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D.H. Lawrence, Lady Chatterley’s Lover (AE, 151)

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ブラウン 馬 本  鈴 子

Alfred & Emily (2008) 試論

はじめに

 ドリス・レッシングは、Alfred & Emilyの序文を次 のように切り出している。

My parents were remarkable, in their very different ways. What they did have in common was their energy. The First World War did them both in.

Shrapnel shattered my father’s leg, and thereafter he had to wear a wooden one. He never recovered from the trenches. He died at sixty-two, an old man.

On the death certificate should have been written, as cause of death, the Great War. My mother’s great love, a doctor, drowned in the Channel. She did not recover from that loss.1

 これは、作品後半の冒頭に置かれたD.H.ロレンスの Lady Chatterley’s Lover(1928)からの引用――<肉体 の傷は癒されても魂の傷は癒されない>という趣旨の 引用――と呼応している。2 レッシングの両親が、第一 次世界大戦によって<魂に傷>を負ったのは明白である が、そのような両親のもとで育ったレッシングにも、戦 争は影響を与えた。国家間における戦争に限らず、セッ クス/ジェンダー、人種、階級などあらゆる形の差別 が招く暴力への怒りはレッシングの作品世界の原点で ある。1957年に書かれたエッセイ “The Small Personal Voice”でレッシングは、創作によって「人々の温かさ、

ヒューマニティー、そして愛」を再構築することが、作 家の責任であると言っている。3

 本論では、作家自身が、自分の最終作だと認めるこの Alfred & Emilyという作品に顕著に現れる反戦願望に 着目して、レッシング作品の現代的意義を探りたいと思 う。この作品は、大まかには、前半が、第一次世界大戦 がなかった場合の両親の人生を想像した幸福のフィクシ ョンで、後半が、実際の人生を振り返る回想となってい る。まず初めに、戦争が特に母であるエミリーに与えた 影響について分析し、<母と娘の関係>を考察する。次 に、作品の構成について解説していきたい。

1. 母と娘の関係

 人生でもっとも大切なものとしてまず両親を挙げたア イリス・マードック4(レッシングと同様に1919生まれ である)とは対照的に、レッシングはAlfred & Emily の後半部分で “I hated my mother” (AE, 179)と断言 している。そうした複雑な親との関係を反映してか、小 説の前半を成す想像の物語で、若き日のエミリー・マク ヴェーとアルフレッド・テイラーは親の期待に反発し、

それぞれ農夫と看護師の道を希望している。アルフレッ ドの母親は、彼が銀行員になることを望んでいたが、少 年時代のほとんどを農家ですごしたアルフレッドの情熱 は農業をすることにあった。エミリーの家庭はロンドン のイーストエンドの裕福な労働者階級であったが、当時 看護師になる女性のイメージといえば、 “the lowest of the low” “the roughest of working-class girls” (AE, 8)

という言葉にも表れているように劣悪なもので、大学進 学という娘の将来に期待を寄せていた父は、エミリーを 勘当する。まもなく、エミリーとアルフレッドは農夫と 看護師になる。これは現実の人生においても事実であり、

レッシングの反逆の血統が皮肉にも親譲りであったこと が伺える。

 小説後半の回想部分でレッシングは次のような分析を する――有能なエミリーが看護師ではなく、もし医師を 目指したのであれば、祖父はおそらく娘を応援したであ ろう。それにもかかわらず母エミリーが看護師になった のは単に祖父を失望させるためだったに違いない、と。

レッシング自身、まるで母親の期待を裏切るためかのよ うに、目の病気をきっかけにして、わずか14歳で学校を 退学したり、母の束縛を逃れるために、10歳年上のフラ ンク・ウィズダムと1939年にわずか19歳の若さで結婚し、

1943年に離婚した。

 レッシングの作品世界を覗いてみると、The Grass is Singing(1950)やMartha Quest(1952)などの初期 の作品では、親に反発し、家を飛び出していったプロ タゴニストたちを数多くの困難が待ち受けている。ま た、The Summer before the Dark(1973)やTo Room Nineteen(1963)などの女主人公たちは、世間が期待す る因習的な性的役割を従順にこなし、一見人も羨む平穏 な人生を送っているように見えながらも欲求不満と挫折

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感にさいなまれている。レッシング作品に出てくるこの ような反逆するプロタゴニストたちにしろ、ライフク ライストに陥る従順なプロタゴニストたちにしろ、共通 しているのは彼女たちのアイデンティティの脆弱さであ る。<揺るぎないアイデンティティの確立>という課題 は、レッシングが生涯にわたる創作活動を通して追求し た重要なテーマの一つである。

 小説後半の幸福なバージョンを成す想像の人生では、

エミリーは妻でも母親でもない。ウィリアム・マーチン-ホ ワイトという男性と結婚こそするが、結婚生活は体裁を 保つだけの表面上のもので、寡婦となってからはロンド ンの貧しい子供のために読み聞かせを行う学校を立ち上 げる。このストーリーテリングの才能と、教育者として の資質こそ、母エミリーの本質であったとレッシングは 考えるようになった。後半の回想録では、娘ドリスと息 子ハリーのために、ロンドンから本を取り寄せたり、自 ら物語を創作して読み聞かせたりし、また、現地のアフ リカ人に体の仕組みを教えたり、薬を施したりする母の 姿が紹介されている。ここでレッシングは次のように言 っている。

The real Emily McVeagh was an educator, who told stories and brought me books. That is how I want to remember her. (AE, 192)

 ストーリーテラーや教育者としてのこのたくましいエ ミリーのポジティブな一面は、アフリカを舞台に自伝的 小説Out of Africa (1937)を書いたアイザック・ディネ ーセンに似ており、アフリカでの生活に行き場を失い絶 望のふちに立ちながらも、娘ドリスの人生を干渉するこ とに唯一の希望を見出したネガティブな母の姿とは遠く かけ離れている。レッシングは自分の母に垣間見たこの ポジティブな素質を、Alfred & Emilyの前半では寡婦エ ミリーの姿に生き生きと蘇らせることに成功している。

 先ほどアイデンティティの問題を話題にしたが、レ ッシング作品の<母と娘の関係>に関連付けて考察す ると、<母と娘>は同性であるだけに、<自己>と

<他者>との境界線があやふやになり、<娘から母>へ は同情と批判の感情が強く、<母から娘>へは自分の価 値観や実現しなかった夢を押し付ける傾向が強く現れて いる。Alfred and Emilyの中でも、レッシングは次のよ うに回想する。

That I was saving myself by escaping from her [Lessing’s mother] I did know, but had no idea of just how powerful is the need to take over a child’s life and live it. (AE, 186)

 レッシングは、母が父と結婚すべきではなかったし、

自分という子供を持つべきでもなかったと、考えている。

インタビューで、レッシングは次のように語っている。

We hated each other . . . We were quarrelling from the start. She wouldn’t have chosen me as a daughter. I was landed on her. I must have driven her mad.5

 レッシング作品に出てくる大抵の女性は結婚によって 自由を失い不幸になっている。また、The Fifth Child

(1988)という作品は、5番目に生まれたベンという子 供が幸せな家族を不幸にする話である。更に原始の人間 像を描いたThe Cleft(2007)では、すべての女性に母性 が備わっているわけではないことを間接的に示している。

 Alfred & Emilyの後半で、レッシングは、第二次世 界大戦の間、現代のフェミニストとは程遠いインフォー マルな<女性のグループ>に入っていたことを回想して いる。15人かそこらのメンバーたちは、文学を手がかり に自分たちの抱える問題について語り合っていたが、母 たちとの関わりもその一つであった。メンバーの女性 の多くが、娘が結婚して家を出たあとも干渉すること をやめない母親たちに悩まされていたのだ。エミリー は、結婚などせずに仕事を続けるべきであった。エミリ ーのような母親たちに対して、レッシングは、Alfred &

Emilyの中で次のように言っている。

These were women who should have been working, should have worked, should have interests in their lives apart from us, their hag-ridden daughters. (AE, 191)

 成功した作家になるまでに、およそ15歳からずっと、

子守や電話の交換手など色々な職種で、自立して生計を たててきた作家は、女性にとってのキャリアの充実と 独立の重要性を認識している。例えば、The Diaries of Jane Somers(2002)6などの作品では、キャリアと女性 のアイデンティティの確立の問題を提起している。

 エミリーを妻や母、そして専業主婦にしたアルフレッ ドとの結婚に駆り立てたもの――それは第一次世界大戦 であった。エミリーは大戦で恋人を失ったあと、同じく 大戦で傷ついた父の看護師になる。父アルフレッドはト レンチに駆り出され、片足を失った。一生義足で生活し た父は、糖尿病にかかるまでは持ち前の運動神経のよさ で乗馬をこなしたり、木のぼりをしたり、義足のハンデ ィは何とか乗り越えたものの、戦争の恐怖と、戦死し た同僚の記憶の呪縛から逃れることはできず、毎晩の ように悪夢を見て苦しんだ。そのような父の姿は、作 品Martha Questの中でマーサの父であるアルフレッド・

クェスト(レッシングの本当の父の名前と同名)の姿に

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よく描かれている。彼のように傷ついた数多くの兵士 を、十分な処置もできずに失ったエミリーの精神は崩壊 寸前で、そのために病院をやめて、アルフレッドとの新 生活に逃避したのであった。しかし、アフリカに行って もアルフレッド同様に母の心の傷は癒えることはなかっ た。エミリー本人は心臓発作を理由に寝込みがちであっ たが、実は精神崩壊の状態であったことを次の文章は伝 えている。

Now I look back and know that she had a bad breakdown of everything she had been and was.

That woman whimpering in her sickbed, ‘Pity me, pity’, it was not her. (AE , 159),

It took me years ―― and years ―― and years ――

to see it: my mother had no visible scars, no wounds, but she was as much a victim of the war as my poor father. (AE, 172)

 Alfred & Emilyには、今までMartha Questのような 自伝的小説やWalking in the Shade (1997)といった自 叙伝などでは見られなかったストーリーテラーや教育者 としての母の資質への尊敬の念に加えて、大戦によって 人生を翻弄され、年月をかけても癒えることがない心の 傷を負った母へのシンパシーが伺える。レッシングの母 との関係は<憎しみ>に始まり、母の娘に対する過剰な 期待への<反発>や束縛からの<逃亡願望>を得た今、

感謝7と許容の感情に落ち着いたようである。このヒュ ーマニスティックな姿勢は、レッシングが作家として、

そして人間として成熟した結果手に入れた余裕の証では ないだろうか。

 2006年ペンギンブックスが出版したLady Chatterley’s Loverには、レッシングがイントロダクションを書いて いる。冒頭にあげた<肉体の傷は癒されても魂の傷は癒 されない>という趣旨の引用中で、全知の語り手は、戦 争で下半身不随の身となったクリフォードの精神状態を 表している。この引用箇所についてレッシングはLady Chatterley’s Loverのイントロダクションで次のように 述べている。

I remember reading it and thinking ―― Yes, that’s my father (and it was my mother too, but I was years off seeing that). And now we are beginning to recognize how many men and women survive wars apparently intact, but inside they are bruised and may never recover. Millions of them everywhere.8

レッシングは、Lady Chatterley’s Loverの “emotional foundation” が、<戦争への怒り>と<戦争のもたらし

た結果>にあると言っているのだ。9 

 2008年に出版されたレッシングの短編小説集のイント ロダクションは親友であるマーガレット・ドラブルによ ってかかれた。ドラブルは次のように言っている。

The legacy of two world wars now seems to Lessing, retrospectively, to weigh more heavily than ever, as it did in his later years on poet Ted Hughes. Industry and war, the industry of war, and the ruined lives of the unnumbered and unforgiving dead do not recede.‘Beware, beware the angry dead’, wrote Lawrence, in poem after poem towards the end of his life. The tragedy of Lessing’s father’s lost and wounded generation became not less but more immense to her with time, and his bitterness more prophetically haunting.10

 従って、Alfred & Emilyも反戦小説としてのアプロ ーチが必要ではないだろうか。第一次大戦によって打ち ひしがれた両親のもとで育ち、第二次大戦ではホロコー ストを目撃し、それ以後も数々の戦争をみてきたレッシ ングこそ、自伝的小説Martha Quest(1952)などのシ リーズ名にもなっている “Children of Violence”の一人 なのである。

2. Alfred & Emilyの構成

 虐待や身近な者の死など、特にトラウマとなっている 人生のイベントを描いた作品が、読者の心の整理をし、

魂を慰め、読者に勇気を与えるという点で近年マス・カ ルチャーの枠組みで “inspirational memoir”などと呼 ばれている。Alfred & Emilyの中で、父よりもむしろ、

母の話題が前半の想像の物語でも後半の回想録でも生き 生きと描かれているのは、作家レッシングにとって、母 との関わりの難しさの裏返しであり、おのれの心の暗闇 に光を当てたいという願望の現われであったのだと思わ れる。

 前半で想像の物語<フィクション>を語り、後半で回 想<リアリティー>を綴るという実験的な語りの手法 は、同じ登場人物を違った環境におくことで、人物の本 質をより鮮明に浮き彫りにすることができるというメリ ットを持つ。レッシングのリアリズム小説への不信の表 れは1962年のThe Golden Notebook(1962)という形で 金字塔を打ち立てた。この小説では違った色のノートと Free Womanの章を、黄金のノートが最後に包括するこ とで、断片化した主人公/作家の精神やアイデンティテ ィと社会そのものとを受け入れて、主人公が精神崩壊を 免れるというメタファーが暗示されている。それと似 て、このAlfred & Emilyでも二部構造を用いることで、

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傷ついた<リアリティー>を<フィクション>で救済し ようという意図が見えるわけだ。実は、この手法はThe Diaries of Jane Somers(2002)ですでに間接的に用い られている。この作品では、老婆の介護を通して救いよ うのない不条理を目にした中年女性が、現実の状況とは 違う空想の小説を書くことによって心の整理をして、自 分を実際に取り囲む現実に向き合うための希望と勇気を 得る。

 ここまで述べてきたように、高齢のレッシングが今も なお心を痛めている両親の生き様の背景には第一次世界 大戦があった。Alfred & Emilyの序文でレッシングは 述べている。

That war, the Great War, the war that would end all war, squatted over my childhood. The trenches were as present to me as anything I actually saw around me. And here I still am, trying to get out from under that monstrous legacy, trying to get free. (AE, viii)

 作家の人生最後の作品として、人生の原点に立ち戻り Alfred & Emilyを書くことで、レッシングの心に平安 がもたらされたかどうか私たち読者には分からない。イ アン・マキューアンのAtonement(2001)11では、メタフ ィクションの次元で作家ブライオニー・タリスが人生最 後の作品として自伝的小説を発表する。ブライオニーは、

実現しなかった<幸福>の物語を語ることで過去の過ち への償いをしようと試みるが、創作によって現実の人物 の人生を変えることができるわけではないという作家の 限界を彼女は知っている。これと同様の限界をAlfred &

Emilyは抱えているが、戦争を知らない世代の読者に及 ぼす影響はどうであろうか。

 私たちをとりまく現代社会は、紛争や広がる貧富の差、

核兵器の脅威や、更には地球温暖化まで、あたかもレッ シングが書いてきたスペース・フィクションが現実の ものとなるかのように、闇雲につつまれている。Alfred

& Emily前半の<フィクション>で、年老いたエミリー は犬をいじめていた少年たちを注意したことで、暴行を 受けて亡くなる。実際のエミリーが亡くなったのと同じ で73歳であった。頭を殴られたことより、精神的なショ ックが心臓発作の引き金になったと考えられている。こ こで私が注目したいのは、<暴力>や<戦争>を好む残 虐性が一部の人間には確かに備わっていることをレッ シングが認識しているということだ。Mara and Dann, an Adventure(1999)という1999年に出版されたスペー ス・フィクションでは、孤児の姉マラと弟ダンが生き残 りをかけて冒険をするのだが、ダンは自らが抱える<暴 力性>や<悪への誘惑>を克服するのに苦労する。また Alfred & Emilyの中で、レッシングは弟のハリーが戦

争好きのレイシストであったことを明かしている。レッ シングの息子のジョンも戦争を愛していた。レッシング は、自分たちの<邪悪さ>、<弱さ>を自覚しながらも、

良心的な人間の知性に希望を抱いているにちがいない。

おわりに

 2007年レッシングはノーベル文学賞を受賞した。ノー ベル賞の106年の歴史の中で女性作家としてはレッシン グが11人目の受賞者である。さらに英語圏の女性作家で は、南アフリカのナディン・ゴーディマ、アフロアメリ カンのトニ・モリソンに続き、レッシングが3人目だ。

この3人は、いずれも現代がかかえる社会問題に強い関 心を抱き、セックス/ジェンダー・人種・階級などの差 別が孕む諸問題を描き、人間の生活の向上を求めて戦っ てきたヒューマニズム作家たちである。このことは、社 会構造がますます分裂して混乱するいま、自分のエゴを 主張しあう現代人の私たちにとって非常に意義深いこと ではなかろうか。更に受賞のスピーチでレッシングは、

学ぶことを渇望しながらも貧困で本がない環境で過ごす ジンバブエの子供たちと、ロンドンの裕福な学校の充実 した図書館を活用せずにネットに没頭するイギリスの子 供たちとを比較して、世界の中に蔓延する不平等の問題 を取り上げている。12 (現実の世界で)エミリーのよう な母親が本を取り揃えたり、(空想の世界で)エミリー のような未亡人が読み聞かせの学校を開校したりするこ とがない、現実の第三世界では、ドリス・レッシングの ような作家の才能が開花することはこれからも決してな いであろう。

 最後に彼女のインタビューでの発言から、作家として レッシングが人類の置かれた状況を見つめる視座を確認 したい。

Humanity has got worse and worse, puts up worth more and more, gets more and more bourgeois. . . . I have always observed incredible brutality in society.

My parents’ lives and the lives of millions of people were ruined by the First World War. But the human imagination rejects the implications of our situation. War scars humanity in ways we refuse to recognize. After the Second World War the world sat up, licked its wounds ineffectually, and started to prepare for the Third World War.13

 「人間の想像力は、我々の置かれている状況が暗示す るものを拒否する」「戦争は、私たちが気づかないよう なやり方で、ヒューマニティーを傷つける」――この発 言が示唆しているように、レッシングの作家としての役 目は、国家間の戦争であれ、人種・階級間の闘争であれ、

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更には男女間のセックス・ウォーであれ、傷つけられた

<ヒューマニティー>――すなわち、人類と人間性――

の実体を<物語>を通して明るみに出し、<現実>を理 解するための豊かな想像力を私たち読者に喚起させるこ とにある。

付記1.謝辞

 本稿は、日本英文学会九州支部第61回大会(2008年10 月25日、於福岡大学)シンポジアムにおける口頭発表に 基づく。オーディエンスの方々と、有益な助言を下さっ た福岡大学教授山内正一先生に感謝の意を表したい。

付記2.Biobibliographical Notes (nobelprize.orgより 一部抜粋)

Doris Lessing was born on 22 October 1919 to British parents in Kermanshah in what was then known as Persia (now Iran) as Doris May Taylor. Her father, Alfred Cook Taylor, formerly a captain in the British army during the First World War, was a bank official.

Her mother, Emily Maude Taylor, had been a nurse.

In 1925 the family moved to a farm in what was then Southern Rhodesia (now Zimbabwe) hoping to improve their income. Lessing described her childhood on the farm in the first part of her autobiography, Under My Skin (1994). At the age of seven, she was sent to a convent boarding school but later moved to a girls' school in Salisbury. When 14 she independently ended her formal schooling. In the following years she worked as a young nanny, telephonist, office worker, stenographer and journalist and had several short stories published. In 1939 she married Frank Charles Wisdom with whom she had a son, John, and a daughter, Jean. The couple divorced in 1943. In 1945 Doris married Gottfried Lessing, a German-Jewish immigrant she had met in a Marxist group mainly concerned with the race issue. She became involved with the Southern Rhodesian Labour Party. She and Gottfried had a son, Peter. When the couple divorced in 1949, she took Peter and moved to London, quickly establishing herself as a writer. Between 1952 and 1956 she was a member of the British Communist Party and was active in the campaign against nuclear weapons. Because of her criticism of the South African regime, she was prohibited entry to that country between 1956 and 1995. After a brief visit to Southern Rhodesia in 1956, she was banned there as well for the same reason. In African Laughter: Four Visits to Zimbabwe (1992) she described going back in 1982 to the country where she had grown up. She now lives in

London.

付記3.作品概要

 この作品は、主として前半と後半の2部によって構成 される。前半は戦争がなかった場合の両親の<想像>の 人生で、イギリスを舞台とする。コルチェスターのクリ ケットの試合を見に来ていた若き日のEmily McVeagh は大学進学を期待していた父John McVeaghに勘当さ れながらも看護師になることを希望している。実の母 はEmilyが幼いときに亡くなっており、継母との関係が 希薄なEmilyにとって、Mrs Laneは代理母的存在であ る。クリケット選手のAlfred Taylerはスポーツ万能の 好青年。両親から銀行員になることを期待されている が、彼の本当の夢は農夫になることだ。初対面のEmily とAlfredは恋に落ちることもない。やがてEmilyは有能 な看護師になるが、心臓外科医のWilliam Martin-White と結婚して退職する。しかし、夫との結婚生活は世間的 な体裁を保つばかりの冷え冷えとしたものであった。夫 の存命中は、パーティーやコンサートの企画など、社交 界の中心的存在として活躍するが、Emilyの本領が発揮 されるのは寡婦となってからである。彼女は夫の遺産を 資金として、ロンドンの貧しい子供のために読み聞かせ を行う学校をたちあげる。甥のCedricと彼の妻のFiona の協力もあり、この企画は成功し、やがてEmilyの学校 は全英に広がる慈善事業へと拡大する。一方農夫にな る夢を実現させたAlfredはBetsyというやさしい妻を迎 え2人の息子にも恵まれる。友人Bertのアルコール依存 症が二人の幸福な結婚生活に影を落すが、子供たちに 読み聞かせを行うことに人生の意味を見出したBertを温 かく支える。またEmilyもAlfredたちの要請でロンドン から子供たちの本をBertに送って協力する。子供たち の本の読み手の一人であるAlistair McTaggartから愛さ れ、Emilyも彼に好感を持っていたが、二人の関係が平 行線をたどり何も進展しないうちにAlistairは亡くなる。

Emilyは犬をいじめていた子供たちに注意したことで反 撃され、その精神的ショックから心臓発作を起こして73 歳で亡くなる。

 その後、架空の物語の登場人物のモデルになっている 実在の人物についての「説明」の章に続いて、ロンドン 百科事典よりEmilyが働いていたロイヤルフリーホスピ タルの歴史が掲載される。

 後半は、D.H.ロレンスのLady Chatterley’s Loverの引 用から始まる。第一次世界大戦によって肉体的に傷つき、

その後も戦争の記憶と、戦死した同胞の悪夢に苦しむ父 Alfredの姿と、不幸な母Emilyの人生についての<回想 譚>が主となる。しかし、重点が置かれるのは、母と娘 の関係である。Emilyは望めば看護師長にもなれるほど の有能な看護師であったが、恋人を戦争で失ってから、

患者であったAlfredと出会って結婚し、病院を離れる。

(6)

アフリカに移住してからは人生に希望を失い、母の主張 によるところの――「心臓発作」を起こした後は、自分 を不憫に思うあまりに子供たちに泣き言を言って過ごし た。レッシングの弟のHarryは、Emilyのお気に入りの 息子であったが、寄宿学校に行ってからは滅多に家に寄 り付かなくなる。それ以降、娘ドリスに無謀な夢を託し たり、ドリスの生活に干渉したりすることが母の人生の 生きがいとなった。アフリカ時代の彼女の回想は、ペッ トとして飼っていた牛、大自然の中の家、怖かったカブ トムシ、シンボルツリーなどの話題を駆け巡り、食糧危 機への見解、大人になってからの弟との関わり、父の闘 病記、召使の問題が端的に述べられる。父が亡くなった あと、ドリスと弟は本気で母に再婚を薦めたが、母は笑 い飛ばすだけであった。晩年をEmilyは他の寡婦たちと トランプをして過ごした。73年間の人生であった。

1.Doris Lessing, Alfred & Emily (London: Fourth Estate, 2008) vii. (hereafter AE)

2.And dimly she realized one of the great laws of the human soul: that when the emotional soul receives a wounding shock, which does not kill the body, the soul seems to recover as the body recovers. But this is only appearance. It is, really, only the mechanism of reassumed habit. Slowly, slowly the wound to the soul begins to make itself felt, like a bruise which only slowly deepens its terrible ache, till it fills all the psyche. And when we think we have recovered and forgotten, it is then that the terrible after-effects have to be encountered at their worst.

D.H. Lawrence, Lady Chatterley’s Lover (AE, 151)

3.Doris Lessing, “A Small Personal Voice,” Tom Maschler ed., Declaration (London: MacGibbon and Kee, 1957) 27.

4.『英語青年 特集アイリス・マードック追悼』1999年6 月号参照。

5. “Doris Lessing: Prize Fighter” in Telegraph. 21 April 2008. Quoted from 23 July 2008 <http://www.

telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2008/04/21/sv_

dorislessing.xml>

My father and mother should never have been married . . . he was so dreamy and sexual, whereas she was so brisk and efficient and cut and dried. They didn’ t understand each other at all. She was always funny about sex.

以下も参考。

I hated my mother. I can remember that emotion from the

start, which it is easy to date by the birth of my brother.

Those bundling, rough, unkind, impatient hand: I was afraid of them and of her, but more of her unconscious strengths. (AE, 179)

6.Doris Lessing, The Diaries of Jane Somers (London:

Flamingo, 2002) は、前 編The Diary of a Good Neighbour

(1983)と後編はIf The Old Could . . . (1984)の2部構成 である。ここでは両編の内容を指す。

7.But I owe to her, my mother, my introduction to books, reading – all that has been my life. (AE, 184)

8.D. H. Lawrence, Lady Chatterley’s Lover: A Propos of

“Lady Chatterley’s Lover” (London: Penguin Books, 2006)

XXII.

9.Ibid., XXVII.

10.Doris Lessing, Stories (London: Everyman’ s Library, 2008)

xiv.

11.1935年夏からの物語。シシリアと引き離されたロビー は1940年にダンカルクに行き、死亡する。

12. “A Hunger for Books” in The Guardian. 8 December 2007.

Quoted from 6 Octorber 2008 <http://www.guardian.co.uk/

books/2007/dec/08/nobelprize.classics>

13.Jonah Raskin, “The Inadequacy of the Imagination,” Earl.

G. Ingersoll ed., Doris Lessing: Conversations (Princeton and New Jersey: Ontario Review Press, 2000) 17.

参考文献

『英語青年 特集アイリス・マードック追悼』1999年6月号。

Ingersoll, Earl G, ed. Doris Lessing: Conversations.

Princeton and New Jersey: Ontario Review Press, 2000.

Lessing, Doris. The Grass is Singing. 1950. London:

Flamingo, 1994.

---. Martha Quest. 1952. London: Flamingo, 1993.

---. The Golden Notebook. 1962. London: Flamingo, 1993.

---. The Summer Before the Dark. 1973. London: Flamingo, 1995.

---. Walking in the Shade: Volume Two of my Autobiography, 1949-1962. London: HarperCollins, 1997.

---. Mara and Dann, an Adventure. London: Flamingo, 1999.

---. The Diaries of Jane Somers. London: Flamingo, 2002.

---. Introduction to D. H. Lawrence, Lady Chatterley’s Lover. 1928, London: Penguin, 2006.

---. The Cleft. London: Fourth Estate, 2007.

---. Alfred & Emily. London: Fourth Estate, 2008.

---. Stories. London: Everyman’ s Library, 2008.

(7)

Internet Resources

“A Hunger for Books” in The Guardian. 8 December 2007.

Quoted from 6 Octorber 2008 <http://www.guardian.

co.uk/books/2007/dec/08/nobelprize.classics>

“Doris Lessing: Prize Fighter” in Telegraph. 21 April 2008.

Quoted from 23 July 2008 <http://www.telegraph.co.uk/

arts/main.jhtml?xml=/arts/2008/04/21/sv_dorislessing.

xml>

“Grande Dame of Letters Who’s not Going Quietly”

in The Times. 23 November 2003. Quoted from 26 April 2005 <http://www.timesonline.co.uk/

article/0,,14449-1132868_1.00.html>

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