「夙川・知の散歩道 ‑ 夙川と大手前大学 ‑ 展」の 鑑賞
著者 川口 宏海
図書名 平成26年度 大手前大学公開講座講義録「集う ‑夙 川・知の散歩道‑ 知る・出逢う・辿る・詠む」
開始ページ 19
終了ページ 64
出版年月日 2017‑08‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1160/00001662/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
第一一回平成二十六(二〇一四)年五月十七日
﹁夙川・知の散歩道‑夙川と大手前大学‑展﹂の鑑賞
︻期間︼五月十九日(月)〜五月一一一十一日(土)※二十五日(日)休館︻会場︼大手前アートセンター地階ギャラリー
四月の講座で紹介した資料を中心に︑
をご覧いただきました︒ 本学が夙川の地に開学するまでの時代にスポットをあてた展示
[展示内容]
一︑福井治兵衛(艸公)と縁のある人々の紹介
ーパネル展示1
①年表福井治兵衛と藤井健造
②写真福井治兵衛と藤井健造︑そして縁のある人々の紹介(敬称略)
③マンガ﹃永遠に夢を追う青年﹄1藤井健造理事長評伝﹃風化なき騎将﹄よりー(作画・佐藤晴美教授/﹁大手前学入門﹂コンテンツニ○〇九年〜)
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9 福井治兵衛本名・芳松︑俳号・艸公(明治三十一一(一八九九)年〜昭和三十九(一九六四)年)松荘洋館前で(昭和九(一九三四)年十二月))西宮の高橋家に生まれ︑十七歳の時に福井家の家業・味噌製造業﹁阿波屋﹂に従事する︒
十九歳の時に福井政江と結婚︒二十一歳の大正九(一九二〇)年に御茶家所町(当時は大社村森具)に移居する︒昭和四(一九二九)年の西宮市会議員選挙に当選︑以後二期勤める︒昭和八(一九三三)年には家名・治兵衛を襲名し︑阿波屋を会社組織に変更する︒当時の工場は六千坪の敷地を有していたと伝えられる︒乗馬と俳句を趣味とし︑他︑歌舞伎︑浄瑠璃︑釣り︑絵画など多芸多才であるだけでなく︑画家︑芸人︑文筆家などの活動支援にも力を入れ︑自身でも西宮新聞の発行︑俳誌・文芸誌の編集・発行をてがけた︒終戦後は︑工場が空襲で焼けたため江戸時代から続いた家業は廃業せざるを得なかった︒そんな中︑藤井健造からの紹介があり︑ジエイコプ・デシエーザー夫妻の仮寓に福井邸を提供したことがきっかけで︑学校法人西宮学園を設立する︒デシエーザー氏が昭和三十五(一九六〇)年に独立の教会を造るにあたり学園は解散し︑土地と建物を学校法人大手前女子学園に寄附をした︒昭和三十九(一九六四)年︑夙川に大学が開学するのを見届けることなく没している︒
井膝井健階壮迫(明治一二十九(一九〇六)年〜平成三(一九九一)年)
学校法人大手前学園の創立者︒守口の樋口家に生まれ︑幼い頃から馬に興味を持ち︑大学在学中も馬術部に所属し活躍する︒また在学中に藤井加代と結婚し︑長女三奈子が生まれた︒卒業後は︑神戸又新日報社に記者として入社するが︑仕事よりも馬と車に情熱をもやした︒昭和七(一九三二)年のロサンゼルスオリンピックで馬術部門に西竹[騎手が出場することを知り︑自費通信員の資格を得︑民間人で唯一の付き人として同行渡米する︒オリンピック終了後はすぐに帰国をすることなく︑ヒッチハイクで米国大陸を横断しニューヨークまで旅をする︒この時の経験は︑終戦後に創設した大手前文化学院での教育方針のもととなった︒昭和二十四(﹁九四九)年に長女二二奈子が福井治兵衛の長男・律と結婚する︒翌年には短期大学の設置認可がおりた︒昭和一一一十五(︻九六〇)年には︑西宮学園が解散するにあたり︑福井治兵衛から夙川の土地・建物が寄附される︒それから四年後に大学設置の申請を行い︑昭和四十[(一九六六)年に大手前女子大学を開学し︑現在の学校法人大手前学園の基盤をつくった︒
一20一
西竹(明治三十(一九〇二)年〜昭和二十(一九四五)年)
昭和十(一九三五)年四月二十八日横浜大会にて福井治兵衛のアルバムより︒昭和十(一九三五)年の横浜公園グランドでの馬術大会での写真︒(写真左︑右は福井治兵衛)
他︑夙川の福井邸で今村中佐と西大尉が福井治兵衛と一緒に写っているものが保管されている︒
男爵・西徳次郎の息子︒十歳の時に父を亡くし︑男爵を継ぐ︒また相次いで家族を亡くし︑
天涯孤独の身となるが︑後見人の西伊三次はじめ周囲の人々にあたたかく見守られ育つ︒
大正五(一九一六)年に軍人の道を歩むようになると︑本気で乗馬の練習を始めた︒昭和
二(一九二七)年に習志野騎兵学校へ入校した︒のち教官の今村少佐から︑名馬ウラヌス号
をすすめられ私費で購入︒後︑この愛馬と昭和七(一九一二二)年のロサンゼルスオリンピッ
クで優勝し︑バロン(男爵)西の名は世界に広がった︒昭和十九(一九四四)年に戦車第
二十六連隊長として硫黄島に向かい︑帰らぬ人となった︒
﹃栄光の金メダリスト西竹一とオリンピック馬術﹄馬の博物館根岸競馬記念公苑昭和五十九年(一九八四)年四月)
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永遠 に夢 を追 う青年
風 化なき馬
作 画/佐 藤 晴美
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愛麗の面倒琶見ることに専念した学生生活を送り慢饗への出席臨は極端に悪かつた し搾
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一一︑大手前大学のカルチュ■フルルーツ
(一)阿波屋味噌製造所について
ーパネル展示ー
①地図‑宮前町にあった波屋味噌製造所(大正五(一九]六)年武庫郡西宮町全図/西宮市中央図書館蔵より部分)
②﹃西宮鳥職図﹄吉田初三郎画(昭和十一(一九三六)年)を吉井貞俊氏写す(昭和六十
(一九八五)年)部分
③阿波屋味噌製造所広告(﹁艸公切り抜き集﹂より)
④阿波屋味噌蔵遠景‑宮前町・大正時代1(﹃目で見る西宮の一〇〇年西宮市全域﹄郷土出
版︑平成十二(二〇〇〇)年三月)より
1実物展示1
まる⑤○あ味噌の看板
一24一
(二)福井治兵衛(俳号・艸公)と俳句
ーパネル展示1
①﹃酒に関する名句と拙句抄﹄(福井艸公編︑昭和三十八
松瀬青々の句を十句︑艸公の句を十二句 (一九六三)年)より
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(西宮中央図書館蔵) 武庫郡西宮町全図 より
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(1)一 ④ 阿 波 屋 味 噌 蔵 遠 景(宮 前 町)
「目で 見 る 西 宮 の100年 西 宮 市 全 域 』郷 土 出版(平 成12(2000)年3月) よ り
一26一
︽松瀬青々の名句抄より︾
道頓堀柴藤
酒は日鷹あまこの反りの春寒き
橋に逢ふ酒友達と春の雪
艸公の案内にて﹁播重﹂女の義太夫を巨口と共に聞きての帰り南地の旗亭にて小酌す杯を我が妹とし朧語るなり
甘酒屋打出の浜におろしけり
ウィスキーの少しが味す砂糖水
新酒は常の酒より濃くありし
雪の文出そうとしつ﹀酔いゐたり
雪と梅と酒と此ころ松葉蟹
推敲の気を養ふや玉子酒
牡蠣船に十年この方の酔いが出て ︽福井艸公の拙句抄より︾
や﹀酔うて子の書初めをかかげたり
酒と餅に倦むこと知らず松の内
初旅の子が土産なり烏賊徳利
風流は論ずる勿れ花の酒
酒の座を互いに見つ﹀花の山
酒蔵一見の帰路春の雪うれしと酒の粕さげて
辰馬力氏より毎年新粕を頂く春寒に人情こもる酒の粕
老弱の我を引立て︑長男夫婦(孫一一児共)が自動車を運転して︑貴船鞍馬に遊ぶ(昭和=一十六年)一一句一宿の瀬音涼しく微酔かな
鮎塩焼十年振りよ宿の酒
玉子酒子等の成長ぼつと見る
西行の歌を想い出て願はくば新酒の下に我死なん
黒田重太郎氏より紺綬褒章下賜記念として薔薇図を頂く一軸の清美に酔ひつ春の宵
(2)一 ①:「 酒 に 関 す る 名 句 と 拙 句抄 』(福井 艸 公編 ・昭和38(1963)年 よ り)
一27一
三︑艸公の文化活動と著作
ーパネル展示‑
①総合芸術雑誌﹃海松Mirou﹄の創刊号
‑実物展示1
②﹃海松Mirou﹄創刊号〜第五号/表紙画黒田重太郎
③艸公発行の句集・八冊︑関連俳誌﹃穂麦俳句集﹄(装禎/入江来布︑大正十二(一九二三)年)﹃新田俳句集﹄(題句/松瀬青々︑昭和三(一九二八)年)﹃古句評釈﹄(昭和四(一九二九)年)﹃海松﹄一巻〜五巻(表紙画/黒田重太郎︑昭和四(一九二九)年〜昭和六﹃初荷俳句集﹄(装禎・挿画/山口草平・金森観陽︑昭和六(一九三一)年)﹃小萩句集天の川﹄(昭和十二(一九三七)年)﹃艸公句集雪柳﹄(装槙/黒田重太郎︑昭和三十(一九五五)年)﹃酒に関する名句と拙句抄﹄(昭和三十八(一九六三)年)﹃俳句集冬柳﹄(装傾/黒田重太郎︑昭和三十八(一九六三)年)
俳誌﹁穂麦﹂
④艸公の切り抜き集・絵葉書集
⑤西宮芸術講演会開催チラシ (一九三一)年)
一28一
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﹃海松﹄獲刊に就て
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先づn由を絶叫し︑浩浄を嘉唱ぜむごす︒
明にして直︑しかも美なうものを探求ぜむこす︒
有らゆう形式に於て︑有らゆる方法を以て︒
力強く我等は存花¢むε寸c
同志の諸氏篭飛躍して來六れ∪
倶・トノ\我写の新天地を悶拓ぜむ︒
︻艸公︼
①:『海松 』創刊号よ り 表紙 表紙画/黒 田重太郎
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③:艸 公発行 の句集8冊 関連俳誌
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四︑西宮学園から大手前学園へ
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①西宮学園の入学案内チラシ
②艸公の切り抜き集
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① 西 宮学 園の入学案 内チラシ
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併し次代達捻ゑべ9r御子弟の鮫青の現 畦陰果して濱足すべ壼ものでせ うかゆ六三縣ぽ唖惣のひ蘭くてその賓旙に於て鰍くる断ありとO膿 も隔 かれまナ。聾算面の瑚緯・そ して敦員の質的低下・設儂②貧困・公宣 願列主黄の敏胃等 々到aの 同運が凶撰してゐる献躯 で†o
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②:艸 公発行の切 り抜き集か ら
宣 教 師 の デ シ ェー ザ ー 氏 夫 妻(元 ・ドー リ トル 部 隊軍 曹)が 講 師 を つ と め た バ イ ブ ル ク ラ ス の チ ラ シ 。 そ の 流 れ は 現 在 、 神 楽 町 にあ る 日本 フ リー メ ソ ジ ス
卜教 会 に つ な が って い る 。
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