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「上演の日まで(完成した作品)というものはない」(ピスカートア)

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「上演の日まで(完成した作品)というものはない」(ピスカートア)

‑トラーとピスカートアの共同制作『どっこい、おれたちは生きている! 』(1927)

萩 原   健

はじめに

こんにちの演劇の制作において、戯曲に原作者以外の 人間が手を加えて上演用台本が仕上がるのは決して珍し いことではない。だが少なくとも20世紀初めまでのドイ ツの演劇では、このように原作者だけでなく複数の人間 の手を経てテキストが成立することはあり得なかった。

演劇とは戯曲に書かれている通りを舞台上で示すことで あり、原作者は絶対的な地位にあった。ブラ‑ムはその 自然主義演出によって、戯曲をいかに効果的に舞台上で 再現するかを追求した。これに反発する動きはあった。

フックスは戯曲偏重の演劇への批判から「演劇の再演劇 化Retheatralisierung des lもeaters」を唱えて劇場空間 の再構築を試み、ラインハルトは既存の劇場に様々な機 構を採用、あるいはサーカスや教会を上演空間として活 用した演出を実践した。こうして戯曲ではなく演出が主 体の演劇、いわゆる「演出演劇Regie也eater」が確立さ れたが、ここでまず行われたのは戯曲に書かれたテキス ト以外の表現の探究であり、戯曲に原作者以外の人間の 手が加わること、テキストが複数の人間の共同作業から 成立することは依然としてなかった。

この状況が一変したのが1920年代である。戯曲はしば しば演出の作業の中で原作者以外の人間によって書き換 えられ、文学作品としてよりも、複数の人間の集団作業 から成立したテキストとして、むしろ舞台の上で成功を 収めた。その最も代表的な例が『どっこい、おれたちは 生きている! Hoppla,wirleben!』 (以下『どっこい』)で ある。これは1927年9月3日、演出家エルヴイ‑ン・ピ スカートアErwin Piscator (1893‑1966)が初めて個人 で運営するピスカートア・ビューネ(Piscator‑Biihne、

ピスカートア舞台)のこけら落としに、彼の演出のもと、

ベルリンのノレンドルフプラツツ劇場Theater am Nol‑

lendorfplatzで初演された作品で、テキストには劇作家 のエルンスト・トラ‑ ErnstToller 1893‑1939)だけで なく、ピスカートアの手も多く加わっている。つまりこ のテキストは劇作家個人が文学作品として完成させたも のではなく、具体的な上演を見据えた演出家との共同作 業によって成立した。制作過程としては、まず初めにト

ラーの草稿があり、これにトラーとピスカートアが共同 で手を加えて印刷版Druckfassungが、そして最後にピ スカートアが書き改めた上演用台本が仕上がった。本稿 ではこの二番目の印刷版を主な手がかりとして、各段階 でどんな変更があったのか、またなぜ変更されたのかを 明らかにする。そしてこのテキストの演劇史的意義を、

またなぜ20年代にこのような、劇作家個人からではな

く、演出家との共同作業から成立したテキストが生まれ たのかを考えたい。

1.トラ一版 1.1成立まで(1)

まず『どっこい』の第一稿であるトラーの草稿、いわ ゆるトラ一版の成立までの経緯を見よう。トラーはユダ ヤ人で、ドイツ人社会に受け入れられたいという願いか ら第一次大戟に従軍したが、凄惨な戟場を目の当たりに して精神を病んだ。戦後は平和主義者となり、 1918年の バイエルン革命に参加して評議会議長に選ばれるが、革 命は失敗、彼は当局に逮捕され、大逆罪で5年間の拘留 生活を送る。この拘留生活中に彼は『変容』 (1919)、 『機 械破壊者』 (1922)、 『ヒンケマン』 (1923)、 『解放された ヴオータン』 (1923)などの劇作品を次々に発表し、そ してこれらが既に彼の収監中から上演され、世の関心を 集めた。 1924年に彼は釈放され、その翌年、ベルリンで 労働者に向けて、草命中と同時代の状況を比較する内容 の演説をしたO これが後に『どっこい』の構想に発展す ることになったのだが、その機縁となったのが1926年の ピスカートアとの出会いだった。

ピスカートアは当時ベルリンの劇場フォルクスビュー ネ(Volksbuhne、民衆劇場)所属の演出家として多く の演出を手がけていた。彼もまた大戦従軍の経験から平 和主義者となった者だった。俳優だった彼はトラーと同

じく前線での凄惨な光景に遭遇、戦争終結への大きな一 歩となったロシア革命に共鳴し、戦後共産党員となっ て、共産主義革命を呼びかけるプロパガンダの手段とし ての「政治演劇」を構想した。また戦友ヘルツフユルデ の誘いで前衛芸術運動ベルリン・ダダに参加、風刺画家 グロツスやフォトモンタージュ作家ハートフィールドな どと知り合った。彼らは制度としての従来の芸術、いわ ゆる「芸術のための芸術」を否定し、その外に表現の可 能性を求めていた。これは同様に旧来の演劇制度の外に(2)

出ようとしていたピスカートアに大きなヒントを与える ものだった。トラーと知り合った当時の彼はしかし、作 品の選択に関しては社民党寄りのフォルクスビューネの 方針に添わなければならず、また彼の世界観や目標と完 全に一致する戯曲は殆どなく、いわば二重の制約下にあ った。そ んな中、彼は自分が演出する作品の執筆をトラ ーにもちかけた。二人は26年夏、フォルクスビューネの 休暇に複数の協力者と南仏へ数週間の保養に出かけ、全 ての左翼インテリの力を結集する劇場の設立と雑誌の創 刊を巡る討論をし、また新作『穀物倉庫街』を共同で制 作することにし、それに着手した。だがこの作品は未完

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に終わった。

その後あらためてトラーはピスカートアとの共同作業 を前提に、先述の1925年の演説をもとに新作『ヴェデイ

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ングのバリケード』の制作に取りかかった。内容は彼自 身の拘留、裏切られたドイツ革命、またそこから生まれ たヴァイマル共和国に関するもので、 「ベルリンのスラ ム街を舞台に、カール・リープクネヒトとローザ・ルク

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センブルクの虐殺を盛り込んだ群衆劇」という構想だっ た。トラーはフォルクスビューネの面々との共同制作以 来、 「ありきたりのドラマ構成の手段によっては現代の 偉大な大衆運動の[中略]盛衰をあらわすことはできな いと考え、集団(作業による)劇の新しい形式を探し求

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めており」、この仕事に力を注いだ。草稿は27年春に仕 上がった。表題はのちにメーリング作曲の挿入歌の題を とって『どっこい、おれたちは生きている!』と改題さ れることになる。

このトラ一版にはまもなく手が加えられたため、元の 内容の詳細は明らかではないが、残された資料から知る

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限り、おおよそ次のようなものだった。主人公の学生の 革命家カール・トーマスは革命の失敗後、同志たちと共 に収監され死刑執行を待っている。そこへ突然の恩赦を 受けるが、事情を飲み込めない彼は精神錯乱をきたして 病院に運ばれる。彼はそこで8年を過ごし、大きく変化 した1927年の同時代に戻ってくる。彼が敵視していた政 治家や軍人は勢力を振るい、かつての同志たちは態度を 変えている。この世界が理解できない彼は再び病院に戻 り、医師と話し、二種類の危険な愚者、隔離病棟の狂人 と、暴政を行う政治家や軍人がいることを認識する。彼 はもう夢想するだけの人間ではなくなり、同志の現在の 態度を、また現代社会の人間に対する現実的な関わり方 を理解する。そしてこの理解ゆえに彼は国家にとって危 険な人物として病院に収容され、物語は幕となる。

ここでトラーが措こうとしたのは「完全なものをこん にち絶対に実現しようとする人間と、弱さや裏切り、臆 病からこの実現を放棄する、または来るべき日の為に力 を尽して誠実かつ勇敢にその実現の準備を進めている勢

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力ないし同時代人たちとの衝突」だった。つまり彼は基 調としては左翼思想的・プロレタリア的な作品を書いた が、単なるプロパガンダ以上のもの、全ての人間に共通 の問題までを意識していた。

またこの作品は一種トラーの自叙伝とも言える。主人 公カールの革命体験、精神病院での拘束、反逆罪の嫌疑 と死刑判決、拘留、釈放後の現実世界との対峠、大臣に なった同志に対する蔑視などはトラーの経験にほぼ通じ

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る。彼が大逆罪で5年間の拘留生活を送ったことは前に 述べたが、さらにその前の1918年、ミュンヒェンの軍需 工場のストライキに関わったかどで3ケ月拘留された 後、精神病院に4日間収容されたことがあり、彼を診察 したクレーペリン博士は劇中のリューデイン博士のモデ ルになった。またカールのかつての同志で大臣になった 人物のモデルは、社民党の指導者でバイエルン州の内務 大臣エアハルト・アウア‑である。革命的な考えの大臣

で労働者の代表だと自認しながらも、反革命的ブルジョ ワの組織化を呼びかけていた、とトラーは彼を非難して いた。

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1.2 共同作業による改訂

作品が上演される見込みになったのは1927年7月のこ とだった. 3月にピスカートアはフォルクスビューネを 離れ、自身の劇場ピスカートア・ビューネの旗揚げを9

月の予定で準備していたが、 7月になってもこけら落と しの委嘱作品『検察官のまわりで』 (ヘルツオーク作) は数場面しかできていなかった。そこでトラーの作品に 白羽の矢が立った。

だがピスカートアは最初の朗読会で作品の表現主義的 色彩に難色を示し、特に主人公カールの性格については 不満だった。彼は後年、次のように言う。

「1927年7月にオラーニエン通りの私の旧宅で行われ た最初の作品朗読のとき、 『主人公』の人物像は特に激 しい攻撃に遭った。その受動的で暖味な性格づけが非難 されたのである。トラーは不安に揺れ動く彼自身の感情 でこうした人物が悩むのを措いている。 [中略]作者と いう個人の主観を反映する芸術(Ich‑Kunst)の時代は 終わったのだ。」10)

トラーを始めとする当時の左翼作家たちが、個人の悩 みや葛藤を描くブルジョア個人主義的な内容の劇作から まだ脱却できていなかった一方で、ピスカートアはプロ レタリアの関心を反映する演劇の確立を目指していた。

彼の目標は「今日の憎しみ、飢餓、破壊の世界を克服し

(ll)

て[中略]新しい共同体をつくる」ための闘争手段とし

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て舞台を利用すること、演劇を「一大政治レヴュー」に することで、彼の姿勢は表現主義作家のそれの対極に位 置するものだった。トラーは個人としての主人公が1927 年のドイツとどう関わり、どのような悩みや葛藤を内に 抱えるかを示そうとしていたが、ピスカートアは帝政と 決別したはずのヴァイマル共和国の内実を示すことを主 眼としていた。

作品はしかし全体として肯定的に受けとめられた。「個 人の素質、個人を構成する諸要素ではなく、類型、ある 特定の社会的経済的見解の代表者が描かれているのが決

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定的に重要だった」とピスカートアは言う。階級意識に 目覚めた労働者のグループ、出世した社民党の幹部、成 金、自由主義的ブルジョア、古い貴族・旧体制グループ の人間などの人物が政治的・経済的観点からみた典型と して登場し、階級的に鋭いコントラストをなしているこ と、また社会的・政治的にヴァイマル共和国の全体像を 把握できることはピスカートアの政治演劇の綱領を満た すものだった。そして1918年から27年の政治的展開が措 かれていることは、彼の思い描いた「一大政治レヴュー」

の構想にほぼ即してもいた。

こうした理由で作品は上演されることになった。予定 された初日の9月1日は間近に迫っており、ピスカート

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アはヘルツオークに委嘱した作品が失敗した経験から、

トラーとは共同で改訂作業を行った。このいわゆる印刷 版は初演の直前に出版された。それ以前のトラーの表現 主義的作風の作品とは趣を大きく異にして、ここでは非 常に客観的・即物的に措かれた人物が多く登場し、また 当時ピスカートアがフォルクスビューネで試していた演 出技法、特に映像・映画の使用が前提とされていた。な おトラ一版は序幕と四幕から成り、主人公が精神病院に 収容されるところで終わるはずだったが、この結末に不 満だったピスカートアの意向で新たに五幕が書き足され

た。

2.印刷版

それでは以下、 『どっこい』印刷版の詳細を見よう(以 下カッコ内の数字はToller, Ernst: Hoppla, wir leben!

Stu仕:gart 1990の頁数を示す)。ここでピスカートアの政 治演劇の構想は内容的・技術的にどんな形をとったのだ ろうか。

2.1あらすじ

1919年、刑務所の雑居房で、革命直後に捕らえられ死 刑執行を待つ6人の囚人に突然恩赦が伝えられる。だが カールだけが事情を把握できずに発狂し、病院に運ばれ る。 8年後の1927年、退院した彼は社会復帰のため、か っての同志を訪ねて回る。内務大臣になったキルマン は、カールが是とする直接行動を否定する。婦人活動家 に成長したエーフアは逃避行をもちかけるカールを相手 にしない。クロルは大統領選の投票立会人で、選挙を社 会変革の手段として理解できないカールを説得する。メ ラー小母さんの勧めでその後グランドホテルの従業員に なったカールは、銀行家と政治資金の裏取引をしている キルマンに出合う。彼らを始め、ホテルに出入りする人 間たちの俗悪な振舞いにカールは失望し、歪んだ同時代 の状況を変える一歩としてキルマンの殺害を思い立つ。

だが彼より先に、従業員に扮したある学生がキルマンを 撃ち殺す。彼はかつて将校として尊敬されていたおじの 肩章を革命後に奪いに来たキルマンを恨んでおり、キル マンの政敵ランデ伯爵にそそのかされたのである。ホテ ル横の公園でカールは学生を同志と思い呼び止めるが、

キルマンがポルシェヴイキだから殺した、と闘いで障然 とする。学生は車で走り去り、カールが呆然としている と警官が現れ、キルマン暗殺の容疑者として彼を逮捕す る。取り調べ後、彼は精神鑑定のためにかつての精神病 院に送られ、医師リュ‑デインの判断でかつての刑務所 に戻される。同志たちも共犯として捕らえられ、この刑 務所にいる。そのころキルマンの墓碑の前では皮肉にも ランデが弔辞を読んでいる。再び刑務所に場面が戻る と、キルマン暗殺の真犯人逮捕とカールたちの釈放が告 げられるが、その直前にカールは未来を悲観して既に首

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を吊っている。

2.2 映画の挿入

さて、以上のような印刷版の内容はどのような構成に なっているのだろうか。まず注目したいのは戯曲本文の 前の「演出のための注」で、 「本編の場面は全て、数階 建ての、組み替えなく使用可能な足場の上で演じること ができる。映画の部分は、やむを得ない理由で映画の設 備が不可能な劇場では、省くか、または簡単な映像で置 き換えることができる」 (5)と書かれている。また三 幕二場(グランドホテルの場)には、この「足場」を図 式化し、各部分の使い方を指示した見取り図が付されて いる(図はペンスン、 106頁より 72c これは五階建 てで、一・二階で左・中央・右の三部に分かれ、左には 従業員控室と事務所(一階)、特別室(二階)、右には読 書室(一階)とクラブ室(集会室、二階)、中央部には 二階分が吹き抜けの入口ホールがある。三・四階は複数 の客室で、その中の一つ、 96号室が場として指定されて いる。最上階の五階は中央部のみで無線室があり、この 上にグランドホテルの看板がある。この足場は素早い場 面切り替えを目的としており、まさにピスカートアがこ の時までに発展させてきた演出技法、つまり同時並行舞 台Simultanbiihneおよび映画の使用を前提としたもの である。彼の演出ではしばしば複数の場が、または舞台 上の出来事と映画とが、同時に、あるいは前後して示さ れた。いわば演出の重点は常に舞台の展開のテンポにあ り、それはこの作品でも同じだった。念を押すように「演 出のための注」は末尾に「作品のテンポを崩さないため に、できれば休憩は一回だけ、二幕の後に入れることが 望ましい」 (5)と記している。

また仝五幕の内のこの二幕の終わりまで、つまり前半 部に主に映画が用いられ、劇のテンポを決定づけてい る。その構成を見よう。

映画による序幕Filmisches Vorspiel 序幕

映画による幕間Filmisches Zwischenspiel

一幕(‑場、映画による幕間「1927年の大都市」、二場) 二幕(映画による幕間のスライドFilmisches Zwischenbild 「職業婦人たち」、 ‑場、映画による 幕間のスライド「大都市の東部」、二場)

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映画とスライドは幕と幕の間、また幕の内部でも場面 と場面の間に挿入され、舞台上で演じられる出来事と完 全に交互に示される。演劇と現実との関わりを追求して いたピスカートアはこうして舞台上の時空間を上演時間 の外、また劇場の外の現実の時空間と関連させ、作品を 従来の戯曲作品とは決定的に異なるものにした。

劇の冒頭の「映画による序幕」では民衆蜂起の場面と その鎮圧の様子、またこれに続く序幕に登場する人物た ちが示され、序幕では登場人物が1919年、革命直後の刑 務所で何をしていたかが演じられる(これらは作品全体 を考えたとき、本編の1927年の世界との対比のために必 要である)。そして序幕の後の「映画による幕間」では、

カールが精神病院で過ごした1919年から27年までの8年 間に起きた世界各地の出来事が示される(ヴェルサイユ 協定、ニューヨーク株式市場の動揺、イタリアのファシ ズム、ヴイ‑ンの飢餓、ドイツのインフレ、レーニンの 死、インドのガンジー、中国の闘争、ヨーロッパ各地の 指導者たちの会議など)。またこの映画の途中にはカー

ルが精神病院の病室で施設の服を着てうろうろ歩く様子 が見える.一幕‑場の後の「映画による幕間」では「1927 年の大都市」と題して、市電や自動車、地下鉄、飛行機

が映る。二幕内部の「映画による幕間のスライド」では、

各場面が演じられる前にその社会的背景として、 「職業 婦人たち」や「大都市の東部」と題し、同時代世界のス ナップショットが提示される。このように、 8年の間に いかに多くのことが各地で起こり、いかに大きな変化が あったかが幕間の短時間で示される。このことからは、

この作品では個人としての主人公ではなく、むしろ時代 と社会が問題になっている、ということが認められる。

2.3 「時代のテンポ」

頻繁に使われる映画やスライドは舞台の進行に技術的 にテンポをつけ、作品のテーマとしてのテンポ、即ち当 時の流行語でいう「時代のテンポdas Tempo der Zeit」

を表している。これはまたその示す対象によっても表現 される。例えば一幕‑堤(精神病院の事務所)の後の「映 画による幕間」では「1927年の大都市」の光景として様々 な交通機関が映る。カールはつまり、精神病院で過ごし た8年間に大きく変わった移動手段、そして変容した生 活のリズムに直面した。

また同時代のドイツ人の生活のリズムを象徴するよう な流行がこの作品では随所に措かれている。ヴァイマル 憲法で普通選挙法が承認され、ドイツ史上初めて婦人参 政権が保障された上での選挙が23年10月の大統領選で行 われ、以来女性解放運動が進み、多くの女性が社会に進 出した。これが二幕‑場の前の「映画による幕間のスラ イド」で映される、女性タイピスト、女性車掌、女性機 関士、婦人警官などの「職業婦人たち」である。活動的 になった女性はスカートを短く、そして二幕‑場のエー フアのように髪も短くして「ブービーコップフBubi‑

kopf」と呼ばれる髪型にし、これが流行となった。また 同じ場でエーフアの家主の子供、 15歳のフリッツと13歳

のグレーテはこれから映画に行くとカールに言う。映画 は大戦期からヴァイマル共和国期にかけて急成長し、

1900年にはゼロだったドイツの映画館は18年に2299、 32

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年には5054を数えた。二人はその同じ晩、ボクシング観 戦にも行くといい、ボクシングをやろうか、とカールに 聞き、できないと彼が答えると、では踊れるだろう、と 言って、チャールストンやブラック・ボトムがわかる か、と聞くが、これもカールにはわからない。また≡幕 二場、グランドホテルの無線室で通信士がチャンネルを 変えると、ミラノの六日間自転車耐久レースの様子が伝 えられる。映画と並んでこうしたスポーツの観戦・中継 やダンスなども20年代には流行し、生活のリズムの変容 を促し、 「時代のテンポ」を形成する要因となった。だ がカールはこれらの全ての流行から8年の精神病院生活 で隔離されてしまっていた。

なおこのスポーツ中継や選挙の開票速報などでラジオ が多く登場するのもこの作品の特徴である。ドイツのラ ジオ放送はさきの23年10月の大統領選の開票速報で始ま

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り、以来ラジオは新しいマスメディアとして当時の社会 の形成に大きな役割を果たしていた。二幕二場(投票所) が当確を告げるラジオのアナウンスで終わり、ラジオの 存在感が強調されるのは象徴的である。また三幕二場、

グランドホテルの無線室に世界各地の出来事が同時中継 されてカールが驚惜する様子は、あらためて個人として の主人公ではなく、伝えられる出来事の数々、つまり1927 年という時代がむしろテーマであることを示している。

2.4 登場人物たちの新即物主義的世界観

「時代のテンポ」の形成はまた、進歩・発展した数々 の科学技術によるところが大きく、革命家たちよりも技 術者などの実際的な人々が尊重された世相がここにうか がえる。ヴァイマル共和国発足後の数年問、革命家たち は多くを語ったが実質的な功績は少なかった。共和国が 表向き秩序だって平穏になると、その後は政治的な問題 よりも技術的経済的な問題に関心が集まっていた。芸術 の潮流としては1923年から24年にかけて新即物主義が表 現主義にとって替わり、 27年にはその頂点を迎え、革命 的感情は時代にそぐわないとして拒絶された。感情より

も合理性や効率性を重視するこの世界観は、二幕‑場の 後の「映画による幕間」で示される「大都市の東部」の 工場群や煙突、終業後に工場を去る労働者、街頭の人込 みに象徴されている。このいわゆる新即物主義の世界 で、頭の中がまだ革命直後の非常事態のままのカールは 居場所を見出せないでいる。一方でかつての同志キルマ ンは出世して大臣にまでなっており、体制の内部からで も労働者の生活を改善できると考えている。彼は国家の 安寧と秩序、産業界と雇用のことを何よりも気にかけ、

経営者然として国営化学工場を動かし、株式市場や銀行 との接触を深め、いわば国家という「複雑な機械」 (35) の「メカニズム」 (35 を熟知してこれを操作している。

カールの他の同志たちも今は状況を客観的にとらえ、即 物的に自分の目標を目指している。クロルとメラ‑は革

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命の挫折から立ち上がって党のために献身的な活動を し、財務省で働くエーフアは婦人活動家として、八時間 労働の実現と女性労働者の権利擁護のために率先して闘

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っている。彼女が一幕二場でキルマンにとがめられるの は化学工場の女性労働者を扇動して残業を拒否させたこ とである。このように各登場人物は、出世した社民党の 幹部、階級意識に目覚めた労働者のグループ、婦人活動 家といった社会的集団の代表者および類型として措かれ ている。これは当時の社会の大衆化を反映した人物造形 で、個人の心理に重点をおいた従来の劇作のそれとは大 きく異なり、ここにこの作品の新しさの一つがある。

また同様に即物的な振舞いは他の役にも認められる。

二人の子供、フリッツとグレーテは個人の苦悩よりも、

集団で体験する現代の大都市の大衆文化、即ち映画やボ クシング、ダンスに関心を持っている。彼らは戦争につ いて年号と統計でしか学んでおらず、カールが自分の戦 争体験・革命体験を語ると、少数で民衆を説得できると 考えていたカールたちは馬鹿だった、と言い捨てて去 る。数字や統計が全てという考え方は、二幕二場、投票 所の第二の投票用紙管理人にも見て取れる。彼は政治よ

りも統計を、誰が当選するかよりも、自分の投票所が最 高の投票率になることを気にしている。

なお以上のような新即物主義の世界観は、複雑な社会 で当座の状況を克服するのに精一杯だった同時代人の特 徴でもあった。三幕二場のグランドホテルの従業員は、

12年で7億マルク貯めたがマッチ箱一つ買えない、と自 分の境遇を嘆く。ドイツの経済と産業の基盤は1923年の 天文学的なインフレで潰れ、 11月中旬、 1ドルの為替レ ートが4兆2000億マルクになった時点でド‑ズ案と通貨 改革によりレンテンマルク(1兆マルク‑1レンテンマ ルク)が導入されてインフレは終息したが、この過程で 何百万という労働者・会社員・年金生活者がこの従業員 のように貯金を失っていた。

2.5 同時代の政治的・社会的見取り図

ところでこの通貨改革後、経済状況は安定したが、左 右の反抗勢力は反民主主義的な扇動を続け、その中でも 保守・右派勢力の伸長は顕著だった。大統領ヒンデンブ ルクはタンネンベルクの戦没者記念碑の除幕式のスピー チで戦争責任がドイツのみに帰されるかどうかを問い、

その後反ヴェルサイユ条約のアジテーションが広まって 右派勢力が勢いづいていた。序幕の後の「映画による幕 間」の冒頭で示される1919年のヴェルサイユ条約は27年 に再び関心の的になっていた。不平等な条約に調印し、

要求された条件を満たそうとしていた中道左派政党への 風当たりは強まり、代わって保守・右派勢力が発言力を 増していた。この勢力を代表するのがヴァンツリング国 防大臣やランデ伯爵、フリードリヒ男爵である。

左右両勢力は劇中、二幕二場の大統領選でしのぎを削 る。これは初代大統領エーベルトの死去に伴って行われ た1925年の帝国大統領選に重なる。投票の場面後にラジ オの開票速報で挙げられる候補者はそれぞれ、ヴァンツ

リングがヒンデンブルク(保守・右派政党推薦)に、キ ルマンが中央党のマルクス(中央党・社民党・民主党推 磨)に、左官バントケが共産党のテールマン(共産党推 薦)に対応する。実際の選挙ではヒンデンブルク(1465 万5766票)がマルクス(1375万1615票)とテールマン193 万1151票)を抑えて当選、そしてもし共産党がテールマ ンを擁立せず、労働者票が社共両党に割れていなければ マルクスが当選していたかもしれなかった(この労働者 の分裂をトラーは常に嘆いていた)。

クロルはカールに、休んで力を蓄えながら社会改革を 粘り強く進めることが必要だと説き、選挙を「行動への 踏み切り台」 (64)と表現するが、 8年間を精神病院で 過ごしていたカールには新しくつくられた選挙という制 度が変革につながるとは考えられない。また選挙に戸惑 っていたのは彼のように長期間隔離されていた者だけで はなかった。婦人参政権の確立と女性解放運動によって 女性たちの社会に対する意識と社会的地位は大きく変わ

り、エーフアは二幕‑場で「この8年間に私たちは一世 紀かけてもできないような変化を遂げたわ」 45 と言 うが、一方では二幕二場の投票所の老女のように選挙制 度になじまない人々がいた。彼女は三人の投票用紙配付 係から用紙を渡され、それぞれ特定の候補者に投票する ように説得された後、配付係全員の期待に応えようと、

全ての候補者に印をつけて投票してしまう。このように 同時代の政治のシステムを把撞しきれていない有権者が 少なくない状況で、大統領に選ばれるヴァンツリングは

「民主主義や国民の自由といったリベラルなユートピ ア」 25 に敵対し、 「むしろ真の独裁を望む」 (25)皮 動として措かれる。ヴァイマル共和国成立後、わずか7 年で帝政派の軍人が公然と大統領の座についた事実に対

しての痛烈な批判である。また選挙後の三幕二場、フリ ードリヒ男爵が政府公認のスポークスマンとしてジャー ナリストたちを励ます場面では、政府によるジャーナリ

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ズム統制も暗示される。

こうした保守・右派勢力の伸長に加えて当時は青年層 の左派離れも社会の特徴となっていた。 1930年の社民党 の報告では25歳以下の党員数は全体の8 %以下、 40歳以

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下としても過半数に満たなかった。共和国樹立に尽力し た社民党員は既に中年の域に達し、また共産党も青年層 を取り込むことができずにいた。青年層のこうした左派 離れの傾向は、劇中、キルマンからの離反とナチスへの 鞍替えを銀行家の父に勧める息子 26 やキルマンを暗 殺する国粋主義の学生などに見て取れる。ちなみにこの 学生は1922年に民主党のラーテナウ外相の殺害に関与し た、当時20歳のエルンスト・フォン・ザ一口モンに通

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じる。青年層が左派に背を向けていく一方で保守・右派 勢力が伸長する、というヴァイマル共和国の将来がここ に危悦をこめて暗示されている。

こうしてみると、この作品では挫折した革命家カール を軸に、 19年と27年という二つの時代が比べられ、一方 では彼とクロルら労働者グループ、他方では彼とキルマ ンらとの関係が措かれることで、登場人物間の重層的な

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葛藤の構造が、また革命・反動両勢力の力関係が示され ている。舞台効果として同時代の政治・社会の形成に大 きな役割を果たしたラジオが用いられており、加えて精 神病院や投票所、グランドホテルなどを舞台にヴァイマ ル共和国の腐敗した機構や社会の不正が風刺的に浮き彫 りにされ、そこで映画が大きな役割を果たしている。そ の好例は四幕四場(精神病院の診察室)だろう。カール がまず銀行家の荒い金遣いについて話すと、後ろにホテ ルの特別室が投影され、銀行家が電話で株式市場に問合 せる様子が見える。彼は正常normalだ、とリュ‑デイ

ンが言うと、銀行家はホテルの部屋で病的な笑みを浮か べ、正常という言葉を繰り返し、部屋が暗くなる。カー ルが次にホテルの従業員の不遇について話すと、後ろに ホテルの従業員控室が投影され、従業員がパリの競馬に 熱中して大損する様子が見える。彼は正常だ、とリュ‑

デインが言うと、従業員はホテルの部屋でにやつきなが らナイフで自らを刺して、正常という言葉を繰り返し、

部屋が暗くなる。カールが最後に、人間の生活を便利に する発明が一部の者の都合で無駄になっている、と話す と、後ろにホテルの無線室が投影され、通信士が自分の 発明を世界中のラジオ中継所に宣伝するが、何も反応が ない様子が見える(この通信士は石炭から石油をつくる 方法を発明して特許を売ったが、石油王たちにひねりつ ぶされたのだった)。それは正常だ、とリュ‑デインが 言うと、通信士はホテルの部屋で頭を混乱させ、正常と 口にして、部屋が暗くなる。彼らホテルの人々はその後、

しゃがんで階層舞台の上の階から揃って下の診察室を覗 き込み、にやついてうなずき、コーラスで正常という言 葉を繰り返す。通信士が配線をショートさせてホテルで 爆発が起き、暗転の後、カールは遂に自分が正常なのか どうかを疑い始める。背景で映画が示され、コーラス即 ち集団の声で、異常なはずのことが正常と断じられる。

つまり異常なことをする者が大勢になっている社会に対 しての露骨な批判である。

このように、この作品はまさに1927年のドイツの政治 的・社会的見取り図を示した「政治演劇」と言える。共 和国に対する鋭い洞察と批判が反映された、同時代の生

きた証言ともいうべきものである。

2.6 作品の構成原理としてのモンタージュ

またこの作品では当時の新しい芸術分野である映画の モンタージュ技術の応用が随所で見られる。モンタージ ュとはそもそも「組み立てる」ないし「組み合わせる」

という意味で、映画のモンタージュ技術とは、時空間の 異なる様々な場面を撮影した複数のフイルムを組み合わ せるものだが、 『どっこい』ではこの技術が至る所で応 用され、舞台上の俳優の演技の場面は映画やスライド、

またときには音響効果(ラジオなど)と組み合わされて おり、作品はいわばこのモンタージュというキーワード で総括される。

劇の前半には映画やスライドが「映画による幕間」あ るいは「映画による幕間のスライド」という形で、幕と

幕、または場面と場面の間に挿入され、これらが舞台上 の俳優の演技の場面と交互に配置され、組み合わされて いる。つまり俳優が実際に舞台上で演技する各場面は、

ある独立した単位として、いわば映画のフイルムの断片 のように扱われ、映画の制作で行われるのと同様にし て、記録映画やスナップショットとつなぎ合わされ、編 集されている。観客の見ている舞台上の時空間は、上演 される時間の外、劇場という場所の外の、現実の時空間 とつなぎ合わされる。現実世界の時空間での出来事(第 一次大戦の様子など)を示すという、従来の演劇では不 可能だったことがここでは可能になり、このことによっ て、時間的空間的制約にとらわれない劇の展開が実現さ れた。ピスカートアは演劇による共産主義革命のプロパ ガンダを意図し、そのために舞台上の時空間を現実の時 空間と関連させることを重視していた。それゆえに、舞 台上の俳優の演技の場面とこのような記録映画やスナッ プショットとのモンタージュは絶対に必要なものだった (なおこのモンタージュは古典的な演劇の、時・場所・

筋の一致を旨とする三一致の法則を完全に破壊するもの だったが、そもそもピスカートアの政治演劇はこの法則 の遵守を全く前提としてなかった)。またこの映画やス ライドの挿入によって演出の流れとしてのテンポが形成 され、これによって、同時代人がさまざまな出来事に次々 と直面しては機敏に対応することを迫られている様子 が、つまり「時代のテンポ」が表現された。そして舞台 上の俳優の演技に加え、映画やスライドで大都市の交通 機関や工場など、合理性や効率性によって特徴づけられ る同時代の様々な光景が示されることで、合理性・効率 性を重視する登場人物たちの即物的な生活態度、即ち新 即物主義の世界観がより明解に把握できるようになっ た。

いっぼう劇の後半では、舞台上の俳優の演技と映画・

スライド・音響効果とは交互にではなく、主に階層舞台 即ち同時並行舞台を活用した上で、同時並行で示され る。だがこれもまた映画のモンタージュ技術の応用であ り、映画と同様に素早く、時空間の異なる複数の場面が 転換される。それまでの演劇では不可能だった場面転換 であり、そしてこれも劇の前半と同じく、演出の流れと してのテンポを作り出し、 「時代のテンポ」を表した。

加えてまた重要なのは、この階層舞台が例えばグランド ホテルの場に使われて、キルマンほかの支配階級と労働 者たちなど、実際の生活ならば決して直接向き合うこと のなかった、また従来の演劇ならば決して同時に示され ることのなかった、階級の異なる人物たちが舞台上で同 じ瞬間に見えたということである。これによって、ピス カートアが望んでいた同時代の政治的・社会的見取り図 の提示はより明確な形でなされるようになった。なお前 半部と異なり、この後半部で幕と幕、場面と場面の間に 映画が挿入されなくなるのは、おそらく作品を演劇とし て成立させるため、そして俳優の演技の印象が薄れない ようにするためでもある(全体の上演時間の内の半分以 上が映画だとすれば演劇とは言い難くなるだろう)。

(7)

このように、この作品はモンタージュ技術の使用で貫 かれている。映画のモンタージュ技術を応用し、舞台・

映画・スライド・音響効果を組み合わせ、独特のリズム を生み出して同時代の「時代のテンポ」を表現し、また 記録映画やスナップショットによって時代と社会を傭轍 させ、当時の世界観の背景や同時代の政治的・社会的見 取り図を示しもする、従来の戯曲には全くない特徴をも

つ作品がここに生まれた。

3.上演用台本

こうして印刷版は仕上がったが、それでもまだピスカ ートアはその内容に満足していなかった。これは彼にと ってなお表現主義的色彩が強く、共産主義革命を呼びか けるプロパガンダの手段としての政治的主張も乏しく感 じられた。そこで彼は登場人物の特性を変更し、それに 従ってテキストを削除・変更・付加し、またより多くの 映画を取り入れ、そして結末まで書き換えた。以下、こ のいわゆる上演用台本への変更の詳細とその理由を見よ う。

3.1登場人物の特性の変更と配役‑典型化とグループ

(21)

ピスカートアとトラーの意見は主人公カールの性格に 関して大幅に食い違ったままだった。カールは理想と正 義のために革命を行おうと考える、観念的で不安定な学 生で、彼を駆り立てたものは飢餓でも抑圧でもなく、心 の内奥から湧き出る衝動である。彼はクロルから「ブル ジョアの小僧」 (14)と呼ばれてもいる。この特徴はピ スカートアが自分の構想を貫く形で変更され、カールは 労働者で、革命的・無政府主義的な理想は持つが党派性 はない、とされた。この変更は更に配役で強調された。

ラインハルトやイェスナ‑などの著名な演出家と共に仕 事をし、映画でも活躍していた名優グラナッハがこのカ ール役を演じ、体格が良く太い口ひげを生やしたその姿 は「ブルジョアの小僧」のイメージからはほど遠いもの になった。 「主役の配役のときに私はわざと、この役を アレクサンダー・グラナッハによってプロレタリアの典 型に変える『誤り』を犯した。これによって私は、トラ ーのどの作品にも繰り返し現われるトラー的な『主人

22)

公』を造型せずに済んだ」とピスカートアは言う。また カールを含め、役は全て社会的階層の典型を体現するよ うな俳優が演じ、各登場人物がどのような社会的属性を もつかが際立たせられた。役の設定の変更、また配役と いう別の観点からも推し進められた登場人物の典型化・

グループ化は、個人の内面の表現を主とする表現主義演 劇の俳優の演技とは違い、典型としての人間を演じると いう俳優の新しい課題を改めて明白に示すものだった。

3.2 テキストの削除・変更・付加

カールの特徴の変更は必然的にテキストの削除を伴っ た。例えば、かつての革命家たちの現在の行動や、社会 主義的態度を完全に欠いた現在の労働者に対するカール

の疑念がゆらぐ箇所、即ちカールが彼らに対してある程

23)

度の理解を見せる箇所である。左派の弱体化への批判を やめる態度をピスカートアは全く望んでいなかった。ま た政治的にみて誤解を招く可能性のある箇所、例えば労 働運動から革命に参加するという理想を汚すような、革 命に参加した者たちの様々な動機をカールが列挙する箇

(24)

所12 などが削除された。

そして記録映画やスナップショットを多く活用した演 出に様式上そぐわない箇所が削られた。これは例えば「そ

(25)

の日には大空と太陽と星が輝きながら廻っている。」 44 というカールの表現主義的な言い回しや、四幕‑場(グ ランドホテルそばの公園)で右翼の学生が去った後にカ ールが語る独白の「お前はブナか? それともゴムの壁 か? (触れる)木の皮みたいだ。荒れていてささくれて いて、それに土の匂いがする。でも本当にお前はブナ か?/ (ベンチに座る) /私の弱い頭。砲火。観衆よ、

立ち上がれ。鐘が鳴る。行かなくては。」 89 という叙

24)

情的な詩の箇所である。これらの箇所の削除により、テ キストは全体的に情感と殆ど無縁な即物的なもの、批評 家バープの表現を借りれば「紙のように」乾いたものに なり、 「叙情的で温かみのある言葉はごくまれ」にしか

(27)

見受けられなくなった。

加えて舞台の進行をひきしめるため、三幕以下に次の

(28

ような変更があった。場面数の多い三幕二場(グランド ホテル)ではいくつかの短い場面が完全に削除され(「ホ ール」 (男女のダンス)、 「従業員控室」 (カールとメラー の最初のやりとり)、 「クラブ室(集会室)」 (哲学者・詩 人他の議論)、 「読書室」 (フリードリヒ男爵の記者会 見)、 「通路」 (カールとピッケルの短いやりとり)の各 場面)、これによって「特別室」の二場面が連続するな どし、筋はより簡潔になった。また一部の箇所では二場 面が同時並行で展開するようになり(カールがキルマン の部屋に登場する前など)、このため印刷版にないテキ ストが加わった。四幕二場(警察署)の「警視監P0‑

lizeioberst」は国家主義的集団に属する「警視長Polizei‑

major」になり、キルマン暗殺が極右の仕業ではないか と警視監が疑う印刷版の箇所は削られ、代わって警視長 とランデ伯爵との電話の会話が新たに挿入された(これ も複数の場が同時に使われる場面で、ランデの姿は舞台 左上の電話ボックスに見える)。ランデは警視長にカー ルを委ね、警視長は彼をリュ‑デイン博士のもとに送 る。つまり三場(予審判事の部屋)はなく、直接四場(棉 神病院)が続いた。またこの結びではリュ‑デインがカ ールに向かって「正常、正常!」と口にしながら飛びか かる、という印刷版とは違う展開になり、 「正常」な世 界の異常さが更に強調された。五幕は二場が削られて刑 務所の場面だけとなり、カールの自殺直前の長い独白は 書き換えられ、また先述のような表現主義的言い回しの 殆どが削られて、約3分の1に短縮された。

以上のようなテキストの削除・変更・付加の結果、作 品の政治的主張はより鮮明になり、また個人的な感情を 示す表現は印刷版以上に切り詰められ、代わりに「時代

(8)

のテンポ」に対応した迅速な舞台の展開が強調された。

(29

3.3 映画の付加

「時代のテンポ」をよりはっきりと示すためには印刷 版の指示以上の映画(特に記録映画)も挿入された。シ ナリオは政治・経済・芸術・社会・スポーツなどのテー マを網羅し、準備されたフイルムは3000メートルを上回 った。使われたのはごく一部だったが、それでも印刷版 の内容を遥かにこえ、全体の内容は更に非表現主義的・

即物的なものになった。以下その内容を見よう。

冒頭の「映画による序幕」では勲章だらけの服を着た 将軍の胸部がまず映され、追って歩兵部隊の突撃、突進 する戦車、蜂裂する砲弾、銃撃戟、負傷者、広大な戦没 者たちの墓地、疲労し切って退却する師団、武装解除、

武器の廃棄など、大戦の記録映像が流れる。これらは主 にニュース映画をもとにしており、 400余りの記録資料 から成っていた。この後は再び将軍の胸部が映り、大き

な手が現われて勲章をもぎ取る。またこれらの映像の合 間には、行進する兵隊の中にいるカール役の俳優グラナ ツハの顔のアップの映像が挟まる。

序幕では、刑務所を行き来する看守の大きな影が客席 側から投影されて正面の半透明のスクリーンに現れ、ま

た足場の背面を閉じている映写平面には一瞬、看守ラン トの大きな顔の映像が舞台後ろから映写される。序幕の 後の「映画による幕間」では前述の、 1919年から27年ま での8年間に起きた世界各地の出来事が展開する。

一幕‑場、カールの退院の場面には「カード保存室」、

「クローク」、精神病院の正面の映像が添えられ、この後 の「映画による幕間」では、彼が住まいを探して浮浪者 収容施設で寝泊まりし、仕事を求めて工場を渡り歩く様 子、そしてポツダム広場からの大都市の映像が盛り込ま

れた。二場のキルマンの応接室の場面では、皇帝のよう な彼の尊大な接見の態度が示されると同時に、舞台後方 の壁へ大きな皇帝の肖像が投影されるようになった。帝 政は廃止されたが権力者たちの尊大な態度には何の変わ

りもない、ということが示され、また批判された。

二幕、 ‑場(エーフアの部屋)の前の「映画による幕 間のスライド」の「職業婦人たち」は上映されず、代わ りに、左に工場、中央に小路、右に屋根つきの二つの小 部屋、という映像の投影があった。また二場(投票所)

の前の「映画による幕間のスライド」は単に場の間に挟 まる映像ではなく、場の終わりまで続く、次のような「選 挙についての映画」になった。投票用紙が上から果てし なく投票箱の中へ舞い降り、場の結びにヴァンツリング 国防大臣が当選者として告げられると、投票用紙の山の 中からまず彼の後ろ姿が、そして全身が現われる。彼が 前を向いて紙の山から出てくると(ここまでの流れは、

亡霊または怪物のように繰り返し現れるヒンデンブルク とおぼしき人物に対する邦稔ととれよう)、サイレンが 大きく鳴り、舞台上方のいわゆるすのこから白いスクリ

ーンが下りて、ヴァンツリングについての映画(詳細は 不明)が上映される。このあと舞台は暗転し、前半が終

了、休憩に入る。

上のような大々的な映画の挿入の結果、テキストは印 刷版以上に、個人としての主人公の運命を柱とする従来 の劇作品から離れ、より明らかに、一個人の運命ではな く、集団の運命を表現するものになった。 「映画は運命

(30)

の『空間』を広げた。世界は全ての人々のものになる」

と批評家デイ‑ボルトは言う。

(31

3.4 結末部をめぐる紛糾

以上に挙げた箇所に加えて結末部も変更された。そし てこれが最も難航した。ピスカートアとトラーは印刷版 が仕上がった時点で最後の五幕の内容に関してなお合意 を見ておらず、両者ともその結末に満足していなかっ た。トラーはトラ一版の結末を上演するよう要求して譲 らなかったが、ピスカートアは受け入れず、印刷版の結 末に更に手を加えた。この変更について彼は後年、次の

ように言っている。

「1927年、この作品がベルリンのピスカートア・ビ ューネのために書かれたとき、私たちはこの結末に反 対した。これは私たちには敗北主義的に見えた。トラ ーが彼の作品で示した状況にも、私たち07見解からす れば、肯定的な出口があることを示すことが望まれて いた。絶望の告白‑即ち主人公の自殺‑は私たち には世界観的な理由から支持できなかった。 [中略]

ヴァイマル共和国が内政上の対抗勢力同士によって、

また権力闘争によって引き裂かれていた時代、政治演 劇の任務は、観客に油断なく闘うよう呼びかけるこ と、決して諦めの中に観客を置き去りにしないという

(32)

ことだと私たちは考えた。」

主人公が自殺して幕、という結末では悲観的に過ぎ、

一方でトラ一版の結末も精神病院への収容という、ピス カートアには肯定的に評価できないものだった。また彼 がトラ一版の結末を拒んだのは内容上の問題の他に、彼 自身の演出様式を効果的に使い得る幕切れは刑務所の場 面以外にないと考えたためとも思われる。こうして上演 台本の結末は次のようなものになった。芝居は結局カー ルの自殺で終わるが、最後の台詞だった「カールの返事 がない」というエーフアの台詞の後、いくつか台詞が追 加され、政治的メッセージがより強調された。

ラント (叫ぶ)首を吊った! ! ! メラー ほんとかい?

クロル こいつはよくねえ、革命家はこんな死に方は しねえもんだ。

エーフア 世の中が彼をめちゃくちゃにしたのよ。

メラー なんて世界なんだ! ‑こんなの、変えな

(33)

きゃいけないよ。

また実際の上演では黄後のメラーの台詞が更に変更さ

(34)

れ、 「首をくくるか世界を変えるか、二つに一つだ」と

(9)

いう、より明確に変革を訴えるものになった。これは先 述の、作品の政治的主張を鮮明するためのテキストの削 除・変更・付加の作業の一つだが、観客に最も強い印象 を残す幕切れにしようと、最後の最後まで推敵が加えら れたのだった。

むすび

『どっこい』のテキストはこうして上演の直前まで変 更され続けた。 「私たちの場合、上演の日まで『完成し

(35

た作品』というものはない」、と当時のピスカートアは 言い、求める内容に既成の作品がそぐわなければ、彼自 身が作家のテキストに手を加えることが常となってい た。 「私が作品に手を加えるのは[中略]作品を社会的、

(36

経済的、政治的側面から深める必然性があるからだ」と 彼はその意図を説明している。演出の重点は社会的、経 済的、政治的側面にあり、 『どっこい』では主人公とい う個人の同時代との関わり方が措かれることだけではな く、同時代人の生きる状況そのもの、共産主義から民族 主義にわたる現代ドイツの政治的構造が立体的・多面的

37

に措かれることが望まれていた。この要望が戯曲に盛り 込まれて、舞台上の俳優の演技に加え、現実の世界の断 片として、記録映画やスナップショットを中心に大量の 映画やスライドが、またラジオ放送を模した音響効果が 用いられ、これら全てが映画のモンタージュ技術を駆使 して組み合わせられた。また個人の内面よりも集団の特

38)

徴が重視され、登場人物は典型化された。さらに作家と いう個人も絶対的なものとは見なされず、テキストは最 終的にトラーという個人の手ではなく、トラーとピスカ ートアという複数の人間の手によって、即ち集団作業と いうかつてない方法で制作された。 「作家は私たちの劇

(39)

場では共同作業者の一人にすぎない」とピスカートアは 断言している。つまりこの作品は内容面と手法面、二重

の意味で個人よりも集団の役割が大きく前面に出た演劇 史上重要な作品である。個人よりも集団が大きな意味を もつようになった時代、つまり都市化が進んで大量生 産・大量消費の経済が発展し、また第一次大戦でそれま で考えられなかった規模での大量殺我が行われたあとの 時代のドイツにおける典型的な作品とも言える。更に言 えば、この作品は、原作者だけでなく制作に関わるすべ ての人間が創造の作業を分担する、という見解のもとに 生まれた点において、また原作の戯曲が制作の出発点な いし素材としての意味にとどまる点において、こんにち 制作される演劇のテキストにも通じる。事実、上に見た ような集団作業によるテキストの制作方法は、ピスカー トアとちょうどこの20年代に共同作業をしたブレヒトな どによって戟後へと受け継がれ、現在ではカナダの演出 家ルパージュのもとでみられるような、出発点としての 戯曲もなしにテキストを集団作業によって生成していく 演劇、いわゆる「劇作家のいない演劇Theater ohne

(40

Dramatiker」 (パーム)へと発展している。このように

『どっこい』は現代の演劇ともつながりを持ち、参照す るに足る作品なのである。

注1 ) Vgl. Hermand, S.138, 147‑148; Piscator (1986), S.115;

Schiirer, S.130;市川、 27‑29頁、藤臥 8頁、ペン スン、 22頁。

2 ) Vgl. Burger, Peter: Theorie der Avantgarde. Frank‑

flirt a. M. (Suhrkamp) 1974

(3)ヴェデイングWeddingはベルリン北部の区の名。

4) Vgl. R血Ie (1972), S.781 ;市川、 27頁。

5) Toller: DieVolksbiihne, 1.3.1927 市川、 27頁より) 6) Vgl. Toller, Ernst: Gesammelte Werke. 5Bde.,

Munchen 1978, Bd.l, S.147, zit v. Schiirer, S.147 ;ペ ンスン、 102頁; Hermand, S.137‑138.

7 ) Toller, Ernst: Quer durch. S.291, zitv. Riihle (1972), S.782.

( 8 ) Vgl. Piscator (1986), S.138‑139; Rdhie (1972), S.782.

(9) vgl. Hermand, S.138; Knellessen, S.116; Piscator (1986), S.144; Rorrison, p.30 ;市川、 33頁。

(10) Piscator (1986), S.138‑139.

(ll) Piscator (1968), S.23.

(12) Piscator (1986), S.138.

(13) Piscator (1986), S.144.

(14)ピスカートアとトラーは当初、カールが自発的に刑 務所へ戻る案で合意したが、これは首を吊る場面を 制作する過程で不採用になった。 (Hermand, S.138)

(15) Kurze Geschichte der deutschen Literatur, Berlin

1981, S.564 (市川、 33頁より)

(16)市川、 31頁。ちなみに市川によるとアメリカは1920 年11月の放送開始。

(17)なおエーフアに関しては即物的な生活態度が影響し て、愛についての考えも淡白である。彼女の髪型は

日常生活に即してのことだけではなく、男女の恋愛 関係において女性はもう従属的ではない、という意 識の表れとも言える。新聞『12 Uhr‑Bla仕』の批評家 シュタインタールはエープアをまさに「『新即物主 義』の女」と呼んでいる(Vgl. Steinthal)。

(18) Vgl. Schiirer, S.140.

(19)ゲイ、 171‑172頁。

(20) Schurer, S.133.

(21) Vgl. Schurer, S.144; Riihle (1972), S.785.

(22) Piscator (1986), S.140.

(23) Schiirer, S.144‑145.

(24) Knellessen, S.117.

(25) Riihle (1972), S.785; Knellessen, S.116, Anm.380.

(26) Knellessen, S.116‑117, Anm.382.

(27) Bab, S.483.但しバープはこの言葉遣いを否定的にみ ている。ここで使われている言葉は「劇をつくる詩 人」のものではなく、 「政治家として夢を見、詩人と して政治を論ずる、素人の愛好家」 S.483 の言葉、

つまり詩人とも政治家ともいえない、どっちつかず の人間の言葉だと判断している。

(28) Vgl. Riihle (1972) , S.785‑786; Schiirer, S.145.

(29) Vgl. Ruhle (1972), S.786 ;武次、 61‑62頁、山口、 66 頁。

(30) Diebold, Bernhard: Das Piscator‑Drama. Kritischer Versuch. In: Franklhrter Zeitung, 20.ll.1927.

(31) Vgl. Hermand, S.138‑139 ;市川、 39‑40頁、ペンス ン、 100‑101頁。

(32) Piscator (1968), S.341‑342.

(10)

(33) Riihle (1972), S.784.

(34) Piscator (1986), S.146.

(35) Piscator (1968), S.29.

(36) Piscator (1968), S.50.

(37) Vgl. Ihering, Herbert: Hoppla, wir leben! (1927) In:

Riihle (1988), S.797‑799, hier S.797ノ798.

(38)また結果として作品は、単純にその内容に賛成か反 対かの態度を観衆にとらせることを不可能にするも

のになった。表現主義の戯曲が観衆の感情に訴え、

内容を信じ込ませ納得させようとするのに対し、こ こでは全体として革命の基本姿勢が示されるのみ で、観衆への働きかけは希薄である。カールは見解 の伝達者というよりはむしろ被験者で、彼でなく観 衆が学ぶようになっている。この点でカールは、こ の時期にピスカートアの仕事仲間だったブレヒトが 後に措くことになる、肝っ玉おっ母に通じるとも言

える。 (Vgl. Hermand, S.134)

(39) Piscator (1968), S.29.トラーはピスカートアのこの考 え方を承知の上で『どっこい』の制作に参加したの だが、それでも納得の行かないことが多々あった。

ピスカートアは断りなく場面の付加・変更をし、ト ラーはいつもそれを稽古場で初めて知って立腹して いた(ペンスン、 100‑101頁参照)。また映画の大々 的な挿入も全面的にトラーの関心に添うものではな かった(Vgl. Riihle (1972), S.786)。結末の処理に限 らず、こうした演出全体に不服だったためだろう、

初演からすぐの同年10月、トラーはライブツイヒで トラ一版の『どっこい』を上演させた。主人公のカ ールは結末で自殺せず、役柄もピスカートア演出の 際のようにプロレタリアではなく、 「知識人」とされ た(Vgl. Hermand, S.139) 。

(40) Vgl. Balme (1999), S.141‑142.

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w」

レナ‑テ・ペンスン(小笠原豊樹訳) :ドイツ表現主義演劇 トラーとカイザー(草思社1986

藤田賢:ピスカートルの政治演劇と民衆舞台における《実 験≫ [東京教育大学独文研究室『影』第5号、 1965、 1‑

14頁]

山口泰代:ピスカートアー演劇理論とその実践‑ [『大阪明 浄女子短期大学紀要』第3号、 1988、 55‑76頁]

参照

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