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メンテナンスの視点で見た産業システム (2)

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(1)

メンテナンスの視点で見た産業システム (2)

その他のタイトル Industarial system from a maintenance point of veiw (2)

著者 大西 正曹

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 35

号 3

ページ 61‑88

発行年 2004‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/7364

(2)

関西大学『社会学部紀要』第35巻第3 2004, pp.6188  ISSN 02876817 

メンテナンスの視点で見た産業システム

(2)

1) 

大 西 正 曹

I n d u s t r i a l  system from a  m a i n t e n a n c e  p o i n t  o f  view ( 2 )   M a s a t o m o  

ONISHI 

Abstract 

The subject in this article is to verify by using many examples that the dynamic maintenance is  a promising  way to survive in the future for a small/mediumsized company. As the maintenance is  required for any  machine, it  is  required for any company. The recipe of the maintenance consists of (1) to refresh the  manager's way of thinking for improving the corporate earning, (2) to reevaluate the existing human  resource and technology for challenging a new market, and (3) to raise the know‑how for developing a new  product. This recipe is  based on a diagnosis that the niche business is  a strong point for the socalled small  factory in town as well as it  used to be. Therefore, they can make a symbiotic or competitive relationship in  their special field each other. A choice from various ones determines the product evaluation of its company. A  risk always exists, but always with a chance. Just by encountering a trouble, they are motivated to find a  solution and further improvement. There is  no royal road in magement,but daily efforts will make a road to  success. In other words, no risk, no return. Therefore, it  is  necessary to rack their brains to make the best of  the existing resources. 

Key words: dyanrnic menntenanse,secondary startup,corecompetence,niche business, creation neo 

抄 録

機械をメンテナンスするように、会社の組織をメンテナンスすることが必要だということである。メン テナンスの処方箋(せん)としては、〈 1〉経営者の意識が企業業績に反映する〈2〉自社にある既存の 人材・技術・匠(たくみ)を見直すことが新分野への挑戦を可能にする〈3〉自社の知を守り高めること により新しい開発が可能になるー~などである。この処方箋は、ニッチビジネスが今後も町工場の得意技 だという体質診断に基づいている。

だからこそ、企業間で自社の得意分野を中心に連携や対等な関係を保ち、多様な選択肢の中から確かな 経営感覚によって自社の製品評価を高めることが可能になる。危機は絶えず存在するが、危機こそチャン スである。トラプルに遭遇して初めてそれを補修し、更に改善しようとするエネルギーが湧(わ)いて来る。

経営に王道はなく、日々の小さな努力の集積が成功をもたらす。無から有は生じない。したがって、自 社の既存資源を有効に生かすための知恵を絞り出す必要がある。組織を動的にメンテナンスすることにより、

徐々に未来は切り開かれることを、以下に多くの事例を用いて述べる。

キーワード:動的メンテナンス(ダイナミックメンテナンス)、第二創業、コアコンピータンス、ニッチ ビジネス、クリエーションネオ

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関西大学「社会学部紀要』第35巻第3

本論の背景

産業システムを考える上で考慮すべき論点が2つある。第一に新たな産業・産業システ ムを創業・創出させる仕組みの構築である。第二に、既存の産業をいかにして外部環境に 適応できる産業にするかである。

第一の論点は、ベンチャービジネス論でかなり議論され、政府も多くの支援策を打ち出 してきた。国をあげてのベンチャー育成に対する気運は、ネット関連銘柄が一時的に陰り を見せたとはいえ、いまだに高まりを見せている。そうした気運を裏付けるかのように、

20025月に明らかになった通称「平沼プラン」では、新産業創出に向けたイノベーショ ン(創造)システムの構築・ベンチャー育成の指針が明らかになった。その内容は、大学 発ベンチャー1,000社構想や、環境・バイオ・情報通信など、重点戦略分野における産官 学総力をあげた技術革新といったものが挙げられる。

こうしたベンチャー育成ブームは、これまでも何回となくあった。そうした流れの中か ら、多くの優れた起業家が誕生し、一大企業をつくりあげたこともまた事実である。だが、

総じて見れば、わが国の新規創業の動きは、依然として鈍いといえるだろう。敗者復活の 難しさ、起業に伴うリスクの大きさが、オ能と情熱にあふれた若者の意欲を削いでいると いった側面もあるだろうが、基本的には、米国流の企業の多産多死をよしとする風潮自体 が日本の土壌に馴染まないのではないだろうか。そのことが、起業する際のリスクをかえ って増大させ、一度失敗した起業家にもはや復活の道はないかのような非常に風当たりの 強い社会状況をつくりだしている。

明治以来、わが国は、新たな事業に果敢な挑戦を行ってやまないチャレンジ精神旺盛な 起業家を数多く生み出してきた。繊維、鉄鋼、造船にはじまり、化学、機械・金属、輸送、

精密、食品、パルプ・紙、石油・ゴム、その他諸工業に至るまで、先端技術を諸外国から 熱心に技術導入し、ものの見事に日本流の改善を加えることで、輝かしい「技術立国・エ 業立国」を打ち立ててきたのだ。その過程は、「真・善・美の世界」であったとさえ言え よう。最新の技術・システムを真似て、我がものとする(真)。それに、くまなき改善を 加える(善)。そして最終的には、ゆるぎない日本の技術として調和させてきた(美)。

こうした「モノづくり力」を支えてきたのが、日本の教育である。ポルトガルから種子 島への鉄砲伝来はまたたく間に全国に波及し、武将たちの戦さを一変させた。フランスか ら導入された繊維機械は、数年のうちに廉価な普及版となり、わが国の繊維産業の発展に 寄与した。こうした事例は、枚挙にいとがまない。伝統と革新が表裏一体になって、絶え

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メンテナンスの視点で見た産業システム (2)(大西)

ずシステムを改革してきたのである。

ところが、 1990年代の日本は、 IT革命をめぐる欧米との競争に敗れ、「失われた10 と椰楡されている。 80年代後半の苦い教訓バネに甦ったアメリカは、ベンチャースピリッ トを旺盛に発揮し、情報、バイオ、ゲノムなど最先端技術での覇権を狙い、アジアの国々 は日本を飛び越し、情報化の恩恵で飛躍的な成長を遂げてきた。「失われた10年」を経た ことで、日本は大いなる自信喪失を味わっている。日本が本来の豊かさを取り戻し、活力 ある社会となるためには、一時的なネットバプルやベンチャープームの波に踊らされるこ となく、ずっしりと骨太なチャレンジ精神で、新市場・新事業に挑戦・創造していく起業 家・事業家たちを育成していかなければならない。そして、豊かなものづくりの力をベー スにした「技術立国」の復興こそが、資源のない国ニッポンの進むべき道なのである。

第二の論点は、既存の産業の変革である。この場合、構造物や機械、組織のシステムの 劣化を診断・検査、保全・ 修理、更新• 取替えを計り、良好な状態で維持させながら(メ ンテナンスを行いながら)、改良を加えて変化する外部環境にうまく適合する状況にする メンテナンスを動的に捉えたクリエーションネオが重要である2)。日本は毎年社会基盤整 備に膨大な予算をつぎ込んできた。しかし、その基盤はメンテナンスを施すだけでは、急 速に変化する社会環境に不適合になる。そこで、メンテナンスを施しながら、耐えざる改 良を加える必要がある。道路、鉄道などの管理システムもこの概念が使われている匹

本論で用いるメンテナンスの概念はクリエーションネオを想定している。

モノを長く使い続ける、すなわちメンテナンスの思想が産業の主流になれば、産業・経 済の循環の速度が遅くなり、逆に活性化しないのではないかという懸念が持たれる。しか し、メンテナンスを動的に捕らえたクリエーションネオは自給自足経済のことを指すので はなく、縮小再生産をもたらすものでもない。この提唱は新しい産業コンセプトの喚起に つながり、新事業・新市場の創出に必ず貢献するものなのである。

考えてみると、近代化の始まった明治から現代まで、一世紀以上にわたってわが国のエ 場労働者の世界には、メンテナンスを動的に捉える思想が脈々と息づいていたのである。

組織のメンテナンスで未来を拓く

振り返って考えれば、モノを長く使い続ける、すなわちメンテナンスの思想は日本人の 御家芸だったではないか。それは、われわれの得意とする技なのである。だから日本の企 業、とりわけ中小企業も、「わが社のコア・コンピータンスとは何か」「当店の強さとは何

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関西大学「社会学部紀要』第35巻第3

か」ということを冷静に分析し、従来はニッチ(隙間)と思われがちであったメンテナン スに関する考え方を変えてもらいたい。そうすれば必ず活路は開かれ、新たな経営ビジョ ンをイメージすることができよう。以下、企業を復活させる処方箋としての組織のメンテ ナンスを紹介する。組織のメンテナンスとは一度組織を見直し(診断)、不具合の生じて いる部分を直し(修理)、長く使える状況にする(更新)ことである。しかし外部環境は 絶えず急速に変化を遂げている。そこで、一部改良を加えて外部環境にすばやく適合でき る組織にするクリエーションネオが必要がある。中小企業がメンテナンスで活性化を計る 処方箋は市場、技術、企業イメージ、企業連携など多岐にわたる。以下、具体的な事例を 用いて処方箋を紹介する。

市 場 評 価 ー ど う 勝 ち 取 る か

「わが社が開発した製品や技術はすばらしい、必ず売れるはずだ!」。こんな幻想を抱き、

自己満足に陥る中小企業経営者が多い。

しかし、 売れてなんぼ の世界では、市場が製品・技術を評価する。多くの経営者は「自 社の持てる経営資源を点検してその強さを生かし、得意分野に攻め込もう」と考えている が、ここに大きな落とし穴がある。市場に商品を出した結果、さしたる評価も得られず失 望してしまうケースが目につく。

兵庫県尼崎市の溶接機メーカーA社は数年前、水中放電現象による活性水を体に良いと 宣伝して、販売を始めた。しかし、販路を確保できずに撤退を余儀なくされ、かなりの借 金を抱えてしまった。

こうした市場とのミスマッチはなぜ生じるのか。企業の強みの有無は、市場が決めるこ とだ。経営者の考えるべき点は、いかに外部の評価を勝ち取るかである。

A社の失敗は市場の反応を十分見極めず販売を強行した点にある。市場から見た評価を 経営に取り入れ、市場に受け入れられる商品や技術にまで改善すべきだ。そのための方法 の一つは、内外の見本市やコンテストに積極的に出展し、厳しい評価にさらされること。

市場の怖さを肝に銘じておかなければならない。

地 域 ブ ラ ン ド ー 維 持 の 難 し さ

消費不況の中、商品に付加価値を付ける「プランド戦略」が注目されている。揖保乃糸

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メンテナンスの視点で見た産業システム(2)(大西)

プランド(兵庫県龍野市、県手延素麺協同組合)は、地域そのものをプランド化した成功 事例である。

この地では、農家の副業としてそうめんが発展してきた。しかし、多くの零細メーカー が個々に問屋へ卸していた結果、過当競争に陥った。この現状を打破するために、統一プ ランドの下に厳格な品質管理を施し、市場から高い評価を得るようになった。今日では、

生産高に関しては日本一を維持している。

多くの産地は、需要が増えると他所から製品を買い入れ、プランド名を付けて消費者の 目をごまかす。この事実が消費者に知れたために、消費者離れを起こした事例も多い。産 地プランドは市場に浸透する有効な方法だ。しかし、一度消費者からの信頼をなくすと、

その回復は厳しい。

揖保乃糸プランドでは、高級品を選別し、それに正当な評価を与え、その基本的な価値 を維持することを図ってきた。この三つのポイントが今日の成功に結び付いている。地域 プランドを打ち出すことは簡単である。しかし、プランドを維持することは難しい。

違 う 視 点 で 技 能 評 価 一 新 製 品 の ヒ ン ト あ り

日本一の中小工場の集積地である東大阪市には種々雑多な業種がそろい、機械・金属産 業のデパートの感がある。帝国イオン工業株式会社(従業員25人)は先代が昭和40年に脱 サラした先代が、仲間三人と貸工場でミシン部品にめっきを施す装飾めっき工場を創業し た。そして、現在は機能めっきを中心としている。現社長中村忠夫氏 (45歳)が昨年事業 を継承した。しかし、不況のあおりで極度の受注不振になり、新規市場の開発が緊急課題 になった。そんな時、五年ほど前から取り組んできた10ミクロン以下のめっきフィルム作 製技術によって、それぞれの金属を薄くすることで今までになかった特性が出現すること がわかった。その結果、「ナノ皮膜電極」の開発に成功。その応用範囲は無限にあり、外 部の企業と連携し新たな市場を創造しようとしている。

あるものを改良しながら違うものに変えていくというのが、日本企業の得意技だ。そこ から次世代の技術や製品が生まれる可能性がある。いま、日本の素形材産業が再評価され ているのはこの点である。自社が持っている技術、技能を、異なった側面から再評価する ことにこそ、新製品開発のヒントが隠されている。あり合わせのものに改良・改善を施し、

次なるものを作っていくという「ピースミールエンジニアリング」こそが日本の中小企業 の真髄である。

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関西大学『社会学部紀要j35巻第3

「 小 口 客 」 大 切 に 一 う ま く 生 き 残 り

質のニッチ(技術の特化)は非常に奥行きが深い。しかし、量のニッチ(少量生産)は 狭い。普通なら、ニッチに依存すれば経営は「にっちもさっちも」いかなくなる。にもか かわらず、うまく生き残った中小企業のノウハウを紹介しよう。

中小工場の集積地である東大阪市高井田地域は、金属加工のメッカだ。路地には無数の 貸工場があり、そこで多くの職人たちが自分の腕だけを頼りに独立していった。ミズノハ ードテック(従業員12人)の水野晃氏 (70歳)もその一人である。昭和51年に勤務先の倒 産に直面し、夫婦で機械・金属の表面処理工場を貸工場で立ち上げた。

扱っている表面処理は、精密部品・金型などの表面熱処理、ならびにセラミックス複合 メッキ処理であるが、大手では対応出来ないほどにその仕様は多岐にわたる。「小口の客」

を大切に、取引は一社に集中しないように配慮し、きめ細かな対応を心がけてきた。少量 なものでも注文に応じ、今日では、クチコミにより日本全国で300社にも及ぶ取引先を有

している。

自 動 化 に 積 極 投 資 一 悪 い イ メ ー ジ を 払 拭

プレス工業が抱える課題は、人材確保・イメージの払拭(ふっしよく)・高齢化・市場 の冷えこみなどと山積している。それらの課題を、 5S (整理・整頓•清潔•清掃・躾(し つけ))

(静寂=Silence 安全=Safety)で乗り越え、着実に業績を伸ばしている のが津村製作所(大阪市阿倍野区、従業員45人)だ。

紙管口専業メーカーとして昭和23年に創業。現在、金型の製作からプレス加工までの一 貫生産を行い、スチール椅子(いす)部品・道路保安資材部品・一般プレス加工品を製造・

販売している。

20年前に亡くなった父親から家業を引き継いだ津村卓男氏 (70歳)は、事業継承時に求 人で高校を回ったとき、就職担当の先生から「プレス工業はイメージが悪い」と言われ、

まずプレスのマイナスイメージ(零細・危険・騒音・きつい)を払拭することから手掛け た。「働きやすい職場」をスローガンに、 トップダウンではなく、従業員にやる気を起こ させる仕組みを作り、従業員とともに出来るところから改善していったのである。

騒音・振動の軽減を目指し、自動化に対する投資を積極的に実施。無事故記録を30年間 継続し、従業員の定着率も高い。高品質で安価な製品を短い納期で安定供給するため、全

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メンテナンスの視点で見た産業システム (2)(大西)

員がモノ作りに励んでいる。

大手の技術力を借り 一「共同特許」も一手

ポリュニオン工業は、昭和46年創業で、従業員21名のパイプライン・メンテナンスの会 社である。社長の大工貞晋氏 (58歳)は、昭和40年に家業のシャトル製造業を引き継ぐ。

だが、銀行• 取引先へ多額の借金を抱え、当時86名いた従業員を一挙に16名にまで削減。

1,600坪の土地も売却し、何とか借金を返済した。

そうした中、知人の勧めで機械展に行き、初めてPIG (パイプをクリーニングする器具)

を知ったのである。早速資料を取り寄せ、研究・検討し、輸入品PIGを用いてパイプメン テナンス事業に進出した。しかし、 トラプルの連続で、当時は工事が終了するまで一時も 目が離せない状態であった。

そこで、自社のシャトルで培った樹脂発泡とスティール埋め込み技術を利用し、新たな PIG作りに取り組み、自社開発に成功。新会社を立ち上げ、高収益企業に脱皮する。この 過程で氏が学んだことは、「大手と組むことと管理出来る範囲内に事業活動を限定するこ と」である。中小企業は、自前ですべての技術を賄う事は不可能だが、大手の懐に入り、

大手の技術力の助けを借り、共同で特許申請に持ち込み、大手にも応分の利益がでる仕掛 けをするということに大工氏は目をつけ、今日では50件の特許を取得している。

成否を大きく分ける 一 創 造 的 活 動 の 持 続

伸線業は、東大阪を代表する地場産業だ。昭和23年創業の日本化線株式会社(従業員20 人、資本金1,000万円)は、業界初のポリエチレンカラーワイヤを新発売して、市場拡大 に成功。現在はホビー用カラーワイヤのトップ企業に成長している。

不況と同業他社との競合で需要構造が大きく変化。針金は種々の造形素材としてホビー 市場で売られていたが、硬くて種類も少ないことから、売れ行きは低迷していた。

そこで、社長の笠野輝男氏 (62歳)は5年の歳月をかけて素材・加工方法を変え、強く て軟らかなワイヤを開発。「自遊自在」というプランドで出すが、市場の反応は鈍く、こ の時は新規市場開拓で苦杯をなめる。そこで、社長自ら用途開発・使用事例を持参して、

店頭や学校で実演指導。各地でメデイアと協賛して自社製品を使ったイベントを立ち上げ、

現在は業界ナンバーワンの市場規模を目指している。

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関西大学「社会学部紀要』第35巻第3

中小企業の活性化には三つの「新」(新規市場・新技術・新製品)が必要と言われている。

いずれも現状の中小企業にとっては至難の業である。そこで問われるのが、難問を解く知 をどこに求めるか、さらにいかに創造的な活動を持続するかだ。それが成否を大きく分け

関 連 企 業 と の 連 携 一 世 界 と 競 争 可 能 に

アルミ鋳造は八尾•松原を代表する地場産業だ。大阪技研(従業員 17人)はアルミニウ ム鋳造システムの技術開発を行う研究開発型企業で、 1964年創業。畔柳基弘社長 (64 には、三つの大きな功績がある。

この業界で初めて「るつぽ」を使わない反射炉を導入し、経験と勘の世界にコンピュー ターを持ち込んだ。また、鋳造品の健全性・高品質・歩留まりの改善を可能にするシステ ム開発にも成功した。

日本国内で操業している有利性は、高レベルの関連企業が存在することだ。研究開発に 特化し、関連企業と巧みに連携することによって、世界を相手にした競争が可能になるこ とである。世界中から試作品の依頼があり、開発担当者は一年の大半を海外での技術指導 にあたる。海外支店と海外の提携先が緊密な関係をつくり上げている小さな国際企業だ。

日本の中小企業は海外の激しい追い上げにあい、生き残りの道を模索している。今一度、

国内での操業の有利さを活(い)かし、新たな解を求めるべきである。そこで問われるの が自社の限られた経営資源をいかに有効に生かすかである。

国内の自動車メーカー三社や韓国最大の自動車メーカーなど、内外の自動車メーカーと 今までに技術提携をしている。その経緯は、「ひとつのものにこだわらず、絶えず頭を柔 軟にして新規技術に取り組む」社風が、内外の関連研究機関への積極的な情報発信・学会 発表に繋(つな)がり、そこで大きな評価を得たことだ。内外の技術担当者が同社を訪問

し、次世代の技術として採用したいと打診してくる。

その一方で、大学・研究機関• 関連企業と連携し、自社技術のレベルアップを図ってい る。海外進出も、ビジネスカのある台湾で製造し、需要のある韓国で販売するという方法 で行い、リスクを分散している。さらに、日本の企業が加速度的に増えている中国市場へ は、単独ではなく中国市場を熟知した台湾企業と連携して進出している。

小規模で技術力のある企業がとる戦略は、限られた経営資源をいかに有効に生かすかで ある。人的資源•取引先・大学・研究機関など、日本ではワンセットで揃(そろ)う強み

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メンテナンスの視点で見た産業システム(2)(大西)

がある。今、これをどのように活(い)かすか、経営者の知が問われている。

シ ャ ツ 作 り の 技 術 ー 機 械 化 で き た が …

守口縫工株式会社(従業員35人、うちパート11人)は、大阪府守口市で1941年に創業以 来、高級紳士用・婦人用の既製ワイシャツとオーダーワイシャツの製造販売で事業を維持 してきた。とりわけ、大手デパートなどの既製とオーダーシャツ部門では、大きなシェア を占めていた。

ところが、消費不況と海外からの廉価なシャツの輸入で、急速に売り上げが減少。そこ で、利益が出ない既製シャツからオーダーワイシャツに事業を特化した。しかし、多種多 様な顧客の体形・好みに合う生地の裁断には、高度な熟練技能が要求される。しかも、職 人の高齢化と後継者不足は深刻で、技術の維持が困難な状況に差し掛かっていた。

そこで、社長の田代精作氏 (65歳)は、自らかかわってきた長年のシャツ作りの熟練技 術をシステム化させようと計画。結局、三年かけて成功させた。 15年前からはコンピュー ターによる型紙作製技術を確立させ、個別対応・短納期を可能にした。だが、平成13 かつて全取引の90%を占めていた得意先の倒産に直面、会社存続の危機に見舞われる。

最大の取引先が2年前に倒産した痛手は強烈で、従業員を55人から35人へ削減し、事業 所も大幅に縮小せざるを得なかった。

しかし、この最大の取引先が危ないという感触は早くから持っていた。そこで、既製品 分野から少しずつオーダーメードにシフトするとともに、パソコンを導入し新たな製造シ ステムを独自に開発。この戦略を武器に、守りから攻めへと転じた。同システムを活用し、

30万着以上のシャツ作りで培ったノウハウをソフトとして販売することを企画。昨年のビ ジネスフェアでは好評だった。

量から質へと様変わりした市場も追い風になった。男性ファッション雑誌がプームとな り、そこに掲載された店の売り上げが着実に伸びている。そんな折、京都や大阪の高級小 売店から突然注文が舞い込んだ。「百貨店で御社のシャツを見た。委託生産をお願いしたい」。

これが励みとなり、顧客の好みを尊重しながら、現在では納期の短いオーダーシャツの製 造に力を入れている。

「先生が今度訪問される時は、モノづくりからソフト志向ヘシフトしているかも…」と 田代社長はほほえんだ。危機をてこに、甦(よみがえ)ろうとする自信を垣間見た。

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過剰投資で倒産も60歳から敗者復活

「先生少し待ってください、出来たてのご飯を食べてください」。小さなかわいらしいコ ンロとお釜、一人分の炊き立てのご飯が並んだ。東大阪市は、日本を代表する中小企業の メッカだ。そこには無数の町工場があり、多くの職人たちが自分の腕を頼りに独立した。

そこには悲喜こもごものドラマもある。

東方工業の小山雅也氏 (63歳)もその一人だ。十代で創業した町工場を、年間売り上げ 百億円を超す企業にまで育てた。だが、三年前過剰設備投資により倒産。天国から地獄を 経験した。再起をかけて一人で創業。製品開発に特化し、製造・販売・配送などはすべて 外部に委託。徹底したリスク分散で経営のスリム化を図る。

得意分野のカセットコンロの燃焼技術とボンベ着装技術を生かし、コストが固形燃料の 十分の一、さらに火力が強く火力調整可能な超小型サイズカセットコンロと、外から燃料 の残量が確認できるボンベを開発を試みるが、開発資金、取引先、事務所などすべてゼロ からの再出発。そこで、私募債で資金調達を図り、地元の新商品開発グランプリを受賞し これをてこに、大型料飲店に納入しながら、着実に販路を拡充し売り上げを伸ばす。次の 新商品もすでに開発済みで、 60歳からの第二創業は勢いが止まらない。

隙 間 埋 め る 一 括 受 注 ー 中 小 の 経 営 に 示 唆

大阪府摂津市にある精研医科工業、資本金5,000万円、代表取締役田川順雄氏 (62 従業員62 1977年創業は、病院内の清潔な環境づくりのための機材とシステムを提供し、

メンテナンスを施している企業である。創業時は、病院向けの小物ステンレス容器の加工 メーカーであったが、その後、手術室の施工、メンテナンスサービスを行うなど、製造、

サービス両部門の小さいながらも総合医療メーカーとなった。

90年代に「院内感染」が社会問題化し、病院における感染症対策が緊急の課題として浮 上した。同社は、早くから大学病院の院内感染防止策に携わり、ノウハウを蓄積していっ た。現在、清潔環境管理システムの納入実績は、関東地区でシェアナンバーワンを誇る。

同社が成長を遂げた原因は、次の三点である。まず、多品種、小ロット、短納期、低コ ストで、メンテナンス体制が整備されていること。二番目は自前の製造ラインと若い技術 者の熟練度の向上。三番目は、企画・立案、製作・施工・メンテナンスという隙(すき)

間(ま)を埋める一括受注だった。

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メンテナンスの視点で見た産業システム(2)(西

とりわけ、三番目の「隙間を埋める一括受注」という新たな発想での戦略が奏功した。

このことは、不況下で悩む中小企業の生きかたに大きな示唆を与える。

止 ま ら ぬ 売 り 上 げ 減 一 特 化 か 海 外 展 開 か …

大阪市平野区のユーシー産業(従業員73人)は、現会長の永吉昭夫氏が洗濯機用の合成 樹脂ホースを開発し、 1963年に創業した。すでに600件以上の特許を取得し、各種技術賞

も授与され、大阪のエジソンと呼称される。

創業以来、研究開発に特化し、相手先プランドの合成樹脂ホース製造ではトップ企業。

とりわけエアコン断熱ホースでは国内で50%のシェアを占め、 95年には鳥取に生産拠点を 移し、最新鋭設備を導入。低コスト化と量産化を図った。

しかし、家電メーカーの海外進出に伴い、販売数が激減。海外の低コストの類似品が出 回るなどして、国内外で激しい競争にさらされ、結果的に巨額の設備投資が経営を圧迫し

海外留学から帰阪した永吉清治氏 (48歳)は、鳥取工場の立て直しに着手し、製品の多 角化と生産ラインの見直しを図る。一定の成果を得て、一昨年に社長に就任。しかし、売

り上げ減少は止まる様子はない。

利益の出る部門へ生産を特化するか、生産部門を海外移転するかと悩んでいたところに、

輸出相手先の企業から「中国で合弁企業を設立しないか」という打診が届いた。

中国での合弁をめぐって否定的な意見もあった中、まずーラインを増設する程度の小額 の投資で実験的に進出することを決めた。 20014月、広東省に工場を開設。エアコン断 熱ホースの現地生産を開始し、翌年には現地日系エアコンメーカーのほぽすべてに供給す ることとなった。東南アジアヘの輸出も増え、 2003年に中国工場を増床・ 増設し、中国で の創業赤字を解消した。

合弁成功の秘けつは、く 1〉パートナーシップを大切にしたこと〈2〉現地を熟知する 香港企業・日系商社に自社の力不足を補ってもらったこと〈3〉技術と従業員の現地化を 徹底して行ったこと〈4〉日系企業の信頼を得ることに努めたことーーなどである。

合弁企業の成功によって、日本国内における断熱ホース製造からの撤退が可能になり、

ユーシー産業は新たな視点での研究開発型企業として生まれ変わることができた。鳥取エ 場の役割は大きく変わり、現在は大量生産型から高付加価値、少量生産型の工場に変革、

製品単価も今までの百倍以上といった製品群に移行しつつある。さらに、市場が認めてく

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関西大学『社会学部紀要』第35巻第3

れるものを開発生産するという、マーケットインの考え方を基にした営業部隊を強化し成 果をあげている。

売 り 上 げ 減 に 直 面 ー4つの対策で回復

大阪市此花区のカワデン(従業員40名)は、深町陸夫氏 (72歳)が川北電興の製作部門 を分離独立し、制御用電動バルプ専門に1973年に創業。研究開発に傾注し、小型、軽量で 安価な、緊急時には一瞬のうちに弁を閉じる遮断装置を1985年に開発し、それが市場に受 け入れられ、事業拡大に結びつく。

用途も水、空気、汚水、油からガス、原子力など、多くの分野にわたる。製品数は400 点以上。文部科学大臣賞をはじめ、多くの特許と技術賞を授与され、大阪を代表する研究 開発型企業である。

だが、 97年頃(ごろ)から、市場の冷え込みとライバルメーカー(中国など)の登場で 急激な売り上げ減少に直面する。それが新工場の立ち上げ時期と重なり、経営を圧迫する。

この事態に、〈 1〉東京市場の掘り起こしのために営業所から東京支店へ格上げ〈 2 外部資金の導入く3〉内部に公募で研究開発チームを設け、権限の移譲を図る <4〉そし て、外部の評価を受ける—で一定の成果を上げ、売り上げ、利益も回復基調になり、本 年から社長を管家勁(つよし)氏に委(まか)せ、自らは会長に就任。大手企業と組み、

研究開発チームは次世代商品開発に邁進(まいしん)している。

コ ア 技 術 の 確 立 で 一 研 究 開 発 型 に 脱 皮

出会いと変革で事業形態を変えた企業がある。今回訪問した滋賀県五個荘町の辻プラス チック(従業員80人)は、辻勝氏 (64)がプラスチックに夢を託し、自動車パーツの製造 1968年に創業した。

近年、中国など近隣諸国の追い上げにあい、急激な売り上げ減に直面。回復を目指し事 業の多角化を試みていた矢先、大手太陽電池メーカーの筐体(きょうたい)作製の実績を 買われ、竹田晴見・大阪電気通信大教授に氏の保有する特許を活用した製品化を任された。

教授の後押しもあり、共同で太陽電池を積んだ日本初の自発光交差点鋲(びょう)(発光 ダイオードが高速点滅し事故を防ぐ)を開発。省エネでメンテナンス不要の製品がマスコ ミに取り上げられ、国内外から発注が舞い込み、関連商品開発に弾みがつく。

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メンテナンスの視点で見た産業システム(2)(大西)

このコア技術の確立で大手企業への部品発注が可能になり、研究開発型企業に脱皮する。

高度な加工技術の長期にわたる蓄積が、極めて困難な気密性と耐久性を求められる製品の 開発を可能にした。

多くの経営者は、出来ない理由を挙げ挑戦を諦(あきら)める。しかし、視点を変え、

出来ない理由を挙げながらも、反対にそれをつぶしていけば出来るようになることを示唆 している。

メ ン バ ー の 意 識 改 革 で 一 中 小 ネ ッ ト 次 世 代 型 へ

人工衛星の開発で話題を呼んでいる東大阪市は、日本を代表する中小製造業のメッカだ。

その地で次世代企業を目指して今、静かな動きが始まっている。

昭和36年に創業した機械部品加工業、八千代機工(従業員10人)の事業を昨年継承した 長田有司社長 (48歳)は、各種金属加工の中小零細企業12社の後継者を集めた勉強会を5 年前から続けている。

共同受注• 発注を試みる中小企業ネットワークは多いが、ほとんどが時間とともに消滅 し、成功事例は極めて少ない。この勉強会も当初は懇親会と意見交換の場にすぎなかった が、メンバーは組織のあり方について真剣に話し合った。

その結果、一社一社は小さくとも、経営資源を集積すれば、大抵の機械加工が可能にな るとして、〈 1〉受注した企業が優先権を持つく 2〉自社で出来ない仕事は安い手数料で 得意なメンバーに回すく 3〉打診のあった仕事は逃さない〈4〉メンバーの持つ機械・設 備・得意技術の情報を相互に開示する―などの方針を確認。これにより、建設機械の機 能部品などの受注に成功した。

長田氏は、将来は勉強会のメンバーで新商品を開発し、市場に売り出そうと夢を抱いて いる。メンバーの意識改革を通じて、知恵を出し合えば、次世代企業に脱皮できる可能性 をこのケースは示唆している。既存の企業が活性化を図る処方箋を述べたきた。

次に、組織をメンテナンスすることにより、新たな市場・分野に挑戦する、第二創業の 事例を紹介する。

事業の見直しとメンテナンスで第二創業

企業が外部の研究機関や他の企業と融合・連携を行うことで、新技術・新市場に挑戦し、

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関西大学「社会学部紀要』第35巻第3

産業を高度化させてきた流れがある。このような企業の挑戦は、時にまったく新しい企業 の誕生に匹敵する程の業態変化をもたらしてきた。これこそが、「第二創業」である。私は、

二世、三世の経営者たちを第二創業者へと育成することが、日本経済活性叱の一つのカギ となる、と確信する。

二代目、三代目経営者は、先代から取引先や従業員、経営のノウハウなどの事業基盤を 引き継いでいる。 100メートル走にたとえれば、 20メートル地点あるいは50メートル地点、

場合によっては80メートル地点からスタートするようなものだ。もちろん、先代の遣した 負の遺産を抱え込む場合もあるだろう。それはそれで、徒手空拳で挑むベンチャー起業家

たちより、かえって複雑な試練に直面するに違いない。

だが、その壁を乗り越えるべく「第二創業」に挑む彼らもまた、「骨太なチャレンジ精 神で、新市場・新事業に挑戦・創造していく起業家・事業家たち」なのである。ちなみに、

創業者自らが新たな事業展開を成功させる例は「創業者型• 第二創業」、後継者による新 規開拓の場合は「代替わり型• 第二創業」と捉えらえる。それらを総称し、ここでは「第 二創業」として統一する。

また、企業の寿命は30年と言われるように、歳月を経ることで既存事業は、必ず時流に 合わなくなっていくものである。時の流れに応じた修正が必要になるのだ。その時期が、

ちょうど代替わりのタイミングに一致する。つまり、自社が持つ既存の強みを活かしつつ、

現状を変えていくことが企業の存亡を決する。それはまさに、「新産業に向けたイノベー ション」そのものである。

事業改革のカギは「外部からの評価」

錆びついた得意技と言うか、事業マインドを再復活させる方法は2つある。

内部で自社のコアコンピタンス(事業の中核となる能力)を洗い出し、それを外部の評 価にさらし、その優位性と問題点を見出す事である。現在、実際に伸びているのは、客観 的に外部から評価する方法を採用した企業の方である。

第二創業をする際、内部から新たなコアコンピタンスを見つけるのは大変難しい。どう しても過去の成功体験に縛られてしまうからである。歴史のある企業ほど、数多くの成功 を経験している。

表面的には「変革しなければ、生き残れない」と言いながらも、内心は「この不景気は、

そのうち何とかなる。うちは、今までのやり方を続けていれば大丈夫」と夕カをくくって

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メンテナンスの視点で見た産業システム(2)(大西)

いる中小企業の経営者が多い。

古くは元寇、近くは先の大戦での敗北など、日本人は本来、ピンチをテコにして強靱な 体制を再構築することが得意なはずである。しかし、バプル崩壊以降は、危機感にさいな まれることなく妙に冷めてしまっている。変革の必要性は「情報」や「知識」としてはあ るものの、バプルのときの異常ともいえる成功経験が邪魔をして「行動」に結び付いてい ないのである。そこで問われるのが、外なる「知」をどう取り込むかである。

外部からの「知」の導入が大きなチャンスを生む

第二創業に成功したメンバーは、皆、一度「外部から自社を評価」している。学校を卒 業すると、一度会社に就職してビジネス経験を積んでから「親父の会社」に戻っている。

例えば燕三条マグネシウムプロジェクトのリーダーとなった経営者は、かつて大手商事に 勤めていた人物である。若いときに「外」を経験した人間は、第三者的な外部の視点で自 社のコアコンピタンスを見つけることができるのである。

もちろん、外から帰ってきた人間が経営に参加する際には、幾多の困難が待ち受けてい る。永年勤めている社員からは、外様大名を見るような厳しい視線を向けられ、あつれき が生じるケースが多い。しかし、こうした危機的な状況が、後継者に変革のエネルギーを 芽吹かせるのである。四面楚歌の立場に置かれた人間は、思いもよらないような発想と行 動力を発揮するものである。

外なる「知」をどう取り込んで、外から評価したコアコンピタンスと内側から見たコア コンピタンスをつなぐバイパスをつくり、企業を活性化させていくか。それをできるキー マンの育成が、第二創業を成功させるカギを握っているのである。

第二創業のポイント

重要な事は、第二創業で生み出そうとする商品やサービスを一度外から評価してもらう ことである。思い切って胸襟を開き、まったく異業種の人たちともデイスカッションをし て、彼らの評価を聞く事である。そこから、外から見た自社のコアコンピタンスが分かっ てくる。また、異業種間で連携し、融合し合える部分が出てくることもある。異業種交流 のメリットは、ここにある。

事業というのは「思いついたときが吉日」。体力、知力、気力だけでなく、第二創業や

参照

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