大正デモクラシー期における川本宇之介の 公民教育論と特殊教育
平 田 勝 政
〈目 次〉
はじめに
第1章 大正デモクラシー期における公民教育論の形成 ・展開過程とその特質
(1)1910年代の公民教育論
(2)1920年代〜30年代初頭の公民教育論
第2章川本宇之介の「教育的デモクラシー」論と「特 殊児童」の「公民」形成
(1)川本の「教育的デモクラシー」論とその特質 ② 公民教育としての社会教育と特殊教育の振興 (3) 「特殊児童」の「公民」形成
おわりに く註〉
はじめに
現在の障害者教育が,戦後民主主義体制=憲法・教育 基本法体制下にあることを考える時,その原点となる戦 後の教育改革と障害老教育の関係を,戦前との関わりを も含めて解明し,障害者教育にとっての戦後教育改革の 意義を確認しておくことはきわめて重要な課題である.
本研究でこれからとりあげようとする川本宇之介
(1888〜1960)は,主に大正デモクラシー期から戦後改 革期にかけて活躍した人物であり,又,その生涯が,故
・杉田裕をして「わが国の特殊教育発達史そのもの」1)
だと言わしめるほど,おが国の特殊教育の振興特に盲聾 教育義務制の実現に重要かつ指導的役割を果した人物で ある.そのことは,川本が,戦前にあっては盲聾教育義務 制実現建議実行委員長であり,戦後教育改革期(=戦後 民主主義形成期)においては,全国聾唖学校職員聯盟
(=現在の日教組障害児学校部の前身の1つ)から特殊 教育界の代表として教育刷新委員会のメンノミーに送り込
まれた人物であったという事実をみても明らかである.
ところで,「大正デモクラシー」が,「生み出した最良 の思想的達成は,日本国憲法の基本精神に直結してお
り,戦後民主主義の日本への定着は,大正デモクラシー を前提としてはじめて可能であった」2)という非常に興 味深い指摘がある.その点を考慮して,障害者教育にお
ける戦後民主主義と大正デモクラシーとの関係を明らか にしていこうとする時,上述のような経歴をもつ川本宇 之介をとりあげることは重要な意義がある.そこで,本 稿では,障害者教育にとっての戦後教育改革とは何であ ったか,という冒頭の課題にせまる前提作業として,大 正デモクラシー期に時代を限定し,川本宇之介において,
デモクラシーと特殊教育がどのような関係において認 識されていたのかを解明していくことにする.その具体 的分析に際しては,とくに,川本の公民教育論に注目し た,というのは,川本の教育研究活動は,職業教育・職 業指導,社会教育,都市教育,理科教育,特殊教育等の 多方面に及ぶが,その中心に公民教育の理念があると考 えられるからであり,また,川本のデモクラシー理解と 特殊教育との関係も公民教育に焦点をあてることによっ て一層明らかにできると考えるからである3).
第1章大正デモクラシー期における公民教 育論の形成・展開過程とその特質 戦前の川本における公民教育論の形成・展開過程は,
教育目的である「公民」像に着目して時期区分すると,
次の三期に分けて考えられる.
第1期:「天皇の直接の公民」と「立憲国の国民」の 育成をめざした時期(1910年代)
第2期:第1期の「公民」像を再構成した「新公民」
=「社会的公民」の育成をめざした時期(1920 年代〜30年代初頭)
おほみたから
第3期:「公民」=「皇民」の錬成をめざした時期 (1930年代中頃〜敗戦)
以下,大正デモクラシー期にあたる第1期,第2期の 公民教育論を検討していく。
(1)1910年代の公民教育論
一「天皇の直接の臣民」・「立憲国の国民」の育成一 わが国で公民教育の必要性が痛感されるようになった 主要な契機は,1905年の日露講i和条約反対運動,1913年 の大正の政変を頂点とする第一次護憲運動などに象徴さ れる民衆の政治参加(政治的デモクラシー)要求の高ま りであった.川本の第一期の「公民教育」論も,このよ
一13一
うな政治的デモクラシー(立憲主義)の要求を中心とす る大正デモクラシー運動の成立を背景にして形成され た.川本は,1912年頃(〒東京帝国大学文科大学選科入 学頃),ケルシェンシュタイナーの『ドイツ青年の公民 教育』 (StaatsbUrgerliche Erziehung der deutschen Jugend,1901)を読んで大いに啓発され,以後,本格的 に公民教育研究に着手し,1915年初頭には, 「帝国今後 の教育是は,公民教育之なり」4)と断言するまでにその 確信を深めていった.川本にとって,「公民教育」とは,
「教育的信念」5)であり,「国民教育の根本的革新」6)の原 理であり,さらに,「我が国永久の教育方針の中心」7)で あった.川本は,この時期様々な論文において「公民教 育」論を展開したが,その主張は,つまるところ,『公 民教育の理論及実際』(1915年11月)とその姉妹篇である
『最新思潮職業教育の研究』 (1916年6月)の二著作に 集約されているといえる.とくに,前者は,恩師の吉田 熊次・林博太郎に激賞され,それをもって,川本は,当 時,「公民教育研究の先鞭者,第一人者」8)と評された.
では,第一期の「公民教育」論は,いかなる特質をも っていたであろうか.
それは,「国家生活は,公民教育の出発点にして而し て同時に帰着点である」9)と端的に述べているように国 家生活中心の「公民教育」論であったところに最大の特 徴があった.また,その内実は,「二原理」・「四要求」
から構造化されていた.
まず,「二原理」すなわち,「公民教育」の二つの理念 とは,「国体の擁護」(==明治憲法の絶対主義的側面)と
「政体の完成」(=明治憲法の立憲主i義的側面)を意味 した.川本は,この二つの理念に,二つの「公民」像を 対応させていた.つまり,「国体の擁護」とは,言うま でもなく,「万世一系ノ天皇」(明治憲法第一条)を頂点 とする天皇制絶対主義(家族国家)体制を擁護すること であり,そこに,「天皇の直接の臣民」としての「公民」
の育成が位置づけられていた.この「公民」を「天皇の 直接の臣民」であるとする根拠を,川本は,代々天皇の 即位式において読まれる宣命の句の中に出てくる「公 民」(オホミタカラ)に求めた.一方,「政体の完成」と は,第一次護憲運動にみられる民衆の政治参加の要求を 天皇制(=「国体の擁護」)の枠内で受け入れ,明治憲法 の立憲主義的側面(第三章 帝国議会)に基づく立憲自 治政治の完成をめざすものであり,そこに,「立憲国の 国民」としての「公民」の育成が位置づけられていた.
そして,この「立憲国の国民」を「公民」とする根拠 を,川本は,伊藤博文のr憲法義解』(=「第二章 臣民 権利義務」の冒頭部分)の中に出てくる「公民」に求め
た.このように, 「公民」は,わが国固有の国体・政体 のあり方をふまえて導出されうる概念であるが故に,川 本は,当時,様々に訳されていた StaatsbUrgerliche Erziehungを,「公民教育」と訳すことが,わが国の国 体・政体のあり方(=明治憲法)に照して最も妥当であ
ると主張した1°).
では,この「国体の擁i護」(=天皇制)と「政体の完 成」(=帝国議会)の関係は,川本にあって,どのよう に認識されていたのであろうか.
そこで,まず,川本の国家観からみていこう.
結論的に言えば,川本にとって,国家とは,「外的最 高善」であり,「普遍我」(=「大我」)であった.また,
その「普遍我」とは,現人神である「天皇」であり,そ の「天皇」は,川本にとっては, 「如来」の化身であっ た.他方,個人(児童・生徒)ば,「孤立我」(=「小 我」)であり,同時に,「天皇の赤子」=「如来の愛子」
であった.また,国家は,「自己保存と自己完成」を目 的としており,国家(=天皇制国家)の維持・発展とい
う目的を達成していくための意志決定をするのが,「立 憲政体」であり,そのために参政権があるととらえてい た.このように,川本にあっては,「国体の擁護」と「政 体の完成」の関係は,目的と手段の関係であり,「政体 の完成」(=帝国議会)は,「国体の擁護」(=天皇制)
のためにあった。このことは,「立憲政体」(=帝国議会)
が,国家目的(意志)そのものの決定に参与できないこ とを意味し,下からの民衆の政治参加の要求(孤立我で ある個人の意志)を,国家意志(普遍意志)に反映させ る道は,基本的に閉ざされていたといえよう.むしろ,
川本の「公民教育」は,「孤立我」である個人(=「小 我」)を,「普遍我」(=「大我」)たらしめることを最大
の任務としているように,逆に,上から国家目的を注入 して,国家目的実現の主体を育成しようと企図していた のである.
では,そのような「公民」とは,具体的にどのような 資質をもった人間として構想されていたのであろうか.
川本は,公民的資質の「四要求」をまとめて,「公民教 育」の目的を次のように規定している.
「公民教育は,全公民に,立憲自治の知徳を酒養せし め,愛国尚武の精神を振起せしめ,経済思想及能力を発 達せしめ,公民の身体の強壮鍛錬を促進せしむるのを目
的とする」U).
これらの資質を,「能率」の文字を使って言いかえる と,①「公民的知徳の能率」,②「経済的知徳の能率」,
③t身体的能率」の三能率を増進させることを意味した.
そのうち,とくに注目すべきは,「経済的能率」,すな
わち職業的能率が,産業界の職業教育要求の高まりにい ち早く応えていくための資質であったことであり,その 具体的論及が,前述したr最近思潮職業教育の研究』で あった.また,「身体的能率」が,「教練」の導入を提起
しているように,将来の軍人を育成する課題を担ってい たこと,すなわち,軍部の教育要求一田中義一の著書『社 会的国民教育』(1915年)に触発されて一を受け入れて いくための用意であったことである.この「身体的能率」
は,さらに,激化する烈強との経済競争に打ち勝ち,わ が国の経済発展を支える身体づくりを意味すると同時に
「公民的知徳の能率」増進の土台づくりでもあった.
以上が,第一期の「公民教育」論の特徴の概括である が,まとめると,この時期は,「内には立憲主義,外に は帝国主義」という時代思潮を反映しつつ,天皇制絶対 主義,産業界(帝国主義ブルジョアジー),軍部の各々 の教育要求を受けとめた「公民」像を構想していたとい
えよう.
(2)1920年代〜30年代初頭の公民教育論 一「新公民」=「社会的公民」の育成一
第二期の「公民教育」論は,第一次世界大戦後におけ る大正デモクラシー運動(とくに,対自存在としての労 働者階級の拾頭と労働運動)の高揚に対応する形で,
1920年前後に新たに構…想され,1920年代から1930年代の 初頭にかけて展開された主張であった.それは,第一期 が,国家生活中心主義(=主としてドイツの影響)であ ったのに対して,国家生活とは相対的に独自な社会生活 を中心にした「公民教育」論(=主としてアメリカの影 響)であり,「デモクラシー」を基調としていた.第二 期は,その社会生活の担い手である「社会的公民」12)の 育成を中心にして第一期の「公民」像を再構成した「公 民」(=「新公民」)の育成をめざしていたところに最大の 特徴があった.
そこで,以下,第二期の「公民教育」論を代表する著 書『デモクラシーと新公民教育』(1921年11月)を主要 な検討材料にして,「デモクラシー」を基調とする 「新 公民」像を解明していこう.
まず,川本の「デモクラシー」観からみていくと,川 本は,「デモクラシー」を次のように受けとめていた.
「そは(=デモクラシーのこと一筆者注),いうまで もなく,人間本来の自由と平等とを根本基調におき,而 して,個人の権利を主張し,一切の生活即ち,政治,社 会,経済,文化,その他入間のあらゆる生活の上に,こ の欲求を実現しようとする態度であり,努力である.故 に,デモクラシーとは,広い意味の社会生活の一様式で ある.然り,個入の自由と平等,個人の権利と価値をあ
くまで拡張するをその理想とする社会生活の様式であ る.之万人の望む所であり,欲する所である.ここに,
この思想は,根強い根拠があることを認めねばならぬ」
(P.2〜3).
このように川本は,「デモクラシー」を「人間本来の 自由と平等」を基調とする「広い意味の社会生活の一様 式である」と理解し,その積極的意義と価値をひとまず 認めた,しかし,川本は,「現今多くの急進思想家は,
この欲求,この切望の方面だけを見て,……この欲求,
この切望を合理化すること,之を純化することについて は,あまり十分な努力」(P.3傍点筆者)を払っていな いと批判した.
では,川本は,当時のデモクラシーをどのように「合 理化」「純化」さらに「倫理化」(P.3)して,あるべ き「デモクラシー」たらしめんとしたのか,その点をみ ていこう.
総括的に言えば,川本の「デモクラシー」は,「デモ クラシーの根本原理」と「デモクラシーの実践的原理」
から構想されていた.前者は,デモクラシーの目的(理 想)を,倫理学的,哲学的,宗教的に根拠づけたもので あり,後者は,「国家的原理」と「社会的原理」によっ て,「政治的デモクラシー」,「経済的デモクラシー」,「社 会的デモクラシー」(この中には,「文化的デモクラシー」
や「教育的デモクラシー」が含まれている)を,「デモ クラシーの根本原理」の実現に向って統合組織化しよう とするものであった.故に,「新公民教育」とは,この
「デモクラシーの根本原理」と「実践的原理」を理解し,
実行する「公民」(=「新公民」)の育成を意味していた.
より具体的に検討していくと,まず,「デモクラシー の根本原理」とは,「人格の平等」と「個性の自由」と いう「倫理学的原理」から出発する.つまり,川本は,
現実の人間は,千差万別(不平等)であるが,人間の人 間たる所以である「人格」=「人間性」を有する点で平等 な存在であり,また,現実の人間の個性が,千差万別で 自由に発揮されれぽされるほど,「人格の平等」たる所 以を益々豊富にするという相関関係にあると把握してい た.この関係は,哲学的に言えば,普遍(=「人格」)と 特殊(=「個性」)の関係,あるいは,実在(=アプリオ リな存在)と現象との関係であった.つまり,実在(普 遍)である「人格」の現象である「個性」(特殊)が,
ますます特殊化(=個性化・自由化)していくことが,
普遍である「人格」を益々普遍化(=人格化・平等化)
していくという相互補完的発展関係が成り立っていると 川本は,とらえたのである.
この普遍(化)と特殊(化)の関係は,さらにつきつ
一15一
めて,宗教的にとらえることによって一層強固に統一さ れ,「デモクラシーの根本原理」が徹底すると川本は考 えた13).すなわち,人間が,ひとしく「人格」を有して いる所以は,尺間が「仏性」あるいは「神性」を有して いるからだと考えた.
故に,「人格」が,真に「人格」たらんとするには,
各人が,平等にもっている「仏性」・「神性」に目覚め,
川本流に言えぽ,自らを「凡夫」であると悟り,「その 神仏と霊的の交際,精神的の融合」をしていく時,各人 は,自由な存在となり,逆に,又,「最も崇高なる平等 観念を賦与」される,と川本は考えた.こうして,「全 国民が,……信仰に住し,神仏によって,大にして且つ 神聖なる自由と平等の精神を得,……安慰と法悦,勇気 と歓喜,そして,又,反省と俄悔,改造と努力とを体験 体得するの状態にあれぽ,実に精神的なるそして喜ぽし き平等と自由のデモクラシーが実現出来るであろう」
(P.51)と確信していた.川本は,この「精神的宗教的 のデモクラシー」を「真のデモクラシー」あるいは,
「理想のデモクラシー」と呼んだ.それは,「没我捨身 の大奉仕」すなわち,「己れを忘れて如来に帰」し,「私 心私欲を去って大なる社会の精神と一致してその社会に 尽すこと」(P.521)によって実現するとした.それ故 に,川本は,「デモクラシーの教育の大目的は,宗教的 情操信念の教養に待つこと大である」(P.520)として,
宗教教育の必要を高調した.というのは,その「宗教的 情操信念の教養」は,「直ちに天皇陛下に移し以て,天 皇陛下を実に所謂現神として崇敬」(P.511)することに 結びつくからであった.
このように,「人格の平等」あるいは,「人格の尊厳」
をもって出発した「デモクラシーの根本原理」は,その
「人格」を,宗教的な「人格」,すなわち「几夫」である ことを悟って「神仏」=「天皇」と精神的に融合一致し ていく「人格」,にまで高めていくことを理念としてい たといえよう14),それは,第一期の「公民」像との関わ りで言えぽ,宗教的次元(=精神生活)において,「天 皇の直接の臣民」になることを意味していた.
では,「デモクラシーの実践的原理」すなわち,「国家 的原理」と「社会的原理」は,「デモクラシーの根本原 理」の実現に向って,政治的,経済的,社会的デモクラ シーのあり方を,どのように「純化」して,統合・組織 化していたのであろうか,その点を次にみていこう.
まず,「デモク?シーの国家的原理」(=個人と国家と の「デモクラシー」的関係の原理)を,川本はどう把握
していたのであろうか.
結論的に言えぽ,川本は,「国家的原理」を,「自由と
権利の方面」からみた場合,「政治的デモクラシー」とし て「参政権」と「民権」が保障されることが望ましい が,無制限であってはならないとし,むしろ, 服従と 義務の方面 を強調した.川本がいう「国家的原理」と は,つまるところ「私を忘れて公に尽す」(P.74)こと を意味した.そして,「小我」を離れて,「公共の為に尽 す」には,「個性を最高に発揮する」(P.74)ことが重要 な条件であり,そのことによって逆に,「個人が,発展
し,個性が充実し,真我が実現される」(P.74)とした.
この「国家的原理」について,今少し,r公民教育研 究(上巻)』(1928年3月)の中で展開されている国家論 に依拠して,検討しておこう.その著書の中で,川本は,
当時の「科学的国家説」(大山郁夫)や「社会学的国家説」
(高田保馬)を批判的に検討しつつ,自らは,「倫理的 哲学的国家観」(P.19)が妥当であるという立場を表明 した.そして,国家(立憲国)の目的とその機能は,「法 治・国民福利・文化」(P.17)にあり,「凡ての国家の活 動は,この三に包蔵せられる」(P.17)とした。また,
現実の国家を,法治国家,国民福利国家,文化国家の理 想的完成に向ってたえず向上.発展していく「進歩の道 程」にあるものととらえた.そして,個人と国家の関係 を次のように理解した.すなわち,「人は,国家生活に 於て最もよく其の個性を発展し得る……換言すれぽ,国 家は,国民の歴史を通じて国民の組織せるものであっ て,我が我たる為めの唯一の媒介老である.故に,国家 があって,人は其の本性を以て全体に寄与し,一切各人 と共に統一し且つ永遠に全体たる人を完成するのであ る」(P.20)と.要するに,個人は,私を忘れて公(=
国家)に尽すことによって,自己を完成するというの が,川本の「国家的原理」であったといえよう.
以上のような特質をもつ「デモクラシーの国家的原 理」を理解し,実行する人間が,「デモクラシー」との 関わりで再構成された「立憲国の国民」としての公民で
あった.
では,「デモクラシーの社会的原理」(=個人と社会の
「デモクラシー」的関係の原理)については,どうとら えたのであろうか.
それは,基本的には,「社会的正義」の理念を実現す ることにあるといえる15),この「社会的正義」は,「経 済,社会,政治の三方面に於て協調和合する」(P.448)
ための道徳的方針の基本であり,換言すれぽ「共存共栄
の社会生活」16)実現の原理であった.より具体的に言え
ぽ,「社会の各員が,/其の社会上に於ける本分を,その
才能に応じて発揮し,実行を以て社会生活を健全ならし
め,個人の最高使命である倫理的社会実現に貢献する」
(P.448)ことを意味した.この「社会上に於ける本分」
とは,「職業活動」のことであり,職業生活は,「共存共 栄の社会生活」の要であった.要するに,「社会的正義」
とは,個人(=「小我」)が,その「個性」(=「才能」)
に応じて職業を選択し,「社会我」(=職業人・社会人)
となって「社会的能率」(P.455)を最大限発揮して,経 済生活(=社会生活の物質的基礎)を確保・安定させ,
そのことによって「人格」を向上・発展させることであ った.そして,この「社会的正義」理念の実現をさらに 補完する道徳的方針として川本は,「自治の精神」と「社 会奉仕の念」(P.448)が不可欠の要件であるとした.
「自治の精神」とは,「自己の本分,自己の才能,自己 の使命を自覚して,之(=倫理的社会実現一筆者注)に 向って最大最善の努力を尽す」(P.450)ことであり,
「社会奉仕の念」とは,「社会的恩恵」を感じて,それ に積極的に報いていく「自己犠牲没我道徳の実行」(P.
451)を意味していた.また,この「自治の精神」と「社 会的奉仕の念」の1函養が,「労資両者の協調の基礎」で あり,「社会生活の向上発展の基礎」であるとした17).
以上のような特質をもつ「デモクラシーの社会的原 理」を理解・実行していく人間が,この第二期に新しく 登場し,川本が前面に押し出したところの 「社会的公 民」なのであった.
では,以上のような特徴をもつ「新公民」の「公民的 資質」はこの時期どのように考えられたのであろうか.
その点に関して,川本は,「現在の国家社会の善良有 為なる国民の資質や品性は,現在の国家社会生活に適応 すればよい」という見地から,「善良有為なる公民」の 資質を,次の五点にまとめている18).
第一に,「各公民は,自己人格の尊厳と自由とを自覚 せねぽならない.」(→①)
第二に,「各公民は,政治上の倫理的規範を認識し,
之に則って自治的行為に出でねぽならない.」(→②)
第三に,「各人は,公民としての権利義務を明知し,
その公共的責任を理解せねぽならない.」(→③)
第四に,「公民は,自己の福利と社会公共の福利との 調和を図り,社会奉仕の念がなけれぽならぬ.」また,
「各人は,更に進んで自己の幸福を制限しても,その地 位,その能力に応じて社会の福利に貢献する所がなけれ ばならない.」すなわち,「自己を空しうしたる社会奉 仕」がなけれぽならない.(→④)
第五に,「公民は,国家並に社会に関する知識を有し,
公共の福利に関して誤らざる判断をする者でなければな
らない.」(→⑤)
以上の五つの資質は,①の資質が,前述の「デモクラ
シーの根本原理」に対応する資質であり,それ以外の②
③④⑤が,「デモクラシーの実践的原理」である「国家 的原理」と「社会的原理」に対応する資質である.川本 は,この五つの資質をもった「公民」を,「理想的公民」
とし,その「理想的公民を一人たりとも多く教養するこ とに奮励せねばならぬ」19)と考えていた.
第2章 川本宇之介の「教育的デモクラシー」
論と「特殊児童」の「公民」形成
では,前章で検討した公民教育論から特殊教育振興
(特に障害児の義務教育保障)の課題は,どのような位 置づけと性格をもって生成していくのであろうか.
その具体的分析に入る前に,川本が,障害児の義務教 育保障と関わって,戦前どのような活動を展開したの か,簡単にスケッチしておこう.
川本が広く特殊教育の問題を自覚したのは,1910年代 後半の東京市視学時代(1916〜1920)に,都市問題とし ての不就学児問題(=貧困児童問題・特殊児童問題)に 関わる中においてであった.その不就学児問題を,「デ モクラシー」の問題として明確に論じ,その解決策とし て特殊教育の振興にとりくんでいくのは,1920年,文部 省普通学務局第四課(後の社会教育課)に嘱託として入 って以降のことであった.その具体的なあらわれが,周 知の論文「不就学者絶滅策と其の準備」2°)及び「貧困児 童教育の二方面」21)や川本編集のr就学児童保護施設の 研究』(1921年9月)であった.この第四課時代(1920 年7月〜1922年9月)には,盲唖教育令制定運動の高揚 を受けて,「盲学校及聾唖学校令」の草案を作成し,そ の成立(1923年8月)を前にして,特殊教育(特に盲・
聾唖教育)研究のため,文部省在外研究員として欧米に 留学(1922年9月〜1924年6月)することになった.帰 国後,1920年代後半から1930年代にかけては,口話法を 普及させつつ,盲聾児就学義務制の実現に尽力し,指導 的役割を果していった.しかし,結局,義務制の実現は 挫折(1939年)することになり,その課題は,戦後の教 育改革期に持ちこされることになった22).
以上を前提に,以下,留学前の第四課時代における
「教育的デモクラシー」論の特質と特殊教育の関係,及 び,留学から帰国後における公民教育としての特殊教育 論の展開過程を検討していくことにしよう.
(1)川本の「教育的デモクラシー」論とその特質 一「新公民教育」論との関連で一
特殊教育振興の理念は,川本のいう「教育的デモクラ シー」(=教育の機会均等)を「特殊児童」に激街する ことによって生成してきたとみることができる.そこ
一17一
で,まず,川本の「教育的デモクラシー」論を,著書
『デモクラシーと新公民i教育』を素材にして分析してい くことにする.
前章でみたように,「教育的デモクラシー」は,「社会 的デモクラシー」のカテゴリーに属していたが,川本 は,そのカテゴリーにはおさまらない普遍的性格を,
「教育的デモクラシー」に見い出していた.というの は, 「教育上の機会均等」が,「人が,健康なる生活を なし,自己の知能を磨き,職業の勤労を歓喜し,一般常 識を進め,国家社会の一員たる所の本務を知り,且行為 に於ても,又,文化生活を享楽するにも,一切の他のデ モクラシーの根本原理並に実践原理をその梗概だも諒解 し,而して,之に則って自己生活を向上させ人格を発展 させるも,その何れを問はず,実に教育がその基礎をな し,出発点をなすからである」(P.85傍点筆老).
このように,「教育的デモクラシー」は,個人(児童
・生徒)が,「新公民」として,「デモクラシーの根本原 理並に実践原理」を理解・実行し,自己の「人格」を向 上発展させていく「基礎」であり,「出発点」であるが 故に,「デモクラシー」中の「デモクラシー」という固 有の位置と性格をもつと,川本は考えていたのである.
そして,この「教育的デモクラシー」は,「新公民教育」
の見地から,「縦の学校教育」(=縦の教育機会均等)と 「横の社会教育」(=横の教育機会均等)において,と
りわけ,義務教育において徹底的に,実現されなけれぽ ならないと考えていた.というのは,義務教育段階にお いて,「教育的デモクラシー」が不完全・不充分にしか 実現されていないということは,逆に,個人の人格の向 上発展と国家・社会の調和的統一をめざした「デモクラ シーの根本原理並に実践原理」が,不完全・不十分にし か実現されないことを意味し,それは,「国家の理想的 完成」=「倫理的理想社会」の実現を防げ,国家・社会 の分裂(=労資の対立,貧富の差など)をますます助長
・激化させることになり,その結果,「社会的正義」を 理念とする「共存共栄の社会」秩序が動揺し,やがて は,天皇制国家の危機を招く危険があると,川本は考え ていたのである.このように,「教育的デモクラシー」
は,「デモクラシー」社会実現の要であった.ここに,
川本が,「教育的デモクラシー」,とくに「横の教育機会 均等」の徹底を,一貫して強調し,それを実現していこ
うと努力していった根拠があった.
この「教育的デモクラシー」(=教育における平等と 自由の関係)を,前章でみた「人格の平等」と「個性の 自由」との相互補完的発展的関係にあてはめて,言い直 せぽ,「教育的デモクラシー」とは,「人格の平等」を
根拠にして,ひとしく,「個性」に応じて教育の機会が 保障されることを意味する.逆に言うと「個性」に応じ て教育を受け,その「個性」を国家・社会の一員(とく に職業人)として,最高度に(=自由に)発揮すること によって,「人格の完成」に向って限りなく「人格」を 向上・発展させていくことを意味した.このように,川 本は,教育における平等(=ひとしく)と自由(=・個性 に応じて)の関係を統一的に把握しており,両者は矛盾 しないと考えていた.これを,「公民教育」の見地から 言いなおせぽ,「教育的デモクラシー」とは,ひとしく
「公民の受くべき教育」(=「形式的方面」)が保障さ れ,その「個性」に応じて「公民たるべき教育」すなわ ち「善良有為なる公民たらしむるべき教育」(=「実質的 方面」)を受けることを意味した.
② 公民教育としての社会教育と特殊教育の振興 ところで,前章でみたように,「デモクラシー」を基
調とした「新公民教育」は, 「広い意味の社会生活」
を,教育の対象としたが故に,学校教育だけでなく,社 会教育をも含み込んで成り立っているところに大きな特 微があった.また,川本は,第四課に入って以後,学校 教育(=縦の教育機会均等)よりも,社会教育(=横の 教育機会均等)の方をより重視するようになった.とい うのは,「学校に於ける生活の二倍,三倍も長い家庭及 び社会生活が相共に学校に共力しなかったならぽ,学校 教育の努力を甚だしく効果薄きものにしてしまふ」23)と いう認識があったからであった.
さて,当時,就学猶予免除規定によって,学校教育 (とくに,義務教育)から排除されていた不就学児の問
題,あるいは,当時ほとんどが私立学校で,基本的に社 会事業の対象(=内務省の管轄)とされていた盲・聾唖 教育は,まず,この社会教育の対象に位置づけられて登 場した.では,どのような性格を付与されて位置づけら れていたのであろうか.
そこで,当時の川本の社会教育観をみていくことにす る.1920年代初頭(第四課時代)に展開した川本の社会 教育論は,「教育の社会化・社会の教育化」24)という表現 に象徴される.それは,今日,「草創期の社会教育行政 発想」25)に属するものとされている.では,当時,川本 は,社会教育をどのようにとらえていたのであろうか.
その点を,論文「社会教育の新理想」26)を素材に検討し ていこう.
その論文で,川本は,「社会教育の定義は,極めて漠 然として未だ明白な定i義がない」ことを前置きした上 で,あえて定義すれぽ,「社会生活を直接に向上発展す
るを目的とする教育である」(P.43)とした.そして,
学校教育と社会教育の関係を次のようにとらえた.すな わち,「社会生活の向上発展,換言すれば,社会に分に 応じて貢献なし得る人間を教育するという点より見れ ぽ,……学校教育は,一の全社会生活への準備」であ
り,「社会の向上発展に対しては,間接的の教育なり」
(P.43)と.このように社会教育と学校教育との関係 を,「直接」と「間接」の関係としてとらえた上で,社 会教育について,さらに次のような規定をおこなった.
「社会教育は,現に社会に於て,発動的に活動している 者に対する教育である.即ち,現在の社会活動の中にあ って,それぞれの地位に応じ,其の職業に従って社会の 活動に加わって,社会の向上発展に,直接の責任を有す るところの者をして,其の責任を完うせしめるために教 育を加え,社会の向上,発展に害ある諸種のものを除こ うとするのが,社会教育の目的とし,任務とするところ なり」(P.43〜44傍点筆者)
そのような目的と任務を遂行していくために,「社会 教育の機関施設」として,「学校以外の社会教育的施設」
(例えぽ,図書館,博物館など)と「学校教育の社会政 策的施設」とが必要であるとした.両者のうち,前者 が,「社会の活動に加わって,社会の向上発展に直接の 責任を有するところの者」たちを一層向上,発展させる ための積極的な機関施設であり,後者が,「社会の向上 発展に害ある諸種のものを除こうとする」ための消極的 な機関施設であった.そして,この社会教育の後老のカ ワ
テゴリー,すなわち「学校教育の社会政策的施設」の中 に,「貧困児童に対する教育上の保護,低能病弱の児童 に対する特別の教育,盲唖児等の特別の教育施設」(P.
45)などが含まれていたのであった.
では,川本は,貧困児童や特殊児童などの不就学児に 義務教育を完全に保障していくことの意義をどのように 把握していたのであろうか.その点について,川本は,
次のように述べている.
「全国児童(=不就学児童のこと一筆者注)に対して 各種の保護を加え,出来る丈け完全に否寧ろ義務教育丈 けは普通の児童よりもより完全に,より多くの経費を投 じて教育するということは,蕾に彼等直接の利益幸福を 増進する許りでなく,彼らが少年時代に於て国家より特 別なる保護を蒙り,恩恵を受けて居るという感じ其のも のが,彼等の思想を純化し,暖いものにするところの尊 い精神的効果も自から生じて来るわけである.況んや彼 等に完全なる義務教育を与えることによって,各種の社 会的禍,罪悪,損失,不安等を減じ,寧ろ積極的に社会 の生活の向上発展に協力することが,期待せらるるので ある.此の意味に於て,之等学校教育の社会政策的施設
は,大なる社会教育の一部分を形成するものであるとい うことが出来る.」(P.45傍点筆者)
このように,川本は,不就学児の義務教育保障の意義 と効果を,①不就学児本人の「利益幸福を増進」する効 果,②思想を「純化」するという「精神的効果」 (=思 想善導),③貧困や犯罪の予防という社会防衛的効果,
④教育によって「積極的に社会の生活の向上発展に協 力」させていくという社会効用的効果,といった諸点に 見い出していた,このような意義があると把握した川本 は,当時貧困や障害を理由に不就学となっている子ども たちの教育権保障を次のように提起した.
「貧困者たると不具者たるとを論ぜず,少くとも最低 限度の教育を受くる権利があり,又,国家社会は,之を 施す義務がある」27)
この主張は,明治憲法下にあって,「主権在民」は,
「我が国家に於ては到底許し得べくもない」28)というこ とを大前提にした上での主張であるが,障害児の義務教 育保障を「権利」としてとらえていこうとしている点で 戦後教育改革期の主張とも関わって注目されてよい.ま た,上記のような社会防衛と社会効用を主要な論拠とす る「権利」としての特殊教育は,1960年代後半に「権利 としての障害児教育」の立場から批判されることになる のであるが,当時にあっては,「特殊児童」の不就学を なくし特殊教育(とくに盲聾教育)を公教育化(i義務教 育化)していく要求運動の有力な根拠となっていった.
ところで,第四課時代における川本の特殊教育振興の 理念は,まだ,最低限度のi義務教育保障という,いわ ぽ,「公民の受くべぎ教育」(=「教育的デモクラシー」
の「形式的方面」)の保障を主張したにとどまっていた.
それは,まだ,川本が,「特殊教育」に関係して日が 浅く,具体的(実質的)にどのような教育が可能である かについて明確な展望をもちえていなかったがためであ った.その点で,欧米留学は,川本にとって,欧米の 「特殊教育」の動向と水準を把握し,それとの比較で,
わが国の特殊教育振興の課題を見据える上で,重要な画 期となった.また,それは,大正デモクラシーを背景に した盲聾教育界及び関係団体の要求運動が高まる中で,
「盲学校及聾唖学校令」の制定が必至の惰勢となり,文 部省として,制定後に,盲・聾唖教育をどうすすめてい くかという課題にこたえていくための準備であったとい
えよう.
(3) 「特殊児童」の「公民」形成
さて,文部省在外研究員として「特殊教育」とくに,
盲・聾教育の実地研修及び実状視察を体験して帰国した 川本は,その留学中の成果をふまえて,盲・聾児に,「公
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民たるべき教育」(=「教育的デモクラシー」の「実質的 方面」)の保障を明確に打ち出していった.そのことは,
む 留学中の成果をまとめた盲・聾教育の二著作,すなわち,
r聾教育概説』(1925年7月)とr盲教育概観』(1928年 5月)において端的に表明されている。
まず,r聾教育概説』では,当時の日本の聾唖教育界 を支配していた手話法を批判し,口話法の優位性を主張
して,次のように述べている.
「聾者を一個の人間として,又,一人の公民としての 教育を,より多く可能ならしむるには,口話法の最適な ることは,言を侯たざる所である.然るに手話法に依為 時は,……完全なる人の教育,完全なる公民の教育を徹 底させることは不可能である.」(P.204)
このように,口話法による聾唖教育の聾教育への革新 は,「完全なる公民の教育」(=「公民たるべき教育」)と 密接に関連していた点が,注目される.
また,『盲教育概観』においても,川本は,普通選挙 法の成立に伴い,盲人が,点字投票による選挙権(参政 権)を獲得したことにふれて,次のように述べた.
「今や盲人も明かに名実共に公民として立派な意志表 示を出来るに至ったのであるから,之からは,学校教育 に於て,将又,社会教育に於て,共に公民教育の意義を 其の教育内容に徹底させ,立派なる公民たる資質を有す
るものたらしめねばならない.」(P.186)
こうして,特殊教育振興の理念を,「公民たるべき教 育」として打ち出した川本は,具体的にどのような公民 的資質を考えていたのか,その点を聾教育においてみて
いこう29).
川本は,1929年の論文「我等の目標」3°)の中で,次の ように述べている.
「聾教育の目標は,耳の聴える者と同様に,聾者が,
自立自営の国民となり,善良有為なる公民となり,一個 人としては,情趣豊かな人,敬度崇高なる人格者となる ことである.而して,各人は,この目標に向って一・寸で も近づく様に,自ら修学し修養し工夫努力するところが なければならぬ.」(P. 2)と.
そして,とくに「自立自営の国民」(=「善良有為なる 公民」)となることが,「個人の存在の基礎であり?人格 完成の礎石である」(P.2)としながら,「自立自営,独 立自尊の人」となるための「資資」として,次の「三条 件」をあげた.
①「各人の職業上の能力がすぐれて居て,自己又は自 己の家族の生活資料は自己の腕で得ること」
②「職業的並に社会的生活に於て,よく意志が疎通し 協同の仕事と生活をするのに適する性格と能力がな
けれぽならぬ」
③「自立自営の精神が盛であって,他人に依頼した生 活や先祖の財産をあてにすることを恥とする様な勤 勉家であること」
この「三条件」を具備した「自立自営の国民」とは,
言いかえれぽ,「口話」によってゴミュニケーショソが でき他人と協力・協同の活動ができる職業人・社会人
(=職業生活を軸とした社会生活の担い手ンのことであ り,それは,前章で検討した「社会的公民」の聾教育版 であった.将来「口話」のできる職業人(=「自立自営 の国民」)の育成をめざす聾教育は,畢寛,口話教育と 職業教育・職業指導を中心とした教育を特徴とせざるを 得なかった.そして,川本は,聾者が,「口話」のでき る「自立自営の国民」となることが,「永遠の聾者の幸 福」(P.4)を保障することになると確信していた.
こうして,川本は,口話法による聾教育を,義務教育 として保障し,「自立自営の国民」(=職業人・社会人)
たらしめることによって,聾者の社会的地位の向上をは かり,福祉を増進し,さらにそのことによって,公民教 育の理念である「国家の理想的完成」=「倫理的社会の 実現」,すなわち,川本の考える「純化」された「デモ クラシー」社会に一歩ずつ近づこうとしたのであった.
お わ り に
川本は,今日「大正デモクラシー時代における教育的 デモクラットのなかでももっともデモクラティヅクなデ モクラットの一人であった」31)と評されているが,そう 評される所以は,何よりも,川本が「教育的デモクラシ
ー」を,当時「教育棄民」であった「特殊児童」にまで 徹底させようと尽力していった点に求めることがでぎ
る.
本稿では,その大正デモクラシー時代に公民教育研究 から出発した川本が,公民教育の徹底という見地から,
「特殊児童」の教育問題を,「デモクラシー」の問題とし て自覚し,さらに,「特殊児童」をも「デモクラシー」
社会の担い手である「公民」として,その「人格の完 成」をあざそうとしていた点を検討してきた.その結 果,大正デモクラシー期に展開された川本の特殊教育論 には以下のような特徴があった.
まず,第一に,川本の公民教育としての特殊教育論 は,「デモクラシー」(=横の教育機会均等)を基調とす る社会教育に位置づけられ,社会教育の消極的方面であ る「学校教育の社会政策的施設」として登場してきた.
それは,大正デモクラシー期(1920年代)に特有の現象
であった.
第二に,特殊教育の必要性の根拠を,社会防衛論(=
貧困・犯罪の防止)と社会効用論(=職業人,社会人の 育成による経済的社会的能率の増進)においていた.
第三に,「特殊児童」にも「人格の平等」を認め,特 殊教育の理念に「人格の尊重」をすえた.その根底に,
川本は,「自他の人格をただ目的として取扱い,決して 単に手段として取扱ってはならない」32)というカソトの 人格の絶対尊厳性を置いていた.その限りでは,川本の
「人格の完成」論には市民的自立の可能性が内包されて
いた.