• 検索結果がありません。

浄土宗総合研究所報 Vol.03

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "浄土宗総合研究所報 Vol.03"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

浄土宗総合研究所報

1

9

9

2

-

-

-

3

V

o

.3

1

⑨講演・曇鴛大師鏡仰

⑨諮問課題「脳死・臓器移植問題」に対する報告

⑨行事報告[

平成

3

4

年度

]

(2)

⑨ 巻 頭 書

研究所設立四年を経過して

2

7

J

u

文字どおりの浅学非才 、 その任に適していないことは万々承知の上で、前所長藤 堂恭俊先生(大本 山 増上寺法主台下) 、成固 有恒浄土宗宗務総長をはじめ関 係各位 のご推挙により、やむなく今年四月より暫時わたくしが所長の席をけがすことに なった 。 おもえば 、 平成元年四月に 、 当時の大田 秀 三宗務総長お よび竹中 信常教学院研究 所長の並々ならぬ熱意によって浄土宗総合研究所が誕生した 。 具 体的には、五十年 近くの歴史を持つ教学院研究所と 、 布教研究所、法式研究所の 三 研究所を統合した ものである、とい っ て よ い 。 研究所組織として 、 教学 、布 教 、 法式の 三 研究部門が 置かれている所 以でもある 。 実動の段階に入った平成 二 年七月に創 刊 されたこの﹃浄土宗総合研究所報﹂第 一 号巻頭 言 として 、 大田宗務総長は﹁本宗教 化 のあり方を 二 十 一 世紀に向か っ て 、 地 球的視野のもとに確立し、現代の高度情報 化社 会におけるダイナミックな社会機構

(3)

の変革に対応する浄土宗総合研究所の果たさなければならない責務は重大である﹂ と述べ、竹中研究所長は﹁各研究部はそれぞれ独自の実質と目的とをもっている が、しかしそれらが個々ばらばらの在り方では本宗教化の実を挙げることは出来な い 。三 者が各自の特質を持ちつつも一つの有機体として活動すべきである﹂と述べ ている 。 総合研究所のめざすところはこの両師の所述に明確である 。 昨年六月、研究所のありかたを案じつつ竹中信常所長が任期を残してご遷化さ る 。 藤 堂 恭俊教学研究部長がそのご意思をついで 一 年近く所長としてその発展に力 を注いでいただいた 。 藤堂所長による﹃選択集﹂連続公開講座をはじめとする各種 公開講座、月例研究会、集中研究会、特別研究会、公開講演会、資料収集、各種調 査 等 々、各研究員や研究部員による活発な研究活動によ っ て研究所が充実してきた ことは同慶のいたりである 、 J J この四年間は研究所体制を整える 言 わば初期の時代であったとみなしてもよい 。

研究所設 立 趣旨のよりいっそうの具現を願一いつつ、これからのありかたとしてとり あえず次のような方向付けをめざしている 。 一 いままでの研究活動を受けつぎ、より充実させながら 三 研究部門が 真 に 一 体と な っ て総合の 実 をあげるようにしたい 。 二 総 合 と は 、 三 研究部門の総合という意味のみではないはず 。 したが っ て必要に 応じて他の研究部門を開設してゆきたい 。 三 寺 院住職が期待する即今の課題についての研究をとりあげてゆく 。 その課題に ついての優れた研究 プ ロ ジ ェ クトチ

l

ムを組織してゆきたい 。 まだいろいろあるが、 言 うは易く行うは難い 。 一 歩 一 歩 着 実に前進、そして存在 感のある研究所へ 。 いまは亡き竹中 信 常先 生 、そして藤堂恭俊台下に甚深の謝 意 を 表 し、本研究所員 のご精進ご協力はもちろんのこと、宗門諸大徳各位の温かいお力添えを心から念願 し、所 信 の 一 端を述べ、拙い巻頭の 言 葉にかえさせていただく 。

(4)

⑨講演

{ 講

演 ︼

平成

4

3

月お日

曇驚大師鑓仰

[ 浄土宗 総合 研究所 ]

藤堂恭俊師

総合研究所の三部門は、きょうで一応の 年度末を迎えることになってしまいまし た 。 せっかく集まりがありますので、きょ うはお話をしていただこうという企画をさ せていただきました 。 特に今年度は曇耕地大師の千四百五十年の こ遠忌に当たる年でございます 。 そういっ たことで、所長の藤堂先生にお願いしまし たら、快くお引き受けくださいまして、ご 講演をいただくことになりました 。 私ども もぜひお聞きしたいお話でございます 。 先 生、よろしくお願いいたします 。

の年

千四百五十年遠忌

ただいまご紹介がありました 図らずも本年は曇鷺大師ご入滅 千四百五十年という年でございます 。 同長官驚大師が四七六年に誕生なされ、五 回二年に六十七歳を 一 期として亡くなっ ておいでになります 。 これは道宣の ﹁ 続 高僧伝﹂の第六巻の曇鷺伝に基づいた生 存年代でございます 。 ところが同じ ﹃ 続 藤 堂所 長

ょ 、

つ に

高 僧 伝 ﹄ 第 二 十 巻 の 道 縛 伝 の な か に は ﹁ 斉 時曇鷲法師﹂と記されてありますの で、大師のご入滅はもう少し後になるで あろう 、 という判断をおこさせることに なりました 。 望 月 信 亨 先 生 な ど は 、 北 斉 の 五 五 四 年 、 つまり天保五年 、 この年につく られ た造像銘記によりますと、その造像のた めに協力をした僧尼、優婆塞、優婆夷あ わ せ て 四 十 名 の 名 前 の 中 に ﹁ 比 丘 僧 曇 鷲﹂という五字が入っているということ が 一 つ と 、 さきに申しました道 宣が書き

(5)

ました道縛禅師の伝、あるいはまた迦才 の ﹃ 浄土論 ﹄ などに、北斉の初めになお 曇鷲大師は存命していたという記事がご ざいますので、それらの点を踏まえられ て、むしろ興和の四年に亡くなったので はなく、北斉の天保五年、五五四年には まだご存命中でなか っ ただろうか 、 と指 摘されたのであります 。 そのようなこと で文献上、天保五年、五五四年が曇鷺大 師にと っ て は 一 番新しい年であると考え られるようになりました 。 さて 、 例教大学に長らく非常勤の講師 としてお勤め頂いています関西大学の東 洋史専門の教授藤善真澄先生が 、 曇鷺大 師伝の研究を進められていますので、お 尋ねいたしたことをお伝えした いと存じ ます 。 藤善先生は、望月先生などが使わ れた造像銘記は、実は山東省から出た拓 本で 、 これを大村西崖先生が ﹃ 支那美術 史彫塑篇 ﹄ のなかに収録されたのに基づ いていられるようであると指摘されると 共に 、 その拓本は中国の羅振玉という方 が日本に亡命された時に持 っ てこられた 資料であるとお教え頂きました 。 この造像銘記には、 天 保 五 年がまさし く七十九歳にあたる 曇 鷲の名が第十番目 に刻まれています 。 年齢や法臓から考え ると 、 も っ と上のほうに早く名が出てこ なければならないということと、さらに また道宣が ﹃ 続高僧伝 ﹄ を編集するにあ たって山西の方にも出向いて、材料を仕 込んでいますから、石壁谷玄中寺の中に ﹁鴛碑あり 。 つぶさに嘉瑞を陳ぶ ﹂ と記 載し得たのでありますから、そう簡単に ﹃続高僧伝 ﹂ の記事を抹殺するわけには いかないという、そういう藤善先生のご 意見を拝聴したのであります 。 そういう点から従来どおりの興和四年 に曇鷲大師が亡くなった、という説が穏 当であると考えねばなりません 。 そうい うことを踏まえまして、今年は入滅 一 千 四百五十年にあたるわけでございます 。 曇 驚 大 師 の 教 学 の 特 色 を お 述 べ を し て 、 大 師 を讃 仰 申し上げるわけでありま すが 、 三 点ぐらいにしぼ っ てお述べをし たいと思います 。

北貌仏教

仰の

無仏感

曇 鷺 の 活 躍 し た 時 代 まず皆さんもご承知のように、 ﹃ 論 註 ﹄ 開巻努頭には、現在は五濁の世、無 仏の時であると述べています 。 こ の 曇鷲 大師が生存された時代を、年表によ っ て 見ますと、大師の生存中に八皇帝、年号 の改めニ十回に及んでいます 。 なるほど 北貌の帝王の在位は、長続きしている孝 文帝は二十三年続きましたが、その後の 帝王は長くて十五年 。 しかも 一 年の聞に 年号が 二 回、=一回とも変わったりしてい ますから、政治的に大変不安定な時代で あったといわねばなりません 。 曇驚 大師の伝記によりますと、 五 二 七 年から五二九年の頃に山西から南の揚子 江流域の南京 、 その当時は梁の都でござ いましたので、武帝に会い、武帝の紹介 を得て神 仙 の大家であります岡弘景をた ずねて 仙経を頂戴 して帰られることが 、 ﹁ 続高僧伝﹂に記されてあります 。 それ は梁の大通年間のことであります 。 南京から洛陽にまで帰 ってこられたの は、おそくとも五 三 O 年 ごろと思います が 、 その翌年に﹃往生論 ﹄ が菩提流支 三 蔵によって訳されています 。 これは ﹃ 歴 代 三 宝紀﹂の説ですが 、 ﹁ 開元釈教録 ﹄ をみますと 、 二年以前の五 二 九年に訳さ れたことになっています 。 一 般にこの五 = 二 年説を採用しているようでございま すから普泰元年の訳であります 。 そうしますと 、 ﹃ 往生論 ﹄ の訳出は 曇 鷺大師が五十六歳のときであります 。 大 師は六十七歳で亡くなっていますから、

(6)

五十六歳から六十七歳の問に 、 ﹃ 論註 ﹂ ゃ 、 ﹃ 署論安楽浄土義 ﹄ 、あ るいは ﹃ 讃 阿弥陀仏偶 ﹄ をおつくりにな っ たわけで す 。 数えてみますと十 二 年ぐらいの問 、 しかも政治的不安で、 王 朝の交代や、戦 争があ っ たりしまして、大変混乱に混乱 を重ねた世の中でございました 。 もう 一 つ考えたいことは、四四六年に 北貌の武帝によ っ て廃仏が行われ、その 後に 、 四六 O 年か ら 大同に石窟をつく っ て、亡くな っ た 皇 帝の像を如来の像とし て造立しました 。 南朝と北朝とでは皇帝 に対する仏教徒の関心が違いまして 、北 朝では 皇 帝 即 如 来 で あ る と い う 考 え 方 を、当時の仏教教団の指導者が持ってい 牢 品 1 レ れ 。

2

ー ー 釈 迦 ・ 弥 勤 信 仰 の 行 き 詰 ま り ともかく 、 五 濁の世 、 そして 、 無仏の 時 と い う 、 一 種の危機感でございます 。 無仏のことはとくに北利腕時代の仏教信仰 と深く関わ っ ています 。 現在、残 っ て お り ます 大 同の石窟や、竜門の石窟の造像 か ら 判断しますと、釈迦仏と弥勤仏に対 する 信 仰が 圧 倒 的 に 多 か っ た 。 ところ が 、 ﹃ 貌 書 ﹄ 釈老志によりますと、その 釈迦・弥勅の 二 仏を 三 世の諸仏として、 この地上に出現する仏であると規定して います 。 しかも 、 過 去仏を継承されたの が釈迦仏であり、また弥勅仏はその釈迦 仏を継承されて、将来この世におでまし になる仏である 。 そのように釈迦 ・ 弥勅 の 二 仏を世襲的な仏陀観の上に把えてい ま す 。 そうしますと、釈尊はもうと っ くに亡 くなってこの世においでにならない 。 し か も 弥 勅 仏 は ま だ こ の 世 に お で ま し に なっていない 。 そ、ついたしますと、現在 は無仏であるという外ありません 。 現在 は無仏であるということは、私のしらべ たところによりますと 、 五 二 四年から五 四九年までの聞にみられる造像銘記の上 にはっきり刻まれています 。 具体的に申 しますと、自分は釈尊の説法を聞くこと ができないばかりでなく、さらには弥勅 仏の説法を聞きたいけれども聞くわけに はいかないという、そういう 二 仏の中間 に在りという表現をしているのです 。 し たが っ て 曇 鷲 大師だけが現在は無仏と申 されたのではなくて、 一 般の仏教徒の問 にも、既にそういう危機感を、世襲的な 仏陀観の上に持 っ ていました 。 この無仏という危機感は、自分を救済 してくれる仏様が現在ただ今、ましまさ ないのだという悲痛な嘆きであり、告内 でもあるわけなんです 。

3

ー ー 仏 滅 年 代 は 考 え ら れ て い た そういうように、無仏はおおざ っ ぱに いって釈迦 ・ 弥勤の中間であると規定さ れますが、この時代には既に釈尊はいつ 入滅されたか、ということをは っ き り 示 しているのです 。 ﹃ 続高僧伝 ﹄ 第 二 十 三 巻 ﹁ 護法篇﹂によりますと、この 当 時に 菩提流支三蔵から ﹁ 東土の菩薩﹂として 礼拝を 受けた曇無最という人と、中国の 道教の萎斌という道士とが正光の元年 、 五 二 O 年七 月に 宮中で討論を行 っ た 。 そ の席で﹁老子が先に生まれたか、お釈迦 様 が 先 に 生 ま れ た か ﹂ と い う こ と を め ぐっての論争がありました 。 その時に釈 尊は周の穆王の五三年 、 西洋紀元前の九 四九年に亡くなっている、と口 答 無最が答 えたというのです 。 また五五一年に北斉の昭玄統とな っ た 法上 ( 四九五 1 五八 O ) の伝記の中に、 朝鮮半島の高句麗から遣いが来て、お釈 迦様は 一 体いつ生まれられて、いつ亡く な っ たのかということを教えて欲しい 、 という問いに対して、東貌の武 平 七 ( 五 七六 ) 年から逆算しますと、釈尊が亡く な っ てから千四百六十五年の歳月が経過 したと答えたことが、 ﹁ 続高僧伝 ﹄ 第八 巻 ﹁ 義解篇﹂に記されています 。 今日学

(7)

界で認められている仏滅年代とは大いに かけ離れていますが、ともかくこのよう に仏滅年代を計算していたことを認めな ければなりません 。 釈迦・弥勤の中間と いう受けとりかたの背景に、このような 仏滅年代があったことを知っておきたい と思います 。

4

1

1

阿 弥 陀 仏 信 仰 の 登 場 日 官 官 鷺 大 師 は 、 そういう北貌の仏教信仰 上の危機感を 、 どういうふうに超克され たのかということに進んでまいりたいと 思います 。 現在ただ今の、私を救う仏は 、 釈迦 ・ 弥助のような地上に 出 現する仏ではなく て 、他 方仏土で成仏される仏でなければ なりません 。 この地上仏ということにな ると、時間的 ・ 空間的な制約がございま すから、そういう時間的 、 空間的な制約 のない 、他 方世界にまします仏に期待を いだくことになります 。 地上仏の在します世界には五つの濁り があり 、 しかも現在は無仏であるのに反 して、他方仏土の中の西方極楽世界は清 らかな浄土であり、しかも阿弥陀仏がま します世界であります 。 このように此岸 の地上には仏が在まさず 、 濁 っ ているの に反して 、 彼岸の 他 方世界には仏が在ま して、しかも清浄であるという柏異があ り ま す 。 こ こ に 釈 迦 ・ 弥 勅 の 二 仏 に代 わって阿弥陀仏が登場するわけでありま す 。 そこでこの世襲的な仏陀観の切りかえ を当然行われなければならない 。 この切 り か え に つ き ま し て 曇 鷺 大 師 は 、 ﹁ 論 註﹄上巻の初めのところで、この世襲的 な仏陀を 一 仏 三 千大千世界を主領する声 聞論の説であると指摘されています 。 ま た 、 もし諸仏あまねく卜方無丑無辺の世 界を領すというは、これ大乗論の説くと こ ろの説であると指摘されているのは、 明 らかに阿弥陀 仏 を指しています 。 した がって曇驚大師は、声聞論の仏陀観から 大乗の仏陀観へ切りかえを意図されてい たということができます 。

竜樹菩薩

阿弥陀仏

仰の継

1

ーー 竜 樹 の 行 体 と し て の 難 易 観 このように曇鷺大師が阿弥陀仏を信仰 の対象とされることは、インドの屯樹 菩 薩との関係をとおして考えなければなり ません 。 大師は屯樹菩雌の ﹃ 中論 ﹄﹃ 十 二 門論 ﹄﹃ 大智度論 ﹄ および提婆の ﹃ 百 つ ま り四論を研究なさった方です ﹃ 十住毘婆裟論 ﹄ を読んでおいで になる 。 その﹁易行品﹂には、ご承知の ように、難易の説が説かれてあります 。 それは行そのものについての難と易の 分判であり ますか ら 、 なぜ難というか 、 易 と い う か と い う こ と が 問 題 で あ り ま す 。 難易を分 判 する基準は 、 人間のもつ 思 慮 ・ 分 別を仏 道実践の上に許容するか 許 容 し な い か と い う 点 に 置 か れ て い ま す 。 難の方は許さないが 、 易の方は許す のです 。 そういうことで 、 ともかく ﹁ 信 方 使 、 易行にして疾く阿惟越致に至ることを得 る﹂という のが易行品 の説であります 。 信方便というんですから 、 当 然 、 信ずる もの ・ 信じられるものという関係を前提 としています 。 これはあきらかに人間の思慮分別を許 容した上での仏道実践でありますから 、 易行と規定されるのです 。 これに対する 難行の方では 、 自己自身とすべての衆生 を人空として把え 、 さらにまた 、 分別し て説かるべき法も 、 得らるべき菩提も 、 相をもって見らるべき仏も、皆ともにな しとする法空の立場から説いています 。 これら五つからなる人法 二 杢の実践は 、 まさしく中観仏教を軸としています 。 そ 論 山 ﹄ 、 から 、

(8)

うい っ た点で易行は中観仏教の仏道体系 と 一 応袖をわかたなければなりません 。 したが っ て人法 二 空の上に立っか、立た ないかが、難と易とを分る基点となるの であります 。

2

ー ー 竜 樹 の 阿 弥 陀 仏 別 請 さらに竜樹菩薩はこの難易を示した後 に 、 阿弥陀仏を別讃して 三 十 二 行の備を 記載しています 。 それによりますと 、礼 拝をしたり恭敬をしたり 、 間名 ・ 称 名 ・ 憶念することを強調していますが 、 その 前には十方十仏や、さらに過去 ・ 現 在 ・ 未来の諸 仏 菩薩についても偶をつくって います 。 しかしその中で 、 ﹁ こ の 放 に 我れ帰命 す﹂という表現を何回もくりかえして、 特に阿弥陀仏を讃歎し 、 しかもそこには ﹁ 阿弥陀仏の本願かくのごとし 。 もし人 我れを念じ名を称して自ら帰せば、即ち 必定に入り、阿樗多羅 三 猿 三 菩提を得﹂ と い う こ と が 書 い て ご ざ い ま し て 、 称 名 ・ 憶念ということが出てまいります 。 ですから、口 答 鷺大 師は竜樹 菩薩が別讃さ れた阿弥陀仏をご自身の信仰の対象とし て継承されたのであります 。 大師が信仰の対象を阿弥陀 一 仏にしぼ られたことについては、そのほかにもう 件指摘しておかねばなりません 。 菩提 流支 三 蔵は ﹃ 往生論 ﹄ を訳出する十八年 以 前 、 延 昌 二 年 、 五 一 三 年 に ﹁ 入梯伽 経 ﹂ を十巻訳出しています 。 その十巻本 ﹁ 拐伽経 ﹄ の第九品に ﹁ 竜 樹 菩 薩 安 楽 園 往 生 懸 記 ﹂ が 記 さ れ て い て 、 竜樹菩薩は初歓喜地を得て安楽園に 往生したという記事を、大師がご覧にな り 、 自分は長年にわた っ て研鎖をかさね た四論の祖である竜樹 菩薩ですら阿弥陀 仏の浄土に往 生しているのであるから 、 私も阿弥陀仏の浄土に往生を願う べきで あ る 、 と自分の態度を決定するに至 っ た と考え られます 。 大 師は この懸記に基づ いた竜樹 菩薩讃歎の 偽を ﹃ 無量寿経奉 讃﹄つまり ﹃ 讃阿弥陀仏偶 ﹄ の上に披露 されているほどであります 。

3

ー ー 曇 鷲 の 行 縁 と し て の こ 道 観 と 自他二力説 と こ ろ が 、 ﹃ 論註 ﹂ の開巻努頭のご文 相によ りますと 、 五濁 、無仏という時代 に不退転を求めるということは大変困難 である 。 だから 、 阿弥陀仏の在します清 浄なお浄土に 、 まず往生した上で不退転 を 得 る こ と が で き る と 述 べ て い ら れ ま す 。 よ 青 山 鷲 大 師 の 難 行 、 易 行 の 二 道説は、行 体じゃなくて、行縁としての難易と 言 わ ねばなりません 。 このような五濁の世、 無仏の時を実践の場といたしますと、不 退 転 を 成 就 す る こ と は 大 変 困 難 で あ る が、浄土に往生して不退転を得ることは 実践の場が清浄であり 、 しかも仏が在り ますから、容易であると指摘されている のです 。 したがって竜樹菩薩の行体としての難 易の説を継承しながら 、 行縁としての難 易 二 道の説に展開せしめ、さらにそれを 自他 二 力説にまでに発展させたのであり ます 。 そうし ますと、そ の 他力 について曇鷺 大 師は 具 体 的 に 、 第 十 八の念仏往生の願 によって往生し 、 大乗正定の緊に入るこ とができると示されています 。 他 力はま さに易行のシノニムと言ってよいであり 辛 子 し ょ 、 っ 。 し か し は っ き り 願 文 が 出 て き ま す の は、下巻の最後のところに第十八、第十 一 、第 二十二の三願文を記載して 、 四十 八の願の中では特にこの 三 願を強調され たわけですから、易行というのは具体的 にこれら阿弥陀仏の 三 願が他力本願増上 縁 ( 往 生 の 縁 ) と な っ て念仏 ( 往生の 因 ) をするその人に加わ っ て く る か ら 、 容易に往生浄土という結果をもたらすこ

(9)

とができるのであります 。 この他力に対して自力はどうであったか と申しますと ﹃論註﹄の最後 の と こ ろ に 、 持戒 、禅 定、そして神迎 。 この神通 は智慧の 一 部ですから 、 この三つは戒定 慧の 三 学であるといっても誤りではあり ません 。 そうしますと、曇驚大師はこの 三学に対して 別な仏道の体系としての浄 土教の信仰を強調されたといわねばなり ません 。

4

ー ー 曇鷲 大 師 の 阿 弥 陀 仏 の 身 土 阿弥陀仏は本願成就身として、時間・ 空 間 を 超 え た 彼 岸 の 仏 様 で あ り ま す か ら、その仏土のはたらきもまた 、 本願に もとづいて自由自在に彼岸の浄土から 、 現実の此岸に向かって大きな働きをされ る わ け で あ り ま す 。 ま ず 国 土 に つ い て は 、 第一の清浄功徳偶に﹁観彼世界相勝 過 三 界道 ﹂ とありますが、その釈文のな かに 、 いうところの﹁ 三 界 ﹂ について、 こ の 三 界に住んでいる者は、惑と業と苦 にさいなまれているから、このままほっ ておくわけにはいかない、なんとか救わ ねばならない 。 そこでこれらの衆生に、 ﹁畢寛安楽大清浄のところを得せしめよ う﹂というはたらきが 、 国土のすみずみ までいきわたっていることを、曇鷺大師 は強調されています 。 だから、安楽国土の名前を聞いた衆生 を し て 、 ﹁悟﹂らしめるはたらきが具 わっていると、国土荘厳第十 三 妙声功徳 偶 の 釈 の 中 に 述 べ て い る ほ ど で あ り ま す 。 さらに本願のはたらきを 仏身 の上から 申しますと 、仏 荘厳の第 二 、 三 、 四のと ころで、阿弥陀仏の身 業 、 口業 、 意業を 説いています 。 一 切衆生の身口意の 三業 からおこるもろもろの悪に対して 、 阿弥 陀様は身 業 の 相好光明をも って衆生の身 見 を 破 り 、 さ ら に 口 業 の 名 号 と 説 法 を もって 、 衆生の崎慢を破り、心業の無分 別心 をもって衆生の分別を取り除くと述 べています 。 衆生が身口意の上に行う三 業は 、 阿弥陀仏の身口意の 三 業のはたら きを得て清浄化され 、 ついに﹁如来の家 に入る﹂ことになります 。 このように阿 弥陀仏自身は、仏身と国 土の両面をあげ て衆生にむか つ て救いの働きかけをされ ているのであります 。 大 師は彼 岸からの 偉大な働きかけを強く打ち出していられ るのです 。 次に阿弥陀仏につきましては、上巻の 性功徳の偽、 ﹁ 正 道大慈悲出世善根生 ﹂ について 、 く わ し い 解 明 を さ れ て い ま す 。 ま ず 第 一 に ﹃ 華 厳 経 ﹂ の﹁如来生 起﹂の義 、 つまり唐訳で申しますところ の﹁如来出現﹂の義と相異しないと 指摘 され 、 法蔵菩薩が 修行をつまれて 無生法 忍を得られる 。 このときの位を聖種性と いうと述べられています 。 ﹁ 如来性起 ﹂の義に 同じであるという ことは、阿弥陀仏の自内証を指していっ ていますから 、 ﹁理智冥合﹂であるとお 考 え 頂 い て よ い と 思 い ま す 。 この上に 立って 阿 弥陀仏になられるわけでありま す 。 その浄土は国土(依報)と仏・菩薩 (正報)の三種功徳荘厳からなってい ま す が ﹁ 三 種 の 成 就 は 願 心 を も て 荘 厳 せ り﹂と指 摘していますように、 一 切の衆 生を救済し よう とする阿弥陀仏の願心の あらわれであります 。 そのことは法蔵菩 薩が修行の結果 、 理智冥合し給うた自内 証を踏まえ、さらに 一 歩踏み出してこの 三 界の衆生を救済するための願をたて 、 さらにその願を実現するために行をつま れ 、 ついに浄土を建立されたのでありま す 。 このことは現在は無仏であるというこ と が 常 識 化 さ れ て い た 当 時 の 仏 教 界 に とって大きな意義、役割を持ったことは 当然であり ます 。 彼岸の世界から 一 切衆 生のために救済の手が差し延べられてい るという積極的な仏教は、曇鷲大師 当 時

(10)

になか っ たはずなんですから 、 ここで仏 教信仰の流れに 一 大変革をきたすことに なるわけであります 。 つまり阿弥陀仏の 浄土教の思想信仰が曇鷲大師によ っ て 初 めて紹介されたということは、今まで信 仰されていた世襲的な仏陀観から、今現 在の我々に直接的にかかわりを求めてや まない阿弥陀仏に対する信仰へと 、礼 拝 の対象を変えたことになります 。 さらに別の表現で申しますと 、 戒と定 と慧という難行・自力の仏道体系から口 業念仏という易行・他力の仏道体系へ変 わ っ ていく 。 さらに申しますと 、 菩薩の 修業から凡夫往生による早作仏というこ とが実現するに至るのであります 。

5

ー ー 浄 土 教 の 頓 教 的 性 格 この﹁早作仏﹂は盆勝利大師の創説とい うのではなく、屯樹菩薩の場合には﹁信 方便をも っ て易行にして疾く阿椎越致に 至る﹂といわれる ﹁ 疾く ﹂ と、さらに天 毅菩薩の場合には﹁かくの如く五念門を 修して自利利 他 し 、 速やかに阿蒋多羅 三 貌 三菩 提を成就することを得る﹂という ﹁ 速やか ﹂ とは、文字に相違があります が、ともかく煩悩を断じないながら、迷 いの世界をはなれるという点で頓教的性 格をもっています 。 師はこの竜・天 ・ 二 菩薩の頓教的性 格を継承されていたと 言 っ て過言ではあ りません 。 このことに関連して大師は五 念門の中の、観察門釈を見ますと、浄土 に往生すると 、 ﹁阿弥陀仏をみたてま つ っ て 、 未証浄心の菩薩が畢寛じて平等 法身を証することを得て浄心の菩薩、土 地の菩薩と畢寛して、同じく寂滅平等を 得るが故に ﹂ という ﹃ 往生論 ﹂ の文に基 づいて 、 菩薩の階位を 一 歩 一 歩 一 段 一 段 登らないで 、 八地以上の菩薩とな っ て 、 報生 三 味を得て仏法僧という 三 宝の行わ れていない世界に至 っ て 一 切の衆生を教 化 することができると指摘されていま す 。 そのように浄土に往生いたしますと 、 未証浄心の 菩 薩がたちまちにして十地の 階位を初地から 二 地 、 二 地から 三 地 、 三 地か ら 四地というように、漸次登らない で、八地以上の菩薩と 等 しいさとりを得 ることができる、ということは善導大師 の表現で申しますと 、 ﹁横超﹂という飛 び越えていくわけですから﹁速得﹂とか ﹁ 疾至 ﹂ と か 、 ﹁ 早作仏 ﹂ と表現されま す 。 そ の ﹁ 早作仏 ﹂﹁ 疾至 ﹂﹁ 速 得 ﹂ を 支えるのが易行 ・ 他力の中味なのであ り ます 。

中国の伝統倫理と浄土教

中 国 入 社 会 に 生 きる教え -│ │ 因 果 応 報 は 不 整 合 次 に 視 点 を 変 え ま し て 、 中 国 の 倫 理 観、中国に固有な伝統的な倫理観に関係 させながら、大師の浄土教の思想史的役 割を考えてみたいと存じます 。﹃ 易 ﹄ に よりますと﹁積善の家には余慶がある 、 不積 善 の家には余狭がある ﹂ と説かれて います 。 これは家を単位にした倫理で す 。 自分が行った善悪の行為は自分も当 然受けるでしょうけれど、それがまた子 孫に受け継がれていくというのです 。 だ から、いいことをしたときはよろしいけ れども、悪いことをした場合には、その 子やその末商が、親、先祖の行 っ た悪業 から逃れられずに 、 どうにもならないこ とになります 。 そういう伝統的な倫理観に対して、東 晋の時代に整合性がないという反省 、 批 判が漢民族のインテリによ っ て指摘され ています 。 それは南朝の戴達 ( 三 三 九 六 ) と い 、 う つ 人 が ﹃ 釈疑論 ﹂ という嘗 物のなかで 、 因果応報というけれども 、 それには整合性がないから、不整合であ るとい っ ているのです 。

(11)

そうしますと 、 よいことをした家庭は 子々孫々ずっとその恩恵を頂戴しますか ら 、 結構なことこの上もないわけですけ れども 、 積善しない方の子孫は 、 いくら よ い こ と を し て も 、 そ れ が よ い 報 い と な っ ては返 っ て こ ないという矛盾がある ことを 、 具 体 的に 人 物の名を挙げて 、 こ の人は行いからいって申し分ない本当に すばらしいよい人である 。 それにもかか わらず、現在なぜこんな貧乏な暮らしを しているのだろうか 。 これに反して先祖 の人が人を殺し 、 人をたぶらかして金を ため 、 豪 華 な 生 活 を し て い た か の よ う に 、 そのことが子々孫々にいたるまで続 いているというのは、 一 体どういうこと だとい っ ています 。 だ か ら 、 ﹃ 易 ﹄ でいうような因果応報 というのは決して整合性があるといえな い こ とになります 。 このことに対して、 西晋時代に法祖によ っ て 訳 されました小 乗の ﹁ 泥 涯 経 ﹄ には自分が行 っ た行為は 自分が受け継がなければならないと説か れてあります 。 都超 ( 三 三 六 1 三 七七 ) という当時の インテリが 舎 きました仏教概論ともいう べ き ﹃ 奉 法 要 ﹂ のなかで彼は、 ﹁ 父不善 をなせば、子かわってこれを受けず 。 子 不善をなせば 、 父また受けず 。 善はみず から掃を獲て 、 悪はみずから狭を受く﹂ という ﹃ 泥恒経﹄の説によって 、 家の範 障ではなくて 、 行為を行った行為者自身 に責任があるのだと指摘しています 。 こ のことは、家を単位とする儒教倫理の否 定であり、仏教経典に導か れ た 、 仏教倫 理を踏まえて説いているので あ ります 。 さらに鹿 山 の慧遠 ( 三 三 四 1 四 一 六 ) は ﹁ 三 報 論 ﹄ を著し、その中で現報、生 報 、 後報という 三 報によ っ て 、 因果応報 を 行 為 者 自 身 の 上 に 説 い た の で あ り ま す 。 生きている聞にその応報があらわれ るのを現報 、 死んでのち、その報いを受 け る の を 生 報 、 後報は 、 二 生 、 三 生の 後、あるいは五十生、百生とい っ た、未 来に報を受けるのを後報であると規定し ています 。

2

ー ー 因 果 応 報 か ら の 解 放 こ れ ら 超 や 慧 遠 の 説 は 伝 統 的 な 儒 教 倫理に対秘て、仏教倫理を示すことにな り ましでも、因果応報からの解放には結 びつかないわけであ り ます 。 その因果応 報の世界から解放をさせたのが 、 曇鷲 大 師であります 。 これはまさに画期的なこ とという 、 べきであ り ます 。 その内容は人が命終を迎えますが 、 そ の ままですと、行為者自身の責任という因 果応報の道理に基づいて、生死の輪廻を く り か え す 地 獄に陥ること必定なので す 。 しかるに こ の人を生死輪廻から解放 するのは 、 ﹃観無量寿経 ﹂ 下下品の教説 に基づいてのことであります 。 こ の ﹁ 観 経 ﹄ の説に目をつけられたのには 、 目 を つけられただけのことがあったからであ ります 。 それはさきに申しましたこと以外に、 ﹃ 抱 朴 子 ﹂ という道教関係の著作の中に 奪算説というのがあります 。 これは民俗 信仰のようなものですが 、 人間のするこ とを逐 一 観察をしている司過 神 がいて 、 人の犯すところの軽重を 一 一 記録し 、 人 の い の ち を 奪 う の で あ り ま す 。 その罪 の 、 軽いか重いかによ っ て、その人の 生 命が減少するわけです 。 あるいはまた、 人間の体の中に 三 戸があ っ て、これもま た人間の行ったことを逐 一 司過神に報告 するわけです 。 そういうようなことで 、 罪の軽重によ っ て生命が減ずるわけであ ります 。 算という場合は 三 日であり、紀 という場合は 三 百日であると記されてい ます 。 そういうように自分の行為が自分 の生命の長い ・ 短いということに関係し てくるわけです 。 したがってこの時代の人は、自分が行 う毎日の行動に戦々競競としたであろう

(12)

と思、つんですね 。 そういうような奪算の 説におびえる人たちの愁嘆の声を耳にす る社会の中で、曇惣大師は奪算に心労す る人たちの側に立ち 、 下下品の機に注目 されたわけです 。 一生涯造悪の 人が、こ れで最期の臨終を 迎 えてもまだ反省をし ないから 、 善 知 識が勧めるのに﹁おまえ は こ の ま ま で 終 わ る と 一 体 ど う な る か 知っているのか 。 地獄へ落ちて無量の苦 を受けることになるぞ 。 地獄へ行くのが 嫌なら﹂といって﹁令声不絶具足十念称 南 無 阿 弥 陀 仏 ﹂ す れ ば 、 無 量 億 劫 に わ たって受けねばならない生死の罪から解 放され、阿弥陀仏国に往生できると教え られるのであります 。 この有り難い教えにとびつかない人はな かったでしょう 。 ところが ﹃無量寿経 ﹄ の第十八願の願文に阿弥陀仏は﹁十念﹂ したならば、わが国に迎えとると誓われ てありますが、何の十念かわかりません ね 。 その十念は ﹁ 声 に 出して南無阿弥陀 仏と唱える十念﹂であることを、 曇鷲大 師は ﹃ 観 経 ﹄ の下下品の経文に基づいて 示されたのであります 。 まさに卓見とい う外ありません 。 この第十八の願の願文と ﹁令声不絶具 足十念称﹂という下下品の経文とを結ん で、十八願に説く﹁乃至十念﹂の念は声 を し て 絶 え ざ ら し め て 阿 弥 陀 仏 の み 名 を、南無阿弥陀仏と十声することである と示されたのです 。 これが大事なことで すね 。 これが今日までず っと続いて いるわけで す 。 そこで 、 一生涯罪 を重ねたその悪業 と、臨終の 一 時に﹁令声不絶具足十念称 南無阿弥陀仏 ﹂をした 、その善業とを天 秤 に か け ま す 。 ど ち ら の 方 が 重 い か と 量 一 っ て 、 重い方にひかれて行くのだとい う因果論によって判断しようといたしま す 。 罪悪の方が重いから極楽へ行くこと が出来ない、というのがこの当時の 一 般 人の考えでした 。 ところが曇鷺大 師 は因果論によらない で、因縁論によって往生浄土という果が もたらされることを強調されたのです 。 だ か ら 、 ﹃ 論註 ﹄ の最初にありますよう にまさに﹁信仏の因縁﹂によって、 一 生 造悪の人が救われるのですね 。 こ の ﹁ 信 因仏縁 ﹂は 、先ほど申しまし たように 、 阿 弥 陀 仏 の 第 十 八 の 願 を 信 じ、信ずることによって念仏をする 。 そ の称名念仏をするという因に対して 、 阿 弥陀仏の願力が増上縁として加わります から 、 因縁和合して往生ができるという わけです 。 三在義 一 首 都 応 大 師 は 臨 終 の 十 声 を 説 く と こ ろ で、在 心 、在縁、在決定という 三 義、こ れを三在説と申しますが 、 この説によ っ て因果論を克服されるのです 。 第一の在 心義というのは、罪をつくる場合の人の 心 の状態と、念仏をする場合の人の心の 状態とを比較しています 。 造罪人は虚妄 顛倒の見によって悪業をかさねるのに対 して、臨終に十念する人は善知識の方便 によって実相の法を開くことによって称 名する 。 したがって両者の心には虚実と いう雲泥の 相 異がある 。 この相異は比較 にならないので 、 虚 よ り も 実 の 方 が ま さっているというのであります 。 第 二 の在縁の義という場合の縁は、相 手のこと 。 それは人をなぐったり殺した り 、 人の物をかすめた りするのと 、阿弥 陀仏を相手として称名する場 合の相異な のです 。 造罪人は妄想の心に基 づいて 、 煩悩虚妄の果報として人を対象とするの に対して、臨終の十念は阿弥陀仏の功徳 の名号をとなえますから阿弥陀仏を対象 としているのです 。 しかも阿弥陀仏の名 号のはたらきは実に偉大ですから 、 こち らの方がすぐれ ている 、 というのであり ます 。 最後の在決定というのは、造罪の人は

a

(13)

今、このように悪業をかさねていても、 さきでよいことができるという有後心、 造悪と造悪との聞には時間的 、 意 士 心 的 な 断 絶 、 つ ま り 聞 が あ る と い う 有 間 心 を もっている 。 これに反して、臨終十念の 人はもうあとがないという無後心と﹁令 声不絶﹂といわれるように時間的、意志 的に聞をおくことなく、連続してみ名を となえるという無関心をあげて、決定的 な力のはたらくことを指摘しています 。 このように相異点を 一 二 つあげて 、 一 般人 の考え方を矯正されたのであります 。 ニ身説 ただ今の在縁義のところにでて います阿弥陀仏の名号について大師は、 ﹁ 方便荘巌真実清浄 。 無量功徳の名号 ﹂ と内容づけされています 。 これはお名号 の説明ですが、大師の名号観が示されて いるのであります 。 また宗祖上人の名号 観 の 基 礎 に な る お 考 え 方 で あ り ま す 。 ﹃ 往生論 ﹂ の五念門の中にも﹁称彼如来 名﹂という文が讃歎門の中に説かれてい ます 。 この如来の名を唱えると 、 かの如 来の光明智相と名義相応すると釈されて います 。曇 鷺大師は ﹃ 論註 ﹂ の中で、お 念仏を申す者に対して、阿弥陀仏の光明 が照らしますと 、 いわゆる名義相応して b さ て 、 無明の黒聞が除かれるというが 、 念仏を しても 一 向に無明の黒聞が除かれないで はないか、と自問されています 。 この問いかけに対して、それは信仰の 対象と信仰心のはこび方がよくないから であるとして ﹁ 二 不知 ﹂ ﹁ 一 二 不信﹂と説 いていられます 。 まず第 一 の﹁ 二 不知 ﹂ は信仰の対象に ついての こ 種の認識不足であります 。 い うところの ﹁ 二 知 ﹂ とは阿弥陀仏は実相 身と為物身という こ 身を具えているとい うことです 。 このなかの 実 相身とは仏は 諸法の 笑 相を覚 っ たお方である 。 つまり 仏様の自内証を実相身と名づけてい ら れ るのです 。 これにたいして為物というの は実相身のように ﹁ 大智度論 ﹄ には出て こない 表 現 で す が 、 ﹁ 物 ﹂ というのはた だ単なる物ではないので、物は衆 生 を指 しています 。 つまり衆生のために教化活 動をし、救済する仏を指しています 。 そ うしますと、為物身は内証の功徳と共に 外用の功徳をお持ちにな っ たお方という ことにな り ます 。 つまり阿弥陀仏にはこ の内証と外用の両功徳とが具えられてい る、と大師は示されたことになります 。 その阿弥陀仏の名号にもまた 、 この内証 と外用 二 つの功徳が具わ っ ているという のが、さきほどの﹁方便荘厳真実清浄無 量功徳名号﹂というお言葉なのでありま す 。 三 信 説 次は 三 信ですね 。 第 一 に信心淳厚でな ければならない 。 信仰の対象に対する信 心があるような、ないようなことでは駄 目だというのがそれであります 。 第 二 に信心は決定しなければな ら な い 。 あちらの信仰対象へ傾いたり、こち らの信仰対象へ傾いたりでは駄目だとい うのであります 。 つまり信仰の対象はた だ 一 仏であるのが正しい信心であるとい うのです 。 第 三 の決定というのは 一 仏 の 上に信心を継続するというのでありま す 。 ですからこの 三 つ の信はたがいに関 係しあ っ ていますので、 ﹃ 往生論 ﹂ の最 初に ﹁ 世尊我れ 一 心に尽十方無擬光如来 に帰命したてまつる ﹂ という帰命の 一 心 が説かれています 。 そ の 一 心のはたらき に関する内面であります 。 これらの 三 つ の信は 一 つ 一 つばらば ら にあるのではあ りません 。 互いに関係し合 っ ていますか ら 一 心なのであります 。 だ か ら 、 ﹁ 世尊 我に 一 心に無擬光如来 ﹂ なのです 。 尽十 方無擬光如来に帰命する 一 心 。 こ の 一 心 はまた大変大事なので、信心相続して、 ﹁無他想問雑﹂でなければなりません 。

c

(14)

曇鷺大 師 は心は瞬間々々に遮断されま すけれど、継続ができると示されていま す 。 前念とその次の念とは 、 前の心が次 の心を起こす 。 次の心がまた次の心を起 こすというようにして 、 ずっと継続して 相続ができるわ け です 。 このことはまた 何が往生するのかという こ とに大いに関 係しているわけですね 。 このように 、 信 仰 の対象に対して信ず る側に 三 信を具えるべき こ とを示された のであります 。 こ の 三 信は信の濃度と信 仰 の対象の専 一 とそれに対する信 心 の継 続ということになり ま すから 、 善導大師 の お 示 し 下 さ っ た 信 機 信 法 で 言 い ま す と 、 信法にかかわる 内 容であります 。 そ こでただ今申しましたように 、 この﹁ 二 不知 ﹂ の中に示された実相身、為物身の 二 身を具えられたのが阿弥陀仏でありま すが 、 その仏の名号にも阿弥陀仏の内証 と外用の功徳がそなわ っ ていることはさ h ド ド 由 目 J し 中 正 1 レ ト 。 名 体 不 離 この仏と仏の名号との関係について申 しそえておきたいと思います 。 名と名に よ っ て示されるそのものとは別 異 であり ます 。 円 叶 骨 骨 大師はこの考えを ﹁ 名異法 ﹂ と表現されています 。 これに対して名と d 名によ っ て示されるものとは 関 係があ る 、 つ ま り名と体とは不離であることを ﹁ 名即法 ﹂ と表現されてい ま す 。 ﹁ 名即法 ﹂ でありますから 、阿 弥陀仏 の み 名 をとなえれば、仏に具わる内証と 外用 の功徳が名号をとなえ た 人に作 用 し、はたらくというのです 。 つ ま り、仏にそなわる内 -証と外用の功 徳は仏名にも具わ っ ているから 、 称名す る人の上に救いのはたらきである 光 明 が 、 一 声 一 声ごとに作用するのでありま す 。

往生観

浄 土 教 の 道 諦 的 性 格 -│ │ │ 二 種 の 衆 生 観 もう 一 つ大事なことは往生についての 大師のお考えであります 。 往生につきま しては 、 二 通りの説があるわけです 。 往 生に 二 通 り も 一 一 一 通りもあるわけではない んですけれども 、 それをどういうふうに 説くかということによ っ て 相 異がでてく るわけであります 。 それについてだれが 往 生 す る のかということから始めます と 、 人間観というか、衆生観というか 、 そういうところか ら 考えていかなければ ならないと 思 い ま す 。 まず衆生観について曇鷺大 師 は 二 通り の考えを説いていられるのです 。 ﹁ 衆多 の生死を受くるをも っ ての故に﹂という のがそれであり ま す 。 これは部派仏教の 説であります 。 これに対しても う 一 つ の 考え方は衆生を﹁不生不滅﹂であるとい う大乗の衆生 観 であります 。 曇 鷺 大 師 は 、 こ う い っ た 二 通りの衆生観を挙げら れています 。 この部派仏教の衆生観は 挑 秦の 曇 摩帽多が訳しました ﹁ 舎利弗阿毘 曇 論 ﹂ の考え方に基づいています 。 ま た 大乗の衆生 観 は 菩 提流支が訳しました 如 来蔵思想を説く ﹃ 不増不滅経 ﹂ に基づい ています 。 ただしその 理 解は如来蔵思相心 的でなく 、 屯 樹 菩 薩の ﹁ 中論 ﹂ に基づい た解釈を示しています 。 このように衆生と 一 口に申しますが、 二 通り考え方を示していられるのです 。 大師はこの 二 つの衆生観をふまえて 、 い かなる往生観を 一 不されたか、という問題 に移りたいと存じます 。 2 1 1 1 1 聖 道 家 の 往 生 観 まず ﹃ 論註 ﹄ 上巻の讃歎門釈のなかに 示 される大衆の衆生観ですが、初めに 、 凡夫は 実 の衆生あり 、 実 の 生 死あ り と考 えているが 、 そのように執着される衆 生

(15)

生死には実体はありませんと指摘 しています 。 つまり往生を願う私と厭うべき生死が あ る と 考 え て い る の は 凡 夫 の 考 え で あ り、それは執着であるから 、 厭うべき生 死も、願生する私もないといっているの です 。 そ れ に 続 い て も う 一つの考え方 は、諸法は因縁生である 。 あらゆる存在 は す べ て 因 縁 に よ っ て 生 じ た の で あ っ て、それ自体によって生じたのではない から不生であるというのです 。 つまり実 体があ って生じ たのではなく、因と縁と が和合することによって生じたという考 えを踏まえて 、 曇鷺大師は諸法は因縁生 なのであるから 、 願生の生は仮名の生だ と指摘されています。因縁によって生じ たものであるから、それ自身実体がない けれども、かりに願生と名づけるのだ、 といっていられます 。 勿論このような考えは般若大乗の立場に 立って お っしゃっているわけです 。 そう しますと、般若大乗の立場から申します と 、 願生する私があり 、 厭うべき生死と 求むべき浄土があり 、 願われる往生あり とするけれども、それらはすべて﹁所有 なきこと危毛のごとく、虚 空のごとし﹂ と指摘されているように、本来無所有で ある、ということになります 。 ﹁ 所 有 ﹂ なり 、 というのは﹁執着すること ﹂です か ら 、 衆生あり 、 生死あり 、 願われる往生あり と執着することです 。 しかし諸法は因縁 生ですから 、 それ自身によって生じない し 、 無自性であり 、 空であるといってし まいますと、それは断見に陥ってしまう ことになります 。 これに対して願生する 衆生 、 厭うべき生死 、 求むべき浄土 、 願 われる往生ありとする考えは常見であり ま す 。 この断見と常見のことは 、 竜樹菩 薩の ﹃ 中論 ﹄ の第 一 巻の﹁観因縁品﹂の はじめの帰敬備のなかに八不が説かれて います 、 そ の 中 の 常 見 と 断 見 で あ り ま す 。 曇 鷲 大 師 が 往 生 浄 土 を 鼓 吹 さ れ ま す と、それについて、その当時の般若大乗 を信奉している偏空の徒が、 ﹁ お ま え は 何を 言 、っか、生死を厭い、浄土に往生す ることを求めるとは﹂といって非難いた します 。 曇鷺大 師はそういうことを予想 されているわけですね 。 だから﹁あなた たちはそう 言うけれども 、あなたたちが 言うのは断見じゃな い か 。 そうじゃない んだ 。 仮名の生なのだ﹂と 。 断見と常見 の両辺を止揚した仮名の生として、願生 の生を価値づけられたのであります 。 し たがってここのところは皆、願生の生と いうことが成立するか 、 しないかという ことを 、 般若思想の枠のなかで問答され たわけであります 。 だから 、 第 一 義諦の 立場から言えば 、 因縁生なるがゆえに無 自性であり 、 空であるわけですね 。 そ の 無自性空と申しましでも 、 何もないわけ ではないので 、 この無自性の当体に即し て生を -認めたわけですね 。 ですから 、 因 縁によって生じたものがあるわけなんで す 。 ただ、それは自性に実体があって生 じたわけではないのですから、無自性空 であり、無自性化エなるがゆえに、因縁和 合することによって生じることになりま す 。 この因縁和合によ っ て 、 生じたもの は仮りにあると言わなければならないわ けです 。 仮名の生とよばれるのがそれで あります 。 そういたしますと、願生の生 というのは、生に対する常見と断見を止 揚したことなのだということですね 。 し たがって 、 往 生 は 、 無 生 の 生 で あ り ま す 。 般若大乗の立場からはそのように説 くことになるのであり ます 。

3

11

1

浄 土 教 の 往 生 観 般若大乗を身につけた 、 いわゆる覚 っ た人は、浄土に往生を願う必要はないわ けです 。 なぜかということを四 聖訴の教 説に基づいて申しますと 、 苦減聖諦を証 得した人だからであります 。 浄土にあこ

(16)

がれて、浄土に往生したいと願うのは、 四聖諦の教説に基づいて申しますと苦滅 道整諦にある人です 。 願生者は迷いの生 活をしている人でありますから、阿弥陀 仏の在しますお浄土に迎えとられたい、 と い う 願 生 の 心 を お こ す わ け で あ り ま す 。 そうしますと 、 願生というのはどうし ても苦滅道聖諦の範囲のなかで把えなけ ればなりません 。 苦しみの世界から苦し みのない世界に行きたいというのが願生 でしょう 。 その立場から申しますと、往 生は決して﹁無生の生﹂でありません 。 むしろ ﹁ 見生而無生﹂でなければなりま せ ん 。 願生する私があ っ て、その私が生 死を厭い、お浄土に往生を願うのであり ます 。 そうした苦滅道聖諦の 立 場にた っ た願生者が、称名念仏をとおして往生の 素 懐 を と げ る こ と に な る わ け で あ り ま す 。 曇鷺 大師はこの ﹁ 見生﹂による往生に ついて 三 通りの説き方をされています 。 まずその最初は、阿弥陀如来至極無生 清浄宝珠の名号があ っ て、その清浄宝珠 の名号を、生死の世界にあ っ て、汚染さ れている願生者の心の中にこれを投じた ならば、念念に罪滅して、心が清 く な っ て往生ができますと 。 そうすると、 こ の ﹁ 投ずる﹂ということは、名号をお唱え するということですね 。 中国という国は山紫水明ではございま せんから、水が濁 っ ていますね 。 黄河は 字のとおり黄土によ っ て濁 っ ています 。 また揚子江の水といったら、みそ汁のよ うな色をしていますから、これも濁って います 。 中国人はその濁 っ た水をくんで 大きな務い っ ぱいに入れ、明馨をつけて おきます 。 そうしますと清らかな水にか わるのです 。 中国の人たちにはそういう ような生活経験があるわけですね 。 濁り 切 っ た心の中にこの明答に匹敵する、 ﹁至極無生清浄宝珠の名号 ﹂ を称えたな ら ば 、 心が清まり、罪も皆なくな っ て往 生できるというのであります 。 一 一 つ 目 は 、 阿弥陀如来の無上の 宝 珠 を 、 無伝 一 荘厳功徳成就の絹のきれに包んで、 願 生 す る 人 の 心 の 中 に 投 じ た な ら ば 、 ﹁ 山 互 に生見を転じて無生智となすこと能 わざらんや ﹂ と指摘されています 。 つまり生見が生見でなくなって、無生 智に転換するわけです 。 曇鷺大師の時代 にはすでに ﹃ 摂大乗論 ﹄ は訳されていま したが、はたしてそこに説かれる ﹁ 転識 得智 ﹂ という考えを御存じだ っ たかどう かわかりませんけれども、迷いの働きを する識だか ら 、切り捨ててしま っ て、そ れとは別の覚りの智慧をもってきて 、 交 換するのではありません 。 迷いの働きを するその識が迷いの働きをやめれば、そ の 識 が そ の ま ま 智 に な る の と 同 じ よ う に 、 見生の生がそのまま無生の智に転じ 変わるのであります 。 つまり名号自身に そういった転換せしめるはたらきのある ことを認めていられるのです 。 最後 三 つ目は氷の上で火をもやします と 、 どんどん燃えますと氷が溶ける 。 氷 が溶けますと、当然、火が消えますね 。 そういう 替 輸を示していられるのです 。 そうしますと、その氷というのは 一 体 何 かというと、実に生死があるという考え であります 。 その生死を厭い、しかも願 生する私があり、願うべき往生ありとい う生見であります 。 こ の 生 見に基 づ い て 浄土に往生を願うというその意欲を火に たとえています 。 そうしますと 、 浄 土 自身が無生界であ りますから、当然、願見の火がもえ盛り ますと、厭うべき生死の氷が解けるとい うのであります 。 したがって往生を願うという生見は苦 滅 道 諦 に 立 っ て 考 え な け れ ば な り ま せ ん 。 浄土教の往生はそういう仏道体系な のであります 。

(17)

往 生 の 主 体 最後に往生について 、 ﹁ 捨 此 往彼蓮花 化生﹂という 把 え方があります 。 普通は この句をもって往生の説明をなさるわけ ですね 。 この表 現 からしますと往生は場 所の交代、宿がえ、転宅と同様に受けら れないでしょうか 。 この裟婆を捨て浄土 に生まれるというのですから、そのよう にいわれでもいたし方ありません 。 そうしますと、曇鷺大師は往生につい て、どのように示していられるのでしょ うか 。 ﹃ 論 註 ﹄ 巻 上 の 讃 歎 門 釈 の な か で 、 ﹁ この間の仮名人中においてお念悌 をするに 、 前念と後念 ( 前の念と後の念 ですね ) 前念は後念のために因となる 。 械土の仮名人と浄土の仮名人と決定して 一 なることを得ず 。 決定して異なること を 得 ず 。 前念、後念、またまたかくの如 し 。 何をもっての故に 。 もし 一 な ら ば 、 すなわち因果なし 。 もし異ならば 、 すな わ ち 相 続 に あ ら ず ﹂ と 指 摘 さ れ て い ま す 。 先 ほ ど も 、

4

信 心 相続 、 無地想問雑とい うことを申しましたね 。 そうしますと、 前念は後念のために因となるということ を、ず っ と連続的に継続されなければな りません 。 前念は後念の因になり 、 さら にその後念は次の念の因になり、 気 7 りドド その関 係 をずっと相続をしていく 。 これ を指して信心相続と申します 。 し か も 、 その相続している聞には 、 他 想をまじえ な い 。 それが無他想問雑ですね 。 そのよ うに相続している問に 、 裟婆の人聞が浄 土の人間になる 。 裟婆の人 間 と浄土の人 間とはどうかというと 、 同一でもない 、 別 異でもない 。 そういうことを大師は指 摘されています 。 そうしますと 、 往生し ていく主体は何かということもは っ きり いたしますね 。 ただ、場所の移動、宿がえというのと は異なって 、 往生を願う人自身の内に転 換がなければならないことに気 付 かされ るのであります 。 往生を願ってこの穣土 の 世 界 で 正 定 業 と し て の 念 仏 を し た 者 が、阿弥陀仏の本願成就力を増上縁とし て頂くことによ っ て浄土の人となる 。 そ う し ま す と 、 願 生 者 で あ っ た と き の 私 と 、 お浄土に迎えとられた私とは決定し て 一 ならずというのだから 、 当然願生者 と往生人との聞には断絶があるというこ とですね 。 迷 っ ている人間と迷いのない 世界に入った人間とでは 、 雲泥の相異が ありますね 。 ところが、全然 別 かという と、そうじゃないわけですね 。 この土に おいて往生を願い、念仏をし、願力をい ただいて 、 往生人とな っ たんだから 。 そ こ に 何 か連続しているものがあるわけで す 。 願生人と往生人がもし 一 つであると いうならば 、 いわゆる﹁生まれかわっ た ﹂ と い う 事 実 は ど う な る の で し ょ う か 。 願生人も往生人も同じであるならば 質的転 換 を 見 逃 すことになります 。 さらにもし異であるというならば﹁前 念は後念のために因となる﹂という念仏 実践の上における因果相続の関係を無視 することになるではないか 。 質的転換に 要した経路を見失うことになります 。 大 師はこのように願生者と往生人とについ て同 一 性と 別 異性を否定されました 。 そ こで何が往生するのかと申しますと、往 生を願う心意という外あ り ません 。 宗祖 上人も 、 特に四修の中では無関修という ことを重要視されるのは 、 結局、このこ とです 。 信心相続しなさいということです 。 な るほど、ただ 一 向に念仏する外に往生は ないわけであります 。 短い限られた時間 に大師の奥深い浄土教の思想 ・ 信仰につ いて申し述べましたので、不足の点が多 くございます 。 いそぐのあまり大師のみ 教えをあやま っ てお伝えしていないだろ うかと懸念いたしています 。 始終ご静聴 頂きましたことを感謝申し上げます 。 ありがとうございました 。

(18)

⑨ 諸 問 課 題

脳死・臓器移植問題に対する報告

研究代表 藤 堂 恭 俊 研究協力 ( 岨 煩 導 講 師 ) 真野龍海 研究班 板垣隆寛 水 谷 浩 士 山 冨 竹 中 信 常 藤井正雄 宮林昭彦 安井隆同 藤井源七郎 小 套 林 倉 正 道 道 隆 坪井俊映 藤本浄彦 三枝樹隆善 鷲 見定信 岸 英 岸 村 定 浩 山極伸之 伊藤真宏 市 本 純 教

脳死

臓器移植問題に対する答申

脳 死 ・ 臓器移植問題について、浄土 宗が教団としての 見 解 を 、 賛成か反対 かという 二 者択 一 的 な立場から公表す べきではない 。

(

1

)

宗祖 ・ 法然上人 以 来 、 浄土宗 は、念仏を称えることにより、浄土へ 往生することを目標としている 。 従 つ て脳死 ・ 心 臓死どちらによって 人間 の 死とするのか、臓器移植をおこなうの かという問題に対しては、念 仏の 教 え をどのように い た だいて生きていくの かという目的のもとに 、 各個人の主 体 的な判断によることを重んじるべきで ある 。

( 2

)

脳死が人間の死であるかどう かは 、 伝統的な仏教の教説にも 多 様な 見解が認めら れ 、 直ちに判断すること には多くの問題がある 。 しかし 、 当面 は当事者が臓器の提供を希望して 、脳 死による死の 判 定を望むケ

l

スのほか は 、 従来の伝統的な 心 臓死 ( 三 徴 候 死)をも っ て死とすることが望まし し、

(

3

)

臓器移植の問題は、提供する 側 と提供される 側 に区 別され る 。 提供 することに対しては、否定する根拠は 極めて少ない 。 純 粋な気 持 ちから 他 者 の幸福を願 っ て 、 自らの臓器を進んで 福井光寿 藤 木 雅 清 大 室 照 道 長 ( ︿ ロ 川 岱 潤 袖山栄輝 佐藤雅彦 若麻績敏隆 提供しようとする姿勢は評価すべきで ある 。 臓器の提供を受ける 側 として は 、 自然な命の営 み に抗してながらえ るものであることを自覚し 、 さらに提 供する人をはじめ、さまざまな縁に よ っ て移植できることを感謝し 、 そ の 恩に報いる生き方をする こ とが望 ま れ る

(

4

)

脳死臨調の答申については、 医学的 レ ベルの問題に関しては異論を さしはさまない 。 しかしながら 、脳死 臨調のアンケート等をもとに、脳死を 人の死とみとめる調査結果が単に過半 数を得るに至ったことで国民のコンセ

(19)

ンサスを得た、という論理には直ちに 賛成することはできない 。 人間の死の 問題は 、 多数決で決められるのではな ぃ 。 それぞれの状況にあって 、

人が主体 的 な意志や 判 断をもとにし て 、 永遠の﹁いのち﹂に生きようとす るのが浄 宗の立場である 。

答申にあたって

臓器移植について 、 浄 土 一 宗として かりに反対の意思を表示したとして も 、 現実には移植を実施されることが あり得るわけである 。 ここにおいて 宗としては、移植が 実施されることを前提として 、 しかる ベき意思表示を行うべきであろう 。 意 思表示にあたっては 、 宗祖法然上人の 一 口 行に基づいて、信 仰 上における身体 ︿ からだ ﹀ 生命 ︿ いのち ﹀ の在り方を 訴えるべきであろう 。 人はおしなべて自分自身の 生 命 ︿ い

(

5

)

科学医療技術の発展は 、 脳 死 ・ 臓器移植の問題をはじめとして 、 今後 、 われわれに、生命の倫理を問い ただす様々な課題が提示されてくると おもわれる 。 宗祖 ・ 法然上人の﹁現世を過ぐべき ょうは 、 念仏の申されんかたによりて の ち ﹀ 身体 ︿ か ら だ ﹀ を 、 こ よなく愛 しく思い大切にする 。 宗祖上人はその ような世人の 心 情を踏まえて 、 ﹁ こ の 裟婆世界の人は 、 寿をも っ て第 一 の 宝 となす﹂と指摘されると共に 、 さらに その文 章 に続いて﹁七珍万宝の倉の内 に満ち綾羅錦繍の箱の底に湛えるも、 命の生きたる程のわが宝にては在る 。 眼閉じぬるの後には皆人の物なり﹂ と ﹃ 逆修説法 ﹄ ( 三 七日の条)に仰せ にな っ ている 。 こ の ﹁ 寿 ﹂ ﹁ 命 ﹂ と ﹁ 七 珍 万 宝﹂等 の関係について 、 上 人 過ぐべし﹂という念仏の教えによっ て 、 主体的に 、 各人が頂戴した﹁いの ち﹂に責任をも っ た生き方を確立する ことが望 ま れる 。 こ れを積極的に指導 していくのが 、 浄土宗教団の重要な 役 割である 。 浄土宗総合研究所

1

9

9

2

9

lま ﹁ 仏の功徳を論ずるに、能持、所 持 の 二 義あり 。 寿命をも っ て能持とい ぅ 。 自余のもろもろの功徳を悉く所持 というなり 。 寿命はよくもろもろの功 徳を持し 、 一 切の万徳は皆、悉く寿命 に持せられるが故なり 。 これは当座の 導 師 が 私 義 な り ﹂ ( ﹁ 逆修説法 ﹄ 一 二 七 日の条 ﹃漢語燈録﹄巻第七所収 ) という上人の自説に基づいて理解す ることができる 。 つ ま り ﹁ 寿 ﹂ ﹁ ム 叩 ﹂ は 能 持 で あ り 、 ﹁ 七 珍 万 宝 ﹂ 等は所持 であるから 、 ﹁ 七珍万 宝 ﹂ などは 、 皆

参照

関連したドキュメント

Research Institute for Mathematical Sciences, Kyoto University...

[r]

郷土学検定 地域情報カード データーベース概要 NPO

Aiming to clarify the actual state and issues of college students’ dietary life and attitude toward prevention of lifestyle-related diseases, comparison was made on college

山階鳥類研究所 研究員 山崎 剛史 立教大学 教授 上田 恵介 東京大学総合研究博物館 助教 松原 始 動物研究部脊椎動物研究グループ 研究主幹 篠原

報告は、都内の事業場(病院の場合は病院、自然科学研究所の場合は研究所、血液