• 検索結果がありません。

11 栗原清 によって語られた あるいは書かれた資料 インタビューや書き物に焦点を当てながら それらに対する多角的な検討を行い 個人の経験や生涯を再構成しようとする営みであったと言える 3 社会科研究部としての研究の目的と方法 本研究の目的は 被災地訪問を実施した後にど のように授業を構想するのかを

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "11 栗原清 によって語られた あるいは書かれた資料 インタビューや書き物に焦点を当てながら それらに対する多角的な検討を行い 個人の経験や生涯を再構成しようとする営みであったと言える 3 社会科研究部としての研究の目的と方法 本研究の目的は 被災地訪問を実施した後にど のように授業を構想するのかを"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Ⅰはじめに 1 本報告の趣旨 未曾有の被害を及ぼした東日本大震災からまも なく6年が経とうとしている。東北地方太平洋沖 地震は今や統計書などでは日本で起きた甚大な地 震災害の過去の一事例(二宮書店編集部、2016) とされている。しかし、学校教育にたずさわるも のは、この東日本大震災を教材化し、授業を通し て次世代を担う子どもたちにしっかりと伝え続け ていくことが求められている。 筆者は東日本大震災の発生当時、東京私学初等 学校協会社会科研究部主任としてその状況を深刻 に受け止め、社会科研究部の部員を誘って東北被 災地訪問を始めた。2016 年 11 月の訪問で第 6 回 を迎えた。以下は、被災地訪問開始時の社会科研 究部としての決意表明である。(栗原・加藤、 2011) 小学校社会科を担当する教師にとって、「東日 本大震災とその復興」は、授業の中で避けて通る ことのできない重要な出来事である。2011年3月 11 日(金)以降、私たちは、様々な新聞やテレ ビの報道、あるいは各種報告・研修会等で多くの 情報を得てきた。しかし、現場を直接に見聞した 研究仲間の中には「報道等を通しただけではわか らないことがたくさんある。自分の目で現地を見 るべき」と訴える声もある。そこで、「社会科の 教材研究は、自分たちの足を使い、自分たちの目 と耳を通して行う」という社会科の原点に立ち戻 り、今回、私たち東京の私立小学校社会科研究部 の有志は、東北地方の被災地を訪問することを決 意した。 本稿では、まず、このような認識に基づいて被 災地を訪問し、関係者への聞き取り調査で得た知 見を教材化し、それを授業の場で実践した経緯を 述べる。そして授業実践の振り返りと筆者らの意 識の変化に基づく、学習者を主体とする ESD の 観点に立った今後の授業の構想を記す。 2 東北被災地訪問の目的の変化 被災地訪問の目的は、当初、被災の実情を知る ことであった。そして、その悲惨さを東京の子ど もたちに伝えることであった。 東京私学初等学校協会社会科研究部の一斉研修 会では、震災発生の2年後に「震災を通して考え る」授業が行われた。 その後、同じ地点を訪問することにより、被災 の状況を知ることから復興の様子を知ることに訪 問の目的が変化してきた。復興には様々な形があ るので、被災後から現地で献身的に活動を続けて いる「人」に焦点を絞ってきた。すなわち、被災 した「人」の喪失体験に基づく復興の取り組みに 着目して調査を進めてきたわけである。最近の2 回の調査(第 5 回・第 6 回)は、ある特定の個人 報告

東日本大震災の教材化とESD   

-被災地訪問に基づく学習指導計画-

栗原 清 学習院初等科

Making Teaching Materials of Great East Japan Earthquake Disaster and ESD Instruction Plan Based on the Visiting of Affected Areas

-Kiyoshi KURIHARA

Gakushuin Primary School (受理日2017年2月28日)

(2)

によって語られた、あるいは書かれた資料、イン タビューや書き物に焦点を当てながら、それらに 対する多角的な検討を行い、個人の経験や生涯を 再構成しようとする営みであったと言える。 3 社会科研究部としての研究の目的と方法 本研究の目的は、被災地訪問を実施した後にど のように授業を構想するのかを明らかにしていく ことであった。自分たち自身の訪問・調査に伴っ て得られた膨大な資料等から主たる事物・現象を 精選して教材に変換していく、いわゆる地域素材 の教材化を図るのが目的である。 研究手法は、訪問後の参加教員による討議や報 告書などから、東日本大震災を題材にした学習指 導の構想へ向かう意識をつかみ出し、それをもと に具体的な単元構想(学習指導計画)を作り出し ていくものである。また、数回にわたる訪問調査 を実施しているので、参加教員の意識も変化して いる。その意識の変化に着目して、新しい教育と しての持続可能な社会づくりのための教育(≒ ESD)の視点に立った単元構想を提言すること も視野に入れて研究を進めることとした。 Ⅱ 訪問調査の概要 1 実施した被災地訪問箇所 本研究を進めるために実施した東北被災地の訪 問箇所及び聞き取り調査をした人物は下表の通り である。 2 主要な聞き取り調査対象者 東北被災地訪問では表1にあるように様々な人 物に出会った。どの人物も訪問者である私たちに 多くの言葉を語り、感動と教育への刺激を与える 方々であった。その人となりや、どこでどのよう に活躍されている人物なのかを知ることは重要で 回・年 月 訪問箇所 主な聞き取り 対象人物 (敬称略) 第 1 回 2011.11 ◦仙台市若林区の仮設住宅 ◦ 被災地現場(荒浜・蒲生・仙 台港・七ヶ浜・潮見台・東松 島・仙台空港) ◦石巻日日新聞社 ◦石巻市立大川小学校跡地 ◦石巻市雄勝地区現場 ◦南三陸町防災庁舎 ◦南三陸町立戸倉小学校 渡辺裕子 大橋公雄 近江弘一 三浦英之 第 2 回 2012.11 ◦大船渡仮設商店街・飲食店街 ◦大船渡市立大船渡小学校 ◦轆轤石仮設団地 渡辺裕子 近藤善典 鈴木直樹 第 2 回 2012.11 ◦三陸鉄道盛駅 ◦スーパーマイヤ本店 ◦仙台市立荒浜小学校 ◦山元町徳本寺 ◦仙台市立中浜小学校 ◦常磐線坂本駅 ◦徳泉寺跡 ◦名取市閖上「ささ圭」 藤井修司 早坂文明 佐々木圭亮 第 3 回 2013.11 ◦大船渡屋台村 ◦スーパーマイヤ大船渡店 ◦さいとう製菓旧本店 ◦大船渡商工会議所 ◦大船渡魚市場 ◦サンアドレス公園 ◦おさかなセンター ◦小中井応急仮設住宅 ◦気仙沼仮設商店街 ◦気仙沼魚市場 ◦嵩上げ工事の状況視察 米谷春夫 漁協の鈴木専 務 吉田水産課長 大和田東江 第 4 回 2014.11 ◦森は海の恋人 ◦気仙沼観光協会 ◦碁石海岸 ◦小中井応急仮設住宅 ◦末崎小学校 ◦大船渡魚市場 ◦三陸鉄道(学習列車) 畠山信 尾形幹男 大和田東江 第 5 回 2015.11 ・石巻市立大川小学校跡地 ・石巻ニューゼ ・石巻つなぐ館 ・名取市『閖上の記憶』 ・名取市立閖上小学校跡地 ・名取市立閖上中学校跡地 ・名取市閖上「ささ圭」 佐藤敏郎 武内宏之 佐藤茂久 佐藤裕一郎 大友貞子 小齋正義 桑山紀彦 佐々木圭亮 第 6 回 2016.11 ◦名取市『閖上の記憶』 ◦ 名取市文化会館(防災・減災 セミナーに参加) ◦石巻市立大川小学校跡地 ◦ 石巻市雄勝ローズファクト リーガーデン ◦ 石巻市雄勝復興町づくり情報 交流館雄勝館 丹野祐子 上条幸恵 佐竹悦子 佐藤敏郎 畑山泰賢

(3)

あるので、カテゴリー別に紹介する。(役職名や 肩書きは訪問当時のものである。) ○学校関係者 ◦渡辺裕子 白鷗大学経営学部経営専攻メディア コース講師。第1回・第2回の訪問のコーディ ネイター。仙台出身で親戚に被災者がいる。東 京私学初等学校協会社会科研究部の研究授業に も参加。本研究の学習指導構想への助言をす る。 ◦ 鈴木直樹 大船渡市立末崎小学校の副校長。被 災してから3年半が過ぎた当時の、子どもたち の様子を語る。運動場が仮設住宅になってい て、運動不足が深刻なこと、心の健康の問題の ことなど、子どもたちが直面している問題を伝 える。 ◦ 佐藤茂久 石巻震災伝承スペース「つなぐ館」 館長。震災時は石巻市立湊第2小学校教頭。公 益社団法人「みらいサポート」のスタッフ。当 時、児童をどのように避難させたのかを語る。 ◦ 佐藤裕一郎 佐藤茂久氏の実弟。震災時は石巻 市立門脇小学校教頭。当時、児童をどのように 避難させたのかを語る。 ○被災住民 ◦ 大橋公雄 仙台市若林区の仮設住宅に避難して いる荒浜地区の自治会長。「友引の会」(自治会 の会合名)主催者。仮設住宅の現状と問題点な どについて語る。 ◦ 早坂文明 宮城県亘理郡山元町の徳本寺と徳泉 寺(徳泉寺は海沿いにあり津波で堂宇のすべて を流失、何れも曹洞宗)の住職。徳泉寺の再建 を志している。山元町は津波被害が大きかった のに報道はあまりなされず、まるで忘れ去られ たような場所であることを伝える。 ◦ 大和田東江 大船渡市碁石海岸の小中井仮設住 宅の居住者。仮設住宅の現状と問題点、今後の 展望などについて語る。 ○被災企業関係者 ◦ 近江弘一 石巻日日新聞社社長。東日本大震 災・津波によって輪転機が動かない状況下、浸 水を免れた新聞のロール紙に手書きした「6 枚 の壁新聞」を避難所に掲示し、ライフラインが 完全にストップした極限状態のなかでも情報伝 達を続けたリーダー。 ◦ 武内宏之 石巻ニューゼ館長。震災時は石巻日 日新聞報道部長として取材の指揮に当たる。 NHK テレビ「課外授業ようこそ先輩」で母校 の石巻市立住吉小学校で未来新聞をつくること をテーマにして授業を行う。 ◦ 米谷春夫 大船渡市に本社を置くスーパーマイ ヤ社長。東日本大震災では迅速的確な避難誘導 で一人の犠牲者も出さず、被災のなかった店舗 では震災直後から食のライフラインを支えよう と必死に営業を継続した経営者・指導者。スー パーマーケットが地域の暮らしに必要不可欠な 存在であることが立証され、電気や水道などと 同様にライフラインを担う業種だという認識を 深める。 ◦ 藤井修司 大船渡市に本社を置くスーパーマイ ヤ社長秘書室長。筆者たちに津波の動画を提供 する。その動画は後の研究授業に活用する。 ◦ 佐々木圭亮 名取市にある仙台特産の笹かまぼ こを生産する企業「ささ圭」社長。海浜部にあっ た3工場を流され、工場の跡地から蒲鉾を焼く 金属製の櫛を 2000 本拾い集め、洗浄、消毒。 手作りでの蒲鉾作りを覚えていた祖父である会 長の勧めで、石臼で白身をすりつぶし手焼きで 1本1本焼く蒲鉾に再起をかけたことを伝える。 ○メディア関係者 ◦ 三浦英之 朝日新聞社記者。震災当時南三陸町 「ホテル観洋」に滞在して近隣の被災状況や復 旧・復興の様子を伝えた。南三陸町立戸倉小学 校で、実際の避難の追体験を案内・指導する。 ○NPO法人関係者・語り部等 ◦ 畠山信 NPO法人「森は海の恋人」副理事長。 気仙沼市震災復興市民委員会委員。牡蠣漁師と して生活しながら 2009 年に NPO 法人を設立。 父は理事長の畠山重篤。東日本大震災で被災。 復旧・復興事業に奔走する傍ら、震災後の自然 環境を活かした持続可能な地域づくりを展開し ていることを伝える。 ◦ 尾形幹男 気仙沼観光コンベンション協会の語 り部。この地域で起きた事実を当たり前のこと

(4)

とし、筆者たちに大震災の被害を実感的に伝え る。 ◦ 佐藤敏郎 NPO 法人「小さな命の意味を考え る会」代表。震災時は石巻市立女川中学校教諭 で、震災の思いを俳句にする授業を展開。大川 小学校6年生だった次女を津波で亡くす。 ◦ 大友貞子 名取市「閖上(ゆりあげ)の記憶」語 り部。本人の子どもの頃の閖上について伝え る。震災で子どもをなくす。 ◦ 小齋正義 名取市「閖上の記憶」館長。閖上の 被災状況、復旧・復興状況を伝える。 ◦ 桑山紀彦 NPO 法人「地球のステージ」代表 理事。閖上で開業している心療内科医。診療の ほか様々な復興支援を行っている。震災の実 情、復興の様子などを伝える。 ◦ 丹野祐子 名取市「閖上の記憶」語り部。閖上 中学校遺族会会長。自身の体験だけでなく、こ れから起きるかもしれない災害や震災に対して の防災について語る。 ◦ 上条幸恵 名取市「閖上の記憶」スタッフ。「心 のケア」について語る。 ◦ 佐竹悦子 名取市の防災減災セミナーの講師。 「「ゆりあげかもめ」の活動について」講演する。 ◦ 畑山泰賢 石巻市雄勝復興町づくり情報交流館 雄勝館スタッフ。石巻市雄勝地区の復興状況を 伝える。 毎年の被災地訪問の最終訪問を終えた後に翌年 の訪問地が話題になる。第4回までは同じ場所の 経年変化を見るという視点から、気仙沼や大船 渡、南三陸町等の三陸海岸地域を訪ねている。第 5 回からは初心に返り第 1 回に訪ねた仙台や石巻 に再度訪問した。 第1回に出会った渡辺裕子から佐藤敏郎を紹介 された。佐藤は石巻市立大川小学校の被災児童の 父親であり、その後様々な活動をしていることが わかった。また、第2回に訪問した名取市に「閖 上の記憶」という震災関連施設ができたことも 知った。「閖上の記憶」については、調べていく うちに、「閖上の記憶」を運営しているNPO法人 「地球のステージ」の代表が地元で被災直後から 診療を行っている心療内科医の桑山紀彦であるこ ともわかった。 第4回までの訪問では、被災地の被災当時の状 況やその後の復興について被災した人々の避難生 活についての取材が中心であった。それを、第5 回からは被災地でその後の活動に活躍されている 人物と対話(聞き取り調査)をしていくことで、 目に見えない復興や課題を探求することにシフト チェンジすることにしたのである。 準備を進めるに従い、大川小学校に関連する佐 藤敏郎もNPO法人「小さな命の意味を考える会」 を立ち上げていることがわかり、その後の被災地 訪問を企画する有志のモチベーションは増すこと になった。 Ⅲ 被災地訪問参加教員の意識の変容 1 訪問初期の記録による教員の意識 訪問初期の筆者ら教員の意識を、東京私立初等 学校協会社会科研究部東北被災地訪問報告書1 集・2 集(2012.12)や部会報告(2013.7)から転 載する。 1)筆者の記録(2013.7) “2 回の訪問で、復興・復旧に向かっている様 子や、その反対に、全くその様子が認められない 様子を目の当たりにした。東日本大震災の教材開 発をどのようにしていけばよいか、この2年間考 え続けた。従来の教材開発なら、素材となる社会 事象を追い求めて、教材開発を行うのが順当であ る。しかし、東北地方被災地が復興途中であり、 完全な復興・復旧を待っていては今を生きる子ど もたちの教育に間に合わない。 そんな折、知り合いの校長が私的教育研究会の 冊子に大震災の教材化について書いていることを 知った。それは5年生の情報単元の教材開発であ る。 震災数日後の新聞のテレビ欄をもとに、津波に 襲われる被災地の映像を何度となく見せて当時の 記憶を想起させ、被災状況を話し合わせる。そこ で、間髪入れずに発問する。「その時、皆さんは 被災の様子をテレビで見ていました。それでは、 避難所の人々はどうだったのでしょう?」と。教 室が静まり返る。ここからが授業の核心部分であ

(5)

る。被災地や避難所の写真を提示、ライフライン が寸断され、テレビや携帯電話、インターネット すら繋がらなくなった状況をとらえさせる。辛う じて聞こえるラジオからも詳しい状況は伝わって 来ない。そのような中で、何とか正確な情報を伝 えようとする石巻日日新聞社の活動をつかませ、 新聞社が最悪の状況の中で住民に何を伝えようと したかを調べる。次いで、1 週間後、避難所に一 般紙が届けられた写真を見せ、「被災された人々 は、どんな気持ちで新聞を読んでいるのでしょ う。」と問い、ワークシートの吹き出しに、人々 の思いを想像して書かせたのである。子どもは、 「正しい情報は水や食料と同じように大切なもの だ。」と発表した。正確な情報の大切さに気付い た授業であった。(関口、2013) 的を射た実践であった。これなら、私たちが訪 問して得られた被災地の映像や避難所の人々の 話、石巻日日新聞の近江弘一社長から伺った話や 実物の手書き壁新聞などの見聞が授業に生きる。 5 年生の情報単元の新しい切り込み方が見えた。 このような実践を一歩一歩教材開発していけばよ いという確信が持てた。 私たちは、21 世紀を生きる子どもの育成を目 指した社会科指導法を追い求めている。東日本大 震災の教材開発において、これから先重要なこと は、被災地の状況を常に把握しながら素材の教材 化を図り、指導計画全体を見直しながら進めてい くことである。このために、私たちは、毎年被災 地訪問を続け、メディアからの情報だけではわか らない状況を更新しながら自分の目で確かめるこ とを大切にしてきたのである。” 2)A教員の記録(石丸、2011) “被災地訪問で目にしたのは、瓦礫こそ片付け られているものの津波の威力を思い知らされる建 物の残骸だった。そこには亡くなった方とその遺 族の無念の思いが漂っているように感じた。なか でも児童と教員の 84 名が死亡、行方不明となっ ている大川小学校は、目の前に登っていれば助 かったと思われる山が見えているだけに悔しくて ならない。写真や映像で何度も見ている南三陸町 の防災庁舎も目の前にたつと言葉にできない悲し みに襲われる。災害時の指揮をとる絶対安全な筈 のここでも多くの方が津波にのまれて亡くなっ た。最後まで高台への避難を防災無線で呼びかけ た女性職員も含めて。どちらの場所もその場に立 つと「想定外」という言葉では済ませられない命 の重みを感じた。そして、教師としてたくさんの 児童の命を預かっている以上、あらゆる状況に対 応できる力を身に付ける必要を感じた。” 3)B教員の記録(大野、2012) “訪問の先々において、「東北の姿を伝えて欲し い」と言われてきた。そのため、訪問後に朝礼な どで低学年の児童にも分かりやすいように、スラ イドの写真をなるべく多く使って、東北の姿を伝 えた。また、限られた時間の中なので、伝えたい 内容を、訪問した2つの小学校に限ることにし た。まず、避難が遅れた大川小学校。原因はいろ いろと言われているが、そのひとつに、大川小学 校は、海から4キロ離れているので安全な場所だ と考えられて、逃げ遅れたと言われている。次に 全員が裏山に逃げて助かった戸倉小学校。海に面 しているからこそ、普段から避難のイメージが出 来ていたとも考えられる。しかし、実は、自分の 勤務校も同じく海から4キロ離れている。そのこ とを子どもたちに知ってもらい、みんなは、地震 や火災の災害時にどのように行動するべきなの か、きちんと理解して行動できるか? と問うて みたかったのである。他人事ではないと改めて感 じてもらいたかったのである。 東北の姿を伝えること、そして、みんなと同じ 小学校の当時の姿を知ることで、少しでも自分事 として、東北の地震を捉えて欲しいと願い、朝礼 にて報告をした次第である。” 図1 大川小学校跡地(左)と大川小学校跡地の裏山 (筆者撮影)

(6)

2 訪問初期の学習構想 筆者、A教員、B教員ともに東京の子どもたち に被災状況を伝えようとしていることは共通して いる。大筋では被災地訪問で得られた素材をどの ように社会科の中に埋め込んでいくかという意識 が認められる。持続可能な社会づくりのための教 育の観点からすると「教科の中に ESD を加味す る授業」をする構想である。しかしこのときは ESDの発想はまだ持たない状況である。 こうした意識のもと、東京私学初等学校協会社 会科研究部としての行事である一斉研究会が 2013年2月5日、田園調布雙葉小学校で行われた。 それは、多くの部員たちに東日本大震災の教材化 を共有できる場である。研究授業当日までに数回 部員たちの討議が重ねられ学習構想が練られた。 授業に使う資料はほとんどが被災地訪問で得たも のである。この実践で子どもたち同様、研究会参 加教員も震災について考えていきたいと願って 行った授業である。 ・授業者 佐々木顕(田園調布雙葉小学校教諭) ・単元名 震災を通して考える ・単元のねらい 東日本大震災の様子を調べ、 様々な形で頑張っている人々がいることを理解 し、震災を忘れないようにし、自分たちがこれか ら先どのようにすればよいかを考えることができ るようにする。 ・学習指導計画(全4時間) ・学習の振り返り 研究授業後の協議会では様々な意見が出され た。「山元町のようなメディアでは取り上げられ ない地域の生の声を拾って子どもたちに届けなく てはならない。」「被災地訪問が十分に生かされて いた。」「社会科の教師として、フィールドワーク の大切さを痛感した。ただし、写真などの提示の 仕方が適切だったかどうかは疑問である。資料を 提示したときに、子どもに「なぜ?」という疑問 をもたせる提示をしたほうがよい。」「教師自身が フィールドワークをすると、教師はいろいろなこ とを伝えたくなる。そこをそぎ落とし、どこの部 1 〇山元町の震災による被害の様 子を統計資料や話から調べ る。 〇中浜小学校の事実から、必死 で生き延びようとした人々の 様子を調べる。 〇今日の学習についての感想を 書き、発表する。 ・山元町の被害 統計 ・徳本寺住職の 話 ・中浜小学校の 写真 ・校長先生の話 2 〇大船渡の被害の様子を動画で 見て、山元町とは異なった被 害の様子を調べる。 〇児童の思いを表現する。 〇大船渡の復興が進んでいる様 子を調べる。 〇被災した地域は報道されてい る地域だけではないことをつ かみ、頑張っている人たちが いることに感想をもつ。 ・スーパーマイ ヤ付近の震災 当日の動画 ・轆轤石の人々 の話 ・写真資料 ・マイヤの人の 話 ・校長先生の話 3 〇荒浜を例に、復旧・復興が全 く進んでいない様子を調べ る。 〇頑張ってもどうしようもない 人々がいることを知り、自分 の今の暮らしと比べて思った ことを語り合う。 ・荒浜の地図 ・新聞記事(文 章資料・写真 資料) ・荒浜の写真 ・海岸でのボラ ンティア 4 〇それぞれの地域の学習から、 感想を発表し合う。 〇ささ圭の先代社長夫婦の営み を新聞記事で調べる。 〇ささ圭の人たちの言葉から今 日の学習問題をつかむ。 〇他の被災地の方々は、東京の 人たちの訪問をどう思ってい るか調べる。 〇自分たちは、被災された人々 や地域に対して、何を思い、 どのように考え、どういう行 動をとっていけばよいか話し 合う。 ・仮設住宅の人 の話 ・お寺の住職の 話 ・荒浜町の人の 話 ・大船渡の人の 話 ・「 こ れ か ら ど うしていけば よいのか」を 書き込むプリ ント 時 学習内容 資料・備考 1 〇1枚の写真を見て、何の写真 なのかを予想する。 〇山元町の震災の様子を数枚の 写真から知る。 ・山元町の位置を地図帳で調べ る。 ・坂本駅周辺の 写真数枚 ・地図帳 図2 戸倉小学校(左)と戸倉小学校の裏山(矢印 は筆者であり、実際に駆け上がった方向を示す)  (大野俊一氏撮影)

(7)

分をどこまで考えさせるのかが大切である。」「た くさんの資料があるが資料の精選が大切であ る。」等々(東私初協、2013)。 研究授業実践によって、子どもたちと共に学習 するなかで、震災について子どもたちに伝えたい ことは伝わった点は評価できる。しかし、子ども の主体性という社会科の観点で捉えるとまだ不十 分の部分が多いことも明らかになった。 教員が一方的に伝えるだけの指導からの脱却は どうするか。どうしたら子どもたちの主体的な学 びや協働的な学びが構築できるか。即座に答えの 出ない状況は続き、被災地訪問も続けられた。 3 最近の訪問後の教員の意識 最近の訪問による筆者らの意識を、「第 5 回東 北被災地訪問報告」,東京私立初等学校協会社会 科研究部東北被災地訪問報告書 5 集(2015 年 12 月刊行)への寄稿および第 6 集(2017 年 4 月刊行 予定)から転載(一部削除)する。 1)筆者の意識(2016.11)(栗原、2016) “今後、復興の様子を東京の子どもたちに伝え ていくことが必須なことは言うまでもない。しか し、持続可能な社会づくりのための教育(≒ ESD)や主体的・対話的・深い学び(アクティ ブラーニング)を目指した教育が叫ばれる昨今、 知識伝達型の学習、一方通行の復興の様子の教授 でよいかどうか。東京の子どもたちにとって東日 本大震災が他人事にならないようにするために、 どのようなプランを立てて学習を進めたらよいの か。年度が進んだ現時点の子どもたちにとって、 実は東日本大震災は過去の出来事である。その後 の熊本被災、鳥取被災などを教材化する場合にも 今回の教材化の手法を生かしていくことができる ようにすることが肝要である。 この経緯からすると、震災復興教育の学習指導 計画を構想することが喫緊の課題であることは明 白である。その全体計画の中に、今まで調査して きた人、施設、資料などを位置づけていき、どの ような学習をデザインし授業を実施していけばよ いのかを明示することが緊急の課題といえる。” 2)A教員の意識(2015.11)(石丸、2015) “NPO法人「地球のステージ」代表の桑山紀彦 氏による震災後の子どもの心のケアについての話 は、今後の教育活動のヒントとなるものであっ た。震災後いらいらする大人と異なり、避難所で も子どもたちは素直だったという。ところが、2 か月経ったころから荒れ始め、構ってほしい行動 が目立ち始めたそうだ。そこで、本来はもっと後 に行うべきスポーツによる心理社会的なケアとし てサッカー大会を開催したという。そしてここか らが桑山氏の心療内科医として専門家でないとで きない取り組みが始まる。それが子どもたちによ るジオラマ制作である。人は時系列がしっかりし てないと、記憶が抜け不安となりトラウマになる という。そこで、辛いけれど、語り合ったり現場 で再現したりすることで記憶をつなげて心のケア をする手法は、教育現場でも学ぶべきものだと感 じた。” 3)B教員の意識(2015.11)(大野、2015) “被災地の人々にとって、2015 年は復興元年と 言っていいほど復興に向けての動きが表れてきて いる。一方で4年経った今だからこそ心配されて いるのが心の問題である。PTSD、心的外傷後ス トレス障害である。とても怖い思いをすると、そ の記憶が心の傷となり、そのことを繰り返し思い 出し、恐怖を感じ続けるという病気である。今、 5年目になって突然無気力が襲い、そのまま放っ ておくと心が固まり鬱病になって、大人では自殺 者が増えているという。また、不登校の児童数が 増えているという問題も起きている。目に見える 復興は進んでいても、目に見えない復興は進んで いないのが現状なのである。そこで大切なのが 「心のケア」である。心の中のものを吐き出し辛 いことに向き合っていくことが重要なのである。 そして、それを被災者同士、または私たちがしっ かりと受け止め支えていく必要がある。” Ⅳ これからの学習指導構想 A教員、B教員ともに心のケアをする手法の重 要性を説いている。すなわち、語り合ったり、現 場で再現したりして、記憶をつなげていく手法で ある。これは正しく ESD の基本技能である対話

(8)

する力を育てることに通じる。また、筆者の意識 は、被災地訪問で得た地域素材を一覧し、社会科 にとどまらず、総合的に学習を進め、教科と教科、 教科と領域などの関係した内容をつなげていく作 業の必要性を認めるものである。 1 持続可能性の教育(ESD)の視点の確認 ESD は持続可能な社会づくりのための担い手 を育てる教育である。他人との関係性、社会との 関係性、自然環境との関係性を認識し、「かかわ り」、「つながり」を尊重できる個人を育むことで ある。 学校で ESD を始めようとするときに教師とし て心がける内容を確認すると以下のようになる。 (多田、2008) ・現実の地域の諸問題を調査・探求・表現する。 ・多様な人々や事象、自然との出あいの場面を設 定する。 ・自分と地域、地域と世界などとのつながりを実 感させる。 ・様々な価値や生き方を尊重する姿勢をもたせ、 協働する活動や対話場面を意図的に設定し、仲 間のいるよさを実感させる。 ・学習による自己成長を自覚させる。 ・外部講師、地域の施設など多様な教育資源を活 用する。 ・調査結果を分析し、提言をまとめ、また自ら実 行していく体験をさせる。 東北被災地は持続可能性が脅かされている典型 でもある。持続可能な社会の実現にいたる過程の 最初は、社会の持続可能性が脅かされている事実 の認識とその克服である。そして持続可能な社会 を実現する条件やその実現に至る道筋の確認と発 見が次に来る。このプロセスは正に ESD のもの である。すなわち、これからの学習指導の構想は、 被災地訪問を続けながらも、持続可能性の教育と いう大きな枠の中で復興教育を捉えていき、上記 の心がけに沿って単元構想をすすめていくことで 子どもたちの発展が期待される。 2 主体的・対話的・深い学びに導く問い 単元を組む視点として、以下の3点が考えられ る。(石山、2016) ・喪失体験に共感する視点 ・復興の担い手と対話する視点 ・被災した人たちに寄り添う視点 東日本大震災の教材化において、これらの視点 を生かした、考察や構想に向かう「問い」の例と して、以下のものが考えられる。 ・津波の被災地はどのように広がっているのだろ う。 ・なぜ、被害が大きくなったのだろう。 ・地震発生から現在にいたるまで、まちはどのよ うに変わってきているのだろう。 ・復興のためにどんな人が活躍したのだろう。 ・復興のために活躍した人は、どんな生き方をし ているのだろう。 ・復興には、どんな工夫や努力があるのだろう。 ・なぜ、地方と国の協力が必要なのだろう。 ・私たちは、被災地の方々とどのようにつながっ ているのだろう。 ・私たちが被害を防ぐには、どのようにしていけ ばよいのだろう。何が大切なのだろう。 ・私たちは自然災害に対してどのように対処して 生きていけばよいのだろう。 ・私たちの地域の防災対策を調べてみよう。 ・自分には何ができるか、どのようなことができ る人になりたいかを表現し、行動してみよう。 3 学習指導計画の構想 現状では各教科に分散されている ESD に関す る学習内容を統合するための、持続可能性を原理 とする教育のための枠がしっかりと確保されるべ きである。しかし、それを実現することができる のは、当面は「総合的な学習の時間」以外にない。 その中で、東日本大震災に関連する多様なテーマ の中から、子どもたちが自分たちで調べたいテー マを決め、様々な方法を用いて探究し、調べた結 果を発表して共有する活動を行う。 この方法は、プロジェクト学習と呼ばれる ESD に適した学習方法である。テーマは前述し

(9)

たような内容が考えられる。問題解決的学習や探 究的な学習と並んで未来をつくっていく教育の方 法である。 最近の訪問後の意識が ESD の手法で東日本大 震災の教材化を図ろうとしていることは先に述べ た。以下に「総合的な学習の時間」の学習指導計 画の例を示すことにより単元のデザインの構想と したい。 〇5学年学習指導案 ・単元名 東日本大震災から学ぶ(全15時間) ・単元を実施する領域 総合的な学習の時間 ・教科領域との連携: 国語科 震災を表現した俳句 社会科 自然災害の防止 道徳 人との絆 ・単元のねらい 2011 年に起きた東日本大震 災について関心をもって調べ、被災した人々や復 興のために活躍している人々を通して問題点を知 る。さらにその解決のために、自分たちはどのよ うなことができるのかを考え、実行する。 ・単元の指導計画 Ⅴ まとめと今後の課題 筆者は数回にわたり、東北被災地を訪問した。 そして多くの人物から被災状況や復旧・復興状況 に関する情報を得た。それらを東京の子どもたち に伝えようとして地域素材の教材化に取り組ん だ。訪問初期では、社会科で被災の状況を伝える 知識伝達型の学習指導を構想して実践した。しか し、訪問を重ねるうちに、被災の状況や目に見え る復興の様子を伝えるだけではいけないという意 識に変化してきた。東北被災地は持続可能性が脅 かされている典型であることから、社会科という 教科にとらわれずに問題解決的な学習や探究学 習、プロジェクト学習にまで発展させていくこと が必要との結論に至り、次世代を担う子どもたち の学習にふさわしい ESD の学習構想にいたった 次第である。 今後の課題として、教科や領域の中で行われる 「ESDを加味する授業」から「ESDを中心活動と する授業」の学習構想を具体的に立てていくこと が必要である。そして、その具体例を積み重ねる ことで、未来をつくる教育にむかうことができる と考える。 時 主な学習活動 留意点 1次1時間 1. 東日本大震災って何だろ う。 ・地震や津波がどんなもの かを考える。 ・最近では一番被害の大き かった地震であることを つかむ。 ・ 東 日 本 大 震 災 のニュースを 取り上げたり、 子どもたちの 避難訓練の経 験を取り上げ た り し て、 関 心を高める。 2次5時間 2. 東日本大震災について調 べよう。 ・資料を見て、どの地域の 被災状況や復旧・復興状 況を調べるかをグループ で話し合って決める。 ・教員の被災地訪問の資料 や写真、インターネット で情報を集めたり、書籍 を読んだり、ビデオを見 たりして調べる。可能で あれば、東北被災地に行っ たことのある人から話を 聞く。 「東北地方で被災された地域 や人々の様子についてレ ポートにまとめてみよう」 ・ 教 員 の 実 際 に 調べた報告書 か ら は、 情 報 が得やすいこ と、 震 災 の 被 害はまだ続い て い て、 興 味 本位に調べて はいけないこ とを助言する。 ・ 被 災 の 状 況 だ け で な く、 復 興に向けてど のように努力 しているのか を明らかにす るように助言 する。 3次6時間 3. 調べたことを発表しよう。 ・ポスターセッションで発 表会を行う。 「とてつもなく大きい地震が 東日本をおそって多くの 犠牲者が出た」 「震災のその後、明日に向 かって懸命に生きている 人々のことを伝えたい」 「東日本大震災を教訓にし て、他人事ではなく自分 事と捉えて生きていきた い。わたしたちは未災者 である」 ・ 発 表 を 聞 く こ とができるグ ループが限ら れているため、 事前に宣伝活 動を行わせる。 ・ 発 表 会 を 実 感 的・ 共 感 的 に するためにも、 語り部ふうに 伝えるように 助言する。 4次3時間 4. 大震災について学んだ私 たちは、これからどのよ うに生きていけばいいの だろう。 ・ 被災地の方々とのつなが り ・ 私たちの防災での大切な こと ・ 喪 失 体 験 に 共 感 す る 視 点、 復興の担い手 と対話する視 点、 被 災 し た 人たちに寄り 添う視点から 助言して報告 書にまとめさ せる。

(10)

東北被災地訪問をさらに続けながら、「つなが り」をキーワードにして、子どもたちの発展に期 待したい。 なお、本報告中で転載した学習指導案や訪問後 の記録等は、すべて本人の了解を得て転載してい る。記して感謝の意を表したい。 引用文献 石丸紀善,2011,「復興新聞」,第1号 石丸紀善,2015,「復興新聞」,第7号 石山雄貴,2016,「被災地における環境教育と教 師の役割」,『環境教育』,62:5pp. 栗原清・加藤裕明,2011,「第1回東北被災地訪 問のお誘い」,東京私立初等学校協会社会科研 究部東北被災地訪問案内パンフレット 栗原清,2016,「第6回東北被災地訪問報告」,東 京私立初等学校協会社会科研究部東北被災地訪 問報告書6集 二宮書店編集部,2016, 『データブック オブ・ ザ・ワールド』,二宮書店, 東京,11pp. 大野俊一,2012,「第 1 回東北被災地訪問報告」, 東京私立初等学校協会社会科研究部東北被災地 訪問報告書1集 大野俊一,2015,「第 5 回東北被災地訪問報告」, 東京私立初等学校協会社会科研究部東北被災地 訪問報告書5集 関口修司,2013,「東日本大震災の教材化こそ社 会科勉強会の目指す防災教育」,社会科勉強会 会報誌『逆転』,Vol.54-1:1pp. 多田孝志,2008,「ESD とは」,『未来をつくる教 育ESDのすすめ』,第1章,pp4-17 東京私立初等学校協会,2013,『教育研究紀要』, 57:pp200-208

参照

関連したドキュメント

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

シークエンシング技術の飛躍的な進歩により、全ゲノムシークエンスを決定す る研究が盛んに行われるようになったが、その研究から

この 文書 はコンピューターによって 英語 から 自動的 に 翻訳 されているため、 言語 が 不明瞭 になる 可能性 があります。.. このドキュメントは、 元 のドキュメントに 比 べて

90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

それでは,従来一般的であった見方はどのように正されるべきか。焦点を

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

はある程度個人差はあっても、その対象l笑いの発生源にはそれ

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ