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意識の価値に関する哲学的諸見解は使い物になるか

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Academic year: 2021

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意識の価値に関する哲学的諸見解は使い物になるか

太田 紘史(

Koji Ota

) 新潟大学人文学部

仮に将来のヒト脳オルガノイドにおいて意識が形成されるとしても、それがどのよ うな仕方で倫理的問題をもたらすのかについては不明な点が多い。既存の倫理学的研 究の一部は、この点を検討するうえで意識の価値に関する哲学的諸見解が手がかりに なると考えているようである。それらの哲学的諸見解はどれも、現象的意識の内在的 価値に焦点を合わせるものであり、そのうち主要な見解は、現象的意識が正の内在的 価値を持つという見解(正価値説)と正負いずれの内在的価値も持たないという見解

(中立説)である。一方で正価値説が直観的に訴えるところでは、例えばあなたが実際 の通りに生きている場合と、まったく現象的意識を欠いたまま(しかし物理-機能的には全 く同様に――つまり現象的ゾンビとして)生きる場合では、明らかに前者のほうが望まし い。これが意味するのは、いわく、現象的意識が正の内在的価値を持つということである。

これと対比されるのが、中立説である。中立説によれば、現象的に意識的であること自体 は、内在的な価値を持たない。むしろ現象的に意識的な心的状態は、何らかの追加的性質 との組み合わせにおいて価値を顕現する。おそらくこの考えのもっともらしい具体化は、

意識的な心的状態は正のヴァレンスを有すること――例えば快を伴うこと――のゆえに正 の価値を持つというものである。

本提題の目標は、こうした意識の内在的価値に関する哲学的諸見解と、ヒト脳オル ガノイドに関する倫理的問題の間に、どれくらい実質的なつながりを見出せるのかに ついて精査することである。結論から言えば、こうした哲学的諸見解によってヒト脳オ ルガノイドの意識にまつわる倫理的懸念を説明できる範囲は限られている。これは、

それらの哲学的見解が内在的価値と道徳的価値の関係性についての説明を不明瞭なま まに残していること、あるいは内在的価値と道徳的価値を単純に混同していることに よる。今回の提題ではこの点について考察を進めたうえで、両者の関係性について道 徳的地位の観点からどのような接点を見出しうるか検討し、とりわけ意識的なヒト脳 オルガノイドの作成に対する倫理的懸念を説明するような概念的つながりが(あると すれば)どのようなものになりうるのかを検討する。

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