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雑誌名 東北学院大学論集. 経済学

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研究ノート B. Ostrolenk, "Electricity ―― for use or for Profit?". 1936. にみるアメリカ電力 産業の動向――紹介と検討(上)――

著者 仁昌寺 正一

雑誌名 東北学院大学論集. 経済学

号 80

ページ 81‑107

発行年 1979‑09‑29

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024459/

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研究ノート

B.Ostrolenk, $$Electricity‑foruseor forP'・ofit?". 1936.にみるアメリカ 電力産業の動向

−紹介と検討(上)−

仁昌寺爪一

1920年代のアメリカ電力産業はこの時期の新興産業の一つとして位置づ けられる。そしてこの時期における他の諸々の新興産業, 自動車,石油化 学,電機, アルミニュウム等と比較すれば, その発展のテンポ,規模とい う点でそれらを凌駕してL、るのである。 こうした電力産業の発展の特質 は, その規模が巨大化したということだけにとどまらず証券金融の圧倒的 催位性,持株会社形態による支配・資本の不断の第中,持株会社を利用し た金融的術策の展開,過大資本化財務と投機など極めて特徴的な蓄積様式 を持っていたことが従来の研究によって明きらかにされている。また, こ のような電力産業の特質は, 自己金融傾向が一層強まったといわれている 1920年代におけるアメリカの産業一般とも明瞭に異なるものであった。

1930年代になると, こうした電力産業における蓄積活動が29年恐慌勃発の 一大契機となったこと,他産業の成長のネックになっていること等が広範 に認識されるに至り,次第に連邦政府による,持株会社の証券活動規制,

その機櫛改革,公有電力事業の推進等,一連の規制策が登場し,篭力産業 における蓄積様式は大きな変化を迎えることになる。

−81− 1

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B.Ostrolenk, $4Electricity-fcruseor forprDfit?、'. 1936 にみるアメリカ醒力産業の動向

ここでとりあげるB,Ostrolenki1)の著書には当該期の電力事業分野にお ける持株会社の諸活動及びそれに対する規制策がかなり詳細にとりあげら れており, またそうした叙述の中で1920年代に持株会社の金融的術策がか くも大々的に行われた理由の一つとして事業会社の収益率の規制が存在し ていたこと, 1930年代に連邦政府による一連の規制を受けた後,金融的術 策によらずして従来よりも電力会社が繁栄したこと等が指摘されており,

今日われわれが当該期のアメリカ電力産業の蓄積様式を分析する際に参考 となるいくつかの論点が内包されてL、るように思われる。本著書の構成は 9章より成り,序文と第1章は著者の問題提起の部分であり, これを別に すれば全体の内容は大きく二つに区分することが可能である。すなわち 第2, 3, 4, 8章は電力事業を中心とする公益事業持株会社(publiC utilityhOldingcompany)の機構及びその詐欺的術策の解明にあてら れ,第5, 6, 7, 9章はそれへの効果的対策としてのヤードスティック (yardstick)の説明にあてられている。ここではこの2大部分に焦点を絞 りながら紹介していきたいと思う。そして後半において著者のユニークな 諸々の主張を順次検討していくことにしたい。

尚,紙数の都合上2回にわけて掲戦せねばならず, したがって本号では 紹介部分のみを戦せることにする。

I

Ostrolenkは先ず次のように述べる。 「合衆国における電力問題は複雑 である。それは,洪水統制,土壌侵食,植林,腱業利用上における劣等地 の除去等と関連した,水力電力エネルギーの開発を含む一層重大な問題と なっている。また産業の独占禁止という点でも重大な問題である。 」 (序

I1I BernhardOstrolenk. 1887年ポーランドのワルシャワに生まれた。 1912‑

15年アメリカのミネソタ大学で学び.以後アメリカにおいて執筆活動を続け た。他にTheSurplusFarmer,TheEconomicsofBranchBanking,How BanksBuyBOndS,などの著番がある。

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B.Ostrolenk, "Electricity-fOruseOr fOrPrOfit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

文) と。 しかしながらこうした多様な問題が存在する中で彼の関心はもっ ぱら「現行の低価格発電・送電・配電によっても可能」な低料金の電力が 供給されていないその原因, すなわち当時アメリカ国民にとっては「パン や水と同様,毎日の生活に不可欠のものとなってきている」電力が十分に 供給されるに至っていないその原因の解明にある。彼はいう, 「電力問題 は, アメリカ国民の生活水準に影響を与える。著者がこの著作において真 正面から取り組んでいるのはこの点である。 」 (序文) と。当時, 「アメ

リカにおける農村居住者の10分の9以上,及び都市居住者の5分の2が,

L,かなるかたちにおL,ても電力を享受してL、なかった。 」また, 「消費者 が高料金を負担しているにもかかわらず, 〔電力会社への〕投資者の利益 は消失していた。 ・ ・ ・ ・ ・彼等は, ごくわずかな配当しか受けとっていなかっ たり, あるいは全然配当を受けとっていなかったのである。 」 (p、 8)で はこのように消費者や投資家に不利益をもたらしている原因は何か。それ は, 当時の電力産業が持株会社によって掌握されているところにあった。

当時の公益事業持株会社の機構について, 彼ば次のように記述してい る。 「今日,公益事業持株会社は,君主どもに支配される産業帝国を構成 している。その君主どもは, 自分達自身で公益企業の資産の所有権をほと んと持たず, その企業の株主に対しても, あるいばその企業のサーヴィス を享受する数百万の消費者に対しても,重大な法律上の責任を持つことは ない。いかなる他の産業部門にもまして,公益企業部門は,株式会社制度 が現代の経済社会にもたらす複雑さと重大さを示してし、るのである。株式 会社はその巨大な全体へ無数の個人の富を集中することを可能にした。こ の富の管理は,統一的指揮下にゆだねられてきた。だが,実際に事業に従 事する単純企業(simplecorporation)ばそれぞれの公益企業界の新たな 第一歩にすぎず, その新たな擶造によって,単一の, ないしは二,三の自 治体で事業を行う諸会社が,諸地域にまたがる中間持株会社(subholding companies)に統合されていくのである。さらに, これらの中間持株会社

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B.Ostrolenk, "Electricity-foruseor forProfit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

は, 次の地位にある持株会社の中に結びつけられ, 次にはこの持株会社 も,全国に影響力を広げている最高位持株会社(top‑holdingcompanies) の中に, さまざまな段階で組み込まれていくのである。事業会社(opera‑

tingcompanies)の株主は経営団に支配を譲りわたしてしまっている。そ この経営団ば,次の持株会社の経営団に支配を譲渡するが, その持株会社 も最終的には最高位持株会社の中間持株会社となってしまうのである。文 字通り,数十億ドルの公益企業資産の支配が一握りの人間の手中におちい るのである。彼等は,事業会社の元来の株主にその名前さえ知られること なく,株主の手の届かないところにいる。これらの巨大な帝国を支配する 寡頭どもは,かつてどんな皇帝も夢みたことのない富と權力を手中にする のである。 」 (pp. 14‑15)

この「支配権の驚くべき集中の歴史」は次のようであった。

1908年には, 2,805の民間電力企業が存在しており, 23"KWHの発電 能力を持ち, 5億ドルを下回らない資産を所有していた。 1911年には,10の 企業連合が千馬力以上の水力発電事業所の60%を支配した。 1914年には,

85の電力公益企業が電力事業における総発電能力の68.6%を支配した。

この時点まではまだ持株会社は重要な役割を演ずるまでには至らなかっ た。 しかし,持株会社による支配の崩芽は登場しつつあった。 「管理会社 (managementcompanies)は,地方の事業会社に, その設計上の,金融 上の,会計上の,そしてその他のサーヴィスを提供し,その代償として. し ばしば地方の事業会社の証券を猶得したのであった。こうして管理会社は 次第に償権者となっていき,のちにはそれと顧客関係にあった事業会社の 所有者となるにいたった。 そしてその後, 投資銀行家がそれほどの投資 なしに支配を行う方法を管理会社に手ほどきし始めたのである。 したがっ て,現在の持株会社築団の多くは, その起源をこれら管理会社と金融家と の結合に求めることが出来る。 」 (p.18)そして1924年までに,持株会社 は全国の発電能力の66.2%を支配し,全国の電力事業をその手中に収めた

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B.Ostrolenk, $4Electricity-foruseor fcrprofit?", 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

のである。それに続いて地方の大会社が38.4%を,残りの5.4%を中'j、

会社が支配していた。 この時点における最大の集団は, ElectricBond&

ShareCompanyを小会社としてもつGeneralElectricCompanyであ り,全国の発電能力の13.3%を支配していた。 さらにこれに続いてInsull グループが8.9%,NorthAmericanグループが6.6%, Byllesbyグル ープが5.5%をそれぞれ支配していた。 1932年にはこれらの会社の相対的 地位は, 第1位が「輝ける星団中の1新星」UnitedCorporationに占め られたということを除けば, もとのままになっていた。この会社は全国の 発電能力の5分の1 (19.8%)を支配しており, また持株会社全部では全 国の発電能力の4分の3を支配していたのである。

では公益事業持株会社の典型的な支配構造を持つものとしてElectric Bond&ShareCompany (以下, E.B,&S. と略す)をとりあげてみよ

う。この会社の役割は自社の株式を発行することによって多くの事業会社 の株式を猶得し支配することにあった。つまりこの礎得した株式を自社 の株式の基礎として使ったわけである。 この会社の傘下会社の資本構成 (capital struCture)をみると,総資本の50%から60%が社憤, 20%から 25%が優先株, 20%から25%が議決権を有する普通株から成っていたが,

このうち社憤と優先株はすべて大衆投資家に売却せられ,残りの普通株が EB.&S.に所有せられるというしくみになっていた。 こうしてE、B.

&S. li, その傘下事業会社の総資本の20%から25%だけを所有すること によって傘下事業会社を支配しえたのである。だがこのような関係は最高 位持株会社とその最底辺にある事業会社とを単純にみただけである。実際 にはその中間に多くの系列持株会社が介在していたのであって,最高位持 株会社E.B.&S,はその系列持株会社の上述の如き割合の株式を所有し,

さらにその系列持株会社はその下に位侭する系列持株会社の上述の如き割 合の株式を所有するという関係をかたちづくっていた。こうして系列持株 会社を幾層にも積み重ねることによって, この会社は,少数の持株比率で

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B.Ostrclenk, $<Electricity-fOruseorforprcfit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

多数の事業会社をその支配下においていたのである。 さらにまたこの支配 は兼任重役の手持株を通じての委任投票からの助力や議決株の発行操作に

よって一層完全なものにされる。

同様に, このようなピラミッド型支配の典型にAssociatedGas and ElectricCompany(以下,A.G.E.と略す)の機構がある。 1934年当時,

この会社ば7つの系列持株会社を介して合衆国の23州と, フィリピンで操 業する147の事業会社をその支配下においていた。だがこのような巨大な 持株会社といえども, より立ち入ってみると最高位持株会社にはなってい なかったのであり, 当時の連邦取引委員会(FederalTradeCommission) の場での論議によればA.G.E.はAssociatodSecuritiesCorporationに よって所有.支配され,次に後者はAssociatedGasandPropertiesによ って所有.支配され, さらにまたこの最後の会社はJ. I.Menge,HC.

Hopson両氏によって支配されていたのである。 この場合もその支配の基 盤は,多種多様な普通株,優先株,社債の所有にあり,典型的なピラミッ

ド型支配を行っているのである。 「総額8億ドル以上の有価証券を大衆が 所有しているこの巨大な金融帝国はたった2人の人間によって支配されて いるのである。 」 (p.22)

さて, このように一つの会社をではなく多くの系列持株会社を利用して 支配を行使する方策は, すでに述べたようにピラミッド型支配とよばれ次 のように定義されている。 「すでに経営支配を行っている会社支配層が自 分の会社と事業会社の間に別のいくつかの会社を介在させ, この中間会社

の議決株を自らの会社で留保し−これは比較的少額の投黄となるのだ が−,非議決株を大衆に売却する。このような方法で支配層が最少限の 投資額で事業会社の支配を購保すること。 」 (p.25)持株会社によって発 行された株の大部分は議決株ではないために, また, たとえその株が議決 権をもっている場合でも,株式所有者が25万人とか50万人とかとあまりに も広範に分散しているために, ひとにぎりの経営支配団がこの持株会社の

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B.Ostrolenk, <$Electricity-foruseor forprofit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

支配を推持することを可能ならしめ,彼等が法外な利潤を獲得するための 金融的術策に道を開くことになった。

吹にこの金融的術策についての具体的な記述をたどってみよう。

(1) サーヴィス会社の利用による経費の水増

公益事業持株会社が事業会社の経喪にみせかけただけの諸項目をつけ加 える術策はさまざまであるが, その最も露骨なかたちとしてはサーヴィス 会社(servicecompany) を利用して行われるものがある。

この例証材料は豊富に存在する。

A.G.E.に支配されている147の事業会社は, 例えば後に「Utility ManagementCorp.に組織変更したJ.P.WhiteManagementCorp.の ようなサーヴィス会社によってサーヴィスを供給されている。 」 (p.37) このサーヴィス会社は1929年末までの6年間に総額657万ドルに及ぶ純益 を獲得した。このような法外な経費に対して事業会社に供給されているサ ーヴィスがどのような真価をもっていたかは, 「A・G.Eが,支払われた 金額に相当するサーヴィスを提供しなかったということにつ、、てはAsso‑

ciated社の代表者によっても認められている」 (p.37) と記載されている F.T.C.の報告書によっても明きらかである。 さらにこの報告書はA・G.E

によって支配されているRochesterGasandElectricCorp.とNewYork StateE1ecticandGasCorp. という二つの事業会社についても次のよう に記している。 「1930年にこの二つの事業会社から(Associated社の〕サ ーヴィスに支払われた総額100万ドルは過重であり高すぎる価格である。」

「そのサーヴィス会社の提供したサーヴィスば,市議会の調査によって25 万ドルの価値しかないと査定されたのである。 .… この年のRochester社 の支払いは, その経費を大幅に水増ししてつりあわせたものであった。 」

(p.38) &。A.G.E.は1924年から29年まで,その建設サーヴィスに対 して997万ドルを課し657万ドルの純益を猿得していた。

E.B.&S. がその子会社へのサーヴィスの提供から得た収益は1927年

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B.Ostrolenk, "Electrlcity-foruseOr forprofit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

に937万ドル, 1931年には1,124万ドルであった。 27年の必要経費は440万 ドル, 31年のそれは554万ドルであったから,それぞれ差し引き497万ド ル, 570万ドルの利潤を獲得したことになるのである。StandardGasand Electricグループを支配しているH、M.Byllesby&Co.の関連サーヴィ

ス会社ByllesbyEngineering&ManagementCorp. lX11年間で純益 1,700万ドルを漣得していた。 このような「例証はかぎりなく続けられる であろう。 」 (p.40) )

(2) 事業会社による資産の過大評価(write‑ups)

これは,事業会社が不動産(水利権や送電線路敷設権などを含む) ,発 電プラントなどの購入に際して直接に自社の資産項目を水増しするケース

である。

1935年, あるシンジケートがニューヨーク州セントローレンス郡のグロ ス河畔の土地28,000エーカーを購入した。このシンジケートは, Power Corp. ofNewYork,NorthernNewYorkUtility, Inc ,St.RegisPaper Co,ならびにCarlisle&Co.の4社から構成されていた。監事である Carlile&CO・はこの不動産を約24万ドルで購入し, その直後それを再評 価し110万ドルに引き上げた。Carlisle&Co.は水利権を含む土地の一部 をPowerCorp. ofNewYorkに75万ドルで売却し,送電線路敷設権を 含む土地の一部をNorthernNewYorkUtility, Inc.に15万ドルで,更に 森林地帯をSt.RegisPaperCo,に20万ドルで売却したのである。当初の 価格と比較して約86万ドルの資産買収費用の水増がなされたことになる。

これらの水増はPowerCorp. ofNewYorkなど最終的に買いとった三 つの事業会社の固定資産項目にふり分けられることになったのである。

このような資産買収の際の水増会計にサーヴィス会社が活踊する例もあ る。それは例えば, 前例にも登場しているPOwerCorp. ofNewYork がSt・RegisPaperCo.を買収したケースである。後者の買収にPower Corp.ofNewYorkli,ほぼ750万ドルを費やした。 「AssociatedCo.の

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B@OStrOlenk, .&EleCtricity-fOruSeorforprofit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

関連サーヴィス会社であるJ.C.WhiteEngineeringCo.がSt.Regis Co.の資産を再評価する会社として指命された。 この資産ば, この時 1,185万ドルに評価替えされたのである。 」 (p、43)

(3) 合併による資産と株式資本の水増 大規模な水増は合併時に行われる。

競争中の電力会社同士が合併して更に大きな会社になった例にNiagara HudsonPowerCorp・ がある。 この会社は相互に競争しているBuffalO, NiagaraandEasternPowerCorp.,NortheastemPowerCorp.,Mohouk PowerCorp・の合併(1929年)によって成立した新会社である。この3会 社の貸借対照表上の資産価値は合計1lR4,748万ドルにすぎなかったが,

NiagaraHudsonPowerCorp. が設立されるとその資産は2ig3,025万 ドルに引き上げられた。従って新設会社の株式資本は8.276万ドルの水増 を含むことになったのである。この水増分がより高い料金となって消費者 に転嫁されてゆくことは自明である。この会社の経営団は実際の価値を上 回る固定資本勘定を維持していくことや水増しした株に対して高配当をし なければならなかった。NiagaraHudson社はこの後に減資することにな るが, このことは旧会社たる3会社自体が水増しされていたことの何より の証拠である。この会社の傘下事業会社の利益からは持続的に十分な利潤 があげられなかったのである。

(4) その他の術策

資本経費を増加させる巧妙な術策はまだいくらでもある。持株会社は,

融資手続き,証券の売却,会社案内の作成・配布,プロモーターとしての 役割等のいずれにも法外な手数料を課し系列事業会社の資本を膨張させる のである。

ConsolidatedGasCo.はNewYorkEdisonCo.の設立時(1901年)

からの普通株の99%の所有者であったが, それ以来この会社に対して莫大 な手数料を課してきたのだった。例えば, 1921年のNewYorkEdison

−89− 9

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BOstrolenk, [<ElectricitJ(-foruseor forprofit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

Co.の発行した約17万株のうち12万株はCOnsolidated社から借り入れた 建設費の支払いのために当てられ, 5万株ばConsolidated社の所有する 他会社の株式と交換された。 1922年に発行された14万株もまた借入れた建 設費の支払いのために当てられた。 1925年発行の45万株の一部もまた建設 費・改修費の支払いにあてられたのである。同様のことは1927年から31年 にも続けられていた。

またプロモーターへの法外な報酬の例はInsullグループにもみられる。

InSullグループに癒着している投資銀行Halsey,Stuart&Co・はInsull Utilitylnvestmentlncorp・の発行した346万ドルの株の販売に際してそ の手数料として15万株以上を手に入れたのであった。

これらもまた結局は高料金の先取りとなっているのである。

1I

続いて, Ostrolenkは公益事業持株会社証券に投資していた膨大な数の 大衆が大恐慌中に破滅的打撃を蒙ったのはなぜかという問題を究明するた めに,巨大持株会社のいくつかをとりあげ詳細な論述をすすめている。ア メリカの電力生産は−大恐慌中の渦中にあってさえ消費の増加によって

−史上最高を記録しているにもかかわらず持株会社証券が暴落し投資 大衆はかつてない甚大な被害を受けたという。その原西は必ずしも明き らかにされている訳ではない。 というのは一つには持株会社の機構・組織 がきわめて複雑で錯綜してL、るためにそれらが行う証券操作が一般投資家 にばわかりにくいものになっているからであり,次には公益事業持株会社 の経営支配層が, これらの会社の証券が暴落している原因は連邦政府の規 制の強化であるとして大々的な宣伝活動を展開しているからである。 しか し,実際の公益事業持株会社の経営支配層による証券操作をみれば彼等の 宣伝はフィクションであり,大衆にその資金を投資させ最後には株式を暴 落させて投資大衆の貯蓄を奪い去ったのは,政府の規制どころか当の経営

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B.Ostrolenk,"Electricity‑foruseorforprofit?''、 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

支配層による金融的術策そのものであったのである。このような事実を究 明するために, Ostrolenkはいくつかのケース・スタディを行う。

(11 StandardGas&ElectricCo.

この会社によるMountainStatePowerCo. (以下,M.S.P. と略す)

の株式買収の規模はそう大きくはないが, この時期の公益事業持株会社 の致富のあり方を端的に示す好例である。MS.P の株式は最終的に Byllesby&Co.によってStandardGas&EiecticCo. (以下,S.G E.

と略す)に売却されるのであるが, それまでに以下に述べるような一連の 証券操作が行われているのである。

1924年11月, Byllesby&Co. lj: StandardPower&LightCo. (以下,

S.P.&L. と略す)に額面6.66ドルの普通株1万2,700株,総額8万4,666 ドル相当を発行させそれを購入してL、た。翌25年2月, この株式をS.G.

E.の重役陣で構成されているシンジケートに9万5,250ドルで売却した。

4ケ月後に入手したM. S P・の額面10ドルの普通株2万5,400株(総額面 価格25万4,000ドル) と交換に, Byllesby&Co.は, 2月に9万5,250ド ルで売却したS.P &L・の株式をシンジケートから買い戻した。つまり S.P.&L.の9万5,250ドルの株式に25万4,000ドルという値をつけたの である。 Byllesdy&Co.は過大評価したS.P.&L・の株式を手中にし たまま, 6月から10月にかけてシンジケートから額面10ドルのM.S.P.

の株式の約半分1万2,500株を1株当り20ドル,合計25万ドルで買い戻し,

これを同額でS.G.E.に売却したのである。

S.G.E がMS.P.の株式を購入したこの取引だけをみれば,By‑

llesby&Co.は入手したのと同価格でS、G E.に売っているのであるか ら正当公平な取引であると思われるであろう。 しかし, この株式売買の前 には以上のような操作が行われていたのである。Byllesby&Co.は「S G.E.の金融代理店であり, メイン・バンクであり,支配株を有する投資 銀行」であって,前述のシンジケートはBylleby&Co・を含むS.G.E

‑91‑ 11

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B_Ostrolenk, "Electricity-foruseor forprofit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

の重役陣から構成されていたのであった。

この株式取引の結果は次のようになる。シンジケートばS,P.&L.の 株式購入に際しての支出9万5.250ドルとM・S.P.の株式1万2,500株の 売却代金25万ドルの差額約16万ドルの現金利得をえ,かつ,売却せずに留 保している1万2,900株,価格にして25万7,900ドルを獲得したことにな る。Byllesby&Co.は最初もっていたS・&L・の株式を再び手に入れた ので, S、G.E・の株式所有者たちはシンジケートが2万5,400株を購入す るのに9万5,250ドルしか要しなかったM・S.P.の株式の1万2,500株を 購入するのに25万ドルを支払ったことになる。複雑な操作の結果, S.G.

Eとその株主たちは高い代償を払っているのにその重役と金融家だけが 利得をえているのである。 これがS.G.E・によるM.S.P.の株式購入の 全容なのである。

(21 A.G.E.

まず, この会社によるGeneralGas&ElecticCo. (以 ト, G.G.&E.

と略す)の傘下事業会社の買収についてみよう。

G.G.&E.は1925年に組織され, 傘下に30の系列事業会社をもち好 調な業績をあげている持株会社であった。なかでもBinghamtonLight, Heat&PowerCo.,MetropolitanEdisonCo.,NewJerseyPower&

LightCo.などの4事業会社が好調で, 中心的存在であった。 1929年3 月,A.G E.がこのG.G.&E. の議決株を買収し,最大の株主となっ た。G.G.&E.を意のままに動かせるようになったA・G.E.の経営支配 層ば, G.G.&E.の配当収益の大部分を上げている4事業会社の買収を 行った。A.G、E・はその系列持株会社を通じて, 2,000万ドルと評価され ている四つの事業会社の株式に対してA.G.E.の株式5,700万ドル相当を 支払った。四つの事業会社の株式の実質価値は, F.T.C によって32万 ドルと算定されているので, ここでは約180倍もの過大評価がなされたこ とになる。これほどまでに過大な評価がなされた一因としては, G、G.&

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B.Ostrolenk, @4Electricity-fDruseor forProfit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

E.には,過半には至らないが相当の持株を有するUnitedGaslmprove‑

mentCo. (以下,U、G、 I.と略す)が関係していたからである。つまり,

U、G. 1.が.A.G.E.のこうした動きを妨害したからである。G.G.&

E の支配をめぐるA・G.E.とU、G、 1.の闘争は,A G、E.が後者の持 株価値を930万ドル上回る4,600万ドルで買い入れることで妥協をみたの である。

AssociatedSystemは,四つの事業会社の株式と交換に5,700万ドル相 当の非議決株をG.G.&E.に与えたのであるが, 1934年, 35年にはその 株式価格は著しく低下し,A.G.E.に支配される前には高配当を出して いたG G.&E・ は,主要な事業会社を奪われたために収益率が低下し,

34, 35年には欠損を出すようになってしまったのである。

さて, このA.G.E,の株式は広く分散しその大部分を大衆が所有して いるにもかかわらず,大衆株主には経営を左右する権利はなかった。 とい うのは, すでに第1節でふれたようにA・G.Eは更に上位の持株会社 AssociatedGas&ElectricSecuritisCo. (以下,A.G.E,S. と略す)

に支配され, この持株会社はAssociatedGas&PowerPropertiesによ って支配され, この後者は, 結局,Hopson,Menge両氏によって支配さ れているからである。

このA.G、E.の上位の持株会社A・G.E.S.の主要業務ば.Associated System内の諸会社の証券の売却,転換, 配当の支払などである。ニュ

・ヨーク,デラウェア, ペンシルヴァニア, マサチューセッツ州に同名の 会社があって,各々の州で証券の販売にあたっていたのである。 しかし,

A・G.E.S.は証券を販売するばかりでばなく証券操作も活発に行ってい た。A.G.E、S・の証券操作の典型的なものに, 1929年のキャンペーン中 に行われたものがある。このキャンペーンでは,AssociatedSystemの諸 会社の等級A株(議決権ばない)が全国に売り出された。大衆に仮証書や 社債からの転換契約をして高利益を得ようと思わせるにば,等級A株の市

−93− 13

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B.Ostrolenk, .6Electricity-Jorusecrforprcfit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

場価格は仮証書や社債の購入価格よりも高くなければならなかった。そこ でA.G.E.S.は等級A株の市場価格を突然引き上げるために, この株が 大衆に売りきれた直後liX5,200万ドルを投じて250万株を買い戻したので ある。 1929年1月から9月までの,取引所におけるこの株の取引のうち,

A.G.E.S・の買いが58%から99%の間にまで達したほどである。こうし た証券操作によって,同年9月, この株は72.6ドルという異常なまでに高 い相場となったのである。この等級A株の高い価格に引きつけられて,大 衆投資家は争って買い求めた。売却した直後には又購入して価格をつりあ げ,次には株数を増加させて売却し,売却したら再度購入して価格をつり あげる,そして更に枚数を増加させて売却するという操作を何度もくり返

していたのである。 こうした操作によって, 発行総数75万株から出発し 1929年内には473万株を大衆に売りさばいたのである。このようにして大 衆に高価格で売られたこの等級A株は1936年6月,わずか1.5ドルの相場 に下落しているのである。

(3) インサル・グループ

このグループの枢要をなすのはInsullUtilitylnvestmentsCo. (以下.

I.U I.と略す), CorporationSecuritiesCo・ofChicago,MiddleWest UtilitiesCo. (以下,MW.U、 と略す)の三つの持株会社である。これら ばその傘下にいくつもの系列持株会社を介して事業会社の資産を吸いとっ ていたのである。一方, この三つの中心的な持株会社は, それらがもって いる財務上,会計上, ならびに経営上のサーヴィスを供給していた。 1932 年には,その資産は著しく減少し膨大な負債を負って管財人の管理すると

ころとなっていた。 I.U. I .の資産の部にはその価値わずかに2,750万 ドルの証券しかなく,負債は2億5,400万ドルにのぼっていた。合わせて 2億644万ドルを払い込んだこの会社の社債保有者,株式所有者の手もと には,今や何の裏づけもない紙きれ同様の証券が残っただけである。M、

W.U・ もI.U. I. と同様であり,普通株・優先株・社債の帳簿価格は合

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B.Ostrclenk, #4Electricity-foruseor forProfit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

わせて2億6,000万ドルであったにもかかわらず, その資産は市場価格わ ずか4,000ドルに下落している証券だけであった。 インサル系の諾持株会 社の証券に投資している大衆は, これらの倒産によって約7億ドルの破滅 的損害を蒙ったと見積もられている。

この3大会社のポートフォリオが事業会社の株式から成り立っている限 り, これほどまでの破滅的倒産は起こらなかったはずである。 というの は,事業会社の株式価格は1929年以降最も低い時でその帳簿価格の25%だ け下落したにすぎず,大部分はすぐ帳簿価格に回復したからである。にも かかわらず上述の如き破滅的倒産の事態にいたったのは, これら三つの持 株会社がポートフォリオの事業会社株式を徐々に手ぱなしていったからで ある。持株会社の支配層ぱ融資を受けるために事業会社の株式を銀行に抵 当に入れていたのである。 1929年から32年の間に,事業会社株式を抵当 に入れての銀行借入額は1億a000万ドルにのぼった。これほど巨額の資 産を借り入れたのは収益が悪化して配当がそれからは出せなかったためで あり,下落しはじめた自社株の価格をより高い市価に保つために買い支え ることが必要だったからである。又,収益が悪化しているにもかかわらず 重役である支配層力《自分達自身に法外な報酬を支払っていた。あるいは 又,借入金は「系列会社の間で証券を操作することに費消されたのであ り, そのことは 内部の支配層 と銀行に莫大な利得を与えたのであっ た。 」 (p.151)

持株会社の経営支配層が担保に入れた事業会社株式は,本来から言えば 持株会社の株主たちの資産であり,経営支配層はその資産の運用を委任さ れているにすぎない。この経営支配層は自社の株式のほんのわずかしか所 有していないにもかかわらず,膨大な資産を担保にして銀行融資を受ける ことが出来たのであった。かくして,経営支配層は自らの思うがままに証 券の操作を行うことによって,破産する直前まで持株会社の証券を大衆に 売却しつづけたのである。

−95− 15

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B.OStrclenk, "Electricity-foruseor forProfit?"' 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

14) ColumbiaGas&ElectricCorp.

この会社は, 1926年にウェスト ・ヴァージニア州のColumbiaGaS&

ElectricCompany(以下,C.G、E Co.と略す) とOhioFuelCorp.を合 併して組織された後継会社である。 この持株会社の支配者はA.S.White 及びF.B.Enslowであった。この持株会社は,設立直後4,0"万ドルと いう普通株による増資を決定し, UnionGas&ElectricCo. (以下,U.

G.&E.と略す)を買収したのである。U.G.&E.は資本金100万ドルの 事業会社であったが, この会社の額面総額100万ドルの普通株に対して ColumbiaGas&ElectricCorp. (以下, C.G.E.COrp.と略す)は新株 3,7 万ドルを交付したのである。ここでも37倍の資本の水増が行われて いる。当然にも, C.G.E. Corp・の3,700万ドルの額面価値をもつ新株 は,わずか100万ドルの実質資産しかもたないU、G.&E.の株式を基礎に して出されているので3,700万ドルの市場価値はないと考えられた。U.

G.&E.の旧校主たちが手離したC.G.E. Corp.の株式の一部は,A.S.

White&Co・を通じてC、G.E・Co.に売却されたのである。「総額3,6帥万 ドルの水増分」はこのようにしてC.G.E.Co.に移転されたのである。

当時のC.G、E.Co.の総投下資本収益率はおよそ6.21%であると算定さ れていた。 しかし,U.G・&E.の合併の際の3,600万ドルの水増からくる 負担を除外すれば収益率は13.6%から19.9%になるはずである。 「一度の 水増計上を除外すれば収益率はこれほど上昇するのであるから,健全な財 務が行われておれば事業会社が極めて魅力的な投資対象であることは驚く にあたらない。 」 (P.158)

上述のような水増株の発行を頻繁に行っていた公益事業持株会社C.G.

E. Corp.の社憤についてみよう。 この会社の25年満期年利5%のGold DebenmreBond5,"0万ドルが, 1927年, GuaranteeTrustCo.によっ て発行された。投資大衆にとってはGoldDebentureBondとは擬良担 保をもっているが故に一流社債であろうと思われた。だが, Guarantee

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B.Ostrolenk, "Electricity-forusecrfCrprofit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

TrustCo. との契約書には担保物件が記されてはいないのである。C.G.

E. Corp.のポートフオリオは, 当時,子会社証券2"9,322万ドルをは じめ他会社の証券をあわせて4億2,643万ドルであったが,圧倒的に株式 が多かったのである。 このためポートフォリオの証券価値は不安定であ り, C.G.E.Corp.の社憤は決して優良であるとはいえないのであっ て,投資家にとってはむしろ危険なものであった。 1927年発行のこの社債 が危険だという理由はこうしたことばかりに基づいているのではない。 と いうのは, 1931年には更に新たな社債5,000万ドル(1961年満期)が発行 されて,先の社債には何ら優先槻が確保されないことになってしまってい る。新たな社債の契約書は,前の社債と同様に減債資金積立の規定も償還 細則も何ら記されてはいなかったのである。C、G.E. COrp.はこれらの 社憤が満期になった場合には減憤資金積立を義務づけられていないため に,償還することは出来ずに借換をせざるをえないであろう。借換時に貨 幣市場が沈滞していればこの社憤がかろうじて保っている健全性はみごと に消えうせてしまうだろう。そのとき社債は紙きれ同様となるであろう。

投資大衆に多額の貨幣を払い込ませたC.G、E. Corp.の社債ば,恐慌の 最中,上に述べたような事態に陥っているのである。

(5) U・C・

U.C.は, 1929年, J.P.Morgan&Co.,Bonbright&Co.,及び Drexel&Co. といった金融界の大勢力を背後に投資信託会社として設立

された。この信託会社の重役会の構成は以下の通りである。

J.P.Morgan&Co

吋恥恥蠅H

s w R K H

由今由

T G A L G Bonbright&Co

E. B. &S

−97− 17

(19)

B_Ostrolenk, <$Electricity-foruseor forprofit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

F.L.Carlisle&Co.

NiagaraHudsOnPowerCo.

Commonwealth&SouthernCo

C.G.E.Corp.

PullicServiceCorp. ofN.Y.

U. G. I ,

}'…雪

D.C.Coff P.Gocsler T.M.MCCarter J.E. Zimmerman

これらはアメリカ篭力事業界と金融界の最も楢勢ある精随と目された。

このような重役を配するU.C.は,公益事業証券への投資では権威とみな されてしかるべきであった。証券市場の専門的知識をもたない投資大衆 が,上述の重役陣を 信頼(trust)"してU.C.の株式に合計5E8,300 万ドルの貯蓄を投資したのであった。だが1934年末にはこの株式の価格は 1値3,9 万ドルに落ち込み,投資大衆は4IH4,400ドルの損害を蒙った ことになった。このような投資大衆の損害は次のような証券操作によって 翠備されたのである。

重役会にかくの如き陣容を擁したU.C・はその設立翠備を以下のように 報道させ投資大衆の信頼感を思いのままに動員することが出来たのであ る。すなわち「……いくつかの巨大持株会社システムの株式を猫得する 準備が周到になされてきた。電信電話事業界でAmericanTelephone&

TelegraphCo.がもっている地位と比肩すべき公益事業分野における巨大 な持株会社集団が企図されている。 」 (p、 171) と。 1929年1月7日のこ の設立発表の2週間後,U、C.の普通株一株,偶先株一株セットの購入仮 証嘗(interimcertificate)がJ.P・Morgan&Co.から発行された。 こ の仮証書は額面50ドルという優先株価格に普通株の市場価格47‑49ドルを 加え, 97ドルから99ドルという相場で大衆に売却されたのである。つまり 投資大衆は額面25ドルの普通株に47ドルから49ドルを払い込んだのであ る。だがこの仮証書の大衆への販売以前に,U.C.の創業者でもある彼の

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B.Ostrolenk, ~IElectricity-foruseor forprofit?''@ 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

重役会の面々−もちろんJ.P・Morgan&Co. JPBonbright&Co.の 代表も含めて−ば既に普通株に対し額面通り25ドルで払い込みを済まし ていたのである。創業者たちは, その払い込みに25ドルしか要さなかった 普通株をわずか8日以内に権利証書の形で大衆に47ドルから49ドルで売却 したのである。U.C.の重役のなかで, この普通株を売却せずにいまだに 相当量所有しているものぱいないのである。

U、C,のポートフォリオの大部分は,U、C.の株式と他の持株会社の株 式を交換して獲得せられたものである。U.C. と株式交換を行った持株会 社は, U.C.の彼の重役会のメンバーと密接な関係がある。 というのはそ れらの持株会社のうちU、G. 1 .,PublicServiceCorp.ofN.G.,C.G.

E. Corp., Commonwealth&SouthernCorp., NiagaraHudson&

PowerCorp.の5会社が主要なものである。U.C. と株式交換を行った これら持株会社は猶得したU.C,の株式を購入価格(支払った株式の価 格)をはかるに上回る値段で大衆に売却したのである。投資大衆に47‑49 ドルで売却せられた普通株は今や(1935年) 7ドルとなり,最低の場合に はわずか1.5ドルの相場しかないのである。このようにしてモルガン系銀 行といくつかの公益事業持株会社の経営支配層によるU、C の設立は彼等 に法外の利得を顕得させ,投資大衆には4億ドルを超える損失をもたらし たのである。

111

さて, では以上でみてきた公益事業持株会社の術策に対する規制は如何 なるものであったのか。また, その規制はどれだけの効力を発揮していた

といえるのであろうか。

アメリカ合衆国においては経験上,大衆の利益に大きな影響を与えるサ ーヴィス部門に競争を認めることは非効率的であるという説, したがって また電力事業においてば電力施設や電線路の2重化は浪賢的,非経済的で

−99− 19

(21)

B,Ostrolenk, #fElectricity-fDruseor forprofit?'1. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

あるという説溌定着していた。その結果,電力公益企業は営業地域の自治 体より独占的営業免許(monopolistic charters)を認められ,他方その見 返りとして電力料金を「発電費プラス投下資本に対する約7%の適正収 益」内にとどめるべきことを契約させられた。 この契約を監視するため に,当時42州とDistrictofColumbiaにおいては公益事業委員会(Public ServiceCommission)が設けられていたのであるが, その実状は, Ostr‑

olenkによれば次のようであった。 「公益事業委員会は,その契約料金を 守らせることに失敗していた。 ・ ・・…全州において,統制機関は,……公益 企業の頑強な抵抗に遭遇したのであった。すなわち,裁判,媒略,懐柔,

宣伝,簿記の偽造,会社間取引,その他の膨大な術策によって,その機構 を停止させられたのであった。 」 (p. 9)

自治体や消費者や一般企業の告訴があったときにのみ,委員会は本格的 に公益企業の調査活動をはじめ,公表されている料金の内実を明確にしよ うとした。だが, この調査すらも,会計士,設計士,法律家等々を含む膨 大な数の有能な援助者を必要とし,それ故委員会の予算とスタッフだけで は公益企業の資産や発電費の内容に立ち入ることはできなかった。委員会 自身がこの限界を認めざるをえなかったのである。

裁判においては, 「明らかに,公益企業は,料金事件(aratecase)が 長びけば長びくぼど現行の料金を維持できるということを見通している。

彼等は,訴訟の延長中にも利潤が増大するので,一時的な料金訴訟を歓迎 するのである。 」 (p.70)ConsolidatedGasCo. ofN.Y, とその子会社 は,料金引き下げ要求に反対して,裁判において5年間で3百万ドルを支 出し, またLonglslandLightCo.の料金裁判は,最終的には1935年12 月に決蒲がついたものの5年間で250万ドルがこの会社から支出されてい た。さらにRocklandLightandPowerCo,は, この会社の2万7千人 の消費者による料金引き下げ要求に反対して40万ドルを支出し,消費者1 人当り14ドルを負担させたのであった。このような例は無数にある。これ

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B.OstrOlenk,$4Ele仁Iricily‑foruseorfcrpr・fit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

らの裁判費用は消費者の料金に課されていくことはいうまでもないが,上 述の公益事業委員会における調査藍用,裁判賢用もまた租税というかたち で消費者に課されていくのである。すなわち, 「消費者・納税者に課され る喪用は,統制機関が料金引き下げを行おうとし,その結果裁判訴訟が起 るとき,高料金を課されたのと同じくらい大きなものになる。」 (p.70)

前節まででみてきた持株会社の諸々の術策のうち,例えば持株会社がサ ーヴィス全社を利用し事業会社に法外な価格の資材やサーヴィスを販売す る方法に対しても,公益事業委員会は,持株会社自体が公益企業として分 類されておらず, すなわちそれらは「単に事業会社の株主の地位に収まっ ているだけ」 (p、67)なので, その内部に立ち入って調査することはでき ず, しばしばサーヴィス会社と事業会社の関係さえ, どちらも複雑な経路 で蝦高位持株会社やその系列持株会社と通じているので,立証することが 困難であった。こうして常に,事業会社が領収証を示し,資材やサーヴィ スを事業の必要経費であると主張すれば, 「州公益事業委員会は, これら の経費を承認することしかできない」 (p.67)状態にあった。

さらにまた州の規制に関していえば, 「ほとんどの持株会社が各州にま たがって事業をしているために,彼等はそれぞれの州が企てるどんな規制 からも逃れられる」 (p.26) という状態にあった。

さて,上述のように州による規制を<く・り抜け,一方においては消費者 に高料金を課しながら,他方においては証券操作,非生産的な投機にふけ っていた公益事業持株会社の活動は, 冒頭でもふれたように, その結果と して1929年恐慌を惹起させる一大契機をつくりだし,次第に連邦政府によ る本格的な規制を受けるようになっていった。それまで連邦政府も,州の 統制機関とは別に,連邦動力委員会(FederalPowerCommission)を設 立(1920年)するなどして公益企業の規制にあたってきたが, しかし連邦 動力委員会の活動に代表されるようにその効果は全く芳しくないものであ った。連邦の規制が実際的な効力をもって開始されるのは大恐慌以後, と

−101− 21

(23)

B.Ostr・1enk, ・GElectricity‑foruseor forprofit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

りわけRoosevelt政権になってからである。

この時期の連邦政府の規制を大まかにみると, それは二つの方向からな されたといってよいであろう。一方からは1933年の証券法(Securities Act),1934年の証券取引法(SecuritiesExchangeAct),1935年の公益事 業持株会社法(PublicUtiltyHoldingAct)など持株会社の証券活動規定 やその機構改革を目論んだ一連の法的規制として,他方からは公有電力事 業の推進による,民間電力会社に対する電力料金引き下げの圧力として。

だが, もちろん公益事業持株会社はこうした規制に対しても, この時期 のロビイストの運動,大衆を動員しての反対キャンペーンなどに代表され るような猛烈な反対運動を展開した。その活動は一時的ではあったが効を 奏するに至り, Ostrolenkをして1936年本書執筆の時点で前者について

「これらの法律が問題の核心に迫るかどうかは甚だ疑問である。」 (p.30) と言わしめている。彼が一連の法的規制よりも効力高く評価しているのは 後者,すなわち公有電力事業の推進である。それはしばしばヤードスティ

ック・プランという言葉で表現される。これについての彼の主張をやや具 体的にトレースしてみよう。

まずOstrolenkは,ヤードスティック方式が料金引き下げのためにいか に効果的なものであるかを示すために, モントリオール市とその市内で独 立の自治機構を認められているウェストマウント (Westmount)地区の25 年にわたる電力料金の歴史をみる。 1904年には, ウェストマウント地区 を含めてモントリオール市の全地域が, 民間会社MontrealLight,Heat andPowerCo.によって電力を供給されており, その料金はKWH当り 12 8セントであった。 しかしウェストマウント地区の住民はこの民間会社 によって課されている料金に反対して, 1906年に, 自治体債売却から得ら れた45万ドルという資金をもとにして独自に自治体所有の発電施設を建設 し, そこから発送される電力にKWH当り10セントという料金を課したの であった。人口数ではモントリオール市が25万人, ウェストマウント地区

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B.Ostrolenk,$$Electricity‑foruseorforprofit?''、 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

が2万6千人という差はあったものの, ウェストマウント地区の自治体発 電施設から産出される低料金の電力に大きく影響されて,MontrealLight, HeatandPowerCo・はその電力料金を.KWH当り10セントに引き下げ うるをえなかった。そして以後一 「ウエストマウント地区の施設(plant) は, 1910年に8セント, 1911年に7.5セント, 1913に6セントと料金を引 き下げていった。これに対してモントリオール市の電力会社は,常に遅れ てではあったけれども, これに続L、て料金を引き下げざるをえなかった。」

(p、75)次の表は1933年までの上述の経過を示すものであるが, これをみ ると「モントリオール市の電力における料金の値下げは, ウエストマウン ト地区の料金に追従して行われたものであったことは明白である。すなわ

電気料金の比較

単位・セント

、自治体

年、〜

、、自治体

、̲

年、 ‐ ウエスト

マウント

モントリ オール

ウエスト マウント

モントリ オール

1907 1 ]0

12.75 1920 4.75 4.8

4.8 4.8

1908 10 12.75 1921 4.25

1909 10 1 10 1922

1923 4

'910 1 8 9

4

| 』 5

191」 │ 75 1 75 '924 1 」 │ 4

'912 1 7 1 7 1925 36 1 35

6.4 1926 1 3.5 3.5

llllll

1913

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'927 1 2~5 3~5

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'"0 1 雲 5 熟

1915 1 6

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1916 1917

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2,5 3

2.5 3

5 5 1932

1933

1918 1 5 5

4.8 1919 1 4.75

−103− 23

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B.Ostrolenk, $4Electricity-foruseor foJpr・fit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

ちモントリオール市の電力における低料金は,隣接した地域における自治 体所有の電力組織のおかげなのである。 」 (p.76)

さらにまた, このことから導かれる重大な結果は,低料金によって利益 を受けたのは消費者だけではなく,民間電力会社も高利潤を,投資家も高 配当を得たということなのである。彼はいう, 「Montreal Light,Heat andPowerCo.の利潤は,その料金が最も低かった1930‑33年の間に最 も高かったのである。その期間の純収入は1,200万−1,300万ドルであり,

19 ‑10年の間の平均純収入約170万ドルと対照的である。 また1902年に 株に投資された100ドルという市場価格は,今日では612ドルという市場 価格になっている。そして,投資された100ドルから受ける年々の配当ば 1902‑06年の4ドルに対して,今日では27ドルになっている。」 (p.77)

と。

ではどうして以上のことが可能になったのか。それは言うまでもなく低 料金によって電力蒋要が大幅に増大したからにほかならない。Ostrolenk は, 「7セントという料金」のもとでの合衆国の電力禰要とを比較して次 のように述べている。 「二つの公益企業がヨリ大きな利潤を礎得した理由 は, ヨリ低L、料金を課して機敏に事業を行ってきたことによる, ヨリ広範 な電力の利用に見いだされなければならない。モントリオールにおける住 宅用電力の平均消費戯2,400KWHを大幅に超過している。一方, (7セ ント〕 という料金を課している〕合衆国の同様規横の諸都市においては,

それらは400KWHにも達していないのである。 」 (p.78)そして彼は,

この低料金‑‑・需要の増大一単位当りのコストの低減→料金収益の増大とい う一つのサイクルを「費用逓減の法則」 (the lawofdiminishingcosts) と呼んでいる。

かくて, 「この電力会社に対するウェストマウント地匹の住民の4分の 1世紀にわたる闘争の歴史は,民間公益企業の術策を暴露する多くの興味 深い示唆を与え」 (p.77),消賢者と投資者のために問題解決のカギを与

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B@Ostrolenk, $6Electricity-foruseor forpr・fit?''. 1936, にみるアメリカ電力産業の動向

える, と彼はいう。

アメリカ合衆国においても,すでに多くの市町村が自治体発電所を所有 し,その地域の住民に比較的低料金の電力を供給していた。だが, それら は公益持株会社の所有する電力施設に比す加ぱあまりにも'」、規制であり,

公益事業持株会社の設定する電力料金に脅威を与えるものとばなりえなか った。こうした状況下で,公益事業持特会社は,州その他の規制を問題に せず, 「ほとんどの場合,非科学的であり, そしてすべての場合において あまりにも高い」 (p、109)料金を消藍者に課し,株主に配当を支払わず,

前節までみてきた数々の術策を操ることに熱中してきたのだった。 したが って「合衆国の民間公益企業がウェストマウントとモントリオールの事例 を見習っている形跡は全くみられない」 (p、89)のであった。

かくして, アメリカ合衆国におけるヤードスティック計画の本格的な実 行は,連邦政府による電力事業への着手,すなわちTVAをまたなければ ならなかった。

TVAのヤードスティック料金(yardstickrate) とは, TVAが発電 した低価格の電力を,それと契約(20年契約) を結んだ自治体や協同組合 (cooperativeassociation)に卸売し,次にそれらの機関がその契約にの っとって消費者に'」、売りするというものである。その契約'」、売り料金は,

例えば住宅用電力料金をとってみると次のようである。

最初の 50KwH 次の 150KWH 次の 200KWH 次の1,000KWH

1,400KWH以上

3.00セント 2 OOセント 1.00セント 0 40セント 0.75セント

この結果は次のようになった。 「現在のTVA電力の利用者にとって

−105− 25

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B.Ostrolenk,$。Electricity‑foruseor forprofit?". 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

は, その小売平均料金はKWH当り2.1セントとなっており, これは全国 の平均料金よりも70%以上も引き下げられていることを示しているのであ る。 」 (p.92) こうしてTVAの電力料金は,実際に民間電力会社の脅威 となりそれらに大きな譲歩をさせるのに成功したのだった。 1934年1月,

TVAは, テネシー州, アラバマ州, ジョージア州における電力事業会社 を支配していた公益事業持株会社CommonwealthandSouthernCorp.

とも契約に入った。

その結果はどのようになったか。CommonwealthandSouthernCorp.

のテネシーリ、│'│における系列会社TennesseeElectricPowerCo.の収益状 況及びその商業部門における電気器具の販売状況は次のようであった。

「TennesseeElectricPowerCo.は突然に繁昌しはじめた。48州のうちで テネシー州は,一人当りの所得では42位にランクされている。また100の 巨大民間公益企業のうちTennesseeElectricPowerCo.は,国内番付で 30位にランクされている。 しかしながら (TVAと契約を結んだ] 1934年 においてば, この会社は住宅用需要者当りに販売したKWH電力量では全 国で第1位となり, また販売したレンジの数でも第1位,電気冷蔵庫数で は第2位, ヒーターの数では第3位になった。電気器具の販売ドル額では この会社は第2位であった。所得の低い州の一つに存在し, 10万人の住宅 用需要者しかもたないこの会社は, ニューヨーク州やイリノイ州のような 高額所得の州にあり, この会社の10倍もの瀦要者をもっている会社より

も, 実際に大きな販売総額をあげたのであった。 」 (p、92)同じことは やはりCommonwealthandSouthernCorp.の系列会社GeorgiaPower Co.の場合にもあてはまるのである。 「この会社ばアトランタ州とジョー ジア州の百余りの,」、規模の市町村において, 12万5,000人の住宅用電力需 要者に,電力を供給している。番付においてば, この会社は,合衆国の公 益事業会社の23位にランクされている。 しかしながら, この会社は,料 金引き下げの初年において, わが国のどの会社よりも多く冷蔵庫を販売し

(28)

B.Ostrolenk, ::Electricity-foruseor forprofit?''. 1936 にみるアメリカ電力産業の動向

た。また, ヒーターの販売数では第1位, レンジの販売数では第2位にな った。需要者当りのKWH販売においては,今や, この会社は,年間需要 者当り平均1,000KWHとなっており,全国平均を60%も超えている。そ して, ロッキー山脈の東側に存在する会社の中では第1位であった。 」

(p、96)

さらに1935年になると, この年の12月を終わりとする12ヶ月間の,利子 や減価償却費を除くTennessee社の収益は451万ドルになったが, それは この社の前年の同収益に比して4 4%の増大を示していた。 また同じく 1935年にGeorgia社の前述の如き収益は1,070万ドルにのぼったが, それ は1934年の同収益に比して7.5%の増大であった。 「すべてこれらの収益 の増大は, 60%程度の料金引き下げにもかかわらず達成されたものであっ た。」 (p.97)アラバマ州におけるCommonwealthandSouthemCorp の系列会社AlabamaPowerCo. もこれらの会社と同様の傾向をたどっ ている。

このように, これらの会社は,前述のMontrealLight,HeatandPower Co.の場合と同様に, 電力料金を大幅に引き下げることによって, すなわ ち前節においてあげた諸術策に頼ることなくしてその収益を大幅に増大さ せたのである。かくしてTVAのヤードスティック・プランの効力は歴然 とし, また費用逓減の法則はその正当性を証明したのである。 したがって Ostrolenkは言う, 「今や歴史はくり返される。」と。

(未完)

−1〔)7− 27

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