「
ス
ピ
リチ
ュア
ル
」
への
仏教
に よ
る
取 り
組
み
の
不
安定
さ
1)竹
内
照
公
は じめに「ス ピリチュ ア ル
」
2)が、 是 非 も無 く肯 定 的に受 け止め られ 、 「ス ピ リチ ュ ア ル 」ブ ーム の 観を 呈 して い る。 こ の 「ス ピ リチュ ア ル」志 向は、 近現代の 科学 文明の 中で取 り残 さ れ た感
の ある仏教 を含
め た我が国の 宗 教 勢 力か ら 、 前 向 きに評価 され る傾向
が ある。 しか し、「
ス ピ リ チュ ア ル」
と称さ れる も の の幅
は広く
、「
ス ピ リチ ュ ア ル」と謳っ てい るか ら とい っ て、「
ス ピ リ チュ ア ル」の概 念が共 有さ れてい る とは 必ずしもい えない 。一般 的に は、 近現 代の科 学 万 能主
義
や合 理主義
に よ り 「ス ピ リチ ュ ア ル」 は損
なわ れて い る と考
え られて い るよう
で 、失わ れ た 「ス ピ リチ ュ アル 」 を 取 り戻 すこ と が、 現代
の様
々 な問題の 解 決につ な が る と漠然 と考
え られて い る よう
だ。 た しかに、 近現代
の科学
文 明に は、 科 学 とい う方法 論が持つ 限界 があ り、科
学を絶対視
し、 過 信 するこ とはで きない 。 科 学の盲
信を謙
虚に 反 省 する必 要はある もの の、 これ が 「ス ピ リチ ェ アル 」の 氾濫 を無批 判に受
け 入れ る根
拠 には な ら ない 。また 、「ス ピ リチェ アル
」
に は不明瞭で あや しい 側 面が と もない が ちで あ る。 しばしば霊 感 商 法の ような悪徳 な誘惑
の 口実
に なっ て い る。 悪徳 な行為 は例外
にす
ぎず
、 退 治 して しま えば よい こ とかもしれ ない 。 あるい は、 そ う した行 為に苦悩 してい る 人へ の 救 済の 手 を差し伸べ れ ば よい こ とか もしれな い 。 だが 、 ひ ょっ とする と、 「ス ピ リチ ュ ア ル 」ブ ーム は、 そう
した営
み の な かで、 蔑 まれ、 忘れ去 られて し まう
もの なの か もしれ ない 。 かつ て の 心霊 ブームやオ カル トブームが そう
であっ た よう
に。「
ス ピ リチュ アル 」 という
もの は、 捉 え方を誤ま る と、好
ましい 形で活か してい くことは で きない だろ (387
)智山学報第五十六輯
う
。 そ こで、 「ス ピ リチ ュ ア ル」が脚 光 を浴びる にい た る経 緯の 一端 と して 、 世 界保
健機
関 (WHO )で、積極
的に「
spiritual」
に光
を当
て よう
とし た経 緯
を紹介す
る。「
spirinUal」
は健康 問題
に限定
して考
え らるべ き もの とはい え な い が、 こ こ か ら根 幹に もか か わ る問題を抽出するこ とがで きる。 その 間題を 参 照 しな が ら、 仏 教の実践 との関わ りを考 察 する。 筆 者は、 仏 教 実 践の必要 性を痛 感 して い るが、 だ か ら と言っ て、 い たず らに 「ス ピ リチュ ア ル」に拘泥す
る必要
はない と考
えてい る。「
健 康の 定義」
と「
spiritual」
3)WHO
では、 健康
につ い て、 次の よう
に定義
して来た。Health
is
a state of completephysical
, mental and social well −being
and notmerely the absence of
disease
orinfimity
.こ れ は、 憲
章
の前
文に記さ れてい る。 国内
で は 、 「健 康 と は 、完全 な肉
体的、 精神 的 及び社
会
的福 祉の 状 態であ り、 単に疾 病 また は病弱の 存 在 しないことで は ない
」
という
昭和
26
年官報掲載
の和
訳が用い られてい る。こ の 定 義に対 し、 改正案が
1998
年に開催 さ れ た第101
回WHO
執 行 理 事会 (101st・
Session
・of・the
・WHO
Executive
Board
)に提 案さ れた。 その 改 正案
は、次の ような もの で ある。
Health
is
adynamic
state of completephysical
, mental , spiritual and social
well −
being
and not merely the absence ofdisease
orinfirrnity
.spiritual と
dynamic
の二 つ の語
が新
しく加 え
られてい た。こ の
提案
は、執行
理事会
の投票
によ り採
択 さ れ、1999
年の 第52
回総 会の 議 題 とす
ることが決 まっ た。 しか し、 総会
での実質
的な審
議は行わ れず、 以 来、事
務 局 長 預か りに なっ て い る。結 局、健 康の定 義は改正 さ れ なかっ たが、 当時、 我が国で も、 公
衆衛
生 関 係 者や医療 関係者 は もと よ り、 宗 教 関係者 な ど様
々 な分 野か らの注 目が寄
せ られた。 特に、 公 衆衛
生関係者
の 問では、執行
理事会
で の採
択以来、 spiritUal「ス ピ リチ ュ アル」へ の 仏教によ る取 り組みの 不安 定さ (竹 内) や
dynamic
の 和 訳が議 論さ れたという
が、 結局
、定義
の 改正が実現
してい な い こ と もあっ て、和
訳の決着
はつ い てい ない 。 こ の改正 案が大々 的が取 り上 げられ た た め か、 我が国には 、こ の 改正 の方 向性を既 定の もの だ と して無 条件 に尊 重 しな くてはならない 風 潮がで きた。 この こ とで、 そ れ 以前の 「ス ピ リチ ュ ア ル」へ の 取 り組み とは 一線が画さ れ 、科学
一辺倒
の 西洋
医 学へ の 不信
や、社 会
不安
と重
なっ て 、 近年
の「
ス ピ リ チュ アル」
ブ ーム の契機
が形成
さ れ、 正当化 さ れ た と、筆者
は考
えて い る。 た だ し、 ブーム自
体は、WHO
で の 議 論の 経 緯や 問題 点がふ まえ られ た もの とは思わ れ ない 。「
spiritual」
の提案
WHO
の健康
の定義改
正問
題に多少
なり
と も関
心のある人々 の一部
か ら は、科学
一辺倒
の 西洋
医学
の行
き詰 まり
を克服す
る た めの提案
で ある と評
価さ れ てき
た。 そう
した側面
を否定す
るこ とは ない が、提案
の真相
は別にあ
る。改正案を
WHO
執 行理事
会に提 案 したの はア ラ ブ諸 国を中心 とするWHO
東 地 中海 地 域 地 方事 務 局で ある。WHO
東 地 中 海地 域 地 方事 務 局に加 盟 して い るの は、 ア フ ガニ ス タン 、 バ ー レー ン 、 キ プロス 、 ジ プチ、 エ ジ プ ト、 イ ラ ン、 ヨ ル ダ ン、 ク ウェ ー ト 、 レバ ノ ン、 リ ビア、 モ ロ ッ コ 、 オマ ー ン 、 パ キス タ ン、 カ タール 、 シ リア 、 サ ウ ジア ラ ビ ア、 ソ マ リア、 ス ー ダ ン、 チニ ジア、 ア ラ ブ首 長国連邦、 イエ メ ン の各国で 、 中近 東の イス ラム教 信 仰が中 心 と なっ て い る国々 で あ る。こ れ らの 国々 では 、 「ユ ナニ 医学 」 と呼ば れ る伝 統医学が根 付い て い る と 言わ れてい る。 「ユ ナニ 医学
」
は 、ヒ ポ クラ テ ス に代表
さ れ る ギ リシャ 医学
の流れ をく
む医学
の一つ で あり
、 ルネサ ン ス以 降の 西 洋 医学の源 流になっ て い る。近代科学
を基 盤 とし た西洋 医学
が発展
した現在
におい ては、 自然 治癒 を重 視 する伝 統 医学の の 一つ と して位
置付
けら れ、厂
代替 医療」
の 一つ と み な され てい る。健 康の 定 義の改 正案に お け る 「spiritual」の 提 案は、 そ うした伝 統 医 学を (
389
)智山学報 第五十六輯 背 景に もつ 国々 の
提案
で ある。 西洋
近代医学
の問
題 点の 克服 を直接 的にめ ざ した提 案という
よ り、 代替
医療
と位置付
けられ た非
西洋
近代
医 学の 医療 シス テ ム とい か に向
き合う
か という
問 題に結びつ けて考 えるべ き問題である。もともと 、西 洋 医学は、
科
学的 な方法
に より、 効 果が優れ た技術 を見 出し た こ とに加
え、研
究の発 展や産 業化が期 待で きる事
か ら、 広 く普
及してい る。 しか し、 西洋
近代 医学
とい え ど も、 完 璧で も万 能で もない 。 背 景 となる文化
や宗
教、精神性
の影響
を否定す
るこ ともで きない 。 また、 科学 的研 究 方 法は、 発 展の原 動力 となっ た が、 その特 性のた め、身
体的 側 面 ば か りが突 出 して し まい 、 心理的側 面や社 会 的側 面が軽視 されて しまっ た。 何よ り困っ た こ とに、 近 代産 業に依 存 して い て 費用 が か か る。先
進
国は とも
かく
、普
及の程度
や、経済 的負担
の 面で、 西洋
医学に よっ て 包 括 的 な 医療 シス テム を全
世 界で作
ること は現実的
で は ない 。 そ こ で 、西洋
医学
に並 行 し補完 する医療 と して、 伝 統 医学を中心 と し た代替
医療
が好意
的 に 迎 え ら れ たこ と が、 「spiritual」の 提案の 背 景にある。伝
統 医学 を中心 と した代替
医療
の多
くが 、 文 化や信 条、 宗 教 と 不可 分に なっ て お り、 それ を直 視せ ざる を え な かっ た。 その 点を、 い か に受
容 する か が問 題 となっ て、「
spiritual」
の 意味が 問われ る に至っ た。真
に有効
で あるもの を、 評価の 上で取 り入れ ようと言 う意 識 が伴っ てお り、 将来
的には、 西洋医学偏
重の克服
や、代替
医療
と西 洋 近代 医学 との 統 合 が 模 索さ れ るか もしれ ない 。 しか し、 今 日の現 実 問題 と して 、 「い か に代 替医療 と向 き合 うか」とい う問題 意 識か ら、 「spiritual」
が論 じ ら れ る こ とになっ た の で あ る。医療 と宗 教 をめ ぐ る議 論 お よび 提 案の取 り扱い
WHO
執 行理事 会で は、 「spiritual」 を巡 り、 医 療 と宗 教の 混 同につ い て の 議 論が な さ れ た。 医療 ・保 健は、 健 康へ の 取 り組みであるが、 宗教に とっ て も健康
は重要
な関 心の対象
である。特
に、 「spiritual」 提 案 を行 っ た国々 の 宗 教であるイス ラ ム 教で は 、医療 ・保 健の 取 り組み と宗教を区別 するのが困難「ス ピ リ チ ュ ア ル」へ の仏教に よ る取 り組みの不安 定 さ (竹内) で あ る。 む しろ、 様々 な点で宗教 を除い て
考
えるのが 困難である とされて い る。一
方
、 近代
の 西 洋 医学は 、 欧米キ リス ト教 社 会で発 達 した が 、 こ こ では宗 教を、 科 学や 政治
な どか ら区別 する方 向に進ん で き た。 影響は否 定で きない もの の、厳密
な区別が志 向されて きた。そ うし た隔た りがあるもの の 、
WHO
執
行 理 事 会で の 議 論で は、宗
教の 内 容や 立場が大 きな対立点と は な らず、 健康観の多
様 性が確
認さ れ尊
重さ れ る 方向
に落ち着
き、 そ れ に応じた健 康 政 策の努 力の 必要性
が認識さ れてい る。 「spiritual 」が健康 にとっ て重 要である点に反対 は な く、執 行理事
会の 投 票に おい て は、 賛 成22
、 反対0
、 棄 権8
という結
果であっ た。賛
成 意 見 を見ると、 積 極 的 な評価
か ら、支障
は ない か ら賛
成とい う消極的 な評 価まで存
在 して い る。 信 仰 治 療の よう
な行為
の役
割につ い て の評価 も分 か れ、 「spiritual」
をWHO
な りに意 味付
け するべ きだ という
意 見 も出てい る。一方、 棄権 票には 、保
留
や 一層の 審 議 を求め る ものが あ る 。 その 中には、 social を外 面的
とし、 その 反 対に spiritUal を内面 的 とするこ とがで きる か どう
か を問う
意見や、特定宗教
へ の依存
の ような宗
教 と医療
の 混同へ の 懸 念が 払拭 で き ない という指摘
、代替 医療
の横行
による健康 被 害の危
惧 な どが あっ た。 ま た、 ア ラ ビア 語が意 図する意味
がう
ま く翻 訳 されてい ない という指
摘 もあっ た という
。 そ して、 「spiritual」 を加え た ところで、 健 康 目標 達成
の た めの施 策に変化が期待
で きない とか、 評 価 方法が ない とい う実 務 的な意見
も あっ た。な お、 日本の 代 表は、 棄
権
してい る。 日本 政府の国内向
けの コ メ ン トとし て は、平
成11 年
3
月19
日の 第6
回厚生科
学審議会
総 会の情 報 提 供 4〕の 中で 、「「
健康』
の 確 保におい て生 きてい る意 味 ・生 きがい な どの 追求
が 重 要」
「人 間の 尊厳の 確 保やQuality
ofLife
(生 活の 質)を考 えるた め に必要
な・ 本 質的 な もの で あ る とい う意 見」 「健 康の定義
の 変 更は基 本 的な問 題で あ るの で、 もっ と議論 が必 要で は ない か との意 見」 な ど と、WHO
で の 議 論の背 景が説明
さ れて い るが、態度
は明確
に されてお らず、宗
教 と医療の 混 同の問題 に も (391
)智山学 報第五十六輯
触
れ られてはい ない 。執行
理事会
で採 択さ れたこ とに より
、 総会
に は提案
さ れ た が、 総会で の審 議は見 送 られ、 実質
的な議
論は されて い ない 。 これは、 内容につ い ての積極
的 な反 対とい うよ り、 他の 重 要案
件 との 関係
か らの 実務上 の見 送 りだっ た と されてい る。これ に対 し、 spiritual
dimension
ofhealth
を2000
年
まで に確
立 すべ きだ と1984 年
の37
回総 会で 唱えられてい るこ と を踏ま え、 審 議 を見 送るべ きで は ない と という
主 張 もあっ た。 その重要性を認めつ つ も、 spiritualdimensio
皿 は 宗教 を超越 した もの と さ れるべ きであ り、宗 教の 混 同 を避ける議 論が不十分 で あ る という
主張や、 既 存の 定義の 意義 を積極
的に認め る意見 もあっ た。この 時、 日本の
代表
は、審議見送 り
を主張
してい る。5)「
ス ピリチュ ア ル」
の問 題点
我が国の 当局は、 厂spiritUal 」 をめ ぐる
WHO
の 健康
の定義
改正 には慎 重 な 立場 をとっ てい る。 これ は、 昨今
の我 が 国の 「ス ピリチ ュ ア ル」
ブ ームか ら は距 離が ある よ うだ。 当 局の 立場
の 是非
は と もか く、WHO
で の 議論
の中
で 問題 視 さ れ た点
は、「
ス ピ リチ ュ ア ル 」ブ ーム の 問題 点 と重 なる ものが多
い 。中
で も、言葉
の曖昧
さ、 代替
医療 との関連、宗
教 との混 同
の問
題は、我
が 国 の 「ス ピ リチュ ア ル」
にもみ られ る。「spiritual
」
という
言葉は瞹 昧で、 明確 な定 義が 困難で あ り、 共通 理解が難 しい 点につ い ては 、WHO
で の議 論 自身が、 ア ラ ビ ア語 との関係で、 そ れ を 認めてい る。 と はいう
もの の、WHO
での 議論
は、少
な くとも医 療 従 事 者や 関連 する職種 に とっ て の「
spiritual」
の イメ ー ジの軸 を作る こ と につ なが っ て い る。 こ の こ とで 、 そ れ 以前
か ら取 り上 げられ て きた 「spiritual 」 と は一 線 を画すこ とがで きる よう
になっ てい る。我が国で は、
終 末
期 医療の現 場での 問題 意識 か ら生ま れ た 「ス ピ リチュ ァ ル」
概 念が存 在 し、 厂ス ピ リチ ュ アル ・ケア」で ある と か、「
ス ピ リ チ ュ ア ル ・ペ イ ン」 とい う言葉が しば し ば用い られる。 この 概 念 も、WHO
で の 議「ス ピ リチ ュ ア ル」へ の仏 教に よ る取 り組み の不安 定さ (竹 内) 論に関 連 して用い られて い るこ と になっ た。
我 が 国の 医
療
従事 者に とっ て、 「ス ピ リチ ュ ア ル 」は、 以前に比べ れ ば ポ ピュ ラー な もの に なっ て きてい る が、 定着 したもの とは言い 難い 。多
くの臨
床 現 場は、 当局の判 断以 上 に、慎重 な 立場が強い 。科学
的 な身体
的 医療に精 一杯
で、医療
にお ける基本
的 な人 間 関係の確立 も ま ま な らず、「ス ピ リチ ュ ア ル」
どこ ろ で は ない という事情
もある。終 末
期 医療の 現 場で も、 「ス ピ リ チ ュ アル」
に対 す
る温度
差があり
、 まして、宗
教 的 要素 をふ くむ活動につ い ての 評価は、 両極 端に広が っ て い る。今 後、 「spiritual」に対 する介 入 方 法が 、 医学 的に指 標 化さ れ る よ
う
なこ と が あ れ ば、 研究 成果 をともなっ て、 広 く受 入れ られ るか もしれ ない 。 その た め に は 、 まず、 用語と して意 味を 限定 的に しな くて はならない だろ う。 とこ ろが、 こ こ に問題 が ある。 意 味が限定
的に なっ た瞬
間か ら、WHO
で問題に なっ たよう
な「
spiritual」
の 意義
が損 なわ れてい くおそ れが ある。特
に、健
康の一要素に過 ぎ ない という
扱い を受け か ねず、 あらゆ る 「spiritual」な問 題が 限定さ れ た定 義の中の問題と して閉じ込め られ、 医療が独 占的に扱 うよ うな対 象へ と矮 小化 さ れて し まう
お そ れ が あ る。加
えて、 我が国で は、 日本 的 な 「ス ピ リチ ュ アル 」の確
固た る定 義が め ざ さ れるか もしれ ない が、 専門家に よ る定義 作 業が自
己 目 的 化 し、WHO
の 問 題意
識か らも、 現場
の実情
か らも乖 離 して しま うお そ れを は らんでい る。また、 代 替 医 療を取 り入れ る上で は、
「
spiritual」 を受 入 れて、 取 り組 む必 要性
が あっ た が、 その ことが、 「spiritual」 と結びつ く代 替 医療
に効
果が あ る という
こ とや、 正当性
が あ る という
こ とを意 味 しない とい う点には、 あ ま り注
意が払われてい ない の で はない か と思 わ れ る。「
spiritual」は、 有 害 な行 為 や、何
の効果
もな く時 間の 浪 費する行為に対 する免罪符
に はなり
え ない 。 特 に、 比較 的豊 か な状 況にある我が国に お い て、 「ス ピリチ ュ ア ル」
という
言 葉が 、 合理的な判 断を停 止 させ る呪 文になるおそれ が あるこ とに注 意 しな く て は な らない 。 で た らめで悪徳な治療法
が横 行 する温床
に なる可能性
を持っ て い る。 ま た、 迷 信 を固定 化 して し ま うお そ れ もあ る。 (393
)智山学報 第五 十 六輯
一
方
で 、「
ス ピ リ チュ アル」
志向
の挑 戦
が、既存
の医療
の限界突破
に寄与
してい る点は さ らに評価
すべ きで ある。 既存
の医学の常 識による束縛
か らの 解放に な り、 新技 術の導
入 や シス テム構 築につ ながる。 主流である西 洋 医学 の現場
に おい て も効
果は あ り、 かつ て は歓 迎 され ることが な かっ た緩和
治療
が定 着 しつ つ あ り、在宅の 終 末期ケアも最近の試み と して注 目 されてい るが 、 いず
れ も、 「ス ピ リ チ ュ アル 」は動機や根 拠 になっ てい る。宗教
との混 同
につ い て は、 それ を避け
よう
という努力
が 随所
に見
られるが、完壁
に区別
でき
る か どう
か は、決着
して い ない 。WHO
で の議論
でも
、 そ こ に苦 労 してい て、 spiritia1dimension
が、 宗 教 を超 越 して い る と位 置づ ける こ と な どが提 案 されて い る。 用語の 瞹 昧さもあ り、 その 意図する とこ ろ を直ち に 了解 する ことは難 しい ように 思 わ れ るが、 特 定の 宗 教や宗 教 者に よ る執 拗 な介
入や横暴
を防 ぐ
必要性
は容易
に了解
さ れ る。 我 が 国で も、 医療に対 する意欲 が 強い 宗 教 者は多い 。 しか し、 この こと自 体が、 一般の 医療 従 事 者や患者の 意 識か ら ズ レ て い る とこ ろ で ある 。 一般に、宗
教者、 と りわ け仏教僧へ の 期待
は少な く、 む し ろ 忌避 感 さえあ る。 厂ス ピ リチュ ア ル」
を追い 風に拙 速に取 り組むべ きでな く、充分 な配慮
が必要で あり
、 忍 耐 強い 地道 な活 動が必要で あると思わ れる。なお、 蛇 足になる が 、 「ス ピ リチ ュ ア ル」 につ い て は 、
真
剣 な取 り
組み が ある一方
で、 かつ て の 心 霊ブ ーム や オ カル トブ ーム と変
わ らない よう
な ブ ー ム が巷に起 きて い る。「
癒 し」
に関連
させ る ことで安易
に納得
して しまい が ちだ が、 浅 薄で表 面 的であるば か りか、 好 ま し くない 影響 を もた らすような ブ ーム に なっ て い る とい う危 惧を感じる。我
が国
に お け る仏教 実践
との関連
WHO
で議 論 された 「spiritUal」に して も、 我が国の「
ス ピ リチ ュ アル」
に して も、 言 葉の 曖昧
さ、代替
医療
との 関連、宗
教との 混 同の 問題という
、 す で に指 摘さ れて い る問題点
は 仏 教 に とっ て も問題になるだろ う。 た だ、 我が国で は 、仏 教を代 替 医療の枠 組み で捉 える こ とは一般 的で は な「ス ピ リ チュ アル」へ の仏 教に よ る取 り組みの不安定さ (竹内) い ことか ら、 そこへ の 配 慮は最 小 限で よく、 仏 教の
実
践と しては、 西洋
近 代 医学を基 礎 と し た 医療シス テムの 中で、 西洋 医学の 行 き詰 ま りや、 こ れ まで 軽 視 して きた点を克服 する よう
な活動
が主に なる と思わ れる。また、 宗 教 との 混 同へ の 配慮 につ い て は、 そ れ を避 ける た め に導 入され た spiritual
dimension
という
概 念が、 仏 教を超越 して い る と さ れ る点
を問
題にす
る と、 直 ちに受
け入れ るの は難しい か もしれ ない 。 しか し、 実践 に限れ ば、 謙虚で 寛容な 心構
え を持
て ば解
決で きる こ と か もしれ ない 。我が 国の 医療 現場で は仏 教僧が忌避 されて い る点 も、 活 動の あ り方や既 存 の
仕組
みへ の執着
を克服 する こ とで、 将 来は 、 仏教僧
にも医療
現場に おい て 一定の役 割 を担う
こ とが充 分に期待
で きる と思わ れ る 。結 局、 問題 とし て深刻 なのは、 言
葉
の 曖昧
さで ある。 これ は、 仏 教に とっ て、「
spiritual」や 「ス ピ リチ ュ ア ル」を どの ように捉 える か と言う
難 しい 問 題に立 ち戻っ て し まう
。 単に、 和 訳 をどうすればい い か とい うこ とでは ない 。とこ ろ で 、高野山 大学にス ピ リ チュ アル ・ケ ア 学科が 設 置 さ れ た。 「ス ピ リチュ ア ル 」とい
う
概念
を どの よう
に展
開す
るか という
点で は未知な部 分が多
い が、実践面
か ら、「
ケ ア」 を 中心に展 開 され るの で は ない か と注 目さ れ る。同学 科 客 員 教 授で岐 阜 県 千 光
寺住
職 の 大下大 圓は、 そ の 著 書6 )で 、WHO
での 議 論 を尊重 し た 上で、 日本の研 究者の様々 な 日本語訳の 試みをふ まえつ つ 、 あ えて、 訳語
を用 いず
、 カ タ カナで、 「ス ピ リ チ ュ ア ル ・ケア」 と して い る。 その 上で 、 仏教
とス ピ リチ ュ ア ル ・ケ ア の 関係につ い て論 じてい る。視野 を広 げて み れ ば、
WHO
の議論
は唯 一 の もの で も統一 された もの で も なく
、様
々 な立場か らの定義
や意義付
けが さ れて きた。 これにつ い ては、 人 体 科 学会
によっ て『
科 学
とス ピ リチ ュ ア リ テ ィ の 時 代 』7>の 中で ま とめ られ て い る。 名詞 化さ れ た 「ス ピリチュ ア リテ ィ」と して まとめ られ た もの で は ある が、多様
な展
開がなされて き たこ とが わ か る。同書で、 カ ール ・ベ ッ カ ーは 、 「ス ピ リチ ュ アル ・ニ ー ズ
」
とい う形 容 詞 に戻
し た形で取 り上げて い る8) 。 この取
り上 げ方は とて も重要
で ある と思わ (395
)智 山学 報 第五十六輯 れ る。 大 下 も 「ス ピ リチ ュ アル ・ニ ーズ」に言 及して い るが、 形 容 詞として 用い ることを意識 する こと は、 「ス ピ リ チュ ア ル」 を単 独で 問
う
こ と よ りも有意義
であ
る と思わ れ る。「ス ピ リチュ アル ・ケア」 にせ よ、 「ス ピ リチュ ア ル ・ニ ー ズ
」
にせ よ 、 「ケア」や「
ニ ー ズ」は 、 実践
に直結
して具体 的
で あ る。 一方
で 、修
飾 する 「ス ピ リ チ ュ ア ル」
の 中身を突 き詰め る の は容 易 な事 と は思われ ない 。 「ケ ア」や 「ニ ーズ」は具体 的 な対象 と して残 る とし て も、 「spiritUal 」や 「ス ピ リチ ュ ア ル」には、 どう
して も決着
がつ か ない ので はない だろう
か。 まして、名
詞化
された「
ス ピ リチ ュ ア リティ」
の中身
を了解す
るの は簡単
なこ とで は ない 。 実 践の対 象か らの発 想「spiritual
」
や「
ス ピ リチ ュ アル」
を肯定す
る立場では、 こ れ が宗
教を超 越 した次 元にあるという
前 提で考 えてい る こ とが多
い 。 それで もその言葉
を受
け取る側の宗
教の 立場 を無 視 する事 はで きない し、 個々 の宗
教の側か ら見
て、 そ もそ も、 spirit を どの よう
に捉
える か に よっ て態度
が異
な り、抵抗 感
が生 ま れ る余
地 は残
っ て し まう
。 結局、 宗 教に意 図せ ざ る寛 容や忍 耐を、 強い 続 ける だけで 、 その よう
な超越では、 問題の解 決に は ならない 。 とこ ろが、 「ス ピ リ チ ュ ア ル」 を単独に取 り出 して、 その 中 身 を無 理に見 極めた り、宗
教との関係
を整理 しよう
な どとし なけれ ば 、実
は 、問題は直 ち に解
決 して しまう
。「
ス ピ リチュ アル ・ニ ー ズ」
という
課 題は、 「ス ピ リチュ ア ル」
が どう
で あろう
とも存
在 する 「ニ ー ズ」で ある。 これ は 、「
ス ピ リ チ ュ ア ル」
へ の抵 抗 感が あっ た と して も 、 重 要さ に変わ りが な く、 そ れ に対 する実践 を 「ス ピ リチュ ア ル ・ケア」
と位
置付
けるこ とがで きる。「ス ピ リチ ュ ア ル 」で 語 ら れ る もの を想 定 し、 拘 泥 して しま
う
と問題は複 雑 に な る が、 「spiritual」や 「ス ピ リチ ュ ア ル」
を「
ケ ア」
や厂
ニ ー ズ」
と い っ た言 葉に結びつ けるこ とに よっ て了解
し意 識す
る 限り
、 迷路
を さ ま よう
こ とはない 。「
spiritual」
や「
ス ピ リチュ ア ル」
の捉 え方 とい う問 題 を切 り離
「ス ピ リ チュ アル」へ の仏教に よ る取 り組みの不安定さ (竹内) し、
「
ケア」
や「
ニ ー ズ」へ の 実践 だけ を取 り出 して評価 する こ とで 、 「spiri − tual」や 「ス ピリ チュ ア ル 」で語 られて きた 問 題 に 対する実践 を評 価 する こ とが可 能である。 こ れ は仏 教の 枠 組み か らの実
践を試
み たと して も評
価 して い くこ とが 可 能 だと思われる。 おわりに現在の
WHO
の 健 康の 定義は、physical
, 皿 ental and social well−
being
であ る。当
初、 こ こには spiritual が加わっ てい たが、 マ ル クス 主義 陣営の 反対 によ り実
現 し な かっ た という経緯
が ある という
。 反対の意 図は と もか く、spiritua1 とい う言葉は多 様に解釈
する こ とが 可能
で あ り、 国際機
関の 施 策の 目標 とし て は、 都 合が よい 面 もあれ ば、 悪い 面 もある。 我が 国で 広 く用い られてい る 「ス ピ リ チ ュ ア ル」 とい う言 葉も、 一般 に は 、WHO
の議
論 を踏
まえてい る よう
である が、多
義 的で ある。 心 霊ブ ー ム や オ カ ル トブーム に類 する 「ス ピ リチュ アル 」ブーム の 「ス ピ リ チュ アル 」は も ちろ ん、 た とえWHO
の 議論 を踏 ま えた もの で あっ て も、 曖 昧 さ を否定す
る こと はで き ない 。 その曖昧
さ は重要
な価値
で もある。 しか し、 今 後 もその ま ま放 置 され ると は 限 らない 。今 後、 分 析の対 象 と して取 り上げられ、 健 康の た めの 施 策 として 展 開 さ れ るようになる につ れ 、確 固と した ものに なっ て い く可能性が あ る。 その 結果 、 どの よ
う
な立場
の宗
教 にとっ て も、 取 り組み やすい もの になっ て い く可能性 がある。 ただ、 その際
、曖昧
に放置
されて い る時に は含 まれてい た ような 内容
までが、 切 り捨て られる可 能性 を覚悟
してお か なく
ては な ら ない だろう
。もともと は、 科 学 を超 越 した神 聖 視の 対
象
で あっ た。 し か し、定義
の明確
化 と、 そ れ にと も なう
切 り捨て に よ り、 神聖視で きない 対 象に変わ り果て て しま う可 能性がある。 近代の 西洋 医学に 欠 落 してい る点 を補 うとい う期 待を背負
っ てい る はず
なの に、科 学に飲み 込 ま れて しまう
の で は ない か と危 惧さ れ る。 (397
)智山学報第五 十 六輯 ま と め 「ス ピ リチ ュ アル」 あ りきの前提 が まか り通っ て い る。
WHO
の健 康の 定義改
正の議論
を通
じて共
通理解
がう
まれ てい る が、問
題点 も多
い 。「
ス ピ リ チュ ア ル 」 自体 が曖 昧である。 宗 教 との 混 同 を避 ける こ とが 目指 され、 超 越 した次元にある という
が、 どの よう
な立場か ら も受 け入れ やす
い とは限 ら な い 。 その 一方
で 、「
ス ピ リ チュ アル」
に 形容
さ れ る臨床
的な問 題は、 具 体 的 に存在
してい て、 そ こ に取 り組む こ と は評価
すべ きで ある。今
後、 「ス ピリ チ ュ アル」
の定義
が 固 まっ てい く可 能性が ある もの の、 その結 果、 全て の宗
教に とっ て も取 り
組み やす
い もの になるか もしれない が、肝
心 な部分
が失
わ れてい く可能性
がある。 注 1) 平成 18 年 3 月、 栃 木 県益 子 町西 明寺住 職で あ り、 医師と し て普門 院診療所長で ある田中雅博師を訪 問する福田亮成教授一行に同行する機 会 を筆 者は得た。 そ の折、 田中師と福田教 授お よ び一行との 間で な さ れ た 「ス ピ リ チ ュ アル ・ケア の ス ピ リチ ュ ァ ル と は何ぞ や ?」 とい う議論が本稿執筆の きっ かけで ある。 ス ピ リチ ュ ア ルの邦訳 ない し漢訳 を検 討 し た が、 その折に は、 結論を み な か っ た。 2) WHO の健康の定義に関する部分は、 「spiritual」 と し、 昨今の 我が国の ブーム的 状 況につ い ては、 「ス ピ リチ ュ アル」と表 記 する。 なお 、 WHO の健 康の 定 義につ い て は、 spirituality とい う名詞で示さ れ る何かにつ い て の議 論で は ない 。 また、 日本 語で も、 「ス ピ リ チュ ア ル ・ケア」で ある と か、 「ス ピ リ チ ュ ア ル ・ペ イ ン」 とい う形で登場 する頻度が 高い 。 そうした点 を考 慮し、 形容詞を括 弧で く
くっ て表 記 し、 「spiritual 」「ス ピ リチュ アル」と して論 じた。 3) 臼田寛、 玉城英 彦 :WHO 憲章の健康 定義が改正に至ら な かっ た経緯 日本公衆
衛生雑誌
第 47 巻
第 12 号
pp
lOl3− 1017平 成 12 年 4)
http
:1fwww
1.mhlw .go .jp
/houdou/llO3!h 0319 − 1_6 .html (平 成 18 年 9 月 28 日現 在)5
) 総会での可決に は3
分の2
の賛成が 必要で 、し か も、各国に よ る 批准が進ま な い 限り発 効しない。6
) 大 下大 圓 「癒 し癒 されるス ピ リチュ アル ケ ア』 医学 書 院 平 成17
年)
7
)8
「ス ピ リ チュ ア ル」へ の仏教に よ る取 り組みの不安定さ (竹 内) 湯浅 泰雄 、 春木豊、田中朱 美監修 入体 科 学 会 企 画 :『科 学 とス ピ リチ ュ ア リ テ ィ の 時代 」ビン グ ・ネッ ト ・プレス 平成 17 年 カール ・ベ ッ カー :死 とス ピ リチュ ア ル ・ニ ーズ In 湯 浅泰 雄 、春 木 豊、田 中朱美 監修人体科 学 会企 画 :『科学 とス ピ リチ ュ ア リテ ィの 時代 』pp
57
−64
ビング ・ネッ ト・プ レス 平成 17 年 〈キーワー ド〉ス ピ リ チュ ア ル、 健康の定 義、 世界 保 健機 関 (WHO )、 宗教 、 日本の仏 教、
Spiritual
,Definition
ofHealth
,World
Health
Organization
(WHO
),Religion, Japanese Buddhism