古墳 の周濠 の意義

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奈良大学大学 院研 究年報 第13号(2008年)

《修士験文要 旨》

古墳 の周濠 の意義

高 島

敦*

【研 究 目的 】

我 が 国 に お い て 古 墳 墳 時 代 に は 、 そ の 名 が 示 す よ うに約350年 もの 間 に わ た っ て 、 汎列 島 的 に 高 塚 墳 墓 が こぞ っ て築 造 され た 。 この よ う な現 象 は何 も我 が 国 だ け に あ らず 、 中 国 ・朝 鮮 な どの 東 ア ジ ア諸 国 、 さ らに は エ ジ プ トの ピ ラ ミ ッ ドな どの よ う に世 界 各 地 で み られ る もの で あ り、 そ れ は国 家 形 成 初 期 段 階 に 共 通 して み られ る現 象 、 す な わ ち人 類 の 歴 史 過 程 の 一端 と して 捉 え られ るの で あ る1)。

その 一 方 で 、 日本 の古 墳 は 他 と比 べ 異 彩 ともい うべ き特 色 が 著 し くみ られ る 。 例 えば 、墳 丘 形 態 に あ っ て は前 方 後 円墳 ・前 方 後 方墳 ・帆 立 貝 式 古 墳 ・円墳 ・方 墳 な ど実 に様 々 な 形 態 が み られ る し、 墳 丘 上 に は 人物 ・器 財 ・動 物 な ど を象 っ た素 焼 きの 土 製 品 の 埴 輪 が樹 立 され る な ど、 い ず れ も 日本 独 自の 行 為 で あ る 。 そ れ ら は、 被 葬 者 の 身 分 や 業 績 ・個 性 を世 に表 現 ・表 示 す る もの で あ り、 外 部 に誇 示 す る もの で あ っ た。 広 瀬 和 雄 氏2)が い う よ うに 、 ま さ に古 墳 時代 は 「見 せ る王 権 」 「可 視 的 な 国 家3)」 と して 捉 え られ るの で あ る 。 そ して 、 そ うい う意 味 に お い て 、 古 墳 に と っ て付 加 的 要 素(外 部 施 設)の 位 置付 け は大 きい もの で あ っ た。 誤 解 を恐 れず あ え て 述 べ るな ら ば、 古 墳 の 発 達 は そ う い っ た付 加 的要 素 の発 達 に他 な らな いの で あ る◎

周 濠 も ま た、そ の 付 加 的 要 素 の一 つ で あ る。周 濠 は、単 に墳 丘 と外 界 と を画 す る もの で は な く、

幾 つ もの 要 素 に よ り世 に被 葬 者 の権 力 ・個 性 を表 示 す る もの で あ っ た と考 え られ る。

本 稿 で は、 この よ う な古 墳 の周 濠 の意 義 を明 らか にす る こ とを 目的 と して い る。

【章 立 て 】

本稿の章立て は、以下 の通 りである。

は じめ に

第一章 古墳の周濠研究 の概要 第一節 研 究史 と研究課題 第二節 語句の定義

第二章 古墳の周濠の視覚的効果 第一節 水濠の特質 と意義

第二節 周濠内の遺構 ・遺物一周濠 の庭的要素一 平成18年度*文 学研 究科文化財史料学専攻

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高島:古 墳の周濠の意義

第三章 墓域表示 と しての周濠 第一節 周濠の形態

第二節 周濠 による古墳 の相互 関係 一共有周 濠 と重複周濠 か ら一 第四章 区画施設 と しての古墳 の周濠

第一節 多重周濠の概念 第二節 多重周濠の分布 と時期 第三節 多重周濠のあ り方 第四節 多重周濠の性格

結章 古墳 の周濠の意義一 周濠の変遷過程 か ら一 おわ りに

【古 墳 の 周 濠 の 意 義 一 その 変 遷 過 程 か ら一 】

〔0期 〕 周 濠 成 立 前 夜

箸墓 古 墳 で 前 方 後 円 墳 が 成 立 す る以 前 、 い わ ゆ る纏 向 型前 方 後 円墳 の段 階 に は周 濠 は成 立 して い ない 。 纏 型 前 方 後 円 墳 の 典 型 例 と さ れ る纏 向 石 塚 墳 丘 墓 で は 、 後 円 部側 が 幅 約20m、 深 さ約 2.5mも の 濠 状 遺 構 が 周 囲 に廻 ら さ れ て い る。 そ の 規 模 か ら して 、 こ れ こ そ が 水 を湛 え た濠 、 す な わ ち周 濠 の起 源 で あ る とす る復 元 案 が あ る 。 しか し、 そ れ で も前 方 部 側 の 周 溝 の 幅 ・深 さは後 円 部側 の そ れ に 比 べ て 貧 弱 な もの で あ り、 これ は墳 丘 構 築 を意 識 した掘 削 法 に他 な ら な い 。周 溝 内 に堆 積 した水 成堆 積 層 も本 来 的 に水 を湛 え るべ く湛 え た もの で は な く、結 果 的 に水 が 溜 まっ た 状 況 で あ っ た と考 え られ る。 そ の よ う な光 景 が次 ぎの段 階 に成 立 を迎 え る周 濠 を創 出 す る上 で の ヒ ン トとな っ た可 能性 は 十 分 にあ るが 、 こ の段 階 で は弥 生 時 代 の墓 制 で あ る 方形 周 溝 墓 の 要 素 が 強 い もの で あ る 。 そ して 、 そ れ は前 段 階 か らの発 展 は み られ る もの の 、周 囲 を掘 削 す る こ とに よ り墳 丘 を構 築 し、 墓 とい う空 間 を創 り出 す 区 画 の性 格 を もつ もの で あ っ た。

〔1期 〕周 濠 の成 立

行 燈 山古 墳 で 周 濠 は 成 立 を迎 え る 。 成 立 段 階 の周 濠 は 、 墳 丘 が 丘 陵斜 面 を利 用 す る こ と か ら、

比 高 差 を解 消 す る た め 数箇 所 に 渡 土 堤 を設 け水 平 面 を維 持 す る、 い わ ゆ る階 段 状 周 濠 の 形 体 を と る。

周 濠 成 立 の背 景 に は 、古 墳 そ の もの の 性 格 に関 わ る もの と考 え られ る。 す な わ ち、 古 墳 とい う 構 造 物 が そ れ ま で の単 な る墓 か ら政 治 的 シ ン ボ ル と して の 要 素 を よ り強 め た こ とに起 因 す る。墳 丘 上 に は 円筒 埴 輪 に よる 表飾 、 家 ・盾 ・蓋 な どの 儀 礼 具 を象 徴 化 した器 財 形 埴 輪 に よ っ て被 葬 者 は 自身 の 権 力 ・業 績 を誇 示 した 。 こ こ に、 古 墳 が"見 せ る"を 第 一 義 的 な性 格 と して誕 生 した こ とが 垣 間見 ら れ る。 そ して 、水 を湛 え た 周 濠 も また 大 和 の 王 の 灌 概 王 的 性 格 を象 徴 化 した もの で あ る こ とが 考 え ら れ る の で あ る 。 周 濠 の 成 立 は古 墳 の 本 質 、 そ して大 和 王 権 の 構 造 的 特 質 を知 る 上 で 重 要 で あ る こ とが い え る で あ ろ う。 この 段 階 に お い て 周 濠 は、 「区 画性 」 に加 え 「視 覚 的 効 果 」 の 性 格 を持 ち合 わ せ る もの で あ っ た。

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奈 良 大 学 大 学 院研 究年 報 第13号(2008年)

〔五期 〕墓 域 の 観 念 の 発 芽

佐 紀 陵 山古 墳 で 釣 鐘 形 周 濠 が 成 立 す る 。 これ は 、周 濠 の 外 形 を精 美 な もの に整 え 、 墓 の 範 囲 、 す な わ ち墓 域 を意 識 した こ とが窺 え る 。 この 段 階 か ら墓 の 範 囲 が 墳 丘 の 外 側 、周 濠 ・外 堤 に よ り 区画 され た領 域 ま で含 め た認 識 が 始 め られ た と も考 え られ るで あ ろ う。1期 と皿期 との 過 渡期 に あ っ て、 そ れ ほ ど飛 躍 的 な発 展 は み られ な い もの の 、 墓 域 の 認 識 が 発 芽 した こ とは 画期 と して捉 え る必 要 が あ るで あ ろ う。

〔皿期 〕 周 濠 の 一 大 画 期

津 堂 城 山古 墳 で 広 大 な 同一 水 平 面 周 濠 、 周 濠 の外 側 に さ ら に周 濠 を附 設 した多 重 周 濠 が 成 立 す る。 前 者 は、 河 内 平 野 に お け る 治水 事 業 と、 そ れ と密接 な関 係 を もつ 渡 来 先 進 技 術 の導 入 に よる もの で あ る。 そ して後 者 は 、墳 丘 付 加 的 要 素 の外 部 化 と も関 連 す るが 、 第 一 義 的 な要 素 は 、他 者 との 差 別 化 、 す な わ ち大 和 に お け る五 社 神 古 墳 、佐 紀 石 塚 古 墳 に対 して の 津 堂 城 山古 墳 の被 葬 者 に よ る機 知 で あ る。 ま た 、周 濠 内 に は水 鳥 形 埴輪 や 州 浜 な ど に よ って 水 辺 の 景 観 を表 現 した 島状 施 設 が 設 置 され る。 そ こ に は遊 び心 ・庭 的 要 素 が 見 受 け られ る。 そ して 、 そ の こ とは周 濠 の視 覚 的 効 果 が 大 き く発 展 し、 さ ら に周 濠(内)が 古 墳 の 一 部 と して 完 全 に認 識 され 、 墓 域 と して の性 格 を確 立 した こ と を示 す もの で あ る 。 この段 階 以 降 、 こ う した 周 濠 の ス タ イ ルが 主 た る古 墳 に引 き継 が れ る もの と な り、 そ うい う意 味 で 当 段 階 は周 濠 の 一 大 画 期 と して 呼 べ るで あ ろ う。

〔N期 〕 周 濠 の 最 盛 期

誉 田 御 廟 山 古 墳 、 大 仙 古 墳 の段 階 で周 濠 の 発展 は ピー ク を迎 え る 。 これ は 、 墳 丘 の 規 模 の 拡 大 か ら して も 自然 の こ とで 、 ま さに 当該 期 が周 辺施 設 な ど諸 要 素 を含 め た 古墳 の 最 盛 期 にあ る とい え るの で あ ろ う。 外 堤 に は多 数 の 人物 ・動 物 ・器 財 形 埴 輪 が 配 置 され る よ う に な り、 古 墳 の 施 設 の外 部 化 に伴 い 大 仙 古 墳 で は 三 重 の 周 濠 が備 え られ る こ と とな る 。 ま た、 陪 家 の 成 立 に よっ て 、 個 別 の古 墳(主 墳 と従 属 墳)と の 関係 が重 複 周 濠 とい う形 で 表現 され た 。 さ ら に、 前 段 階 か らみ られ る よ う に な る帆 立 貝 式 古 墳 が墳 形 の 一 つ と して 定着 し、 円筒 埴 輪 の 規格 差 も著 しい もの とな る。 そ れ に伴 い 、 周 濠 形 態 に お い て もバ リエ ー シ ョ ンが 多様 化 し、 階 層性 の 要 素 加 え る こ と と な った 。 この段 階 は、 前 段 階 の要 素 を大 枠 で は 受 け継 ぐか た ち は採 る もの の 、 諸 要 素 にお い て 大 き な発 展 を遂 げ る の で あ る。

〔V期 〕 周 濠 の 衰 退

前段 階 に最 盛 期 を迎 えた 周 濠 は 、畿 内 の 主要 古 墳 に お い て は若 干 の衰 退 をみ せ 始 め る。 前 の 山 古墳 で は 、外 側 の 濠 の 規 模 が 著 し く縮 小 し、外 堤 外 区画 濠 とな る 。 一方 、 地 方 各 地 に お い て は中 小 規 模 古 墳 の増 加 、 階 層 の重 層 化 に よ っ て多 重 周 濠 の 拡 散 化 、周 濠 形 態 の 多 様 化 が著 し くな る 。

また 、 関東 に お け る東 国 型 埴 輪 文 化 の 発 芽 に関 連 して 地域 性 が見 受 け られ る よ うに な る 。 この段 階 で は 、 畿 内 にお い て は周 濠 は衰 退 を みせ 始 め る が 、 そ れ とは 反対 に 地 方 に お い て は 周 濠 の最 盛 期 を迎 え る の で あ る。

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高島:古 墳 の周濠の意義

〔V【期 〕 視 覚 的 効 果 の 終焉

畿 内 の 大 規 模 前 方 後 円墳 で は 、 今 城 塚 古 墳 の 段 階 で 広 大 な 同一 水 面 の周 濠 、縮 小 傾 向 にあ っ た 多 重 周 濠 が 復 古 を みせ る もの の 、 白 髪 山古 墳 や 高 屋 城 山古 墳 、 平 田梅 山古 墳 な どで はII期 の佐 紀 陵 山古 墳 で み ら れ た よ うな 渡 土 堤 に よ っ て同 一 水 面 を保 つ に止 ま り、 水 を湛 え る こ とは確 保 す る が 、構 造 上 ・視 覚 的 に は衰 退 した と言 わ ざ る を え ない 。 さ ら に、 五 条 野 丸 山古 墳 に至 って は、墳 丘 拡 大 に伴 い 周 濠 ・外 堤 は壮 大 な もの と な る一 方 、 も はや 水 を湛 え よ う とす る努 力 は され な くな る。 埴 輪 の 終 焉 と共 に 、 こ こに水 を湛 え る とい った 視 覚 的 効 果 は失 わ れ た とい え る で あ ろ う。 そ う した なか 地 方 、 と りわ け 関東 地 方 で は当 該 地 の 特 質 か ら多 重 周 濠 の 採 用 が 継 続 され 、 む しろ著 しい状 況 を示 す こ と と な る。

〔W期 〕 周 濠 の 終 焉,

前 方 後 円墳 終 焉 後 、 奈 良 県 石 舞 台 古墳 や 大 阪 府塚 穴古 墳 で は 空 濠 で はあ るが 依 然 と規 模 の大 き な 周 濠 ・外 堤 が 設 け ら れ る 。墓 域 の観 念 は 埴輪 ・前 方 後 円墳 が 終 焉 した 後 も継 続 され て い た こ と が そ こか ら窺 え るの で あ る。 しか し、 そ の よ うな状 況 も次 第 に 姿 を消 す こ と と な る。 そ こ に はす で に古 墳 に よ って 権 力 を誇 示 す る とい った 時代 の終 わ り、 す な わ ち 国 家 形 成初 期 段 階 の 終 わ りを 意 味 す る の か も しれ な い 。

この よ う に、古 墳 の 周 濠 は単 に墳 丘 と外 界 と を区画 す る だ け で な く、視 覚 的 効 果 に よ る権 力 誇 示 ・個 性 表現 、 区 画 に よ る他 者 との差 別化 に よ り、諸 王 ・常 人 ・外 界 か ら古 墳 を隔 絶 した の で あ る 。 そ して 、 そ れ ぞ れ の 要 素 は 、政 治 ・文 化 な どの社 会 情 勢 を背 景 に付 加 、発 展 を繰 り広 げ る こ

と とな る の で あ る

【総 括 】

本 稿 で は古 墳 の周 濠 の意 義 につ い て 、 周 濠 の もつ様 々 な要 素 か ら述 べ た。

まず 、古 墳 の周 濠 の 視 覚 的 効 果 に つ い て 、 日本 特 有 の水 濠 に み られ る背 景 と周 濠 内 に お け る 各 種 施 設 の状 況 を述 べ 、 そ の 特 質 と意 義 を明 らか に した 。 これ は、 古 墳 が単 な る墓 で は な く、"見 せ る"施 設 で あ る とい う古 墳 の 本 質 に 関連 す る こ とで あ り、 周 濠 の視 覚 的 効 果 もま た そ の 一 つ で あ る とみ た。 水 濠 は被 葬 者 の 治 水 王 的 性 格 を、 周 濠 内 の 各 施 設 は被 葬 者 の 生 前 住 ん で い た居 館 や 執 り行 っ た祭 祀 の施 設 の状 況 を移 植 した もので 、 さ ら に それ ら は遊 び心 や 演 出 に よ っ て庭 的要 素 を も持 ち合 わせ た もの で あ り、被 葬 者 の 実力 と個 性 を表 現 した もの で あ った 。

ま た、 周 濠(周 堤)が 墓 域 を表 示 す る もの で あ る と考 え、 そ の 形 態 や 在 り方 につ い て述 べ 、 周 濠 形 態 の 階 層 性 や 古 墳 相互 間 の 関 係 性 につ い て 提 起 した。 これ も古 墳 が墳 丘 形 態 に よ っ て被 葬 者 の 身 分 を表 示 す る と同 じよ うに墓 域 に お い て もそ うで あ る とみ たの で あ る 。

次 に、 区画 施 設 と して の周 濠 につ い て周 濠 を二 重 、 三 重 にめ ぐら した多 重 周 濠 を取 り上 げ、 そ の 性 格 につ い て明 らか に した 。 これ は、 従 来 は 大 王 墓 や 地 方 の 大 首 長 墓 な どの特 有 階 層 にお け る 特 別 な施 設 で あ る と考 え られ て きた が 、 決 して そ うで は な くあ らゆ る階層 にお い て 見 られ 、 そ れ は他 者 との 差 別 化 に よ り採 用 され 、 そ の 選 択 は被 葬者 の 手 中 にあ る と考 え た 。 そ して そ の 背 景 に

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奈良大学大学院研究年報 第13号(2008年)

は 当 該期 の 政 治構 造 の 様 相 が み られ るの で あ る。

本稿 の ね らい は 、 第 一 に は周 濠 の在 り方 か ら古 墳 の 本 質 を明 らか とす る こ とに あ った 。 前 方 後 円 墳 とい う壼 形 の 墳 丘 や 形 象 埴 輪 の 意 義 の 解 釈 な どか ら古 墳 が こ の 世 に創 出 さ れ た 他 界 空 間 (「他 界 の 王 宮 」)と い っ た見 方 が あ る4)。 しか し、 周 濠 の視 覚 的 効 果 や そ の 他 の 各 種 施 設 との 関 連性 か ら、古 墳 は被 葬 者 の 権 威 を表 示 す る政 治 的 モ ニ ュ メ ン トと して 築 造 さ れ た に違 い ない 。 周 濠 が 日本 に の み見 られ る の もそ うい った 背 景 か らで あ ろ う。

本稿 の 第二 の ね らい は 、 政 治 構 造 に つ い て そ の あ り方 に迫 る こ とで あ る。 こ れ は周 濠形 態 の 階 層性 や多 重 周 濠 か ら、 古 墳 時 代 の 支 配 体 制 ・政 治 構 造 が決 して一 律 な もの で は な く、 そ れ ぞ れ の 地域 に よ っ て混 沌 と した状 況 を示 す もの で あ る こ と を導 き出 す こ とが で きた と思 う。

当該 期 の政 治 構 造 を理 解 す る に は、 そ れ ぞ れ の地 域 内 ・古 墳 群 中 の よ り詳 細 な検 討 が必 要 で あ る こ とは言 う まで もな い 。 ま た、 古 墳 に よる検 討 だ け で な く、 そ れ ぞ れ の 古 墳 と被 葬 者 の住 ん だ 居 館 や そ の鷹 下 に あ る 集 落 な ど との 総 体 的 な研 究 が 必 要 で あ る。 そ の よ う な点 を踏 ま え 、今 後 も 大 方 の教 示 を受 け て古 墳 時代 の 政 治構 造 に つ い て検 討 を続 け て い きた い と思 う。

1)都 出比 呂志r王 陵 の 考 古 学 」 岩 波 書 店 、2㎜

2)広 瀬 和 雄T前 方 後 円墳 国 家1角 川 書 店 、2003

3)こ の 語 句 自体 に は筆 者 は賛 成 で き な い。 「国 家 」 と い う語 が 当 該 期 の 体 制 に 相 応 しい と は考 え て い ない ため で あ る。

4)辰 己和 弘 『古 墳 の思 想 一 象 徴 の アル ケ オ ロ ジー 一 」 白水 社 、2002

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