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不法行為法による経済的利益の保護とその態様(1)-「純粋経済損失」の様相-: 沖縄地域学リポジトリ

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Author(s)

吉本, 篤人

Citation

沖縄大学法経学部紀要 = Okinawa University JOURNAL

OF LAW & ECONOMICS(19): 25-53

Issue Date

2013-03-29

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11204

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第1章 はじめに  第1節 本研究の目的  第2節 純粋経済損失とはなにか  第3節 本研究の考察手法 第2章 故意を要件とする経済的不法行為の出発点  第1節 経済的利益を追求する自由  第2節 自由競争の尊重  第3節 過失不法行為法との関係 第3章 経済的利益の侵害  第1節 契約上の権利   第1項 故意による加害    第1目 契約相手方の履行が妨害された場合        直接の説得による契約違反誘致        直接的に履行不能を生ぜしめる契約妨害        間接的に履行不能を生ぜしめる契約妨害(以上、本号)        三当事者間の脅迫        検討    第2目 原告自身の履行が妨害された場合   第2項 偶発的な加害   第3項 小括  第2節 契約に関する期待   第1項 契約の締結自体を妨害する場合 【論文】 専 門 分 野:民事法学、民法 キーワード:不法行為法、純粋経済損失、経済的利益

Protection of Economic Interests in Tort Law: Aspects of Pure Economic Loss, part 1

吉 本 篤 人*

 Atsuhito YOSHIMOTO

不法行為法による経済的利益の保護とその態様(一)

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  第2項 不利益な契約締結を誘致する場合  第3節 契約外の期待  第4節 金銭的財貨を保持する利益 第4章 おわりに 第1章 はじめに  第1節 本研究の目的  近年における比較法研究の成果は、欧州各国の不法行為法が、「純粋経済損失(pure economic loss)」という損失概念を認める国々と、このような損失概念を知らない国々とに大別されるこ とを次々と明らかにしてきた1。前者に属する国々としては、イギリス・オランダ・ドイツ・オー ストリア・フィンランド・ポルトガル等、後者に属する国々としては、フランス・ベルギー・ギ リシャ・イタリア・スペイン等を挙げることができる。  これまで筆者は、これらの比較法研究の成果を参照しながら、前者に属する国々のうちイギリ ス過失不法行為法(ネグリジェンス法)を題材として、同国の判例及び学説において、純粋経済 損失と呼ばれる損失概念の下でどのような議論がなされているのかを紹介し、検討を加えてきた2 。 そこでは、イギリス過失不法行為法が純粋経済損失と物理的損害とを区別し、前者について過失 不法行為責任を原則として否定するという立場(責任否定準則)を出発点としながらも、例外的 に過失不法行為責任を認める場合のあることを指摘し、責任肯定ないし責任否定のための考慮因 子を記述するという試みを行った。  これに続く本研究は、純粋経済損失と物理的損害との区別を認めて責任否定的な立場を原則と すべきなのか、区別を認めないという立場を原則とすべきなのかという点に関して、イギリス法 において純粋経済損失に対する責任が認められる故意を要件とする不法行為類型――経済的不法 行為(economic torts)と緩やかに総称される――を素描することによって、その手掛かりを得 ることを目的とするものである。この法領域は、2007年に下されたOBG Ltd v Allan3 事件貴族 院判決及び2008年に下されたTotal Network SL v Revenue and Customs Commissioners4

事件 貴族院判決によって、大多数の先例が再解釈され、一部の先例はその意義を事実上否定されると いう劇的な展開を見せており、この点においても参照に値すると思われる。次に、本稿において 故意不法行為法の具体的な検討に入る前に、わが国ではなじみの薄い「純粋経済損失」という損 失概念の定義を改めて確認するところから始めたい。  第2節 純粋経済損失とはなにか (一)本研究において純粋経済損失とは、「被害者の人身又は財物(property)に対する物理的 加害を媒介することなく、被害者の一般財産に生じた財産的・金銭的損失」のことをいう5 。こ れに対し、イギリス法の議論において純粋経済損失としばしば対置される物理的損害(physical damage)とは、被害者の生命・身体又は被害者に属する財物(厳密にいうならばpropertyと呼 ばれるもの)に対して物理的加害がなされた結果、被害者に生じた損害ないし損失を意味すると いうことになる。わが国の法律家にとっては若干分かり難く感じられるかもしれないが、その理 由は、イギリス不法行為法が「権利侵害」というわが国の不法行為法において見慣れた用語法を

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一般にはとらないことにあると思われる。理解を優先し敢えて簡潔に表現するならば、純粋経済 損失とは、原告本人の権利ないし法益が侵害されることなく原告に生じた金銭的損失のことであ るといっても差し支えないであろう。それゆえ、民法七〇九条の「権利侵害」要件を希薄化して きたわが国の不法行為法が、この損失概念を知らないことは自然の成り行きであるといってよい。  実際、比較法研究の成果によって、純粋経済損失の主要な定義には二つが存在し得ることが既 に指摘されている6 。一方は、身体ないし健康被害または物的毀損と無関係に発生した経済的損 失のことをいうと定義する立場であり、これはイギリス不法行為法におけるpure economic loss に由来する定義である。他方は、権利ないし法益に対する侵害の結果として生じたものではな い経済的損失のことをいうと定義する立場であり、こちらはドイツ不法行為法におけるreiner Vermögensschadenに由来する定義である。不法行為法の要件として「権利侵害」概念を用いる 法制度においては後者の立場がとられ、「権利侵害」概念を用いない法制度においては、前者の 立場がとられる傾向がある、とされる。  ところで、人の身体の完全性利益に対する侵害がもたらした不利益について賠償が命ぜられる のは自明のことであるとして、ひとまず考慮の対象から除外すると、前述した純粋経済損失の二 つの主要な定義は、それぞれ「物的毀損」の法的内容、あるいは「権利侵害」の法的内容に左右 される反射的な定義でしかないということができる。すなわち、前者の定義においては、「物的 毀損」とは何かという解釈問題が生じるのに対して、後者の定義においては、「権利侵害」の内 容画定が重要な課題となる。したがって、厳密にいうならば、二つの定義が指し示す損失ないし 損害は、必ずしも常に一致するものになるとは限らない。もっとも両者は、「物的毀損」または「権 利侵害」の結果、被害者にもたらされる経済的損失と、そのような毀損または侵害を媒介しない という意味で「純粋な」経済的損失との区別を認める7 、という点では共通している。この点に 着目するならば、両者は少なくとも主要な部分において重なり合う問題領域に関するものである ということができ、これを並列的に論ずることも許されるであろう。  ちなみに、ここでいう「物的毀損」とは、英米法の用語を使うと、財物(property)に対す る加害を意味する。英米法におけるプロパティ(property)の概念を説明することは容易では ないが、ここでは次の記述で満足をしておくことにしたい。すなわち、イギリス法において、「不 法行為法の最も重要な機能の一つは、有形のプロパティと無形のプロパティにおける利益を保護 することである。プロパティ法がプロパティの諸利益を創設し、不法行為法がこれらを保護する ……(中略)……有形のプロパティは、物的(real)なものか人的(personal)なものかいずれ かである。物的プロパティとは、土地および土地に付着させられた物である。人的プロパティと は動産をいう。無形のプロパティとは、物理的な形状を欠いているが、法が人々にプロパティの 権利を付与したものである。その例としては、特許・商標およびその他の“知的財産権”並びに 債務(debts)が含まれる8 」。したがって、プロパティとして法が承認した無体の知的財産権に 対する加害によって生じた経済的損失は、純粋経済損失と呼ばれるものではなく、本研究の対象 外である。 (二)この段階で、純粋経済損失とわが国において従来議論されてきた「経済的損害」との関係 について触れておくことが有用であると思われる。わが国において、「経済的損害」は人身損害、 物的損害と並列して議論され、そこで侵害される利益とは、営業活動そのもの、営業活動の基礎

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を為す人的・物的財産、あるいは営業活動の結果、様々な経済的利益を獲得する可能性ないし期 待の侵害である、とされてきた9 。このような営業活動上の経済的利益においては、自由競争の 保障という要請が働くため、不法行為法によって保護されるためには経済的利益の要保護性と侵 害行為の悪性が必要であるとされる。わが国の不法行為法において「経済的損害」が論じられる 場合、営業活動の自由という面からの考察が重視され、知的財産権の侵害や不正競争行為による 侵害、私的独占・取引制限・不公正な取引方法による侵害といった特別法によって規制されてい る侵害形態によって生じた損害に関するものが多いように思われる。  これらの侵害行為によって生じる損失も、法が承認した有形ないし無形の財産権に対する加害 を媒介せずに発生する場合には、一般に、純粋経済損失と評価されるものとなり得る。しかし、 現実には多くの場合、営業活動の自由の保障とその調整という観点から特別法によって規制され ている分野であって、一般法たる民法が前面に出てくる場面は多いわけではない。そこでは、営 業活動の特殊性を考慮しようという態度が見受けられるが、いわゆる純粋経済損失の全てが競争 に晒された営業上の利益であるということはできない。すなわち、わが国において従来議論され てきた「経済的損害」とは、あくまで営業上の経済的利益に絞りをかけた議論であって、純粋経 済損失という損失概念は、それを部分的には包含し得るものの、より広く中立的な損失概念であ る。純粋経済損失という場合の「経済(economic)」の語には、営業関連の利益の侵害に限られ るという意味は込められてないことに注意しなければならない。この点は、ドイツ不法行為法に おいては、純粋経済損失のことを純粋財産損害(reiner Vermögensschaden)と称することから も窺い知ることができる。 (三)具体的な検討に入る前にもう一点、指摘しておかなければならない。近年、欧州における 私法の調和という観点から、純粋経済損失に関する比較法研究が活発に行われたわけであるが、 厳密にいうと研究が盛んであったのは、不法行為法のうち過失不法行為責任が認められるかとい う問題領域に関するものであった。故意によって損失が加えられた場合には、それが純粋経済損 失であるという理由によって――すなわち損失の種類を理由として――不法行為法による救済が 直ちに否定されることは、少なくとも外見上はない。純粋経済損失に関して、「欧州の法制度は、 過失にもとづく責任が問題となるまでは分岐し始めることはない。ここに、ある者は渡るのを恐 れ、他の者は暢気に忘れ去ってしまう一種のルビコン河が存する10 」のである。  しかし注意しなければならないのは、欧州各国においても、故意によって加えられた純粋経済 損失が、それだけで直ちに不法行為法によって救済されるわけではないという点である。わが国 において「経済的損害」が論じられる場合に侵害行為の悪性等が必要であると主張されるように、 故意不法行為法の場面においても、不法行為責任の限界を画するため、損失の種類に着目したも のとは異なる制御装置が組み込まれているように思われる。本研究は、イギリス法において故意 を要件として不法行為責任が認められる経済的不法行為(economic torts)という法領域を題材 として、不法行為責任の限界を画する制御装置がどのように組み込まれているのかを明らかにし、 過失不法行為法における純粋経済損失の責任否定準則とどのような関係が認められるのか、考察 を行おうとするものである。この際、純粋経済損失という概念は、損失の側から見た概念である ことに鑑み、いかなる経済的利益が侵害されたのかという観点からの再整理という手法を用いる。 この手法については、節を改めて論じることにしたい。

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第3節 本研究の考察手法 (一)前述したようにイギリス不法行為法は「権利侵害」という用語法を一般にはとらないが、 比較的近時、「ある損失が『純粋に』経済的なものであると呼ばれる場合、その損失がある権利 の侵害の結果、生じたものでないことを意味する11」にすぎず、不法行為法の本質は「損失」で はなく、「権利」の侵害にあると意識的に主張する見解が現れている。Stevensの見解がこれであ る。Stevensは、原告が「損失」を被ることが被告にとって予見可能であれば一応の不法行為責 任が認められ、次に、責任を否定すべき理由がないか検討するという従来の通説と目される分析 手法を損失モデル(loss model)と呼び、以下のように説明される権利モデル(rights model) と対置させている。  「不法行為法は、不法(wrong)の一種である。不法とは、他人に対して負う義務に違反 することである。他人に対して負う義務に違反するとは、その他人が不法行為者に対して有 している権利を侵害することである。被告を不法行為者であると呼ぶ前に、先行する問題と して、原告が被告に対して権利を有していたかが問われなければならない。不法行為法は、 第一に権利の侵害があり、それによって生じた二次的な債務に関するものである。不法行為 法の本質(gist)は、損失を与えることではなく、権利を侵害することにある。不法行為法 をこのように構想することを、権利モデルと呼ぶことにする12  Stevensは、この権利モデルによって不法行為法を説明することの重要性を説き、権利侵害を 中核に据えた不法行為法を構想すべきであるとする。権利と義務との間には相互関連性があると いう前提に立って13 、被告の不法行為責任が認められるためには、原告が被告に対して有する権 利が侵害されたことが、第一に必要であると説明する。ここから対世効のある権利が不法行為法 によって保護されることが導かれ、対世効のある具体的な権利のリストとして、物権(property rights)は勿論のこと、身体の完全性や移転の自由、社会的評価に対する権利、選挙権、そして 嘘を告げられることのない権利(right not to be lied to)が挙げられる。また、対世効はないが、 原告が被告のみに対して主張できる権利が、契約またはこれに類する当事者間の自発的な引受に よって創設されることがあり、これも契約法ないし不法行為法(Stevensはいずれも不法に関す る法であると説明する)が保護することになると説明される。そして、経済的損失に対する責任 が認められるのは、その損失がこれらの権利侵害の結果として生じたものである場合に限られる と主張される。  Stevensの見解に対する具体的な当否をここで論じることは控えたいが、不法行為責任の成立 要件として権利侵害を挙げるという手法自体は、日本の民法七〇九条の文言に慣れ親しんだ者と しては格別目新しいものではない。Stevensの見解に特徴的なことは、原告が被告に対して主張 できる権利であるかどうかによって、不法行為法(ないし民事不法に関する法)によって保護さ れる権利かどうかを判断すべき、という点にあるといえようか。不法行為法を損失モデルと権利 モデルのいずれの構想に立って説明するかという点は、わが国においても権利ないし法益侵害の 要件にどれほどの重きを置くか、あるいは不法行為法によって保護される権利ないし利益をどの ように判断するのかという問題にとって、示唆的であるように思われる。さらに、本研究の関心 事からいうならば、純粋経済損失なのか物理的損害なのかといった損失ないし損害の種類に着目 した損失モデル志向の考察だけでは不十分なのではないか、という懸念をも呼び起こさせる。

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(二)そこで、本研究においては、原告に純粋経済損失が生じたとされる事例において、原告の どのような権利ないし利益が侵害されたということができるのか、そしてどのような権利ないし 利益が侵害された場合に、イギリス不法行為法は救済を予定しているのかを把握するために、侵 害された経済的利益に着目した検討作業を行うこととしたい。権利ないし利益モデルによる説明 を目指すのであれば、その検討作業は、故意不法行為法と過失不法行為法とを横断的に考察す るものとなるであろう。「損失」ではなく「利益」に着目すべきという分析手法そのものは、か つてCane14が相当程度行って成果を挙げているものであるが、その後に下された2007年のOBG Ltd v Allan15 事件貴族院判決によって、経済的不法行為の領域において用いられる各種の不法 行為法準則の位置付けが様変わりしたため、これらの変遷も考慮して叙述を行わなければならな い。これらの検討作業を行うことで、現在のイギリス不法行為法が総体として、経済的利益の保 護にどのように資しているのかを明らかにし、わが国の不法行為法への示唆を得ることを目指し たい。なお、故意によらない加害の事例ないし事例群については、これまで公表した拙稿におい て挙げてきたものを、折に触れて引用させていただくことを宥恕いただきたい。  ところで、Caneは、経済的利益を以下の5つに大きく分類している16。すなわち、物権的利 益(property interests)及びこれに準じる利益、契約上の利益、契約に関する期待、契 約外の期待、金銭的財貨(monetary wealth)を保持する利益、である。物権的利益は、さ らに有形のプロパティにおける利益と、無形のプロパティにおける利益とに細分化される。契 約上の利益とは、既存の契約にもとづく権利を意味し、契約に関する期待とは、将来有益な契 約を締結するという利益のことを意味する。契約外の期待とは、契約取引以外の方法(たとえ ば遺言)によって将来利得するという期待のことを指す。金銭的財貨を保持する利益とは、既 存の一般財産が損なわれないという利益を意味するが、これは他のどの分類にも属さない残され た経済的利益を包含するものである、とCaneは説明している。  本研究はこのCaneの分類法を採用するものであるが、本研究の目的のためにはさらなる限定 が必要のように思われる。Caneは、物権的利益も経済的利益の一形態にすぎないとし、物権的 利益とその他の経済的利益との有意な区別を認めない立場をとることを明らかにしている17 。い うならばCaneは、生命身体等の人格的利益と経済的利益とを対置させるという発想に立ってい るわけである。この発想自体の当否はさておき18 、物権的利益の侵害(典型的には所有権又は占 有権の侵害)それ自体は、明確な権利侵害があったとは言い難い場合に生じる経済的損失の保護 如何を探求する本研究の関心事からは遠ざかることになる。そこで、物権的利益の侵害につい ては、直接的には本研究の対象としないことにしたい。  以上の次第により、本研究において採り上げる経済的利益は、契約上の利益、契約に関す る期待、契約外の期待、金銭的財貨を保持する利益、ということになる。これらの経済的利 益の侵害に対して、イギリス不法行為法がどのような保護を与えているか(または与えていない か)を探求していきたい。 第2章 故意を要件とする経済的不法行為の出発点  第1節 経済的利益を追求する自由 (一)経済的利益の分類に即した叙述に入る前に、次の点を確認しておく必要があるように思わ

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れる。イギリス過失不法行為法(ネグリジェンス法)において、純粋経済損失に対する責任を認 める一般原則が存在しないことを、これまでの拙稿において指摘してきた。それでは、故意不法 行為法の場面においては、純粋経済損失に対する責任を認める一般原則――原告に対して被告が 故意に経済的損失を与えれば一応の不法行為責任が成立するという原則――は存在するであろう か。イギリス法における答えは、否である。  このことは、1897年のAllen v Flood19 事件貴族院判決において確立され、現代のイギリス不法 行為法に対してなお影響を及ぼし続けている。同事件の多数意見は、経済的利益ないし営業的利 益に対する故意(intention)又は害意(malice)による侵害について、不法行為責任を認める いかなる一般準則の発展をも堰き止めたと評されているものである。事案の概要は、以下のとお りである。  原告Fらは造船工であるが、ある船の修理を目的とした木材加工に従事するために訴外G社に 雇用されていた。この船の修理のために必要な金属加工は、同じくG社に雇用された約40名のボ イラー製造人が担当していた。この港湾施設における労働者は、全員日雇いであった。ある日、 ボイラー製造人は、原告Fらがかつて別の会社に雇用されて金属加工に従事していたことに気が 付いた。このボイラー製造人は、造船工が金属加工のために雇用されることに強力に反対する労 働組合に属していた。ボイラー製造人から事情を聞いた労働組合の幹部Aは、G社の役員との面 会を求め、原告Fらを解雇しないと仕事を中止すると伝えた。その結果、原告Fらは、その日の 終わりに明日から仕事にこなくてよいとG社に告げられたというものである。  原告Fらは、害意により自分達を再雇用しないようG社を誘引したこと、故意により自分達の 生計を侵害したと主張して、労働組合の幹部Aを被告として訴えを提起した。陪審によってAに 害意ありとの認定がなされ、第一審は原告Fらの訴えを認容して40ポンドの支払いを命じた。控 訴院も第一審判決を支持したので、Aが貴族院に上訴した。貴族院における裁判は、特別に九名 の貴族院裁判官によって組織され、さらに八名の裁判官が貴族院に呼び出され意見を求められる という念入りぶりであった。後者の意見を求められた裁判官は、六対二で原告勝訴の意見を述べ たが、事件を直接担当した貴族院裁判官は、六対三で上訴を認容すべきという判決を下し、結局、 被告が勝訴した。  本判決においては、原告らの経済的利益を保護するための積極的な権利が認められるかどうか が重大な争点となったが、貴族院の多数意見(六対三)は、このような身体の完全性や財物(プ ロパティ)、社会的評価に対する権利と同種のものとなったであろう「権利」を承認することを 拒絶した。代わりに、多数意見は、生計や営業を追求する「自由」を認めただけであった。多数 意見に立ったDavey貴族院裁判官は、次のように説示する。  「ある者(X)が取引又は職業を追求するために有している権利は、この者(X)に損害 を与えることになろうとも、他人(Y)が同じように取引又は職業を追求しこの者(X)と 競争するという対等な権利によって制限されるものである。そして、このような性格を持つ 一般的で抽象的な権利は、ある者が締結した契約の履行を求める権利のような私法上の特定 的な権利とは、異なる基礎にもとづくものであることは、明らかである。特定の雇主に雇用 される権利というものは認められるものではないし、雇用契約が雇主の意思によって左右さ れるものである場合には、特定の雇用契約に対する権利が認められるものでもない20 」。

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 すなわち、原告らを再雇用しないようG社を説得しようとしていた被告もまた、自分達の労働 組合の利益となるよう事態を調整すべく、生計や営業を追求する自由を対等に行使していた者に すぎないと判断されたわけである。多数意見は、被告が行ったことに何ら故意による不法は見出 せないとして、ボイラー製造人らが望んでいた金属加工の独占について原告らがかつて違反した ことを処罰したいという被告の動機(motive21 )が、適法な行為を不法な行為に変化させるとい う原告らの主張をも、さらに斥けた。その上で、多数意見に立ったWatson貴族院裁判官は、以 下のように説示している。この説示は、本事件から約110年後のOBG Ltd v Allan22事件貴族院 判決において、重要な説示として引用されることになる。  「私見によれば、他人の行為を教唆(procure23 )した者がその結果について法的責任を負 わされる根拠は二つしか存在しない。第一に、承知のうえで(knowingly)かつ自分自身の 目的(ends)のために、訴え可能な不法(actionable wrong)を行うよう他人を誘致(induce) した者は、責任を負うことになる。第二に、誘致された行為が直近の行為者が有する権利の 範囲内であり、それゆえにその行為者が行うかぎりにおいては不法(wrongful)ではないが、 それでも第三者に不利益をもたらした場合、その場合には……(中略)……誘致者が、第三 者に向けて不法な手段(illegal means)を用いることによって、自分の目標を達成したこ とが証明できた場合には、誘致者は責任を負わされるであろう24  さて、本判決によって、イギリス不法行為法は、生計や営業上の利益、換言すると経済的利益 を追求する「権利」――侵害に対して救済が当然に与えられるという意味での権利――が、一般 的に存在することを否定し、ただ、経済的利益を追求する「自由」が私人全員に認められるにす ぎないとの立場を示したわけである。この自由は、原告にも被告にもあるのであって、被告がそ の自由を行使しているにすぎない分には、原告が不法行為法によって救済されることはない。し たがって、イギリス法においては、故意不法行為法の場面においても、経済的利益を保護するた めの一般的な権利は存在しないというのが出発点である。別の言い方をすると、「経済的損失を 与えるだけでは、当然に原告の何らかの権利を侵害したことにはならないというのが、コモン・ ローの出発点なのである25 」。このように、故意による加害の場合にも責任制限的な立場が採ら れることは、イギリス不法行為法が、純粋経済利益(pure economic interests)に対して物理的 利益(physical interests)よりも低い優先順位しか与えていないことの顕れである、と指摘す る論者も存する26 。また、このことは、イギリス不法行為法の発展に対して少なからぬ影響を与 えている。  第一に、他人の不正な営業から原告を守るための不法行為法の射程が、相当程度制限されてい る。例えば、裕福な銀行家の被告が、理髪店を経営する原告を商売から追いやって損害を与える ためだけに、競合店となる非常に低価格の理髪店を開設したというような事例(Tuttle v Buck27 事件。米国ミネソタ州の事件)が、仮にイギリスで裁判になった場合、イギリスの原告は救済さ れることなく放置されることになるであろう、とされる28 。ミネソタ州最高裁判所は原告の訴え を認めたが、米国の裁判所はAllen v Flood事件判決を拒絶しており、この法領域においてはイ ギリス法と異なる道をとったとされる29  第二に、経済的不法行為(economic torts)と緩やかに総称される不法行為類型の発展が、し ばしば偶然に左右されるものとなった。「契約違反誘致(inducing breach of contract)」や「共

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謀(conspiracy)」と呼ばれる特定の不法行為類型が、Allen v Flood事件以前においても存在 していたことは、同事件の貴族院判決が確認したところである。これに続く一世紀余りで、「契 約違反誘致」、「脅迫(intimidation)」、さらには論者によって呼び名の異なる「不法手段妨害30

(causing loss by unlawful means)」はそれぞれ発展を見たが、これら各種の経済的不法行為を 繋ぐ共通の原則、ネグリジェンス法におけるDonoghue v Stevenson31 事件の「隣人原則」のよう な一般準則は、未だ見出されていない。これを、他人の取引や営業を不法手段によって妨害する という不法行為「類(genus)」であり、これまで伝統的に命名されてきた各種の経済的不法行 為類型は、この「類」の単なる「種(species)」にすぎないとの説明を試みた裁判官32 も現れたが、 経済的不法行為と総称される各種の不法行為類型を、無理なく統一的に説明できるものとまでは なっておらず、近時の貴族院判決33もこの考え方を事実上、否定している。  第三に、経済的利益の侵害について故意を要件とする不法行為法の発展が制約されているとい う事実は、過失不法行為法(ネグリジェンス法)の発展を促すという副次的な効果をもたらした ということができるように思われる。ここで、次のような疑問が生じる。これまでの拙稿で指摘 したように、イギリス法は、ネグリジェンス法において純粋経済損失に対する責任否定準則を維 持しながらも、特定の事例群34 においては責任肯定的な態度を示している。それでは、競争者の 故意又は害意ある行為によって経済的損失を被った被害者に対しては救済を拒否し、第三者の過 失ある行為によって同種の損失がもたらされた場合に救済を与えるということが、果たして合理 的な制度といえるだろうか。  例えば、畜牛の競売りを業とする甲会社と乙会社があり、同じ地域で互いに競争関係にあると しよう。乙会社が競売りにかかる料金を甲会社よりも低廉に設定し、畜産農家に対して畜牛を乙 会社だけに出荷するための誘引を提供したために、甲会社が商売に失敗した場合、甲会社はこの 損失の賠償を求めることができない。しかしながら、甲会社の近隣にある研究所が過失により口 蹄疫ウイルスを漏泄してしまい地域の畜牛が口蹄疫に感染したために、畜牛の移動を禁止する行 政命令が出された場合において、食肉競売市場の閉鎖によって甲会社が同じような経済的損失を 被ったときはどうなるだろうか35 。後者の過失行為について不法行為責任の可能性を否定しない 一方で、前者の故意行為について不法行為責任を認めないとすることが、必ずしも矛盾するもの ではないことは、後述する。  第2節 自由競争の尊重  それでは、なぜイギリスの裁判所は、経済的利益を保護するための一般的な権利の承認を拒絶 しているのであろうか。この問いに対する明快な説明は、Ware and de Freville v Motor Trade Association36事件におけるAtkin控訴院裁判官の傍論において見出せるという 。その一節は、以 下のとおりである。  「個人が、不法行為や犯罪をしない限り、妨害されることなく自己の取引や職業を営む権利、 又はいかなるものであれ自己の活動を実行する権利は、何が訴え可能なものになるかという 点について満足のいかない根拠しか与えない。なぜなら、この権利は、原告以外の残りの人々 も有している全く同様の権利によって影響を受けることになるからである。このような同時 に存在する権利は、競争世界において必然的に互いに衝突することになる……(中略)……

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真の問題は、[原告の]取引等を行う権限(power)が、法が不法(wrongful)と考える行 為によって妨げられたかどうか、である38 」。  歴史的にイギリス法は自由競争を好んできた。このような立場は、経済的利益を追求する利益 に対して絶対的な法的保護を与えるといういかなる前提とも、相容れないものである。経済的損 失を与える競争者等の行為は、その損失をもたらした行為それ自体が「不法(unlawful39 )」な 場合にのみ、不法行為になると考えられてきたのである。この叙述の循環性はひとまず措いてお くとして、この「不法な行為(unlawful act)」には、大きく分けると二つの分類が識別可能の ように思われる。  第一の分類は、不実表示(misrepresentation)に関連する経済的不法行為である。自由競争は、 競争者を打ち負かすために嘘や欺罔を用いることを許すものではない。したがって、イギリス法 においては、「詐欺(deceit)」と呼ばれる不法行為類型が認められており、被告の行った不実表 示を信頼して原告が損害を被った場合、被告に責任が課せられる。「詐称(passing-off)」と呼 ばれる不法行為類型は、被告が自己の商品の製造元または品質のいずれかについて顧客に対して 不実表示をし、原告の暖簾(goodwill)を利用して不正に利益を上げることを防止しようとして いる。そして、「悪意虚言(malicious falsehood)」と呼ばれる不法行為類型は、競争者を不正 に貶めた被告を「罰する」ためのものである。これらの不法行為類型は、本来的には、自由競争 を逸脱した競争行為を防止するために用意されている経済的不法行為であるといってよい。  第二の分類として、不実表示とは関わりのない各種の経済的不法行為がある。これに属するの は、「契約違反誘致(inducing breach of contract)」、「共謀(conspiracy)」、「脅迫(intimidation)」、 そして「不法手段妨害(causing loss by unlawful means)」と呼ばれる各種の不法行為類型で ある。なお、「脅迫」と呼ばれる不法行為類型の少なくとも一部は、「不法手段妨害」の一種であ るという見解が、現在では有力である。これらの不法行為類型はかつて、取引や営業を妨害する 不法な行為という一つの「類(genus)」と捉えることができると主張された伝統的な経済的不 法行為である。経済的不法行為(economic torts)の語は、狭義ではこの第二の分類に属する不 法行為類型のみを指して用いられることもある。これらの不法行為類型が争われた事例の多くは、 当事者がいずれも営業又は取引上の競争者である場合か、あるいは当事者が労働組合及びその標 的となった使用者である場合か、そのいずれかである。前者の場合において、原告と被告とが互 いに競争関係にあることは言うまでもない。後者の場合、労働組合と使用者は厳密にいうと競争 関係とはいえないかもしれないが、敵対関係にあることは疑いないであろう。競争関係にある者 同士、あるいは敵対関係にある者同士の間で、一方が他方の経済的利益を害しないようにする一 般的な義務を負わせることは、道徳的にも法律的にも困難であると考えられているのである40 。  ここまで見てきたように、故意による侵害に対しても、経済的利益を保護するための一般的な 権利は存在しないというのがイギリス不法行為法の出発点であるから、これらの歴史的に名前の 与えられてきた各種の不法行為類型も、不法行為責任が認められる例外的な事実関係を規定して きたものと捉えることができる。比喩的にいうならば、経済的不法行為に関する法の世界は、責 任が原則として否定される広大な海洋に、例外的に責任が認められる群島がところどころ存在す るという法状況なのである。この不法行為責任が認められてきた例外的な事実関係とは、いかな るものであるかという点を考察するのが、本研究の目的の一つである。

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(二)ところで、上記に名を連ねた各種の経済的不法行為類型は、基本的にはいずれも故意を成 立要件とするものであるが、この段階でイギリス不法行為法における「故意」の意味について付 言しておく必要があるように思われる。米国不法行為法リステイトメント41 が「故意(intent)」 の一般的な定義を置いているのと対照的に、イギリス不法行為法は、そもそも「故意(intention)」 の一般的・抽象的な定義を有しているわけではない。「故意」という言葉の意味するところは、 各種の不法行為類型が存することから、実に多様なものとなっている。不法行為類型毎に故意の 意味を検討するにあたっては、二つの視点が重要である42  第一の視点は、故意の対象である。すなわち、故意ありというためには、行為者が何を意図な いし認識していたことを要するかという視点である。例えば、「暴行(battery)」と呼ばれる人 身に対する直接侵害(trespass to person)の不法行為類型においては、行為者が損害そのもの や行為の不法性を認識していたことは必要なく、他人の身体への物理的接触を意図していただけ で故意ありと評価されるものとなる。これに対して、後述するように、「契約違反誘致(inducing breach of contract)」の不法行為類型における故意とは、原告に損害を与える意図ではなく、契 約違反を誘致する意図があれば十分であると考えられている。  第二の視点は、必要とされる故意のレベルである。第一の視点において故意の対象が定まった 場合、さらに行為者の心理状態がいかなるレベルのものであったかが問われる。例えば、生じた 結果が被告の目標としたところであったことが必要なのか、それともその結果が後に続くことが ほぼ確実であると被告が認識していれば十分であるのか、といった問題である。これも不法行為 類型毎に異なるが、本研究で検討する経済的不法行為について一般的にいうならば、原告を加害 することが被告の行為の目標ないし目的でなければならないか、少なくとも意図した目的を達成 するために必要な手段でなければならない、と考えられている。この点は後に詳しく見るが、故 意には対象ないしレベルがあるという説明は、非常に示唆的である。経済的利益に着目した具体 的な検討を行う際には、故意の対象ないしレベルについても留意しながら叙述していくことを心 がけたい。  第3節 過失不法行為法との関係  故意による経済的利益の侵害に対して一般的に不法行為責任を認めず、他方で、過失による経 済的利益の侵害について責任成立の可能性を認めることが、果たして合理的な制度といえるだろ うか、という本章第1節で提示した問いに対して答えておかなければならない。これに答えるた めには、故意による侵害について一般的に責任が否定される理由が、過失による侵害の場面にお いても通用するかどうかを検討してみる必要がある。  経済的利益を追求する利益を、身体の完全性や財物(プロパティ)等と同等の地位が与えられ る「権利」ではなく、経済的利益を追求する「自由」と考える理由は、イギリスの裁判所が、自 由競争の必要性を認識していることに由来する。例えば、Xが、青果店を開設して営業を行う自 由を有しており、青果物を誰に売るか誰から買うか自由に決めることができるという場合、Xの 隣人Yもまた、自分の青果店を開設して営業を行う自由を有している。Yが店舗を開設したせい でXの青果店が廃業に追い込まれたとしても、Yにとっては無関係である。市場経済は、成功を 奨励し、もっとも相応しい者が生き残ることを支持する。しかしながら、Xの行う営業が他人Y

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の過失行為によって損失を被った場合、例えば、建築業者Yが過失により地中のガス管を傷つけ、 Xの店舗に通じる道路が数日間閉鎖されたために、その間、Xが営業できなかったという場合は どうであろうか。この場合に、過失のあった行為者Yに対して不法行為責任を負わせても、自由 競争の原理を何ら損ねるものではない。実際には、責任を負わせるべきと主張することすら可能 かもしれない。競争経済は、各々の個人や企業がその技能を最大化して、その収益性を増大させ、 最善のサービスを提供すべきことを、むしろ要求しているからである。  ここまでの考察から、イギリス不法行為法において、故意による経済的利益の侵害に対して一 般的に責任が認められない理由と、過失による経済的利益の侵害に対して責任を認めることに消 極的な理由とは、区別して考えなければならないことが窺える。前者は、自由競争の確保を目的 としてイギリス法が採用する立場であるが、後者は、自由競争原理の維持という問題とは基本的 には関わりがない。後者においてイギリス法が不法行為責任を認めることに消極的な理由は、こ れまでの拙稿で指摘してきた理由付け、とりわけ、原告の数や損失量の不確定性を理由とする「水 門論」の主張、さらには不法行為法が当事者の承認したリスク配分を攪乱すべきでないという主 張にあると思われるが、どちらの理由付けも、純粋経済損失が過失不法行為法において賠償され ることがあってはならない、ということを示すものではない。実際、イギリス過失不法行為法が、 不実表示又は役務提供に起因する損失が生じた場合(第Ⅱ事例群)においては、責任を認める場 合があることを指摘してきた43。これに対して、故意を要件とする経済的不法行為においては、 自由競争を逸脱するか又は自由競争の原理を損なうがゆえに、許容されない行為をどのように規 定することができるかという点が探求されることになる。以上の出発点を踏まえた上で、経済的 利益に着目した具体的な検討作業に入っていくこととしたい。 第3章 経済的利益の侵害  第1節 契約上の権利  契約当事者でない第三者によって、契約上の権利そのものが妨害された場合、イギリス不法行 為法は、どのような救済を予定しているだろうか。本節においては、故意による加害の場合と故 意によらない偶発的な加害の場合とに分けて、叙述を行うこととしたい。なお、本研究においては、 既存の契約によって確保された利益のことを、契約上の「権利」と呼ぶこととする。わが国でい うならば、契約にもとづき成立した債権に相当する。また、本節で取り扱うのは、「既存」の契 約上の権利であることに留意されたい。有益な契約を将来締結するという利益については、契約 に関する期待と呼んで、次節以降において取り扱う。  ところで、契約上の権利を論ずるにあたっては、財物(プロパティ)の使用に関わる契約とそ れ以外の契約(典型的には売買契約やサービス供給契約)とを、区別して考える必要があるよう に思われる。まず、前者の財物の使用に関わる契約の場合には、わが国の賃貸借の例でも見られ るように、契約上の権利を有する者が、その物に対する現実の占有(possession)を既に有して いるか、あるいは直ちに占有すべき権利(immediate right to possession)を有している場合が ある。これらの場合には、この者は、契約上の権利だけではなく、占有という物権的利益(property interest)をも同時に有しているのであって、イギリス不法行為法は、この占有という物権的利 益が侵害された場合には、占有者でもある者に対して直接侵害(trespass)と呼ばれる厳格責任

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の訴えによって法的救済を与えることに躊躇しない。  本研究の関心事からいうと、前者の財物の使用に関わる契約において問題が生じる場面とは、 既存の契約によってある財物の使用権を与えられたが、それは将来のある時点における使用を許 可されたという契約上のものでしかなく、加害者がその財物を奪取ないし毀損した時点において この契約上の権利者が、現実の占有も直ちに占有すべき権利も、未だ有していなかったという場 合である。あるいは、契約によって財物の使用権を付与されたが、他人の使用を排除して排他的 に使用できるという性質のものでないがゆえに法的には占有とみなすことができない場合――道 路や橋等の要衝施設の使用権を与えられたという場合が典型である――も、この場合にあたるで あろう。後に見るように、財物の使用に関する契約にもとづく権利であっても、権利者が現に有 するものが契約上の権利でしかない場合には、イギリス不法行為法は、原則として救済を与える ものではない。ただし、「不法手段妨害(causing loss by unlawful means)」の要件が充たされ る場合には、故意により不法手段を用いて原告の契約上の権利を妨害したことを理由として、不 法行為責任が認められる可能性がないわけではない。ここでは、本節で取り扱う契約上の権利が 侵害された場面とは、契約上の利益のみが侵害された場面を考えており、これと併存して存し得 る占有といった物権的利益が害された場面は想定していないことを、前置きしておきたい。  第1項 故意による加害  本項において取り扱う事件の多くは、三当事者が登場する点で特徴的であるように思われる。 契約上の権利が侵害される事実関係を取り扱うのであるから、まず、原告Cとその契約相手方A との間に有効な契約が成立しているはずである。この契約にもとづいてCはAから特定の給付を 将来受けることのできる契約上の権利――わが国でいえば契約にもとづく債権――を取得した。 そこに、被告Dが何らかの行為をすることによって、Aが契約を履行することを妨害し、その結 果、Cが経済的損失を被ったとする。この場合に、Dのどのような行為に対して不法行為責任が 認められるのだろうか。最初に、Dが故意による加害――故意の意味は一様ではないが――を行っ た場合から、イギリス法の状況を検討していこう。  なお、被告Dが為す行為の対象はAであることが多いが、原告Cを対象としてDの行為がなさ れる場合もある。例えば、CがAに対して負う契約上の義務を履行するに際して、Dがこれを妨 害したために、C自身が経済的損失を被るという場合である。この場合には、二当事者間の問題 ともなり得る。そこで、契約相手方Aの履行が妨害された場合と、原告C自身による契約履行が 妨害された場合とに分けて論じていきたい。   第1目 契約相手方の履行が妨害された場合  まず検討するのは、契約当事者でない第三者Dの行為により、原告Cの契約相手方Aの履行 が妨害され、これによって原告Cが契約上の権利を侵害されたという場合である。イギリス不 法行為法においては、この場面では二つの不法行為類型が重要な役割を演じてきた。すなわち、 契約違反誘致(inducing breach of contract)とその拡張型としてかつての裁判所が承認して きた不法行為類型 、そして、不法手段妨害(causing loss by unlawful means)である。脅迫 (intimidation)と呼ばれる不法行為類型も重要であるが、後述するように、脅迫は不法手段妨

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害の一種にすぎないという見解が有力である。イギリス不法行為法において、これらにもとづい て不法行為責任が認められるのは、以下の事実関係が存する場合である、と従来考えられてきた。  被告Dが、原告Cの契約相手方Aに対し契約の不履行を為すよう説得して、契約違反を誘 致する場合(直接の説得による契約違反誘致)。  被告Dが、説得以外の方法で直接的に、原告Cの契約相手方Aが契約を順守することを不 可能にする場合(直接的に履行不能を生ぜしめる契約妨害)。  被告Dが、他人を介して間接的に、原告Cの契約相手方Aが契約を順守することを不可能 にする場合(間接的に履行不能を生ぜしめる契約妨害)。  被告Dが、原告Cの契約相手方Aに対して、Cとの契約の不履行をしないと害悪を与える といって威迫し、Aがこれに屈することによりCが損失を被る場合(三当事者間の脅迫)。     直接の説得による契約違反誘致 (一)イギリス法において、被告Dが、故意により、第三者Aに対して原告Cとの契約の不履行 を為すよう説得又は誘致をし、実際にAの契約違反を生ぜしめ、これによりCが損害を被ったと きは、DはCに対して不法行為責任を負う。この契約違反誘致(inducing breach of contract) と呼ばれる不法行為類型は、1853年のLumley v Gye45事件において現れ、Allen v Flood46貴族院

判決においてその存在が確認されたものであるが、さらに、2007年のOBG v Allan47貴族院判決 においても再確認されている48 。  Lumley v Gye事件における事実の概要は、以下のとおりである。H劇場の支配人である原告は、 作曲家ワーグナーの姪にあたるオペラ歌手Johanna Wagner(以下、W)と三ヶ月の間、H劇 場のみに出演する専属契約を締結していた。ところが、R劇場の支配人である被告が、自分の劇 場に出演してもらうために高報酬を提示し、H劇場での歌唱を拒否するよう歌手Wを説得した。 説得を受けた歌手Wは、H劇場への出演を拒否し、原告との出演契約に違反したというものであ る。被告は、原告と歌手Wとの間の契約条項を十分承知していた者であった。原告からの訴えに 対して、これらの事実が仮に真実であったとして訴訟原因が認められるかという前提が争われた が、王座裁判所(Queen's Bench)の多数意見(三対一)は、訴訟原因が認められると判示した。 本事件の多数意見は、害意(malice)と呼べるものがあったことを理由として訴訟原因を認めて いたが、既に触れたように、その後に下されたAllen v Flood貴族院判決は、害意があれば一応 の不法行為責任が成立するという考え方を一般に否定したため、今日においては、契約の存在を 知りながらその違反を誘致する行為に出ることが、この不法行為類型の中核を為すと考えられて いる。この他に、被告Dが第三者Aを直接説得したこと、第三者Aによる契約違反が生じたこと、 原告Cが損害を被ったことも要件となるが、ここでは、被告Dの心理状態に着目して説明をして おきたい。  契約違反誘致において要件となる被告Dの心理状態は、故意である。ここで故意が認められる には、契約の存在を認識していたこと、及び当該契約の違反を誘致することを意図したこと、こ の両者が必要であると考えられている49。前者の認識がなければ、後者の意図が存在し得ないと いう関係にあることは自明であろう。被告Dは、契約の存在を現実に知っていた者でなければな らず、合理人であれば存在を知り得たであろうというだけでは足りない。なお、実際の契約条項

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を知らなくても、知る手段を持ちながらこれを敢えて無視した者――契約の存在に目を閉じた者 ――も、現実に知っていた者と同視されるという50 。したがって、契約の存在に無思慮(reckless) であった者も含まれる51 。  後者の意図は、第三者Aの契約違反を誘致することに向けられているから、原告Cを加害した いという意欲までは要しない52 。すなわち、被告Dの意図は、契約違反に向けられていれば十分 であって、原告Cに損害を与えたいという意図までは必要とされない。もっとも、違反誘致の意 図は必要なのであるから、被告Dの行為により、第三者Aが契約違反を為すことが予見可能又は 不可避であることを被告Dが知っていた、というだけでは不十分である。しかしながら、かつて 控訴院はこれに反する判断を下していた。Millar v Bassey53 事件がこれである。被告である歌手 Shirley Bassey(以下、B)は、レコード制作会社Dと締結した契約に違反して音楽アルバム作 成のための歌唱を拒否したが、これによってレコード制作会社Dは、レコーディングの伴奏のた めに雇った無所属の原告ミュージシャンMらとの演奏契約に違反することになった。同事件にお いて、被告歌手Bは、原告Mらとレコード制作会社Dとで締結された契約を知っており、自分が Dとの契約に違反した場合、その結果としてDが原告Mらとの契約に違反することも知っていた はずである、と主張された。控訴院多数意見は、原告らの主張を認めて契約違反誘致の不法行為 が成立すると判示したが、本判決に対しては、原告らとレコード制作会社との契約を妨害する意 図が歌手Bになかったとして、学説による批判が投げかけられていた54

(二)結局、2007年のOBG v Allan貴族院判決は、Millar v Bassey控訴院判決の結論が誤りであっ たことを、承認するところとなった。多数意見に立ったHoffmann貴族院裁判官は、以下のよう に説示している。  「契約違反誘致を理由として責任を負うためには、契約違反を誘致していることを知って いなければならない。法解釈又は契約解釈によっては違反となる行為を教唆していることを 知っているだけでは不十分である。被告は、契約違反となることを現実に認識していた者で なければならない。合理人であればそのように認識すべきであったということは問題となら ない55 」。  さらに同裁判官は、違反誘致の意図があったかどうかを判定するためには、目的(ends)と 手段(means)そして結果(consequences)を区別することが必要であると説示する。  「ある者が承知のうえで(knowingly)契約違反を生ぜしめたとき、彼がその契約違反を 手段としてさらなる目的を達成することを意図していたのか、そうではなく契約違反を生ぜ しめなくともその目標を達成することができたはずであったのか、ということは通常は問題 とならない。Lumley v Gye事件の被告は、歌手Wが原告との契約に違反せずに、自分の劇 場に出演してもらえたなら、その方が好ましかったに違いない。しかし、そのことは重要で ない。さらに、人々が、利害を離れ単なる害意(malice)から、承知のうえで不法手段妨害 を為すことも希である。大抵は、自分自身の経済的優位を確保するというさらなる目的を達 成するために為すのである……(中略)……。  他方で、契約違反それ自体が、目的そのものでも、目的のための手段でもなく、単なる予 見可能な結果でしかない場合には、私見としては、違反誘致の意図があったということはで きない。裁判官や論者が、原告が『標的とされた(targeted)』あるいは『狙われた(aimed

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at)』者でなければならないと述べるときに意味していたものは、これらのことであると考 える56 」。  これに続けて、同裁判官は、Millar v Bassey事件の多数意見は誤りであると指摘し、レコー ド制作会社が伴奏ミュージシャンとの契約に違反することを余儀なくされるということは、予見 可能な結果ではあったが、その契約違反は、被告歌手Bが望んだ目的でもないし、目的を達成す るための手段でもなかった、と説示している。第三者Aの契約違反が、被告Dにとって目的その ものか又は目的のための手段であったか、それとも予見可能な結果であったかによって、違反誘 致の意図の有無を判定すべきというのが、Hoffmann貴族院裁判官の説示するところといえるだ ろう。予見可能な結果でしかない場合には、たとえ被告Dが第三者Aの契約違反が生じることを 認識していたとしても、故意があったとはいえないというわけである。ここまでを要約しておく と、契約違反誘致の不法行為が成立するためには、被告Dに契約違反の誘致をしているという現 実の認識があったこと、その上で契約違反の誘致を意図していたことが必要であるが、原告Cに 損失を与えるという意図までは必要とされない。しかし、被告Dにとって第三者Aの契約違反が 単に予見可能な結果であったというだけでは不十分であるというのが、契約違反誘致における故 意の意味について、貴族院多数意見の採用する立場といってよいだろう。  なお、OBG v Allan貴族院判決は三事件が併合審理されたものであるが、そのうちの一つの事 件であるMainstream Properties Ltd v Young57事件の事実関係は、以下のとおりであった。原

告である不動産開発会社Mは、Y及びBをそれぞれ常務取締役及び支配人として雇用し、この二 人に事業を任せていた。ところが、Yらは自分達で合弁事業を立ち上げるとともに、M社の事業 の機会を流用して、原告M社のために取得すべき用地を自分達のために購入してしまった。この 行為は、M社に対する契約上の義務及び信認上の義務に違反するものであると認定されている。 被告Wは、Yらに用地購入のための資金を融通した者であり、被告Wの資金援助がなければ、Y らは用地を取得できなかった。また、被告Wは、Yらが原告M社に雇用されていること、合弁事 業への参加がM社に対する義務に違反する可能性があることも知っていた。しかし、被告Wは用 心深くYらにこの点を質し、M社は当該用地売却の申込みを受けたが既に断わったので義務違反 は生じないとの保証を得て、融資を行った者であった。これは真実でなかったが、被告Wはこれ を本心から信じていたと認定されている。  Hoffmann貴族院裁判官は、以上の事実認定によれば、被告WはYらを支援しても彼らが契約 違反を為すことにはならないと誠実に信じていた者であり、契約違反となるかどうかについて無 関心であった者ということもできない。それゆえ、被告Wに契約違反を生ぜしめる故意があった とはいえず、契約違反誘致の要件は充たされていない、と判示している58 。誠実な信念があれば 契約違反誘致の故意は認められないということから、ここでの故意は、当該被告について主観的 に判定されているということができる。     直接的に履行不能を生ぜしめる契約妨害  原告Cの契約相手方Aによる契約履行を、直接的に妨害する行為をすることによって、Aの Cに対する履行不能を生ぜしめる行為も、イギリス法においては不法行為となる。これは、前述 したの場合と異なり、被告Dによる直接の説得行為がなくても不法行為の成立を認めようとす

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るものであり、従来、契約違反誘致の拡張型の一種であると考えられてきた。しかし、OBG v Allan貴族院判決はこの考え方を否定し、先例の再解釈を行った。  再解釈されることとなった先例は、GWK Ltd v Dunlop Rubber Co Ltd59 事件である。G自動 車製造会社は、タイヤ製造会社Aとの契約により、品評会に出展する全新車にA社製のタイヤを 装着する契約上の義務を負っていた。ところが、あるモーターショー開催の前夜に、同じくタイ ヤ製造会社である被告D社の被用者が、G社製の自動車二台に装着されていたA社製のタイヤを 密かに取り去り、D社製のタイヤに履き替えさせるという行為を行った。被告D社は、A社が自 社製のタイヤを展示させる契約上の権利を有していたことを知っていたと、証拠により認定され ている。当時の裁判所は、A社のD社に対する訴えを認めたが、その理由としては、A社とG社 との間の既存の契約関係を妨害することによって、被告Dは承知のうえでA社の法的権利を侵害 したこと、被告DにはA社に損害を与える意図があったこと、A社がそれによって損害を被った こと、という広範な理由を挙げていた60 。  しかしながら、OBG v Allan貴族院判決は、契約違反誘致の不法行為と、後述する不法手段 妨害の不法行為とを明確に区別すべきであるという新解釈を打ち出しており、同事件における Hoffmann貴族院裁判官の説示によれば、GWK Ltd v Dunlop Rubber Co Ltd事件は、後者の不 法手段妨害の一つの好例である61、とされている。同裁判官によれば、本事件においてはA社に 対して損害を与える意図が認定されているし、被告Dの為した行為は、自動車製造会社Gが所有 する動産に対する直接侵害(trespass)という別の不法行為が成立したことを意味するから、不 法手段妨害の要件もすべて充たされている、という。     間接的に履行不能を生ぜしめる契約妨害 (一)この場面における不法行為法は、典型的には二次的争議行為(secondary action)に対す る対抗手段として用いられてきた。二次的争議行為とは、簡潔にいうと、労働争議の当事者でな い被用者が争議行為を行うことをいう62 。例えば、使用者Cとその被用者との間で争議が発生し た場合、その被用者の属する労働組合Dが、原料仕入等のためにCが商事契約を締結している取 引相手Aの被用者で組合員である者らに指示をしてストライキをさせ、取引相手AがCとの商事 契約上の履行義務を果たすことができない状況に置くことがある。この場合、Dは、Aを直接説 得してAC間の契約違反を誘致したわけではない。この契約違反は、Aがその被用者を一時的に 使用できなくなったことが原因で間接的に生じたものにすぎない。こうした場合、直接的な誘 致があったとは言い難いが、裁判所は、使用者Cがストライキを組織する者Dに対して一定の場 合には訴えることができると判示してきた。これを最初に示した事件は、1952年のDC Thomson & Co Ltd v Deakin63事件である。  同事件の事実の概要は、次のとおりである。印刷社であり出版社でもある原告T社は、B社と 印刷用の用紙の供給契約を締結していた。労働組合Nと原告T社との間でボイコットが起こった 際に、これに同情した労働組合Tの幹部でありB社の被用者でもあった被告らは、原告T社向け の用紙を運送しないよう組合員に呼びかけをした。B社の運送人らは、使用者であるB社に対し てT社に用紙を運送するつもりはないと通告した。B社は、運送人らに原告T社への運送を要求 しないことを決め、契約に従い用紙を引き渡すことができなくなった旨をT社に対して伝えた。

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原告T社は、被告らの行為の仮差止命令を求めて、訴えを提起した。  第一審は、原告の請求を棄却。控訴院判決も、結論的には原告の請求を認めなかったが、契約 違反誘致について傍論を展開し、間接的に契約違反が生ぜしめられた場合であっても、契約妨害 が不法手段(unlawful means)によってなされたならば、不法行為責任が成立することがあり 得るとの説示を行った。同事件を担当したJenkins控訴院裁判官は、次のようにいう。Lumley v Gye準則(すなわち契約違反誘致)は不法手段によって契約関係ないし契約上の権利を妨害する あらゆる行為に拡張されるものであって、第三者による直接の説得・教唆・誘致は、それ自体が 不法な行為(wrongful act)とみなされており、この不法行為類型の主たる形態ではある。しか しながら、契約違反は、第三者のそれ自体が不法(unlawful)な何らかの行為によって生ぜし められればよいのであって、その行為は必ずしも説得・教唆・誘致の形態を取る必要はない、と64  本事件が説示したことは、間接的な契約違反誘致の場合には、Lumley v Gye事件の伝統的な 契約違反誘致の場合とは異なり、不法手段が用いられたことが要件として加重されるという点で あったといってよい。しかし、この間接的な契約違反誘致は、後述する真正の不法手段妨害とも 異なり、原告に対し損失を与える意図を要件としないので、被告が標的とした者でなくても、原 告として訴え可能になるという危険性を有していた。このことは、争議行為において標的の対象 とされていなかった偶発的な被害者(例えば、争議行為の標的である使用者と取引できなかった 商人や顧客)にまで、被告の責任が拡張される可能性があることを意味していた。  同事件において拡張されたLumley v Gye準則は、労働争議以外の場面においても、用いられ ている。Stocznia Gdanska SA v Latvian Shipping Co65

事件において、被告は、契約に違反し て子会社に対する資金供給を打ち切った。これによって子会社は、原告である造船所に注文して いた冷蔵船の分割金について支払不能となり、原告は子会社との契約を中止せざるを得なくなっ た。原告はこの契約中止に伴う損害について、親会社である被告に対しても賠償請求をした者で ある。控訴院判決は、直接の契約違反誘致はなかったが、間接的な誘致を為したものであり、被 告が子会社との資金供給契約に違反したことを不法手段と捉えて、原告の請求を認めている。本 事件は、たとえ原告が被告の標的とされたことを証明できなくても、被告が責任を負うことがあ り得るという問題点を例証しているものということができる。  この拡張準則に伴う問題は、次の事件においても示されている。Middlebrook Mushrooms Ltd v Transport and General Workers' Union66

事件において、被告労働組合の幹部らは、スー パーマーケットの店頭において、公衆の買物客に対し、原告が生産したキノコを購入しないよう 呼びかけるリーフレットを配付する活動を行った。原告はキノコ生産業者であるが、被告の組合 員で被用者である者との争議を抱えていた。原告の仮差止命令を求める訴えについて、第一審は これを認容したが、控訴院は仮差止命令を取り消した。とりわけその理由とされたのは、スーパー マーケットが原告と締結していた契約の違反を誘致する意図が、被告に明確にあったとはいえな いというものであった。そのような違反が、被告の行為の結果、起きるかもしれないが、いかな る段階においても被告はスーパーマーケットの店主と接触して既存の契約に違反することを説得 しようとした者ではないから、直接の説得があった場合とはいえない。また、被告は、公衆の買 物客に対して原告の商品を買わないよう説得するにあたって、不法手段を用いた者でもないと説 示されている。組合員の利益のために争議行為を組織するという被告の労力を無にする仮差止命

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