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裁 量 基 準 の 拘 束 力

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〈論説〉

裁 量 基 準 の 拘 束 力

松戸浩

一はじめに二行政立法の区別の指標としての法規概念三裁量基準に対外的拘束力・裁判規範性を認める試み(その一)裁判所による承認四裁量基準に対外的拘束力・裁判規範性を認める試み(その二)行政手続法と裁量権の根拠規定五裁量権の根拠規定と裁量基準の対外的効果六裁量基準の裁判規範性の検討七結び

一はじめに

行政機関による一般的抽象的規範の定立近時は議論があるものの一般的には「行政立法」の語で呼ばれてき

(2)

たは伝統的に、私人の権利義務に関係するかという見地から法規命令と行政規則とに区別されてきた。この区別は今日でも一般的に維持されてはいるものの、この内行政規則については、私人の権利義務に関係しないものとされているにも拘らず現実には私人の権利義務のあり方に対し影響を及ぼしうる場合があるのではないかという認識から、その法的位置づけ或いは私人に対する影響の法的評価について、予てから学説上強い関心が寄せられてきたところである。これに加えて、従来行政規則とされてきた規範には様々な種類のものが含まれているところ、こうした多様な諸規範を行政規則の概念の下で一括して論ずることは不適当であり、個々の種類毎に個別に検討することが必要なのではないかという指摘もされるようになってきて

(

が意識されているようにみえる。更に右の研究の中には、近年の裁判例にはその示す裁量基準の理解に就いて、伝 予てから行政規則一般について問題とされてきたものであるが、近時の裁量基準に関する研究では一層その再検討 ものと思われる。先に挙げた行政規則の私人の権利義務との関わりは⾉行政規則の外部効果⾊といった標語の下に ないという点や裁判所を拘束する効果を持つものではない裁判判決の基準とはならないという点と関わる のということができよう。それは特に、従来行政規則の特徴とされてきた、私人の権利義務への直接の影響を持た これらの近時の裁量基準に関する研究の進展は、伝統的な行政規則の解釈枠組を変容する可能性をも持ち得るも 特に司法審査との関連で、裁量統制の手掛かりの一として着目されるようになっている。 明瞭に当てはまる規範類型となっている。また裁量行為の準則とされる裁量基準は近時の裁量論の研究に於いて、 きた、現実には私人の権利義務のあり方に対し影響を及ぼしうる場合があるのではないかという前出の指摘が特に のである一方、これに基づいて私人に対し裁量行為が行われることから、従来から行政規則について屡々いわれて 規範類型であろう。裁量基準は裁量権行使の為に内部的に制定されるものであるので行政規則と位置づけられるも このように行政規則の類型化が意識される中で、特に近時注目がされているのは裁量基準と位置づけられている いる。

1 )

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(3)

統的な行政規則の解釈枠組に留まらないものもあるのではないかということを示唆するものも現われている。このことは、行政立法の伝統的枠組を含めて裁量基準の法的性格を検討することの必要性を明瞭にするものといえよう。本稿では、以上のような問題状況の認識に立ち、裁量基準の法的性格の内、特に問題とされている外部効果乃至裁判規範性について理論的分析を行なうこととする。

(

1

二行政立法の区別の指標としての法規概念

⑴先ず最初に、本稿の検討の前提となる法規命令と行政規則の区別に関して従来論ぜられてきた内容に就いてみることとしたい。冒頭にも述べたように、法規命令と行政規則との区別は一般に、私人の権利義務に関係するかという見地からされてきたが、これは「立法の内容についての区別」であるとされて

(

その効力に着眼してもなされている。 きた。他方で法規命令と行政規則との区別は、

1 )

《行政機関が法条の形式をもってある定めを置くことがあるが、従来、日本の行政法学はこれを大きく二つに分類してきた。その分類基準は、当該定めが外部効果をもつもの、つまり、相手方私人と行政主体の関係を規律し、紛争が生じたときに裁判所がこれを適用するものと、それ以外の、とりわけ行政機関相互を拘束するが、私人に対する関係では規律する効果をもたないもの、つまり内部効果しかもたないもの、という点にある。前者が法規命令、後者が行政規則

立教法学 第 103 号(2020)

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(

ある。》

2 )

伝統的に法規命令と行政規則とを区別する指標とされてきたのは「法規」概念であるが、その分析にあたっては「私人の権利義務に関する事項を規律対象とする」といった規律対象に着目した側面と「私人の権利義務に関する効力を持つ」といった効力に着目した側面とを区別すべきことは、既に平岡久博士によって指摘されていたところで

(

面であり、私人に対する効力の有無は右の判別がされたことによる帰結で

(

を判別する伝統的に法規概念が担うものとされてきた指標としての機能を果たすのは前者の規律対象の側 、、 ある。この内、行政機関によって定立される一般的抽象的規範に就いてその定立の際に法律の授権が必要か否か

3 )

な手がかりを提供しない」と論じて

(

「『私人の権利義務に関する』内容をもつかどうかという基準」では「議会による授権の要否を決するための決定的 ものであることから、「規範の内容が『私人の権利義務』にかかわるものであるか否か」という観点或いは規範が にみられていたのが平岡博士であり、博士は行政処分に関する訓令・通達類も内容的には私人の権利義務に関する るか定立の際に法律の授権を要する規範であるかを区別できるかは一つの検討すべき課題である。この点を懐疑的 ⑵尤も、「私人の権利義務に関する事項」なる規範の規律対象によって行政機関が単独で定立できる規範であ ある。

4 )

し或いは義務を課する法的効果を与えることに

(

別は必ずしも行政機関の行為の内容自体からもたらされるものではなく、法が行政機関の行為に私人の権利を制限 導は私人の法的利益に直接の影響を及ぼすものではなく従って法律の授権は必要ないとされている。尤も両者の区 説によれば私人の権利を制限し或いは義務を課する行政活動には法律の授権を必要とするとされる一方で、行政指 しかし、同様の問題は法律の留保原則の対象とされる行政活動に就いても生じうるものである。例えば侵害留保 いた。

5 )

よる。換言すれば、行政機関の任にある人間の行為が単なる事実行

6 )

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(5)

為に留まるか法行為例えば行政行為となるかは法が当該行為に法的効果を与えるか否かに

(

(

提とするならば行政指導と行政行為との区別は、行為自体の内容によってではなく法によって与えられた効力の よる。これを前

7 )

理的には断ち切ることもできる」と述べてい

(

による一方的法関係の形成を規律力として構成することの意義として、「取消訴訟の対象と権力的行為の循環を論 ⑶右と同様の問題は行政行為の効力の一として塩野宏博士が提示された規律力にもみられる。博士は行政行為 内容によってなされるということができよう。

8 )

(

行為とされる一方取消訴訟の対象となるから権力的行為となるという循環論法を排することを意味していると るが、これは人見剛教授も指摘するように、取消訴訟の対象は権力的

9 )

当然備わる効力ではなく、当該行為とは別の外在的な根拠例えば法律によって与えられたもので

(

られている必要があるということを含意しているからである。この規律力も含めた行政行為の効力も、行政行為に ころ、これは、権力的行為を取消訴訟の対象とするのであれば権力的行為は予め規律力といった指標によって定め

10 )

れてきたところである。 指導に留まるか法行為例えば行政行為となるかが定まることになる。このことは既に諸家によって意識さ 以上のように考えた場合、行為の内容自体は同一であっても法がこれにどのような効果を与えるかによって行政 ある。

11 )

《内容的には下命的ではなく、勧告的あるいは警告的なものに過ぎないような場合であっても、相手方がこれに従わないでいると何らかの法 、的 、不利益が伴って来る場合には、この行為はもはや「行政指導」ではなく、むしろ「行政行為」であることに

(

置についてみられる。…/指示の中には、不服従に対する制裁を予定されていないものがあることも事実であるが(道 《法律上、行政指導に対する不服従について制裁が定められていることがある。この現象はとくに指示と呼ばれる措 なる》(傍点原文)

12 )

立教法学 第 103 号(2020)

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交六条三項、風俗営業二五条・二九条・三四条一項、景表七条)、右の制裁を予定されているものについていえば、これを行政指導の一種として理解するとしても、機能的には行政行為に近い役割を果たすのであ

(

自然公園三〇条二項・七三条九号)、この指示は行政行為とみることがで

(

《なお、指示に対する不服従につき罰金等の処罰が予定されている場合があるが(道交一五条・一二一条一項四号・ そして後者に附されたḼにはこうある。 り…》

13 )

きる》

14 )

これらの場合、法により不服従に対する制裁をはじめとした法的不利益が定められることにより、名宛人に対し特定の行態を求める行政活動が当該名宛人に対し法的義務を課しているものと評価されることになるが、他方で右の叙述からは、名宛人に対し同様の行態を求める内容の行政活動であっても法が不服従に対する制裁をはじめとした法的不利益を定めていない場合には行政行為とはされず行政指導として評価される

(

よって決せられるということができるが、これは或る行政活動につき(侵害留保等私人に対する法的効果に着眼する るかは当該活動自体の内容によってではなくこれが名宛人に対し義務を課したものと評価しうる法の定めの存在に ⑷以上述べてきたことから、名宛人に対し特定の行態を求める行政活動が行政指導とされるか行政行為とされ られよう。 余地があることが明瞭に察せ

15 )

場合の)法律の留保原則の対象となるか法律の根拠が必要であるかの問題を判断する際にも同様に妥当するものといえ

(

がこれに対する服従を拒むことが困難であるといった事情から行政法学上問題とされ、その対処の一として、行政 欠き相手方の任意の協力を求めるに留まるものであるにも拘わらず、現実には私人に対し影響を持ち或いは相手方 それにも拘らず行政指導に就いては、それ自体は私人の法的利益を直接変動するものではなくまた法的拘束力を よう。

16 )

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(7)

指導であっても事実上強制的に作用し相手方の任意性が期待できないようなものについては法律の根拠を求める

(

行為と実質上同様の私人への影響がある太田匡彦教授のいう侵害作用との「機能的

(

見解があることは広く知られているが、これは行政指導の持つ事実上の影響力に法律の根拠が要求されている侵害

17 )

基準は改められるべきであるとは一般的には主張されてい

(

ては、対象の判別基準自体が「議会による授権の要否を決するための決定的な手がかりを提供」せずそれ故かかる し、先にみたように行政指導に就いても同様の問題が指摘されているにも拘らず、法律の留保(侵害留保)に就い 準」では「議会による授権の要否を決するための決定的な手がかりを提供しない」と述べていたものである。しか かかわるものであるか否か」という観点或いは規範が「『私人の権利義務に関する』内容をもつかどうかという基 先にみた平岡博士の指摘はこの点に着眼したものであり、そこから博士は「規範の内容が『私人の権利義務』に 基準で問題とされているものである。 が、ここには右の行政指導でみたのと同様の状況が現われているといえる。これは特に本稿の考察対象である裁量 など、私人の法的利益に関係する場合があると屡々指摘されると共にこれに対する対処が論じられてきたのである ものではなく対外的な拘束力を持つものではないとされているにも拘らず、通達に従って行政処分がなされる場合 価した上での主張である。そして行政規則に就いても、その内容上は私人の法的利益に対して直接の影響を及ぼす 等価」ものがあると評

18 )

人の権利義務に関わるものがみられるとしても、そのことから直ちに右の法規命令と行政規則との伝統的な判別基 『私人の権利義務』にかかわるものであるか否か」という観点から一般的に行政規則とされてきた規範に実質上私 対象の判別基準自体は維持することを前提としたものということができる。そうであるならば、「規範の内容が ら法律の留保原則の対象とする試みが一部ではされてきたのであるが、これは他面では、法律の留保原則に於ける に対する事実上の影響力に法律の根拠が要求されている行政活動の対外的効果と同様のものがあるかという観点か ない。寧ろ行政指導の場合には前述のように、その私人

19 )

立教法学 第 103 号(2020)

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準を否定することが帰結されるとは限らないということができよう。

⑴法規命令と行政規則との区別に際して従来の法規概念が指標となりうるかという問題につき提起されたもう一つの疑問は、法規を私人の権利義務に対する効力を持つ規範として捉えた場合、かかる効力は法律による授権によって与えられるものであるから、行政機関の制定する規範につき法律の授権が必要であるか否かをかかるものとしての法規概念により決しようとするのは循環論証ではないかというものであった。平岡博士はかかる疑問に就いても明快に説かれている。

《行政機関が「私人の権利義務を変動させる効力を持つ規範」を制定するためには議会立法による授権(…)が必要である、という定式》《は、行政機関による規範制定の後でその規範が「私人の権利義務を変動させる効力」をもつかどうかを明らかにするために役立つことができるが、行政機関が規範を制定する前にその規範を議会立法による授権にもとづかないで制定することが可能であるかどうかを明らかにすることはできないように思わ

(

れる》

20 )

しかし同様の構図は、博士自身も権力留保説に就いて示唆されているよ

(

な行為形式をとる場合」に法律の根拠を要求する所謂権力留

(

る見解一般にも当てはまるものである。例えば「行政権が国民に優越的な立場で行動する場合、すなわち、権力的 に対する影響に着眼して法律の授権の要求される行政活動の範囲を定めようとする法律の留保原則の妥当範囲に係 うに、侵害留保説をはじめとした、私人

21 )

うな批判がみられる。 留保原則の妥当範囲を定めようとしている点では侵害留保説と共通しているところ、権力留保説に対しては次のよ 保説も行政活動の私人に対する態様に着眼して法律の

22 )

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(9)

《留保理論の基本理解によれば、現行法上認められる権力は法律によって正当化された権限に限られる。かりに権力を語ることができるとしても、それは法律の根拠を前提とする。したがって、法律の根拠の要否を論ずる場面で権力を基準とするのは、循環論法に陥るという疑問が生

(

ずる。》

23 )

⑵尤も、右の批判が提示したのと同様の構図は権力留保説に限らず、侵害留保説に就いても当てはまるものである。即ち、侵害留保説にあっても私人の自由や財産を侵害することは法律によってそれが正当化される場合に限られ、従ってかかる侵害行為は法律の根拠があることが前提となる。この場合、法律の根拠の要否を論ずる場面で侵害を基準とすることは「循環論法に陥る」ということになろう。しかし、侵害留保説に就いては様々な疑問が呈されている一方で、このような形での批判は一般的にはされていない。権力留保説に対する右の批判は、「権力」は法律によってのみ正当化されるものであることから「権力」は法律の授権の結果であるところ、「権力」を手掛かりとして法律の授権の要否を判断するのは「循環論法」であるとするものである。しかし右にみたように、私人の自由や財産に対する侵害を手掛かりとして法律の授権の要否を判断する際にも同様の問題は生ずる。批判説の述べるように、権力性は法律の授権があってはじめて行為に付与されるものである。しかし法律の留保原則は、行政活動に就いて法律の授権の要否を判断する段階で問題となるものである。次の叙述はそのことを明瞭に示している。

《法律の留保論というのは、…根拠規範に関するものである…問題の出方としては、要するに、行政がある活動をするに際して組織規範のほかに根拠規範を要する場合とはいかなる場合であるか、を検討の対象とするもので

(

ある》

24 )

立教法学 第 103 号(2020)

(10)

法律の留保原則の内容として一般に理解されている内容は右のようなものと思われるが、これを権力留保説乃至侵害留保説に即していうならば、行政が権力的活動乃至侵害活動をしようとする場合には法律の根拠(=根拠規範)が求められるというものであり、或る行政活動が権力性乃至侵害性を有しているのはその結果である。右の法律の留保原則の内容からすれば、未だ行為がなされていない段階に於ける法律の授権の要否の判断は行政が権力的乃至侵害行為をしようと意慾する場合にされ、また既に行為がされている場合には、当該行為が法律の授権の必要な行為であるか否かの検討がされ、法律の授権が必要であるにも拘わらずそれがない場合には当該行為は違法と評価される。権力的活動には既に法律の根拠があるので従って権力性を標準として法律の根拠の要否を判断するのは循環論法であるというのが先に挙げた権力留保説に対する批判の趣旨であると思われるが、右のいずれの場合でもそのような「結論の先

(

様に、「結論の先取り」の要素はみられない。 らずそれを欠く場合には違法と評価するものであるから、この場合にも先に法律の留保原則に就いて述べたのと同 うとする場合には法律の授権を要求し、或いは既に行政立法が存在する場合には、法律の授権が必要であるにも拘 規概念による法規命令と行政規則との区別は、行政機関が定立する規範に私人の権利義務に関する効力を持たせよ 同様に、規範が私人の権利義務に関する効力を有するのは法律の授権が存在することによる帰結であるところ、法 権が必要であるか否かを決しようとするのは循環論証ではないかと主張するものであった。しかし先に述べたのと 律による授権によって与えられるものであるから、かかる効力に着目して行政機関の制定する規範につき法律の授 に就いても妥当することは明らかであろう。この批判説も前述のように、私人の権利義務に関する規範の効力は法 制定につき法律の授権の求められる法規命令と法律の授権を要しない行政規則との区別を行なうことに対する批判 ⑶以上法律の留保原則との関係で論じてきたことは、対外的効力をその内容とする法規概念を標準としてその 取り」の要素はみられないと思われる。

25 )

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

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平岡博士は規範の対外的効力に着眼して法律の授権の要否を決することが循環論証に当たるとする具体的な例として宅地開発を規制する地方公共団体の要綱を挙げ、当該要綱が住民の権利義務を変動する効力を持つかどうかは法律等による授権が既に存在しているかどうかを考慮することなくして判定することは不可能であると共に、議会立法による授権によらずして制定された要綱は違法になるとは直ちにはならず、右の効力を持たない、せいぜい行政指導の基準になるに留まると述べて

(

ぼしているのではないかという批判が根強くされてきたことは、本稿の冒頭でも述べたところである。この批判を に対し直接的な法的拘束力を有しないものとされているにも拘わらず、実際には私人の権利義務に対して影響を及 ないものといわざるをえないが、他方で予てから右の枠組に対しては、特に行政規則につき、右の枠組からは私人 につき私人の権利義務に関係するか否かという見地からこれを行なう伝統的な枠組自体は理論的にはなお否定でき

以上述べてきたことから、その制定に際し法律の授権を必要とする法規命令と不要とする行政規則との区別 とはならないものと思われる。 の要否を決することは循環論証に当たるという指摘は規範の対外的効力を指標とする右の命題自体を否定するもの 律の存在によって行政立法の対外的効力の有無は判断されるのであるから規範の対外的効力に着眼して法律の授権 は右の命題を前提とするものであり且つ右の命題を措定しない場合には成立しえないことであって、結局は授権法 能となる。先の要綱の例のような、授権法律の存在を手掛かりとして行政立法の対外的効力の有無を判断すること を前提としてはじめて、行政機関が対外的効力を持つ規範を制定するには法律の授権を必要とするという論定が可 力の原則(論者によってはこれを法律の留保の原則に含める)が存在することによるものである。かかる命題の存在 は認められないという内容の命題、換言すればかかる権限を議会の排他的管轄とする内容の命題=法律の法規創造 変動する効力を持たないこととなるのは、かかる効力を持つ規範を制定する権限が議会にのみ認められ行政機関に いる。しかし、法律の授権によらずして制定された要綱が住民の権利義務を

26 )

立教法学 第 103 号(2020)

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右の枠組の当否との関係でどのようにみるべきかに就いては既に述べたところではあるが、以下では款を改めて、この批判が提出した問題行政規則の私人に対する影響をどのように評価すべきか、またこの問題に対して近時行政法学で提唱されつつある対処を、特に行政規則の裁判審査と関連するものにつき検討していくこととしたい。

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裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(13)

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立教法学 第 103 号(2020)

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三裁量基準に対外的拘束力・裁判規範性を認める試み(その一)裁判所による承認

私人の権利義務に対する行政規則の関わりは⾉行政規則の外部効果⾊といった標語の下で、行政法学でも予てから問題とされてきたことは本稿の冒頭でも述べた通りである。尤も、この私人の権利義務に対する行政規則の「外部効果」は様々な態様で現われうる。例えば、行政規則の対外的影響が問題となった初期の判例として名高いパチンコ球遊器課税事件判決(最判昭和三三年三月二八日民集一二巻四号六二四頁)は従来課税されていなかったにも拘わらず通達により新たに課税されるようになった事案に係るものであったが、これは通達に従った課税処分が私人にとり不利益と捉えられるものであった。他方で通達で定められた裁量基準に反して裁量行為が行われたことを私人が問題とする場合、前記最判のケースとは異なり私人としては裁量基準に従って裁量行為がされることを期待しており、裁量基準に反した行為が私人にとり不利益と捉えられるものである。前者につき前記最判は、「本件の課税がたまたま所論通達を機縁として行われたものであっても、通達の内容が法の正しい解釈に合致するものである以上、本件課税処分は法の根拠に基く処分と解するに妨げがな」いと述べ、課税処分の適法性はあくまで法

(律)の解釈に照らして判断されると共に、たとえ通達が当該課税処分の機縁となっていたとしてもその通達が法

(律)の正しい解釈の範囲内にあるのであれば当該課税処分は法(律)に基づくものとされるとしており、これは通達乃至行政規則に関する「伝統的な考え方の枠

(

る。しかし、通達は法律の解釈の枠内で扱われ独自の意義を持たされている訳ではなく、この意味でやはり前記最 述する裁量基準に関する議論乃至判例の傾向を先取りしたものともみることができる点で注目されるものではあ に「無」として扱うことを徹底したとはいえず、行政機関による法律の解釈として検討の対象としている点では後 組み」に則ったものとみられるが、他方で前記最判は通達を法的

1 )

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(15)

判は「伝統的な考え方の枠組み」に留まるものといえる。これに対し後者のケースでは前述のように私人にとっては裁量基準が法的拘束力を持つことが有利となるものであるが、近時は裁量基準に裁判審査に当たり何らかの法的意味を持たせようとする試みに学説上関心が持たれるようになっているところで

(

に紹介検討した平岡博士によ

(

⑴行政規則に法的拘束力を持たせようとする試みは予てからドイツではみられたものである。これを詳細 ある。以下ではこの点につき検討することとしたい。

2 )

原則を媒介とした行政の自己拘束から行政規則に事実上の法的拘束性を認める見解が一般的なものとされて

(

れば、ドイツでは行政規則に直接に法的拘束性を認める論者も存在するものの、平等

3 )

筋合である。」と述べ、通達に違反した処分が問題となった場合の通達の位置づけや裁判審査のあり方に関する一 の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することもできる とのないことはもちろんで、裁判所は、法令の解釈適用にあたつては、通達に示された法令の解釈とは異なる独自 そのことを理由として、その処分の効力が左右されるものではない。また、裁判所がこれらの通達に拘束されるこ 「通達は、元来、法規の性質をもつものではないから、行政機関が通達の趣旨に反する処分をした場合においても、 四七頁(墓地埋葬通達事件判決)は通達に違反した行為が争われた事案ではないが通達の一般的な法的性質として、 前記昭和三三年最判と並び通達に関する判例として知られる最判昭和四三年一二月二四日民集二二巻一三号三一 近時改めて裁量基準を対象として検討が活発にされるようになっている。 てきた一方、我国行政法学では行政規則の対外的影響に就いては以前から関心が向けられていたが、前述のように 違法とする見解は我国行政法学でも屡々みられるところである。ドイツでは半世紀前から前記のような試みがされ 束まで昇華させるかはともかくとして、平等原則を媒介として、通達違反の行為を平等原則に違背するものとして ここには日本と同様の行政立法に関する伝統的枠組に対する対処がみられる点で注目されるものであるが、自己拘 いる。

4 )

立教法学 第 103 号(2020)

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般論を提示していたが、これも前記昭和三三年最判と同様、通達乃至行政規則を「伝統的な考え方の枠組み」の上で捉える姿勢を示したものといえる。また裁量基準に就いてはマクリーン事件判決(最判昭和五三年一〇月四日民集 三二巻七号一二二三頁)が、行政庁により定められた裁量権行使の準則に処分が「違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られる」と述べていたが、これも裁量基準の裁判審査に就いて、裁量審査の特性を踏まえつつ、裁量基準を先に挙げた二つの判例と同様の方向で捉える姿勢を示しているものといえる。他方で近時は、判例や裁判例に於いて行政規則により積極的な意義が持たされているとする指摘が屡々なされ、またかかる判例や裁判例の把握をもとに、先に挙げた伝統的な行政規則の理解を修正しようとする試みが学説上なされるようになっているが、これは行政規則の内、特に裁量基準の類型に就いてみられる。以下ではこれらに関する諸説を検討していく。⑵近時このような試みをした論者の一人として知られるのが常岡孝好教授である。教授は裁量基準につき多数の判例や裁判例を詳細に検討した上で、合理的な裁量基準にはそれ自体に相当の法的拘束性が認められると指摘する一方、学説で一般的とみられる、平等原則や信頼保護の原則を媒介として行政規則に事実上の法的拘束性を認める見解に対しても否定的に解して

(

教授は道路運送法関係の裁判例に於ける裁量基準の取り扱いを逐一検討する中で次のように述べている。 詳細な検討を行なうこととしたい。 いることからその論拠は注目されるものであるので、以下では教授の所説につき

5 )

《本判決(東京地判昭和三八年九月一八日行集一四巻九号一六六六頁・松戸Ḽ)は、本件審査基準が、被告(東京陸

裁量基準の拘束力(松戸 浩)

(17)

運局長・松戸Ḽ)に認められる裁量権の範囲内で策定された合理的な内容の基準であることを前提にして判断しているものと思われる。つまり、本判決は、本件の審査基準には法規命令に類似する一定の法的効果があることを暗黙のうちに前提にしていると解される。》《内容的に合理的な審査基準が合理的に適用されて処分が行われたのなら、当該処分は基本的に違法とならない、と本判決(東京地判昭和四三年二月二二日訟月一四巻三号三〇〇頁・松戸Ḽ)は考えているといえよう。そうすると、合理的な審査基準が合理的に適用されている限り、係争処分は適法と評価されうるので、このとき、合理的審査基準は裁判規範として機能しており、合理的審査基準には一定の法的効果があるといえる。》《こうした判断は、合理的な審査基準は適切に適用されているので、免許拒否処分は違法ではないというものである。これは、合理的な審査基準が係争処分の適法性を判定する基準として利用されたということである。すなわち、本判決(東京地判昭和四四年一二月二六日訟月一六巻四号四〇四頁・松戸Ḽ)は、審査基準が合理的であれば、それは、裁判規範として働きうることを認めているといえ

(

よう。》

6 )

このように常岡教授は一連の裁判例には合理的な審査基準が裁判規範性や一定の法的拘束力を持つことを認めているものがあるとした上で、これらの裁判例を背景として、審査基準の必要性を示したことで知られる個人タクシー事件判決(最判昭和四六年一〇月二八日民集二五巻七号一〇三七頁)はそれ自体は審査基準の法的性質を詳細には論じていないことを認めつつもこれらの裁判例と同様裁量基準につき「何らかの法的外部的拘束力を持つことを承認している」と解して

(

授によれば、一般的に法的(対外的)拘束力乃至裁判規範性の否定されている解釈基準や裁量基準にも法的(対外 判審査とを比較することにより、前記の裁判例を通じた裁量基準の裁判審査のあり方の検討をより深めている。教 いる。その上で教授は、解釈基準や法規命令に対する裁判審査と裁量基準に対する裁

7 )

的)拘束力乃至裁判規範性が認められるという。解釈基準につき教授は前にも挙げたパチンコ球遊器課税事件判決

立教法学 第 103 号(2020)

参照

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