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読む─その主題をめぐって─(下)

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読む─その主題をめぐって─(下)

著者 鈴木 義久

雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー

ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru

巻 12

号 1

ページ 55‑74

発行年 2018‑03‑25

その他のタイトル The theme of Herman Melville's The Confidence‑Man (Part 2) 

URL http://hdl.handle.net/10723/00003372

(2)

 次の 36 章は,退出するチャーリーと入れ替わ るように見知らぬ男が世界主義者に近づき,また 彼と会うのは止めておきなさい,と忠告する場面 から始まる。

 それは「青い目の,砂色の髪をした英国人風の 男」(190)(1)だった。45 歳ほどの長身で,堅苦し さを別にすれば,かなり均整の取れた体型をし,

上流社会に適している感触は少々あるものの,あ る種の農夫的な威厳のある,ピューリタン的な飾 り気のない礼儀正しい顔つきをしていた。語り手 はこの人物描写の最後に,「何か抜け目のなさと 神話性のようなものをごた混ぜにし」,「ヤンキー の小売商と韃靼人の僧侶を合わせた」ような人物 だが,「いざという時は後者が十中八九前者の後 塵を拝することはなかろうが」(191)と,付け加 えている。つまり,最終的に打算が行動の目安と なるような人物だろうと指摘しているのだ。

 紳士然としたこの人物と世界主義者の会話は,

チャーリーと再会するのを止めた方がよいという 前者の忠告の真意をめぐって後者の世界主義者が 問い質そうとする合間に,作者はこの本題になか なか入らせようとはせず,他のいくつかの話題を めぐって二人の間で議論を戦わせている。この人 物からの忠告の理由が語られるのを,読者は二人 の別れる間際まで待たねばならぬ。

 世界主義者はこの忠告者に,とりあえずチャー

リーに対して「さらなる好ましくないことをほの めかしたいなら」,チャーリーの暖めた席に座っ て「その心地よい暖かさ」で暖を取り,「その心 地よいもてなしの心」を享受することを勧める。

 世界主義者のこの「気の利いた言い回し」に興 を覚えたこの人物は,相手のカラフルな服装を見 て,「美しい魂の持ち主」には「愛と真」も備わっ ていると褒めると,世界主義者は「美は基本的に は悪と相容れ得ないもので」,「自分はちょっと変 わっていて,美しい生き物であるガラガラヘビの 隠れた優しさを信頼している」と小声で言葉を返 したあと,「体を曲げ,首を伸ばして」転じた話 題の蛇に成り切ったかのようになる。

 それを見た相手は,「蛇の美に魅せられたら,

蛇に成り変わって」,牙で人を「殺して」みたく ないか,つまり,「知と良心を免除され,完全に 本能的で,無節操で,責任を問われぬ生き物の,

気楽で楽しい生を享受してみたいと望まないか ね」(192)と尋ねる。望まぬと返答する世界主義 者はその理由を,もしそうなれば,自分は「人に 恐れられ,孤独で惨めになるでしょうからな」と 語ると,相手は,蛇の奏でるガラガラという「う つろな音のために」人に恐れられるのであり,「そ の造りから他にとって敵である生き物は何であ れ,自然は実質上それを」,「毒薬」と「分類し」,

それに噛まれて死んでも「それは自分の過ちとな る」。聖書外典に,「蛇使いが蛇に噛まれ,誰が同 情するだろうか」(シラ書[集会の書]12:13)

─その主題をめぐって─(下)

鈴 木 義 久

(3)

とあるではないか,と応ずる。これに世界主義者 が「彼に同情する」と返答すると,相手は「自然 が無慈悲な場合に人が哀れむのは,少し厚かまし いとは思わないか」と言う。

 これに対して世界主義者は,決疑論者はどうあ れ,「哀れみを決めるのは心で,自らのためにで すからね」,「あなたはわたしに不安な気持ちにさ せましたね」と言って,その理由を「まっとうな 信頼を育むのに適した宇宙観からすれば」,「(万 物が正しく支配されているので)それほど多くの 生き物が[自分の行為に対して]何とかして説明 責任を負わなければならないというわけではない からです」と語る。

 すると,相手は「ガラガラヘビは説明責任を負 うのか」(193)と尋ねてきたので,世界主義者は,

「肯定」も「否定」もできないが,説明責任が「あ ると仮定するにしても」,われわれにも,「民訴裁 判所にもなく,より上の存在にあると口に出して 言う必要はない」と慎重に返答し,さらに,「ガ ラガラヘビの説明義務はもともと明白だというわ けではないですが,人間の説明義務に対しても大 いに同様のことが主張されませんか」と述べる。

 そして相手が言葉を挟もうとすると,それを 遮って世界主義者は「ガラガラヘビに害を与える 能力が備わっているのを考慮に入れれば(注意し て欲しいが,自分は蛇が害を与えることを咎めて いるのではなく,その力が有ると言っているので す),その事実が,人には法的な大義なしには同 胞を殺めることが禁じられている一方で,ガラガ ラヘビにはその気まぐれな立腹対象のどんな生き 物―人を含む―でも殺める暗黙の許可があると主 張する,まったくの不釣り合いの宇宙観だと認め ることを,十分避けられましょう」と述べたあと,

いやいや「熱中のあまり不意に引き込まれてしま いました。悔やまれるなぁ」と言って,再び相手

に席とワインを勧める。

 すると相手は,「知に対する熱意から,貧者の 食卓からでさえ知の最小片でも自分の物としよう としないのを潔しとしない者のそれであるかのよ うに,わざとらしく謙ったように」,「君の提案は 初めて聞くものだね」と言って,さらにガラガラ ヘビの話題を続けようとする。

 だが世界主義者はその言葉を遮り,もうその話 題は勘弁してもらい,着座してワインを手にする よう,もう一度頼む。

 すると相手は,「そのもてなしの心」をよしと しているが,ワインに関しては酒を嗜まない理由 からと断る。そこで,世界主義者は給仕を呼び止 め,氷を入れて冷やした水を頼み,やっとチャー リーと再会するのを止める方がよいという先の忠 告の真意を尋ねる。

 その返答は,「君の何かがわたしにいま,君の 詐欺師の友人がどのような隠された企みを君に抱 いていたにせよ,今のところは達せられていない と考えさせるのだ」(194)というもので,再開す れば詐欺に遭うことになるから,もう会うのは止 めろと助言したというわけである。さらに,「彼

[チャーリー]に付いているラベルを読みたまえ」

と付言までしている。

 この返答の付言から,この時─そして別れる時 まで─,この忠告者は眼前の世界主義者に張り付 いている〈詐欺師〉というラベルはまったく見え ていないことが明白となり,この点と,これまで の会話の中の出てくる話題に対する理解の容易で ない応答内容,また,世界主義者からこのあと 指摘される持論に「一貫性がない」点と,さら に,この人物自身が「一貫性」がないのが自然界 では自然であると説明する際に用いる「たとえ」

(“analogy”)などを考え合わせると,当初,一見 深遠な神秘主義者に写ったこの人物は実は似非哲

(4)

人だという,作家から読者への示唆であろう。

 頼んだ氷入りの水が運ばれてきて,この忠告者 が一気に飲み干すと気分が一新されたたようで,

また「霊魂の輪廻」(196)の話をし始めたあとで,

自分は「何よりも明快さを好み,そのことを留意 してもらわないと,満足のゆく会話はできにくい」

などとうそぶく。これに対して,世界主義者は「迷 路から脱出する最善の方法は来た道を引き返すこ とです」と言って,またもやチャーリーとの再会 を制止する忠告の根拠を尋ねている。彼からすれ ば,すでにチャーリーが「詐欺師」だからという 理由は聞いたものの,忠告者のこの判断の根拠を 知りたくなるのは当然であろう。世界主義者の執 拗さは,彼自身が詐欺師であり,忠告者の発した

「詐欺師」という用語の出処いかんでは,狭い船 内で自らの正体も明らかになってしまうことへの 恐れの表れなのである。

 これに対して相手は,衒学的な態度で古代エジ プト人の話を持ち込んだりしようとするが,忠告 の決定的な理由が語られるかも知れない矢先に,

今度は,その邪魔するかのように「痩せ衰えた,

何かに触発されたような」(197),「頭のおかしい 物乞い」の男が現れ,二人に「狂詩曲的な小冊子 を行商する体で施しを求めてくる」。

 読者は,この忠告者自身の掲げる「明快」さを 欠く会話内容の連続に加え,こうも忠告の根拠の 説明を延期され中断され続けると,当然,イライ ラが募り,今度は語り手ならぬ作者の意図に疑い を挟みたくなる。

 ただここで,作者は世界主義者に小冊子をざっ と見たあと1シリングで購入させる一方,この人 物には冷たく拒絶させて売り手の男の「自尊心を 傷つけて憤慨させ」てその場から立ち退かせ,「わ しは決して悪党の支援はしないぞ」と,人を外観 で判断して「レッテル」貼りをし,その中身を探

ろうともさせていないところを見ると,あくまで 詐欺師の仮の姿としての世界主義者ではあるが,

彼とは対比的に,この人物のどこか人間味に欠け る,似非哲人としての姿を読者に呈示しようとす る狙いは読み取れる。

 その直後,衒学的な態度でなかなか望みを叶え てくれないこの人物に対して世界主義者は,「こ れが最後です」(198)と断ってもう一度,この人 物に先ほどの忠告の根拠を「簡潔に,英語で」と 条件を付けて問い直す。するとついに,「なぜな ら彼[チャーリー]は,こうした船上で―いわゆ る―ミシシッピ詐欺師として知られる人物だと疑 われるからだ」,「初めて訪れたわたしにどうして もこの西部の地の新奇さの手ほどきをしたいと望 む人に,彼がその当該者だと指摘されたような人 物だ,ということだ」と答えてくれる。読者から すれば,似非哲人的なこの忠告者の当初のチャー リーの本性への指摘は意外であり,その唯一のま ともな眼力が示されたような忠告に思えないこと もなかったが,結局,忠告者の当てずっぽうに過 ぎず,自身にも詐欺師だという決定的な根拠を持 ち合わせてないことが判明する。

 作品の第 25 章~ 35 章に登場しているチャー リーの言動を顧みると(2),確かに世界主義者と酒 を酌み交わそうという割には何か酔い自体を警戒 するかのようにほとんど飲もうとしなかった点 や,自身に都合が悪い時を除き,終始,いやに迎 合的だった点など,その人物に怪しいものが感じ られるが,チャーリーが本当に詐欺師なのかとい う疑いは,作品の最後まで二度と姿を現さないの で,晴らされることはない。世界主義者は忠告を 与えられる前にすでに,自身のチャーリーとの対 話からその怪しさを感じていたことは作品第 35 章までの粗筋で指摘しておいたが,世界主義者自 身も,チャーリーが詐欺師だという忠告者の判断

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に確たる根拠がないことを知ったいま,当然なが ら,その判断を容易に肯ずるわけもない。

 そして,世界主義者がもう「話題を変えましょ う」(199)と提案するところで,物語は次の第 37 章に入ってゆく。

 世界主義者の提案を受けてこの忠告者は,つい でに話し相手も変えようと応じ,ちょうど甲板で 体を反転させてこちらに歩いて戻ってくる人物 に,「エグバート」と声をかけて呼び寄せ,この 人物を世界主義者に,自分「マーク・ニューサム の指針を実践してくれる最初の弟子だ」と紹介 し,その弟子に世界主義者のことを「お初にお目 に掛かる人だ」と紹介する。さらに,「おまえな ら」自分の哲学に対するこの人の「好奇心が満た されないままに放置することはなかろう」,「わた し自身の説明よりおまえの実践でわたしの哲学が より理解できよう。実際,わたしが自らを最もよ く理解できるのは,おまえの存在によってだから な。( 中略 ) おまえを認める者はわたしの哲学を 認める者だ」と,二人の関係を説明している。

 それを受けて世界主義者はこのニューサムと やっと名乗った忠告者に,「あなたはある種の哲 学を語っており,それも多少は難解かも知れない が,実生活との関係を暗示している。どうか教え てください,その哲学を学ぶと世界での経験の場 合と同様,人格形成に役立ちますかね」(200)と 問う。

 するとニューサムは,「役立つね。それこそ,

それが真理であるかどうかの試金石なのだ。とい うのも,実践中に世の通例と矛盾し,それと相反 する特徴を呈することにつながるどんな哲学も,

必然的に単なるごまかしか,夢にすぎないに違い ないからだよ」と答え,「神秘は朝にも夜にも存 在し,神秘の美はいずれの場所にもある。しかし それでも,口と財布は満たされていなければなら

ないという明らかな真理のままだ。自分は決して 一つのことに拘らない。(中略)実用的な知識を 持ち,世慣れているのだ」(201)と付け加えている。

 この人物は別れ際に,残してゆく弟子を「うま くやっている若き商人で,実践的な詩人でもある」

と褒め言葉を添え,去って行く。

 次の第 38 章は,弟子のエグバートと世界主義 者の対話となる。

 この弟子は師が自分の許を離れると,くつろい で自分を取り戻したかのようになる。語り手はす かさずその外観を読者に伝える。年齢は 30 ぐら いの「中性の顔立ちで」,「落ちついている時は魅 力的でもないし,嫌な感じでもなかった。どのよ うな感じになるのかもまったく定かでないように 思われた」。服装は「こざっぱりとし」ており,「オ リジナリティに欠けると咎められない程度の着 方」をしており,「師の服装に合わせたように思 われた」が,「概して外から見る限り,いかなる 超絶主義者の弟子と勘違いするとはとても思えな い人物だったが,実際,その鋭い鼻と剃り上げた 顎はどこか,教訓として神秘主義に接することが あるとすれば,彼が本当のニューイングランド人 の特徴的な才覚で,あまりにも利益の上がらない ものを,何か利益の上がるよう活用する可能性を 示唆しているように思われた」と語られる外観は,

まさに第 37 章の冒頭で紹介される打算的な印象 のその師の外観と同類で,二人は東部からやって 来た同郷のヤンキーということなのである。もと もと詐欺師の世界主義者も,物語の第 1 章で紹介 されているお尋ね者のポスターにあるように「東 部」(9)からやってきたと思しき同類だとすれ ば,この師弟の気質は自然と理解していることに なり,「超絶主義」のことも本当はよく知ってい るのかも知れない。

 この弟子から「師をどう思うか,卓越した人物

(6)

じゃないかね」と尋ねられ,世界主義者はそれに 直答せず,「その哲学をもっと知りたい,今はほ のめかし程度しか知らないからね」(202),と第 一弟子として師の哲学を「説き明かして」欲しい と頼む。ただし「その第一原理」といったものは,

これまでのところ「いくつかの話から,多かれ少 なかれ曖昧だと思われた」ので,「実生活上のよ くある事例を想定させてもらって,想定がなされ たら,その事例でのきみの振る舞い方を教えて欲 しい」と条件を付ける。

 世界主義者は,「昔からの親友同士のお金の貸 し借り」のケースを挙げ,「その内の一方が初め て金に困って,初めてもう一方からお金の融資を 求め,資産の点ではそれを聞き入れられる以上の 力があ」り,貸し主が弟子で自分が借り手と仮定 する。想像力を働かせ,できるだけこれが現実の 話だと思って欲しい,自分を「フランクと呼び,

きみをチャーリーと呼ぶよ」と告げる。弟子はこ れを受けて,世界主義者に「結構です。そちらか らどうぞ」と応ずる。

 ここで当然,読者はなぜ作者が,弟子の師が世 界主義者に「ミシシッピ詐欺師」だから二度と会 うなと忠告を与えた,すでに舞台から退出した若 者チャーリーと同じ名を仮の友の名に充てたの か,その意図を考えさせられることになる。世界 主義者は師から忠告を与えられる前にすでに,こ のチャーリーとの対話からある程度その人物に怪 しいものを感じていたと思われることはすでに指 摘したが,これまでの師との会話から,この師に も何か怪しさを察知しており,その師の思想の体 現者としての弟子からもある程度の同質のものを 感じるのだろうと予測した上で対話に臨むつもり だったからこそ,これから始まるこの弟子との対 話上の相手の名を同じチャーリーとした可能性が 考えられる。

 次の第 39 章の題は「仮想の友」で,二人の仮 の少年時からの親友間の対話で始まる。世界主義 者扮するフランクは「ひどく困っている」ので,

親友チャーリーに「百ドル」借金を申し出て,「い かにその恩恵が一方に偏っていても,きみとぼく は非常に長い間心を分かち合ってきたので,これ も一方的だけれど,お金を融通し合うことほど友 情を示すものはないからね」(203)と当てにして いる心中を語る。するとこの親友は,「きみは以 前はそんなことは言わなかった」と言って,断る。

理由を問われると,「金は寄付するが,決して貸 したりはしない。そしてもちろん,自分をぼくの 友と呼ぶ者は,施しを受けるのを潔しとしない。

融資の交渉は商取引であ」り,「自分は友と商取 引はしない。友とは付き合い,知的刺激を受ける 存在だ」,「友情をお金の算段に貶めたりしない」,

「つまり,真の友は融資とまったく関わりがない のだ」と一端の友情論を吐く。彼にとってそもそ も「融資は,一定の担保を入れ,一定の利子を先 払いして卑劣な銀行法人から得られる薄情な用立 てだ」と言うのである。

 この自説をまったく曲げず「利息をさげす」

(204)み,親友の再三の借金の頼みを断り続ける チャーリーに,世界主義者のフランクは,ならば

「利息を付けずに融資してくれ」と頼むと,彼に「そ れでは」,利息分に限ってだが,「また施しになっ てしまおう」と返されてしまう。

 このあとチャーリーは師の友情論を引き合いに 出して,地上の便宜は知的交遊の相手である友で なく,低位の商売上の友人に頼めという趣旨のこ とを述べる。それを受けて,ついに世界主義者の フランクがチャーリーを「商売上の友人」(205)

と見なすと宣言すると,この友は「きみを喜ばす

(7)

ために,そうしよう」と言って,結局,それまで 屁理屈を並べて金を貸そうとしなかった態度を一 変させて,自分が軽蔑していた商売上の友人同士 として融資の交渉に入ろうとする。

 すると早速この友は,融資は「月 3 パーセント の利息」とし,「担保はどこだ」と尋ねる。フラ ンクは「ともに学究肌で竹馬の友であることが担 保だ」と答えると,それは「一番悪質な担保だ」,「い まは商売上の友人」であることを忘れるな,と言 われてしまう。「保証人が得られないほどひどく 困っているのだ」と応ずると,「では,資金の融 資はできないな」と断られてしまう。

 世界主義者が,それでは「友情って何なのだ,

援助と思いやりでないならば」(206)と非難する と,相手は「大人げないぞ。涙に暮れていては暗 闇の中を進めないぞ。もし理想の友情が高尚すぎ て理解できないなら,ぼくがきみに抱く偽りのな い友情にきみが値しないと思わざるを得ない」,

「再びいまの状態を繰り返すなら,きみはわれわ れの友愛の礎をひどく揺るがすことになろう」

(207)と言い放つ。

 それでも友情に免じて「助けて」融資をしてく れと再三訴える世界主義者の求めを拒絶する相手 に対して,「これはきみではない,チャーリー,

きみの発声器官を不法占有する腹話術師だ。話し ているのはチャーリーではなく,マーク・ニュー サムだ」と責めると,チャーリーは師の「声はわ たしの器官にしっくり来るな。もしあの輝かしい 師の教えが一般人の間で反応がほとんどないな ら,それは彼らが教えやすい気質でないというよ り,運悪く彼と合いやすい性格ではないからだ」

(208)と,師と自分の考えに一点の齟齬も曇りも ないことを主張する。

 そんな相手に世界主義者のフランクが「立場が 逆なら」,「ぼくは喜んできみにお金を貸すんだが

ね」と皮肉ると,チャーリーは「ぼくが融資を頼 むだって」,とんでもないと応じ,融資を受けな い方がよい話として,「チャイナ・アスターの体 験話」を語ろうと言う。それは,いやいやながら 友から融資を受け,はかない夢を追って挫折する 男の話である。

 次の第 40 章は,チャーリーの口からこの男の 悲劇が語られている。この章は作品中の第 5 番目 で最後の挿話となる。

 このチャイナ・アスターはオハイオ州マスキン ガム川河口の町マリエッタの「若いローソク屋」

だが,「その家業での収入はわずかで」(209),「家 族と生計を立ててゆくのに苦労していた」。彼に は「たまたま靴屋の友オーカスがいた」が,「そ の職業は物事の本質と直に触れることがないた め,人間理解を妨げるもの」だった。その友が「突 然,宝くじで大当たりして」,「ちょっとした金持 ち」となる。

 この友は貧しい友チャイナ・アスターの許を訪 れ,「千ドル」貸すから「ひどい獣脂」ではなく

「鯨脳油」を使ったローソクを造って売って「金 儲けをし」,「裸足で幼子がよちよち歩く姿を」見 ないで済むようにしてくれと言ってくれる。しか しチャイナ・アスターは,鍛冶屋のおじに「融資 を申し込まれたときは,断れ」といわれていると 返答して,これを断るが,友は「返金できようが,

できまいが,好きなようにしろ。しかし,とにか く心配するな,支払いを求めることは決してない からな」(210)と言ってくれる。

 結局,「この哀れなローソク屋の実直な倫理観 はたちの悪い困窮状態に屈服し」,友から「千ドル」

の「銀行小切手を受け取る」ことになる。すると 金を被せた杖をついてあちこち動き回っていた オーカスは,「ところで,意味はないのだが,こ のことの覚書を作ってはどうだろうか」と言い出

(8)

す。そこでチャイナ・アスターは,「請求あり次 第千ドルを返却する旨を記したメモ」を渡す。す るとオーカスは,今度は「請求などせぬぞ」と言っ て手にしたメモを破ったものの,ぞんざいに「期 限は 4 年だ」と言って,再び友に「4 年以内に千 ドル返却する旨のメモ」を書かせる。そして「こ のことでお前を悩ますことはしない」,「ただどん な投資をしたらよいかを考えるだけでよいのだ」

と,あたかも融資金の運用に失敗して俺に損をさ せるなよとばかり釘を刺すような言葉を残して立 ち去る。

 ひとり店に立ちつくす彼の許に,父の友であっ た二人の年長の友人が「雑談しに」立ち寄るが,

それが終わるとすぐさま,彼はオーカスの後を追 い,融資の礼を言って「小切手」を返し,「メモ」

を返してくれるよう頼む。店を訪れる二人の姿を 認めていたオーカスは,チャイナ・アスターが二 人からの助言を受けて自分に小切手を返そうと追 いすがってきたと推測して,「小切手は受け取ら ないよ」(211)と追い返そうとする。

 あの二人の年長者はお前の父を苦しめて死に至 らしめたではないかと,父のかつての友を侮辱す るオーカスの発言を受けて,「チャイナ・アスター は涙を禁じ得なかった」。それを見たこの友は,「人 生に対して明るい考え方をしたらどうか。そうで なければ決して商売や他のどんなことでも成功し やしないぞ」,自分のように「明るく希望に満ち あふれたらどうだ。自信を持ったらどうなんだ」

(212)とまで言う。

 友とはいえ,宝くじの懸賞金を得て金持ちに なったオーカスに生き方の助言までされたチャイ ナ・アスターは,賞金を得た今のきみとぼくは「違 うかも知れないね」と言葉を返すと,この友はそ れを否定し,自分は以前と変わらずいまも「陽気」

であり,「人生を明るく見ている」ことを強調す

る。一方,賞金を得る前は心気症のたちで,まさ かの時に備えて乏しい収入から数ドルずつ蓄えて いた,「陰気な鬱ぎ屋」の名で通っていたオーカ スを知るチャイナ・アスターは呆れ返って,彼を 穴の開くほど見詰めるが,結局,チャイナ・アス ターは返却を断られ,メモも取り戻すことができ ずじまいとなる。

 友の目の前で小切手を破って融資を断ろうとそ の家に向かうが,彼は不在で仕方なく一端店に帰 り,翌日早朝に再訪して,必ず実行しようと床に 着く。ところが,夢を見たチャイナ・アスターは,

返却することができなくなってしまう。その夢に 出てきたのは「豊穣の角を片手に」,「笑みを浮か べる天使」で,「彼の上を飛び回って小金貨を降 り注」ぎ,「われは明るい未来なり」,「友のオー カスがおまえにさせようとしたことをし,とにか くその結果を見守れ」と告げ,「再び角を振って 彼にまた小金貨を注いだ」のである。

 この夢のせいで,チャイナ・アスターは小切手 の返却を思い留まり,目覚めた「その日一日中,

見た夢をあれこれ考え悩んでいた」(213)が,い つものように夕食前に父の例の友人の一人が訪れ てくれた機会をとらえて,夢の相談をする。この 相談相手はやはり返せと助言し,父のもう一人の 友も同意見だろうと言ってその友を呼びに店を出 る。だが,残念ながら見つけられずに店に戻ろう とすると,チャイナ・アスターはその友の姿を「遠 目で日頃悩まされている借金取りと勘違いしてパ ニックになり」,「店の全戸を閉めて奥に引っ込ん でしまう」。

 この過ちで店に戻ってくる年長の友の,「夢の 負の意味」への助言を得ることなく,チャイナ・

アスターは「自分で考えを巡らせ」,ついに「小 切手を現金化し,その日にこれを使って良質の鯨 蝋を購入してローソクを造り」,金儲けをしよう

(9)

と思う。ただ,「オーカスは一言も口にしていな いが,チャイナ・アスターは元金が完済するまで 6 ヶ月おきにきちんと利息を払う決心を」する。

この貸し主が利息が合法的であること念頭に置い ていたかどうかは分からないが,「見たところ,

どういうわけかその件を考えようともしないよう だった」。

 しかし,チャイナ・アスターの「鯨蝋での企て はその楽天的な期待を裏切ったが,うまく最初の 6 ヶ月の利息を支払うことができ」,「次の企ても それほどうまく行かなかったが」,家計「を切り 詰めて家族を追い詰め」(214),「息子の学費」の 用立てで何とか次の 6 ヶ月の利息を支払うが,彼 は「正直は(程度の差はあれ,その反対と同様に)

ちょっとばかり代償が要ることがあるのだな,と 心から嘆き悲し」む。

 一方,以前から脾臓を少し患っていたオーカス は,健康状態がそれほど安定していないことが分 かり,医師の助言で欧州に旅立っていた。当然,

チャイナ・アスターが利息を彼の代理人に支払っ ていることさえ知らず,「この代理人は実務的な 輩で,融資に対して定期的に支払われる利息を拒 むことはなかった」。

 だが,チヤイナ・アスターが「その点に関して 代理人を過度に困らせることは」もうなかった。

「彼の 3 度目の企ては貸倒金のためにほぼ全て失 う結果となったからで」,例の二人の父の友人は

「借金とは関わりを持たないことに関する自分た ちの助言を無視した結果について,彼に愉快なら ざる説教をするのをおろそかにしたわけでもな かった」のだが。

 意気消沈したチヤイナ・アスターだが,なんと 再び夢の中にあの天使が現れ,以前のようなお告 げをしたために,老いた友人らの与えた,「商売 をやめて負債をすべて整理し,単なる雇われ職人

として働き,よい手当をもらい」,父と同様「商 才のない」お前はそれがよいという助言とは反対 に,彼は再起を図って再び新たな企てに挑戦する。

 「オーカスがいれば」(215)その企ての資金を 借りることもできたかも知れないが,不在なので 他を捜し,ついに彼は一人の裕福な老農夫から 600 ドルを相場の利息で借りることができる。し かし,それは妻の金持ちだが病弱で子のない,な めし革業者であるおじが将来没したときに残して くれる財産を担保に借りた金で,返済不能の際に はその遺産をすべて譲渡しなければならなかっ た。

 その融資を得てチャイナ・アスターは「商売を 再開した」(216)が,ローソクの原材料をそれま での鯨蝋から元の「獣脂に戻した」。ところが,

獣脂の原価が買ったときよりも下落するととも に,製造し立てのローソクの値段も下がってしま い,思うような収益を上げられなかった。「一方,

オーカスの未払いの利息は増え」続けたが,彼は

「それよりも老農夫への利息払いの方を心配して いた」のだが,「まだ借りた元金を運用する時間 はあることに満足していた」。だが,その仕事振 りを見ようと,借り主の老農夫は毎日のように彼 の許に姿を現して悩ませ,「あの青い馬に乗った 死[ヨハネの黙示録 6:8]そのものがいまや哀 れにも彼のあとを追っている」と評された。実際,

「彼は間もなく死を免れぬ運命に見舞われること にな」る。

 そんな「重大時に」,あのオーカスの消息が伝 わってくる。その内容は,彼は帰国して密かに結 婚をし,相手の故郷でその親族に囲まれて暮らし ており,彼らに宗派の脱退者から成る半宗教的な 派に勧誘され,そのうえ,その地から「代理人に マリエッタにある資産を一部売却し,その代金を 送れと連絡してきた」(217)というものだった。

(10)

その一年もしないうちにチャイナ・アスターにも オーカスから手紙があり,「最初の 6 ヶ月の利息 の支払いを褒め,自分はあらゆる配当金で暮らす 現状を残念に思うが」,きみの「次期の利息」と「未 払の利息を当てにしている」と言ってきた。不安 を感じたチャイナ・アスターは彼の許を訪れて窮 状を訴えようと考えていると,近頃その特徴と なっている一風変わった気まぐれのおかげで,本 人が思いかけずやって来てくれる。渡りに船で到 着の知らせとともに急いで彼に会いに行くチャイ ナ・アスターは,この久しぶりの友人が「妙に赤 茶け,頬が黄ばみ」,明らかに態度が以前ほど陽 気でなく,真心がこもっていなかった」ので,彼 が以前一度ならずも,自分は欧州を旅行し,妻を めとり,内奥の本性を自由に成長させて幸せにな りたいと言明していたこととまったくかけ離れた その姿に驚いてしまう。

 そんな彼にチャイナ・アスターは自分の主張を はっきり伝えるが,「脅すわけではないが自分の 必要は差し迫っているのだ」,「お前は正直で,金 持ちの友人がいるはずだ,販売を進められない か」,「ローソクの利益はかなり大きいはずだ」と 言われ,この友にその商売の実態「を悟らせよう とした」が,「オーカスはその点でひどく鈍感で あると同時に,不思議なことだが,ひどく憂いに 沈んでいた。しまいにはオーカスはその話を逸ら し,宗教的な観点からの人間の心の変わりやすさ と不正直さへの,思いもよらない意見を述べ」る。

アスターには「その種のことにはかなり覚えがあ るので友の意見に異議は唱えなかったのは,何よ りも友としての思いやりだった」。やがて彼は「遠 慮なく立ち上がり」,「さよならを言ったが,昔の ような暖かい握手はしなかった」。

 このあと,チャイナ・アスターはこの友の変わ りようが気になり,彼のことを調べると,帰国,

結婚,入信後に「どうしたものかひどい消化不良 に陥り,ニューヨークの代理商の背信行為でかな りの財を失っていた」(218)ことが分かる。これ を父の老いた友に語って意見を求めると,オーカ スに関する情報は,特にその所属する宗教団体が その抑制的な内に籠もる体質だったため,チャイ ナ・アスターの「先々に悪しき前兆として働こう」

と言われる。

 次の利息支払日がやって来たとき,チャイナ・

アスターはオーカスには「その一部」を,騒がし い「老農夫にはその利息を,それに差し迫った他 のいくつかの負債を,ついに店を抵当に入れて借 りた金で返した」。しかし,その次の支払日には とうとう全く首が回らなくなり,代理人にそう告 げる。また,老農夫のも期限がきた時に支払いを 用意できなかったので,妻のおじが他界して残し てくれた遺産から相当分を持って行かれてしま う。「なおもまたその次のオーカスへの支払日が やって来た時,チャイナ・アスターはますます悪 くなって」おり,いまや健康も害していた。

 弱った身を引きずるように代理人の許へ行く途 中で本人に出会わして窮状を訴えると,この代理 人は,オーカスから「当座は彼をせっつかないよ うにと指示があったが,覚書の期限が来る頃には 支払うべき重い負債が残ろうが,覚書[にある金 額]はその時きっと支払われねばならず,当然な がら,未払いの利息」に加えて,未払いだった利 息にかかる利息分をも,これまでの未払いに対し ての許容への「返礼として」,支払ってもらうよ う伝えるよう指示されている,と告げられてしま う。「もちろん,これは法律ではないが,融通し 合う友の間では習わしなのだった。」

 「その代理人が別れて立ち去った直後」,ちょう ど姿を現した「父の友人らはチャイナ・アスター に出会う」が,彼は「崩れ落ちて激しく地面に頭

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を打ち,意識を失ったまま」(219)運ばれて帰宅 する。だが,「数日後,精神は彷徨ったまま,彼 の魂は誰にも気付かれることなく別世界に入り込 んで行っ」てしまう。

 彼の死後,店は抵当権者に売られ,オーカスに は一銭も懐に入らず,彼の妻はやがて彼のあとを 追っていった。残された子供たちについては,市 民たちが正直者だったアスターに敬意を払って決 議し,彼らは「成長するまで,町の賓客と見なさ れ」,「快適な施設に入れられる」ことになる。

 彼の葬られた墓の盛り土には記念碑がなかった ので,父の友人たちは「簡素な石を得て」,それ に墓碑銘を入れることになり,そのさい,チャイ ナ・アスターの空っぽの財布の中から出てきた「追 悼文」の「裏側のメモ」(220)に記されていた彼 の希望に沿うようこの文章を墓に刻むこととなっ た。ただ,あまりに長すぎるので「短縮」される。

 その内容は,〈チャイナ・アスターはソロモン の知恵に見出されるような,聖書に記された真理 を身をもって示した人物で,良識に反してその反 対の見解に耳を傾けよとの助言を排するほど身を 信頼に委ね,また楽天的になり過ぎたために滅び た〉というものだった。聖書の知恵とは「悪い歯,

よろめく足,苦難の襲うとき,欺く者を頼りにす るとき」(箴言 25:19)を指し,その意は「悩み に会うとき不信実な者を頼みにするのは,悪い歯,

またはなえた足を頼みとするようなものだ」(同,

口語訳)である。この碑文は不快を覚えた店の抵 当権者から,また,チャイナ・アスターの思い出 に賛辞を提案した人物の,これでは彼に対する中 傷だとの批判を浴び,その作者は父の友の一人で,

「恨み言を書いた」のではないかと疑われたりし た。しかし,「石碑はそのままであった」。

 その後「ある日,父の友の一方が墓を訪れたと き」(221),「碑文は申し分なかろうが,短文が一

つ足らんな」と感想を漏らし,もう一方の友の賛 同を得て,「追伸の形でそれを入れる」こととなり,

石碑の左手かなり下の角に「すべての根は友から の融資だった」と刻ませたのだった。

 以上がフランクすなわち弟子のエグバートが 語ったチャイナ・アスターの友からの借金による 悲劇の物語である。続いて次の第 41 章は,この 物語に対する世界主義者の感想から始まる。

 この章で,世界主義者に扮した詐欺師は,物語 の冒頭から舞台の定期船に登場し,姿を変えては さまざまな相手に博愛主義的な楽天的な発言をし て信頼や信用を勝ち取り,それを元に人から金銭 を巻き上げたり,あるいは心を掴んだりしてきた が,同じ船上に現れたマーク・ニューサムなる正 体不明の哲人ぶった人物の弟子と称するエグバー ト扮するチャーリーを相方に対話する,仮称フラ ンクとしての役柄をここではかなぐり捨て,さら には詐欺師の仮面を付けていることさえ忘れて,

本来の生身の自分を露呈し,単なる怒れる一登場 人物になってしまったかと一瞬思われるような,

言動を取っている。

 世界主義者はチャイナ・アスターの話を終えた チャーリーに,「どんな気持ちでわたしにこの物 語をしたのかね」,「決して認められない話だ」と 否定的な感想を述べ,その理由を「認めれば,わ たしの最後の精神的支えへの信頼を,ひいては生 きる最後の勇気を奪い去ってしまうからだ」と語 り,「わたしの最後の信頼を壊す」のがこの話を した狙いならば,「ありがたいことに」外れだと 語る。これに対してこの弟子は「信頼はこのこと と関係はない。この話の教訓は」,「両方の愚行は,

友が友を助けたことにある」と,物語の末尾にチャ

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イナ・アスターの父の友が石碑に加えた短文と同 様の内容を繰り返す。

 このあと,二人の間でやり取りがあるが,世界 主義者のフランクはその主張に「一貫性がない点」

を指摘すると,弟子のチャーリーは「わたしの師 の著書の高尚な頁を日夜めくって」根気よく読ん だ上での意見だと説明し,「一貫性に拘るのは愚 かだ」とする師と同じことを述べる。

 最後の再び世界主義者があくまで「わたしの求 める融資は自分の困窮状態を緩和するためだ」,

「わたしが友であることは忘れ」,融資してくれと 訴えると,今度は「それはできない」,「帽子を脱 いで地面に伏し,ロンドンの通りで人の行く手を 塞いでわたしの施しを乞えば,無駄にしたたかな 乞食とはならないだろう。だが,友の帽子に小銭 を入れる者はいないよ,言っておくがね。きみが 物乞いなら,高尚な友情のために,ぼくはよそ者 になるさ」と素っ気なく応えられてしまう。

 ついに世界主義者は立ち上がり,「両肩を急に 持ち上げて,扮していた役柄を軽蔑して脱ぎ捨て て」,「充分だ。実践されたときのマーク・ニュー サムの哲学を,もう嫌と言うほど味わった」と声 を挙げ,「どうか立ち去ってくれ,その非人間的 な哲学のくずを一切合切持ってな。この 1 シリン グで最初の上陸場で木の切れ端を買って,それで 凍り付くような性根のきみとその哲学を暖めてく れ」(224)と言い放って踵を返し,相手を置き去 りにする。まさに怒り心頭に発して詐欺師の仮面 をかなぐり捨てたかような世界主義者の言動に解 せもするが,次の場面の彼の言動を読むと,やは り元の冷静な詐欺師の世界主義者のようである。

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 弟子と別れて彼が向かった先は,すでに物語の

冒頭第 1 章(12)で語り手に同日早朝の開店前の 様子が紹介されていた床屋である。次の第 42 章 は,居眠りをしている店主の店に入って,髭を当 たってもらう客となる世界主義者と床屋の対話と なる。

 その床屋は入口に背を向けて椅子に腰掛けて

「うたた寝をし,夢を見ていた」(225)ところに,

背後から世界主義者に「優しくなくはない調子で」

「おやまあ,床屋さん」と声を掛けられ,「立ち上 がったが,半ば眠った状態で」「口をぽかんとあ けて」「眼前を見た」が誰もおらず,そこに再び 声を掛けられて「がっかりして逆に向きながら」

発見した声の主に,夢の中の登場主と異なること を知り,「なんだ人か」と嘆息する。それに対し て世界主義者は,「人の姿から絶対的なものは何 も推断できないよ」と注意する。床屋は風変わり なこの世界主義者の服装を見て,「二人きりでい ることに対して潜在的なちょっとした不安がない わけではなかった」。世界主義者はその心を見透 かしたように,「どんな結論に至っても,わたし の髭をきれいに剃って欲しい」と依頼する。

 「王座」を思わせる椅子に導かれた世界主義者 は,礼を言って着座する。そして「天井から垂れ 下がる蠅取り紙に混じって揺れ動く金色の告知 文」(226)に気付き,そこに「掛け売りお断り(No Trust)」と記されている文句を見て,床屋にこ れでは「不信を意味し,不信は不信頼を意味する ではないか」,「どんな不運な不信感がこの忌まわ しい告白のきっかけとなったのかね」と問い質し て,さらに気難しい説明の文句を並べる。すると 床屋は,「そういう類いのお話は」勘弁願いたい と応えるが,世界主義者はさらに,「告知の意味 は分かるが,その目的が分からない。何かね」と 問う。

 「分かりやすい話に戻って安堵した」床屋は,「そ

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れを掲げ」たあとは「もうけにならないような仕 事を多くしないでもよくなり,とても役立ってい ます」と説明する。客の髭を剃ろうと「カップに 熱湯を注」いだりして準備したい床屋を尻目に,

それは結局,相手を「まったく信用しない」とい うことではないか,あいにく小銭を持ち合わせて いない客を信用して,支払いは明日でよいという 風にはならないのか,と問う。

 そして世界主義者は,「その告知の主旨は店主 の本性と一体ではない」などと言って相手を持ち 上げ,さらに「見知らぬ者を見かけ,たまたま顔 を逸らしているが容姿はとても立派」な場合を例 に挙げ,床屋の「善悪の判断力」に照らして「ど んな印象を受けるか」,「詐欺師と見なすか」と問う。

 床屋が「決してそうは見なさず」,顔が見えな くとも「正直な人」だと思うと答えるが,世界主 義者からその人物が船上の暗い角で店主に髭剃り を頼んだら信用するかと問われ,客としては断る と答えると,それでは「自己撞着している」(228)

と咎める。イライラする床屋は,「髭を剃りますか,

剃りませんか」と尋ねる。苛立つ床屋に世界主義 者が再び難しい質問を浴びせると,ついに「もう すぐ店を閉めます。剃るんですかい」と最後通告 をされる。

 冷めた石鹸を再び泡立てようとしている床屋に 気を遣いながらも,世界主義者はまたまた自己撞 着を起こした顔の見えない人物の件を蒸し返して 問い直すと,床屋は「見知らぬに人は信用すべき でないので,掛け売りお断りです」(229),「不信」

ですと答える。これを受けて世界主義者は,それ では「人類は信用すべきでない」ということにな るが,店主は「大部分の人は信用するに当たらず」

とするシェイクスピアの「人間嫌いの」タイモン と同じではないはずだ,「今晩,告知を降ろした まえ。人を信じたまえ。この小航路だけでも人を

信ずる実験を試してみたまえ。さあいま,わたし は博愛主義者だ,きっと 1 セントだって失うこと はないから」と勧める。

 ところが床屋は,「そっけなく頭を左右に振っ て」,「申し訳ありませんが,わたしには家族があ りますから」と答える。

 次の第 43 章の題は「とても魅力的な」(230)

とあり,他の章題と比べ,題からその章の内容が 読者に伝わらぬ数少ない章題である。章のどの箇 所がこの形容詞「魅力的な」に相当するのかまっ たく分からない。もっとも内容自体は,第一文を 読めば世界主義者と床屋の会話で始まっており,

前章の続きであることがすぐ分かる。

 世界主義者が床屋に,前 5 世紀末のアテナイに 実在した伝説的人間嫌いの人物ティモンをモデル としたシェイクスピアの悲劇『アテネのタイモン』

(Timon of Athens, 1623)で主人公タイモンの台 詞をもじりながら自身を「博愛主義者」と説明し たことで(3),店主は「すべてが氷解」したと,そ の一連の言動を理解する。結局,世界主義者の言 う通り告知を降ろすことに同意して引き出しにし まった床屋は,そこまでしなくとも思う世界主義 者を尻目に,自ら告知を降ろすこと,さらに人へ の信頼を勧める妨げとなる「いかなる方法」(234)

も採らないことに同意した「覚書」を認めること を提案する。そして,両者がこれに署名すると,

床屋は船長に預かってもらおうと申し出るが,世 界主義者はそこまでする必要はない,自分で保管 しておけばよいと言って,一件落着となる。

 ちなみに,この同意書の末尾に記されている日 付と時刻が「18 - - 年 4 月のこの 1 日の午前 0 時 15 分前」となっており,物語が同日の「日の出」(9)

に始まっているので,最終章に入ったこの時点で やっと一日が終わろうとしていることを読者に告 げている。

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 だが,世界主義者が同意書の「契約を有効にし てくれてどんなに嬉しく思っていることか」と床 屋に語り,別れを告げて去ろうとすると,床屋は

「そうじゃあませんよ,お金を払ってくれないな らね」と答える。床屋にすれば,世界主義者は同 意書にある「人を信じることで被る損害を賠償す る」という契約に反していることになり,床屋は まだ終わっていない髭剃りの代金─驚くなかれ,

床屋の要求金額は「50 ドル」(236)である─を もらわないと,それは「損害」にあたるのでいま 支払えというのである。

 人を信用しろと唱える世界主義者は,一応,こ の法外な請求額には文句を言わず,「あいにくい まは小銭しかない」ので「おやすみ,明日会お う」,そして最後に「代金は保証するから」と言っ て姿を消してしまう。彼が髭剃り代は当初より支 払う気はなかったのかとも疑われるが,この物語 の最後に至るまで,再び床屋の許を訪れて代金を 支払った形跡はないので─実際には,髭剃りをし 終わっていなくとも─,踏み倒しに等しい詐欺行 為をしたと言える。

 一方,世界主義者の言動の矛盾に「呆れ返った」

床屋は,この客が去ったあと,しまっておいた引 き出しから告知文を取り出し,また元のところに 掲げる。床屋はさらに「同意書をずたずたに引き 裂く」のだが,「十中八九,その作成者は決して 二度と姿を現さない予感がしたので一層激しく裂 いた」のだった。

 また,語り手は床屋の「その予感が根拠の確か なものかどうかは,明らかでない」と語り,さら に床屋が後日同業者にこの件を話したあとの彼ら の感想は,この客である世界主義者は,人を魅了 させて思い通りに操る「蛇使い」ならぬ「人使い」

とも言うべき「まったく奇抜だ[“QUITE AN ORIGINAL”]と思うという点で,みな一致した」

とその後日談を付し,この章を終えている。ちな みに,この物語で詐欺師の行為がそのあとで被害 者がどんな言動をとるに至ったのかが語られるの は,この床屋での出来事が初めてである。

11

 第 44 章は,「前章の最後の三語[“QUITE AN ORIGINAL”「まったく奇抜だ」]がこの章の本文 を構成し,前章を飛ばし読みしなかった読者の注 意を引こう」という章題が付いており,第 43 章 末尾にある店での世界主義者の言動を聞いた床屋 の同業者が述べた感想で用いたこの英語三語の 句に対して,語り手がその中の根幹の “original”

(「オリジナルな」)という語の解説をしている小 章である。既出の二章─「作家の描く登場人物性 格論」が語られている第 14 章と(4),「小説に登場 する」「人物と現実世界の人間との乖離」が語ら れた第 33 章─同様,作者が語り手の口を借りて 述べた,小説の登場人物のオリジナル論の章と なっている。

 語り手は,小説の登場人物で「オリジナルな」

という形容詞を冠せる人物は滅多におらず,そう 呼ばれる多くは「目新しいか,風変わりであるか,

目立つか,あるいは人の心をとりこにするか,あ るいはそのすべてを持ち合わせている」(237)が,

「通常と異なる奇妙な人物」であるだけだ,と語 り,さらに言葉を続ける。作家はオリジナルな人 物を「人の展覧場」とも言える「町中に」求める のだが,「新立法者,大改革をもたらす哲学者や 新宗教の創始者」などとほぼ同じ非凡な才人」同 様,この「独自の素質」を備える存在は「まれな」

である。創意の作品のオリジナルな登場人物は「光 源」(238)のごとく他の登場人物を始め周囲を照 らす存在となり,「二人いては軋轢が生じて混沌

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となる」と語っている。光源が複数あると,被写 体である周囲がかえって具合よく映えないという ことであろう。また,語り手は「作家は多くを観 察し,多くを通して観察してなければならず」,「一 人のオリジナルな登場人物を創り出すには運が強 くなければならなかろう」と結んで論を終え,最 終章第 45 章を迎える。

12

 この最終章は,前々章の床屋の店を出た世界主 義者が向かった先は男性用客室で,そこが舞台と なっている。早朝から始まった物語の時刻は,す でに触れたように,ここで一日の締めくくりの真 夜中近くとなり,天井から垂れ下がるランプが一 つだけ灯された客室の船客は,ほとんど全員が就 寝中である。

 床屋の強い香りを忍ばせ,夜に朝をもたらすよ うな陽気な表情を浮かべて入室した世界主義者 は,まだ就寝せずに起きて灯りのともるテーブル に本を置いて読んでいる銀髪の「身だしなみのよ い,りっぱな」(239),出会った幼子のイエスを 祝福した「シメオン」を彷彿させる顔付きの老人 を発見する。「裕福な農夫」そうで,「精力的に働 く節約人生」を送って引退した,「70 才でも,15 才のときのような爽やかな心の持ち主」でありそ うなこの老人の反対側に「着座し,無言のまま,

待機しているような感じでいた」(240)。彼の存 在に気付き,一瞬困惑して視線を上げる老人は,

彼に向かって「ここがコーヒーハウスで,いまが 戦時で」,「自分が持っている朗報を報じた新聞が 唯一の一部」とばかり「座って待ちきれない様子 でわたしを凝視している」ようだと語る。老人の 読んでいる本が聖書だと気付いていた世界主義者 は,「あなたはそこに朗報をお持ちだ─まさに最

善のね」と応ずる(5)

 すると,すでに「カーテンで仕切られた寝台に 就いていた」乗客の一人から,「あまりに吉報過 ぎて,信じられないぐらいだ」という声が掛かっ てくる。世界主義者と老人は寝言だろうと思う。

そして,老人が区切りのよいところで読んでいた 聖書を世界主義者に渡すと,彼は数分自分の読み たい箇所を読んだ後,「注意深い」表情から「深 刻な」,「さらには苦痛を伴ったような」表情に変 え,書を置くと,「穏やかに関心を抱きながら彼 の様子を観察していた」老人の方を見て,「わた しの疑いを晴らせますか」と問い掛ける。これに 対して老人は「人が疑いを抱いても,それを払え るのは人ではありませんな」(241)と応えてくれ る。そして,世界主義者は自分のこの突然した質 問の説明をし始める。自分は「人のことを良く思 う人間で,人を愛しています。信賴もしています」

が,「30 分もしないまえに,何と言われたか」と いうと,「多くを語る男の言葉を信じるな―敵は その口で甘言を弄するものだ」と記されているこ とを,また「同じ主旨のことを多くこの書に見出 そう」と言われたと告白し,自分が言われたこと を信じられずに,老人の読んでいた船に備え付け の聖書を求めてやって来て,こうして聖書をお借 りして,実際に確認したのだと語る。

 世界主義者が確認した言われたことに相当する 箇所を,老人に読み上げるのを耳にした寝台の男 から,再び「信用詐欺師のことを言っているのは 誰だ」と声を掛けられる。

 その詐欺師本人である世界主義者は,驚きなが らも声はその男の寝言だろうと老人に言うと,彼 は「放っておこう」と言いながらも,気がかりに なって世界主義者が読んで聞かせた箇所が本当に 聖書からのものかと尋ねる。

 世界主義者が「そうです」,「人を信じる者にとっ

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てはつらいことです,博愛主義者のわたしにとっ てはね」と嘆くが,老人は 70 年間聖書を読んで きたがそのような箇所はまったく思い出せない」

と言って,彼の側へ身を移す。世界主義者は老人 に頁を繰りながらその箇所が載っている「シラ書

[集会の書]」を示すと,老人は実際に旧約聖書と 新約聖書の間にある部分をつまみながら,それは 聖書の「外典じゃ」と語る。

 世界主義者の返答は,本当か嘘か読者には判ら ないが,「外典ですって」というもので,あたか も彼がその外典の存在を知らない風に受け取れ る。

 老人はさらに,この外典は「正当化されていな い」(242),文字通り「出所の怪しい」と言う意 味を含んでいると教えてくれ,「この外典のどこ からでも不安が生じたら,その場合はそれ以上そ こから何も考えるな」と助言される。

 するとまた,例の寝床から「『ヨハネの黙示録』

はどんな内容だ」という声が掛けられるが,世界 主義者は「夢を見ているのでしょうね」と老人に 言ったあと,助言をしてくれた老人に感謝を述べ,

「シラ書[集会の書]」の知恵は恐ろしいもので,「不 信を教える」そんな知恵は「どうして信頼できま しょう」と否定する。

 すると再び同じ寝床から「教えてやろうか」,「も し知恵が足らなくて眠むれなければ,自分より賢 い者を先に寝かしつけるようにしろ。知恵とは何 なのか知りたければ,毛布に潜って捜せ」と声を 掛けられてしまう。すると今度はアイルランド訛 りの別な声でうるさく喋っていないで早く床に就 けと言われてしまい,二人は声を一段と潜める。

 世界主義者は再び話を聖書の外典に戻して,老 人に自分の先ほどの「不信の精神に満ちた」(243)

聖書の箇所を読んで駆られた「不安に,驚きを覚 えないか」と尋ねると,老人は彼の言から「あな

たは自分と同じような考え方の人に思え,被創造 物を信じないことはいわばその創造主を信じない とお考えでしょう」と判断していることを告げる。

その直後,老人は突然視界に入ってきたこの章の 第 3 番目に登場する人物に「何かね。きみなどが この辺りにいるには,いささか時刻が遅かろう。

何か用かね」と尋ねる。

 その相手とは,おそらく他の船室の乗客には「耳 を貸してもらえなかった」のでこの客室に来た,

着ている「亜麻布製の切れ切れの黄色い上着を引 きずる裸足の少年」だった。語り手はなぜか,少 年の「先が尖ってひらひらとした赤いフランネル のボロボロのシャツ」が「その上着の」切れ切れ「と 混ざり合い,異端者の火刑の犠牲者の衣が色彩鮮 やかに上げている炎のように,その身の回りで揺 らいでいた」,と語っている(6)

 この炎に半身を包まれたような着衣の少年は,

そのあと,語り手に「若年の行商人」であると説 明されるように,早速,一人旅の老人に持参の商 品を売り込む。

 これから寝に戻ろうとする自分の個室に,ソッ と入り込んでくる物盗りの入室を拒んでくれる

「鉄製の小型仕掛け」の「旅行用特許ドア錠」(245)

と,さらにまた,乗船したこの「日にミシシッピ 川はスリの横行する悪い川だと言われ」,悪しき 先入主に囚われていた老人に,結局,腰に巻くベ ルト型の「巾着型財布」の計二品を,うまく売り つけることに成功する。少年は買ってくれたお礼 にと,偽札などを見分ける方法が記されている「偽 物検出法」(246)の束を胸から取り出して,その 一枚を老人に手渡す。用が済んだと思った老人は 少年にもう遅いから行けと言うと,少年はひと商 売できて満足したのか,素直にその客室から立ち 去ってゆく。

 語り手はこの少年の商売や商品に何らいかがわ

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しいさがあるとは語っておらず,その間の売買の 光景を目の前にしていた詐欺師である世界主義者 にも,何ら口出しをさせていない。だが,読者に はなぜかこの出来事で,老人が少年の巧みな弁舌 で粗悪な商品をつかまされたのではないかという 疑いがぬぐえないのである。

 少年が姿を消すと,世界主義者は話の途中に少 年が入ってきて中断された所から,老人との対話 を再開しようとする。途切れた所を思い出せない 老人に彼は,「被創造物を信じないことはいわば その創造主を信じない」といった内容の話をして いましたと告げるが,老人はもはやその話よりも 少年から買ったものに注意が行ってしまったよう で,世界主義者は仕方なくベルトに硬貨を入れる 手伝いを申し出る。ところが,敬虔で人を疑わな いような印象だった老人は,気を悪くしないよう にと言ってこの申し出を断り,チッキのポケット から「きのうセント・ルイスでもらった二枚の紙 幣」(247)を取り出して,これを「渡してくれた 者たちに疑いはないが,時間つぶしじゃよ」とも らった「偽物検出法」で,少年に感謝しながら,

その真偽の照らし合わせを注意深く始める。

 その様子をうかがいながら,世界主義者は紙幣 の真偽のほどを尋ねると,その書にはあれこれ記 されていて惑わされ,結局,老人は真偽の判定は できないと嘆く。そこで世界主義者は老人に,「近 ごろの信頼の欠如はこの種の偽物検出法のせいで す」,その紙幣を信用して「その書類を放棄しな さい」(248)と助言する。

 ところが敬虔な信者であると思われた老人は,

まるで人が変わったかのように,「面倒だが,持っ ていよう」と答え,さらにその「偽物検出法」の 書類を見ながら紙幣を執拗に細かく調べ,ついに 世界主義者はもう付き合いきれないといった様子 で,テーブルの上の聖書を読み始める。そしてま

た,老人にその船室に備え付きの聖書は表は傷ん でいるが,「中は白く汚れ知らずですね」と語る と,老人はやっと関心を紙幣の真偽から周囲に向 ける。世界主義者は「船でもホテルでもこうした 公共の聖書は多くこんなものですね」(249)と一 般乗客の聖書への関心が低いことを嘆く。

 「先ほど紙幣へ向けていた表情とは大いに異 なった表情で,老人は座ったまましばらく相手の 言ったことを熟考し」,「うっとりとした顔つきで すべての人の中でもっとも聖書の庇護に信頼を置 く必要のあるのは,旅人なのになあ」と述べる。

先ほどの守銭奴のような真剣な紙幣の吟味のとき とまるで人柄が変わったかのような表情と弁であ る。老人はさらに,「この世でわれらを護ってく ださる神に信頼を置いて」生きていけたら「どん なに嬉しいことか」と語る。

 世界主義者は,「わたしは陸路でも水路でもひ どく不安になることはないですね,時に一時的に 不安になることはあってもね」,それは自分が神 を信頼しているからで,「この信頼がない旅人は,

その不安たるや惨めなもので,目先だけのことに 気を付けてもなんと虚しいものに違いないこと か」と述べ,老人に述べたことに適切なものとし て,聖書のある章を読んであげようとすると,「ラ ンプの火が弱くなり」(250),老人は就寝の時刻 が遅くなったので,退出しようとする。しかし,「何 か安全のためのもの」を忘れていないかと訴える。

 そこで世界主義者が「救命具ですか」と推測し て尋ねると,老人はうなずき,船が供給してくれ るという話だが,「どこにある,そんなものが」

と問う。すると世界主義者は「下部に湾曲したス ズ製の仕切りのある茶色の腰掛けを持ち上げ」,

これがそうだと教えているが,彼自身は「これが それで,その上いい品ですね,おそらく,わたし 自身は一度も使用したことはないけれど,そう

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