〈 書
評
〉
Richard
Gombrich
&
Gananath
Obeyesekere
,Buddhism
Transformed
:Religious
Change
in
Sri
Lanka
島
岩
1
. は じ め に現代ス リ ラン カの 仏 教に関 す る研究 とし て は,我が国で は
1986 年
に す で に ,前
田恵 学編
『現代
ス リ ラソ カ の上座 仏 教 』 (山喜 房 仏 書林
) とい う大著
(全671
頁 )が刊 行され, 現代スy
ラ ン カの上 座 仏教に つ い て の優
れた包
括 的な研 究が発 表され て い る。 その ち ょ うど二 年 後の1988
年に ,今
度は, 現 代ス リラ ン カ の仏 教 研 究の 二 大 大家で ある
Richard
Gombrich
とGananath
Obeyesekere
の 共著
に よ る大作 Buddlzism
T
γansformed :Reiogious
Cha
一π解 珈
Sri
Lanka
(全484
頁 )が 出版 さ れ た の で ある。両 書は と もに ,長 年の フ n 一ル ド 。 ワ ーク に基づ く現 代 ス リ ラ ン カ の 仏 教 に 関する大 著で あ りなが ら, 次の 点で好 対 照を示して い る。
す
な わ ち,『現代
ス リ ラ ン カ の 上座 仏教 』が 主 に 農 村部を フ ィ ール ド と し, 仏 教 学 の 立 場 か ら, 様々 な 理論 的枠 組みを用い る こ とを意 識 的に避 けて,現 代ス リラ ン カの 仏 教の 現 状をあ りの ま まに記 述 す るこ とに専 念 し て い るの に 対 し,Buddlzi
− smTransformed
は , コ ロ ン ボ お よびその 周辺の 都 市 部を フ ィ ール ド と し,社
会人 類学の 立 場 か ら, 様々 な 手法と理論 的 枠 組み を縦 横に駆 使 しな が ら,都
市 化に と も な うス リラ ン カ の 仏教
の変
容を分 析 する こ とに重 点を置い て い るの で ある。こ の
Buddhism
TransfOrmed
に 見られ る 主要な関心, す なわ ち, 近 代 化 ・都
市 化に ともな う宗 教の 変 容 とい う関心は , 世界
各地域に お ける宗 教 研 究を視 野に い れれば, 関心 自体 とし て は, どち らか とい う と 一 時 代 前の 古い88 パ ーり学 仏 教 文化学 もの に属 する か と思わ れる。 ま た, ス リラ ン カ ・東 南ア ジ ア の 上座 仏 教 圏に 地 域を限っ て も, 研 究の 関心 は ,現 在で は, 木 書の よ うな宗 教 プロ パ ーに 重 点を置い た研 究か ら, 政 治 (モ権) と宗 教の
関
わ りに焦点
を置
い た研究 (
た とえ ば, 日本でも, 渋 谷 利 雄, 杉 本 良 男等に 見 られる よ うに)
へ と移っ て き てい る よ うに思わ れ る。 し か しな が ら,ス リラ ン カ に関し て 言 え ば, 近 代 化 ・ 都 市 化に ともな う宗 教の 変 容に関 する個 々 の 事 象に つ い て の論文
は すで に数多
くある もの の,本書
の よ うな形で, こ の間題
を様
々 な 具体的事
象 に 基 づ きな が ら様々 な角度
か ら包括
的に論 じた もの は, これ ま で存 在 しなか っ た と言 えるで あろ う。 その意味
で本書
の価値
は大 き く,今後
も本 書は , 現 代ス リ ラン カ の仏
教お よび宗教研
究の最
も重要
な基 本的文献
の 一つ となっ て い く であろ う と思 わ れ るの で あ る。そ こ で , 本 稿で は, こ の
BZtddhism
Transformed
を取 り上げて , まず
, その所 説を紹 介 し,次に, それ に た いす る若干 の 疑 問 点を詣摘
し て い き た い。 亙.所説
の紹介
1
.本 書の テ ーマ と構
成本 書は, ス リラ ン カ 独立以 降の 近 代化 なか で も
特
に都市
化に ともな うシ ソ ハ ラ仏教徒
の宗
教の 変容に関 する記 述 と分 析お よび解釈を 目的と して い る 。 そし て , 都 市 化に よるシ ン ハ ラ仏 教 徒の 宗 教の変容
を分 析 する際
に,著者
た ち は, 次の よ うな二 つ の 構 図 ・ 枠 組みか ら , そ れ を 理解
して い こ うとするの で ある。ま
ず
, 一 つ の構 図
・枠組
み は , シ ン ハ ラ仏教徒
の宗
教が , 次 元の 異な る二 つ の 層か らな るとするもの で ある。 すな わ ち, その 二 つ の層
とは, (1
)上座 仏教
に そ の ア イ デン テ a テ ィ ーを置 く 「シ ン ハ ラ 仏 教」 と , 「霊 の 宗 教」(
spirit religion)
である。 この うち,後
者は, 聞 き慣れ ない タ ーム であ
る が,こ の 「霊の宗
教」 とは, 「神々 の崇拝
,悪 魔
の慰 撫
,超 自
然 的な力 を操 作 できるとい う信 仰お よび操 作 し よ うとする こ と」 だ と され て い る。≦重晝評〉.Richard Gombrich 《} Gananath Obeyesekere , 89
さ らに , も う 一 つ の 構図 ・
枠
組み は , 歴 史 的な差 異 と担い手
の違
い に よ り, シ ン ハ ラ仏教徒
の 宗 教に 三 つ の種 類を考 える とい うも の で , その 三 つ と ほ ,す
な わ ち, (1
)
「伝統
的な村
の仏 教」 と 厂プ ロ テス タ ン ト仏 教」 と(3
) 「都 市の 仏 教 徒た ちの 現 代の 宗教」 で ある。 こ の うち, まず, 「伝統 的 な村
の仏 教」は村の農 民た ちに よっ て 担われ て い る。 次に , 「プ μ テス タ ソ ト 仏教
」 は, イギ リス 植民
地 下で , 西洋
近 代の 影響下 で起こ っ た, ダル マ パ ー ラ を中
心 とする仏 教改
革 運 動で あ る。 そ れは, イギ リス お よびキ リス ト教の プ P テス タ ン テ ィ ズ ム に プロ テ ス ト (抵 抗 ) する とい う意味と, ス リラ ソ カ の 中産
階 級の ニ ー トス に 対 応 する よ うなプ P テス タ ンF
的な 運動
で ある とい う意昧
の , 二 重の 意 味で, プロ テ ス タ ン ト仏 教 と呼ぼれてい る。 た だ し, そ の 担い 手は , 中産 階 級 とい っ て も,植 民地 下の 現地 の エ リー ト層が中心 で あっ た。次
に , 「都
市の 仏教徒
たちの 現代の 宗 教」は,都
市の 中産 階 級 ・ 労 働 者階級
が担
い 手とな っ てい る宗教で ある。 す な わ ち, ス リ ラ ン カ独立以 降,近 代 化 ・都 市 化の進 展 と ともに,都 市で は, 一方で は , 近代 的教 育を受 けた中
産 階級 (
ブル ジ ョ ワ ジー)
が増
大 し, 他方
で は , 村か ら流れ 込ん でき
た 単純
労働
者 を中 心 とす る労 働 者階級
(プロ レ タ リ アー ト)が急 速に増
大 し , そ の 結 果, それま で の 農 村を基 盤 とす る伝 統的 な村
の 仏 教 とは異なる様々 な宗 教 現 象が生じ て きてい るが, この よ うな都
市の中産階
級 ・ 労働 老階級
が担い手
となっ て い る現 代の宗
教の こ とを 「都 市の 仏 教 徒た ちの 現代の 宗 教」 と呼ん で い るの であ
る。以上 の よ うな
構
図 ・ 枠 組み を 前 提としな が ら , シ ン ハ ラ仏 教 徒の 宗 教の変
容
に つ い て論
じ られて いく
わけで あるが, それは , 大 き く, 以 下の よ うな四 部 構 成に なっ て い る。 す なわ ち, まず, 第 一 部 「新た な宗 教の 動向
」 (1
−63
頁 )で は, (1
)宗 教の 変容の 要 因,変容
以前
の伝統
的 な村の 宗 教の概観
, (3
) 変 容の ポイン ト の 三 点に つ い て , 簡 潔に述べ られてい る。次 に ,第二 部 「霊の宗教
に おける変
化」 (65
−199
頁 )で は, フ ー= ヤ ン , カ ー り一 , カ タ ラ ガ マ 信 仰を中心に, コ ロ ン ボ周 辺の 都 市部に お い て霊 の宗
教 とい うレ ベ ル で 生 じ た様々 な変化に つ い て論 じ られてい る。 さ らに , 第三 部 「仏 教 的 展 開」 (201
90 ノsc一り学イム教文 イヒ学 一
381
頁)で は ,霊
の宗教
とい うレ ベ ル で生 じた様
々 な変
化 に 影響 さ れ な が ら, プロ テス タ ン ト仏教の 展 開の帰
結とし て, 仏 教 プ Ptパ ーに 生 じて きた様
々 な変
化につ い て論 じ られて い る。 そ して ,最
後に , 第四部 「新た な統合
へ 向 けて」(
338
−463
頁 )で は,霊 の 宗教と仏教
プに パ ーに生 じ た変 化を 踏 ま えた上で , 霊の宗教
を再度
仏教
の側
へ と取 り込ん で 位 置 づ けてい こ うとす る,再 統 合へ の 動 きが, 菩 提 樹 供養
や カ タ ラ ガ マ の 火渡
りの儀礼
に 認め られ るこ とが, 指 摘 されてい るの であ
る。2
.宗 教の 変 容の要 因で は, まず, 上
記
の よ うな霊の 宗教 と仏 教プ ロ パ ーに 生 じ た変 化は, どの よ うな要 因に よ るの で あ ろ うか 。 その 要 因を,著 者た ちは , 大 き く, (1
)社 会 的要 因 (内的 要 因) と外
的要 因(
外 国か らの影響
) に分
けて と ら え て い る。 (1
) 社 会 的要 因 (内的要 因)こ の うち, まず,社 会
的要
因(
内
的要 因 )とは, 一 言で い えば ,都市化
で ある。す
な わち, 経 済の 成長 と近代
教 育の 浸 透に伴 う社 会 変 動に よ る 「仏教の
権
威の分 極 化 」(fragmentation
of the authority ofBuddhism
)に ょって, まず霊の 宗 教に , そ れか らシ ン ハ ラ仏 教 (すな わ ち , その ア ィデソ テ ィ テ ィ ーを 上 座仏 教に
置
く仏 教)
に変 化が生 じ て きた とす るの で ある。 すな わ ち, 経済
の 成 長に伴
い ,農
村か ら都 市へ の 人 口移 動 と都 市 部へ の 人 口集 中が 生 じ, その 結 果,都 市部へ 村か ら 出て きた人々 は, 村に お い て存
在 して い た よ うな伝統
的 な共 同体の 喪 失を経験す る こ とに な る。 ま た ,農村
か ら都 市 部 へ 移動
して きた人々 のほ とん どは , 単純
労 働に従 事する こ とに な る の だ か ら,都
市 部で は , プ ロ レ タ リア ー ト(
労働
者 階級 )が増 大 するこ とになる。 ま た,近 代教 育の 浸 透に伴
い , 近代 教 育を受 けて 社 会 的に 上 昇しえた ブル ジ ョ ワ ジ ー(
中産階級)
が増
大し, その 結 果, 都 市 部で の 彼 らの 社 会 的 影 響 力 が増 大 する。 さ らに, これ まで , 教育
の機会
が与 えられなか っ た女 性 も, 教 育の機 会を得
る こ と に よっ て , 社 会 的 地 位が向上す る。 しか しな が ら ,教育
〈 書 評> Richard Gombrich & Gananath Obeyesekere , 91 水準に み あっ た職
業選択
がすべ て に可 能 なほ ど , ま た,農村
か ら都
市へ と移 動 して きた人 口 のすべ て を雇
用で きる ほ ど,ス リ ラ ン カ の 経 済 成 長は 成 功 し て い ない の で , そ の結 果, 中産 階 級, 労 働 者階 級の 両者の 聞 に , と も に, 雇用 不安
に よ る フ ラ ス トレ ーシ ョ ン 等がた ま り , 社 会不安
が生 じる。 ま た , そ の他
に , 従 来の 伝 統 的な村
の仏教
がこ れ ま で提 供 し て きた伝統
的 な仏 教 的 世 界 観と, 近 代教 育に よ る近 代 的 世 界観 とが混 在 す るとい うよ うな現 象も, 生 じて くる。 等々 。こ の よ うな現 象が, 宗
教
の変
容を生み 出す 社 会 的要
因(
内
的 要 因 ) として存
在し て い る の で ある。外 的要 因
一一一方,
外
的要因 とし て は, (ユ)西欧特
に イ ギ リス と(2
>イン ドの文化
的 影 響が 考え られて い る。 ・すな わ ち, まず, (1
)イ ギ リス 植 民地 下 の 西欧 特に イ ギ リ ス の仏教 に た い する文 化 的影響
が , 先の プ ロ テ ス タン ト仏教
を生み 出す 契機
とな っ て い っ た。 さ らに, (2>
ス リ ラ ソ カ独 立 以降
の イ ン ドの文
化 的影 響,特
に , ヒ ン ドゥ ー教の バ ク テ ィ とタ ソ トラが ,ス リラ ン カ の都
市 部で霊の 宗教 に 与え た影 響に は ,極
め て大 きな もの があ る と さ れ るの で ある。3
.章
だ
て に従っ た内容
の 紹 介こ の よ うな, 内 的 ・外 的な要因 に よ り , シ ン ハ ラ
仏教徒
の 宗教に変 容 が生 じて ぎた の で あ るが , で は,変
容 以前
の,伝統
的 なシ ン ハ ラ仏教
とは , どの ような もの で あっ た の であろ うか。 その 点につ い ては ,本書
の 第一部に おい て,次の よ うな 形で 理解され てい る が , その 理 解は,基本 的に は,Gombri
− ch ,1971
に基づ くもの で ある。(
1
) 伝 統 的な シンハ ラ 仏教伝 統 的な シ ン ハ ラ仏 教 とは , まず, 一言で 言 え ば , a .解 脱, 悟 りとい う 価値を実 現 するため に合理的に 形成 され た
価
値 合 理 性の世
界で あり,b
。 上 座仏教が霊の 宗教を完 全に 包み込 んだ形の もの , 言い 換え れば,霊の 宗 教が, 上座仏教の側
へ と完 全に取 り込 まれ , 上座 仏教 の権威
の もとで , 極め て低い 地 位に位 置づけ られ た形の もの であ る とされ て い るの で ある。 それを, さ ら92 パ ーリ学仏教 文 化学 に,
(
a)教 義 と実
践,(
b)
宗教的権威
の在
り方
に分
けて詳
し く述
べ れ ば,以下
の 通 りで ある。 (a) 教 義と実 践まず,伝 統 的な シ ン ハ ラ
仏
教の第
一 の特徴
は , 出家
と在家
の 区別が明確な点
である。 すな わ ち,解
脱, 悟 りが 可能なの は,受
戒を受 けて 出家 し, サ ン ガ に所 属 する 出家 僧の み で あ り, 在 家の 人達
に は,現世に お い て は,解 脱,悟
りの可能
性は存
在しない 。 在 家の 人達
は,サ ン ガ とい う功徳を 生 む 田 畑 (福田)に た い して ,布施
を行 うこ とに よ り, 功 徳を積み, 来 世に お い て, 出家して,解
脱, 悟 りを得る とい う可能 性が生 ずるの で ある。 また ,サ ン ガ(
出家僧
た ち)
に た い する布施
に よる功 徳は, 来 世ばか りで な く, 現 世に お い て も, 良い結果
を生み 出すと され てい る。 こ の よ うな形で , 出家 と在 家は 福田思想に よっ て繋
がっ て お り, 在 家は 出家の 側へ と取
り込 まれ てい るの で ある。次に , 伝
統
的なシ ン ハ ラ仏 教徒
の 世 界 観は , 因 果応 報 ・ 六道 輪廻 の世 界で ある。 すな わ ち,善
因善
果, 悪因悪果
とい う因 果 律が世 界を規 定 し て お り, その因果応報
に従
っ て,神
, 人, 阿 修羅,畜
生,餓鬼
, 地 獄の 六道輪
廻の 世界
を輪
廻 するの である。 こ の よ うな世 界の なか で , 人 と神k
や阿 修羅 ・ 餓鬼
等
の 霊的な存在 との 間を繋 ぐもの は , 福田思想 と回向とい う考
え方
で ある。 すなわち, まず
,神
と人 との 関わ りに 関し て は , 神々 も また, 解脱,悟
りを得
るため に は, 功 徳を積 む 必 要がある と されて お り, その た め , 神々 は, 人 々 を守
り, その 願い を叶え る こ とで功 徳を積
み, 解 脱, 悟 リへ の 道を歩 もう とするの で ある。 また, 人と阿修羅 ・餓
鬼等 と関わ りで は, 例 えば , 祖 霊を 例に とれ ぽ,僧
を招
い て バ リ供養
等の 儀 礼を行い 布 施を行 うこ とに よ り積ん だ功徳を, 祖霊 に 回向 (
振
り向
ける) こ とに よ り, 祖 霊は その 回向
された功
徳を身
に つ ける こ とに よっ て , よ りよい境
遇へ と生まれ変わ るこ とがで きる とされ る。 こ の よ うな形で, 悟 り, 解 脱を 目的とする出家に よ る上座 仏 教の側
へ と霊
の宗教
が取
り込
まれ てい るの であ
る。次に,
解
脱, 悟 リ へ の 実 践に関し て は, 一 言で 言 えば, 戒 ・ 定 ・慧
の 三学
<書 評> Richard G・m 壷rich & Gananath Obeyesekere ,
93
に よ り, 諸行無常
,諸
法無
我, 一切 皆 苦を悟 っ て , 涅槃
に 到 るとい う形にな っ てい る。 受戒
は 出家の 条 件で ある か ら, こ の 実践は ,当
然, 出家の もの で ある。 た だ , こ こで ,あ
とで述
ぺ る仏教の 変容 との関
わ りで 重要
なの は, 定 (瞑想)
に つ い てで ある。 す なわ ち, 村の 寺に 住む普 通の僧
が行
うcalming(samatha ) meditation (心 を静め る瞑 想 ) よ り, 森
林
僧が行 うinsight
(vipassana )meditation (諸 行無 常 , 諸 法 無 我, 一切 皆 苦を洞
察
する瞑想
) の ほ うが高
度であるが, いず
れ に せ よ, 伝 統 的 なシ ン ハ ラ仏 教で の瞑 想
と は, 心 を静め て い く とい う方
向で 行わ れ る もの で あっ て ,バ ク テ ィや タ ン ト ラ的な観 想 法の よ うな感 情を高
め て い く とい う方 向の もの とは,逆方 向
の も の で ある とい う点で ある。 (b
> 宗 教 的権 威の 在 り方次に ,伝 統 的な シ ン ハ ラ
仏教
の 世界の 中で の 宗 教 的 権威の 在 り方
で あるが, それは まず, 一言で 言 えぽ ,仏
・ 法 ・僧
を頂 点 とする道徳 的 な ヒエ ラ ル ヒ ー が貫 徹し た もの だ と言 え るで あろ う。 まず, パ ン テ オ ン の世 界で は, 仏陀
を 頂 点と し, その 下に , ナ ータ , ヴ ィ シ ュ ヌ , カ タ ラ ガマ , パ ッ テ ィ ニ ー とい う四大守
護神
がお り, その 下に, 地 域の神
々 , 村の神
, 悪 霊がい る とい う形 に な っ て い る。 そし て, 上 ほ ど浄で あ り道
徳性 が高 く, 下ほ ど不浄で 道徳 性 が低
い と されて い る。 また, 神々 か ら悪 霊に い た る霊 的 な存 在が備えて い る 超 人闘的
な力
の源泉
はパ ン テ オ ン の 頂 点に立つ 仏陀
に よ り付与
されて い る も の で あ り, 上 ほ どその力は強い とされるの で あ る。こ の よ うに パ ン テ オ ン に お い ては , 仏 陀が権 威の 源で あるが, 仏 陀は, す で に亡 くなっ て お り, 現 存 し ない 。 従っ て, 現 実の 世 界で は , 残され た仏 陀 の 言
葉
, すな わち, パ ー リ聖典が ,宗 教 的権威
の 源 と なるの であ
り, また, その 聖典
を伝
えて きて い るサ ン ガ お よ び ’ナ ン ガに属
す る出家 僧が,宗
教 的な権威
と なるの で ある。その ような意 味で,僧 ・ サ ン ガを
頂点
とす る ヒエ ラ ル ヒ ー が , 伝統
的な シ ン ハ ラ仏
教の 世界
に は , 認め られるの である。 だが, こ の よ うな ヒ エ ラル ヒ ーは ,僧
に関
し てだけ 見 られるわけで は ない 。 神 と人, 悪霊 と人 との 間を繋
94 パ ・づ 学仏 教文化 学 ぐ霊 媒の 間に も, 同 じヒ エ ラル ヒー が貫
徹
して い るの で ある 。 た と えぽ,神
と人との 間を繋 ぐ霊 媒 (カ プ ラ ー ラ)の方
が, 悪霊 と人と を繋 ぐ 霊媒
よ り も, カ ース トが高
い(
す
なわ ち浄
で ある)
とい よ う例に も見
られ る ように 。 そ し て , こ の ようなパ ン テ オ ン や僧, 霊 媒に 見られ る ヒ エ ラ ル ヒーは , ス リラ ン カの 中世に 成立 した王国の 秩序
(王 を頂点 とす る ヒエ ラ ル ヒー)が反 映された もの なの で ある。 な お ,の ちに触れ る 仏 教の 変容 との 関 わ りで 重 要に な っ て くるの は, サ ン ガの なか に尼さ ん は お らず, ま た,霊 媒の なか に も女 性はい ない とい うよ う に , 伝統 的な シ ン ハ ラ仏 教で1
’t
, 上座 仏教 の なかに も,霊の 宗 教 の な か に も, 女性の占
め る位置
が存
在しない とい う点で ある 。(
2
) 霊の 宗 教にお け る変 化次に, 本 書 第二 部で は, こ の よ うな伝
統
的 な シ ン ハ ラ仏 教の 都 市 化に よ る 変 化の うち, まず, 霊 の宗
教 に お け る変
化 につ い て , 以 下 の よ うに論じ られ て い る。 西欧で は,近 代 化に よっ て生 じ た ブル ジ ョ ワ ジ ーの エ ー トス が, プ ロ テ ス タ ン テ n ズ ムへ と向か い , プ ロ レ タ リア ー トの エ ー トス は , 共産
主義
へ と向
か っ た。 ス リ ラ ン カ の場 合
に は, 近代教
育の 浸 透に よっ て 生 じて ぎた ブル ジ ョ ワ ジ ーの エ ー トス は , プ ロ テ ス タ ン ト仏教を生み 出 す こ とに なっ たが ,都
市化に よ る都 市へ の 人 口集
中に よ っ て生み 出された プ P レ タ リア ー トの エ ー トス は, 西欧
に 比 べ て未
成 熱で あっ た た め , 共 産 主義 (マ ル ク ス 主義)へ と 向か うとい うよ り はむ しろ ,霊の 宗 教に そ の充 足を求め, 霊 の 宗 教が勃 興 し て くる こ とに なっ たの であっ た。こ の 近 代化 ・
都
市化に よ る宗 教の 変 容を, まず, 一 言で 言え ば ,k
座 仏 教 の仏 ・ 法 ・僧
を頂 点とす る宗 教 的 権 威の 分 極 化だ と言 うこ とがで ぎる で あろ う。 それ までの , 伝統 的な シ ン ハ ラ仏 教に おける上座 部 仏教 を 中 心とする宗 教 的 権 威が分 極化 し, そ れ が ,伝統
的権 威の なか に閉 じ込め られて い た霊の 宗教の 勃 興を もた らし てい っ た の である。こ の霊の 宗 教の
勃
興は, イ ン ドの 宗 教の 用語を 用 い れぽ, タ ン トラ とバ ク≦蠻評〉二 型黶藝ard Gombric ≧一豪G靼 堅璽 塾Obeyesekere ,
95 テ ィ の
勃興
だ と言 うこ とがで きる。 まず , 世界
観 とし て は, タ ン トラ的な状 況へ , 言い 換 え れ ぽ , カ ル ト的 (あるい は オ カル ト的 )匪界理解
へ と変
容が 生 じ た 。 す な わ ち,伝 統的
な シ ン ハ ラ仏 教の 価値合
理的
な因果応報
の世界
か ら, 神 秘的
な偶
然が世 界 を支 配 する 「世 界の 非 合理化 , 再神 秘 化 」の 世 界へ と変容して い っ た の で ある。 ま た ,宗
教 実践 として は , 伝 統 的な 心 を静め て い くよ うな形の 瞑想の 瓧界か ら, 感情
を高
め て 神へ と近づ くよ うな形の バ ク テ ィ の隆 盛へ と ,状
況が変 化 して い っ たの であ
る。 そ し て , こ の タ ン ト ラ的
・バ ク テ ィ 的な 形 の霊 の 宗 教が, プPt レ タ リア ー ト の エ ー トス に ア ピール した の で あっ た。 以上の よ うな状
況 を, よ り具 体 的に述べ れ ば , 以 下の 通 り である。(a) 共 同体の 代用物 と して の 宗 派グル ー プの 形 成
農 村か ら都 市へ と流れ て きて , プ ロ レ タ リ ア ー
F
とな っ た人 々 は, 故郷
に存
在して い た よ うな共 同体
を喪失 す る こ とに なる。 し か し, その 共 同体に た い する愛着は,依 然強い もの がある。 そ こ で,都市で 喪失 した村 落共 同体 的 な繋が りの 代 用物
と して , さ まざ まな宗派グル ープが形 成さ れ , その グル ー プ内に おい て,喪失感
の 埋 め合わ せ を行う。 そ れ が, 都 市に お ける カ ー リー 女神, フ ー ニ ヤ ン神
, カ タ ラ ガ マ 神を中心 とする宗 派 グル ープの 隆 盛 とい う 現象 となっ てい っ たの だ と されて い るの であ
る 。 (こ こに は,宗 教 社 会学で い う奪 奪理論の 応 用 が 見 られ る。 )で ぽ, こ の よ うな宗
派グル ープ は ,何 故, カ ー リー女 神,フ ー= ヤ ン神
, カ タ ラ ガマ 神を中心 に 形 成 された の で あろ うか 。(
b
)
社 会変
動 と神々 (パ ン テ オ ン に おける変化 )その 背 景に は, 社 会変動に と もない , 仏 陀を頂 点 とす るパ ン テ オ ン の ヒ エ ラル ヒーに も変 動が生 じ て きた とい う現 象があ り, ま た , イン ドお よび ヒ ン ドゥ ー教の 影 響に よ るバ ク テ / とタ ン ト ラの 流 行とい う現象が ある。
すなわち まず, イ ン ドお よ び ヒ ン ドゥ ー教の 影
響
を受
けて ,自
己 の 守 神 (減
adevatの
に た い する信仰
が, 盛ん にな っ た 。 そ して , 守 神 とし て選ば れ る神
は , 良 きに つ け悪 しきにつ け強 力な力を備
え た神
々 , すな わ ち, フ ー ニ ャ ン, カ ー リー , カ タ ラ ガマ で あっ た の で あ る。96 バ ーリ学仏教 文化 学
こ の うち, まず, フ ーニ ヤ ン は , 伝
統的
な シ ン ハ ラ仏教
の世界
で は ,神
で はな く悪魔
で あ っ た。 しか し, 悪魔
で あるか らこそ, 強力 な 力 を備
え て お り,病 気直
し, 世俗 的繁
栄等
の 現世利
益的
な人々 の願
い を, それが,た とえ, 黒 魔 術 的 な形で も, 強 力に叶 えて くれる神 として , 悪魔
か ら神へ と上昇
した の で あっ た。次に , カ ー リー女
神
は , もともとは , ヒ ソ ドゥ ー教の 女神
で あ り , 血 と殺 戮を好む 女神で あ る。 従 っ て, 従来の 伝統的 なシ ン ハ ラ仏教 の , 仏 陀を頂 点 とする道徳 的 ヒ エ ラ ル ヒ ー を形成 し て い た パ ン テ オ ン の 世 界で は ,所 詮 ,高
い 位置
を占
め る もの で はなか っ た。 そ れが,都
市 部で , その 位 置 を上昇させ て い っ たの は , 一つ に は , フ ーニ ヤ ン と 同 じく , 恐 ろ しい神
だか らこ そ強 力 である とい う理 由もあるが , も う一つ の理 由は, 以 下 の 通 りで あ る。 すな わ ち, 伝 統 的な シ ソ ハ ラ仏 教の パ ン テ オ ン の なか で四大守護神
の 位置
を占
め て い た慈愛
の 女神
パ ヅ テ t ニ ーの 凋落
と恐ろ しい 女神
カ ー リーの 隆 盛 とい う現 象を比 較 すれ ば ,次の ような こ とが言 える。 すなわ ち ,都 市に で て きて プ ロ レタ リア ー トと な ら ざるを え なか っ た 人々 は, 子 供た ち に, 社 会 的上昇
の 期待
をか ける。 その ため に は , まず
,高度
の教
育 を受
けさせ るこ とが必要で あ る。 その さい , 子供
の 母親は, ち ょ うど, 日本の マ マ ゴ ン の よ うに , 教 育マ マ となっ て , 子供
の尻 を た た く必要が 生 じる。 こ の よ うな, 農 村に おける慈愛
に満ちた母か ら,都市部
での子供
の尻
を た たく (
罰す
る)
母へ の変化
が, 慈 愛の 女神パ ッ テ ィ = 一の 凋落と罰 する女神
カ ー り一の 隆盛 と対 応 する の で ある。 つ ま り, 都 市 部の 母親の エ ー トス の変
化とカ ー り一の隆盛 がマ ッ チ す るの であ
る。 こ の よ うな変化
の背後
に は,都
市部
に おけるプロ レ タ リア ー ト の 上昇志
向があるの で あ る。 (こ こ で は , エ ー リ ッ ヒ ・ フ ロ ム流の社 会 心 理 学 的解
釈が応 用さ れて い る。)次に , カタ ラ ガマ 神は, もともと は , ヒ ソ ドゥ ー教の 神ス カ ソ ダで , シ ヴ ァ
神
の息
子であ
るが, ス リ ラ ン カ の 女神
ヴ ァ ッ リ ー ・ ア ム マ ー と恋
に お ち て, ス リ ラ ン カ に 帰化し た神である と される。 その た め もあっ て, ヒ ン ドゥ ー教 徒 と仏 教 徒 両 者に崇 拝 されて い るの で ある 。 こ の 神は, 伝 統 的な シ ン ハ〈 書 評 > Richard Gombrich & Gananath Obeyesekere , g7 ラ仏教の 世
界
で も, 仏 陀に 次 ぐ四大 守 護神の 一 つ として , も と もと,高
い地位
に あっ た もの であ
るが, そ れ が, ス リ ラン カ独 立 以降, さ ら な る隆盛を誇 る よ うに な っ たの は ,次の よ うな 理 由に よ るの で ある。 すなわ ち ,近 代 化に と も な う社 会の 流 動 化 と ともに , 行為 とその 結 果の 対 応 関 係が非 常に 不確
実 になっ て くる。 その 場 合, その 不確実
さ を乗
り越
えて個
人 的な成功
と安泰
を 願 う人々 が増 加 し, 目的達 成の ために は手段 を選ば ない とい う倫 理 的雰囲気 が生 まれる。 そ して , その 祈 願の 対 象 として ,力強
く障害
を克 服して い く神 で , シ ヴ ァ 神 とい う権威
者を背後
に持ち,神で ありな が らデモ ーニ ッ ク な面 も持
ち,真
剣に頼る者に対して は , 反 道 徳 的な行 為 も許容 す るとい う性 格を もっ た神カ タ ラ ガマ が ,就職 ・ 事 業 ・選 挙 ・結 婚 等 の 問題につ い て も対処
し うる神と して , 信仰
を集め る よ うになっ た の で ある。なお, 以上 の 神々 にたい す る信
仰
は, そ れ らの 神k にパ ク テ ィ (帰
依)を棒
げるこ とに よ り, 願い が叶
え られる とい う面が あ り, その 意味
で , バ ク テ ィ と密 接に関係
して い る の で ある。 (ま た, 以 上の 論考
は,Obeyesekera
,1977b
:1978
の延長線上 に位 置 するもの で ある。)以上は,霊の 宗 教に おけるハ ン テ オ ン の
変
化で あっ た が, 次に , 霊 の 宗 教 に おける憑 依の 隆盛 とい う現 象につ い て は,次
の よ うに論
じられて い る。(
e)
憑 依の 隆 盛ま
ず
,伝統
的な シ ン ハ ラ仏教
に おける憑 依 の 評価
との相 違は, 一 言で 言え ば,伝統
的な シ ン ハ ラ仏 教で は , 狐 憑 きとい う病 気 とい う否 定 的 評価
しか与
えられて い なか っ た もの が ,有 力な神が憑 く神がか りとい う形で ,積
極的
に肯
定 的な評価
をされ る よ うに なっ た とい うこ とあ
る。 これは , 上記の パ ン テ オ ン の 変 化 (すな わち,従来
否 定 的に評 価さ れ て い た神
が 上昇 し た)に対 応 す るもの で ある。 また, こ の 憑 依は ,憑い た神に 霊媒
は バ ク テ ィ (帰 依 )を 棒 げてい るとい う形
で , バ ク テ ィ とも結びつ い て い る。ま た, 神で は な く霊が憑 くこ と も あるが, こ の 霊 も, 例 えば,
粗
先 の霊 あ るい は餓鬼
(preta )
の場合
な ど,従来
の伝統
的な シ ン ハ ラ仏 教 で は,餓 鬼 は,悪
い もの に決ま っ て い た の に , 良い 餓鬼
だ とされ,餓
鬼が 神の カ テ ゴ リ98 /R一り’学≧イム教:文 イ匕学 一に
属す
よ うに ある とい う現
象 も見 られ るの である。また ,霊の 宗 教に 見られ る こ の よ うな伝 統 的な宗 教 的権 威の
分
極 化 あるい は 崩壊とい う現 象は,霊 媒 自体に も見 られる。 それ は,伝統
的な 霊媒
カ プ ラ ー ラ(出身カ ース トが決 まっ て い る)以外に, 自分で 勝 手に 霊媒
と な る者が 出てき
た とい う現象
で ある。 すな わ ち,男
の霊媒
の場合
に は , ス ワ ー ミ (svami ) と呼 ばれ, 女性の 場合に は , メ ー一…: ヨ ー (m 訌1}iy6
)と呼ぼれる者た ち の 出現
で ある。 こ こ で ,特
に , 注 目す べ きは , 女性 の霊 媒 (m恥 iyb
)の 出現で ある。す
な わち, これ まで の, 伝 統 的な シ ン ハ ラ仏 教の 世 界で は , まっ た く,宗教
的な受 け皿の なか っ た女 性が, 女 性へ の 教 育の 浸 透 と女 性の社会的
地位
の向
上に 伴い , まず, 霊の 宗 教の レ ベ ル で , 霊 媒 とい う形で , 一定 の 宗 教 的 役 割 を果たす よ うに なっ て きた の で ある。 (なお, 以上 の 論考
は ,Obeysekere
,1967
:1975
・a :1977a
の延長線
上 にあ
る もの であ
る。)
(
3
) 仏教
的展開以上 の よ うな, 主に ,都市の プ 卩 レ タ リア ー ト を担い 手に し て生 じた霊の 宗 教に お ける変 化が, 上 座仏 教を は じめ とす る仏 教 自体に も, 変 化を及ぼす こ とになるの で あるが, その 点に 関して は, 本
書
第三 部に おい て 次の よ うに 論 じられて い るGまず, イ ギ リス 植 民地 下で , 出家だ けが解 脱 し悟る こ とがで きるの だ とい う出家至 上 主義を排し, 在家に も平等に解 脱, 悟 りの 可
能
性はあるの だ とす る宗 教 的平等主義に基づ き, 出家 とい うよ うな世 俗 外禁
欲に よ る救済
の 可能
性
だけで な く, 在 家 とい う形で も世 俗 内禁 欲を行 うこ とに よ り救 済の 可能
性 は あるの だ とする, プ ロ テス タン ト仏 教が, ダル マ パ ー ラに よ っ て 打ち 立 て られてい た が , こ の プ ロ テス タン ト仏 教が, 独立 以降, 都 市部に お けるブル ジ ョ ワ ジ ー (巾産 階 級 )の増 大 と ともに , 彼らの ピ ー リタ ン的工 一 トス に ア ピ ール して , 勢 力を広め てい っ た 。 (Gom
.,1983
;Obey
,1976
も参 照 )そ して , こ の
傾向
は , 次の よ うな二 つ の 在 家 的な新 しい 運動を生み 出し て い っ た。 一つ は,全て の人を例 外な く覚醒 し , 救済
しよ う とす るサ ル ボ ー ダ ヤ運 動で ある。 これは, 仏教 的 世界
観に基づ く農村 開 発 運 動で, 出家と在 家< 書 評 > R三chard Gombrich ・弖 Ga量}anath Obeyesckere , 99 が
協 力
しあ
う形で抑
し進
め られ て い る。伝統的
なシ ン ハ ラ仏教
の 世界で は, 労働や社 会 改革
等に 全 く関わ ら ない 世俗外
の 出 家 こそが , 宗教 的権 威の 源で あっ たが , こ の 運動
で は, 出家 も労働や社
会 改革等
の世 俗 的 ・ 社 会 的な事 柄 に関わ るべ きであ
るとい う形で ,従 来
の 世俗外
の 出家中
心の 伝統 的 な宗 教 的 価値の ヒ エ ラル ヒ ーが , 経済
的 な局面 で覆
されて い るの で ある。も う一 つ は , 仏 式 結 婚の 登場で ある。 出家が宗 教 的に 理 想 的な 在 り方で あ る とすれ ぽ, 結 婚な ど とい う在 家 的 e 匿俗 的 な
事柄
に 仏教
は 本来関
わ るべ き もの で は ない は ずで ある。 そ れが, キ リス ト教の 結 婚 式をモ デル に し た 形 で , 出家 僧が式に 関わ り, 式 中に ピ リッ ト儀 礼 等を行っ て新郎新婦
を祝 福す る とか , 式が寺で 行わ れ る とい う形の 仏 式結
婚が生 じて きたの で ある。 こ の 現 象は, 儀 礼 とい う局 面で , 従 来の 出家 中心 主義の伝統
的な宗
教 的鱶値
の ヒ エ ラル ヒ ーが , 覆 されて た もの で ある と言 え よ う。 ま た , こ の 仏 式 結 婚は, 従来の結婚
式とは 異な り, 人を超えた存
在 (仏 )へ の 誓い とい うサ ク ラ メ ソ トで あっ て , 厳格
な 一夫一 婦 制を理想 とし,式で は性 的な表 現は極 力 抑え ら れ る等の 特 徴が あ る。 これ は , ま さに , 西欧の ブル ジ ョ ワ ジ ーの ピ ー リ タ ン 的なエ ー トス と 同 じよ うな意味
で の ス リ ラ ン カ の ブル ジ ョ ワ ジ ーの ピー リ タ ン 的なエ ー トス に 対 応す る よ うな形の結 婚
式な の で ある。さ らに , また, 伝統 的な シ ン ハ ラ仏 教の 仏 ・ 法 ・ 僧 (サ ン ガ)を
中
心 とす る宗 教 的 権 威の分 極 化 現 象は, サ ン ガ で 受 戒 する こ と な く,自
ら勝
手に受 戒 して 僧と なる とい う人々 が 生 じ, か つ , それ らの 僧た ち が社 会 的 影響
力 を も つ とい う現 象 とも なっ て 現れて きて い るの である。その なか で, ま
ず
, 挙 げ られ るの が, 比丘尼 の 出 現で あ る。 従 来の 伝 統 的 な シ ン ハ ラ仏 教で は , サ ン ガ に尼さ んに 受戒させ る シ ス テ ム が な か っ た の で , 尼 さん は存
在しなか っ た の で ある が, 女 性の 社 会 的地位の 向上 と伴
に , 自ら, サ ン ガ と は無 関係に受 戒 し, 勝 手 に尼 にな る女性た ちが 出 現 し て き た 。 こ の 現 象は ,霊の 宗教に おけ る女 霊媒
(m鋤
y6
)の 出現に対 応 する現象 で ある。 (な お, こ の箇
所の 論 考は ,Gombrich
,1972
ab の延 長線
上 に位置
す るもの である。 )ユGO パ ーり学仏教文 化 学 また, 出家 僧な らぬ 在 家 僧が出現し て きた。 た とえ ば ,
Peresas
は, サ ソ ガ とは無
関 係に 自 ら受 戒し た在 家の 僧で ある。 そ し て , 彼は, 伝統
的 な仏 教 の 瞑想 (心 を 静め る形の もの ) と憑 依 (神がか り)を, 目的に応 じて使い 分 けてい る。Uttama
Sadhu
も在家
の僧
で あるが ,彼
は ,自
ら,悟
りを開 き
,仏
陀と 同じ境
地に到達 し た と して い る。 また,普
通の 人が読
める よ うな パ ー り語聖 典の代わ りに , シ ン ハ ラ語に よ る仏 典を新たに編纂
すべ きだ と主 張 し て い る。ま た,
Sun
Buddha
(D
.A
.JayasLiriya
)の よ うに , 自分は, 仏 陀その もので
あ
るとい う在家
の僧
も出現
し,多 く
の信者
を擁
して い る。以上は , サ ン ガ
外
の在家
の僧
であ
るが, サ ン ガ 内で高
僧と される者の なか にも, マ イ トレ ーヤ 師の よ うに , 従 来の 伝 統 的な シ ン ハ ラ仏 教で は,否 定 的 に扱われて きた, 神智 学や 占星術の よ うな神 秘 的な傾 向の もの を も,評価
し, 用い る僧 も出て きて い る。なお, 以 上 の よ うな, サ ル ボ ーダヤ 運 動 ・ 仏 式結 婚 ・ 在 家 僧の 出現は,イ ギ リス 植
民
地 下で 現れた在 家 主 義 的 なプ ロ テ ス タ ン ト仏 教の 一つ の 必 然 的 帰結
で あ る と されて い る。(
4
)新
た な統合へ 向 けて 都市 化に よ る宗教 的 権 威の 分 極 化に よっ て, 霊の 宗教お よび 上座 仏 教を中 心 とする仏教プ ロ パ ーに生 じた 以 上の よ うな変
化は, 今後
も ますます, 進 行 し てい くの で あろ うか。 こ の よ うな問に たい し て ,著 者たちは ,否 定 的な解 答を抱い てい る よ うで ある。 とい うの は,す
で に , バ ク テ ィ とタ ン トラ の仏
教 的 再 取 込み とい う形 で の仏 教側か らの対 応, すなわ ち,新
た な統
合へ の 動 きが生 じ て きてい る か らで ある。その一 つ は, 森 林 僧に よる菩提 樹 供養であ る。 す な わ ち, 仏 陀の象 徴 と し て の
菩
提樹
に た いするバ クテ n 的な (感 情を高め る よ うな形で の) 供 養 儀礼 が, 行われる よ うに なっ て きて い る。 これは , パ ク テ ィ の仏
教 的取 込み だ と〈書
1
平> R1c 耳ard Gombrich & GaiiaiiLith Obeyesckcrc,101
言えるで あろ う。ま た , もう一 つ は , カ タ ラ ガ マ 信
仰
の 仏教へ の 取込み で ある。 すなわ ち, もともと, ヒ ン ドゥ ーの神
であ
っ た カ タ ラ ガマ に関し て, シ ン ハ ラ の 王Du
− ‡ugtimupu の 神 話とい うシ ン ハ ラ色の強
い 新た な神 話を創 造 し , シ ン ハ ラ 的な仏 教の 神とい う色合い を濃
くして い くとい うこ とが , まず行
わ れ た。 次 に , もともと, タ ミル の ヒ ン ドゥ ー教の 職 能 者がお こ なっ て い た カ タ ラ ガマ の 火 渡 りの儀式 (
憑依
の儀礼)
を,仏教側
の 職能
者が行 う よ うに 変 更 し, さ らに,火 渡 りの儀
礼 自体に , 仏 教的
位置
づけ (た とえば ,神へ の パ ク テ / や タ ン トラ的な憑 依の代
わ りに , 三 宝 に帰
依 し心を 静め るよ うな形
の 瞑 想を行 っ た の ち, 火渡 りの儀式
を行
うとい うよ うに)を与 えた の で あ っ た。 さ ら に, ま た , カ タ ラ ダマ の 祭 りか ら, 猥 雑 な要 素を取 り除 くとい うよ うな, ブ ル ジ ョ ワ ジーの 倫理的ニ ー トス に対応
する よ うな改
革 も ,行
われて い る。(
5
) 結 論部
分最後に,結 論 部で,著者 た ちは, 以 上 の よ うな仏 教の
変容
の将 来
に つ い て , 過 去に イン ドで起こ っ た宗教の 歴史
的変化
との 比較の 上 で , 次の よ うに 論 じて い る。 すな わ ち, イン ドで は, 禁 欲 的で 主 知主 義 的な ブ ラ フ マ ニ ズ ム や原 始仏 教 ・ 小乗
仏教は , オ カ ル ト的で情緒 的なタ ン トラやパ ク テ ィの波
に 飲み込まれてい っ たが, シ ン ハ ラ仏 教の 未 来は , それ とは異
なる と言 うの で ある。 何 故な ら, 対 外 的に は, (1)
パ ク テ ィ ・ タ ン ト ラを含
む ヒ ン ド ゥ ー教の 大 国イン ド に た い する仏 教の 小 国ス リ ラ ン カ とい う対立構
図 , 国 内 的に は, ヒ ン ドゥ ー教の タ ミル 人に たい する仏 教の シ ン ハ ラ人とい う対 立 構図があ る以上, シ ン ハ ラ仏 教 徒の文
化的
なア イデ ン テ ィ テ ィ ーは , 最終 的に は, 上 座 仏 教に求め る ほ か ない で あ ろ う。 従っ て, これ まで , 述べ て きた よ うな , 霊 の 宗教に お け るバ ク テ ィ 的・タ ン トラ的 変化 , お よび, 仏 教 プ ロ パ ーに お け る在家
主義的
な変化
に もか か わ らず, シ ン ハ ラ仏 教は , こ の よ うな変 化を, 上 座仏 教の 側へ 再度取 り込 むこ とに よっ て,新
たな統 合へ と向か うで あ ろ う, とされ るの であ
る。]
02
バ ーリ学 仏 教 文 化 学iil
.本 書の 論考にたいする若 干 の 疑 問 点以上, 本
書
の 内容を ,章だて に従っ て 紹介 して きた。 全 体 とし て は, 基 本 的に はマ ッ クス ・ウ ェ ーバ ーの 近 代化 論に基
づ き,剥 奪
理論 等の 宗教 社 会 学 の 諸理 論や, エ ー リ ッ ヒ e フ ロ ム流
の社会
心 理学
的 解 釈, 結 婚 式に 花 嫁が用 い る白い布
に浄
化の 象 徴を見る とい う よ うな象 徴 人類 学 的解 釈 等さ ま ざ まな手法
と理論
を駆 使 しなが ら,都
市化に よ る ス リ ラ ソ カ の 宗 教の変
容とい う現 象が読み解かれて お り,実
に , ス マ ー トで 見 事 な分 析が 行わ れ て い る と言 え る であろ う。 しか し なが ら, あま りにス マ ー ト で 見事な分 析で ある だ げに , 「都市 化に よ るス リラ ン カの 宗教の 変 容 とい う複 雑な事象 が本 当に こ んなふ うに見事
に分析
し きれるの だ ろ うか」 とい う素朴
な疑 問が ,わい て くるの で ある。 以 下若干の 疑 問 点を指 摘し て い きた い 。ま
ず
,第
一 の疑闘
は , た と え コ ロ ン ボ周 辺 と都市部に 限られ る現 象だ とし て も, 本書に 述ぺ られて い るよ うな ドラ ス テ n ッ クな宗 教の 変化 が 本 当に 生 じて い るの だ ろ うか とい う点で ある。 すなわ ち, ア ジ アの なか で ス リラ ン カ を考
え た場 合, 日本は例外
と し て も,NICs
等の 諸国 や イ ン ド・ タ イな ど と 比べ て も , ス リ ラ ン カ は,経済
成 長が遅 く, ア ジ ア の なか で も比 較 的社 会 変 化のス ピー ドが 遅 い 国で あ る。 そ こで も,本当
に , こ ん な ドラ ス テ a ッ ク な 宗 教の 変化が 本当に 生 じて い る の だ ろ うか 。 変化の 面に 焦 点を当てすぎ
てい る ので はない か。 そして, そ の た め に , 逆 に , 「霊の宗 教に お けるバ ク テ ィ 的タン ト ラ 的変 化お よび仏 教プ ロ パ ーに お ける在 家主義的
な変
化に もか か わ らず, シ ソ ハ ラ仏 教は , こ の よ うな変 化を , 上座仏 教 の 側へ と再度取
り込む こ と に よ っ て, 新たな統 合 へ向
か うで あろ う」 とい うよ うな楽観
的な見 通 し を抱 く
よ うに な っ てい るの で は ない か。 こ の よ うな疑 問で ある。次に , 第二 の 疑 問は,
伝統
的な シ ン ハ ラ仏 教の と らえか たに 関わ るもの で ある。本書
で は , (1)シ ン ハ ラ仏教
の ア イデ ン テ ィ テ ィ ーは上 座 仏教に あ り , (2
)上座仏 教 と霊 の 宗教は 明確に 区 別 され, その うえで, 霊 の宗
教が完
全に上 座 仏教の 側に取
り込まれ, 上 座仏 教の 側か ら低い 地位
に 位置
づけ ら れ て お一く書 評 > 1くicha互d Gornbrich & Gananath Obeyesekere , ユ
G3
り, (3
)い わ ゆる両者の 混淆
とい う現象は, ピ リッ ト儀 礼を除い て は考 え られ て い ない よ うで ある。 し か し,高
橋,1985
の批判
に もある よ うに,混淆
と呼 び うる現 象の 幅を もっ と広 く取っ て お い たほ うがい い の で は ない だろ うか。 すなわ ち , 言い 換え れ ぽ, シ ン ハ ラ仏教徒
の宗
教を , 上座 仏 教 と霊の 宗教 と 両 者の 混 淆 とい う三 つ の 層を持
つ もの とし て と ら えた ほ うがい い の で は ない か と思われるの である。 とい うの は,高橋
,1985
の 論点 以外に も,次の よ う な こ とが考え られ る か らである。本 書で は , 上
座仏教
の宗
教 的権 威の分 極 化に よっ て , その 権威
の枠
を離れ て勃 興 して ぎた霊 の宗
教を, 再度, 上 座 仏 教の 側が取 り込み, 仏教的位置
づ けを与え る こ とに よ り, 再統 合へ と向か うとい う方 向で,宗
教の変容
が とら え られてい る。 だ が, 日本の新 宗
教 あるい は新新 宗教な どの 例な ど を 見 れ ば, 逆に, 上 座仏 教が霊 の宗
教の 側へ と取 り込ま れ る とい う現 象が将来起
こ りうる可能 性 も十分
考え られ る。 そ して , その 場 合に は , 上 座仏教
と霊の宗
教 の 境 界はますます曖昧
になっ てい き, 両者
の混淆
と呼ぱ ざるを えない よ う な領 域が広が っ てい くと思わ れる か らで ある。第
三 の 疑 問は, パ ッ テ ィ ニ ーの 凋 落 とカ ー り一の勃
興に関す
る社会
心 理 学的解
釈の 妥当性
に関
する もの で ある。 本 書で は , こ の 現象 に つ い てすで に紹 介 し た よ うに ,農村
を捨
て て 都 市に で て きた プロ レ タ リ ア ー ト の 社 会上昇 志向
との関
わ りか ら, 社 会心理 学 的な解 釈を行
っ て い る。 とこ ろで, こ の よう な,都 市
へ の 人口集 中
に よ る労働
者 階 層の 増大 お よ び彼らの社 会上昇 志 向と 教 育マ マ (罰 する母)の 出現 とい う現 象は , 過 去に お い て , 日本に も存
在 し た。 し か し, 日本で は, 罰 する女 神 (た と え ば,鬼
子母神)
の勃
興 とい う現 象は存在
しなか っ た。 こ の よ うな違い1
’t 何
故 生 じ た の か。 も し, 社 会心 理学 的な解
釈 が, 一定 の 社会的 条 件に たい する人 間の 心理的対 応は共 通で ある と い うこ と を前提
に して い る とす
れ ば, ス リ ラ ン カ に お け るカ ー リー女 神の 勃 興 とい う現 象に は, 上 記の よ うな社 会心 理学 的理 由以 外の なに か, ス リラ ン カ に は存 在 し β本に は存 在 しなか っ た社 会 的 ・ 文 化 的要因があ っ た の で はな い か 。 その 要 囚に つ い て の説 明に 欠け て い るの で は ない か 。104 パ ーリ学仏教文 化学