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(1)

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 :  多文化共生社会の意味の再検討

著者 金 松美

雑誌名 評論・社会科学

号 127

ページ 57‑73

発行年 2018‑12‑31

権利 同志社大学社会学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000365

(2)

要約:本研究の目的は,先駆的であると言われている神奈川県川崎市の外国人住民に関連 する施策の支援内容を考察し,それに基づいて考えられる多文化共生社会の意味を再検討 することである。外国人向けの支援が実践されはじめた1960年以降から現在までの支援内 容を確認した。多文化共生社会は現在までの差別や偏見などが存在した外国人への社会的 不利を認めることから始まると考えられる。社会全般的に「同じであること」のみならず,

「異なること」があるからこそ形成される「多様性」について認知し,互いが持っている独 自性を大事にする態度を前提としなければならない。また,当事者グループを通して自分 の意見を主張することが必要になる。それにより,総務省から出された多文化共生である

「認め合い,対等な関係を築き,共に生きること」が実現できると考えられる。

キーワード:川崎市,外国人支援,多文化共生社会

目次 1.はじめに

1-1.背景及び目的 1-2.研究方法 2.先行研究の考察

3.川崎における外国人支援内容 3-1.「内なる国際化」への取り組み 3-2.考察

4.川崎市の外国人支援取り組みにおける「多文化共生」

5.おわりに

1.はじめに

1-1.背景及び目的

近年,日本に居住する外国人の数は増加し,2006年には

200

万人に,さらに

2017

6

月には

247

万人以上になり,日本総人口の約

1.95% にのぼっている(法務省 2017)。

────────────

同志社大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程

2018918日受付,査読審査を経て2018101日掲載決定

論文

川崎市における外国人支援の内容に関する考察

──多文化共生社会の意味の再検討──

金 松美

57

(3)

増え続ける外国人が直面している生活の問題を支援するため,国と各自治体では様々な 取り組みが行われている。

こうした取り組みの広がりは,2006年

4

月,当時の小泉純一郎首相の指示による外 国人住民の生活環境の改善策についての検討に端を発する。これにより

2006

7

月に 政府が策定した「骨太の方針」には,「年内に生活者としての外国人総合対策策定など,

多文化共生社会構築をすすめる」ことが含まれることになった。それまでの「労働者と しての外国人」や「犯罪者としての外国人」という発想を転換し,初めて「生活者とし ての外国人」という観点に立った総合適応策が

2006

12

月にとりまとめられた。この ような流れの一環として,「地域における多文化共生推進プラン」(以下,総務省プラ ン)が総務省から

2006

3

月に発表された。この総務省プランでは,各地域における 多文化共生施策の経緯及び現状が整理され,課題及び将来の方向性を含む多文化共生の 意義が明示された。また,各地域においては,総務省プラン及び同年に公表された「多 文化共生の推進に関する研究会報告書」等を参考に指針・計画を策定し,多文化共生の 推進を計画的かつ総合的に実施するよう求められている。これに基づいて各地方自治体 でも「多文化共生」に関連する施策づくりが進みはじめた。

2006

年の「骨太の方針」の策定より以前から,すでに外国人住民が抱えている問題 に直面してきた自治体は,外国人への支援を「多文化共生施策」と呼び,彼らを対象と した支援計画を独自に策定していた。国家レベルの制度に先んじて外国人住民の医療,

雇用,子育てなど基本的人権の保障を行ってきたのである(1)。森(2008),近藤(2009),

イウォンギョン(2010),チェミンギョン(2016)も,自治体が主導となり,地域の外 国人に関する施策が実施されてきたと報告している。特に駒井(1994)は,国の対応は きわめて不十分で立ち遅れているといわざるをえないと指摘している。それは,これま での国家行政が,単一民族主義という虚構に依拠しながら,外国人を共生のための管理 の対象として把握し,様々な外国人差別を行ってきたことの延長であると述べている。

また,国の基本的姿勢が外国人の保護とは程遠い以上,外国人の生活と就労に密接する 場である自治体の果たすべき役割はきわめて重要であるともいえる(駒井

1994)。

地域における外国人支援は,1970年代の在日韓国・朝鮮人の運動に始まり,1980年 代後半にはニューカマーを支援する団体が次々と誕生した。1990年代後半,多くの市 民団体により多文化共生が掲げられ外国人住民支援に取り組まれるようになったが,総 務省の「地域における多文化共生推進プラン」が認知されるようになったことで,さら に全国に広がった。総務省プランの公開後,各自治体において地域の特性に合わせた

「多文化共生関連施策」が設けられるようになった。公開から

2

年後の

2008

年には

130

か所の市区町村において施策が策定され,2017年には

778

か所に増えている(2)。池上

(2009)は,こうした具体的な施策において各自治体は,地域の特性,住民の理解,外

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 58

(4)

国人住民の実情・ニーズ等を踏まえることを強く求められていると述べた。

このように,国から出された「多文化共生」のスローガンの下で様々な多文化関連施 策が発表されているが,外国人支援がどのような内容で,何を目指すべきであるか,ま た結果的に多文化共生社会とはどのような社会であるかを明確にすることが重要であ る。そのため外国人に対する様々な実践は,社会状況の中で苦しんでいる外国人の存在 と彼らの要求を踏まえること,すなわち当事者の意見や経験を尊重することが重要であ ると考えられる(星野

2005;三浦 2013)。

本研究では,外国人住民の苦しみや訴えを踏まえて実施される支援内容,その支援の 目的と方向,効果などから多文化共生社会の意味を再検討することを試みる。対象地域 として,在日コリアン施策を中心に外国人施策の体系化を図っている自治体の中でも,

代表的であると言われている神奈川県川崎市を設定する。その理由は,川崎市は外国人 集住都市として多くの外国人が居住しており,早い時期から外国人が経験する差別や生 活の困難に対しての施策が策定され,先駆的であると言われているからである。また,

外国人の当事者の声や動きから行政の施策,サービスが変化した経緯が見られるからで ある。さらに,外国人向けの取り組みの初期は,主として外国人の人権擁護や生活支援 が取り組まれてきたが,次第に,外国人の地域社会への参加を促し,日本人住民にも働 きかけて,多文化共生をめざす地域づくりと施策の幅が広がり,体系化されつつあるこ とも一つの理由である。崔ら(2008)は,川崎市は指紋押捺拒否の運動に参加し,公務 員採用の「国籍」条件の撤廃を主張しつつ,地方参政権のない外国人に市政参加できる 方法を見つけ出すなど,早い時期から外国人の人権に関する取り組みで,他の自治体よ り熱心であったと述べている。中野(2007)も川崎市について,1970年代から始まっ た独自の外国人施策が

1990

年代に入っては総合化され,制度化へと向かっていると高 く評価している。

したがって,本研究では,先駆的であると言われている川崎市の外国人住民に関連す る施策の支援内容を考察し,それに基づいて考えられる多文化共生社会の意味を再検討 することが目的である。以上を踏まえ,今後,策定・改定される自治体の多文化共生に 関連する施策,支援の基礎資料となり,目指すべき多文化共生社会の理解の一助になる と考えられる。

1-2.研究方法

主に文献研究で行う。戦後,川崎市の外国人向けの支援が実践されはじめた

1960

年 以降から現在までの支援を確認した。特に

1990

年代の内容に注目し,その内容を考察 する。1990年代の出来事は川崎市の「多文化共生社会」の土台になり,1960年以降,

外国人支援に関連する施策の発展がもっとも進んだと言えるからである。1990年代を

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 59

(5)

中心として「多文化共生」の意味がどのように論じられるか再検討した。

2.先行研究の考察

総務省プランが策定されて以降,多文化共生や外国人支援に関する議論が多くなされ てきた。近藤(2009)によると,そもそも「多文化共生」という言葉が新聞に登場する ようになったのは,川崎市の外国人団体に端を発する。阪神淡路大震災以降,多文化共 生センターという

NGO

の名とともに,各地の自治体の外国人住民施策のスローガンと して広まった。外国人政策における同化主義的,管理主義的な意味合いの「統合」とい う言葉は外国人や彼らを支援する

NGO

の抵抗により受け入れられなかったので,異な る人々の対等な社会参加を示す用語である「共生」という言葉が使われた。

宮島(2003)は,「共生」とは,単なる精神的なキャンペーンの主題ではない,最も 積極的な努力,社会の構想力であると主張した。さらに,共生社会に向かって次の点を 確認する必要があると述べた。第一に,生存に必要なものは,国籍,経済能力の大小に かかわりなく保障されるべきで,そのため制度の構築が欠かせないこと,第二に,「平 等」の観念に基づいて,外国人に社会・文化的に支障があることを考慮し,平等の補正 が追求されること,第三に,社会の中で固定されている文化の規範を問い直し,必要に 応じて文化の組み換えを進める用意が必要であること,第四に,社会のメンバーシッ プ,シティズンシップを開くことである。

このような,体系的な共生が主張される中,国家レベルの動きも見えてきた。1980 年代後半から「国際交流」と「国際協力」を柱として地域の国際化を推進してきたが,

外国人住民の増加により「多文化共生」を第

3

の柱として,地域の国際化を引き続き推 し進めていくことが求められてきた。2006年

6

月,総務省に「多文化共生の推進に関 する研究会」が設置され,2006年

3

月に「多文化共生の推進に関する研究会報告書」

が発表された。その中で,多文化共生とは「国籍や民族などの異なる人々が,互いの文 化的違いを認め合い,対等な関係を築こうとしながら,地域社会の構成員として共に生 きていくこと」と定義されている(総務省

2006)。

近藤(2009)は,この総務省プランの「多文化共生」の意味について次のように論じ た。「国籍や民族などの異なる人々が,互いの文化的違いを認め合い」の部分は,「選択 の自由」を目標とし,外国人住民が社会制度を通じて,どの程度までその出身の文化 的・言語的アイデンティティを保持・発展させるかを自ら選択する機会を提供すること である。「対等な関係を築こうとしながら」の部分は,「平等」を目標とし,外国人住民 が他の住民と同じ機会・権利・義務をもち,同じ条件で労働・住宅・社会福祉・教育を 提供されることを意味する。「地域社会の構成員として共に生きていくこと」の部分は,

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 60

(6)

「協同」ないし「共生」を目標とし,外国人住民と他の住民が相互の寛容と連帯を含み,

社会の発展のパートナーとして,外国人住民が政治生活に積極的に参加する機会,独自 の文化活動の機会が拡大され,外国人排斥や民族差別に抗して,協調的な民族関係を促 進することを意味する。森(2008)は,この発表は単にマイノリティ支援に留まらな い,グローバル化が進む社会に必要な異文化理解やコミュニケーション力,一人一人の 人間を尊重するユニバーサルデザインの発想を醸成する視点があると述べた。また,異 なる集団に属している人々が互いに文化的差異を認め合い,互いの利益を与えつつ対等 な関係を築き社会参加を促す社会が多文化共生社会であると定義した(ハンヨンへ

2006;山本 2010;朴ヨンジュン 2013;中村 2014)研究者もいる(表 1

参考)。

上記のように先行研究による多文化共生の意味づけが異なっている。多くの研究者が 共通して述べているのは,総務省プランに明示された「互いの文化的差異を認め合い,

対等な関係を築き,社会構成員として社会参加を促すこと」という内容である。しか し,宮島(2003)と森(2008)は,多文化共生について単なるキャンペーンや運動で はなく,もっとも積極的な社会の構想力,ユニバーサルデザインの発想などの社会全般 的にかかわる視点であると主張した。特に,生存に必要なものが保障されるべきであ り,それを権利としてみなしつつ(宮島

2003),互いに利益を与えることを多文化共生

1 先行研究における多文化共生の意味づけ

宮島(2003) 単なる精神的なキャンペーンの主題ではない,最も積極的な努力,社会の構想力 生存に必要なものは,国籍,経済能力の大小にかかわりなく保障されるべきで,その ため制度の構築が欠かせないこと

「平等」の観念に基づいて,外国人に社会・文化的に支障があることを考慮し,平等 の補正が追求されること

社会の中で固定されている文化の規範を問い直し,必要に応じて文化の組み換えを進 める用意が必要であること

社会のメンバーシップ,シティズンシップを開くこと 総務省 プラン

(2006)

国籍や民族などの異なる人々が,互いの文化的違いを認め合うこと 対等な関係を築くこと

地域社会の構成員として共に生きていくこと

森(2008) 単にマイノリティ支援に留まらない,グローバル化が進む社会に必要な異文化理解や コミュニケーション力,一人一人の人間を尊重するユニバーサルデザインの発想を醸 成する視点

近藤(2009) 「選択の自由」:外国人住民が社会制度を通じて,どの程度までその出身の文化的・言 語的アイデンティティを保持・発展させるかを自ら選択する機会を提供すること

「平等」:外国人住民が他の住民と同じ機会・権利・義務をもち,同じ条件で労働・住 宅・社会福祉・教育を提供されること

「協同」「共生」:外国人住民と他の住民が相互の寛容と連帯を含み,社会の発展のパ ートナーとして,外国人住民が政治生活に積極的に参加する機会,独自の文化活動の 機会が拡大され,外国人排斥や民族差別に抗して,協調的な民族関係を促進すること ハ ン ヨ ン へ2006;

山本2010;朴ヨンジ ュン2013;中村2014

異なる集団に属している人々が互いに文化的差異を認め合い,互いの利益を与えつつ 対等な関係を築き社会参加を促す社会が多文化共生社会であると定義した

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 61

(7)

の意味として提示している(ハンヨンへ

2006;山本 2010;朴ヨンジュン 2013;中村 2014)。ハタノ(2006)が総務省プランから出された多文化共生の意味づけは非常に抽

象的で丸みを帯びた言葉であり,社会的に弱い立場に置かれている人々の側から発生し たものではなく「自分たちの権利を認めること」や「侵害しないこと」という意味が欠 如していると批判したのは,多文化共生の取り組みが一種のキャンペーンのように展開 したからだと思われる。さらに,金侖貞(2011 a)も市民運動などの関係を抜きにして は多文化共生の意味を論じることはできないと述べた。現在の多文化共生の概念には,

「上」からの「官製的概念」が押し付けられ,外国人が置かれている状況などの「実践 的な概念」が見えにくい状態であると批判した(金侖貞

2011 a)。

神奈川県川崎市は,先述の通り,日本の外国人支援において先駆的である地域と呼ば れ,その地域の取り組みや策定過程などについて研究がされてきた。特に,川崎市では 多文化共生社会創造のための外国人教育に関する施策に注目した(星野

2005;伊藤 2007)。教育権を市民の重要な権利として挙げ,外国人支援としての日本語教育をはじ

め,「外国人教育基本方針」の策定に力を入れた(伊藤

2007)。外国人への教育におい

て「権利」ではなく「恩恵」の考え方をとった社会を批判しつつ「教育をすすめる会」

と行政との話合いを通して得られた「川崎市外国人教育基本方針−多文化共生の社会を めざし て−」を 挙 げ,外 国 人 市 民 活 動 が 教 育 施 策 へ 及 ぼ し た 影 響 を 示 し た(星 野

2005)。金侖貞(2006)は,川崎市の実践を通して地域で生成される多文化共生社会の

発展と成長のため「地域住民への多文化共生教育」を強調した。それまでのパラダイム を変えて,マイノリティの権利・人権に視点を置くことによって,異なる文化や存在を 受け入れ,同化主義から多文化主義へと土台が変わることが可能であると示唆した。ま た,「共生」の概念において,「被害者−差別者」の関係性から脱し,「水平的で相互的 な多様性の関係」などの新しい関係性の創出を主張しつつ,異なる文化に触れることで 相互理解を深めていくことは多文化教育の重要な側面の

1

つであると述べた(金侖貞

2011 b)。

林(2013)は川崎市の外国人に対する言語支援の取り組みに着目して,今後の多言語 社会を維持・発展させていくため,外国人の言語のアイデンティティを守りながら支援 することの重要性と,外国人市民の当事者自らの立ち上がりや,自分を含めた外国人市 民のために活動を行うこと,日本人と外国人の両者が共に協力し合うことの重要性など を述べた。また,青木(2012),三浦(2013)など川崎市における外国人政策に関する 実践的報告が発表されていた。外国人集中地域が形成された背景から,外国人住民が経 験した苦労,現在まで至った経緯,行われている活動及び今後の課題等が報告されてい る。

このように川崎市の外国人に関連する取り組みがたくさんの研究者によって取り上げ

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 62

(8)

られており,なかでも支援施策や取り組みそのものに関する研究が多く見られる。その 内容は,外国人支援展開,他の地域への適用などの報告がほとんどであった。多文化共 生の意味についても様々な研究者が議論を行っているが,実際に行われている取り組み からの考察は十分ではない。さらに,今後の外国人住民に関連する施策の発展方向や多 文化共生社会の実現のための方針などは取り上げられるが,実践されている取り組みか ら多文化共生の意味を検討した研究は非常に少ない。

金侖貞(2011 b)は,川崎市の事例に基づいて多文化共生の実現の要素を考察した。

公教育における在日外国人教育の保障のため『在日外国人教育基本方針』が制定された 経緯に基づき,多文化共生実現のため民族差別の撤廃と対等な関係作りの必要性を強調 した。しかし,この論文では,川崎市の外国人住民の学校教育に焦点を当て,社会参加 を目指す多文化教育施策向けの方向性などが提示されたが,外国人教育に関連する取り 組みを含め,包括的かつ実践的な多文化共生の意味についての言及は乏しい。より現実 的であり実践可能な多文化共生社会を描くため,実際行われた実践や活動・支援から多 文化共生に関する意味を明確にすることが必要である。多文化共生社会の実現のため に,「多文化共生」の具体的な意味を共有し,その社会の青写真を描けることが重要で ある。川崎市の実践から多文化共生実現の模範としても取りあげられると考えられる。

また,川崎市の外国人支援に関連する取り組みは日本国内でも先進的であると言われて おり,全国からモデルとして取りあげられている。したがって,本研究では,報告され ている川崎市で実際に行われた外国人支援の取り組みを参考にしつつ,「多文化共生」

はどのような意味であるかを検討する。単に川崎市の外国人支援の取り組みを紹介する だけではなく,その取り組みがどのような考え方・意図から生まれたかを考察する。ま た,現行の総務省プランの多文化共生とはどのような関連があり,今後,どのように多 文化共生社会の実現に寄与するかについて検討する。

3.川崎市における外国人支援内容

3-1.「内なる国際化」への取り組み

川崎市は日本の首都の東京都と国際港湾都市の横浜市に挟まれた都市であり,2018 年

6

月現在,約

151

5

千人の人口のうち,約

4

万人の外国人が居住している地域であ る(川崎市のホームページ

2018. 08. 27)。このように川崎市における外国人は総人口の

2.6% である。彼らの国籍分布は韓国・朝鮮人の数が圧倒的であったが,1980

年代後

半からのニューカマーの増加により韓国・朝鮮人の割合は減少している傾向が見られ る。

特に,川崎市の

7

つの区のうち,工場が集中する川崎市の南部(臨海部)である川崎

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 63

(9)

区に集中して居住しており,約

4

万人の外国人のうち,約

4

割である約

1

5

千人が川 崎区に居住している。伊藤(2007)は,韓国・朝鮮人が多い理由について,戦前,労働 力不足を補うための朝鮮半島から募集,斡旋,徴用などの強制連行によって渡日し,川 崎市の地で軍需工場の労働力として働いて,また,建設用の砂利を多摩川で採取する人 たちも多かったためと説明している。さらに,戦後

70

年を迎えた現在,彼らの世代は

1

世・2世の時代から

3

世・4世の時代に移り,川崎市の地に生活の根を張り,在日韓 国・朝鮮人としての民族的アイデンティティに裏付けられた自らの人権獲得に向けて自 信をもって立ち上がる世代となっている。それまで,どこか心の片隅で本国への帰国を 夢見て生きていた世代から,川崎市の地を終の住処と定めた永住志向にたつ,「共生の 世代」の登場なのであると述べている(伊藤

2007)。

このような外国人住民,特に在日コリアンの集住都市であった川崎市の「地域の国際 化」施策として「民際外交」が挙げられる。1970年代から外国人市民が国籍や文化,

言語の違いなどによって社会的な不利益を受けないよう,諸制度の改善を図るととも に,あわせて教育・啓発等の取り組みを進めてきた。そして,1980年に「内なる民際 外交」として外国籍県民施策を始めるようになった。また,研究者や市民団体の間で も,日本企業の海外進出を支える外向きの「国際化」に対抗して,外国人住民,とくに 在日コリアンに関する課題を重視する「内なる国際化」が唱えられた。その背景には,

在日コリアンの差別撤廃運動の盛り上がりやインドネシア難民,留学生など在日コリア ンを含む外国人の増加があった。

1969

年,在日大韓基督教会川崎教会の李仁夏牧師による桜本保育園の開設と,そこ で行われた保育園の園児と保護者の本名を名乗る運動が始まった。在日韓国・朝鮮人と 日本人の子どもを一緒に保育した桜本保育園の在日園児には,保育者を説得して,その ころ通称名(日本式名前)が一般的であったにも関わらず,民族名の本名を名乗る運動 を展開したのだった。

1970

年代に入ってからは,より積極的に社会や行政に対して在日外国人の立場や意 見が表明されてきた。日立製作所の就職差別への抗議に立ち上がった在日青年の裁判闘 争を支援し,その勝利を導き出しつつ(1974年),翌年に民族差別と闘う連絡協議会

(以下,民闘連)を組織化した。同じ年に,それまで「外国人市民」には認められてい なかった児童手当の給付や公営住宅の入居について,市の関連共生当局との話し合いの もと,制度化が実現した。1980年代には外国人登録の指紋押捺に反対する運動を展開 し,目標を達成した。

子どもの教育の場である学校で行われた差別に対応するため,「教育をすすめる会」

という市民団体は教育委員会に対して教育の現場における民族差別の事実確認を求め た。これを受けた教育委員会と市民団体との交渉において,「教育の現場である学校に

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 64

(10)

おける韓国・朝鮮人の子ども達への差別が実際にあるか」という認識を巡って議論が交 わされ,結局教育委員会が差別を認めた。こうして,当事者である在日韓国・朝鮮人が 参加して,『川崎市在日外国人教育基本法−主として在日韓国・朝鮮人教育−』は

1986

年に制定された。この教育基本方針は,他都市のそれと比べると直接外国人市民が参加 し,行政との共同作業から生み出されたことに特徴がある。

以降,民闘連からの要望により在日外国人の市民としての位置付けの明確化,在日韓 国・朝鮮人の就労状況調査,自治体の職員採用における国籍条項の撤廃などを求める動 きが見られた。川崎市はこの要望に基づいて,各部局が自ら主体的に取り組むべき行政 課題を『川崎市の

24

項目検討課題』としてまとめ,1990年に公表した。これは行政が 自ら抱えている課題の公表であった。

1992

12

月に『川崎新時代

2010

プラン』が策定され,この中で重点となったのが 外国人市民と共に進める「多文化共生の街づくり」である。そこには,市政の主要な施 策として「異なる民族文化と交流できる街づくりの推進」が具体的に提案された。日本 人と外国人市民が,お互いに違いを認め合い,地域社会のパートナーとして関係を築 き,交流を通じて,共に支え合い,助け合いながら,新たな地域文化を創造しようとす る考え方が主張されたのである。

1995

年には,最高裁判所の決定によって,永住外国人への地方選挙権の付与が違憲 ではないことが示され,参政権運動は勢いを得た。更に,外国人住民は地域社会を構成 する一員であるという認識のもと,彼らの声を市政に反映するため,また,地方参政権 の保障のため

1996

年に川崎市外国人市民代表者会議(3)を考え出し,条例として設置し た。

この

1996

年の動きは,川崎市の多文化共生社会の創造に向けた取り組みにとって画 期的であり(伊藤

2007),川崎市の国際政策や外国人市民にとって重要な年であり,川

崎市にとっては多文化共生の元年と言われている(星野

2005)。それは,川崎市の外国

人市民施策の多くの課題が前進を見た年であり,当事者である外国人市民が直接市政に 参加することが可能になった年だからである(伊藤

2007)。具体的には,1996

年に外国 人市民の長年の願いであった川崎市の職員採用の募集要綱から国籍条項が撤廃された。

また,朝鮮民族学校の卒業生は川崎市立看護短期大学の受験資格を認められた。「学校 教育法」の一条に該当しないという国の指導で,大学受験資格が与えられなかった民族 学校卒業生に門戸を開いたのである。1996年以降,川崎市をはじめとして,政令指定 都市や都道府県で職員採用の国籍要件を撤廃する自治体が増えてきた。こうした運動の 盛り上がりを受けて,外国人の政治参加や多文化共生のまちづくりの関心が高まり,外 国人を住民と位置づけ,外国人施策の体系化をめざ す 自 治 体 が 増 え て お り(山 脇

2011),川崎市が先頭の役割を果たした。

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 65

(11)

人権施策の総合的な推進に取り組むため,2000年に「川崎市人権施策推進指針」が 策定された。ここで示された「基本理念となる基本方針を検討する」ことを受け,多文 化共生社会の実現に向けた基本的な考え方と具体的な推進内容を示す「川崎市多文化共 生社会推進指針」が

2005

年に策定された。その後,施策の進捗状況調査を定期的に実 施し,外国人市民に関わる施策等を体系的・総合的に推進するため

2

度目の指針の改正

2 川崎市の取り組み

年度 取り組みの内容

1969 在日コリアンに本名名乗り運動を展開 1972 市内在住外国人への国民健康保険の適用

1974 日立製作所の就職差別への抗議,裁判闘争から勝利 1975 市営住宅入居資格の国籍条項撤廃,児童手当の支給開始 1980 外国人登録の指紋押捺に反対,廃止

1986年 「川崎市在日外国人教育基本方針−主として在日韓国・朝鮮人教育−」の制定 1988 川崎市ふれあい館の開設

1989 財団法人川崎市国際交流協会設立

1990 外国人市民施策推進のための24項目の検討課題をまとめる 1992年 「川崎新時代2010プラン」が策定

1993

川崎市外国籍市民意識実態調査の実施

外国人市民施策調査研究委員会から「川崎市国際政策のガイドラインづくりのための53項目の 提言」を答申

1994

外国人高齢者福祉手当,外国人心身障害者福祉手当の支給開始 川崎市国際交流センターの開設

川崎市外国籍市民意識実態調査(面接調査)の実施 1995 永住外国人への地方選挙権の付与が合憲であるが決定

1996

市職員採用の国籍条項撤廃(消防士を除く)

「川崎市外国人市民代表者会議条例」の制定及び会議の設置 朝鮮民族学校の卒業生に川崎市立看護短期大学の受験資格を認め

1998

「外国人市民への広報のあり方に関する考え方」を策定

「川崎市在日外国人教育基本方針」を改定し,「川崎市外国人教育基本方針−多文化共生の社会を めざして−」を制定

2000 「川崎市人権施策推進指針」の策定

「川崎市住宅基本条例」の制定,「川崎市居住支援制度」の開始 2005年 「川崎市多文化共生社会推進指針」の策定

2007年 「川崎市人権施策推進基本計画」の策定

2008 「川崎市多文化共生社会推進指針」の改定

「川崎市住民投票条例」の制定 2014 川崎市外国人市民意識実態調査の実施

2015

「川崎市人権施策推進基本計画『人権かわさきイニシアチブ』」の改定 川崎市外国人市民意識実態調査(インタビュー調査)の実施

「川崎市国際施策推進プラン」の策定

「川崎市多文化共生社会推進指針」2度目の改定

(2018. 08. 30川崎市ホームページから参考,筆者修正)

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が行われた。改正において,これまでの構成を基本とし,各施策の具体的推進内容の見 直しを行うとともに,多文化共生社会の実現に向けて個別施策を推進する際の新たな視 点として「重点課題」を設けた。

川崎市における年度別外国人向けの取り組みは表

2

の通りである。

3-2.考察

韓国・朝鮮人の集住都市であった神奈川県川崎市では,戦後から外国人が地域社会の 構成員として生活する権利を保障するため,NGO団体及び地域教会を中心に活動が展 開されてきた。そして,その活動により地域の認識か変化し,施策が策定されるなどの 成果を挙げてきた。

戦後,川崎市で重工業が発展し工業地区が形成されたころ,外国人の増加のみなら ず,神奈川県外から日本人労働者も多く流入した。例えば,沖縄の若者が川崎市にあっ た紡績工場の労働者として渡ってきた歴史がある(伊藤

2007)。移住した労働者により

それぞれの地方の文化が伝わり,新しい文化や風習が生み出されたわけである。川崎市 は国内の異なる地域文化を持っている住民も多く,広い意味で「多文化共生」の地域で あるとも言える。このように川崎市は,日本国内外からたくさんの人々が移り住んだ背 景があったので,既存の地域住民や行政が他の地域より早い段階で「社会の多様性」に ついて触れ合う事になり,多様なルーツの移り住んだ人々の声から「多文化共生」と関 連する施策取り組みの制定の追い風になったと考えられる。

外国人支援の動きが見られ始められた

1970

年代は,戦前からもしくは戦後に日本に 居住し始めた在日

1

世の世代から,日本生まれの

2

世の多くが社会進出する時代へと世 代交代が進んだ時期である。当時は,「同化か追放か」といわれた政策の中,同化(日 本人化)することを余儀なくされつつ,自己を日本人に似せて生きることによって民族 差別を回避しようとする雰囲気であった(星野

2005)。地域社会の日常生活にある排外

と差別の中で,民族のことを隠して生きていこうとしたことが予想される。にもかかわ らず,あえて民族のことを公開し,日本式姓名を韓国式に戻そうとする運動は多文化共 生の社会実現の動きの萌芽であると言える。あえて自らの独自的なアイデンティティを 開示し,異なることについてその背景は何であるか,どのような意味であるかなどを探 りつつ,アイデンティティ・クライシスの問題について自己確認作業が行われたと思わ れる。

さらに,異なることから受けた差別,特に民族差別に向き合い,粘り強く差別を正し ていく市民活動が進められた(三浦

2013)。差別の状況の中,活発な市民活動を通して

当事者グループの結成,社会参加活動を目指し,ふれあい館の開設と国際交流協会設立 などが見られた。当事者グループを通して民族差別に対する行政責任を明らかにし,子

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 67

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どもの教育,高齢者のケアなどに対する行政とのパートナーシップを求めた。このよう な当事者グループと行政との持続的な交渉により民族差別的な条項の撤廃,新たな施策 の策定,市政への意見反映等が可能となったと考えられる。

即ち,川崎市における外国人支援は在日韓国・朝鮮人の集住都市であることを活か し,当事者が自らの差異を認め,当事者グループを形成し,社会に向けて差別に対する 責任を求め,施策の策定や社会参加を獲得してきた経緯がある。マジョリティ社会から の一方的な支援の展開ではなく,行動の主体である当事者の声を積極的に受け入れるこ とから発展したと考えられる。したがって地域にある

NGO/NPO

などの市民団体及び 国際交流協会は,当事者グループを組織し当事者の意見表明を促す役割を果たしたと考 えられる。

4.川崎市の外国人支援取り組みにおける「多文化共生」

川崎市の外国人支援の基本的な考え方は「差別の撤廃」である。差別とは,性,人 種,民族,宗教,地域等によって個人が政治,経済,社会,文化の領域での権利と自由 が否定・制限されることである(ユンインジン

2000)。このような差別は,社会の中で

いつも存在しているものであり,特定の地位及び統制を持っている対象にもたらす社会 構成員の態度として存在している(ソクソンへら

2016)。この態度とは,理性的・感情

的な判断ではなく,無意識的に出される意図的な行動であり,経験によって形成される 心理的な状態である。イジヨン(2009)は,差別の原因は偏見であると言い,比較対象 に対しての偏った扱い,全ての行動であると述べた。差別の行為は,自分と同じ状況や 地位でないと認知した後,認知した差異と社会の暗黙の基準で優劣をつけ,その判断に 基づいた無意識的な態度によって現れる。既存社会の中で「異なること」や「差異」の 意味が広がる前に,同じでない事に対する偏見を学習していると考えられる。総務省プ ランが提示している「国籍や民族などの異なる人々が,互いの文化を認め合う」前に,

「異なる」事が何であり,どのような意味でとらえられるかを考えることが重要である と思われる。

現在まで目に見えない差別が存在することは事実である。その事実を認めることが今 後の「多文化共生」社会の実現の一歩になるだろう。川崎市では,学校において民族差 別が行われ,市民団体からの真相究明の要求があった際,数回の交渉により川崎市教育 委員会が教育現場における民族差別の事実の確認を求めた。その結果「川崎市在日外国 人教育基本法−主として在日韓国・朝鮮人教育−」が策定された。三浦(2013)の実践 報告では,民族差別をなくすことを目的としたふれあい館の会館が,設立当初は全国の 自治体からの施設見学があったが,期待した第

2,第 3

のふれあい館は生まれなかった

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と述べた。さらに,社会の構成員に対する不公平是正は行政の役割であるが,それにも 関わらず,外国人への民族差別に対する行政責任は認めないという意識が社会の根底に あり,そのような社会は「多文化共生の絵空事」であると批判している(三浦

2013)。

すなわち,まず一歩として過去に存在した差別を認め,その差別を撤廃するために,文 化・習慣・言語などの違いをどのように認識し,共有するかの議論が先行しなければな らない。

外国人

1

世が日本に移ってから長い年月が経つと,もしくは日本生まれで日本の教育 を受けた

2

世,3世,4世にとって,自分のルーツは外国であるけれど日本の文化や生 活方式に慣れていくようになる。日本の社会に適応していく中で,自分のルーツが希薄 化し周囲に隠す場合も見られる。しかし,川崎市では,あえてその民族の特徴を開示し ルーツを保持するための動きが見られた。外国人が自分のルーツを認識し,社会で普通 に,堂々と開示できるように,また既存社会もその外国人のルーツを尊重することが重 要であると考えられる。「多文化社会」,「多民族社会」,「多様性のある社会」とは,一 つに統合されている社会ではなく,異なるものが多数あることで形成される社会を意味 する。言い換えると,既存社会との差異こそ,多文化共生の前提である。即ち,社会構 成員に既存社会との差異への気づきと,何がどのように異なるかに関する認識・知識が 求められる。このように,外国のルーツを大事にし,差異を明確に認識し,そのあり方 を認め合うことが「多文化共生」の出発であると思われる。

川崎市では外国のルーツを持っている人々の団体が中心となり自らの声を上げたこ と,当事者がグループを形成し,自らの権利を主張した出来事が見られた。そのため当 事者が自ら集まり,声をあげ,行動をすることができるようなサポートが必要になる。

当事者間の活発な交流から,日本人を含む地域住民との交流という方向に範囲を広げる ことが考えられる。

以上のように川崎市の外国人支援取り組みにおける多文化共生の意味として,「存在 した外国人への差別を認めること」,「外国のルーツの尊重」「何が異なるか知っておく こと」「当事者グループの形成」が明らかになった。外国人の社会参加を促し,地域社 会の構成員としての外国人市民を目指している意味においては総務省プランの多文化共 生と同じであるが,川崎市の視点は総務省プランの多文化共生の実現に関しても先行的 であると考えられる。総務省プランにおける多文化共生の意味は文化的違いを認め合う ことから始まる。しかし,そのためには,まず現在,社会において文化的差異がどのよ うに扱われてきたかを確認し,何が異なるかを理解する作業が必要になる。何が異なる かを理解するためには,差異が生じる起源,即ち,外国のルーツ,独自のアイデンティ ティを知っておく必要がある。従って,従来,社会にあった外国人への差別を認め,外 国のルーツを尊重し,その外国人ルーツがどのように既存社会と異なり,彼らの独自の

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アイデンティティは何であるかを知っておくことが求められる。それを通して,当事者 グループの声に基づいた対等な関係作りや地域社会の構成員として共に生きることがで きると考えられる。

5.おわりに

日本語の「外国人」が喚起するイメージは様々であるが,少なくともアジア系外国人 に対するイメージは必ずしも好意的なものばかりではない(アピチャイ・シッパー

2010)。しかし,外国人住民の増加により多文化共生がスローガンとして使われており,

2020

年東京オリンピック・パラリンピックの開催に関して,各自治体から外国人支援 の多文化共生施策が出されている。このような背景に基づき,外国人支援について先駆 的だと言われている川崎市の外国人向けの取り組みにおいて「多文化共生」がどのよう に実現されているかを検討した。

外国人を管理の対象として扱い,増加する外国人を日本人化(同化)し,統合しよう とした社会全般の動きが共生の概念として変化し使われている(近藤

2011)。このよう

な動きの一環として,2006年総務省プランが発表された。しかし,「互いの違いを認め 合う」ことから始まる多文化共生は,認め合うための前提を飛び越えたため,社会統合 的な外国人政策に留まっていると考えられる。互いに差異を認め合うためには,何がど のように異なるか等の独自性を把握しておかないと,認めることは考えにくい。言い換 えると,互いの独自的なアイデンティティを知らないまま,違いを認め合うことは不可 能である。現在までの差別や偏見などが存在した外国人への社会的不利を認めることか ら「多文化共生」が始まると考えられる。社会全般的に「同じであること」,「異なるこ と」から形成される「多様性」についてまず認知し,それがどのような意味であるかを 共有することが重要である。彼らが持っている独自性を大事にし,当事者グループを通 して自分の意見を主張することが必要になる。それにより,総務省プランが唱える認め 合い,対等な関係を築き,共に生きることが実現できると考えられる。

⑴ 外国人登録者数のうち,韓国・朝鮮人が大半を占める大阪では,1998年に「外国籍住民施策基本指針

−共生社会の実現をめざして」を試作した(1994年改定)。大阪市のみならず神奈川県川崎市では,

公営住宅の国籍要件の廃止,地方公務員採用時の国籍条項の撤廃などが実現し,その他,外国人登録 のない子供たちが義務教育を受ける権利を自治体レベルで認めるなど,自治体がはたしてきた役割は 大きい(山本2010)。ブラジル人の代表的な集住都市である浜松市では,2001年に「世界都市化ビジ ョン」を策定し,「共生」と「国際交流・協力」を施策の頭に位置付けている。また,他の自治体に呼 び掛けて2001年に「外国人集住都市会議」を設立した。愛知県,静岡県は庁舎内に「多文化共生」の 担当部署を設置するなど,ニューカマー外国人住民施策で 積 極 的 な 取 り 組 み を 行 っ て い る(森

川崎市における外国人支援の内容に関する考察 70

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2008)。

2018年現在,全国1,741か所の市区町村の中で多文化共生に関わる施策を単独で策定しているのが82 か所,単独ではないが国際施策に関する指針・計画の中で多文化共生施策を含んでいるもしくは総合 計画の中で多文化共生施策を含めているのが696か所,計778か所で策定されている。

⑶ 外国人市民代表者会議は,選挙で選ばれた外国人市民の代表が話し合いを通じて,会議で意見表明を 行い,市政に反映させるシステムである。川崎市は,代表者会議について,地域で暮らす外国人市民 が自ら人間らしく,自分らしく生きるために,その地域に関して,自らの意志を表現する場であって,

国籍も民族も違う人々が,共に市民といて一堂に会し,ふれあい,話し合うところに代表者会議の意 味がある。

参考文献

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川崎市における外国人支援の内容に関する考察 72

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The purpose of this study is to consider the content of support for policies related to foreign residents in Kawasaki City, Kanagawa Prefecture, which is said to be a pioneer, and to recon- sider the possible meaning of a multicultural coexistence society based on that. As well as to check the contents of the support from 1960s until now, when support for foreigners in Kawasaki City began to implement this practice. It is considered that ‘multicultural coexistence’

started from the recognition of the social disadvantage of foreigners who had been discriminated against and prejudiced against up to the present day. To form a society of multicultural coexis- tence, we must be recognize “the diversity” that is formed not only by “the same” but also by

“the different” nature of society, and it’s important to take an attitude of respecting the individu- ality of each person. It is also necessary to express one’s opinion to the group concerned. Thus, it is considered possible to establish an equality among people, which is a “multicultural coexis- tence” issued by the Ministry of Internal Affairs and Communications, and to live together.

Key words: Kawasaki City, Support for foreigners, Multicultural coexistence society

Study on the Contents of Support for Foreigners in Kawasaki City :

Reconsider the Meaning of Multicultural Coexistence Society Songmi Kim

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参照

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