学辞典』では、. 関係を保全し、さらには新しい関係をかれら生きものが. この用語は第 5 版(長倉ほか 1998)に初めて載ることに. 作り上げていくように、それを助けなければならないこ. なる。. と、などが必要である。したがって、その機構を明らか.  周知の通り、「生物学的多様性」なる用語の来歴を尋ね. にする研究、「生態系から種や遺伝子を見る」方向の研究. れば、1980 年代半ばにハーヴァード大学のエド=ウィル. もまた必要であること、いや、もう少し正しく言えば、. ソン(Wilson, Edward O.)さんによって、「人間の環境破. 遺伝子の変化が生態系の変化をもたらす機構と同時に、. 壊とそれによる生物多様性の喪失が、学問的にも社会的. 生態系の変化が遺伝子の変化をもたらす機構をも研究す. にも極めて重要である」との指摘がなされたのが、この. ること、この両機構がいわば「フィードバック」する、. 語 の 今 日 的 用 法 の 始 ま り で あ る( 例 え ば、Wilson and. そういう循環連鎖系の解析が必要ではないかと、感じた. Peter 1988)。そして、1992 年にブラジルのリオ=デ=ジ. のである。そこで、このような点を簡単に書いて、前に. ャネイロで開かれた「環境と発展に関する国際連合会議. 述べたように、岡田さんに手紙で伝えた。  そして、ちょうどその年の 4 月に設立されたばかりの. (U n i t e d N a t i o n s C o n f e r e n c e f o r E n v i r o n m e n t a n d 18.

(3) 生物多様性科学国際計画ことはじめ(覚書) 京大生態学研究センター内外の若い、いや、中堅の人たち、 例えば、安部琢哉さん・井上民二さん・東正彦さんなど にこのことを述べ、もう少し詳しく考えて貰うことを頼 んだ。その結果数日のうちに出て来たのが、 「共生生物圏: 生物多様性を促進する生態複合(Symbiosphere: Ecological Complexity for Promoting Biodiversity) 」と言うものの初稿 である。そこでさっそく、岡田さんを通じて国際生物科 学連合にこれを提案して貰った。  ソルブリヒさんの本は、じつは、国際生物科学連合が、 環境問題国際委員会(Scientific Committee on the Problems of Environment: SCOPE)・国連教育科学文化機関(United. 図 2.国際生物科学連合実務代表で、「生物多様性科学国際計画」 の実質的な主宰者、タラール=ユネスさん(1997 撮影)。. Nations Educational, Scientific and Cultural Organization: UNESCO)と共同で作った 1990 年の提案、「生物多様性 科学国際計画(An International Programme of Biodiversity Science: DIVERSITAS)(以下 DIVERSITAS と省略して記 載)」に基づくものであり、1991 年夏にハーヴァード大 学研究林で開かれたワークショップで纏められたものだ。 この会にはブラジル・チリ・フランス・ハンガリー・イ ンド・スイス・アメリカ合州国・連合王国・ソ連邦から 計 32 人が集まったようだが、日本からの参加者は、オブ ザーバーとしてもなかったらしい。. 「生物多様性を促進する生態複合」の提案 (1992 ∼ 93)  ところで、翌 1992 年 6 月の「環境と開発に関する国際. 図 3.生物多様性科学国際計画の会議が開かれた、コスタリカの ラ=セルバ(La Selva)研究所周辺(1992 撮影)。. 連合会議」の折りには、日本生態学会と国際生態学連合 (International Association for Ecology: INTECOL)の委員と して、大沢雅彦さん(千葉大理)と私とが参加した。世 界各地から、2 万人以上が参集したといわれるこのリオ=. 実務代表(Executive Director)のタラール=ユネス(Younes,. デ=ジャネイロでの会議は、本体は政府関係者の集まり. Talal)さん(図 2)に会った。レバノン出身でパリ在住. であり、それには私たちは全く参加していない。それ以. の分子生物学者だが、この連合を実質的に率いて来た人. 外の大きい会議は、「グローバル=フォーラム(The‘92s. でもある。岡田さんを通じての日本からの提案は、1919. Global Forum)」と呼ばれる「非政府組織(NGOs)」の会. 年だったかに国際生物科学連合が発足して以来、これが. 議と、ブラジル政府科学技術会議とユネスコが共催した. 日本からなされた最初のものなのだそうで、そのせいも. 「リオ科学シンポジウム(RIO CIENCIA)」であって、2. あってか大いに歓迎してくれ、この「サミット」の前に. 人はこの 2 つのごく一部に顔を出したわけである。この. 開かれた連合の総会でも了承されたと聞いた。. 報告はすでに出ているので(大沢・川那部 1992)、ここ.  そして、この 1992 年 9-10 月に、コスタ=リカで開か. では繰り返さない。ただ、他の国では、このときの 3 つ. れた 国際生物科学連合委員会と生物多様性ワークショッ. の会議の出席者は事前・事後を含めて、非公式にはしょ. プに、招かれて私が出ることになった。ワークショップは、. っちゅう連絡を取り合っていたらしいが、日本では期間. 国立熱帯研究機構のラ=セルヴァ(La Selva)研究所で開. 中も相互関係は全くなく、多くの人々に不思議がられた. かれ、その熱帯林の素晴らしさを満喫した(図 3)。. ことだけは、ここでも改めて記しておきたい。.  ここで私は、先に提案した「生物多様性を促進する生.  それはともかくこのとき初めて、国際生物科学連合の. 態複合」について、改めて詳しい内容を説明したわけで 19.

(4) 川那部浩哉 の年から科学研究費補助金重点研究の一つに採用され、 95 年までの 5 年間にわたって、それを利用することがで きたのである(第 9 回「大学と科学」公開シンポジウム 組織委員会編 1995)。  なお、少し前に発足した「国際地球圏―生物圏国際研 究計画」への積極的参加も、設立目的の一つであったが、 上述の経過もあって、92 年度からは DIVERSITAS にもま た、積極的に参加することになった。. 生物多様性科学国際研究計画をめぐる国際会議 (1993 ∼ 95) 図 4.生物学的多様性の重要さを最初に指摘したエド=ウィルソ ンさん。(この写真は 1993 年 12 月に京都で開かれたシンポ ジウムの折りのもの).  1993 年頃から、この DIVERSITAS に関連する国際会議 がさまざまなかたちで開かれ、これらにも私は参加する ことになる。  93 年には、「方法論に関するワークショップ」が世界. ある。. 各地で開催される。私が参加したのは、11 月にフォンテ.  そしてその 12 月に京都で 3 日間、先に提案したのと同. ーヌブロー近くのフォジェイフ生物学研究所(Station. 名の「共生生物圏:生物多様性を促進する生態複合」な. Biologique de Foljuif)で開かれた「生物多様性の生成・維. る小シンポジウムを開催する(Kawanabe et al. 1993)。話. 持・喪失(Generation, maintenance and loss of biodiversity) 」. 題提供は、日本から 10 題、海外から 3 題だった。そして. で、 ま と め 役 は ピ エ ー ル = マ リ ー = キ ュ リ ー 大 学. 93 年 12 月には、この年の「国際生物学賞」受賞者であり、 (Univeriste Pierre-et-Marie-Curie)のバルボー(Barbault, 「生物学的多様性」なる用語の提唱者でもあるウィルソン. Robert)さんだった。皆々の飲むワインの量はかなりの. さんを中心に、シンポジウム「生物多様性の生態学的展. もので、夕食時はもちろんのことながら、2 時間ぐらい. 望(Ecological Perspective of Biodiversity)」を、同じく京. の昼食時にも、皆々かなりたくさん聞こし召しながら討. 都で開催する(図 4)(Abe et al. 1996)。この時の話題提. 論し、さて食事が終わるとすぐに各自原稿を書き、直ち. 供は、日本から 8 題、海外から 9 題だった。. にコピーしてそれをみんなに回し、読みながら延々と討 論するのには、ほとほと感心した。こうして 2 日半の会. 京都大学生態学研究センターのこと(1991 ∼ 95)  京都大学に、全国大学共同利用研究機関として生態学. 議のうちに、およその原稿は作られてしまったのである。 もちろん散会したのち、その全原稿を改めて各自読み直 し、互いに修正・加筆を存分に行ない、さらに、このと. 研究センター(以下京大生態研と省略して記載)が設置. きには参加していなかった人、例えば東正彦さんなどに. されたのは、1991 年 4 月 12 日である。専任教官は、教. も新原稿を依頼して、それをまた全員で検討した。この. 授 6・助教授(現准教授)6・助手(現助教)3 で、私は. 結果は、各ワークショップのものをすべて纏めて、1000. 理学部在籍のまま、このセンター長を兼任することにな. ページを超える大冊の本として出版された(Heywood and. った(川那部・田端 1997;川那部 2011)。この最初の年. Watson 1995)。. には「変動する環境下での生物群集の多様性と可塑性.  また 94 年には、「生物多様性フォーラム(Forumn on. (Diversity and Flexibility of Biotic Communities in Fluctuating. Biodiversity)」が、パリのユネスコ本部で開催される。こ. Environment)」の国際シンポジウムが、翌 92 年には先に. のときは日本から、広中和歌子さん(参議院議員) ・岩槻. 述べたおり「共生生物圏:生物多様性を促進する生態複合」. 邦男さん(東大理) ・宮脇昭さん(横浜国大)も出席して、. の、93 年には「生物多様性の生態学的展望」の、シンポ. それぞれ講演をした(di Castri and Younes 1996)。. ジウムがそれぞれ開かれたのである。.  95 年 に は、 国 際 理 論 応 用 陸 水 学 会 議(International.  また、それ以前から応募していた「地球共生系 : 多様. Association of Theoretical and Applied Limnology: SIL)の幹. な生物の共存を促進する相互作用機構」が、幸いにもこ. 事長ロバート=ウェツェル(Wetzel, Robert)さんの要請 20.

(5) 生物多様性科学国際計画ことはじめ(覚書) に基づいて、総会で「生物多様性ワーキング=グループ」 が設置されることになり、これの代表に選ばれてしまっ た。  なお、「生物多様性科学国際計画日本委員会」は、1993 年に発足する。岡田さんを顧問に、岩槻さんを委員長に して、これはずっと続いた。. その科学委員会委員として、など (1996 ∼ 2002)  1996 年には、DIVERSITAS が第 2 期に入り、従来から. 図 5.陸水生物多様性研究グループを川那部とともに主宰したク リスティアン=レヴェックさん(1996 撮影)。. の 3 団体のほかに、国際科学総連合(International Council of Scientific Unions: ICSU) ・国際地球圏―生物圏研究計画: 地球変動と陸域生態系(IGBP, Global Change and Terrestrial Ecosystems: IGBP-GCTE)・ 国 際 微 生 物 科 学 連 合.  またこれ以外に、研究組織ではなくて、もう少し「公式」. (International Union of Microbial Sciences: IUMS)が加盟す. の会議にも出る羽目にまで陥ってしまった。それは、「生. る(DIVERSITAS 1996)。そして私は、従来から会議に参. 物学的多様性条約」のための「科学的・技術的・工学的. 加はしてきたのだが、この時期からその「科学委員会. 援 助 の た め の 補 助 機 構(Subsidiary Body of Scientific,. (Scientific Steering Committee)」の正式メンバーに入れら. Technical and Technological Assistance: SBSTTA)」なるもの. れてしまい、世界各地での会議に出席することになる。. で、条約の発足当時から作られていた国際的な助言機関. 委 員 会 の 座 長 は、 王 立 キ ュ ー 植 物 園(Royal Botanic. だが、これにも、いちおう顔を出しておいたほうが良い. Gardens, Kew)園長のプランスさん(Prance, Sir Ghillean T.). のではないか、ということになったのである。そこで、. だった。. カナダのモントリオール(Montreal)で開かれる毎年 1 回.   な お、 こ の 科 学 委 員 会 委 員 の 役 割 は、2002 年 に. の会議に、DIVERSITAS 科学委員会の一員として、合わ. DIVERSITAS が第 3 期に入ったとき、やっと中静透さん. せて国際生態学連合と国際理論応用陸水学会議のワーキ. (総合地球環境学研究所:当時)に代わって貰えることに. ング=グループ代表の資格で、97 年から参加し発言する. なった。. ことになる。こうして 2002 年ごろまで、毎年同地で開か.  それはともかく、この第 2 期から、DIVERSITAS の中. れる会議に、ほとんど出席することになってしまったの. に 5 つの特別ターゲット領域ができ、その中に「淡水生. である。. 物多様性」が作られて、これの代表も引き受けることなる。.  この会議も、1992 年のリオ=デ=ジャネイロでの会議. しかし私 1 人ではとても無理なので、国際理論応用陸水. と似たような意味で、なかなかに面白かった。他地域か. 学会議のワーキンググループと実質上併合し、17 地域か. らの出席者の多くは、国際機関の代表として参加してい. ら 30 人の委員の参加を得たうえ、副委員長には、以前か. る人も含めて、少なくとも国内では、事前にも連絡を取. ら親しかったレヴェック(Leveque, Christian)さん(図 5). り合っているのが普通だったらしい、意見の違いや対立. を煩わせることにした。この人は「海外科学・技術研究. はその中でももちろんあったが、それはある意味で互い. 所(Office de la Recherche Scientifique et Technique Outre-. に「周知の事実」であったように受け取れた。それに対. mer: ORSTOM) 」に長らくいたあと、「フランス国立科学. して日本からの参加者は、私のような政府とは関係のな. 研究センター(Centre National de la Recherche Scientifique:. い「局外者」はもちろんながら、省庁間でも事前の連絡・. CNRS) 」へ移った人で、アフリカの陸水研究の泰斗でも. 協議は全くなかったのではないかと思われるほど、まさ. ある。これから 10 年近く、パリ・草津その他の各地でし. にばらばらだった。日本政府としての現時点で考えを求. ょ っ ち ゅ う 会 っ て 論 議 し、 何 度 も プ ラ ン を 練 っ た が. められても、「自分の省庁の考えはこうだ」ということに. (Kawanabe and Leveque 1998;Leveque and Kawanabe. 終始していたように、少なくとも私には聞こえた。残念. 2000)、国際的な調査研究を大がかりに始めることは、つ. なことにこれは、私だけの「偏見」ではなかったらしく、. いにできなかった。. 旧知の研究者仲間にも、何度も不思議がられる始末であ 21.

(6) 川那部浩哉 った。. 領ポリネシア)・クック諸島・西サモア・フィジー・オー.  それはともかく、かなりはっきり決まっていることを. ストラリア等の地域を、安部さん・井上さん・東さん・. 敢えてぼかした言葉で述べたり、逆に曖昧なことをはっ. 和田さんなどと私とで訪問し、 「DIVERSITAS の地域ネッ. きり述べたりするような、このような会議での発言のし. トワーク」への参加を呼びかけることにした。. かたの一端を知ることができたのは、私にとってはまさ.  私は、ロシア極東地域に関しては、向こうの研究者と. に初めての経験だった。. 事前の話し合いをしていたが、94 年冬から 95 年夏には、 上述の 14 地域のうち、シベリア地域・インドネシア・オ ーストラリアを除く地域を回って、それぞれの場所の研. 「西太平洋・アジア地域国際ネットワーク」の出発 (1992 ∼ 94). 究者と懇談した。  このとき、ほとんどのところで尋ねられたことがある。.  話は少し戻るが、1992 年秋のコスタ=リカでの生物多. このネットワーク研究において、「対象とする生きものは. 様性ワークショップで、研究重点地域を決めるべきだと. 何で、調査の方法論はどのようなものか」という、ある. の意見が交わされた。最初は、地球上に数か所程度の「地. 意味で当然な質問だった。「それは、集まってみんなで考. 点」を決めようなどとの意見も出たが、北半球から赤道. え、討論の結果決めることだろう」というのが、これに. を越えて南半球までの連続した「地帯」をいくつか選ぶ. 対する私たちの答えだった。実際、日本人研究者のあい. ことに、論議のすえ纏まった。そのうち、ヨーロッパ北. だでも議論の最中だったし、国際共同研究を誘うものが、. 端 か ら ア フ リ カ 大 陸 南 端 ま で の ベ ル ト(Euro-African. 初めから決めておくなどというのはむしろおこがましい. Belt)と、南北アメリカ大陸の南北両端を結ぶベルト. のではないか、と考えたりもしていたからである。「何も. (Pan-American Belt)とは、比較的すんなりと了承された. 考えていないのではないか」と笑われるかもしれないと、. のだが、ロシア中央部からインド亜大陸までのアジア大. いささか心配してもいたのだが、思いがけないことに、 「そ. 陸中央部を貫くベルトについては、取り敢えずは見送ら. れなら、加わってみよう」という人がどの地域でもたい. れたのである。. へん多かった。.  そして、翌 93 年の「生物多様性の生態学的展望」シン.  また、リオ=デ=ジャネイロで調印された「生物学的. ポジウムの折に、ロシア極東地域からアジア大陸東部を. 多様性に関する条約」自体についての賛否を問われるこ. 南下し、オーストラリア大陸東南部に至る地域はどうか. とも多かった。周知の通り、アメリカ合州国は会議のとき、. との提案がなされたのである。考えてみると、先に決ま. 遺伝子資源問題をめぐって多くの諸国と対立し、これへ. った 2 つのベルトには、いずれにも中央部に広大な沙漠. の調印を拒んだし、93 年になって署名は行なったが、現. 地帯が介在している。それに対してこの第 3 の地帯はそ. 在でも、未だに批准はしていない。マレーシアとタイの. のほとんどが湿潤地帯であり、森林を中心に植生の途絶. 意見は、この当時互いに全く異なっていて、片方では賛成、. えるところがない。またその海洋域は、地球上でもっと. 他方では反対の意見が、それぞれ圧倒的だった。しかし、. も生物多様性の豊かな地域としても知られているところ. その理由とするところは、この遺伝子資源問題について、. である。これは第 3 のベルトとして、なかなか良いので. アメリカ合州国の不当な考えに対抗する点で全く同じだ. はないかというのが、多くの人の意見だった。このシン. ったのである。しかしこの点については、私たちの地域. ポジウムには、ロシア・シンガポール・オーストラリア. ネットワークは、DIVERSITAS の中のものであって、「条. などからも研究者が出席していたので、それぞれ持ち帰. 約」とは直接関係したものではないと、すべての人びと. って議論を進めることになった。. に了解して貰えた。.  そして 94 年にパリのユネスコ本部で開かれた「生物多 様性フォーラム」のときの準備会議で、当面の事務局を 京大生態研に置き、代表を川那部に、和田英太郎さん(京 大生態研)を幹事長にすることが、いちおう決まったの. 「西太平洋・アジア地域国際ネットワーク」の発展 (1995 ∼ 98). である。.  こうして、翌 1995 年北京で開かれた「汎太平洋科学会.  そこで 94 年 12 月から 95 年 8 月にかけて、ロシアのシ. 議(Pacific Science Congress)」のときを含め、合計 3 回に. ベリア・極東地域、タイ・マレーシア・シンガポール・. わたる準備会議を経て、これは「国際生物多様性科学研. インドネシア・台湾・中国・韓国・ソサイエティ諸島(仏. 究計画に関する西太平洋・アジア地域研究ネットワーク 22.

(7) 生物多様性科学国際計画ことはじめ(覚書) (International Network for DIVERSITAS in Western Pacific.  翌 96 年 5 月には北京で、DIWPA のトランセクト=シ. and Asia: DIWPA)(以下 DIWPA と記載)」として結実し. ンポジウムを開催した。このとき、「生物多様性観測年」. た(Kawanabe and Wada 1995)。北は極東ロシアから、南. を中心に、観測は各地で統一的に行なうのが望ましく、. はオーストラリアとニュージーランドまで、東はハワイ. そのための対象と方法の論議を、早速開始することにし. とタヒチの島々から、西はインド・スリランカまでの範. た。また、各国や地域はこの DIWPA のために、それぞれ. 囲を対象とする、合計 40 か国ないし地域からの 300 名以. いくつかの地点を定め、その場所は、広く研究者一般に. 上の研究者の集まりになったのである。. 開放することを了承した。いま考えれば、この 2 つは極.  そしてこの年末には、シンガポールでワークショップ. めて重要な画期的決定だった。. を開き、どのような調査研究を行なうべきか、大いに議.  また、このネットワークの第 1 回ワークショップ「東. 論した。すべての生きものを対象にするのは、原則的に. シベリアの寒帯林に関する新視点(New Scope on Boreal. は当然正しいことではあるが、人員や費用のことを考え. Ecosystems in East Siberia) 」は、94 年に京都で開かれ(Wada. ると、それは極めて難しい、いや、ほとんど不可能とい. et al. 1997)、第 1 回国際野外コース「ボルネオの熱帯雨. っても良い。それでは、すべてのあるいは多くの地域で、. 林(Bornean Tropical Rainforest) 」は、95 年にマレーシア. 何を主な対象にして、調査を行なうべきだろうか。この. のサラワクで(Yumoto and Inoue 1996)開催され、これら. 問題は、DIVERSITAS 科学委員会の準備会議ないし初期. はいずれもその後ほぼ毎年続いた。. の段階でも、大議論になったことらしい。噂によれば、.  またこの 96 年には、中静透さん(京大生態研)を代表、. 準備委員会には分類学の専門家が多かったのだが、それ. 湯本貴和さん(京大生態研)を幹事長として、DIWPA 日. ぞれが自己の専門の生きもの群の重要性を主張して、議. 本委員会も発足した。. 論は全く進まなかったらしい。それかあらぬか、正規の.  ところで、96 年に作られた「生物多様性観測年のため. 第 1 期委員会には、分類学者と自他称する人物が極めて. の統一研究方法」ワーキンググループは、早速精力的に. 少なかったのは事実である。. 論議を始め、97 年には第 1 次マニュアル案「西太平洋・.  「そこで」と言うわけではないのだが、生物の分類群を. アジア地域の国際生物多様性観測年プログラム(BOY-. 対象にするのではなく、生態的機能群を対象にしようと. DIWPA: Biodiversity Assessment Program in the Western. の提案があり、この機能群としては、例えば森林につい. Pacific and Asian Region)」が作られた。そして 2001 年に. ては、植物を中心に、それを食う動物との関係、その繁. はこれを完成し、翌 02 年には、『生物多様性調査法−西. 殖を媒介する動物との関係、それを分解する生物との関. 太平洋・アジア地域の国際生物多様性観測年(Biodiversity. 係、の 3 つを中心的に取り上げることが提案され、それ. Research Methods –IBOY in Western Pacific and Asia)』 (Nakashizuka and Stork 2002)が発刊されたのである。. が比較的すんなりと決まったのである。おのおのの地域 においてこれらの過程に主に関与する生きものは、それ.  DIWPA の調査研究は、各国・各地域の研究者が、それ. ぞれ異なっているだろう。しかし、森林を持続していく. ぞれ独自に行なうものではあるが、幸いに 97 年から科学. 最低の機能がこの 3 つの関係ないし過程にあることは、. 研究費や未来開拓事業の援助を受けることができたので、. すべてのメンバーの等しく認めるところだ。このような. その費用を各地の研究にいささかは充てることができた. 「機能群を対象にする」ことを最初に提案したのが誰だっ. のは、たいへん幸いなことだった。. たかは、それほど明白ではないのだが、これを支持する.  なお 98 年には、DIWPA 地域の「生物多様性観測年」が、. 論陣を積極的に張ったのが井上さんだったことは、全員. 生物多様性科学国際計画全体の科学委員会において地球. が認めるところだった。こうして草原や河川や海洋など. 規模に拡大され、「国際生物多様性観測年(International. についても、同様な機能関係群を選ぼうということも、. Biodiversity Observation Year: IBOY)」となった。. このとき決まったのである。.   そ れ は と も か く、 こ う い う 次 第 に な っ た た め に、.  そして、このような調査は出来るだけ早く始めるべき. DIVERSITAS ないし DIWPA に直接関連する海外での会議. だが、すべての地域で一斉に行なう時期として、2001 年. に私は、手元のメモによれば、92 年から 2001 年までの. を「 生 物 多 様 性 観 測 年(Biodiversity Observation Year:. 10 年のあいだ、毎年 18・18・22・59・42・31・64・22・. BOY) 」とし、DIWPA 各地で調査を進めること、また、. 37・15 日出席してしまったようである。. 2006 年にはその結果を持ち寄って「生物多様性サミット」 を開くことも決定した。 23.

(8) 川那部浩哉 の額は決して大きいものではなかったが、他の大型の資. 「西太平洋・アジア地域国際ネットワーク」その後 (2002 ∼). 金を得られるようになるまでのあいだ、DIWPA 各地域か ら研究者代表に集まって貰うことなどに、使わせて頂く.  その後の DIWPA の動きについては、私自身はあまりか. ことができた。. かわっていないのだが、いくつか付け加えておこう。.  さて、同じ 97 年には、それ以前から計画していた共同.  生物多様性観測年(2001 ∼ 02)は、苫小牧演習林(現. 研究も、出発させることができた。それは、日本学術振. 在の研究林)・屋久島、マレーシアのクチン近郊、それに. 興 会 重 点 研 究 国 際 協 力 事 業「 生 物 多 様 性 と 生 態 複 合. インドネシアのジャワ島などで、精力的に行なわれたよ. (Biological Diversity and Ecological Complexity)」である。. うだ。それを機会に発足したいくつかの国際事業、山根. この研究機関は、日本側は京大生態研で、あと 2 つの機. 正気さん(鹿児島大)が主導したアリ類のネットワークや、. 関は、インペリアル=カレッジ=ロンドンの個体群生物. 大原昌宏さん(北大博物館)が主導した「パラ=タクソ. 学センター(Centre for Population Biology, Imperial College. ノミスト講座」などは、今も継続されていると聞く。. London) と プ リ ン ス ト ン 大 学 生 態・ 進 化 学 研 究 所 (Department of Ecology and Evolutionary Biology, Princeton.  ただ、最初は 2006 年に予定されていた「生物多様性サ ミット」は、残念ながら開催されなかったようだ。. University)である。それぞれの代表には、東さん・ジョン=.  この DIWPA の組織は、今もいちおう続いていて、事. ロートン(Lawton, Sir John H.)さん・サイ=レヴィン. 務局は京大生態研にあり、中野伸一さん(京大生態研) (Levin, Simon A.)さんがなってくれ、これは 2001 年まで 続いた。. が代表を務めている。.  そして翌 98 年には、日本学術振興会に未来開拓学術研 究推進事業「アジア地域の環境保全」が発足し、その具. 日本における、国際的基礎研究事業 (1997 ∼ 2000). 体的課題の 1 つとして、「地球環境情報収集の方法の確立 ̶水系に関する総合調査マニュアルの作成̶(Developing.  1990 年代後半には日本国内でも、DIVERSITAS そのも. Standards for Global Monitoring through a Multi-disciplinary. のや、それに直接ではなくても、関連する基礎研究事業が、. Study of a Catchment Area)」が、和田さんを代表として始. 次々と発足するようになる。. まった。これは 2002 年まで続いた(Fujita et al. 2002) 。.  97 年には、創成的基礎研究(新プロ)として、「地球.  また 99 年には、科学技術振興事業団戦略的基礎研究「地. 環境撹乱下における生物多様性の保全及び生命情報の維. 球変動のメカニズム:熱帯林の林冠における気圏・生態. 持管理に関する総合的基礎研究(An Integrated Study on. 圏 の 相 互 作 用 の メ カ ニ ズ ム の 解 明(Research and. Biodiversity Conservation under Global Change and. Observation on the Mechanisms of Atmosphere-ecosphere:. Bioinventory Management System: DIVER)」が発足する。. Interaction in Tropical Forest Canopy)」が、中静さんを代表. 研究機関の代表は京大生態研だが、停年退職して琵琶湖. として発足する。こうして、マレーシアのクチン近郊の. 博物館へ移っていた私が、手続き的にはいちおうその代. ランビル=ヒルズ国立公園(Lambir Hills National Park)で、. 表を務め、実質的な代表などには、安部さん・山村則男. 以前から井上さんを中心に、樹冠吊り橋を張り巡らして. さん(京大生態研)、それに戸田正憲さん(北大低温研). いた研究域(図 6 上)に、林冠クレーンが立つことにな. などを煩わせた。これは 2001 年まで 5 年間続いたもので. る(2000 年完成)。これは、日本が主導したものとしては、. ある(Kawanabe 2002)。この資金は、日本国内だけでは. 北大の苫小牧演習林のものに次いで、2 番目のクレーン. なく、海外の DIWPA 各地域でも使うことができたので、. となった(図 6 下)。. その比較研究は大いに進んだ(例えば、Kawanabe 2002;.  さらに同年、総合研究「バイカル湖の湖底泥を用いる. 川那部 2003)。. 長期環境変動の解析に関する研究(Paleo-environmental.  資金援助と言えば、ここで「地球環境関西フォーラム」. Reconstruction in Northern Asia using Baikal Sediment. のことを、少し書き添えておきたい。これは 1990 年に発. Cores)」も、河合崇敬さん(国立環境研)を代表として. 足したものだが、93 年にはその中に「国際環境協力分科. 発足した。これは、科学技術庁(現在の文部科学省の一部). 会(→生物多様性部会)」ができた。そして、DIWPA の. の科学技術振興調整費によるものだった。. 出発まえから、会議を開くための旅費の一部などを、援.  それ以外にも多くの関連研究が、これ以後進行したが、. 助して頂けることになったのである。正直にいって、そ. それはここでは割愛することにしよう。 24.

(9) 生物多様性科学国際計画ことはじめ(覚書). 図 7.生物多様性と文化多様性の関係について、世界で初めて論 じられた琵琶湖博物館設立記念国際シンポジウム(1997)。 左端が岡田節人さん。. に言い出したのは私ではなく、当時博物館準備室の学芸 員候補だった嘉田由紀子さんである。  このシンポジウムは 97 年 5 月下旬に、世界の 22 地域 からの 55 名の研究者を含め、合計 300 名以上の研究者や 住民などが参加して、9 日間にわたって琵琶湖畔で開か れた(図 7)(Kawanabe et al. 1999;Rossiter and Kawanabe 2000;松井・牧野 2000)。このとき、一般の住民からの 積極的な発言が続出し、論議も深まったのは、たいへん. 図 6.マレーシアのランビル国立公園に作られた「樹冠吊り橋」 (1994 撮影) (上)と、同地に建てられた「林冠クレーン」 (2000 中静透撮影)(下)。. 嬉しいことだった。  この「生物多様性と文化多様性との関係」を論じた世 界最初の試みは、 「まずまず上出来」と判断されたらしい。 翌 98 年にはユネスコが、「自然における聖なる地域:そ の文化多様性と生物多様性(Biodiversity and Sacred Sites:. 生物多様性と文化多様性 (1997 ∼ 2002). Its Cultural and Biological Diversities)」という名の国際シ ンポジウムを開いたが、これは前年の滋賀でのシンポジ.  DIVERSITAS 科学委員会で、生物多様性と関連して文. ウムに刺激されて、急遽開催したものだとも聞いた。こ. 化多様性の問題をも扱おうとなったのは、いつだったか. の会議の記録は出版されなかったのだが、日本からは数. あまりはっきりしない。ただ、言い出しっぺは、ノルウ. 人が参加し、嘉田さんと私とが話題提供を行なった。なお、. エーのシェイ(Shei, Peter)さんだったように思う。「生. このシンポジウムで語られた「聖地」の大部分が、いわ. 物学的多様性条約」に、「生物多様性の保全や持続可能な. ゆる「発展途上国」におけるものについての「先進国」. 利用に関連する伝統的な生活様式・工夫・慣行を尊重・. 研究者の発表であり、少数の残りのものもそのほとんど. 保存・維持し、そのいっそうの広い適用を促進する」と. が、「先進国」の過去の「聖地」に関するものだったこと. 謳われていることを、その根拠にしてのなかなか面白い. は、少なくとも私にはかなりショックだった。. 提案だった。私は一も二もなく、これに賛成し支持した。.  それはともかく、生物多様性と文化多様性の関係の問.  それというのが、1996 年に開館した琵琶湖博物館の設. 題は、国際的にもその後大いに発展し、現今ではこれに. 立記念国際シンポジウムは、「生物多様性と文化多様性と. 関するものが、生物多様性研究のかなりの部分を占める. の関係」とすることが、かなり以前から決まっていたか. ようになっているかのようである。. らでもある。急いで付け加えておくと、この企画を最初 25.

(10) 川那部浩哉. おわりに  「生物多様性科学国際計画」に、いや「生物学的多様性」 なるもの自体に、関心を持たざるを得なくなったのは、 最初に書いたとおり 1991 年、すなわち今から 30 年ほど 前のことである。日本列島内でも、この問題に早くから 関心を持っておられた研究者は、きっと他にあったに違 いないだろう。それが、急に考えなければならない「羽目」 に陥らされ、その後、あれよあれよという間に、関心を 持たざるを得なくなり、それをある程度進めなければな らないことになったわけである。しかしその経過は私自 身が、少なくとも最初のころはあまり自覚的でなかった こともあって、却っていくらかの方々の参考になるよう な気もする。  そういうわけで、取り敢えずメモとして私なりに書き 付けてみたものがこれである。客観性を保つのには努め たつもりだが、事実の誤り自体もあるに違いない。ご笑 覧のうえ、誤りなどを正し、また追加して頂ければ、ま ことに幸いである。  最初から意図して積極的に動いたわけでもない私を、 多くの友人たちが支えて下さった、いや、自ら進めて下 さったことについては、いま改めて思い起こしてみると、 いくら感謝しても、し足りない気がする。お名前をここ では挙げないが、心から感謝の意を表したい。残念なのは、 この計画研究の中心として活躍して下さった「相棒」の、 安部琢哉さん・井上民二さん・東正彦さんを、研究期間 の途中、飛行機と船舶の遭難事故によって、失ったこと である。ここに記して、改めて哀悼の意を表したい。. 引用文献 Abe T, Levin S, Higashi M (1996) Biodiversity: An Ecological Perspective. Springer, New York 第9回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 (1995) 地球共生系:多様な生物の共存する仕組み. クバプロ, 東京 Di Castri F, Younes T (ed) (1996) Biodiversity, Science and Development: Towards New Partnership. CAB International, Wallingford DIVERSITAS (1996) DIVERSITAS: An International Programme of Biodiversity Science: Operational Plan. DIVERSITAS Scientific Committee, IUBS, Paris Fujita N, Timoshkin OA, Urabe J, Wada E (2002) New scope on sustainable watershed in East Asia. DIWPA Series 3, 1:1151 Heywood VH, Watson RT (ed) (1995) Global Biodiversity Assessment. Cambridge University Press, Cambridge 26. 巌佐 庸, 倉谷 滋, 斎藤 成也, 塚谷 祐一 (2013) 岩波生物学 辞典第5版. 岩波書店, 東京 Kawanabe H (2002) An Integrated Study on Biodiversity Conservation under Global Change and Bioinventory Management System: Report of the MEXT Creative Basic Research 09NP1501. Center for Ecological Research, Kyoto University, Otsu 川那部 浩哉 (2003) 生物多様性の世界―人と自然の共生と いうパラダイムを目指して. クバプロ, 東京 川那部 浩哉 (2011) 京都大学生態学研究センターの思い出 (1991年度∼1995年度). 京都大学生態学研究センターニ ュース, 特別号: 6-9 川那部 浩哉 (2016) 国際生態学会議 (INTECOL 1990 横浜) 顛末記. 日本生態学会誌, 66:715-724 Kawanabe H, Coulter GW, Roosevelt AC (1999) Ancient Lakes: Their Cultural and Biological Diversity. KENOBI Productions, Ghent Kawanabe H, Leveque C (1998) DIVERSITAS STAR – Element 9 Inland Water Biodiversity: Plan of Action. DIVERSITAS Scientific Committee, IUBS, Paris Kawanabe H, Ohgushi T, Higashi M (1993) SymBiosphere: Ecological complexity for promoting biodiversity. Biology International, Special Issue, 29:1-86 川那部 浩哉, 田端 英雄 (1997) 生態学研究センター. 京都 大学百年史部局史編 (京都大学百年史編集委員会編), 987-1005. 京都大学後援会, 京都 Kawanabe H, Wada E (1995) DIVERSITAS in Western Pacific and Asia (DIWPA) - An international network -. Biology International, 31:30-32 Leveque C, Kawanabe H (2000) DIVERSIYAS Inlandwaters PLANETS: PiLot Aquatic NETwork Sites – Proposal of a Network for Inventorying. Monitoring and Conserving Inland Waters Biodiverisity. DIVERSITAS Scientific Committee, IUBS, Paris 松井 章, 牧野 久実 (2000) 古代湖の考古学. クバプロ, 東京 長倉 三郎, 井口 洋夫, 江沢 洋, 岩村 秀, 佐藤 文隆, 久保 亮 五 (編) (1998) 岩波理化学辞典第5版. 岩波書店, 東京 Nakashizuka T, Stork N (2002) Biodiversity Research Methods: IBOY in Western Pacific and Asia. Kyoto University Press, Kyoto, Trans Pacific Press, Melbourne 大沢 雅彦, 川那部 浩哉 (1992) リオデジャネイロにおける 環境と開発に関する国連会議 (UNCED) に並行して開 催された生態学関連の行事に関する報告. 日本生態学会 誌, 42:275-282 Rossiter A, Kawanabe H (2000) Ancient Lakes: Biodiversity, Ecology and Evolution (Advances in Ecological Research 31). Academic Press, San Diego, etc. Solbrig O (1991) From Genes to Ecosystems: A Research Agenda for Biodiversity. International Union of Biological Sciences, Paris 和田 英太郎 (2009) 流域管理学. 京都大学出版会, 京都 Wada E, Timoshkin OA, Fujita N, Tanida K (1997) New scope on boreal ecosystems of East Siberia. DIWPA Workshop Series, 1:1-179.

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参照

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